2021年6月30日水曜日

炭水化物を愛している

デブの元だとか言われて何かと敬遠されがちなのが炭水化物だ。よく知らないが、炭水化物は健康のために不可欠な要素だから嫌ってはいけない。

 

ウマいものって結局は炭水化物である。キャビアだフォアグラだ、トリュフだと言われても空腹だったらおにぎりのほうが美味しい。

 

ついに本日限りで閉館してしまう九段下のホテルグランドパレス。名残りを惜しんで今月は5回も出かけた。目的はもちろんピラフである。

 

名物のシャトーソースをビチャビチャかけて食べるピラフともオサラバである。本気で泣けるほど淋しい。

 





 

ホタテ貝柱、ビーフ、シーフードそれぞれのピラフである。別注も含めてソースは全てシャトーソースである。実に名残り惜しい。

 

オムライスもビーフシチューもすべてがすべて美味しかった。さらばだ!グラパレ。50年近くにわたって私をピラフで興奮させてくれて感謝である。

 




 

というわけで、炭水化物に話を戻す。

 

先日、何年かぶりに湯島にある「厳選洋食さくらい」に出かけた。ここは都内の洋食屋さんの中でもトップレベルだと思う。何を食べてもウマい。

 

メニューの多くがハーフサイズでも注文できるところが“散らかし食い”を得意とする私には嬉しい。

 




 

チキンドリアだ。ベシャメルソースが抜群の美味しさである。昔から“ベシャメラー”を自称する私だ。丁寧に仕上げられた正統派洋食にただただ悶絶。

 

ベシャメルソースの下にはトマト味のチキンライスである。これだけでも充分ウマい。そこに官能ソースをたっぷり乗せてオーブンで完成するわけだ。ヤバい味だ。

 



 

こちらはハーフサイズの鶏の照り焼き丼である。前半、中盤とコッテリ系、しっかり系の料理をいくつも食べると、こういう優しい味が欲しくなる。仕上げに最適だ。

 

この日は、トリッパ、イカの墨煮、オックステールシチューなども頼んでいたから、白米で食べる照り焼き丼は、やや異質だが“ニッポンの洋食”は一種の日本料理だからこういう組み合わせもアリだと思う。

 





 

もっと頻繁にこの店で食べまくってみたいのだが、なかなか上野方面に行く機会がない。今の住まいに引っ越す前は湯島界隈には割と出没していたからマメに訪ねなかったことを後悔している。

 

炭水化物の話を書こうと思ったのだが、結局、洋食バンザイみたいな話になってしまった。

 

グラパレにちょこちょこ出かけていたせいで、最近の私の舌はすっかり洋食モードになってしまった。

 

ニッポンの洋食といえば陰の主役はバターである。きっと6月のバター摂取量はかなりのものだと思う。炭水化物の善し悪しを語る以前の問題かも知れない。

 


というわけで、毎日飲んでいる青汁を通常より多めにグビグビすることにした。野菜には手をつけずにウマいものを堪能する上では、各種のサプリと青汁が頼みである。

 

でもウットリするほどウマいものを食べた時のアノ幸福感は間違いなく健康に良いと思う。

 

笑うことが免疫力を高めたりする「お笑い健康説」と同じく、抜群にウマいものを食べた時のハッピーな気分も健康に影響があると信じている。

2021年6月28日月曜日

銀座のクラブと空気感

今月、23回ほど銀座のクラブ活動に出動した。この1年半ですっかり縁遠くなってしまったが、多くの店が何とか営業している。

 



 

当然だが、こんなご時世だから繁盛というには程遠い。あの世界は東京の大事な文化みたいな存在だから壊滅しないで欲しいと願うばかりである。

 

「夜の酒」がすっかり悪者のように扱われている今、クラブという業態を維持するのは厳しい。いつか人波が復活するにせよ、以前のような活況に戻るのはかなり先だろう。

 

顧客の行動パターンは、習慣というか、一種のリズムのような感覚に左右される。通うことが習慣になっているから通うという側面は大きい。

 

その証拠にコロナ以前は、正月明けやお盆休み明けは意外に空いている店が多いという話をよく聞いた。

 

すなわち、長い休みのせいで客も店に通うリズムが狂ってしまい、また通い始めるには少しばかり時間がかかるわけだ。

 

長期化したコロナ禍のせいで、なんとなく夜のクラブ活動を“卒業”しちゃった人は相当な数にのぼるはずだ。私自身、たまたま長い付き合いの黒服さんに上手に誘導されなければ行かずじまいだったと思う。

 

で、久しぶりにじっくり過ごして感じたのは負の連鎖だ。勝手な思い込みだが、私があの世界に足を突っ込むことになったきっかけは「気」である。

 

空気感の気、雰囲気の気である。賑わっていた銀座のクラブに漂っていた「気」は独特な魅力があった。

 

2年前にこのブログで銀座のクラブの「気」について書いた。その観点からみれば現状は厳しい状況である。

 

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2019/04/blog-post.html

 

悪い気を背負っている人は必然的に集ってこない。言葉は悪いが負け組的な気配とは無縁の「上向きな気」に溢れている点が銀座の強さだったと思う。

 

今かろうじて営業している店にそうしたアゲアゲな気が漂うことはない。混雑していないことだけが理由ではない。やはり「夜の街」に押されてしまった負の烙印が影響している。

 

時短要請、休業要請等々の影響で「夜」「酒」はすっかり悪者扱いされている。緊急事態宣言が解除されても東京では「酒は夜7時まで」「営業は夜8時まで」という意味不明なルールが罷り通っている。

 

そんなスタイルが何となく受け入れられている以上、基本的に夜8時ぐらいから活動が始まるクラブという存在は浮き世離れそのものという話になる。

 



 

おまけに、どっかの議員センセイがウソまでついて銀座のクラブに通っていたことがバレて党を離党する騒ぎになった事件なども、銀座のクラブ=悪い場所というネガティブイメージを強調してしまった。

 

実際、銀座のクラブの中には、店の入口を閉じた状態で扉には休業の貼り紙があっても、実は中では営業中というパターンが少なくない。

 

こうなると、まさに人目を避けてコッソリという状態だ。「気」という点では上向きな空気にはなりようがない。むしろドンヨリした空気感につながる。なんとも残念な状況だ。

 

ほろ酔い気分で店を出た後も同じ。遅めの時間の7丁目8丁目界隈に人の流れは無い。目に付くのは黒服など夜の街関係者ばかりだ。上機嫌でウェイウェイ闊歩しているオジサマ族など見かけない。実に淋しい。

 

淋しい場所に人は来ない。ましてやアゲアゲな気を持った人々ほどドンヨリした気が漂う場所を嫌う。夜の銀座がどうにもならない悪循環のまっただ中にあることを痛感する。

 

極端に人の流れが無くなったにもかかわらず、悪名高きタクシー乗り場規制は今も続いている。夜10時以降、流しのタクシーは拾えず正規の乗り場からしか乗車できないルールだ。

 

実にバカな話。タクシー乗り場では乗車待ちのタクシーの赤い空車サインが延々とつながって灯っている。シュールな光景というより哀しい光景だ。

 

つくづく街に活気が戻って欲しい。そうすれば上向きな空気をまとった人々も戻ってくる。ドンヨリした空気が街に染みこんで取れなくなる前にそんな日が来ることに期待したい。


ついでに13年前にこのブログで夜の街のアレコレを書いた話を貼り付けてみる。ひと昔以上前の話だ。今と比べると違う星の話のように感じる。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/03/blog-post_14.html








2021年6月25日金曜日

ジャンク飯、半藤一利さんの本


太田胃散をしょっちゅう飲む割にはジャンクフードを喜んで食べている。胃腸が若いのか単なるバカなのか、多分後者だろう。

 

身体に悪そうなモノは美味しい。これは間違いない。許されることなら半熟ゆで卵にタルタルソースをべっとり塗りたくって飽きるまで食べたい。

 



 

相変わらずウーバーイーツでアレコレ注文しているのだが、この画像は悪名高き!?チキン南蛮である。この画像を見るだけでウットリする。

 

タルタルソースへの愛はこのブログでも以前から熱く語ってきた。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/03/blog-post_7.html

 

我々の世代はマックのフィレオフィッシュで初めてタルタルソースに出会い、一瞬で恋に落ちた。

 

その後、エビフライ、カキフライではエビの味、カキの味が分からないほどタルタルまみれにすることに喜びを感じて大人になった。

 

そして気付けば西の方からチキン南蛮という「肉&タルタル」という素敵な料理がやってきた。そして今、タルタルへの愛と喜びは変わらないものの、しっかり胸焼けにも苦悶するようになった。

 

ジャンクフードと言えばハンバーガーだ。先日、ウーバーで「フレッシュネスバーガー」からいくつか運んでもらったのだが、やはりあの暴力的な味は男の舌を喜ばせてくれる。

 



 

クラシックアボカドチーズバーガーという大きめなヤツがウマかった。1000円ぐらいしたから本格派なんだと思う。

 

アボカドが入っているだけで良いことをした気分になるから不思議だ。ジャンクフードを食べた罪悪感が消える。アボカドだけ食べたように自己暗示をかけて幸せな気分になった。

 

先日、息子が来たので、具を入れない冷やし中華と牛丼を食べさせた。食べ盛りの男子がこういうメシをかっ込んでいる姿を見るのは楽しい。

 



 

これまでの人生で私は牛丼の「並」を買ったことがない。常に大盛りか特盛りか、最低でも「頭の大盛り」である。「並」を注文するのは負けたような気がするからイヤだ。

 

さも息子の食べっぷりを微笑ましく見ていたような書きぶりだが、この画像のこっち側では同じく冷やし中華1.5人前と牛丼の頭の大盛りを並べて食べている私がいた。同じである。その後、太田胃散を飲んだのは私だけだった。

 

さて、おうち時間の楽しみは食べることだが、さすがに四六時中食べまくっているわけではない。その他の楽しみは寝る前の読書だ。

 

映画化もされた「日本の一番長い日」の著者である半藤一利さんの本に妙にハマっている。

 



 

今年初めに亡くなられたのを機に発売された追悼ムック本がとても良かったので、半藤さんの本をまとめて購入した。

 

とくに近現代における歴史探偵ぶりで評価が高い人だから、幕末の諸々を考察した本から読み始めている。非常に面白くて、ちっとも眠くならずに逆に目が冴えてしまうのが困りものだ。

 

薩長史観で作られてきた近現代史の見方を江戸っ子の視線でぶったぎっているのが痛快だ。

 



 

ちょうどNHKの大河ドラマでは幕末のドタバタが描かれている時期でもあり、今年の私の“プチ教養修養”はこの時代を中心に攻めてみようと思っている。

 

 

2021年6月23日水曜日

冷やし中華を冒険する


「市販の冷やし中華の味にはさほど大きな違いは無い」。今月初めにこのブログでそう書いた。はたして本当にそうなのか。

 


 

自分で書いておいて何だが、世の中にある数え切れないほどの冷やし中華の味に差がないと言い切ってしまうのは乱暴だ。

 

冷やし中華好きとして軽率な発言を反省するために、この1ヶ月ほど改めて「お取り寄せ」に励んでみた。

 

ネットの評判はアテにならないといえども、さすがに人気商品だったらハズレはないはずである。ひたすら市販の冷やし中華に関するクチコミを読みあさってみた。

 

フムフム、世の中には冷やし中華ラバーは思った以上に多いようで嬉しくなる。私の場合、具は乗せずに麺だけを皿に盛り、おかずは別皿で食べるという変態スタイルなのだが、同好の士が見当たらなかったのが残念。

 

さて、取り寄せた商品にマズいものはなかった。理由はただ一つ。私が冷やし中華ラバーだからである。ちっとも参考にならずにゴメンナサイ。

 

もちろん、特徴はそれぞれなので好みは分かれるだろう。太麺か細麺か、縮れ麺かストレート麺か等々、それぞれのカラーがあるが、私の好みはやや太めの縮れ麺だろうか。

 




 103900円という値付けだが、麺そのものが非常に美味しかったのが福島県の「白河ラーメン」の冷やし中華だ。頑固な麺匠が竹踏み製法で作っているらしい。

 

具を乗せずに食べる私にとって麺のコシは大事な問題。そう書いてあっただけだが、頑固な職人が竹踏みしながら作っただけのことはある。

 



 

コシといえば日本の麺類を代表するのが讃岐うどんだ。讃岐うどんの業者さんが手がける冷やし中華も食べたくなって2カ所から取り寄せた。

 

「麺屋どんまい」「さぬきうどん小松屋」というお店から届いた冷やし中華は、どちらもコシがしっかりあって麺好きなら満足する味だった。

 

どっちがどういう味だった覚えていないのが冷やし中華の恐ろしさ?である。それを言うと「冷やし中華の味に大した差はない」という話に戻っちゃうから話を進める。

 



 ネット上でやたらと評価が高かったのが九州福岡の「鳥志商店」の冷やし中華だ。こちらはストレート麺だ。

 

届いて初めて気付いたのだが、こちらは乾麺である。日持ちする点も人気の高さに繋がっているのだろう。

 

博多豚骨ラーメンのあの細めのストレート麺を思わせる麺を冷やし中華として楽しむイメージである。

 

ゴマダレは嫌いで普通は使わないのだが、ここの「ごましょうゆ味」のタレは非常に美味しかった。

 

パっと見は普通の冷やし中華の“酸っぱ醤油系”のタレなのだが、ごま風味がガッツリ効いていてバランスの良い味わいだった。

 

夏の終わり頃にまとめ買いをして、冷やし中華がスーパーの陳列棚から消える秋冬春のためにストックしようと思う。

 



 こちらは独自の「きねうち麺」で知られるサンサス食品の冷やし中華。最近取り寄せた中では一番個性的だった。

 

もともとこのメーカーのきねうち麺の食感が好きで以前にもここの蕎麦をまとめ買いしていた。

 

良くも悪くもゴムっぽい食感なのだが、イヤな感じのゴムっぽさではなく、麺のコシの強さを感じる独特の食感がウリみたいだ。

 

冷やし中華は何となく冷麺みたいな食感で好みが分かれそうだ。冷麺好きな人なら間違いなく気に入るだろうし、一般的な麺に飽きたらこの麺で冷やし中華を味わうのも大いにアリだと思う。


というわけで、冷やし中華を求める私の冒険はまだまだ続く見込みだ。



2021年6月21日月曜日

パリピベッドルーム


以前より家にいる時間が増えたから、少しでも快適に過ごそうとアレコレと工夫している。

 

数ヶ月前に「豊かな暮らし」と題して悩ましい照明器具を使ってバスルームをエロ仕様に変身させたことを書いた。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2021/02/blog-post_26.html

 

音楽を流しながら怪しげな灯りの中、ボンヤリ入浴するのは自律神経を整えるのに有効だと思う。

 

LEDの普及で手軽に怪しい照明グッズが手に入るようになったのは嬉しい。


大昔の若い頃、自分の部屋にフラミンゴだったかペリカンだったか、プラスティック製の置物インテリア照明を置いて喜んでいたことがある。

 

バドワイザーの看板なんかも壁にセットして「ウェストコーストの風が吹いているぜ」などと気取っていた日々が懐かしい。

 

懐かしがっているばかりではダメである。今は便利なグッズが多いから我がシングルライフに少しでも彩りを加えたい。

 

というわけで、新たな怪しげグッズを購入した。テープライトと呼ばれるシロモノである。

 


 

今では元嫁サマの持ち物になってしまった以前住んでいた家は自ら設計に携わった。設計段階でかなり力を入れたのが照明。こだわってアチコチに足元証明を多用した。

 

テープライトを使えばあの頃随分こだわった間接照明が手軽に実現できる。コンセントの場所さえクリアすればどこにでも手軽に貼り付けられるスグレモノだ。

 

とはいえ、意外にしっくりくる場所が無かったので、とりあえずベッドヘッドに沿って貼り付けてみた。

 


 

なかなかステキである。貼る場所を少しズラしたくなって一度剥がして位置を変えて張り直したら、剥がした部分の木目部分が一緒に剥がれるという悲惨な事故もあった。そこは見なかったことにする。

 

寝室にあるそのほかの間接照明も色が変えられるので、気分に応じて部屋の雰囲気が様変わりする。

 




こんな感じで心地よい音楽を流していると何ともホッコリする。ヒーリング効果はバッチリだ。まるでラブホテルみたいだという指摘は禁止である。

 

私にとってはスピリチュアルなイメージなのだが、我が娘に言わせると「パリピみたい」、「まるでヤカラ」だそうだ。

 

スピリチュアルと思っていたのをパリピと評価されるのは忸怩たるものがある。でも、確かにいい歳したオジサマが一生懸命こんな風に部屋を仕上げるのは滑稽ではある。

 

なんだかんだ言っても日常にちょっとした遊び心を加えることは大事だと思う。それなりの年齢になれば日々の暮らしに刺激がない。意識して面白がることでQOLを高めたいものである。

 

「いい歳して問題」のついでに、まったく話は違うが、最近の私のお気に入りを一つ紹介する。

 

セブンイレブンのバウムクーヘンだ。常温で日持ちするバージョンと冷蔵コーナーに置かれている小さめバージョンがあるのだが、[「しっとりバウムクーヘン」という冷蔵小さめバーションがやたらと美味しい。

 


 

バウムクーヘンといえば一時期爆発的人気になった「ねんりん家」が有名だが、アレよりもウマいんじゃなかろうか。

 

還暦まであと数年だというのに、セブンのバウムクーヘンにハマりそれをことさら熱く語る私は幼稚な人間なのだろうか。

 

「幼稚」って「若々しい」と同義語だったような気がするからまあいいか。

 

 

 

 

2021年6月18日金曜日

ホドホドとの戦い


月曜にアップした「知ってしまった哀しみ」というテーマにも通じる話だが、今日はホドホドの大事さについて考えてみたい。


私自身、このところ「ホドホド」を心がけるようにしている。とはいえ、うまくホドホドに済ませると嬉しいような悲しいような複雑な気分になるから厄介だ。

 

ここ最近、寿司屋のあとでフィレオフィッシュを2つ食べたり、焼鳥屋の後に豚丼を食べるような奇人みたいなことをしていない。

 

当たり前か。。

 



 

最近、食べ方や飲み方が攻撃的ではなくなってきた。歳のせいだろうが、それはそれで残念でもある。

 

剛速球投手が年齢とともに技巧派投手に変わっていくような淋しさがある。江夏豊や鈴木孝政みたいなことだ。例えが分かりにくくてスイマセン。

 

コロナのせいで会食が激減したことをきっかけに、だいぶ酒も弱くなった気がする。まったく飲まない日も増えた。

 

若い頃は飲むたびに吐くような時もあった。ホドホドを知らなかった頃は無茶な飲み方をしていた。

 

タバコの量も確実に減っている。世の中に吸える場所が無くなってきたせいもあるが、昔に比べればかなり少ない。職場でもタバコ吸い放題だった30年前は14箱が普通だった。

 

何事もホドホドが肝心。古今東西それが真実だろう。ホドホドに収まりたくない無邪気さを封印しながら人は大人になり、そして晩年に向かっていく。

 



 

ペヤングのバカでかいサイズを時折見かける。いつもトライしたい衝動に駆られるが、間違いなく途中から大好きなペヤングが敵に見えるはずだから手を出さないでいる。

 

ペヤングは標準サイズのあの量だから愛おしいのだろう。ちょっと物足りない感じこそがホドホドの大切さを象徴している。

 

「ホドホドとはペヤングのことなり」という格言があるように(ウソです)、満足の一歩手前、もしくは半歩手前ぐらいが何事においても大事なのは確かだ。

 

とはいえ、私の日常はコンビニに入れば目に付くスイーツをいくつも買い込み、ウーバーイーツだって必ず3人前ぐらい注文してしまう。ホドホド精神を逸脱してしまう。

 

娘に渡す小遣いだってきっと過分だ。多過ぎると本人のためにならない。息子に食べさせる食事だって常にドカ盛りにするから太らせるだけだ。これまた逸脱である。


一緒に暮らしていれば、自然とホドホドに収まったのだろうが、そうじゃないからブレーキが効かなくなる。家庭生活をホドホドにこなせなかったツケである。

 

分かっちゃいるのにヤメられないことは多い。ホドホドを目指すためには自分を厳しく律する以外に道はない。

 

トランプ前大統領だって、何事もホドホドにしていれば落選することはなかった。ビルゲイツだってホドホドの稼ぎだったら別れた嫁に7兆円も払わなくて済んだわけだ。

 

なんだか脱線してきた。

 

脱線ついでに言えば、エロの道だってホドホドが何より大事な心がけだろう。

 




昔のロマンポルノは情緒があったが、AV時代全盛になってボカシが薄くなって、いまやネット上は丸出し天国になった。

 

ホドホドを超えちゃうと時には興ざめだ。ゴールが見えなくなって迷走しちゃうのが世の常だと思う。

 

少年時代は水着グラビア程度で充分にムホムホしたのに大人の階段をのぼっているうちに興奮する素材はエスカレートする。

 

痴漢を例にとっても、最初はたまたま混雑する電車で女性の尻に手が触れてしまったところからエスカレートして犯罪にまで進んでしまうらしい。

 

SMマニアだって、最初は軽い目隠し程度が出発点だろう。徐々にヤバい方向に進んで、首締めプレイで間違って殺人事件になっちゃうこともある。恐い恐い。ホドホドを顧みなないと身を滅ぼす。

 

先日、飲んでいる席で好みの女性のタイプを聞かれた私は「スケベな人」と答えてみた。

 

多分に場を盛り上げるためのジョークだが、あながちウソでもない。若い頃はウブな女性こそ最高だと思ったが、この歳になってウブな女性に遭遇しても面倒なだけだ。

 

既にこの発想がホドホドを逸脱しているのかも知れない・・・。

 

「スケベな女性」と一口に言っても私が思っているレベルと高校生の男の子が思っているレベルでは、きっと天と地ほどの開きがあるのだろう。

 

いま私が思い浮かべるそのスケベさのレベルは、ウン十年前の私から見ればきっと変質者レベルだ。それをウッシッシと喜べる自分が残念!である。

 

高校生の頃の自分が今の私のスケベオヤジっぷりを見たら、きっと早い段階で人生計画を真面目に考え、若いうちに修行僧にでもなる決意をすると思う。

 

ホドホドの枠内を少しずつ逸脱し続けると、気付けばヤバい人になってしまう。今更だがホドホド精神をキチンと重視しようと思う。


 

 

2021年6月16日水曜日

お別れの味 銀座そうな グラパレ


好きだった店が閉店してしまうのは淋しい。先日、銀座の隠れ家「そうな」が閉店しちゃうと聞いて慌てて訪ねてきた。

 

いざ閉店すると知ってノコノコ顔を出すのはちょっとカッチョ悪い。残念がるならもっと頻繁に顔を出しておけって感じである。

 

コロナ禍でも時々は覗いていたが、やはりこの半年ぐらいは出かける頻度は激減していた。後悔先に立たずを実感する。

 

2年前にこのブログで「ヤバい味」だと書いたが、カウンターだけの隠れ家的空間で、おまけにタバコだって吸えちゃう私にとっては天国みたいな店だった。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2019/09/blog-post_25.html

 

閉店はするものの、同じく銀座8丁目に漢字表記の系列店「惣菜」がある。ヤバい味にムホムホしたくなったらそちらに行けばいいわけだが、「そうな」の怪しげな?風情は独特の良さがあったので実に残念である。

 






 

からすみビーフン、贅沢トリュフたまご、ウニとトリュフのグラタン、タルタルソースとカニコロッケである。どれも官能的だった。

 

官能的な味とはエロい味である。エロいという言葉は料理を褒める言葉としては最上だと思う。人間の欲求を興奮と感動とともに満たすわけだからエロそのものだろう。

 

「そうな」における私のお気に入りがトリュフを使う料理に使うクリーミーなエロ系ソースだ。

 

いつもうっとりしていたのだが、先月ふらっと訪ねた時にも、これをベースに即興でエロパスタを作ってもらった。ウニクリームパスタだ。

 


 

カウンターだけの小さな店だったから混雑状況によっては様々なアレンジも気軽にお願いできた。今後は「惣菜」のほうにちょくちょく通ってワガママが言えるようになりたいものだ。

 

さて、閉店といえば、いよいよ最終段階なのがホテルグランドパレスだ。6月末に閉館しちゃうから、私が小学生時代から愛しているシャトーソース付きのピラフとの別れも近づいている。

 


 

先日、娘や息子を引き連れて夕飯を食べに行ったのだが、まもなく無くなっちゃうのかと思うと、ついついセンチな気分になる。

 

子供達が小さかった頃は、1階カフェレストラン「カトレア」のランチビュッフェやディナービュッフェにちょくちょく通った。

 

ホテルのビュッフェといえば、品数の多さを競うばかりで肝心の味がイマイチのケースが少なくない。その点、グラパレのビュッフェは品数こそ少なくパッと見の派手さはないものの、一つ一つが丁寧に作られており、その質実剛健な感じが好きだった。

 



 ビュッフェを楽しむ子供達を横目に私はピラフばかり食べていたが、子供が嬉々として食べていたカレーはいつも横取りして食べるぐらい好きだった。

 

この日、娘がカツカレーを注文したので、少し奪って久しぶりに味わってみた。タマネギの甘みが物凄くインパクトがある。昭和ニッポンの味、丁寧に仕上げられた洋食カレーの味だ。

 

ピラフ攻めしか頭に無かった私だが、このカレーもわが人生に寄り添っていた。私自身の子供時代にも時々食べていたことを思い出す。

 



 グラパレ閉館までまだ2週間ほど猶予がある。安直にウーバーイーツを頼んでウチでダラダラ食事をするぐらいなら、あと3回ぐらいはせっせとピラフを食べに行きたい。

 

 

 

 

2021年6月14日月曜日

哀しみの理由


知恵の悲しみという言葉がある。作家・開高健が残したものだが、経験や年齢を重ねるうちに素直に喜べなくなったり、満足感のハードルが上がってしまうことを言う。

 

知ってしまった哀しみと言い換えることも出来る。子供の頃はスーパーで売っている安い真空パックのウナギに感動したのに、大人になってウマいウナギを味わえば、昔の喜びは消え去ってしまう。

 

初めて手に入れたマイカーがボロ車でも感激したのに、その後、ランクアップを重ねればボロ車には見向きもしなくなる。

 

加齢とともにあらゆる場面で「知ってしまった哀しみ」に直面する。向上心を持って上昇することは大事だが、その分、小さな喜びや感動を失っていくのが人生なのかも知れない。

 

私自身、たとえば若い頃は単に露天風呂があるだけで嬉しいから温泉選びにとくにこだわりは無かった。ところが、いまや泉質がどうだ、部屋に露天風呂が付いているか、夕食は部屋食か等々、ワガママなことばかり頭に浮かぶ。

 

愛車の冴えない国産車を自慢しながらピカピカに磨いたのも今や昔、今となっては、やれジャガーはどうだ、マセラティもいいぞ等々、見栄を張ったようなゴタクばかり並べる。


意識しているつもりはなくても、徐々にワガママになり贅沢になっていく。これってなかなか厄介なことである。

 

話は変わるが、殺されちゃった紀州のドンファン氏も、ある意味、知ってしまった哀しみのせいで悲惨な末路を迎えたのだろう。


 



本来、自分のことを相手にしないような妙齢の魅力的な美女が金目当てとはいえ自分になびいたら幸せな錯覚が始まる。そして結局「もっともっと」でエスカレートしていく。

 

財力を武器に取っ替え引っ替え女性に入れあげていくうちに冷静な判断力も失われてしまったのではないか。

 

ハニワや土偶みたいな顔立ちの女性と恋に落ち、その恋を実らせ、ヨソ見する暇もなく生涯仲良く暮らせるような人は、ある意味とても幸せだと思う。

 

幸か不幸か、凄い美人さんやボッキュンボンの魅惑的な女性とネンゴロになってしまえば、ついついそんな路線を上書きしたくなるのだろう。


変な話だが、高級ソープの物凄さ!?を知ってしまうと大衆店には行けなくなるような感覚かもしれない。

 

食べ物と比べたら悪いが、似たような感覚だ。ウマいカレーライスを知ればもっとウマいカレーライスが食べたくなって、凝り性な人なら終わりなき追究を続ける。

 

ウマいカレーを知らずにいれば、いや、“もっともっと”を求める執拗さを持たなければ落ち着いた日々が過ごせるのに「強烈な印象」という厄介な魔法が時に人を狂わせる。

 

恋を知らない少年は一心に勉学に励むのに、恋を知ってしまうと頭が混乱する。その恋の印象が強烈だと、その後も恋を求め続ける。

 

青年になって純愛を知ると、美しい純愛を探してさまよう。もっと良い相手がいるはずだ、もっと素敵な純愛を味わいたいなどとエスカレートしていく。

 

スケベ太郎みたいな人だって同じだ。ふとちょこっと足を踏み入れた変態の世界。初めのうちはシャレで済んだはずが、気付けばどっぷりと変態の道を歩み始める

 




変態的行為が標準になれば、いつしか変態の自覚も無くなり、どんどんエスカレートしていく。これまた知ってしまった哀しみである。

 

そんな変態スケベ太郎だって、もともとは上に書いたような恋すら知らない少年だったわけで、大人の階段をのぼりながら「もっともっと」という姿勢がヘンテコな方向に進んでしまうわけだ。

 

覚醒剤などの薬物に手を出す人だって、最初はほんの出来心だったはずだ。自ら常習者になろうと思って始める人はいない。

 

中毒物質と話をマゼコゼにするのは違うような気もするが、「もっともっと」という執着心は一種の中毒性があるのも確かだ。

 

あらゆる分野のマニアやコレクターと呼ばれる人も同様だ。そういう執着気質がある人なら、一歩間違えばさっき書いた変態スケベ太郎になっていてもおかしくはないわけだ。

 

何が書きたかったのかよく分からなくなってきた。

 

やはり、足るを知るという精神と、何事においても過度な執着心を持たないように意識することは大事だと感じる。

 

そんなフラットな気持ちで暮らしているほうがきっと平穏無事な日々を過ごせるのだろう。



 

 

 

2021年6月11日金曜日

ラッキーピエロの旅





先週末、函館に行ってきた。朝出発して翌日昼過ぎに戻ってくるお手軽旅だ。函館だけで展開されている「ラッキーピエロ」で食べ散らかすことが目的だ。

 

ラッキーピエロ、略してラッピだ。函館通を自認する私がラッピに辿り着くまでの経緯は昨年秋に書いた。

 

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/10/blog-post_5.html

 

今回も相棒は娘である。まもなく成人する娘が今も気軽に父親に付き合ってくれることはハッピーピエロ?である。

 



峠下総本店という店舗がワンダフルだという情報を入手したので今回はそこに行くことを主題に出かけてきた。

 

こんな時期だから飛行機はガラガラ。貯まりまくっているマイルを使った無料航空券での往復だから、苦境にあるANAには申し訳ない気持ちだ。

 




函館空港でレンタカーを借りて峠下総本店を目指す、大沼公園に近い立地だが、高速を使ったら40分程度で到着。

 

ハンバーガーショップというよりデカいファミレスである。冬は庭園部分がイルミネーションでピカピカになるらしい。

 




 

ハンバーガー以外にメニューが豊富なのが嬉しい。まずはカツ丼、焼きそば、トンカツバーガーである。

 

ラッピの料理はファストフードとはいえ、丁寧に真面目に作られている印象がある。焼きそばも何の変哲も無いオーソドックスさが良い。正しく美味しい。

 




トッピングはチャイニーズチキンだ。この店のスペシャリテ!?として知られるチャイチキことチャイニーズチキンバーガーに使われている独自の味付けの唐揚げだ。

 

ソフトクリームやシェイクも美味しいからそれを目的に行くだけでも楽しいと思う。

 

その後、大沼公園を散策したり、とりあえず赤レンガ倉庫街あたりを歩いて時間をつぶす。

 




 

とにかく人がいない。観光産業にとっては瀕死の状態と言えるほど淋しい雰囲気にちょっと驚く。

 

東京にいると緊急事態宣言下とは思えない人出だが、東京の“慣れっこ感”みたいな感覚は全国的に見れば異常な状態にあることを痛感した。

 

泊まったのはラビスタ函館。屋上にある天然温泉がウリのホテルだ。温泉も人が少ないから快適に過ごした。

 




 

夜はホテル近くの居酒屋で海鮮三昧。お客さんが少ないから欠品も多いのは仕方ない。それでもウニの一夜漬け、スジコ、タラコ、コーンバター、ホッキバターといった北海道的な食べ物をむさぼる。

 






他にもメジマグロ刺身、キンキの湯煮などを食べて、シメはウニ丼、イクラ丼。他にも極上岩海苔でつくったおにぎりがとてもウマかった。

 




以前は函館に来れば朝から夜まで海鮮ざんまいの時間を過ごしたが、ラッピ中毒になったから海鮮を食べながらも明日のラッピでは何を食べるかを親娘で議論する。

 

翌日、まずは朝市周辺を散策。どんぶり横丁も人がいない。実に淋しい景色だ。函館には20回以上来ているが、こんな光景はもちろん初めてだ。

 




 

適当にウチで食べる土産などを買い、海鮮料理に背を向けてブランチのためラッキーピエロに向かう。空港に近い戸倉店だ。

 

オムライスとラッキーエッグバーガーと豚丼を注文する。豚丼がメニューにあるのは知らなかったので焼きカレーを食べるつもりを急きょ変更した。

 

オムライスも豚丼も丁寧かつ真面目に作られた味がする。さすがラッピである。娘が頼んだブルーベリーシェイクも妙に美味しかった。

 






今回の旅ではラッピのオリジナルTシャツやキャップ、マグカップ、など土産もたくさん買ってしまった。


私はいったい何がしたいんだろう・・・。

 

まるで回し者のようだが、やはりラッキーピエロは素敵な店だ。例外的に千歳空港に支店があるらしいが、基本的に函館市内だけで展開されている経営戦略がニクい。

 

おまけに函館の主だったところならどこにいてもラッキーピエロの店舗が目に入る。「函館イコール海鮮ドカ食い」を長年にわたって続けてきた私の行動パターンは一気に変化してしまった。

 

これまで函館ではお寿司屋さんだけでも30軒ぐらいは食べ歩いてきたが、今後は市内17カ所のラッピ全制覇が目的になるような予感がする。