先日、ふらっっと湯河原に温泉に浸かりに行った。オミクロン療養明けの私と最近ちょっと調子がアガらない様子の娘と一緒だ。二人での息抜き旅である。
季節柄、梅を見るのも目的だった。なんだか毎年のように熱海湯河原辺りに梅を眺めに行っている気がする。
午前中に出発して一路湯河原へ向かう。とっとと着いたので梅林に向かう。今年はやや咲くのが遅いみたいで5分咲きか6分咲きだったが、立地によっては見頃の梅も多く青空に映える可憐な花びらにしばし癒やされた。
梅は楚々とした風情が素敵だ。これみよがしな桜より見ていて安らぐ。娘と梅林散策をしたことがなかったので新鮮な気分だった。
この日の宿は「阿しか里」。何年か前に一人で訪ねた宿だ。その時は部屋に付いている露天風呂で葉巻をふかしながら突如一大決心をした記憶がある。
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オヤジバンド活動のボーカルとして歌うだけでなく、ギターも始めてみようと突如神のお告げのように思い付いた。私の人生にチョッピリ彩りを与えてくれたという意味で思い出の宿である。
宿から帰るその足で直接楽器屋さんに寄ってギターを買い、すぐに個人レッスンにも通い頑張ってみた。結局、簡単な曲をストロークで弾けるぐらいにしかならなかったが、それでも私にとっては人生の一大事だった。
まあそれはどうでもいい。
久しぶりに訪れた宿ではラッキーなことに部屋をアップグレードしてもらう幸運に恵まれた。おそらく宿の公式サイトから直接予約してその際にリピーターである印をチェックしたことが効いたのだろう。
とにかく広くて明るくて綺麗だった。日頃四畳半一間で暮らしている(ウソです)私にとっては落ち着かないほどの空間だった。
娘にとっては不幸である。こんな素晴らしい部屋を経験しちゃったら若者としての今後が心配だ。彼氏が頑張ってそこそこの宿を手配しようがこれを上回るのは難しい。ざまあみやがれって感じである。
部屋付の露天風呂も取って付けたような息苦しいものではなくやたらと開放的で気持ちが良い。大浴場にも行ってみたがたいして魅力的ではなかったので部屋に引き返したほどだ。
見知らぬオッサン達の茹で汁みたいな風呂に入るより部屋専用の温泉が快適なことは息抜き旅行として実に嬉しい。湯浴みしながらタバコも吸えることが極上の幸せだ。
夕飯もソツなくまとまっていて娘とアレコレ語り合いながら水入らずの時間が過ごせた。それなりの温泉宿の魅力は夕飯だけでない。朝飯にこそ宿を楽しむ醍醐味がある。
味噌汁の美味しさ、干物の味わい深さ、小鉢類の充実ぶり、品数の多さ等々、普段の生活ではなかなか実現しない優雅さだと思う。旅行じゃなくても夕飯は豪勢に楽しむことはあるが、朝ごはんの豪勢さは旅館ならではの楽しみだ。
ゆったり過ごして昼近くまでダラダラしてチェックアウト。その後は熱海近くの来宮神社で樹齢2千年以上の大木にエネルギーをもらい、ついでに熱海の梅園にも足を伸ばした。
一気に暖かくなってきたので、前日の湯河原梅林より一段階梅の咲き加減が見頃に近づいていた。熱海梅林のほうが湯河原よりも公園としての整備が進んでいるので歩きやすい。
野性味?は弱まるが足元に気を取られずホゲホゲと梅見物が出来た。紅、ピンク、白それぞれの梅が冬の終わりを告げるかのように咲き競う。
梅はいい。実にいい。香りにも品がある。いつか自宅に茶室でも作ったら備前か信楽の壺に梅の枝を合わせて風流に和歌でも詠いたいものだ。きっとそんな日は来ないが、そんな妄想を楽しくさせてくれる魅力がある。
というわけで、興味のない人にはまるで面白くない“リア充自慢”をしてしまいました。
でもこの時期の熱海湯河原は梅と温泉という充実の時間が楽しめるのでオススメです。