焼鳥や串焼きといえば、昔は場末の赤ちょうちんと決まっていた。少なくとも30年ぐらい前まではそうだった気がする。
いまでは、お洒落なダイニングバーとしてステップアップしたお店が増殖し、グルメの世界でも立派にカテゴリーを構築している。
こうした流れに先鞭をつけた店が「六本木南蛮亭」だろうか。一時期は直営、フランチャイズあわせて日本中に看板が出ていたが、いまは一定の店舗で伝統を守っている。
初めて訪れたのは、もう30年ほど前だったような気がする。中学生の分際で六本木で友人と二人で串焼き。こう書くととんでもないシチュエーションだが、悪友の父親がここの経営者だったため、悪友の招待で出かけた。
子供の視線では、大層あか抜けた世界に映った。外食といえば、創生期の頃のファミレスか、ナイフとフォークの練習用に連行されたフランス料理屋か、ステーキ専門店くらいしか知らなかった私にとって、南蛮亭の空気はとても刺激的だった。
友人の父親は、びしっとスーツを着て店の中を見回し、はっぴ姿の職人さんと客の間をダンディーに取り持つ。たまにわれわれお子ちゃま組にもコーラか何かをサービスしてくれる。私はいまだに「六本木人」といえば、この悪友の父親を思い出す。
先日、久しぶりに六本木の総本店を訪ねた。悪友もせっせと働いていた。お店の雰囲気はかなり年季が入っていたが、逆に伝統を感じさせる熟成感も漂っており、居心地は良い。相変わらず欧米系外国人のお客さんは多いが、それでも喫煙可能なのが嬉しい。
南蛮亭の串焼きの特徴は、鶏だけでなく、牛や豚、ラム、魚介類まで豊富に揃っている点。「焼鳥の南蛮亭」というイメージが強いが、ここは大事なポイント。鶏以外の串焼きがとくにオススメ。
海老や帆立の質も良く、肉類の合間にいいアクセントになる。豚のアスパラ巻も、野菜自体に味があって滋味。名物の南蛮焼は、牛肉を特製の少し辛めのタレで付け焼にしたオリジナル。酒に合う逸品だ。
アルコールのラインナップにもうひと踏ん張り欲しいところだが、極端に品揃えが少ないほどでもない。
コースで頼めば、一通り味わえて、内容を思えばお勘定は安い。流行の店ばかり追っかけるより、何十年続く店の味をゆっくり堪能する方が安心感がある。だいたいその方が東京の人っぽい。
その昔、カーターさんか誰だったか、アメリカの大統領が来日した際、南蛮亭で串焼を体験したそうだ。警備などのエピソードをあれこれ友人から聞いた記憶がある。結構すごい歴史だ。
わが家の近所の炉端焼屋が、イタリアのポルノ出身国会議員・チチョリーナが来店したことを激しく自慢し続けているのとは格が違う。
六本木で気取りきった食事もイヤだ、居酒屋もイヤだみたいなノリなら、南蛮亭はイチ推しです。活気があって、ちゃんとこなれています。
「富豪記者ブログを見た」といえば、コース料理が3割引になります、というのは真っ赤なウソです。
六本木南蛮亭http://www.nanbantei.com/
2008年2月29日金曜日
六本木南蛮亭
2008年2月28日木曜日
相続税の税務調査
相続税がかかる人は、亡くなる人が100人いればそのうちの4~5人。そして相続税を申告した遺族に対して、税務署が調査に来る割合はだいたい3~4割程度。
相続税の税務調査は上記したように、誰にでも関係する話ではない。ただ、相続税がかかる程度の家庭であれば、他の税金とは比べられないくらい高い確率で税務調査のターゲットになる。
3~4割の確率といえば、イチローがヒットを打つぐらい普通のこと。相続税申告のうち、内容があまりに単純明快で遺産総額もギリギリ課税対象になるレベルのものなら調査対象になりにくい。
そう考えると、そこそこの企業を経営し、遺産内容もキャッシュ以外の不動産や自社株、各種投資用品なんかがあるケースでは、申告後、税務調査が当然のように来るものと考えた方が無難だ。
一生に一回とはいえ、それなりのオーナー経営者にとっては、実は相続税調査は非常に身近な存在だ。
税務調査、税務調査官がやって来るといっても、真面目に申告していれば何も問題はない。表面的にはそうだ。でも実際は違う。相続税の税務調査の場合はとくに違う。
真面目に申告したから問題ない、何もやましいことをしていないから問題ない、という感覚が通用しない世界だ。国税当局の公式データでも、相続税調査が行われたら、ほぼ9割から申告もれが見つかっている。その平均額は1件につき1千万円に近い水準だ。
企業に対する税務調査であれば、すべての金銭の流れが記帳されており、勘定科目をめぐる解釈の相違とかはあるものの、真面目な経理が徹底されていれば、ポロポロ申告もれが出てくることはない。
一方の相続税、なにより一番詳しい人間が既にこの世にいない。欠席裁判のようなもの。おまけにプライベートなお金の流れに帳簿などはなく、実態が曖昧な資金の流れは多い。
わかりやすい例を挙げる。ずっと専業主婦だった未亡人の預金が、たとえば1千万円あったとする。当然、未亡人は旦那の相続税申告の際に、その預金は旦那の遺産だとは考えていない。あくまで自分の名義だし、何も考えずにそのままにしておく。
税務調査にきた調査官は、遺族の資産内容も確認する。当然、未亡人の預金は何を元に形成されたのかをしつこくチェックする。専業主婦なのに1千万円も預金があるのはおかしい。旦那の預金を単に未亡人名義にしてあるだけではと突っついてくる。
ちゃんとした説明が出来ないと、1千万円は単なる名義預金で、実質所有者は旦那だと認定されかねない。簡単に1千万円の申告もれができあがる。
口からでまかせで、「旦那からもらったんだから私のものだ」などと言おうものなら、贈与税の申告はしていたのかと、違う角度から突っ込まれる。
税務調査官は、その道のプロ。相続税の調査ばかり専門にやってきた職人だけに、突っ込みどころを無数に準備している。
遺族が故人の羽振りの良さを話したついでに、「ある時払いの催促なしで親戚にもお金を渡していた」といった話をしたと仮定しよう。貸した金は貸した金であって、あくまで貸した側のもの。税務調査官は、貸した金を返してもらう返還請求権が申告書に計上されているかチェックすることになる。
税務調査官は遺族との世間話からもアラを探そうとする。ゴルフが趣味と聞き出したのに申告書に会員権が計上されてなければ、申告もれを疑う。
また、故人の死亡までの流れを聞き出すにしても、長い間、病に伏せった後の死亡であれば、「生前に相続を見越した資産移動が可能だった」という解釈をする。
対する遺族側は、未亡人が対応することが中心。世情にうといおしゃべり婆さんだったりすると目も当てられない。余計なことをしゃべりすぎて、調査官を喜ばせる。
「顧問税理士がついてるから大丈夫」。この思い込みもまったく見当違いだ。税理士は遺族に言われた内容を申告書という形にすることが主業務で、税務調査の現場に立ち会っても故人のプライバシー、遺族の資産内容までは把握していない。税務調査で家族間の微妙な金銭の流れなどが問われる場面では、どうにもならなくて当然。
「ウチなんかに税務調査は来ない」、「隠しごとなんかしていない」、「真面目に申告している」、「税理士がついているから大丈夫」。
相続税の税務調査について楽観している人々の意見はこうした声に集約される。でも全部間違い。そんなに単純じゃあない。
まずは、税務調査の特徴や傾向、調査官の行動パターンなどを学習したうえで、然るべき対応を練る必要がある。
2008年2月27日水曜日
フルネームの店
稲庭うどんの老舗「佐藤養助」が首都圏に初めて出店した銀座店に行った。うどん屋さんというカテゴリーというよりモダンな和食屋さんという風情。
場所柄、うどん以外にもメニューは充実。秋田料理を中心に酒肴もあれこれ揃っている。刺身もちゃんとした品質、比内鶏の焼きものも美味しく、使い勝手は良さそうだ。
店内は、座席の感覚もゆったり、壁面には滝のように水のカーテンが流れ、居心地良し。うどんもさすがにつるっと喉ごし抜群で老舗の矜持がうかがえる。
それにしても、店の名前が人の名前そのままっていうのは結構格好いい。知らない人が「佐藤よーすけに行こう」って言われたらビックリしそうなところがいい。
名前自体がブランドという発想は日本では、微妙にアレンジされることが普通だ。ファッション関係でも、たいていローマ字表記で欧米風に姓名を逆さにしてようやく固有名詞にする。
TAKEO KIKUCHIにしても、タグに漢字で菊池武夫と書かないし、どうしてもニセ外国人みたいな表記をする。
思えば、欧米社会では、先駆者などの名前をやたらと公共機関の名称に使う。空港や道路なんかそればっかりかもしれない。
面倒なのでカナ表記するが、ジョン・エフ・ケネディ空港、シャルル・ドゴール空港など。イギリスにはジョン・レノン空港もある。アジアでも、ジャカルタはスカルノ・ハッタだし、マニラもニノイ・アキノだし政治的な英雄が冠になっている。
古い時代の人ではなく、近現代の人物が多いことが興味深い。日本で似たような取組みをしたら「吉田茂空港」、「佐藤栄作空港」、はたまた「新渡戸稲造空港」など。やっぱり変か。でも「西郷隆盛空港」なんて結構いい感じだ。
一応、日本にも人名を冠した空港が存在する。「高知龍馬空港」がそれ。龍馬さんの名前自体が「ひろし」とか「さくざえもん」だったりしたら、空港名にはならなかっただろう。リョーマという響きが地名と混ざっても違和感がないのでしっくりくる。
でも、日航や全日空のホームページを見ても基本的には「高知空港」という表示が中心で、龍馬空港という愛称が全国的に認知されているわけではない。
外国の名車も個人名が多いのに対して、日本車にはそういう習慣はない。日本人が奥ゆかしいのか、単に横文字風の造語の方が格好良く感じる習性があるのか、よく分からない。ただ、名品といえるレベルのものを扱うのなら個人のフルネームをそのまま商品名や店名にしちゃっても格好いいと思う。
和食や寿司屋では店主の苗字がそのまま店名になっていることが多いが、フルネームが店名になっている店があったら覗いてみたい。自信に満ちあふれた料理が出てきそうな気がする。
銀座・佐藤養助のうどんも自信ありげな味だった。その日の夕食は、いろいろ難しいことを考えたり、会食相手へのお願いごとなどもあり、いっぱい食べられなかったのが残念。もっとすすっておけば良かった。反省。
2008年2月26日火曜日
クラブ活動
昨日は怪奇現象チックな話を書いたが、今日は別の意味でコワい?話。美しく化ける女性が主役だ。
夜のクラブ活動に足を踏み入れてしまったのは19歳の頃。ひとまわり以上年上のその道好きの人に、なぜだかしょっちゅう連れて行かれた。
なぜだかと書いてはみたが、その人に言わせると、「会社の経費にするのに、誰かと行ったことにしないとマズいんだ」とのこと。いま思うと結構真面目な人だったのだろう。
彼のホームグランドは六本木。軽く20年以上前のこと。今も残っている店もあるが、たいていは懐かしい存在。
当時、小さな店のチーママ的な位置付けだった女性が、いまは活気あふれる有名大型店のママさんだったりする。思い出したようにフラッと顔を出すと、さすがに長い付き合いだけに大仰に喜んでくれる。でも、四半世紀の付き合いだとか言われてしまうと、その店の若い女性陣から変な警戒をされてしまう。少し悲しい。
大学生ぐらいの年齢の頃は、当たり前だが、周囲に若い女性はいっぱいいるわけで、オトナの方々のクラブ活動に朝まで付き合わされるのは、何が楽しいんだろうと正直しんどいことが多かった。
そうはいっても、ホステスさんだけでなく、黒服さんやバンドマン達と親しくなって、お店がひけた後に飲みに行ったり、ゲームしたり、よく遊んだ。色んな経験をした。
時はまさにバブル景気に突入する直前。世のナンパ大学生がマハラジャとかワンレンボディコンだとかウカレモード全開で騒いでいる頃だ。年上のオジサンと夜な夜なクラブ通いをする変な日常が、アマノジャクの私としてはちょっと面白くもあった。
思い出すのは、恥ずかしながら、戻したこと、吐いたことばかり。気持ちが悪くなっても、若者特有の格好付けで、素知らぬ顔で、トイレに逃げ込み、何もなかったように遊びの輪に舞い戻る。いつも涙目だったはずだ。
私を同行する年上の友人は、とかくアフターが大好きで、こっちが眠かろうが気持ち悪かろうが遊ぶ遊ぶ。朝まで帰らない。おまけに彼はアルコールを受付けない体質。いつもトマトジュースかウーロン茶。ずるい。
タクシー代がもったいないので、彼の運転するクルマで送り帰される決まりだった。おかげで帰路、青山とか信濃町周辺は私にとっての吐き場だった。いまもあの辺に行くと条件反射で「ちょっと止めて」と言いたくなる。酸っぱくて苦い気分になってしまう。
でも得難い経験だった。六本木だけだったが、学生時代に何十回、いや3ケタ回も行っただろうか。貴重な時間だったと思う。
大学生といえば井の中のナントカ的な生きものだ。そんな私にとって、ひとつひとつの遊びや経験が視野や世界を広げることに直結していた気がする。いま思えば無駄なことなどなかったのだろう。
少しだけコワい思いもした。靴を持って裸足で明け方の某マンションからダッシュで脱出したこともある。ちょっと変な女性に監禁されかかったこともある。詳細は割愛。
全部自分が悪い。
ところで、酒場で働いていた人達から教わったことだけでなく、酒場に来ている大人達からもいろんなことを学んだ。
他のお客さんとも顔なじみになることも珍しくないが、酒場での男の姿は人間の本性がくっきりと出るようで興味深かった。
「居住まいの格好いい人」、「品性お下劣な人」。もちろん、真ん中ぐらいの人もいるが、印象的なのは、やはり対極の2パターンだ。
「居住まいの格好いい人」。是非そうなりたいものです。まず、姿勢がいい。リズムがいい。目配せ、気配りが出来る。威張らない、自慢しない。自分の世界があって、引出しが豊富。愚痴や悪口を言わない。長っ尻もしないし、慌てもしないなどなど。
一連の要素が揃っている人は、たいてい人相も悪くない。頭が悪そうな顔つきの人もいない。
上記した要素をそのまま逆にしたら、たちまち品性お下劣になる。必然的に人相も魅力的じゃない人が多くなる。
酔いに加えて、酒場独特の高揚感が人の生きざまをあぶり出す。こう書くと大げさだが、酒の席って結構そういうものだと思う。魔界だ。
だから人生修養のために酒場通いは必要だ。
と、結局は自己弁護につなげてしまった。
最近は、六本木より銀座方面が多い。どちらの街も夜の仕事は大変な様子。どんなジャンルの仕事も同じだが、勝ち組、負け組が鮮明になっている。真ん中がなくなっている感じがする。
クラブ活動というタイトルをつけたので、今日はサービスショットを掲載。了解をとって撮影したので、迷惑防止条例とかに引っかかるものではありません。
でもこれを見て気付いた。銀座と六本木のクラブ活動における大きな違いだ。「露わな太もも」との遭遇頻度だ。
今更気付いたがこの部分は随分違う。実に下らない定義だが、案外マトを得ているかもしれない。
客層とか、空気感とか、和装出現率とか、営業時間とか、システムとか、銀座と六本木を隔てる定義はあれこれあるが、新しい定義を見つけられたので、今日これを書いていたことも無駄ではなかった。
これからも人生修養に励まねばなるまい。
2008年2月25日月曜日
エスパーな私
私はエスパーだそうだ。霊験あらたかな占い師さんが言ったらしい。直接見てもらったのではないが、ひょんなことからその話を聞いた。この占い師さん、四柱推命とか霊視とかをハイブリッドさせた能力を持つ人で、数ヶ月先まで予約が入らないほど人気があるそうだ。
線が細いとも言われたらしい。結構恰幅のいいほう(ちょいデブか?)なのに、そんなこと言われると、寿命のことが心配になる。
寿命はともかくエスパーのこと。
要は、いろいろなことを感じやすいらしい。感じやすいといっても身体ではない(身体も感じやすいのは確かだが)。
感覚のこと。
エスパーとは、難しく表現すると「超感覚的知覚を持つ人」。自分自身にそんな自覚はないが、言われてみれば思い当たるふしがある。
いわゆる霊感みたいなものはあまり感じない。変なものが見えちゃったりすることもない。極めて普通だと思っているが、ちょっと敏感な部分がある(身体のことではない。しつこいか。)。
特定の場所そのものに漂う「気」のようなものに自分なりにアンテナが動く。もちろん、感覚的なもので、気のせいかもしれない。
気のせいと書いてみたが、確かに「気」のせいであれやこれや感じる。でも全然ビジネスの分野では役に立たないのでしょうもない。
感じるといっても、せいぜい「このあたりは気が重い」とか「気がよどんでいる」といった程度。ネガティブな「気」に敏感で、明るい方にはあまり反応したことがない。
以前、家を建てるための土地探しをしていたときは、やたらアンテナが反応した。「なんか、ここに長く居たくない」といった感覚に見舞われる場所が案外多くて、ちょっと困った。
なかでも一カ所だけ、ブラブラ見にいった場所が特別に気持ち悪かったことは鮮明に覚えている。それこそ冷汗が滲み出る感覚で、急いでそこから移動した。普通の住宅街なのに今でも不思議な記憶だ。
特定の狭い場所だけでなく、街全体とか、あるエリアの一角とか、自分にとって苦手な場所は結構ある。軽々しく狭い場所の具体名を特定して書いてしまうのは無責任なので伏せるが、一応の共通点はある。
具体的に言うと、大勢の人の念や情とか業みたいなものが沢山集まっていた歴史を持つような場所。全部が全部ではないが、遊郭があった場所などに空気の重さを感じることが少なくない。
もちろん、自分の知識によってそんな感覚に陥っている部分もあるだろう。遊郭の悲しい歴史を思えば、そこに残った念のようなものは簡単に消えないはずだという思い込みだ。
ただ、知識に関係なくあたってしまったこともある。豊島区内の繁華街から少しそれたある場所。一見、普通の住宅街なのに私にとっては、通りたくない、何となく避けて通りたい狭いエリアがある。そこが戦前に存在した、かなりすさんだ盛り場の跡地だと知ったのは、随分と後になってから。
結構不思議な気持ちがした。
くれぐれも誤解のないように書くが、これらはあくまで、私個人の感覚的なもので、誰かに押しつけたり、共感してもらおうという趣旨ではない。でもきっと誰にでも似たような感覚あるのだと思う。
クルマを運転していても、そこを通るときに何となく気が重い、早く通過したいと思う場所ってあるのではないだろうか。割と同じようなルートを頻繁に運転する場合、たいてい、気分のいい場所と悪い場所は決まってくる。まあそんな程度の感覚だ。
ついでにひとつ。海外だから具体的な名前を出すが、ミクロネシアのトラック島(チューク諸島)に行ったときの話を書く。
グアムから2時間程度で到着するトラック島は、言わずとしれた第二次大戦の激戦地。いまだに近海に沈む無数の軍艦から当時の遺骨が出てくるような悲しい歴史を持つ。
20代の頃、ちょっと変わったダイビングをしようと旅の目的地に選んだ。沈没船ダイビングが狙いだ。
毎日潜るのは、戦時中の沈没船周辺。船体の横っ腹に大きく空いた砲撃による穴から船内に侵入、なかにはゼロ戦が格納されたまま。什器備品もそのまま、飲料用のボトルなんかも転がっている。
水中にいる時間、無意識に身体は緊張していた。何かを感じるというより、畏怖の気持ちに覆われていたような気がする。
水中での怪奇現象の話も事前にいろいろと聞かされていたが、運良く、防空頭巾の女性に足ヒレを掴まれることもなく、ダイバーと並泳する軍服姿の若者を目撃することもなく、ダイビング自体は無事に終了した。
ホテルの周囲というか陸地全体が、私にとっては水中よりも「気」の重さを感じた。
ホテルのバーに入っても、楽しげな空気の一方で何かが違う。うまく説明できないが、息苦しいような、重いものを背負わされているような空気感が濃厚だった。
ひとり旅だったので部屋で過ごす時間も多かったのだが、どうにも水周りのあたりがダメ。何も見えないし、何物かを感じるわけではないのだが、相当気合いを入れないと、洗面台やシャワーがある方に行けない。
そこに近づいても、無意識の自分が必死に自分に言い聞かせる。「絶対に鏡だけは見るな」。
なぜ、そう思ったのかは分からない。自分のどんな潜在意識がそれを指示したのかも分からない。指示というより強烈な命令だったように思える。でもはっきりと自分で分かったことは、その指示に従えということ。
オチが無くて恐縮だが、結局、鏡は見なかった。見られなかったといった方が正しいかもしれない。あのとき、あの部屋の鏡には一体何が映っていたのか、今も気になっている。
その後、旅をめぐる不思議な体験としては沖縄で水中心霊写真を撮影してしまってゴタゴタしたこともあった。でも、何も写さず、何も見なかったはずのトラック島の体験が一番印象深い。
2008年2月22日金曜日
アメックスの攻撃
クレジットカードを初めて持ったのは18歳の時。こう書くと「なんだかなー」って感じだが、祖父から大学入学時に渡された。いわゆる家族カードだ。とはいえ、自由気ままに使えるわけもなく、実際に毎月1万円だったか2万円ぐらいの使用上限を決められていたため、まさしく宝の持ち腐れ。
「男なんだからいざという時のために持っておけ」。浅草あたりでブイブイ言っていたらしい“モボ”崩れの祖父の粋な計らいだった。いい経験をさせてもらったと思う。
いま、クレジットカードはお付き合いで持たされているのも含めて結構財布に入っている。個人のカード、法人カードなどいろいろ。
アメックスを利用した際のポイントが航空会社のマイレージサ-ビスに移行できることもあって、一時期、アメックスを沢山利用した。航空会社の提携クレジットカードでももちろんマイルは貯まるが、貯めたマイルの有効期間の問題とかもあり、期限切れのないアメックスのポイントを貯めるという合わせ技を使ったわけ。
もう10年以上前になるだろうか、ゴールドカードをドシドシ使っていたら、アメックスからプラチナカードの案内がきた。尋常ではない年会費を取られるが、数々の特典のうち、専用の旅行手配デスクが24時間使えるという点が気に入ってホルダーになった。
航空券やホテルの手配が電話一本でできるし、おまけにプラチナレートという特殊な特典が用意されているケースも多く、使い勝手はよい。
プラチナカードといえば、はしりの頃は知る人ぞ知るステータスのようなものがあったようだが、そんな知識のないお兄さんやおばあさんがレジを打っているような店ばかり行っていたせいか、プラチナカードを出して感心されたことはない。
その後、プラチナホルダーがタケノコのように増えたらしく、アメックスが繰り出してきた次の手がブラックカード攻撃。この商魂には結構驚かされた。
というのも、プラチナカードの案内の際は、四の五の書いた案内文書が送られてきたが、ブラックカードのときは、頼んでもいないのに現物の黒いクレジットカードそのものが送られてきたから。
表には自分の固有のカード番号、有効期限などが刻印済み。カード裏面にサインを書き込めば、その時点から使えるという手回しの良さ。現物を見ちゃうと精悍な黒のカードの格好良さもあって、使い始めちゃおうかなと思う。でもあまりに尋常ではない金額の年会費を知って結構悩んだ。
一生懸命、ブラックホルダーの特典を見ても、プラチナから切り替えるほどの魅力は感じない。プラチナとの違いは、高級ブランドショップで、通常営業終了後に店を貸切にしてプライベートショッピングが出来ますとか、そういった類のもの。
「プリティウーマン」のリチャード・ギアでもあるまいし、当時はジュリア・ロバーツとも知り合っていなかったし(今でもだが)、冷静に考えて、ブラックカードは封印決定。いまもプラチナホルダーだ。
このあたりを深く考えずにステップアップしないようだから本当の富豪にはなれないのだろう。
プラチナカード所持者に毎月送られてくる雑誌を紹介したい。「DEPARTUARES」というタイトルの豪華絢爛雑誌だ。何となく捨てられずにバックナンバーが随分たまっている。
そもそもファッション系の雑誌のセオリーは、訴求対象となる読者層にとって、ちょっと手が届かないレベルの素材などを紹介することだ。ワンランク上に目を向けさせて消費・購買意欲をあおる作戦だ。
この雑誌、プラチナホルダーというそれなりに可処分所得がある人向けに出しているわけだから、上記した雑誌のセオリーも合わさって、やたらと非日常感が漂っている。
旅、クルマ、モノ等々、“誰が買うんですか商品”のオンパレード。普通に紹介されている腕時計が800万円とか、3千万円のクルマの紹介も極めてシンプルに実用性まで検証している。外国の素敵なホテルの紹介では、室料などという下世話な情報?は省かれちゃったりする。
でも楽しい。雑誌的夢の世界を満喫するには相当楽しい内容だろう。まあ書店売りしてもそうそう買っていく人はいないような感じだが。
紙質、デザインとか全体のクリエイティブセンスが極めて上等。さすがに掲載されている広告も週刊ポストとかには載ってないような高級品のオンパレード。毎号パラパラ見終わったあとの感想は、「もっと頑張らねば」というひと言。
確かに「あいだみつを」的な現状肯定視点も大事だが、やはり現役でフィールドに立っているのなら、ある程度の上昇志向は必要だ。非日常の世界をのぞき見ることで健全な上昇志向が維持されれば、この手の情報に接することは意味がある。
安さを追い求めることも時に必要。ただ、そればかりでは「ちゃんとしたもの」を見失う。ちゃんとした店でちゃんとしたものを買い、ちゃんとしたものを食べ、ちゃんとした暮らしをするには、やっぱり夢を見ることが大切だろう。
願わなければ何もかなわないのだから。
2008年2月21日木曜日
オトナの歌
テレビや雑誌の「あの人は今」みたいな企画が結構好きだ。その人が活躍していた頃の自分の記憶をたどって感傷にひたれる。
こんなことを思ったのは、先日、iPodに何か新しい曲を仕入れようと、ウェッブ上の音楽ストアをあさっていて懐かしい名前を見つけたから。
「門あさ美」。80年代初めに独特の存在感を示した謎の女性歌手だ。「ファッションミュージック」とかいう意味不明の看板が掲げられていた歌手だったが、その表現が確かにピンとくる世界を歌っていた。
シブガキ隊とかがもてはやされていた時代、多感な中高生達は洋楽に救いを求めた。綴りが面倒なので全部カナ表記するが、有名どころではエア・サプライとかクリストファー・クロス、ボズ・スキャッグス、ボビー・コールドウェルあたりは、いわゆる「オシャレなもの」として必須課目というべき存在だった。
邦楽のポップス系はちょっと遠慮しておくみたいな気取りが少なからずあった多感な頃の私が妙に惹かれたのが「門あさ美」。もともと女性が聞くような雰囲気の曲ばかりだったが、その歌詞の世界が、当時おこちゃまだった私にはえらく新鮮で、友人には内緒でこっそり聞いていた。
ジャケット写真からしか窺い知れない本人の容貌もまた「大人」のイメージ。ワンレンの走りのような長めの黒髪に物憂げな表情を際だたせるメイクがおこちゃまには嬉しかった。
徹底的にメディア露出を避ける戦略をとっていたため、その神秘性が増加、ませた中高生がイメージする大人の世界そのままのイメージができあがっていた。
大人の世界といっても、もちろん演歌的大人の世界ではなく、エロティックな大人の世界だ。最近の「エロかっこいい」とか中途半端なものではない。
胸の谷間や太ももを一切見せることのないエロティックさが特徴だ。膝から下の美、指先の美みたいな感じ。匂い立つ色香に思春期そこそこ坊やがクラクラするようなエロティックさだ。
具体的な曲のタイトルを見ても「セ・シボン」、「月下美人」、「ミセス・アバンチュール」、「感度は良好」、「お好きにせめて」等々。最近は使われなさそうな言葉だが、当時、確実にオシャレな響きに聞こえた。
一流のアレンジャー、ミュージシャンを揃えて制作された楽曲自体が、完成度が高く、そこに艶っぽい歌詞がのっかる。甘ったるく切ないヴォーカルは、あえぐように、すがるような歌い方で独自の空気感を醸し出す。そんな感じだった。
iPodにダウンロードして20ウン年ぶりに聞いてみると、あれほど大人の世界に聞こえた歌詞の世界が結構普通で逆に新鮮。微笑ましかったりもする。でも、この感想自体が自分が加齢しちゃったことの証で、ちょっとせつない。
「感度は良好」、「お好きにせめて」などのタイトルは、言葉の印象だけでは、一歩間違えると時代をもっとさかのぼった畑中葉子の迷曲「後ろから前から」を連想させる。もちろん、門あさ美の世界は上品なエロティックさに満ちており、畑中葉子のスケベっぽさとは一線も二線も画していた(それにしても「後ろから前から」ほどイタい歌はそうそうないと思う)。
昔の歌を聴くのも結構楽しい。
ところで、門あさ美に「気分はもうメンソール」という曲があった。メンソールという単語自体にお洒落な感覚があったわけで、いま思えば妙に新鮮。そう考えると、あの当時盛んに使われて、今では陳腐化しちゃったフレーズって結構多い気がする。
「マティーニ」とか「カンパリ」とか「バカンス」、「ランデブー」、「ジュークボックス」、「シュガー」、「ペパーミント」とか、「ピンボール」、「ララバイ」、「ヴィーナス」、「レモネード」、「マーメイド」、「トロピカル」あたりは、やたらと耳にした記憶がある。なんか甘酸っぱい記憶がよみがえる言葉だ。
いまこうした言葉をカラオケでうなると相当恥ずかしいかもしれない。
2008年2月20日水曜日
ミッチーとリッチ
渡辺善美行革担当相の四面楚歌状態を各メディアがこぞって取り上げている。先日も天下り問題から構想が浮上していた内閣人事庁を創設する案が白紙に戻り、政治家と官僚の接点を限定的にする制度も曖昧なまま決着しそうな雲行きだ。
行政改革担当大臣といえば、わかりやすくいえば、行政全体の既得権益を壊すことが仕事なわけで、官僚機構はもちろん閣内からも反発を受けて当然。スムーズに和気あいあいと進められる業務であれば、それこそウソだ。
当初の任命者・安倍前首相の政権放り投げで、改革担当の居心地は悪くなったようだ。福田首相は、何がしたいのかよく分からずに首相になって、前任者の閣僚を全員引き継ぐというポリシーもヘッタクレもない状態だから、すべての政策が官僚機構のペースで進み始めている。まあ福田首相は、小泉、安部路線のゆりもどしをゆりかごで眺めているような状態だろう。
随分短絡的な批評をしてしまったが、今回書こうと思ったのは、渡辺行革担当相の父親であるミッチーの話。
ミッチーといっても及川光博ではない。故渡辺美智雄氏のこと(最近は一期一会と市毛良江を混同する人がいるらしいから、あえてミッチーは美智雄氏と書いておこう)。
ミッチー元蔵相は、政治家になる前は税理士事務所を開設していた経歴を持ち、税財政分野でしっかりとした持論を展開した。政治的なパフォーマンスも独特で、税の世界でもいくつかエピソードが残っている。
確か、80年代前半、東京国税局管内で日本初の女性税務署長が誕生したときも、時のミッチー蔵相の意向が強く働いたとか。おかげで、精緻に積み上げられていたノンキャリア公務員の人事慣行や序列が崩れ、その後何年にもわたって影響が残ったというボヤキを聞いたことがある。
ちなみに西日本初の税務署長は、小泉チルドレンの中で何かと異彩を放つ片山さつき現代議士。こちらは東大出のキャリア組とあって、弱冠30歳での署長就任。
話がそれた。ミッチーさんの話だ。
ミッチーさんがとくに晩年強く主張していたのが「金持ちを優遇しろ」という点だ。最近でこそ、チラホラ聞かれるようになった正論だが、氏の提言は、バブル崩壊後の低迷期に声高に展開されていた。実体経済を知る人間こその発言だと思う。
税制審議では、当然のように金持ちへの課税強化を基本にする。それを言っておけば間違いないとばかりに、何とかのひとつ覚えのように締め付けが強まる。実に安直。
金持ちがカネをドシドシ使いやすくする環境を作ることが経済の循環を良くするという当たり前の原則が忘れ去られている。大衆迎合をしたほうが、審議会でも議会でもことは簡単なのだろうが、ここは自由主義経済、資本主義経済を選択した国家である以上、金持ちを制裁するかのような課税思想はトンチンカンだろう。
最近でも、自民党財政改革研究会でリーダーの与謝野馨代議士が、日本の所得税の最高税率の引き上げについて言及した。先祖返り極まれりって感じだ。ここ10~20年、さんざん議論されて、国際競争力確保という理由で現在の水準にまで引き下げられたものを再度引き上げるという発想は理解に苦しむ。
ヨーロッパでは最近、「富裕税」とか「裕福税」といった資産課税政策を軽減・廃止の方向で動いているそうだ。そのお金持ちマネーを他に使ってもらい、経済活性化につなげようというごくまっとうな話。
かつてレーガン減税、サッチャー減税と称された米英の政策がその後の両国の好景気を招いたことは結構みんな知っているのに日本では一向にそういう発想がない。
首相レースの最後で力尽きたミッチーさんが強力な政権を作っていたら、税制の歴史に少しぐらい金持ち優遇政策が反映されたのだろうと思うと残念。
2008年2月19日火曜日
頑張れるか、池袋
会社が池袋にある関係で何かと困る。賃貸物件に入居しているのなら、移転も簡単だが、古い自社ビルがオフィスだと、なかなか動きが取りにくい。
東京中心部への移転も昨年あたりは真剣に考えたが、現社屋の扱いをあれこれ考えて実現していない。一棟丸ごと貸せれば話は早いが、ことはそう簡単に運ばない。
だから池袋でウロウロすることが少なくない。しっぽりと呑んだり食べたりしたい私としては、そんな雰囲気を漂わす店がないことにイラつく。
チェーン店の居酒屋とカラオケ、風俗店とファーストフード、おまけにデパートもゴマンとある。でも私が行きたい店がない。
寿司好きにとっては、池袋は絶望的な環境。ちょっと良い感じの店を見つけても、入ってみれば、客層がみんなその筋の人だったりして「うひょー」となる。
悪い評判をあまり聞かない「五十嵐」、「丸銀」あたりは、確かにまともだが、まとまな店の全体数が街の規模に比べると圧倒的に少ない。
昨年11月にオープンした「鮨処やすだ」。池袋名物ロサ会館そばに登場した期待の新星!?だ。2週続けて行ってみた。
店の作りは、港区あたりで主流になっている和モダン的。間接照明が上手に使われていい感じ。店の入口からカウンターまでの距離がわずか1歩ぐらいしかない幅の狭さが立ち食いそば屋みたいで問題だが、全体の店舗デザインが見栄え良くまとまっている点でなんとかカバー。横に長い作りの店舗のようで奥の方には座敷もある。入口の印象よりは収容人数は多そう。
つけ台にガラスのネタケースはなく、魚貝は木箱に納められているパターンも今風。アルコールの品ぞろえもそれなりで問題なし。隣の椅子との間隔も広めで居心地良し。
大将も実に低姿勢で穏やかな感じ。こう書いてくると結構高得点だ。
肝心の味について。関サバをほぼ常備している姿勢が有り難い。通り一遍の鯛やヒラメではなく、メバル、金目鯛、ムツ、イサキといった白身類が豊富で、鮮度もいい。飲み屋的使い方をする人にとっては、少しづつ刺身をアレコレ出してくれる流れがいい感じ。
突き出しも2種類の小鉢に酒肴が用意される。珍味系は、この時期は、このわたと鱈の白子。品数は多くないが、ツボは押さえてある。締めたカスゴ、脂ののったマスも美味しい。貝類も味の濃いものが揃い、タケノコなんかもじっくりと焼いてくれる。
基本的に、出されるものはおまかせ中心で店側のシナリオ通りに順番などが決まっているようだ。ただ、腰の低い大将だけに、途中であれやこれやわがままを言っても対応してくれる。
会社の人間と連れだって出かけたときのこと。刺身、酒肴、焼物をしっかり食べたのに、いつまでも握りに移行せず酒ばかり呑んでピーチクパーチクしていた。そんな時でも、限られた種類の食材から、ちょこっとしたツマミを即興で出してくれる。
大将に池袋に店を構えた理由を聞いた。やはり、真っ当な店があまりに少ないからという答えだった。問題は、その姿勢と意気込みが続くかどうかだろう。
池袋は客が店を育てない街だと思う。お寿司屋さんに限らず、結構いい感じの路線で開業した店が、半年、一年と経つ間に、質と価格をしっかり落として池袋的居酒屋路線に変貌していく姿をいくつも見てきた。
「こだわりの逸品」、「プロの仕事」などを池袋界隈で求めようとしている人は少ない。って言うか、いないような気がする。
でも逆に、そんな店が池袋で根を張っていることが知れ渡れば、このエリア周辺をうろつく私のような池袋不満組がジワジワと集まってくることも間違いない。要はそこに至るまで辛抱が続くかどうかがポイント。
砂漠にポツンと生まれたオアシスと言ったら大げさだが、そんな感じがする。水に飢えた動物が見つける前に枯れてしまうか、砂と泥にまみれて埋もれてしまうか、はたまた湧き水として異彩を放ち続けるか、この店も1年ぐらいが勝負どころだろう。なんとか現在の路線を変えずに続けて欲しいもの。
お勘定はしっかり呑んで食べて1万円台前半。コストパフォーマンス抜群とはいえないが、この店が目指す路線が好きな人なら納得できる範囲か。
腰の低い大将がもっともっと自信満々な雰囲気を醸し出せるかが勝負の分かれ目かも。
2008年2月18日月曜日
マイ・シガー・バレンタイン
セレブレーションシガーという習慣が西洋社会にはあるそうだ。嬉しいこと、お祝いごとがあると周囲の人に葉巻を一本ずつ配る。葉巻をくゆらしている短くはない時間、喜びを共有する洒落た儀式だ。
ビジネスの世界で大きな契約が取れたときに経営陣がセレブレーションシガーを楽しむなんてこともある。バスケットの最高峰、NBAでも優勝を決めたチームがコート上でシガーを楽しむシーンが見られる。葉巻好きで有名な俳優・村井国夫氏も舞台初日に関係者にシガーを配るという話を聞いたことがある。
先週、チョコレートが飛び交う日、銀座にいた。「義理」とか「営業」とか「仕方なく」とか色んな冠付きのチョコレートをもらった。会社にも取引先などからいくつか送られてきた。
有り難く存じます。
でも、貰う側の論理としては、チョコレートは少しつらい。甘いし、いっぱい食べられない。情けない話、どれも同じ味に感じたりする。堪能できたのはアルコール風味のチョコぐらいだろうか。
いきなりだが、バレンタインデーにはシガーを贈ろう!って声を大にして言いたい。相当素敵なプレゼントだと思う。ロブストサイズぐらいが大げさでなくてちょうどいい。そんなプレゼントだったら大感激だ。
1本でも充分洒落たプレゼントになると思うが、あくまで葉巻好きの戯言として世間からは受入れられないかも。
葉巻の時間って不思議なもので、突然、時の流れがゆったりしはじめる。せかせか動いていたさっきまでの自分が突然、スローモーションの世界に入り込む。このユルい感じが葉巻の醍醐味だ。
一本楽しむのにロブストサイズなら40分ぐらいだろうか。ゆったり流れる40分の間、大げさに言えば、弛緩した脳は小旅行に出かけている感じ。不謹慎な表現をすれば、捕まらない麻薬みたいなものかもしれない。
こうした脳の小旅行、お供は、自分の趣味や夢、楽しかった経験などが中心。私の場合、仕事の悩みとかは葉巻の時間に持ち込まないように心掛けている。イライラした気分で葉巻をふかすと不思議と味わいがいつもと変わる。辛くて苦いばかり。やはり味覚と気分は密接に関係する。
お義理で出席する結婚式で飲むシャンパンと、プライベートでゆっくり味わうシャンパンの味がまるで違うのと同じようなものだろう。
話がそれた。「シガーを贈ろう運動」事務局長の私としては、来年のバレンタインデーに向けて行動計画を綿密に練らねばなるまい。
来年の今頃、銀座、赤坂、六本木などなどがハバナ産シガーの芳醇な香りに包まれるようになったら素敵だ。日本たばこ産業あたりが支援してくれないものだろうか。
プレゼントシガーをくゆらすとき、自然と贈ってくれた人のことを思い浮かべる。40分ほどの小旅行を共にする感覚かもしれない。
「シガーバレンタイン」。習慣として定着しないものだろうか。
2008年2月15日金曜日
テキトーな決算で済む
2月、3月は何かと税金の話題が多い。確定申告にしても3月決算にしても、納税者側はその精査に必死になる。申告書、決算書は、事業をしている人や会社から見れば、一種の通信簿であり、その内容がいい加減ではみっともない。神経をすり減らして当然。
当たり前のことを冒頭から書きつづった理由は、国家予算には、この当たり前が通用していない現実があるから。
「忙しいから決算は来年にでもやればいい、内容も大雑把でいいよ」。経営者なら、それで済むならそう言ってみたい。でもこんな願望、冗談にもならない。ところが国はこれが許されている。意外に知られていない不思議な話だ。
国家財政の規定では、予算は国会での審議および議決が必要とされているのに対し、決算は審議のみ。単純に国会に「報告」が行われるだけ。予算の執行責任が決算でとられないという構造的な「?」は、民間レベルでは考えられない発想だ。
以前は、国会での決算審議が、2年分とか3年分とかまとめて審議されていたしょーもない実態もある。仮に決算が否決されようとも屁の突っ張りにもならない。事実、かつて反消費税運動の高まりで社会党のマドンナ議員が多数誕生した80年代後半に、決算が否決されたことがあったが、時の内閣におとがめはなし。何も変わらなかった。
税金のムダ遣いはいつの世もマスコミを賑わす。ムダ遣いしても罰せられないのだから無くなるわけはないが、それ以前に、国会における予算と決算の制度上の問題がこんなズサンである以上、ムダ遣いは永遠に続く。
必死に努力して税金を負担している企業経営者からみれば、腰が抜けそうになる話だ。
ちなみに首相の諮問機関である第一次臨調でも、この問題を指摘したことがある。「決算の立場から予算そのものの批判を含めた強力な監査機関が必要」、「年度途中でも予算執行の変更・停止権限を持つ機関が必要」。至極真っ当な提言だ。
実はこの提言、ほぼ半世紀前に出されたもの。50年も前から問題点が見えているのにまるでやる気なし。お粗末。
個々の真面目な納税者だけでなく、世の中には民間レベルで納税協力団体を組織して活動している真面目な経営者は多い。心から気の毒に思えてくる。
2008年2月14日木曜日
各務周海さんの黄瀬戸
焼きもの収集に欠かせないのが美濃焼、瀬戸焼。前者は岐阜、後者は愛知に分類されるが、作品の特徴は大雑把に言って同じ傾向だ。
美濃焼とひとくちに言ってもその様式は大きく分けて3種類に分けられる。緑色の釉薬をバランス良く配し、微妙ないびつさ加減を美とする「織部」、伊万里で磁器が焼成されはじめるまで、その白い色合いが風流人を魅了した「志野」、茶人に根強い支持を集める「黄瀬戸」。それぞれ産地や名前を知らなくても、どこの家庭にもあったりする焼きものだ。
もともと、このエリアは古くから陶器産出で名高く、いま普通に使われる「セトモノ」の語源でもある。瀬戸周辺は、現在、どちらかと言えば工業製品を産出するイメージが強く、私が何度か足を向けたのは、岐阜・多治見周辺。美濃焼の陶芸家が集中するエリアだ。
焼きもの好きにとってこの一帯は、一種独特なイメージがある。なにより加藤唐九郎、荒川豊蔵といった伝説的ビックネームが活躍した地域だ。また、最近では、鈴木蔵、加藤卓男らの人間国宝も出ている。
基本的にどの陶芸家も前述した3種類の特徴的な美濃焼の名品をせっせと作り続けているが、作家によって当然、志野が得意とか織部に定評があるといった傾向に分かれる。
今回紹介する各務周海さんは、黄瀬戸を作らせたら、間違いなく日本一だと思う。日本で一番素晴らしい黄瀬戸だから、世界一の匠と表現してもいいだろう。
灰をベースにした釉薬から独特の黄色を発色させることは一筋縄ではいかないらしく、多治見周辺の陶器商を訪ね歩いても、渋い黄瀬戸を捜すのは困難。たいていテカテカ金属っぽく光っているものや、立体感のない淡い色の作品しか見あたらない。
各務さんの黄瀬戸は、俗に「油揚げ肌」と称される肌合いが実に艶っぽく、釉薬のグラデーションが微妙な立体感を生み、他では見られない完成度を見せる。釉薬の焦げやタンパンと呼ばれる濃緑色の発色も計算されたアクセントになっている。
ロクロの技術の高さも作品の品格を高めている。自身の黄瀬戸の器肌を熟知しているからこその造形は、他の作家の追随を許さないレベル。徳利の口作りなどは、まさしく芸術だ。
私自身、集めるばかりで陶器制作は詳しくないが、ロクロをひきおわって乾燥させる段階で、生乾きの作品は、ロクロでひかれた向きと逆方向に戻ろうとするそうだ。各務さんの徳利は、その反作用の収まる向きを計算して、徳利を自然に握ったときに注ぎやすい位置になるような角度で口をすぼませておくとか。
単に器をひしゃげさせれば風流とか手作り感が増すといった程度の認識で作られているものは多いが、各務さんの作品は次元が違う。まさに匠の技だ。
以前、各務さんの個展にお邪魔して、あれこれとお話しする機会があった。日本の器の「ひしゃげた美」から話は弾み、いつしか日本文化と西洋文化の比較論みたいな話題になった。
すなわち「対称と非対称」にまつわる話だ。
西洋食器は、均整や左右対称が尊ばれる。庭園造りにしても同様。いわばシンメトリーの美しさを大きな基準にしている。それに対し、日本の場合、器の形は必ずしも均整にこだわらず「歪み」に美を見出すこともある。卓上に並べる器も、西洋食器はシリーズで統一感を強調して並べることが多いが、日本の場合は陶器あり、磁器あり、漆器もあるといった取り合わせの妙を楽しむスタイル。
庭園作りにしても、枯山水の庭園にシンメトリーの要素はなく、曖昧さとか未完成の形が尊ばれる。
ここまでの話なら、趣味嗜好の違いというだけで、「ふむふむなるほど」で終わってしまいそうなだが、ここからの結論付けがチョットいい。
すなわち「決めつける文化」と「決めつけない文化」が西洋と日本の違いだと総括。そのうえで、各務さんは、決めつける文化が招くのは対立であり、決めつけない文化は共存と理解につながると柔和な表情で語ってくれた。
なんだかすっかりファンになってしまった。おまけに自分が賢くなったような気がした。
その後、私が仕事で書いている新聞のコラム(朝日の天声人語みたいなコラム)で、各務さんと交わしたこの話を取り上げた。掲載紙に対するお礼状がまた達筆で含蓄あふれる言葉ばかり。一期一会ではないが、やきもの収集という物好きな趣味に足を踏み入れて良かったと思った。
ところで、私はお茶をやらない。お茶の世界に入っていたら、間違いなく各務さんの茶碗を求めるだろう。正直、おいそれとは買えない値段だ。本当に茶道に足を踏み入れなくて良かったと思う。チョット情けないが、徳利とぐい呑みで満足できてラッキーだ(それも結構値が張るが・・・)。
一応、携帯で撮影した画像を載せるが、こんな画像で各務さんの作品が持つ極めて風雅な空気は伝わらないことが残念。
各務さんの黄瀬戸、一生ものです。
2008年2月13日水曜日
経営者のよりどころ
以前、コンサルタントと称する人からアレコレ話を聞いた。どこの教材の受け売りか知らないが、耳触りのいい話を盛んに展開する。お説ごもっともとうなずいてあげたが、やっぱり自分で会社経営しているわけでなし、なんか説得力がない。
社員の人事評価を例に挙げる。彼いわく無遅刻無欠勤の社員を評価する必要はないと主張する。理由は、それが当たり前だから―。大の大人が遅刻や欠勤をしなかったことを誉めていてはキリがないという理屈は確かに正論。でも、私としてはどうにも気持ちが悪い。ムズムズする感じだ。
トクトクと無遅刻無欠勤当然論を主張する彼の論調は格好良すぎる。格好良いことを言っている自分に酔っているかのようなフシさえある。
「あなたは1年間無遅刻無欠勤でいられるか?」。私の問に彼は窮する。私が続ける。「じゃあ、やっぱりそれが出来る奴は立派だ」。こんな感じでラチがあかない。現実社会で、なんだかんだ言っても無遅刻無欠勤は評価に値する行為だろう。それが当たり前だとは言いきれないし、経営陣のはしくれとして時にはドライな判断をする私だって、そんな社員は偉いと思う。だいたい、そんな社員なら、仕事ぶりが不真面目であるはずもない。
特殊な技術導入や専門外の事業スキームを練るような場合、コンサルタントの力が必要になることは多い。ただ、汎用的というか一般的な諸問題をコンサルタントに委ねる経営者はどのくらいいるのだろうか。
創業間もないのならいざ知らず、経営者は経営のプロである。いつも引き合いに出すが、寅さんに出てくるタコ社長だって、優秀か否かはさておき、プロとして従業員の人生を背負っている。なまじっかのコンサルタントが上っ面なことをもっともらしく言ったってそれに負けない経験と自負を持っている。
欧米企業の経営者には、専属のカウンセラーがついていることが多い。コンサルタントとカウンセラーの厳密な定義はさておき、後者の役割を端的に表現すれば「聞き役」だろう。経営者が社員に本音を語ることはない。弱みも見せられない。孤独なポジションゆえ誰かに話をしたくても、家族では通じない。友人とも土俵が違うとなれば、まさに八方ふさがり。
わが国の場合、カウンセラーという響きが、どこか心に病を持っている人だけを相手にするようなイメージがある。そのせいか、ビジネスの現場では「カウンセラーにかかってます」と軽々しく口に出せない雰囲気がある。この偏ったイメージが変われば、経営者の苦悩が多少なりとも救われることが増えるはずだ。
日本の経営者の場合、四柱推命とか風水とか、広い意味での占い系にカウンセリング的期待を寄せることが多い。定期的に事業の行方を見てもらったり、アドバイスを受けるパターンだ。占い師にあまり入れ込みすぎて、どこかの大会社の社長が役員会で追放されたとか言う話も聞く。
占いとなるとカウンセラーの基本である「聞き役」とは違う。ただ、占ってもらうには、自分の心配事や胸中を説明する必要があるため、この段階で「聞き役」になってもらっており、それだけでスッキリする経営者も多いのかもしれない。
カウンセラー、占い師、いずれにせよそこそこの費用は発生する。これが経営のために必要なものであれば、会社の経費にしても問題はないと考える。自分の子供の縁談とか自宅の間取りとかばかり相談してちゃマズいが、事業のための支出で常識的な範囲であればさほど気にすることはあるまい。
ところで、カウンセラーにも占いにも頼らない経営者もいる。そうした人達の頼みの綱は、近所のスナックのママさんだったり、赤提灯のオヤジだったりする。ここでウサばらしする費用は、カウンセリングと効能は一緒でも会社の経費にしにくい。本当の目的が酒を呑むことだったり、ママさんを口説くことだから、やっぱり対税務署的には通じない。
税務解釈はなかなか難しい。
2008年2月12日火曜日
人生いろいろ
先日、仲間うちの新年会に行ってきた。一種の同窓会だが、同窓会というほど大げさではなく、メーリングリストを経由して案内がきて、厳密な出欠確認もなく、友人が経営するレストランに集まるお気軽な会合だ。幹事役が往復ハガキを用意して大変な思いをして旧友を集めるスタイルに比べ、ネット社会の便利さを痛感する。
同窓生といっても、小学校から高校まで一貫校だったので、卒業学年は微妙にずれていたりする。男子校だったこともあり、40歳代の大人が集うにしては、会話のレベルは中学生時代と変わらないバカっぽい話ばかり。
一学年が150~160名程度の規模の学校で、一貫校だったため、割と付き合いは濃くなる。10年ぶり、20年ぶりで顔を合わす旧友が登場しても不思議なもので瞬時にタイムスリップする。
今回は40名程度が参加。職業は当然ばらばらだが、結構医者が多い。開業医、勤務医いろいろだが、宇宙人襲来を恐れる患者さんの対応に真剣に取り組む精神科医の話が楽しかった。
自治体の首長になった人間もいれば、芸能界の売れっ子スタイリストもいる。着ているものもまるでバラバラ。メガ金融機関の経営戦略の中枢で働く人間がいれば、海外協力隊でどこかの島国で野菜作りを指導し、帰国後、自給自足生活を送る人間もいる。堅実な勤め人も年齢的に会社の中枢にいるため、バカ話ついでに垣間見える「人生いろいろ」が興味深い。
容姿、雰囲気、髪の量、体型にいたるまでよくもまあバラエティに富んだものだ。一見まるで共通点のなさそうな人間達が何も構えずにバカ話をする光景は同窓会ならではのディープな眺め。それだけで楽しい。しがらみや利害関係抜きの酒はしみじみ美味しい。同じ店で7時間以上呑んでしまった。
それにしても、子供の頃の記憶は年々、消去されているようで、今回も旧友から聞かされた私自身の武勇伝?にゲンナリした。動物虐待みたいな話なのでここでは割愛。どうも都合の悪い記憶は消し去るという便利な機能が私の脳にはあるみたいだ。まあそうじゃなきゃ自己嫌悪の生活になりそうだから良しとしよう。
会場となったお店は溜池山王駅そばの「美食菜館」(http://gourmet.gyao.jp/0003026746/)という中華レストラン。明るく綺麗で使い勝手の良いお店です。お近くの方には強くオススメします。
2008年2月8日金曜日
大人の線引き
いつの間にか無くなっていく言葉は多い。ナウいとかチョベリバとかショーユ顔、ぶりっこ、胸きゅんなどなど。
「あそこのアベック、男の方はシティーボーイ風で、女はバックシャンだね。アツいね。あの様子じゃ、もうBとかCまでいってるぜ」などという言葉を、ある時代、本当に口にしていた人がいるかと思うと目まいがする。
そう考えると今どきの少年少女の言葉の乱れなんか気にする必要はないのだろう。きっとメタボとかナンタラ王子あたりの言葉も5年もすると恥ずかしい言葉になっている。
「ナイスミドル」。この言葉もすっかり聞かれなくなった。中年の域に入った私としては、若い頃、いつかはナイスミドルと呼ばれるような男でいたいと思っていたのに、すっかり死語になっている。それじゃあ何を目指せばよいのかチョット困る。
きっと「チョイ悪オヤジ」という言葉が「ナイスミドル」をどこかに押しやってしまったのだろう。でも、このふたつ、私に言わせればイメージが違う。「チョイ悪オヤジ」の方が、なんか情けない響きに聞こえる。
チョイっていうのがイヤだ。悪になりきれないのなら真面目な路線でオヤジ道を歩めと思う。ナイスミドルの方が余裕がある。分別とかわきまえの香りがする。ガツガツ
した感じがない。
ナイスミドルという言葉のイメージは、私が若者時代には40歳代の人であれば当てはまるイメージがあった。でも、いまどきの40代は、一般的にミドルといえるような雰囲気に欠ける。世の中全体の幼稚化が原因だろうか?
40代の自分が単に若ぶっていたいからそう思うのかと思ったが、本当に今の時代、年齢から受けるイメージが一昔前と様変わりしている。
ひとつの例を挙げよう。いまは亡き石原裕次郎は「太陽にほえろ」がスタートした頃、30代後半だった。あのドラマが全盛期だった頃の貫禄タップリのボスは40代前半だったわけで、その「ナイスミドル」ぶりにビックリする。
30代後半といえば、いまどきは福山雅治とか大沢たかおであり、40代前半といえば阿部寛であり織田裕二だ。彼らに七曲署の捜査一課長は無理だろう。ナイスミドルという響きもまるで当てはまらない。
チョイ悪オヤジもダメ、ナイスミドルも違うとなると、40代の頑張る男達をどう呼称すべきか。どなたか是非アイディアをお寄せ下さい。
さきほど「世の中全体の幼稚化」という表現を使ってみたが、テレビで見かける若いタレントの子供じみた言動にはビックリさせられる。身近なところでも、会社の求人に応募してくる若者の傾向は、ここ10年で格段に変わった。
端的に言って大人がいない。新卒レベルの人間ならともかく、社会人経験を数年積んで転職を希望してくる人についても同様だ。良く言えばまっすぐだが、裏返せば思慮が浅い人が多い。
若いからこそ、大人になりたくて、そのために必要なアレコレをスポンジのように吸収しているはずだが、そういう気配がない。若年世代における現状満足派の増加が社会問題になっているそうだが、ここ数年確かにそれを実感する。
偉そうなことを書いてしまったが、30代、40代だって幼い人間は多い。自分だって、一昔前の40代の先輩から見れば、幼稚な点が多々ありそうだから、ウダウダ書くのはヤメにしよう。
今の時代、40代になってもナイスミドルになりきれないのだから、20代、30代が一昔前のイメージより子供っぽくても仕方ない。
話題にするには随分日が過ぎてしまったが、何かと論議を呼ぶ成人式だって、幼い人間を大人扱いするから色々と問題が起きる。成人式は30歳くらいでちょうどいいのかもしれない。
30歳を迎える人に言いたい。「祝・成人。大人の世界にようこそ!」。
2008年2月7日木曜日
富麗華、福臨門
高級中華料理店って便利な存在かも知れない。接待やデートの場面では、仰々しすぎることもなく、かしこまりすぎることもない安心感がある。
高級フレンチだと残念ながら肩が凝る。メニューに書かれた料理の名前が素材ぐらいしか分からなくてイラついたりする。ワインリストが膨大だと憂鬱になる。まあ単にパンが嫌いという個人的理由が大きいのだが・・・。
高級寿司店は、密談、商談、ワイ談がカウンター越しに筒抜けで困る。
懐石料理店は、おのれの日本文化への理解度不足が露呈して反省気分が強まる。
イタリアンは、働いているイタリア人が格好良かったりして困る。
中華料理店は総合的に無難だ。中華料理が苦手という人は少ないし、メニューの内容がたいてい分かるし、分かったフリをしてワインリストを睨む必要もない。ちゃんとした店なら毒ギョーザも出てこない。
アレコレ語れるほど食べ歩いたわけではないが、「福臨門」と「富麗華」は、それなりに抜きんでた存在だろう。お値段という意味でもそうだが、料理全体のレベルが高い。
福臨門は、香港に行った際にも、2,3度行ったことがあるが、個人的には日本の方が満足度が高かった気がする。久しく行ってないので、偉そうなことは言えないが、徐々に店舗数が増えていることがレベル維持の点でちょっと気になる。
以前の銀座店は味気ないインテリアが良かった。これみよがしのインテリアよりも、素っ気ない風情が味への絶対の自信のように映った。異様にお高いフカヒレとかアワビより、お手軽価格の鶏の丸揚げとか、海老料理や、いわゆる家禽類ロースト系の料理が絶品だと思う。
以前行ったとき、シンプルでプレーンなつゆそばを作って欲しいと頼んでみた。要は単なるラーメンの注文だ。お金が無くて頼んだのではない。純粋に食べたかったから頼んだ。
結果、滋味という表現しか思い浮かばない優しくも奥深い味わいだったことを思い出す。上湯の素晴らしさがすべての決め手だろう。日本料理が出汁のレベルに依存しているのと同じで、中華もこの部分が肝。単純なラーメンも神々しい味になる。
お次は東麻布の「富麗華」。ほんの少し隠れ家的な立地、店のしつらえ、インテリア、食器などなどが丁度良い高級感で整えられている。中国古典楽器の生演奏もあって、「さあご馳走を食べましょう」的な高揚感をきちんと演出してくれる。
広東料理の店のレベルを一発で決めるのが甘めの味付けのロースト類。この店も間違いない美味しさ。許されるなら鴨や豚のローストばかりを大量に頼んでひたすら酒のつまみにしたいが、そうもいかない。大人だから一応野菜なんかも食べないと格好悪い。
サクサクしたフレークが入っている北京ダックは、この店に来て頼まない人がいないくらいの人気メニュー。率直に美味。
あれこれ説明してもきりがないが、特筆すべきは“黒チャーハン”。正式名称は忘れたが、見た目は黒くて楽しげではない。初めて見る人は食欲が湧かないかもしれない。私の初体験がそうだった。満腹気味な頃合いに登場した黒チャーハンにゲンナリしかけたが、頬ばってビックリ。見た目とは裏腹にあっさりしている。いい感じでコクもあり、ちょこちょこ載っかっている松の実の食感がアクセントになって抜群。どんぶりでも食べられるぐらいのお気に入り。未体験の方には是非是非オススメ。
そこでしか味わえない独特の料理がいくつもあることが高級中華として他をリードする条件だと思う。そうした点で富麗華はさすがと言っていい。平凡な料理も確かにあるが、あとあとまで長く印象に残る料理がいくつもある。
思い出に残る料理があれば、その食事に費やした時間すべてが素敵な思い出になる。
2008年2月6日水曜日
中年こそ純情か。
30歳を過ぎた頃、突然「寅さん」が好きになった。凝り性な性格もあって、2か月ぐらいの間だったか、短期間のうちに全部見た。結構語れる。柴又の寅さん記念館にも行った。おまけに置いておいてあったアトラクションの寅さん関連クイズも全問正解した。
好きになった理由を考えてみた。もともと旅好きな性分、それもひとりで気ままに旅をするのが好きなので、48作品それぞれに漂う旅情の部分に強く惹かれたのだと思った。
でもそれだけじゃあなさそうだ。都会での仕事に付きものの、「闇雲に押しつけられる常識という枠」に窮屈さを感じていたことも大きな理由だろう。
納得できないことがあっても、よくよく根拠もなく「そういうものです」、「そうすることになっています」などと言われると時に無条件に納得いかない気持ちを引っ込めてしまう。そんな麻痺していく感性を癒したくなったのかも知れない。まっすぐで一本気な非常識を展開する寅さんに何かを投影したくなったのだろう。
実際、こうした部分が真面目な日本人にあのシリーズ映画が支持された理由だろう。だから大人になって初めて面白おかしく見られるようになった。若者が寅さんシリーズを好きだったら、その人はよほど偏屈だ。
嵐勘十郎演じる愛媛の殿様の末裔と知り合っても、「爺さん淋しいんだね」と語りかける。宇野重吉演じる人間国宝クラスの画家に「あの娘に似顔絵くらい描いてやったっていいだろう。ケチ」と説教する。吉永小百合扮する娘と絶縁関係にある高名な小説家には、「男女の色恋なんて不真面目なものを書いてちゃダメだ」と諭す。
ひたすら権威とか名声というものへのアンチテーゼとして寅さんの一本気が強調される。初期の頃に凄まじいセリフがある。寅さんファンの間では有名セリフだ。
「でめえ、さしずめインテリだな!」。
この開き直り方は芸術的だ。高度成長期のホワイトカラーに向けた強烈なメッセージだろう。人情や支え合いの気持ちより、ひたすら上昇することが優先された風潮への嘆きだ。
聞きようによっては、利益至上主義、なんでもかんでも合理主義がもたらした愛情の欠けた今の世相にも突き刺さるように思う。
負け組にはなりたくない。格差社会の底辺にもいたくはないが、かといって、ドライすぎる生き方を目指したくない人にとっては、寅さんの愛すべき破天荒ぶりは、型にはまった社会への警告に聞こえるはずだ。
なんか小難しい話になってしまった。そんなことより、寅さんの愛すべきもうひとつの要素は、その純情さだろう。大人になると純情な様子、純情な気持ちを表に出すことが難しくなる。なぜだろうか。恋に落ちても、それを相手に伝えることが難しくなる。本当だったら、その事実をせつせつと語りたいのだが、いろんな思惑があって悶々とする。
でも、若いうちならともかく、年齢を重ねるごとに図々しくなるのだから、純情な叫びは一生懸命表現した方がいい。でも、いざ表現しようとすると今度は相手が本気にしなかったりする。なんとももどかしいオトナの循環だ。
寅さんの純情ぶりは、恋に落ちたことを語ることすらできない幼い純情で、実にいじらしい。いじらしいから映画を見ている側を切なくさせる。
「今度あのコにあったら、こんな話しよう、あんな話もしよう、そう思って家を出ても、そのコの前に座ると、ぜーんぶ忘れちゃうんだ。そんな姿が情けなくて涙がこぼれそうになるんだよ」――。
見ている人にとって、どこか共感するというか、身に覚えがある感覚だろう。それを上手に言葉にしてくれる寅さんにおじさん達も皆共感する。
大人向けの映画だけに、大人の色恋沙汰についても、世間が常識と思っている枠をいとも簡単に突破する。三船敏郎扮する頑固オヤジが恋をしていることを悟った寅さんは、三船の娘(竹下景子)から、「だってお父さん、もういい歳よ」と言われて怒る。
「男が女に惚れるのに歳なんかあるかい!」。この一言がすべて。確かに、いい歳になったら恋をしないという世間の常識は、こんなひとことで崩壊するレベルのものだ。
常識や枠、しがらみに囚われない言動って結局、純情でなければ成り立たないのかもしれない。
話は脱線するが、ジャック・ニコルソンとダイアン・キートン主演の映画「恋愛適齢期」も中年女性が堂々と恋に突き進む「中年の純情」を描いたハッピーな作品。いい歳した男女が最後は結局髪振り乱して一直線に恋に落ちる潔さがなんとも痛快だ。いちおう中年側になってしまった私としては、ひいき目だが、ジャック・ニコルソンの方が、恋敵のキアヌ・リーブスより断然魅力的に映った。まあひがみ根性ではあるが。
なんか話にまとまりがなくなってきてしまった。要は、「中年こそ純情」というタイトルに合わせるようにダラダラ書き続けてしまった。着地点が見つからない。困った。
でも寅さんはいい。いくつになってもどこに行っても恋するお相手が見つかる。現実社会で生きる40代以上の大人達にとっては、出会い自体がなかなか無い。そんな相手に出会えたら、積み上げてきたあらゆる経験を味方に一生懸命に恋心を伝えてみたい。
結局今日もオチがなかった。病気だろうか。
2008年2月5日火曜日
京都、浅草、風情とコスト
いきなりだが、空気というか雰囲気、風情に対するコストって絶対に必要だと思う。もともとモノの値段って難しい側面がある。芸術作品なんかその典型だ。絵画や彫刻は、作家の名前が値段の差につながる。無名なままではどんな素晴らしい作品でも飛び抜けた価格は絶対につかない。
陶器集めが好きで、あちこちと窯場を訪ねる。工房見学や作家本人に会おうとしても、やはり事前に情報が収集できるのはそれぞれの産地の有名人に絞られがち。大家と呼ばれるようになると作品の価格は自ずと高額になる。
まあ大家ともなれば、出来の悪いものまで作品として売りに出せない成約もある。取引のある美術商の値付けを壊さないために仕方なくプライス調整をできない側面もある。完璧なものしか売りに出せなければ価格が高くなるのは当然だが、なかには、名前だけで実に微妙な値付けをしている人もいる。
もちろん、名があると言うこと自体が、そこに至るまでの数々の受賞歴や各界からの評価の裏付けなわけだから、何に比べて高いというかは確かに難しい。
私の場合、地元の陶器販売店や料理店などで地元の新進作家を教わって、有望株を訪ねることも多い。一部で有望と言われただけで、既に勘違いしちゃってる作家もいれば、真摯に不器用に作陶を続けている人もいる。不思議と作品にそうした気配は出るもの。ただ、商業的に成功するかしないかは、作風だけで決まるものではない。マスコミへの露出、美術商の引きはもちろん、地元とのしがらみも大きく、「大家」になれる人はごく一部だ。
話が脱線した。モノの値段だ。美術関係だけでなく、サービス業、客商売なども「空気」、「風情」が値付けに影響する世界だ。
天ぷら屋さんでも、揚げる素材、油、供される器、店の造作、職人の居ずまい、仲居さんの接客すべてが合わさって価格が構成される。高い、安いの評価はそこまでひっくるめないと分からないし、受け手の主観で判断は変わるため、絶対的尺度はなかなか存在しにくい。
ところで、「空気や風情」の代表格といえば京都だ。祇園周辺、なかでも八坂神社周辺の雰囲気は、旅人に旅情を強く感じさせる点で日本有数の世界。夜のそぞろ歩きは、あの街独特の魔界的空気も加わって旅人を魅了する。
最近すっかりご無沙汰してしまっているが、祇園・花見小路に何度も通ったお寿司屋さんがある。京都には旅人を京都っぽい風情に浸らせてくれる飲食店は多い。ただ、安っぽいわざとらしい作りの店も多いのがたまに傷だ。その点、このお寿司屋さんを夜に利用すると格別な空気が漂う。店の名は「呑太呂」。
塗りのつけ台と白木のカウンターの間には、小川を思わせるように水が流れる。板前さんはネクタイを着用。ただ、足元には高ゲタという憎い演出。動くたびにその音色がこだまして耳に心地よい。
京都の人がやっているのだから、京ことばは当たり前だが、店の雰囲気と聞こえてくるイントネーション、祇園という立地が旅行者を気持ちよくさせてくれる。
寿司以外にも、冬のかぶら蒸しなどは絶品で、この地の料理水準の高さを思い知らされる。肝心の寿司は、ビックリするようなレベルではないが、充分満足できる。さすがに日本の西側だけあって白身魚は抜群。
特筆すべきは鹿の子と呼ばれる和牛の炙りの握りだ。東京人が牛肉なんか邪道だとか固いことを言ってもはじまらない。単純明快に美味しい。聞くところによると、石原裕次郎や美空ひばりが好んで食べていたのが、この鹿の子の握りだそうだ。確かにああいう人達がバクバク食べていそうな感じの豊かな味だ(どんな味だ?)。
好き勝手につまみを食べて握ってもらって酩酊すれば、もちろんお勘定は安くない。でも本格割烹や料亭に行くよりは安い。食べたものだけを考えれば高いという評価もできるが、私が得意とする「変な解釈」では納得のプライスといえる。
私の「変な解釈」について解説してみたい。まず旅の止まり木としての空気感を気配りで演出してくれる点に○△円の価値がある。そして1年に1回ぐらいしか行かない馴染みといえない私の名前を何人かの板前さんが覚えていてくれて、しっかり苗字をよんで応対してくれる。この部分に○△円、帰り際に高ゲタをならして玄関の外まで丁寧に見送ってくれる点に○△円・・・。こんな感じで積み上げていくとお勘定に納得してしまう。
旅先という魔力が私をすっかり甘口評論家にしてしまう。でも辛口採点ばかりじゃあ旅がつまらなくなるので、それで良し。私の場合、結構旅先では、店にとって都合のいい客だと思う。
先日、銀座のクラブで京都の舞妓さん出身のホステスさんとアレコレ話をした。食べ物の話で盛り上がったついでに、「呑太呂」の話も登場。彼女曰く「あそこは高い」という。
実際はもっと風情のある言葉使いだった。「あそこは、たこうて、よういきまへん」みたいな言い方だった(「あそこ」の「あ」にイントネーションを付けて読みましょう!)。
確かに地元で動いてる人にとっては、京都っぽい空気感とか風情は、日常生活なわけだから、それに価値を見出す私の変な解釈での計算は成り立たない。名前を覚えてもらって嬉しいのも私が600キロも離れたところから来ているからで、地元の人からすれば、「そんなの関係ねえ」の世界だろう。
東京であれば浅草なんかも似たようなものだろうか。浅草も随分ご無沙汰なので近いうちに改めて探検したいのだが、私なら大黒屋の天ぷらを並んで食べようとは思わない。舟和の芋ようかんも浅草じゃなくても買える。それなら六区あたりの濃密な臭いをかぎながらモツ鍋屋の店先で観光客を冷やかしながらホッピーとタコブツを頼んだ方が楽しそうだ。
でもそれじゃあまるで富豪記者ならぬ貧乏記者みたいなので、うなぎの「前川」、てんぷら「中清」あたりのしっぽり系の店で過ごしてみたい。
モノの値段について書いていたつもりが、なんだかまた脈略のない話を書き殴ってしまった。最近どうも自分の文章が地に足ついていない感じで困ってしまう。病気だろうか。
2008年2月4日月曜日
別宅とお金の出所
別宅という概念がオーナー経営者らの間で少しずつ浸透している。自宅以外の隠れ家というか自分だけの居場所を確保したい心理は中年以上の人間なら誰もが思うはず。
雑誌「LEON」」で活躍した岸田一郎編集長が独立後に手掛けている富裕層向け情報誌「zino」なんかも、さかんに社長さん向け“トキメキ別宅”といった特集を展開している。富裕層向けのクオリティライフを提唱する以上、当然、そうした着眼点は外せないわけだ。
浮気目的とか単純な話ではなく、息を抜くための一種の止まり木的な欲求だ。とくに自宅の所在地が、都内中心部から離れているような場合、仕事上の付き合いを銀座や六本木あたりで毎晩のように遅くまでこなす経営者達にとっては、こうした発想は自然なこと。
都内中心部にタケノコのように増殖するマンションがこんな目的で購入されることも多い。購入までは考えない場合でも、最近は、サービスアパートメントのような家具付きでホテル的サービスが受けられる賃貸物件が増えているので、そこに狙いを付ける経営者は多い。
この場合、気になるのが、個人の財布から費用を捻出するのか、会社名義で活用するのかという判断だろう。自分の息抜きという要素を考えると、あくまで個人的な費用として処理すべきで、会社の経費にするのは難しいという考え方が一般的かもしれない。
とはいえ、社用で連日のように遅くなり、高いタクシー代と長い時間を使って帰宅することは非生産的な行為でもある。自宅所在地、会社所在地のほか、そうした別宅を利用する趣旨や目的などを総合的に判断して合理的なものであれば、税務解釈上、会社経費で別宅を使うことはちっとも無理な話ではない。
対税務署的に見れば、もちろん、慎重な判断は必要だろうが、あくまで経費性の立証責任は納税者側にあるわけで、正当な理論武装などがあれば済む話だ。
賃貸ではなく、投資用物件という意味で購入することも会社の財務戦略上間違っていない。うまく値上がりでもすれば、会社という存在の根本的目的である利益追求にもかなう。
不動産情報誌や富裕層向けに高級不動産を紹介する情報誌は数多いが、どうしても不特定多数をターゲットにしている以上、家族向け物件などの情報が中心。別宅的アプローチは世の中でまだまだ少数派だ。
経営者の別宅問題でカギになるのは、さきほど説明した「財布の話」、すなわち、会社名義での処理のポイントや税務署的視線の見極め方といった部分だ。この点はオーナー社長向けの税金専門紙しか論理的考察ができないのが現実だろう。
別宅に限らず、会社名義でのクルマ活用術などオーナー経営者の商品への関心は、「そのカネはどっちの財布を使うか」、すなわち自分個人か会社経費かという微妙な線引きの上に成り立っている。
巷にあふれる情報誌やwebの情報などでは、この微妙なヒダの部分まで切り込めないのが現実だ。オーナー経営者向けのマネー関連媒体を出している立場から見れば、一般的な編集者の限界はこの一点につきると思う。
2008年2月1日金曜日
銀座で函館
銀座にある海鮮料理の「函館」に行ってみた。最近、北海道へわざわざカニ・魚卵系摂取に行く私としては、鳴り物入りでオープンしたこの店がちょっと気になっていた。
巨大ないけすに生きたカニや貝類などがどっさり。期待していったが、残念ながら結論は「微妙」。素材は確かに新鮮。つきだしで鮮度抜群の帆立が炭火と一緒に運ばれてくるし、生きたタラバも刺身や焼ガニなど好みで調理してくれるし、都内では珍しい内子もある。食べなかったが、貴重な鮭である鮭児も常備。メニュー自体はいい感じ、価格も立地を思えば問題なし。内装も洒落ていてそこそこ高級感もある。
全体的なソフト面が「アイタタタ・・・」の残念賞。バイトの若者も頑張っているようだが、なにぶん極端に素人。プロっぽい接客が出来そうな人が見あたらない。頼んだアルコールも大混雑してるわけでもないのに、いつまでも来ない。テーブルチャージを謳っているのにお会計を頼んでもいつまでもやらない。
新しい店だが、まったく練れていない。丁寧でてきぱきしていることは認めるが、あの場所であの仕事ではちょっと厳しい。チェーン店の居酒屋の高級版という域だろう。
一応「函館」というお店の名誉のために付け加えるならば、この店が池袋や新宿にあったら結構喜んで通いそうな気がする。銀座だと美味しい店がいくらでもあるのでわざわざ行かないという話。
そんなわけで久しぶりに食事目的の店をはしごした。お酒目的でのはしごではなく、夕食のはしごだ。8丁目にある間違いないお寿司屋さんにお邪魔する。プロの仕事にホッとする。食べ直して呑み直す。
そのあと勝ち組クラブ「M」へ。いい時間でした。