引っ越し先がようやく決まった。文京区の小石川エリアにある低層マンションである。
新築の分譲マンションなのだが、おそらく投資目的で買った人が早々に賃貸に回したのだろう。
まだオーナーへの引き渡し前ということで中も見ていないのに決めてきた。図面とニラメッコして決めた。希望に近い間取りだし、設備も新品だから問題なさそうである。
最寄りの駅からは緑の多い公園を遊歩道代わりに使える点が気に入った。マンションのすぐそばにも大きな植物園がある。
蝉の声、秋の虫の声を聞きながら散歩することに妙な執着心がある私にとっては良い環境である。
高層マンションには興味が無かったので低層に絞って探した。20階とか30階とかからの眺めは凄いのだろうが、そんなに高いところで生活するのは恐くて仕方がない。
地に足が付いていない感覚と言うべきか。こういうところは超アナログ人間になってしまう。
高層マンションの低層階でもよかったのだが、聞くところによるとあの世界はヘンテコなヒエラルキーも存在するらしい。
エレベーターに乗って低層階のボタンを押すと乗り合わせた高層階の住民が舌打ちするとか。ジェジェジェである。
まあ、大げさな例えなのだろうが、そんなアホみたいな空気の中で暮らすのはイヤだ。
そこそこ高級感があって設備も充実した低層マンションは、閑静な住宅地にあることが多い。今度のマンションも一種住専エリアだ。ある意味これが問題である。まわりに何もない。
シングルオジサマとして気ままに暮らす私にとって、閑静な住宅地という環境はかえって厄介なのではないか。
たとえば神楽坂あたりの繁華街に近いマンションに住んで、夜な夜な寿司屋とか焼鳥屋とかバーなどをさまようほうが正しいのではないか。
結論が出ないそんな課題に日々悩みながら物件探しをしたわけだ。
結果として、周辺の環境が以前から好みだったことと、年齢的なことを考えると努力して散歩に励まねばならない年頃なので坂道に囲まれているその物件に決めた。
ついでにいえば、そのマンションの見た目が結構カッチョよかったので、時々遊びに来る娘にエエ格好しい出来ると思ったことも理由である。
一応、申し込みは完了したが、5月末まで実際の現場が見られないし、入居前にキャンセルすることも出来なくはない。
というわけで、いまだに他の物件情報もチェックしている。でも、総合的に考えると決めてきたマンションを上回る物件はなかなか出てこないように思う。
6月初旬に引っ越し予定だ。メンドーだがワクワク感もある。今の住まいに移った経緯を思い返すとなかなか感慨深い。
今の住まいは、どちらかといえばバタバタした感じで決めた。シングルオジサマとして人生の舵を切り直した際に暮らし始めたから、引っ越しの作業も複雑な気分でこなした。
前の自宅は設計段階から細かく関わって家族で住んでいた。そこから自分の持ち物だけを選別して引っ越ししたわけだからそれなりに感傷的になった。
その道を選択した決断自体に迷いはちっとも無かったのだが、細かい作業を進めているとさすがにシンミリした気分になった。
持っていくモノ、置いていくモノ、処分するモノ・・・。いちいち色んな記憶が頭をよぎる。なんだかドンヨリした気分でコトを進めた。
引っ越し業者さんだって転居の意味をすぐに察知してどこかハレモノに触るかのような態度で接してきた。
それに比べて今回の引っ越しは「憂いゼロ」だから助かる。前回揃えた家具をそのまま移動すればいいし、前回引っ越してから結局一度も開けていない段ボールの中味は捨てていいと判断できるし、思った以上にスッキリするはずだ。
引っ越し先のマンションは常駐のコンシェルジュがクリーニングの取り次ぎなんかもやってくれるらしい。「モノグサシングルオジサマの道」を極めるには良さそうである。
さてさて新しい住まいは私にどんな思い出をもたらすのだろう。今度の住まいからまた次の引っ越しをする時は自分の身にどんな環境の変化が起きているのだろう。
そんなことをボーっと考えていると、いつの間にか将来展望が予測できない生き方をしていることを痛感する。
いい年をしてそれも悪くない。人生いろいろ。出たとこ勝負である。
2015年4月27日月曜日
転居の気分
2015年4月24日金曜日
ホンモノのゴマだれ
初夏の訪れが近い。ソーメンの季節である。冷やし中華もやってくる。待ってました!と叫びたくなる。
ソーメンは寒い季節には不思議と食べる気が起きない。謎である。もりソバや冷たい稲庭うどんなら冬でも食べるくせにソーメンは季節限定である。
私自身、冷やし中華は一年中食べているのにソーメンは夏場だけだ。なぜだろう。冷やし中華のように秋の終わりに買いだめをしなくとも、ソーメンは一年中自宅に常備してある。でも寒い季節には見向きもしない。
まあ、いいや。今日はそんな文化人類学的な話を書くつもりじゃなかった。今日は「ソーメンのつけだれ」についての自説を主張したい。
私の変態食生活を象徴するスペシャルなつけだれがすりゴマを大量に使った「ヘドロダレ」である。もう10年以上前、いや、20年ぐらい前からの私の大好物だ。
市販のすりゴマが主役である。親の仇みたいに大量に使う。濃いめのソーメンつゆを用意してドバドバと投入する。
テレビのコントなどで塩やコショウをパラパラ振りかけようとしたらフタが外れて中味を全部ぶちまけちゃうシーンがある。例えるならあんな感じである。
ポイントはソーメンつゆを濃いめに作ることだ。だからストレートタイプではなく濃縮5倍とかのつゆを2倍程度に薄める。そこにショウガもしくはワサビをガッツリ投入。
わけぎやネギ、ミョウガなどはお好みで。いずれも多めに入れたい。なにしろ大量の白ゴマが主役だから薬味も多めに入れないとゴマの風味に完敗する。
そしてすりゴマをドッカンドッカンである。マジかよ?大丈夫かよ?気が狂ったのか?と不安になるぐらい入れるのがカギである。
これで準備完了。スペシャルつけダレをマゼマゼするとヘドロ状に変身する。液体っぽい雰囲気が残っていたらまだまだである。更にすりゴマを追加してヘドロ製作に励む。
野趣溢れる備前焼の器あたりを用意すると色合いのマッチングが良い感じだ。風流である。
あとは食べるだけである。箸でたぐったソーメンの尾っぽのほうをツユにピショっと浸して食べるのが一般的だが、ヘドロダレはそういうわけにはいかない。
ピショっと浸すという行為が成り立たない。ヘドロの上にソーメンの尾っぽが乗っかっちゃって「浸す」ことが不可能である。
たぐったソーメンの上側、すなわち箸に絡まっている側をヘドロに潜り込ませてすくい上げるようにして食べるのが正しい食べ方だ。
というか、そうやって食べるしか方法がない。見た目は限りなくヘンテコである。マズそうである。
見た目はともかく、一度はトライして欲しい。目からウロコである。非常にウマい。革命的なウマさである。白ゴマの香ばしさ、甘味、そして健康なイメージまで加わって幸せな気分になる。
こんなアホな食べ方を推奨していると、「ゴマだれを買えばいいじゃん!」と言われそうだ。でも私は「ゴマだれ」が好きではない。
ゴマは大好きだが、ゴマだれはインチキっぽい味がする。しゃぶしゃぶ屋さんに行ってもゴマだれは使わない。私に言わせればアイツはゴマモドキである。
だいたいゴマの気配が感じられない。元々ゴマだったという形跡がカケラも感じられないのがイヤだ。色だけでコロっとダマされている気がする。アイツは怪しい。
すりゴマなら粉砕されたゴマのカケラがしっかり見て取れるのに、ゴマだれはどうにも信用できない。カニかまみたいなウソっぽさである。
変だろうか。
出来合いのゴマだれに何となく支配されてしまった人は、いま一度、すりゴマをヘドロ状にすることを前向きに検討してもらいたい。
冷やし中華もしかり。普通の酸っぱい醤油ダレにすりゴマを大量に混ぜ合わせてヘドロダレ状態にして食べるのもオススメである。
最近、スーパーに買い物に行くたびにすりゴマのちょっと高価なやつを手にとってしまう。
その程度で富豪気分を味わっているエセ富豪的な日々である。
2015年4月22日水曜日
優しいオジサマ
「あなたって優しいのね」。そう言われたらイヤな気分にはならない。私自身、そんなことを言われるとすぐに舞い上がる。バカである。
でも「優しさ」という感覚は厄介である。分かっているようで分かりにくい。
子供の頃、自分勝手でワガママな私は親からよく叱られた。思いやりがない、配慮が足りない等々、しょっちゅう指摘された。
お菓子を独り占めして誰にもあげないとか、ケンタッキーフライドチキン盛り合わせの脚の部分を真っ先に取っちゃうとか、子供っぽい身勝手を貫いていたから親が怒ったのも道理である。
さすがに言われ続ければ身に染みる。優しくない人というレッテルはイヤだから、大人になってからは結構気を遣って生きている。
気疲れしちゃうこともある。身近な人からは私の気遣いを億劫に思われることもある。そうなっちゃうと「優しさ」とは言えない。
「優しい人が好き」。男も女もたいていそう思っている。でも、その優しさは単なる甘やかしや、ただの親切に過ぎなかったりする。
深い意味での優しさであれば、場合によっては突き放すこともあるし、相手を不快にさせることもある。
そんな本当の優しさを自分が持ち合わせているかと言えばビミョーである。メンドーだから相手のことを漫然と受け入れているだけである。
厄介ごとを避けたいから相手のワガママを許しているだけで、優しいふりをして結局は自己保身に過ぎないという見方もできる。
世の中に溢れかえっている「優しさ」も実態は怪しい。臆病だったり自分に自信が無いから相手にへりくだっているだけってパターンも多い。
小さい例えだが、レストランでメニューを見ながら「キミの好きなものなら何でもいいよ」と言うのは「優しさ」だろうか。ちょっと違うと思う。
ただの人任せである。人任せや追従は優しさとは異質だ。大げさに言えば逃げちゃっているだけの話。
相手に漫然と合わせるより、こちらが的確な判断を下すことが優しさだと思う。
と、エラそうに書いているが、私自身、「キミの好きなものを選んでくだちゃいね~!」とか言ってしまう。ヘタレ太郎である。
今の旬はコレだ。この店のウリはコレだ。昨日それを食べたのなら今日はコレがオススメだ等々、情報を整理して判断材料をキッチリ提供するのが、こういう状況での正しい「優しさ」だろう。
今の時代、妙齢の女性達の間でオジサマが人気だという。若い男性の草食化が影響しているのは確かだが、それだけが理由ではない。
オジサマは長く生きているから情報量が豊富だ。それを元に判断材料を提供できるし、なによりも若造よりは的確な状況判断が出来る。
まあ、的確な状況判断と言っても、オジサマという生き物は好みも行動パターンも固定化しちゃっているからムダに迷わないだけである。
そんな実情を知らない妙齢の女性達は、オジサマの言動を「オトナの余裕」「オトナの優しさ」と錯覚しているわけである。
そうは言っても、やはり年齢差のある相手を本能的に可愛がる感覚があるから、オジサマは必然的に物腰柔らかく年下の女性に接する。トンがっている感覚がないから女性側も安心なんだろう。
若者のような虚勢は張らないし、同世代的対抗心みたいな感覚も一切ない。そうしたヌルい感じを魅力的に思う人が多いのも不思議ではない。
若い男のように熱くなって怒り出すようなこともない。オジサマは日々疲れているから不毛なケンカに励むエネルギーがないだけだが・・・。
若い男特有のギラギラ感もオジサマからは漂ってこない。これも本当は腰が痛かったり、胃が重かったりするのが理由だったりする。
他にもある。
「オジサマは歩くスピードにも配慮してくれる」という褒め言葉を聞いたことがある。ヒールを履いた女性を気遣うのは当然だが、実際はオジサマのヒザの調子が悪いことが理由である。
「荷物が多かった時にサッとタクシーに乗せてくれた」。これも同じである。オジサマが怠惰なだけである。
「人混みやエスコートが必要な場面でさりげなく腰に手を回してフォローしてくれる」。これも何のことはない。純粋にオサワリしたいからである。
そんなものだ。
「優しさ」について考察するつもりがオジサマ生態研究になってしまった。
オジサマの生態でも書いたように「優しさ」と思われている行動の多くが、一皮ひんむけば実にテキトーなものである。
つくづく「本当の優しさ」とは何なのか分からなくなる。
結局、相手におもねらず、ただ受け身になるわけでなく、自分の行動原理からブレない範囲で相手を気遣える言動が真っ当な「優しさ」だと思う。
なかなか出来ることではない。
せいぜいそれを目指しながら「優しいオジサマ」だと錯覚されるように頑張ろうと思う。
2015年4月20日月曜日
レバ刺し
若い頃は焼肉屋が主戦場だったので、いつもレバ刺しをムホムホ言いながら食べていた。
焼肉屋さんから姿を消したレバ刺しだが、あの騒動は牛肉に限った話で、牛以外のレバ刺しはそこかしこで見かける。
牛レバとは違うが、あのエロティックな風味は鶏でも馬でも豚でも同様である。ごま油、ニンニク醬油、生姜醤油もいい。エロさを助長させる。
食べ物の味わいを表す上で「エロ」とか「官能的」という表現は最高級の褒め言葉である。
上等なレバ刺しは「エロ」の称号にふさわしい。一口頬張りゆっくりと噛みしめるとオッサン達の顔は必ずほころぶ。
先日、馬肉が食べたくなって銀座の「こじま屋」に出かけた。ジンギスカン風の鉄板で臭味のカケラもないウマい肉をジュージュー焼くのが基本の店だ。
すき焼き風の鍋料理がポピュラーな馬肉業界?では珍しい路線かもしれない。カルビ、ヒモ、タン、ホルモンが馬焼の基本メンバーだが、ヒモ肉が絶品で延々と食べ続けられる感じだ。
そんな話じゃなかった。レバ刺しの話だった。馬のレバ刺しと聞くと敬遠する人もいそうだが、素直に美味しい。臭味など感じない。牛のレバよりも軽いし爽やかな印象がある。
焼酎のロックとの相性も抜群である。目をしばたかせながら、「ウイッ~」とか「フジェ~イ」とか意味不明な感嘆詞が溢れる。
肉、魚、野菜、ありとあらゆる食材が満ちあふれ、世界各国の料理や調理法が数限りなく味わえる世の中で、わざわざ馬の肝臓をナマで食べるんだから物好きである。
でもウマいんだから仕方ない。
さてさて鶏のレバ刺しもタマランチンである。白レバ刺しなら昇天しちゃうほどウマいが、普通のレバ刺しだって最高である。
結構アチラコチラで食べられるのも魅力だ。写真はこれまた銀座にある「串銀座」での三点盛り。レバ刺しだけでいいのだが、そうもいかずに他の刺身もやってくる。
牛よりも馬よりも軽快感があるせいか、冷酒に合わせても悪くない。「いいね!」と叫びたくなる。
レバ刺しは痛風予備軍には天敵だが、このところ尿酸値が低値安定状態の私としては気にせずガツガツいけるのが嬉しい。
この画像は池袋のやきとん屋「木々屋」のメニューである。禁断の豚のレバ刺しが食べられる店だ。
豚の肝臓なんかナマで食べてはダメというのが一般的な常識だが、食べさせてくれるんだから楽しまないといけない。
と言いながら、やはりチョット恐い。「高齢者や子供は食べるな」という注意書きがあるから少しはビビる。
こういう場合の「高齢者」という表記は中年から見ればビミョーである。私だって江戸時代なら充分高齢者である。何歳からダメなのかハッキリしてもらいたい。
この店には誰かと連れだって行くようにしている。レバ刺しが6切れ出てきたら私は2切れで我慢して残りを同行者に食べてもらう。そうすれば死なない気がする。
いつだったか、友人から「豚のレバ刺しなんか食ったら脳ミソに虫が湧いて死んじまうぞ」と言われた。そんな話を信じているわけではないが、純情な私は豚のレバ刺しを見ると自分の脳ミソにウジが湧いているイメージを想像してしまう。
そんなヘタレっぷりでは無頼な男を目指す資格はない。ちょっと守りに入っている自分が残念である。
でも2切れは食べちゃうあたりが中途半端な私の生き様を象徴している気もする。
レバ刺しの食べ方ぐらいで自分の生き様を考えてしまうんだから私もヒマ人である。
2015年4月17日金曜日
利害関係のない酒
酔っ払うことを端的に言い換えれば「脳のマヒ」である。なかなかディープな響きである。
夜中にカップ焼きそばを嬉々として食べてしまうのも脳がマヒしているからである。
正常な脳だったらそんな愚行を制止してくれるはずだが、酔っ払っていると脳の中が悪魔だらけになる。
連日連夜、脳をマヒさせている私だが、別にツラいことなどないから惰性で飲み続けているのだろう。
酔いの感覚は日によってまったく違う。日によって違うというより、飲む状況で変わる。
楽しい酒だと不思議と快適な酔いが続くし、仕事絡みの酒だと少量でも気分が悪くなったりする。
先日、旧友達と飲む機会があったのだが、相も変わらぬバカ話をツマミに4時間しっかり飲んだ。でも酔いの加減は快適の一言だった。やはり酒は楽しく飲むべしと痛感した。
旧友が焼鳥稼業修行中の新橋の店に小学校、中学校以来の付き合いの面々が集ってのバカ騒ぎ。途中からウン十年ぶりに会う男も加わって楽しい時間を過ごした。
会話の内容は、幼き日々のくだらない思い出話が中心である。都合の悪い記憶は脳から削除している私に対して記憶力の良い友人達が過去の悪行を突きつけてくる。
そういう時は、ひたすら脳をマヒさせるに限る。でも、言われて思い出す話がゴロゴロ出てくるのだから人間の脳は不思議である。
真面目な話といえば、「幼女趣味とニューハーフ好きを比べたらどちらが人として正しいか」という高尚なテーマぐらいだった。
人間、半世紀近く生きていればロリコン趣味やオカマ趣味が増長するのも仕方がないことである。
オトナだからそういう個性?を理解する(フリをする)ことも必要だ。誰だって人様に言えないような性癖はあるものである。
結果としてロリコン男に軍配が上がりかけたのだが、ニューハーフ派の男にヤツのオカマ恋人の画像を見せられ、全員が「いける!オレもいける!オレも。オレも!」というワケの分からない展開になってしまった。
おっと話がそれた。
アホな友人から「死相が出てるから10年後には死んでそうだ」と言われた私だが、健康に注意しながら20年後も酩酊していたいものである。
それにしても古い友人の存在は有難い。大人になってから知り合う人とは違う空気感の中で力の抜けた時間が過ごせる。
利害関係がまったく無いわけだから単純に痛快である。たただ愉快に過ごせばいいわけだ。
考えてみれば非常に貴重な場面である。仕事関係の付き合いをはじめ、日常のあらゆる場面で何らかの利害関係が存在する。
男女のデートだって、相手を攻略したいという思いと、簡単に攻略させてなるものかという思いがぶつかり合えば、完全に利害関係である。
そういう邪念が無くても異性との関わりであれば、どこか構えたり良く思われたいといった気分が一種の利害関係を生む。
極端に言えば、夫婦や親子だって何かしらの思惑を持って接し合う場面もある。やはり同性の旧友という存在は得がたいものだと思う。
ここ数年、Facebookなどを通して旧友の輪が改めて拡がってきた。あの手のSNSは何かとトラブルも多いようだから係わり合うのはプライベートの友人にほぼ限定している。
Facebookの「友達」も9割以上が同性の旧友である。ああいう場面で身構えたって楽しくないからそれで充分だ。
デジタル的なものを毛嫌いしてきたくせにイマドキの文明の利器によって旧友との接点が増やせたのだから、時代の流れにムダに抵抗してはいけないと思う。
今日は酩酊と泥酔について考察しようと思ったのに、結局関係ない話に終始してしまった。
2015年4月15日水曜日
ニュー新橋ビル
銀座と新橋の関係は東京人にとって実に興味深い。徒歩5分で「街の色」がガラッと変わる。
オッパッピーみたいな値段の飲食店がひしめく銀座といえば、夜の街である8丁目付近が象徴的だ。
高級クラブがしのぎを削り、オーマイガー!って叫びたくなる価格の寿司屋もゴロゴロしている。
最近では「俺の~」シリーズのような気軽な店も増殖中だが、そうはいっても飛び込みで洒落たバーに入ると御勘定にビビるし、アジフライを食べたぐらいで財布が淋しくなる店も多い。
そんな銀座8丁目は銀座といいながら限りなく新橋である。銀座駅より新橋駅のほうが近い。徒歩5分程度だ。
片や新橋。テレビ取材班が酔っ払いオヤジをインタビューする場所である。サラリーマンの聖地であり、モツ焼の名店とか大衆酒場の宝庫である。
銀座と違ってベントレーはもちろん、運転手さんが待機しているメルセデスが路地に駐車していることもない。
ネクタイをハチマキのように頭に巻いている人々が楽しそうに闊歩している。
銀座8丁目から歩いて5分ほどでまるっきり様相が変わる。素直に面白い。東京ならではの独特な文化的?特徴である。
さて新橋である。この街は「東京っぽい街」の代表格だろう。
東京っぽいといえば、浅草とか上野とか「谷根千」などの下町がイメージされるが、新橋の“濃い”感じも東京ならではだと思う。
麻布エリアに代表されるオシャレ~な街も東京っぽいと言われるが、個人的には何かが違う。東京はもっと泥臭い場所である。
新橋のランドマーク?である「ニュー新橋ビル」なんて東京の縮図のような建物である。中野ブロードウェイのオッサン系発展型である。
シュールといえばいいのか、キッチュといえばいいのか、何ともいえない風情が漂う。時々、無性にウロウロしたくなる魔力に満ちあふれている。
一言でいえば「変」だ。誤解の無いようにいえば、良い意味での「変」である。好意的な意味の「変」である。
建物の外観がまず「変」である。意味不明だ。でもそこが魅力的でもある。
中に入ると異界気分が味わえる。エスカレーターひとつとっても昭和のままで時が止まったような感じだ。
案内看板だって何十年もそのまま。独特である。ゴッタ煮のように脈略無くいろんな店が同居している。
昔ながらのゲームセンター、怪しげなマッサージ屋、渋い料理屋、「吉田類」で埋め尽くされていそうな居酒屋、ファストフードの店もありがちなチェーン店ではない。
この混沌とした感じこそ東京の真の姿だと思う。未体験の人は是非ぶらぶらしてみることをオススメする。浅草の駅地下の怪しげな商店街と相通じる昔ながらの「素の東京」が楽しめる。
地下街の名称だって「憩いの地下街・味な店」である。実に安易でぶっきらぼうなネーミングだろう。ついつい寄り道したくなる。
地下飲食店街の突き抜けた感じはオッサンの聖地ならではである。気取った要素ゼロ。潔い。間違いなく心地良く酔っ払えそうだ。
1階にはディープなドンブリ屋もある。豚丼の店、肉めしの店などなど。吉野家や松屋とはまた違ったここならではのジャンク飯が楽しめる。
この画像は「岡むら屋」の盛り合わせ肉めし。しゃぶ肉と煮込み肉が両方味わえるシロモノ。豆腐もグチャグチャ混ぜて食べるとウマい。
こっちは隣接する豚丼屋「豚大学」の画像。特大は気が狂いそうになるほどのボリュームなので大盛りで充分である。飽きるほど豚をワシワシ食べられる。
新橋おそるべし!である。
「富豪」っぽくないが、銀座に出ようと思いながら新橋で足止めされるのも悪くない。財布に優しい街も愛していこうと思う。
2015年4月13日月曜日
ジャンク万歳
「ペヤロス」である。店頭からペヤングが消えて随分経つ。ジワジワとペヤングが無くなったことの痛手?が私を苦しめている。
極めて個人的な意見だが、カップ麺といえば焼きそばである。まったく気のせいだと思うが、「一度お湯を捨てる」という製作過程が不純な化学物質を除去しているような気分になって清々しい。
カップ焼きそばと言えばペヤングである。理由は無い。強いていえば大昔から馴染んでいるせいだ。同じく古参格の「UFO」は麺の食感が好みではない。
ここウン十年、アレコレと新参者のカップ焼きそばが登場してきた。それなりにウマいのもあったが、ジャンクフードの好みは食べ始めた時の強烈な印象が後々まで影響する。
袋麺のジャンクラーメンにしても私の場合、サッポロ一番かチャルメラが好きである。あれに桃屋のザーサイをぶち込んで食べるのが王道である。昭和の味である。
「ラ王」とか「正麺」など本格系?がどんなに頑張っても古参組のアノ独特な味は別格だと思う。
強いて本格系のオススメをあげるとした「マダムヤン」である。大昔に一世を風靡した即席麺である。もう消滅した商品だが、あれが登場した時は衝撃的だった。ウマいし茹でるのに時間はかかるし妙に高かった記憶がある。
袋麺のやきそば「ジャンボ」とともに今も思い出す一品である。それにしても30~40年ぐらい前、学校から帰ってくるなり母親に作ってもらった「ジャンボ」の味は最高だった。
https://www.youtube.com/watch?v=F2gI5rgDL0E
「ジャンボ」。いまいずこって感じである。
さてさて、ペヤングの話だった。
6月にも首都圏で販売が再開されるらしい。素晴らしき慶事である。きっとペヤロスに陥ったファンが殺到して当初は品薄になるはずだ。
ジャンクフードの話を書こうと思ったのに即席麺の話ばかりになってしまった。
このブログ、一応、書き始める前に大ざっぱにテーマは決めるのだが、仕事での書きものと違って内容や文字量に制約がないから、一種のストレス解消のように好き勝手に書き殴って話がアチコチに飛んでしまう。
本当は六本木で食べた「鶏ソバ」をネタにするはずだった。全然違う方向にいってしまった。
ジャンクフードと一口に言ってもその定義は難しい。翻訳すれば「ガラクタ食べもの」である。
ビタミン、ミネラルなどに乏しいくせにカロリーは高いハンバーガー、ホットドック、スナック菓子、カップ麺なんかが該当するらしい。
それ以外にもコンビニ弁当や若者向けのガッツリ系ドンブリもの、ギトギト系ラーメンなんかもイメージとしてはジャンクフードだろう。
ジャンクな味の決め手は「ファーストアタック」である。口に入れた瞬間に強い味が口の中を支配する。脳天まで直撃するような感じだ。まさにペヤングである。
私自身、旨味だのダシだの塩加減がどうだのエラそうに語るクセに、ジャンクフードが繰り出してくる麻薬的かつ官能的な突き抜けた味が時々恋しくなる。
先日、半年前に見つかった胆のうポリープが育っちゃったかどうかの検査に出かけた。結果はセーフ。肥大化しなければ放っておいて構わないそうだ。
その日、朝飯を抜いて朝からエコー検査。無事終了した時は極限の空腹状態である。そういう状況の私が求めるのはダシでも旨味でも一流料理人のワザでもない。ジャンクフードである。
ということで、クルマで向かったのは松屋である。牛丼とキムカル丼(カルビ焼肉丼にキムチがトッピングされているヤツ)を食べることに決定。
いい年したオッサンがスカした三つ揃いのスーツを着て胸にはキザなポケットチーフを挿した状態でドンブリ2つ並べてウホウホ食べる姿は美しくない。
そんな自意識過剰もあってテイクアウトしてクルマの中で食べることにした。人通りの少ない道端にクルマを止め、ポリープ問題に安堵して祝杯ならぬ祝丼である。
牛丼とキムカル丼を交互に口に運ぶ。幸福感が全身を包み込む。誰もいない。人目も無い。フンガフンガと鼻から吐息を漏らしながら完食。ワンダフォ~である。
素敵な女性と二人、浮わついたラブリーな会話を交わしながら時々意味ありげな視線を絡ませあってシッポリ食事するのは最高だ。でも、一人こっそりクルマの中でドンブリ二つ並べてガツガツ食べるのもオツなものである。
その姿を「侘びしい」「情けない」「かわいそう」などとイメージする人はスットコドッコイである。男にとっての至福の時間とはそういう時間のことを言う。
まあ、常にそういう食事だと淋しいが。。。
我ながら「おひとりさま上級者」だと思う。
なんだか話がとっ散らかってしまった。
ジャンク系の食べ物は一言でいえば「愛すべき魔物」である。毎日食べる気はしないが、時折無性に食べたくなる。食べたい気分の時に食べると期待通りの味に感激する。決して裏切らない。
中毒性の物質でも入っているのだろうか。世界の各地でジャンクフード税が存在するのもうなずける。あんなシロモノばかり食べていたら不健康になって国や自治体の医療費がかさむのも当然である。
それでも愛おしい存在だ。ジャンクフードを嬉々として食べられることは、ある意味健康のバロメーターである。時々はウホウホ食べ続けようと思う。
結局、六本木の鶏ソバの話には一言も触れずに終わってしまった。
2015年4月10日金曜日
鶏の皮
相変わらず鶏肉が大好きである。時々、いや割と頻繁に食べたくなる。寿司やウナギと同じぐらいしょっちゅう身体が欲する。
鶏好きのくせに私の悪いクセは皮の部分を邪険に扱うことだ。
その昔、ダイエットに血眼になった時、鶏皮はカロリーの塊だという悲しい現実を知って敬遠するようになった。
鶏のカロリーの半分は皮の部分が占めているそうだ。おまけに抗生物質漬けの安い鶏肉なんかだと皮の部分に悪い成分が蓄積しているらしい。
コラーゲンの宝庫だという意見もあるが、ムチムチ、プルプルの肌を持つ私にとってそんなものは必要ない。結局、皮に対するネガティブイメージが払拭できないでいる。
実に女々しい話である。鶏肉大好き連盟の一員として恥ずべき状況だ。
でも、それがすっかりクセになってしまい、剥がせる状況なら無意識のうちに皮を剥いでしまう。自宅でチキンライスや特製チキンピラフを作る際も、当然のように皮を剥いで使っている。
外食の際にもペロっと剥がせちゃう場合は、こっそり剥がしちゃう。焼鳥もかじるついでに皮の分をチロっと外して捨てちゃったりする。
昔は好んで注文していた鶏皮ポン酢とも絶縁状態である。シミったれた男みたいで不本意ではある。
しかし、そんなミミっちい行動のおかげで、鶏肉本来の旨味を敏感に感じられるのも一面の真実である。
皮はウマい。だからこそ皮と一緒に食べるとダメダメな鶏肉だろうと美味しく感じてしまう。安い唐揚げや怪しげなフライドチキンを食べれば実感する。
あの手の鶏料理の皮を剥いで食べてみると実につまらない味がする。鶏肉の旨味が感じられない。皮によって味が誤魔化されていることを痛感する。
ということで、上質な鶏肉とテキトーな鶏肉を皮抜きで食べ比べれば、その違いが明白である。
地鶏じゃなきゃダメだなどとケツの穴の小さいことを言う気はないが、せっかく食べる以上、やはり旨味を感じる鶏肉がいい。
困ったことに真っ当な鶏肉になればなるほど皮もまたウマい。ぶよぶよしていない。つい食べてしまう。カロリ-なんてどうでもいい気分になる。
考えてみれば、北京ダックなんて皮を食べるわけだから、あれが大好物である私が「皮不要論」を唱えても説得力はない。
北京ダック専門店に行けば、皮にそのまま砂糖をぶちかけてフゴフゴ喜んで食べる。温めた紹興酒と合わせると天国に行った気分になる。
カロリーがどうたらなどと書いてきたが、実態はそんなもんである。
ということで、「なるべく」皮は避けるようにしているわけだが、チキンステーキみたいに皮が剥がしやすい料理ならともかく、親子丼のようなマゼマゼ系だと皮を剥ぐわけにもいかない。
タマゴやタマネギや薬味という異物が混ざるからさりげなくペロンと皮だけ除外するのは難しい。
という言い訳を自分に言い聞かせて邪念抜きにかっこめるから親子丼はエラい。実に有り難い存在である。
生意気なようだが私が親子丼を食べるのは、まっとうな焼鳥屋に行った時ぐらいである。その手の店で食べれば外すことはない。
街場の出前専門みたいな蕎麦屋の親子丼も無性に食べたくなる時があるが、ぶよぶよした皮が付いているコマ切れの鶏肉がチョビっとしか入っていないのは興醒めだ。
たとえ衣だらけでも天丼かカツ丼にしておけば良かったと後悔するのがオチだ。ドンヨリした気分になる。
この画像の親子丼は銀座6丁目の「串銀座」で食べた一品である。この店は日本酒の品揃えが豊富で、鶏のレバ刺しやアホみたいにウマい温玉をツマミにヘロヘロになれる。
ヘロヘロになった後に注文する親子丼のウマさは驚天動地である。裏メニューである生卵かけ御飯も絶品だが、やはり親子丼である。
やたらと味の濃い上モノの生卵を軽めに火を通して作るわけだから官能的な味がする。エロティックである。もちろん鶏肉自体も旨味の強い逸品だからマズいはずはない。
ついでに言えばこっちはヨッパライ状態が完成している。先入観と上機嫌というスパイスまで加わるわけで極上の味わいである。
皮?。もちろん気にせずバクバク食べてしまう。
結局そういうことだ。
2015年4月8日水曜日
花見の宴 人との交わり
2015年4月6日月曜日
引っ越し、モテ期・・・
とっとと決まるだろうと思っていた引っ越し先がなかなか決まらない。目白や小石川あたりで決めかけた物件があったのだが、申し込みが一歩遅れたり駐車場のサイズで断念したり、思うようにいかない。
面倒だから今の住まいにそのまま暮らしたいのだが、そのスジの占い師の「お告げ」に影響されちゃったので、そうもいかない。
今の住まいを選ぶ際、「そっち方面に住むのなら3年以内に引っ越さないとダメだ」と言われた。全面的に信じるほど信心深くないのだが、聞いちゃった以上は気になる。
今年の秋が来ると3年である。まもなく期限切れ?である。気ままな賃貸暮らしだし、引っ越しは楽しい部分もあるから、ブツブツ言いながら新しい住まいを探しているわけだ。
いろいろワガママな希望があるし、贅沢にも結構大きなサイズを条件にしている。おまけに「御託宣」のせいで、特定の方位に絞って探している。
だから候補物件が少ない。私が希望する物件内容と予算だと、賃貸ではなく購入の道を選ぶ人が多いから仕方がないらしい。
夏の暑い時期の引っ越しはイヤだし、秋になって焦ってヘンテコな物件を選んじゃうのもイヤだ。ということで、5月ぐらいまでには決めたい。
独身貴族に戻る際に無血開城してきた家は土地購入から設計に至るまですべて自分で関わった自慢のマイホームだった。でも、まれに見る家相の悪い家だったらしい。当時から複数の人に指摘された。
仕方なく家中のアチコチに盛り塩を置いていたのだが、盛り塩をマメに用意するようになってしばらくして、自分自身が出て行くハメになった。
今は盛り塩など置いてないらしい。ということは、私自身が魔物とか邪気だったのだろうか。アホみたいな話である。
いやいや、あそこに住んでいたら私が邪気にやられちゃっただろうから、守護霊?が私を移動させたのだと思うようにしている。
話は変わる。
最近、やたらとオッサンにモテる。有難いことだが、どうせなら素敵な女性にモテたいのにオッサンばかりだ。
一人でまったり飲み屋にいたり、寿司屋でホゲホゲ飲んでいる時に見知らぬオッサンから話しかけられることが増えた。
こっちも調子を合わせてアーダコーダ盛り上がったりする。結構気を使っちゃって楽しそうにするが結局は疲れちゃってお開きになってからドンヨリする。なんなんだろう。以前はあまりそういう機会はなかった。
先日も銀座の料理屋でおカミさんと馬鹿話をしていたら、初対面のオッサン二人連れにナンパ?され、そのままオッサン行きつけのスナックに連行された。しまいにはスナックのマスターと延々と世の中の無常を語り合ってヘトヘトになって帰宅した。くたびれ儲けってヤツである。
そんなに無防備でヒマそうで人恋しそうにしているのだろうか。そんなはずはないのだが我ながら不思議である。
良く解釈すれば、私自身から漂う「気」みたいなものが昔よりトゲトゲしくなくなったせいかもしれない。
男たるもの、外に出れば7人の敵がいる。常に高度な緊張感に身を包んで研ぎ澄まされたナイフのような心構えで日々を過ごさないと世の中を渡っていけない。そう考えて生きてきた。
ウソです。
でも、考えてみれば5年、10年前の自分は今の自分に比べて、多少なりとも変な緊張感とか無意味な自意識とかを漂わせていた部分はあるだろう。
そういうトンがった要素は年齢とともに弱まってきた。ニヒルな男を演じるのは無理だし、寡黙な男のフリをするのもツラい。
虚飾というか粉飾というか、要は素の状態とは違う自分を作ることがバカバカしく感じて疲れるようになったのだろう。
あたり構わずガハハハ笑ってる関西の下町のオバチャンみたいな感覚に近づいているのかもしれない。突き抜けた感じとでも言おうか。
だから「話しかけるなオーラ」みたいな雰囲気を漂わせていないし、きっと平和でいい人そうな顔して佇んでいるのだろう。見知らぬオッサンに声をかけられるのはそういう理由だと思う。
と、実に脳天気でお気楽な自己分析である。でも、そんな分析が当たっていて欲しいと思う。素のままで無防備でぶらぶらしていられるなら無上の喜びである。
某日、居酒屋で会社の人間と差し向かいでグダグダ飲んでいた時のこと、隣の席にうら若き女子が2名やってきた。
その店のメニューに馴染みがないようだったので、親切心であれこれ教える。ついでにナンパ心で2,3品おごらせてもらう。
ワーとかキャーとか喜ばれて、今度どこそこに連れてってくださいね、絶対ですよ~とか言われて少し舞い上がる。
しかし、その後まったく連絡は来ない。まあ、そんなものだ。最近私に優しくしてくれる女性はご無沙汰している飲み屋のオネエサンぐらいである。
そして今夜も明日もあさっても、どこかの飲み屋で見知らぬオッサンにナンパされる私だ。
2015年4月3日金曜日
高級ホテルという存在
寝込みに行っただけのフィリピン旅行だったが、最終日はマニラのペニンシュラホテルでノンビリした。
東南アジアの田舎の海に行った際は、多くの場合、帰国前日は真っ当なホテルに泊まってリハビリ?に励む。
他のアジアの都市に比べてマニラのホテル物価は割安だから、今回もここぞとばかり高級ホテルを選んだ。
ペニンシュラも東京に比べて半額以下で泊まれる。やはり高級ホテルを名乗る以上、それなりに余裕を感じさせる造りであって欲しい。そういう点では、東京で窮屈に作られたホテルよりも遙かに良い。
日比谷にあるペニンシュラにも泊まったことがあるが、閉塞感という印象が強かった。丸の内のシャングリラも似たような印象だった。
やはり、ここ数年東京に増殖した外資系ホテルは立地的な難しさもあるのだろう。昔ながらの帝国ホテルやニューオータニあたりの日系ホテルが持つ「余裕」が足りない。
デカ過ぎるのも不便だが、窮屈な感じはもっとイヤだ。東京にあるイマドキのホテルは複合ビルの一部を利用するケースが多く、そういう意味で余裕を感じない。
かの人気ホテルチェーン「アマン」も東京に進出。つい最近大手町にオープンした。ホームページを見る限りでは「余裕」を醸し出しているが、実際はどうなんだろう。
「複合ビルの一部」という性格上、頑張っても限界はあるような気がする。
もともとバリ島やプーケットのスーパーリゾートとして知られるようになったアマンがシティーホテルを作っちゃったこと自体が何だかピンとこない。
話がそれた。
マニラのペニンシュラはロビー周りの威風堂々とした感じや装飾がコッテコテで、新しさは無いものの、分かりやすい高級感、分かりやすいクラス感に溢れていた。
オッサン、オバサンにとっては、この「分かりやすさ」こそが快適なんだと思う。スノッブな路線に走り過ぎたり、薄暗くすることだけが美徳だと勘違いしているようなホテルとは異なる。
上品な雑踏。これも大事かもしれない。あまりに人が少ないのも考え物だ。周囲から隔絶されすぎると特別扱いとしては結構なのだろうが、劇場型高揚感(変な言葉でスイマセン)は味わえない。
なんだかエラそうに書いてしまったが、結局は好みである。日比谷のペニンシュラが大好きという人もいるし、敷地全体に余裕が感じられるホテルじゃなきゃイヤという人もいる。
まあ、私の場合は複合ビルの一部に収まっているカッチョいい路線を目指すホテルが何となく好きになれないという話である。
個人的には日系の老舗ホテルをどうしても贔屓したくなる。パレスホテルやキャピトルホテルあたりの「二番手、三番手みたいで何となく地味なのに近年フルリノーベーションされて知る人ぞ知る快適な感じ」の東京のホテルに惹かれる。
ホテルって結局は築いてきた歴史が味わいにつながるのだと思う。ポッと出の外資系ホテルには無い凜とした日本の老舗ホテルはもっと評価されていいと思う。
東南アジアのリゾートホテルは、敷地内の緑や花が豊かに生い茂るようになるまでは未完成のままだという見方がある。
シティーホテルも同じだと思う。リゾートと違って草木は無くてもそこに漂う「気」が成熟してきた時が本当の完成ということなんだろう。
中途半端なホテル論を書いてしまったが、なんだかんだ言ってマニラのペニンシュラはルームサービス、朝のビュッフェ、プールでのサービスもとても良かった。
旅の目的地にわざわざマニラを選ぶ人はいないだろうが、あの街には名だたる高級ホテルが狭いエリアにゴロゴロしている。ラッフルズまであった。
アマノジャッキーの発想ではあるが、観光もショッピングもせずに高級ホテルをハシゴしてノンビリするのも一興かもしれない。
2015年4月1日水曜日
哀愁のプエルトガレラ
1年半以上開いてしまったブランクを取り戻そうと久しぶりに潜水旅行に出かけた。
目的地はフィリピン・プエルトガレラである。マニラから車で2~3時間、そこから船で1時間で到着する怪しいリゾートだ。
海の中は世界的水準の面白さで写真派ダイバーには天国のような場所だ。にもかかわらず陸は適度に猥雑な感じがあって、不良白人が明るいうちからビール片手に浮かれているような興味深いエリアである。
10年前に訪ねて以来2度目の訪問だ。新しいコンデジと専用防水ケースを買ったり、機材をオーバーホールに出したり、準備万端で出かけた。
で、結論から言えば、現地で発熱してずっと寝込んで終わってしまった。オーマイガー!!である。
出発直前に少しダルさがあったが、風邪薬を多めに準備。念のために出発前日には1回飲みきりで1週間持続する抗生物質まで服用していそいそ成田に向かった。
昨年の暮れに扁桃腺が爆発して年末年始のヨーロッパ旅行を断念したのだが、私の天敵である扁桃腺は、わずか3か月で再噴火するはずはない、はずだった。
到着したのは夕方、南国の心地良い風に吹かれながらビールを飲み、メシを食い、なんとなくダルさは感じたものの、寝る前に撮影機材をセットして翌日からに備えた。
で、翌朝、ダルさは消えない。ノドも少し痛い。無理せずダイビングはパスして静養。しかし、体調は徐々に悪化。
そして扁桃腺大爆発である。
いやあ、田舎のダイバー用ロッジの粗末な部屋で寝込むのは結構キツい。現地6泊のほとんどを寝て過ごす。
高熱でブルブル震えて、解熱鎮痛剤を飲むたびに汗がダラダラ。この繰り返し。シンドさがピークの時は、一人悶々と壁を叩いたり、意味不明なうなり声をあげたりした。
ムンクの「叫び」のような表情で数日間を過ごす。事前に飲んでいた抗生物質のせいなのか、中途半端に身体が闘っていた感じで、いつもよりも治るのに時間がかかった。
ムダな抵抗ってヤツである。さっさと負けちゃった方が回復までの日数が短くて済むのに、身体が必死に負け戦に励んだ感じ。
シンどい状況の数日間、水ばかり飲んでいた。ロキソニンは15錠ぐらい使った。最終兵器として坐薬まで投入(挿入?)した。
ダニや蚊の攻撃だけでなく、ときどきトイレの扉を開けるとゴキちゃんが私を驚かせる。散々である。
高熱中にトイレ詰まり事件も勃発してテンヤワンヤする悲劇もあった。
ルームサービスなどという洒落たサービスは無いから、時々、宿のレストラン(食堂)まで行ってゾンビのような様相でスープとライスを注文。部屋まで運んでもらう。ちょこっと食べる。
せっかくの休日はこんな調子で過ぎていったわけである。
潜水歴はまもなく30年になる。ダイビング旅行は海外だけで50回近くになるが、扁桃腺爆発は初めてである。風邪っぽくて1~2日潜るのをキャンセルしたことはあったが「全滅」は初めての経験だ。
3年にわたった大殺界が終わったのに厄年の災いが降りかかったのだろうか。
マニラの高級ホテルにとっとと戻って静養したかったが、セット済みの撮影機材をバラしたりしながら荷造りするのはアノ状態では無理だった。
だいたい高熱のままボートと車で3時間以上移動するのは厳しいから、熱が下がるまで仕方なく収容所のような宿でウンウンうなっていたわけだ。
宿をチェックアウトする前日の昼頃から一気に体調が良くなった。扁桃腺炎だから炎症が終わればケロっとする。
で、宿のちっぽけなプールに浸かってちょっとだけ南国気分である。
温水になったと思ったらすぐに水に変わってしまう部屋のシャワーをロクに使っていなかったからプールを「入浴代わり」にしたことは内緒である。
もう時効だ。
何とも情けない顛末だが、大量の薬を持っていたことがせめてもの救いだった。年齢とともに旅先に持参する薬は増加し、今では籠城すら出来そうなほどだ。
ロキソニンを大量に持っていただけでなく、強力な坐薬まで用意していたことに我ながら感心する。空腹時に胃を保護する薬もいっぱいあった。
痛み止め系の薬は、尿管結石で七転八倒した際に多めに処方されたものを大事に冷蔵保存していたのでひょんな時に活用できたわけだ。
それにしてもこれを書いているだけでドンヨリした気分になる。健康第一である。
ちなみに扁桃腺は50歳も過ぎてくると爆発しなくなるらしい。複数の人からそんな話を聞いた。
もうすぐである。
ゴールデンウィークにでもリベンジしようっと。