2021年9月29日水曜日

撮影したい病


涼しくなってきたから散歩が楽しい。好きな音楽を聴きながらブラブラ歩くと気分もアガってくる。

 

最近は、道端の花にスマホを向けて「Googleレンズ」というアプリで品種名を調べることが多い。いかに自分が花の名前を知らないかを思い知らされて刺激になる。

 




 

イマドキのスマホのカメラは優秀である。私のシャープ製のアンドロイド(アクオス)は2年前の機種だがカメラ機能に不満は無い。

 

バッテリーが弱ってきたので同じ機種の新鋭機に買い換えようと思ったのだが、アクオスの最新機種はライカ製のスペシャル?なレンズを搭載してウェイウェイ宣伝しているわりに、接写機能が致命的にダメだというクチコミをみて断念した。

 

写真の楽しみの一つが接写である。マニアックに言えばマクロ撮影である。私はハタチの頃から30年ぐらい水中写真に真剣に取り組んだから、そっち分野には一家言ある。

 



 ハナウリクサという品種だそうだ。肉眼では分からない色のグラデーションにうっとりする。マクロ撮影ならではの世界だと思う。

 

スマホのカメラでこの程度は撮れちゃうわけだから便利な時代になったものである。上に載せた百日草なども同じくスマホでパシャっと撮ったものだ。おまけにすべてフルオートである。

 

その昔、水中撮影にそれこそ命をかけて取り組んでいた頃は、一眼レフにニコンのマイクロニッコールレンズを装着して奮戦していた頃が懐かしい。60ミリと105ミリマクロを使い分けていた。

 

その後、ミラーレス一眼に移行した際はライカ製の45ミリマクロレンズを使ってきた(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2010/04/dg-macro-elmarit-45mm.html?m=1)。

 

今はスマホがあれば上のような花のアップは簡単に撮れるわけだから昭和人?としては隔世の感としか表現できない。

 

花の接写を楽しんでいるうちに、「水中写真を撮りたい病」がモゾモゾと私の身体の中を駆け巡っている。潜水旅行自体がセミリタイア状態だったところにコロナ禍だ。もう何年も海とはご無沙汰になってしまった。

 

一種の禁断症状と言えよう。でも、またいつか潜りに行けるようになってもブランクと体力低下と視力の劣化でマクロ撮影などお手上げ状態になることは確実だろう。

 

加齢は気にならないし、むしろ若い頃よりオジサマ生活のほうが楽しいことが多いが、水中撮影みたいな肉体派の趣味に関してはやはり若さが恋しい。

 

というわけで、今日は過去に撮影した我が作品をアップしてみたいと思う。

 

水中撮影に情熱を燃やしていたフィルム時代のものばかりである。デジカメに移行してから、その安直さ、簡単さのせいで情熱は薄れてしまった。


制約が多くて不便だったフィルム時代にはワンカットワンカットを丁寧に扱っていた。いま思えばその不便さこそが楽しみになっていた気がする。

 



 というわけで20年ぐらい前の作品が中心だ。ちなみに上の画像は私が25歳ぐらいの時のもの。ガイドダイバーにカメラを渡して撮ってもらった一枚だ。まだスマートだった私がエイと戯れていた一枚。私自身の体積?は今の半分ぐらいである。

 



















とりあえずマクロレンズで撮影したヘンテコな魚のアップなど悪趣味?な画像が多いが、こういう小物の写真を撮るのが好きだった。体長数センチの魚ばかり追っかけていた時期もあった。

 

水中写真の世界はマクロ撮影のオタクっぽい路線がもてはやされる変な風潮があったので、アマノジャクがウリの私は時折ワイド撮影に励むこともあった。


16ミリフィッシュアイレンズを使って超ワイドアングルの気持ちよい雰囲気の写真も撮っていた。ついでだから私が好きな作品を載せてみる。

 






           





正直、超ワイドのほうが撮影は難しい。これから水中写真を始めたい人は、手軽な近接撮影から始めて、段階的にマクロ撮影に励むことがオススメ。

 

超ワイドともなると海の透明度が高いことが条件になり、被写体に触れるぐらいの距離に近寄れないと迫力のある画像は作れない。

 

マクロ撮影だと透明度が最悪でもそこそこ綺麗な作品が撮れるので、そのあたりをポイントに使い分けることが基本だ。

 

なんだか初級水中撮影講座みたいな話になってしまった。

 

 

 

2021年9月27日月曜日

銀座 バカな話

 

今は住まいから近くなったので何となく特別な感じは無くなったが、以前は「銀座の夜」といえば、なんとなく心が浮き立つような高揚感があった。

 

コロナ禍ですっかり淋しくなってしまった夜の銀座を歩いていると、世の中の変化を痛感する。

 



 

最近、ちょっとずつ銀座飲みを始めているのだが、活気が無くなった街を歩いていると、場違いな感じというか、自分が何だかヘンテコなことをしているような気分になる。

 

やはり、街が持つパワーやオーラはそこに集う人々が作り出すわけで、現状は散々な状況だ。まあ、銀座に限らず繁華街はすべてそんな状況に陥っているわけだ。

 

当たり前の話だが、やはりいつまでも闇雲にジッとしていたらロクなことはない。

 

某日、長い付き合いの某ママさんの誕生日祝いがあるとの誘いを受けた。以前はそういうイベント的な日に店を訪ねることはせずに、前後の賑わっていない日に顔を出すのが私の流儀だった。

 

今はそんなイベントの日でもどうせガラガラだろうと、珍しくパーティー当日に出動することにした。

 



 まずは、隠れ家?料理店の「そうな」で生姜焼きをつまみに晩酌だ。銀座の夜だからといって特別なモノを食べるのもヤボだ。生姜焼きぐらいが普通な感じで良い。

 

他にもアレコレ食べてからママさんのお祝いをしている店に向かう。ガラガラだろうとの私の想像は大ハズレで、いにしえの銀座を思わせるほどの大盛況だった。

 

単純な私は、“夜の部活”で訪ねる店は賑わっていて欲しいので、久しぶりの光景にちょっとワクワクした。でも正直ビックリした。

 

いまのご時勢、不謹慎だという批判も多いのだろうが、それはそれでひとまず横に置いて、「活気」を感じる瞬間って結構貴重なものだと感じた。

 



 少なくともワクチン接種が進んだいま、以前と同じような行動自粛を闇雲に続けていくのもバカみたいな話である。国も今後、さまざまな制限を緩めて実証実験をするようだが、私にとっても夜の銀座を覗くことは一種のリハビリみたいな感覚がある。

 

数年前はこのブログでも夜の銀座で撮影した綺麗どころのセクシー?画像をアップしていたが、まだまだそんなノリでワイワイ騒ぐような飲み方は出来ない。

 

脳天気な私でもさすがに以前の通りの感覚は戻っていない。それ自体が「コロナの後遺症」みたいな話である。

 

別な日、違う店を訪ねた際、他にはお客さんが二組だけだった。広い店だからやはり切ない空気が漂う。

 


 

早めに帰ってしまったその2組がいなくなったら貸し切り状態である。こうなると逆に帰りづらくなってダラダラと飲んだ。

 

夜もかなり遅い時間かと思ったが、時計を見たらまだ10時台である。それでも今は夜の10時といえば街は深夜みたいに静かだ。

 

深夜まで飲んでいたような錯覚に陥る。このあたりもコロナ後遺症、コロナ時差?である。

 

それにしても、銀座の夜のタクシー乗車制限は何とかならないものだろうか。夜10時を過ぎたら決まった乗り場からしか客を乗せない銀座ルールが今の状況でも続いている。

 

もちろん、10時を過ぎたら街はガラガラ。人通りも無い。客待ちのタクシーやハイヤーで道路が混雑する気配は1ミリも無い。

 

それなのに流しのタクシーを拾えないルールを何も考えずに続けているのは愚の骨頂そのもの。

 

いまどき夜の銀座で飲んでいる私もバカなのだろうが、あのルールが続いているのはもっとバカ丸出しだと思う。

 

 

 

2021年9月24日金曜日

蜜の味

 

退陣する菅首相は、就任当時はパンケーキおじさんと呼ばれて支持を集めた。たった1年でそんなホノボノした話は聞かれなくなった。諸行無常である。

 

大衆ウケ狙いのアザといアピールだろうと思っていた私だが、最近、私自身がパンケーキおじさんに変身してしまった。今になって菅さんのスイーツへの思いが分かる気がする。

 

朝ご飯はコメという私の半世紀にわたるこだわりは今年に入って一気に崩れた。朝からウーバーイーツでスタバを頼んだり、朝マックを持ってきてもらううちに、コーヒーにパン類というパターンが増えた。

 

ソーセージマフィンだ、サンドイッチだと私にとっては斬新?な朝メシを楽しんでいたのだが、いよいよホットケーキだのフレンチトーストだの甘ったるい世界にも進出してしまった。

 

一人暮らしのオジサマが部屋で一人、朝からホットケーキを食べている姿を思うと自分のことながら結構シュールである。

 


 

始まりはマクドナルドのホットケーキだ。その昔、子供が食べているのを横からつまんだ際に、その安直な甘ったるさとシャバダバな?見た目に自分には無縁の食べ物だと感じた。

 

それが今は好物になってしまった。朝の時間帯はビッグマックもグランマックも販売していない。私が喜んで食べられるのはフィレオフィッシュぐらいだった。

 

ある日、フィレオフィッシュとともに成り行きで頼んだホットケーキが美味しく感じた。50代にして目覚めた蜜の味である。革命だ。

 

率直に言えばただ甘いだけである。料理として創意工夫のカケラも感じられない単調な味なのだが、妙にウマい。

 

コーヒーと一緒に味わったせいで、何となく「これはこれでアリだ」とこの歳になってようやくヤツの存在意義に気付いたわけである。

 

今も「ただ甘いだけで料理として創意工夫のカケラも感じられない」というディスった印象は変わらないが、その部分がすっかり好きになって中毒状態である。

 

とある週末、朝マックとは別のホットケーキが食べたいと思い、ウーバーを調べたところ、ハワイ発祥のパンケーキ専門店「Eggs'n Things」が出てきた。

 

その昔、ワイキキの店に何度も行ったことがある。その時は同行者が食べるパンケーキを一口もらうぐらいで、私はモーニングステーキなどガッツリ塩味系を食べていた。

 

今の私はパンケーキおじさんである。さっそくフレンチトーストとストロベリーパンケーキを注文してみた。

 


 

家にいながら「Eggs'n Things」のパンケーキが運ばれてくるなどとは、ハワイに何度も出かけていた若い頃には想像も出来なかったことだ。実に便利な時代になったものである。

 

糖分に飢えていたのだろうか、二つとも完食してしまった。食べながら気付いたのだが、パンケーキという食べ物にウマいマズいはあまり無いのではないか。

 

すべてはメープルシロップの味に支配される。溶けたバターも風味をアップさせるが、基本的にはメープルシロップを食べている感じだ。

 

バナナやイチゴやマンゴーなどをパンケーキに混ぜ込んであるパターンもあるが、私の好みはプレーンである。そうなると味の違いはさほど無いような気がする。

 

いや、パンケーキの初心者である私がそんな風に決めつけてはいけない。もっと謙虚に研究しようと思い、別な日、わざわざ東京ステーションホテルのラウンジまで出かけてパンケーキを注文してみた。

 


 

見た目や付属品?はさすがにホテルラウンジだが、冷静に肝心のパンケーキだけを判断すると、やはりシロップのアノ味である。それ以上でもそれ以下でもない。

 

パンケーキだけ食べたかった私にとって周囲のゴテゴテは不要なわけで、そっちにも気を回すことが面倒だった。

 

というわけで、結論としては、マックのホットケーキで充分である。専門店が付属品のように添えるシロップ漬けになったフルーツも私は要らない。ただバターとシロップがあれば充分である。

 

そう考えると、あの素っ気ないマックのホットケーキは希有な存在だ。至高の一品かも知れない。不要なものを削ぎ落とした凄みすら感じる。大袈裟か・・・。

 

ヘンテコな結論になってしまった。

 

 

 

2021年9月22日水曜日

構ってちゃん


すっかり普通の言葉になったのが「映え」である。“インスタ映え”などで使うアレだ。昔で言えば“絵になる”といった意味だろう。

 

それにしても若い人の画像はいまや加工が当たり前で、こんな私ですら娘のスマホで撮影されると妙にシュッとした風貌に変わる。

 

もはや若者にとって人物画像は自動的に加工されるのが当たり前みたいである。わが娘ですら私のスマホで撮った自分が映った画像には興味を示さない。

 

整形手術と一緒で、見た目が良くなるのなら結構なことでヨソの人間がとやかく言うことではない。でも、今の若者がオッサン、オバハンになった時にはきっと後悔するんじゃなかろうか。

 

若い時の自分や友達の姿を画像で振り返っても加工だらけだ。本来の姿とは違うわけだから懐かしさも変質しちゃうような気がする。

 

まあ、そんなことをブツクサ書いていること自体が私の旧人類化の証拠なんだろう。

 

カッコつけたい、自分を飾りたいというのが誰にだって共通する心理だ。行き過ぎちゃうと、いわゆるマウンティング的なウザったさしか残らない。その線引きが上手かどうかが人としてのセンスなのかもしれない。

 

“忙しい自慢”などはシャバダバの典型だ。「忙しくて3時間しか寝てない」「忙しくてメシも食えない」等々、やたらとアピールする人がいる。

 

聞かされた方は同情するような表情の裏で「要領が悪いんだろうか」「この人は無能なのか」と思っている。

 

若者が必死に忙しいアピールをしたがるのは分かるが、いい歳したオッサンがそんな感じだと実にカッチョ悪い。

 

たとえ忙しくても余裕があるフリが出来るかどうかが大人と子供の分かれ道のような気がする。

 

「昨日は10時間も寝ちゃったよ~」「昼飯、2軒もハシゴしちゃったよ~」などとウハウハ語っているようなオジサマのほうがカッチョいいと思う。

 

ちょっと偏った意見だろうか。

 

忙しい自慢、メシ食ってない自慢みたいな路線の人は、いわゆる“構ってちゃん”的な性質を持っているのだろう。

 

それはそれで分からないではないが、大人ならもうちょっと変化球を繰り出すぐらいの余裕が欲しい。

 

「もう5年ぐらい新しい下着を買ってないぜ」「今年は一度もステーキを食べてないぜ」「もう30年ぐらいキスしてないぜ」等々、そこから話が広がるようなひとクセあるネタで構ってちゃんぶりを発揮すればいいと思う。

 

変な話、人は他人の“頑張っている感”にはあまり興味がない。インスタやFacebookなどで、やたらと頑張っている感じやキラキラした感じを見せられると時にゲンナリする。

 

もっと日常に転がっているドジな話や悲喜劇的な話のほうが見ていても楽しい。私がひねくれているだけなのだろうか。

 

「予約困難店でフォアグラを食べた話」より「賞味期限が1ヶ月過ぎた生卵でTKGを食べた話」のほうが楽しいし、ワインのウンチクよりワインをこぼしたシミに悪戦苦闘した話のほうが役に立つ。

 

なんだか今日は偏屈オヤジ丸出しの話になってしまった。

 

もっと大らかに過ごさないとどんどん“お爺さん化”が進んでしまいそうだから気をつけようっと。

 

 

 

 

2021年9月20日月曜日

銀座 「惣菜」と「そうな」

 

銀座のウマい店、「惣菜」と「そうな」の話は何度か書いてきた。ジャンルに関係なく官能的な味わいの一品をアレコレ揃えるニクい店だ。

 

ひらがなの「そうな」が閉店しちゃって残念という話を6月に書いた(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2021/06/blog-post_16.html)のだが、先日、久しぶりに漢字表記の「惣菜」のほうを訪ねてみた。

 

ウニとトリュフのグラタンやその名も贅沢タマゴといった身体に悪そうだけど食べずにはいられないメニューなど和洋中何でも揃うお店だ。

 



 

メンチカツも絶品だし、酢豚やエビマヨ、カツ煮やとろとろ親子丼なんかも作ってくれる。この日はカキフライを食べたのだが、タルタルソース一つとっても手抜きのない味わいだ。

 

居酒屋的な値段ではないが、かといってバカ高いこともなく使い勝手がいい。好きなモノを少しずつアレコレと食べながら過ごせる穴場だ。

 

この日、上にも書いた系列店「そうな」の閉店を嘆いていたら、どうやら私の勘違いで、閉店ではなく業態変更だったことを知る。

 

バー的な要素を強めたような路線への方向転換だとか。まずはボトルキープをした上で、あとは一定金額で食事は食べ放題というスタイルに変わったという。

 

ウマい食べ物をチャッチャと作ってくれるマスターも変わらず頑張っているという話だったので、数日後、ふらっと訪ねてみた。

 

「そうな」のほうはカウンターだけの隠れ家的雰囲気が私のお気に入りだったので、以前と変わらず営業しているのが嬉しい。

 

いきなりボトルキープありきと聞くと何だか構えてしまうが、それさえ済ませば、あとは定額で、メニュー及びその日のオススメ料理は頼み放題というスタイルである。

 

ボトルが入っていれば、前よりも1回あたりのお勘定は安くなる感じだ。こういう仕組みもアリなんだろう。

 

その代わりメニューは絞られ、ウニやトリュフを使った料理やナマ物は出さなくなったそうだ。

 

それでも、私が必ず注文するカラスミビーフンはあるし、大ファンが多いメンチカツも健在。カツ煮や鴨料理やチャーハンやカレーだって頼める。

 


 

この日は官能的な味わいのエビマヨやソーセージも食べた。女性の接客要員が増えたことも以前と変わった点だが、私にとっては女性の接客よりもマスターの作る官能的なメニューがやはり魅力だ。

 

この日、シメには黒酢酢豚サンドを食べた。初めて食べた一品だ。なかなかエロティック!?な味わいである。

 


 

夜の銀座といえばカツサンドが一種の定番だ。深夜のバーではカツサンドの美味しさを競い合っているような一面がある。そんな銀座でこういう変化球を食らうとアマノジャクである私は妙に嬉しくなる。

 

ちなみに、私にとってこの店のもう一つの魅力は「満足感」である。満足すなわち“お腹パンパン”である。食後にクラブ活動に励む気力が失われ、まっすぐ帰宅することになる。

 

わざわざ夜の銀座8丁目まで出かけて、食事だけこなして散財せずにいそいそ帰るのもオツだ。

 

 

2021年9月17日金曜日

野球、野球、野球

 

子供の頃、野球のことしか頭に無かった数年間があった。思えば半世紀近く?も前の話である。

 

何があそこまで野球に熱中させたのだろう。今でもよく分からないが、とにかく子供の頃に野球が好きになったおかげで今も退屈しないで済んでいる。

 

このブログでも野球の話をずいぶんと書いてきた。一部を載せてみる。

 

野球

 http://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/11/blog-post_19.html?m=1

 

野球に教わった

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/03/blog-post_15.html?m=1

 

野球

 http://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/03/blog-post_17.html?m=1

 

昔のパリーグ

 http://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/02/blog-post_17.html?m=1

 

最近は、この夏、テレ東でやっていたドラマ「8月の夜はバッティングセンターで」をAmazonプライムビデオで一気に全話観た。

 

毎回毎回、妄想の中に実在したレジェンド選手が登場することで話題になったドラマだ。

 

https://www.amazon.co.jp/%E5%85%AB%E6%9C%88%E3%81%AF%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%A7%E3%80%82/dp/B098MWTMTZ

 

テレ東版の“フィールドオブドリームス”みたいな話である。レジェンド選手たちも頑張って演技をこなしていた。

 

山本マサはセリフが結構多くて大変そうだったのに、元巨人・上原はわずか一言しかしゃべらなかった。

 

古田もムネリンも里崎も岡島もみんないにしえのプレー姿を見せてくれてなかなか見応えがあった。野球好きにはおススメです。

 

さて、いま、野球の話題といえば大谷翔平だろう。もはや歴史上の人物になった。賞賛の言葉が尽きるほどの存在である。

 

メジャーリーグの舞台で40発以上のホームランを打ち、投手としてはチームの中で勝ち頭である。盗塁だってバンバンこなす。

 

160キロの剛速球を投げ、特大ホームランをかっ飛ばすだけでなく、先日はホームスチールまで決めてみせた。野球好きの誰もが驚愕するしかない

 

あのヤサグレ解説でお馴染みの元日ハムの武田一浩でさえ、アナウンサーの「夢みたいですね」との問いかけに「夢です」と応じたのが印象的だった。

 



 考えられない話ではあるが、たとえ活躍が今年1年限りだったとしても、この1年の活躍だけで世界の野球の歴史に永遠に名を残すのは間違いない。

 

今年は東京でオリンピックがあったというのに、きっとこの先、2021年のスポーツを思い返す際には五輪よりも大谷の大活躍のほうが遥かにインパクトを残すような気がする。

 

話がとっ散らかってしまうが、先日、野球好きには堪らない記事をネットで見つけた。メジャーでの高額オファーを蹴って選手生活の最後を古巣・広島カープの優勝で飾った黒田博樹の話だ。

 

私はカープファンでも黒田ファンでもないのに物凄く面白く、また感動的に読み終えた。

 

なんとなく野球が好きでいることが嬉しく思えた気分になった。


[元広島・黒田博樹氏 独占手記] 2014年、あの決断に至る真実 ~ニューヨークと広島に感謝を込めて~

 https://news.yahoo.co.jp/articles/22472d05b1002ccf3d701e016c6a5e9e9d9d5186

 

以上、今日はただただ野球が好きという話に終始してしまった。



2021年9月15日水曜日

オールドパーの呪縛


こんなご時勢だから家飲みの機会が増えた。家だと外で飲むより遙かに少ない酒量だ。酒はやはり雰囲気で飲んじゃうことを痛感する。

 

家飲みの際は、缶チューハイや缶入りのハイボールを手軽に飲んでいるのだが、「缶の飲み物」を続けているのも何だかシャバダバな気分になる。

 

時にはバカラのロックグラスでウィスキーをチビチビやりたくなる。ウィスキーに詳しいわけではないが、私が好きなのは竹鶴だ。

 

まあ、それなりのレベルでクセが強烈じゃないウィスキーならどれもそれなりに美味しい。ロックでチビチビするほうが飲み過ぎないで済む。

 

私にとってウィスキーといえばオールドパーである。人生で最初に口にした原点みたいなものだ。祖父が愛飲していた銘柄だ。中学生の頃にコーラに混ぜて飲まされたのが初体験だ。

 

4年前にもオールパーの話を書いた。

 http://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/11/blog-post.html

 

近代ニッポンを築いてきたオジサマ達が愛した酒である。いまや人気銘柄とはいえないようだが、昭和の高級ウィスキーといえばオールドパーだった。

 

独特な風味のブレンド味が特徴だ。正直言って私の好きな味ではない。でもナゼか時々は飲む。酒なんて結局は気分で飲む部分が大きいから“物語”のあるオールドパーには魅力がある。

 

このブログでは13年前も前にオールドパーのアレコレを書いたこともある。この頃に比べて確実に私のオジサマ度合いは深まったからオールパーへの思い入れも本格化?している。

 http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/03/blog-post_10.html

 

最近は家飲みの際にもオールパーをちょくちょく飲むようになった。以前は銀座の酒場専用の味だったのだが、そっちに行く機会が無くなった分、なんとなく家でも飲むようになった。

 

変な話、そんなに好きな味ではないからロックではなく、濃い目の水割りでチビチビと楽しむ。ホロ酔いになると不思議と妙に美味しく感じ始める。

 

チーズやビーフジャーキーみたいなツマミよりチョコレートとの相性のほうが遙かに良く感じるのだが、さすがに太るからなるべくチョコは買わないようにしている。

 

夜の街にも出ず家でシミジミとオールドパーを飲んでいた私に、ある日、衝撃的な画像がメールで送られてきた。

 



 このブログのタイトルを冠した私専用の特注ボトルである。それもキラキラと金色に輝いている。なんたることだ。

 

実はこれ、もう四半世紀以上の付き合いになる銀座の黒服さんが送ってきた画像だ。あまりにも顔を出さない私に対して「さっさと飲みに来い」という意味を込めて作ってくれたらしい。

 

実に有難く嬉しい。でも一種の脅迫!でもある。こんなボトルを用意されたのに顔を出さないのは仁義にもとる。私がそう解釈するのを知っている黒服さんのニンマリする顔が頭に浮かぶ。

 

いやいや、そんなひねくれたことを考えずに素直に喜ぶのが道理の分かった正しい男の在り方だろう。

 

2回のワクチン接種も終わったことだし、そろそろ夜の街を偵察しに出かけることにしよう。

 

最近は自宅から徒歩圏内の酒を出す店で飲むか、家飲みばかりである。それはそれで悪くはないが、隠居爺さんでもあるまいし、時にはキリっとした気分で飲みに出る時間も必要だ。

 

何だかんだ言って、オールドパーは私にとって付かず離れずの距離にいる腐れ縁の友人みたいなものだ。

 

というか、私の行動はオールパーの呪縛によって影響されている気がする。

 

 

 

 

2021年9月13日月曜日

ABBA

ABBA40年ぶりに活動を再開するそうだ。ビックリである。4人とも70歳をとっくに超えてお爺ちゃんお婆ちゃんバンドだ。でもABBAが再びリアルに活動することは世界から賞賛されるレベルの話だ。

 

ABBAを知ったのは小学生の頃、兄がいた関係で早めに知ったわけだが、美しいメロディーラインと超絶的コーラスワークにシビれた。

 

ビーチボーイズやカーペンターズなどメロディーラインやコーラスワークの素晴らしを誇るバンドは数々あれど、ABBAはまさに完璧だった。

 

だからこそ半世紀近くにわたって変わらずに世界中で聴きこまれている。地球上では毎日どこかでABBAの音楽が流れていると言っても大げさではないだろう。


日本公演は1980年に一度だけ。運よく中学生だった私も武道館でナマABBAを観た。今思えば物凄い貴重な体験だった。米粒ほどの大きさにしか見えなかったがしっかり記憶している。

 

個人的にはかの名曲「ダンシングクイーン」が収録されているアルバムの一曲目が一番好きだった。今も時々ドライブしながら聴く。

  

When I Kissed The Teacher

 https://www.youtube.com/watch?v=8dW8XRt5-hY

 

先生にチューしちゃったらみんなが驚いたという内容の曲だが、それまで耳にしたことのなかった複雑で緻密なコーラスアレンジにオッタマげた。

 

コーラスやハモりはもちろん、追っかけボーカルのような何層にも歌が重なったような作りにシビれた。

 

この曲をきっかけにABBAといえばコーラスの美しい曲を好んで聴いた。いま聴いても非常に魅力的だと思う。

  

Knowing Me, Knowing You

 https://www.youtube.com/watch?v=iUrzicaiRLU

  

Take A Chance On Me

https://www.youtube.com/watch?v=-crgQGdpZR0

 

 One Of Us

 https://www.youtube.com/watch?v=IIKAe8Wi0S0

 

 マセガキの入口にいた当時、音楽といえばカッチョいい、ノリノリみたいな部分に惹かれていたが、ABBAの曲はそれとは異次元の美しさというか、綺麗さが際立っていた。綺麗で格好良いという部分が世代を問わず愛される大きな要素だと思う。

 

話は変わるが、我が敬愛するハマショー師匠の代表曲の一つに「僕と彼女と週末に」という壮大な曲がある。語りなんかもあって8分だったか9分だったか、それ以上だったかもしれない長い曲だ。

 

1982年発表の曲だが、30年後の原発事故を予感させるメッセージ色の強い名曲である。

 

★僕と彼女と週末に

 https://www.youtube.com/watch?v=iAAUBqW3ZiY

 

 実はこの曲、昔から「パクリ疑惑」というネタで俎上に上がる機会が多い。ネットにあふれるパクり特集のような投稿にはしょっちゅう登場する。

 

元ネタ?と言われているのがABBAの「The Winner Takes It All」である。確かにハマショー師匠の曲のサビを聴いていると似ていなくもない。似ている。

 

The Winner Takes It All

 https://www.youtube.com/watch?v=stQiiVw79yU

 

 たまたまメロディーラインが似通ったのだろう。パクりなどと軽々に言うのは気が進まない。

 

パクりなどと表現せずに、インスパイアだ、オマージュだと様々な表現があるようだが、ハマショー師匠のこの曲の場合、AメロからBメロ、そこからの展開の自然な流れ、全体の構成からみればサビの雰囲気だけが似たようなコード進行になったと思うのが妥当だろう。

 

ABBAの話を書いていたつもりが、ついハマショー師匠の擁護論に変わってしまった。ヘンテコな結末である。

 

そんなことよりABBAである。メンバーの誰かの寿命が尽きたとしてもハイテクを駆使して永遠に活動を続けてほしいものだ。

 

 

 

 

 

 

 


2021年9月10日金曜日

味噌ラーメンと白いパフェ


小樽から札幌へ向かい、快晴だったから羊ヶ丘展望台に行く。クラーク博士の像で有名な場所だ。

 

私にとってクラーク博士より大事なのは裕次郎師匠である。「ボーイズビーアンビシャス」の近くに裕次郎像があった。「恋の町札幌」を口ずさみながら過ごす。

 


 

札幌は今ではパフェの街としても知られているそうだ。娘の情報だ。イマドキの若者は食べログのクチコミ評価で店探しをするのではなく、インスタに載っている画像を元に行きたい店や食べたいスイーツを選ぶようだ。

 

ススキノ周辺にもパフェ屋がたくさんあったが、まず出かけたのがNOYMONDという店。なかなか立派な店構えのお店だった。

 

数多くのパフェメニューから選んだのは、いちごパフェと白いパフェ。その他にピスタチオシェイクとヘーゼルナッツラテを注文した。

 




 

スイーツなんてどこで食べても違いはないなどと思っていた私が驚いたのが「白いパフェ」のウマさだ。衝撃的だった。

 

一見するとただのバニラ味かと思いきや、ミルク味、塩ミルク味、ホワイトチョコ味のジェラートが使われているそうで、複雑かつ繊細かつ、やたらと美味しい。

 

大人の見栄でちょこちょこっとしか食べなかったが、本当は娘を差し置き一人で抱えて食べたかったほどである。

 


 

ピスタチオシェイクも妙にウマかった。ここ10年ぐらいで日本でもピスタチ系のスイーツが定着してきた。嬉しいことである。

 

その昔、海外旅行のたびにピスタチオアイスをむさぼり食ってきた私にとって、ここのシェイクは一種の到達点のような印象があった。なんか大袈裟だ・・・。

 

いい歳したオジサマという身分でスイーツ屋に感激できるのだから娘に感謝しないといけない。一人旅だったらパフェの代わりに毛ガニを食べて過ごしたはずだ。

 

小樽でさんざん海鮮を食べたので、夕飯は味噌ラーメンに決定。人気店の「空」という店に向かう。私はチャーシューメンを注文。

 



 

東京人である私は、ラーメンは醤油に限るぜ!などと気取っているのだが、味噌ラーメンのほうが好きなことに気付かされた。

 

思えば、サッポロ一番も味噌味が一番好きだ。冬になると朝から味噌汁代わりにチルドの味噌ラーメンを作ることも多い。結局、醤油ラーメンを推しているのは単なる東京人アピールみたいなものだろう。

 

この店の味噌ラーメンは画像のようにショウガが特徴みたいだ。チャーシューとショウガの相性はビタミンEの吸収効率という観点からも良い。美味しく食べた。

 

泊まった宿は部屋に露天風呂が付いている和モダンのホテル「由縁」。部屋には中庭もあり植物園の借景も悪くない。風呂は小ぶりながら解放感があって快適だった。

 




 さて翌日、朝昼兼用メシは再び味噌ラーメンである。親子揃って空腹に耐えながら店が開く11時を待つ。

 

この日はススキノのラーメン横丁にある「みそ吟」。ここも非常に美味しかった。味噌の旨味甘味が最大限引き出されている。

 

「ラオタ」と呼ばれる人たちがラーメンを熱く語る気持ちが少し分かった。ただただウマいウマいとうなずきながら食べた。

 



 ラーメン屋を2軒ハシゴするつもりだったのだが、結構満腹になっちゃったので断念。


考えてみれば前の日の夜とこの日の朝昼兼用メシは低コストで済んだ。小樽の“富豪食い”で散財したから“引き分け”みたいなものである。

 

その後、ちょこちょこ観光しながら新千歳空港に向かう。夕方便で帰るので、食い意地のはった親子としては空港で何を食べるかを真剣に語り合う。

 

で、食べそびれたジンギスカンに決定し、東京にもある松尾ジンギスカンに入店。たいして空腹でもないのにガシガシ食べた。

 


 

そして帰りの飛行機の中で爆睡しようと満腹のお腹をさすりながら保安検査場に向かう。ここでトラブル発生。

 

出発15分前には保安検査場に着いたのにANAの係員がやってきて、もう飛行機のドアを閉めちゃうから乗れませんと非常の通告を受ける。

 

出発5分前ならいざ知らず、15分前で乗せないなんて過去に経験がない。ちょっと驚く。娘の手前、ブチ切れるわけにもいかず優しく怒ってみたがラチがあかない。

 

係員は「何度も放送でお呼び出ししました」などとツベコベ言っていたが、こっちはジンギスカンをジュージュー焼いていたから聞こえるはずもない。

 

結局、1時間後の便に振替えてもらったのでゆったりお茶を飲んで時間潰しをするだけで済んだ。飛行機や空港が混雑している時ならあり得ない話だろうが、すいている今の時期は気をつけないといけない。

 

というわけで、ウニとスイーツと味噌ラーメンに集中した2泊の旅だった。