2020年11月30日月曜日

ピラフ病

2週間ほど前に私のソウルフードであるホテルグランドパレスのピラフの話を熱く語ったのだが、あれをきっかけに「ピラフ病」にかかってしまった。

 

私にとって持病みたいなものだ。要するに「やたらとピラフを食べたくなる症状」が続くことを言う。

 

某日、銀座・煉瓦亭に行って「エビライス」を食べた。チキンライスやハムライスではなく何となくエビライスにしてみた。

 



 

とても美味しかったのだが、食べている最中に「エビはやっぱりピラフだろ?」という謎のささやきが頭の中をかけめぐった。

 

別に炒めたメシでもチャーハンだろうと構わないのに、ピラフ病にかかってしまうと突如として根拠もなくそんな思考に陥る。

 

で、翌日さっそく向かったのが皇居横にあるパレスホテルだ。グランドパレスの親分?である。ここのカフェレストランには「伝統の」という言葉をメニューに冠したシーフードピラフがある。

 

もちろん、パレス系列はシャトーソース付きのピラフだ。これをビチャビチャかけて食べてこそ至福の時間になる。

 




 

素の状態とソースをかけた状態の画像である。こちらのピラフはムール貝などの貝類もバランス良く投入されている。

 

もはやエビの存在や貝などもどうでも良くなっている私はシャトーソースとピラフ米が混ざり合う官能的な味に酔いしれた。

 

つくづくニッポンの洋食というジャンルにおけるピラフの地位の低さが不思議である。

 

西洋料理とコメとの融合が洋食というジャンルを生み出した原点である。

 

だとすればピラフは洋食界の王様みたいに威張っていてもいいはずだが、洋食の世界における米モノといえばオムライスやハヤシライスがエース級のポジションにある。

 

ピラフといえば冷凍食品の定番みたいな位置付けで、オシャレな語感が漂うドリアにすら負けているのが現実だろう。


だいたい「わざわざピラフを食べに出かける」という行為が世の中に定着していない。わざわざ感が無いのがピラフの現実である。

 

可哀想なピラフ。。実に気の毒である。ピラフの地位向上を各方面に働きかけたいぐらいだ。その意味でもちゃんとした店のちゃんとしたピラフが別格であることを声を大にして言いたい。

 

パレスホテルでピラフを食べた翌日、夕方またピラフが食べたくなって、丸の内の東京會舘に向かう。こういう“連チャン状態”になるのがピラフ病の症状である。

 




 

ここもシーフードピラフが名物である。こちらはアメリケーヌソースをベチャッとかけるとウマさが爆発する。

 

舌平目だったと思うが、白身魚の細切りフライがトッピングされているのが特徴的だ。地味な見た目をカバーしている。

 

シャトーソースだ、アメリケーヌソースだと言われても詳細はよく分からないが、ピラフ用の「別添えソース」が用意されているパターンなら間違いなく美味しい。

 

「別添えソース=ピラフへの本気度」という公式である。ソースがちょっと足りないぐらいだと、ソースそのものへの有難みも強まる。

 

さて、ピラフ病が重篤だったこの日、東京會舘をあとにした私が向かったのは帝国ホテルである。バカみたいだが、目的はまたもやピラフである。

 

東京會舘で満腹にならなかったので、デザート代わりにピラフを食べようと場所を移したわけである。はしごピラフである。

 




 

1階のカフェレストラン「パークサイドダイナー」でシーフードピラフを注文した。以前は確かチキンピラフもあったと記憶しているが、いまメニューにあるのは「シーフードピラフ・パプリカ風味」である。

 

パプリカである。ちょっと問題だ。私はパプリカが苦手である。個人的な好みをさておいても「ピラフとパプリカ」の相性には疑問が残る。

 

100人にアンケートを採ったらピラフへのパプリカ投入を反対する人のほうが多いような気がする。

 

こちらもアメリケーヌソースがついてくる“本気ピラフ”である。そこはさすがに帝国ホテルだ。実際にピラフもソースも非常に美味しい。

 

でも、パプリカである。不幸中の幸いだが、細かくなったパプリカはまとめてピラフ上部に乗っかっていた。仕方ないから一気にパプリカだけ平らげて、パプリカ抜き状態にして食べた。

 

というわけで、ピラフのハシゴというピラフ病患者にとっての適切な治療を施したのだが、シメがパプリカだったことで、私の発作は完全に収まることはなかった。

 

10年ほど前、帝国ホテルでルームサービスのピラフを食べるという怪しい?時間を過ごしたことがある。

 

あの時のピラフのウマさには悶絶した。ソース付きの本気ピラフだった。同行者に随分と食べられちゃったから欲求不満が残ってしまい、あのピラフの記憶はどんどん美化が進んでいる。いまや私にとっての幻の一品になっている。


その後に調べたのだが、あの一品はルームサービス専用の厨房が作っていたらしく、ふらっとカフェやレストランに出かけても食べられるわけではないことが判明した。

 

私の中で「帝国ホテルのピラフ」といえばその幻の一品のことを意味する。パプリカピラフが代表みたいな顔をしているのはちょっと気に入らない。

 

まあ、あれこれ書いたが、本気ピラフを追い求める私の病はまだまだ治りそうにない。



2020年11月27日金曜日

心の健康を守るために


 

先日、思い立って伊香保温泉に行ってきた。1泊の一人旅だ。今年は海外に行けなかった分、ちょろちょろ国内には出かけている。気付けば泊まりがけで出かけるのは10回目だ。

 

一人でドライブを楽しみ温泉宿でも個室で食事をしているようなパターンだから、感染対策上は問題なし。都会でワイワイ飲み歩くよりもよっぽど安心だと思う。

 

GoToトラベルの影響で、気分がアガる高級旅館はどこも満杯だった。まあ、急きょ決めた一人気ままなドライブ旅行だから宿にこだわる必要もない。

 

伊香保名物のにごり湯の源泉をひいている宿に絞って手配できる宿を探す。見つかったのが「古久家」という老舗旅館だ。

 



 

小ぶりながら源泉をひいた露天風呂もあったし、喫煙可能な客室を予約したので、タバコも吸い放題である。昭和を感じさせる旅館灰皿が妙に嬉しい。

 

いまどきは全国どこでもちょっと高級路線の宿になると客室は完全禁煙が当然で、全館禁煙という私にとっては罰ゲームみたいなところばかりである。

 

今回の宿は中級旅館だから、キチンと喫煙可能な部屋があったのが嬉しい。連れもいないから気兼ねなく好き放題に過ごせた。

 

部屋ごとに個室状態になった食事処での夕飯も思った以上に良かった。栗の釜飯などは季節感もあってホッコリした。

 




 

運良く私が大浴場に行く時に限って他のお客さんとあまり会わなかったから、ややぬるめの源泉に長々と浸かっていられた。やはり薄ら寒くなった季節の温泉は快適だ。

 

夕方に長風呂、寝る前に長風呂、朝に長風呂としっかり暖まって宿を後にする。あてもないドライブついでに伊香保そばの水沢観音などを散策。

 

紅葉の季節はのどかな景色の中をぶらぶら歩きたくなる。今回もちょくちょくクルマを駐めて、ススキを愛でたり、色づいた木々に見とれたり、気ままな時間が過ごせた。

 





 

時には一人で普段とは違う場所に身を置くことは大事だと思う。自律神経が整うというか、日々雑多なことでグニャグニャしている頭の中がいったんスッキリするような気がする。

 

まあ、そんなもっともことを言ってはみたが、私は単純に旅が好きなんだろう。一人暮らしだから家に帰れば常に自分の時間を自由に使えるのに、わざわざ慣れない場所で寝るわけだから物好きではある。

 

目的地も決めずに放浪するほどワイルドではないが、どこに行こうか、どんな宿に泊まろうか、近辺ではどんな景色が見られるか等々、ちょこちょこ調べているだけで愉快な気分になる。

 

今年は得体の知れないウィルスのせいで無意識のうちにも誰もがストレスを貯めまくった年だった。

 

感染状況を見るとこの先もまた窮屈な世の中になることは確実だ。生きている上で非常に大事な「気分」という点ではマイナス材料しかない。これは大きな問題だ。

 

ドンヨリしちゃうと心も不健康になっていく。ちょっとした空き時間に思い立って小旅行でもするのは心を健康に保つためにとても効果があると思う。

 

菅さんや小池さんや尾身さんがいろいろ言っているが、それはそれで自分なりに吟味して、正しく気をつけながらそんな時間を積極的に作ってみたいと思う。

 

 

2020年11月25日水曜日

デブとモンブラン



 

この秋は衣替えに合わせてワイシャツを78枚オーダーした。身だしなみに意識を向けていないと劣化が進みそうなのでこの点は手を抜けない。

 

そうは言いながら、暴飲暴食はやめないのだからアクセルとブレーキを同時に踏むような日々である。

 

だからこんなものまで買ってしまう。ズボンを直すより簡単である。ほんの少しキツいぐらいならこれでバッチリである。

 



 

もちろん、こんな便利グッズに頼るのは一時的である。これを使い出すとさすがの私も夜中のカップ麺といったダメダメ行動に歯止めがかかる。

 

それにしても中年になると何でまああんなに簡単に太るのだろう。基礎代謝がまるで無いのではと思いたくなる。空気を吸うだけで太るような気がする。

 

節制の大事さは分かっているのだが、最近は何かとストレスもあって甘いモノに手が出る。口の中に甘みが広がる一瞬の幸福感を求めてしまう。

 



 

これは銀座の「ピエールマルコリーニ」で食べたモンブランパフェ1650円(税込)である。

 

有名なチョコ屋でもしっかりモンブランを推しているように今の季節はモンブランである。

 

千疋屋カフェのフルーツ系のパフェが2~3千円もすることを思えば仰天しない価格だし、ラム酒の香りも大人向けで良かった。

 

なんとなく最近はモンブランの話題を聞くことが増えた気がする。季節ばかりが理由ではないようだ。一種のブームなんだろう。

 

ホテルニューオータニが出している「スーパーモンブラン」とやらが話題になっている。3千円ぐらいするらしい。近いうちに攻めてみようと思う。

 




 

こちらは先日京都で食べたイマドキっぽいモンブランだ。「栗座」という出来たばかりの店で食べてみた。

 

ジャマイカ人の髪型みたいなこういうモンブランが今はハヤっているみたいだ。ところてんを押し出すように栗クリームをムニューっと押し出す作業を客に見せることで人気になっている。

 



 

肝心の味のほうだが、こちらは純粋な和菓子みたいで個人的にはモンブラン感?が足りなかった。色が濃いほうはほうじ茶モンブラン。

 

古い人間にとってモンブランはクリーミーな点が魅力だ。和栗モンブランというこの店では漉した栗を贅沢に使っているのが素晴らしいが、生クリーム的な甘みとは違う。栗の和菓子そのものだった。

 

モンブラン気分バリバリで食べ始めると、違うものを味わっているようで少しビックリする。お値段も2千円ぐらい。なかなかだ。

 

前にもこのブログで力説したが、モンブランには独特の高揚感がある。生クリームがウリのショートケーキが御馳走だった頃に「生クリーム+栗クリーム」という二輪車攻撃である。悶絶した。

 

そんな時代を引きずる私にはやはりイマドキ系よりもオーソドックスなモンブランが魅力的だ。

 



 

先日もウーバーイーツで成城石井の総菜などを取り寄せたのだが、モンブランを見つけてついつい2つも買ってしまった。

 

夜に食べて朝にも食べた。糖尿の気配がまったく無いから余裕で食べたのだが、それ以前に肥満という天敵が待ち構えていることは見て見ぬふりをしている。

 

意思の弱さばかりが年々鍛え上げられている。困ったものだ。

2020年11月20日金曜日

変なヤツ

 


街がキラキラし始めると今年も後半戦突入を実感する。誰にとっても何だか厄介でヘンテコな1年だったはずだ。

 

ヘンテコといえば、私の日常もヘンテコである。ヘンテコというかポンコツと表現したほうが正しそうだ。

 

先日、またもやコインパーキングに車を駐めていたこと忘れるという失態を犯した。またもやというのは、昨年暮れにも同じミスをしているからだ。

 

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2019/12/4.html

 

1年も経っていないのにヒドい話である。大真面目に脳の検査を受けたほうがいいかもしれない。

 

今回は日曜の夜にコインパーキングに駐めて、気づいたのが火曜の午前中だった。損害は昨年ほどではなかったが、問題なのはクルマを出し忘れている渦中の月曜の行動である。

 

月曜の夕方に会った人といろんなバカ話をしたのだが、中でも熱く語っていたのが、昨年の「クルマ忘れちゃった事件」の話である。

 

得意になって我がバカ話を面白おかしく語っていたまさにその瞬間も私は再度「クルマ忘れちゃった事件」を繰り返していたわけだ。

 



 

火曜に気付いた時の私の超絶的自己嫌悪感は半世紀以上の人生の中でもトップクラスだった。

 

さすがにボケちゃう年齢ではないので、やはり日々の暮らしに緊張感が欠如しているのだろう。1年ぐらい経ったら反省したことも忘れて3度目の失態を繰り返しそうで心配だ。

 

話は変わる。わがヘンテコな日常の中でいま私をもっとも悩ましているのが「柔軟剤問題」である

 

レノアの最高傑作といわれる「オードリュクス・イノセント」を愛用していたのだが、いつの頃からかネットで買う際の値段が高騰していた。

 

バカみたいな値段になってもバカみたいな私は平気で買っていたのだが、さすがにバカである。

 



 

どうやらモデルチェンジ?して後継商品に変わったら香りが変わってしまい、以前のバージョンの在庫品が高値で取引されるようになったらしい。

 

多少の値上がりなら富豪を目指す身としては気にならないが、さすがに通常の5倍、10倍ぐらいの商品を買わされると、さすがに負けた気がする。

 

で、好みの柔軟剤を探してジプシー状態になりつつある。柔軟剤を気にする中年男なんて何となくブキミだが、日々、タオルや肌着からほんのり香るわけだから案外大事である。

 

嫌いな香りだと結構ストレスを感じる。レノアの後継商品を試したのだが、凄く気に入らなかったのですぐに捨てたほどだ。

 



 

というわけで、ネットのクチコミなどを大真面目に調査してバニラ、ココナッツ系の香りがしそうな柔軟剤をいくつか試している。まだお気に入りは見つからない。

 

また話は変わる。

 

最近、息子がわが家に遊びに来ると、色が変わる照明をやたらと面白がって操作している。ダウン症の息子は気に入ったことはやたらと集中して延々と楽しむ傾向がある。

 

寝室を真っ暗にして青、赤、緑などライトの色を切り替えながら楽しそうに歌っている時間が多い。私も付き合って色遊びを楽しむのだが、そのせいか、ヘンテコなオモチャみたいな照明器具をいくつも買ってしまった。

 



 

最初は息子が自分の家の寝室でも楽しめるように子供だましみたいなイルミネーション装置を買ったのがきっかけだ。

 

アレコレといろんな商品を見ていたら、何だか私も欲しくなってしまい、ついつい自分用にも買ってしまった。駐車場代の損害を思えば無駄遣いは禁物なのにバカみたいである。

 




 

風呂に浮かべてイルミネーションの変化を楽しむヤツと、もう一つは海の中にいるような幻想的な光のグラデーションを楽しむヤツである。

 

どちらも使い始めた瞬間はちょっぴり気分がアガったが、慣れてしまうとちっとも面白くない。まもなく物置に仕舞い込んでしまいそうだ。

 

断捨離を進めたいと思っているのに、ヘンテコな物をすぐに買ってしまうから問題である。

 

乗っかるだけで身体をブルブル振るわせる健康器具や、立った状態で足を左右にぱかぱか開いたり閉じたりする健康器具ももう1年近く触っていない。

 



 

だいたい、健康でいようと思っている割には平気で「ハムカツ焼きそばサンド」なる怪しい食べ物を喜色満面で食べてしまうわけだから単なる変なヤツなんだろう。

 

残念である。

 

2020年11月18日水曜日

オールディーズ

今日の話は歌の話ばかりなので、音を出せる環境で読んでいただくことをオススメします。

 

 3040年前、多感期だった若い頃はいろんな音楽を聴いた。洋楽を聴くことがオシャレという風潮があったせいで、AOR系を好んで聞いていた。

 

とはいえ、アマノジャク気質もあったせいで「オールディーズ」ばかり聴いていた時期もある。「ダイアナ」に代表されるような50年代、60年代のアメリカの陽気な音楽だ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=Bh0doCIySw4&list=PLjzUmbjBgQGgMDleSUvHNgf2OvxIapWVg&index=1

 

当時、既にオールディーズというカテゴリーだったわけだから、あれからウン十年も経った今では化石音楽とでも呼ばれちゃいそうである。

 

脳天気というか、底抜けに明るいポップミュージックの元祖みたいなノリが好きだった。

 

Little Darlin' The Diamonds

https://www.youtube.com/watch?v=5SaHPgTdF1g&list=PLr9ulHjeIlXxv2aXABYmHVCn08swzTBSr&index=1

 

ポールアンカと並ぶ大御所?ニールセダカのベスト盤カセットテープなんかも持っていた。

 

Oh! Carol

https://www.youtube.com/watch?v=v1Yrdaduqao

 

越路吹雪のオリジナルかと思っていた「ラストダンスは私に」が軽快なポップナンバーだったことを知り、昭和40年代の日本人歌手のヒット曲の多くがオールディーズのカバー曲だったことを知るのも楽しかった。

 

ラストダンスは私に ドリフターズ

https://www.youtube.com/watch?v=n-XQ26KePUQ&list=PLjzUmbjBgQGgMDleSUvHNgf2OvxIapWVg&index=29

 

モータウン系の女性グループにもハマった。クリスタルズが「ドゥーランラン!」と楽しそうに歌う曲などは今もしょっちゅう聴いている。

 

https://www.youtube.com/watch?v=v-qqi7-Q19k

 

これ以外にもその後、ビーチボーイズもカバーした「Then he kissed me」も名曲だと思う。私も素人バンド活動に励んでいる以上、いつかはカッチョ良くアレンジしてカバーしてみたいと思う。

 

https://www.youtube.com/watch?v=Cjx0srWaU_w

 

これらにも増してこの当時の女性グループ曲のうち、私が一番好きなのがロネッツのBe My Babyだ。我が素人バンドでもカバーしたことがある。

 

https://www.youtube.com/watch?v=6V3FZHVpvtc

 

高校生の頃からこの曲が大好きだった私が狂喜乱舞したのが、この曲をハマショー師匠がカバーしたことである。

 

もう20年以上前になるが、ハマショー師匠のニューアルバムが出たので何となく聞き始めたら一曲目が「Be My Baby」だった。イントロの段階で感動して卒倒しそうになった記憶がある。

 

大学生の頃、世の中はディスコ大全盛時代だった。中学3年の時にディスコデビュー?を済ませたマセガキの私は、ディスコに背を向け相変わらずアマノジャク精神を発揮してオールディーズのライブハウスに入り浸るようになった。

 

そんな場所の出入りしていたのは、その当時のオッサンオバサン連合が中心で、若者はポマードリーゼント系ばかり。

 

私はそのどちらにも属していない普通の若造だったのだが、新宿の某店ではほぼ毎回フルーツ盛り合わせがサービスで出てくるほど通った。

 

酔っ払ってノリノリで踊ったりもした。恥ずかしい思い出である。チークタイム的な曲が続く時は、しっかり女の子と密着して下半身の異変にあせりながらゆらゆらと踊った。

 

プラターズを聴くと今もそんな青春時代を思い出す。

 

煙が目に染みる

https://www.youtube.com/watch?v=f3qGCqLXP9I&list=PL3VBf4897D2KT5wSOXybYGqB1K5sa55D7&index=9

 

オンリーユー

https://www.youtube.com/watch?v=3FygIKsnkCw

 

オールディーズを好んで聴き始めたのは高校生の頃だ。その後の音楽の趣味にも大きく影響している。

 

ハモりやコーラスの綺麗なホッコリする曲に惹かれたり、追っかけボーカルみたいな曲がとても心地よかったりするのも次に挙げるような曲を聴いていたのが原点だと思う。

 

悲しき雨音/カスケーズ

https://www.youtube.com/watch?v=VtjgD9QaFJc&list=PLQlP3qJXg1laqacJiAHRz7mhgvOqpzSpx&index=3

 

 

BREAKING UP IS HARD TO DO  ニールセダカ

https://www.youtube.com/watch?v=XQD3At3E7TA&list=PLHVH34xayoBN_wH05dvKAc8v5heVWssAg&index=31

 

カリフォルニアドリーミング  ママス&パパス

https://www.youtube.com/watch?v=dN3GbF9Bx6E

 

 

なんだかキリがない話になってしまった。

 

オールディーズの中には数え切れないほど好きな曲があるが、最近寝る前に良く流している曲を紹介して終わりにしよう。

 

「明日も好きでいてくれる?」。そんな可愛い恋心を歌っている。ほのぼのした気分になるからオススメです。

  

Will You Still Love Me Tomorrow

 https://www.youtube.com/watch?v=ztaYUXZTgmQ





2020年11月16日月曜日

伝統という調味料

 かなり久しぶりに我がソウルフードである「グラパレのピラフ」を食べた。九段下にあるホテルグランドパレス伝統のシャトーソース付きのピラフである。

 



 

グランドパレスのピラフについてはこのブログでも幾度となく熱く語ってきた。幼稚園から高校まで通った学校の近くだから、子供の頃から食べている“ふるさとの味”である。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2015/07/blog-post_24.html

  

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/04/blog-post_10.html

 

初めて食べたのが78才ぐらいの頃だから半世紀近くの付き合いである。オッタマゲである。

 

グランドパレスは若き日の金大中が拉致されたり、江川騒動や桑田・清原をめぐるドラマを生んだドラフト会議も行われていた場所だ。

 

そんな昭和のドラマが繰り広げられた当日も粛々とこのピラフは作り続けられていたわけだ。

 

今やホタテ貝柱のピラフのみがメニューに残っているが、かつてはチキンピラフや海老ピラフもあった。

 

この日は余計なリクエストをせずに素直にホタテ貝柱ピラフを注文した。中毒の禁断症状のような気分だったので、一品料理には目もくれずピラフだけを大盛りで注文した。

 

「これだよ、これ!!」と心の中で絶叫しながらシャトーソースをビチャビチャかけて味わう。魂が震えるほど美味しく感じた。こんな気分になること自体が幸せなことだ。

 



 

ハヤリものより伝統に惹かれる私は「昔ながらのウマいもの」という言葉だけでそそられる。「変わっていない」という一点のみで無条件に信用する。

 

話は変わる。近年めざましく進化を遂げているスイーツの世界だが、先日食べた「マロンシャンテリー」も私が大好きな伝統の逸品だ。

 

店によってはマロンシャンティーと表記することもあるが、ここではマロンシャンテリーに統一する。

 

ニッポン洋菓子界の黎明期に生まれたこの逸品は、東京會舘とパレスホテルが元祖を競い合うというか、2大巨頭として君臨している。

 

某日、我が娘から「秋だからマロンシャンテリーを食べに連れて行くべし」という指令が飛んできた。

 



 

そんな機会でも無いとなかなか味わえないので、さっさと合流して東京會舘に向かう。しかし、GoToのせいか満席で2時間待ちだとか。

 

親子揃って並ぶことが出来ない性分なので、悩まずパレスホテルに向かって歩き出す。途中、電話で混雑状況を尋ねたら1時間は待つという残念な状況だった。

 

親子揃って呆然。父は娘に「どっかでモンブランでも食えばいいじゃないか」と安易な妥協を提案したが、娘は断固マロンシャンテリーを食べると主張する。

 

で、ネットを検索して他に名店が無いか調べてみたら日本橋高島屋の特別食堂で東京會舘のマロンシャンテリーが提供されているという情報を入手。さっそく予約して向かう。

 

平たく言えば、ペースト状の栗を生クリームでデコレートしたスイーツである。そう書くと単純極まりないが、これが何とも絶妙な味わいで“昭和の御馳走”そのものである。

 

この日は通常のマロンシャンテリーの他に期間限定のナンチャラ栗を使ったバージョンもあったので、当然ながら両方注文する。

 



 

期間限定モノは標準の2倍以上の値段だった。とはいえ、面白いもので親子ともども標準のマロンシャンテリーのほうがウマいと感じた、

 

やはり古いモノはヘタにアレンジするより「昔ながら」にこだわったほうが間違いがないのだろう。

 

味覚と気持ちは密接に連動している。「昔から変わらないもの」という事実はレッキとした調味料だ。一朝一夕では作れない調味料だからことさら美味しく感じる。

 

書いているうちにピラフもマロンシャンテリーもまた食べたくなってきた。中毒性もあるみたいだ。

2020年11月13日金曜日

紅葉見学 旅は節税!?



 

紅葉を我が身に置き換えながら見るようになったのはいつ頃からだろう。ここ数年のことだ。

 

人生を季節に例えるなら私は秋まっ盛りにいる。冬が来る前にあたふたしている日々だ。

 

散っていく前にグワーっと自らの存在をアピールする紅葉の姿は何とも切ない。哀愁たっぷりだ。

 

私が哀愁を漂わせているかはともかく、この歳になると紅葉を見るたび感慨深い。

 

京都には何度も出かけているが、紅葉を見に行ったことは初めてだ。例年、異常に混雑するから敬遠していたが、今年は外国人がいない珍しい状態だから、ちょっと早めの紅葉散策を企んだ。

 

今の時代、紅葉の進み具合はネットで調べればリアルタイムに調べられる。11月初旬だからどこも見頃ではなかったが、そこそこ見栄えのする場所を調べてみた。

 




 

まずは永観堂。見返り阿弥陀で知られる寺だ。仏像好きでもある私としては真っ先に向かった。

 

人出も多くなく、のんびり仏像見学をしながら敷地内をウロウロする。池のある庭の周辺がほどほどに色づいていたので紅葉気分は満たされた。

 



 

阿弥陀様にもあれこれと願い事を託して、ぶらぶらと次の目的に向かう。向かったのはすぐ近くにある南禅寺。

 

ここの塔頭である天授庵の庭が人気らしい。例年、早くから紅葉が見られるスポットだとか。

 

枯山水の庭と紅葉のコントラストは京都ならではの眺めだ。東京人である私はこういうシチュエーションにすぐ感動してしまう。

 




 

今回はあくまで“部分的な紅葉”を愛でただけだから、一面が紅葉状態の頃に来たら相当感動するはずだ。

 

マイルが貯まりまくって使い切れないので、今回は飛行機で伊丹まで向かい、空港から直通バスで京都入りした。実にラクチンだったから今月中に再度行ってしまいそうだ。

 

観光シーズンだけあって、いくつもの寺で夜のライトアップも行われている。高台寺に行ってみたが、やはり紅葉にはちょっと早過ぎた。竹林の怪しさのほうが見応えがあった。

 




 

泊まったのは祇園の八坂通りにある「セレスティン京都祇園」。まだ新しいからピカピカだった。

 

歩いてすぐの距離に建仁寺や六波羅蜜寺、六道珍皇寺などがある。祇園の花見小路あたりも徒歩圏内だ。

 




 

六波羅蜜寺は、教科書にも載っている有名な空也上人立像のほか見応えある仏像が安置されていた。疫病退散に御利益があるお寺らしいのでしっかりお守りも買った。

 



 

ちなみに今回の宿もGoToトラベルのおかげでかなり安く泊まれた。地域共通クーポンもしっかり使い切ったしGoToの恩恵はしっかり享受した。

 

思えばこの10年ぐらいで中堅・高所得層はずいぶんと増税ターゲットにされてきた。社会保障も含めれば負担はかなり増加している。

 

GoToの恩典は税金から拠出されている。その恩恵を受けることで一種の意趣返しが出来ているような気分にもなる。

 

GoTo事業があってもなくても旅行に行く私にとっては、宿代の割引やクーポンを使えることは節税と同じ意味でもある。今後もフルに活用しようと思う。

 



 

この画像は先斗町「いろは」のすき焼き。ザラメをぶりぶり投入しながら仲居さんが作ってくる。肉質もとても良く美味しかった。

 

この店の味付けは私が実家で食べていたすき焼きと似ていた。いま思えばウチの実家ではやたらと砂糖を入れていた覚えがある。

 

今では既製品の割下で簡単に仕上げてしまうが、あの頃の手作り感というか、アナログ?な感じを思い出して妙に感慨深かった。

 

話がそれた。

 

GoToトラベルに関しては、一部地域の制限などの可能性はあるものの来年1月末までの期限が延長になる公算が強い。

 

観光事業の支援に直結しているわけだし、感染には気をつけながら、ドシドシ利用することをオススメする。

 

楽しみながら節税気分を味わうのも悪くない。

 

2020年11月11日水曜日

京都 美食の館

今日は久しぶりに富豪?っぽい話だ。ひょんなことから“美食の館”を訪ねた話である。

 

先週末、京都に2泊で出かけた。初日の夜に訪ねた店が凄かった。「凄かった」という語彙力のカケラもないような表現をあえて使いたくなる。そう表現するのがピッタリだった。

 

一昨年、銀座の寿司屋を閉めて京都に進出した昔なじみの大将が開いた店である。ジャンルは寿司屋だが、ただの寿司屋とは呼べないユニークな美食空間だった。

 

大将とは10年来の付き合いだ。二人だけで明け方までカラオケを熱唱したこともある。我がオジサマバンドのライブにも何度も足を運んでもらっている。

 

銀座で10年、しっかり繁盛していた店を閉め、東京人であるにも拘わらず京都に新天地を決めた決断には驚いた。

 

40代も後半に近づき、人生の舵を大きくきりたくなるタイミングだったのだろう。ちょっと分かる気がする。

 

見知らぬ土地に来て、店の立地選びに苦戦し、ようやく新店オープンに至った途端にコロナ禍である。

 

夜逃げでもしちゃったんじゃないかと心配していた私の予想に反して?何とも画期的かつ素晴らしい店をスタートさせていた。

 

ネットに情報がまったく無い。大将自身、SNSも使っているくせに新店の宣伝をいっさいしていない。今時、まっとうな店でそんな“隠密”路線をとっている店は珍しい。

 

事前にメールで予約はしたものの、場所の詳細も店の雰囲気も何も分からないまま、指示されたとおりにタクシーで向かう。

 

八坂神社の横をのぼっていく。タクシー料金は初乗りに毛が生えた程度で着く距離なのだが、円山公園の外れのまさに“山の中”である。

 



 

車がようやくつけられる行き止まりのような奥地にポツンと一軒家があった。周囲はうっそうとした森だ。

 

店名表記も無い。着いたのは夜の6時頃。半信半疑で店の様子を外からうかがう。森の中では夜行性の動物がガサゴソ動き回る音しかしない。

 

宮沢賢治の「注文の多い料理店」みたいな雰囲気である。もしくは宮崎駿作品に出てくる神秘の世界のような風情だ。

 




 

古めかしい外観とは違い、中はピカピカで上質な和モダンの世界が広がっていた。美しい檜のカウンターは斜めに設置され、ライトアップされた窓からの眺めがどこからでも楽しめる造り。

 

この段階で「やられた!」って感じである。大将もそれが狙いらしい。サプライズ効果というか、高揚感はいやでも上がりっぱなしになる。

 

飲食店によく使われる「隠れ家」という言葉をここまで完璧に体現している店はそうそう無いだろう。おまけに客は一組限定で貸し切りだという。

 

「一軒家レストランで貸し切り営業」と聞かされていたら恐らく訪ねなかったと思う。私はそういう大袈裟な感じが苦手だ。でも、ここなら話は別である。

 



 

氷室を備えた和風冷蔵庫に準備されていた数々のネタをすべて説明してくれる。魚に限らず上質な牛肉や鴨まである。それぞれの食べ方を客の好みに応じて相談しながら決めていくスタイルだ。

 

何とも贅沢な時間を過ごした。食事時間も自ずと長くなる。この日はダラダラ過ごしていたらアッという間に3時間半が過ぎていた。45時間過ごす客も珍しくないらしい。

 



 

数え切れないほどのウマいものを食べた。珍味好きの私用に用意してくれたちょっと変わった塩辛みたいなツマミも含めれば20種類以上は食べたかもしれない。

 

すべて美味しかったが、トリュフを細かくおろしてシャリ自体にまぶしたうえで握ってもらったトロが印象的だった。

 




 

あえて醤油は使わず、赤酢を使った味の濃いめのシャリと合わせることで独特の風味を楽しめた。トロが好きではない私も満足。

 

醤油無しでマグロをウマいと感じることなどあり得ないと思っていたが、まさに目からウロコだった。

 

面白かったのは「お麩」の握り。バター醤油で味付けしたうえでシャリと合わせる。これまた未知の味だった。

 





 

京都で魚といえば「ぐじ」の呼び名で人気の甘鯛だ。もともと淡泊な味の魚だが、この日は昆布締めとヅケで楽しめた。江戸前の味付けとの融合である。

 


こちらの大将の味付けは間違いがない。強過ぎることはなく上品に素材の旨味を引き出す。2種類の甘鯛にもその技が感じられた。

 





 

キャビアも食べたし、牛肉も鴨肉もソースの味付けが抜群で感動的だった。フカヒレを使った蒸し寿司も餡の味わいが絶妙だった。

 

他にも白子のリゾット風や松茸の土瓶蒸しなども食べたのだが、「加減」「塩梅」という点で実に素晴らしい仕事をしていた。さすがだ。

  

握りもちょこっと工夫を凝らしながら小さいサイズで出してもらえるから数えきれないほど堪能した。


 

大将の意向で、とりあえず店名は書けないのが残念だが、それも店の立ち上げ時期ゆえの考えからだろう。

 

ちなみに、この店の大将はちっとも排他的な人物ではないし、人当たりは良すぎるぐらいのイケメンである。

 

肝心のお値段だが、当然それなりだ。こういう店だからそこを気にしても仕方ない。安くはない。

 

でも時々京都を訪ねて、神秘的な山の中で時を忘れて上質なモノをひたすら味わうのなら値段より満足感を優先したい。また折を見て訪ねたい。

 

「贅沢は敵だ!」という大昔のスローガンの向こうを張って「贅沢は素敵だ!」とつぶやきたくなる時間だった。