2017年9月29日金曜日

男が靴を磨くとき


「ドキュメント72時間」というテレビ番組がある。NHKならではの深みのある内容が結構好きでよく観ている。

毎回テーマの異なる場所を選び、3日間、定点観測のようにそこに集う人々の人間ドラマを取材している。

先日は有楽町にある靴磨きコーナーにスポットを当て、お客さん達からいろいろな話を引き出していた。

タイトルは「男が靴を磨くとき」。明日の土曜午前中に再放送されるので興味があればご覧いただくことをオススメする。

その靴の思い出を語る人や大事な商談の直前に訪ねてきた人、自分への褒美に新調した靴を真っ先に磨きに来た人など、靴と靴を綺麗にすることの人間模様が面白かった。

靴がピカピカになったお客さんの顔が印象的だった。どこか明るく爽快な感じに見える。まさにこれが靴磨きの効能かもしれない。


涼しくなってきたから私も靴磨きに精を出そうと思っている。靴磨きを始めるとつい必死になって汗だくヘトヘトになるので夏はついついサボりがちだ。

靴を一生懸命磨いている時は、ただ無心に「磨く」という作業に没頭する。もちろん、ピカピカの靴を人様に誉められたいとか、ピカピカの靴でどこそこに出かけたいとか、それなりに邪念はある。

でも、靴磨きに集中している時は、ただただ黙々とコスったりグリグリしながら靴と無心に向き合う。精神性が高まるような感じがする。ちょっと大げさか。

土をこねてロクロを回す感覚に似ているかもしれない。やったことないけど・・・。

そして、綺麗に磨き上げた靴を履いた時の気分は、新品の靴に足を入れた時とはまったく違うワクワク感がある。当然気分もアガる。

靴は文字通り「革」が「化」けると書く。化粧した女性だって、その化粧を手直ししたり、微調整しないと化けの皮がはがれる。

それと同じで靴もマメな手入れが必要だ。きちんと手入れしてこそ輝きを増す。

先日は深夜まで二軍、三軍扱いの靴を中心に靴磨きに奮闘した。ここ数年、やたらと靴が増えてしまったのだが、自ずと優先順位や好みの度合いは異なる。

いまひとつ気に入らない靴やヘタれかけてきた靴が二軍三軍扱いになる。雨の日専用だったり、予定も無くダラダラした気分の日に履くことになる。

二軍、三軍といいながら、そういう靴のほうが実際の出番は多い。一軍の靴より頻度は多いかもしれない。タフに働かせてしまっているお詫びを込めて必死に磨いた。上の画像は二軍暮らしの「サントーニ」、下の画像は長く一軍をキープしている「タニノ・クリスチー」である。


不思議なもので、二軍三軍の靴のほうが丹念に磨き込みたくなる。贖罪意識のような感覚もあるが、それ以前に段違いに綺麗になっていく様子が実に楽しい。

常に綺麗な状態を保っている一軍靴に比べると、二軍三軍の靴達は手入れする頻度も少ない。日常のカラ拭きもあまりやらないから、いったん磨き始めると変貌ぶりが凄い。

まるで別モノのように変わる。いつも綺麗にしている女性がオシャレをしても印象は変わらないが、ズボラな感じの女性が突如お洒落して変貌する感じとでも言おうか。

ついでに靴のダメージの勉強にもなる。二軍三軍扱いの場合、気を使わず乱暴に履き込んでいるから、傷つきやすい部分や革のヘタれやすい部分などが一目瞭然である。

履き込んでいるから足には充分に馴染んでいる。それが一気にピカピカに変貌するわけだから何とも言えない気分になる。

古女房が突然美しくなって、見ているこっちが照れちゃうような感じだろうか。そんな経験は無いのでよく分からないが・・・。

ピカピカになると、二軍三軍と呼んでいたことを反省する。綺麗に変身してくれた“相棒”を改めて眺めては、日頃冷たい態度で接してきたことを心の中で詫び、「スーパーサブ」と呼び始める。

そして、一軍靴にも負けないようにアゲアゲ気分で履くことが増える。こうなると慣れ親しんでいるだけに「絆」のような感覚さえ生まれる。

でも、心のどこかで「お前は二軍だろ?」という差別意識を持ってしまう私は、新たな一軍靴を入手したりすると、それを機に再びスーパーサブの手入れをサボりだす。

輝きを失ってしまえば、せっかく浮上したヤツも元の二軍三軍扱いに一気に降格してしまう。まさに固定された身分制度のようである。

わが家の靴カーストを是正するには私が新しい靴を買わないことしか対抗策はないみたいだ。

2017年9月27日水曜日

豪華じゃないけど


インスタ映え現象のような「見栄えが良くて豪華なもの」をアピールする風潮の向こうを張って、今日は「豪華じゃないけどウマいもの」を語ろうと思う。


ハムライスである。名前も見た目もそのまんまである。実に潔い。

ご飯モノの主力級メニューと言えば、チキンライスにエビピラフ、カニチャーハン等々、具材の存在感がその一皿の“権威”を決定する。

フカヒレチャーハンなどと言われると、ハハァ~とひれ伏すような印象がある。具材は大きなポイントだ。

そんな世界観の中で燦然と輝く孤高の存在が「ハムライス」である。

特別なハムでも何でもなく、ただのハムである。“具材ヒエラルキー”へのアンチテーゼのようだ。

銀座の洋食の老舗「煉瓦亭」の一品。いつもオムライスやエビライス、ハヤシライスなどを選んでしまい、私にとって優先順位上位になることのないメニューである。

でもこれがウマい。ハムの他には大きめのザク切りタマネギが味のアクセント。塩味というかコンソメ味というか、ハムを引き立たせる優しい味わいだ。

クリームコロッケやカツレツあたりをおかずにハムライスを主食にするのが正しい食べ方だと思う。

何の変哲もないのにウマい。今風の表現で言うならば「じわじわ来る」感じである。


お次は上海焼きそばである。それなりの中華レストランに行くと焼きそばメニューもいろいろだ。五目に海鮮などやはり具材の豪華さが目を引く。

それに比べて上海焼きそばはシンプルである。どうだっ!とばかりに具材を乗せて麺が見えないような焼きそばとは一線を画す。

麺中心の潔さが素敵だ。この写真は都内各地に展開する「維新號」の上海焼きそばだ。本場中国のものは麺がもっと太めらしいが、こちらは細麺。

少し甘味のある中華醬油が味のベースだろう。麺そのものの美味しさがストレートに伝わる。炭水化物バンザイと叫びたくなる。

恵比寿のウェスティンホテルにある中華の名店「龍天門」でも似たような焼きそばに感激したことがある。何を食べてウマい店だが、一番印象に残ったのがシンプルな焼きそばだった。

ゴテゴテと具材がエバっている焼きそばが中華料理店では定番だ。それはそれで美味しいし、見た目も楽しい。そういうラインナップを揃えている店であえてシンプルな上海焼きそばを頼むと、お店の底力を感じられる気がする。



続いては「おぼろ」である。日本料理の世界における脇役だ。白身魚や海老をすりつぶして煮て作るアレだ。

市販のおぼろは甘ったるくて人工的な味がするが、ちゃんとしたお寿司屋さんが手作りするおぼろは一味も二味も三味も違う。

これは目白にある「鮨おざき」で食べた“おぼろ巻き”である。私が得意とする?邪道系の注文である。

普通は茹でエビやカスゴ、コハダなどの握りにまぶす役割だが、おぼろ単体を味見させてもらったら美味しかったので、おぼろだけで巻きものを作ってもらった。

ほんのり甘いからデザートみたいなものである。お寿司屋さんでの最後のシメに甘い卵焼きをシャリ付きで食べることが多い私としては、「シャリ+甘味」には目がない。

正直に言えば、子供っぽい味かもしれない。カンピョウと一緒に巻いてもらった方が間違いない。でも、デザート代わりにもコメが食べたい私にとってはウマウマである。

いずれにせよ、派手さはなく地味だけど凄くウマいものはたくさんある。

ごく普通の見た目なのに妙に美味しいシュウマイとか、ただの缶詰なのに妙にウマいツナ、平凡な見た目なのに妙にウマいゴマせんべいなど例をあげたらキリがない。

ちなみに、究極の「地味ウマ」は誰にとっても母親に握ってもらったおにぎりかもしれない。

私も時々、子供時代に母親が作ってくれたおにぎりを思い出す。タラコや昆布の他に、挽き肉と塩コショウで作った炒めご飯のおにぎりが抜群に美味しかった。

まさに「おふくろの味」である。お盆の季節や墓参りに行くといつも懐かしく思い出す。

いかんいかん、こんなことを書くとまだバリバリ元気な母親にぶっ飛ばされそうだから、この辺にしておく。

2017年9月25日月曜日

秋とヘルス


さてさて秋である。何となく爽やかで清々しい気分だ。

つい先日、夏の終わりの寂寥感についてシンミリ語ったくせに、もう秋を楽しんでいる。

そんなものだ。


サンマの塩焼きに生のイクラである。「ザ・ニッポンの秋」である。

セミの声や風鈴の音色が聞こえなくなって寂しくなっても、この国にはサンマとイクラが待っている。

スイカやかき氷、焼けるような陽射しが過ぎ去っても、この国では「松茸の土瓶蒸し」も待っている。

さすがだ!秋。


私の生まれた季節は秋だ。子供の頃は誕生日プレゼントが楽しみで秋になるとワクワクしたが、最近は歳が増えるのでビミョーだ。

毎年、秋になると人間ドック的な検査をサボらずに続けている。ちゃんとした人間ドックは妙に高くてイヤなので、あくまで人間ドック“的”な検査である。

血液検査の他、胃の内視鏡、大腸の内視鏡、腹部のエコー検査、肺のCT検査が主な内容だ。


これだけやれば人間ドックと変わらない。面白いもので、一連の検査が終わると検査結果を聞く前からやたらと元気になる。

「オレは健康面に気を使ってるんだぜ!」という自負心のなせるワザである。良いことをした後の晴れやかな気持ちみたいな感覚だ。

人の体調ってそんなものかもしれない。

クソまずい野菜ジュースを飲むと急に身体が綺麗になったような気がするのと同じだ。

私だけだろうか。

ふるさと納税を使って、この1年ぐらい日本全国から野菜ジュースを取り寄せている。しかし、そのうちの9割ぐらいが美味しい。

それではダメである。

私の場合、野菜ジュースに美味しさは求めていない。マズさを求めている。マズければマズいほど身体に良いと信じている。

変だろうか。

今のお気に入りは長野県安曇野市から送られてきた野菜ジュースだ。濃縮還元ではないストレートなジュースで甘味も感じられず野菜の味そのまんまである。


野菜好きな人には素晴らしく美味しいのだろう。でも、私としては鼻をつまみながら一気に飲む感じだ。そこがいい。

これは決して悪口ではない。その証拠に私はこの野菜ジュースを何度もリピートしている。毎朝食後に欠かさず一気飲みしている。

ちょっと別の話になるが、先日買物ついでに緑色のマズそうな野菜ジュースが目にとまったので恐る恐る買ってみた。

青汁で見慣れたはずの「緑色」だが、私の愛飲している青汁よりもドンヨリした緑だ。「マズさ確定」みたいな感じだが、一口飲んでみてビックリ。


アホみたいにウマかった。伊藤園の充実野菜である。あまりにウマかったので自分の中でリピート禁止を決定した。

あんなにウマいのに身体に良いはずがない。おそらくヘンテコな思い込みだが、私の中のルールだから仕方がない。マズい野菜ジュースが嫌いな人にはオススメです。


さて、会社で毎日欠かさず飲む青汁や各種サプリだけでなく、マズい野菜ジュースも日課になったのだから私も随分と良識派になったものである。

間違いなく、5年前にシングルライフになってからの方がキチンと健康管理を考えるようになった。

変な話だが、不必要に長生きしちゃったらどうしようなどと呑気に考えることさえある。

そうはいっても、青汁と野菜ジュースのせいで、食事の場面で野菜はまったく手を付けなくなった。まさに徹底という感じである。

ついでにいえば、薬のおかげで血圧が安定しているので、塩分や塩っ辛いものもちっとも遠慮せずに食べている。

健康なのか不健康なのか何となくビミョーである。

2017年9月22日金曜日

我が輩はセミである


先日、台風一過の暑かった日、おそらく近所で最後のセミの声を聞いた。真夏日だったから生き残っていたセミが必死に叫んでいたのだろう。

セミはオスだけが鳴くらしい。何年も地中深くで暮らし、地上に出てきて一週間程度の命を交尾のためだけに鳴き続ける。

なんとも切ない話だ。どこの世界でもオスは切ない。カマキリなんか交尾中にメスがオスを頭から食い尽くしちゃうんだから堪ったものではない。

先日の暑い日に鳴いていた季節外れのセミの切なさも男として涙なしでは語れないほどである。

セミ業界が今年のシーズンを終え、メスだってもう残っていないのに、相手を見つけられなかったオスが必死になって交尾を求めて絶叫していたわけだ。

まるで婚期を逃した中年男が、相手なんて見つからないのにせっせと婚活に励んで入るみたいである。

私のことではない!

オスがメスを求める本能ほど、生きているなかで厄介なものはない。古今東西、そんな次元の揉め事が数々の事件を巻き起こしてきた。

四十にして惑わず。孔子の言葉である。「不惑」の語源だが、これって、40歳になったら様々なことが分かってきて自分の生き方に迷いが無くなるという意味である。

不惑だからもう惑わされないとか、不動心みたいな単純な意味ではない。

私自身、40歳になって様々なことが分かってきたからこそ、結局自分は今後も女性にたぶらかされながら生きていくのだと達観している。

ある意味、女性を追いかけ続けることに迷いが無くなったわけである。これも立派な不惑である。

なんかヘンテコだが、それが真理である。


夏は暑いからさておき、秋や冬になると人肌恋しくなる。幼い頃、親にくっつきたがった感覚が、今も柔肌?を求めてさまよう悪いクセにつながっているのだろうか。

50歳を過ぎてもそんなことを言っているのは、寂しがり屋なのか、単なるスケベなのかビミョーなところだ。一応、世間的には前者を理由にしておこう。

まあ、中高年の誰しもが「このまま自分はしおれていくのか」という焦燥感のようなものを抱えて生きている。

男女ともに同じだろう。男の場合、自分が現役であることを実感したいがためにオスの部分を強調したくなって若い女性相手に奮闘する。

妙に張り切っている美魔女などと称されるオバサマも似たようなものだ。まだまだ女として現役だと世間一般にうったえたくてアピールに励む。

男も女も行き過ぎると痛々しい感じになってしまうが、必ずしも悪いことではない。

男であること、女であることを捨てちゃって、出がらしみたいな顔をして生きている中高年よりも人間として魅力的だという見方もできる。

いわば、あの痛々しさこそが、ひょっとすると人生の醍醐味であり、今を生きている証のようなものかもしれない。

世界にも例を見ない超高齢化社会に突入したわが国では、“中高年のハッスル”は大いに意義深いテーマだと思う。枯れちゃった中高年ばかりでは社会の活力は生まれない。

中高年の色恋沙汰や肉欲のなかには、もちろん、純粋な恋心もあるだろう。年齢による焦燥感などに関係なく、ごく普通に恋愛に走る中高年も少なくない。

そうはいっても、そんな綺麗な話ばかりでない。やはり、現役感の確認や焦りから来る征服欲みたいなものに駆られて奮闘している男は多い。

まあ、それはそれで本能みたいなものだから他人がとやかく言うことではないのだろう。


理性だ社会秩序だモラルなどと言っても、しょせんは人様が都合良く作ってきたものだ。

若い時代を過ぎ、人生後半戦を迎えた「悪あがき世代」ともなれば、そんな呪縛にとらわれず好き勝手に行動したくなるのも仕方がない。

悪意を持って人を騙したり傷つけたりしなければ、女性とネンゴロになるために必死になるのは結構なことだろう。

というわけで、私も結局は夏の終わりのセミのように、なりふり構わず叫び続けていこうと思う。

2017年9月20日水曜日

生命保険と私の思惑


日々フラフラしている私でも老後のことはそれなりに不安である。財産と呼べるものはシングルになった時にだいたい無くなっちゃったし、貯蓄や投資に頑張るタイプでもない。

冷静に考えれば不安である。まあ、よほどの資産家でもない限り誰だって老後不安はあるだろう。

毎月5万円貯金したら10年で600万、20年で1200万である。ちょっぴり持っている貯金とちょぼちょぼの年金プラスその程度では、長生きなんか出来やしない。

宝くじがドカンと当たらない限り、ムダに長生きしたらダメなのかもしれない。恐い恐い。イヤな話である。


ここ10年ほど、自分が入っている生命保険をマメに見直している。基本的には年齢が若いうちに契約するのがトクだが、生保商品もいろいろだ。

中高年になってから老後を見越して加入の仕方を見直すのは必要なことだと思う。うまく入り直せば、解約返戻金という“余録”を次に入る生保商品に投入することも出来る。

「生命保険イコール死んだ時の話」。一般的にはまだまだこんなイメージは強い。はたしてそうだろうか。

私の場合、積立型の生保から契約者貸付でお金を引っ張ることもあるし、あくまで貯蓄の一種という捉え方をしている。

漫然と貯金するのは苦手だが、積立型の保険なら保障が付いているから何となく続けられる。口座引き落としだからサボれないのも魅力だ。

先日、医療保険を入り直した。検診の結果、健康体である私は何も条件を付けられることも無かったので、以前の保障内容と遜色のない商品に変えた。

毎月の保険料もさほど変わらず、病気、痛飲、いや通院の内容によっては以前より充実した保障が受けられるようになった。

新商品の良さはさておき、前のものをヤメたおかげで結構な金額の解約返戻金が振り込まれたのでバンザイ三唱である。

これをムダに使わずに老後資金の一部にしないといけない。

たぶん無理だと思うが。

以前からいくつか入っている保険は割と貯蓄的な要素の強いものを選んでいる。自分が75歳ぐらいになった時点で、それなりの解約返戻金が出るような内容の終身保険に複数入っている。

その時点になれば、私の子供もいっぱしの大人である。玉の輿にでも乗ってくれたら私がお金を残す必要もあるまい。

まあ、玉の輿はともかく、高額な保険金を残す必要が無い状態だったら、漫然と保険に入り続けている必要はないという話になる。

実際、その時点で私自身が老後資金に不安を抱えている可能性だって充分にある。

その場合、医療保険は残して生命保険は解約するか契約者貸付で大半をおろしちゃって自分用に使うことを想定しているわけだ。

貯金よりは利回り的には劣るのは仕方ないが、いざという時の保障も捨てがたい。二兎を追っているような感覚だ。

生命保険は残される家族のためのものという考え方があるが、それだけではない。自分のための貯蓄の一つという考え方も正しい。

ちなみに、先日新たに米ドル建ての終身保険を新たに契約した。毎月の保険料も保険金もその時点のレートで換算される。

これまた75歳ぐらいで解約返戻金が結構な金額になる仕組みだ。その時点で1ドル180円ぐらいになっていたらボロ儲けだと思ったのだが、毎月の保険料も値上がりしちゃうから、大した意味はない。あくまで返戻率が悪くなかったから選んだ。

ついでにアレコレ調べていたら、私が掛けている娘の保険も結構な解約返戻金が期待できることを思い出した。

高校生の娘が生まれたばかりの頃に契約した保険がいくつかある。赤ちゃんが被保険者だったから毎月の保険金は非常に安かった。

娘を被保険者とした医療保険や終身の生命保険である。娘はまだ高校生だから、今また似たような保険に入り直しても毎月の保険料はさほど高くはならない。

医療保険以外は、もともと娘が将来、留学したいとか突発的な出費がかかるような余計なことを言いだしたら大変だと思って、一種の学資保険的に契約した貯蓄型商品だ。

やはり簡単にヤメてしまってはいけない。さすがに娘の将来のために保険料を払い続けて“貯まり”を増やしていこうと思っている。

でも、医療保険なんかは、似たような別商品に入り直して解約返戻金をこっそりゲットしちゃおうかなとフラチな考えが頭をよぎる。

いや、それもきっと娘が大人になるまでキープしておかないと、結局いずれは自分の首を絞めることになるからガマンしないといけない。

今日は何だかいつも以上に意味不明な話に終始してしまった。

一応、将来のこともちょっぴり考えているんだぞと世間様に対して宣言したくなったのだろう。

2017年9月15日金曜日

作詞作曲


歌うのは好きだ。聴くのも好きだ。音楽は文字通り音を楽しむものだから、人の数だけ好みや楽しみ方がある。

歌う、聴く、奏でるの他に「創る」という楽しみもある。最近、そんなことを実感した。そう書くと何だかエラそうである。

小学生の時に縦笛すら吹けず、もちろん音譜も読めないド素人の私が言ったところで説得力はない。でも、そんな私が友人とオリジナルの曲を創ってみた。

まあ、友人の作曲能力がなかったら話にならなかったのだが、とりあえず作詞は私だ。ふたりでヤイノヤイノ議論しながら作った。これがかなり楽しく充実した作業だった。

もちろん、私は詩を書いただけなので悠長に構えていれば済んだ。作曲者である友人が楽しかったどうかは不明だ。

この春、お互いにとっての旧友が急逝した。ともに小、中、高と同じ学校に通った関係だ。彼をモチーフにした追悼曲のようなものを作りたくなって、曲と詩を何度もすり合わせしてきた。

調子に乗ってコーラスアレンジまで考え始めたから完成段階である。11月に予定している我がオジサマバンドのライブでも披露する予定だ。

歌いながら泣きそうな気がする。気をつけよう。

さてさて、まったく何も無いところから詩を作って曲が付いて歌になる。当たり前のことだが、これって凄いことだ。

出来の善し悪しはともかく、まったくの「無」から始めるわけだから出来上がった時の喜びは大きい。

もちろん自己満足の世界だ。人様から見ればケッ!と言われそうな話だが、この歳になって新たな物事の楽しさを知った新鮮な感覚がある。

詩が出来た時には正直シックリこなかったのだが、ノッペリした言葉の数々がメロディーに乗ることで様変わりした。命が吹き込まれた感じがする。

友人が懲りずに付き合い続けてくれたら、今後も「知られざる名曲」?はいくつも生まれるはずだ。

まったくの手前ミソ、過剰な自画自賛で恐縮です。

とりあえず作曲担当の友人には元気でいてもらわないといけない。最近、私を見習って青汁を飲み始めたようだから、まだしばらくは大丈夫だろう。



「ムード歌謡を甦らせてダンスミュージック全盛の音楽界に一撃を与えよう」。彼の言葉だ。高い志である。

ちなみに今回創った歌はムード歌謡っぽくはない。「いきものがかり」が歌いそうな雰囲気の曲である(ファンの人、スイマセン)。

ムード歌謡チックな歌は来年以降の我々の課題だ。いま構想中の曲の仮タイトルは「ここにキスして そこじゃないのよ」である。

作曲担当の彼とは高校生の時にもオリジナル曲を2つ3つ作った。5年ほど前にもスンバらしい未発表曲を創っている。

空白期間はさておき、コンビ歴は一応30数年だ。阿久悠と都倉俊一もビックリである。

つくづく高校生の頃に本気にならなくて良かったと思う。あのまま創作活動を続けていたら、昭和と平成をまたぐ偉大な作詞作曲コンビになって超多忙な日々の中、早死にしちゃったかもしれない。

そういうくだらない妄想に浸るのが最近の私の楽しみなので御容赦いただだきたい。

せっかくだから今回完成した曲の歌詞を少しだけ載せてみる。タイトルは「泣き笑い」である。


星を眺めてみる

そこにキミがいなくても

そこにキミは キミは いるのかな

(~中略~)

飲み干そう 苦い 酒は嫌いだろう
       
この歌もきっと  茶化すだろう
                       
笑いながら おどけながら フラついた日が愛しい

         
思い出はモノクロに
       
変わっても 目を閉じると 

永遠の無邪気がいま 甦る
             
忘れないよ いま出来ることは キミを想い ただ泣き笑い
 
(~後略~)


歌詞については、ノッペリしているし、まさに「そのまんま」という感じ。正直インパクトは薄いのだが、言葉がメロディーをまとうことで一気に様子が変わる。

議論してイメージを膨らませ、詩と曲の微調整を何度も重ねたことで、いつのまにかちゃんとした「歌」に仕上がったわけだ。

素人にも素人なりの楽しみ方がある。そんな音楽の効用に今更ながら気付いて、創作意欲が盛り上がっている今日この頃である。

2017年9月13日水曜日

クルマと色気


運転免許を取ってから気付けば30年以上が過ぎた。なんだかビックリである。「気づいたらウン十年」みたいな話がやたらと多くなった。

まあいいか。

先日、クルマを乗り換えた。まだまだ色気のあるクルマに乗りたいと思うのだから私も現役バリバリである。

家庭持ちではないので、ファミリーカーを選ぶ必要はない。この3年ぐらいも2ドアのスポーツタイプのクルマに乗っていた。


今回乗り換えたクルマの外装色は黒である。私を取り巻くすべてのことが「黒字」であって欲しいという願いを込めた。ウソです。

中は画像のようにシャレオツな色である。誰を乗せるわけでも無いのに、ついつい「色っぽさ」を求めてしまう。

これまで何だかんだで20台ぐらいのクルマに乗ってきた。アマノジャクな私としては、街でやたらと見かけるようなクルマは苦手だ。

その昔、「ソアラ」が流行った時はあえて「レパード」を選んだし、”四駆乗り”を趣味にしていたときも「パジェロ」ではなく「サファリ」だった。

ベンツやBMWの素晴らしさも分かるが、どうせだったらジャガーに魅せられる。少しだけズラしたくなる感覚とでもいおうか。

いずれは自動運転が普通になる時代が来るらしいが、30年以上も運転していると技術の進歩にはいちいち驚かされる。

私が運転を始めた頃はフェンダーミラーからドアミラーに変わった頃だ。ナビなんて夢の世界だったし、カーオーディオもカセットテープだった。隔世の感がある。

今は機械式車庫の上り下りだけで、盗難防止装置が作動しちゃうし、音楽なんて無限の曲数をドライブのお供にできる。

先日久しぶりにカー用品店のオートバックスに出かけたのだが、昔とは大違いだった。置いてあるモノがアナログな私にはよく分からないし、だいたい週末なのに混雑していないのが不思議だった。

30年前は若者のクルマ熱が凄いことになっていたから、カー用品店もテーマパーク的に賑わっていた。時代が様変わりしたことを実感する。

思えば、ここ10年ぐらい「ねえねえ、どんなクルマ乗ってるの~?」と尋ねられたことはない。その昔は若者の会話の多くがクルマに関する話題だった。

クルマ熱が昔ほどじゃなくなったことでケッタイな「クルマ・ヒエラルキー」みたいな話が聞かれなくなったのは悪いことではない。

かつてはクルマの名前だけでなく、同じクルマでもラインナップごとの”車格”によって優劣が語られるような風潮が今より遙かに強かった。

もう20年以上前だが、アメリカのジープ・ラングラーにハマったのだが、あれもクルマ・ヒエラルキーの外側にいるような解放感?が理由だったのかもしれない。

時々、あてもなくドライブする。好きな音楽を爆音で聴きながら走ると気分転換になる。

高速だったら爆音プラス熱唱である。世の中で高速走行中のクルマの中ほど大声で歌える場所はない。

カラオケボックスもいいが、しょせんあれはマイク越しである。生声大熱唱は高速運転中のドライバーの特権だろう。

英語の歌をカラオケボックスで歌うと、画面に表示される英語のせいで自分の歌のデタラメぶりに暗澹たる気分になるが、クルマの中は自由である。

歌の合間合間に♪ワッキャナドゥーベイベー♪などと意味不明の叫びを混ぜてもOKである。

以前はドライブデートなどと洒落込んだこともあったが、今はそんな機会も激減した。女性が助手席に乗るといろいろとモヤモヤするからそれで結構である。


昔と違ってちょこっとでも酒を飲んだらクルマを運転してはいけない。もはやデートのためにはクルマはメンドーな存在になってしまったのかもしれない。

昔の大らかさが懐かしいが、逆にいえばあの時代はかなり危ない時代だった。ある時期から飲酒、酒気帯びに厳罰が科せられるようになったのは極めて正しいと思う。

そんなわけで、クルマを換えたところで助手席は空いたままブイブイ言っている私である。

ついでに私が大好きなハマショー師匠の名曲「サイドシートの影」の歌詞を載せる。
来年あたり自分のライブでパクろうと考えている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

海が見えたら起こしてあげるから
もう少し眠りなよ ラジオを消して
サイドシートに話し掛けてみる
そこには誰もいないのに

隠れ家のような仕事を片付けて
醒めたイルミネーション 照り返す街に
眩しい笑顔と一夜の慰めを
今夜も探してる ゲームのように

曖昧な痛みが押し寄せ去ってゆく
真夜中の通りを海へと走ってく
カーラジオ繰り返す無機質なビート
まるで僕の鼓動のように

誰かの腕に抱かれて眠りたい
何も奪わぬ恋に落ちて

2017年9月11日月曜日

浮気とウナギ


日本人はウナギを縄文時代から食べていたらしい。先日見たテレビでそんなことを言っていた。凄いことだ。

「縄文人が食べたものを食らう」。これをロマンと呼ばずに何と言おう。空前絶後、超絶怒濤である。意味不明でスイマセン。


ちなみにこれは某所で食べたウナギのタタキ。簡単にいえば白焼きにネギをいっぱい載せてポン酢で味わうという一品。こういう楽しみ方も大いにアリだ。

ぶつ切りで食べていたウナギを蒲焼きにしたことで、日本人は世界にも類を見ない”ウナギ民族”に進化した。

裂くための刃物の発展と独特の味を生む醬油とみりんの誕生が今の鰻食文化につながったそうだ。NHKのドキュメンタリーが言ってたからホントだろう。

大昔からの刃物、醬油、みりん関係者には心から感謝したい。バイアグラを開発した人も偉いが、日本の鰻重を完成させた先人はもっと偉い。

本来、ウナギはハレの日に食べるべきだが、ウナギのことばかり考えている私は頻繁に食べたくなる。

まあ、この歳になって不平不満もなく平和に生きているわけだから、いわば毎日がハレの日みたいなものだ。

時には出前も注文する。日々いろいろと奮戦しているので、バテちゃって早く帰宅する日もあるのだが、そういう時にデリバリーウナギが食べたくなる。

出前なんかウマいはずがない。ウナギラバーとしては当然そう思う。そりゃあ店で出来たてを食べるのが一番だが、出前だって決してバカにしたものではない。

時々、出前で持ってきてくれる鰻重が妙に美味しいので、とある日、実際の店舗まで足を運んでみた。

ちょっとビミョーだった。どうやら昼の時間帯は別として、夜は出前のほうがメインの様子。何より困ったのがメニューに白焼きが無いことである。

ウナギ料理の店というより鰻重専門店みたいな感じだ。そうは言っても昼時じゃあるまいし、酒のツマミとして白焼きは欠かせない。お願いして鰻重の前に白焼きを出してもらう。

メニューに無い割には充分に美味しい白焼きが出てきた。焼き加減はもちろん、蒸し加減、塩加減もバッチリ。

しかし、しかしである。ワサビがいわゆるチューブものだった。あまりウルサイことを書くのはヤボだが、さすがにウナギの白焼きは本物のおろしワサビが絶対条件だ。

白焼きがメニューに無いということは、ワサビの用意も無いという意味だったわけだ。まさに盲点を突かれた感じだった。

別の日、またウナギが食べたくなって初訪問の店に行く。グルメサイトの口コミを信じて出かけたのは、谷根千エリアの某店。

”鰻重専門店”での失敗を取り返したかったので、ウナギ料理が数多く揃うという触れこみのその店を選んだ。

店内は大盛況。期待大である。ウナギ料理の種類も多い。酒の品揃えも凄い。ウッシッシである。

ウナギのキモワサビや白焼き、肝煮などを肴に冷酒をグビグビ。幸せである。

当然、鰻重も頼む。しっかり完食。でも極めて普通。白焼きや鰻重に関しては、前述の出前メインの店の方がウマいと感じた。

グルメサイトでの高評価は何なんだろう?。自分なりに分析してみた。要するにこの店はウナギ専門店というより「飲み屋さん系」というワクの中で高い評価を得ているみたいだ。

実際、メニューにはウナギ以外の料理も数多い。普通の飲み屋さんとして使っているお客さんも多い様子。

ウナギを使った串焼きを何本か頼んで、その他の小料理をツマミにワイワイするような使い方が正しいのかもしれない。

これまた盲点を突かれた感じだった。

ウナギに満足したければ、過去に満足した店をリピートするのが正しい。そんな当たり前のことを守らない私は、結構な頻度でハズれ気分で悶々とする。

やはり浮気はダメである。今の世の中、ちょっとした浮気でも不倫だ不倫だと騒がれて世間から糾弾される。

ウナギの世界も浮気男は痛い目に遭う。残念ながらそんな気がする。

2017年9月8日金曜日

おやつバンザイ


いつの間にかお菓子を間食するようになった。デブにとって自殺行為である。

もともと間食派ではなかったのだが「甘甘パパ」として娘のためにお菓子を買い置きしているうちに気付けばボリボリムシャムシャ食べるようになってしまった。

離れて暮らす娘は割と頻繁に我が家に泊まりに来る。ハッスル父ちゃんとしては、お菓子やドリンク類をやたらと揃えて歓迎してしまう。

元来、私はストック魔である。1個や2個だけ買って済ますわけにはいかない。ドッサリ買う。

もちろん、1度の滞在で娘が食べきれるはずもなく、気付けば山のように貯まっていく。置き場所に困るほどワンサカある。

で、在庫整理を兼ねて自分で食べ始めたらハマってしまった。大問題である。お菓子がこんなにウマいとは思っていなかった。デブまっしぐらである。

ポテトチップ一つとっても昔より味の種類が豊富だ。ウットリするぐらいウマいやつがある。キャラメル味と普通の塩味のポップコーンが半々に混ざっているヤツもある。イヤんなっちゃうぐらいウマい。


さて、数々のお菓子を味見してきた中で個人的にビックリ仰天のウマさだったのが「ふんわり名人きなこ餅」である。これは無敵だと思う。

味はもちろん、食感がはかなげで素晴らしい。フワッ、ホコッ、サクッサラ~という感じで口の中で消えていく。

ほどけていく感じというか、これに似た口どけのお菓子はなかなか見当たらないのではなかろうか。

以前このブログで紹介した「1万円のふりかけ」よりも衝撃的な口どけ感が私を瞬時にトリコにした。


初めて食べる時、たいていの人が「何じゃこりゃあ~」と叫ぶはずである。

池上彰さんのように「無双」と呼んでもいい。近所のスーパーで見つからない時はネットで取り寄せている。これと一緒にお茶をすすりながら「寅さん」を見るのは私にとって神聖不可侵な時間だと言える。

可愛いコちゃんがベットで手招きしていても黙殺する自信がある。本当だ。間違いない。たぶん。おそらく。

近頃のコンビニスイーツも「恐るべし」の一言である。街場のケーキ屋さんにとっては死活問題だろう。目ン玉ひんむくぐらいウマいヤツに出会うことも珍しくない。


セブンイレブンの「ふわっとろ宇治抹茶わらび」である。これも衝撃だった。至高の食感である。初めて女性の生乳に触れた時と同じぐらいムホムホした。

我が家に程近い小石川の名店「一幸庵」のわらび餅を食べた時と同じように感激した。こんなものがコンビニで買えちゃうんだから何とも幸せな世の中だと思う。

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2016/05/blog-post_20.html

甘いお菓子だけでなく、大人としては塩辛い系も外せない。私が最近ハマっているのがカレーうどんの人気店「古奈屋」の味を再現したという触れ込みの揚げ餅である。


カレーうどん味だからジャンキーな風味になりそうなところだが、意外に強すぎない味で飽きずにボリボリしてしまう。大人のお菓子としてなかなか稀有な存在だと思う。

私が有名人だったら、ブログで紹介したお菓子のメーカーから御礼として商品がどっさり届くのだろうが、そこはしがない一般人だから何の役得もない。

そのかわり私がどんなにウマいウマいと叫んだところで、ここに書いた商品が品薄になることもない。

お菓子をガンガン買える程度には富豪?だからそれで良しとしよう。 

2017年9月6日水曜日

いかにとやせん


夏の終わりの寂しい感じが好きだ。グッと来る。他の季節にはない独特の寂寥感がある。

夕陽の色合いも切なげで、遠くにかすかにヒグラシの鳴き声が残る中、鈴虫やコオロギの鳴き声が日に日に強くなっていく。

風の匂いも変わる。うまく表現できないが胸がキュンとする。悲しいことなどないのに哀愁気分に浸りたくなる。

季節の変化は子供の頃から体験しているが、年齢とともに節目節目の移り変わりに敏感になる。郷愁にかられる気持ちが強くなっているのだろう。

「いかにとやせん」。忠臣蔵の浅野内匠頭の辞世の句で使われている言葉だ。「どうしたらいいのだろう」「どのように伝えればいいのだろう」といった意味合いの言葉だ。

夏の終わりにふと感じるノスタルジックな気分はまさに「いかにとやせん」である。週末の夕暮れ、ボンヤリ散歩しながらそんなことばかり考えている。

不思議なもので、こういう感覚は本格的な秋になれば忘れてしまう。あくまで夏の終わりのほんのひとときの感傷だ。だからこそ妙に切ない気分になる。

薄れていく感じ。追いかけたくても届かない感じに無性に気持ちがザワつく。わけもなく亡くなった祖父母や友、ついでに昔好きだった人なんかを思い出したりする。

そんなときに浮かぶのはなぜか唱歌が多い。「赤い靴」「夕焼け小焼け」「椰子の実」あたりが頭の中でボンヤリと響いている。

ありとあらゆる音楽の中でも、日本の唱歌が持つ郷愁を誘う独特なメロディーラインは素晴らしいと思う。というか、日本人の感性だからこそ感じる素晴らしさだろう。

アフリカの人が聴いても何も感じないのかもしれない。まあ、あちらにはあちらの郷愁メロディーがあるはずだ。

ホロ酔い気分で帰宅して下手なギターをジャジャガ弾いても、一息ついて風呂に入れば、出てくる鼻歌は「椰子の実」だったりする。

♪名も知ら~ぬ、遠き島より~♪である。ガサツな毎日を過ごしている私でも、この時期はロマンチストみたいな顔をして生きている。

日本的DNAが身体の奥底の方に染みついているのだろう。風鈴の物悲しい響きとコオロギの鳴き声がセットで聞こえてくると、まさに辛抱たまらん状態だ。

ちょっと頑張れば涙だって出そうなぐらいだ。まあ別に悲しくないので泣かないが、つくづくこの先の人生では、この季節に不幸なことが起きないことを祈りたい。

ここ数年、夏の終わりに敏感になったのは、自分自身の人生の季節が秋だからだろう。過ぎ去った人生の春や夏へのノスタルジーがそうさせるのかもしれない。

なんだかガラにもなくおセンチな話を書いてしまった。

まあ四の五の言ってもしょせん私は俗物である。その証拠に昨日今日あたり私の頭の中を支配しているのはサンマや土瓶蒸しのことばかりである。

そんなものだ。

2017年9月4日月曜日

僕 俺 自分 ワシ


日本語の面白さを象徴するのが一人称の多様さだ。英語だったら「I」だけだが、日本語の場合、今日のタイトルのようにいろんな種類がある。

このブログでしょっちゅう使っている「私の場合・・・」という言い回しは主に書き言葉で使っている。実際の私は、人と話している時に「私」と言う場面は滅多に無い。

このごろハヤリ言葉のように使われている「印象操作」という意味でも、日本語の一人称は巧妙に使われている。

トランプ大統領のイカつい発言がテレビで流れる際、邦訳テロップや吹き替えは「オレ」が使われる。大国の大統領が使う言葉としては違和感がある。


安倍さんが北朝鮮のミサイルに怒っても「オレは断固抗議する」とは言わないわけで、トランプさんの「I」は「オレ」ではなく「私」が正しいはずだ。

最近でもウサイン・ボルトの会見映像がヘンテコだった。普通に会見場に座ってキチンと受け答えしているボルトの一人称はナゼか「オレ」。おまけに敬語は一切使われず、ぶっきらぼうな物言いに終始していた。

失礼な話だと思う。ボルトに限らず、野性的なイメージがある著名人の邦訳はたいていが「オレ」であり、「まいったぜ」「頼んだぜ」みたいな「ぜ」が平気で使われる。

ワイルド系の黒人著名人の場合、一人称は「オレ」で統一されているという話を何かで読んだことがある。もし本当だったら一種の差別だろう。

人種に限らず、労働者風の人が語るシーンの邦訳では「オレ」が多用され、ホワイトカラーだと「私」や「僕」が使われる。いとも簡単に印象操作が行われているわけだ。

なんだか固い話になってしまった。軌道修正。

男の一人称として別格の存在が「ワシ」である。広島や関西の一部の人は別として、自分のことを「ワシ」と称する人には会ったことがない。

「幻のワシ」である。若い頃、大人になったら自分を「ワシ」と言えるような貫禄のあるオッサンになりたいと本気で思っていた。

今の私なら年齢的に「ワシ」を使えそうなものだが、いまだに「僕」とか言ってしまう。なんだか小者みたいでシャバダバである。

でも、「ワシ」という一人称は想像を絶する波瀾万丈な生き方をしてきた人にしか許されない言い回しのような気がする。ちょっと大げさか。


「ワシ」といえば「江夏豊」である。言わずと知れた伝説の名投手だ。昭和の野球小僧にとって「江夏豊」イコール「畏敬の念」である。

ある時期、あの清原が「ワシ」の後継者かのような位置付けになったことがあったが、やはり“ワシ業界”において江夏こそ無双である。

ところが、時々テレビに出てくる江夏サマは「オレ」を普通に使い、時には「僕」まで使っている。「ワシ」で語り始める姿を見たい私は悶々としてしまう。

ワシ業界最高峰の江夏御大としては、きっと「ワシ」の使い方にこだわりがあるのだろう。元広島の達川みたいに「ワシ」の安売りを自制しているのかもしれない。

さすがだ!江夏豊!

ちなみに、江夏師匠が自分を「僕」と呼ぶ場面もキュンとする。単に私は江夏が好きなのだろう。

さてさて、オチが見当たらないから「ワシ」に関するウンチクを一つ。

今ではすっかりコワモテオジサン専用になった「ワシ」だが、江戸時代には女性の一人称だったらしい。

ということは、江夏がタイムマシンで江戸時代に行ったらオネエ扱いされてしまう恐れがあるわけだ。

江夏御大には何があってもタイムマシンには乗らないで欲しい。

2017年9月1日金曜日

合コン


前回は寿司屋のカウンターでイキがることを忘れてしまったというユルユル状態の話を書いた。

やはり“イキがる”ことは男子にとって必要な人生訓だと思う。「温和で朴訥な人畜無害の善人」も結構だが、少なくとも私はそっちの路線を目指してはいない。

男女の関係だって、イキがってこそ楽しい。分かってはいるのだが、最近どうにもイキがる場面が減ってきた。ちょっと反省中だ。

トンがっていた部分が丸くなるのは良いことだが、ホゲホゲし過ぎるのも好々爺みたいで問題である。

先日、男女混合飲み会に呼ばれた。いわば合コンみたいなものだ。女子チームは永田町や国営放送で働くアラフォー。よく食べるし、よく飲む。実にエネルギッシュだ。

若い頃なら出会い系?の宴会では正しくスカして正しくイキがった私である。ちゃんとギラギラもしていた。

最近は場を和ませるためにただのオチャラケで終わる。イヤミにならない程度に支払いを多めに済ませて好々爺のような顔をして帰路につき、家に着いたら一人でソーメンを茹でている。

枯れ過ぎである。

以前だったら「袖振り合うも多少の縁」とばかりにギラギラ光線を発射した。それが正しい男子の在り方である。

ちゃんとお持ち帰りも企んだし、そうじゃなくても気に入った女性とは連絡先を交換してその先の発展を思い描いたりした。

今ではユルユルだ。獲物を狙う野性の感覚?を忘れてしまったみたいだ。こんなことでは干上がってしまいそうで問題だ。

枯れてしまったわけではない。まどろっこしいのがメンドーになっただけだ。いや、それは言い過ぎか。

楽しいことは楽しいのだが、二次会まで行ったのに翌日になったら参加者の名前も顔も覚えていない。

だいたい、飢えた狼じゃあるまいし初対面の女子にグイグイ行くなんてカッチョ悪いというブレーキがかかる。他の男性陣の目も気になる。

まあ、人目を気にすること自体、別な意味でカッコつけているわけだから意味不明である。

そんなエラそーなことを書いている私だって、人の目が気にならない場面では、正しく狩猟活動に励んでいる。それなりに奮戦している。

突き詰めれば、合コン的な場が以前よりも苦手になってきたのだろう。これもワガママが加速しちゃった裏返しかもしれない。

その場にいる全員と和やかに過ごすためには協調性が大事だ。もちろん私だって場がシラけないように気配り目配りに気を使う。そこそこ気疲れもする。

それがメンドーになってきた。歳とともにワガママや偏屈は強まるというが、どうもホントらしい。最近は面倒くさいことをすぐに避けたがる。

あまり興味のない人とどうでもいい話で盛り上がることが億劫になってきた。これって単なるワガママだ。

地球上に人間は70億人もいる。そう考えると知り合うだけでも奇跡だが、そんな奇跡に感謝する気持ちが欠如している感じだ。

このままでは確実に孤独な老後が待っているから、もっと社交的にならないとマズいと思う。

なんだかグチみたいな書きぶりになってしまった。

そうは言っても、私は女性が好きである。女好きか否かと聞かれたら、迷わず女好きだと答える。だったらもっと奮闘しなければダメだ。

先日のその飲み会では、二次会でネジの緩んだ男が、女子に抱きついたり触ったりしていた。女子の方もオトナだから上手にいなしていた。

素晴らしい光景だった。うらやましかったし、仲間に入りたかった。

うまくいなしてくれる女性にチョッカイを出すことほど男としてワクワクすることはない。

この歳になって殻が破れない自分を反省する。

ストレートなスケベオヤジになることを今後の人生の指針にしようと決意する今日この頃である。

なんだかシミったれた話になってしまった。