2018年10月31日水曜日

飲水思源


「飲水思源」という言葉がある。中国の故事成句の一つだ。水を飲む者は井戸を掘った人の苦労を思い起こせという意味である。

人から受けた恩を忘れてはいけないという意味合いで使われる。含蓄のある言葉だと思う。

かつて鄧小平や江沢民など中国のトップが来日した際に田中角栄元首相を訪ねた際にも引用された。私もそれを機にこの言葉を知った。

その頃、角栄さんはロッキード事件で刑事被告人という立場に置かれていた。表舞台に出ることなく過ごしていたわけだが、そんな一私人状態の“過去の人”を中国の首脳がわざわざ訪ねたわけだ。

理由はただひとつ。日中国交成立を手掛けた恩に報いるため。角栄さんの私邸にまで表敬したことが、まさに「飲水思源」を表す行為だった。

40年にわたって行われてきた中国へのODAがようやく終了する。あくまで戦後賠償ではない性質の援助が、今も世界第二位の経済大国に行われていたこと自体が不思議である。

日中両国でさまざまな思惑や利権があった対中ODAだが、今の中国の発展に多大な影響を与えたことは間違いない。

今や軍事力で日本を挑発するほどになったわけだから、その力の源泉がわが国からの支援だったという事実は一種の喜劇みたいな話だ。

中国政府は日本の長年にわたるODAを評価しながらも「日本も利益を得た。ウィンウィンの協力関係だった」と表明した。なんだか「飲水思源」を掲げるお国柄とは思えない態度である。

対米関係の緩衝材としての役割を日本に期待する中国は、首相として7年ぶりに訪中した安倍さんとの友好ムードを演出するのに躍起になっていたが、ODAという恩に対して、ろくな謝意も示さないのが現実だ。

過去の首脳たちが角栄さんを訪ねた頃のほうが礼節を重んじる国という印象があった。それがたとえパフォーマンスだったとしても、傲慢さばかりが目立つよりもマシだ。外交戦術としても賢かったと思う。

さて、対中ODA自体は終了するが、日本が支援してきた事実は消えない。インフラ整備や技術面など内容は多岐にわたるが、その事実を積極的にアピールすることを終える必要はない。

むしろ積極的にこれまでの援助内容を広報し直すべきだ。外交課題として軽んじてはいけない重要なテーマだろう。

いまや中国はアジアやアフリカに対して支援する側の立場だ。聞くところによると、橋をひとつ作るにしても中国からの援助だということを殊更大きく掲げるなど、支援先へのアピールが巧みだとか。

自分達が日本から支援を受けた際には、自国民にその事実を積極的に知らせなかった一方で、支援する側に回ったら日本を反面教師にしてPRに余念がない。したたかさに感心する。

わが国としても、中国への広報を積極的に行うだけでなく、増加する一方の訪日中国人にもODAの実績をどんどん知らせればいい。

ただ観光に来てもらって喜んでいるだけでは、いかにもマヌケではなかろうか。

今日はマジメ一本槍の話に終始してしまった。そんな日もある。

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