9月初めにふらりとお邪魔したお寿司屋さんに2度目の訪問。店の名前は「さ久ら」。銀座8丁目の雑居ビル地下にひっそりたたずむ。
カウンターだけで8席程度だろうか。全体にゆったりした空間なので、圧迫感はまったくない。どことなく今風の気配だが、モダンすぎず妙に落ち着く。
つけ場に立つのはまだ若い大将。以前は某外資系ホテルで寿司を握っていたそうだ。「ホテル寿司」経験者だけにさすがにあたりがソフト。なれていない客も変に緊張しないで済む雰囲気だ。
ここの大将は東京の人で、私の住まいにも近いエリアの出身。ひょんなことで話が弾む。
野菜を取り入れた酒肴もあって飽きさせない。つまみや握りの大きさ、テンポなどを考えると、ガツガツ食べると言うより、しっぽり酒を楽しみながらノホホンとした時間が過ごせる。
この日の突出しは、スジコと湯葉のセット。同時に食べる味わいも捨てがたいが、スジコ好きな私は結局さっさと湯葉を平らげる。残されたスジコをイジイジとこねくり回して飲み始める。
ダイエット中なので、ちょろちょろ酒肴を中心に進めてもらうことにする。刺身類も2きれづつぐらいで有難い。
明石の鯛がウマかった。単純に味が濃い。食感もなめらか。カツオも小さめに切ってもらったのだが、こちらも味が濃い。素直に嬉しい。
いつも酔っぱらってしまうので、正確に何をどのぐらい食べたかは忘れているのだが、この日は、それ以外にもミル貝や煮穴子もつまみでもらった。
特筆すべきは「生イクラ様」だ。一昨日のブログに掲載したイクラの話を書いていたのが、たまたまこの日の昼間だった。ブログ上で、「今日も食べたい」、「明日も食べたい」などと書き殴っていたら、本当にその日のうちに生イクラに遭遇したので大げさに感動した。
やはり生イクラが私を呼んだのかもしれない。
スジコも生イクラも食べられた。最高だ。これからの季節は、私を病の世界に招き入れるような素晴らしい珍味もどんどん登場するらしい。
そのほかにもツマミをもらってこの日は焼酎をグビグビと呑む。冷酒が呑みたかったのだが、一応ダイエット中なので控える。握りもわずかに2貫だけにしてもらう。
たった2貫しか食べないと決めたので、何を食べようか確か精一杯悩んだ。おまけに大将の意見もフムフム聞いたはずなのに残念ながら車海老を1貫食べたところまでしか覚えていない。もう1貫は何だったんだろう。情けない話。
やはり、昼間にコンニャクラーメンなる60キロカロリーの変なものを食べただけで空腹過ぎたことが原因だ。すきっ腹にロックの焼酎をグビグビ流し込むと結構酔っぱらう。
とはいえ、前回も書いたのだが、寿司飯の味、酢の加減がキッチリして美味しかったことは覚えている。遠からず10貫ぐらいは食べてみたいものだ。
冒頭の写真は、ダイエッターである私がガリ以外は何も残さず食べ尽くした現場画像だ。という意味ではなく、何となく照明の感じと皿の雰囲気が“秋の夜”という雰囲気だったので、こそっと撮影してみた。
こんな感じで店内の雰囲気は落ち着いている。居心地の良いお店だと思う。
2009年9月30日水曜日
心地よいお寿司屋さん
2009年9月29日火曜日
ペティコロナ
今日は葉巻の話。
タバコをやめたこともあって葉巻づいている。1日1本は欠かさないペースになってしまった。
肺は綺麗になっても、喉と舌には強烈に負担がかかっていると思う。ちょっと危険だ。少しは身体のことも考えないといけない。
そんなことを考えていたら、ふと思いついたことがある。
「ちょっと小さいサイズにすれば健康的かも」。あまり意味はなさそうだが、気は心だ。タバコだって成分が軽い銘柄に変えると健康になった気がする。
私が好きなのはロブストサイズ。長さはさほどではないが、太めで咥えた感じがどっしり。口元に感じる重量感が非日常感になる。
太い分、口の中に流れてくる煙の量も多く感じる。だからマズい銘柄はマズさが際立つ。
ロブストより小さいサイズといえば、ペティコロナサイズだろう。並べてみると長さはともかく太さが全然違う。根拠はないが身体に良さそうだ。
葉巻は一般的に小さいサイズになればなるほど辛味が強くなる傾向にある。ペティコロナぐらいならそこそこの太さもあるので、小さくて細い葉巻特有のマズさは感じないで済む。
まとめて葉巻を購入する際には、スイスか香港の格安業者からインターネットを利用して注文している。先日、香港の業者のサイトでペティコロナの詰め合わせセットみたいな商品があったので買ってみた。
キャンペーン商品だったのでやたらと安かった。合計すると日本の定価の半値以下だ。25本セットで144ドル。なんかトクした気分だ。もちろん、コイーバをはじめすべてがハバナ産のまともな商品だ。
この業者は梱包中の湿気にも気を配っており、到着した商品がパリパリに渇いていたようなことはない。写真は職場に届いた葉巻詰め合わせ。
東南アジアあたりの空港免税店ではキューバ産の葉巻を安く売っていることが多いが、なかには保管状態が最悪なものもある。良心的な通販業者のほうがよほど信頼できる。
人気銘柄の売れ線であるモンテクリスト№4はさすがに無難な味。詰め合わせセットの中で気に入ったのは、ボリバーとパンチのペティロブスト。重量感とコクが調和した感じで気軽に楽しめる。
ロブストぐらいの大きさになると昼間から火をつけるのをためらうような存在感があるが、ペティロブストなら午後のひとときにプハ~!としたくなる感じだ。
わが社の裏階段の踊り場には私専用のなごみスペースがある。簡易テーブル付きの1人用椅子がひとつ置いてあるだけなのだが、意外に落ち着く。
午後のひととき、涼しくなった風を感じながらプハ~!とやれば適度な息抜きになる。というか、さっさと仕事を終えて酒場に生きたくなるのが本音だ。
以前から自宅と職場にヒュミドールを置いているのだが、最近は在庫が減っていくペースが速い。
不思議と残り少なくなると無性に不安になる。ついつい追加で注文してしまう。自宅と職場の双方のヒュミドールにそこそこ保管されていないと落ち着かない。
1日せいぜい1本なのにバカみたいだ。どうりで最近小遣いが足りないわけだ。タバコをやめたことでかえって不健康な出費が増えてしまった。
画像は職場にあるヒュミドール。デスクとはまったく相容れない感じだ。
なんでデスクにこんなものを置いてるのだろう。
2009年9月28日月曜日
イクラバンザイ
タマゴってどうしてあんなにウマいのだろう。この季節心底そう思うことが多い。タマゴなら何でも好きだが、秋といえばイクラのシーズンだ。
冒頭の画像は、まっさらなイクラ様だ。わずかな時期だけの楽しみである「生いくら」だ。今年初めて遭遇。ウットリした。
塩漬けか醤油漬けが一般的なイクラだが、味付け以前のナマ状態のものは結構貴重な存在。ちょろっと醤油を垂らして味わうと、まさしく生卵の味がする。
人生最後の食事を選べといわれたら、私は「生卵かけご飯」と即答する。この世にあんなに旨いものはないと思う。
生卵かけご飯の食べ方は、人それぞれ流儀があるらしい。私の場合、一番大事なのは白身の中のテロッとした部分を捨てること。
あの痰みたいなテロテロした部位だ。食感に違和感があるし、醤油も弾くから気に入らない。白身はあくまで脇役になってもらいたい。
イクラの場合、あのテロテロが無いのが嬉しい。全部が全部黄身みたいな風味だ。小さいとはいえ、一気に口の中に何十、何百の卵の個体が投入されるわけだから悶絶しそうになる。
まさに“口福”だ。
2枚目の画像は高田馬場・鮨源で食べた生イクラの写真だ。なんとも色っぽい。艶っぽい。なまめかしい。一晩中添い寝しながら眺めていたいほどだ。
上物のイクラに海苔など不要だ。「握り」とは呼べないシロモノになるが、シャリの周りにドヒャアとイクラを撒き散らしてもらうのが最高だ。
10月になったら1年ぶりにドックで検査を受けねばならない。前回、尿酸値の数字が標準の範囲内に収まっていたせいで、この1年、尿酸値の高いモノをせっせと摂取してしまった。今度の検査では、痛風宣告の恐れもある。
だからせめて9月中はイクラを愛しまくろうと思う。
タラコにカラスミ、明太子。鯖のタマゴやタコのタマゴも珍味として酒飲みには堪らない存在だ。
「魚卵」と書くだけで興奮するし、「ぎょらん」と聞くだけでクラクラする。
まあタマゴ話はキリがない。今日はあくまで生イクラを食べた幸せを書きたかっただけだ。
今日にもまた食べに行きそうだ。
明日も食べに行きそうだ。
毎日そんなことばかり考えている気がする。
2009年9月25日金曜日
銀座の夜のめぐりあい
夜のクラブ活動はすっかり銀座専門になってしまった。若かりし頃ちょくちょく出かけた六本木はすっかり縁遠くなった。
どっちがどうだというわけではないのだが、行きなれた街のほうがしっくりくる。食事する店も銀座に惹かれる理由のひとつだ。
食事に関して考えると、端的に言って、あの街で店を構えようと考えた時点で一線は越えている気がする。ちゃんと志を持った人が切り盛りしていると考えていいだろう。だから激マズという可能性は低い。
さてさて、先日夜の銀座で嬉しい再会があった。ある日初めて訪れた8丁目のクラブ「F」でのこと。嬉しい再会といっても女性ではない。
懐かしい黒服氏がその店で奮闘していた。実に偶然だ。この手の店が無数にある中でこういう再会は不思議な感じがする。
この黒服氏には「銀座っぽさ」を教えられたことがある。そう書くと大げさだが、私が実際にそう思ったのだから仕方ない。
やはり銀座の某クラブでのこと。5年以上、いやもっと前の話だっただろうか。数年ぶりにふらっと店を訪ねた私に、黒服氏はごくごくさりげなく「お久しぶりです」と私の名前を呼んだ。
それ以前に通いまくったほどの客でもない。客の中では若造だし、ちっとも上客ではなかった。覚えていてもらっただけでも驚きだが、そのさりげない言い回しと態度にちょっとソソられた。
さすがに銀座だ。おそるべし!。そんな印象を持った。
普通は、久しぶりの客がふらっと登場すると店側は覚えていたとしても大げさに反応する。わが家の近所の焼鳥屋のオヤジなんて、たかだか2週間ぶりで店を覗いても「オオウ~!」とか言って歓迎してくれる。
それはそれで有難いが、申し訳ないけど少しうっとおしい。クールにさりげなく“ちゃんと覚えてましたよ”的な対応をされたほうがシビれる。
その晩、初めて入った店なのに女性陣そっちのけで黒服氏と飲んだ。何年も前の「シビれた事件」を面白おかしく解説する。
その当時、席で一緒に飲むことは無かったし、単に「私の顔を覚えてくれている黒服さん」でしかなかった。それでも私にとっては妙に印象的だったので親しい旧友と再開したかのように勝手に盛り上がってしまった。
酔っぱらいの言動はいちいち大げさだったりする。困ったものだ。
ちなみにほんの10日ほど前に7丁目某店勤務のホステスさんとその黒服さんの話をしたばかりだった。
彼女が銀座デビューした頃にアレコレと「銀座の女性」としてのエチケットみたいな話を随分と諭されたらしい。
そういうプロの世界のヨモヤマ話は客の立場から聞いていると結構面白い。フムフムとうなずけることも多い。
そんな経緯もあったので、偶然の再会が妙に嬉しかったわけだ。
でも相変わらずの酩酊モードで女性陣の顔を全然覚えていない。それはそれでマヌケだ。
2009年9月24日木曜日
エコ嫌い
本業の新聞制作の現場では、エコの大事さを説くのが常識だが、個人的には本音をいうとエコエコやかましい最近の風潮がウザったい。
前の世代の人々は散々好き放題なことをしまくったくせに、後の世代には何かにつけてヒステリックに規制を押しつける。たまったものではない。
後進国がエコ対策にイラついているのも理解できる。ようやく産業を発展させようという段階で、先に先進国になったヨソの国からエコエコうるさいことを言われたら腹も立つだろう。
さっさと先進国になった国々が盛んに環境を破壊して豊かになったわけだから、時代間格差というか不公平は構造的に存在するわけだ。
この夏、わが家の娘がやたらとエアコンのスイッチを切るので暑がりの私はその理由を問いただした。
「シロクマが死んじゃうから」。そんなふざけた答えだった。学校で吹き込まれたのだろう。悪いけどシロクマより自分の快適温度のほうが私には大事だ。
ある炎天下のこと、車に乗るなり娘がエアコンを強くしろと言う。イヤミなパパとしては逆にエアコンをオフにしてやった。
「シロクマが死んじゃうだろ。だから暑さを我慢しよう」と言ってやった。数分後、「シロクマはどうでもいい」という声が聞こえた。
こうして娘は大人になっていく。
いきなりだが、プリウスも嫌いだ。ファンには申し訳ないが、いいコぶりっこしたようなスタイルが気にくわない。見るからに真面目な優等生みたい。シロクマのことも日夜考えてますよ的なデザインがイヤだ。
環境を考えることは資源の限界を考えるうえで大事だが、だからといって車体のデザインや雰囲気はあんなに“級長さん”みたいにする必要はないと思う。
トヨタ2000GTとかスープラとか作ってきたわけだから、そういうものを忘れたかのようにエコエコモードに邁進している感じがしてイヤだ。
偏屈な感情論でスイマセン。
エコエコいわれると、世代的に「エコエコアザラク」を思い出してしまう。黒魔術を使う主人公の若い魔女が怪事件に立ち向かう連載漫画だった。
「うしろの百太郎」とか「恐怖新聞」とかと同じような時期に流行ったような気がする。結構恐かった記憶がある。だからエコエコ騒いでる最近の風潮は気持ち悪い。
そうはいっても私だってそれなりに日々努力している。ムダな電気を消したり、水を出しっぱなしにしないとか、子どもの頃は無頓着だったことに注意を払っている。
光熱費は私の口座から引き落とされるので、さすがに気をつけるようになった。地球環境のことを考えているわけではない。
そう考えるとエコ対策のカギは「値段」がすべてだろう。電気代、ガス代その他の光熱費を政策的にドンと値上げしたら、が然みんながエコエコモードだろう。経済的な理由なら倹約は徹底される。
綺麗事でゴタクを並べたって意味がない。最近流行のエコポイントだってしょせんカネ目当て以外の何物でもない。
ファッションみたいなエコの押しつけは、「クジラを喰うな」と息巻いてる欧米人の発想みたいで実にうっとうしい。
その昔、オリビアニュートンジョンだったかファラフォーセットだっただろうか、そんな感じの金髪美女がクジラ保護を叫んでいたシーンが印象に残っている。
来日記者会見だっただろうか、格好いいこといいながら、美女の首にはミンクだかイタチあたりがぐるりと巻かれていた。捕鯨反対を叫ぶ人々って結局そんなもんだ。
だいたい、ペリー来航だって目的は捕鯨用の給油基地確保だったわけで、東洋の小国と本気で交易しようなどと考えたはずもない。
捕鯨のためにあんな一方的かつ失礼な行動をとったのが真相だ。ほんの150年ぐらい前の話だ。
捕鯨問題にそれてしまったが、エコなんて概念はしょせん、どこかの利権屋とかそれで一儲けを企む企業とかが煽っている話。日本人本来の美徳にのっとっていればそれで済む話だと思う。
気の毒だがシロクマはどうでもいい。
2009年9月18日金曜日
中小企業は大転換期
昨日掲載した国会散策のあと、議員会館に立ち寄った。ダイエットに励んだ私は、地下の喫茶店に入って一息。かき氷をかっ込んだ。
ついでに売店で変なものを購入。制服姿の衛視さんや記者バッジをつけた報道陣もまとめ買いをしている。相当売れてるみたいだ。
歴代総理の似顔絵入り湯飲みや手ぬぐいがここの売れ線。鳩山首相の似顔絵入り商品はまだ間に合っていないようで、その代わりにビミョーなライターやボールペンが人気商品になっている様子。
政権交代でいろいろな変化が起きそうだが、思った以上に新政権は前例打破を打ち出しそうだ。役人の記者会見を中止するとか、各方面の人事刷新とか、制度の中にも早々と廃止が明言されたものも出てきた。
マニフェストに明記されていたものが実行されるのは当然の話だが、霞ヶ関にはやはり相当な激震みたいだ。
マニフェストが選挙用の美辞麗句だと思っていた人々と純粋な政権公約だと意気込んでいる人々の溝は大きい。
たとえ自民批判という一大旋風で政権を取ったのだとしても、マニフェストをあれだけ掲げて選挙戦を乗り切った以上、「マニフェストに書いてある通りです」という大義名分は今後どんどん前面に出てくる。
ビックリするような政策転換だろうともマニフェストに掲げてあったのなら、既にその実行は民意であり、あわててジタバタしてもどうしようもない。民主党を支持した階層の中には今になって青くなっている人も多い。
税金の世界では、以下のような具体策がマニフェストに記載されていた。
●公的年金控除縮小、老年者控除廃止をやめる
●ガソリン税、軽油引取税、自動車重量税、自動車取得税の暫定税率廃止
●中小企業の法人税を18%から11%に引下げる
●租税特別措置法の全面見直し
●一人オーナー企業の役員給与に対する損金不算入制度を廃止
これらは間違いなく実行に移されるわけだが、問題はいつからかという点だ。財源問題もあり来年度改正からすべてスタートするかどうかは微妙だ。
企業活動に関しては、租税特別措置法の全面見直しが大きく影響しそうだ。既得権益的なものは一掃するとされている以上、当然と思っていた税軽減制度が一気に無くなる可能性もある。
オーナー経営者層にとっては、租税特別措置法の改正動向には相当注意しないと厄介なことになりそうだ。
税金の専門新聞『納税通信』や会計人のための『税理士新聞』を発行している関係でわが社の編集記者は、今後の税制動向、行政動向を総力取材中だ。随時特集記事を企画しているが、相当大きな変革期に入ったことは間違いない。
税金関係の専門媒体は数多く存在するが、たいていは現行制度の解説や当局側広報情報に終始しているのが現実。今の時期、大切なのは今後の展望を分析する情報だと思う。その点で、わが社の2媒体は大いに価値があると自負している。
2009年9月17日木曜日
国会 ダイエット
国会に行ってきた。一応、歴史的な日ということなのでノコノコ出かけた。
首班指名選挙の際の本会議場はさすがに大混雑。記者席もパンパンで全然中が見えない。すぐ横で開催中なのに直接見られないのが残念。傍聴席に潜り込もうとしたが、これまた大混雑。適当な扉を開けて入ろうと企むものの衛視に注意される始末。
しょうがないので議員食堂に置かれている大型テレビで実況中継を見る。議員食堂といっても議員専用というわけではなく、国会職員やマスコミ関係者も利用可能。
本会議が終わってドヤドヤと議員達が出てくると報道陣が有名議員を追っかけて大騒ぎ。携帯で画像を撮っているのはどう考えても私ぐらいだ。階段に向かう狭い通路などは押しくらまんじゅう状態。エラいセンセイには廊下で待機していたSPがくっつくから結構圧迫感がある。
人の流れが少し落ち着いてもカコミ取材はあちこちで続く。こんな光景を携帯で撮っているのは私ぐらいだ。どうせならマトモなカメラを持っていけば良かった。
一度に大勢の議員さんを見ると面白いものでオーラの有る無しがはっきり分かる。元首相とかいわゆる大物と呼ばれる連中は歩いているだけで妙に強い存在感がある。若手でも誰もが知っているような顔ぶれは結構なオーラを放っている。一種の人気商売ならではだろう。
その後、久しぶりに議事堂内部を散策してみた。大正から昭和の初めまで15年以上の歳月をかけて作られた国会議事堂は、レトロの総本山みたいな建物。
全体に重厚な雰囲気だが、よく見ると精緻な彫り細工や無数のステンドグラス、たっぷり使われている貴重な石材の質感も相まって何とも趣がある。
税の無駄遣いについて大衆からの糾弾もない時代に国家の威信をかけて作ったわけだからさすがに立派だ。全体が文化財的な雰囲気。時の流れによって「贅」が「文化」にもなる見本みたいなものだ。
この画像は議事堂の真ん中にある中央塔の内側。てっぺんの内部だ。光の取り入れ方もオシャレだし、石材に施された細工も格好いい。のんびり眺めていると中世の教会の中に迷い込んだかのような感覚になる。
こちらは中央塔の下にあるホール部分。特別国会の初日だったため、この中央塔正面から議員さん達は登院したわけだ。
おのぼりさん気分で散策している間にも、新しい衆議院議長が職員を大勢引き連れて院内を行ったり来たりしている。大名行列みたいだ。
ダイエット中の私だ。迷路のように分かりにくい国会内を意識して歩きまくって汗だくになった。
上り下りは階段だけを使って画像のようなレトロエレベーターは使わないで歩きまくった。最後にはホントに迷子になって親切な衛視さんに案内される始末。
結構なカロリーを消費した。鳩山さんに感謝しないと・・・。
明日は国会で買った変なおみやげを紹介したい。
2009年9月16日水曜日
どこへ行こうか
潜水行脚をはじめてもうすぐ25年になる。趣味らしい趣味のなかった学生の頃、暇にまかせて始めたダイビングだが、水中写真を撮るようになってから本格的にのめり込んだ。
とはいえ、最近は年に1度ぐらいのペースになってしまった。南の島で1週間ほど魚の写真を撮るわけだが、今年はまだどこにも行っていない。いよいよ長年の習慣もオサラバになってしまうのだろうか。
昨年も“引退”を覚悟したのだが、60才を過ぎてなお盛んな水中写真家・中村征夫さんを取り上げたドキュメント番組を見たことで自分のだらしなさを痛感、思い直してフィリピンへ飛んで潜りまくった。
今年もあと3か月ちょっとで終わってしまう。ダイビング無しの1年になってしまう。やはり、何とか時間を作って潜りに行こうと検討中だ。11月か12月に休みがとれたら実行しようと考え中。
どこへ行こうか考える際に、つくづく自分の「加齢」を感じる。昔はもっとチャレンジャーだった。あえて辺鄙な場所を探して旅に出た。最近は、過去に滞在した勝手知ったる場所しか候補にならない。
英語もロクにしゃべれないのに、年に3回ぐらいカリブ海に一人で行ったこともある。マラリアの予防薬らしきものを飲みながらパプアニューギニアで潜水三昧したこともある。
わざわざエジプトまで行って観光もロクにしないで紅海の水中探索に明け暮れたこともある。あの頃のバイタリティーが懐かしい。
そんなことを考えていたら、保守的になってしまった最近のオヤジ的思考にカツを入れたくなった。もっと根性を入れて旅先を考え直そうとここ数日、深夜までインターネットで研究中だ。
大げさなようだが、瞑想しながらしばし自問自答を繰り返した。「一体どこに行きたい、どんな写真が撮りたいのか?」。
真っ先に出た自分自身の回答はエジプト・紅海だった。以前行った場所とは異なるリゾート地・ダハブだ。さっそく調べる。すぐに断念。11月以降は水温が異常に低くなるらしい。20度を切ることもあるそうだ。無理。
次に思い浮かんだのがインドネシア・コモド島。大トカゲ・コモドドラゴンがいまだに観光客を襲ったりするワイルドな場所だ。海の中の評判も高い。調べたら雨期に入るようで水中のコンディションが落ちるらしい。断念。
そのほか、インドネシア・メナド沖合にあるシラデン島あたりも浅瀬のサンゴが天下一品らしいので行きたいのだが、やはりコンディションの悪い時期に入るらしい。
メキシコ・ロスカボスにも興味があるが、バリバリ水中写真撮影に没頭するようなタイプの海ではないらしい。
うーん、なかなか難しい。
撮影機材の準備と梱包、持ち運びの大変さを考えると、2~3日の潜水では不満だ。少なくとも4日間は潜りたい。
水温が低いのは中年だからパス。潮流が強い、深場中心のポイントも撮影条件に合致しないのでパス。チャーターもしくは、マンツーマンの水中ガイドを確保することも条件になる。
マレーシアのボルネオ側の海か、ミクロネシアのヤップかパラオ、そして何度も通ったバリ島がいまのところ候補地だ。向こう1か月ぐらい他の場所も含めて検討を続ける予定。実は、この検討段階が一番楽しい。
ちなみに水中撮影用のカメラも新調する予定だ。10年ぐらい愛用したニコンからキャノンに変更。それも「EOS-KISS X3」だ。昔は小馬鹿にしていたビギナー向けのシリーズだ。
オモチャっぽい感じは否めないが、デジタル一眼として私が水中で使う機能は充分だ。軽くて小さければそれで良し。カメラを入れる水中撮影用ハウジングも新調した。水中ストロボも従来品の多くが使えなくなったので新調だ。痛い出費ではある。
レンズはシグマの70㎜マクロとトキナーのフィッシュアイズームという面白そうなレンズを使う予定だ。
いままでトータルすれば高級車が変えるぐらい水中撮影機材にお金をかけてきた。にもかかわらず、デジタルへの移行で大半の機材が使えない。恨めしい話。
フィッシュアイレンズもデジタル一眼に装着すると単調な画角のありふれたレンズになってしまう。水中撮影の場合、それぞれのレンズごとに防水ハウジングのレンズカバー部分(ポート)を変える必要がある。このポートだって高いわけだから、レンズが使えなくなることで波及してムダになるものが多い。悲しい。。。
さてさて、準備が着々と進んでいるが、はたして南国潜水計画は無事完遂できるのだろうか。
この秋から新型インフルエンザが猛威をふるうらしい。おまけに私の腰は最近またまた不調だ。このままだとタンクを背負うにはキツい。
どこに行くにしろ、どこかに行けたら、それはすなわち、幸せの証なんだとつくづく思う。
今日の画像は上から順番にマレーシア・シパダン島、インドネシア・ムンジャンガン島(バリ)、沖縄本島中部エリア、フィリピン・ペスカドール島で撮影したもの。全部、ネガフィルムで撮影。
いままでは、帰宅して現像に出して始めて出来映えを知ることが出来た。すでにそんなアナログ派は少数派みたいだ。
マレーシア・シパダン島では2週間、毎日毎日4~5回平均で潜水三昧。カメラは水中に2台持参し、終わってみれば撮影済みフィルムが70本になった。
現像屋は大喜び、私は破産した。デジタル化によって、もうあういう事態は起こらないわけだ。さすがにその点は嬉しい。
2009年9月15日火曜日
かに道楽バンザイ
先週、カニダイエットについて書いたが、実践のために「かに道楽」に行ってきた。
10年ぐらい前から急にカニ好きになった私だが、きっかけは地方へのカニ食い旅行だった。
そのせいで、カニといえば旅先で堪能するものという変な認識があった私は、「かに道楽」を訪ねたのは、ほんの2~3年前が最初。
今回訪ねた「かに道楽」は銀座8丁目店。初めて入った。改造したばかりだそうで、想像以上に綺麗でモダン。ベタなイメージを一掃するお洒落な雰囲気。
テーブル席もゆったり、半個室風で落ち着く。カニ好きな私だ。結構穴場かもしれないと素直に感動する。
メニューは相変わらずカニだらけだ。カニ酢、カニ刺し、カニすき、焼きカニ、てんぷら、唐揚げ、コロッケ、グラタン普通に考えられるまともな調理法は全部揃っている。カニ嫌いな人を拷問できるぐらいだ。
ダイエット中の私は、カニすきコースのなかでも揚げ物が入っていない中ランクぐらいのを頼む。もちろん、その他の単品別注も重要な楽しみだ。
コースにはズワイの刺身が付いているので、タラバの刺身を追加。カニ刺しの中でも味が濃厚なので酒肴として大活躍してくれる。
コースにカニミソは付いているが、それとは別に「カニミソ甲羅焼き」を頼む。ダイエッターにとってはコレステロールよりもカロリーが気になる。チョビチョビ口に運ぶ珍味系は絶対的な分量が少なくて済む。
そして真打ちが毛ガニだ。かに道楽のコース料理は基本的にズワイとタラバが主役で、毛ガニ好きな私としては、ちょっと興奮できない。
でも、さすが「かに道楽」だ。毛ガニは「姿ゆで」がメニューに常備されている。コースを頼んでいるにもかかわらず一杯盛りを追加。大と小が選べるというので、この日は小さい方を選ぶ。
小といっても400グラム以上あるらしい。中型ともいえるサイズだが、このぐらいの毛ガニが最もミソの旨さを味わえる。運ばれてきた毛ガニはさすがにミソが甘くてコクがあって幸せ。
コースに付いてくるカニミソやカニミソ甲羅焼きも充分美味しいが、しょせんズワイの味噌は加工品だ。毛ガニのミソのほうが300倍ぐらいウマい。
かに道楽特製のカニすきは、白醤油ベースのダシ汁が滋味あふれて旨いのだが、別注品を食べまくっていると、カニすきが運ばれる頃には正直満腹モード。
鍋用にザルに盛られて出てくる野菜など視界に入れるのも拒否したくなる。
それでも低カロリーだし、美味しいから食べてしまう。禁断の炭水化物である白飯をピンポン球ぐらいの小盛りで茶碗によそい、ほぐしたカニ身とダシ汁をかけてかっ込む。
抱かれてもいいと思う。
随分食べた気がするが、満腹の時に感じる独特の苦しい感じは皆無。
翌朝、体重は減っていなかったが、増えていなかったからOKだ。
2009年9月14日月曜日
左よりの風
選挙結果が歴史的だったわりには、その後の“間延び”感が否めない新政権の動き。鳩山次期総理大臣に「ハツラツとしたスピード感」は感じないし、今回の政変劇はなぜか盛り上がっている印象が薄い。
ダラダラと人事を固めない現状に加え、決して「民意」とは言えなさそうな人材が中心選手みたいな顔をしているのも気持ち悪い。
大臣にしてもらう社民党の福島党首のウキウキした感じは連立協議の段階から気持ち悪い。「アンタがそこにいることは民意ですかい」と聞きたくなる。亀井静香氏しかり。党首すら当選しなかった政党だ。3党首が握手している風景は素直に違和感があった。
社会主義についてどうこう言っても仕方ないが、そちら側の思考の人にアレルギーを感じる階層は相当いると思う。選挙で勝ったわけでもなく、参議院の議席状況という思惑だけでチヤホヤされて舞い上がる感じは何ともイヤな感じ。
三権の長たる衆議院議長もバリバリの“レフティー”が就任するらしい。アラアラという感じだ。
自民党に担がれた村山さんが社会党の主張と現実政治のはざまで、現実政治を優先し、それが契機となって矛盾だらけの社会党は壊滅した。社民党という流れで存続した一群は少数派で、多くは民主党という看板の下に集まった。
見る人が見れば、「お粗末左派一派」というイメージを隠したいがためにイデオロギーの匂いのしない旗の下に潜り込んだように見える。そしていま、我が世の春みたいな感じ。なんともウヘヘだ。
民主党の結党の背景に色々な思惑があったことは結構な数の人が知っている。この辺も盛り上がりきらない今の空気と関係あるのかもしれない。
確かに半世紀以上もの支配体制が転換すれば、一般的にもっと国民的大騒ぎになりそうなものだが、シラケ感とも違う変な静けさが漂っていることは誰もが感じているのではないか。
今の微妙な空気感について作家の村上龍氏がニューヨークタイムズ紙への寄稿で興味深い指摘をしている。
政権交代が起きても街角の表情がどことなく暗いことについて「子どもが大人になる時の憂鬱な気分」を国民が味わっているからと分析している。
また、日本の有権者心理について「政権交代で生活が改善されると信じるほど幼稚ではなくなった」として“成熟していく過程の憂鬱”が昨今の空気感の理由だと論評している。
文学的な言い回しだが、実際に“憂鬱な感じ”って分かる気がする。一気にすべてが変わるわけでもなく、かといって傍観も出来ない。国民心理はなんとなくスッキリしない感じなんだと思う。
民主党が前例がないほど圧勝した意味は、民主党への期待ではなく、ただ単純に自民党への退場宣告だったと見るのが普通だ。すなわち、これから民主党には冷たい風、向かい風が吹きまくる。
有権者が今回の政変劇で学んだのは、自らの意思で政権をひっくり返すことが意外に難しくなかったという事実だろう。この点を考えれば新政権の油断は一瞬にして命取りになる。
マニフェストに謳われた新しい政策について、その財政問題がこの秋にも問題化する。大転換に期待したいのはやまやまだが、年末あたりに新政権がドツボにはまっていそうな気もする。
2009年9月11日金曜日
カニに助けてもらう
先日、ダイエットにはおでんという話を書いたが、おでんと並ぶ私の「ダイエットツール」がカニである。
カニはああ見えて神経質。生け簀に入れておくとすぐに身がスカスカに痩せてしまうことで知られる。
それって裏返せばカニの身は水分ばかりということ。カニ料理のフルコースを食べても牛丼やカツ丼あたりに比べて低カロリーですむはず。
私がダイエットに励む時にはカニに手伝ってもらう。馬や牛じゃああるまいし、サラダとかいう草をバリバリ食べる気にはならない。ゆで野菜なんかもっとイヤだ。気持ち悪い。満腹効果のある変なドリンク剤みたいなのもイヤだ。
ダイエットといえども酒断ちではない。そこそこウマいつまみで酒を飲みたい。そうなるとカニの出番だ。
世間一般の常識では、カニのポジションはは上の方だ。一応、贅沢品の一種だ。人様が食べた話を聞くと羨ましくなるレベルだろう。
ケンタッキーとかマックとか、デニーズあたりの話を聞いても羨ましくない。カニはやっぱりエラい存在だ。そんなエラい食べ物を摂取するわけだからダイエットといえども悲壮感は感じないで済む。
焼きガニかゆでガニに限る。これをホジホジしていると時間が結構かかる。早食いドカ食いはデブのもとだが、カニをほじくっているとドカ食いも出来ないし、急いで食べることも出来ない。
結構な時間がかかればなんとなく食べた気がする。ズワイや毛ガニを一人で一杯分食べれば気分的に妙な達成感と満たされ感がある。
ほじくりの合間にカニミソを舐め舐め酒を味わう。日本酒を楽しみたいところだが、カロリーを考えて焼酎のロックをチビチビ。
贅沢珍味を味わっているから充分楽しい。
カニ以外のつまみは、たとえば、わかめの酢の物とか、タコぶつ、味の濃いものが欲しい時は韓国海苔をベロベロなめながら食べる。こんなラインナップでクイクイ呑んでいれば、ダイエット特有の我慢というストレスを感じないで済む。
以前、カニダイエットと真面目に取り組んだ。実際にやってみるとカニ三昧でカニの有り難みが薄れる。でもカニ好きな人なら大いにアリだと思う。
予算はかかります。でも、通販でビリー隊長のDVDも買わず、ロデオボーイも買わず、行きもしないスポーツクラブには絶対に入会しない私だ。ムダにコストをかけてダイエットを失敗しまくるオネエサマ、オバサマよりは少ない投下資金でいけるように思う。
2009年9月10日木曜日
源氏名
「源氏名」という習慣を知ったのは中学生ぐらいだったか、どうせエロ本あたりで仕入れた知識だろう。
ソープ嬢(当時はトルコ嬢)紹介のページを一生懸命熟読した際に、出てくる女性の名前が「松坂慶子」とか「多岐川裕美」だったりした。
似ても似つかないのだが、バカな子どもにとっては、字ヅラを追うだけで変な気分になった記憶がある。
別名を源氏名と呼ぶ起源を知ったのは、だいぶ後になってからだ。源氏物語にちなんだ名前を公家社会に勤める女官が使用したことがきっかけだ。
その後、大奥など武家社会にも広まる。次第に源氏物語に関わりなく「雅な響き」の名前が増えていったらしい。
江戸城大奥を描いた映画やドラマで出てくる女傑たちの名前が、「江島」とか「幾島」などどこか独特な響きを持っているのもそうした流れだ。
その後、遊郭の女性にも広まり、水商売用の女性の別名を総称するものとして定着した。源氏物語とはまったく関係ない名前が使われるようになっても源氏名という表現だけは残っている。
確かに、ただの別名とか通称、愛称では気分が出ない。源氏名といわれた方がどことなく洒落ているし、艶っぽい気がする。
その昔のソープ嬢は「荻野目」とか「高瀬」、「仁科」とか「真梨邑」など中途半端に芸能人を連想させる名前を名乗っていた覚えがある。ちっとも“源氏”に関係ないのだが、幼い私にそんなことは関係ない。ただ「源氏名」というものがあって、それを名乗る人は妖艶な人だという印象だけが植え付けられた。
当時見たエロ本のせいで、いまだに「源氏名」と聞くとムフフな気分になる。
さてさて、以前から「クラブ活動」を展開しながら気になっていたことがある。源氏名の没個性についてだ。店が決める場合とホステスさん本人が決める場合とあるのだろうが、平凡な名前があまりに多い気がする。
いっそのこと、空蝉とか桐壺とか源氏物語に出てくる名前を使ったほうが目立つだろう。目立ってナンボ、覚えられてナンボの世界だと思うがどうなんだろう。
酒場で過ごす時間、ホステスさん達と違ってこっちは酔っぱらいだ。泥酔はしていなくても、正常な記憶力が働かないことは多い。
翌日、もらった名刺を見返しても誰が誰だか分からない。私のヌルい記憶力のせいだけではない。特徴のない名前が多すぎるから印象がない。もったいないと思う。
私がこれまで一番印象に残ったホステスさんは「××丸」という源氏名。実に強いインパクトがあった。秀子さんという女性なら「秀丸」、純子さんなら「純丸」、あやかさんなら「あや丸」にすれば、一発で客は覚えると思う。
変な話、新宿のホストのほうがよほど妙チクリンな名前を名乗っているような気がする。妙チクリンな響きって結構バカにできない。非日常性を楽しみたい客にとっては大事な要素なのかもしれない。
ホステスさん達は仕事場を舞台に衣装や髪型も普段とは違うスタイルにまとめあげる。
まさに「変身」しているわけだ。名前のほうももっと大胆にアレンジしたら格好いいと思う。
2009年9月9日水曜日
ダイエット
ダイエットすることにした。厳密に言うとダイエットを始めた。もう1週間以上たつが、まだちっとも減っていない。困ったものだ。
20代の頃は1週間で10キロ落としたこともある。代謝がよかったのだろう。最近は、少しぐらいの努力では体重計はビクともしない。
まあダイエットと言っても、日本酒を飲みたいところを焼酎にしたり、呑んだ後のラーメンを我慢するとか、その程度なので体重が減るはずもない。もっとちゃんと体重調整に励まねば。
でもこの1週間、確か揚げ物を食べていない。すごいことだ。いや、先日深夜にカツサンドを食べていたことを思い出した。やはりまだまだだ。
先週、旧友と飲み会を企画、彼はそこそこ真面目にダイエットに励んでいるらしい。私も気持ちだけは、「ダイエッター」なので銀座7丁目のおでん屋さん「力」に行った。
おでんは私にとってカニと並ぶダイエットの必需品。大根やタコ、わかめあたりをつついていれば一応酒の共として合格だし、その他のツマミもちょろちょろ楽しんでも、間違いなく串カツ屋とか天ぷら屋で酒を飲むより低カロリーだ。
旧友とおでん屋で過ごした後、ハシゴ酒。綺麗どころとか汚いどころにチヤホヤされて酩酊ついでにたどり着いたのは、結局この日の1件目「力」の3件ほど隣にあるカラオケスナック。
途中まで貸切状態だったので桜田淳子の曲以外は歌ってはならないというシバリで過ごす。ファンにとっては楽しい。それ以外の人にとってはかなり辛いかもしれない。やはり阿久悠の詩の世界は素晴らしい。
小腹が空いてしまったので出前を頼む。「みやざわ」のサンドイッチだ。確かハンバーグサンドとカツサンドとミックスサンドを注文した。ダイエットしていることは忘れてしまった。
夜の銀座の出前といえば、寿司が定番のように思われているが、実は大人気なのがここのサンドイッチ。実際にウマい。深夜に食べると妙に嬉しい味がする。ある意味、隠れた銀座定番グルメだ。
おでん屋さんでせっかくメカブのおでんとかトマトのおでんなんかを食べて低カロリー作戦に勝利したのに12時過ぎにガッツリ系サンドを頬ばるようじゃ台無しである。
ちなみに、この深夜食い現象は、ダイエットの落とし穴でもある。夕食の際に気を使って低カロリーを意識する。当然、炭水化物も摂取しない。これだとすぐに空腹になる。
おまけに夕食後酒を呑み続けることで、肝臓が忙しく働くため低血糖状態に突入。生理的な必然として炭水化物を身体が欲しがる。酔ってるせいで自制もきかない。結局食べてしまう。痩せるどころか太るはずだ。
おでんを食べてしっかり呑んだら、あまり夜更かしせずに寝てしまうこと。これがダイエットのコツかもしれない。
2009年9月8日火曜日
恐れているもの
昔から不思議で仕方ないのが私とアニサキスとの関係だ。なぜか一度も被害に遭っていない。有難いことだ。
アニサキスといえば、人の胃をかじりまくる寄生虫。それはそれは痛いし苦しいらしい。サバ、アジ、イカあたりに潜んでいることが多いタチの悪い奴だ。
胃壁を食い荒らす奴の画像はネットから勝手に拾ってきました。
加熱調理、冷凍保存なら死滅する。生で食べたらリスクは高い。ショウガやワサビ程度ではやっつけられないそうだ。
なぜ私は大丈夫なのだろうか?
サバ、アジ、イカ。どれもしょっちゅう生食している。ちょくちょく行く函館ではイカのはらわただって生で食べまくっている。
調べてみると、ウソかホントかアニサキスを食べても反応しない人もいるらしい。炎症を起こすのは一種のアレルギーで、大丈夫な人とそうでない人に別れるということ。
とはいえ、甲殻類アレルギーとか花粉症もそうなのだが、ある日突然、アレルギー反応が始まるらしい。いま現在大丈夫でも明日は分からないということになる。
大半は食べてから2時間から10時間のうちに発症するという。多くの場合、3~5時間で突然苦しみ出すらしい。サバやイカをつまみに酩酊して帰宅した場合、寝ている間に激痛だ。救急車を呼ぶハメになる。恐い恐い。
鮮度の良い魚ほど危険が高い。腐りかけを出すようなヤバい店に通えばいいのだろうが、そっちはそっちで別な菌にやられてしまう。困った話。
生食が好きだから仕方ない。それにしても函館あたりでイカの季節になると、地元の人も観光客もこぞって、活イカ、それも生のゴロ(イカワタ)をウハウハ言いながら食べている。私もだ。
それでも市内の病院が夜になるとアニサキス急患で混雑するなどという話は聞いたことがない。なんとも不思議だ。
あちらこちらで板前さんにきいてみると、魚をさばいている最中に割と頻繁に目撃しているとか。皿の上で動いているアニサキスを発見するお客さん側の話も聞くことがある。
そのぐらい身近に危険は潜んでいるわけだ。なのに毎週2度、3度と生でサバやイカを食べることもある私だ。気をつけよう。
ちなみにいつも思うのだが、「アニサキス」という名前の響きが妙に恐く感じるのは私だけだろうか。なんか猛烈に痛そうな印象がある。単なる思い込みなのだろうか。
カンジタ、ヘルペス、コンジローマ、クラミジア・・・。いわずと知れた性病関係の名前だ。どことなく言葉の響きが可愛く感じる。アニサキスのほうが尖っている感じのイメージで鋭敏な印象を受ける。痛そうで恐い。
クラミジアあたりだと子ども向けアニメの登場人物みたいな名前だ。ハイジに出てくるクララとか銀河鉄道999のメーテルみたいな優しそうな女性を連想してしまう。
そんな風に思うのは私だけみたいだから、この辺でやめておこう。
2009年9月7日月曜日
銀座 さ久ら
この季節の薄暮の時間に妙に惹かれる。つい目的もなく散策したくなる。
日が短くなって、涼しい風も吹いてくる。風の匂いもどこか独特で季節が変わることを実感する。秋の訪れにちょっと高揚する感じだろうか。
先日、比較的早い時間に銀座8丁目界隈をうろついていた。散策気分になってしまうと、なかなか入る店が決まらない。お上りさんのようにキョロキョロする。
せっかく顔見知りになって、気に入った店がいくつもあるのに、どうして新しい店を開拓したくなるのだろう。昔から不思議に思っているのだが頻繁にそんな気分になる。
この日、はじめて訪ねたお店は8丁目のビルの地下にひっそりと構えるお寿司屋さん。店の名前は「さ久ら」。カウンター8席だけの小さめのお店。30代後半の大将が切り盛りする。
高級ホテルの寿司店出身だそうで、お店の雰囲気もどことなく洗練されているし、大将の人あたりもソフト。凛としすぎて窮屈な店とは違い居心地はよい。
お好みとおまかせをミックスしたような感じでアレコレ食べた。元々は日本料理出身ということで、酢の物にオクラが入っていたり、野菜をうまくアレンジしている。
この店ならではのオリジナルを随所に意識しているみたいだが、やり過ぎにならない程度なので素直に楽しめる。
この日食べた素材はみんな上等だった。シメ鯖もかなり上物、サンマも美味しい。煮アナゴのレベルも高い。
自家製塩辛も文字通り塩辛くて満足。純米酒をアレコレと勧めてもらっているうちにだいぶ酔ってしまった。
握りはコハダ、新イカ、昆布締めぐらいしか食べなかったが、締め具合もいいし、素直に美味しい。シャリがしっかり存在感があって嬉しい。正しい寿司飯の味だ。次回はもっと握りをたくさん食べたいと思った。
こういう遭遇があるから、散策ついでの新店開拓はやめられない。近いうちにまたお邪魔しようと思う。
2009年9月4日金曜日
民主党ご祝儀ムードの裏で
60年ぶりとかの政変というわけで、メディアの話題は民主党政権一色。来週、再来週あたりは正式な鳩山首相誕生までの段取りや組閣や主要ポスト人事で持ちきりになる。
ご祝儀ムードにも似た空気はまだまだ続くわけだが、その後も国連総会や金融サミットなどへの出席で話題は途切れない。ファーストレディーも加わったアメリカでのパフォーマンスがワイドショー的に取り上げられる。
片や自民党はというと、オバマさんと力強く握手してフラッシュを浴びる鳩山首相とはうって変わって同じ時期に寂しい総裁選。辛気くさい顔一色で“野党党首”を選ぶ。
あれだけ負ければ誰が新総裁になろうが、政権交代ご祝儀ムードの調味料みたいな話でしかない。
さてさて、何かと期待を集める民主党政権だが、生い立ちや支持基盤を考えれば、トップが大富豪だろうとも、富裕層向け、経営者向けの政策をとることは考えられない。
労働組合が大きな支持基盤であり、日の丸・君が代を断固認めないあの日教組だって大事な支持基盤だ。旧社会党出身のそっち側の色が濃いベテランもゴロゴロいる。
民主党型のバラマキ政策の財源は予算の組み換えや無駄遣いの一掃で捻出するらしいが、そう簡単に千億円規模の冗費倹約など出来るはずもない。
結局は、高所得層に切り込むことになる。金持ちを優遇してお金を使ってもらうことが景気刺激策になるという考え方は出てくるはずもなく、金持ち冷遇政策に舵を取ることは確実。
また、何かと既得権益的なものは毛嫌いされることになるが、これが今現在そこそこのポジションにいる人達にとっては脅威にもなりえる。
かなり漠然とした表現になるが、成功した人、地位のある人というと何かしら既得権益的なものの恩恵を受けているのではないか。
乱暴にいえば、成功した途端に努力しはじめるのが、権益を守るすべてのことだろう。閉鎖的な集団を結成して新規参入に壁を作るのも権益を守るためだし、どんな世界だろうと先行したものは後発を抑えにかかる。
そうした既得権の中で動いている面々まで、もろ手を挙げて民主党バンザイを唱えている人がいる。滑稽というか空恐ろしい。タレントの人気投票ではない。
もちろん、ズブズブでドロドロでブヨブヨになった自民党の退場は必然だと思う。しがらみほど構造転換を邪魔するものはない。
多くの企業が外国人トップを起用するのも、理由はそれだけ。しがらみのない正論で押し通せるからだろう。
まさか政権を外国人に担当してもらうわけにはいかないから民主党政権が誕生したわけだが、やはり民主党の根っこの体質的なものは“富豪記者的目線”では大いに気になる。
わが社が発行する税金の専門紙では、今後、あらゆる角度から新政権がもたらす影響を分析する予定。
一般紙および週刊誌、そしてテレビメディアはあくまで一般大衆向けにニュース報道を行う。わが社の場合、サラリーマンや主婦向きの話題など関係なく、経営者をはじめとする一定の階層に絞って今後の変化を報道する。
取材が進めば進むほど危惧の声や不安、疑問の声が多く集まってくる。税務関連業界への影響も無視できない。業界を問わず古い体質の“守旧派的分野”であれば、激変の波が近づいているといっても過言ではない。
いずれにせよ、議席が300ちょっとと100ちょっとでは二大政党制どころではない。まだまだ途上段階だろう。
既に今の段階から200対200ぐらいになるための数々のシナリオや仕掛け、策略が渦巻いているらしい。ある意味それが健全だろう。現在はあくまでその形に収れんされていく途中段階なのだろうが、そうはいっても政策面の大転換はいよいよ動き出す。
2009年9月3日木曜日
鮨源
私が頻繁に訪れている高田馬場「鮨源」の話をしばらく書いていなかったように思う。改装してもうすぐ1年。相変わらず安定してウマいものを食べさせてくれる。
私がよく注文するのがマグロの赤身。中トロなんかは小さい店でも頑張っていいものを用意するところは多いが、上等な赤身を安定的に置いてある店は少ない。
仕入れの事情なんかを勝手に想像するのだが、この分野になると店の規模がポイントになるような気がする。その点、支店をいくつか持つような鮨源クラスの高級店に強みはあるのだろう。
トロ方面が美味しいのは高級寿司店の基本だが、そんなものは当たり前の話。やはり赤身が上等だとその店を素直に評価したくなる。
鉄分の味というか、爽やかで、なおかつコクも感じる上等なマグロの赤身は派手さはないが、ニッポンのヒーローと呼びたくなる味だ。DNAが喜ぶ味といったら大げさだろうか。そのぐらいウマい。
安い居酒屋や山奥の安宿で出されるよなひたすらマズい赤身の刺身を食べさせられると悲しくなる。逆に、その手のマグロのせいで赤身嫌いになる人が増えれば、上等な赤身が品薄にならずに済むなどとセコいことを考える。
大間のマグロだ、戸井のマグロだ、などとブランドを強調されればされるほど、ちゃんと上等な赤身も仕入れてあるのかが気になる。
赤身の話に終始してしまいそうだ。鮨源に話題を戻す。赤身の刺身が安定的に美味しい店だけに、奇をてらったものより王道的なネタが常に美味しいのが有難い。
サバ、アジ、イカ、甘エビ、車海老、ボタンエビあたりはいつもうまい。昆布締めの白身も常時2種類ぐらいあるし、貝類も常にフレッシュで味が濃いモノばかり。鮮度の良いモノだけでなく煮ハマグリや煮タコもラインナップされている。
最近、ウニをつまみでもらうことが多い。上物のバフンウニとムラサキウニが揃っていることが多いので2点盛りにしてもらって、塩をふりふり、ちびちび味わう。うっとりする。
サンマがうまい季節なので、サンマも一般的な握りや単純な刺身以外にアレコレ料理してくれる。
軽く皮目を炙ってもらって食べたり、炙ったサンマをポン酢でタタキ風にして食べたり、結構アレンジしてもらえる。
サンマ以外にもやはり夏の時期はアジも安定的に美味しい。刺身で食べられるアジを使ったアジフライも混雑してなければ即興で作ってくれる。まさにバンザイしたくなる旨さだ。
白身も常備3種類以上は用意してあるようで、先日は味の濃いフッコを食べた。フッコ自体の味もよかったが、ポン酢とともに出された梅ダレとの相性が抜群だった。
板前さんたちも皆さん親切。場所柄、怪しげで騒々しいオヤジ客がガハハハ騒いでいるようなこともない。居心地のよい店だと思う。
さもしっかり味わっているような書きっぷりだが、いつも帰る頃にはそこそこ酩酊だ。正しい記憶で書いているのか怪しい。
でも酔っぱらえること自体、快適なお店だという証拠だろう。
2009年9月2日水曜日
チンチン葉巻
禁煙生活にもすっかり慣れた。結構快適だ。何よりライターを探してウロウロせずに済むようになったのが嬉しい。
タバコを買いに行く手間、タバコが切れそうな時の面倒くささ、その手の煩わしさから解放されたことが妙に楽しい。
が、しかし、このところ葉巻への依存が強まっている。せっかくタバコをやめたのに厳密な意味での禁“煙”は無理みたいだ。
上等な葉巻は誰がなんと言おうと素直に美味しい。ウットリする。
葉巻を楽しむオッサンの姿は、ハタから見ている第三者からは単にキザでうさん臭いものに映るらしい。まあ確かに洒落たシガーバーに行くとキザでうさん臭そうな客ばかり座っているのも事実だ。
でもこっちとしては、見映えなどどうでも良い。心底美味しいし、葉巻を楽しんでいるときは不思議と時間の流れがゆっくりになる。
あの感覚は葉巻愛好家なら全員が認める特徴的なものだ。実際にゆったりとした気分じゃないと葉巻を楽しむことはないから、ある意味当然だが、それでもなぜかあの時間は自分自身の動きもスローになる。
先日、蓼科と軽井沢に行ったのだが、天気も良く高原の空気は極上。こうなると無性に葉巻が美味しい。朝昼晩の食事が終わるたびにプハーっとしてしまった。こんなことを続けたら破産する。
8月初めに海外の葉巻廉売業者からネット注文で取り寄せたハバナ産の上等品をたくさん持って出かけたので、久しぶりに色々な銘柄を楽しんだ。
ここからは葉巻好きな人以外には興味のない話が続きます。。。
私が買うのはロブストサイズが中心だ。やや太めで適度な長さ。45分ぐらい楽しむサイズだ。久しぶりに購入しておいたレイデルムンドのシュアスプリーム。やはり抜群。ほんのり甘めの香りと味わい。軽すぎずキツ過ぎずバランスがよい。
ホヨー・ド・モントレーのエピキュア№2。こちらもマイルド、軽めの代表。味がないという悪評もあるぐらいだが、昼間からブカブカふかすには悪くない。日本人の日常食べているものを考えるとこのぐらいのサッパリ系もアリだと思う。
続いてコイーバ・ロブスト。単純明快に名品だ。価格も高いが味わいは最高級だ。個人的には一番好きなファン・ロペスのセレクションナンバー2と似ている印象だが、こちらのほうが少し華やかだろうか。
パルタガスのセリーD4も好きな葉巻のひとつ。銀座のクラブ「M」でも常備されているので結構味わう機会が多い。特徴のない味と香りだが、無難な一本だと思う。
ロブストサイズを楽しむには、やはり相当ゆったりとした時間が必要。気軽に20分ぐらいで楽しむにはもっと小型サイズが便利。
今回取り寄せた葉巻にも小型サイズをいくつか混ぜておいた。私の定番はサンクリストバルのエル・プリンシペ。サイズの割には辛味はなくリッチで甘め。美味しい。
値段はグッと高くなるが、キューバのVIP用シガーであるトリニダッドのレジェスも外せない。この逸品を毎日ランチの後とか夕方に気ままにふかせるような身分になりたいと思う。
今回初体験だったのがクアバのディヴィノスという変な葉巻。いろいろな銘柄のミックスセットの中に3本入っていたので、期待せずに試してみた。
1930年代ぐらいで消滅した変わった形状の復刻版らしい。フィギュラドという形状なんだとか。赤ん坊のチンチンみたいな形だが、味の方はチンチンみたいではなかった(食べたことないですが・・・)。
マイルドながらアロマも豊富でウッディーとかキャラメル風味とかの形容詞で表現したくなる。いやあ、これは掘り出し物かもしれない。その形の特性上、火付けも楽なので便利だ。
ただ、突拍子もないスタイルなのでその点が落ち着かない。まわりの人に「あの人、チンチンくわえてる」とか言われそうな気がする。
そういう意味で女性向きなのだろうか。
なんで葉巻の話も下ネタになるのだろう。欲求不満なのだろうか・・・。
2009年9月1日火曜日
どうでもいい選挙雑感
先週後半、衆院選に立候補していた知人の選挙事務所を訪ねた。事務所内には支援者から送られた酒が所狭しと山積みされている。陣中見舞いには酒というイメージのせいか日本酒の一升瓶ばかり。
思えば、日本中の選挙事務所で同様の光景が繰り広げられていたわけだ。正月前や祭礼前に神社に届けられる日本酒と同様、儀礼的な酒の流通がすごく活発化していたはずだ。酒屋さんにとっては特需のひとつだろう。
あの手の日本酒はどうなるのだろう?。その後の会合に提供するにしてもさすがに全部呑みきれるものでもないらしい。聞くところによると、候補者やその身内に大酒飲みがいれば時間をかけて消化していくそうだ。
私がこういう陣中見舞いに利用するのは酒ではなく栄養ドリンク。せっかく贈っても埋没しそうな酒より栄養ドリンクをあれこれ詰め合わせて笑えるぐらい大量に贈るようにしている。
さてさて選挙結果の話。異常なまでの民主党圧勝だったので、当選しちゃった比例単独立候補者のなかにどのぐらいトンチンカンな人がいるか注目してみた。
4年前の小泉郵政フィーバー選挙の時に“タイゾー議員”を生み出しちゃったようなハプニングに期待したが、その反省もあったのだろう。割と経歴・キャリアの点でフツーの人々が大半だった。
それでも東海地区かどこかで、政治歴ゼロのアルバイト女性が当選しちゃったという話があった。この女性、公示直前に友人の参院議員に名簿への氏名搭載を要請されたのだという。
このほかにも、今年3月の市議会議員選挙で最下位で落選した人が今回比例名簿に登載され、結果的に代議士センセイになっちゃったケースもあった。
ちなみにこれらのセンセイにも給料以外に諸経費、公設秘書人件費、事務所費など年間数千万円にのぼる税金が投入される。
さて今回の民主党の圧勝劇、永田町で困った自体になっているのが、「政策秘書」不足。国会議員には公設秘書2名だけでなく、政策秘書も国の負担で雇うことが可能。ただ、公設秘書はレッキとした国家資格。誰もがなれるわけではない。
国家試験以外にも公設秘書歴10年以上といった条件で政策秘書資格は入手できるが、当然、こうしたベテラン秘書はベテラン議員の下で働いている。新人議員のもとにはなかなか回ってこない。
落選した多くの自民党議員のもとで働いていた秘書を雇うにも、新人ではツテもないし、対立政党であればスパイ疑惑もついてまわる。
議員秘書も議員秘書で、彼らなりの年金加入期間の問題などもあり、違う仕事への転出はなかなか難しい。かといって敵対政党の議員のもとに子分として使えるのも厄介という事情もある。
政策秘書給与はあくまで国会から支給される。親分である国会議員から支給されるわけじゃない。かといって親分が失職すれば、国会からの給与は出なくなるから大変。
結局、一般的なパターンとしては親分落選の際には、同一政党の別の議員に引き取ってもらうことが多いようだ。
ちなみに今回の選挙に関するどうでもいい雑感をいくつか。
やはり投票率がカギだったんだと思う。今回の選挙結果についてメディアでは小選挙区制特有の現象という分析が盛んだ。もちろん、1人を選ぶという意味では風次第で大きく勢力図が変わるのは当然だが、それも結局は投票率がモノをいう。
その証拠に与党ボロ負けの初夏の都議選で立候補者全員当選という力を見せつけた公明党が、今回小選挙区で全敗したことがあげられる。
公明党はいわゆる基礎票が固く、当然投票行動はぶれない。にもかかわらず、代表も幹事長も落選した理由は投票率だろう。70%近い投票率であれば、特定団体を母体とする政党であっても議席獲得の計算が難しいいことが露呈した格好だ。
次に財政支出の見直しについて。民主党政権は予算組み換えを断行することで数兆円単位の予算を捻出する方針だ。財政規律派に分類される民主党の幹部連中ですら口を揃えて実現可能だと胸を張る。いわく、「しがらみがないから実現可能」。「過去の否定が自己否定にならないから実現可能」という論理だ。
もっともな話ではある。確かにガラガラポンが断行されることが期待できる。でもホントにそんなにスムーズに財政構造が変えられるなら、逆に変えてこなかった自民党の罪はもの凄く重い。
避けられた国債発行、避けられた財政出動はすべて時の為政者の責任問題である。単純に犯罪行為と断定できよう。それが判明しても責任をとる仕組みやルールがない以上、誰も糾弾されずに無責任な空気は蔓延し続ける。
なんか、こんな雑感を書いていてもキリがないので最後にひとつだけ少しコワい話。
20年ほど前、某カルト宗教団体が突然政党を結成して衆院選に登場。奇抜な選挙戦で話題を集めたものの結局は泡沫候補として惨敗。
問題はそこから。カルト団体は選挙に惨敗したことで、やたらと厭世観を強めるかのようにおかしな方向にどんどん変化。結局、世にも恐ろしい一大テロ事件を起こしたことはご存じの通り。
今回の選挙でも、某宗教団体がもの凄い威勢の良さで選挙戦に登場。結果はご覧の通り。普通に捲土重来を目指すのならどうでもいいのだが、さすがに信仰という共通項があるせいで、ついつい変な“前例”が気になってしまう。
選挙惨敗後の暴走。そんな想像をしているのは私ぐらいだろうか。。。