交尾。なんだかそう書くとケッタイだが、セックスのことだ。性行為である。正確に言えば子孫を作るための生殖活動だが、人間の場合、その目的が子作りだけではなかったりするから厄介である。
それがしたいがために、せっせと女性を喜ばそうとしたり、必死にカッコつけたり…。古今東西、男のアホな行動はそんな下らないことに原因があったりする。
聞くも涙、語るも涙、バカみたいな話である。
いきなり話が飛んでしまった。
こんな話を書き始めたのは、NHK・BSで面白い番組を見たからだ。パプアニューギニアの大自然をレポートした番組だった。遠からず、パプアエリアに潜水行脚に生きたい私としてはしっかり録画予約しておいた。
番組では海は一切出てこなかった。秘境の密林ばかり。それもそのはず、極楽鳥の交尾が番組の中心だった。
その昔、パプアニューギニアのマダンという場所に潜水旅行に出かけたのだが、ホテルの敷地に極楽鳥が飼われていて、その美しさに圧倒されたことがある。
そんなわけで、海に関係ない番組だったが、内容の面白さに身を乗り出して見てしまった。
極楽鳥という名前自体が何とも大仰である。昔、交易用に輸送された際、脚が切り落とされていたことから、生涯、木の枝に止まらずに風に乗っている鳥だと言うことで命名されたらしい。
極楽鳥といってもその種類は様々。でも多くの種類が色彩や飾り羽根の存在など、得も言われぬほど神秘的な姿形をしている。その神秘性もあって昔の人は「極楽の鳥」と名付けたくなったんだろう。
極楽鳥の特徴は、いわゆる独特の求愛ダンスにあるそうだ。BSの番組もそれが主眼だ。世界で初めてある特定種の求愛ダンスの撮影に成功したことがハイライトだった。
テレビ画面を撮影したので雰囲気は全く伝わらないが、それはそれは涙ぐましいオスの頑張りに切ない気分になった。
画面下にいるオスは逆さまになって腹の飾り羽根をテロテロ光らせたり、妙なポーズを取ったり、精一杯メスにアピールしている。
この種類に限らず、極楽鳥のオスは、ただ漫然と求愛ダンスをするわけでなく、飾り羽根を広げたり揺らしたり、変な格好になって自分を大きく見せたりと、御苦労極まりない奮闘ぶりだ。
なかには、ダンスを始める前にせっせとその場の掃除に励むオスもいる。自分の姿形を美しく見せるために、周囲に落ちている枯れ葉や目障りな新芽などを時間をかけて取り除き、メスを呼ぶ。そこから必死にダンスに精を出すわけだ。
メスが近くまで寄ってきて、オスを観察しても、ぷいっと飛び去ってしまうこともザラだ。
メスに逃げられたオスの何とも言えない表情をテレビカメラは追う。残酷である。いや~実に哀しい目をしている。本気でオスに同情した。
生き物たちの交尾にかける必死さは凄まじい。「必死さ」と表現したが、それこそカマキリのオスなんか交尾中に相手から食われて死んでいく。それも頭からガリガリ食われて死んでいく。
想像していただきたい。
薄明かりのムーディーな部屋で、思いを寄せた相手と、いよいよその時を迎える。いい感じにコトは進み、へこへこ腰を振っていると、相手が豹変して、ガリガリと頭から食われ始める。
そういうことである。ホラーである。
カマキリもDNAでそんな事態になることは分かっているはずだ。それなのに交尾のためにいそいそとメスに近寄っていく。
頭を食われた後でも交尾をやめないオスの動画を見たことがあるが、あれは壮絶だった。生まれ変わってもカマキリのオスにだけはなりたくない。もし、そんな事態になってもメスに見向きもしないオカマで堅物なカマキリになりたいと思う。
話は変わる。働き蜂も働き蟻も、そして女王サマもみんなメスなんだとか。オスの親分は存在しないし、ミツバチに至っては、オスは交尾のためだけに現れ、コトが済んだら、メス達に攻撃されて追い出され、とっとと死ぬらしい。
想像していただきたい。
ハーレムのように女性だらけの場所に招待されて、ちやほやもてはやされてコトに及んだとする。プレイボーイ創刊者・ヒュー・ヘフナー氏のようだ。酒池肉林である。
ところが、無事にコトを果たしたら、女性達から罵倒され、足蹴にされ、裸のままで寒空の下に放り出されて死んでしまう。ホントの昇天である。オーマイガッである。
心からオス達の冥福を祈りたい。
海のアイドルであるクマノミもある意味、オスには残酷な生態だ。イソギンチャクに大小何匹も仲良く暮らしているように見えて、あれも驚異的な女性天下である。
一番大きいのがメス。2番目のサイズがオスで、親分メスが死ぬと、オスは性転換をして、新たな親分メスとして生き始める。
想像していただきたい。
子供も育って賑やかに家庭円満に楽しく暮らしていたとする。何かの拍子にお母さんが死んでしまう。夫、すなわちお父さんは悲しみに暮れる暇も無く、お母さん役を担わされる。そこまでは仕方が無い。
ここからが問題だ。ついでに大事な部分をチョン切られ、身も心も女になって生き直せと言われるわけだ。
なんともオスをバカにした話である。
げに哀しきオスの人生である。
そう考えると、人間界の情交をめぐる駆け引きなんて甘っちょろいものなのかもしれない。
でも、この世においても、危険というか、魔の手はたくさんある。私自身、マヌケな経験だらけだ。安易に変な女性に近づいて、とんでもない思いをしたこともある。因果応報である。
男のアホさとか、男の業のようなものを上手に消化してこそ大人なんだろうが、どうもそのへんがスマートにいかない。
なんだかんだ言っても、カタブツとして日々を暮らした方が平和なんだと思う。