2014年2月28日金曜日

色気


28年前の映画「夜叉」のヒトコマである。全盛時の田中裕子である。静止画だと分かりにくいが、ひっくり返りそうなほどの色気である。

色気に圧倒された。

高倉健主演のこの映画、円熟期の健さんのカッコ良さも相当なものだが、田中裕子の空気感が独特で、ストーリーよりもそっちばかり気になってしまった。

YouTubeで検索すれば断片的にこの映画の名シーンが出てくるので、お暇な方は覗いてみることをオススメします。

田中裕子が大ブレークしたのは、この映画の2,3年前、チューハイのテレビCMだったと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=80CBhHMydPQ

http://www.youtube.com/watch?v=0XEZ0c5uBCw

今は亡き大原麗子のウイスキーのCMとともに、田中裕子のチューハイCMは酒広告の歴史的傑作である。

ここ数年、人気女優を起用した角ハイボールのCMが人気を集めているが、往時の大原麗子、田中裕子に比べちゃうと、まだまだである。

「タコが泣くのよね~」とか田中裕子がフニャフニャ言っていた当時、学生だった私は、彼女の良さがちっとも理解できなかった。

若さって悲しい。あの色気にピンとこなかったのだから、まだまだ男性としてヨチヨチだったのだろう。

あの頃のオトナたちが田中裕子を猛烈に支持していたことが今になって凄く理解できる。



健さんの妻役のいしだあゆみと、ビミョーなサヤアテを繰り広げる場面の表情も良い。その下の画像は、健さんと初めてヤッちゃったあとの表情。このあと、健さん、シンボーたまらん状態になってもう一回する流れになる・・・。

テレビ画像をパシャパシャ撮影したくなるほど映画の内容そっちのけで見入ってしまった。

さてさて「色気」である。

なんとも定義が難しい言葉だ。エロとは別次元のものだ。エロ大好きな私だが、女性の色気も当然大好きである。

ついでにいえば、私自身も色気を感じさせる男になりたいと常々思っている。

色気。滲み出てくる空気感とでも言おうか。露出や態度ではない、具体的な性的行動でもない。存在から漂う魅力である。

色気があるかないかは、大人の異性が面と向かえばわずかな時間で察知できる。本能のアンテナが反応する分野である。

女性の場合、着るものや髪型、化粧の仕方ひとつで、パッと見は「色気的なもの」を醸し出すことは簡単だ。それはそれで結構だが、本質的な色気は、そうした上っ面ではなく、まさに滲み出てくるものだと思う。

男女ともに色気を高めるために必要なのは、やはり「余裕」だろう。ドタバタする、あたふたする、ピーチクパーチクやかましい、ガチャガチャと落ち着きがない等々、色気のない行動パターンは、結局、余裕がないことが原因だ。

余裕があれば、ゆったり構えていられる。色気にはユッタリ感が不可欠である。ゆったり構えていられれば、自分のことだけでなく、相手に対する気配りも生まれる。

空気を読んで的確な気配りが出来る人は必然的に魅力的な人物だろう。まずはここをクリアしないと「大人の色気」にはつながらない。

適度な余裕や的確な気配りだけなら、該当する人はいくらでもいる。これにもう一つ、大事な要素が加わると「色気のある人」になるのだと思う。

その要素とは、「異性から異性として見られたいと思うか、また、それを日頃から強く意識しているか」という感性だと思う。

単純なことのようで、年を重ねると意外に実践できなくなる。女性はいくつになっても蜜蜂を誘う花であるべきだし、男だって、年を取っても女性から警戒されるようじゃないとダメだと思う。

男女を問わず、何歳になろうとも現役でいようとするモチベーションを維持することは大事だ。若いのに男を卒業しちゃったような無頓着すぎるヤツからは色気は出てこない。

女性も同じ。たかだか30~40代で、「オンナ卒業」みたいなズボラな感覚で生きている人が結構多い。もったいないことである。

今日は絶頂期の田中裕子について書こうと思ったのだが、話がウザったい方向に飛んでしまった。

映画「夜叉」では、雪降る港での健さんと田中裕子のまったりしたシーンにシビれた。

突然の訪問に驚く健さんに田中裕子が色っぽくささやく。

「会いに来たらアカン・・? 
 会いとうて・・・
 もう ふたりきりで・・・」

さすがの健さんもイチコロだったようで、その後、入れ墨姿をさらしながら後先考えずに昼間っからヤッてしまうという流れになる。

http://www.youtube.com/watch?v=Bkk0LYrMhYA

ケナゲな妻である「いしだあゆみが気の毒」な展開だった。でも、あんな誘われ方をしたら、どんなカタブツ男でも煩悩の火を消すことは無理だろう。

さてさて、現実社会に、あんなふうに穏やかで優しくて色気があって、ちょっと痴的な女性はいないもんだろうか。

私の場合、もしそんな人に出会ったら、舞い上がっちゃってフニャフニャデレデレになりそうである。健さんのようにボーッと黙って相手からホレられるような態度はとれそうにない。

だから私の場合、「色気のある男」にはなれないのだろう。修行が足りない。

刺青を入れて無口な漁師になってみようか・・・。

無理である。

2014年2月26日水曜日

新宿という魔界


職場のある池袋のことを、このブログでは散々悪く書いてきたが、先日、池袋にホレてしまう事件があった。

とある日の夜、会社前の明治通りからクルマに乗る際にマフラーを落としたことに後になって気付いた。落としてから5時間も経った深夜、帰宅途中に念のため現場に戻った。

あるわけないだろうと思ったが、かなり高価なマフラーだったし、一応キョロキョロしてみた。

驚いたことにすぐに発見。現場横の蕎麦屋のノレンに巻き付けられているではないか。「なんてこった池袋!」である。

いやあ、この国はホントに良い国である。道に落ちていたマフラーなど無視して通り過ぎるのが普通だろう。

それをわざわざ拾い上げて、汚れない場所に結んでおいてくれる人がいる。何たる道徳観念の高さ、何と人情味あふれる国民性なんだろう。

美談?の現場である池袋を親の仇のように罵倒していたことを反省しないといけない。池袋バンザイである。

さて、東京の怪しい街といえば、池袋、いや新宿である。魔都・新宿だ。やつあたりみたいな話の展開だ。。。

池袋あたりじゃコソ泥とか変質者とか、ラリったオッサンあたりが「悪者地図」の主役である。たぶん・・・。

でも、新宿はそうはいかない。本物の殺し屋とかがゴロゴロ歩いていそうな気がする。

本格的な悪者が闊歩するようなイメージだ。池袋が日本のプロ野球だったら、新宿はメジャーリーグみたいな、そんなスケールの違いを感じる。

新宿に思い入れがある人、ゴメンナサイ。あくまで私的な思い込みです。

繁華街としての歴史や規模でいえば日本最大級である。全国に勇名をとどろかせている凄みがある。

以前、新宿区内のちょっとした住宅街に住んでいたのだが、旅先で宿帳に住所を書いたら「新宿って人が住めるんですか!?」と驚かれた経験がある。

そのぐらい凄み?があるわけだ。

で、何を書こうとしてたんだっけ。。。

そうだ。大繁華街なのに洒落た店とか接待とかデートに使えそうな店が見つからない話を書こうとしていた。

というわけで、ある日のこと。新宿でそれなりの夕飯を食べる機会があって、しばし店選びに難儀した。

歌舞伎町をウロウロして銃殺されるのはイヤだし、結局、ホテルメシという結論になる。

この日は最古参・京王プラザに出向いた。昔は広大な西新宿の原野?にこのホテルだけがニョキッと建っていた。昭和40年代のそんな光景をかすかに覚えている。

京王プラザの登場は戦後の高度成長期を象徴するひとつのシンボルみたいな感じだった。子ども時代には家族で食事に行ったり、なぜだか泊まったこともあった。

人気俳優・沖雅也がここから飛んじゃった時の衝撃も鮮明に覚えている。少年の頃、時々顔付きが似てると言われてコッソリ喜んでいたのに、その後、次々に出てきた「養父」とのスキャンダルのせいでイメージが激変。おかげで私も変なアダ名を付けられたりした。

さて、京王プラザといえば中華料理の「南園」である。有名料理人の多くがここ出身だと聞いたことがある。

仰々しくはないし、安っぽい感じもない。中高年にとっては居心地が良い雰囲気である。料理を取り分ける小皿も常に温かい状態で供されるし、質の高いサービスも大人向きである。

何もしないくせにサービス料を10%も取る店がゴマンとあるなか、成熟した老舗ホテルレストランは一味違う。しっかりしている。そういう部分はもっと評価されていいと思う。



そんなことより料理である。さすがに全部美味しかった。前菜から魚系、肉系、御飯モノ、デザートまでバッチリだった。

丹念に味付けがチェックされている感じ。やっつけ仕事みたいな要素はまったくない。一言で表わすなら丁寧。これって大事なことである。

ウヒョーって歓喜するようなウマさではなく、ゆっくりうなずきながらニッコリするウマさだった。


この画像は海老の塩卵炒め。カニ玉や天津丼とかのアッチ系の卵と海老が合わさった料理かと思って注文したのだが、まったく違った。塩漬けにされてカラスミにも似た雰囲気の海老の卵でプリプリの海老が調理されている。

酒飲みにはバンザイ!の味だった。こういうニクい料理を求めて、見知らぬ一品をオーダーすることが中華レストランの楽しみ方だと思う。

新宿には洒落た店、デートっぽい店が無いことを嘆いたが、西新宿エリアに行けばホテルメシの選択肢は豊富である。歓楽街としての魔都の顔の他に、そういう懐の深さを兼ね備えていることがあの街の強みである。

やはり池袋とは別次元である。比べること自体に無理がある。

それにしても、池袋と新宿について一生懸命考察している私は一体何をしたいのだろう・・・。

2014年2月24日月曜日

バリ島の潜水事故


連日ニュースで取り上げられたインドネシア・バリ島の潜水事故。漂流した女性7名のうち、5名が奇跡的に生還した。

私が一番好きなリゾ―ト地がバリ島だ。これまで10回以上は潜水目的で出かけた。広い島のアチコチにダイビング適したエリアがある。

今回事故が起きたのはバリ島の東側の沖に位置するヌサペニダ周辺の海域。個人的には15年ほど前に一度潜っただけだ。いつも別なエリアで潜っている。

理由は単純。あのエリアの海が怖いから。それだけ。

当時からそこそこの潜水キャリアはあったが、非常に危なっかしいポイントだと感じて、それ以来何度バリ島に行ってもヌサペニダ周辺は避けてきた。潮流は複雑で、水温の変化も激しく、以前から潜水事故が起きていることも聞いていた。

とはいえ、バリ島のダイビングエリアの中で特に人気の場所でもある。観光シーズンにはレジャーダイバーが連日押し寄せる。初級者レベルのダイバーもコンディションによっては潜っている場所だ。

そういう点では今回の事故はアンラッキーではある。でも、知る人ぞ知る複雑な潮流のポイントだから、他のエリアよりもトラブルのリスクは高かったのだろう。

私の場合、じっくり水中写真を撮影したいから、流れに身を任せるドリフトダイビングはあまりやらない。ラクチンだけど、小さい魚をじっくり撮ることは無理だし、大物に遭遇しなかったら退屈だからいつもパスしている。

激しい潮流は、どんなに経験を積んだプロダイバーだろうとまったく歯が立たない。海猿レベルだろうと関係ない。自然の力は圧倒的だ。何といっても流れ自体が目に見えないから不気味だ。

水面や水底は流れていないのに、中層だけ激流という不思議なケースもある。もう20年以上前だが、モルディブで潜っていた時にこのパターンにやられて私一人だけはぐれてしまったことがあった。

水面に浮上したらダイビングボートは、はるか彼方に停泊していた。運良く、ベタなぎ状態だったから、すぐに見つけてもらって問題はなかった。

パラオで潜った時も似たような経験をした。激流にあっという間に身体をもっていかれた。

当時は、はぐれた時に水面で見つけてもらうためのフロートを持っていなかった。仕方なく、足ヒレを外して頭上に掲げてボートに見つけてもらった。

バリ島の事故では漂流したダイバーはフロートを揚げていたのに発見されなかったそうだ。ちょっと信じがたい。余程コンディションが急変したんだろうか。

ボートの船長が警察に逮捕されたから、無責任にいなくなっていたという見方も出ている。そうだとしたら人災だ。被害にあわれた方々がお気の毒で仕方がない。

今回の事故では、現地のダイバー有志も必死に捜索活動に当たり、その結果、5人が救出された。救助チームのまとめ役としてニュースにも登場していた女性インストラクターは私が以前バリ島で何度もお世話になった人だ。

非常に真面目で慎重なベテランインストラクターの彼女が話していた内容から察すると、事故に遭ったダイバーグループが無茶なことをした可能性は低い。

やはり、突発的な天候急変などの不運が重なった末の悲劇だったのだろう。すなわち、どんなレベルのレジャーダイバーにも起こりえる事態だ。

私の場合、幸か不幸か、漂流までは至らなかったが、モルディブとパラオでの「流され体験」のおかげで、潮流が単純に一定方向に流れるようなポイント以外ではドリフトダイビングを避けるようになった。

結果、もうずいぶん長いこと大物に遭遇するダイビングには背を向けたことになった。自分で選択したスタイルだから時々ジレンマも感じる。でも、やはり海は怖いし、のんびりまったり潜ってる方が性に合っている。

今まで、なんとか無事に過ごせてきたのもこの選択がすべてだと思う。世界のどこのダイビングショップも、こっちがベテランだと知ると、深場で流れも強いダイナミックなポイントに案内してくれようとするのが普通だ。若い頃はそうした場所にもガンガン潜ったが、ここ10年、いや15年ぐらいは穏やかなポイントを中心に潜っている。

ハードなポイントに行きたいなあと思ったこともあったが、いつもパスしてきた。チキンダイバーみたいだが、たいてい一人旅だったし、言葉もろくに通じないガイドダイバーとのやりとりも面倒だったし、何かと緊張を強いられてきたから、水中で強いストレスを受けるようなことはなるべく避けてきた。

水深も自主規制している。過去にボルネオの海の水深23メートル地点でトラブルを起こして、本気で怖かったことがあった。ダイビングをやめたくなったほど恐怖を感じた。一応、ディープダイバーライセンスも持っているが、それ以降、基本的に自分のMax水深は初級者に毛の生えた程度の23メートル程度を目安にしている。

もし私に気心の知れた潜水仲間がいて、いつもそのメンバーと一緒に出かけていたら、きっとこんな呑気なスタイルで潜ってはいられなかったのだろう。あまり社交的じゃなくて良かったのかもしれない。

ダイビングではとにかく流れが一番厄介だ。流れが複雑なところでは、タチの悪いダウンカレントが発生することもある。文字通り、上から下への流れだ。

これが強いと、足ヒレで頑張ってキックしても身体が上に行かない。口から吐く泡は普通は上に向かうのだが、真横に流れたり、激しいときは下に向かって泡がこぼれる。

少し横方向に移動するだけで、突然流れがないエリアに逃げられることもあるのだが、さすがに慌てるし、ちょっとしたことでパニックを起こしそうになる。

厄介極まりないが、魚群や大型の魚は流れがある場所に集まるので、どうしてもリスクは避けられないわけだ。でも、予想外の流れには絶対勝てないし、外洋ポイントで漂流しちゃったら絶望的である。

ダイビングに慣れてくると激流ポイントに大物を見に行きたがる人は多いが、場所が場所だけに、何かあったらシャレでは済まないことは再認識したいものだ。

私自身、そろそろ南国での潜水旅行を企てようとしていたので、今回の事故を教訓にして臆病すぎるほど臆病になってプランを考えようと思う。

2014年2月21日金曜日

寂しき海老フライ


揚げ物。こう書くだけでヨダレが出てくる。「パブロフの犬」状態である。

若い頃の不摂生のツケで逆流性食道炎に困らされている私としては、揚げ物は禁断の味である。

禁断とか言いながら割としょっちゅう食べている。持病が無かったら一体どれほど食べてしまうのだろう。

何年か前に、とある女性の歓心を得ようとハッスルして、結局、フードファイト?状態になったことがある。

トンカツ専門店でのこと。ヒレカツ、ロースカツ、メンチカツ、カキフライ、その他諸々、やたらめったら注文して、最後のほうは二人とも無言で食べるはめになった。

私にとっては揚げ物はスーパースターみたいな存在だが、相手にとって好みで無かったのなら地獄の行軍みたいな話である。


この画像は、先日、ディープタウン・池袋のやきとん屋「木々屋」で食べた「レバカツ」である。半生のレバーが揚げられている。ひと噛みした瞬間、全身に稲妻が走った。

生きてて良かったと思う味だった。揚げ物のせいで胃酸が逆流して食道が焼けようが、レバーの食べ過ぎで尿酸値が急上昇しようが、これだけウマければOKである。事前に太田胃散、食後に制酸剤ネキシウムを飲んで対処する。

油で揚げる調理法自体は奈良時代ぐらいからあったらしい。その後、植物油の普及で一般化し、江戸時代の天ぷら文化に結実する。

その後、パン粉で揚げる「フライ」が登場、文明開化でトンカツやコロッケ、メンチカツなどにつながっていく。

そう書くと「文化を食らう」みたいな高尚な感じがする。どんどん食べれば文化的な人間になれる気がする。


揚げ物といえば、私にとってはトンカツが王様だが、なぜか今年に入ってから私の心をやたらと揺さぶるのが「海老フライ」である。

時々、お寿司屋さんでも生きた車海老をフライにしてもらうほど好きだが、このところ、どうも偏愛状態である。海老フライの精霊が私に宿ったかのように常に頭の中に海老フライが浮かんでいる。

謎である。

先日、度胸試し?に入ってみた「ゴーゴーカレー」でも海老フライをトッピングした。カレーのルーで食べるのかとヤキモキしたが、一応タルタルソースも用意されていた。

カレーもウインナーも御飯も美味しくなかったが、海老フライはウマかった。

前々から感じていたのだが、海老フライってどこか寂しいイメージがないだろうか。だいたい、あんなにウマいのに専門店を見たことがない。なぜだろう。トンカツ屋の余興みたいな位置付けである。


この画像の一品もビミョーである。某洋食屋でドライカレーのバックダンサーのような扱いを受ける海老フライである。突き刺さっている。その姿に尊厳はない。色モノ扱いされているようで不憫である。

海老フライは洋食屋におけるレギュラーメニューだが、あの世界ではビーフシチューとか、ハヤシライスあたりのデミグラスソース系が主役だ。

揚げ物に脚光があたる時でもカニクリームコロッケとか肉汁タップリのメンチカツに注目が集まり、海老フライがスター扱いされることは希だ。

「寂しき海老フライ」。ゆゆしき問題である。国民みんなで今後の海老フライの在り方について検討する必要があるのではないだろうか。


この画像もトンカツ屋のサイドメニューである。高田馬場の名店「成蔵」の海老フライ。軽めに揚がっていて海老の甘さもしっかり感じられて絶品。高級洋食屋もビックリのウマさである。

一本からサイドオーダーできるが、私が注文する場合は当然2本である。メインのトンカツより先に持って来るように頼む。こいつが出来るまでは水すら口に入れず沈思黙考。ひたすら待つ。

そして、揚げたての海老フライ様が運ばれてくると同時に生ビールを持ってきてもらう。禁欲的に待っていたストイックな姿勢がいよいよ幸福につながる。レジェンド・葛西選手の銀メダルのように待ち望んだ喜びが爆発する。

タルタルソースにちょこっとソースも混ぜてグワッシと海老フライに噛みつく。喉を通り過ぎたかどうか微妙なぐらいのタイミングで、待ってましたの生ビールをグビリである。

その瞬間、全世界を相手に勝利を収めたような気分になる。金メダルの表彰台に上った気分だ。

ひとしきりそんな喜びを味わった後でトンカツを食らう。まさに人類の叡智だ。緻密に計算された一大スペクタルショーである。揚げ物のある国に生まれて良かったと実感する瞬間である。

それが私の「揚げ物黄金律」だが、このところ急浮上してきた「海老フライ偏愛路線」が、王者トンカツの地位を危うくしそうな気配である。

老舗洋食屋に行って気の利いたオードブルでシュワシュワか何かをグビグビして、小皿サイズの濃厚なベシャメルソース系の料理につなげる。そしてメンチカツを中盤の口直しに投入して、最後に海老フライを選ぶ。

ウッシシな展開である。

日々、そんな妄想ばかりしている。海老フライに取り憑かれたみたいだ。

私が職場のパソコンに鬼気迫る形相で向き合っている時は、たいてい「ウマい海老フライの店」を探している時である。

今年、私は海老フライを100本ぐらい食べる気がする。

2014年2月19日水曜日

白い東京 ペニンシュラ

雪で大迷惑の2月である。ちらちら舞い始めて、木々がうっすら雪化粧する程度なら風情があって良いが、今回のドカ雪は迷惑の一言。

でも、思わぬ収穫が一つあった。迷惑積雪のおかげでスマホでタクシーを呼べるアプリを使い始めたのだが、これが実に便利。

自宅マンションの車寄せまで来てくれるし、GPS機能のせいで、かなり正確な到着予定時間まで通知される。便利な時代になったものである。

1度目の大雪の時は、なぜか激しく雪が降っているのに、娘が私の住まいに遊びに来ると言い張るので、雪の中を迎えに行き、夜になって雪の中を送り届けた。

送り届けたはいいが、その後、暴風雪状態になって、電車が止まったりして散々な状況になった。雪中行軍みたいになってしまった。


別な日、子ども二人を連れて杉並区の実家に出かけた。庭にドカンと雪が残っていたので、今度は息子を雪遊びさせようと画策した。離れて暮らしているせいで、会う時には妙にハッスルしてしまう。常にヘトヘトになる。

雪合戦である。しかし、投げつけた雪がヤツの首回りに命中し、服の中まで濡れてしまい、ヒーヒー泣かれてすぐに合戦終了。結局、近隣の散歩ばかりさせられるハメになった。ダウン症の子どもは体質的にシモヤケになりやすいそうなので、スパルタ雪合戦は無理みたいだ。

思ったようにはいかない。

翌週、二度目の大雪の時には、天気予報が外れて、都心部は思った以上の積雪に見舞われた。いろいろ用事があったのだが、あらかじめ帰宅困難者になることを想定してホテルを取るハメになった。

同じ事情の人は多かったみたいで、手頃なホテルは満杯。泊まろうと思っていたホテルも全然ダメで紆余曲折を経て有楽町のペニンシュラを確保した。富豪だからそんなところを取ったわけではない。基本的に外資系ホテルは苦手なのだが、その手のお高いホテルしか取れなかったのが実情である。



チェックインの際、予約していたはずの喫煙部屋がオーバーブッキングでいっぱいだとフザけたことを言われた。「じゃあキャンセルするで~」と怒ったら妙に立派な部屋にアップグレードされる。最初からそうすりゃいいのに間抜けな対応である。

それにしても、あの日、東京のホームレスはどこで眠ったのだろう。真っ白な都会の景色を眼下に眺めながら妙に気になった。

深夜、オリンピック中継を見る。羽生選手の金メダルを生中継で見られた。この日のことは「暴風雪のペニンシュラ」ととともに私の記憶に残ることになった。

さてさて、雪の思い出といえば、やはり若い頃のことばかりだ。

スキーはまったくやらなかったクセに、高校、大学の頃は悪友達とスキー旅行に何度も出かけた。

温泉に浸かって酒飲んでワイワイバカ騒ぎ。昼間は寝ているか、時々そり遊びをする。普通の服、普通の靴でスキー場に行ってたのだからモノ好きである。

女の子グループなんかも一緒だったので、チャラい若造だった私としては、スキーに興味が無いのにニコニコ参加していたわけだ。

何日も滞在していると、毎日一人ぐらいはスキーをサボる女子もいる。そうなれば暇を持て余す私の出番である。冬眠を忘れた熊のように頑張ったりしていた。

「若さ」と「バカさ」が同義語だったあの頃、エネルギーが有り余っていたのだと思う。

大学生の頃、当時はまだマイナーだった四輪駆動車にハマり、冬が来ると雪道踏破にハッスルしていた。

4輪にチェーンを装着すれば、かなりの悪路もヘッチャラなので、わざわざ雪深い場所に出かけて秘境の雪見露天風呂を楽しんだり、人のいない大雪原でコーヒーを沸かしたり、アマノジャクの極みみたいな時間を過ごした。

都心に雪が積もると自慢の四駆でウロウロ走り回り、脱出不能な車を牽引して、謝礼を稼いじゃったことも何度かある。

アクティブな若者なら、雪といえばスキーにスノボって感覚なんだろうが、私の場合は、「雪イコール温泉」である。

雪見の露天風呂こそ、日本最上級の風流の世界だ。今までも何度も出かけた。近場の群馬あたりにイソイソ出かけ、イメージ通りの「渓谷、川、ドカ雪」みたいな背景を眺めながら極上の湯浴みを楽しんでいた。

わざわざ北海道まで行って「海、カモメ、雪」という演歌みたいな状況で温泉を楽しんだことも何度もある。

顔だけ冷たい雪見露天はのぼせない点が最高である。演歌以外にはいつもレミオロメンの「粉雪」を口ずさむのだが、サビの「こな~ゆき~」という部分しか歌詞を知らないので、常にその四文字以外は鼻歌になってしまうのがストレスである。

また話は変わる。

15年以上前だっただろうか。京都・大原の雪景色が自分史上、もっとも印象的な雪だったかもしれない。

大阪に出張で出かけた時のこと。出張といっても、講演会でちょろっと話をするだけだったので、細かいスケジュールに縛られていなかった。

天気予報を見たら京都は雪。本来の用事をサクッと済ませて京都に向かう。駅前でレンタカーを借りて、明るいうちに大原に着いた。

平日、遅めの午後。三千院に人はいない。雪に埋もれる境内を歩き、高名な画家がどんなに頑張っても描けないような美しい景色の中に身を置いた。

静寂のなか、時折ばさっと木々に積もった雪が落ちる音だけが聞こえる。幽玄の世界そのものだった。あんなに美しい雪を見たのは、それ以前もその後もない。

あの時、もし恋仲の女性を連れていたら間違いなく詩人になっていたはずである。いや、意味もなく心中しちゃったかもしれない。

それほどこの世のものとは思えない光景が広がっていた。いつかまた好きな人を連れて行ってみたい。いや、心中しても困るからやめておこう。

その頃、自己満足に過ぎないヘタな短編小説を書いたことがある。南国ミクロネシアの小さな島の空港で、星空を見上げていた主人公が、雪が降り積もる錯覚を見るという意味不明な話だった。

雪を描写する際に、京都で体験した神がかり的な雪景色を参考にした。ほぼ完成していたのだが、いつの間にか原稿自体を紛失してしまった。ちょっと残念である。

まあ、紛失したからこそ、自分の中で都合良く美化しちゃってる部分もある。ひょんな時に見つかって読み返したらゲンナリするはずだから良しとしよう。

今年、東京はまだ雪に見舞われる可能性があるらしい。迷惑な話だが、せっかくだから画期的な時間になるように企てたい。

何年か後に大雪になった時、今年を振り返って「○○で△△と一緒に過ごしたなあ・・・」などと懐かしくホッコリした気持ちで思い出せるような雪の時間にしたいものだ。

2014年2月17日月曜日

先輩、後輩、暁星


最近、同窓の人々と楽しく集う機会が多い。幼稚園から高校までの一貫校という環境で育ったせいで、大人になっても独特の連帯感がある。

千代田区にある暁星学園がわが母校である。キリスト教教育の先駆け的な学校だが、別にストイックに宗教を押しつけられた記憶はない。

自由な校風の割には、一定のルールを破るとすぐに留年や退学処分を下すケジメのある学校だったと思う。

いまも同学年の面々と頻繁に会っているが、最近は、先輩や後輩との交友関係も広がり、妙に楽しい時間を共有している。

FacebookなどSNSの影響も大きいが、それよりも先輩、後輩ともに不思議と「同じ匂い」を感じるため、何年、何十年ぶりに再会しても瞬時に子供のように打ち解ける。得がたい関係だと思う。

先日、3つ上の先輩と6つ下の後輩と飲む機会があった。後輩とその連れの女子チームが遅れてくることになったので、とっとと先輩とグビグビ飲み始めた。

3つ上の学年には私の兄もいたため、その先輩のことは小学校時代から知っている。とはいえ、一緒に飲んだのは2年ぐらい前が初めてで、二人きりで会う機会はなかった。でもすぐに盛り上がるから不思議である。

この日出かけたのは最近毎週のように出没している「串銀座6丁目店」。遅参組を待つ間、漬け物と温泉卵だけをツマミにアーダのコーダの楽しく飲んでしまった。

それにしてもこの店の「温玉」は抜群に美味しい。400円もするが極上である。「コレステロールが通常の卵の20分の1」という店員さんの眉唾モノ?の決まり文句のせいで、この日も2個食べてしまった。


おまけに温玉入り鶏雑炊まで食べてしまったから合計3個である。ちょっと問題だと思う。

話が逸れた。

そして全員揃った頃には既に酔っ払い状態である。その後も先輩とバカ話に花を咲かせ、カラオケに移動したら好き勝手に歌合戦モードになってしまった。

偏屈ぶりを発揮した私は途中で帰ってしまったのだが、その飲み会は明け方4時まで続いたらしい。オッサンパワー恐るべしである。

その日の飲み会を企画したのは6つ下の後輩だ。母校在学中に接点があったわけではない。大人になってから知り合い、お寿司屋さんを紹介したり、彼の行きつけの割烹料理屋を紹介されたりしているうちに仲良くなった。

それにしても、6つ上の先輩を遊びに誘ってくれる姿勢は偉大である。ひとかどの大人になってから、少し年上という理由だけで先輩ヅラされても楽しいはずはない。

でも、誘ってくれるのだからエラい。尊敬する。女子まで連れてくるし、出張先のお土産までくれた。

ただ、私が以前プレゼントしたエロ本を女子の前で返却しそうになったセンスは問題である。そういう点は先輩として厳しく指導しないといけない。

別な日、やはり母校の2つ下の後輩と飲む機会があった。母校在学中から知っている男で、日々エネルギッシュに活動している。

お互い、銀座で飲む機会があるため、その後輩が夜の街で私を「捜索」していることも知っていた。でも、何となく合流する機会のないまま数年が経っていた。

私もいよいよ逃亡生活に疲れ?ようやく合流の夜が訪れた。某店で綺麗どころ相手に調子に乗って飲んでいた私の前に突如デカい男が仁王立ちしている。その後輩の登場だ。

さすがにエネルギッシャー?だけに、私がいたその店のスタッフとも顔見知りである。さすがだ。

しょうがないから違う店に連れて行ったが、そこでもヤツはみんなと顔見知りである。恐るべき後輩である。

その後、ヤツのテリトリーに連れて行かれ、ワイワイガヤガヤ深夜まで痛飲。後半のことはよく覚えていないが、最後はなぜかアジャコングと飲んでいた覚えがある。

今後、彼と合流する場面が増えたら私の身体は確実に衰弱していくような気がする。

それにしても、この後輩もわざわざ先輩と合流しようと思ってくれるわけだから大したものである。

私のようなズボラな人間だとそうはいかない。「先輩と飲むなんてメンドくせ~」とか言っちゃいそうである。

後輩達の活躍?のおかげで、自分の小ささを反省する良い機会にもなった。ありがたい時間である。

わが母校は小学校で1学年あたり120人程度、中学高校で170人程度だから、なんとなく皆が顔見知りになるような空気がある。

真面目に東大に行くような面々、そこまで優秀じゃないけどキチンと学校生活を送る面々、部活に全てを賭けて奮闘する面々、おちゃらけてバカばかりしている面々、そのほか、男子校ゆえに、オネエっぽい種族?の一群もいたりする。

いわば、そういうグループごとの分類で成り立っているわけだが、一貫校という特性上、長い付き合いだから、いずれのグループだろうと緩やかに繋がっていたのが特徴かもしれない。

そのせいで大人になってからも交流が続きやすいのだろう。分類上、違う種族に属していたとしても、不思議と母校出身者に共通する「匂い」があり、当事者同士、割とすぐに「匂い」に共感して打ち解けていく。

なんか変な言い方だが、そういう空気が私立の一貫校にはあるのだと思う。

その昔、麻布中・高の同級生だった縁で橋本龍太郎元首相と作家の安部譲二氏が楽しそうに対談している記事を読んだことがある。片や総理大臣、片やヤクザになって塀の中に長くいた人である。

そんな対極的な二人でも往時を懐かしんで意気投合する感じが面白くもあり、妙に共感できた。

もちろん、一貫校にも良い面と悪い面がある。合わない子どもにとっては最悪だろうし、井の中の蛙状態で、競争に弱くなる面も否定できない。

私も自分の経験が絶対などとは思わないが、最近、母校の繋がりに救われていることもあって、ついつい一貫校の在り方に肩入れしてしまう。

他意はないので誤解なきよう。

さてさて、親子2代とか祖父から3代同じ学校に通うパターンが一貫校の特徴としてあげられる。そんな伝統も校風を固めていく要素だと思う。

私の周りにも子どもを母校に通わせている友人は多い。残念ながら私の息子は生まれながらの障害のせいで母校にチャレンジ出来なかったのが残念である。

まあ、それはそれで、アイツも小、中、高一貫の支援学校に通わせてもらっているから、彼なりの「竹馬の友」が見つけられたらいいと思う。

そんなわけで、人生後半戦にもかかわらず、子ども時代の繋がりでヤンチャな顔して酒を飲める今が素直に嬉しい。

そういう機会をもっと増やしていこうと思う。

2014年2月14日金曜日

フグ鍋 クエ鍋 ひれ酒


冬まっさかりである。寒くてしかたがない。

冬。寒い。とくれば鍋である。

自分が鍋に入って茹だるわけではないのに、何だか温まる気持ちになるから面白い。

若い頃は今よりも極端な野菜嫌いだったから鍋が苦手だった。鍋には野菜が付きものだし、用意される野菜の量を見ただけでゲンナリした。

今では白菜やネギなんかを好んで食べちゃったりして、いっぱしのオトナである。

とはいえ、最後の雑炊を作る時には野菜のカケラはすべて除去する。白米登場によってタンスイカブラーの血が騒ぎ出すわけだ。


食欲中枢とか脳神経の関心がコメモードに切り替わると、途端に野菜の残りかすが憎悪の対象になる。殺意すら覚える。

鍋を囲んだメンバーの誰かが雑炊を作り始める時、ガサツな人がやると、野菜除去作業を怠る。そういう時の雑炊は全然ダメである。

ダシを吸って膨らんだ愛しいコメをズルズルかっ込みたいのに、クニャッとしたマロニーちゃんのカケラとか、白菜の芯の切れ端なんかが混ざっているとゲンナリする。とことん暴れたくなる。気色悪いったらありゃしない。

仲居さんが作ってくれる時も、ベジタブルカケラの除去作業を完璧にこなしているかが気になって仕方がない。私の目は獲物を狙う鷹のように仲居さんの作業を見つめる。

「ちょっと待った~!」とコメ投入を制止して鍋さらいをすることもしばしばである。

心底、この問題は国全体で取り組んでもらうべき喫緊の課題だと思う。

さて、鍋の話だった。


最近食べたのはクエとフグだ。魚というだけでヘルシーな気分になる。身体に良いことをした感覚になる。

実際は、フグの場合は焼き白子を食べ、クエの場合は、キモ和えを食べたりしているので、尿酸値方面は誉められたものではない。

赤坂や銀座、丸の内、新宿などに店舗のある土佐料理「祢保希(ねぼけ)。冬はクエをウリにしているから手軽にクエ鍋を楽しめる。

クエと言えば一般的には九州である。お相撲さんが九州場所でタニマチにごっつあんになるイメージだ。

高知でクエっていうのもピンとこないが、そんなことはどうでもいい。カツオのたたきをニンニクで食べて、どろめをツマミに酔鯨の吟醸酒をかっくらい、最後にクエ鍋を堪能する。

ワンダフォ~!である。

クエのひれ酒も用意されているから、正しい中高年の冬の悦楽きわまれり!って感じである。

フグもクエも各部位を余すところなく食べるイメージがある。刺身にしたり、焼いたり、揚げたり、鍋にしたり・・・。

メインイベントというか、ハイライトはどれかと考えたが、ひょっとすると「ひれ酒」が一番かもしれない。


フグ料理やクエ料理を食べない限り、基本的にそれぞれのひれ酒は出てこない。そこがまた良い。限定品みたいな感じというか、閉鎖的な?存在が愛しい。

香ばしく旨みが染み出たひれ酒の美味しさは、ロマネコンティが挑もうが、世界一のバーテンダーが作るマティーニがかかってこようが、モノともしない究極の味わいだと思う。

いかがだろうか。肉食欧米人が飲んだら「生臭くてかなわんぜ、ベイビー」とか思うのだろうか。

何だかんだ言って、鍋の話を高尚に考察しようと思って書き始めたのに、結局は酒の話で終わってしまった。

アル中なんだろうか。

2014年2月12日水曜日

小さいおうち 秘恋


一応、読書好きだったはずなのだが、最近は本を読んでいない。ますますバカになりそうだから読書の時間ぐらい意識して作らねばなるまい。

読みたい読みたいと思っていた「永遠のゼロ」も漫画で読んでしまうというアバンギャルド?な行動に走ってしまった。

コンビニで5巻セットで売っていたから衝動買いしてしまった。作画のタッチが好みじゃなかったし、良いストーリーだったからこそ、やはり想像力を駆使して文字を追えば良かったと後悔した。


何年か前に読んでみたいと思っていた「小さいおうち」も読まずじまい。そして山田洋次監督が映画化。結局、文字を追うのをあきらめて映画館に行った。

ジンワリと心に暖かいものが流れるような作品だった。もう一度見てもいいぐらいだ。山田監督の前作「東京家族」は個人的にオヨヨ?だったのだが、今回の作品は飽きずに楽しめた。

戦時中を背景にした政治的な左派まるだしのセリフ回しにウザったい部分が結構あったが、昭和ノスタルジーが丁寧に描かれていて面白かった。

黒木華という女中さん役の若い女優が良かった。初めて見る女優さんだったが、よくもまあ、作品にぴったりはまる人を見つけるものだと感心した。

奥様役の松たか子も人妻の悶々とした感じをうまい具合に演じていたし、脇役陣もマトモな俳優さんが固めていた。イマドキのテレビドラマとはまったく異質の落着き感が良かった。

昭和初期の東京の中流家庭が舞台。女中さんが知ってしまった奥様の秘密。道ならぬ恋の行方と、女中さんの葛藤とその後・・・。

そんな感じのストーリーである。

あんまり書いちゃうとこれから見る人に申し訳ないから適当にしておこう。

「秘密の恋」。大人であれば、30~40代だろうと70~80代だろうと世代に関係なく誰もが胸を高鳴らせるテーマである。

人生における大事なスパイスだと思う。ズブズブな不倫とかではなくても、淡い恋心を感じるだけで「秘恋」は成立する。

それが口に出せない想いなら、なお素敵だ。いじましい、じれったい感情こそ、人間の恋心の醍醐味かもしれない。

私の場合、父親がイタリア人で母親がブラジル人だから、好きな人にはストレートに気持ちを伝えてしまう。奥ゆかしさのカケラもない。深く反省したくなる。

もちろん、好意を寄せる人に対して、黙っていたところで何も始まらない。積極的に想いを伝えることも大事である。

でも、一般的にはそれを言えない場面や状況も当然ある。そんな時の心のザワザワした感じは、人間の感情の中でも最も厄介なものだと思う。

厄介といえども、変な心地良さも伴う。夜の月を見上げて、あの人の窓からもこの月が見えるのだろうか、風の匂いで季節が変わったことを感じたら、あの人にもすぐに教えたいなどとセンチな気分になる。

五感を刺激するもの全てを、好きな人と共有したいと思い始めたら重症である。表に出せない関係、すなわち秘めた恋であれば尚更気持ちの高ぶりはエスカレートする。

俗に恋愛体質という言い方がある。すぐに色恋に励みたくなる人を指す。こういう人達は間違いなく、あのザワザワした感情の虜になって一種の中毒症状に陥っているのだと思う。

面倒くさそうだが、とても人間らしいと思う。悪いことではない。

中高年になると「いまさら恋愛なんて・・・」などとシタリ顔で闇雲に道徳を優先する人が圧倒的だ。

実に退屈なことだと思う。

道徳や倫理、秩序ってとても大切だ。そんなことは百も承知である。でも、そこから少し脱線したところにこそ人生の機微がある。

映画「小さいおうち」では、奥様の秘密を知った女中さんが最晩年を迎えた時に流す涙が印象的だった。女中さんの晩年は倍賞千恵子が演じている。

若い頃の小さなウソ。それを後悔してもしきれないやるせない涙。人生の機微など知らなかった浅はかさが悔しくて涙が止まらなかったのだろう。

いやあ、しっとりとした良い映画だった。

さてさて、人生の機微だけを追い求めて生きていこう。

2014年2月10日月曜日

池袋漂流 南国ファミリー

ブログのタイトルにあるように、一応、富豪を目指す私としては、ここではみみっちい話は書かないようにしている。

松屋の牛丼特盛りが大好きな話とかも書かないし、ぺヤングを絶賛する話も書かない。ましてや「伝説のスタ丼」をたまに嬉々として食べている話も内緒だ。いろいろと「一人言論統制」をしている。

でも、そのせいで私のことを日々特上ウナギをかっ食らい、日々銀座のクラブで飲んだくれている不届きな男だと錯覚している人もいる。

実態はそんな富豪的な日々を送っているわけではない。先日も、池袋の「水着パブ・ワンセット50分4千円」という変な店に連れて行かれた。

ちょっと楽しかった…。

さて「池袋」である。富豪好みとは言えないシュールな街である。職場があるせいで縁が切れない。魔都と呼びたくなる街だが、時々ふらふらとさまよってしまう。

ヤバいオネエサンとなかなか関係が切れないような感じである。深入りしちゃいけないのに時々こっちから誘っちゃたりするグダグダした関係みたいだ。

そんな街・池袋を今日は考察してみたい。

私の勝手なイメージだが、「新宿はバンコク、池袋はマニラ」という先入観がある。歓楽街としての猥雑な感じと危なっかしい匂いのせいだ。

分かる人には分かってもらえると思う。あまり細かく説明するとヤバい話に飛んでいくので割愛する。

垢抜けない雰囲気バリバリの池袋だが、その残念な由緒は古い時代にまでさかのぼる。

江戸時代、「池袋村出身の娘は嫁にもらうな」という伝承がまことしやかに広まっていたそうだ。すべては「池袋の女」というイタい伝説が原因だ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E8%A2%8B%E3%81%AE%E5%A5%B3

池袋のランドマークであるサンシャインシティはもともと巣鴨監獄の跡地である。巣鴨監獄は戦後、GHQに接収され、戦犯を収容する「巣鴨プリズン」になった。

A級戦犯が絞首刑になったのもあそこである。60階建てのあのビルは処刑された人達の墓標だという都市伝説は有名だ。

絞首刑になった人数は60名で、すべて明け方の時間帯に処刑されたから「サンシャイン60」になったという話もある。

江戸時代から近現代までそんなエピソードに彩られているわけだから、池袋はどう頑張っても池袋なわけだ。

いまではコスプレの聖地だったり、中華街が形成されていたり、ごった煮というかモツ煮みたいな気配が池袋を覆っている。

社会人になって以来、この街と四半世紀ほど付き合ってくると、「嫌い嫌いも好きのうち」みたいな変な親近感が湧いてくる。

愛着ではない。愛してないからあくまでも親近感である。でも時に池袋の魔力に吸い寄せられるのも事実だ。魅力ではない。あくまで魔力である。

疲れている時、寝不足でシンドい時、そんなメンドーな気分の時に限って池袋で飲む。投げやりな気分の時も池袋テでさまよっている。われながら不思議だ。


私にとっての隠れ家が西口にある居酒屋だ。ここには基本的に一人で行く。会社の人間と飲む時でもここは避ける。のんびりホゲ~と過ごしたい場所だから一種の聖地?のようなもの。

冒頭の画像の店がそれ。「南国ファミリー」というケッタイな名前の店だ。九州沖縄方面の郷土料理屋かと錯覚しそうだが、ただの居酒屋である。何が南国で、何がファミリーなのかサッパリ不明である。

チェーン店の居酒屋ばかりの街で、まっとうな食べ物を出してくれて、何かとツボを押さえた個人経営の飲み屋は貴重である。

この店もそんな店。かといって、それなりの席数があるから常連さんに占拠されて息苦しいような気配もない。

間接照明や白熱灯の色ではない妙に明るい蛍光灯の光が潔い。それなりにこざっぱり綺麗だし、何よりメニューの品数が物凄く多い。そして結構ウマい。

盛りつけも綺麗だし、ちゃんとした料理を出す。かといって、気取りはないから、高価な酒もある一方で、しっかりホッピーも置いてある。

モノによっては結構な値付けをしている点がまた良い。ただ安さだけをウリにする店だとウマいものなど無いが、南国ファミリーは頑張っている。

画像のシメサバは750円である。居酒屋としては高価である。その分、いつ頼んでも安定してウマい。ヘタな寿司屋のシメサバよりも美味しい。必ず注文してしまう。

普通の焼鳥もある。やきとんだってしっかり用意されている。刺身類はテキトーな寿司屋よりも上等である。ブリ刺し1200円、どじょう柳川1200円、酢蛸650円、さらし鯨ぬた600円等々。池袋のヘタレな居酒屋とは一線を画す。

やきとんは130円とか150円。近隣相場が90円とか100円ぐらいだから少し高めの設定だ。この微妙な価格差が客層にも影響している。

ネクタイを締めたオジサン率が高い。がやがや騒ぐ若者はいない。女子会なんて絶対にない。池袋の残念な店で割とよく目撃する「テメ~刺し殺すぞコラ!」みたいなオーラを漂わせている危ない人も見かけない。

正しい居酒屋、大衆割烹である。

とにかく何でもある。馬刺しもある。カエルの串焼きもある。運が良ければ生きた毛ガニもまるまるボイルしてくれる。エビフライ3本1500円という洋食屋さんもビックリのメニューもある。豚の生姜焼きとかドンブリ類もある。

この店のカウンターで、週刊現代とか週刊ポストがバカの一つ覚えのように掲載している中高年セックス特集を開けっぴろげに読みながら少しづつ酔っ払っていく時間が私の憩いの時間である。

一応、近隣の安酒場に行くよりも富豪的である。自分の独身貴族?ぶりを最も感じる瞬間かもしれない。

便利な店だと思う。

なんかここまで書いてきて、この話を3年ぐらい前にも書いた記憶が甦った。ご記憶のある方、ゴメンナサイ。。。自分の行動パターンがまったく進化していないことにビックリする。

南国ファミリーで酩酊したら、ほぼ100%そのまま帰宅する。若かりし頃、ランジェリーパブだとか、女子大生キャバクラ、ショーパブという名の学芸会飲み屋?に連行されたこともあるが、そんなところに行くなら、帰宅して録画済みの「太陽にほえろ」を見るほうが楽しい。

でも、先日、酔っ払って歩いていた時、「熟女パブ」の呼び込みのお兄さんとひとしきり池袋事情を語り合ってしまい危うく店に入りそうになった。でもちゃんと振り切った。

怖いもの見たさより理性が勝った。私もまだまだ大丈夫だろう。

2014年2月7日金曜日

鶏、鶏、鶏


最近、ヤサグレ気味である。

と、書いてみて「ヤサグレ」の意味をよく知らないことに気付いた。

で、調べてみた。「やさ」は家の意味で「ぐれ」は外れるの意味、すなわち宿無しでフラフラしている状態を指すらしい。

私の場合、一応、住むところはあるし、深夜とか明け方にはちゃんと帰宅している。だからヤサグレているわけではない。

とはいえ、言葉は色々な使い方に転じていく。ヤサグレも「ぐれる」というニュアンスのせいで、「定職にもつかず、ふらふらしている人を指し、又、すねる・ふてくされる・いじける・天邪鬼等の意味で使われる」らしい。

やはり私の場合、定職はあるから大丈夫だ。でも、「すねる、ふてくされる、いじける、アマノジャッキー」の部分は該当する。

プチ・ヤサグレである。

最近、酒量が増えて、夜遅くまでダラダラしているから少し反省しようと思っている。

なんといっても疲れる。慢性疲労である。ドリンク剤やサプリのおかげでニコニコしているだけだ。それらを摂取しなかったら、きっと廃人みたいな様子になると思う。

で、何を書こうとしていたかというと、鶏肉である。脈略が無さそうだが、鶏はどことなくヘルシーな雰囲気だ。プチ・ヤサグレ男として、なるべく鶏肉中心にしようと思っているわけだ。

つい先日、このブログで「豚、豚、豚」と豚を賞賛した。しかし、私は基本的に鶏肉派である。今日は「鶏、鶏、鶏」である。



銀座にある「串銀座6丁目店」。この店の焼鳥は素直にウマい。カウンター席に陣取って寡黙な男のフリをしたいのだが、禁煙だから、訪ねる場合には愛煙家OKの個室が確保できた時だけである。

鶏のウマさはもちろんだが、日本酒の品揃えがスンバラシイ。ちゃんと一升瓶には空気抜きのシュボシュボ弁を装着しているから何を頼んでも安全である。

焼酎のロックでチビチビやっていればお勘定は屁のカッパだが、ウマい日本酒に手を出すと笑顔がひきつる値段になる。

前菜の一つとして食べる温泉タマゴが絶品で、私にとっては最初からハイライトを迎えるような高揚感がある。レバーのパテとか鳥刺しアレコレでグビグビ飲んで、焼鳥をムシャムシャ食べたら昇天である。


銀座にはウマい焼鳥屋はいくつもあるが、私がなぜか好きな「数寄屋通り」にぽつんと佇む「東京やきとり亭」も悪くない。鶏のレバ刺しが常備されているし、名古屋コーチンを使った焼鳥も安定してウマい。

この刺身盛り合わせは、20年の付き合いがある銀座の黒服と二人で出かけた時の画像だ。

ほぼ同じ年のその黒服氏と飲む時は、たいてい二人きりである。男子会だ。彼はいつも気を遣って「女のコ連れていきましょうか」と聞いてくれるのだが、私はいつもカッコよくお断りする。女子抜きで下品な話をするほうが楽しい時もある。

さてさて鶏肉といえば、焼鳥以外に「水炊き」が好きだ。何度もこのブログでも書いている新宿の「玄海」では、いっさい野菜を無視した鶏肉だけの白濁スープ水炊きがお気に入り。冬場は何度も出かける。

普通の店はすぐに鍋に野菜を入れたがるからダメである。あんなもの入れたらスープは薄まるし、へたするとスープが緑っぽく色づいてしまう。



この画像は、池袋の水炊き屋「銀獅子」で食べた水炊きである。店員のおねえさんが野菜を入れようとしていたのを制して、ずっと鶏肉だけの状態で楽しんだ。宗教上の理由で野菜を食べない私である。仕方があるまい。

スープと酒を交互にグビグビ飲んで幸福の極地である。ここに野菜を入れようとする無節操かつ無神経な世間の常識がつくづく憎たらしい。

もう一点の写真はレバ焼きなる一品料理だ。味は普通だった。この店、隠れ家風の作りでインターホンを押さないと扉は閉まったまま。なんだかなあ~という感じである。

池袋という治安の悪い街だからか、はたまた西麻布あたりの気取った会員制ダイニングバーの真似をしているのか知らないが、余計な演出?だと思う。

寒空の下で客を待たせるわけだ。個人的にはちっとも嬉しくない。まあ、池袋にはついつい辛口になってしまう私である。実際には別に不便はないし、若者だったら隠れ家チックな感じを喜ぶのかもしれない。



がらっと雰囲気は変わってオムライスである。日本橋の老舗「たいめいけん」のたんぽぽオムライスである。

チキンライスの上に載っかったオムレツをかっさばくとトロ~リと全体に広がっていく。

あくまで主役はオムレツのようだが、下支えしているチキンライスは文字通り鶏サマが主役であり、大スターのオムレツだって、元を正せば鶏卵サマである。

あえて言おう。「オムライスは鶏料理」である!。意外に気付かれていない真実である。鶏ラバーならオムライスを愛さないとダメである。

そう考えると「鶏卵」を使ったものは鶏料理である。ラーメンもタマゴ麺だから鶏料理、アイスクリームもパンも、洋菓子全般も鶏卵が必需品だ。全てが鶏料理だったわけだ。

鶏好きとしては歓迎すべき真実だ。

生卵かけ御飯も鶏料理だったわけだ…。


さて、くだらない話は適当にして本日最後の「鶏」。鴨だから鶏ではないが広い意味で鶏料理に含めることにする。

これまた最近の話だが新宿にある北京ダック屋に出かけた。「全衆徳」という専門店である。

銀座にある系列店には何度も行っているが、新宿店は2度目。色々な面で銀座店よりも劣っていて少したじろぐ。地域性によって店の運営方針に差を付けるのは分かるが、随分と格差があった。

全衆徳では、焼けてきたダックの皮を数枚だけ砂糖をまぶして食べさせるのが特徴だ。シンプルな食べ方だからこっちの店でもウマかった。

温めた紹興酒と合わせるとウッヒャラピー、ワオ~!と叫びたくなるような味わいだ。

でも、鶏料理のカロリーは皮の部分に集中している。皮さえ取れば超絶的にヘルシーなのが鶏料理である。そう考えると北京ダックはアンチヘルシーの極みである。

やはり健康志向なら精進料理ぐらいしか食べるものはないのだろう。

まいったまいった。

2014年2月5日水曜日

旧友の死


切ない。この言葉しか浮かばない出来事があった。旧友の死。それも1年前に亡くなっていたことを知った。

中学、高校時代、お世辞にも優等生ではなかった我らバカ者グループの中でもユニークな存在だった。陽気で面白い男だった。それこそ毎日のようにバカ遊びしていた。

近年は没交渉だったとはいえ、彼が逝ってしまったことを1年も知らなかったことがショックだった。

個性的な男だったから、若い頃の色々な葛藤と向き合い過ぎたせいで、20代半ば頃から、暮らしぶりは内向的になっていった。

バカ者グループの面々とも連絡は途絶えがちになり、ここ10年ぐらい彼に会った友人はいなかった。昔の仲間内で集まった際に、時々電話をかけたりしていたが、結局、引っ張り出すことは叶わず、二度と会うことの無い残念な結末になってしまった。

切ないという言葉の「切」は心が切れることを意味する。二度と会えないという意味で、それこそ関係が完全に断ち切れてしまった。やるせない。やりきれない思いだ。

返信の来ない年賀状を10年以上も律儀に送り続けていた友人の元に、最近になって彼の親戚から手紙が届いたことで、旧友達も悲報を知ることになった。

そんなきっかけが無かったら、ずっと知らないままでいたのだろう。何とも切ない。

とりあえず親しかった連中で墓参りに行くことを決めた。ところがさすがに「バカ者連合」でブイブイ言っていた私である。大ドジをしでかしてしまった。

この前の日曜日、現地集合だったので時間に遅れないようにいそいそ出かけた。でも誰もいない・・・。。実はみんなでの墓参りは1週間先の予定だった。バカである。先走ってしまった。

逝ってしまった彼とはアホなことばかりしていた。別れを告げに来た私のマヌケぶりもある意味必然かもしれない。アホな友達は最後までアホな友達のままである。

ヤツにケッケッケと笑われているような気がした。

広い霊園なので、お墓を見つけるのに苦労したが、ようやく見つけて花を手向ける。墓誌に刻まれた彼の名前を見て、改めて遠くに行ってしまった現実を突きつけられた気がした。

愛すべき独特なキャラのせいで、悪友達から無数のアダ名を付けられていた男である。そんなアイツが、いかめしい戒名を付けられて眠っている。それだけで寂しい。

戒名は彼が目指そうとした世界を端的に表わしていた。あっちの世界で縦横無尽に活躍できそうな立派なものだった。

彼の名前の横には、25年ほど前に亡くなった彼の父親の名前が刻まれていた。私のことも可愛がってくれたダンディーな紳士で、その昔なぜか私と二人きりで食事に行ったこともある。

15、6歳の頃だった。ホテルニューオータニのレストランに招待され、息子のことを相談されたりした。その後、何も役に立てなかったようなものだから、ついついお墓の前で頭を下げるしかなかった。

お墓の前に陣取ってタバコと御線香を供えて、旧友とバカ話をしたかったのだが、彼の父にも聞かれてるようで少し困った。下品な話が多すぎて心の中で語る話題を随分と自主規制してしまった。

彼の晩年に何も出来なかったことが残念だ。後悔先に立たずという言葉は、誰かに先立たれるたびに痛感するのだが、今回もその通りである。

飲めない酒を飲みすぎて一緒にゲロはいたり、くだらないことでケンカもした。バカ者連合みんなで飲酒喫煙不純異性交遊で停学になって坊主頭にもなった。

何度も旅行にも行った。旅先でも抱腹絶倒エピソードばかりである。

そういえば彼は正統派美人しか興味がなかった図々しい?男で、高校生の頃も、その後に女優やモデルになった女の子を連れ歩いて得意になっていた。

でも結局はフラれ続けて、我々バカ者連合の面々はいつも爆笑させてもらった。

音楽が好きで演劇が好きで美人が好きな気のいい男だった。

無邪気だったあの頃、大爆笑の渦の中には彼がいた。楽しい思い出をたくさん残してくれたことに感謝したい。

合掌。

2014年2月3日月曜日

豚、豚、豚!


お寿司屋さんでクダをまいてることが多い私だが、基本的には肉食だと思う。昔より食べられなくなったが、「肉こそ御馳走」と思って生きてきた世代なので、時々ガッツリと肉肉しいものが食べたくなる。

鳥、豚、牛。加齢とともに好きな肉の順番はこうなった。最近は、2番目に馬が割り込んでいたのだが、このところ官能的な豚を味わう機会が続いたので、今の気分は「豚、鳥、馬、牛」の順番である。

豚の王様?といえばとんかつである。ソースマンである私としては子供時代から一貫してとんかつを溺愛している。

逆流性食道炎のせいで、たまにしか食べなくなったが、時々無性にとんかつモードになる。「全身とんかつ気分」になると他は何も考えられない。


高田馬場の名店「成蔵」の最上級の一品である。その名も「シャ豚(とん)ブリアン」である。

ネーミングがシュールなことは目をつぶろう。官能的にウマい。上等なヒレ肉である。脂身はなく、しっとりと甘味がある。

厚切りにされているせいで口に入れた時の幸福感は最高である。口の中いっぱいに広がる“ウマ甘い”風味、適度な歯ごたえが抜群。

上等なパン粉で軽く揚がっている点も爽やかで嬉しい。都内でも有数の人気店らしいが、私の会社からタクシーを飛ばせば10分もかからず到着する。

いつも混雑しているのが困るが、あれほど芸術的にウマければそれも仕方がない。


この画像は栗を食べて育ったマロン豚だとか。鶏の水炊きを食べに行った店で、酒のツマミに頼んだ一品。熱した溶岩の上で焼いて食べた。

銀座にある「あまくさ」という店だ。水炊きを目的に出かけたのだが、鶏肉よりこの豚肉がとても印象的だった。脂身の甘味が強く、芋焼酎と合わせるとエクスタシ~ベリ~マッチ!だ。

溶岩焼きというやり方が正しいかどうかは分からない。やたら勢いよくピシパシ脂が飛びまくるので、着ている服が汚れないか気になって仕方なかった。

今度この店に行く機会があったら、鶏肉はさておき、マロン豚を飽きるまで食べてみたい。


お次は脱法ドラッグ。いや、豚のレバ刺しである。豚のレバを生で食べる行為はなかなかチャレンジングベリーマッチである。

お上から禁止されたのは牛レバだけだ。だから豚レバはOKという思考回路が安易である。

でも、抜群にウマいのも確かだ。この店、中学生以下は入店お断りらしい。生肉食べて死んじゃったら困るのがその理由みたいだ。

オッサンに死なれても構わない、いや、オッサンなら死なないだろうということだ。
実は、レバカツが食べたかったのだが、時間がかかると言われて刺身にしてしまった。

ウマ過ぎて卒倒した。とはいえ、胃腸が強いくせに何となく不安も残る。豚の肝臓をナマで食らうわけだから少しビビる。命がけである。ちょっと大げさか。

次回からはレバカツにするつもりだ。すっかりビビりモードである。もう若くないから守りに入ろうと思う。

これを食べて死んだ場合、絶対に「何でそんなもの食ったんだ?自己責任だバカ」とか言われそうだ。適当にしておこうと思う。

ついでに言えば、レバ刺しの誘惑を振り切れるほど、この店のモツ焼きは革命的なウマさである。


魔都・池袋の少し辺鄙な場所にある「木々屋」という人気店だ。モツ焼きの概念がひっくり返るほど何を食べてもタメ息が出るほど抜群に美味しい。

2号店も誕生したそうだ。どんどん増殖してもらいたい。池袋中のヌルい飲食店が全部この店に取って代わればいい。

食べなきゃ損!と言えるほどのレベルだ。まるで店の回し者かのような書きぶりだが事実である。遠くからでも訪ねる価値アリだと思う。

常に混雑しているし、はっきり言ってサービス面は???な点も多い。注文の順番通りに作業することを闇雲に徹底しているせいで、段取りの面でオイオイと言いたくなる感じもあった。

文句があるとしたら店の雰囲気だ。モツ焼き屋っぽくない雰囲気が「正統派中高年」としては気に入らない。「吉田類」師匠が来るような感じではない。

少し洒落た焼鳥屋のような雰囲気。この日はクリス・レアの「ON THE BEACH」なんかが流れていた。豚の肝臓とか脾臓の串焼きを食べながらクリス・レアである。ビミョーだ。

でも、そんなことはどうでもいい。やきとんの店である。焼き物がバッチグーならそれ以上のことを望んだところで始まらない。

1本200円、300円の串もある。やきとんとしては高価だ。ただし、一串あたりのサイズが通常の2倍ぐらいだから問題なし。

普通の人なら4~5本で満足できるぐらいのボリュームだ。この日は7本食べたが他のツマミもあったので、かなり膨満感ブリブリになった。

最高だったのがレバ焼き。ハフハフと口に入れて囓った瞬間に目が丸くなった。金縛りにあったかのように、いや、地球が停止したような感覚に陥った。

私のハートはストップモーション!である。知らない人、すいません…。

大げさである。でも事実である。

モツ煮がまたスンバラしかった。ポタージュスープかと見紛うような白濁したスープにゴロゴロ入っているモツの甘味がセクシーダイナマイト!だった。

豚のアチコチの部位をここまで美味しく食べられるとは感激である。犠牲になった豚さんも本望だろう。

直腸、心臓、頭部、肝臓、脾臓、胃袋あたりをワシワシ食べた。カシラとかタンとか呼ばずに正式名称で書くと、自分がスペシャル変態野郎に思えるから不思議である。

池袋が嫌いな私だが、ここにいると池袋が愛おしく感じるから不思議だ。