「歴史の法廷に立つ覚悟があるのか」。ノーベル賞受賞者で理化学研究所理事長の野依良治氏が“事業仕分け”を厳しく批判した。
次世代スーパーコンピュータをはじめとする先端技術を外国から買ってくればいいとの一部の声に対してご立腹の様子。
最先端技術を外国から買ってくることは、その国への隷属を意味するという趣旨の野依氏の主張には、専門家ならではの迫力を感じる。
正直、根っからの文系人間である私は科学技術のことはチンプンカンプン。予算の何がムダで何が必要なのかサッパリ分からないが、野依さんのような識者が国のあり方を問う場面が増えることは素直に良いことだと思う。
「世界水準をしのぐ科学技術なくして、わが国の存在はない。小手先の政策では国は存続しない」というのが野依さんの考え。確かに資源がない以上、その主張は正論なんだろう。
確かに科学技術予算ともなると門外漢にはムダなコストと思われやすい。削減ありきの作業を担当する「仕分け人」のポジションから見れば厳しい指摘が続くのも仕方ない。
事業仕分けの必要性は誰もが理解している。その一方で、単なる役人イジメの儀式になっていたり、結論だけが先走って結論に至るまでの背景が無視される問題もある。
先日は元宇宙飛行士の毛利衛さんも事業仕分けの洗礼を受けて不満たらたらだったし、先日は東京大学などの旧帝大系7学長らが事業仕分けに批判の声を上げている。今後もさまざまな課題が噴出しそうだ
1円のムダも許さないという意味では事業仕分け自体を否定することはできない。基本的には大事な作業だ。
ただ、それ以上に副産物ともいえる効果も見逃せない。ノーベル賞学者や宇宙飛行士など特殊かつ専門分野のマイスターが国の政策に声を上げはじめたことに大きな意味がある。
こうした「スペシャルな人々」は、どこか俗っぽいことに口を挟まないような風潮がある。政治や国の在り方をどうこう指摘するような“文化”はなかったが、事業仕分けという荒っぽい“敵”が登場したことで持論を展開せざるを得なくなったわけだ。
専門分野でスペシャルなポジションを築いた人達の感覚や教養は専門分野以外にも活かされて然るべきだ。
話はそれるが、小学校時代の旧友で若くして東大教授になった解剖学者がいる。ひょんなことで彼の著書を読んでいて、国の予算措置に関する考え方に異を唱えていたくだりに凄く説得力を感じたことがある。経済学者、財政学者よりも解剖学者の彼の着眼点に敬服した記憶がある。
その道の専門家だけでその範囲のことを議論するより、ひとりの門外漢の存在が、がらっと転換させるきっかけになることだってある。
「スペシャルな人」ですら声を上げざるを得ない事業仕分けの登場で、国の予算の在り方に多くの人が関心を寄せるようになったことは、ある意味、事業仕分けというパフォーマンスの最大の功績だろう。
あらゆる分野の有識者が予算を通して国の在り方を議論するきっかけになれば、それだけで事業仕分けの存在価値はある。
2009年11月30日月曜日
門外漢
2009年11月27日金曜日
耳そうじの話
今日はそれなりに汚物系の話です。ご容赦。
私は耳そうじをしない。厳密に言うと出来ない。耳の中に棒を突っ込んでホジくるなんて恐ろしくて不可能。
誰かにやってもらうなんてもっと恐い。どんなに素敵な女性の膝枕だろうと耳をいじられるのはダメ。
耳にキスされたり、舐められるのは声が出ちゃうぐらい嬉しいのだが、耳そうじはダメ。
癒し目的で個室にこもって女性に耳そうじをしてもらう変な商売があるらしい。私にとっては信じがたい。拷問と同じだ。
信頼関係の無い見ず知らずの若いお姉さんに耳の穴をさらすなんて、下半身をさらけ出すより恐いことだ。想像しただけでゾッとする。
そんな私は結局、不定期で耳鼻科に行く。
耳鼻科の医者「今日はどうしました?」
私「どうもしませんが、耳そうじをお願いします」
こういう感じだ。耳そうじのためだけに待合室で長く待たされるのはつらい。でも、耳そうじのためだけに来ているんだという変な自負もまた楽しい。「オレなんか病気じゃないだぜオーラ」を出しながら雑誌を読んで順番を待つ。
耳鼻科の耳そうじは何よりもホジくらないから嬉しい。恐くて目をつぶっているので、どんな道具を使っているのか知らないが、どうやら細い道具で耳垢をつまみとっている感じだ。だからゴソゴソと不快な音もしないし安心確実だ。
そうは言っても自己負担3割の健康保険を使っても1000円ぐらい取られる。耳そうじに1000円払って国家財政からもそれ以上の金額を支出させている。富豪っぽい感じだ。
私の場合、幼い頃、祖母にしつこく強引に耳そうじをされた時の恐怖の記憶が今も残っているのだと思う。それが耳そうじトラウマの原因だ。
ちなみに耳そうじに必ず行くのは潜水旅行の前だ。その昔、耳垢のせいで水が抜けないまま耳垢が膨張(汚い話でスイマセン)、片方の耳が完全に聞こえなくなった経験がある。
その時は薬で溶かしてすごい勢いの流水を耳に流し込まれて溶けた耳垢を除去した。結構厄介だった。
先月終わりに沖縄に行ったのだが、出発前に耳鼻科で耳そうじをしてもらった。にもかかわらず沖縄では片方の耳の水が抜けずにちょっと気になっていた。
その後、すっかり忘れていたのだが、先日、突然、ゴソゴソと小さな耳垢の固まりが出てきた。なんか色が変。血が混ざっているような感じ。奥方様と娘に聞いてみたら、やつらも「血だ!」とか「ヒエ~」とか言っている。
そういえば、沖縄の海でも相変わらずサイナス(副鼻腔)の抜けが悪く、無理やり抜いて潜っていたから炎症でも起こしたのだろうと想像する
近々、潜水旅行の予定があるので、耳から血を出しているようじゃ何かとまずい。血の臭いに敏感な鮫に喰われちゃうかも知れない。慌てて耳鼻科に行った。
医者は何やら道具を突っ込んでゴソゴソ。結局血ではなかった。海での汚れとか、そんな程度の話だった。
耳鼻科の医者が言う。「こんなにたくさん取れました」。おいおい、先月アンタがちゃんと耳そうじしたはずじゃないか!と言いたいところを我慢して、もう一方の耳も見てもらう。
「こっちは全然汚れていませんね。先月取りましたもんね」。
そりゃそうだ。結局、問題の耳は1か月前にその医者が取り損ねた耳垢が尋常じゃないほどの量だったということ。
それでも再び1000円ぐらい払わされた。ちょっとシャクだ。
耳垢の話を長々と書いてスイマセン。
2009年11月26日木曜日
尿酸値上昇中
珍味系をしばし我慢しないといけない。血液検査の結果が良くなかった。まあそんなに厳密に規制するわけではないが、少しは自粛だ。
今回の結果は案の定、“珍味ダイエット”をしっかり反映したものになった。
γ-GTPはなぜか低値安定でいい感じ。100ちょっとだ。一応70以下が基準らしいが、一番高い時で200に近い数値だったから充分健康だ。アルコール方面じゃない肝臓の数値は適正範囲。よしよし。
尿酸値、総コレステロールが今回は当然高い数値になってしまった。痛風予備軍の高脂血症オヤジだ。
とはいえ、尿酸値は想像よりは低く7.9という結果。8.6が自己最高記録だからたいしたことはない。
一応、8を超えると痛風発作がいつ出てもおかしくないらしい。少し注意しないといけない。さすがに鶏の白レバ刺しを山盛り食べるのはしばらくお預けだ。
珍味ダイエットのせいで改善された数値もあるわけだから自分なりには納得の結果だ。ただ、ちょっと気になるのは肺のCTの結果だ。
「今回もまた気腫性の変化が・・・」とか言われた。「今回もまた」というのが引っかかる。去年から指摘されていたらしいが私には記憶がない。
そういえば、昨年はCTの結果を聞いていなかったことに気付いた。多分検査を受けただけで満足したのだろう。診断結果画像は送られてきた記憶があるが、放置したままだったようだ。反省。
肺気腫とか言われると結構びびる。私の場合、その入口みたいな状態らしい、俗に「たばこ病」と呼ばれるCOPDの予防告知ポスターを思い出した。
酸素ボンベがないと呼吸できなくなった人がつらそうな様子で禁煙を呼びかけるポスターだ。よく病院とかに貼られている。
ただでさえ年齢とともに肺の機能低下は顕著になるらしいから、ヘビースモーカー歴が長かった私としては残りの人生は綺麗な空気を沢山吸わないといけない。
一応、肺に吸い込むタバコはやめたのだが、葉巻とは相変わらず大の仲良しだ。ふかすだけと言いながら少しは吸ってしまう。
ちょこっと吸い込む感じが堪らないのだが、酸素ボンベ生活はイヤだ。ボンベは水中撮影の時だけで充分だ。葉巻との付き合い方も考えないといけない。
それにしても検査結果を何気なく聞き流していた若い頃と違って、一生懸命に耳を傾け、真摯に対応しようという意識が出てきたことが切ない。そんなもの気にしない「無頼な男」になりたいものだが、つくづく自分が臆病な凡人だと痛感する。
昨夜、無性に寿司屋に行きたかったのだが、珍味を避けるために結局トンカツ屋に行ってしまった。
つくづく小心者だと思う。
2009年11月25日水曜日
上海ガニ 美食菜館
カニを食べる頻度が相変わらず多い。自宅の隣駅に貴重な魚屋を見つけたことがきっかけだ。安い魚屋なのだが生きたままおがくずに埋まっている毛ガニを常備している。
おまけに安い。一ぱい800円とかで買えたりする。ちょろっとした刺身より安い。
どこの馬の骨か分からない毛ガニでも、さすがに生きたまま茹でると美味しい。小ぶりでミソは少ないものの拾いもんだ。
生きているとはいえ弱っているので、おがくずから出す時に抵抗するものの水道水をジャーとひっかければすぐに瀕死状態だ。
たっぷり塩を入れて沸騰させた大きめの鍋に投入する。投入した瞬間、恨めしそうに私を睨みながら身体をピクッとさせてご臨終。
心の中で謝る私。せめてもの供養にスミからスミまで食べ尽くすことを誓う。
大きめのハサミで適当にカットして、あとはカニフォークを駆使してホジホジするだけだ。一応、調理したような気分も味わえる。
小ぶりなヤツなら2杯同時に茹であげて食べれば、ちょっとした富豪気分も堪能できる。
残った殻は奥方様が味噌汁の出汁に使用することが多い。とことん利用し尽くすことが、煮えたぎる熱湯の中で私を睨んでいた毛ガニへのマナーだ。
カニといえば、やはり冬の日本海のズワイが最高だと思う。越前ガニだ、間人ガニだ、松葉ガニだなどなど騒々しいが、全部同じようにウマい。
とはいえ、ウン万円もするので、さすがにお手軽感がない。上物のズワイは間違いなく日本のカニ料理の最高峰に位置するが、だからこその大げさな感じがうっとうしい時もある。
カニを日常食としたい私としては、季節限定のスーパースターも魅力的だが、いつも馴染みの安い毛ガニへの義理も欠かせないって感覚だ。
季節限定のカニといえば上海ガニだ。和食系の店で呑むことが多い私としては、ついつい上海ガニの存在を忘れがち。もったいない。
紹興酒漬けのカニミソをすする感じは他のカニとはまったく違うエロスの世界に導いてくれる。
今年の初物をひょんなことで食べた。
旧友が経営する溜池山王の「美食菜館」でチューチューとすすりまくった。
この店、近隣のオフィス客需要で繁盛しているようだが、旧友たちのたまり場的な一面もある。お客さんのなかにはわが母校の卒業生も結構多く、私の学年を基準にすると上は20年先輩、下も10年以上の後輩まで出没するらしい。
私も同窓の会合の際に利用しているが、いつも旧友達と飲む時は、ザーサイと餃子と焼きそばあたりが中心。それぐらいしかメニューが無いのかと思っていたが、さすがにそんなことはなかった。
メニューは多種多様。上海ガニもちゃんとあった。
その日、たまたま客人と会う予定があり、合流場所が溜池あたりになったので、会食場所を「美食菜館」にした。客人と行った以上、ザーサイと餃子だけというわけにはいかない。いろいろ食べた。
フカヒレだの海老だの牛だのアレコレ食べたが、“酔っぱらい上海ガニ”が絶品だった。いい塩梅に漬かっていて黒いタマゴとオレンジのミソがたっぷり。
すっかり悩殺された。客人の真面目な話を右から左に聞き流しチューチューする。客人も私が話すいい加減な話を聞き流してチューチューしている。
紹興酒をグビグビ。そりゃ相性バッチリだ。
9月から始めたダイエット生活だが、最近は、だいぶテキトーになってしまった。結構食べちゃっている。
もっとストイックにならないといけないのだが、この季節は、私の秘術?であるカニダイエットは上海ガニを素材にしてみようか。
普通に蒸したやつと酔っぱらいガニを両方頼んでホジホジする。それ以外は、クラゲとか蒸し鶏なんかをつまんでいれば低カロリーで済む。
それにしても最近やたらと身体が冷える。普通じゃない。どうもカニの食べ過ぎが原因みたいだ。
2009年11月24日火曜日
シャリ抜き
江戸っ子の粋を体現する場所のひとつが蕎麦屋。注文の仕方、汁のつけかた、すすりかた等々ウンチクがいっぱいある。
「天ぬき」もそんな素材のひとつらしい。天ぷら蕎麦の天ぷら抜きではない。それじゃ「かけそば」だ。あくまで蕎麦を抜くのが天ぬき。汁に天ぷらだけ。
酒のつまみにポピュラーだったらしい。ウソかホントかその昔は、その店で馴染みにならないと天抜きを注文するのは無粋なことだったとか。
粋だ無粋だというジャンルではなさそうだが、関西でポピュラーな「肉吸」も麺を抜いちゃう意味で同様のメニューだ。
肉うどんのうどん抜き。卵入りだとかどうだとか関西人には色々とこだわりがあるらしい。東京人の私にはあまり縁がない。
カツ煮も同様な位置付け。カツ丼の上だけ。すなわちカツ丼のご飯抜きだ。私も草野球に熱中していた30代前半の頃は、試合後に立ち寄った蕎麦屋でいつもカツ煮で生ビールをグビグビしていた。
そう考えると幅広い料理に「抜き」という食べ方が潜んでいるのかも知れない。人それぞれ独自の「抜き哲学」があるのだろう。
噂によるとマクドナルドで「ピクルス抜き」、とか牛丼屋で「ネギ抜き」を頼むのは珍しいことではないらしい。実際に試した人がいるかどうかは知らない。
ダイエット中は私もハンバーガーの「パン抜き」を断行する。とはいえ、そんな注文は恥ずかしくてできないから、普通に受け取ったあとで、こっそりパンをどかして中身だけ食べる。
出前ピザの「生地抜き」も私の得意技だ。Lサイズを注文、それも当然トッピングを追加してダブルチーズだ。食べる時にはフォークが必需品。生地を残して上だけを剥がして味わう。
カロリーが相当抑えられる。それ以前にドーンと重くないので沢山食べられる。
贅沢なので少し富豪気分も味わえる。
さて今日はなぜ「抜き」の話を取り上げたかというと、ここ2~3か月まともに寿司を食べていないことに気付いたから。
お寿司屋さんに行くこと自体は以前より多いぐらいだ。でも、握りは1貫か2貫しか食べていない。まったく粋ではない。でも、こういう状況を寿司の「シャリ抜き」と呼ぶのかもしれない。
画像は高田馬場の鮨源でちまちまつまんでいたラインナップの一例。白子にウニイクラ、シャコツメのおろし和え。それぞれシャリに載っけたら違う美味しさがある。
食べたい。
考えてみれば、お寿司屋さんにいる以上、普通の刺身も注文の仕方を変えてみようかと思う。
「赤身とヒラメを少しづつ、シャリ抜きで!」
「ネギトロ巻き、シャリ抜きでね!」
結構いいかもしれない。
今度やってみよう。
それにしても下らないことを考えている自分にイラつく。空腹すぎるのだろうか。
2009年11月20日金曜日
恋の奴隷
昨日書いたカラオケ屋での話の続き。「オザキ」をリクエストされたから「尾崎紀世彦」の歌を熱唱する私。同席オヤジから微妙に核心を突いた指摘をされた。
「不倫の歌ばかり選びますねえ」
そうかもしれない。なんかその手の歌が好きみたいだ。現時点で不倫関係の人がいるわけではない。
募集中だ。
♪愛~しても 愛しても 嗚呼~人の妻♪(大川栄策の「さざんかの宿」)という歌詞みたいにあまりにストレートな不倫の歌は感心しない。
もっと切ない感じがいい。たとえば、サザンの「LOVE AFFAIR」で描かれる次のような世界だ。
♪愛の雫が果てた後でも何故にこれほど優しくなれる♪
実に深い歌詞だと思う。まあそんな心情は長く続くものではない。とはいえ、そんな心情になること自体が不倫関係の不思議な魔力なのだろう。
我が敬愛するハマショーにも似たような歌詞の曲がある。
♪抱いても悲しくて 果てても寂しくて♪(BREATHLOVE LOVE)
いやはや男性的な不倫感覚は「竹内まりあ」あたりが歌い上げる女性的不倫感覚の世界とは微妙に違う。
男だから言うわけじゃないが、男のほうがイジらしい感じがする。
不倫という言葉の定義は曖昧ではあるが、いつのまにか“火遊び”や“浮気”も含まれるようになった気がする。
火遊びも浮気もしょせんは定義付けは難しいが、これらはやはり不倫と呼ぶにはパンチに欠ける。
やはり「不倫」というからには大川栄策が心底つらそうに熱唱しているような顔付きにならないといけない。
楽しいイメージだとダメだ。一応、“犠牲者”がいる以上、ハッピーな感じは表面上は避けたい。
どうも不倫方面に話がすべっていきそうなので歌の話に戻る。
いにしえの昭和歌謡にも不倫を前提とした名曲がいくつもある。弘田三枝子の「人形の家」なんて実に切ない。
♪ あれはかりそめの恋
心のたわむれだなんて
なぜか思いたくない
胸がいたみすぎて
ほこりにまみれた 人形みたい
待ちわびて 待ちわびて
泣きぬれる 部屋のかたすみ
私はあなたに 命をあずけた ♪
かなりドラマチックだ。イマドキの歌とは違って想像力をかき立てるような広がりを感じる。
さてさて不倫業界?の頂点に位置する名曲中の名曲といえば「ホテル」だろう。ビミョーな男性演歌歌手達が競作して大ヒットした。
高校生だか大学生だった私が、家族に連れられて行った団体旅行の移動バスのなかで、ガイドさんに勧められるがままにアカペラで熱唱してバス中をしーんとさせてしまった曲だ。
♪手紙を書いたら叱られる
電話をかけてもいけない
ホテルで会ってホテルで別れる
小さな恋の幸せ
ごめんなさいね 私見ちゃったの
あなたの黒い電話帳
私の家の電話番号が男名前で書いてある
奪えるものなら奪いたいあなた
そのために誰か泣かせてもいい
奪えるものなら奪いたいあなた
一度でいいからあなたの肌に
爪をたてたい♪
この歌、2番の歌詞では、「あなたの家の日曜日」をこっそり見に行ってしまうから困ったものだ。「あなたは庭の芝を刈っていて、奥で子どもの声がした」のだから悲惨。
見にいった方も見られた方も大変だ。
それにしても「ホテルで会ってホテルで別れる」って凄い関係だ。現実の世界では無くはないのだろうが、一般人の世界では珍しいはずだ。私もそんな経験はあまりない。
ところで、昭和歌謡といえば不倫に限らず、男心をくすぐる女性像を描いた名曲がたくさんある。当時の女性がそういうタイプばかりだったはずはない。しょせんは男性作詞家が描いた世界。すなわち、男性側の願望みたいなものだ。
私が子どもの頃に衝撃を受けた歌詞が奥村チヨの「恋の奴隷」だ。とにもかくにも凄い歌詞だ。
♪あなたと逢ったその日から
恋の奴隷になりました
あなたの膝にからみつく
小犬のように
だからいつもそばにおいてね
邪魔しないから
悪い時はどうぞぶってね
あなた好みのあなた好みの
女になりたい
あなたを知ったその日から
恋の奴隷になりました
右と言われりゃ右むいて
とても幸せ
影のようについてゆくわ
気にしないでね
好きな時に思い出してね
あなた好みのあなた好みの
女になりたい ♪
いやあ、こんな女性がいるはずもないが、単純な男心的には無条件にはまる歌詞だ。
ある意味、こんな歌が一世を風靡した時代がうらやましい。ジェンダーとかなんとか騒々しい昨今なら、女性団体の抗議必至って感じだ。
ちなみにこの昭和歌謡は3曲とも作詞者は「なかにし礼」。
偉人だ。
人間国宝に指定しても良いと思う。
2009年11月19日木曜日
カラオケボックス文化
仕事関係のお付き合いでカラオケに行った。友人以外とこういう場に来るのは退屈だ。
一応楽しそうな顔はするが、今更ムード歌謡を聴きたくないし、ましてや「キム・ヨンジャ」とか「ケイ・ウンスク」を歌われてもつらい。
相手方がそういうラインナップだと、こっちもしょうがないから昭和歌謡中心でしのぐ。
「副社長、古い歌ばかりじゃなくて“オザキ”とか歌ってくださいよ!」とか言われた。仕方なく「尾崎紀世彦」の歌をたくさん歌った。
こっちの“尾崎”は、私が幼少の頃のスーパースターだ。母親が運転するクルマの中でしょっちゅう聴かされていた。おかげで尾崎紀世彦の歌はかなり歌える。
このほか、加山雄三と越路吹雪の歌が母親のクルマシリーズで覚えた御三家だ。立派な中年オヤジになった今でも影響が残るのだから幼少時の音楽教育?は大事だ。
最近、新しいiPodを買ったので、古いものを娘にあげた。700曲程度入っているのだが、娘が気に入って熱唱しているのがジェロの「海雪」と冠二郎の「炎」だ。彼女の行末が少し心配だ。
尾崎紀世彦の話に戻る。最近ああいう絶対的に歌が上手い歌手が少なくないだろうか。
布施明、松崎しげる、女性歌手だと岩崎宏美あたりの“これぞプロ”というような圧倒的歌唱力の歌手が活躍する場面がない。
たとえ上手な歌手相手の楽曲提供でもカラオケでの普及を意識して難しい歌が作られなくなったらしい。誰でも歌えるような歌ばかり。
聴かされる方としてはなんか損した気分だ。氷川きよしも歌は上手いのだろうが、平坦なメロディーの曲をただ声を張り上げて歌っているようにしか聞こえない。
その昔の名曲である美空ひばりの「乱れ髪」あたりはまさに圧倒的歌唱力がないと歌えない曲だ。歌手と曲自体を尊敬したくなる。そんな歌が最近ちっとも聴けない。
素人がカラオケで上手く歌えるような歌もいいが、聴いている側が圧倒されるような曲とそれを歌いこなす歌手が活躍してほしい。
最近の歌手では、絢香とか平原ナントカという女性なんかが歌唱力で評価が高いらしい。何度かテレビで聴いたことがあるが、いにしえの「ちあきなおみ」とか「朱里エイコ」あたりの表現力たっぷりの実力派シンガーに比べれば話の外だろう。
気のせいか最近の歌手の世界ってカラオケボックスの中で仲間相手に熱唱し、「うまいね~」って誉められているようなイメージがある。
あくまでカラオケボックス文化みたいな感じがする。“ステージで大向こうをうならせる”的な雰囲気や表現力を感じない。
幕が開いてスポットライトが当たってスパンコールをきらきらさせながらもの凄い存在感で歌い上げる“リサイタル”みたいな世界が見てみたい。
なんか今日は勝手な思い込みだけで書き殴ってしまった。
単なる私見です。
2009年11月18日水曜日
閉じこもる
年に一度の健康チェックの一環で肺のCT検査に行って来た。池袋のホテルの地下テナントにあって、わずか20分ほどで受付から検査、支払いが終わった。実に楽ちん。
CTとかMRIを受ける機会が年齢とともに増えてきたのだが、正直言ってチョット恐い。閉所恐怖症気味なので、ジッと動かずにカプセルのなかに閉じこめられる感覚が苦手だ。
今回受けた検査の機器は“閉じこめられ感”を感じないタイプだったので問題なし。それでも一応、目をつぶってヒワイな想像とかをしながら気をそらした。
25年以上の喫煙歴があって、禁煙に成功したとはいえ、葉巻は別物とばかりに毎日のようにプカプカしている私にとって、肺の検査は必要だ。何も問題ないことを祈ろう。
ところで閉所恐怖症的な性格って結構不便だ。今回もいつも診てもらってる医師に、たまには脳ドックをすべきかどうか相談したところ、閉所恐怖症の傾向がある人には無理だとズバッと言われた。
きっと顔を中心に“閉じこめられ感”が強いのだろう。そりゃあ無理だ。でも本当に検査が必要な時にはどうすればいいのだろう。
ちなみにわが家にある2カ所のトイレは普通より広めだ。狭いと恐いのでなんとかスペースを確保してゆとりを持たせた。
泥酔、酩酊、もうろう状態で便器を抱えて眠る夜には狭すぎないスペースが有難い。同じ吐くにしても気分がいい。
話は変わるが、長年のダイビング歴の中でもトンネル系、穴系のポイントを潜るのは嫌いだ。可能な範囲でパスしたり迂回する。何が楽しくて薄暗いところに行くのだろう。
美女とのベットじゃあるまいし。
閉所というわけではないが、真っ暗闇も苦手だ。その昔、パプアニューギニアの野趣あふれる宿に泊まった時のこと。スコールが来て停電。真っ暗。
厚い雲のせいで当然月明かり星明かりもない。本物の闇だ。ただただ恐くて、ヤケドするほどずーっと100円ライターを着けていた。
長野の善光寺でもイヤな思い出がある。本堂で体験できる「お戒壇めぐり」があそこの“名物”。秘仏である本尊の安置してある地下に下り、暗闇の中にある極楽の錠前を触ってくるという趣向だ。
何も見えず何も聞こえない暗闇の中をただ錠前を見つけるためだけに歩く。よせばいいのに挑戦して、途中で半分パニック状態になった私だ。来た道を猛烈な勢いで逆走した経験がある。
当然、暗闇の中で後からやってくる観光客にバンバンぶつかる。ぶつかられる方もビックリだろうが、こっちはパニクってるわけだからお構いなしに逆走。
錠前に触れることが出来たら極楽に行けるらしい。ということは私は地獄行きなのだろうか。仏教徒をやめてキリスト教とかに宗旨替えすれば助かるのだろうか。真面目にイヤな思い出だ。
「まっくらやみのエンターテイメント、ダイヤログ・イン・ザ・ダーク」というイベントが根強い人気らしい。
http://www.dialoginthedark.com/
私から見れば単なる悪趣味だが、結構ファンはいるそうだ。本当の闇の中で研ぎ澄まされる五感を体験するというのが目的なんだとか。
私としては「結構ですから」としか言えない。
CT検査の話が随分とそれてしまった。オチも結論もなくてスイマセン。
2009年11月17日火曜日
銀座 平田牧場
ダイエットが怪しくなってきた。帝国ホテルのバイキングで暴食した話は先週書いたが、その後、ついに、禁断の「トンカツ」にも手を出した。
バイキングドカ食いの翌朝、体重計に“さほど”変化がなかったことが私を勇気づけた。
「いよいよトンカツだ」。私の心に住む悪魔が囁く。
銀座のシガーバー「コネスール」にはちょくちょく葉巻の補充や時間つぶしに出かける。コネスールは最近移転したようだが、この夏、コネスール旧店舗の隣に「平田牧場」がオープンしたのを知って、ずーと気にしていた。
上手なブランド戦略で人気上昇中の豚専門店だ。私がうろつくエリアに出来たのならぜひ行かねば。そう思っているうちにダイエッターとしての日々が始まり、「トンカツおあずけ状態」が続いていた。
なんだかんだいって、ベルトの穴も3つ減ったし、自分の中のダイエットルールが日に日にゆる~くなったので、ついに出かけてみた。
人気店の割には空いていた。一人でものんびり酒を飲んでいられそうなカウンターの他にテーブル席がいくつかあって、奥には掘りごたつ式の座敷もあった。
オープンしたてだから当然キレイで快適。メニューがまた嬉しい。豚ばかり!。食事より酒重視で訪ねても結構楽しめそうだ。
平田牧場自慢の豚を使った角煮やら味噌漬け焼きやら生ハムやモツ煮やソーセージやメンチカツなんかがメニューに羅列されている。全部食べたい。
味の濃いパンチェッタを使ったシーザーサラダ、モツ煮、角煮あたりをつまみに焼酎をグビ、ビールをグビ。幸せだ。
メンチカツがやってきた。ジューシーだ。ハイボールをもらってグビグビ。身体に脂が染み渡る感じだ。久しぶりの快感だ。
さてさてメインのトンカツ。これがまた色々種類がある。三元豚と金華豚の2種類があって、それぞれロースとヒレが用意されている。それも厚切りとか特厚とかの種類がある。
私が注文したのは金華豚の棒ヒレというシロモノ。火の加減が良い感じ。うっすらピンク。脂分の少ない肉だが、しっとり感があって旨味が詰った感じ。揚げ方と衣はともかく肉質はさすが。何切れでも食べられそうな感じ。
同行者の選んだのは金華豚の特厚ロース。端っこの脂が悩ましく光っている。セクシーギャルに手招きされているような錯覚を覚えたが、一応ダイエッターなので、味見をしないで我慢我慢。
一応、12キロほどの減量に成功したのだからトンカツぐらい食べてもバチはあたらないだろう。
これでも脂身を敬遠し、トンカツソースも普通より気持ち少なめに使った。すりゴマも敬遠した。偉い。
実にいじらしい。なんてったって最後のご飯を食べなかったのだから立派なものだ。
翌朝、体重を測ったら“さほど”変化はなかった。
バイキングの翌朝も“さほど”変化がなかったわけだが、この“さほど”の積み重ねを甘く見てはいけないのだろう。
でも、そろそろウマイもの達の前に全面降伏する日が迫っているような気がする。
2009年11月16日月曜日
民主党はカルト?
「恵まれた家庭に育ったもんですから、自分自身の資産管理がずさんだったことを申し訳なく思う」。ハチャメチャ、かつ歴史的なお粗末弁解が日本国の総理大臣の口から出た。資産報告書の5億円にも上る修正に関しての弁だ。
怒りとか呆れる感覚とは違う不思議な不気味さを覚えた。そりゃそうなんだろうが、あまりにトンチンカンな言い分だ。
野党党首として精力的に動き回り、政権交代を実現させた清廉イメージとそのイメージをベースにして語ってきた数々の言葉もこうなると信用しろと言うのが無理な話。
政治資金団体への故人献金問題しかり、株式売却にともなう所得の無申告しかり、鳩山首相のカネに対するルーズさは一種異様だ。
しまいには“お金持ちだから細かいことは知らない”と居直る精神性も異質だ。
民主党の体質も不気味だ。健全な民主主義政党なら堂々とトップに対して糾弾、批判の声が上がって然るべき。総選挙を圧勝させた大将だからモノが言えないというのならロクなもんじゃない。それじゃあカルト的な危険な集団だろう。
選挙に勝って新しい政治を切り開こうという話と政治家としてのルールを思い切り逸脱している現実は分けて考えないとダメ。
内部から批判の声ひとつ聞こえてこない現状こそが民主党という政党の未成熟ぶりと頼りなさを象徴している。
テレビや大新聞の追求姿勢にも多分に問題がある。高支持率の首相を叩けないわけではないのだろうが、体質的に「疑獄」とか「贈収賄」に該当しないから追求姿勢は弱い。
あらゆる分野の政策、とくに経済政策が大きく変わろうとしている今、税負担、社会保険料負担がこの先どうなるか、「普通の人」は真剣に考え、やりくりに苦慮している。
数万円、数千円単位の変化に敏感な大半の国民を前に、リーダーは平気で億単位のポカをして、それを自分のおぼっちゃん育ちのせいにする。間違いなく異常な事態だと思う。
2009年11月13日金曜日
帝国ホテル
日本ではじめて“バイキング”を取り入れたのが帝国ホテルだが、いまもその矜持が強いのか、バイキングレストランの評判は高い。
先日、内視鏡検査で胃にも腸にも異常がないことが判明した。バンザイだ。そのほかの各種数値は血液検査の結果待ちだが、ポリープちゃん不在という事実は充分に私を興奮させてくれる。だから帝国ホテルのバイキングに行ってきた。
内視鏡検査は京橋の近くにあるクリニックで実施。昼の検診だったので、当然午後まで絶食状態は続いた。検査結果良好との結果を聞いた途端、倒れるほどの空腹感を感じたので帝国ホテルに飛び込んだ。
空腹と喜びがピークに達すると何が食べたいとかどこで食べたいではなく、「何でも喰いたい」という一心になる。
だからサラダまで大盛りにして食べてしまった。普段は「草」と呼んでさげすんでいるのだが、この日は美味しく感じた。
午後から仕事があったので、ノンアルコールビールをグビグビ。
サラダ以外に食べたものを列挙してみる。
ニシンの酢漬け、サーモンのグリル、ポテトサラダ、魚貝のマリネ、チキンのクリーム煮、白身魚のムニエル、ローストポーク、コロッケ、ピザ、なんとかのテリーヌ、ローストビーフパイ包み、エスカルゴ、ビーフシチュー、パスタ、ピラフ、タイカレー。
覚えているだけこんな感じだ。もっと食べたかもしれない。
少量ずつとはいえ、すべてムシャムシャ。ほんの少し前までカメラを突っ込まれていた私の可哀想な胃袋ちゃんからはいろいろな音がしていた。きっと突然のお祭り騒ぎに大喜びだったんだろう。
ところで、内視鏡検査では、検査当日の朝、1.8リットルもの下剤を飲むのがキツい。正確に言えば粉末の下剤を1.8リットルの水に溶かして飲むわけだ。
スポーツドリンクのように無理やり媚びたような味付けなのでまずい。いつも気持ち悪くなる。
今回、この気持ち悪さを改善する方法を思いついた。インスタントラーメンのスープをかやく抜きで作っておき、下剤ドリンクでつらくなった口の中に束の間の安らぎを与える方法だ。
内視鏡検査を受ける日の朝、食べ物はダメだが水分摂取は問題なし。ただ、薬味類を摂ってはダメらしいので、具も薬味もないスープなら問題ないわけだ。
いじらしくラーメンスープの助けを受けながら下剤ドリンクをやっつけることができた。
あまり真面目な性格ではない私は、1.8リットル飲むべきところ、1.5リットルぐらいで済ませて、誰も見ていないのにコソっと残りを捨てた。充分だろう。
充分だった。トイレ通いを的確にこなし、検査に向かったわけだ。
帝国ホテルのバイキングの話を書くつもりが、排泄方面の話題中心になってしまった。
スイマセン。
2009年11月12日木曜日
最強の交渉相手とは
交渉事に理論武装は欠かせない。“武装”などと大げさな表現をすること自体が何よりその証しだ。
ところが理論的には完璧でも、どうにもならない局面が現実の交渉事では起こりえる。
最強の交渉相手、難敵といえる存在が立ちはだかると理論などすっとばされる。
その難敵とは「無知の力」。これって交渉事において、ある意味最強だ。理屈、屁理屈お構いなし、自分の感情だけがすべての発想と言動の源。これは強い。
私自身、かつて経験した相続の渦中で、そんな経験をした。公正証書遺言だろうが、遺留分だろうが、民法だろうが、まったく関係のない世界で生きている人と話し合いを持ったが、それこそ宇宙人と会話している状態。恐るべし。
こうなると弁護士もその人間との交渉に及び腰になって逃げ出す始末。ヘタをすると理論派のほうが弱ってしまい、無知の力の前にひれ伏してしまいかねない。
無理が通れば道理引っ込む。まさにそういうこと。
最近、わが社が保有する保有資産の売却をめぐって似たような経験をした。
その資産は、いわゆる非上場株式。数十年前に何らかの成り行きで当時の取引先にわが社が出資した分だ。
保有していても意味がないので、先方の現在の経営者に引き取ってもらおうと考えたのだが、こんなシンプルな話がスムーズに進まない。
先方の経営者の方に「時価」の概念がない。「評価額」という考えもない。あくまで株式は額面がすべてと思っている。
はじめは先方の言い分が理解できなかった。そのうち、取引価格イコール額面金額と認識していることに気付いたので、先方さんのオトボケかと勘ぐってしまったほど。
でも話を聞き進めるうちに、どうやら本当にそういう感覚らしい。非上場中小企業には珍しく、その会社は同族経営ではなく、相続の際に高額で弾き出される株式評価額で苦慮した経験がない。
社員の退職時に持株を買い取る際にも、ずっと額面そのものでやりとりしてきたらしい。
社外株主の多くも物言わぬ端株株主らしく、これまで自社株をめぐる問題に遭遇したことがないようだ。
その会社は土地だけで十億円以上の資産を保有しているのだが、資産が株価に反映するという認識すらない。
「だって売れないですもん。。。」とか言っている。
「売れ」なんて誰も言っていない。「もし売ったら価値がどれぐらいか」という話なのにそんなノリだ。
お互い資産評価の専門家をたてて「時価」を弾き出したうえで、価格調整しようという単純な図式にコトが進んでいかない。
無知の強さに手こずっている。決して見下した意味で言っているのではない。本当に強敵だと思う。交渉の土俵に載ってもらえないというか、交渉の入口に立ってもらえない。
結局、ブラフのようなフレーズとかを言い出さないといけないのだろうか。ああ憂鬱だ。理屈と理屈で交渉できることなんてしょせん大したことではないのでは思えてくる。
人間って不思議なもので、こういう状況になると、自分自身が“悪い人”なんじゃないかと錯覚しそうになる。
理解できない話を難しい言葉を使って強引に説き伏せようとしている悪いオジサンみたいな感じだ。
相手側のつぶらなヒトミがそんな感じで私を見つめる。もう少し知識を持ってもらえば、こっちの言ってることが当たり前の理屈だと分かってもらえるのだが。
なぜかこっちがヒールみたいな空気。
変な話だが、やはり無知は最強だ。
2009年11月11日水曜日
珍味 尻 挿入
1年に1度の健康チェックに行く日が迫っている。口とお尻からカメラを挿入され、親にも見せたことのない内臓をジロジロ覗かれる。
ついでに前立腺をチェックしてもらったり、血液検査だの腫瘍マーカーだの一連のデータもとってもらう。
まあ人間ドックみたいなものだが、ほんの2~3時間ぐらいで済む。変な鎮静剤を注射されて意識を失っている間にすべて終わる。
今回は1年ちょっと間隔が開いたし、ポリープちゃん出現の恐れも捨てきれない。内視鏡でその場で切除してくれるのだが、ポリープちゃんのサイズによっては、その後1週間禁酒させられる。これが悩ましい。
今回の心配は、ポリープちゃんよりも尿酸値だ。ダイエットのためにせっせと珍味ばかり優先して食べてきた。大口開けてドカドカ食べないで済むものといえば尿酸値の高い珍味系しかない。そのツケはどんな数値として出るのだろうか。
だから、ここ数日もせっせと珍味を摂取している。ドクターストップの恐れが近づいているのなら今のうちに食べておかないといけない。
イクラとかアンキモとかボタンエビとか白子とかカラスミとか、そんなものばかり
だいたい、医者に診せるから悪い箇所が発覚するのであって、医者に診せなければ私はすこぶる健康だ。血圧も最近は高くならず、体重も落とした。毎日酒が美味しいのだから健康に決まっている。
そう考えると恒例の“ドック入り”が妙に厄介になる。検査自体は何も苦痛もストレスもないし、むしろ鎮静剤を打たれると飛べるので気分がよい。
問題は、クリニックに行く前に飲まされる下剤だ。まずくはないが、1リットルだか2リットルものポカリスエット味ドリンクを1時間で飲めという。これが辛い。
だいたい朝食抜きで空腹なのにそんなものを飲まされるのがイラつく。今回の検査は昼近くから始まる。それまで絶食状態なのがイヤだ。
でも検査終了後にはお楽しみが待っている。鎮静剤が残っているためフラフラしながらドカ食いをするのがすこぶる快感だ。
今回は何を食べようか。
結局そんなことばかり考えている。欠食児童みたいだ。
2009年11月10日火曜日
軽井沢のアウトレット
この前の週末、軽井沢まで紅葉を見に行った。最近すっかり冷え性になってしまって秋だというのにモモヒキみたいな肌着で過ごした。
1週間前には沖縄で海の中にいたわけだから秋の高原が寒くて当然なのだが、それだけではない。どうやらダイエットのせいで身体が冷たくなってしまったみたいだ。
体温計でチェックしてみてもナゼか昔より低体温だ。35度台が多い。足の先も冷たい。昔はポカポカだったのに加齢のせいもあるのだろうか。
若い頃は寝ている私の足も熱気にみなぎり、冷え性の女性はこぞって足を絡ませて暖をとっていた。実に懐かしい話だ。いまやそんなことをする女性は皆無だ。チャンスも元気も体温もなくなってしまった。問題だ。
カニのせいという指摘もある。カニは身体を冷やす食べ物の代表格だ。カニダイエットに励み、炭水化物を敬遠してきたここ2~3か月の食生活が原因かも知れない。
さてさて軽井沢では、久しぶりに駅前の大型アウトレットモールをぶらついた。行楽日和の秋の週末とあって、人出は結構多い。
楽しげに歩く人達を眺めながら、以前とは何かが違うような気がして目を凝らしてみた。
派手に買い物している人が少ないというのがその答え。私がイメージしていた光景は買い物袋をいくつも抱えて歩いている人の姿だったのだが、買い物袋をドッサリ持っている人がさっぱり見あたらない。
みなさん、手ぶらでブラブラしているだけ。確かに5年ぐらい前なら買い物袋を得意げに抱えている人達の姿が目立っていた気がする。これも世知辛い時勢を反映しているのだろう。
そういう私も、1500円のスウェットを2点と半額になっていた靴や安物の普段着を買っただけ。全然、消費刺激になっていないし、内需拡大にも貢献していない。ちっとも「富豪」じゃない。
無数にあるお店の中で賑わっているのは、家庭雑貨の店やアロマ関係の店、地元特産品の店など。実用品や癒し系、土産物が中心だ。高級ブランド品はガラガラだった。
やっぱり景気だ。これが元気がないとなんだかんだ言ってもダメだ。冷え切ったマインドをなんとか上昇させるには生半可な政策じゃあダメだろう。
私も書斎で足が冷えてしょうがないので靴下を重ねて履いてみた。少し効果はあったがやはり寒い。結局、お金を出して足元用電気じゅうたんを買ったら、一気に問題は解決。
例えは悪いが、経済政策も思い切った手を打たないとダメだ。
マインド、すなわち気分を押し上げる政策といえば、やはり金持ちを刺激するのが一番だと思う。情緒的な大衆迎合的公平論を気にせず、お金持ちが気持ちよくお金を使えるようにするのが先決。
小銭を貯め込ませる政策より、大金が動きやすくなれば幅広い階層に波及効果も見込める。
お金持ちを締め付けているようでは本末転倒だ。金の卵を産むニワトリを何も考えずに焼鳥にして喰ってしまうようなもの。
ちなみに、法人税を納めている企業は全体の3割程度になってしまった。課税する側は赤字企業からは税金が取れないという理由で、この3割しかいない金の卵から新たなむしり取り方を考える。
3割を4割に、4割を5割にしようと考えるのが健全なのにそれができない。だから3割の金の卵達だって、海外へ逃げ出したり、納税を避けるための方策研究に貴重な労力を割き始める。まさに悪循環。
中途半端な減税やバラマキに飽き飽きした国民には、所得比例減税でも実施してみたらいいと思う。人より多く納めた人には人より多く減税恩恵を味わってもらうのは極々当たり前の考え方だと思う。
2009年11月9日月曜日
首相と脱税
わが国の首相はどうやら税金面の感覚がかなりルーズ。嘆かわしい話。
昨年の株取引で生じた7千万円を超える所得を申告していなかったニュースには単純にあきれた。いくら資産家で、誰かに経理処理を一任していたとはいえ、そんな杜撰な話が許されていいはずがない。
すぐに修正申告するから済むという話なのだろうか。真面目に税金を申告している人にとっては自分達の苦労がバカにされているように感じるはずだ。
「鳩山首相とカネ」をめぐるダーティーな臭いは“故人献金”騒動でも明らかだ。政治資金団体「友愛政経懇話会」をめぐる偽装献金問題は今後どのように展開していくか微妙だが、妙にフニャフニャした感じで受け止められている。
臨時国会の大きな焦点だが、世論の注目はかつての経済事件ほど大きくない。普通、政治とカネをめぐるスキャンダルといえばもっとマスコミも騒ぐものだが、今回ばかりは様子が違う。
注目度が高くないのは首相自身がお金持ちであることが理由だ。すなわち、自分のカネを政治献金に回したもので、怪しいスジからの献金を隠したわけではないという構図だ。
ヤミ献金とか贈収賄の匂いがしないことからマスコミのトーンも盛り上がりに欠ける。この部分がフニャフニャの原因。世間的にも「しょせん微罪でしょ?」的な雰囲気が支配的だ。
そうはいっても税的な視点で想像すれば意味合いは大きく違ってくる。政治資金規正法うんぬんではなく、意図的な租税回避のための工作という見方が妥当だ。
偽装献金は鳩山家の贈与税、相続税の回避目的と解釈するのが普通だろう。政治資金団体を経由することで個人資産を無税で承継する問題は、安倍元首相の政権投げ出し時にも陰の退任理由として話題になった。
世襲議員問題の根源も突き詰めればこの一点にあると思う。個人資産を政治団体の資産に変身させることで、どんなに高額だろうと相続税の洗礼を受けずに親から子へ代々資産を残せるという図式だ。
大衆ウケを狙う巨大メディアにとっては、「わいろ」とか「疑獄」という見出しが必要なわけで、「政治資金と税金の関わり」という七面倒くさい観点から検証する動きはない。
図式を暴いて解説して見せたところで、一般大衆にとってピンとこない相続税というテーマが中心になるだけにインパクトが弱いと分析しているのだろう。
この仮説通りだとしたら、税の世界では相当悪質な行為だ。「申告もれ」どころではない「億単位の脱税」という刑事事件だ。
政権交代によるお祭りムードが収まってきたいま、捜査当局の今後の動きから目が離せない。
2009年11月6日金曜日
沖縄そば 豚
(昨日の続き)
今日は食べ物の話。
万座ビーチリゾート2日目の夜。この日3回の潜水とサウナの入りすぎで外出する気にならず、かといってホテル直営居酒屋に行くのも面倒なので、ホテル内の日本食レストランで呑むことにした。
車で5分も行けば安い居酒屋があるのに、ホテルのレストランを使うなんて富豪だと思う。随分小さいことを主張する富豪だ・・・。
富豪には欠かせない刺身盛り合わせを注文する。
さすがに一人だと量が多い。シャコ貝、海ぶどう、イカあたりが地元産だろうか。ウニとか甘エビは沖縄でわざわざ食べても仕方ないが、濃いめの泡盛には良いつまみになる。
琉球珍味5点盛りがやってきた。定番のミミガーや豆腐ようとかそのあたりだ。飲酒モード全開だ。
潜ってサウナに入って酒を呑む。平和な時間だ。インフル患者続出中の自宅に様子見の電話を入れる時だけ深刻な声を出してみる。
電話を切ったあとはウヒョウヒョ言いながら泡盛三昧だ。3杯目あたりからほとんどロックになってしまうのだが、身体のためにグラスには水を数滴でも注ぐようにする。
酔ったついでにゴーヤチャンプルーを頼む。沖縄に行くようになって20年以上経つが、これが食べられるようになったのはここ10年ぐらいだ。でも、自分から積極的に注文することは5年に1度ぐらいだ。基本的にはまずい野菜だ。わざわざお金を出して食べたいものではない。
そうはいっても、沖縄にいると気候のせいか、気分のせいか、ついついゴーヤに目が行く。まずいはずなのに何故だか口に入れたくなる。
居酒屋ではなく、真っ当なホテルのゴーヤチャンプルーの味わいを試してみたかった。
結果は合格。ゴーヤのくせに美味しい。苦すぎず上品な味。ゴーヤをはじめ、その他の食材の質が上等なんだろうか。
でもゴーヤなんかをウマいと言ってしまう自分がイヤだ・・・。
その後、アグーのステーキを注文する。アグーとは沖縄地産の幻の豚の名前。この「幻の豚」、沖縄中のレストランや居酒屋で頻繁にメニューに載っている。
ちっとも「幻」ではない。ゴーヤチャンプルー並みにポピュラーだ。
偽証表示も多いのだろうが、さすがにホテルレストランだけあって、ジューシーで味の濃い肉質だった。ホンモノだと信じよう。
この2か月、ダイエット生活だったので麺類といえばコンニャクラーメンのみ。麺に対する飢餓感は相当なものだった。
大好物の沖縄そばを前にダイエットは当然中断。今回も結構食べた。
万座滞在中は、ダイビングの合間にわざわざクルマを飛ばして「恩納そば」へ。ソーキそばはまあまあだったが、豚足、すなわち「てびち」が臭みが強くて失格だった。
画像のそばは万座から那覇に向かう際に立ち寄った読谷村の人気店「花織そば」で食べた逸品。
ソーキとラフテー(三枚肉)が載って麺も昔ながらの縮れた太麺。単品で注文したテビチの味付けもさすが。コラーゲン太郎になれた。
那覇について壺屋へ。壺屋焼の陶房めぐり、というか販売店をウロウロめぐる。次の日から陶器まつりだとかで早くも割引交渉に応じてくれる。このエリアは少し裏道にそれると風情のある景色が残っていて散歩するには都合がいい。
那覇の夜は、老舗郷土料理店「うりずん」の姉妹店「ぱやお」へ。間違いのない味付けで安心。相変わらず酩酊。
ディープな商店街の中にある店だが、たまたまこの日は商店街でお祭り。威勢の良い掛け声や踊りの喧噪が店の中にも漏れ入ってきて楽しい。
ミーバイ(アカハタ)の刺身、田芋のてんぷら、紅芋てんぷら、もずくのてんぷら等々。その他定番珍味類で泡盛。
その後のナイトタイムはナイショ。
翌日は帰京する日だが、夕方便だったので、レンタカーで観光へ。この日、旭川ではドカ雪が降ったそうだが、那覇周辺はむんむん湿気の高い暑い日。気温は29度。見たことのない変なセミもへんてこな鳴き声で騒いでいる。
全国的に秋まっ盛りのこの時期、必死に鳴いているセミって、夏の間何してたんだろう。ちょっと間抜けだ。
バンコクやマニラのゴーゴーバーに夜中の3時頃出かけていって「なんでい、この店は女のコがいねえじゃないか・・」などとボヤいているような感じだ。
那覇からやや南下しながら東へ。世界遺産の「斎場御嶽(せーふぁうたき)」へ。琉球王朝時代もっとも格式の高かった聖地で当時の独特な信仰が色濃く感じられる場所。
ヒーリングスポットのような気配だ。なぜ世界遺産なのかはよく分からないが、それなりに神秘的な場所だった。
神秘よりも食欲だ。今日でダイエット中断旅行も終わりだと思うと沖縄そばのことばかり考えてしまう。
滞在中、たいしたドカ食いはしなかったし、潜水した日は結構食べてもカロリー消費も激しい。ここまで体重増加せずに過ごせた。炭水化物も揚げ物も食べたのに我ながら優秀だ。
問題はこの最終日だ。当然、潜水はしない、汗だくになりたくないから歩き回らずにドライブばかり。これで食べたらイヤでも太る。なのにホテルの朝食バイキングで既に食べ過ぎている。危険だ。
それなのに禁断のドカ食いをやってしまった。遅めの昼食として空港に向かう直前に人気店「うるくそば」へ。メニューを眺める。
本ソーキそばはデカい骨付き肉がトッピングされていてヨダレが出る。アグー肉そばはウマそうな豚の焼肉がそばの上に載っている。
悩む。
結論は当然両方注文だ。片方は麺を残して具だけをビールのつまみにしようと企む。企むところまではいい子チャンだったが、気付いたら2杯とも麺もスープもシレッと完食。
ダイエットすると胃が小さくなって少食になるとか言ってる人がいるが大ウソだと思う。コーラを飲みすぎると骨が溶けるという話と一緒だ。そんなヤツ見たことも聞いたこともない。
私の胃袋は小さくなっているはずもなく、2杯食べて満足はしたが、さほど満腹感は感じなかった。
夜帰宅して、ほとんど食べずに一杯ひっかけて寝る。
翌朝起きてから量った体重は、旅行出発日の朝より1キロだけのオーバーで済んだ。優秀だと思う。
最終日の失敗がなければ、ダイビング旅行中は体重が増加しないという実験結果が出た。まあ良しとしよう。
2009年11月5日木曜日
万座ビーチリゾート
先週末の沖縄行きは、台風のせいで当初の予定を一週間ずらしての出発。ダイエット疲れによるふらつき(栄養失調?)と連日の飲み過ぎによる不快感を癒そうと企んでいた。
出発当日の朝、娘が発熱。まさにヘロヘロ。移されても困るので予定通りに那覇へ。その後、インフルエンザだと判明、おまけに下の子にも移ってしまい、私の不在中わが家はインフル菌に汚染されていた。
インフルエンザからの逃避より、束の間のダイエット小休止が何より嬉しい。さっそく羽田で寿司。寿司幸羽田店という店。空港のお寿司屋さんをみくびっていたが、上等なネタと豊富な酒の品揃えで嬉しい誤算。
軽くつまむつもりが、しっかり酒飲みモード。つまみや珍味類をもらって色々な焼酎をお湯割りでぐいぐい。わずか1時間弱だったが解放感でピッチが速い。
板前さんに搭乗時刻を心配されて正気に戻る。あわてて機内へ。飛行中ずっと吐きそうなほど気持ち悪かったので相当呑んだみたいだ。
那覇到着後、一路万座へ。今年インターコンチネンタル傘下で新装オープンした万座ビーチリゾートへ。
妙にモダンにリノベートされていた。沖縄的老舗ホテルの雰囲気とは随分違う。オフシーズンだから人も少なくいい感じ。
ダイビングの利便性でこのホテルを選んだのだが充分満足。大型リゾートの割には、うまく客室とレストランの距離などがまとまっており動線が良い。
ダイビングショップは珍しくホテル直営でサービス面が“ホテル的”。この点は中年ダイバーには有難い。宿泊者向けの割引料金だと、そこらへんの怪しげなダイビング屋と大して変わらない料金で遊べる。
沖縄本島のダイビングショップといえば、若いアンちゃん達がちゃらちゃらやっているか、小汚い設備でも当然みたいなイメージがある。立派な中年となった今、その手のショップを使うのはイヤだし、富豪?なんだからまともなサービスを受けたい。
万座ビーチリゾートのダイビングショップはシステムやサービスが非常に優秀。個人別のロッカーやシャワーの使い勝手、機材洗い場の充実度、レンタル機材のまともさ、そして何よりダイビングボートの使い勝手が抜群。
ショップから少し歩いた専用桟橋から出航できるし、1本潜るたびに戻ってくる。エントリーやエキジットの際も至れり尽くせり。海から上がる際も船尾の自動昇降機でダイバーを持ち上げてくれたり実に快適。
その昔は、客がタンクを運んで当然、水中でもガイドのペースで客の都合は二の次といったダイビングショップが珍しくなかった。
私が東南アジアや海外ばかりで潜るようになったのも、そういう日本のダイビングサービスのレベルがイヤだったことも理由のひとつ。その点、万座ビーチリゾートの場合は、ちゃんとしたサービス業としての認識が徹底されている。
ゆとりを求める中高年ダイバーを専門に扱うダイビングショップの必要性を以前から考えていたのだが、ここのサービスはまさにビンゴだと思う。
サカナくんを師匠と仰ぐようなオタクダイバーばかりが、ベタベタうじうじ集まって一種独特な空気を醸すダイビングショップも多いが、その点でも万座ビーチの場合、さらりとした感じが快適。付かず離れずのホテル的サービスが適度に作用している。
ホテル到着日、疲れと羽田での呑みすぎもあってルームサービスで夕飯を済まそうと思ったが、それも寂しい。ホテル直営の居酒屋はシャトルバスで移動するらしいのでチョット面倒。
悩んだ末に選んだのはホテル内のショーレストラン。琉球太鼓ライブを見ながら、沖縄料理のバイキング食べ放題というベタな点にそそられた。
バイキングが想像以上にちゃんとしている。沖縄料理がこれでもかというぐらいラインナップされている。たいていの定番料理や珍味は全部揃っている。味付けも悪くない。漠然と沖縄料理を食べたいのならこれ以上ないぐらいの種類を少しづつ食べられて、おまけに変な居酒屋より美味しい。
気持ち悪かったはずなのに、おいしいツマミを前に泡盛の水割りがどんどん濃くなっていく。
問題は琉球太鼓のショーだ。迫力もあって楽しいのだが、いつまでもモリモリ食べている私の所に獅子舞のようなシーサーはちょっかい出しに来るし、そばをすすっているのに伝統楽器が配られその練習をやらされる。
タコライスを食べているのに客全員で踊り出すのも困りものだ。この日、お客さんはまばら。踊らずに食べ続けるのはかえって目立ってしまうほどの客の入りだ。
仕方なく私も踊る。一人旅で困るのはこういう状況だ。酔っぱらってもいない、ノリノリでもない。ひとりシッポリくつろいでいる。なのに踊らねばならない。楽しそうな顔もしないといけない。プチ拷問だ。
踊りながら合間を見て食べる。ショーが始まる直前に入店してしまったのでどうにも収まりが悪い。食べながら、呑みながら踊る。行儀の悪い私にはちょうど良かったのかも知れない。
その後、ホテル内の大浴場へ。温泉ではないが海洋深層水利用とかで実に快適。ジェットバスなんかもあってサウナもバッチリ完備。
食い意地の張ったサウナ好きダイバーのためにあるようなホテルだ。
長くなったので続きはまた明日。
2009年11月4日水曜日
デジイチ進水式
20年以上前から水中写真を撮影しているが、いよいよデジタル一眼、略してデジイチを水中に持ち込んでみた。
ニコン製フィルム一眼をずーと使ってきたのだが、デジタル化の流れに逆らえず、昨年、コンパクトデジカメ、略してコンデジを防水ハウジングに入れて水中で試してみた。
一眼レフに比べるとレスポンスの悪さはお話にならない。良い面は理解したもののメイン機材にはなりえない。
かといって、フィルムがいらないどころか、フィルム交換が不要な点は重宝だし、ストロボ撮影の際、水没リスクのない光シンクロコードを使える点も水中撮影にはデジカメが有利という結論に達した。
キヤノン製EOS-KISSX3というコンパクトなデジイチをSEA&SEA社の防水ハウジングに入れて試してみた。画像は接写レンズ使用時のスタイル。レンズはシグマ製70ミリマクロを選んでみた。なかなか使い勝手の良いレンズだ。
ワイド撮影用にセットし直すと2番目の画像のようになる。フィッシュアイレンズのくせにズーム機能が付いているトキナーの画期的なレンズを使用。最短撮影距離も数センチなので、ドーム状のポートを被写体に触れるぐらい寄せてもピントが合う。
でもこのドームポートに傷をつけると厄介なので、繊細に機材を扱わない私としては、近いうちに痛い目にあいそうだ。
ストロボを2灯装着すると、結局以前使っていたフィルム一眼レフをハウジングに入れていた時と同じぐらいの重さ。カメラ自体が小さくなっているのにSEA&SEA社のハウジングは廉価版ということもあって作りが大雑把。正直大いに不満。
さて、沖縄本島・万座の海にテスト撮影に行ってきた。コンディションは曇り。まだまだ暖かい。厚手のウェットスーツなら寒がりオヤジでも問題なし。
マクロレンズの描写力がなかなかシャープ。悪くない。クマノミの肌の質感や目玉周りの描写なんか結構優秀。全長2センチほどのガラスハゼもオートフォーカスで余裕で撮れた(画像をクリックすると大きく表示されます)。
シャッタースピードや露出は考えて調整するにしても、視力の弱ってきた中年男にはオートフォーカスが有難い。おまけに水中マスク越し、更に言えばカメラを覆うハウジングのファインダー越しに被写体を捉えるわけだから、小さいものを撮るのはなかなか大変。いまどきの高性能オートファーカスに頼るのはアリだと思う。
ガラスハゼの撮影は、実は着底できない場所で掴まるものもないまま中世浮力をキープした浮遊状態で撮影。普通はブレブレになるところだが、イマドキのデジイチの手ぶれ補正機能は結構凄い。
フィッシュアイレンズを使った撮影は今回はわずかに潜水1回分だったのだが、何よりも超接近してもピントが合うので使い勝手は良い。
復活しつつある赤ちゃんテーブルサンゴは直径30センチ弱。このサンゴにポートがぶつかるぐらい寄ってみた。なかなか表現力豊かだ。
トンネルに差す光の美しさとその付近の魚ぐらいしか被写体がいなかったので、この程度の写真しかない。今後このレンズの奥深さは被写体の多いポイントに行けば堪能できそうだ。
マクロ撮影より難しい超ワイド撮影こそデジカメの出番だろう。ストロボの角度や距離、微妙な構図バランス等々の問題も撮影済み画像を水中にいながらにしてチェックできるから非常に便利だ。
いやはやそれにしても、使い始めたばかりでデジイチの能力は魅力的だ。なんてったって旅行から帰って写真屋にフィルムを持って行かずに済む。一方で現地で撮影済みデータを見てしまうので、現像から戻ってきた時のワクワク感がないのが寂しい。
とかなんとか言って、さも一生懸命撮影してきたようだが、実際にダイビングしたのは1日だけ。要は「ダイエット小休止、オキナワンフードと泡盛タイム」が旅の真の目的だった。
出発当日、なんと子どもが新型インフルエンザを発症してしまい、逃げるように家を出た私だ。沖縄でシーサーの顔を見るたびに嫁さんの顔が脳裏に浮かんでいた。
潜水以外の沖縄道中は明日アップします。
2009年11月2日月曜日
デブと日本酒
ダイエット開始からまもなく2か月が経つ。一応11キロ減量。なかなか優秀だ。気付く人はほとんどいないが身体が軽い。
いつ終結宣言をするかが見えない。本当は5~6キロ落とせれば良かったのだが、リバウンドを考えたら10キロぐらいは落とそうと計画。そのうち、変な色気が出てきて終了できないでいる。
とはいえ、実はこの1週間ぐらい体重が減っていない。鼻くそみたいな量の朝飯とせいぜい100キロカロリー程度の昼食を続けているのに変化がないのは気に入らない。
毎晩毎晩美味しく酒を呑んでいるせいだろうが、それにしてもカロリー的には優秀なつまみばかりで呑んでいるはずだ。困ったものだ。
先日、銀座「おぐ羅」で2か月ぶりに日本酒を飲んだ。焼酎やウイスキーでしのいできた私にとって、実に嬉しい味がした。
10月後半にしては異常に寒かったある晩のこと。駆け付け3杯という感じで30分程度の間にお燗酒をコップで3杯呑んだ。
「おぐ羅」の燗酒は知る人ぞ知る極上の味わい。特注の錫のやかんで燗付けをする。大将や板前さんが自らの口で温め具合をチェックしている。
久しぶりの日本酒はやはり機械ではなく丁寧につけた燗酒にしたかったので、この店に足を運んだわけだ。
ダイエット終了という意味ではなく、控えていた日本酒をしっかり呑んだら翌日の体重がどう変化するのかを知りたかった。
楽しい人体実験みたいなものだ。
結局、小1時間でコップ酒を4杯呑んでいい気分。その後は、相変わらずの山崎のハイボール。何杯呑んだか覚えていない。随分呑んだ。つまみで食べたのは、いつもと似たようなラインナップ。
少しよろめきながら店を出る。狭い通りを挟んで向かいのクラブ「M」のボーイさんに見つかり、そのまま連行。
酔い覚ましにゼロカロリーコーラをもらう。オールドパーのボトルは眺めているだけ。小1時間のコーラタイム。
混雑してきたので、もの凄く高いコーラ代を支払って退散。ふらふらと歩く。8丁目の「F」のマネージャーと偶然遭遇。結局ご案内。しばし雨宿り。オールドパーを舐めながらしばし下ネタ全開。間抜けだ。
眠くなってきたので、店を出て新橋寄りのタクシー乗場に向かう。ちょっと冷えたのでタクシー乗場まであとわずかだったのだが、結局「G」に足が向かってしまう。
幸か不幸かギッシリの満席。すごすご退散することに。ここは銀座の端っこ。違う店に行くにしても来た道を戻るのはシャクに障るのでタクシー乗場へ。とっとと帰宅。
帰宅後、風呂上がりに冷たいお茶を一杯飲む。
翌朝、体重計に載る。前の日と比べて体重は200グラムだけ減っていた。微妙だ。
でも日本酒がデブの元という説はさほど気にしなくてよさそうだ。