女性の脚にふと目が行くのはナゼだろう。本能と言ってしまえばそれまでだが、思春期の頃からウン十年もその習慣は変わっていない。単にスケベ心で目が行くだけではなさそうだ。DNAに何か仕込まれているのだろうか。ブログ用とはいえこんな画像を撮影しているとリビドー満開?になる。
極端なミニスカートに目が行ってしまうのはともかく、そうでないケースでも同様だ。女性の手や腕をついつい眺めてしまうことはない。腕も脚もそこだけ見れば性的なニュアンスを持つ部位ではない。でもナゼか脚だと見てしまう。
女性の脚線美は古来ローマ時代ぐらいから彫刻の世界などでも表現されてきた。一種の美の象徴として認識されてきた歴史はかなり古い。かのミロのヴィーナスなども厳密に計算された比率で脚が造形されているという説もある。
このブログでも何度も女性の脚線美についてアーでもないコーでもないと書いてきたが、スケベ心丸出しの私の考察ごときでは男たちが女性の脚に見とれる心理は解明できない。
脚と太もも
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2019/02/blog-post_13.html
脚線美
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html
腕だって似たような構造なのに脚のようにグっとくることはない。世の中には女性の膝に興奮する膝フェチというジャンルもあるそうだが、肘フェチとなると聞いたことがない。
あくまで下半身だから気になるのか、はたまた腕より長いから気になるのか、大いなる謎だ。だいたい手先だって女性のそれは男性よりもホッソリして造形として美しい。おまけにネイルなどで飾ってアピールしているのに、あまり手フェチ、指フェチも聞いたことはない。
手や指のほうが実戦!の場で男性を悶絶させてくれるのに、そこではなくただヌボーっと存在するだけの脚のほうに魅力を感じてしまうわけだから謎である。
やはりこればかりは男性の脳の中に埋め込まれた特殊な潜在意識が影響しているのだろう。簡単には解明できないテーマだ。
肝心の脚線美に関してだが、男性と女性で好みというか認識が異なるのも興味深い。女性が美しいと感じるのはホッソリと長い脚。これ一択である。パリのファッションショーとかに出てくるガリガリのモデルさんみたいなマッチ棒みたいに細い脚に憧れるらしい。
男性が美しいと感じるラインとは随分と違う。男性はあくまでムッチリ型の曲線を好むから適度な肉付きは必須である。男性が好むラインを女性は「太くてイヤだ」と言う。この違いは大きい。この画像だと個人的には細すぎてイマイチだと感じる。
以前、知り合いの女性が元々細い太ももを美容整形でわざわざ削るために韓国まで行って手術してきた。一ヶ月近く社会復帰できないほどの労力とコストをかけての大作業である。
術前術後を冷静に見比べた私の感想は「言われてみればほんの少しだけ変わったかな」という程度だった。そんなムダ金があるなら私にトンカツでもご馳走してくれたほうが遥かにマシだと心から思った。
そのぐらい女性目線と男性目線は違う。これまた実に不思議だ。今の時代、男性も女性も全体的に「細さ信仰」が強くなりすぎている。昭和の雑誌・明星や平凡に載っていた昔のアイドルの水着姿など今の若者基準で言えば単なるデブになってしまう。
話は飛ぶ。脚フェチを自認する人の中にはオッパイフェチを隠すためにあえて脚フェチのフリをしている人もいるらしい。由々しき問題である。オッパイ星人によるスパイ行為みたいなものだ。私のような正統派の脚好きにとってそういうインチキは許しがたい。
かく言う私も本来は「お尻星人」である。胸より尻派である。ひょっとすると脚線美、とくに太ももに惹かれる理由は単にお尻の延長線上にあることが理由かもしれない。
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腕の先には肩しかない。それに比べて太ももの先にはアノお尻様が鎮座している。それだけで“お尻の親戚”みたいな脚線美を改めて愛おしく感じてしまう。
脚フェチの中には太ももやふくらはぎではなく、足首やかかと、はたまた裸足の足の裏や足指に異常に執着するような妙に細かいフェチが存在するらしい。私もそういう観点で女性の脚を部位ごとに凝視してみたが、凡人である私にはそこらへんは何とも感じなかった。
結局私は太もも周辺のみを脚線美の対象として、いわばそこのみに関心があるようだ。やはり「尻の延長」という構造的なポイントがすべてなのだろうか。
相変わらずこんなテーマを必死に書き殴ってしまう私の精神状態や脳みその動きは果たして大丈夫なのだろうか。
まあ、平和な証拠だから良しとしよう。