緊張感もなく暮らしている昨今、自分のユルユルぶりを痛感するのがお寿司屋さんで過ごす時間だ。以前はもっとキリっとした客だったはずだが、今ではフニャフニャである。
30歳ぐらいの頃から「寿司屋のカウンターでの過ごし方」は私にとっての大きな課題だった。いま思えば「大人の階段」だったのかもしれない。
物事がスイスイと動く時代の中で、「頃合い」「加減」「塩梅」「間合い」「空気感」といった、いわば大人の男としての“機微”の部分を学んだのが寿司屋のカウンターである。
なんだか大げさな書きぶりになってしまった。
少年時代はミーハー雑誌の影響でカリフォルニアが最高などと洗脳され、バブルの頃にはイタリアンだカフェバーだとカタカナ的なモノの洪水の中で育ってきた私である。
そんな私の指向は20代後半の頃から変わっていった。今は無き某寿司店の大将にいろいろなことを教わり始めたことがきっかけだった。
今よりも無知無教養だった私は、その店に通う常連さん達からも学ぶことは多かった。
あれから20年以上が過ぎた。恥ずかしい経験も重ねた。自分なりに勉強もして散財もして、場数も踏んで、今ではいっぱしのオジサマである。
当然、知識も経験も豊富にはなったが、その一方でいつの間にかカウンターに座っても緊張感もなしにユルユルするようになってしまった。
ユルユルになると自分なりに大事にしていたこだわりも無くなる。自分を律していたルールも守らなくなる。
昔は注文ひとつするにもイキがっていた。「そんなものは邪道だ」「女子供じゃあるまいし」などと勝手に気取っていた。
今では「コーンマヨ軍艦」が本気で食べたいと思うぐらいユルユルである。
これまで散々「シメはコハダに限る」「煮ハマは江戸前の華だな」「トロなんて食うもんじゃない」「かんぴょうに何故ワサビを入れないんだボケ」「シンコは2枚漬けぐらいがウマい」などと分かったようなことを語ってきた。
そんな呪縛のような信念?の一つが「イクラやウニばっかり食べるヤツは寿司のことが分かっちゃいない」というもの。それこそ寿司に詳しくない人をクサすような場面でエラそうに語ってきた。
ウニやイクラが死ぬほど好きな私である。なのにイキがってウニ、イクラを「女子供が食うもの」などと一段下に見るような物言いを繰り返してきたわけだ。
バカみたいである。女子供の皆様ごめんなさい。
まあ、職人さんが寿司ネタに仕事を施したかどうかという点で、他のネタとは差別されがちなのもウニ、イクラを取り巻く現実ではある。
とはいえ、ウマいものはウマい。好きなモノを多めに食べるのも別段おかしなことではない。他人からとやかく言われる話でもない。
というわけで、最近の私はウニやイクラばかり食べている。確実にヤボだと言われるほどバンバン食べている。
昔だったら変な自意識が邪魔をして頼むにしてもチョットだけだったのだが、今やヘタすればそればかり食べている。
ヤボの極みである。
夏の盛りを過ぎると生イクラが出回る季節だ。どこの店に行ってもブリブリ食べてしまう。
先日も下町の某寿司店で、生イクラをツマミで冷酒をクイクイして、その後、軍艦握りでも4貫食べてしまった。
昔の私の自意識であれば許しがたいヤボさである。
こちらは目白にある「鮨おざき」での一コマ。オープンしてまだ2ヶ月だが、バタバタ感は無く、じっくりとウマい魚を食べさせてくれる。
ウニの品揃えにこだわりがある店で、たいてい4~5種類の極上ウニが用意されている。ウマいイクラとウニをツマミに様々な冷酒をカピカピできるのは最高だ。
種類や産地の違うウニを少しずつ味比べする。面白いもので醬油に合うウニと塩で食べた方がウマいウニに大きく分かれる。そんな発見が出来るのも「ウニ祭り」状態のおかげである。
先日は5種類のウニがあったので、ツマミで3種類、握りで2種類を食べた。
「ウニばかり食べるのはヤボ」という私の信念?からするとスーパーヤボ野郎だが、一応、産地と種類が違うからセーフである。
まあ、単なる言い訳だ。
お寿司屋さんには他にウマいものが揃っているのに、ウニ、イクラばかりに目が向くのは、この歳になってオムライスやクリームコロッケに大興奮するのと同じかもしれない。
要は大人としての自制心が弱ってきて、単なるワガママが加速しているわけだ。見方によっては立派な老化現象かもしれない。
歳を取ると子供に戻っていくと言われる。でも、たかだか50歳を超えたぐらいで“赤ちゃん返り”しているようでは問題だ。
そういえば、先日も何十年ぶりかで「ミルキー」と「チェルシー」を食べて物凄く美味しく感じた。
どうも最近は味覚の幼稚化が猛スピードで進んでいるような気がする。大丈夫だろうか。