「飲水思源」という言葉がある。中国の故事成句の一つだ。水を飲む者は井戸を掘った人の苦労を思い起こせという意味である。
人から受けた恩を忘れてはいけないという意味合いで使われる。含蓄のある言葉だと思う。
かつて鄧小平や江沢民など中国のトップが来日した際に田中角栄元首相を訪ねた際にも引用された。私もそれを機にこの言葉を知った。
その頃、角栄さんはロッキード事件で刑事被告人という立場に置かれていた。表舞台に出ることなく過ごしていたわけだが、そんな一私人状態の“過去の人”を中国の首脳がわざわざ訪ねたわけだ。
理由はただひとつ。日中国交成立を手掛けた恩に報いるため。角栄さんの私邸にまで表敬したことが、まさに「飲水思源」を表す行為だった。
40年にわたって行われてきた中国へのODAがようやく終了する。あくまで戦後賠償ではない性質の援助が、今も世界第二位の経済大国に行われていたこと自体が不思議である。
日中両国でさまざまな思惑や利権があった対中ODAだが、今の中国の発展に多大な影響を与えたことは間違いない。
今や軍事力で日本を挑発するほどになったわけだから、その力の源泉がわが国からの支援だったという事実は一種の喜劇みたいな話だ。
中国政府は日本の長年にわたるODAを評価しながらも「日本も利益を得た。ウィンウィンの協力関係だった」と表明した。なんだか「飲水思源」を掲げるお国柄とは思えない態度である。
対米関係の緩衝材としての役割を日本に期待する中国は、首相として7年ぶりに訪中した安倍さんとの友好ムードを演出するのに躍起になっていたが、ODAという恩に対して、ろくな謝意も示さないのが現実だ。
過去の首脳たちが角栄さんを訪ねた頃のほうが礼節を重んじる国という印象があった。それがたとえパフォーマンスだったとしても、傲慢さばかりが目立つよりもマシだ。外交戦術としても賢かったと思う。
さて、対中ODA自体は終了するが、日本が支援してきた事実は消えない。インフラ整備や技術面など内容は多岐にわたるが、その事実を積極的にアピールすることを終える必要はない。
むしろ積極的にこれまでの援助内容を広報し直すべきだ。外交課題として軽んじてはいけない重要なテーマだろう。
いまや中国はアジアやアフリカに対して支援する側の立場だ。聞くところによると、橋をひとつ作るにしても中国からの援助だということを殊更大きく掲げるなど、支援先へのアピールが巧みだとか。
自分達が日本から支援を受けた際には、自国民にその事実を積極的に知らせなかった一方で、支援する側に回ったら日本を反面教師にしてPRに余念がない。したたかさに感心する。
わが国としても、中国への広報を積極的に行うだけでなく、増加する一方の訪日中国人にもODAの実績をどんどん知らせればいい。
ただ観光に来てもらって喜んでいるだけでは、いかにもマヌケではなかろうか。
今日はマジメ一本槍の話に終始してしまった。そんな日もある。
2018年10月31日水曜日
飲水思源
2018年10月29日月曜日
知ってしまった哀しみ
時々若い人の味覚がうらやましくなる。イヤミでも何でもない。初めて食べるものに感動する機会がまだまだいっぱいあることがうらやましい。
中高年になれば、若い頃よりも口がおごる。結構上等なものを食べる機会は増える。その結果、若い頃は喜んで食べていたモノを敬遠し始める。
その昔、ウナギといえば実家の冷蔵庫に時々こっそり入っていた小型サイズの真空パックが定番だった。大好物だった。毎日でも食べたいぐらいだった。
今では食べたいと思わない。大人になるに連れウマいウナギをせっせと食べるようになったせいである。
いわば「知ってしまった哀しみ」である。
中高年の暮らしにおいて「知ってしまった哀しみ」はいろんなジャンルに影響している。
新入社員の頃に着ていたような安いスーツは着られない。初めて一人暮らしした安普請の部屋だって今はゴメンだ。
生活が困窮しちゃったらそんなことは言えないが、順当に歳を重ねてきたら誰だってそうなる。
私にとっての食べ物に関する「知ってしまった哀しみ」はウナギとウニとカニが代表的だ。
昔はちょっと臭みや苦みがあって色もドンヨリしたウニだろうと嬉々として食べた。さすがに今は無理だ。上モノを知らなければそんなウニでも幸せだったから、人間の感覚はつくづく恐ろしい。
カニも然り。カニは本当は臭くない!と知った日から、カニに対する意識は変わった。大好きだから今もバイキングなどの臭いカニもガツガツ食べるが、やはり昔のような感動はなくなってしまった。
良いモノを知ることは喜びだが、知ると同時に哀しみが始まるわけだ。なんとも哲学的な話だと思う。
タバコや酒も同じ。葉巻なんか最たるものだ。知らないままでも生きていける。知ってしまったことで喜びを得るが、自ら身体に害を与えちゃうわけだから哀しみも伴う。
女性についても同じことが言えるかもしれない。ハニワや土偶みたいな顔立ちのヘチャムクレちゃんと熱烈な恋に落ちたまま一生を終えれば、それはそれで幸せである。
しかし、美人さんと仲良くなったら、ヘチャムクレさんとの関係は脆くも崩れ始める。知ってしまった哀しみといえる。
美人さんや峰不二子みたいなボッキュンボンを知ってしまえば、そんな路線を追い続ける。まさに知ってしまった哀しみだ。
恋を知った少年は恋を追い求め、その後、青年になって純愛を知る。青年は次も純愛を探し求めるが、、歳を重ねるうちにナゼか変態の道を知ってしまう。
そして、大人になった青年は純愛を忘れて変態を極めていく。変態には変態が集まってくるから、いつしか「変態が標準」になる。ふと空を見上げて「オレの生きざま、こんなはずじゃなかった」と後悔しても後の祭りである。
知ってしまった哀しみを語り出すとキリがない。
もちろん、哀しみを感じる裏側には、大きな喜びがあるわけだから悲観する必要もない。
こちらは鶏の白レバ刺しである。今では鶏のレバーですら刺身で提供する店が絶滅しかけている。あのウマさを知ってしまった者としては、ありつけないことは哀しみである。
なじみの焼鳥屋さんで、時折、希少な白レバーの刺身に出会える。興奮する。夢心地で味わう。
これを知らなくても世の中にはいくらでもウマいものはある。でも、知ってしまった以上、無性に食べたくなる時がある。
そんな執着心こそが「哀しみ」だが、食べられた時の喜びは哀しみよりも遙かに大きい。
2018年10月26日金曜日
パパ活
「パパ活」が大流行しているらしい。何事も合理的、短絡的にコトが進むようになった時代を象徴している話だ。
若い女子がオジサマとお付き合いして小遣いをもらったり買物に付き合わせる。パパ活を定義付けるとしたらそんな感じだろう。
基本的に肉体関係はナシで食事や酒のお供をするのが一般的なスタイル。食事に同席してもらうだけでカネを払うのもどうかと思うが、売春前提じゃないからオジサマにとっても罪悪感や背徳感とは無縁なのだろう。
建前上、肉体関係うんぬんの心配がないと言うことで、フツーの女子が気軽に手を出すわけだ。その点もまたオジサマ達を引きつける。
ギャラ飲みという言葉がある。やはりフツー?の女子がオジサマの酒の席に混ざることで小遣いをもらうパターンだ。これもパパ活の一種なんだろう。
良いとか悪いという話ではなく、需要と供給があってこそ成り立つわけだ。インターネット社会という背景も考えれば自然なことなのかもしれない。パパ活専用サイトもゴロゴロ存在する。
女子は食事して酒に付き合うだけで1万円もらえるとする。月に5,6回やれば5~6万の臨時収入である。アルバイトでそれだけ稼ぐことを思えばパパ活のほうがラクチンだ。ウマいものにもありつける。
オジサマのほうも素人?の可愛い女性にご馳走して、お世辞を言われて鼻の下を伸ばす。色っぽい関係に発展したいという下心もある。実際に商談の上で別途お手当付きでそうなる展開も多いのだろう。
言ってみれば基本料金1万円である。オジサマからすれば高級クラブでこなれたホステスさんに絡め取られるより安い。安いだけではなく、あくまで“素人”という看板に吸い寄せられちゃうわけだ。
先日、友人が評判の高いというパパ活サイトを教えてくれた。興味シンシンで覗いてみたが、フムフムなるほどって感じだった。
一種の商談サイトみたいである。フリーマーケットの様相だ。手慣れた感じでお茶だったらいくら、食事だったらいくらなどと自ら価格表示している女子もいる。あれでもカテゴリー的には「素人」なんだろう。
それにしてもお茶を一緒に飲むだけで小遣いをあげるオジサマって実に不思議だ。何が楽しいのだろう。おそらく、お茶を共にしながらそれ以上の関係について打診しているはずだ。
サイトには、ぱっと見は普通の可愛らしい女性がたくさん表示されていたから、余裕のあるオジサンだったら足を突っ込みたくなるはずだ。妙に納得した。
パパ活あっせんを目的とした飲み屋さんもあるらしい。わが悪友の中にはそこで数々のハッピー!?を手にした男もいる。私も興味はあるがまだ行ったことがない。
私の場合、夜のクラブ活動で絡め取られているから、そこから派生する義理みたいなモロモロが多くて、パパ活まで手が回らないのがホンネである。
考えてみれば、クラブ活動に付きものの「同伴」という行動も一種のパパ活みたいなものだ。
食事して酒を飲んで、その後の発展は基本的に無く、結局は店に連行されるわけだからオジサマ達にとってはビミョーな話である。
食事だけで満足しているオジサマはどのぐらいいるんだろうか。“その先”をつい期待しちゃう私のような俗っぽい男のほうが多いと思うが実際にはどうなんだろう。
案外、ただ食事をともにするだけで充分に満足している大人は多いのかも知れない。
家庭平和を壊したくないとか、メンドーは避けたいとか、ソッチ方面の元気がないとか、理由はいろいろだろう。よくよく考えればそう考えるほうが普通だ。
あわよくばネンゴロになることを目指す私のほうがヘンテコである。まあ、私の場合、独身貴族のつもりでいるから狩人精神が消えないのも仕方がない。
こういうメンドーな中年男が、パパ活みたいな話に乗っかってバカなことをしでかすのだろう。気をつけないといけない。
男心、いや、オジサマ心は繊細で複雑である。
2018年10月24日水曜日
沢田研二の艶
沢田研二が何かと話題だ。ワイドショーが騒いだおかげで、ライブチケットや過去の楽曲が売れているらしい。良いことだ。
昭和のエンターテイナーとして抜群の存在感を放っていたのが沢田研二だ。若い人の中には知らない人もいる。なんとも残念だ。
今の時代、YouTubeを開けば簡単に過去の映像が見られるから、一世を風靡していた頃のジュリーをゼヒ見てもらいたいものだ。
そういえば、ジュリーという愛称の語源は知らない。何なんだろう。まあいいか。
とくにファンだったというわけではない。それでも、テレビで歌う姿を見るとつい見入ってしまった。そんなスターだった。
♪
聞き分けのない女の頬を
ひとつふたつ 張り倒して
背中を向けてタバコを吸えば
それで何も言うことはない ♪
「カサブランカダンディー」の歌い出しだ。今の時代、そんなことを歌ったら、すぐにDVだのモラハラだのと糾弾されそうだが、当時はかなりヒットした。
歌詞が乱暴だろうと沢田研二が歌うと、まわりから四の五の言わせないようなカッチョ良さがあった。大らかな時代だった。
♪
片手にピストル 心に花束
唇に血の酒 背中に人生を
(略)
男は誰でも不幸なサムライ
花園で眠れぬこともあるんだよ ♪
1978年(40年前!)のヒット曲「サムライ」である。こんな歌詞を違和感なく歌いこなせたのは沢田研二ならではだ。
当時、沢田研二は30歳である。いまの30代の歌手が歌ってもサマにならない。松潤や山Pがどんなに頑張っても絵にならない。当時、表現力には定評があった西城秀樹でも厳しかっただろう。
ジュリーの「艶」はそのぐらい独特だった。
歌唱力の良さはもちろんだが、表現力や見せ方という点で時代の先端を走っていた。
ついでにいえば、新幹線の中で暴力沙汰を起こしたり、離婚の際にドッカンと慰謝料を払ったり、歌以外でも話題は多かった。
「寅さん」に出演したときは気弱な青年を上手に演じていた。競演した田中裕子と不倫、再婚という騒動を起こしたあたりから、あまり表舞台に出てこなくなったみたいだ。
数年前、私が衝動的にギターを買ってヨタヨタと練習を始めた頃、沢田研二の「時の過ぎゆくままに」を課題曲に選んだことがある。昭和の哀愁たっぷりで間違いなく名曲だ。
彼の代表曲「勝手にしやがれ」は、私がボーカルのオジサマバンド活動でも何度も披露した。いわば“オハコ”だ。会場も盛り上がるし、単純明快に名曲だと思う。
「勝手にしやがれ」が大ヒットした当時、私は小学校6年生ぐらいだった。確か石川さゆりの「津軽海峡冬景色」も同じ頃に大ヒットした。日本中でその2曲ばかり流れていたような印象がある。
「勝手にしやがれ」は言うまでもなく別れの歌である。出て行く女を素直に見送れない男の心情を描いた歌だ。
♪
壁ぎわに寝がえりうって
背中できいている
やっぱりお前は出て行くんだな
悪いことばかりじゃないと
思い出かき集め
鞄につめこむ気配がしてる
行ったきりならしあわせになるがいい 戻る気になりゃいつでもおいでよ
せめて少しはカッコつけさせてくれ
寝たふりしてる間に出て行ってくれ
♪
この歌詞、バンド活動やカラオケで歌うたびに思うのだが、結婚する娘を送り出す父親の気持ちではないだろうか。まさにそんな感じである。
いつか娘が嫁ぐときは、披露宴の席で熱唱してやろうと思う。
とくに「戻る気になりゃいつでもおいでよ」を強調して歌いたい。
何が書きたかったのかサッパリ分からないオチになってしまった。
2018年10月22日月曜日
赤坂ロウリーズ 牛の肉
牛肉より豚肉や鶏肉が好きなのだが、牛肉の中でもプライムリブだけは時々無性に食べたくなる。
肉の塊を低温でじっくり焼き上げるローストビーフの中でも、どこかの部位を使った上等なものがプライムリブと呼ばれるらしい。
ウンチクはよく分からないが、本場の英国風ではなく、アメリカ発祥の豪快な雰囲気を漂わすこんな感じのヤツである。
プライムリブを知ったのは学生時代だったと思う。その昔、列車内を模した内装の「ヴィクトリアステーション」というレストランチェーンがあり、そこで感激しながら食べていた。
その後、運営元だったダイエーの経営危機にともない、20年ぐらい前にはすべての店が姿を消してしまった。どこも経営を引き継がなかったのが今でも不思議だ。
その後、鳴り物入りで開業したのが赤坂にあった「ロウリーズ」である。確かヴィクトリアステーションが消滅しちゃってから、2~3年後のことだったと思う。
そこがオープンする何年か前に、仕事で出かけたアメリカでたまたま「ロウリーズ」本店に行く機会があった。
あちらでは、やや高級なファミレスみたいな雰囲気だったのだが、日本に上陸したら随分とオシャレに変貌していてビビった覚えがある。
やたらと高い天井が独特の高級感を醸し出す非日常的な空間だった。すぐに人気店になった。私も何度も通った。デートにも随分活用した。いわば思い出の店の一つである。
5年ぐらい前にビルの取り壊しによって恵比寿に移転してしまってからは、行く機会が無かったのだが、最近、赤坂に再出店したと聞き、いそいそと訪ねてきた。
以前の赤坂店とは雰囲気は違うが、それなりにゴージャスな印象だ。若い人なら感激しそうな造り。大人のデート場所としても良さそうだ。
ここ数年、いくつも日本に上陸したアメリカ発の高級ステーキレストランは、妙にバカ高い値段設定らしいが、ロウリーズはその点でも悪くない。
メニューが多くないせいもあるが、定番セットみたいな注文の仕方をすればそんなに高くはない。大げさな感じのフレンチなんかに行くなら私はこっちを選ぶ。
肝心な味のほうは、普通に美味しいという表現が適当だろう。ビックリするほど旨味タップリとかそういう類いではない。でも、プライムリブをグワシッとかじる快感は堪能できる。
年齢のせいで、霜降り牛肉がすっかり苦手になってしまったが、そういうヘタレた大人にとっては食べやすい牛肉だと思う。
しゃぶしゃぶやすき焼き、焼肉屋さんあたりでA5等級の霜降りとかいって仰々しく出てくる肉よりも私はプライムリブのほうが嬉しい。まあ、そのへんは個人の好みが。
つくづく、牛肉が他の何よりも好きだった若い日々が懐かしい。ステーキ1キロだって平気で食べたし、カルビだって5人前ぐらい軽々食べられた。
今では牛肉を食べるにしても、牛丼の肉みたいに煮込まれて出がらしみたいになったやつばかりである。
こちらは先日、銀座の小料理屋で出てきた肉豆腐である。黒七味をちょこっとふって酒のアテにするのが最高だ。
牛肉がメインというより、何かの添え物とか、付け足し的に出てくるぐらいがオジサマにとっては丁度良いのかもしれない。
こちらは大塚駅前の大衆酒場で食べた牛すじ煮込み。七味ドッサリでホッピーの相棒になってもらった。
これもコンニャクや大根あってこその味わいだった。もはや牛肉というより牛のカケラみたいな感じである。
今日は洒落たプライムリブの話を書いていたのに、結局、大衆酒場の出がらし肉の話に行き着いてしまった。
2018年10月19日金曜日
80歳の母親
80歳は傘寿だ。傘の見た目が末広がりで縁起が良いという由来もあるらしい。母親が先日80歳になった。めでたいことである。
母親が80歳ということは、私もかなりのオジサマだという現実に打ちのめされているが、早いうちに親御さんを亡くしている人に比べれば幸せなことだ。
80歳の誕生日を迎える本人はもちろんだが、それを祝える側こそ実はめでたいのかもしれない。祝える相手が元気でいてくれることは喜ばしい。
六本木のイタリアンで私の兄家族らとともに祝宴。さすがに昔より少食になった母親もワシワシ食べていた。
自分が子どもを持つ身になって、親の有り難さを痛感するようになった。と同時に、いくつになっても親は親のままだ。すなわち、わが子のことを些細なことまで気にかける。
きっと私も娘が嫁に行こうがオバサンになろうが今と同じように心配するのだろう。社会ってそんな連鎖で回っている。
次男として甘やかされて育った私は、そんなに不良ではないが、間違っても優等生ではなかった。母親は何百、何千、何万もの心配をしてきたことだろう。
小さい頃から勉強はしない、家の手伝いもしない、早くから酒やタバコは覚える。学校ではいつも立たされるようなバカだった。母親としては気が休まらなかったはずだ。
中学3年の時、悪友の家に泊まりに行くといって夜遊びに励んでいたら、深夜の六本木交差点で“拿捕”されたこともあった。長い時間、わが子が通りかかるのを見張っていたようだ。
母親としては日々メンドーだったと思う。ある時は深夜にこっそり帰ったら、鬼の形相で包丁を突きつけられたこともある。
1年生の一学期で重めの停学処分を食らったせいで、“退学リーチ”の状態だった高校時代。ただでさえヒヤヒヤものなのに、悪い輩から自宅に襲撃予告を受けたり、なんとなくワサワサしながら過ごしていたから、きっと卒業するまで心配が絶えなかっただろう。
大学生になったら旅ばかりしていたから、それはそれで心配された。今の私は娘が学校の合宿に行くだけでやたらと心配する。
それを思うと、しょっちゅうパプアニューギニアみたいな南方の島々に出かけていた息子のことを母親はどれほど心配したのだろう。
そういえば、変な女性に引っかかって、自宅にかかってきた脅迫めいた電話を母親が負けずに撃退したこともあった。どんな気持ちだったのだろう。
社会人になってからも、やれクルマの運転に注意しろ、深酒するな、タバコを吸い過ぎだ、真面目に貯金しろ等々、小言は続く。
無事に私が結婚しても結局は離婚しちゃって、これまた母親の心痛を招く。こう書いてみると、「親の心、子知らず」を体現してきたような半世紀だったかもしれない。
今はただ恥ずかしき日々の数々を反省している。なんだか寅さんの言いぐさみたいである。さすがにこれからは敬老精神を旨に接しないといけない。
殊勝な気持ちでいろいろ書いてはみたが、敬老精神の実践はなかなか難しい。今でもエラそうな態度を取ったり、憎まれ口もたたいてしまう。
人として成熟していない証だ。ちょっと恥ずかしい。子としての甘えではあるが、50歳を過ぎた男が80歳の親に対してすることではない。
相手が元気だとこっちもついつい図に乗る。時々、ハッと気付いて心の中で反省をする。そんな繰り返しである。
敬老精神に反した態度を取ってしまうことは、子どもはいつまでも子どもという意味でもあるが、一抹の寂しさのような感情も一因だと思う。
つまり、幼い頃は自分を守り育て絶対的な存在だった親が衰えていくことへのやるせない気持ちが、つい自分をイラつかせてしまう。
親が老いていくことへのジレンマみたいなものだ。まだまだ老け込んで欲しくないという気持ちが空回りして少しキツい物言いにつながる。それもまた子の身勝手さであり甘えなんだろう。
母親とは時々、二人で食事に出かける。楽しくニコヤカに過ごしていても、時にトンチンカンなことを言われてイラっとしたりムカつく。
そういう時に自分の気持ちを収めるのに有効なのが、母親があの世に行っちゃうことを想像することだ。
不謹慎だと一蹴されそうだが、親に対して私と似たような感覚を持っている人なら試してみる価値はある。
当然の順番として親は先に死ぬ。分かっていても親が元気なうちは、そんなことはリアルに想像したくないものだ。そこをあえて想像してみる。
「死んじゃったら話も出来ない、死んじゃったら小言も懐かしくなる。もっと優しくすれば良かったと後悔するはずだ」。
縁起でもない想像だが、ひとときでもそう思うことで自分の心が温和になるなら悪い手ではない。ヘンテコな思考法かも知れないが、そうでもしないと、子としての甘えが消えない。
母親は時々、このブログを読んでいるようなので、あまりグダグダ書いているとぶっ飛ばされそうだから適当にしておく。
ちなみに、先日、同級生十数名の飲み会があった。ほぼ全員の父親が既に亡くなっているのに対し、母親は皆さん揃いも揃って元気だとか。
男としてビミョーな気分だが、実にめでたいことである。
2018年10月17日水曜日
子どもに学ぶ 油そば
この歳になると食べたことがないモノが減ってくる。食い意地が張っているほうだから結構いろんなモノを食べてきた。逆にいえば、未知の食べ物はほとんどが「食べたくないもの」である。
「油そば」という看板をよく見かける。凄い名前だ。若い頃ならいざしらず、今はちょっとゴメンだ。名前が無気味すぎる。
でも、食べてみた。「東京油組」というコワい名前の店に行った。泥酔していたからではない。娘に無理やり連れて行かれた。
高校生の娘は時々食べるらしい。「そんなもんウマいはずないだろ!」という父の意見は抹殺され、仕方なくノレンをくぐった。
恐る恐る食べた。悪くない。いや、悔しいけど美味しい。結構モリモリ食べてしまった。名前ほどには油っぽくなかった。アッサリと言ってもいい。
こっちがグチャグチャかき回した後。見た目はともかく実際の味はちっともゲテモノっぽくはなかった。普通の汁なし麺である。
香港や中国で食べる麺といえば、日本人が思っている以上に汁なし麺が多い。店によっては汁麺のほうが少数派だったりする。
麺の味と食感がメインで、乗っけたおかずとともに味わうパターンである。考えてみればそういう食べ方は日本ではあまりポピュラーではない。
こちらの画像は香港のファストフード的な麺屋での一コマ。私自身、こんな感じの汁なし麺が大好きだから、油そばにすんなり馴染めたのかも知れない。
よく考えてみれば、うどんや蕎麦だって必ずしも汁に浸っているわけではない。釜揚げうどんなどは“汁なし業界”ではしっかりした地位を築いている。
ラーメンの場合、汁なしみたいな路線はつけ麺のほうにシフトしている感じだ。汁と麺をあえるようなスタイル、すなわち「あえ麺」というジャンルがもっと広まってもいい。
汁なし担々麺は割とよく目にするが、普通のラーメンの汁なしバージョンはあまり見かけない。ちょっと不思議だ。
そういうパターンはすべて「油そば」というヘンテコな名前で統一されているのだろうか。だとしたら人気が広がることはないような気がする。
「油そば」という名前だと、私のイメージではギトギトしたベトベト麺である。勝手な思い込みだが、中年以上の人なら馴染みがないからそう思う人は結構いるはずだ。
「あえ麺」といわれればピンと来るのだが、「あえ」という語呂が悪いのだろうか、漢字で「和え」だと読みにくいからだろうか。
今度、友人のラーメンブロガーに解説してもらおうと思う。
いずれにせよ、高校生の娘のおかげで縁のなかった初体験の食べ物にありつけたわけだ。“大人ブレーキ”のせいで未体験のモノを敬遠しちゃうのは正しくないと痛感した。
油そば。正直また食べたい。でも、その店は若者客しかいなかったから一人で訪ねるのも気がひける。また、娘に渋々連れられてきたフリをして行こうと思う。
別な日、娘と息子を連れて回転寿司に出かけた。子ども達が住む家から割と近い場所にある「がってん寿司」である。
お寿司自体は大好物だが、回転寿司に行く機会はなかなかない。子連れの時だけだ。イマドキの回転寿司はサイドメニューもやたらと豊富でビックリする。居酒屋とファミレスが融合したような感じだ。
回転寿司の楽しみは「邪道系握り」に尽きるだろう。普通のお寿司屋さんでは口に出すのもはばかられるような個性的メニューが揃っていて興奮する。
エビフライ巻き、ローストビーフ握り、舞茸天ぷら握りなどと聞くと、ドッヒャ~!と思う一方でワクワクする。
白身照りマヨ炙り握りなんてメニューもある。頭の中で現物がイメージできないスペクタルな感じが素敵である。
これはサーモンにアボカドとネギにマヨソースがかかっていた一品。邪道中の邪道である。でも単純明快にウマかった。
お寿司屋さんではいつも旬がどうだ、シャリがどうだなどとウザいことを言いたがる私だが、回転寿司に来てこういう未来寿司?を食べると気分がアガる。
子どものために注文したような顔をして自分でバクバク食べちゃう。追加する時だって「これもあれも頼んでやったからな」と恩着せがましく言いながら自分の興味本位でヘンテコな握りをオーダーする。
ハッピーである。離れて暮らす子ども達と食事していることを喜ばなければいけないのに、ジャンクな握りをムシャムシャ食べることに妙な幸せを感じた。
子どもっぽい食べ物が大好きなのに、カッコつけて我慢しちゃう場面は多い。子連れなら、子どものせいにしてバクバク食べることが可能だ。
ジャンクフードと私をつなぐという意味で、やはり「子はかすがい」である。
2018年10月15日月曜日
ライブまで1か月
10月も半ばを過ぎてしまった。いよいよあと1か月である。もったいぶった書き方をしたが、我がオジサマバンドのライブが1か月後に迫ってきた。
今年で7年連続で人様の前で歌う。いっぱしのキャリアだが、あの緊張感は独特だ。シレっとした顔でこなしているように見せているが、いつもテンパってしまう。開演寸前なんてほとんど脳ミソが白くなる。
今年は新バンドとしてのステージである。今までやっていた旧友2人と我が姪っ子で始動。その後、笛男さんが参加することになり、更にエレキ男さんも加わることになった。
昨年暮れから演目などを協議して今年の早いうちから遊びを兼ねてちょこちょこ練習してきたのだが、当初予定より遙かににぎやかな感じになってきた。
エレキ男さんはメンバーである旧友の新卒入社時の同期だ。笛男さんも別なメンバーの大学同期だ。要するにオッサンだらけ、いやオジサマ中心である。
23歳の姪っ子のおかげで平均年齢をどうにか下げているが、基本的には紛うことなきオヤジバンド、いや「素敵なオジサマバンド」である。
姪っ子は現在、就職した某特殊部隊?の新人訓練中で、参加できるか微妙だったのだが、9月になってからようやくスケジュールが確定して正式に参加が確定した。
エレキ男さんは有難いことに自ら我がバンドに興味を持ってくれて、これまた9月から急きょメンバー入り。
8月までは旧友トリオでアレコレ練習を重ねていたのだが、この2人のおかげで、がぜん様相が変わってきた。かなり本格的?に仕上がってきた。
姪っ子はキーボードとバイオリンといくつかのコーラスを担当する。今や強力な戦力として欠かせない存在だ。オジサマ軍団のムサくるしさを緩和する重要なポジションである。
私が以前にやっていたバンドライブの前座でも一緒に組んだ経験がある。もともと、大学時代はオーケストラ活動をしたり、いくつかのバンドを掛け持ちしていた絶対音感娘である。
最近では積極的にアレンジの提案もしてくれるようになった。ミュージシャンのフリをしているだけの叔父としては頼もしい存在だ。
叔父と姪という関係性も私には有利だ。ピアノも弾けてバイオリンもこなす人にエラそうに注文をつけるのは気がひけるが、そこは赤ちゃんの頃から可愛がってきた相手である。
「テキトーにイントロ考えて」、「そこんとこ、テキトーにコーラス入れて」といった乱暴なリクエストを出しまくっている。
「テキトーに」という指示が一番困るようだが、姪とは昔から仲良く交流してきたこともあって、渋々、いや、泣く泣く要求をこなしてくれている。
急きょ参加が決まったエレキ男さんは、いわゆる“腕っこき”だ。地元のライブハウスで頻繁にセッションに参加するなど、いわば場慣れしたギタリストである。
私のように1年に1度のライブでアタフタするようなタイプではない。キャリアが豊富だから応用力の高さが魅力だ。練習でも常にいろんな演奏を試してくれる。
あえてネタバレの話を書くが、エレキ男さんと某メンバーが2人だけで披露する「あんたのバラード」(世良公則&ツイスト)は絶品だ。エレキとアコギのめくるめく攻めぎ合いが素敵だ。練習で聴いてシビれた。
エレキ男さんには当初2,3曲だけ参加してもらおうかと考えていたのだが、その達人ぶりに一同脱帽し、10曲以上、というか、ほとんどの演目で何らかの形で絡んでもらうことになった。
このあたりがオジサマの柔軟性というか図々しさかもしれない。フルートを2,3曲担当してもらう笛男さんにも、練習のたびにみんなで無茶な注文をして困らせている。
今回はオリジナル2曲を含む15曲ほどの構成だ。曲順も決まったので、私としてはMC台本作りにも着手しなければならない。
フロントマンとしてはコレが一番大事だ。いや、キチンと歌うことと同じぐらい大事である。
お客さんとの一体感を出すためにはそれなりに工夫を凝らさないといけない。そろそろMCネタも絞る必要がある。
オリジナルメンバーとは専用の掲示板みたいなサイトで随分前からやりとりを続けてきた。でも音楽の話は半分ほど。残りは呆れるほどのくだらない話だ。ある意味でMCネタの宝庫である。
下ネタも多い。みんな疲れているオジサマだから、下ネタになっても「空砲」だの「不発弾」といった品のない!?言葉が飛び交う。そんなタイトルのオリジナル曲を作ろうと真剣に検討したりしてバカ丸出しである。
ベテランみたいな顔をして100人以上のお客様を前に演奏するわけだから、自前の曲が1曲も無いようでは大人バンドとして収まりが悪い。とはいえ、オリジナルが多ければお客様は退屈してしまう。
結局、オリジナルは、子を思う親の気持ちを描いた新曲と、旧友を偲ぶ友情の歌との2曲にとどめた。残りは中年世代になじみのある曲を多めに揃えた。
アリスや桑田さん、明菜ちゃんや森高、ドリカム、ゆず、松山千春、斉藤和義などのカバーを特訓している。
きっと楽しい宴会、いや、ライブになると思う。
覗きに来たいという有難い方がいらっしゃいましたら、コメント欄にその旨お知らせください。コメントは掲載しませんのでお気軽にどうぞ。会場は青山にある割と大きめのライブハウスです
2018年10月12日金曜日
龍勢 ラガヴーリン
常に銘柄にこだわって酒を飲む人もいるようだが、私にはそこまでのマメさはない。大半の人がそうだろう。
大衆酒場に行けばホッピーか生グレサワーだし、お寿司屋さんに行けば、ボトルキープしてある焼酎か日本酒、銀座の夜の街ではナントカの一つ覚えでオールドパーを飲んでいる。
これから寒くなればお燗酒の出番である。「熱めの燗を1本ちょうだい」。これで済む。銘柄をアーダコーダと言われないのが良い。
お燗酒以外、すなわち冷酒を飲む際の私の唯一のこだわりが鮮度だ。馴染みの店では、開けたてなら何でもいいよ~と注文する。馴染みのない店なら300㎖の小瓶を頼む。これが安全策だ。
若い頃、仕事の関係で国税庁の管轄する日本酒の研究機関に出入りすることがちょくちょくあった。
抜栓して日数が経って劣化した味と口開けの味の違いの差を随分と教わった。そのせいでフレッシュこそ一番だと思い込んでしまっている。
客の回転が悪いようなテキトーな飲み屋で一升瓶の底の方に残ったマズくなっている部分を出されるのはゴメンだ。
保管の際にシュポシュポと空気抜きをしている店なら良いのだが、そんなのは少数派だ。有名銘柄だからといって、保存状態次第で味は大きく変わる。そのせいで、いつのまにか酒の銘柄はどうでもよくなってしまった。
先日、とある銀座のバーでナゼか日本酒を飲んだ。それっぽいバーではいつもマッカランのロックか、時々はボウモアのロックをチビチビやるだけなのだが、その日はマスターと酒談義する中で日本酒劣化問題で盛り上がったので、そんな展開になった。
同じ酒造会社が出している酒だ。「龍勢」と「夜の帝王」である。後者のネーミングはシュール過ぎてビックリだが、両方ともキレの良い正しくウマい日本酒だった。
マスターいわく「抜栓した後もかなり長い間、風味が落ちない酒」なんだとか。それが特徴だという。ホントだろうか。真相は分からないが、酒を商売にしている人が熱く語っていたから信じることにした。
バーで日本酒を頼む人もちょこっとはいるそうだ。もちろん、頻繁に注文されるわけではないから、マスターが気にするのは、やはり抜栓後の劣化問題だ。そういう状況の中で店に置かれている酒だから、それなりに違いがあるのだろう。
別な日、ラガヴーリンというウィスキーを飲んだ。シングルモルト好きには有名なアイラ・モルトの代表格の一つ。平たくいえば「煙っぽいヤツ」。スモーキーフレーバーである。
ピート香と呼ばれる独特の匂いが特徴なのがアイラ産のウィスキーだが、マニアではない私は、ボウモアぐらいしか飲まないから、ラガヴーリンは初体験。
酒の味なんてその時の気分によるところも大きいが、この日はやたらと美味しく感じて一気にファンになってしまった。
「煙っぽさ」という言い方をしたが、これって一歩間違えるとヨードチンキみたいな消毒液や正露丸の匂いみたいに感じる人もいる。
私もラフロイグなんかはそんなイメージがあってイマイチ好きになれない。ややマイルドなボウモアが無難だと思っているのだが、いろんな銘柄を試してみれば、好みも変わってくるかもしれない。
何事も決めつけちゃったり、知らないものに手を出さない保守的すぎる行動は、自分の視野が狭くなるだけだと痛感した。
ちなみにここのバーの店主は元国税職員という経歴。私の仕事はそっち方面に絡む部分があるので、名刺交換した際にやたらと我が社のことを懐かしがられた。
ムーディーなバーでしっぽり飲むつもりなのだが、顔を出すたびに、昨今の税務行政や税制の課題について語るヘンテコな時間を過ごしている。
2018年10月10日水曜日
烏骨鶏と銀座の夜の出前の話
若い人達にとって、いまや食べ物画像は“映える”かどうかがポイントらしい。私は若い人ではないので、今日はさりげなくウマかったものの話を書く。
卵かけご飯、すなわちTKGの極上バージョンである。ご飯に生卵をかけただけだからシンプルの極みだ。でも、そこは富豪記者ブログである。
1個500円のタマゴだ。烏骨鶏である。金額だけは“映え~”である。1年に1度ぐらい気が狂って?買ってしまう。私の悪いクセである。
普通のタマゴが20個ぐらい買える値段だ。味のほうも20倍ウマいならともかく、正直に言うと、ちょっとだけ美味しい程度である。
なぜ買ってしまうのだろう。
おそらく、TKGという淋しげな食べ物を一人で食べるショボくれた感じを払しょくするため、烏骨鶏というブランドの力を借りるのだろう。我ながら御苦労なことだ。
お気に入りの専用醬油を普段より少なめにポタポタ垂らして、卵の味が薄まらないように気をつける。ご飯も当然炊きたてである。
TKGごときにそんな細かい配慮をすることで、ショボくれたイメージはなくなる。見た目はともかく、私の心の中ではゴージャスな一品に変身である。
烏骨鶏は全身真っ白や真っ黒なんだとか。その昔、中国では霊鳥として大事にされたらしい。そんな有難い話も頭に入れておけば、がぜん気分も上がる。
エンゲル係数的にはバカみたいだが、喫茶店でコーヒー飲んでも500円オーバーはザラである。そう考えたら安いものだ。
話は変わる。
夜の銀座で知らない人はいない名物が「みやざわ」のサンドイッチである。8丁目の洋食屋さんというか喫茶店のような小さな店なのだが、界隈のクラブやバー、スナックへの出前で有名だ。
もはや文化財的な存在といっても過言ではない。普通のサンドイッチなのだが、本気で美味しい。なぜだかは分からない。
アゲアゲ気分で飲んでいるせいでそう感じるのだろうか。いや、冷静に食べても実にウマい。
特に人気なのがタマゴサンドだ。優しい味わいで何個でも食べたくなる。でも、いつも気取って飲んでいる間にオネエサン達にかっさらわれて一切れぐらいしか食べられない。
パニーニとかベーグルだとか、よく分からない名前のオシャレ系?が世の中でデカい顔をしているが、「みやざわ」のサンドイッチに比べれば小僧みたいなものだ。意味不明でスイマセン。
まあ、昭和人である私にとって「みやざわ」のサンドイッチは長嶋茂雄みたいなものである。これまた意味不明だ。
出前じゃなくて直接お店に行ってワンサカ食べればいいのに、なぜかそういう気にはならない。
「出前してもらってこそウマい」。きっと背徳感のような気持ちが絶妙な調味料になっているのかもしれない。
2018年10月5日金曜日
たかが蕎麦、されど蕎麦
本格的な蕎麦をあまり食べなくなったのはいつ頃からだろう。東京生まれの東京育ちである私にとって、うどんやラーメンより蕎麦のほうがソウルフードである。
「蕎麦屋で一献」は江戸っ子の基本姿勢だが、ここ数年、蕎麦に対するモチベーションが上がらない。
きっと、「ゆで太郎」のせいである。時々、東京のアチコチにある「ゆで太郎」に行く。普通に美味しい。いや、ちゃんと美味しい。街場のヘタレた蕎麦屋よりよっぽど美味しい。
ここ10年ぐらいで急に増えた気取った店構えの小洒落た蕎麦専門店よりもウマいと思うこともある。
ゆで太郎という安直(失礼!)な店でウマい蕎麦が食べられるわけだから、古武士みたいな顔をしたオヤジがやたらと仰々しくもったいぶっている専門店で食べるのがイヤになっちゃったのかもしれない。
ゆで太郎、恐るべしである。
もちろん、職人技を突き詰めたような名店の蕎麦がウマいのは分かる。私も一昔前まではそんな店にちょくちょく足を運んだ。
山梨の長坂にある名店「翁」まで蕎麦好き達と日帰りで食べに行ったこともある。荻窪の「本むら庵」にも年に何度も足を運んだ。会社から近い雑司ヶ谷の隠れた名店「和邑」にもちょくちょく出かけたのに最近はすっかり蕎麦から縁遠くなってしまった。
ゆで太郎、恐るべしである。しつこいか。
というか、何事においても感度が鈍くなっているのだろう。飲む酒を選ぶ時もそうだが、若い頃よりこだわりが無くなってきた。
食べ物や飲み物、店選びや着る物だろうと、そこそこ以上のモノなら何でも良くなっている。肩の力が抜けたといえば聞こえはいいが、自分の中の鋭さが錆びてきているようだ。
もっと鋭くならないと。どこからかそんな声が聞こえてくる。あまりヌルいままだと老け込んでしまいそうで要注意である。
ちなみに、蕎麦に日本酒といえば、大人の嗜みの最たるものみたいなところがあるが、私の場合、体質の関係か、蕎麦と日本酒をセットで飲むと気持ちが悪くなる欠点がある。
だから蕎麦屋で飲む時は焼酎専門だ。麻布にある「更科堀井」の名物・蕎麦焼酎の蕎麦湯割りなんかは最高だ。でも、ここにももう3年ぐらい行っていない。
ゆで太郎、恐るべしである。
先日、銀座のオネエサンと食事をする機会があった。長い付き合いだから義理みたいな同伴出勤である。別に食べたいものが浮かばなかったため、オススメだという蕎麦割烹に連れて行かれた。
8丁目の「流石Le蔵」という店。2丁目にある人気蕎麦店の姉妹店らしい。場所柄、同伴客にもウケの良さそうな雰囲気。やたらとワインメニューが豊富なあたりがイマドキっぽい。
蕎麦にワイン・・・。昭和人である私には単なる謎である。
蕎麦以外の一品料理がなかなか良かった。つまみセットみたいな気の利いた盛り合わせもあって、蕎麦味噌のような酒好きを喜ばせる酒肴もある。
炭火焼きメニューも豊富で、この日は羊と鶏を注文した。上質な肉を使っていたし、焼きも丁寧。とてもウマかった。
蕎麦屋で飲む際の王道の一品である「そばがき」も頼む。何だかババロアみたいな一品が出てきた。私の知るそばがきとは異質すぎた。ちょっと苦手。
で、シメに蕎麦を注文する。一品料理の質が良かったから、久しぶりに無言でうなってしまうような蕎麦を期待する。
結論としては、普通だった。更科のような白っぽさではなく、田舎蕎麦のような濃い感じでもない。王道といえば王道だが、さほど特徴的な感じはなかった。私の期待が大き過ぎたせいだろう。
蕎麦湯はドロドロで良かった。程よい質感の隠れ家的料理屋でシメに蕎麦をちょろっと味わうという使い方には良い店だと思う。
綺麗どころを前に、あまり食べ物のウンチクを語るのもヤボである。それ以前に、私自身がそこそこウマければ何でもグダグダ言わずに食べるような鈍感太郎になりつつあるわけだから、その場が楽しければ充分である。
そして、御勘定を終えて店を出た時、あの言葉が私の脳裏に浮かんだ。
ゆで太郎、恐るべし。
そういうことだ。
2018年10月3日水曜日
ホテルの時間
泊まるわけじゃなくても、何気なく使うのがホテルだ。食事やお茶、バーも使うし、待ち合わせ場所にすることもある。
ホテルで過ごす時間は、どこかゆったりした気分になれるから好きだ。私自身、帝国ホテルやパレスホテル、第一ホテルのカフェなどは商談や軽い打ち合わせでも使う。
喫茶店よりやたらと高いが、そこはショバ代であり雰囲気代が加算されるから仕方がない。
ちなみに、ウサンくさい経済ゴロや詐欺師みたいな連中は、やたらと高級ホテルのロビーやカフェを使いたがる。日頃そうした場所に行き馴れていない面談相手に微妙な“圧”をかける狙いらしい。
私にはそんな思惑はない。談話室滝沢やルノアールよりも、ちょこっと気分がアガるから仕事に関係ない時でもホテルをあれこれと使っている。
まっとうなシティホテルとなれば、日本特有の「おもてなし」精神が根付いている。何かを尋ねたり頼んだりしても、マニュアル的反応しか出来ないコンビニのバイト君のようなスットコドッコイな対応はない。
いわゆるニッポンの洋食系の食べ物がウマいのも魅力だ。文明開化とともに花開いた日本流の洋食は、たいていホテルレストランが発祥だったりする。
シチューやグラタン、ピラフといった昭和の子どもが狂喜乱舞したメニューがホテルの伝統と看板を背負って高尚に?調理されるわけだから味のほうも間違いがない。
いつもここで書いているパレスホテル系列のピラフしかり、ホテルオークラのフレンチトースト、赤坂のキャピトルホテルのパーコーメン、ホテルニューグランドのドリアしかり、名のあるホテルには名物料理が多い。
名物ではなくても、カレーやオムライスといったド定番の料理は、たいていウマい。安くてマズいものを食べるなら、時には“上質なド定番料理”をワシワシ食べたほうが幸福だ。
新興の外資系ホテルとは一線を画すのが、そうした物語性のある歴史だと思う。新しくてカッチョいいホテルに話題は集まりがちだが、ベテランの味はやはり捨てがたい。
部屋に関しては外資系のオシャレなホテルに軍配が上がるが、なんてったって高いから気軽には使えない。予約サイトで格安料金を探しても目を引く値段は出てこない。
その点、日本の老舗は時にベラボーな値段で投げ売りしている。チェックインを18時とか20時にすることで通常の半額ぐらいにしたり、曜日限定でバーゲン料金を設定していることが珍しくない。
うがった見方をすればラブホテル需要を意識しているという見方も出来なくはない。
なにぶんラブホテルがあるエリアは限られている。都内中心部のシティホテルをそういう目的で利用する人も多い。それはそれでアリだろう。
実際、あちこちの高級ホテルがデイユースとして数時間単位の部屋貸しをしている。ホテルの公式サイトでは扱っていないが、各種予約サイトを覗けばそんな情報はいっぱい出てくる。
私も商談?や密談?などで部屋を使うこともある。現場記者時代は紙面に掲載する座談会の会場にホテルの部屋を使うこともあった。
今ではすっかり個人的な使い方ばかりだが、都会に家があるわけだから、いちいち朝まで泊まっていくことはない。
ひとときの非日常空間である。窓から都会の雑踏を眺めながら思索にふけったり、哲学的に人生を考えたりする。
そんなはずないか・・・。
最近は、ビジネスクラスをちょっと高級にした中堅クラスのホテルが増えている。旧来型のホテルに比べると全体にゆとりの無いことが残念だが、部屋は機能的で使い勝手は良い。
そうはいっても、ルームサービスがなかったり、部屋の冷蔵庫が空っぽだったりすると、いっぱしの料金が腹立たしく感じるのも確かだ。
ちょっと古めかしくても、そうした機能面がちゃんとしているホテルを格安サイト経由で手配するほうが間違いがない。
だいたい、今どきのシャレたホテルは、カードキーを持っていないとエレベーターが動かない。実に面倒な仕組みになっている。すなわち、部屋での待ち合わせが出来やしない。
「12階の〇〇号室で待ってるよ」などという艶っぽい待ち合わせが出来ないわけだ。困った問題である。
いにしえの名曲「ホテル」のような怪しい展開に期待したい人にとっては迷惑千万な話ではある。
♪ホテルで会って、ホテルで別れる♪ なんとも悩ましい歌詞だ。
学生時代、家族と一緒に行った団体旅行のバスの中でのこと。若い人向きの曲を何か歌ってくれとバスガイドさんにマイクを渡され、この歌をアカペラで歌った。
すべてのお客さんにドン引きされたことを思い出す。
この動画、歌詞付きなので暇な方は熱唱してください。
https://www.youtube.com/watch?v=HDz0-JQzZNk
2018年10月1日月曜日
ラーメン、胃カメラ、ピラフ
Facebookやインスタをチェックするように私の中でクセになっているのが某ブログを覗くことだ。
基本はラーメンブログである。私はラーメンにさほど興味が無い。でもナゼだかラーメンに関係ない枝葉のどうでもいい話に魅せられて?読み込んでいる。
http://blog.livedoor.jp/kin_nosuke/
中学高校時代の旧友が書いているブログなので、はじめは一種のお付き合いで読み始めた。でも、どことなくヘンテコな書きぶりに中毒性がある。いつしか更新を楽しみにするようになってしまった。
更新されたことが自動通知されるように登録するのはシャクだ。仕方ないから毎日のように覗く。更新されていないと殺意を覚える。
おかげで時々、ラーメンが食べたくなるようになった。ラーメンよりドンブリ派の私の生きざまにまで影響を与えているわけだ。
某日、娘がやってきて、アレが食いたい、コレが食べたいなどと四の五の言ってきた。でも、その日の私はブログのせいでラーメン気分だったので行きずりのラーメン屋に入った。
餃子とおつまみチャーシュー、キムチなんかをつまみにビールをグビグビ。ラーメンはシメに注文しようと思ったのだが、ツマミで満足しちゃって、結局、娘のラーメンを一口だけもらって終了。
やはり、ラーメン道を語るのは私には難しいようだ。
別な日、一年に一度の全身検査に出かけた。胃カメラと大腸カメラを体内に突っ込むスペクタクルな日である。
検査自体は強烈な鎮静剤でコテっと落とされちゃうから痛くも痒くもない。むしろ、検査終了後もしばらくは鎮静剤でフワフワしちゃうから私にとっては毎年の楽しみでもある。
問題は、早朝から下剤を飲んですべてを出し切ってから昼ぐらいに検査することである。すなわち、空腹との闘いが待っている。
いつも朝メシをドカ食いする私にとって、その点に関しては一年に一度の苦行である。
この日、検査が終わったら肉肉しいラーメンをどっさり食べようと心に決めていた。スープだって全部飲み干してやるぜと意気込んでいた。
さてどこで食べるか。友人のヘンテコラーメンブログに載っていた新橋の「満来」という店のチャーシューメンが食べたくなった。ヤツの興奮ぶりが伝わる渾身のレポート(http://blog.livedoor.jp/kin_nosuke/archives/1051250086.html)のせいである。
チャーシューメンを脳裏に浮かべ、よだれを垂れ流しながら鎮静剤でコテっと寝かされた。検査が終わり、起こされたのは13時半ぐらいだったろうか。
前夜の食事から17時間以上経っている。腹ペコで死にそうだ。クリニックで検査結果を待つ間に「満来」の場所を調べてみた。しかし、しかしである。なんと「閉店」しているではないか。
女性だと思ってパンツをおろしたらチンチンが出てきたぐらいの衝撃である。頭が真っ白。茫然自失である。
「怪しげなポリープはありませんでしたよ」というドクターの言葉も上の空だ。ただただ空腹が私を混乱させる。
途端にラーメンが怨めしくなった。毎年、この検査の後はコメものをドカ食いしてきた私が、せっかく今回に限ってラーメン屋に突撃しようと思ったのに何てこった。
で、すべてのラーメンを逆恨みする結果となり、コメ系に方針転換することにした。いそいそと九段下のホテルグランドパレスに向かう。
シャトーソースをビチャビチャかける伝統のピラフに目的変更である。むしゃくしゃしたからビーフシチューとライスまで注文した。コメまみれである。
ラーメン屋さんに行くより、3倍、いや4倍のコスト増である。エンゲル係数が大幅に狂ってしまった。
もちろん、好きなモノをドカ食いしたから満足感はあったのだが、心のヒダの部分に肉ドッサリラーメンへの愛惜の情が浮かんだ。
コメばかり愛してきたせいで、きっとラーメンの神様に嫌われているのだろう。