2023年1月30日月曜日

蕎麦人のたしなみ


うどん人か蕎麦人か。東京生まれの私はもちろん後者である。マニアックに好むほどではないが時折無性に蕎麦が恋しくなる。うどんも嫌いではないがわざわざ食べたい気分にはならない。「うどんは西の食い物だろう?」などとキザったらしく言っちゃうこともある。

 

あらゆる分野の食べ物が西からの攻勢にさらされている。おでんに串カツ、天ぷらにウナギに至るまで関西風が猛威を振るう?昨今だが、蕎麦ばかりは東の横綱として頑張って欲しいものだ。

 

東京人でも若者はうどんを好む傾向があるようだ。「丸亀製麺」や「はなまるうどん」のようなファストフードや「つるとんたん」みたいな洒落たうどん屋さんに馴染んでいるせいか、蕎麦を無性に食べたくなる若者は少数派みたいだ。

 

蕎麦のほうは「ゆで太郎」や「小諸そば」といったオヤジっぽい雰囲気と立ち食いのイメージのせいでナウでヤングな若者には支持されにくいのかもしれない。

 

最近はなぜか寿司や蕎麦ぐらいしか食べたいものが思い付かない日が多く、そんなところからも我が身の衰えを痛感する。そうはいっても蕎麦屋に行けば結構ドカドカ食べてしまう。

 



思えば「もり蕎麦一人前」という食事で済ませたことは物心ついてから一度もない。専門店ならもりやざるを2枚以上頼む。街中の気安い蕎麦屋なら丼モノとセットにするか温かい蕎麦も一緒に頼む。

 

この画像は築地の「さらしなの里」での一コマ。3種類の蕎麦を並べてご満悦だった時だ。味が違う蕎麦を交互にズズズっとすするのは幸福だった。蕎麦ってもともと木の実みたいなものだからきっとカロリーはゼロだ。いっぱい食べても罪悪感に襲われない。

 

私の食生活は朝夜の2食が基本だから夜の蕎麦は当然のことながら晩酌とともに楽しむ。江戸っ子としては蕎麦と日本酒の組み合わせにイキを感じるものだが、私はナゼかその組み合わせだと気持ち悪くなる。きっと体質的な理由があるのだろう。

 


 

仕方ないからビールで始めた後は焼酎の蕎麦湯割りをお供にする。これがまた蕎麦飲みの時間を楽しくさせる。蕎麦がきや天ぷらをツマミにホロ酔いになってからズズズっと蕎麦を味わうのがオツだ。

 

たいていの蕎麦屋ではアッサリとした蕎麦湯が出てくるが、焼酎で割る際はドロドロ系の蕎麦湯のほうが間違いなく美味しい。

 

ドロドロの蕎麦湯を出す店は意外に少数派だ。有名なところでは麻布の「更級堀井」などがあるが、先日、何年かぶりに訪ねた銀座の蕎麦料理屋「流石Le蔵」でもそっち系の蕎麦湯が出てくる。

 



 クラブ街の雑居ビルの中に隠れ家的にあるこの店は人気の蕎麦専門店が母体だそうで炭火焼きや洋風料理と共に蕎麦を楽しめる。オシャレで高級感もあってまさに“大人の蕎麦飲み”が楽しめる。

 

イキな渋い系ではない。銀座のオネエサンを伴っていくような雰囲気。私も実際にそんな用途で出かけた。一品料理をアレコレ食べてから最後に蕎麦である。蕎麦はかなり美味しかった。ナゼか以前より満足感があった。

 




 

揚げた蕎麦の実がまざった味噌をツマミにスタート。いきなり白飯が欲しくなるウマさ。炭火焼きの鶏肉やフォアグラが乗った蕎麦がきをつまみながらグビグビと飲む。

 

肝心の蕎麦湯の画像を撮り忘れたが、ドロドロの蕎麦湯は冷めないようにポットで出してくれる。香りの良い蕎麦焼酎は別な器で出てくるから自分好みの濃さで作れるのが嬉しい。

 

蕎麦もそれなりのラインナップが揃っているが、この日は普通のもりと名物の冷やかけを頼む。同行のオネエサンはゴマダレのもり。しっかりツマミで飲んだ後でも私は2皿以上は蕎麦を食べたくなる。その気になれば3皿、4皿でもいけると思う。

 




ひやかけは文字通り蕎麦もつゆもどっちも冷たい一品。もり蕎麦のつゆとはまったく異質のこれ専用の出汁の風味が最高だ。これだけで34杯は食べたいぐらいである。

 

通常のもり蕎麦もコシ、風味ともに上等。蕎麦つゆの好みは分かれそうだが、蕎麦にちょこっとしかつゆを付けない江戸っ子的な食べ方ならば何も問題ない。ゴマダレも悪くなかった。

 

この日もさんざん飲んで食べてバカ話に花を咲かせた。「寿司、蕎麦、ウナギだけ食べていればハッピー」という極端な幸福論にたどり着いた。発想が完全に高齢者である。

 

酔いが覚めて冷静になった今はやはりラーメンやカレーやトンカツも捨てがたいと当たり前のことを感じている。

 

 

 

 

 

 

2023年1月27日金曜日

メシをかっこむ


「かっこむ」という日本語はどことなく威勢が良い。流し込むように急いで食べる様子を表しているわけだが、ドンブリ飯や汁かけご飯にこそぴったりな言葉だ。

 

行儀が悪いという見方もあるが、ドンブリ飯や汁かけご飯の食べ方の基本形はやはり「かっこむ」だろう。行儀の良し悪しよりも一種日本的な文化的な行動ともいえる。

 

猫まんま論争というのがあるらしい。味噌汁かけご飯をめぐる行儀に関する肯定派、否定派の論争だとか。あれを行儀が悪いとみなしたらお茶漬けをはじめとする汁かけご飯は全部ダメという話になってしまう。否定する必要はないだろう。

 

そもそも日本の食文化は器を手に持つのが基本だ。当然茶碗や丼は手に持って食べる。器を手で持たない欧米社会から見れば異質に映るのだろう。でもそこが原点にある以上、汁かけ系をかっこむという食べ方は行儀うんぬん以前の普通のことだと思う。

 

蕎麦を音をたててすする文化もヨソの国からは野蛮に見えるらしいが、あれをマナー違反にしちゃったら蕎麦の楽しみは台無しだ。ラーメンだって同じだろう。

 

中途半端な欧米化?の副産物が猫まんま論争につながっている気がする。日本の食べ方は日本の食べ方として普通に今まで通りで放っておけばいい。否定派の屁理屈みたいな意見を尊重しちゃうとそんな分野でも意味不明な“ネット正義感”に迷惑する人が増えるだけだと思う。

 


 

さてさて、私のお茶漬けの相棒である。人気の加島屋の鮭フレークだ。ふるさと納税の返礼品としてちょくちょく受け取っている。そこらへんの鮭フレークとはまるで違う食感と味付けが堪らない。私にとっての定番中の定番だ。

 

お茶漬けを食べる時は普段の茶碗より大きめな抹茶碗サイズを引っ張り出すのが私流だ。お気に入りの唐津焼の人気作家・浜本洋好さんの抹茶碗をお茶漬け専用にしている。

 



加島屋の鮭だけでなく海苔の佃煮、なめ茸を加えるのがいつものパターンだ。京漬物のすぐきがあればそれも加える。それぞれドッサリ入れる。きっと塩分過剰である。お茶漬けにすると不思議とヘルシーな気分になるからその点は忘れたふりをする。

 

四点盛りになったお茶漬けを食べ始める際は、それぞれの部分からちょろちょろ食べ始める。4つの味を確認したら次の段階として全部混ぜる。まさに渾然一体である。4つの具材の相乗効果が良い。まったく味が喧嘩せず絶妙に融合する。私にとっては「この世のウマいものベスト10」に入れたくなる美味しさだ。

 


 

炊き込みご飯も「かっこむ」のに最適だ。下の画像はカニの炊き込み飯だ。白米と一緒に炊きあげるだけの市販のカニ飯の素がベースだが、それだけではちっともカニ感が無いのでカニの缶詰を追加する。米2合だったらカニの缶詰を最低でも2缶は入れるのが良い。

 

カニの缶詰も安くはないからコストパフォーマンス的には最悪である。しかし、ここでも私を支えるのは「ふるさと納税の返礼品」である。

 


カニの缶詰なんて自分で買いたいとは思わないが、タダでもらえるならドシドシもらえばいい。その上で贅沢三昧に使えば束の間の富豪気分が味わえる。

 

上の画像ではよく分からないがカニだらけの炊き込みご飯が簡単に作れる。市販の炊き込みご飯の素に缶詰を加えるだけだから下準備は何もない。洗い物も出ない。そのくせ妙に贅沢な一品が出来上がるからオススメだ。

 


 こちらは門前仲町の通りすがりの喫茶兼軽食屋で食べた深川めしである。深川不動の門前だけにアサリの炊き込みご飯を出す店が界隈にはいくつもある。

 

門前仲町はわが家から歩いても15分ぐらいの距離なので週末によく散歩に出かける。昔ながらのせんべい屋や甘味処などを覗きながら小腹が空いたら手軽にこういうものが食べられて楽しい。

 

この店の深川めしはそのまま味わう他に茶漬けにして楽しむようにお勧めされる。茶漬け状態にしたら美味しさがより引き立ったような気がした。下町風情の漂う町で食べるならやはり「かっこむ」のが正解だと感じた。

 

 

 

 

 

 

2023年1月25日水曜日

香りの快感

  



だいぶ前のコロナ感染の影響だろうか、鼻づまり用のスプレーが私の必需品になった。冬の乾燥のせいだけではない。夏場にも頻繁に使う。鼻づまりの厄介さは呼吸うんぬん以前に世の中から香り、匂いが無くなってしまうことだ。

 

鼻づまり用スプレー愛好家になって改めて感じたことは嗅覚という機能の素晴らしさだ。腐ったモノを口にしないで済むという基本的役割が基本なのだろうが、それより何より「心地よい香り」を感じた時のあの嬉しくなる気持ちは人間の快感の中でもトップレベルだと思う。

 

ウナギに代表される食べ物やはたまたヒレ酒のような飲み物もしかり。香りが無かったら喜びは半減どころかほとんど消滅してしまう。

 



いい香りのする女性と食事に行ってもウナギの香りのほうが私をウットリさせる。どちらかを食べていいと言われても私はウナギを選ぶ。たぶん、いや、おそらくそうすると思う。いや、ちょっと怪しい…。

 

先日、ふるさと納税の返礼品で妙にもったいつけた?イチゴが届いた。白イチゴと普通のセットだから紅白でメデタイ感じだった。味はもちろん良かったが香りの良さが印象的だった。

 

果物の香りを普段あまり意識しないで食べていたが、さりげないあの香りは何とも魅力的である。そもそも香りというものはさりげないぐらいが丁度いいのかもしれない。

 



そう考えるとウナギなどはちょっと香りが過剰だろうか。それはそれで魅力的だが、カニ料理や鍋料理のようにほんのりと漂ってくるのもグっとくる。

 

女性についても香りは重要だ。これみよがしに香水を使われるとゲンナリする。シャンプーやボディクリームの香りがホンノリ香りぐらいがベストだと思う。

 

冒頭の画像のような装いの場合でも脚にぶりぶりボディクリームを塗りたくってあれば、こっちとしては目だけでなく鼻だって喜んでヒクヒクしてしまう。若者だったら他の所もヒクヒクしちゃう。

 

思えば昭和の頃のほうが香水をぶりぶり使う女性が多かったような気がする。香りがこっちの好みと違う場合、ドライブデートなんかは地獄だった。デパートの化粧品売場に長くいるとたいていの男性は気持ち悪くなるがまさにあんな感覚だった。

 

ウン十年前よりも香りに特化したボディクリームやシャンプーが増えたことが理由かも知れない。結構なことだと思う。上質なボディクリームをマメに塗りたくっている女性の香りはさりげない感じで嬉しくなる。

 

身体に直接つけるものだけでなく柔軟剤の効用も大きい。ヘンテコな匂いのする服を着ている女性に遭遇するともろもろ萎えてしまう。洗っていても例の生乾きの匂いが漂うと切ない気持ちになる。私自身が柔軟剤にこだわるタイプなのでついついそんなことを気にしてしまう。

 

ちなみに結構な歳になった今でも私が15歳ぐらいの頃に初めて女子と接近遭遇した時の相手の髪の香りのことは胸キュンメモリーとして残っている。触覚や視覚よりも私の心を揺さぶったのは嗅覚だったのかもしれない。

 

相変わらずワイ談方向?に話が進みそうだからちょっと軌道修正。

 

食べ物や人体に限らず、香りの魅力は至る所に溢れている。これから咲き始める梅の香りもそうだし、桜だってほのかに季節の香りが漂う。ちょっとアザといぐらいの金木犀の香りも魅力的だ。

 

夏の夕立の後の木々の香り、蚊取り線香の香り、替えたばかりの畳の香り、古いお寺の線香の香りや古本屋の香りだって人によっては快感中枢を刺激する。

 

聞くところによると人間の嗅覚は数十万の香りをかぎ分けられるほどの機能を持つそうだ。長く生きてくればその分いろんな香りに思い出がある。人生の場面ごとに思い出す香りがある。

 

今日も相変わらず何が書きたかったのか分からない話に終始してしまったが、いま私の頭の中には今までの人生で感じたさまざまな香りの印象が走馬燈状態である。

 

そんなどうでもいいことを思い出すのも脳活として悪くない。

 

 

 

 

 

 

2023年1月23日月曜日

怪しい寿司の誘惑

 

某日、お寿司が食べたい気分になったのだが、ちょっといつもと感覚が違った。普段はお寿司屋さんイコール酒とつまみが私の定番なのだが、その日は「ジャンクな寿司」が猛烈に食べたかった。

 

コーンマヨ、ツナサラダといった怪しい寿司が私の脳裏に浮かぶ。いつも行く普通のお寿司屋さんにはそんな邪道系は用意されていない。築地界隈のカジュアル系大衆寿司屋だとしてもさすがにコーンマヨは置いていない。

 

回転寿司の安いネタの定番がコーンマヨである。近所に回転寿司屋は無いのでネットで調べてみた。こういう時に今のネット社会の便利さを痛感する。ウチからさほど遠くない築地に「すしざんまい」がやっている回転寿司屋があってそこのメニューにコーンマヨを見つけた。

 



さっそく駆けつける。今をときめく?「すしざんまい」は初体験である。とはいえ、この日は普通の店舗ではなく、より単価を抑えた「廻るすしざんまい」という店舗だ。

 

近くに回らない「すしざんまい」が何店舗もあるのにわざわざ回転するほうを選ぶのはビミョーだ。でも普通のほうにはコーンマヨがないから仕方ない。まだ夕方の早い時間だったのでお客さんはまばら。寿司も回っていない。直接声をかけてオーダーしないとならない。

 

いっぱしの紳士のフリをしている私である。声を大にして「コーンマヨ」と叫ぶのはちょっぴり恥ずかしい。仕方ないから「本マグロ赤身」「本マグロ中トロ」「イクラ」などを頼むついでにさも付け足しのように「あと、そうだなあ、コーンマヨも」などとボソッと囁くようにオーダーしてみた。

 



思った以上にマグロが美味しかった。回転寿司や大衆系寿司屋で出てくる赤身とはまるで違う。しっかりウマい。大規模チェーン店の仕入れの力を実感した。

 

回らない普通の「すしざんまい」のほうが単価は高いからそっちで食べる赤身は「廻るすしざんまい」より更にウマいのだろうか。だとしたら大繁盛するのも当然だ。

 

シャリも思ったほどダメダメとはいえない。まあ普通である。かなりお安い値付けを考えたらまったく問題無し。こりゃあハヤるはずだと妙に納得してアレコレと食べまくった。

 

肝心のコーンマヨはちょっとイメージと違った。私が知っているコーンマヨはベトっとしたマヨネーズダレにコーンが混ざり込んだシロモノが軍艦で出てくるヤツだ。ところがここのコーンマヨはコーン粒の上にマヨを散らしてあるパターンだった。

 

こっちのほうがコーンをより感じられるのは確かだが、私が求めていたのはそんなことではない。もっとジャンクっぽさに満ちた一品に惹かれる。つまりコーンが食べたいわけではなく“怪しいコーンマヨ”が食べたかったわけだ。ヘンテコなワガママである。

 



こちらはカリフォルニアロールである。ジャンク寿司を食べたくてわざわざ来たのに本マグロばかりむしゃむしゃ食べていたから途中で本来の目的を思い出して頼んでみた。

 

素直にウマい。もはや古典的、保守的な王道の寿司とはまるで違うジャンルの食べ物だ。屋台の焼きそばと中華料理屋の焼きそばをを比べないのと同じで普通の寿司とジャンク寿司を同じ土俵で比較すること自体に意味がないのかもしれない。

 

こういう邪道系の寿司を一昔前は毛嫌いしていた。「寿司に詳しい大人」を目指していた反動である。「そんなものは寿司じゃねえよ」と何度となく口にした。今も一応そういう認識は消えていないが昔とは違って「これはこれでアリ」だと言えるようになった。

 

今でも状況によっては「寿司ウンチクオヤジ」としての片鱗を若者に見せつけたりするが、機会があれば人目を避けながら?邪道寿司を頬ばって大喜びをしている。

 



 別な日も築地にある大箱系大衆寿司屋に行った。いまは流通や冷凍技術の進化によってナマモノの鮮度はどこの店でも問題はない。繊細な仕事を必要とするようなネタを避けて売れ線や邪道系のネタを注文していれば楽しく過ごせる。

 

生っぽいカニなども普通の寿司屋では用意していないが、広くチェーン展開するこの手の店では結構見かける。カニが握りに適しているかはビミョーだが、時にこういうネタを四の五の言わずに楽しむのも悪くない。

 

一応、こちらは分かったような顔をしてアンキモや白子で燗酒を味わいながら、さも同行者が食べたがったような気配を出しながらナンチャラロールも注文する。

 



実はこういうのがすこぶる美味しい。ひょっとした私は普通の握り寿司がたいして好きじゃないのかとさえ思う。今に至るまでの四半世紀ぐらいの間は邪道寿司に背を向けてきたことがもったいなかったように思えてきた。

 

普通の寿司に関しては人よりも数段詳しくなったつもりだったが、残りの人生は邪道寿司を徹底して極めてみるのも面白いかもしれない。

 

 

 

 

 

2023年1月20日金曜日

音楽の力 師匠に感謝


音楽の力などと書くと何だか大袈裟だが、最近よくそんなことを考えるようになった。若い頃には感じなかったから不思議だ。何かと鈍感になってしまった中高年生活なのに音楽に癒されたり力付けられる場面が増えた。

 

若い頃に何となく聴いていた曲が今になって心に刺さることも多い。読解力?が成熟したのか、はたまた郷愁心理が理由なのかちょっと不思議だ。

 

先日も何となく流れていたAKB48の「ポニーテールとシュシュ」にナゼか心が揺さぶられた。聞き惚れてしまった。いったい何が刺さったのだろう。謎だ。

 

さて、中学生の頃に聴き始めたのが浜田省吾や佐野元春だった。なかでもハマショー師匠はその後40年ぐらい同じような路線のまま活動を続けているからファンとしては有難い限りだ。

 



少年時代の葛藤に始まり青春期のほろ苦い感情、大人になっていく過程の挫折や現実、家庭を持ち年をとっていくことへの焦燥感、しっかり年輪を重ねた上での達観等々、時系列に沿ってメッセージ性に満ちた楽曲を作り続けてくれている。

 

もう40数年の付き合いである。これってなかなか貴重なことだと思う。ハマショー師匠もいよいよ70歳になってしまった。ビックリ仰天である。私がズンズン加齢していくのも納得だ。

 

先日、久しぶりにハマショー師匠のライブに出かけた。今年は秋から全国でアリーナツアーもやるようだが、今回行ったのはNHKホールである。会場がバカでかくない分アットホームな雰囲気も感じられてとても良いステージだった。

 



アルバム発売に合わせたようなライブではなく今回のツアーは新旧織り交ぜた楽曲で構成されていた。私のようなオールドファンには有難い。お客さんの年齢層が高いからジャニーズのライブとは違っていまだにマスクと声出し禁止が原則。これはこれで近くで大騒ぎする客がいないから悪くない。

 

ここ10年ぐらいの曲が多かったが、個人的には20年、30年前の曲がやたらと心に染みた。バラードではないノリノリの曲でもウルウルしてしまった。自分が20代や30代の頃に聴いていた曲を年輪を重ねた本人が目の前で歌っている。贅沢な時間だと感じた。

 

師匠のライブでは過去にも何度か泣いてしまった私である。涙腺がだらしなくなってきたから今回は4回も涙がこぼれた。もはやハマショー師匠のライブは健康法の一種である「涙活」みたいである。

 

私にとって教祖的存在の久しぶりのライブなのにアンコールを観ずに帰った。3時間近い長丁場なのだが2時間半も堪能すれば私は満足である。

 

実はネットスーパーの到着時間が気になって帰ったのだが、後ろ髪をひかれるというより涙活効果でスッキリした気持ちで会場を後にした。教祖様よりネットスーパーを優先するあたりが大人の余裕?である。

 

アンコール前の本編最後の曲はファンにとっては涙チョチョ切れ必至の名曲「家路」だった。40年以上前に発表されたアルバムに収録されている楽曲である。原曲のギターソロはかのスティーブ・ルカサーが弾いている。

 

APバンクバンドのコンサートでミスチルの桜井和寿がハマショー師匠と嬉しそうにジョイントしていたことでも知られる。恥ずかしながら私がバンドデビューした10年前に無謀にもアコギ2本だけで歌ったこともある。

 

十代の頃から聴き込んでいたが、40歳ぐらいの一時期いろんなことで混乱していた私を支えて奮い立たせてくれたのがこの歌だった。道端にクルマを駐めて深夜に一人この歌をよく聴いていた。数百曲にのぼる師匠の楽曲の中でも私にとっては特別な一曲だ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=h1dTms1PcWA

 

そんな思い出の曲をナマで聴いて音楽の力を改めて痛感した。この歳になると心が震える場面なんてそうそう無いからなかなか得がたい時間だった。

 

目を閉じて円熟の歌いっぷりに集中した。迫力の演奏をバックに頭の中にはこの40年間の自分の人生が走馬燈のように甦ってきた。そりゃあ泣いてしまうのも仕方ない。

 

音楽って素晴らしいと今更ながら感じた次第です。

 

 

 

 

 

2023年1月18日水曜日

すい臓問題と特別食堂


昨年の暮れに再検査するハメになった怪しげな胃のポリープは一応悪性では無いということで今後も継続チェックという結果に収まった。

 



 ホッとしたのも束の間、今度は「すい臓問題」を抱えることになった。このブログにもこういうネタが増えてきたのが歳月の重みである。

 

すい臓がんは見つかったら手遅れという通説で知られる。おまけに早期発見がしにくいという厄介なシロモノである。そんな通説を打破しようと奮戦している専門医を紹介されたので恐る恐る検査に出かけた。

 

とくに症状も無いので気にしていてもキリがないのだが、なかなか予約が取れない専門医にルートが出来たので「せっかくだから」というノリで訪ねた。

 

まずはMRIである。昨年夏にも受けたのだが、その際はすい臓に「のう胞」すなわち分泌物の袋が出来ているという指摘を受けた。その時のお医者さんの話ではMRIの性能が良くなってのう胞が見つかるケースが増えており、とりあえず様子見で良いという話だった。

 

ネットで調べても重大な心配事でもなさそうなので気にしていなかったのだが、せっかく先端医療で知られるすい臓専門医に診てもらえるわけだから改めてすい臓中心に撮影をし直してより専門的な診断を仰ぐことにしたわけだ。

 


閉所恐怖症気味の私にとってCT検査はヘッチャラでもMRIは強敵である。毎度パニックを起こしそうになる。今回は事前に安定剤を多めに飲んでちょっとボーっとした状態で機械の中に収まってみた。

 

機械の中に入る前から目をつぶっているのが有効だと技師さんからアドバイスを受けたせいもあって今回は修羅場にならずに済んだ。30分近くの時間をハマショー師匠の歌をアレコレ頭の中で熱唱しながら耐えきった。

 

MRIを受けてからその専門医の診察までは2時間半ほど間があったので朝飯抜きでハングリー状態の私はいそいそと近くの日本橋高島屋に向かう。狙うは特別食堂である。

 

昭和のデパートにおける聖域みたいな場所が特別食堂である。高島屋の場合、帝国ホテル、鰻の野田岩、和食の大和屋三玄のメニューが頼み放題である。MRI検査を耐えている最中から「鰻重と洋食」というワガママな組み合わせを考えていた。

 


 

タルタルソースをべとべと塗りながら食べるエビフライにも惹かれたのだが、帝国ホテル名物のシャリアピンステーキが私を呼んでいたので鰻重の相棒としてそちらを選ぶ。

 

鰻重はもちろん鰻がたくさん乗っている上等なやつにした。ご飯が見えないほど鰻が敷き詰められていると口だけでなく目も幸せになる。ちなみに空腹バリバリだったのに残念ながら野田岩の鰻重は相変わらず私好みではなかった。

 

たかだか朝飯を抜いたぐらいでこういうドカ食いをしたくなる自分のシャバダバぶりが残念だが、いざガン患者になってしまったらこんなことは出来なくなりそうだ。これはこれで元気な証である。

 

「やれるうちにやっておく」。私ぐらいの年齢になるとこういう考え方は大事かもしれない。言い訳みたいな話だが、実際にいつかは爆食など出来なくなるから悩んでいるヒマがあったらせっせと食べるほうが賢明である。

 

さて、そんなことより「すい臓問題」である。結論から言うと私の抱えるリスクはかなり大きい。そのお医者さんによるとすい臓がんは遺伝的な要素が強いのだとか。私の祖母はすい臓がんで亡くなったからその時点でシード権を手にしちゃったらしい。

 

おまけに「のう胞」まで出来ているのは間違いなく“予備軍確定”だとか。すい臓の形状からもガンになりやすい傾向があるらしく私はどっからどう見ても立派な“有資格者”なんだそうだ。のう胞が悪性のものだったとしたら放置すると「23年後にはこの世からいなくなる」と宣言されてしまった。

 

「じぇじぇじぇ」というしかなかったわけだが、手をこまねいていても仕方ない。来月に最先端の検査を受けることになった。その名も「超音波内視鏡」である。いわゆる胃カメラの先端に超音波測定器がついていて胃の壁からすい臓の状態を細かくチェックするらしい。

 


 

MRIでは3㎝ぐらいにならないとガンは見つからないらしいが、これだとほんのチッポケなやつも発見できるそうだ。いわばガンが芽吹く前の段階で見つけて退治するという流れなんだとか。フムフムって感じだ。


明るく元気なそのお医者さんからは「来月までドキドキしながら待っていてください!」と言われた。言われなくてもドキドキである。まあ、考え込んでも仕方ないから呑気に無事を祈っておこう。

 

長年にわたって暴飲暴食を続けてきたから仕方ないのかと思ったが、そのお医者さんいわく暴飲暴食は関係なくあくまで遺伝的な要素が大きいとのこと。「今後も好きなものを好きなだけ食べて構わない」とまで言ってもらえた。名医である。

 

とりあえず来月までちゃんとドキドキしていようと思う。

 

 

 

 

 

 

2023年1月16日月曜日

美らしゃぶ亭の豚肉

 

「しゃぶしゃぶ食べたい」と聞いて思い浮かぶのは牛肉である。誰にでも共通する話だと思っていたが「しゃぶしゃぶイコール豚肉」という認識も珍しい話ではないらしい。

 

肉じゃがの肉が牛か豚かで好みが別れるように地域によって豚肉こそがしゃぶしゃぶ用の肉という所もあるそうだ。豚肉好きの私にとってはホッコリする話である。

 

牛肉がすっかり苦手になってきたから肉といえば豚肉か鶏肉を選ぶ。東京人である私にとっては牛が苦手だろうと豚肉のしゃぶしゃぶはあくまで「豚しゃぶ」と呼ぶ。

 

とはいえ、いつの日か牛と豚の地位が逆転して「しゃぶしゃぶは豚肉、牛肉だったら牛しゃぶ」になっても構わない。個人的には豚しゃぶが大好きだ。いくらでも食べられるぐらい好きだ。

 

もう10年以上前に鹿児島で「豚しゃぶには蕎麦つゆ」という最高の組み合わせを教わってからそれ以前よりも豚しゃぶが好きになった。ポン酢でもゴマだれでもない。断固として蕎麦つゆで食べるべきなのが豚しゃぶである。

 

家でも簡単だ。濃縮2倍や3倍の蕎麦つゆをお湯で濃いめに割ってネギをどさどさ入れるだけ。ネギ無しだって充分にウマい。なんなら軽く茹でた豚肉を皿に盛って濃いめに割った蕎麦つゆをぶっかけ状態にしたってウマい。

 

豚肉特有の旨味や甘みを堪能するにはポン酢だとちょっと強過ぎるし、ゴマだれも何だか味を壊しちゃう気がする。蕎麦つゆは絶妙に豚肉の良い部分を引きたてる。未体験の人はゼヒ試して欲しい。

 



先日、久しぶりに豚しゃぶの名店に出かけた。後輩が経営する店だが、そんなヒイキ目を抜きにしても個人的には日本一美味しい豚しゃぶ屋だと思う。高いけど。

 

銀座にある「美らしゃぶ亭」がその店。オープンして7年ぐらいは経つだろうか。場所柄、というかオーナーの性質?もあって銀座の夜のオネエサン出没率が高い店だ。特徴は沖縄の銘柄豚を5種類ほど揃えている点だ。

 

いまや有名なアグーはもちろん、それよりも上等なパイナップルポークという肉が最高にウマい。パイナップルで育てたせいか肉や脂身の甘みが良い。クドさもなく延々と飽きずに食べられる。延々と飽きずに食べていたらお勘定も大変だが、そうそう肉ばかり食べられないからツマミや一品料理をはさんでグビグビ飲んでいれば幸せになれる。

 



ジーマミ豆腐や豆腐ようといった定番の沖縄的ツマミも上質なものを用意している。シャバダバな沖縄居酒屋で出てくるものとは一線を画す。海ぶどうも水槽で管理しているそうで妙にウマい。シューマイやソーセージも旨味たっぷりでハッピーになる。

 

この店では豚しゃぶ用のタレとしてシークワーサーポン酢、シークワーサー塩ポン酢、そして蕎麦つゆの3種類が用意される。シークワーサーポン酢も非常に良い味だが私は海ぶどうに使うぐらいだ。どうしても蕎麦つゆばかり使ってしまう。

 



薬味を出さないのが以前から不思議なのだが、きっと豚肉とタレ自体に自信があるからそうしているのだろう。いや、ひょっとしたらいつも私にだけ出すのを忘れているのかもしれない。

 

数種類揃えてある銘柄豚はそれぞれ肩ロースとバラ肉を選べる。上の画像に写っている白っぽいのがバラ肉、赤身部分が多いのがロースだ。個人的にはバラ肉のほうが大好きだ。本当はバラ肉だけ注文したいのだが連れて行った人が初めての場合、赤身っぽい部分も並べないと収まりが悪い気がして混合状態になる。

 

牛肉のしゃぶしゃぶだったら白っぽい脂身だらけの部分などクドくて食べられないが、上質な豚肉の脂はちっともクドくない。焼肉屋で霜降り牛を1枚も食べられない私が言うのだから本当だ。

 

オーナーである我が後輩は常に店にいるわけではないのだが、たまたまいる時にぶつかってしまうと延々とバカみたいな世間話大会になって飲み過ぎてしまう。この日も何年も洞窟で寝かせていた泡盛の甕の口開けを堪能させてもらった。

 

無心で豚しゃぶを食べたくて出かけた割にはたいして肉を食べずに終わってしまった。また近いうちにヤツがいないスキを狙って思う存分食べてみようと企んでいる。





2023年1月13日金曜日

世代間格差 ギャル


私が若い頃は自分より上の世代で流行っていたことに興味を持つのが普通だった気がする。歌や映画、社会現象に至るまでリアルタイムでは知らなかったことを知りたい欲求が強かった。たぶん多くの若者に共通していた意識だと思う。

 

私が若い頃には既にオジサンだった石原裕次郎や加山雄三、はたまた森繁久弥の若い頃の映画を面白がって観たり、グループサウンズのバンド名を覚えてみたり、自分の記憶には無い三島由紀夫事件やら浅間山荘事件やらよど号ハイジャック事件なんかに興味シンシンだった。

 

ちょっと上の世代の流行や出来事を知っていることが格好いいことのように思えた。それなりに“学習”することが結構楽しかった。一種の「背伸びしたい心理」がそうさせたのだろう。

 

「イマドキの若者は…」などと言うつもりはないが、ここ数年、若い人と話していても彼らの世代とは無縁の昔の話をまるで知らないことが多くて驚く。先日は「館ひろし」を知らない20代の人がいてビックリした。

 

「踊る大捜査線」のことを知らない若者もいた。我々世代からするとごく最近のヒット作に感じるのに世代間格差は想像以上みたいだ。

 

若者の間で「背伸びしたい心理」が薄れてきたのだろうか。昔と違って有り余る情報の中から自分が興味を持つ情報だけを取捨選択できる時代になったことを反映している話だと思う。

 

かの名作シリーズである「北の国から」はもちろん「太陽にほえろ」なんてまるで知らない。私が若い頃はかつて「七人の刑事」や「時間ですよ」「キーハンター」といった大ヒットドラマがあったことぐらいは知っていた。

 



話は脱線するが、この画像は友人から送られてきたもの。ネットでの拾い画像だと思うが「太陽にほえろ」を夢中になって観ていた中高年世代にとっては一種の衝撃画像である。

 

あんなに大貫禄だったボスや山さん、長さんの年齢がこんなにも若かったとは。ゴリさんだって青年である。今は江口洋介や織田裕二が50代後半、福山雅治でさえ50代半ばだ。時代とともに年齢感覚がこうも変わるとは驚きである。

 

さて、話を戻す。

 

大人達と会話するためにも漠然と「ちょっと昔のこと」は知るのは当然だと思っていた私からすると今の隔絶された感じは何となく切ない。自分がそれだけ高齢者側に寄ってきたことを突きつけられているみたいである。

 

その一方で昭和歌謡や80年代Jポップを好んで聞く若者が増えているそうだ。ただ、その感覚の根っこは昔の事を知りたいという好奇心からではなく、単にその楽曲が新鮮だという理由からだとか。

 

年末の紅白で桑田佳祐が同級生ミュージシャンとのコラボ曲を披露したが、世良公則がかつて「ツイスト」のボーカルとして一世を風靡したことやチャーが一時期アイドル的に歌謡曲を歌っていたこと、はたまた佐野元春の存在自体を若者が知らなかったとしたらあのコーナーは意味不明だ。だとしたらシュールな話である。

 

「沢田研二」も若者の間では想像以上に知名度が無い。まさに大スターだったのに時の流れは早い。イマドキのギャルだったらまずジュリーのことを知らない。「ギャル」という言葉を一般化させた功労者?なのに変われば変わるものである。

 

https://www.youtube.com/watch?v=e_R3yTZ0anA

 

それにしてもこの歌の歌詞は今になって聴くと物凄くヘンテコだ。金縛りに遭いそうなほどのインパクトがある。いつもタバコを片手に歌っていたのが懐かしい。何とものどかな時代だった。

 

結局、今日も懐古趣味みたいな話に終始してしまった。年末年始に昔の歌番組なんかをYouTubeで見過ぎてしまった後遺症かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年1月11日水曜日

青空ひとりきり


今日のタイトルは何となく淋しげだが、いにしえの井上陽水の名曲である。一般的に「ひとりきり」という言葉はネガティブな印象をもたらす。とはいえ、今では「お一人さま」需要がいろんな分野で広まったから淋しさだけを表す言葉ではないのかもしれない。

 

年末年始に3日間ほど「ひとりきり」の時間を味わった。母親が年末に入院したせいで元旦に実家に行くこともなく、同居している娘も不在だったので束の間の完全なる「お一人さま」である。

 

昨年春までの10年間は一人暮らしだったため生活のすべての場面で自分独自のルールやペースが出来あがっている。一人でいることはむしろ好きなので淋しいという感覚はない。何も気にせず自由気ままに過ごす時間は得がたい。

 

私は人嫌いというほどではないが、常に誰かといたいタイプではない。高校時代から一人旅を好み今も一人メシや一人酒の時間が好きだ。頼まれたわけでもないのに人に気を遣いがちで勝手に疲れてしまうワガママな性分だから一人の時間は大事にしたくなる。

 

もちろん、まだ仕事もあって健康体でそばに身内もいる状況だからそう思えるのかもしれない。これがリタイア後に高齢で病気がちで交流する身内も無かったら全然違う感覚になるのだろうか。

 

とはいえ、その頃には立派な偏屈ジジイになっているだろうから一人でも世間に文句ばかりつぶやきながらそれなりに退屈せずに暮らしている気もする。あと10年もすればそんな暮らしが始まりそうだ。人生って長いようで短いことを最近になって感じるようになった。

 



 さて、ひとりきりの時間に何をしていたかである。この画像は大晦日の日暮れを近所の橋の上から写したものだ。ヒマだったから散歩ついでにスマホカメラの設定をいじりながら撮影。その昔、老後の趣味はカメラにしようと考えていたがその域に近づいてきたのかもしれない。

 

寒空の下、結構な時間をかけてこんな写真を撮っていられたのも一人だからこそだ。誰かと一緒ならいつまでも粘ってはいられない。かつて水中写真にハマった頃は他の客との混合スタイルがイヤで一人でボートや船頭さん、水中ガイドをチャーターして潜っていたワガママな性分を思い出した。

 


 

大晦日にはちゃんと一人用に年越しそばを茹でてズルズルとすすり、夜の紅白はオジサマバンドの中核メンバー3人で歌ごとにチャットを使ってあーでもないこーでもないとリアルタイムで寸評合戦。退屈な場面も多い紅白だがおかげで最初から最後まで通して観ることが出来た。

 

元旦には朝からナゼかチキンライスを自作してガッツリと食べノンビリ過ごしてからドライブに出かけた。昔は趣味といえるほどドライブばかりしていたが、ここ数年は用事がある時しかハンドルを握らなくなった。

 

思い立ってガラガラの都内中心部から下町方面、湾岸エリアを走り回ったのだが、思った以上に楽しい時間だった。一人遊びとして実に最適なのがドライブだと痛感した。

 



 渋滞していない都心の大通りを好きな音楽を大音量で流しながら走る。一人だからタバコも吸い放題である。なんでこんなに楽しいことをしなくなったのか不思議に感じたほど。これを機に趣味復活となりそうだ。

 

若い頃みたいに無茶な運転もしなくなりノホホンと鼻歌気分で気ままに流す。かつてバックで走っても105キロを超えたら警告チャイムが鳴るのか試したような気が狂った運転をしていたことを思い出して今更ながらゾっとする。

 


 

私のクルマには10個のスピーカーからなるHarman Kardonのオーディオが装着されている。大音量にしても繊細な音質で耳が疲れないのが有難い。敬愛するハマショー師匠の曲に飽きるとプレスリーなどのオールディーズや80年代の洋楽を流してご機嫌な時間を過ごした。

 

うろうろと都内を流していたのだが、高速に乗っていたら静岡あたりまで行きそうな距離をあてもないまま走り続けた。とてもリフレッシュ出来た。

 

その後、浅草にクルマを駐めてしばし散策。元旦なのにさすがに大観光地だから人出が多くてゲンナリする。歩いているだけでコロナ菌を浴びまくってしまうように感じたほど。クルマだから酒が飲めないこともあり飲食店にはどこにも入らず散歩だけで終わり。

 


 

他は自宅で引きこもりやたらと撮り貯め状態になっていたテレビ番組をせっせと観た。「月曜から夜更かし」「水曜日のダウンタウン」みたいなバラエティを1ヶ月分ぐらい観た。

 

固い分野では柄本明が渋い床屋さんを演じた単発ドラマ「海が見える理髪店」が良かった。何年か前に原作本を読んでいたのだが柄本明の独特な雰囲気で再現されていてジンワリと感動した。

 

誰かと一緒に観ていたらスカした顔をキープしたはずだが誰もいないからちょっと泣いた。これまた一人でいることの効能である。“涙活”も健康法の一つである。




そういえば年末ジャンボでちょっとした幸せを味わった。今まで300円の当たりしか経験が無かったのだが、今回は人生初の3千円の当たりくじがあって狂喜乱舞したのも束の間、なんと1万円の当たりくじも見つけて気絶しそうになった。


運を使い果たしたみたいで心配したがあくまで昨年の話だから大丈夫だろう。ちなみに年末ジャンボは1万8千円分購入していたのでトータルでは赤字だった。私の幸運なんて結局そんなもんだ。

 

というわけで、たいして特徴の無い時間ではあったがそれはそれで良いリフレッシュになった。ひとりきりの時間って結局は気分の置き方一つで楽しいか淋しいかが決まる。あくまで貴重な時間だと前向きに捉えるのが正しいと思う。

 

 

 

 

 

2023年1月6日金曜日

閲覧数トップ10


ブログの閲覧数を増やすには固有名詞付きの時事ネタを書き続けるのがコツのようだが、このブログはもはや個人の日記に近い内容だ。なかなかそんなセオリーは気にしていられない。

 

だいたい、今はツイッターやインスタが主流で短文が世の中の基本みたいになっている。動画ですら今は短さが勝負みたいだ。何だかせわしない話だと思う。

 

このブログはそうした時代の潮流に逆行している作りだから時代遅れもいいところである。そんな長文に付き合っていただけることは実に嬉しいことだ。

  

というわけで、毎年恒例、前年1年間の当ブログ閲覧数のベスト10を紹介したい。

 

 

1位 香川照之騒動に思う

 昨年のダントツトップは香川輝之ネタだ。いま考えてもちょっと大袈裟な騒ぎだったと思う。徐々に復活してもらうことを願うばかりだ。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2022/09/blog-post.html

 

 2位 性加害という言葉

 これまた香川君ネタ。時代と共に価値観や言葉の使われ方が変わってきたことを痛感する。なんとなく窮屈な空気が広まっていることがイヤだ。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2022/08/blog-post_29.html

  

3位 銀座の同伴

 続いては根強い愛読者?がいる銀座ネタ。コロナ禍を乗り切って生き残った店が奮戦しているのは経済や文化面にとっても良いことだと思う。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2022/06/blog-post_22.html

  

4位 オミクロンだったかな

 こちらは昨年前半にどうやら自身2度目の感染っぽい状態になった話。面倒だから医療機関の検査は省略したものの一種のノウハウを書いたせいで視聴数が伸びたみたいだ。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2022/01/blog-post_28.html

  

5位 靴と色気

 このブログで根強い人気があるのが靴のネタだ。過去掲載分の中でも視聴数が伸びがちなのが靴に関する話。趣味性が強い話は覗きに来てくれる人が多い。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2022/04/blog-post_25.html

 

6位 空の青さ

 こちらはダウン症の息子に関する話。このテーマも読んでくれる人が多い。過去掲載分も根強く閲覧されており私のちょっと投げやり?みたいなホンネがどのように受け止められているのかちょっと心配。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2022/04/blog-post.html

 

 7位 放浪生活、共同生活

 これはナゼ閲覧数が多かったか不明。昨年4月に娘と同居を始めたのだが、ようやく私の変な気負いも無くなってきた今日この頃である。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2022/03/blog-post_11.html

 

 8位 匂わせ

 インスタの普及も影響しているのかもしれないがセクシー系やヘンテコ系の画像を載せると視聴数が増える傾向にある。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2022/03/blog-post_25.html

 

 9位 クルマ遍歴

こういう趣味性の強い話はやはり覗いてくれる人が増える。クルマの固有名詞がいっぱい出てくるので上位に入るのも自然な流れなんだと思う。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2022/08/blog-post_19.html

 

 10位 痩せてしまった

 これまた多くの人に読まれたことが謎だ。とくにトピックはない。この話の後、結局7キロも痩せたのだが、その後は順調にデブ化して今は減量分もほぼ戻ってしまった。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2022/04/blog-post_15.html

  

というわけで脈略のない話ばかりである。私にとって思い入れの強い我がオジサマバンドの話は上位に来ることがない。他にもハレンチ系のネタのほうが真面目な話よりも閲覧数は多い。そんなものだろう。

 

一つのテーマを掘り下げるブログと違って話題がとっ散らかるのがこのブログの特徴だ。今年はどんなテーマを書き殴っていくことになるのだろうか。年末に結果を見るのが楽しみである。

 

今年もよろしくお願いいたします。