今日のタイトルだが、「ブロガー」である私にとって涙がちょちょ切れるほど嬉しい。手前ミソで恐縮だが実にシビれる。
活字媒体を仕事で扱っている以上、「見出し」とか「タイトル」がすべてみたいな感覚がある。
今日のタイトルは完璧だ。バンザイ。こういうバカみたいなネタを書くために日々アンテナを張っているように思う。
中華料理屋のメニューにサソリが載っているだけで驚きだが、こんなものを注文する人は、100%がそれを食べたいというより単なる話のタネにしたいだけだろう。
私もそうだ。別にサソリなんか食べたいと思わない。でもメニューで発見しちゃった以上、ブログに載せる画像を撮影したいだけでオーダーしてしまった。
サソリだ。店の人に「美味しいの?」と聞いてしまう私。「別に味なんて無いですよ」という素敵な返答がかえってきた。
味もないのに立派なお値段だ。いまどきの牛丼が10杯ぐらい買える。ウマくもないのにメニューに載せる店側の意図も単なる話のネタ提供に他ならない。
で、やってきました。サソリ。グロテスクこのうえない。こんなものを初めて食べた人間はきっと餓死寸前だったのだろう。
店員さんが言う。「養殖モノですから毒も無いんですよ」。なんともだらしないサソリだ。毒もないなら栄養とか精力の源も無いのだろう。
恐る恐る食べてみた。素揚げされたサソリを塩コショウをパラっとひと降りして味わう。
ホントに味がない。お寿司屋さんが揚げたり焼いて出してくれるボタンエビとかの頭のほうがよほど毒々しい感じに思える。
内臓系の塊みたいなジョワッとかブチュとかいう感じの食感すらない。ただサクサクしているだけ。拍子抜け。スナック菓子より心許ないサクサク感を感じながら味は一切無いまま消えていく。そんな感じ。
暑い真夏に生ビールのつまみに目の前に積まれていたら普通にワシワシ食べそうな感じではある。
まあ何だかんだ言って、「サソリを食ったことがある」というネタは10年以上使えそうだから良しとしよう。
それにしても養殖ということは専門業者がいるわけだ。いろんな仕事があるもんだ。
初対面の人から仕事内容を聞かれて「サソリの養殖です」なんて答えられるのは結構カッコいい。でも職場を覗きたいとは思わない。恐すぎる。
この店、北京ダックで有名な「全聚徳」の銀座店。北京の本店は世界中のVIPが訪れることで知られているが、銀座店も妙に豪華な造りで、ちょっと気取った気分で中華が楽しめる。
当然、目的は北京ダックだ。サソリの店みたいな書きぶりだが、北京ダックはさすがの味わい。単純明快にウマかった。
料理人が焼き上がったダックを席まで運んで切り分けてくれる。皮だけではなく、肉もしっかり付いたダックを味わうのが本場流だ。ウェイターさんが甜麺醤やネギ類などをトッピングしてくるんでくれるからバクバク食べるだけだ。
くるまれて供される北京ダックを味わう前には、切り分けられた皮だけを砂糖をまぶして食べる。これが官能的な味。ジュンワリ出てくる脂を砂糖が受け止めて、紹興酒が際限なく呑める。
正直言うと、この「皮砂糖」ばっかり食べたいぐらいだ。いつの日か、一人で一羽まるまる注文して、半分ぐらいは「皮砂糖」を堪能して、残りをオーソドックスに食べるという贅沢オーダーをしてみよう。
高級フレンチで恐ろしい価格のワインまで頼むことに比べれば、価格的にもそのぐらいの贅沢は現実的かもしれない。
北京ダック以外の他の料理もそこそこ美味しかった。高級中華系にありがちなアッサリ爽やかヘルシー料理とは違い、昔ながらの油っぽいガッツリした料理が多かった印象。
それはそれで、時代に迎合していないような感じで悪くない。店に来たすべての客が注文するわけだから、広い店内を常にテカテカしたダックが運ばれている風情も楽しい。
久しぶりに食の悦楽を感じた時間だった。
2011年2月28日月曜日
サソリを食べてみた
2011年2月25日金曜日
バカか無能
大人と子どもの根本的な違いは、物事を短絡的に捉えるか、多面的に捉えるかだろう。場当たり的なのか、中長期的な視野なのかも大きな違いではある。
能力の差こそあれ、大人であれば、一を聞けば二とか三ぐらいは考える。どんなマヌケでも子どもよりはアレコレ思案する。一が一でしかないような短絡的な感覚では、バカとか無能とか呼ばれる。
なんか説教じみた前振りになってしまったが、大人の社会でバカとか無能と呼ばれるのは中々セツナイことだろう。
多少のバカでもそう呼ばれないように一生懸命思慮深いフリをしている。私自身もそうやって何とか日々をやり過ごしている。
さて、1億ウン千万人の国民を引っ張る立場の政権与党が、くだらない内輪モメでガタガタしている。
素晴らしい学歴や経歴、ご見識をお持ちのセンセイ達だ。やれ小沢が嫌いだ、やれ大臣になりたいとかの下世話な理由で短絡的に騒いでいるわけではないだろう。
きっと中長期的な深謀遠慮のなか、われわれ凡人が及びもつかない考えあってのご立派な行動なんだろう。
じゃなきゃ、ただのバカで無能だ。きっとそんなはずはあるまい。バカで無能な人達に率いられているとしたら悲しすぎる。
さてさて、そんなビミョーな人達が構成メンバーである国会では、いろいろと法案が通らなくてスッタモンダしている。
予算しかり、予算関連法案しかり。かつてないイレギュラーな事態だろう。
税金関係メディアの仕事について20年以上経つが、年度税制改正法案の成立見込みが立たないという状態は記憶にない。
とはいえ、日切れ法案などの期限切れで国民生活にマイナス影響が出るのは誰でも分かるので、一応、次年度改正案は成立前提で対処方法を考える必要がある。
今度の改正では相続税の大増税が大きなトピック。いままではお金持ちや資産家だけに関係する税金というイメージだったが、首都圏に一戸建てを持っているぐらいで充分にターゲットになりえる内容だ。
持ち家促進を散々あおっておいて、持ち家には相続税をかけましょうという実にケシカラン話でもある。
そんな感情論はともかく、相続税が「身近な税金」になったという意味では、今回の改正は歴史的と表現しても過言ではない。民主党という政党の体質を端的に表わしている。まさに正体見たりって感じだ。
さて冒頭の話に戻る。短絡的か中長期的視野かの話だ。
優秀な人々が集まって組織されている政権与党サマのことだ。相続税増税もきっと中長期的視野に立ったスンバラシイお考えの中で生まれたのだろう。
短絡的にこんな政策を打ち出したのなら、バカで無能だ。
生前に所得税などをしっかり払って残った遺産にまたまた相続税をガッポリかける仕組み自体が違法ではないかという「そもそも論」で国を相手に訴訟を起そうという動きもあるらしい。
感覚的には相続税は二重、三重課税の最たる制度のように思えるが、今回の大衆課税化でそう考える人が増えることは間違いない。
俗に「三代続けば資産は無くなる」と言われ続けてきた。これまでの資産家相手の相続税制度の中で生まれたフレーズだ。こんな言葉も重税感が強まれば様変わりするかもしれない。
頑張って資産を持っても、死んでしまったら国が収奪することが当たり前のようにまかり通る国。資産家になった人、これから資産家になる人達は、その現実をどう捉えるだろうか。
答えは簡単。「見切りを付ける」。この一点だ。人材の海外流失は加速する。そうなれば、国は尊い税源を失う。だれでも理解できる流れだろう。
政権与党サマがバカで無能じゃないのなら、こんな理屈は分かりきっているはず。分かりきった上で社会主義的なそういう方向を目指すのなら物凄く恐ろしいことだと思う。
変な話、今回の相続税増税はバカか無能が場当たり的に考え出した政策だと信じたい。
2011年2月23日水曜日
鮨源 懐の深さ
自分の中で「酒を呑む場所」になってしまっているのがお寿司屋さんだ。江戸っ子ならダラダラ呑まずにパパっと食って引き揚げるのがイキだが、どうも腰が重くなってしまう。
ぶらぶら呑んだ後、深夜まで開けているお寿司屋さんの前を通るたびに立ち寄ろうかと悩む。握りを何個かつまんで2~30分で「そんじゃまた」とか言って立ち去ることをイメージするのだが、ついつい無粋な理由が私を邪魔する。
「太っちゃうな」、「もっと呑んじゃいそうだな」、、。そんな理由でついつい首を振りながら帰路につく。
だいたい食後2時間半は横にならないように意識している逆流性食道炎患者だという現実が問題だ。
夜の12時頃にチョロっと食べたら生真面目な私が眠りにつくのは深夜3時ぐらいになってしまう。6時半頃には娘に起される私にとっては拷問だ。
だから綺麗どころからアフターのお誘いを受けても、なかなかお供できない。結局ランデブーも逃げていく・・・。
最初から話が逸れまくってしまった。
寿司の話だ。
最近、立て続けに昼の寿司を堪能した。このブログでも頻繁に登場する高田馬場・鮨源でアルコールに背を向けバクバク食べた。
10年以上通っている店だが、昼間は未体験だった。なんか落ち着かなかったが、ぱっぱぱっぱと握りを注文してせっせせっせと食べた。
煮ハマに生サバ、極上の赤身だ。素直にウマい。当たり前のことだが、シャリが一緒になることで素材のウマさが爆発する。お寿司屋さんでは握りを食べるべきだ!などと一人でうなずく。
フランス人はワインと料理の組み合わせを「マリアージュ」、すなわち結婚と表現するが、そのセンスに敬服する。シャリとネタの「マリアージュ」は日本の誇るスーパー世界遺産だ。
ウニに生のゲソ、そして茹でたて熱々のエビだ。ミソもトッピング。こんなオンパレードならいくらでもペロペロ食べられる。
健康なうちに握りだけでいくつ食べられるか限界まで試してみたい。40貫ぐらいだろうか。いやいやハイペースで黙々と食べ続ければ50貫はいけるのではないか。
お勘定が恐いから回転寿司で試してみよう。
他にもいろいろ食べたのだが、シメにはやはり巻物だろう。かんぴょうにワサビをいっぱい投入してもらう。つーんと涙が一粒こぼれるぐらいがウマい。最後にスキッと締めくくる感じだ。
普段、この店では、わがままばかり言って酒の肴を即製してもらっているのだが、正しくマジメに握りだけを食べると日頃の私の邪道ぶりが悪事に思えてくる。
そうはいっても、夜に出かけると、酒を呑みながら相変わらず板前さん達に余計な作業を頼んでしまう。
ホタルイカを串に刺してもらってニンニク醤油でつけ焼きにしてもらったり、何度かここで書いたが、白子をフライにしてもらったり、タルタルソースまで即席で作ってもらったり、随分アーダのコーダの言ってしまう。
でも、みなさんプロの職人さん達だから、私のリクエストなんかチョチョチョイッとこなしてくれる。
客のワガママを聞くだけでなく、実際に日頃から創意工夫を凝らした料理を作っていることもある。燻製にした魚や貝の肝とか、チーズなんかもスモークで出してもらうことがある。
いろいろな具材を使った燻製の進化形として先日出してもらったのが「スモークマグロだ。それも薄っぺらく切ったマグロを燻製にしたのではなく、塊のまま豪快に調理されている。
見た目はまるで肉だ。スペアリブの塊みたいで、とてもお寿司屋さんに置いてある食材には見えない。
塩、コショウでしっかり味付けされ、マグロの脂もスモークされることで適度に落ち、見た目ほどクドさはない。ハイボールと合わせたら抜群の相性だ。
淡い感じの味わいが多い酒肴の合間にこういうガッツリ系が少し出てくると妙に嬉しい。
上の画像の塊を切って出してもらった画像がこれ。皮目がパリッとして北京ダックみたいだ。もともと上質なマグロしか置いてない店だから、アレンジしても美味しく食べられる。
邪道と言っていいのか微妙だが、こういう邪道は大歓迎だ。狭いルールに閉じこもって、しかめっ面して伝統を押しつけるような店はちっとも有難くない。
自分の信念を大事にするのは職人気質として大事だろうが、カウンターを挟んだ客商売という次元で考えると、自分の価値観、自分の流儀だけを一方的に押しつける行為は感心しない。顧客視点という考え方が欠落している。
もちろん、その店の信念を一方的に押しつけられるのが好きな客は、その手の店で有難く出されるものを押し戴けばいい。それはそれ、一種の信仰みたいなものだから信者を自認する人は満足なんだろう。
イヤなら行かなければいいので、私はそうした異教徒を弾圧するような店には行かない。きっと何を食べてもひたすら揉み手で店主を誉めないとならないのだろう。
ちなみに、お寿司屋さんがその手の店ばかりだったら客のほうも育たない。最近ハヤリの「おまかせ」だけでウン万も取る店も同じだろう。
客だってアレコレやり取りする中で、時にトンチンカンなことを言って恥をかいたりしながら知識を得ていく。そうやって基礎知識や自分の好みや傾向、居心地の良い店かどうかを見極めていくのが普通だろう。
「信仰系、信者系」の店は、客を育てるというより、育ちきった客、分かっている客しか相手にしないという感覚があるのだろうか。まあそれもひとつのジャンルだろう。
なんか理屈っぽくなってしまった。そんなこんなで鮨源さんの懐の広さがつくづく有難い。
2011年2月21日月曜日
揚げ物 イメトレ
いつの間にか呼び方が変わるものは多い。納得できない事例を列挙しよう。
「若白髪」は単なる「白髪」となり、「疲れ目」は「老眼」になり、「あなたの香り」は「加齢臭」になった。
まだまだある。
「小麦色の肌」は「結構シミだらけね」に変わった。「疲れているのね」は「EDだったわけ?」になり、「口説き文句」はただの「セクハラ」に降格した。
困ったものだ。
中学生ぐらいの頃、割とニキビが多い方だった。色気づいていた頃だったので皮膚科に通ったことを思い出す。
思い、思われ、ふり、ふられといったパターンでニキビを表現するような時代だった。
「思われニキビ」が多かった?私だが、今、地球上で私に向かってニキビという言葉を使ってくれる人は存在しない。
いつの間にか「吹き出物」だ。「デキモノ」というゲテモノみたいな呼び方もある。「思われニキビ」ならぬ「思われ吹き出物」ではまったく可愛い気がない。
このところ吹き出物が多い。不健康がすぐに顔に出る。不健康だけでなく、食べたものがすぐに影響する。
なんとなくイライラしている昼間は甘いモノを結構食べてしまう。会社の隣のコンビニで調達する。生クリームぶりぶりの洋菓子とかナンチャラプリンみたいな糖分と着色料の塊をウホウホいいながら食べる。
ひどい時には昼飯に生クリームベトベトの菓子パンとかを頬ばる。そんな日が2日ばかり続いただけで、おでこのあたりに吹き出物達がやってくる。
酒の飲み過ぎにも敏感だ。酒のせいというより、ツマミ類がクドかったりすると反応するようになった。
元もとアレルギー体質ではないので単に胃腸が老境に入ってきたのだろう。こればかろはジムに行こうが筋肉を鍛えようが勝ち目は無さそうだから、食生活に適度に気をつけないとならないのだろう。
ナッツ類、チーズ系のもの、揚げ物系も良くない。老成ニキビを誕生させやすい。
そんな私なのに先日、「揚げ物の宴」を堪能してしまった。銀座の平田牧場というトンカツ屋さんが会場だ。何年ぶりか分からないぐらいバクバク食べた。
ハイボールをグビグビしながら、ソーセージとベーコンの盛り合わせ、メンチカツ、カキフライ、特大エビフライ、モツ煮、豚の一夜干しの炙りみたいな料理も食べた。
へルシーなツマミは玉コンニャクの煮付けと、揚げ物類のつけ合わせの千切りキャベツぐらいだ。
それだけバクバク食べたのに、結局最後には特厚のトンカツまでしっかり食べた。ちょっと異常だ。正直言ってその後2日ぐらい調子悪かった。
実にだらしない。でも、それだけの意欲自体はあるわけだから立派なもんだと自分に言い聞かせている。
大したことないのに気持ちばかりは頑張る。これってダメダメなようでいて大事なことだと思う。
これって「前向きな姿勢」と同様だ。試験の時、100点を目指してはじめて80点とかが取れる。メタボになったぐらいでもあきらめずにシュっとしようと思い込めば、それなりの風貌でいられるだろう。
仕事だってそうだ。自分で限界ラインを低く設定してしまっては進歩にもすぐ限界が来る。当然、向上心も衰える。
最近の若者を見ているとそんな印象が強い。自分で自分の伸びしろを短くしている。創意工夫が足りないというか、現状を打破したい意欲が見えない。去勢されているみたいだ。
もっとも、去勢ちゃんをなんとか引上げて行く役割は年配者にあるわけで、上の世代がキチンと導いていないことも大いに反省すべきだろう。
こんなことを書いていると、自分自身の反省点を書いているように思う。「まかせるぞ」という言葉は格好良く聞こえるが、無責任と表裏一体でもある。
まかせてはいけない人間にまかせたら、まかせた側に全責任がある。まかせたといいながら、局面に応じて点検する義務もある
どうも話がそれてしまった。なんだっけ?
そうだ。前向きな姿勢についてだ。
いろいろな交渉事とかも、自分で勝手に落としどころを決めないで大きく出るようにしよう。
揚げ物だろうが、焼肉だろうが、あきらめずに若い頃同様にバクバク食べる意欲は失わないようにしよう。
男女関係も同じだ。「きっと無理だな」「あ~あ、もうだめだ」じゃなくて、もっと積極的に押しまくらないといけない。
AV男優の超絶ぶりを見たら、オレもあのぐらい頑張ろうと思わないとなるまい。日々イメージトレーニングに励もう。
イメトレだけでクタクタになりそうだ。もっと気合いを入れないといけない。
2011年2月18日金曜日
ルーツをたどる
先日、ひょんなことから祖父の父、すなわち私のひい爺さんが書き残した面白いメモが出てきた。
詳細はいろいろヤバいので省くが、なかなか興味深い読み物だった。ひい爺さんの父親やそれ以前の「ひいひいひい爺さん」みたいな人が、ひいひい婆さんとどうしたこうしたとかが書かれている。
家系図みたいな「公式記録」は見た記憶があったが、昔の人が生々しく語っている自分のルーツは妙にワクワクする。
「維新の時は槍一本でどうしたこうした」とか、ひいひいひいバアサンの枕元に夜ごと現れた先祖の話とか、ちょっとオカルトチックな臭いもある。
私のルーツは浅草だと漠然と思っていたのだが、よく調べてみると市ヶ谷、四谷あたりにも自分の系統をたどることができた。
私の昔からの夢は「神楽坂に平屋を建てること」なのだが、これも四谷・市ヶ谷あたりをうろついていたDNAが原因なのかもしれない。
私の名字は東京では多い方ではないのだが、福島とか山形あたりでは割とポピュラーだという話を聞いたことがある。
親戚にそっちエリアの人がいないことが不思議だったのだが、その「古文書」によると男系の直系をさかのぼっていくと分家とか婿入りとかで6~7代ぐらい前は違う名字だったようだ。
なんか想像しているだけで楽しい。ご先祖さまが何をしていたかは知らないが、江戸時代や鎌倉時代であろうと、どこかで自分のルーツが暮らしていたと想像するだけで小一時間ぐらいボーっと暇つぶしが出来るぐらいだ。
お侍さんだったとしても果たしてどの程度のポジションだったのか。ぺーぺーのぺーだったのか、中堅小役人だったのか、はたまた不良山賊になって落ち武者狩りをしていた荒くれ者かもしれない。
謹厳実直な漁民や農民だったかもしれない。手先が器用な職人だったかもしれない。ひょっとしたら北方の彼方から暖を求めて渡来したのかもしれないし、朝鮮半島から文化を伝えによって来た芸術家だったかもしれない。
はたまたなまぐさ坊主だったという可能性もある。なんてったって、以前、霊能者に私の前世は「武術好きなお坊さん」と言われた私だ。
まあそんなことを書き続けてもキリがない。
そう考えると徳川さんだとか、細川さんだとか、代々続く名門といわれる家では、自分の先祖がどんな人物だったのかが資料で分かるわけだから、面白い半分、困ったこともあるだろう。
歴史というものは見方によって善悪が簡単に取って代わる。勝てば官軍というように、歴史観自体がその後の主流派に都合よく固定されるのだから厄介だろう。
忠臣蔵・大石内蔵助の子孫なら威張っていられそうだが、敵役・吉良さんの子孫などは迷惑な話だろう。
その昔、親しくしていた女性が、それこそ室町時代ぐらいから続く伝統の世界を受け継いでいる一家の長女だった。これがまた大変。親兄弟が強烈な結束力でつながっている。あれじゃあ不良の真似事も出来そうにない。
とにかく伝統の技と子孫をきっちり残していくことが一家の重大事で、それが最優先。それぞれの個人の幸せといった「おセンチ」なことをまったく考えていない点に素直に感心した。
比べられるものではないが、同族企業経営に携わっている身としては、どこかシンパシーのような感覚を抱いた記憶がある。
その頃、何度目かの?独身時代だったので、すんでの所でその一門に加わりそうになった私だ。あの時、そんな選択をしたらどんな世界が見えていたのだろうか。
そう考えると、延々とさかのぼれば、何百人、何千人と広がっていく「ご先祖さま達」それぞれが人生の節目で思い悩み、決断し、人生を歩いてきたわけだ。
妙にドラマチックだ。
2011年2月16日水曜日
三原淳雄さん 名言 チョコ
先週、経済評論家の三原淳雄さんが亡くなった。以前にも書かせてもらった(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/04/blog-post_22.html)が、政府の「金持ちイジメ」の愚かさを常に主張された人で、わが社の新聞でも20年以上前から健筆をふるってもらった。
昨年食事をご一緒した際に、健啖家ぶりに驚いた記憶がある。勝手な想像だが、良く食べる人は長生きすると思い込んでいたので突然の訃報は衝撃的だった。
お会いすればいつもその明快な論調に学ばせてもらった。ウィットに富んだ数々のエピソードを聞かせてもらうのが楽しかったので非常に残念。
三原さんから最後に聞かせてもらった笑い話を紹介したい。長年のアメリカ生活で実感したジョークのような話だ。
日本人が「YES」と答えれば、それは「MAYBE」の意味。
日本人が「MAYBE」と言えば「NO」を意味する。
じゃあ日本人が「NO」と言ったら、「そいつは日本人じゃない」。
舌鋒鋭い辛口評論の合間に、いつもそんな愉快な話をしていただいた。
金持ちイジメに走る民主党政権の迷走が続く今、つくづく惜しい人を亡くしたと思う。
ご冥福をお祈りします。
さて、ジョークや名言の類にはハッとさせられるものが多い。
「日々是好日」とか「旅の恥はかき捨て」あたりは私がしょっちゅう使う言葉だが、「酒は百薬の長」も古典的かつ単純だが、実に素晴らしい表現だと思う。
お酒にまつわる格言といえば、やはりこれだ。
「お酒はぬるめの燗がいい、肴は炙ったイカでいい、女は無口なほうがいい、あかりはボンヤリ灯りゃいい」
阿久悠・作詞、八代亜紀・歌唱「舟唄」の出だしだ。この感覚、この情景描写、もはや「格言」だろう。
熱々の燗が好きで、イカ焼きは苦手な私でもシビれる。
ちょっと話がそれた。格言だった。
「下戸の建てたる蔵もなし」。
これもシブい。酒場で散財する人々を応援するような名言だ。酒代をケチったところで金持ちになんかならないぞという教訓的戒めだ。
最近聞いた名言にはこんなものもあった。
「女が衣服を身に着けるのは、それを脱ぐためである」。
いやはや名言中の名言だ。世の男子を勇気づけてくれる。とかいいながら、口ばっかりでそういう場面がなかなか巡ってこないのはナゼだろう。
最近読んだ靴の雑誌に実に含蓄に富んだ名言が出ていた。ヨーロッパのどこかの洒落者のセリフだ。
「安い靴を買うほど裕福ではない。流行の靴を追っかけるほど浪費家でもない」。
いやあ素晴らしい。拍手喝采だ。突然「靴バカ病」にかかったしまった私にとって目指すべき道を示してくれるような言葉だ。
パリとローマに靴を買うためだけに出かける計画を立てているアホな私だ。気にいった靴を手に悩んだ時、背中を押してくれたり、ブレーキをかけてくれる言葉になりそうだ。
ところで、先日のバレンタインデーには全国津々浦々?、数千人もの皆様?からチョコレートを送っていただいた。段ボールで大量に職場に届いたので会社の前の道路も交通整理の警官が出動したほど。当然食べきれないので各方面に「伊達直人」名義で寄贈させてもらった。
本来なら直接参上してお一人ずつ御礼を申し述べたいところですが、現在、フィリピン・マニラにて「小向某」を追っかけている最中なので、この場を借りて感謝のご挨拶とさせていただきます。
ウソばっかりだ。
2011年2月14日月曜日
食べ物とトラウマ
子どもの頃の思い出とかトラウマはいくつになっても甦ってくる。いくつか例を出してみる。
10歳頃に初めて行ったスキー合宿で、初日の朝にすっころんでウェアの中まで雪まみれになってから、スキーとは無縁の生活だ。
同じく小学生の頃、東京タワーの蝋人形館に行ってから連夜のように恐怖でうなされたので、いまだに東京タワー自体が嫌いだ。
祖父がたまに連れて行ってくれたので浅草の街が今も好きだし、仲見世通りの揚げまんじゅうは今も必ず買ってしまう。
揚げまんじゅうは、この歳になって食べると30分ぐらいで胸焼けが起きるのだが、分かっているのに買ってしまう。子ども時代の感動が強かったから、一種の呪縛のようになっている。
思い出やトラウマはとくに食べ物に顕著に現れる気がする。マウンテンデューを自販機で見つけるとつい買いたくなるし、オロナミンCを牛乳で割って飲む気持ち悪いテレビコマーシャルは今も記憶にある。
即席ラーメンは「サッポロ一番」か「チャルメラ」、焼きそばは「ペヤング」。この方程式もきっと「最初の衝撃」が大きかったからだろう。後発のうまい商品が出てもついつい思い出の商品に手が伸びる。
正しいオッサンとしてお寿司屋さんでグダグダ過ごすことが多い私だが、この行動パターンも幼い頃の思い出、トラウマが多分に影響している。
わが家は代々江戸っ子だ。私が敬愛する祖父も浅草生まれの「モボ」だったわけだが、なぜか江戸っ子がお得意のはずの寿司にはさほど興味がなかった。
子どもの頃、祖父に連れて行ってもらった外食といえばほぼ100%洋食だった。普段使いの店からハレの日に使う店まで和食屋に行くことは無く、西洋料理屋で肉ブリブリというパターンだった。
お寿司はたまに出前で取るぐらいだった。出前の寿司は量も決まっていて、どうでもいいカッパ巻きとかが寿司桶のなかで結構な面積を占有している。食べ盛りの少年としては、満腹にならないし、欲求不満ばかりが残った。
ごくたまに母親にせがんで近所のお寿司屋さんに連れて行ってもらっても、バカ食いされて散在するのを嫌った母親は、「最初にセットものを1人前食べてから追加しろ」とか細かく指示を出す。
なんかいっぱい食べたら悪いような気になるし、ドカ食いグセがある少年としては、小ぶりな握りがチョロチョロ出てきても一瞬にして口に運んで呑み込んでしまう。やはり満足感にはほど遠かった。
当時は回転寿司が誕生していなかったので、寿司をバクバク食べるという世界に憧れていた。寿司がバクバク食べられないことが一種のトラウマになっていたような気がする。
その頃、家の近所に新規オープンしたお寿司屋さんが、「30分食べ放題」みたいな開店イベントを実施しているのを知り、母親に連れて行ってもらった。
意気込んで行ったのの、店中に溢れかえる人人人。強欲そうなオッサン達が競い合うように大声で板前さんに注文しまくっている。
その喧噪たるや凄まじく、“お育ちのよいお坊ちゃま君”?である私などは、ほとんど注文が出来ない。ボソッと「マグロください」とつぶやいてみたって、殺気立っている板前さんには届かない。
結局、ロクに食べずにすごすごと退散した悲しい思い出がある。
「オトナになったら毎日お寿司屋さんに行こう」。そんなことを心に誓った記憶がある。
こうした経験が私を「お寿司屋さん好きのオッサン」にした理由だ。
20代の頃は回転寿司でオトナ食いに励んでいたが、「もっとオトナっぽくお寿司屋さんに陣取りたい」という欲求がつのり、20代後半あたりで運命の店?に出会う。
会社から遠くない目白台の閑静な場所にあったお寿司屋さんだ。店の親方は当時40代半ばだっただろうか。見た目も腕も醸し出す雰囲気も私がイメージする「格好良い板前さん」そのものだった。
あの店で覚えたり教わったりしたことは物凄く多い。私の食べ物に関する知識の大半はあの店で身に付いたようなもの。
器が好きになったのもその店がきっかけ。骨董、焼物マニアの常連さんに感化された親方にこれまた感化された私という構図で、ぐい呑みや徳利への興味が強まり、そのメンバーで地方の窯場巡りの旅をしたこともある。
最低でも週に一度は通っていた。いろいろなジャンルのお客さんとも随分お付き合いさせてもらった。10年近くその店に通って大人になったような気がする
親方が急逝して店はなくなった。気付けば私もあの頃の親方と同じぐらいの年齢になった。素直にいろんなことを教わっていた頃が懐かしい。
中途半端に知識をひけらかすようなダメなオヤジになってしまった今、スポンジのようになんでも吸収できたあの頃の感性を忘れてはいけないとつくづく思う。
2011年2月9日水曜日
ボクちゃん
仕事関係の知人と赤坂で痛飲した。相手の縄張り?だったのでおとなしく飲みながらアレコレと観察。
いつもはキリっとした感じで仕事の話をしている相手が、いつの間にか「甘えん坊ちゃん」になっていく様子がおかしかった。
馴染みの女性に妙に甘えはじめた彼は、それこそ「ボク、寂しいんでちゅ」ぐらいの状態に陥っている。
はたで見ていると、それこそ「痛い」感じに見えるのだが、ちょっとうらやましく感じた。
自分の飲み姿を思い起こしてみても、決してボクちゃんモードにはならない私だ。決してそういう状態にはならない。おそらく大丈夫だ。たぶん心配ない。違ってたらスイマセン。
女性に甘えたい心理って大かれ少なかれ男にはつきものだろう。それを具体的に実践できるか否かは人によって異なるが、堂々とボクちゃんになれる人はストレートに行動できる点で憧れる。
なんだかんだ言っても男は皆、女性から生まれている。当たり前のことだが、それって考えてみれば凄いことだ。
織田信長だってヒットラーだって高倉健だろうと、例外なく女性から生まれて、乳を飲まされアブアブ言っていたわけだ。
深層心理のどこかにアブアブ言いたい気持ちがあっても少しも不思議ではない。私だってチャンスがあればアブアブ言ってみたい。
格好が悪かろうが、それで精神の安定が保たれるのなら人前でボクちゃんになれる人のほうが、イジイジとガマンしている人より健康でいられるのかもしれない。
赤ちゃんプレイを売り物にする風俗のような場所では、社会的に地位の高いお客さんが多いと聞く。ほ乳瓶を咥えたり、おむつを履かされるのはゴメンだが、甘えん坊モードを求めるという部分は何となく分かる気がする。
いや、意外とほ乳瓶やおむつも楽しいのかもしれない。機会があればチャレンジしようかと一瞬マジメに妄想してしまった。やばいやばい。
同じくSMクラブのような場所でも結構なポジションの人々がM側で遊んでいるらしい。
ああいう状況でのM性も一種のアブアブモードと同じなんだろう。「支配される」、「制約される」こと自体が甘えさせてもらっている側面がある。
こう見えても私は若い頃は「おねえさまがた」に結構可愛がってもらった。恥ずかしくて甘えん坊モードになどなれず、逆に威張ったりしていたが、それが年上の人からすればファニー?に映ったのかもしれない。
若い頃、年上の知人に六本木あたりの夜の世界に頻繁に連れて行かれた。あの頃、オネエサマ達は、「客の連れである若造」というポジションの私にとても良くしてくれた。
「客の連れ」というのがミソだ。あくまで「客」ではないから気軽な相手だ。おまけに「客」でもないのに、しょっちゅう顔を見せるわけだから馴染みになる。可愛がるにはもってこいだったのだろう。
イキがっていた若造時代の私も何だかんだ言って甘えさせてもらった気がする。ダダをこねたり、ワガママ放題だったり・・。若造の特権だ。
さてさて、時はあっという間に過ぎ、オトナになって「客」になった。「客の連れ」から「客」に昇格したら逆にサッパリだ。チクショーって感じだ。
「客の連れ」だった頃のほうが楽しく艶っぽい思い出がいっぱいあるというのは納得できない話だ。
でもそれが世の中の現実だ。いとをかしだ。
気付けば夜の街に「年上のオネエサマがた」はいなくなってしまった。あっと言う間に中年になったつもりはないのだが、感覚的にはあっという間に年上のオネエサマは絶滅し、同年代も絶滅の危機に瀕している。
まあ今更年上のオネエサマが出てきても、貫禄たっぷりのオオママさんだとか、その道40年とかの名物バアサンだったりする。逆にこっちが萎縮してしまう。
若い女性に甘えるのも少し抵抗があるし、年上は「名物」になっちゃったし、どうしたもんだろう。
それにしても、よくもまあ、こんなテーマでこんなにダラダラと書けるものだ。どっか変なのだろうか。
そんなにヒマではないのに我ながら不思議だ。
2011年2月7日月曜日
バカになりきる
旅行が趣味だと思っている割には、最近どこにも行っていない。しょうがないから2月~3月のどこかで流氷を見に行くことにした。
肝心の流氷がいない時に行っても凍えるだけなので、いくつもの週末を何通りかのパターンで予約してみた。宿も飛行機もキャンセル料がかからないギリギリまで粘って、流氷情報とニラメッコするつもりだ。
3年ほど前に網走に行った時もそんなやり方で無事に海を埋め尽くす流氷を堪能した。今回は紋別が目的地。望遠レンズで憧れのオオワシを撮影してみたい。
遠目には確実に目撃できるのだが、果たしてうまくいくだろうか。網走の時は望遠レンズを持参しなかったので今回はリベンジだ。画像は札幌丸山動物園のサイトから勝手に拝借しました(スイマセン)。
旅行ついでに言えば、今年は10年ぶりのヨーロッパ旅行を検討中だ。検討している段階が一番ワクワクするので、いまが一番楽しい。
とはいっても、初夏の頃を狙っているので、まだまだ鬼が笑いそうなほど先の話だ。
昨年から発症してしまった靴バカ病のせいで、ロンドンに靴の仕入に行こうと考えていたが、研究に研究を重ねた末、現状はパリが有力候補だ。
先日買った「AUBERCY」(オーベルシー)の靴が妙に気に入ったのも理由の一つ。英国靴の堅牢な感じとイタリア靴のセンスにフランスのエスプリが加わった独特の雰囲気がたまらない。
聞くところによるとメーカーの出自自体が英国靴の影響を受け、工場はイタリアにあるらしいから、私の感想もあながち的外れではないと思う。
皮質も非常によい。フランス靴に俄然興味が湧いてしまったわけだ。
最高級靴といえば、言わずとしれたジョンロブだ。英国靴の最高峰というイメージが強いが、一般に流通しているのはエルメス傘下のもの。
ロンドンにある元祖ジョンロブはオーダー専門店で、既成靴の場合は、エルメス、すなわち「フランス系」ともいえる。
かといってパリのジョンロブも工場自体はロンドン郊外のノーザンプトンにあるそうなので、ややこしい。そのへんはどうでもいいのだが、単純に言えば、私が憧れるジョンロブはパリに店を構えるジョンロブだということ。
パリに3店舗もある。行かねば。
思えば、フランス語を10年以上学んだ私だ。そういうとチョット格好良いが、単に私が通った学校がそういう学校だったというだけ。
小学校の頃は6年間ずっと家庭教師がついていた。あの頃は子どもとはいえ、今の500倍ぐらいはフランス語が分かった。フランス語の歌までアレコレと歌えたほどだった。
自転車の乗り方みたいに一度覚えたら一生忘れなければいいのだが、フランス語に関してはウソ偽りなく、すべて忘れた。
「R」の独特な発音が嫌いでしかたなかった。「RE」であれば「レ」とか「ル」と読むのが日本人的には当たり前だ。なのに、あちらは「フ」とか「ゥフ」とか日本語表記すら出来ないような音を出す。タン壷にタンを吐き出す前の絞り出すような音だ。
「ギャルソン」は「ギャ“フ”ソン」と表記する方が近い。その「フ」自体を痰が巻き舌に絡んだような雰囲気で発声しないとならない。
うまく伝わらなくてスイマセン。
そんな下らない理由で高校の途中で一切フランス語を捨ててしまった。今思えば惜しいことをした。
小学校から一緒だった某売れっ子俳優のK君などは、カンヌ映画祭でフランス語でスピーチして喝采を浴びたそうだ。彼は第一外国語をずっとフランス語で通したから、チョットしたスピーチぐらいお手のモノだったのだろう。
私も第一外国語をフランス語にしていれば良かった。いま切実に思う。もっともK君は東大に進んだ秀才だったので、脳みその根本が違うのかもしれない。
さてさて、いくら靴病のせいとはいえ、靴だけを目的にパリに行くのもバカげた話だ。フランス料理が嫌いな私だ。どうせ、天下のパリに行っても、マックを探し、和食屋を探すだろうし、ワインよりウイスキーのペリエ割りをがぶ飲みすることだろう。
だいたい、航空券、ホテル代その他諸々の必要経費を考えたら、ジョンロブやオーベルシーの靴ぐらいポコポコ買えるわけで、経済効率的には単なるバカだろう。
バカを承知であくまで実行しそうな大バカな私だ。まあ、あえてバカになることがなければ生きていても楽しくない。バカになれるモノがあって幸せだと考えよう。
2011年2月4日金曜日
おでん国見 再訪
浜松町に昨年暮れにオープンした「おでん国見」。中学、高校、大学と一緒だった旧友が開いた店だ。オープンから2ヶ月、そろそろ落ち着いただろうと再訪。
http://www.hotpepper.jp/strJ000961433/
やはり冬のおでんは日本の文化財みたいなもの。コンビニのおかげで国民食ともいえる存在だが、やはり専門店に出かけて酒とともに味わうとジンワリと暖まる。
オープン記念に私が集めていた「ぐい呑み」をいくつか進呈した。日本酒を注文するお客さん用に使ってもらっている。
バタバタのオープン時期と大繁盛の年末をやり過ごしても、いまだに一つも割れていない。風貌に似合わずキチンと仕事をしているんだなあと店主を見直す。
おでんの他には沖縄料理がアレコレと揃っているのがこの店の特徴。おでん屋さんにとって苦労しそうな夏場はオキナワンフードにウマい生ビールがあれば、結構使い勝手のいい店になりそうだ。
テビチ(豚足)の唐揚げを注文してみた。お世辞抜きにウマい。下ごしらえが丁寧なのだろう。豚足の変なクセが無く、いい感じに揚がっている。ポン酢系のツケだれとの相性もバッチリ。
まだまだ東京では豚足料理が普及していない。うまく調理すればなかなかイケル。この店の唐揚げはテビチのおでんとともに名物料理になりえると思う。
私自身、豚足といえば、変な台湾料理屋で臭みのあるマズいヤツしか食べたことがなかったのだが、沖縄に数え切れないほど出かけた中で、何度も「目からウロコ」を体験した。
沖縄のおでん屋さんではメニューに必ず豚足、すなわち「テビチ」がある。昔は私も恐る恐る食べていたのだが、今では定期的に口にしたくなるほどの好物になった。
おでん汁とともにあのテュルテュルした食感が口に広がるとウットリする。脂っぽい感じもうまい具合にカラシが中和してくれる。あっさり系の具が多いおでん連合において秘密兵器だろう。
この日は、テビチ以外にも塩ソーキの煮付けやスーチカー(塩漬け豚)を注文してみた。セントラルキッチンで作られる料理を提供するような沖縄居酒屋が大ハヤリだが、さすがにこの店は個人経営の店だ。しっかり丁寧に調理されており、テキトーな沖縄居酒屋よりも確実に美味しい。
焼酎のお湯割りだけをグビグビと呑んでいたので、ササミのキムチ和えも頼んでみた。これが意外にも大当たり。甘ったるいだけのキムチとは別モノ。酸味、辛味が抜群のキムチを使っている。かなり辛いが焼酎の相棒としては悪くない。
キムチを誉めたところ、こだわりのキムチをわざわざどこかまで仕入に行っているらしい。風貌に似合わずマメに働いているんだなあと店主を見直す。
肝心のおでん自体に大きな特徴があるわけではないが、豚料理やキムチとかの強めの食材の後だと、しみじみとウマい。やはり冬のおでんは日本が誇る有形文化財だ。
締めにおでんスープを使った出汁茶漬けをもらう。紅生姜がトッピングされているので、沖縄そばみたいな雰囲気。これまた暖まる。
お湯割り、豚、キムチ、おでん、茶漬け。最近冷え性の私をポカポカさせるには充分だ。店を出た後の外の空気がやたらと気持ちよい。
ほろ酔い気分でしばしブラブラ。結局、家に帰るはずもなく、タクシーに乗って夜の街に沈没してしまった。
旧友の店だけに誉めてばかりになってしまった。でもウソは書いてません。
2011年2月2日水曜日
銀座 かつぜん
逆流性食道炎がすっかり治まってきた。毎晩飲んでいる錠剤も、たまにサボって様子を見ているのだが、サボっても胸焼け地獄にならずに過ごしている。
これは何を意味するのか?
一体、神様は私に何を伝えているのか?
「揚げ物をドカドカ食べなさい」。
きっとそういうことだろう。
神のお導きによって胸焼けから解放された。神様サンキューベリマッチ!
というわけで、トンカツだ。しょっちゅう食べるわけではない。むしろ滅多に食べない。ということは嫌いな食べ物みたいだが、真相は逆だ。食べたくて仕方ないけどガマンしているのがトンカツだ。
許されるのなら毎日食べてもいい。死ぬ前の最後の食事には選ばないが、死ぬ前の最後の1ヶ月だったら20回ぐらいは食べるような気がする。
思えば、上野のポン多とかナントカ屋、浅草のすぎ田、目黒のとんき等々、有名な店にも随分行った記憶がある。あまり覚えていないから、さほどこだわりはないのだろう。
群馬あたりで食べるご当地名物ソースカツ丼も大好きだし、名古屋に行けばミソカツも必ず食べる。
トンカツに関してはあまり節操がないみたいだ。でも、高田馬場にある「とん太」という店が今までで一番上手かった印象がある。
胸焼けがおさまっているだけでなく、トンカツをガマンしてきたもうひとつの理由である「体重」も最近はあまり気にしていない。
ホントはもっと気にしないといけないのだが、年のせいか、1度や2度の暴飲暴食で体重が増えなくなった。不思議だ。病気なのだろうか。
こういう時にこそ、一気に体重を落として体調を整えればいいのに、そういう努力は面倒くさい。
私の場合、10キロ落とすことには自信があるが、3キロ減とか5キロ減ぐらいだとナゼか無理。Mだからだろう。
まあそれはいい。胸焼けと体重問題をクリアしている以上、トンカツに背を向けるわけにはいかない。じゃんじゃん食べよう。
やたらと長い前振りになったが、先日、トンカツ業界?で唯一、ミシュランの星に輝く店に行く機会があった。
ミシュランの星なんてものを一切信用していないし、気にもしない私だが、いざ行くとなるとチョット期待はする。
で、行ってみました。銀座の「かつぜん」。やたらと高いという悪評はよく聞くが、本当にウマいのなら高値のトンカツだって私は許す。
高い安いというのは何を基準にするかであって、銀座という場所柄、値段だけでは計れない要素もあるだろう。
ゆったりしたカウンターと個室がひとつ。モダンな造りで接待やデートにも普通に使えそうな感じ。
この日は個室を使ったのだが、4人用と言うより2人用サイズ。お籠もりデートなんかにはバッチリなモダン茶室風のしつらえ。
こんな場所でこんな風情の店をやる以上、そこそこの単価設定は仕方ない。この点、私は寛大だ。
単品メニューも結構揃っていたが、夜用のコースメニューをオーダーしてみた。それ以外に店独自の生姜焼きも別注。
さてさて、コース料理は温野菜や魚介類の煮込み系など家庭料理と割烹料理の中間のような品が出てくる。それなりに美味しいが、トンカツに向かっていく高揚感とはちょっと違う。
もっと豚方面創作料理でトンカツへの期待をあおるような演出があったほうが良さそうな気がした。
この画像、個室の照明が暗かったので分かりにくいが別注の生姜焼きだ。蒸し焼きにした上等の豚肉の上に特製ショウガだれがドッサリ盛ってある。
豚肉も美味しい。ショウガだれもウマい。でも両者が合わさると不思議と感動がない。そんな感じ。でも、このショウガだれはつけ合わせのキャベツと一緒に食べると妙にウマかった。
肝心のトンカツ。上がロース、下がヒレ。画像より実物はもっと麗しかった。上等な豚が上手に揚がっている。単純に美味しい。でも飛び上がるほどではない。
ミシュランだの、価格設定とかのせいで、無意識に「物凄く抜群に画期的にウマいんだろう」と想像しちゃっているせいで、ついつい辛口評価になってしまう。
高級店の宿命とはそういうものだろう。その上で客をうならせないとならないのだから大変だ。
アルコール類も豊富、接客態度もキチンとしている。使い方、同行する人、トンカツ依存度、トンカツ以外の料理の好みによっては使い勝手のいい店だと思う。