2014年12月29日月曜日
ブログを書くということ
2014年12月26日金曜日
最後っ屁
2014年12月24日水曜日
加山雄三を考える
加山雄三である。おん年77歳である。
スーパー77歳とでも言うべき人だ。「ミスター77歳コンテスト」をやれば優勝しそうである。
いまも元気に散歩ばかりしている。地井武男の後を継いだ散歩番組では、あえて健康を強調するようにやたらと早足で歩いている。見ていて少し心配だ。でも「永遠の若大将」だから仕方がない。
今年は高倉健、菅原文太といった名優が逝ってしまった。昭和を彩った巨星の訃報は日本中にショックを与えたが、彼らより少し年下の加山雄三は元気に散歩を続けている。
これはとても貴重なことだ。この人だって昭和の大スターである。国民皆で大事にしないとなるまい。
裕次郎や健さんのような「別格のレジェンド」と位置づけられていないのが不思議に思えるほど昭和の頃には大活躍した。
80歳を間近にして「若大将」と呼ばれていること自体が人間国宝みたいな話である。
超が付くほどの大御所なのに散歩番組の仕事を気軽に受けちゃうあたりが「若大将」の面白いところでもある。
裕次郎、勝新、健さんなど多くのレジェンドが凄い存在感を見せていた頃、加山雄三はやたらと二枚目でやたらと爽やかでやたらとカッコイイ仕事に明け暮れていた。
映画「若大将シリーズ」である。見たことのない人はレンタルビデオ屋に行くことをおすすめする。
「昭和の匂い」に浸れるシリーズ映画といえば、言わずと知れた寅さんシリーズ、森繁の社長シリーズ、高倉健、菅原文太を中心とした任侠モノが一般的だが、若大将シリーズも代表格と言っていい。
寅さんが最後には必ず失笑を買う役割を担ったのに比べ、若大将はいつでも「わが物顔でワッハハ!」って感じだった。
あの絶対的幸福感が当時の国民に夢を与えたのだろう。でも、その「余りにハッピーな感じ」は一方で「チェッ、調子に乗りやがって」という思いを抱かせる側面もあったはずだ。
この若大将としてのイメージが加山雄三という存在を裕次郎や健さんなど「別格レジェンド」とは異質な存在にしたのだろう。
若大将シリーズが始まったのは昭和30年代後半だ。当時の世相を思えば、「老舗すき焼き屋のお坊ちゃんが大学で気ままに愉快に過ごしている構図」は特別だ。
まだ本格的な高度成長の手前だし、いまよりも格差というか、社会階層のクラス分けは厳然と存在していた時代だ。
大学進学率も男性ですら2割程度だったわけだから、苦学していない大学生はブルジョワそのものだったと言える。
老舗すき焼き屋のセガレである若大将は、名門大学に通う完璧な二枚目であるだけでなく、ギターはプロ級、歌も上手で、スキーも本格派、マリンスポーツも何でもこなしちゃう。おまけに不良性のカケラもない。
これって憧れの対象になる反面、怨嗟の対象にもなりかねないぐらい突き抜けている。
年配の男性の中には加山雄三を嫌う人が結構存在する。ちょっと分かる気がする。
あの時代にあれほどまでに脳天気だったら恨みたい気分になった人も多かったはずだ。
「格好良すぎて何でも万能なイメージ」。誰もがうらやむこの要素が加山雄三の限界?だったのだろう。
女性ファンはそりゃあ素直に「キャー素敵!」って喜んだわけだが、男目線はそうはいかない。
影があったり、謎の部分があったり、切なさを背負っていたり、無頼な匂いがあったり、時に見せるシリアスさに惹かれる。
加山雄三はどうだ。影なんかない、謎めいてもいない、切なさを背負っている雰囲気もない、あくまであのまんまのイメージだ。
渥美清が寅さんのままで、高倉健が健さんのままで貫徹したように加山雄三は80歳になろうと若大将で居続ける。
かなりシンドイだろうなと妙な心配をしたくなる。
実際の加山雄三は想像以上に苦労もしている。経営する会社が倒産して辛酸をなめたり、スキー場で大けがを負ったり、何といっても、父親である名優・上原謙が晩年になってヘンテコな年の差婚に踏み切って騒動になったり、結構大変な経験を重ねている。
私の母親がその昔、加山雄三ファンだったせいで幼稚園児の頃から彼の歌を歌いまくっていた。映画も随分見た。
そんな背景もあって妙に加山雄三に関心を持って生きてきた私である。ビートルズが来日した際にともに食事をした数少ない日本人の一人が加山雄三だというエピソードも知っている。明治の元勲・岩倉具視の血をひいているという話だって知っている。
かといって、ファンではない。散歩の番組を見ても、谷村新司と「サライ」を歌っている姿を見ても、独特な「上から目線」っぽい態度が好きではない。
でも、いまも元気に散歩している加山雄三が気になってしまう。私にとっては「残された昭和の傑物」だ。まだまだ散歩を続けて欲しいと願っている。
それにしても、クリスマスイブに延々と加山雄三を分析している私の心理状態って何なんだろう。
2014年12月22日月曜日
固い話です
2014年12月19日金曜日
ニセモノとホンモノ
前回の「ゆで太郎」の話に続いて今日もちっとも富豪的ではない話です。
先日、出前で注文した天津丼にカニかまがトッピングされていた。
カニかま。いわゆるニセモノである。分別、見識に満ちあふれた大のオトナが嬉々として食べるものではない。
私も根本的に毛嫌いしているのだが、意外にウマくて驚いた。ニセモノ恐るべしである。
私はカニが大好きである。わざわざ日本海側に冬のズワイを求めて旅をするし、北海道に上モノの毛ガニを求めて出かけもする。
おまけにタラバなんかは、カニではなくヤドカリの仲間だというウンチクをひけらかしながら敬遠するほどである。
なのにカニかまを喜んで食べた。ビミョーである。
モノは考えようで、アレはアレである。カニだと思うヤマしい心があるからソッポを向きたくなる。カニかまという独立独歩の食品だと考えれば何も問題はない。
ペヤングと同じである。あれは麺状の揚げ物を熱湯でふやかしてソースを絡めるシロモノであり、決して麺を炒めたり焼いたりした食べ物ではない。
だからといってニセモノなんか食えるか!などと居直れない。ペヤングはペヤングとしてウマい。ゴキブリ騒動から早く立ち直って欲しい。
さて、カニかまである。
世界中に流通しているらしい。ヨーロッパでは大人気だとか。食の都・パリでもカニかまを使った人気料理がたくさんあるそうだ。
食の都だってそうなのだから、バカにしたものではないのかもしれない。
ちょっと悔しい?が、それが現実である。
日本の技術力の結晶という見方もできる。戦後ニッポンの偉大な発明の一つだとも言われている。
どうでもいい魚の練りモノなのに特殊な製法によりカニっぽい繊維質の食感を作り上げ、それっぽい風味が加えられている。
なかにはホンモノの蟹エキスを入れた商品もあるようで、カニアレルギーの人が反応しちゃうこともあるとか。
大型温泉ホテルのバイキング会場に置かれているようなダメダメなマズい蟹よりマトモである。カニ好きな私はアレだって喜んで食べてしまうのだが・・・。
カニかまは正確に言えば「カニ風味かまぼこ」でしかないのだが、日進月歩の進化によって西洋人の中にはホンモノの蟹だと信じて食べている人もいるそうだ。
人工的な食品は、これから成長していく子どもに食べさせたいモノではない。マトモな食品を食べさせることが健康面、食育面で重要なのは確かである。
かといって一部の商品を殊更ヤリ玉にあげてインチキだのニセモノだのと騒いだところではじまらない。世の中、そんなもので溢れている。
喫茶店のコーヒーについてくるミルクモドキしかり、チューブに入って売っているわさびモドキ、安い弁当に入っている人工イクラなど例を挙げたらキリがない。
安いアイスクリームだって植物油脂と増量剤で出来ているし、くず肉を寄せ集めて整形したものがステーキみたいな顔して堂々と流通している。
ネギトロと称して売られているグジャグジャした食品も困ったものである。
アレの正体は夕方、築地の裏路地に行けばよくわかる。日々、人目を避けてコッソリと作られている。
腐りかけの大量のマグロをブツ切りにして得体の知れない油を大量にふりかけ、大勢のホームレスのオッサン達が裸足になってせっせと踏んづけて作っている。
ウソです。ごめんなさい。信じる人などいないか・・・。
でも、そんな想像をしたくなるほどアレはアレで気持ち悪い。ああいうものは子どもに食べさせてはいけないと思う。
カニの話がそれてしまった。
なんだかんだ言いながらカニかまの話で終わるのはシャクである。
冬の前半、カニ業界の人気者が香箱ガニである。セコガニとも称される。ズワイガニのメスである。
その昔は、それこそ港で捨てられちゃって、地元の子どもがオヤツにしていたそうだ。今では大出世である。
チョロっとしかない身肉は二の次で、内子と外子がウリである。いわば酒飲みのためにあるような一品だと思う。
先日、寒い夜に香箱ガニを温かく味あわせてもらった。
トロみのある餡がかかった香箱ガニをハフハフしながら食べた。こんなツマミをアテに酒をキュ~と飲めば年の瀬の慌ただしさも忘れるほどだ。
至極幸せだった。
結局、ホンモノが持つオーラ?はカニかまとは別次元だと改めて痛感した。
でも、カニかまはカニかまでコッソリ応援しようと思う。
2014年12月17日水曜日
蕎麦をドカ食い
基本的に昼飯を食べないようになって随分経つが、主な理由は夜の酒を美味しく飲むためである。しっかりランチを堪能すると夜の酒がイマイチだ。
ただ、時には酒を抜く日もある。そういう時にドカ食いの誘惑がやってくる。
ご飯大盛りで定食を食べるぐらいなら問題ないのだが、私の場合、ドカ食いの定義は2~3品をぶりぶり食べることにある。
これが厄介である。
まず、外食だと「人様の目」が気になる。とくに一人メシの時が困る。店に入って生姜焼き定食とナポリタンなどと注文するとギョっとした顔で不審がられる。
そんなに食えるわけないだろ?みたいな顔をされるのがイヤだ。完食したら完食したでアホかいな?という顔で見られる。実に迷惑である。
牛丼屋に行っても本当は牛丼と豚丼をそれぞれ大盛りで食べたいのに、人様の目を気にして牛丼特盛り1個で我慢するのはツラい。
街の蕎麦屋でカツ丼とざるそば大盛りを食べたいのに、普通盛りの蕎麦と小どんぶりのセットを勧められたりすると店員に殺意を覚える。
誰か連れがいれば安心である。相手が女性だったら尚更快適だ。「オキテ破りの大食い女」にあたらなければ、二人で4品ほど注文して私が3食分ぐらい楽しめる。
でも、女性連れだと、その後にデートみたいな展開になるから満腹太郎としては有難いやら面倒くさいやらでチョット困る。
満腹はアッチの欲望を一気に衰退させる。
ホントはとっとと帰ってノンビリしたい時もある。ワガママの極地である。
さて、ドカ食い問題だ。
根っからの東京人ゆえか、私はうどんより断然そばが好きである。ウマいそばが食べたい時は、老舗の名店などそれなりの店に出かける。
こだわりの蕎麦屋の困った点は、どことなく上品で凜としている店が多いことである。
通を気取ったオッサン達が難しい顔でうなずきながら蕎麦をたぐっている。「そばがき」がウリだったり、しゃもじに乗っかった焼き味噌を自慢げに出すような店だ。
まさに蕎麦を「たぐっている」と言いたくなる雰囲気。こっちはズズズ~と「かっこむ」気分なのだが、上等な蕎麦屋には変な圧を感じる。
もちろん、本格的なこだわりの蕎麦はウマい。香りもいい。たとえば、麻布「更科堀井」あたりでドロっとした蕎麦湯割り焼酎を堪能しながら上品な蕎麦を「たぐる」のは幸福な時間である。
それはそれで東京人の嗜みであり喜びである。でも、あえて言えば何か物足りない。他人様に連れて行かれた寿司屋で思い切り食べられずに欲求不満に陥るような気分に似ている。
四の五の言わずにガッツリと行儀悪く、ツユを撥ね散らかしながら蕎麦に向き合いたい時もある。蕎麦だけでゲップを連発するぐらい食べたい夜もある。
で、「ゆで太郎」である。あちこちに店を構える蕎麦のチェーン店である。
富豪っぽい気配はゼロである。凜とした空気なども無縁だ。通のオッサンが難しい顔で蕎麦とニラメッコしていることもない。
もちろん、そばがきやしゃもじ味噌焼が出てくる可能性もゼロである。
あくまで「ついで」に来たみたいな客ばかりだ。遠方からわざわざ来る人もいないだろう。
そんな「ゆで太郎」に無性に行きたくなる時がある。それもクルマを飛ばして近隣のコインパーキングに駐車してわざわざ出かける。
富豪を名乗ってカッッコつけている私の生活を支えているのは実は「ゆで太郎」である。正直に告白すると、この冬やたらと「ゆで太郎」にハマっている。
一応、ウキウキしながらわざわざやって来た様子は必死に消している。あくまで「ついで」に来たぜって顔を作ってしまう。
こういう見栄というか、変な自意識過剰が私の歪んだところである。
素直に笑顔満点で店に入ってウッキウッキの様子で蕎麦をかっこめばいいのに、「別にどうでもいいけど」「時間がなくてたまたま入ってみた」みたいな雰囲気を作る。
アホだと思う。でも、周囲の客は皆そんな雰囲気だから仕方ない。
さて、ゆで太郎だ。マズくない、いや、思った以上にウマい。いや、素直にウマい。
そばが食べたい時に行くのだから採点は甘めだが、暖かい蕎麦がとくにおすすめだ。
多くの有名蕎麦店が「せいろ」ばかりに気を取られ、汁物の蕎麦だと変にコシがなくなっちゃった一品を出すことを考えれば「ゆで太郎」は頑張っている。
何が嬉しいかって、ドカ食い的なヘンテコな注文をしても人様の目が気にならないことである。
冒頭の画像はゆで太郎での一コマである。
肉南蛮蕎麦大盛りにエビ天とかき揚げをトッピングして、ついでにタコ天も追加した画像である。ざるそばも注文して、まさに天国状態である。ヘタすると「おいなりさん2コ」という追加注文もしてしまう。
一応、ここまでやると結構なお値段になる。立ち食い価格の店なのに軽く1千円超えである。富豪を名乗る私の意地?である。
格調高い伝統ある老舗蕎麦店に入ってこんな注文をするのは難しい。だいたい、トッピングの天ぷらがアレコレ揃っていること自体、高級蕎麦屋では有り得ない。
ゆで太郎の天ぷらは揚げたてだ。素直に嬉しいのだが、調子にのって画像のような食べ方をすると、汁が油まみれになって大変だ。
そんな邪道な展開も大衆蕎麦屋ならではの楽しみ方である。
高級蕎麦屋でケチケチしながら食べるより、大衆蕎麦屋でトッピング三昧で贅沢したほうが確実に精神衛生上好ましいと思う。
ゆで太郎に行くと必ず食べ過ぎて後悔する。もう二度と行くもんかと決意するのだが、ほんの数日後には、あくまで「ついで」みたいなフリをしながらイソイソ出かけてしまう。
そんな冬である。
2014年12月15日月曜日
女衒、美人局
2014年12月12日金曜日
薄暮の銀座
このところ、元気に飲み歩く機会が減った。とくに大した理由はない。仕事や変な遊び、ギター教室等々、あれやこれやでバタバタしている。おかげで漫然と飲み歩く時間が減ってしまった。
銀座界隈もご無沙汰気味である。あの街の空気は好きなので、もう少しマメに探検したいのだがサボってばかりだ。
それでもポツポツとは銀座に出向いているのだが、あの街に行くと目的もなしに歩き回りたくなる。昔の言葉だと「銀ぶら」である。
文字通り銀座をぶらぶらするという意味だが、私の場合「ぶらぶら」というよりキョキョロしているから「銀キョロ」である。
以前、今は亡き作家・城山三郎氏が何かのエッセイで「銀座ジャランジャラン」という表現を使っていた。
ジャランジャランとはインドネシア語で「散歩」を意味する言葉だ。バリ島が大好きな私も現地では得意になってこの言葉を発している。
城山三郎氏いわく、銀座には「ぶらぶら」よりも個性的な「ジャランジャラン」が似合うとのこと。なんとなく頷ける。
職場や住まいの近所をぶらぶらするのとは違う独特な感覚が芽生えるのがあの街の面白さだと思う。
私の場合、夕方から夜の銀座ばかりである。ついでに言うと1丁目から4丁目界隈はあまり歩かない。6~8丁目あたりで「銀キョロ」するのが専門である。
今の季節は日暮れが早いのでダメだが、日が長い季節だったら夕方、それこそ薄暮の時間帯の銀座を歩くのが好きだ。
暑さが少しゆるんだ黄昏時、文化遺産みたいな老舗ビアホール「ライオン7丁目店」に人が並び始める夏の夕暮れに中央通りを散策したり、新橋寄りの裏路地で割烹着のオバサンが水打ちするのを眺めたりしてノホホンとした気分に浸る。
私の場合、銀座の夜の顔ぐらいしか垣間見ることはないが、良くも悪くも二面性があの街の特徴だ。
どこか気張って背伸びしてヨソイキの姿を保っているのが銀座だ。当然、ヨソイキの姿の裏側には素の部分もある。
薄暮の頃には素の部分が垣間見えて興味深い。仕事を終えて歩いている人達とこれから仕事が始まる人達が交差する時間だ。
夜の仕事に携わる人達が、まだまだユルい感じで過ごしている姿を目にすると、舞台裏を覗いたような面白さがある。
料理屋の職人さん、バーテンさん、夜の蝶など、銀座の夜を舞台にする人々が少しずつせわしなく動き始める。
動き回っていても本番の顔は作っていない。そんな中途半端な空気が街全体に漂っている時間帯だ。
格好良く言えば、舞台やステージが開演する直前のワクワクした空気と似た感じかもしれない。少し高揚感があって適度に緊張感もありながら、どこかホッコリした感じも漂う。
そんな気配の中をアテもなく歩きながら、雑居ビルの看板を眺めたり、いままで素通りしていた小道に足を踏み入れてみる。
凜とした門構えの料理屋があれば勝手に中を想像したり、居心地が良さそうな喫茶店や謎めいたバーを発見したり、飽きずに歩き回ってしまう。
時々、顔なじみの黒服さんと遭遇して軽口を叩いたり、綺麗どころに見つかって営業攻勢を受けるのも御愛敬である。
一人で時間つぶしをする時には葉巻が楽しめるバーに出向く。遅い時間なら当然アルコールだが、早い時間だと珈琲や、ヘタするとホットミルクなんかを注文して喫茶店代わりに使う。
小ぶりな葉巻をエラそうにふかしているクセにホットミルクに砂糖をたっぷり入れてズズズっとすするのも悪くない。
そんな「どうでもいい時間」をあの街で過ごすのが楽しい。そのあと訪ねる店で何を食べようか、何を飲もうか、誰かを呼び出そうか等々、それこそどうでもいいことを考えていると、それなりにリフレッシュできる。
適度に歩いて、ウマいものを食べて、いい感じにホロ酔いになったら、とっとと帰るのがベストである。実際、そんな感じで帰宅することもあるのだが、ネオンの誘惑に負けることが多い。
東京人の矜持として、長っ尻はイキではないと分かっているのだが、綺麗に着飾ったお世辞のプロフェッショナル達を前にするとダラダラと酩酊してしまう。
夏場だったら酔いにまかせて深夜になっても「銀キョロ」に励んでデロデロになることもある。さっさと帰るつもりだったのに飲み過ぎて後悔するパターンだ。
これからの季節は寒さが厳しくなるせいで、さすがに深夜の銀座俳諧にブレーキがかかる。
薄暮の時間帯を楽しめる夏場が恋しいが、私の健康のためには冬の銀座のほうが好ましいのかもしれない。
これから年末に向けて街が活気づく。もともと夜の銀座は「負け組」が近づきにくいオーラやエネルギーに溢れている。
私もそんなパワーにあやかりたい。プラスのエネルギーを吸収するためにもいそいそ出かけることにしよう。
もっともらしく書いてみたが、ムダに酒を飲む言い訳である。
2014年12月10日水曜日
オヤジバンドの役割
会場となった六本木のライブハウスは客席が2層構造になっていて、1階席と2階席の双方から見ていただいた。
今回は前座?として洋楽ロックバンドが6曲ほど演奏。その後、われわれオヤジバンドのドキュメンタリー動画を15分ほど大スクリーンで上映し、わがアコースティックバンドが本番を迎える段取り。
動画を作ってくれたのは我々メンバーと中学、高校で一緒だった男である。演奏や歌う予定はまったく無いのにバンド練習に何度も参加させられ強制的?にビデオ撮影に励んでくれた。
そんな動画まで用意しちゃうところが熟年バンドの図々しさである。
さて、当日の話。洋楽ロックバンドは技術レベルも高く、カッチョ良く演奏するのは分かっていたが、素人ライブの場合、最初のうちはお客様も固い空気に支配されがちである。
というわけで、ロックバンドが登場する間は待機するだけの私ともう一人の男が「前説」を受け持ってみた。
私のトークと相方のウクレレでは、爆笑の渦を呼び起こすには至らず、すごすご引き下がるハメになった。
修行が足りない。
そして、出番待ちの間は、胃薬と芋焼酎と白ワインを楽屋でひっかけて、妙な緊張感と闘っていた。
あの緊張感って、その最中は堪らなくキツい。好きでやっているくせに逃げ出したいような気持ちになる。
修行が足りない。
でも、不思議なもので、終わってしまうとド緊張も楽しかった記憶に変わる。間違いなく中毒性があると思う。
この日は、開場4時間前に現場入りして、リハーサルや諸々の打ち合わせ。その段階から合わせると、本番開始までに都合4回も胃薬を飲み、高価なユンケルを2回飲み、酒もダラダラ飲んで、やたらとトイレにも行った。
修行が足りない。
そして本番である。お客様は100名ほど。3年連続といえども緊張で固くなる。頭の中が白くなる感覚は直らない。
本番の1週間前ぐらいから、それなりに喉の管理に気を遣ったせいで、昨年よりは声は順調に出た。湿度65%の部屋でシットリしながら寝続けた甲斐があった。
わがオヤジバンドの目指す世界は和気あいあいに客席とともに盛り上がることである。だから、MC、すなわちトークは大事である。
演奏だけに専念してムッツリ黙々と進行するバンドだとお客様は退屈だ。素人ライブのお客様は、メンバーの友人知人がほとんどだ。一緒になって楽しい雰囲気を作り上げることが何より大事だと思う。
と、エラそうな言いぶりだが、私がダラダラとしゃべり過ぎてしまう言い訳をもっともらしく書いているだけである。
ということで、わがオヤジバンドはAMラジオの深夜放送のようなトークが特徴の一つになっている。
3年連続ともなると、話すネタも乏しくなってくる。だから事前にせっせとMC台本作りに精を出す。
ちなみに、私以外のメンバーは、本番が近づいてくると練習後の飲み会で口数が少なくなる。余計なことを喋ってライブの場でネタにされるのを恐れているわけだ。
彼らも修行が足りない。
取材記者である私としてはそんな苦労をものともせずMC台本を仕上げてメンバーをイジリ倒すネタを用意する。
とはいえ、当日は、緊張と油断とが相まって、話すつもりのネタがいくつも飛んでしまった。残念無念である。
愛妻家のメンバーをイジるところは順調に展開できたが、そのほかは後悔ばかりである。
ただ、演奏も歌も、そしてMCも「後悔」こそが次へのモチベーションにつながる。すべてを完璧にこなしたら、燃え尽きちゃってバンド活動自体が終わってしまうかもしれない。
だから適度な失敗はエネルギー源になると都合良く解釈して今後も継続していこうと決意している。
終演後、ライブハウスで打ち上げ飲み会に移行。ここでも40~50名ほどのお客様がワイワイガヤガヤしてくれた。
考えてみれば、オヤジバンドのライブそのものが一種の宴会的なノリであり、形を変えたプチ同窓会的な側面もある。
楽しく集まる「場」を用意して、楽しい空気になるよう「演出」することこそがオヤジバンドの最大の役割なのかもしれない。
おこがましいけど、そんな意識が一番大切だと改めて思った。
そんなことを書くと、歌や演奏の出来はテキトーで構わないと言っているみたいで他のメンバーに怒られそうだ。
そっちも大真面目に取り組みます。
打ち上げの飲み会に続いて、深夜2時近くまで居酒屋で三次会。ひたすらアホバカ話に花を咲かせた。
十数人の旧友と飲み明かしながら、「場」を作るきっかけとしての「オヤジバンドの役割」に思いをめぐらせた。
今後も精進していこう。
うん、なかなか良いまとめ方だ。
結局、歌や演奏について何も書かずに終わってしまった・・・。
2014年12月8日月曜日
苦手なもの
この土曜日、ここでも何度か書いていたオヤジバンドライブが無事終了。来ていただいた皆様、本当にありがとうございました!
ライブ雑感はまだ書けていないので水曜にアップします。
さて、今日は苦手な食べ物について暴論を書いてみた。
時々、無性にとろろが食べたくなる。さすがに自分でわざわざ摺り下ろして食べようとは思わない。だから簡単には口に出来ない。
大型スーパーで摺り下ろされたとろろを売っているのを見つけると迷わずまとめ買いして家でズルズルしている。
先日、たまに買い物に行くスーパーでそれらしきものを発見して手に取ったのだが、何とオクラが混ざってやがった。
オーマイガ-!である。
オクラが別容器に入っていれば排除できるが、とろろと混ざっていたら手も足も出ない。最悪である。
オクラ。あいつは何者なんだろう。存在自体が私に対するイジメである。顔も見たくない。絶交したいのに時々遭遇するからイヤだ。
今日は極めて個人的な意見なので最初から謝ります。ゴメンナサイ。
オクラの話ついでに嫌いなもの、世の中に不要なものを考察する。
皿にさりげなく陣取っているパセリ。あいつも何だかサッパリわからない。あれを見て「やった~。パセリだ!」と思っている人がこの地球上に存在するのだろうか。皆無だと思う。
私が野菜嫌いだから言うのではない。アイツと相性が合う食べ物は無い。皿の上の彩りのためだけに出てきて結局は捨てられる。気の毒だから最初から出てこないで欲しい。
パクチーも困ったものだ。親の仇みたいな味がする。トムヤンクンに香り付け程度に浮かんでいれば可愛げがあるが、ヘタなタイ料理屋に行くとワンサカモリモリでいろんな料理にトッピングされてくる。
タイには何度も行ったが、現地ではそんなに大量にパクチーが出てきた記憶は無い。きっと日本の店が「タイっぽい雰囲気」のために大げさに使っているのだろう。
トッピングとか彩りに使われるモノには外れが多い。カツ丼に乗っかっている3粒のグリーンピースがその象徴である。
カツにも合わない。コメにも合わない。意味不明である。親子丼の三つ葉も似たようなものだ。アイツのせいで味が壊れるような気がする。
塩辛にパラっとふりかけられた柑橘類の皮を刻んだヤツも邪魔だ。余計な風味が主役を台無しにする。
くれぐれも個人的嗜好の話なので御容赦いただきたい。
鍋にエラそうに入っている白菜の芯。あれも「なんだかな~」である。葉っぱの部分はまだいい。ちょっと色も付いていて身体に良さそうだ。
葉っぱの場合、しおらしくなった姿も好感が持てる。それに比べて芯のあの図々しい感じは何だ?。不快である。
鍋の中で放置しても強がっていやがる。ヘナヘナにならずに延々と自己主張を続ける。仕方なく食べてみても味わいなどミジンも無い。
話は飛ぶ。ショートケーキやモンブランのスポンジも考えものだ。スポンジが無ければ成立しないことは百も承知だ。でも、スポンジ部分が多くないだろうか。半分ぐらいで充分だ。
クリームや甘いベットリした部分を楽しみたくてウキウキ食べ進んでいるうちに徐々にスポンジが我が物顔で剥き出しになってくる。切ない気分になる。騙されたようで悔しくなる。
ちょっと変な感覚だろうか。
プリンのカラメル部分も好きではない。プリンを食べる時には細心の注意を払う。底の方からカラメルが染みだしてプリン本体と混ざり合わないようにするためだ。
だから逆さま?に出てくるプッチンプリンは食べない。
カラメル自体に罪は無い。あれはあれでマズいとは思わない。でも、プリン本体の得も言われぬ芳醇でまろやかな風味を味わっている時にヤツが乱入してくると一気にヤツの天下になってしまう。大切なものを壊された気分になる。
ラーメンのナルト。あいつも邪魔だ。スープをズズっとすすっている時に私の口に容赦なく侵入しようとするあの横柄な感じがイヤだ。
カレーに入っているイモ。あいつもダメ。ニンジンなら派手な色のせいですぐに見つけて除去出来るが、中途半端なイモはタチが悪い。
声にこそ出さずに「ワ~イ鶏肉だ~!」と思って口に入れた瞬間、それがイモだと気付くと本気で泣きたくなる。信頼していた人に裏切られたような気持ちになる。
今日は虫の居所が悪いのだろうか。次から次に気に入らないものが浮かぶ。
チンジャオロースのピーマン。ゴーヤチャンプルーのゴーヤ。アイツらも迷惑な存在だ。いや、こればっかりはそいつらが主役だから仕方がない。
卵が好きなくせにどうにも馴染めないのがキンシタマゴだ。茶巾寿司もそうだが、薄っぺらいタマゴがナゼか昔から嫌いだ。
きっと、そもそもの官能的なタマゴの味がどこにも感じられなくなっていることが理由だと思う。
アーダのコーダのと書き殴ってきたが、好みなんて変化もする。ここに列挙したものもある日突然好きになるかもしれない。
実は最近、丼モノに入っている天敵だったはずの三つ葉を美味しいと思うようになった。
カレーライスに付いてくるらっきょうも昔は嫌いだった。マックのハンバーガーに入っているピクルスも飲み屋のツマミで出てくるオリーブも苦手だったのだが、いつの間にか喜んで食べている。
ようやく大人になったのかもしれない。
いつかオクラ丼とかパセリ丼とかナルトラーメンを嬉々として食べる日が来るのかもしれない。
2014年12月5日金曜日
娘のこと
愛娘(まなむすめ)という言葉がある。男の子の場合は「まなむすこ」とは呼ばない、愛息という言葉はあるが、愛娘よりポピュラーではない。
箱入り息子という言葉もない。やはり女の子の可愛さは別格だという証拠なのかもしれない。
私自身、女の子と男の子の父親だが、やはり娘の可愛さは特別である。息子には申し訳ないが、初めて持った子が女の子だったせいもある。それ以外にも初めて接した身内の子どもが女の子(姪っ子)だったから、どうにも女の子を贔屓する気分になる。
買ってあげるオモチャも女の子向きのほうが可愛い。着るものだって同じ。息子にはついついウケ狙いの変な服なんかを買ってしまう。
ジャイアント馬場がコミカルに描かれているTシャツを息子に着させて笑っている一方で、娘には彼女の好きな服を無条件で選ばせている。甘甘とうちゃんである。
旅の土産も、なぜか娘には予算度外視で選んでしまう。まあ、息子には将来、時計や身の回りの逸品をあげることになるから許してもらおう。
子どもと離れて暮らすようになって2年以上が過ぎた。ちょこちょこ会っているので単身赴任しているような父親よりは恵まれている。電話もくれるし、メールのやり取りも出来るので問題は無い。
それでも割と頻繁に娘のことを考えてしまう。ベランダでのんびり葉巻や煙草の煙に包まれている時にそんな状況になる。
学校は楽しめているか。弟と喧嘩していないか。困ったことはないか等々、会った時に散々話をしているのに数日も経つとアレコレ心配になる。
中学生だから思春期である。いまだにハグもするし手もつなぐのだが、先日「オンブさせろ」という私の希望は断固拒否された。重いぞと言われるのがイヤだったらしい。
モミジみたいな小さな手の頃を思うと、「てやんで~」と毒づきたくなるが、正しく成長している証拠でもある。いっぱしの口をきくようになった娘が頼もしくもあり、一方で寂しい気分にもなる。
よちよち歩きの頃から二人で出かける場面は多かった。弟が出来たのは娘が小学校に入るぐらいの頃だったので、それまではしょっちゅう二人で遊んだ。
暇があれば散歩に連れ出した。疲れたら肩車して歩いた。肩の上で寝込んでしまい私の髪が娘のヨダレでデロデロになったことも何度もある。
街なかで証明写真の自動撮影機があれば、必ず悪ふざけした写真を撮った。今も時々、その頃の写真を眺めては娘の幼い頃を思い出す。
自転車の特訓をしたこと、ディズニーなんちゃらには一度も連れていかなかったのに「としまえん」には頻繁に出かけたこと、プールではしゃいだこと、バッティングセンターで打撃特訓をしたこと、やたらと日帰り温泉に行ったこと等々、楽しい記憶は山ほどある。
中学生になってからは父親のオヤジバンドのライブに触発されたらしくガールズバンドの真似事をはじめた。選曲も父親に相談してくるし、まだまだ父親を頼ってくれることは嬉しいことだ。
最近は会うたびに機関銃のようにシャベリ続ける。友達との人間関係、学校の楽しいことやイヤなこと、母親のこと、テレビの話題等々、延々と話をしている。
母親とはまるでタイプの違う人間である父親相手にアーダコーダと持論を展開して、時にこちらの意見を聞くことが適度な刺激になっているみたいだ。
一緒に暮らさない選択をした父親に対しては思うところもあるはずだ。文句もたくさんあるだろう。これから年を重ねていくうちに不満が強まって恨み節をぶつける場面も必ず来ると思う。
いや、それよりも父親を嫌って疎遠になる時も来るだろう。こっちも少しは覚悟している。せめてそれが一時的な感情であることを祈るしかない。
この前会った時、一緒に歩きながら、ごく自然に娘が腕を組んできた。親子が腕を組んで歩くことなど珍しくないが、私にとっては心がジンワリとする瞬間だった。
親のエゴで別々に暮らすことになったから、子どもには理解不能だったはずだ。その部分だけは今も心が痛い。この先もずっとその痛みとは付き合っていくのだろうが、娘が感じた痛みのほうが遙かに強かったはずだ。彼女の心を思うといたたまれない。
どう逆立ちしたって悪いのは親だし、身勝手な選択を理解してもらおうと思うのはエゴの上塗りでしかない。
父親思いの娘だから、今では別々に暮らすようになった事情に理解を示してくれている。そんなことを言われた時にはこっちが泣きそうになる。
でも、その優しさはあくまで彼女が精一杯背伸びしたうえでの気配りだろう。彼女のその気配りが少しでも本心に近づくように行動で示していくことが私の人生後半戦における最大の課題だ。
彼女が大人になった時、いや、40代、50代になってからでもいい。こっちがアノ世に行っちゃった後だっていい。少しは理解してくれる日が来れば嬉しい。それだけが望みだ。
ジョン・メイヤーのDaughtersという名曲がある。以前、我がオヤジバンドのリーダーが教えてくれた。それ以来、ちょこちょこ聴いている。
https://www.youtube.com/watch?v=rZLbUIa7exE
歌詞の一部を引用する。
♪
Fathers, be good to your daughters
Daughters will love like you do
Girls become lovers who turn into mothers
So mothers, be good to your daughters too ♪
訳詞はこんな感じ。
♪
父親たちよ 娘を大事にしてあげよう
娘は父親に愛された通りに人を愛するものだから
彼女たちもやがて恋人になり 母になる
だから母親も女の子は大事にしよう ♪
しっとりとした雰囲気でとても優しい気持ちになれる曲だ。これを聞くとセンチな気分になる。
さてさて、いよいよ我がオヤジバンドのライブが明日に迫っている。今年は娘が来ないので「自主規制」なしでアホバカトークを繰り広げてしまいそうだ。
そんなオチャラけた父親だが、娘にとってはただ一人の父親である。恥ずかしい生き方は出来ない。
そう思わせてくれること自体が娘という存在の有り難さである。彼女の父親になれたことは幸せだ。半世紀近く生きてきたなかで一番の幸運だ。
親バカですいません。
2014年12月3日水曜日
運気とミラノ
年齢とともに非科学的なことを気にするようになった。非科学的と言っても大げさなものではない。運気の流れや方位といった類いの話だ。
若い頃は自分を取り巻く環境もカラっポだったし、大事な判断を迫られる局面もなく、日々、オッペケペ~と楽しく過ごしていればコトが済んだ。
中高年になると、いつの間にか身の回りに厄介事が増え、神頼みとは言わずとも「得体の知れない何か」に頼ってみたい気持ちになる。
占いなどを闇雲に信じるほど純粋ではない。かといって無視する勇気も徐々になくなってきた。ついつい引っ越し先の方位なんかをその筋の人に見てもらいたくなる。
それ以前に、半世紀近くも生きてくれば、経験上、運気の良かった時期と悪かった時期が厳然と存在していたことを自覚する。
運気が悪いからといって死んじゃうわけではないが、そういう時期に大きな決断をしたり、新機軸を打ち出したらダメという話である。
詳しくは知らないが、今の私は大殺界の最後の年廻りらしい。3年ほど続く大殺界が終わろうとしている。
大殺界がどういうものかはよく知らないが、端的に言えば、何をやってもウマくいかない八方ふさがりの運勢に支配される時期ということ。
それが終わるのは素直に嬉しい。厳密には来年の節分明けから運勢が上昇に転じるそうだ。
だからとっとと今年が終わって欲しいと願っている。
自分の運勢が大殺界だという話は、今年の初め頃に知った。まあ、その程度の関心しかなかったのは幸いだ。気にし過ぎたら昨年も一昨年もそんな事で気を病んだかもしれない。
思えば、この3年間ほどは確かにあまり良いことはなかった。あと付けのこじつけではない。それまでのウン十年の日々と比べても自分の運気は悪かったと思う。
運気の悪い時期は、もがかないでおとなしく過ごすのが一番だ。そっち方面に詳しい人に言わせれば、的確な判断や正しい判断が出来ない時期だという。
良い状態にあれば気も回る。頭も冴える。だから何事にも対応できる準備が自然と備わってくる。
運気が悪い時期だと、ボーッとしているせいで、何かコトが起きた時にドタバタと慌てる。おまけに準備も何もないからその場しのぎで失態につながる。
好循環が続くのか、マイナスの連鎖が続くのか。この違いは大きい。分かれ目になるのが自分自身の運気だという理屈だ。
もういくつ寝るとお正月である。早く来い来いお正月である。
で、大殺界の最後の年末年始が近づいている。気楽な一人暮らしは快適だが、年末年始に一人だとさすがに「置いてけぼり感覚」が強まる。
ということで、旅に出ようと思ったのだが、どこも混雑してバカ高い。マイルを使った無料航空券も使えない日が多い。
それでもダメ元でアレコレ調べたら、運良くヨーロッパ方面の航空券を抑えることができた。当初は行きをフランクフルトへのルフトハンザ便、帰りはイスタンブール発のトルコ航空を抑えていた。
やたらと貯まっているANAのマイルはスターアライアンス加盟の他の航空会社の無料航空券にも換えられるから、こういう変則的な手配が出来る。
お察しの通り、イスタンブールで「庄野真代」の名曲を熱唱してくるつもりだったが、ここにきて、無料航空券の空席枠が増えてきたので予定を変更。
行きのフランクフルト便はルフトハンザの羽田出発便を確保した。最新鋭の747-800という機材はかなり快適に過ごせるらしい。帰国便も同じくフランクフルトからだが、こちらは全日空の787が予約できた。こっちも航空ファンが注目するイマドキの新鋭機体だ。
フランクフルトにはあまり興味がないので、同じマイル数でヨーロッパ内の乗継ぎも抑えた。フランクフルトからミラノに乗り継いで靴屋めぐりと炭水化物摂取に精を出し、近郊の小さな街も散策してこようと企んでいる。
ついでにせっかくだから帰国前にフランクフルトに寄って、ドバイの金満ホテルチェーン「ジュメイラ」に泊まってみようかと考えている。フランクフルトのジュメイラは他より安らしいので、ちょこっと富豪気分を味わえそうだ。
異国の地に身を置いてブラブラすることは最高のリフレッシュである。大殺界の間に染みついた身体の中のオリのようなものを捨ててこようと思う。自分の運気の流れを改善する転地療養みたいな感覚である。
だいぶ先の話だと思っていたが、もう1ヶ月を切っている。航空会社は割と直前になって無料航空券の空席枠を出してくる。だから割とスムーズにチケットが取れたのだろうが、一応、ラッキーな感じではある。これも運気が上昇に向かっていく一つの表れだと考えたい。
でも寒そうだからモモヒキは必需品である。
2014年12月1日月曜日
神田 その田
なんだか年とともに寒さに弱くなってきた気がする。懐も寒い。困ったものだ。
職場でも足下が冷えちゃって、足下暖房を用意しても、ブレーカーがぶっ飛ぶとか言われて難儀している。
しょうがないから消費電力の小さい遠赤外線足下ヒーターを購入してセットしてみた。快適だ。バンザイである。でも眠くなる。まるで爺さん状態である。
で、まるで脈略はないが、冬だから鍋である。鍋のなかでも富豪気分?にひたれるのがフグである。
考えてみればフグ屋さんに行っても、ヒレ酒を飲み始めたらスグに暖かくなる。鍋が出てくる時には、♪少しも寒くないわ~♪って感じである。
先日、旧友が三代目を務めているフグ屋さんに行ってきた。神田にある「その田」である。昭和っぽい風情たっぷりの店構えが嬉しい。
フグを食べるのにモダンな店構えだと気分が乗らない。この店は昔ながらの建物が嬉しい。ノレンをくぐる段階でワクワクする。
神田という立地も良い。落ち着いた佇まいの街角。少し分かりにくい路地に「その田」はある。一見では入りにくそうな「通っぽい感じ」が魅力だ。
ここの若旦那とは中学高校を同じ学校で過ごした。野球部でチームメイトだった。
私はワガママざんまいで傍若無人のピッチャー、彼はセカンドだった。彼はピンチになるとマウンドに駆け寄って声をかけてくれた。
でも、アホバカ小僧だった私は、ヘタすれば「うるせえ」などと言ってエラそうに振舞っていた。実に恥ずかしく情けない思い出である。
今更反省しても遅い。オッサンになって彼と会うたびに心の中で詫びてばかりである。
そんな殊勝な気分に反して、彼の店を訪ねるとおかみさん(彼の奥さん)にアホバカ話ばかり振りまいている。どうしたもんだろう。
さて、フグだ。さきほど鍋の王様みたいな書き方をしたが、個人的にフグは刺身と焼フグと唐揚げが好きだ。これに白子焼があれば有頂天になれる。
焼フグや唐揚げを食べながらヒレ酒で酔っ払ってくると、正直言って鍋が無くてもOKである。
鍋抜きでその他のものを多めに食べたいのだが、誰かを連れて行った場合にはそうもいかない。
この日も相変わらず酔っ払って、鍋の大半を同行者に食べてもらった。結果的にそれも「おもてなし」だと都合良く解釈している。
近年は手軽な値段でフグが楽しめるチェーン店が増えてきた。あれはあれで結構だが、老舗で味わう正統なフグ料理は別モノである。
そういう意味でも、真っ当な老舗店では焼フグや唐揚げを好んで食べたくなる。ヒレ酒もヒレに対する手の掛け方が違うのだろう。香りや酒の色づき方が抜群だ。
上等なヒレ酒の美味しさは格別だ。料理という種類のものではないが、あれこそ日本料理の神髄だと言える。鼻、舌、喉すべてに心地良さが拡がる。まさに文化遺産。
日本人のオッサンに生まれて良かったと心から思う。
同じ酔っ払うにしても、ヒレ酒の酔いは至福の時間である。たかが酒、されど酒である。ホッピーで酔うのとヒレ酒で酔うのとでは何か?が違う。
なんだかグダグダ書いてしまったが、この日も結局、鍋や雑炊を二の次、三の次にして気分良くヒレ酒とニラメッコしていた。
まだ季節ではない白子もたまたま少しだけあるというので、チョびっと味わえた。これまた幸せ満開な気分になった。
なんだか酒の話ばかりになってしまった。お店の名誉のために書いておくが、当然ながらフグ料理はウマい。とくに醬油ベースの味付けで楽しむ焼フグが私のお気に入りだ。
近いうちにまたお邪魔しようと思う。
2014年11月28日金曜日
揚げ揚げ
食の好みは年齢とともに変化する。苦手だったモノを美味しく感じたり、好きだったモノを敬遠するようになったり、何とも不思議だ。
最近つくづく牛肉を食べなくなった。若い人に焼肉を御馳走しようと出かけて画像のような上等な肉がデーンと出てきても、私はほとんど食べない。同行者が97%ぐらい食べる。こっちはチャンジャや韓国海苔をツマミに焼酎をグビグビするだけだ。
若い頃は深夜にクルマを飛ばして一人焼肉に励んでいた。親しい関係の女子とは焼肉デートばかり。まだ未関係の女性とはすき焼きデートで、関係構築後は焼肉デートに移行するのが標準的な行動パターンだった。
今では私の中ですっかり牛肉の地位は低くなってしまった。いにしえのブランド品が出回りすぎてシュールなモノになっちゃうように「どうでもいい存在」である。
カルビと聞いただけでヨダレが出ていたのに、今では胃もたれを連想してしまう。われながら情けない。
不思議と牛丼は相変わらず好きだ。クタクタに煮込まれていろんな成分が溶け出ちゃっているせいだろうか。
牛肉に負けた?くせになぜか揚げ物はいまだに大好物である。逆流性食道炎がこのところおとなしくなったおかげで、一時期より揚げ物を解禁する機会が増えた。実に幸せである。
これからの季節はカキフライがウマい。カキの風味や旨味が衣の中に閉じ込められた日本料理の至宝だと思う。
この画像は銀座の某料理屋さんでの一品。異常なほどタルタルソースが好きなのにカキフライはレモン汁やソースをチョビっと使うだけで食べる。
まったく個人的な意見だが、カキは生より加熱したほうがウマい。生牡蠣をシャブリとともに味わうのが最高と言い張る人が世の中に溢れているが、私に言わせれば「ホンマかいな?」である。
シャブリにも様々な種類があるし、そもそもの食文化がまるで違う国の伝承だから、日本人が分かったような顔でウンチクザウルスになっているのはスマートではない。
日本には日本の味わい方がある。広島あたりでポピュラーな八丁味噌を使った牡蠣鍋を初めて食べた時には、感激してひたすらうなっていた記憶がある。
上質な出し汁をベースにお吸い物のように食べるのも好きだ。熱々をハフハフ言いながら、ネギや三つ葉の風味をアクセントにして食べると「ニッポンの冬バンザイ!」と言いたくなる。
揚げ物の話からそれてしまった。軌道修正。
タルタル人である私としては、相変わらず、お寿司屋さんに無理を言って一からタルタルソースを作ってもらう。相棒はもちろんエビフライである。
生きた車海老を茹でてもらうから、甘味、旨味がグワ~っと口の中に拡がる極上のエビフライに仕上がる。
本来ならちょこっとレモンを搾るだけで楽しむべきだろう。でも「エビフライにタルタルソース」は人して守るべき掟である。日本国憲法にも定められている。だからエビの味わいをまるで感じないほどドッサリ乗っけて食べる。
味覚ウンヌンをエラそうに書いていることが恥ずかしくなるほどタルタル人になりきる。バイ〇グラなど不要なほど官能的な気分になる。
命がけで私に食われる車海老が気の毒である。タルタルが主役なら、そこらへんのザリガニを揚げてもヒャアヒャア喜んで食べてしまうかもしれない。
さて、冬の揚げ物として見逃せないのが「白子フライ」である。メジャーな存在ではないが実にウマい。
白子の天ぷらが珍しくないのだからフライだって邪道ではない。白子ポン酢は日本酒のお供にもってこいだが、白子フライは焼酎とかハイボールと相性が良い。
トロリとした食感が最高である。ちょこっとソースをつけて食べると極上のクリームコロッケみたいな様子になる。
アンキモを食べ、カワハギをキモ和えで食べ、塩辛を舐め舐め、カラスミをかじって、白子フライを堪能する――。寒い季節ならではの夢の競演である。
世の中に痛風という病気がなかったら、日々そんなものばかり食べて酒をかっくらっていたい。
2014年11月26日水曜日
「高倉健」が教科書だった
テレビでさかんにやっていた追悼番組も録画しまくってしまった。享年83。訃報に接してもある意味ちっとも不思議ではないのだが実にショックが大きかった。
それだけ年齢を超越した特別な存在だったのだと思う。
美空ひばり、石原裕次郎という昭和の大スターが亡くなった際の驚きとはまた違った感覚がある。
個人的には渥美清さんが亡くなった時と相通ずるような例えようのない寂しさを感じる。知り合いでもない、ただ画面で見ていただけの人なのに非常に大きな喪失感だ。
中学、高校の後輩で某大手芸能プロのトップを勤めている男がいる。彼のFacebookには「当り前にあると思っていてはいけないことがあるんだなと改めて思いました」と綴られていた。
まったく同感だ。80歳も過ぎればXデーがいつ来てもおかしくない。分かっているのだが、健さんに関してはそんな常識では計り知れない「何か」があった。
日本人の中高年には似たような感覚を持つ人が多いと思う。
男っぽさ、男のあるべき姿、ダンディズム。そんなことを考える時、健さんの姿を思い浮かべる人は多い。
もちろん、実像は近親者しか知らない。ひょっとしたら全然イメージの違う人物だったかもしれない。亡くなったことを機にさまざまなエピソードがメディアに溢れている。でも、「高倉健」という芸名をまとった彼が示し続けていた姿は多くの日本の男が憧れた姿である。
無駄口を叩かず無器用で義理を重んじ、誠実に、そして無骨に筋を通す。大半の人がそうなりたくてもなれない現実の中で生きている。だから「健さん」に憧れた。
話が飛ぶが、エコノミックアニマルと称されて働きずくめだった戦後の男達は、自由気ままにフラフラしている寅さんを笑うことで束の間の安らぎを得た。
フーテン暮らしなど叶わぬ自分の境遇を嘆きたい。でも、寅さんのダメっぷりを笑うことで納得して生真面目な暮らしに戻っていった。
「健さん効果」もそうした「投影」の作用があったように思う。
男らしく筋を通したい、一本気で誠実に、人情の機微に敏感で、時には勇気を奮い起こして逃げずに生きていたい。男なら誰もが憧れる姿だが、普通の人にとって現実の暮らしはそうもいかない。
時にずる賢く立ち回り、二枚舌も使って保身ばかり考え、困難からは逃げたくなる。それが多くの人の現実だろう。
そんな「男らしくない自分」を憂いながら、健さんの姿に夢を見る。あんな男になりたい、ああいう男でいたい。そんな憧れを日本の男たちに抱き続けさせた存在が「高倉健」だったわけだ。
つくづく希有な存在だったと思う。数十年の間、そういう立ち位置が不変だった点は奇跡的だと思う。
普通は年齢とともにイメージや様子も変わっていく。健さんの場合、最後まで「ニッポンの男のあるべき姿」を貫き通したわけだから唯一無二という言葉は、まさに健さんのことを指す言葉だと思う。
私ごときが自説をダラダラ書き殴って恐縮です。御容赦願います。
話は変わるが、これまで幾度となく「あの人は高倉健のコレよ」という話を小指を立てられながら聞かされたことがある。
要はどっかの誰かが健さんの「彼女」だという怪しげな話である。すべて人づて、又聞きという点がミソである。
ある時は航空会社方面、ある時は銀座方面、またある時は某大企業に勤めている人だった。
私もそこまでアホじゃないので、いちいち信じるはずもなかったのだが、その手の眉唾モノの話は物凄く多かったはずだ。
健さんは私生活を明かさない人だったから、それに乗じて世間の関心をひきたい馬鹿がそうした話を面白おかしく広めたのだと思う。
だいたい、あの健さんが自分との交際を吹聴するようなチンケな女と付き合うはずがない!!
まあ、そういう話を全否定したくなっちゃう感覚自体が高倉健に憧れる男の一般的な反応かもしれない。
「幸福の黄色いハンカチ」「夜叉」「あ・うん」「居酒屋兆治」「冬の華」「駅」「ミスターベースボール」。
健さん映画の中で私が好きな作品を並べてみた。
健さんみたいに格好良く生きるのは至難のワザだ。私などは映画の中で健さんにぶっ飛ばされる側の生き方をしちゃっているような気がする。
そんな反省をしたくなるほど健さんがニッポンの男に与えた影響は大きい。
2014年11月21日金曜日
オヤジバンド 告知です
何かと厄介事も多いオッサン3人が真面目に練習を重ねている。3年も続くとは思わなかったが、このまま来年以降も続けたい。
じゃないと私のギター練習のモチベーションが消滅してしまう。なんとか他の2人にお世辞を言いまくって継続してもらおうと思う。
ギターを初めて3ヶ月ちょっとが過ぎた。全然ダメである。もちろん、今年のライブで披露できるレベルではない。「中年老いやすく・・・」という感じで一度覚えたこともすぐ忘れる。
つくづくボーカルの私に合わせてくれる2人のギターテクが素晴らしいことを痛感する。
私も基本のコードは結構覚えたし、難関と言われる「F」コードも少しずつそれっぽく鳴り始めた。でもコードチェンジをスムーズにこなすにはまだまだである。
10年以上前から「次に生まれる時は楽器をこなせる人生にしたい」と思い続けていた。だったらそう思い始めた時にギターを始めれば良かったとつくづく後悔している。
生まれ変わっても人間になれる保証はない。セミとかエビになったらギターどころではない。投げ出さずに精進しようと思う。
さて、オヤジバンドである。
今年の会場は130人ほど入れる規模だ。昨年は少し小さめのライブハウスだったので有り難いことに満員御礼状態だったのだが、今年は逆にスカスカにならないか心配である。
今回は、飲み仲間がわがバンドのプロモーション動画を作ってくれた。著作権の関係(ウソです)でここにはアップしないが、なかなか面白い出来映えだ。有り難い限り。
ライブ当日も途中の幕間に上映会を予定している。3度目ともなると凝った演出を始めてしまうあたりがオヤジバンドの図々しさである。
当日のDVD収録も専門業者を手配した。調子に乗ってカメラ2台態勢で収録するよう指示してある。食うや食わずでバンド活動に励んでいる若者に比べればオトナの余裕?である。
今回は六本木のライブハウスで小さいながらロフト席まであるらしい。言うなれば「2階席」である。凄いことだ。まだ現地を見ていないので、当日になってビビってしまうかもしれない。
不思議なものでライブハウスのステージでド緊張していても、照明とか音響のおかげで徐々にその気になる。
オープニングの際、真っ暗だったステージがそれっぽい照明に切り替わり、カラオケ屋とは異質な迫力のある音が響き始めるとようやく腹が据わる。あとは勢いで進むだけである。
昨年は、ライブを間近に控えた夜にカラオケボックスで特攻オネエチャンに凄まじい接待をされて喉の調子を崩してしまった。大反省である。
今年はライブ当日まで、風呂に入る時以外は服を脱がず修行僧のような勤勉な日々を過ごそうと決意している。邪念に負けてはいけない。
今回のライブは前半にエレキバンドが数曲演奏して、幕間を挟んでわがアコースティックバンドが登場。最後の2曲はエレキバンドと合体する段取りである。
と言いながらこれを書いている時点でまだ合同練習はやっていない。少し心配だ。まあ、ドラムもベースも相当な腕前だから何とかまとまるだろう。
エレキバンドは80年代の聞き覚えのある洋楽を演奏する。我々アコースティックバンドは昭和歌謡などをアダルトアレンジ?で演奏する。
誰もが知ってるベタな歌謡曲がアコースティックギターの渋いアレンジで変身する感じはなかなかカッチョいい。手間ミソでスイマセン。
さてさて何はともあれ歌の練習に励まないといけないのに、MCの構成がまとまらなくて苦悩中だ。
歌のことで悩まずに喋るほうが重要課題になっている。なんか違うような気がする・・・。
一昨年、昨年とこのブログを読んでくださっている方にも来ていただいた。有り難いかぎりです。改めて御礼申し上げます。
今年も「ヒマだから行ってみるぞ」というかたがいらっしゃいましたら当ブログのコメント欄にその旨お知らせください。
コメント欄に記入いただいた内容は当ブログのコメント欄にはアップしませんのでご安心ください。こちらから直接詳細をお知らせいたします。
2014年11月19日水曜日
野球
久しぶりに野球観戦に出かけてきた。日米野球である。メジャーリーガーは観光気分だとか日本の選手も遊び感覚だとか、ネガティブな論調もあるが、数年に一度の日米野球はついつい現場で見たくなる。
何が素晴らしいかといえば、球場の「音」である。日本チームの攻撃の際は、ライトスタンドでシーズン中を思わせるような騒々しい声援が行われているが、メジャーの攻撃の際には鳴りモノ応援はない。
結構な静寂が球場を支配する。打球音はもちろん、キャッチャーミットの響きに興奮する。気のせいか走者の足音すら身近に感じられる。
観客席を仕切るネットの前である。フィールドの臨場感を仕切り無しで味わえる。飛び込んでくるかもしれない打球を避けるためにヘルメットとグローブが各席に用意されている。
試合前にはファンサービスで選手がサインしにやってくるのだが、対象になるのはこの席の客である。おかげでマエケンや大谷という今後の日本の顔になるスター選手が至近距離にやってきてチョット興奮した。
動物園に閉じ込められた猛獣にエサを与えるかのように売り子さんはアレコレ持ってきてくれた。なかなか快適だった。
それにしても日本の野球選手の体格も一昔前に比べて立派になったものだ。メジャーリーガーと並んでもひけを取らない大柄な選手がゴロゴロいる。
ピート・ローズがいたレッズやトム・シーバーもやってきたメッツが単独チームで来日した頃から日米野球に釘付けだった私だ。当時は「メジャー」という呼び方ではなく「大リーグ」と呼ばれていた。
40年ほど前のあの頃は「大リーガーはやたらとデカい」という印象が強かった。まさに隔世の感がある。画像はソフトバンクの柳田選手。かなりゴツかった。
実際、昔の日米野球は、物見遊山の大リーグチームに日本はまったく歯が立たなかったわけだから、時代は大きく変わったのだろう。
日本チームを応援したいけど、メジャーチームに圧倒的な強さを見せて欲しいのが正直な気持ちである。
私が観戦した試合はメジャーが勝利したが、その前の日は日本がノーヒットノーランで買っちゃったから妙にションボリした気分になった。
憧れていた女性が実はヘタレだったような感覚で実に寂しかった。いつまでも「大リーガー」は手が届かない存在でいて欲しい気がする。
10年以上前になるが、友人達と草野球チームを作って毎週のように試合をしていた。リーグ戦に加盟していたせいで結構真面目に励んでいたのだが、一番の思い出は東京ドームで投げたことである。
そう書くと何だかエラそうだが、たった1度だけ深夜の時間帯を数チームで借り切って寝ぼけまなこで試合をしただけである。
ピッチャーだったから私の居場所はマウンドである。巨人のエースが立った場所だというより、日米野球で来日したランディー・ジョンソンが立った場所だという感激が大きかった。
やたらと投げすいマウンドだった。キャッチャーまでの距離は近く感じたし、高さも傾斜も素人野球から見れば実に素晴らしかった。
ただし、キャッチャーの後ろの広さもまた驚異的だった。暴投したら一大事である。草野球だったら1塁ランナーがホームに帰ってきちゃうほど大平原?である。
プロの試合だと、暴投してもランナーは一つ進塁するぐらいだ。一番感心したのがその部分だった記憶がある。
全然話は違うが、スポーツついでにテニスの話。
錦織選手の快進撃でテニスブームが起きそうな気配だが、個人的に気になるのがテニスウェアの進化?である。
一応、30年以上前の一時期、テニス少年だった私としては、最近のカラフルなウェアが妙に羨ましく感じる。
確か昔はウェア全体の中で白色の占める割合が明確に決められていて、ダサい白色ウェアを着るしかなかった。もちろん、コナーズやボルグ、マッケンローといった世界のトッププレイヤーも白が基本だった。
今では紺や赤が主流みたいで、錦織選手も世界一位のジョコビッチ選手も胸には「ユニクロ」のロゴが輝いている。
変われば変わるものである。私が少年の頃は「フィラ」「タッキーニ」が憧れの二大ブランドだった。
やたらめったら高価だった「フィラ」は今では安いスーパーで投げ売りされているし、「タッキーニ」はどっかにいってしまったみたいだ。時代の流れってアッという間である。まさに諸行無常を痛感する。
なんだかまとまりがなくなってしまった。
御容赦願います。
2014年11月17日月曜日
「相続」は他人事ではない
来年からの増税を控えて「相続」の話題が取り上げられる場面が増えてきた。テレビや新聞、雑誌などでさかんに特集されている。
相続税といえば、一部のお金持ちの話というイメージが一般的だが、今後は都内にそれなりの戸建て住宅を持っているだけで課税対象になるケースも出てくる。
課題ごとに効果的な作戦を練ることが必要なのだが、もっとも難しいのは具体的な戦術ではない。一番厄介な課題は何かといえば「オヤジの口説き方」である。
先に逝く人の意思が何より大事である。相続する側の双方が同じ認識でコトに対処できるか。この出発点がキチンとしていなければ何も話は進まない。まさに基本中の基本。
相続問題は「死」がテーマだから話題自体がタブー視されやすい。綺麗事を並べ立てたところで「父ちゃんが死んだらさあ~」という仮定が前提。
エネルギッシュなお年寄りほど「オレはまだ死なない」と本気で思っているから、ヘタに話すとモメ事になる。
それに加えて「カネ」にまつわる話だから「卑しい」とか「品がない」という感覚が邪魔をしてスムーズに話をしにくい。どうしても一筋縄では行かない。それが現実だ。
そうはいっても、いざその日を迎えると、ちょっとしたボタンの掛け違いで相続が「争族」になってしまう。
実際に相続を経験した人の半数が何らかのトラブルを経験したという民間調査期間のデータもある。
私自身も経験したが、Xデーが来るまで想像していなかった厄介事はいとも簡単に発生する。人間の業なんてそんなものである。
「見ざる聞かざる言わざる」は古来から伝わる社会生活の知恵だが、相続に関しては逆効果になりかねない。
気が進まないテーマであっても、事前に親子揃ってそれなりの準備を整えておかないと後になって後悔する。
結婚や出産などと同じく相続は家族・家庭にとっての一大事業である。何も準備せずに結婚や出産する人はいない。一大事業であるからには必然的に計画の立案や戦略が不可欠だ。
計画や戦略を立てるうえで大事なのは必要な情報の取捨選択に尽きる。それぞれの事情に応じた適切な情報に触れることがカギになる。
今週の水曜から3日間、相続に関する総合コンベンションが開催される。その名も「相続エキスポ2014」(11月19日~21日・東京ドームシティ・プリズムホール)。
宣伝になってしまって恐縮だが、画期的なイベントだと思う。さまざまなソリューションの展示をはじめ、著名な専門家や国税当局の元幹部によるセミナーや数多くのカンファレンスがすべて無料。
世の中、いろんなジャンルのイベントが目白押しだが「相続」だけにターゲットを絞ったものとしては国内唯一で最大級の規模での開催となる予定だ。
相続問題を解決に導く最新情報を収集する機会として、老若男女を問わずご活用いただけるので、ぜひご来場を!
http://www.souzoku-expo.jp/
2014年11月14日金曜日
家政婦はミタか
モノグサ太郎ぶりに拍車がかかってきた。今の住まいを来年の春には引き払おうと決めてから掃除が億劫になってしまった。
で、ついに家政婦さんを頼むようになった。
週に1度3時間の作業だが、2LDKを実質的に1LDKしか使っていないから3時間も掃除してもらえれば充分である。
家政婦さんはもともと私の実家に来ていた実績があったから初めから部屋の合い鍵を預けた。私が不在の時に勝手にやって来て勝手に部屋をピカピカにして帰って行く。
実に有り難い。いままで一生懸命マメに掃除してきたことがバカみたいに綺麗になる。もっと早くから頼めば良かった。
一人暮らしを始めた当初は、ウキウキした気分もあってマメに掃除に励んでいた。ルンバも買ったし、クイックルワイパーやコロコロの達人にもなった。
でもさすがに飽きた。時々子ども達が遊びに来るからそれなりに綺麗にしていたが、掃除への情熱が徐々に薄れていたから大助かりである。
一応、ヤバいグッズとかは立ち入り禁止?エリアに置いてあるので家政婦さんに見られることはない。そこも掃除されちゃったら真っ当な紳士だと思われている私のイメージはコッパミジンである。
それ以外にも引き出しを開ければアレコレと「恥ずかしい品々」が出てくるが、家政婦さんも暇じゃないから大丈夫だろう。
そう思い込むことにする。
何より助かるのは水まわりである。風呂掃除は腰に響くし、洗面まわりも鏡面への飛沫の飛び散りや蛇口まわりの水垢など真面目に退治しようとすると結構大変である。
台所まわりも同じ。シンクの水垢、ガスコンロ周辺の汚れなど男目線では見逃すポイントが多いが、家政婦のオバサン目線は優秀である。バッチリだ。
布団カバーやシーツの交換・洗濯もやってくれる。根っから無器用な私としてはこんなに楽チンなことはない。
ダブルサイズの布団カバーは、パッと見は正方形だ。いつもタテヨコを間違えてイライラしながらやり直す苦行に見舞われていた。そんな苦労ともオサラバである。
ゴミ捨てやクリーニング屋通いもやってくれるらしいが、そこまで頼むと私自身が究極のダメ人間になりそうなので掃除だけお願いしている。
でも、遠からずそういう雑用もやってもらうような予感がする。どんどん自分がグータラになっていきそうだ。
不思議な話だが、家政婦さんが来るようになってから自分の心の平穏度合いが高まったというか、切なさを感じる場面が減ってきた。
とても良いことなのだが、それはそれで問題がある。
ひとり黙々と部屋を掃除したり布団カバーと闘っていた時は、ふとした瞬間にそんな行動に侘びしさを覚えることがあった。
若造じゃあるまいし、一人でいるよりそこらへんの誰かと愛の巣を築かなければ人としてマズいのではと思ったりした。
ところが、家政婦さんのサポートによる快適ライフによって、侘びしさを感じる場面が激減、なんとも大らかな気分になって御機嫌な日々である。
これはこれで困った問題である。快適すぎる。気楽すぎる。自分を甘やかしすぎる。おひとりさま街道まっしぐらである。
高齢者の一人暮らしが増え、未婚者の増加も重なって、世の中すべてが独り者にとって快適になっている。
私自身、四半世紀ほど前に一人暮らしをしていたのだが、その頃とはまるで事情が違う。
ネットスーパーは重い物をチョチョチョイって運んできてくれるし、スマホがあればたいていの食べ物もデリバリー可能だ。これから先、どこまで便利になっていくのだろう。
文明の進歩の凄さは人の暮らし方も随分と変えた。簡単に良し悪しなど判断できないが、当然、反作用も大きいのかもしれない。
その昔、昭和の頃には「一人だと何かと面倒だから結婚した」みたいな話をやたらと聞かされた。あながちウソだとは思えない。
高度成長期を支えた男たちが家事にかまけていられなかったのは事実だろう。今と比べれば不便だらけの時代だったから、ホレたハレただけでコトは進まなかったはずだ。
動機はどうあれ、それが普通だった時代だから、それなりに夫婦で力を合わせて、産めよ増やせよで家族の形が固まり、社会の基本単位である家庭がしっかり機能する結果につながったわけだ。
それが正しい社会の姿だと定義するなら、今のような「個」が尊重される時代はどんな未来につながっていくのだろう。
ちょっと怖い気もする。
身勝手にワガママに、なおかつ快適に暮らしている自分の姿を俯瞰してみると、ついアレコレと考えたくなる。
いや、考えているフリをして四の五のゴタクを並べることで、一応自分が問題意識を持った人間だとアピールしたいだけかもしれない。
なんだか話がウザったい方向にいってしまった。
家政婦さんの話だった。
男の一人暮らしの割には部屋を綺麗にしていたから、今まで何度も「女がいるんでしょう?」とカマをかけられてきた。
そんなことを言われるたびにナゼか焦っていたのだが、これからは「いいえ、家政婦さんのおかげだ」と胸を張って否定できる。
ウッヒッヒである。
2014年11月12日水曜日
1万円のふりかけ
生卵かけご飯が好きな私は、スーパーに行くと6個で500円ぐらいの卵を買う。売れ線は10個で200円ぐらいで売っているから、私の買い方は富豪的?である。
とはいえ、6個で500円といえば、1個80円ちょっとである。缶ジュースすら買えない。「おかず1回分の値段」としてはちっとも高価ではない。
1個20円の卵と比べるから物凄く高価に思えるだけでちっとも富豪的ではない。ある意味、1個20円という売れ線の価格が安すぎるだけだと思う。
結局、値段なんて相対的なものだから神経質になりすぎても仕方がない。
時々、やけっぱちな気分で烏骨鶏の卵というやたらと高価な生卵を購入する。1個で500円である。確かにウマい。
「おかず1回分の値段」としては高価だ。デパ地下で打っている結構マトモな肉料理やそれなりの刺身だって買えるから、高価な一品であることは確かだろう。
それだって、外食に出かけるよりは安い。500円では喫茶店のピラフや松屋の牛丼特盛りも食べられない。
何と比べるかで値段の概念は変わるわけだ。
だからどうしたと言われそうだから本題に入ろう。今までの話は単なる前振りである。
「1万円のふりかけ」を買ってみた。我ながらちょっとマヌケだと思う。多分にこのブログのネタにしようというヘンテコなブロガー魂のせいである。
「ひとくち頬張ると思わず恋してしまうふりかけ」というキャッチフレーズの「口どけ」という商品だ。
画像の小さな缶が二つ入って1万円である。1缶に30グラム、合計60グラムである。さきほど値段なんてモノは相対的だと書いたが、こればっかりは単純明快に高い。逆立ちしたって高い。
「本枯れ節血合抜き」なる鰹節のなかでも1000本に1本の最高級品を使っているらしい。鰹節の知識などまるで無い私にはチンプンカンプンである。
それを繊細な手作業でとろけるような食感になるような薄さに削って秘伝のタレを混ぜ合わせて出来上がるらしい。
仰々しい挨拶状も同封されていた。こうやって付加価値を強力にアピールすることで私のようなアマノジャッキーを引き寄せようという戦略だろう。
この商品、インターネット通販の世界で話題を呼び、注文してもそこそこ待たされるほどの人気なんだとか。
ひねくれ者の私としては、到着まで時間がかかること自体も客の飢餓感をあおる業者側の巧みな販売戦略だと睨んでいるが、それはそれでいいと思う。
まあ、世の中、安さばかりがモテはやされるケッタイな風潮が根付いちゃったから、この手の上等な品が脚光を浴びるのは良いことである。
よくわからないが、高価格の背景に日本の高度な物作りや職人技という伝統が息づいているのなら乱脈大量消費型社会へのアンチテーゼとして必要な存在だろう。
ということで、期待に胸を膨らませて食べてみた。
この時とばかりに、私がもっとも気に入っている一推しのコメ「つや姫」を慎重に炊いて、炊きたてご飯にドサッとふりかけてみた。
感想はただ一言「普通に美味しい」である。飛び上がるほどウマいのかと言われればそんなことはない。極めて普通である。
強いて言えば、この「普通」こそがイマドキの食べ物に欠けている貴重な部分かもしれない。
化学調味料や強い味付けに毒されて不自然な刺激を有り難いと錯覚する現代人の味覚からすると、1万円のふりかけの味は極めておとなしい。
一口食べて目ん玉ひんむくようなファーストアタックはない。でも、優しい風味がジワジワと口の中に拡がっていく。
酸味、辛味、甘味などと並ぶ味覚成分である「旨味」は日本人が発見したそうだが、それを妙に実感する味わいだった。
期待がデカかっただけに、感動するほどではなかったが、正しい味わいという点では素直にうなずけた。
誉めてるんだかけなしてるんだか分からなくなってきたが、そんな感じである。
結論としては「さすがに高い」。私程度の味覚の人間にとっては残念ながらそれが感想だ。
正直言えば、永谷園の「おとなのふりかけ」シリーズの「すき焼き風味」のほうが好みである。私にとって海外旅行の必需品だ。
あの人工的な味付けと口に残ってしまう科学的?な後味についつい引き寄せられてしまう。現代社会でジャンクフードを食べまくってきたツケだ。
ウソっぽい怪しげな味付けにすっかり飼い慣らされてしまった自分の舌がチョッピリ悲しい。
2014年11月10日月曜日
僅差、微差
笑門来福と言うように笑いはとても大切だ。私自身、眠れない夜にはインターネットでアホバカ画像を見たり、トンデモない言い間違いを集めたサイトを覗いてケケケと笑うことを心がける。
「ジギルとハイジ」
「ロミオとハムレット」
イメージしてみると何となく笑える。
ほんのチョットの言葉の間違いも私のツボにはまる。
ケイン・コスギならぬ「コイン・ケスギ」
デビ夫人転じて「デビル夫人」
イベリコ豚を「イベリ子豚」
その手のくだらないネタで笑えるからインターネットさまさまである。安上がりの楽しみ方である。
他にもこんなものに笑ってしまった。
(正)「あそこに立っているのが私のダンナです」
(誤)「あそこが立っているのが私のダンナです」
はたまた、
(正)「どいてよ!」
(誤)「だいてよ!」
些細な違いでここまで意味が変わるものかと妙に感心してしまう。
ついでに私自身の恥ずかしい経験をひとつ紹介する。
巨人の原監督が高校野球で話題になり始めた頃にさかのぼる。まだ小学生だった私は原選手が在籍していた「東海大相模高校」が読めなくて恥ずかしい思いをした。
東海大学の付属校であるという基本認識自体が無かったうえに「サガミ」を「スモウ」と読んでいた。
結果、「とうかい・おおずもう」である。野球なのにナゼ相撲なんだろうと真剣に悩んだ記憶がある。
漢字一文字で大違いである。
娘がまだ小さかった頃、童謡「赤い靴」をウソバージョンで教え込んだ。
「異人さん」に連れて行かれた少女のことを娘はかなり長い間、「ひい爺さんに連れられて~」と歌っていた。
なんだかくだらないことばかり書き殴ってしまったが、今日書きたかったのは「ほんの少しの違い」についての考察だった。
仕事の現場でも「あと少しだったんです」とか「ほとんど出来てます」とか「もうちょっとだけ時間ください」とか、そういう言い回しが乱発される。
これらはすべて言い訳であり、その時点で0点である。それぞれ「ダメでした」、「出来ませんでした」という意味でしかない。
若い人間が平気でこの手の言い訳を連発するのが腹立たしく感じる。
10対9で負けたらタダの負けである。勝ったほうは1勝、負けたほうは0勝。1勝と0勝の差は無限大だ。
1億円の商品で販売競争した場合、勝ったほうには1億円が転がり込む反面、負けたほうは収入ゼロである。
僅差、微差だろうが負けた側、選ばれなかった側はゼロでしかない。大統領選挙が仮に1票差で決まったとしても、負けたほうはタダの人である。
「ほんの少しの違い」。ここを埋められるかどうかで天と地ほどの開きがあることを肝に銘じないと発展や成長など期待できない。
なんだか「コイン・ケスギ」の話とは随分様子が変わってきてしまった・・・。
ここで説教じみたことを書いてもしょうがないか。
ちょっとの違いの大事さは、大げさな次元の話ではなく、身近にいくらでも転がっている。
パスタの茹で時間を1分まちがえただけで食感が変わっちゃうし、風呂の温度がたった2度違うだけでビックリするし、冷えたビールと冷えてないビールの違いだって同じ。
好きな相手とのキスだって、ほんの3センチずれたら鼻の穴である。そんなところに吸い付いたら大事故だ。
ついでにいえば、男が突撃を企む女性の秘所だって、わずか数センチ違えば、まるで別な門にたどりつく。
そう考えると、つくづくほんのチョットの違いを軽んじてはいけないと感じる。
「別な門」もそれなりに・・・などと思ってはいけない。
2014年11月7日金曜日
偶然か必然か
「神はサイコロをふらない」。
アインシュタインの有名な言葉だ。極論すれば、偶然と思えることだってすべては必然であるという意味合いだ。
最近、これを実感する場面が増えてきた。一種の達観に似た境地かもしれない。身の回りに起きることすべてを必然だと考えてしまう。
うまくいったこと、失敗したこと、どちらもそういう結末になる流れだったと感じる。
正確にいえば、そう思って割り切らないとやってられないという刹那的な感覚もある。
この年になると、大げさに騒ぎ立てることは避けたいし、慌てふためくのもイヤだ。心の中でパニックになっても普通の顔で過ごすように努力している。
冷静沈着というほどクールではないが、なるべくそれを目指しているうちに、「すべてが必然だぜ」と自分に言い聞かせているのだろう。
なんだか堅苦しい感じになってしまったが、そんな大層な話ではない。柔らかく例えてみよう。
暇だからという理由だけで好きでもない女性を食事に誘った後で、思い焦がれていた別の女性からデートを申し込まれるような事態だ。
これは偶然ではなく、必然なんだと思う。残念ながら私の宿命は、私の好みに関係なく選ぶべき女性を選別しているのだろう。そう思わないとやってられない。
いい雰囲気になってホテルにシケ込めるはずだったのに、肝心のホテルが満室だったなんて事態も同じだ。
きっと相手の女性とそういう関係になっちゃったら後々大変な目に遭うことを私の宿命?が私に教えているのだろう。
そう思わないとイジイジウジウジしちゃって大変である。
女性をめぐる下ネタみたいな話ばかりで情けない限りだが、これまでその手のシチュエーションで「ゲッ、この期に及んでそうくるか」、「ギョ、今更そんな言い訳するんかい!」みたいな衝撃的な珍事?に何度も遭遇した。
普通なら顔が真っ赤になって血圧が大上昇して、意味不明な叫び声を上げそうな状況である。そんなときは心を静めて必然論者になりきって大災難をやり過ごしてきた。
軟派な話だけでなく、仕事だってしかり。成功、失敗それぞれに理由がある。すべては必然なんだと思う。偶然に成功する話なんて聞いたことがない。
偶然の裏にある日常的な思考や作業の積み重ねが成功を招くわけで、失敗するにしても、どこかに根本的な問題が存在していたのが普通である。
では宝くじとか、ギャンブルとかも必然なのか。こんなものまで必然だなどと言うと神がかり的だが、ひょっとすると、これらだって運命という名の必然のなせるワザかもしれない。
そういう意味で必然論者は運命論者と置き換えることもできる。
最近、死後の世界なるものが存在するという説を著名な科学者や最先端の医療関係者が唱え始めたことが話題になっている。
世界中の数多くの臨死体験者の証言を多角度から分析した結果、そう結論づけるしかないほど共通する証言やデータが得られたからだそうだ。
一言でいうなら、「偶然とはいえない」という客観性がそうした説の元になっている。
「偶然」という言葉は考えてみれば実に便利な表現だ。不思議に思えること、信じられないこと、人知を越えるようなこと、すべてをこの言葉でぶった切ることが可能だ。
偶然という言葉を使うことで一種の思考停止が正当化されてしまうわけで、逃げ口上として悪用されるケースも多い。
消費税の再増税に向けてデリケートになった政府首脳が、景気後退を示す各種データについて「たまたま天候が悪かったから」というアホバカ答弁をしていた。こういうのも「偶然」という概念を悪用した逃げ口上でしかない。
すべてが必然だと考えるほうが無意識のうちに怠惰を戒めるし、向上心を保てる気がする。まあ、その一方で消極的すぎると早々にあきらめてしまう悪循環にもつながる。なかなか難しい。
何だかんだ言って、「必然」を冷静に受け止めればアレコレと手の打ちようがある。「偶然」に逃げれば対策の立てようがない。
フラれるのも必然、うまくコトが進むのも必然、結婚や離婚も必然、馬券が当たるのも必然、太るのも必然、イラついて暴れるのも必然、不整脈になるのも必然、事故に遭うのも必然、街中で突然誰かに再会するのも必然、LINEを乗っ取られるのも必然、体調を崩すのも必然・・・。
すべてを必然だと思い込めば、良い方向、良い結果になるために何をすべきか考えるようになるし、災難を繰り返さないための知恵も出てくる。
どこからどうみても運命を呪いたくなるほど酷い境遇にある人にこんな生半可なことは言えないが、平凡な日常のヨモヤマ事ならば、偶然という言葉に逃げないほうが建設的だと思う。
やたらと力んだ感じで書き進めてきたが、結局、今日は何が書きたかったのか分からなくなってきた。
脳ミソが少し疲れているみたいだ。
2014年11月5日水曜日
ネクタイ問題
長い付き合いの年輩の紳士と久しぶりに会食する機会があった。70代半ばを過ぎても現役でバリバリ仕事をしている。
昔から英國屋で仕立てたスーツを着こなしていた御仁なのだが、この日、私の目にとまったのはその人が履いていた靴だった。
高級革靴ではなく、いわゆるオッサン仕様のウォーキングシューズだった。色こそ黒だが、よく見ればスニーカーのような生地で軽い登山なんかもこなせそうな靴だ。
最近、健康面で色々問題が出てきたそうで、さすがにラクチンな靴を選んだらしい。格好つけるより安全で快適なものを選ぶのは当然だ。でも、彼の昔の姿を思い起こすと何となく寂しい気もする。
私自身、20年以上経った将来、今のようにカッコつけて革靴を選んでいられるかは疑問だ。
きっと、ドテっとした形のやたらと軽いダッサい靴を迷わず選んでいる気がする。
逆に、70代になっても靴へのこだわりを持ち続けられたら凄いことである。靴に限らず、身につけるモノに自分なりの美学を貫いたまま一生を過ごせれば幸せなことだ。
それだけ気力や美意識が衰えていないという意味だから、がんばってオシャレジジイを目指したほうがいいのだろう。
さて、ノーネクタイでいられる季節も過ぎて、そろそろ三つ揃いを着たくなるほどの気候だ。秋の日はつるべ落としである。
ここ数年、三つ揃いのスーツを着ることが増えたが、その理由の一つがネクタイ問題である。
世の中に出回っているネクタイは総じて短いのが私の不満である。全長140㎝代前半ぐらいの長さが主流だ。私の場合、それだと結んだ時に「芋洗坂係長」のようにネクタイが短すぎる事態に陥る。
スリーピースのスーツの場合、ベストのおかげで「芋洗坂係長状態」を世間の目から隠すことができる。これは非常に便利である。だからスリーピースを選ぶ。
時々、いや、ごくまれに女性と二人きりになってベストを脱ぐムフフな機会に恵まれるが、そういう時はベストを脱ぐ前にネクタイを外す。私が芋洗坂係長であることは秘密である。
さてさて、私の場合、身長は高めだが180㎝には少し届かない程度だし、首回りも42~43㎝程度。巨漢というほどではない。
この程度の体型の人間が不自由するわけだから世の中のネクタイ業界には反省していただきたい。
舶来モノ(この表現自体、死語か?)のなかには150㎝程度のネクタイが結構あるから、結局それを購入する。ムダに高いものを買うハメにもなる。
ブルガリやトムフォード、ブリオーニあたりのネクタイはおおむねロング系が多いので、それらが主流になる。
まるで「ブランド大好きオシャレオヤジ」みたいだが、真相は単にネクタイの長さの問題である。芋洗坂係長のせいである。
スーツやシャツをオーダーで仕立ててくれるテーラーさんが、ネクタイもオリジナルで作るらしい。それなりの品質の生地でそれなりに色柄の選択肢があれば、ぜひ作ってみたい。近いうちに頼んでみようと思う。
デパートやお店に出かけてスーツやシャツを選ぶのが億劫なので、季節ごとに訪ねてきてくれるテーラーさんの存在はありがたい。
オリジナルを仕立てるなどというと高価なイメージだが、デフレ社会の恩恵もあってか、デパートの吊しのスーツに比べて少し高いだけである。もちろんブランド品よりも安い。
キッチリ採寸して、こちらの好みも伝えるわけだから、当然、着ていて楽チンである。スーツは大人の男の制服だから快適さは大事だ。
シャツも同じ。西洋社会では下着に該当するのがワイシャツだ。ブカブカだったりツンツルテンではダメである。
ワイシャツも日本のデパートなどの品揃えは不充分だ。9割方の商品が首回り43㎝までしか揃えていない。ダメダメ。
私の首回りは42㎝プラスアルファぐらいなので、43㎝のシャツでピッタリなのだが、クリーニングでほんの少し縮むだけでアウトである。だから43㎝のシャツは怖くて買えない。
JIS規格だか何かで生地の数パーセントの縮みは許されているらしいが、微妙な縮みがすべてを台無しにすることもある。
難しいのは、まったく同じサイズのシャツでも生地の質が異なるだけで、微妙に縮む割合も変わる点だ。
こればかりは、生地をじっくり見たところで分からない。クリーニング屋に二度三度出してみて結果を見極めるしかない。
ちょっとした縫製の加減も影響しているかもしれない。出たとこ勝負みたいな感じである。
結局、オーダーで作るハメになる。少し縮む想定でゆとりを持って作るのだが、ここでも、まったく縮まないシャツがあったり思った以上に縮むやつがあったり、奇々怪々である。
結局、数多く揃えるしかない。シーズン毎に何枚も発注するハメになってムダに出費がかさむ。テーラーさんだけが嬉しいという話である。
オシャレを頑張りすぎると何だかわざとらしいし、かといって、無頓着すぎるとダメな人みたいな印象を与える。
根っからモノグサな私にとっては実にメンドーである。着るものより気を回さないといけないことは山ほどある。許されるなら毎日同じ格好で過ごせたらどんなにラクチンだろう。
ということで、身体に合った無難な色柄のスーツを仕立てて、無地系のシャツを仕立て、ソリッドとかオーソドックスな路線のネクタイを選び、自慢の?靴だけは常に綺麗に磨く。
これで充分だ。ついでにいえば、スーツの胸にポケットチーフを入れておけばバッチグーである。たった一枚のポケットチーフで、一応身だしなみに気を遣っている紳士のふりは完成する。
そんな格好で今日も生きている。
2014年10月31日金曜日
大衆居酒屋の魔力
富豪になりたいと宣言しているものの、ちっとも富豪になれない日々である。アリバイのように銀座で寿司を食っただの高級ホテルのバーで飲んだだのと書いているが、その実態は大衆酒場でゲップを連発しながらクダを巻いている。
ホッピーにモツ焼きみたいなノリの店でホゲホゲ酔っ払っていると何だか身体中のアクが落ちていくような気がする。
大衆居酒屋には、肩の力が自然に抜けていく効能がある。でも、あまり頻繁に通い過ぎると肩の力が抜けすぎてフニャフニャになってしまう感じがする。主戦場にしてはいけないのかもしれない。
シュっとしたダンディー男を目指す私にとっては、まさに両刃の剣?である。
今日は「富豪」とは程遠い大衆居酒屋について考察?してみたい。
ここで言う大衆居酒屋とは、繁華街に数多く展開する小洒落たメニューを揃える居酒屋ではない。個人経営のディープな店である。若い女子のグループが見向きもしないような店だ。吉田類が行くような店のことである。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2014/01/blog-post_24.html
BGMは昭和歌謡。はたまた、まるで無名の歌手が歌うこの先二度と聴く機会がなさそうな演歌である。
酎ハイ系はたいてい濃い目で、3杯も飲めばズドンと酔ってくる。モツ煮がウマいのだが、きっとゴキブリなんかもたまに煮込んじゃってるような雰囲気が漂う。
タタミイワシや変な煮物が代表メニューなのに、やたらとしょっぱい小ぶりなグラタンなんかも作ってくれる。
揚げ物もウマいが、その後に必ず胸焼けするような疲れた油を使っていて、刺身の色は変な色。そんな感じである。
まあ、これはあくまでもイメージである。
実際にはそこそこウマいものを食わす店も多い。ウマいといっても、グルメ本に載るようなものではなく、ネット上で美食家と称する人々が取り上げることもない。
たとえばマカロニサラダである。たかが、とはいえ、されど。である。大衆居酒屋の華といえるのがマカロニサラダやポテサラである。
不思議とディープな居酒屋になればなるほど、マヨネーズ指数が高くなる。マヨ味全開だとウマい。B級グルメならぬC級グルメの雄と呼んでもいい。
高価な純米大吟醸なんかにはちっとも合わない。ホッピーやナンチャラサワーにこそ抜群の相性を見せる。正しきニッポンのオヤジ向けジャンクフードだ。
これは池袋の某店で食べたレバカツである。上品とはいえないメニューだが、オヤジ飲みの現場ではヒーローみたいなものだ。ソースをかけてグワシ!って感じでかじりつく。
高級料理店では揚げ物にソースをべちゃべちゃつけて食べることはない。そのアンチテーゼのような大衆居酒屋ではソースは七味と並ぶ定番調味料である。
アジフライ、イカフライ等々、ソースの出番である。食後のゲップが妙に臭くなるような腐りかけの挽き肉を使ったメンチカツなんかもソースをしっかりまとわせて食べると最高だ。
世の中、やたらと熟成肉が流行しているようだが、大衆居酒屋の肉は大昔から熟成ならぬ腐りかけである。時代を先取っている。
カツ煮である。カツ丼のご飯抜き、すなわち上だけ。これをツマミに飲むのは至福の時間だ。豚肉がハムのように薄いのは御愛敬である。
まあ、ハムカツというシュールなメニューだって大衆居酒屋では珍しくない。あれはあれで不思議な美味しさがある。
カツ煮には充分濃い味がついているのに、ここにチョロっとソースを垂らしちゃうのもオツなものである。考えただけでヨダレが出る。
ソースといえば串揚げである。関西でおなじみのソース二度漬け禁止を謳う気軽な串揚げ屋さんもいつのまにか東京でもポピュラーになってきた。
これまた炭酸系のジャンクアルコールとの相性が抜群である。アブラギッシュオヤジ達の栄養源である。
このところ、胸焼けがおさまっているので、時々、そんな串揚げ屋にも出かける。食べ終わったらすぐに胃薬を飲み、食後3時間は身体を起こしておき、寝る寸前にも胃酸を抑える薬を服用すれば大体問題なしである。
空腹状態で乗り込む串揚げ屋はパラダイスである。次から次に出てくるものすべてが揚げ物である。ワンダフォ~!と叫びたくなる。
肉はもちろん、キスや海老、野菜だったらタマネギの串が最高だ。ふっくらした秋鮭や牡蠣、マイタケなんかもこの季節ならではだ。
先日は紅ショウガの串揚げなる一品を食べて結構感激した。B級、C級(その区分自体よくわからないが・・・)グルメの世界では紅ショウガは花形スターである。
たこ焼き、お好み焼き、屋台の焼きそばなど、紅ショウガが無ければ成り立たない。そんな「紅い色したニクイいやつ」を串揚げにしてソースをびっちゃり。最高だった。
ちなみに、真っ当なお寿司屋さんに行っても前菜用のツナサラダをドカ盛りで軍艦巻きにしてもらう。そんなフシダラな私の行動パターンは大衆居酒屋でジャンクフードを頬張ってグダグダ酔っ払っている副作用だと思う。
こんな話を必死に書いてしまったから、今夜の止まり木も間違いなくシュールな大衆酒場になるはずだ。
2014年10月29日水曜日
寿司飯ラブ
ウマく炊きあがったコメならドンブリで何杯でもかっこみたいぐらいコメが好きである。
この写真の豚丼のようにタレがコメに染みているヤツだったら上の具なんて無くたっていいぐらいだ。
どんぶりもの各種はもちろん、普通の白米、チャーハン、ピラフ、リゾット、パエリア、ドリアみんな大好きである。生卵かけ御飯、いわゆるTKGも大好物である。
暇な週末には寿司飯を自作する。食べ過ぎと分かっていても2合ぐらいペロっと食べてしまう。刺身よりコメを主役にしてガッついてしまう。
自作の寿司飯と言っても市販の寿司酢を合わせるだけだ。お気に入りの寿司酢を自分なりのこだわりの分量で使う。それだけである。
それでも充分ウマい。本マグロの赤身やイクラあたりをお供に寿司飯を頬張りながら録画済みの「太陽にほえろ」を見ているのが幸せな時間である。
今の時代、たいていの寿司屋では昔より寿司飯の味がマイルドになったように思う。昔はもっと酢が強いというか、味わいにメリハリがあった。
自作する場合、強めの味にするから白身魚などとは相性が合わないこともある。でも主役はあくまで寿司飯だ。好みの硬さに炊いたコメの食感と相まって、醬油すら無くてもペロペロ食べてしまう。
寿司飯が大好きなくせに街でお寿司屋さんに行くと、酒のツマミばかり食べて、握りは2~3貫ぐらいしか食べないことが多い。
もっと食べたい時もあるのだが、太っちゃうから我慢する。そんな欲求不満が週末の寿司飯ドカ食いの理由かもしれない。
寿司飯と一口に言っても、結構アレンジは可能だ。この画像は寿司飯で焼おにぎりを作ってもらった時のもの。
酢の風味のおかげで独特のウマさがある。スダチをチョロっとだけ垂らして食べても美味しい。
魚を乗っけて食べるだけではもったいない。温めてダシをかけてもウマいし、関西の冬は蒸し寿司もポピュラーである。
蒸し寿司は東京では滅多に見かけない。私自身、初体験は30歳過ぎの頃だった。京都のお寿司屋さんで食べて感動した。
一般的なのは蒸籠に詰めた寿司飯の上にアレヤコレヤと具材が乗っかりキンシタマゴで彩られて出てくる。
酸味のある寿司飯が蒸されてホカホカしている感じが東京人にとっては凄く新鮮だ。
ちょこちょこ訪ねる銀座の寿司「さ久ら」では、たいてい蒸し寿司を注文する。この店の場合、1貫分の握り寿司をそのまま蒸して、アンをかけて食べるスタイル。
甘鯛とかその手の魚がある時なら尚更食べたくなる。アンの味、すなわちダシの味と酢飯の酸味が調和してホッコリする。
うどん、おでんの例で分かるように今や「関西風」が絶対権力者のように日本的な食べ物の世界を席巻している。
東京人として悲しい思いもあるが、ウマいなら仕方がない。蒸し寿司もいろんなアレンジとともに東京でポピュラーになっていいと思う。
蒸し寿司と違って完全なる邪道ではあるが、コメ好きにとって堪らないのが、寿司飯の洋風アレンジである。
この画像は、ホッキやホタテをバター炒めにしてもらった残り汁、いや残ったソース?で寿司飯を炒めてもらった時のものだ。
酢飯の酸味がアクセントになって、斬新な複雑味が楽しめる。これを食べたいから貝類のバター炒めを注文してしまう。
こちらも寿司飯をちょこっとだけリゾット風に仕上げてもらった一品である。考えてみれば、ちゃんとした美味しい寿司を食べずにこういう注文ばかりしているのはタチが悪い。
分かっているならヤメればいいのに、酔っ払い始めるとすぐに調子に乗ってしまう。寅さん流に言えば「思い起こせば、恥ずかしきことの数々・・・」である。
痩せようと思ってはいるのだが、自分の食のパターンを思えば痩せるはずはない。それでも「彦摩呂」や「石ちゃん」よりはスリムだから良しとしよう。