年齢的に疲れやすいのは仕方ない。問題は疲れを貯めないようにすることだ。睡眠をたっぷりとるのが大事だが寝過ぎると逆効果になるらしいから厄介である。
糖質の過剰摂取はダルさに繋がるそうだが、米も麺もやめられないし甘いモノも欲しくなる。糖質抜きの生活なんてストレスでかえって身体を壊しそうだ。なかなか難しい。
コンビニで売っているとろろを2つほど一気飲みすると何となく元気になる気がする。ネバネバは健康に良いらしいが、オクラやモロヘイヤあたりだとマズくて逆に死んじゃいそうだから私はとろろ一辺倒である。
最近はタマネギを本能的に接種する機会が増えた。居酒屋でオニオンスライスを注文しちゃうこともある。野菜嫌いとして生を受け野菜を親の仇のように忌み嫌ってきた私がわざわざお金を払ってタマネギを食べるようになったわけだから相当な進歩?である。
進歩というか、それだけ疲労回復に向ける意識が強くなったのだろう。もっと言えば若い頃は元気になる食べ物なんか気にしなくても勝手に元気だったわけだ。
タマネギは強壮剤としての効能もあるから、かつての修行僧は食べるのを禁じられていた。要するに悶々としちゃうぐらい元気になる食べ物だということ。
昔と今では食べ物も変わり栄養満点のものは百花繚乱である。今さらタマネギで急に元気になるとは思えないし、実際に元気になる実感はないが、疲れをとるのに効果があるらしいからせっせと食べている。
もともと疲労回復効果が高いといわれる豚肉は週に3~4回は食べている。その他にわりとマメに食べる鰻、そしてとろろとタマネギが私の身体を何とか保っているような気がする。
その他、日常のサプリはビタミンCにプロポリス、セサミン、青汁などを長年飲み続け、ここ2年ぐらいは補中益気湯という漢方にも頼っている。ダルさ改善に最適と言われる漢方である。効き目は正直言ってよく分からない。
一応、これだけの“努力”はしているのに疲れのせいで結構グダグダすることは多い。サプリや漢方や鰻やタマネギをやめちゃったら一体どうなるのだろう。ひょっとして廃人みたいな状態になるのだろうか。それともまったく変わらないのか物凄く興味深い。
まあ、何だかんだ言っても疲れた疲れたなどと口にするから疲れた気分になってしまうという悪循環に陥る。ネガティブな気分でいるとどうでもいいことにもイライラしてしまう。
最近イラつく話題といえば、何でもかんでもハラスメントという曖昧な名目で言動が制限されることやLGBT法案をめぐる国会の迷走がある。
何でいまさらあんなビミョーな話を法制度に盛り込もうとしているのかよく分からない。ヘタに法整備を済ませたヨソの国では“ジェンダーレス正義”を盾に女装したスケベ男が女性用トイレなどで乱暴を働く事件が起きている。
差別でも何でもない単なる区別をも禁止しかねないヘンテコな風潮を法律で後押ししたらヤバい事態になるのは誰だって分かる話だろう。
「私は男だ」と言い張る女性が相撲の世界に入ってきてマワシ一枚で土俵に上がるようになったらどうするのだろう。極端な話だがそういう屁理屈みたいな事が起こりかねない話である。
この国ならではのもっと変な例えを書きたくもなるが、コトによったら不敬罪?で炎上しそうだから適当にしよう。
そんなことより私が最近イラつくのはコーヒーカップの持ち手の部分の問題である。実に小さい話でスイマセン!
私の手の指はバカでかいわけではない。にもかかわらずシャレたコーヒーカップの輪っか状の持ち手部分に指が入らない。アレって指を入れるものではないのだろうか。マグカップの持ち手には指を入れるからコーヒーカップも同じだと思うのだがどうなのだろう。
詳しい人によるとあの持ち手に指を入れるのは正しくないらしい。あくまで指でつまむのがマナーだとか。だとしたらアノ思わせぶりな輪っかスタイルは腹立たしい。つまんで飲んでみても落としそうで落ち着いて飲めやしない。
せっかく純喫茶でひとときの安息タイムを過ごそうとしても「持ち手問題」のせいで私の神経は乱れまくる。こういうことの積み重ねで疲れるのだろうか…。バカである。
チェーン店のコーヒー屋が爆発的に広まって普通の喫茶店を凌駕してしまった理由の一つがコーヒーカップの持ち手問題だったのではなかろうか。今は味気ない紙容器が主流だが持ち手で困惑する必要はない。
この画像はイマドキのコーヒー店で出てくる紙容器である。ちなみにプラスティックの蓋の吸い口部分は開けた後に後ろ側にポコっと押し込んで使う。そんな誰でも知っている常識を私は昨年ようやく知った。それまではチギって捨てていた。恥ずかしい話だ。
そんな非常識な私がコーヒーカップの持ち手問題を嘆いたところで説得力はまるで無い。無念である。