2022年4月27日水曜日

洋食・ソウルフード


いわゆる「ニッポンの洋食」が好きになってウン10年。いや、物心ついたときから大好物だったような気がする。

 

カニクリームコロッケ、ビーフシチュー、グラタン、オムライス等々、いまやごく普通の日常食とも言えるジャンルだが、明治の近代化の際にハイカラな食べ物として珍重されたラインナップである。

 


 

安い定食屋でも美味しく食べられるが、結構な値付けで上質に仕上げる「本気の高級洋食屋」の料理を前にすると私はいつも感涙にむせぶ。

 

そうした上質な洋食屋さんだとオムライスやクリームコロッケが3千円だったりする。その物珍しさ、いや、店側の矜持や志の高さに惹かれる。Mっぽい私ならではの感覚だ。有り難くムホムホ食べまくってしまう。

 

大学生の頃から、いわゆる高級洋食屋に行き始めた。当時は今より財布に余裕がなかったからメニューを選ぶのが一苦労だった。バンバン頼んじゃう今とは大違いだった。

 

名店と呼ばれるお店にも随分と出かけた。根岸の香味屋、銀座のみかわや、資生堂パーラー、銀圓亭、日本橋のたいめいけん、赤坂の津々井、麻布のグリル満天星、上野広小路のさくらい、浅草のグリルグランド等々、書き始めたらキリがない。

 

若い頃は麻布のグリル満天星に行くとナゼか誰かしら女優さんが食べに来ていて、その姿を覗き見しながらドキドキした覚えがある。ふわトロオムライスという画期的な逸品を覚えたのも35年ぐらい前のあの店だった。

 

赤坂の津々井では名物のビフテキ丼が食べたかったのに当時の私の予算ではなかなか厳しくて何度も我慢したことを覚えている。

 

というやたらと長い前振りになってしまったが、先日、また私の洋食熱を改めて一気に高める店を知ってしまった。


私にとって思い出のビフテキ丼が名物の赤坂・津々井の親戚店というか元祖の店が家の近所にあるのを発見。いそいそと出かけた。

 

「新川 津々井」がその店。八丁堀と茅場町の間ぐらいになるのだろうか。繁華街とはいえないエリアに佇む素敵な店だった。

 

地味目な外観に比べて店内はスッキリと上品で落ち着ける雰囲気。席ごとの仕切り方に工夫があるからゆったりと快適に過ごせる。

 

食べたものはすべて完璧に美味しかった。文句なし。前菜の牛タタキはマスタードソースが絶品、トマトサラダのドレッシングも抜群。シャブリのボトルも4千円台のお手頃価格。

 




 

カニクリームコロッケ、海老のコキール、タンシチューである。やはり美しいものは美味しい。どれも丁寧かつ精緻な味付けだった。

 

クリームコロッケは具のベシャメル部分が固めに仕上げてあるのが良かった。小さくカットすると中身がデロデロと溢れ出ちゃうのが普通だが、こちらの一品にはそれがない。味も凝縮している感じだった。

 

コキール、すなわちグラタンやドリアの上だけ?である。私はこれが大好きだ。マカロニやライスが入っているとメイン料理然とした感じになり、あれこれ注文したい時にはそのボリュームが引っかかる。

 

その点、コキールは“上だけ”だからメイン料理とは別枠の立ち位置だ。洋食屋さんでもう一品頼みたいとという欲求不満を解消するにはもってこいの存在だろう。

 

タンシチューのソースがまた官能的だった。苦みが出る一歩手前の豊かなコクがこのお店のレベルの高さを象徴している感じだった。デミソースの次元が凄そうだから次回はぜひハヤシライスを食べたい。

 

そして最後に登場したのがオムライスである。冒頭の画像の一品だ。奇をてらったところが一切無く、かといって今風に安直なトロトロだけをウリにするような仕上げでもない。キチンとした正統派と表現したくなる感じだった。

 

タマゴに包まれた肝心のチキンライスも繊細な味わいで言うことなし。テキトーな店のテキトーなオムライスだとチキンライスの部分に本気度が感じられずに残念な気持ちになるが、こちらのオムライスは真逆だった。

 

なんだかベタ褒めに終始してしまった。自宅から徒歩圏だというラッキーな感じ?も多分に私の印象に影響を及ぼしているかも知れない。いや、そんなことはない。冷静に思い返しても全部が全部ウマかったから大満足だ。

 

一人だとアレコレ注文できないのが困るが、今の暮らしには娘という頼もしき同居人がいる。二人なら大量に注文しても「食べ盛りの子供が腹を空かせているもんで・・・」などと言い訳も出来る。これは大きい。

 

ただ、年頃の娘はいつもダイエットダイエットと騒いでいるから大した戦力にならない可能性もある。仕方ないからこれから娘には「痩せすぎだぞ、細すぎるぞ、不健康だぞ」と言い続けてみよう。マインドコントロールされてドカ食いしてくれたら強力な助っ人になるはずだ。

 

 

 

 

 

 

2022年4月25日月曜日

靴と色気


いつのまにか靴箱のデカい家というのが私が暮らすための条件になった。不便で仕方ない。今回住み始めたマンションもその点が一つの決め手になった。

 

まあまあのサイズの靴収納の他に玄関脇に別途収納棚があったのでそちらを娘に使わせて私が靴箱を占有した。

 


 

30足以上は入るので普通は充分なのだろうが、私にはまったく足りない。引っ越しの際に23足は処分して、23足は人にあげたのだが、それでもまだ革靴だけで40足ぐらいある。足は2本しかないのにバカみたいだ。

 

結局、あまり履かない靴はクローゼットや別な収納スペースに保管することになった。履かないなら捨てればいいのにさすがにもったいないから大事にとってある。

 

この1年の間に一度も履かなかった靴が10足以上はある。1年も履かないならこの先ずっと履かないのだろうが、私のファッションがいつの日か先鋭化?するかもしれないし、冠婚葬祭用など滅多にない出番のために捨てるわけにはいかない。

 

お気に入りの靴なのになかなか履く機会がないのがショートブーツだ。スーツに合わせても違和感のないショートブーツもいくつか持っているのだが、極端に寒い日ぐらいしか履かない。

 

暖かくなってくると冬場にもっと履いておけば良かったといつも後悔する。ショートブーツは保温性だけでなく足首まで余裕で包み込まれているような“満たされ感”が心地よい。なんとなく安心する。

 

一見ただの革靴に見えて裾が持ち上がると実はブーツだというアマノジャクな感じも悪くない。ロッケンロールである。意味不明でスイマセン。

 





一番上がステファノビのワインレッド、すなわちバーガンディーである。幸運なことに私の足に面白いようにフィットするから大好きな一足だ。

 

下の2点はジョンロブとタニノクリスチー。前者はロンドン、後者はパリで買ったものだ。旅先で買った靴は旅の思い出も頭にチラつくから何となく愛着が強まる。

 

スーツ姿の時には履けないカジュアルなショートブーツのお気に入りがカルミナの緑色の一足。これもパリで衝動買いした。シャレオツながら落ち着いた色合いが気に入っている。

 

お気に入りなのに過去に数えるほどしか履いたことがない。買ったのはもう10年以上前だ(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2011/07/blog-post_22.html)。

 

休日のデート?の時に何度か履いたり、オヤジバンドのライブの際にグリーン系のデニムに合わせて履いた覚えがある。でもたぶん10年で56回しか履いていない。

 


 

スーツ以外の時はつい安直にツッカケ靴みたいなカジュアル靴を履いてしまう。シャレっ気が足りない。


しっかり足を押し込んでジッパーをジャギっと持ち上げるような気合いが必要な靴を履いて遊びに行くようなイケイケ精神も大事だ。自戒を込めて今後はちゃんと履こうと思う。

 

ついでに私の変なクセも改善しないといけない。スーツの時しか本格革靴を履かないという間違った固定観念がなかなか払拭できない。

 

黒い革靴をカジュアルな服装に合わせるようなヘンテコな組み合わせは論外だが、私のコレクションには淡い色のカジュアル寄りの泡靴がいくつもある。

 


                                               


 イタリアのエロ靴・ステファノブランキーニあたりの小洒落た革靴などはスーツじゃない格好の時にこそ真価を発揮しそうなのに普段着の際の私はついクラークスのスリップオンに足を突っ込んでしまう。

 

スーツを着る時は“シュっとした気分”になって足元に気を配るのにオフの日はユルユルである。きっと歩く姿や表情までダラダラと弛緩してしまっているのだと思う。

 

お気に入りの靴を履くと気分が上がる。どことなく姿勢も良くなってキビキビと動けるような気がする。そんなことは熟知しているはずなのに休日の足元に神経を使わないことは一種の堕落である。

 

なんだか自分に言い聞かせる書き方になってしまった。アッという間に歳を重ねてここ数年は時間の進み方が異様に早くなった気がする。きっとあとちょっとで「気づけばオジイチャン状態」である。

 

まだまだ現役でいたい中高年男子は普段から身だしなみに意識を向けることは大事だ。適度にイキってみたり色気づいたりすることを忘れてしまったら人生が退屈になる。

 

そういう意味でもイケてる靴をマメに履きこなしてブイブイ活動するように心がけたい。







 

2022年4月22日金曜日

スムージー、とんかつ、お岩さん

 

ひょんなことから体重が減ったので何とか維持しようなどと無理なことを考えている。体調不良で落ちた体重は体調が戻れば元に戻るのが普通だ。それは分かっているのだがなかなかこんな機会は無い。

 

ダイエットの苦労もせずに結局6キロも落ちた。ワンダフルだ。服がみんなラクチンになった。ウッシシである。

 

体重問題にとって厄介なことは「間食と深夜メシ」である。娘と同居を始めたせいでこの二大天敵の誘惑から逃れやすくなった。

 

やはり私にも見栄はある。夜中にペヤングをニンマリ食べている姿は見られたくない。かっぱえびせんをムホムホ言いながらテレビを観ている姿もカッチョ悪いから我慢する。

 

“娘ブレーキ”という新たなツールを手にしたわけだからこのままシュッとした体型を目指してみることにしよう。

 

娘との同居によって起きた変化はいろいろあるが、娘がほぼ毎朝作っているお手製のグリーンスムージーをお裾分けされるようになったことも特筆モノである。

 

しょっちゅう体調を崩す私にとっては実にヘルシーな習慣である。小松菜、大葉、プチトマト、キウイ、バナナなどをジューサーでどろどろにした逸品?である。思ったほどマズくはない。青汁よりも健康になりそうな気がする。

 

すっかり元気になった先週末は近所の散歩に精を出し、気になっていた店にも入ってみた。この日は肉問屋が経営する「甲州天山」。八丁堀駅から5分ぐらいの距離にある。

 


 

焼肉メニューの他、とんかつもウリみたいである。遅めの午後にふらっと一人で入った私が注文したのが「特上ロース定食」。普通のとんかつ定食の2倍以上の値段だったが、エンゲル係数破綻中年男としては「特上」は必須である。

 

ガシガシ食べる。素直に美味しい。甘味を感じる質の良い豚肉を使っているのが分かる。ただ、若さに見放された私にはちょっと脂がクドい。特上ロースよりも高い値付けの特上ヒレかつ定食にしておけば良かったと後悔する。

 

特上ヒレという次回の楽しみが出来たと解釈しよう。味噌汁も妙に美味しかったし、ご飯の硬さも私好みだった。自宅徒歩圏でウマいとんかつを見つけただけで満足だ。

 

別な日、娘と焼肉屋に行く。わが家から徒歩数分だ。変に高級志向でもなく、かといって安さをウリにするわけでもなく肉の鮮度と質で勝負している感じのお店。店の名前はド忘れしてしまった。

 


 

まだ新しく綺麗で卓上の換気が良いから服に匂いがつくことがないのが有難い。ホッピーもあるし、酒飲み相手のニクいつまみもアレコレ揃っていて普段使いに良さそうだ。

 

上の画像はいろんな種類のタンの盛り合わせだ。それぞれ食感が違って飽きずに楽しめる。こんなのをツマミにホッピーを飲めればオジサマ族は幸せだ。

 

シメの「煮込みメシ」もなかなか良かった。冷麺やビビンバという定番のシメよりも私はこっちのほうが好きだ。なんなら朝ご飯に食べたいぐらいハッピーな味だった。

 


 

一人飲みの際にタバコの吸えるお店も探している。良さそうな居酒屋も発見したが、改装中でしばし休業だとか。残念。とはいえ他にも喫煙可能なモツ焼屋を徒歩圏に見つけたので着々と新天地の居心地が整いつつある。

 

引っ越しすると当たり前だが近所の散歩が楽しくなる。見知らぬ路地を探索するのはワクワクする。先日は忠臣蔵で有名な堀部安兵衛が精進していた場所を見つけて気分がアガった。他にも何と「お岩さん」を祀っている神社を発見してビビったりした。

 

こういう新鮮な体験はボケ防止にもつながる。残りの人生もマメに引っ越しに励もうなどと考えている。

 

 

 

 

 

2022年4月20日水曜日

Bang & Olufsen など


新しい生活を快適にしようといろいろ模索している。やたらめったらAmazonでモノを買っている。引っ越し直後の勢いでアレコレ揃えるのは結構楽しい。

 

自分の部屋に籠もる時のことを考えて寝室のテレビも買い換えてみた。10年以上前の32型をイマドキの32型に変えたら随分とサイズが小さい。もう少し大きいテレビにすれば良かったと後悔している。

 

それにしても久しぶりにテレビを買ってみてその安さに驚いた。32インチあたりは売れ筋だから一昔前には考えられない値段で出回っている。あれじゃあ家電メーカーがどこもヘロヘロになるのがよく分かる。

 

薄型テレビの致命的な欠点は音質の悪さだ。対策商品としてサウンドバーも買ってみた。一応JBL製である。これまたそんなに高くない。接続も簡単で一気に音の世界に広がりが出た。

 


 

音楽や映画を楽しみたいなら必須アイテムと言えよう。映像がどんなに美しくても音が追いついてこないのは切ない。音質が良ければ耳が疲れないのもポイントだ。

 

風呂場にも完全防水のBluetoothスピーカーを置いてみた。数千円でそれなりの音質が楽しめる。バスルーム特有のエコー効果もあって良い感じに音が響くのが嬉しい。なぜか「ドライフラワー」と「猫」ばかり聴いている。

 

その昔、家を建てた際に風呂用のスピーカーを設置して脱衣所に置いたCDプレーヤーと繋がるようにしたのだが、当時の苦労を思うと隔世の感がある。いまや音楽は配信で聞き放題、Bluetoothのおかげで面倒な接続や配線もいらない。

 


 

若い頃はCDコンポを買うにも15万ぐらいは必要だった。私が高校生ぐらいの頃はまだカセットテープが主流だったわけだからまるで違う宇宙の話のように思える。

 

イマドキのBluetoothスピーカー5千円ぐらいの商品でそこそこの音がちゃんと鳴る。1万円も出せばなかなかのレベルだ。昔のコンポに比べれば格安である。

 

新居のリビングは割と広めなので、それなりに余裕のある音を鳴らすスピーカーが欲しくなってちょっと高めの商品を買ってみた。

 

Bang&OlufsenBluetoothスピーカーだ。高さ15センチ程度のコンパクトサイズだが、しっかりと細かい音も再現するスグレモノである。価格は2万円台半ば。

 

小型のBluetoothスピーカーとしては高価だが昔のCDコンポに比べればゲロ安だとも言える。アプリをダウンロードすればイコライザー的に音質を細かく調整できる機能もある。

 


 

自分好みに微調整すると見た目からは想像出来ないサウンドを楽しめる。ありがちな音がこもった感じやシャリシャリし過ぎる感じも払拭できる。正直、ここまで高音質だとは想像していなかった。大満足である。

 

この値段でこのレベルだったら10万円を超えるような値段のBluetoothスピーカーはどれほど官能的な音を鳴らすのだろうか。そのうち買っちゃいそうである。

 

いわゆるQOLを考える上で自宅をいかに快適にするかは大事なことだろう。なんとなくBGMのように流す音楽だって少しでも綺麗な音のほうがいい。

 

最近はすっかり食も細くなってきたし、何事においても量より質ばかり優先したくなってきた。日々の暮らしの質をちょっとでも高めることで精神衛生面や寿命?にも良い影響を与えたい。

 

 

 

 

 

 

 

2022年4月18日月曜日

おムコさん・・

 体調も復活してようやく新居での生活が落ち着いた。娘と暮らし始めて感じるのはムダ話の効用である。


一緒にいれば何かしら会話を交わす。どうでもいいような話ばかりだが、今までのようにブキミに一人言をつぶやいているよりマトモである。


体調も復活したので週末は娘とご近所散策でもしようと思ったのだが、娘は泊まりがけでどっかに行ってしまったから相変わらず私の一人言生活は続いている。


当たり前だが一人言は狭い世界に陥りがちだ。相手がいれば「へーそうなんだ」という気付きのある会話が成立する。普通の家庭人ならそれが普通だから私は普通じゃなかったわけだ。


アノ「小室さん」の話題についてもアレコレと語り合った。それにしても「小室さん」が世の中の娘を持つ父親達に与えた影響は大きい。


娘の彼氏が明確な目標を持っている男なら父親は安心する。夢を語れないヤツより頼もしく見える。


「司法試験の勉強をしています」「医者になるつもりです」等々、そんなことを爽やかに語られたら交際を反対しにくいのは確かだ。


そんなノリで「お嬢さんと結婚させてください」とたたみかけられたらつい前向きに考えてしまいがちだ。娘の年齢によっては尚更だ。


でも「小室さん」のお陰で世の中のお父さん達には一気に?ブレーキがかかった。前のめりな求婚に関する無難な対応法である


「ありがとう。わかった。でもそれに受かってからまた来てね」


私だったら間違いなくそう言う。今回のニュースを聞いて同じことを感じた父親は世の中に何万、いや何十万人もいると思う。


父親は娘に嫌われたくない。だからちょっと不安でも娘の連れてきた男を頑張って認めようとする。その優しさというか甘さが結果的に娘に苦労させる原因になるなら本末転倒である。


過程も大事だが結局は結果だ。若者に結果を求めるのは酷な面もあるが、あまりに不確実な計画に頼っているのは困りものだ。


「小室さん」が実力以上の世界に挑んでいるのか、相応のレベルに達したうえで頑張っているのかは本人や近い人にしかわからない。


もしかしたら試験の日にたまたま体調が悪かっただけかもしれず、再々受験すれば余裕で合格するのかもしれない。


もしそうではなく実際にはまるで合格レベルに届かない次元だとしたら何ともビミョーな話ではある。


クドクドと野次馬根性丸出しの話を書いてしまった。


大きなお世話ではあるが、あの人にはやはり日本で地道に法科大学院に何年も通って仕切り直ししたほうがいいと思う。


今日は別な話を書くつもりが病み上がりのせいか、グダグダとこんな話に終始してしまった。


いずれにせよ「小室さん」が世のお父さん達にいろいろ考える機会を与えてくれたのは確かだ。そういう意味では私も感謝しないといけないのかもしれない。










2022年4月15日金曜日

痩せてしまった

4キロも痩せてしまった。このままスリムになって中高年モデルとしてデビューすることになったらどうしようかと思う。



実は痩せた原因は体調不良である。もう2週間以上も絶不調だ。こんなに長い不調は人生初の経験である。


3月終わりにちょっとだけ風邪っぽい感じがあったが、その後、喉痛が始まりいつもの扁桃炎かと思っていたのだが、どうも違う感じが続き今に至る。


扁桃炎の場合は、喉が一周腫れるような感じで始まったらすぐに高熱が出るのだが、今回は喉の一カ所が痛むだけで高熱も出ないまま数日が過ぎた。その後、痛んでる箇所の下側にあるリンパも痛くなって徐々に熱が高くなってきた。


痛み止めが効いている間は何とか普通だったので、そのままにしていたが、日が経つに連れて熱の上がりかたがキツくなってきて40度まで達することも増えた。何日経っても喉の同じ場所しか痛くないし、ストックしていた扁桃炎に有効な抗生物質を飲んだのに効き目がない。



未体験の炎症みたいである。引っ越し前後にやや体調不良の中、異様に頑張りすぎたのが敗因だと感じる。荷造りや荷解きの際もたいして肉体労働に励んだわけではないのに体温コントロールがおかしくなったみたいで変な汗が止まらずかなり難儀した。


食欲も激減してしまった。引っ越しして一週間以上経つのに近所の飲食店めぐりはまだ一軒のみである。「びゃんびゃん麺」なる幅広麺を注文のたびに手打ちする「秦唐記」という店に週末の昼に行っただけである。





びゃんびゃん麺はかなり味の種類があったが、私はオーソドックスなスープありの牛肉麺、娘はスープなしの檄辛バージョンを注文。さすがに打ち立てだけに麺が美味しかった。味は日本人に媚びていない中国そのものの感じ。そんな気分の時に食べるには悪くない店だ。


新居の近所で気になっている寿司屋もハンバーガー屋も洋食屋もまだ攻めていない。すべて私の虚弱体質のせいである。本気で体質改善に取り組まないとヤバい気がしてきてきた。


今日、ようやく耳鼻咽喉科を予約したのだが、発熱を伴う人は一般外来と分けて診察されるだけでなく、事前にコロナの抗原検査を受けないと診察してもらえないらしい。面倒でしかたない。


耳鼻咽喉科だけでなく、明日には喉のCT検査の手配もしてくる予定だ。何か重大な問題が見つからないことを心から願っている。


つくづく健康の大事さを痛感する。どんどん痩せてモデルみたいになってモテまくるのも良いが、やはり好きなものを食べまくってブクブク太るほうが健康的?である。

さっさと元気に戻りたい!









2022年4月13日水曜日

カットフルーツの魔力

 

あれほどハマっていたコンビニスイーツを最近は食べていない。良い傾向だ。昔のコンビニ商品と比べて格段にレベルが上がったスイーツを食べまくっていると緩やかな自殺みたいな話になる。健康に良いはずはない。

 

コンビニスイーツをやめたとはいえ、甘いモノを食べないわけではない。2ヶ月ほど前にフルーツゼリーに突然ハマった話を書いた(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2022/02/blog-post_04.html)が、今はカットフルーツばかり食べるようになった。

 

半世紀以上生きてきたが、果物が大好きだった時代は私には無い。嫌いとは言わないが積極的に果物を食べる機会は無かった。高級サクランボや高級メロンをもらっても誰かにあげちゃうのが常だった。

 

強いて言えば夏のスイカは好物だが、あれだってカットフルーツしか買わない。自分で皮をむいたり何らかの“作業”が必要なフルーツをわざわざ食べたいとは思わない人生だった。

 

果物の良さに今更ながら気付いた私だが、それでも面倒なことは大嫌いだ。必然的にカットフルーツに目が向くことになった。

 


 

カット済みのスイカを食べることが増えたから昔ほどカットフルーツに抵抗感は無くなったのだが、以前は「そのまま口に入れる果物なのに人の手が入っている」という現実に戸惑いがあった。

 

自ら皮をむいたりヘタを取ったり、包丁でカットしたりという“作業”を見知らぬ誰かに託している気持ち悪さというか違和感は、ある意味「知らない人が作ったおにぎり」を食べるのと似ている。

 

それと同時に横着への罪悪感みたいなヘンテコな気分もある。昭和の人間の矜恃としてイマドキの便利な時代を象徴するようなカットフルーツを全肯定してはいけないような感覚がある。

 

そんなくだらない葛藤を経て結局はカットフルーツを毎日のようにバクバク食べている。まったく無意味な葛藤だったわけだ。

 

思えば「そのまま口にするモノを見知らぬ誰かがカットしている」というパターンは刺身だって一緒である。魚を自分で捌いて刺身を作る一般人など今や絶滅危惧種である。

 

そう考えたら果物だって同じだ。気にすること自体がバカみたいである。数十年後にはカットフルーツが標準になって、丸のままの果物がスーパーの店頭に並ぶことは珍しくなる時代が来るかも知れない。

 



 というわけで、わが家の冷蔵庫には常にカットフルーツが溢れるようになった。ネットスーパーでは数種類がミックスされた商品がいろいろあるのが嬉しい。きっと割高なのだろうが便利さの対価と思えば仕方ない。

 

毎日毎日ネットスーパーを頼むわけではないので、日々のストックはセブンイレブン頼みである。スイーツコーナーの端っこに小パックのカットフルーツが鎮座しているので頻繁にまとめ買いをしている。

 

パイナップルとリンゴが基本だ。ちゃんとした家庭人だったらこういう商品は買わないのだろうが、これはこれで横着男にとっては有難い。サイズ感もちょうどいい。いっぱい食べたいときは2袋を一気食いする。

 




ネットではフルーツの良い効能ばかり読むようにしている。生クリームぶりぶりのコンビニスイーツを食べるよりは間違いなく身体に好影響を与えるはずだ。

 

こういうちょっとした生活の変化がここ数年増えた。加齢を象徴するトピックなのだと思う。昔は興味のなかったモノに惹かれることやその逆も多い。

 

人生の章立てがいくつあるのかは分からないが、確実に違う章に移行していることを感じる。歳を取ってしまったと嘆くのではなく自分の新たな一面に出会えたことを面白がりたい。

 

それにしてもカットスイカが恋しい。しこたま食べまくりたい。年々暑いのが苦手になってきたが、カットスイカが楽しめるという点では夏が待ち遠しくなってきた。






2022年4月11日月曜日

ごめんなさい

 今日も更新が間に合わなかったので過去ネタを一つ載せます。すいません。


http://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/08/blog-post.html






2022年4月8日金曜日

いい女とは

 引越しのドタバタで更新が追いつかなかったので過去ネタを一つ載せます。


いい女

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/04/blog-post.html





2022年4月6日水曜日

イライラと独り言


前回、文句ばかり言いたくなる話を書いたが、最近は何となくイラつくことが増えたような気がする。ヤバい。これは典型的な加齢による特徴だろう。ガンジーさんのように怒りを抑えて平和に生きていかなければならない。

 

わりと大らかな性格だと自負しているが、周りの人からは短気だと思われていることもイラつく。それ自体、短気の証なのだろうか。

 

イラついた時、ついつい独り言を発してしまうのもオッサン的特徴だろう。テレビをつけて野球を見たくても「なんで地上波で野球中継しないんだバカヤロー」、BSで見始めても「CMが長過ぎないかアホ」などと誰に聞かせるでもなく口にする自分に気付いてちょっとビビる。

 

もう数年前の話になるが、住んでいたマンションの廊下ですれ違った見知らぬ人に挨拶したのに無視されたので「なんとか言えよ」とつぶやいた。小声で言ったつもりが聞こえちゃったらしく「すいません」と返されて焦ったことがある。

 

運良くおとなしいタイプの人だったからそれで済んだのだろうが気性の荒い人が相手だったら危険である。私が少林寺拳法に励んだのはもう40年も前の話である。今なら相手に向かって来られたらきっとヘコヘコ一万円札を渡してしまいそうだ。気をつけよう。

 

話は変わる。先日、話題の映画「ドライブマイカー」を観た。正直言って私にはイマイチだった。途中で何度か「長いなー」とつぶやき、終わった後も「なんだかな~」と得意?の独り言が出てしまった。ファンのかた、ごめんなさい。個人的な意見です。

 



愛の重さ、苦しみや不幸、ツラさと向き合うみたいな話がもともと好きじゃないのだと思う。私が愛というのを知らないだけなのか、私の知っている愛がシャバダバなのかよくわからないが、あまり印象に残る映画ではなかった。

 

でもタバコが効果的に使われているシーンが多かったのは喫煙者として喜ばしかった。ヘンテコな感想で申しわけないです・・・。

 

イライラと独り言が増えたのはおそらく引っ越しが原因だと思う。今回の物件探しを頼んだ仲介業者の担当さんが過去になく仕事が出来ないタイプの人だったことで随分と私の独り言が増えた。


肝心の物件も馴染みのないオール電化とやらでもろもろの手続きや使い方の把握に関していちいち面倒に感じてイライラした。

 

引っ越し業者も初めて使う業者さんだったので意外に勝手が違って、ため息を連発する場面が多かった。それ以外にも、そもそもの自分の荷物の多さに辟易としてイライラした。ついでに自分に対してブツクサ文句を言う場面も多かった。

 

でもかなり荷物が減ったのは嬉しい。前回の引っ越しの際には業者さんから「荷物の多い四人家族の量です」と言われて気が滅入った。きっと今回の引っ越しで「普通の3人家族の量」ぐらいにはなったはずである。

 

あと二回ほど引っ越しをすればマトモなひとり者の量になるはずである。あと10年もしないうちにそうなると思う。

 

気付けば4月だ。都心では桜も見頃を過ぎた。今年はじっくり花見をする機会は無かった。昨年、見頃の桜を眺めながらウツウツした気分に落っこちたトラウマのせいで今年はあえて桜を敬遠した感じだ。

 

これもオッサン的偏屈の一つなのだろうか。だとしたらマズい。偏屈な年寄りは人様から嫌われる代表的なパターンである。

 

素直に桜を愛でるような余裕があってこそ風流な生き方ができるのだろう。桜ごとき?を変に意識しちゃっている段階で余裕がない証拠だ。

 

転居先で新たな暮らしが始まる。イライラを忘れて大らかに余裕を持って過ごしたいと思う。

 

それにしても今年のプロ野球は強者と弱者がはっきりし過ぎて退屈だ。もっと団子レース状態になって欲しい。

 

それより何より「大谷翔平の季節」が始まる。今年も朝っぱらから興奮させて欲しい。私の心の平穏は大谷選手の活躍にかかっている。

 

 

2022年4月4日月曜日

文句ばかり・・・


引っ越しが迫ってきている。何かと気忙しい。でも平々凡々の日々を過ごしていると引っ越しみたいなイベントがあることでちょっと心が浮き立つから悪くない。

 

まもなく娘との同居生活が始まる。どんな感じになるのだろうか。先日は娘の家具を買いにわざわざニトリの大規模店を目指して成増まで出かけた。

 

有楽町あたりのニトリに比べて妙にデカい。ちょっとアガる。その日に買いたかったのはベッド、机、椅子、本棚である。さすがに大型店だけあって適当な商品はすぐに見つかった。

 

ところが、組み立て設置まで頼んだ場合、配送日が5月中旬になるという。おったまげである。在庫の問題ではなく配送の都合らしい。3月末に買ったものが5月中旬まで届かないとは驚きだ。海外からの輸入じゃあるまいし呆れてしまった。

 

話にならないからクルマで5分の距離にあった「島忠」和光店に向かう。ここもかなりの大型店舗だ。ニトリより高めの値付けの家具が多かったが、必要な商品が全部決まったので購入。配送は4月前半でOKだった。

 

島忠もいまやニトリグループの傘下らしい。ならばなぜニトリの配送手配はシャバダバなのだろうか。王様みたいな仕事ぶり?みたいだ。それだけニトリに人気が集中して商品が売れまくっているという意味なのだろうか。謎だ。

 

さて、引っ越しの効用はモノが減ることだ。不用品を処分する機会でもある。今回私は引っ越し業者選びを不用品処分を積極的に受けてくれるところに絞って探した。

 

昔と違っていまや不用品処分のハードルは結構高い。日常のゴミの分別もそうだが、世の中がずいぶんと世知辛くなってギスギスしてきた象徴みたいな話だと思う。

 

ゴミに関して異常に細かな分別を強制してくる自治体もあるらしい。高額納税者だったら腹立たしくて仕方ない話だと思う。

 

話はそれるが、先日、ちょっと寒いからといって東京に「電力ひっ迫警報」なるものが出されたことにも驚いた。まさに「ホンマかいな?」である。

 

高い電気代をしっかり払っているだけでなく、11年前の震災以降は復興特別税までずっと負担させられてきた。にもかかわらず先日の地震では震度4程度で済んだ東京で新橋や銀座、赤坂辺りで停電が起きた。「なんじゃソレ?」って話である。

 

そして後日アノ突然の「電力ひっ迫警報」である。いつもより寒かったという理由で「電力が足りなくて停電しそうだから寒さに耐えて頑張って」ときた。おいおい!?って感じである。

 

原発を動かしたいがためのインチキみたいな脅しにしか聞こえなかった。もしそうじゃなかったとしたらかえって深刻な話だ。本当に寒くて停電しかけたのなら後進国レベルの悲惨な話である。

 

違和感があったのは誰もあの事態に疑問の声を上げていなかったことだ。与野党それぞれの政治家、テレビのコメンテーターあたりでブツクサ言っている人はいなかった。「なんじゃソレ?」「おいおい!」的な意見があってもおかしくないが、そんな空気がまるで無かったことが気持ち悪かった。

 

あまり文句ばかり書くのもよくないから話を戻す。

 

引っ越しを前にだいぶモノを捨てることが出来た。あと23回も引っ越しすればきっとかなりの断捨離に成功するはずである。

 

ネットの世界で見つけた不要品に対する心構えを表す格言めいたフレーズをいくつか載せてみる。

 

・迷ったらゴミ

・使わなきゃゴミ

・使えるかではなく「使っているか」

・災害時にそれ持って逃げますか?

・「あれば便利」は「なくても平気」

・あなたが死ねば全部ゴミ

 

まさにその通りである。分かっているのにそれでもまだまだ無駄なモノがあるのも事実だ。

 


 

私にとって厄介な存在になっているのが「ラッセンのリトグラフ」である。ラッスンゴレライではない。クリスチャン・ラッセンだ。30年ほど前にハワイで買ったものだ。

 

30万円ぐらいで買った覚えがある。まだ安月給だったからかなり悩んで思い切って買った。帰国時に別送品申告を忘れて、知り合いの税関関係者に頼んでムニャムニャ?したり、その後に建てた家では吹き抜けの壁の高い場所に飾って専用の照明まで付けて眺めたりといろんな思い出がある。

 

とはいえ、“いまさらラッセン”である。いまも好きな人は大勢いるだろうが、私の中では過去の遺物みたいな感覚になってしまった。

 

5年ぐらい前にカップ麺・どん兵衛の蓋に「かき揚げを描き上げる」というフレコミでラッセンが絵を提供したことも私の心理にビミョーに影響した。

 

今回の引っ越しでもとっくに愛着も執着も無くなったラッセンのリトグラフをなぜか処分できずにいる。中途半端に大きいから処分したいのだが、納戸の端にでも立てかけておけばいいかと安易に考えてしまう。

 

いつの日か、ラッセンの大ブームが起きないか期待しているのだが、さすがにそんな日が来ることはなさそうだ。






 

 

 

2022年4月1日金曜日

空の青さ

 

先週末、箱根の仙石原に行ってきた。毎年恒例行事になっている元家族旅行である。宿はいつも利用している「箱根翡翠」。

 


 

ここは一般でも予約できるが一般予約だと妙に高い。とはいえ、もともと会員制リゾートホテルだから会員の宿泊利用券があれば格安で泊まれる。

 

大浴場にはにごり湯の露天風呂もあるし、部屋にある露天風呂にも温泉が引かれているからノンビリ過ごすには穴場だ。

 

節約のため?に夕飯はいつもホテルでは食べずに近くの餃子屋で済ませる。これが結構楽しい。いろんな種類の餃子を山ほど注文して生ビールと一緒に楽しむ。食べ盛りの子供がいるわけだからこれが正解だろう。

 

ダウン症の息子はこの春中学を卒業した。義務教育終了である。健康体で元気バリバリなのだが、知能的には幼稚園児レベルである。高校に行かせるかどうか悩んだこともあったが、本人が学校が好きだと言うので4月から支援学校の高等部に行くことになった。

 

息子は一年中「箱根に行こう!」とせがむほどこの旅行が大好きで、行きのクルマの中から既にハイテンションである。カーオーディオをコントロールするアレクサに勝手に語りかけて自分が聴きたい音楽を呼び出しちゃうのが迷惑なのだがヤツが主役の旅である。仕方なく我慢する。

 

ダウン症の子の特徴は何といってもおおらかさだろう。息子も元来のひょうきん者で穏やかな性格もあって生まれてからずっと親身になってくれる先生や支援者に恵まれてきた。親バカみたいな書き方になってしまうが、人に好かれる才能は彼の天性のものだと感じる。

 

普段一緒に暮らしていないから旅行中は私にベッタリである。私より濃いスネ毛を持つ息子にベタベタされるのはビミョーだが、無垢な心で絶対的信頼感を持って接してもらえることは幸せなことだ。

 

邪心もアザとさもまったく無い息子からは人間の本質みたいなことを学ばせてもらえる。半世紀以上生きてきてすっかり汚染された私の心は彼と過ごすことで随分と浄化されている。

 

体力的にキツくなってきたが息子と過ごす時間はなるべく彼の好きなようにさせる。大浴場でも人目が無ければ幼稚園児と遊ぶような感じでバチャバチャと騒ぐし、背中に乗せて泳ぐような格好で浴槽内をウロウロする。この時とばかりシャンプーだって丁寧にやってあげる。

 

もう高校生になるからあまり子供扱いするのは教育上良くないのだが、彼にとっての一大イベントであるこの日ばかりは母親に文句言われるぐらい甘やかしてしまう。

 


 

朝食は娘と元嫁がホテルのレストランで洒落たパンケーキを楽しむ一方で我ら男子チームは部屋のテラスでカップ麺やコンビニのおにぎりを頬張って過ごす。こういう時間もなかなか良い。

 

私も息子もパンケーキを食べるより「どん兵衛」をすすっているほうが幸せなタイプだ。息子の食べ過ぎを注意しがちな母親の居ぬ間に私の分までガツガツ食べる息子の嬉しそうな様子に甘甘父ちゃんとして目を細める。

 

ヤツが小太りになってきているのは私のせいかもしれない。それはそれで問題だが、ついつい甘やかしてしまう。つくづく父親としてはダメダメだと思う。必要な場面では厳しく接することこそ教育なのだろうが、私にはその才能が欠落している。

 

天気も良かったので御殿場のアウトレットの広大な敷地を歩き回ったり芦ノ湖にも足を伸ばしたりした。芦ノ湖では遊覧船にも乗った。

 

遊覧船でクルーズといったベタな観光を毛嫌いしがちな私だが、喜ぶ息子と一緒だと結構楽しい。海賊船の船長にでもなったつもりの息子に付き合いながら私もちょっとハシャいでしまった。

 



 ダウン症の子を授かって早15年が過ぎた。過ぎてしまえばアッという間だったが、その事実を知らされた時の衝撃は今も鮮明に覚えている。暗澹たる気持ちになってこの先は空の色が青く見えることはないのだろうと勝手に思い込んだほどだ。

 

でも15年経ったいま、晴れた日の空は普通に青く美しく見える。


それで充分だと思う。