「ドキュメント72時間」というテレビ番組がある。NHKならではの深みのある内容が結構好きでよく観ている。
毎回テーマの異なる場所を選び、3日間、定点観測のようにそこに集う人々の人間ドラマを取材している。
先日は有楽町にある靴磨きコーナーにスポットを当て、お客さん達からいろいろな話を引き出していた。
タイトルは「男が靴を磨くとき」。明日の土曜午前中に再放送されるので興味があればご覧いただくことをオススメする。
その靴の思い出を語る人や大事な商談の直前に訪ねてきた人、自分への褒美に新調した靴を真っ先に磨きに来た人など、靴と靴を綺麗にすることの人間模様が面白かった。
靴がピカピカになったお客さんの顔が印象的だった。どこか明るく爽快な感じに見える。まさにこれが靴磨きの効能かもしれない。
涼しくなってきたから私も靴磨きに精を出そうと思っている。靴磨きを始めるとつい必死になって汗だくヘトヘトになるので夏はついついサボりがちだ。
靴を一生懸命磨いている時は、ただ無心に「磨く」という作業に没頭する。もちろん、ピカピカの靴を人様に誉められたいとか、ピカピカの靴でどこそこに出かけたいとか、それなりに邪念はある。
でも、靴磨きに集中している時は、ただただ黙々とコスったりグリグリしながら靴と無心に向き合う。精神性が高まるような感じがする。ちょっと大げさか。
土をこねてロクロを回す感覚に似ているかもしれない。やったことないけど・・・。
そして、綺麗に磨き上げた靴を履いた時の気分は、新品の靴に足を入れた時とはまったく違うワクワク感がある。当然気分もアガる。
靴は文字通り「革」が「化」けると書く。化粧した女性だって、その化粧を手直ししたり、微調整しないと化けの皮がはがれる。
それと同じで靴もマメな手入れが必要だ。きちんと手入れしてこそ輝きを増す。
先日は深夜まで二軍、三軍扱いの靴を中心に靴磨きに奮闘した。ここ数年、やたらと靴が増えてしまったのだが、自ずと優先順位や好みの度合いは異なる。
いまひとつ気に入らない靴やヘタれかけてきた靴が二軍三軍扱いになる。雨の日専用だったり、予定も無くダラダラした気分の日に履くことになる。
二軍、三軍といいながら、そういう靴のほうが実際の出番は多い。一軍の靴より頻度は多いかもしれない。タフに働かせてしまっているお詫びを込めて必死に磨いた。上の画像は二軍暮らしの「サントーニ」、下の画像は長く一軍をキープしている「タニノ・クリスチー」である。
不思議なもので、二軍三軍の靴のほうが丹念に磨き込みたくなる。贖罪意識のような感覚もあるが、それ以前に段違いに綺麗になっていく様子が実に楽しい。
常に綺麗な状態を保っている一軍靴に比べると、二軍三軍の靴達は手入れする頻度も少ない。日常のカラ拭きもあまりやらないから、いったん磨き始めると変貌ぶりが凄い。
まるで別モノのように変わる。いつも綺麗にしている女性がオシャレをしても印象は変わらないが、ズボラな感じの女性が突如お洒落して変貌する感じとでも言おうか。
ついでに靴のダメージの勉強にもなる。二軍三軍扱いの場合、気を使わず乱暴に履き込んでいるから、傷つきやすい部分や革のヘタれやすい部分などが一目瞭然である。
履き込んでいるから足には充分に馴染んでいる。それが一気にピカピカに変貌するわけだから何とも言えない気分になる。
古女房が突然美しくなって、見ているこっちが照れちゃうような感じだろうか。そんな経験は無いのでよく分からないが・・・。
ピカピカになると、二軍三軍と呼んでいたことを反省する。綺麗に変身してくれた“相棒”を改めて眺めては、日頃冷たい態度で接してきたことを心の中で詫び、「スーパーサブ」と呼び始める。
そして、一軍靴にも負けないようにアゲアゲ気分で履くことが増える。こうなると慣れ親しんでいるだけに「絆」のような感覚さえ生まれる。
でも、心のどこかで「お前は二軍だろ?」という差別意識を持ってしまう私は、新たな一軍靴を入手したりすると、それを機に再びスーパーサブの手入れをサボりだす。
輝きを失ってしまえば、せっかく浮上したヤツも元の二軍三軍扱いに一気に降格してしまう。まさに固定された身分制度のようである。
わが家の靴カーストを是正するには私が新しい靴を買わないことしか対抗策はないみたいだ。