渡辺善美行革担当相の四面楚歌状態を各メディアがこぞって取り上げている。先日も天下り問題から構想が浮上していた内閣人事庁を創設する案が白紙に戻り、政治家と官僚の接点を限定的にする制度も曖昧なまま決着しそうな雲行きだ。
行政改革担当大臣といえば、わかりやすくいえば、行政全体の既得権益を壊すことが仕事なわけで、官僚機構はもちろん閣内からも反発を受けて当然。スムーズに和気あいあいと進められる業務であれば、それこそウソだ。
当初の任命者・安倍前首相の政権放り投げで、改革担当の居心地は悪くなったようだ。福田首相は、何がしたいのかよく分からずに首相になって、前任者の閣僚を全員引き継ぐというポリシーもヘッタクレもない状態だから、すべての政策が官僚機構のペースで進み始めている。まあ福田首相は、小泉、安部路線のゆりもどしをゆりかごで眺めているような状態だろう。
随分短絡的な批評をしてしまったが、今回書こうと思ったのは、渡辺行革担当相の父親であるミッチーの話。
ミッチーといっても及川光博ではない。故渡辺美智雄氏のこと(最近は一期一会と市毛良江を混同する人がいるらしいから、あえてミッチーは美智雄氏と書いておこう)。
ミッチー元蔵相は、政治家になる前は税理士事務所を開設していた経歴を持ち、税財政分野でしっかりとした持論を展開した。政治的なパフォーマンスも独特で、税の世界でもいくつかエピソードが残っている。
確か、80年代前半、東京国税局管内で日本初の女性税務署長が誕生したときも、時のミッチー蔵相の意向が強く働いたとか。おかげで、精緻に積み上げられていたノンキャリア公務員の人事慣行や序列が崩れ、その後何年にもわたって影響が残ったというボヤキを聞いたことがある。
ちなみに西日本初の税務署長は、小泉チルドレンの中で何かと異彩を放つ片山さつき現代議士。こちらは東大出のキャリア組とあって、弱冠30歳での署長就任。
話がそれた。ミッチーさんの話だ。
ミッチーさんがとくに晩年強く主張していたのが「金持ちを優遇しろ」という点だ。最近でこそ、チラホラ聞かれるようになった正論だが、氏の提言は、バブル崩壊後の低迷期に声高に展開されていた。実体経済を知る人間こその発言だと思う。
税制審議では、当然のように金持ちへの課税強化を基本にする。それを言っておけば間違いないとばかりに、何とかのひとつ覚えのように締め付けが強まる。実に安直。
金持ちがカネをドシドシ使いやすくする環境を作ることが経済の循環を良くするという当たり前の原則が忘れ去られている。大衆迎合をしたほうが、審議会でも議会でもことは簡単なのだろうが、ここは自由主義経済、資本主義経済を選択した国家である以上、金持ちを制裁するかのような課税思想はトンチンカンだろう。
最近でも、自民党財政改革研究会でリーダーの与謝野馨代議士が、日本の所得税の最高税率の引き上げについて言及した。先祖返り極まれりって感じだ。ここ10~20年、さんざん議論されて、国際競争力確保という理由で現在の水準にまで引き下げられたものを再度引き上げるという発想は理解に苦しむ。
ヨーロッパでは最近、「富裕税」とか「裕福税」といった資産課税政策を軽減・廃止の方向で動いているそうだ。そのお金持ちマネーを他に使ってもらい、経済活性化につなげようというごくまっとうな話。
かつてレーガン減税、サッチャー減税と称された米英の政策がその後の両国の好景気を招いたことは結構みんな知っているのに日本では一向にそういう発想がない。
首相レースの最後で力尽きたミッチーさんが強力な政権を作っていたら、税制の歴史に少しぐらい金持ち優遇政策が反映されたのだろうと思うと残念。
2008年2月20日水曜日
ミッチーとリッチ
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