だいぶ前のコロナ感染の影響だろうか、鼻づまり用のスプレーが私の必需品になった。冬の乾燥のせいだけではない。夏場にも頻繁に使う。鼻づまりの厄介さは呼吸うんぬん以前に世の中から香り、匂いが無くなってしまうことだ。
鼻づまり用スプレー愛好家になって改めて感じたことは嗅覚という機能の素晴らしさだ。腐ったモノを口にしないで済むという基本的役割が基本なのだろうが、それより何より「心地よい香り」を感じた時のあの嬉しくなる気持ちは人間の快感の中でもトップレベルだと思う。
ウナギに代表される食べ物やはたまたヒレ酒のような飲み物もしかり。香りが無かったら喜びは半減どころかほとんど消滅してしまう。
いい香りのする女性と食事に行ってもウナギの香りのほうが私をウットリさせる。どちらかを食べていいと言われても私はウナギを選ぶ。たぶん、いや、おそらくそうすると思う。いや、ちょっと怪しい…。
先日、ふるさと納税の返礼品で妙にもったいつけた?イチゴが届いた。白イチゴと普通のセットだから紅白でメデタイ感じだった。味はもちろん良かったが香りの良さが印象的だった。
果物の香りを普段あまり意識しないで食べていたが、さりげないあの香りは何とも魅力的である。そもそも香りというものはさりげないぐらいが丁度いいのかもしれない。
そう考えるとウナギなどはちょっと香りが過剰だろうか。それはそれで魅力的だが、カニ料理や鍋料理のようにほんのりと漂ってくるのもグっとくる。
女性についても香りは重要だ。これみよがしに香水を使われるとゲンナリする。シャンプーやボディクリームの香りがホンノリ香りぐらいがベストだと思う。
冒頭の画像のような装いの場合でも脚にぶりぶりボディクリームを塗りたくってあれば、こっちとしては目だけでなく鼻だって喜んでヒクヒクしてしまう。若者だったら他の所もヒクヒクしちゃう。
思えば昭和の頃のほうが香水をぶりぶり使う女性が多かったような気がする。香りがこっちの好みと違う場合、ドライブデートなんかは地獄だった。デパートの化粧品売場に長くいるとたいていの男性は気持ち悪くなるがまさにあんな感覚だった。
ウン十年前よりも香りに特化したボディクリームやシャンプーが増えたことが理由かも知れない。結構なことだと思う。上質なボディクリームをマメに塗りたくっている女性の香りはさりげない感じで嬉しくなる。
身体に直接つけるものだけでなく柔軟剤の効用も大きい。ヘンテコな匂いのする服を着ている女性に遭遇するともろもろ萎えてしまう。洗っていても例の生乾きの匂いが漂うと切ない気持ちになる。私自身が柔軟剤にこだわるタイプなのでついついそんなことを気にしてしまう。
ちなみに結構な歳になった今でも私が15歳ぐらいの頃に初めて女子と接近遭遇した時の相手の髪の香りのことは胸キュンメモリーとして残っている。触覚や視覚よりも私の心を揺さぶったのは嗅覚だったのかもしれない。
相変わらずワイ談方向?に話が進みそうだからちょっと軌道修正。
食べ物や人体に限らず、香りの魅力は至る所に溢れている。これから咲き始める梅の香りもそうだし、桜だってほのかに季節の香りが漂う。ちょっとアザといぐらいの金木犀の香りも魅力的だ。
夏の夕立の後の木々の香り、蚊取り線香の香り、替えたばかりの畳の香り、古いお寺の線香の香りや古本屋の香りだって人によっては快感中枢を刺激する。
聞くところによると人間の嗅覚は数十万の香りをかぎ分けられるほどの機能を持つそうだ。長く生きてくればその分いろんな香りに思い出がある。人生の場面ごとに思い出す香りがある。
今日も相変わらず何が書きたかったのか分からない話に終始してしまったが、いま私の頭の中には今までの人生で感じたさまざまな香りの印象が走馬燈状態である。
そんなどうでもいいことを思い出すのも脳活として悪くない。
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