罠などと書くと大げさだが、懲りずに銀座の夜の世界に惑わされている。
なぜあの街に通ってオッパッピーのような消費活動に励んでいるのか、さすがに自分でも首をかしげる時がある。
理由はいろいろあるが、すべてが言い訳みたいなものだ。
先日、銀座7丁目、ビルの地下にひっそり佇むバーに連れて行ってもらった。会員制ということでカードキーを持った会員じゃないと扉が開かない。
そういう演出はわざとらしくて好きではない。でも、お店自体の造りや雰囲気、サービスも良かったので、とっとと会員になってしまった。
会員制の店の魅力はその閉鎖性にある。「知る人ぞ知る」の「知る人」側になった曖昧な優越感というか「通っぽい」感じが魅力なんだろう。
考えてみれば、人通りの少ない裏路地で看板も地味に掲げてひっそり営業している店に惹かれる人は多い。
小料理屋だったり渋いバーだったり。これはどこの街だって同じだ。開けっぴろげではないから興味が湧く。
オトナの男たるものそんな店の一つや二つ知らないとカッコ悪いといった空気さえある。
オジサマは例外なく男の子のなれの果てである。子供の頃に秘密基地を作りたがった記憶が残っている。必然的にそんな居場所を欲しがる。
銀座7丁目、8丁目あたりでのクラブ活動にもそんな男の心理は影響している。
会員制を名乗っているわけではないが、たいていのクラブが閉鎖的である。ビルの外に料金表を出したり、大きく看板を掲げることもない。
通りすがりの飛び込みの客が絶対に来ないという一種独特な世界だ。そういう店で常連顔して呆けていられることが楽しいのだろう。
バカみたいな話である。でもそんなもんである。
クラブ活動では麗しき女性のお世辞攻撃で鼻の下を伸ばすのが常である。女性にチヤホヤされたいから通ってると言われればその通りである。
それなら銀座に行かずに錦糸町や亀戸や池袋、はたまた成増のスナックだって良さそうなものだが、なんで銀座に出ちゃうのだろう。この点も我ながら不思議だ。
銀座の女性が特別な異人種であるはずはない。確かに中には非常に魅力的で優秀な人もいるが、たいていは普通の女性である。
強いて言えばあの街で働くことに矜持を持っている女性が多いという特徴はある。場末のスナックには無い特徴だ。
人間、何をするにも矜持は大事だ。それが結果的にその人の能力を高めることにもなる。
世の中のオッサン族の中には銀座の女性に対して妙なブランド信仰みたいな感覚を持つ人がいる。
「銀座の女性を連れ歩いている自分」という部分に面白味を感じるらしい。あの街自体が刻んで来た歴史がそういう幻想を抱かせるのだと思う。
確かに、あの街で悠然と飲んでいると一種独特な気分につながるのは確かだ。でもそれはあの街の空気の中に身を置いているからであって、女性を連れ歩くこととは少し違う気がする。なんだかなあ~って感じもある。
そうは言っても世の中には根っからのタニマチ気質の人もいる。はたまた、水商売の女性だったら恐い奥さんにも言い訳が立つという理由でせっせと奮闘している人もいる。
人ぞれぞれに思うところはあるのだろう。
私自身、すぐに麗しき女性にメロメロになっちゃうのでエラそうなことは言えない。
なんだかんだ言って、着飾った綺麗な女性にキラキラした目で親切にもてなされたら多くのオッサンはフヌケになる。
「今度お食事をご一緒したいです~」とか言われて、ついつい鼻の下を伸ばすオジサマは少なくない。女性にとっては純粋な営業活動なのに男達はデート気分で盛り上がる。
そして食事に行ったら行ったで、二人だけという状況にドキドキして、そこでもお世辞攻撃を食らう。気付けばポワっとした気持ちになってせっせと店に通ってしまう。
「もしや・・!?」という嘆かわしい期待に胸を躍らせる実に悲しいオトコのサガである。
同伴出勤という仕組みを考え出した先人は凄いと思う。なぜか客がホステスさんをもてなすわけだから冷静に考えたらスットコドッコイである。
バッカじゃなかろうかルンバの世界だが、かくいう私自身も時々同伴出勤に付き合わされて、結局はデレデレしているわけだからスットコドッコイである。
そんなものだ。
まあ、世の中の多くの中高年が「まだオレはオトコとして勝負出来るのか」という切ないテーマに直面している。
そんな時にたまたま付き合いで出かけた銀座のクラブで舞い上がってヘロヘロになるという残念な人の話を頻繁に耳にする。
そういう罠があの街を下支えしているのは確かだ。まさに社会の潤滑油である。良し悪しとは別次元の現実だ。
ヘロヘロになっちゃう人はさておき、普通の客は「プロが接客する」という部分に安心感を覚えてあの世界を活用する。
任せておける安心感みたいなものだろう。わずらわされることなく、細かいことに気遣う必要も無く、的確に快適な時間を過ごせるわけだから接待の場として定番になるのも当然だ。
女性陣は仕事と割り切って満面の笑顔と親切さを発揮する。仕事だと割り切ってもらうことで客側も安心する。そんな構図だ。
舞い上がってしまう客と違って「モノの道理」が分かっている客でも、そこはオトコである。時々「仕事以外でもこんな笑顔を見せてくれたらなあ」などと邪心が顔を覗かせる。
狩猟DNAに支配されるオトコの悲しいサガである。結局「もしや・・!?」というユラユラした気持ちが正常な判断を狂わせる。
ああ無情というべき世界である。
沈着冷静に分析しているようなエラそうな書きぶりだが、私自身、あの街では「もしや・・!?」のカタマリみたいな顔して呑んでいるような気がする。「もしや大王」である。
「あの街で喜んで飲んでいるオトコはM、Sの人は見向きもしない」。以前、このブログで書いた真理である。
ということで、自分のMっぽさに自分で呆れている今日この頃である。