2021年2月26日金曜日

豊かな暮らし?

家にいる時間を少しでも快適にしたいからチマチマと工夫を凝らして楽しんでいる。

 

家の醍醐味といえば風呂である。ゆったり風呂に浸かりながら俗っぽい週刊誌を読むのが昔から好きだ。

 

最近は、目もお疲れ気味だから、何も読まずに音楽を流してホゲホゲすることも増えた。

 

風呂の照明ってたいてい色気もヘッタクリもない明るさだ。前に住んでいた家は注文住宅だったから風呂の照明にも調節機能を付けていたが、今のマンションでは無機質の妙に明るいライトがあるだけだ。

 



 

で、Amazonでアレコレ探していたら気になる照明を発見。防水で風呂の中に入れても大丈夫で様々な色に切り替えられる。

 

さっそく4個セットを購入。背面に磁石が付いていたから浴室の壁にセットしてみた。

 

ゆっくりと色が順々に変わっていくモードにしながら、エンヤみたいなヒーリング系の音楽をかければ楽園状態のできあがりだ。

 





 

ラブホテルみたいだ、などと思ってはいけない。そんな残念なことは言わないでもらいたい。そういう下品な発想は私には無縁である。あくまでリラックス照明である。結構気にいったので寝る前のひとときに愛用している。

 

風呂といえばバスタオルの選び方も大事だ。暮らしを豊かに感じるためにはバスタオルはあまり安物を使ってはいけないと思う。

 

この数年、随分とバスタオルを取っ替え引っ替えしてきたが、やはり値段の差は大きい。バスタオルなんてお買い得商品を適当に選べばいいと思うのは間違いである。

 

毎日使うものである。私は朝も夜も風呂に入ることが基本だからバスタオルの感触やサイズ、機能性は結構気になる。長さ140センチ以上が最低条件だ。

 



 

サイズが小さいのはイライラするし、吸水性が劣るのも不快だ。いまだにどういう基準で選べば良いか分からないのだが、結局は値段に比例する。

 

45千円クラスなら間違いない。いま我が家にあるのは結局そのあたりの価格帯の今治タオルばかりになった。高いといっても居酒屋で一回しっかり飲むぐらいの値段である。

 

風呂上がりのスッポンポンの身体をフォローしてくれる大事な相棒だ。そのぐらいの値段をケチってはいけない気がする。

 

ついでに言えばトイレットペーパーも値段は重要なポイントだ。高いヤツは間違いなく良い。こればかりは、高けりゃいいってもんじゃないなどと強がることは出来ない。

 

こういう部分を倹約するのは大事だろうが、私のモットーは「暮らしを豊かにするなら高いトイレットペーパー」である。

 

高い安いといっても大きな差ではない。毎日毎日それも大事な大事なところを綺麗に仕上げる!わけだからキチンとした商品を選びたい。

 

毎日身体に触れるものをちょっと良くするだけで意外に気分はアガるものだ。コーヒーを飲むカップ、お茶を飲む湯飲みだって然り。いい歳したオトナが100円ショップの器ばかりでは寂しい。

 



 

最近は、家飲みをすることも増えてきたが、缶チューハイ、缶ビールもお気に入りのグラスを使うだけで気分が豊かになったように思える。

 

私の酒器コレクションは日本酒を前提にした徳利や盃ばかりなのだが、家飲みではあまり日本酒を飲まないのでなかなか出番がない。

 

仕方なく焼酎を飲む時にわざわざ大ぶりのぐい飲みに氷を一つ落としてロックで楽しむこともある。お気に入りのぐい飲みを手に持つだけで味わいが確実に変わる。

 

缶チューハイをぐい飲みに注いで飲んだこともあるが、あれは失敗だった。ガーっと勢いで飲む酒に盃は不要だ・・・。

 

さてさて、どうでもいいことを書き殴ってしまったが、こんな世相だからこそ、どうでもいいことにちょっとしたこだわりを持って暮らすことは大事だと思う。





先日も寝室で使っている加湿器に水溶性のアロマオイルを入れてみた。一気にふんわりとした香りに包まれて眠りの質が上がった。。  ような気がする。


思い込みは大事だ。




2021年2月24日水曜日

伊豆山、温泉、梅林

先週末、思い立って熱海まで出かけてきた。なんとなくクルマをかっ飛ばしたくなったので温泉目指してひとっ走りしてきた。

 

天気が良かったので海辺の景色が良い宿を選んだ。伊豆山にある「ニューさがみや」。15年ぐらい前に2度ほど訪ねたことのある宿だ。

 



 

ビルタイプで旅館的風情は無い宿だが、全ての部屋、温泉から海が一望できる立地がウリだろう。

 

凄い高級ではないが、大衆的でもない。サービスもきっちりしていてオトナ向きの“ちょうど良い宿”だと思う。

 

海の眺めを堪能できる快適な貸し切り風呂が3つあり、予約は不要、空いていればいつでも入れる。

 



 

こんな時期でもあるので、当然宿泊客は少ない。夕方、夜、朝ともに貸し切り風呂はいつ行っても待つこともなく入り放題だった。

 

エセ富豪?だから温泉に行く際は露天風呂付きの部屋を手配することが多いのだが、それなりの宿だとどうしても高値になる。

 

その点、こちらの宿はベーシックな部屋をおさえて貸し切り露天に入りまくれば、低コストで充分に温泉独占状態を堪能できる。

 

「オッサン達のゆで汁」とも言えなくもない混んだ温泉に浸かるよりも感染対策上も安心である。今のような世相にはもってこいの楽しみ方だ。

 





 

この画像は、珍しく早起きして日の出入浴をした時のものだ。水平線が色づいてきた頃に湯に浸かりはじめ、サンライズショーをじっくりと楽しめた。今年一番爽快な朝だった。

 

この宿は食事も高水準だ。丁寧に仕上げられた料理が少しづつ運ばれてくる。風呂は貸し切り、メシは部屋食。こんな感じだからコロナストレスをしばし忘れられた。

 






 

一泊してチェックアウト後は湯河原の幕山公園に向かう。目的は梅林だ。桜よりも梅に惹かれる私としては避けて通れない場所だ。


晴天に恵まれウキウキと楽しい散歩ができた。このブログでも梅が好きな話はちょくちょく書いてきた。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2015/02/blog-post_18.html

 

梅の控えめな感じ、はかなげな感じが好きだ。何となく品がある。桜はちょっとアザとい雰囲気?があるが、梅は楚々とした風情が素敵だ。

 







 

汗ばむほど歩き回って梅ざんまいの時間を過ごした後は、また高速をかっ飛ばして帰路についた。

 

好きな音楽を大音量で流し、時には大声で歌いながらの高速ドライブはリフレッシュの仕上げにはもってこいである。

 

YOASOBIを聴き、あいみょんを聴き、そのうちナゼか布施明やワイルドワンズなんかを聴きながら歌い始め、結局はハマショー師匠の曲をシャウトしていたらアッという間に家に帰り着いてしまった。

 

熱海は近い。今更ながらそれが結論だ。

 

 

2021年2月22日月曜日

赤穂浪士を訪ねてみた



 

本格的なレベルではないが私は昔から結構歴史モノが好きだ。マニアと言うほどではない。プチ歴史好きといったところか。

 

小学生の頃に忠臣蔵の世界にハマったことや姫路城の姿に興奮したことがきっかけかもしれない。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/12/blog-post_11.html

 

赤穂事件というより忠臣蔵の名で知られる四十七士の討ち入りは映画やドラマの世界では「1214日」が定番。この日付は旧暦でのものだから今の暦に直すと21日あたりになる。

 

その後、義士達が切腹したのが今の3月。一般的に年末の風物詩としてイメージされる忠臣蔵は、実際にはちょうど今ぐらいの時期に当時の世間を騒がせていたのが史実だ。

 

というわけで、泉岳寺まで足を伸ばして義士達を偲んできた。最近、休日の散歩の際は都営浅草線を好んで使う。浅草が意外に近かったのと同じく、泉岳寺までも割とすぐに行けた。

 



 

言わずと知れた義士達の墓があるお寺だ。ブチ切れちゃって吉良さんに斬りかかった浅野の殿様の墓の横に一団にまとまって埋葬されている。

 

大石内蔵助をはじめとする義士達は、討ち入りの後に吉良邸のあった今の両国のあたりから泉岳寺まで歩いて移動した。

 

吉良さんの首を亡き殿様の墓前に供えて報告するためである。壮絶な殺し合いの後に両国から泉岳寺までを歩いたわけだから相当な体力だと思う。

 

大石は45才、他の義士にもオッサンは多かった。60代の義士もいたし、堀部安兵衛の父・弥兵衛などは70代後半だったらしい。

 

生きるか死ぬかの決闘の後にズンズン歩いたことは凄いと思う。アドレナリン効果だろう。

 



 

墓前には忠臣蔵ファンが供えたお線香や花もあって、義士達が300年以上に渡ってヒーローであり続けていることを実感する。

 

残念だったのはコロナのせいで記念館などが閉館していたこと。ボーッと展示物を見ながらその時代を想像するのが好きな私としては大ショックだった。

 

仕方なく境内をウロウロしていたら、吉良さんの首を洗った井戸や、瑤泉院(浅野の殿様の奥さん)が誰かに託した梅の木を移設したものなどがあって観光気分がちょっとアガる。

 




 

梅も咲き始めていたから「いとをかし」だった。時代の変遷に関係なく咲いては散り、咲いては散るを繰り返す花のはかなさが印象的だった。

 

お寺の境内近くには赤穂浪士ゆかりのグッズを売るお土産さんが数件並んでいる。義士の名前が入った扇子だとか湯飲みなど忠臣蔵ファンならついつい欲しくなる逸品?が揃っていた。

 

私もあやうく買いそうになったが、まず間違いなく不要品になる。ちゃんと我慢して通り過ぎた。

 

帰路、泉岳寺のそばに出来た山手線の新駅まで歩いてみた。その名も悪評高き「高輪ゲートウェイ駅」である。

 



 

確かにヘンテコな名前である。何の意味があってこんなネーミングにしたのだろう。実に居心地が悪い(好きな人、ゴメンナサイ)。

 

お隣の田町も「ライスフィールドタウン」とかに改称したら面白い。新橋は「ニューブリッジ」、目黒を「ブラックアイ」、私の職場の近くの宝町駅は「トレジャータウン」である。

 

銀座は「シルバーシート」。それもそれで面白いかもしれない。

 

変なまとめになってしまった。

 

 

2021年2月19日金曜日

好き嫌いと猫舌

 私はいっぱしの大人だ。大人というより人生後半戦にあるレッキとした中年、高年期直前である。


そんな私の恥ずかしい特徴は「好き嫌いが多い。おまけに猫舌」である。まるで子供レベルである。


年齢とともに演技が上手くなったから、好き嫌いの多さや猫舌であることを隠すことは得意だ。さすがに堂々と宣言するのはちょっと恥ずかしい。


猫舌だから鍋焼きうどんなんて絶対に食べない。食卓に運ばれてから食べ始めるのに20分は待つ必要がありそうだ。


味噌煮込みうどんとか、あんかけラーメン、ジュージューと音まで出している中華料理のおこげも無理。


ご飯類ならジッと待てば食べられるが、麺類は厳しい。私が食べられる頃にはデロデロに伸びてしまう。





猫舌なのに熱燗は大好きだ。逆にぬる燗、人肌燗などは苦手だ。チンチンに熱くしたお燗酒が最高だ。


家飲みの際、ウチで燗付けする時は「お燗メーター」を使って60度ぐらいになったら飲むようにしている。


徳利が熱くて持てないぐらいが私の適温。おしぼりで徳利を包みながら注ぐぐらいで丁度いい。


冬場は町中華の店で餡がたっぷり載ったラーメンを食べている人を目撃する。玉袋筋太郎のBS番組「町中華でやろうぜ」でもそんなシーンは多い。


あれをハフハフとウマそうに食べている人をみると素直に尊敬する。憧れのまなざしで見てしまう。玉袋のことも尊敬する。


猫舌に関してはちょっと時間をおけば何とかなるが、好き嫌いに関しては困ってしまう。時間が経ってもどうにもならない。いっそうマズさが増すことすらある。





ある時、焼鳥屋さんでボケっと飲んでいたら私が絶対に注文することの無い茄子の煮浸しが出てきた。サービス品である。


茄子は大嫌い、煮浸しみたいな料理も嫌いだ。目の前の茄子はそんな私をあざ笑うかのように佇んでいる。


冷や汗が出そうになる。サービス品だから、オカミさんには嬉しそうな顔でお礼を言って口の中に放り込む。


吐きそうになる。必死に違うことを考えながら噛まずに一気に飲み込む。人よりも食道が広い身体で心底良かったと思う。でも涙目になる。


ある時はシャレたレストランで謎の食べ物が出てきて卒倒しそうになった。皿の上に枝みたいな物体が鎮座している。はたしてこれは食べ物なのだろうか、ここから何かウマそうなソースでもかけるのか、はたまた炎のフランベでも始まるのかと、じっと見つめていた。




じっと見ていても何も始まらなかった。睨んでみてもコイツは消滅してくれない。仕方ないから少しづつカットして噛まずに頑張って飲み込んだ。つらい思い出である。


もともと野菜全般が嫌いだったのだが、ここ数年、薬味の野菜やタマネギあたりは大好物になった。とはいえ、相変わらずニンジン、ピーマン、セロリといった子供が嫌うような野菜は全部ダメだ。





飲み屋さんでタマネギステーキを頼むことがあるのだが、これを食べていると「好き嫌いを克服した立派なオトナ」になったような気がしてナゼか万能感に浸る。


どっさりネギを載せたネギチャーシューメンを食べる時も自分が“野菜を好んで食べる立派な人”に思えて自己承認欲求が満たされる。





昔はマックのハンバーガーに入っているネギも苦手だったし、ピクルスには殺意を覚えた。今ではピクルスも好きでウキウキ食べるほどである。


野菜嫌いにとって大問題なのは家メシである。飲食店なら人の目を気にして野菜も我慢して食べる、いや噛まずに飲み込む。その点、家では自由気ままに野菜を排除できる。


中華料理屋の五目焼きそばをよく注文するのだが、乗っかっている野菜の大半は除ける。


チンゲン菜や青菜も芯のあたりは捨ててシナシナの葉っぱ部分だけを食べる。もはや五目ではなく「二目」ぐらいの状態で食べるのが好きだ。


ライオンだって野菜なんかちっとも食べないのに元気だ。そう思えば私だって野菜から逃げながら半世紀以上も元気で生きているわけだから今更無理に食べても仕方ない。


というわけで、野菜のヤの字もないフィレオフィッシュをむさぼり食いながら頑張って生きていこうと思う。





なんだかシマリのない話になってしまった。





2021年2月17日水曜日

銀座のクラブで夕飯を食べる

 大臣経験もあるような与党議員らの「夜の銀座騒動」のせいで、すっかり「銀座のクラブ」が悪者になってしまった。気の毒である。

 



 

コロナのせいですっかり顔を出さなくなった私だが、いまの窮状をみるに忍びなく、先日、某店をちらっと覗きに行ってきた。

 

今の銀座は飲食店の時短営業要請を反映して夕方早い時間から開けている店が多い。14時から開いている店があったという凄い話も聞く。

 

いまどきこの種の店が混雑しているはずもなく、キチンと感染対策をしている店なら昼時のラーメン屋や定食屋よりよほど安全だという見方も出来る。

 

で、17時過ぎ某店に行ってみた。当然、お客さんはいない。シラフだしなんだかシックリこない。空腹だったので銀座名物の「ミヤザワのサンドイッチ」を出前してもらう。

 




 

ミヤザワのサンドイッチは界隈で飲んでいるオジサマがたにとっては至高の逸品である。とくにタマゴサンドが絶品である。

 

この日はタマゴサンド、ツナサンド、そして禁断のエビフライサンドもミックスした。

 

エビフライサンドはタルタル人である私が悶絶する素晴らしい味がする。ありそうでない一品といえよう。

 

マッカランの水割りにも合うが、ついでに単品でカキフライ(タルタル付き!)も頼んでしまったので、お店をちょこっと応援するためにシャンパンの高くないヤツをオーダーしてしまった。

 

カキフライとエビフライサンドをつまみにシャンパンである。何とも素敵な組み合わせだ。

 



 

時にはこんな銀座の夜を味わうのも悪くない。例の議員センセイ達が糾弾されたのは、国民に自粛を要請する立場なのにウソまでついて銀座で深夜まで飲んでいたからである。

 

当たり前だが、銀座の店が悪いわけではない。実際、この日私が訪ねた店は20時で閉店である。一人で行ったわけだし、深夜までバカ騒ぎするはずもない。

 

とりあえずお上の言うことを聞いて真面目に踏ん張っている店まで害悪視するような風潮が強まってはいけないと思う。

 

昨年の春頃だったか、休業しないパチンコ屋が物凄いバッシングを受けた。補償も無い中で漫然と休業できなかったのは当然だろう。

 

それなのにパチンコ屋の前ではまるでデモ行進のようなケッタイな光景が繰り広げられた。拡声器で怒鳴りながら休業を求めた“自粛警察”の姿を覚えている。

 

ちなみに、東京、大阪など大都市のパチンコ屋では、結局これまでクラスターは発生していない。それが現実だ。

 

あの時のまさに国を挙げてのパチンコ屋バッシングなど今では誰も口にしない。まるで無かったような顔で知らんぷりである。

 

私はパチンコをやらないから特別思い入れはないのだが、パチンコ屋さんのオーナーだったらハラワタ煮えくりかえったはずだ。

 

先日ふらふら散歩に行った浅草のホッピー通りでは明るい時間から大勢の酔客がぎっしり詰め合って楽しそうに飲んでいた。

 

浅草に限らずあちこちの大衆酒場で早い時間にかなり混雑した状態でワイワイやっている情景を何度も目にした。

 

時短という作戦も分からなくはないが、現実はどうなんだろう。もともとギュウギュウに混まないような店にとっては単なる迷惑でしかない。

 

もちろん、未知のウイルスだから何でもかんでも自由というわけにはいかないだろうが、直接被害を受けている飲食業や接客前提の商売に携わっている人々は本当に気の毒だと思う。

 

客のいない銀座のクラブでサンドイッチをツマミながらそんなことを考える時間だった。

2021年2月15日月曜日

浜田省吾師匠との40年



私のお宝グッズである。ハマショー師匠だ。コンサートトラックのミニカーと熱唱する師匠のキーホルダーである。


「浜田省吾」を知ったのは中学2年の頃。もう40年以上前のことである。当時、広島出身の大学生が家庭教師として週に一度わが家に来ていたのだが、彼が同郷のハマショーを私に勧めてきたのがきっかけ。


家庭教師と一緒に彼が持ってきたカセットテープを聴きながら「いいですね~」「最高ですね~」などと必死に気に入ったふりをした。勉強の時間を少しでも減らしたかったから調子を合わせたわけだ。


そのうち何となく耳に残るようになり、率先して聴きこむようになった。以来、40年以上にわたって私の人生を側面支援?してくれているのがハマショー師匠の楽曲である。


ハマショー師匠といえば、その昔、ダウンタウンがネタにしていたことで知る人ぞ知る。「ハマショーだらけの野球大会」は傑作だった。残念ながら著作権の関係か今では音声がカットされて興ざめだが、「ハマショー積載事件」のほうはしっかり見られるので嬉しい。


ハマショー積載事件

https://www.youtube.com/watch?v=Q3tZPFVLr1U


ハマショーだらけの野球大会

https://www.youtube.com/watch?v=AEXTbVRaHvE


中学生の頃は師匠のデビュー曲である「路地裏の少年」や「反抗期」「独立記念日」「壁に向かって」といった鬱屈青春モノにシビれた。


路地裏の少年

https://www.youtube.com/watch?v=yeFEzyYoq0A&list=RDbGSCUbvgU8M&index=13


その後、フォークとニューミュージックのどっちつかずみたいな迷走時代も飽きずに聴き続けた。カップヌードルのCМソングでちょっと世間に名が知られるようになったのが今から40年ほど前である。


風を感じて

https://www.youtube.com/watch?v=WCtBw_1zjVQ


他にも「もうひとつの土曜日」「悲しみは雪のように」など良く知られているムーディー?な曲なども聴き込んだ。


バブルの頃、テカテカしたオヤジが得意になって「もうひとつの土曜日」をオネエチャン相手に熱唱しているのが物凄く不快だった切ない思い出もある。


その後、師匠はロック調の路線を固めるようになり、経済成長ニッポンを象徴するように「終わりなき疾走」という曲のレコーディングではギターにあのスティーブ・ルカサーを起用したこともあった。


終わりなき疾走

https://www.youtube.com/watch?v=YS5v_DAXTzw


社会人になって数年が過ぎ、諸々の葛藤があった頃の私に刺さったのが名曲「J・BOY」である。学生気分が抜けきらなかった私の鬱屈を振り払ってくれたような曲だ。


ここに貼り付けたライブ動画はハマショー師匠がほぼ還暦ぐらいの頃だ。エネルギッシュさに感服する。


J.BOY

https://www.youtube.com/watch?v=7dUfaCD5Y0A


その後、オトナ生活を歩む私はさまざまなシガラミに混乱したり、個人的にシンドイ思いに沈んでいくこともあった。そんな時には「家路」という曲に勇気をもらった。いろんな意味で背中を押してもらった一曲である。オヤジバンドを作って初めて人様の前で歌った際にもこの曲を選ばないわけにはいかなかった。


ちなみにここに貼った「家路」の動画は、ミスチルの桜井和寿とチャリティー系のフェスで共演した際のもの。演奏終了後、桜井&小林武史と挨拶を交わすハマショー師匠がカッチョよくてシビれる。


ハマショー師匠がステージを後にした直後、次の演奏で桜井クンが感激のあまり泣いちゃったのは知る人ぞ知る話。


家路

https://www.youtube.com/watch?v=12rOfYTPuhs


わがオジサマバンドの楽曲選びでは、ついついハマショー師匠のカバーをやりたくなるが、コピーバンドっぽくなるのもイヤなので、あえて避けるようにしている。とはいえ、5~6年前に私が突然ギターを買ってギター教室に通い、初めて人様の前でギターをかきならしながら歌った曲は師匠の「Walking in the rain」である。


軽快な感じの楽曲だが、歌詞の内容は暗い。私向き!である。居場所が見つからない男が、結局は一人きりなんだなあと達観している感じである。


♪ 時々誰かのぬくもり 

慰められて泣きたくなるけれど

But I`m walking in the rain 

 I`m just walking in the rain 

ひとりきりさ いつだって I`m just walking in the rain ♪


ちなみにギターコードは非常に簡単だ。器用な人なら初めてギターを手にしてから2か月もあれば弾けると思う。


Walking In The Rain

 https://www.youtube.com/watch?v=0JnG_mDnknU


そして中年時代を迎え、こんな私ですら大げさに言えば生きているのが辛く感じた場面があった。過ぎてしまえば何でもないことだったようにも思えるが、渦中にある時はキツい時間に押しつぶされそうになったが、やはりハマショー師匠の「日はまた昇る」という曲が前進を手助けしてくれた。


♪ 荒野にひとり君は立ってる

行く道はいくつもある

だけどたどりつくべき場所は

きっとただひとつだけ

どの道を歩いていこうと

君は君のその人生を受け入れて楽しむ他ない

最後には笑えるように ♪


文字にしてしまえばそのまんまでがあるが、とても心に刺さって大いに勇気づけられた。


すべての中高年に刺さる歌だ。若者の音楽だった邦楽ロックが年月を重ねて熟成し、大人のロックとして結実した一種の完成形だと思う。


下に貼った動画は歌詞も流れてくるので、ぜひじっくり聴き込んで欲しい名曲だ。


日はまた昇る

https://www.youtube.com/watch?v=Ud3zB29pbg4


他にも離婚しちゃった中年男の切なさを歌にした「花火」や、それに対する一種のアンサーソングのような「五月の絵画」など私の心を揺さぶる歌はたくさんある。


なんだかキリがなくなってきたが、最近はYouTubeでも気軽に師匠のライブ動画を見られるので実に便利である。


今でも月に2,3回息子としっかり遊ぶ日には、直訳すれば「私は父だ」という曲の動画を見てから気合を入れて出かける。映画のようなこのビデオの時任三郎がなんとも味わい深くて好きだ。吹越満もなかなか渋い。


I am a father

https://www.youtube.com/watch?v=IIqi3YVC-Bg


思えば40年以上にわたって一人のミュージションの楽曲に自分の歩んできた年月を重ね合わせられるのは幸せな事だ。


少年時代の葛藤から大人時代の葛藤、そして中高年になっての達観まで、時系列でさまざまな曲が当てはまる。中学時代のあの家庭教師には感謝しかない。


あいみょんも聴く、YOASOBIも聴く。でもやはり私のベースにはハマショー師匠の音楽がデンと真ん中に居座っている。


最近のお気に入りが、師匠を師匠たらしめている一曲だ。愛だの恋だのだけではなく、戦争や災害を踏まえた硬質なメッセージソングをしっかり作ってくれるところが長く第一線を走り続けている隠れた理由であることは確かだ。


アジアの風 青空 祈り part-2 青空

https://www.youtube.com/watch?v=k2ddP_T87yM







2021年2月12日金曜日

浅草が呼んでいる




 

やたらと暖かかった先週末の話だが、のんびりと浅草を散歩してきた。外国人のいない浅草をふらつくのは四半世紀ぶりぐらいだろうか。

 

人出はそこそこ。緊急事態宣言中ということを考えれば多いのだろうが、コロナ以前の状態に比べればガラガラだ。

 

さすがにホッピー通り界隈は週末とあって昼飲みに精を出す人々で大賑わいだった。飲食店の時短営業要請の中途半端ぶりを痛感するシーンだろう。

 




 

祖父以前のご先祖様は浅草界隈の人だったから私にとって浅草は何となく郷愁を感じる街である。

 

再開発によってこの10年ぐらいですっかり綺麗になったが、昭和っぽいオッチャンがウロウロしている雰囲気はしっかり残っている。

 

浅草の魅力は、オシャレとは無縁の土着的東京っぽさ?だと思う。表通りはともかく、裏通りや外れの路地を歩けば他の街とは違う“濃さ”を感じる。

 

某港区界隈のように地方から出てきた人が一生懸命トンがって作り上げたシャレオツな路線とはまったく違う。

 

大衆演劇の小劇場や演芸場が普通にあって、定食屋や喫茶店も昭和のまま時が止まったような風情だ。

 

ゴルゴンゾーラやアマトリチャーナといった発音のしにくいパスタではなく、あくまでケチャップナポリタンであり、バスクチーズケーキやマカロンではなく、芋ようかん、ぜんざいが似合う街である。

 

この日ふらっと入ったのが老舗の洋食屋「リスボン」。素っ気ない造りのカジュアルなお店だ。お値段も手頃。

 



 

マカロニグラタンとオムライスを頼む。味は極めて普通である。極めて真っ当だとも言える。両方ともとくに特徴は無い。でも特別感は無い分、毎日でも食べられそうな味わいだ。

 

グラタンは昭和のニッポンの味だ。子供の頃に母親が作ってくれた味に似ていた。牛乳が多めなのかとてもマイルド。お子様向けかと思うほど優しい味だが、これはこれでクド過ぎないという点で悪くない。

 

オーソドックスなオムライスは中のチキンライスがちゃんと美味しかったのが嬉しい。これは大事な点だ。

 


いろんなオムライスを食べてきたが、オムの部分は頑張ってるのにチキンライスの味が無かったりベチャベチャだったりすることは珍しくない。

 

中身のチキンライスがちゃんとしている場合、3分の2ぐらい食べたところでオムレツ部分はすべて食べきって、チキンライスだけにした状態にするのが私の食べ方だ。

 

最後はチキンライス単体である。これだとオムライスとチキンライスを2種類食べたような気分になるから食い意地の張った私には嬉しい。

 

この日は、浅草から合羽橋のほうまで歩き、まず使うことの無い調理器具を見たり、食品サンプルの技術の高さに驚きながらのんびり散歩。

 

マスクを外したくなると人のいない路地に入ってあてもなく歩く。こういう時にはそこら中で見かける由緒書きみたいな看板を読むのが楽しい。

 




 

江戸時代の事件や世相を反映した記載内容がいま自分がいる場所で繰り広げられていたかと思うと感慨深い。

 

子供の頃から御先祖様の墓参りついでに何度も浅草に連れて行かれた。杉並区の実家からは妙に遠かったので、大人になってからも浅草は遠い所という思い込みが強かった。

 

中央区に住むようになって浅草が案外近いことに気付いたからこれからはマメに出かけたいと思っている。

 

いまの住まいからまあまあ近い距離にある都営浅草線の駅からだとわずか10分で浅草に着く。

 

職場のほうが浅草線の駅は近い。10分で移動できるなら通勤にも至極便利である。

 

ひょっとしたら住めちゃうかもしれない。人生で一度ぐらい浅草に住んでみるのもアリだろうと本気で考えている。

 

私が大好きな洋食屋さんはごろごろあるし、鰻屋さんをはじめとする“オヤジメシ”の名店がわんさかある。

 

どちらにお住まいですか?と聞かれて「浅草だよ」と答えるのはちょっとカッチョいいかもしれない。



2021年2月10日水曜日

光秀ロス、鬼、性の日本史

「麒麟がくる」が終わってしまって明智光秀ロスである。コロナ禍で大河ドラマ史上初の年越し放送、2月に入ってからの最終回だった。

 



 

もちろん、最終回は「本能寺の変」一色だった。これまで長年にわたって映画や大河ドラマで数え切れないほど見てきた場面だが、今回はかつてなくジーンときた。

 

“究極のボーイズラブ”であり“究極のオッサンズラブ”として描かれていた本能寺の変は実に画期的だった。

 

一般的には恨みバリバリの主君討ちというのが本能寺の変のパターンだ。今回の大河ドラマでは、惹かれ合っていた信長と光秀の切ない別離として描かれた。

 

最終回の切なさを際立たせるためだけに1年以上の放送があったように感じた。これまで染谷将太という俳優は知らなかったが、彼の信長役はとてもインパクトがあった。

 

ドラマだから史実に忠実である必要はない。悪者イメージが根強い明智光秀を新しい角度から描いた試みはすごく良かったと思う。


そもそも明智光秀を主役にしたことがすべてである。これに尽きる。この230年の間に様々な歴史研究が進み、かつての「単なる悪役」イメージはだいぶ変わってきたのは知る人ぞ知る話だ。

 

歴史は言うまでもなく勝者が語り継ぐもので、敗者の論理は抹殺される。実際は謎だらけだ。石田三成にしても敗者だから良いイメージは無いわけで、明智光秀はその最たる存在だ。

 

明智側にも言い分はあるわけで、本能寺の変の直後に、急ぎ駆けつけた秀吉に撃退されていなかったら歴史はまったく違うものになっていたわけだ。

 

山崎の戦いで仮に光秀が秀吉に勝っていたら、その後、織田信長は単なる悪辣オヤジとして語り継がれた可能性もある。

 

今日、織田信長がスーパーヒーローとして国民的人気を得ている状況は、あくまで秀吉の視点からのものでしかない。


歴史の見方にもいろいろあっていいわけで、今回の明智光秀側からの本能寺の変はとても見応えがあった 。


私が子供の頃から大好きな歴史モノといえば「忠臣蔵」だが、あれだって討ち入りされた吉良さん側の視点で映画や大河ドラマが作られたら面白いと思う。


吉良さんにしてみれば逆恨みされたテロリストに寝込みを襲われたわけであり、悪役一辺倒で未来永劫語り継がれるのは気の毒に思う。


今の愛知あたりの吉良さんの領地では彼は名君と慕われていたという話もあるし、逆側からの忠臣蔵をぜひ見てみたいものだ。


話を戻す。今回の大河ドラマを見始めてから、ついでのように光秀モノのムック本などを随分と乱読し、信長公記まで買ってしまった。

 





 

歴史モノは想像を働かせられるロマンの世界だ。作り話や伝説だとしても実在した人物が元になっているわけだから単なる創作モノよりも迫力がある。

 

昨年あたりから池波正太郎、藤沢周平、山本周五郞などの主に“市井モノ”の短編ばかり読んでいるが、時々、実在の有名人ネタが網羅されたムック本などに寄り道するのも楽しい。ステイホームにおける私の楽しみになっている。

 

Amazonで探しているとなかなか見つけられないのだが、実際に本屋さんに足を運んで、歴史モノの書棚を眺めると、思わず手に取りたくなるムック本が並んでいる。

 



 

先日買ってしまったのは「鬼と怨霊」という一冊。なかなか深い洞察に満ちていて日本人の精神性や文化を学ぶにはもってこいである。

 

心の中にある邪悪な部分を映す鏡として鬼は時代によって姿を変えて人間社会に根付いている。数々の言い伝えなどが網羅されていて読み応え満点だと思う。

 

なんだか、このブログらしからぬ方向に話が進んでしまった。

 

軌道修正?のために他にもやたらと面白く読んだ歴史モノを紹介しよう。

 



 

その名もずばり「性生活の日本史」である。ワイ談のネタを探すには最適!?な一冊だ。それ以前に日本人として非常に勉強になった。

 

フリーセックスが盛んだった大昔の日本人がどのように変わっていったのか分かりやすく解説されている。

 

寺院の台頭、武家社会の到来によって戒律や規律という名のシバリで大きく変わったセックス環境、風呂好きの国民性が招いた乱交文化?の話など興味深い話が盛りだくさんだった。

 

古来、日本人には純愛も不倫という概念も無く、まずはセックス、すべてはそこから・・・という実にうらやましい行動パターンが普通だったとか。

 

その部分だけは、本気でタイムスリップしてみたいものである。