2015年5月29日金曜日

銀座のクラブ 罠


罠などと書くと大げさだが、懲りずに銀座の夜の世界に惑わされている。

なぜあの街に通ってオッパッピーのような消費活動に励んでいるのか、さすがに自分でも首をかしげる時がある。

理由はいろいろあるが、すべてが言い訳みたいなものだ。


先日、銀座7丁目、ビルの地下にひっそり佇むバーに連れて行ってもらった。会員制ということでカードキーを持った会員じゃないと扉が開かない。

そういう演出はわざとらしくて好きではない。でも、お店自体の造りや雰囲気、サービスも良かったので、とっとと会員になってしまった。

会員制の店の魅力はその閉鎖性にある。「知る人ぞ知る」の「知る人」側になった曖昧な優越感というか「通っぽい」感じが魅力なんだろう。

考えてみれば、人通りの少ない裏路地で看板も地味に掲げてひっそり営業している店に惹かれる人は多い。

小料理屋だったり渋いバーだったり。これはどこの街だって同じだ。開けっぴろげではないから興味が湧く。

オトナの男たるものそんな店の一つや二つ知らないとカッコ悪いといった空気さえある。

オジサマは例外なく男の子のなれの果てである。子供の頃に秘密基地を作りたがった記憶が残っている。必然的にそんな居場所を欲しがる。


銀座7丁目、8丁目あたりでのクラブ活動にもそんな男の心理は影響している。

会員制を名乗っているわけではないが、たいていのクラブが閉鎖的である。ビルの外に料金表を出したり、大きく看板を掲げることもない。

通りすがりの飛び込みの客が絶対に来ないという一種独特な世界だ。そういう店で常連顔して呆けていられることが楽しいのだろう。

バカみたいな話である。でもそんなもんである。

クラブ活動では麗しき女性のお世辞攻撃で鼻の下を伸ばすのが常である。女性にチヤホヤされたいから通ってると言われればその通りである。

それなら銀座に行かずに錦糸町や亀戸や池袋、はたまた成増のスナックだって良さそうなものだが、なんで銀座に出ちゃうのだろう。この点も我ながら不思議だ。

銀座の女性が特別な異人種であるはずはない。確かに中には非常に魅力的で優秀な人もいるが、たいていは普通の女性である。

強いて言えばあの街で働くことに矜持を持っている女性が多いという特徴はある。場末のスナックには無い特徴だ。

人間、何をするにも矜持は大事だ。それが結果的にその人の能力を高めることにもなる。

世の中のオッサン族の中には銀座の女性に対して妙なブランド信仰みたいな感覚を持つ人がいる。

「銀座の女性を連れ歩いている自分」という部分に面白味を感じるらしい。あの街自体が刻んで来た歴史がそういう幻想を抱かせるのだと思う。

確かに、あの街で悠然と飲んでいると一種独特な気分につながるのは確かだ。でもそれはあの街の空気の中に身を置いているからであって、女性を連れ歩くこととは少し違う気がする。なんだかなあ~って感じもある。

そうは言っても世の中には根っからのタニマチ気質の人もいる。はたまた、水商売の女性だったら恐い奥さんにも言い訳が立つという理由でせっせと奮闘している人もいる。

人ぞれぞれに思うところはあるのだろう。

私自身、すぐに麗しき女性にメロメロになっちゃうのでエラそうなことは言えない。

なんだかんだ言って、着飾った綺麗な女性にキラキラした目で親切にもてなされたら多くのオッサンはフヌケになる。


「今度お食事をご一緒したいです~」とか言われて、ついつい鼻の下を伸ばすオジサマは少なくない。女性にとっては純粋な営業活動なのに男達はデート気分で盛り上がる。

そして食事に行ったら行ったで、二人だけという状況にドキドキして、そこでもお世辞攻撃を食らう。気付けばポワっとした気持ちになってせっせと店に通ってしまう。

「もしや・・!?」という嘆かわしい期待に胸を躍らせる実に悲しいオトコのサガである。

同伴出勤という仕組みを考え出した先人は凄いと思う。なぜか客がホステスさんをもてなすわけだから冷静に考えたらスットコドッコイである。

バッカじゃなかろうかルンバの世界だが、かくいう私自身も時々同伴出勤に付き合わされて、結局はデレデレしているわけだからスットコドッコイである。

そんなものだ。

まあ、世の中の多くの中高年が「まだオレはオトコとして勝負出来るのか」という切ないテーマに直面している。

そんな時にたまたま付き合いで出かけた銀座のクラブで舞い上がってヘロヘロになるという残念な人の話を頻繁に耳にする。

そういう罠があの街を下支えしているのは確かだ。まさに社会の潤滑油である。良し悪しとは別次元の現実だ。

ヘロヘロになっちゃう人はさておき、普通の客は「プロが接客する」という部分に安心感を覚えてあの世界を活用する。

任せておける安心感みたいなものだろう。わずらわされることなく、細かいことに気遣う必要も無く、的確に快適な時間を過ごせるわけだから接待の場として定番になるのも当然だ。

女性陣は仕事と割り切って満面の笑顔と親切さを発揮する。仕事だと割り切ってもらうことで客側も安心する。そんな構図だ。

舞い上がってしまう客と違って「モノの道理」が分かっている客でも、そこはオトコである。時々「仕事以外でもこんな笑顔を見せてくれたらなあ」などと邪心が顔を覗かせる。

狩猟DNAに支配されるオトコの悲しいサガである。結局「もしや・・!?」というユラユラした気持ちが正常な判断を狂わせる。

ああ無情というべき世界である。

沈着冷静に分析しているようなエラそうな書きぶりだが、私自身、あの街では「もしや・・!?」のカタマリみたいな顔して呑んでいるような気がする。「もしや大王」である。

「あの街で喜んで飲んでいるオトコはM、Sの人は見向きもしない」。以前、このブログで書いた真理である。

ということで、自分のMっぽさに自分で呆れている今日この頃である。

2015年5月27日水曜日

外国人旅行者と夜景


昔から旅行が好きでいろいろな場所に出かけてきた。旅の楽しみをあげればキリがない。ひょっとすると無事に帰宅した時の安堵感が一番の楽しみかもしれない。

なんだか元も子もない言い方になってしまうが、1泊の温泉旅でも長期の遠距離旅行でも、帰路につく時は後ろ髪を引かれる思いなのに家に辿り着いた時のホッとした感覚は独特だ。

自分の居場所の快適さを再認識する感じだ。

姪っ子が海外留学中なのだが、彼女も帰国した時には自宅はもちろん、自分の国の居心地の良さを強烈に感じると思う。

海外旅行の場合、ほんの数日の異国体験ですら自国の良さを再認識する機会になる。

「日本的なこと」は世界から見れば珍しいことだらけだ。治安の良さ、街の清潔さ、交通機関の正確さ、サービスの質、効率性など数え上げればキリがない。

ここ数年、日本を訪れる外国人観光客が急増している。昨年1年間に日本を訪れた外国人旅行者は1300万人を突破、一昨年に初めて1千万人を越えてからハイペースで増加中だ。

政府が目標に掲げる2020年に2千万人、2030年に3千万人という目標も充分実現可能性がある数字だと思う。

寿司に天ぷら、富士山に京都といったステレオタイプなイメージもすっかり変化し、今ではファッションやライフスタイル、先進的な都市機能の体験が目的の旅行者も多い。

いわば、日本にとっての日常的な世界が外国人旅行者の目には大いに刺激的に映るらしい。

地方の活性化対策が様々な角度から議論されているが、トンチンカンなバラマキ政策より観光促進に力を入れたほうがマシだと思えてくる。

うまくいけば対処療法的ではない永続的な効果が期待できる。外国人観光客のニーズは多様化している。日本人自身が気付いていない日本の魅力は無数にあるだろうから、どんどんアピールすべきだろう。

ちょっと話が変わる。

日本人が普段さほど意識していない部分で外国人旅行者が惹かれるものの一つに東京の夜景がある。

東京人にとっては夜景といえば、函館や長崎を思い起こすが、外国人旅行者の一部からは東京の夜景が世界一だという声もあるらしい。

確かに東京ほど煌々とした光りに満ちあふれた都市は世界でも希だ。ヨーロッパの都市を歩いても夜はボンヤリとした灯りが灯っているイメージだ。

外国人旅行者に喜ばれるのは有難いが、ある意味、東京の光りの洪水は世界的に見れば異常なのかもしれない。

エネルギー問題は日本人が直面する大きな課題である。3.11の震災後、東京は節電で灯りを落とした。

誰もが騒然としている中での出来事だったので、普段より暗くなった街を見て感慨にふける人も少なかった。そのせいもあってか、たった4年で「暗い東京」の姿は風化した。

思い返してみても暗くなった東京で特別な不都合は感じなかった。更にいえば、その昔のバブル以前の東京の街は今ほど明るくなかった記憶もある。

夜景人気に水を差すような話だが、明るすぎる東京の姿に少し違和感を覚えてしまう。

ネオン街の魅力を享受している私が書いたところで説得力はないが・・・。

2015年5月25日月曜日

アレンジ寿司飯の話

相変わらずコメが好きだ。コメ大国ニッポンの保守オトコだから当然である。

何かの調査では日本のコメ消費量が思ったほどではないというデータが出ていた。

国民一人当たりのコメ摂取量の国際比較で日本は50位前後だという統計があるらしい。結構驚いた。

確かに飽食ニッポンでは、パンも食べる、麺も食べる、はたまた糖質制限ダイエットなんかも盛んだ。発展途上の農業国なら好む好まないに関係なくコメばかり食べるだろうから消費量は大きく違ってくるのかもしれない。

私自身、1日2食の生活のうち、朝飯に冷やし中華、夜に焼鳥屋で珍味と焼鳥で終わる日もある。酔っ払って深夜にカップ焼きそばを食べてもコメの出番はない。消費量ゼロというわけだ。

由々しき問題である。

お寿司屋さんでも、刺身や珍味、焼き物に塩辛といったラインナップで飲んでいると握りまで辿り着けないこともある。

一応、コメから生まれた冷酒をグビグビしているが、あれはコメを食べるという意味とは違う。

「握りは最後の締め」。つい決めつけてしまう。もちろん、飲み始めた当初から握りを食べたって何も問題はない。日本酒を楽しんでいれば飲んでいる途中段階で食べるコメがウマいのも当然だ。

ナゼかそれが出来ないのが不思議だ。「コメは最後」という硬直した思考が邪魔をする。自分の柔軟性の無さを象徴する行動パターンだと思う。

先日、毎週のように出かけている高田馬場の鮨源で「寿司飯アレンジの夕べ」を開催した。もちろん、私が勝手に命名しただけである。

アレンジ寿司飯をツマミに飲んで、その後、普通の握りもそこそこ食べた。トータルではコメ消費に貢献できた気がする。

炭水化物抜きのダイエットは高年齢者がやると筋力低下が著しく寝たきりになっちゃうリスクさえあるとか。それならコメをモリモリ食べて、小太りな健康体でいたほうが遙かにマシである。


さて、アレンジ寿司飯である。まずは「白魚とホタルイカ、カキの燻製、スモークチーズのリゾット風である」。そう書くとやたらと大げさだが、それぞれの具材は少しずつで寿司飯も少しである。

このちょびっとした量の加減がキモである。希少性というか、大口開けて頬ばれない切なさが美味しさをより印象的にする。

オイルをそれなりに使っているので、実際、ドンブリサイズで出てきたらゲンナリしちゃうかもしれない。


続いては「シャコと空豆とタマネギのリゾット風」である。甘めに炊かれた空豆とやはり甘さを感じるタマネギが味のアクセントになっている。「ウマいものは甘い」という格言?通りでバツグンだった。

そもそも寿司飯自体に味があるわけだからアレンジしても酢をベースにした独特の風味が出る。ここが面白いところだ。

アレンジ寿司飯というジャンルはもっとポピュラーになってもいいと思う。お寿司に使うだけではもったいない。

きっと全国のお寿司屋さんでビックリするほどウマいアレンジ寿司飯が職人サン達の普段の賄い料理として食べられているような気がする。



こちらは「ウニの焼きおにぎり」である。完成状態とバラして食べている時の画像である。

ウニとウズラの卵を練って寿司飯と混ぜ合わせ、少量のゴマ油が隠し味に使われているらしい。そりゃあウマい。誰が食べてもウマいと思うはずだ。

まあ、ここまで手の込んだアレンジ寿司飯はなかなかお目にかかれない。それなりに常連になり、お店が空いているタイミングで職人さんの機嫌が良ければ味わえるシロモノである。

もちろん、ここまで手が込んでいなくても、ただ寿司飯を焼きおにぎりにしてもらうだけでもウマい。醬油ベースの焼きおにぎりに少しスダチを垂らして頬張ると幸福な気分になる。

もっと手軽なのは、塩辛などのツマミを食べた後に、小皿に残った汁とかエキスにチョビっとだけ寿司飯を混ぜ合わせて食べるパターンである。

握りという文化的技術を持つ職人さんを前にそんな食べ方をするのは正直言ってカッチョ悪い。

でもオジサマという生き物はワガママなので許してもらおう。

2015年5月22日金曜日

夏の匂い 髪の香り


初夏である。香り、いや「匂い」を楽しむ季節の到来だ。香りというより匂いといったほうが生々しくてピンとくる。

都会暮らしだとなかなか気付かないが、季節ごとの匂いを感じると妙に気持ちが浮き立つ。

これから夏にかけて一年のうちで最も印象的な匂いが漂う季節だと思う。

このところ、タバコや葉巻を手にベランダでマッタリする際に蚊取り線香を焚きはじめた。

デング熱を恐れているわけではない。単純にあの匂いが恋しくなってきた。まだ蚊の姿はちょろちょろしか見かけないのにバンバン焚いている。

ニッポンの夏を象徴するのが蚊取り線香の匂いだ。なんとも郷愁を誘う。あの臭いを嗅いだ途端、脳の動きが止まったかのように陶然とする。

香りを楽しむはずの葉巻なんか放っぽらかして蚊取り線香をクンクンしてしまう。一瞬にして子供の頃を思い出す。

井上陽水の「少年時代」がどこかから聞こえてくる錯覚すら覚える。

夏の匂いは他にもいっぱいある。

花火の焦げたような匂い、夕立が降った後の土と葉っぱの青臭いような匂いも大好きだ。

スイカの匂いやホタル舞う川の匂いも良い。情緒たっぷりでウットリする。決して風流人ではない私だが、そんな匂いを感じると自分の中の何かが覚醒するような気がする。

嗅覚と脳の関係って、凡人は想像もつかないような神秘の世界だと思う。ほんの一瞬で脳が躍動し始める。

俗っぽい方向に話は移るが、ウナギ屋さんの匂いとか昔ながらのお寿司屋さんから漂う酸っぱい匂いも一瞬にて脳を刺激する。

それに比べてわが社の隣のラーメン屋から臭ってくる得体の知れない匂いは何とかならないものだろうか。

話が飛んでしまった

匂いの記憶も不思議だ。忘れているはずだし、思い出そうとしても思い出せないのに、その匂いを嗅ぐと一気にすべてを思い出す。

久しぶりに顔を出した実家の匂い、久しぶりに訪ねた喫茶店の匂い、はたまた久しぶりに会った女性の髪の匂いなんかもそうだ。

普段どんなに想像しても思い出せないのに、実際の匂いが一気にさまざまな場面の記憶を呼び覚ます。

15年ほど前にJungle Smileというユニットがヒットさせた「おなじ星」という曲がある。実は私のカラオケ愛唱曲なのだが、この曲にも匂いをめぐるニクい歌詞が出てくる。

♪ そうこの匂い 耳の後ろの匂い
  昔から知ってる   ♪

若い男女の恋の歌だから、そんな匂いを昔から知っているわけがない。要はそれほど運命的な恋であり、ヘタすれば前世からの恋だと言いたいようなニュアンスなんだろう。

ちょっと分かる気がする。

まあ、私の耳の後ろは皆さんが卒倒するので私には当てはまらないが・・・。

好きになりそうな人の香りが自分の好みだったら、とっとと好きになっちゃうし、その逆だったら一気に苦手な人に思えてしまう。

そんなものだ。私だけだろうか。

女性の香水は基本的に苦手だ。でも、好みの香りを少しだけ漂わせてくれるとグッとくる。

たいていの場合、そうした香りは香水ではなく、ボディークリームの香りだったりする。やはり香水とは違う。

シャンプーの香りや化粧品の香りや、その手のクリームの香りがベースにあるわけだから、そこに妙にツンツンした香水まで追加されるとチョットきつい。

何事も過剰なのは素敵ではない。まあ、世の中には香水が好きな人もいるから個人的な主張を必死に展開しても仕方がない。

香水が苦手と言っても、女性特有の髪の匂いは大好きである。頭だけ持って帰りたいぐらい好きだ。ムフフな場面を迎えても、ついつい相手の髪の香りを感じやすい格好になりたがる。

とはいえ、あれもシャンプーやコンディショナー、ヘアクリーム等々の匂いであって、「髪の匂い」ではない。

要は香料にノックアウトされているわけだ。香水嫌いとか言ったところであんまり説得力はない。

私自身が使っているハゲ予防用のシャンプーが無香性だから、女性の髪から漂うホンノリとした匂いに妙に惹かれるのかもしれない。

昼飯代に困っているとか、帰りの電車賃が足りないとか、そういう困った事情を抱えている妙齢の女性は私の至近距離で頭を振り回してくれればいい。


歌舞伎の連獅子のように激しくハッスルして髪の香りを堪能させてくれれば、すぐにでも協力する。


蚊取り線香の話が何だか怪しい話になってしまった。

毎度のことでスイマセン。

2015年5月20日水曜日

偏執狂


人からグルメだと言われることがある。このブログにアレコレ食べ物ネタを載せているせいもあるが、実際には単なる偏食男である。

好き嫌いが激しく食べたいものしか食べない人物をグルメと呼ぶのは誤りだと思う。

ここ半月ぐらいに食べたものを思い起こしても毎度お馴染みのものばかりである。




日本橋・大江戸の極上鰻重、高田馬場・鮨源の生トリ貝の握り、銀座・九谷の珍味盛り合わせ?である。

生のトリ貝が出回るシーズンが来ればアチコチでウホウホ食べ、初夏にシンコが出回ればウホウホ食べ、夏の終わりに生イクラが登場すればウホウホ食べ、秋のサンマが出てくれば肝ばかりペロペロ舐めている。

結局、毎年おなじパターンを繰り返しているだけみたいだ。


鮨源さんでのフライ盛り合わせである。お寿司屋さんにタルタルソースまで作ってもらう無法ぶりもルーティンワークのようになってしまった。エビ、アジ、牡蠣のいずれかである。その他にフライに適した食材があってもいつも決まったものばかりだ。

先日、目先を変えようと赤坂にある金舌という店で牛肉三昧を企んだ。熟成がウリの極上牛タンとやらを食べたのだが、まあまあだった。

やはり目先なんか変えても仕方ないのかもしれない。もう牛肉は私にとって荷が重い。


相変わらず九段下のグランドパレスにピラフを食べに行く。シャトーソースとやらをバター風味たっぷりのピラフにビチャビチャかけて食べる最高の一品である。

「ふるさとの味」みたいな感覚すら覚える。

グランドパレスのカフェレストランは品数こそ少ないものの結構美味しいものを揃えたビュッフェがウリだ。

私の場合、ビュッフェコーナーをチラ見して興味が湧いても常にオーダーするのはピラフである。ここ20年ぐらい、この店でピラフをオーダーしなかったことが無いほど偏執狂である。時には「大盛りで!」と定食屋みたいに注文する。

つい先日はホテルニューオータニの「トレーダーヴィックス」でスペアリブにかじりついていたし、この週末は日本橋「いづもや」でウナギざんまいだった。


結局、自分の中の定番だけをぐるぐる回して、分かったようなウンチクもどきを語っているだけである。

もっと開拓精神、フロンティア精神を磨かないといけない。そういうことを億劫に感じるのが年を取るということだろう。

アンチエイジングとやらは現状に満足せず好奇心を膨らませるだけでクリアできるんだと思う。

そうはいっても、冒険して外しちゃった時のショックも若い頃より大きい。だから誰かを連れていく際には定番の店ばかりになってしまう。

もう少しチャレンジャーになったほうが楽しそうである。

なんだか話がまとまらなくなってきた。

寿司とウナギと焼鳥と、ついでにトンカツとニッポンの洋食、時々おでんにやきとん。間違いなくこのラインナップで私は1年を回せる。

イタリア料理やインド料理、東南アジアの料理なんかも追求した若い頃の胃腸は既に耐用年数が限界である。老朽化してしまった。ビジネス用語でいえば陳腐化である。

開拓精神でウマい店を探すにも結局、寿司にウナギ、焼鳥・・・と羅列した種類の店だけになってしまいそうだ。

まあ、それもそれで楽しそうだから良しとしよう。

2015年5月18日月曜日

ラーク 富麗華 ジェームス・コバーン


何度か禁煙していたが、今では何のためらいもなくスパスパしている。

どうやらタバコに愛されている気がする。

何かと不便だからやめたい気持ちはあるのだが、単純にウマいからやめられない。


大学生の頃から「ラークマイルド」を吸っている。考えてみれば30年ぐらいになる。
こだわっているわけではないが、すっかり馴染んでいるので何とかの一つ覚え状態である。

それまではキャビンやキャスターを好んでいたが、やたらと咳き込むようになり、その原因がそれらのタバコの成分だと聞いて、ハタチになる頃、知人に勧められたラークマイルドに変えた。

成分の話がホントかどうかは知らないが、咳が治まったので、それ以来すっかりラークマイルド派になったわけだ。

若い頃は親しい女性にラークマイルドを吸うように強制したりもした。私のタバコが無くなっちゃった時の予備である。ひどい話である。

昭和の頃はテレビコマーシャルといえばタバコだらけだった。ラークシリーズも外タレがやたらとキザな芝居をしながら宣伝していた。

https://www.youtube.com/watch?v=ya99EJRDI7I

ジェームス・コバーンの「SPEAK LARK」シリーズが印象に残っている。そういえば、高倉健サマもラークのCMに出ていた記憶がある。

タバコのCMと若者向けのクルマは平成になってから絶滅した象徴的な存在だと思う。

さて、タバコである。愛煙家への風当たりは厳しさを増している。煙草が吸える飲食店も減ってきた。私自身、禁煙になったせいで行かなくなった店は数え切れない。

ホテルの部屋を取る際も喫煙部屋が無くて慌てたりする。あんな個人的な空間にまで禁煙を押しつけられるのは迷惑である。日本人男性の喫煙率を考えれば、イマドキの風潮は厳しすぎる。

まあ、そんな愚痴を言っても始まらない。コレも時代の流れだ。でも私の周りには喫煙者が物凄く多い。中高年男性に限れば相変わらず喫煙率は高いはずだ。

話は変わる。若い人を相手に昔の喫煙環境の話をすると驚かれる。飛行機の機内で普通にタバコが吸えたことを信じない人までいる。

隔世の感がある。思えば駅のホームだろうと野球場で試合観戦している時でも、タクシーの中でも普通に吸えた。

病院や学校だってタバコを吸える場所はあった。昔の喫煙者はつくづく羨ましい。

あの時代、みんなドバドバ煙を吐きながら暮らしていた。でも、それを理由にみんなが健康を害したという話は聞かない。

私の身近なところでも、祖父も祖母も親戚も当り前のようにバリバリの喫煙者だったが、肺がんで亡くなった人はいない。

まあ、そんな理屈をこねくり回しても世間の空気が変わるはずもないから、せいぜいマイノリティーとして我慢しなければならない。


やたらとカッコいいカウンターバーの写真は、東麻布の「富麗華」の喫煙コーナーだ。

先日、久しぶりに訪れたのだが、相変わらずウマい料理を堪能できてウホウホ喜んだ。そんなことより喫煙コーナーのセンスの良さに感動した。

こういう気配りは有難い。客を大事にもてなす意識があればこそだと思う。

このクラスの店の客層はオジサマが多いはずだ。当然、喫煙者も一定の割合で存在する。そんな人達に肩身の狭い思いをさせない配慮が嬉しい。

世の中に数々の喫煙コーナーと呼ばれる場所があるが、こんなに素敵な空間はなかなか無い。

ちょっと褒めすぎか。実は先日、銀座のクラブで富麗華を傘下に持つ中国飯店グループの社長さんを紹介されたので、ついつい激賞してしまった。

喫煙コーナーを用意してもらえるだけで有り難がらなきゃいけないのだが、中には自分がブロイラーの鶏なのかと錯覚するような場所もある。

文句があるなら吸うなと言われそうだからテキトーにしておく。

百害あって一利なし。俗にタバコはそう表現される。害が百あるのは仕方ないが、利がゼロだとは思わない。

ウマいし、安らぐし、気持ちを切り替えたり沈静化させる要素だってある。

美味しい食事の後にタバコがなかったら実に味気ない。素敵な女性とのムフフの後にタバコがなかったら実に寂しい。余韻こそムフフの総仕上げである。

百害あっても八十ぐらいは利がある。私はそう思う。

2015年5月15日金曜日

オトナの音楽


日本の人口1億2千万人のうち45歳以上の割合は実に50%を超える。40代から60代までのオッサン、オバサンだけでも約5千万人。なんだか凄い構成比だ。

どっからどう見ても中高年が世の中の主流派である。私自身、その世代の中核にいるわけだから妙にホッとする。

こんなデータを持ち出したのは「中高年の音楽」について書こうと思ったからだ。

自分が子供の頃、すなわち昭和元禄まっ盛りの時代、「大人の音楽」といえば演歌かムード歌謡と決まっていた。

当時、日本の音楽シーンは歌謡曲、演歌、フォーク(ニューミュージック)に分類されていた。

歌謡曲には青少年相手のアイドル歌謡と中高年相手のムード歌謡があり、演歌はいわば、ムードを求めていない中高年向きであり、フォーク系は若者向きと決まっていた。

その後、フォーク、ニューミュージック系はJ-POPというジャンルに変わり、延長線上に邦楽ロックが足場を固めるようになった。

ムード歌謡は絶滅危惧種になったが、その後釜的位置付けには谷村新司やさだまさしあたりがドッカリ座り、中高年の音楽を下支えしている。

J-POP、邦楽ロックというカテゴリーは元々、オフコースやサザン、松任谷由実あたりのニューミュージック系が発展したものだが、こうした世代のミュージシャンが50代、60代の今も現役でバリバリ活躍することで、「中高年の音楽」が大きく変わってきた。

若者の身近な心象風景を歌に昇華させてきたニューミュージック世代のトップランナー達が現役のまま年を重ねることで、彼らが描き出す世界も年齢相応に変化してきた。

60歳を超えた松任谷由実が「恋人はサンタクロ~ス!」という歌を今の年齢で作って歌ったらヘンテコである。当然、彼女も今は大人の歌を創造する。

話は飛ぶが、尾崎豊が普通に年を取って50歳の目線で楽曲作りをしていたら、どんな作品を生み出したのかと思うと改めて早逝が惜しまれる。「50歳の地図」とか、そんな名曲を作って欲しかった。


というわけで、尾崎豊のルーツのような存在だったハマショー師匠に話を強引に持っていく。

先日、ハマショー師匠に関する重大ニュース?をネットで目にした。感慨深い出来事である。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150513-00010001-realsound-ent

浜田省吾。私にとって神である。63歳でバリバリ現役である。

35年以上前の中学生時代に初めて聴いた。まだ無名で音楽性も固まっていなかった頃だ。中学2年の時の家庭教師に教わった。

当時大学生だった広島出身の家庭教師である。私としては家庭教師など有難くはない。無駄話と夜食のドカ食いだけで帰っていただきたい。だからハマショーの話題を彼にふることで、勉強モードにならないように粘っていたわけだ。

そのせいで必死に聴き込んだこともあって、気付けばハマショーの世界にすっかりハマってしまった。以来、、彼の歌の世界が年齢相応に変化していくのを追体験してきた。

それこそ初期の頃は「ナナハン高速飛ばして~マッポに追い回され~」とか「あたいはイカれたあばずれセブンティーン」とか、スンゴイ歌詞も珍しくなかった。

その一方、初期の頃からラブバラードにも定評があって、いにしえの名曲「片思い」「もうひとつの土曜日」あたりは、フォークからニューミュージックへの流れの頃の作品だ。

バブル景気のさなか、ヒヒオヤジ達がワンレンボディコンのオネエチャン相手にそうした歌をカラオケで熱唱するのが堪らなくイヤだった。

いま、当時と似たようなことをしているヒヒオヤジ化した自分を猛省している・・・。

唯一のヒット曲「悲しみは雪のように」がドラマとのタイアップで売れまくった時は、その数年前に発売されたアルバム収録曲だったこともあって、根っからのファン達は冷めた目線で突然の“ハマショーブーム”を眺めていた。

昔からの信者?にとってハマショー師匠の路線の継続性というか一貫性はたまらない魅力だ。ビッグネームになったら、それまでの路線を捨てて分かりにくい自己満足型の音楽追求に走っちゃうミュージシャンもいる。

ハマショーの世界は、変な言い方をすれば永遠のマイナー、永遠のマンネリかもしれない。でもそれこそが長年に渡って年齢に応じて彼の楽曲を聴いてきたファンを喜ばせる。

YouTubeでハマショー師匠を検索するとミスチルの桜井和寿がハマショー師匠とライブでジョイントした時の子供のようにハシャいでいる動画が出てくる。最近発売された福山雅治のカバーアルバムのラスト曲は師匠の35年以上前の名曲である。

いまをときめくミュージシャンのルーツ的なポジションにいるのがハマショー師匠だということが分かる。

ちなみに、YouTubeといえばダウンタウンの「ガキの使い」でかつて放送された「ハマショーだらけの野球大会」が一番面白い。

敵チームも味方チームも全員がハマショーの格好をして黙々と野球をする動画である。ファンとしては複雑な態度をとるべきなのだが何度見ても腹を抱えて涙を流しながら笑ってしまう。

https://www.youtube.com/watch?v=SG0QVLCBhzo

おっと、いけない。師匠をもっとリスペクトしなければいけない。この動画の存在は内緒である・・・。

で、そんな師匠が10年ぶりにオリジナルアルバムを出した。

最近、そればっかり聞いている。ときどき泣いたりもする(ウソです)。久々のハマショー師匠の世界観にやられっぱなしである。

「中高年の音楽」のひとつの完成形だと思う。邦楽ロックというジャンルで中高年の心象風景を巧みに楽曲化している点で掛け値無しにカッコいい。

細かく楽曲紹介をする気はないが、歌詞のテーマがニクい。

子供の成長過程を振り返って安堵した気分で妻と向き合っている曲、一人気ままに残りの人生を歩こうと思っていたのに突然訪れた恋に動揺している曲、親しい友に逝かれた男の心情を表した曲などなど、オトナ心に刺さる歌がいくつも盛り込まれている。

とくに心を打たれたのが「五月の絵画」という曲だ。娘が小さかった頃に家を出て行った男が、大人になった娘と再会して昼下がりにお茶を飲んでいる情景を描いている。

♪ あれは君 15の春 涙浮かべて
  家を出る 俺を許さず 唇かんでた

  言葉を探したけれど すべて的外れで
  ドアを閉じ 息が出来ず 歩道に崩れ落ちた ♪

この歌詞は、娘との過去の別れを回想するくだりである。そして、すっかり美しく育った娘の姿を絵画のようだと例えるオジサマの切ない心情を歌っている。

世の中にさまざまな詩の世界があるが、個人的にズシンと来る歌にはなかなか出会わない。それをハマショー師匠が描いてくれたわけだから、大昔から信者である私にとってはタマランチンである。信仰増進である。どんどん寄進せねばと決意も新たである。

さてさて、今日は冒頭に日本の人口構成、その後に音楽の変遷なんかをもっともらしく書いてみた。

白状します。これは実は姑息な作戦でした。

「ハマショーは最高だ」ということを嬉々として書きたかったわけである。でも最初からそんな話を熱く語っても興味の無い人には素通りされてしまう。

余計な話で引っ張って「ハマショーは偉大なり」という話に強引に持っていくための謀略だったわけである。

日本の人口もユーミンも尾崎も私にとってはどうでもいい。ただハマショー賛歌を書きたかったわけである。

どうもすいません。

2015年5月13日水曜日

プエルトガレラの妖しい魅力



フィリピン・プエルトガレラの続きです。

マニラから車と船で3時間。行きやすい場所なのに日本人からはさほど人気がないリゾート地である。

水中環境は世界レベルと言っても大げさではないのに東南アジアの各地に出没する日本人の水中写真オタクを見かけることもない。おそらくネット上に溢れる怪しげな情報も影響しているのだろう。

東南アジアにはエロ目的の旅で出かける日本人が多い。フィリピンやタイあたりで不健康に爆発するニッポンオヤジは昔から一種の定番旅行者?になっているが、その手の人々がネットにアップしている怪しげな旅行記にプエルトガレラはちょこちょこ登場する。

興味を持った人がネットで下調べをしても、ダイビング情報よりエロ情報のほうが多かったら敬遠したくなるのも無理はない。おまけに日本人経営のダイビングショップがないことも情報が乏しい理由かもしれない。

猥雑で怪しい要素があるのも一面の真実だが、実際には安全で陽気なお手軽リゾートである。

怪しいバーをハシゴしたって危険は感じないし、狭いエリアに何でも集まっているからボケッと1日中、Tシャツ短パン、ビーサンだけで過ごすには快適である。

洒落たリゾートホテルなどない。だから洒落た人々が歩いていることもない。愛を囁くカップルが新婚旅行先に選ばない代わりにマニラあたりで調達した現地妻を連れ歩いているモテなさそうな白人オジサンはいっぱいいる。

10年前に訪れた時より中国や韓国からの旅行者が増えたのも昨今の特徴だろう。どう見たって下着のパンツとしか思えない「短パン」で闊歩していたり、団体で大騒ぎしているのはそうしたアジア勢である。

冒頭の画像は毎日飲んでいたマンゴシェイクである。主に朝食時にグビグビ飲んだ。牛乳と砂糖を加えてマンゴミルクシェイクにするのも悪くない。

朝食の定番はオムレツ。海外でオムレツといえばそのまま食べるかケチャップを使う程度である。ソースマンである私は持参したソースとケチャップをミックスしてごはんのおかずにしていた。

ごはんには大人のふりかけである。「ソースとふりかけ」。これさえあればバッチリだった。


さて、水中写真である。画像はクリックすると拡大表示されるので興味のある方は大きくしてご覧いただきたい。

今回面白がって使ったのが「虫の目レンズ」である。水中撮影機材メーカー・INONが発売している「マイクロ魚眼レンズ」が正式名称である。

水中での画角は150度という超ワイドでレンズ前0センチでもピントが合うスグレモノである。オリンパスの防水ケースに水中着脱が出来るので適度な被写体を見つけたらこればかり使っていた。




ホタテウミヘビというウナギや穴子に似た魚を撮影した2枚で比べてみる。

上の画像が通常の接写撮影で下が虫の目レンズで撮ったもの。虫の目レンズの場合、画角の広さのせいで周辺環境も写し込める。ついでに言えば通常のマクロ撮影よりも立体的な画像が作れるので面白い。




独特な風貌からその名もオラウータンクラブと呼ばれるカニの画像も上が通常の接写、下が虫の目レンズである。画に広がりが出る。

被写体にレンズがぶつかるぐらい近寄らないとマトモな写真にならないから使える場面は限られる。ストロボのライティングに神経を使う点が厄介だが、ちょっと変化に富んだ写真に仕上がる。




タツノオトシゴを撮影した画像も画角の広がり方に随分と差が出る。

さてさて虫の目レンズの話はその辺にして、今回の「変な魚シリーズ」に話を移す。

ワイドアングルで撮影したサンゴが綺麗な写真も凄く好きだが、変なヤツを接写すると肉眼で見た時よりも「オ~ッ!」と思える場面が多い。

撮影したあとに大きな画像で見て初めて細部が分かるようなことも珍しくない。




このエビも3センチぐらいの個体だったのだが、卵や内臓?も丸見えである。なんでこんな透かしているのだろう。身体の中身まで見せちゃうなんてハダカよりもエロいことだと思う。




続いてはピンク色のカエルアンコウ。全長78センチの個体だ。虫の目レンズで接写した。変な顔である。何かのバチが当たったのだろうか。でも可愛いい。

ここ10年ぐらいダイバー業界?で人気を集めている魚といえばピグミーシーホースである。名前の通り非常に小さく、イソバナのポリプに擬態しているので偶然見つけるのはまず無理である。

目のいい現地ガイドをチャーターして「ピグミーシーホース見せろ」と頼むのが撮影への近道である。

今回も水深13メートル程度の浅場のイソバナにピグミーちゃんが何匹も住み着いているとのことでジックリ撮影してきた。





微妙に顔を背けるし、片目ずつキョロキョロ動かすので、せっかく正面画像を何枚も撮影できたのに黒目が片方しか写せなかったのが残念である。

チャーターダイビングということで、他にダイバーがいないのをいいことに、わがチャーターガイドは私に良い写真を撮らせようとオキテ破りの行動に出た。





わかりにくい画像なので写真をクリックして拡大していただきたい。ガイドのオキテ破りの行動とは、私が撮影していたピグミーシーホースのそばに別な個体を強引に連れてくるという作戦だ。ルール違反である。反省しないといけない。

上の画像は「奇跡の3ショット」が撮れるチャンスだった。真ん中の個体がどうしても嫌がったので2匹の顔しか写らなかった。

老眼が進んできている私にとっては、全長2センチぐらいのピグミーちゃんとのランデブー?は実にシンドかった。水中マスクを度付きレンズで作り直す日も近づいている。

ということで、長くなってしまったので、それ以外の水中画像をいくつか載せて本日は店じまいにします。








2015年5月11日月曜日

リベンジ潜水の旅


GWはフィリピンのプエルトガレラに行ってきた。3月に行った際に扁桃腺炎で寝込んでしまい一度も海に出られなかったのでリベンジである。



気ままな一人旅である。毎日かなり真剣に潜ってみた。ブルーリボンという名のダイビングショップ兼コテージをベースにした。

わがままダイバーとして、ここ10年以上、チャーターベースでのダイビングばかりしている。今回もダイビングガイドとボートを私専用にチャーターして好き勝手に潜らせてもらえるショップを見つけた。

チャーターというと何やら大げさだが、英語なんて犬の遠吠えぐらいにしか出来ない私でも、イマドキのネット上の無料翻訳サイトを駆使して英文を作り、現地のダイビングショップとメールでやり取りすれば簡単に手配可能だ。

値段だって大したことはない。フィリピンである。沖縄で目的やレベルの異なるお客さん同士で乗合いダイビングをさせられる値段とさほど違いはない。じっくり水中写真を撮影したい人には強力にオススメする潜り方である。

チャーターで潜るもう一つの理由が安全性である。流れが強いポイントや深場にも行かない。若い頃は水深40メートルあたりまで珍しい被写体を求めて下りていったが、最近はすっかりヘタレである。

今回も20メートル程度を自分の最大水深と決めてホゲホゲ遊んでいた。誰に気兼ねすることなく、ノンビリまったり遊ぶのが潜水事故を起こさない基本だと思う。



宿は安宿なので論評ナシ。すっかり贅沢オジサマになってしまった私だが、昔からこの手のダイバー用ロッジには慣れている。今回はセクシービキニのハニーを連れて行ったわけではないので問題なし。

前回、ほぼ1週間も寝込んでいたせいで宿のスタッフ全員に気の毒で怪しげな日本人として覚えてもらっていた。おかげで何をするにも快適だった。

タオルを多めにもらったり、食事もメニューにないものをアレンジしたり結構わがままを聞いてもらえた。

下働きのスタッフまでみんなが顔見知りだと夜の行動も必然的に「品行方正」である。

徒歩5分の距離に繁華街があり、夜な夜な怪しげなバーに出没してTバック女性のポールダンスを眺めてニヤけていたのだが、現地の商慣習?である「社長サン、お持ち帰りしてくれ~」攻撃にも心を動かされずに済んだ。

小さな宿である。みんな顔見知りである。おまけに私は小心者である。その筋の女性と連れ立って帰ってきたら、私が築いてきた「まるでサムライのようなダンディーな日本男児」というイメージは崩壊してしまう。

映画「プリティウーマン」のリチャード・ギアとジュリア・ロバーツのような世界はあくまで絵空事である。

ということで実に健康的な日々を過ごした。

本当です。まあ、久々の潜水三昧で毎日バテバテでそれどころじゃなかったのも事実である。

それにしても30年もの間、同じ趣味を続けていると自分の肉体的な劣化を痛感する。思ったように身体が動かない。視力も低下したから昔より魚を見つけ出す能力も退化した。何より小一時間ほど潜っていると冷えちゃって仕方がない。

陸に上がって休憩する際には直射日光の下でボーッと身体を温める。クソ暑いはずなのにランチに温かいスープを頼んだりした。




ということで、同じように冷えた身体を温めていたヨソの国の人々を軽くパパラッチしてみた。こういう画像を撮影するのは魚を撮るよりも楽しい。バカである。

さてさて、今回の水中散策旅行のトピックスはすべての写真を「コンデジ」で撮影したことだ。一眼カメラを旅行先に持って行かなかったのはウン十年ぶりである。


カメラはオリンパスのTG-1とTG-3。それぞれを防水ケースに格納して外付けの水中ストロボを利用。TG-1には水中着脱可能なフィッシュアイコンバージョンレンズを付けてワイド撮影専用に、TG-3はマクロ専用機として使い分けた。





コンデジの進化にはビックリである。遊びでそれなりの写真を撮るのなら充分だと思う。

20年ぐらい前は重たい一眼レフを重たい防水ケースに入れて、重たい水中ストロボをつないで、配線など今よりはるかに水没リスクに神経をとがらせて潜っていた。おまけに36枚しか撮れないフィルムの時代である。

いまや無制限でシャッターは切れるし、撮影結果はその場で確認できるし、なんだか拍子抜けしちゃうぐらい手軽になった。

おまけにオリンパスのTGシリーズはコンパクトカメラ本体が水深15メートル程度までの防水仕様である。

実は今回、横着なセッティングのせいで、一度だけ完全水没をやらかしてしまった。水中でふと見たら防水ケースの中で水がチャポチャポ状態。

「やっちまったぜ」と慌てたのだが、カメラ本体の防水機能に期待して陸に戻ったあとに恐る恐る点検してみた。

そのときは水深18メートルほどまで潜っていた。カタログ上の防水機能は12~15メートル程度である。ヤバいかなと思ったが結果はセーフ。カメラも撮影データも何も問題なし。なんとも凄い時代になったものである。

長くなってしまったので今回撮影したウミウシのあれこれを載っけて続きは次回に書きます。