2012年6月29日金曜日

バンド始動

頭の中のキャパシティには限界があるから、考えることが多すぎるとパンクしそうになる。

ネガティブな問題ばかり抱えていれば、憂鬱な気分がマックスハイテンション?になるから、なるべく明るく楽しいことを考えていたい。

仕事が何割、家庭が何割、それ以外が何割などと言っても、それぞれのテーマごとに枝葉の伸び方、枝葉のこんがらがり方はさまざま。年を重ねるうちにドンヨリすることも多い。

正直、今の私にはヘビー極まりないドンヨリテーマが頭を支配しているのだが、何とも有難いことにドンヨリを吹き飛ばす別な問題が勃発したおかげで、適度なバランスが保てている。

もったいぶった言い回しになってしまった。

勃発した問題とは、アコギバンドのボーカルとしてライブハウスに出ることだ。

9月の話ではあるが、先日、初練習をやってみて、頭の中のかなりのウェイトが「ボーカリストとしてのプレッシャー」で占められるようになった。

ちょっとカッチョいい悩みだ。

初練習の場所は週末の誰もいないわが社の応接室だ。声を張り上げても大丈夫だから今後も定期的に集うことになった。

夏の盛りにはスタジオでの練習も重ねる方針だ。なんか本格的だ。楽器屋さんに行ってマラカスとかトライアングルでも買ってこようかと思案中だ。

誤解のないように書いておくが、アコギバンドとは、アコギな連中で結成したバンドではない。アコースティックギターだけで結成したからアコギバンドだ。

ギターが二人。リーダーとバンマスだ。そしてウィーン少年合唱団出身の天使の歌声を持つ私の3人組だ。アコギ2本だと青春歌謡みたいな歌をチャカチャカやれば済むと思っていたのだが、そんな甘い考えは初練習で吹き飛んだ。

ギター2人の卓越した技能を前に「やべえ」というのが率直な感想だ。一方で、「面白そうやんけ」という図々しい好奇心も沸々と湧いてきた。

ギターの二人はさすがにオッサンである。長生きした分の経験とテクニックが、ただジャカジャカかき鳴らすだけのギターとは次元の違う音色を奏でる。エレキも真っ青な世界だ。

何とも頼もしい。私がなんとか普通に歌うことさえ出来れば、いっぱしの雰囲気は出るはずだ。

現在、選曲中。はじめは3,4曲程度だろうと思っていたのだが、何と10曲ぐらいやるみたいだ。とにかく歌い出しが簡単な曲ばかりやりたい。上ずってしまうと歌い出しでズッコケそうな気がする。

一応、今の段階で数曲はほぼ確定。ここ数日、既に私はそれらの曲の歌い出しの部分だけを気付けば口ずさんでいる。そんな時でも時々音程がとっちらかる。実にヤバい事態だ。

世間で話題の「おひとりさまカラオケ」をネクラだ何だと言ってられない状態だ。多分、この夏は一人でカラオケボックスにこもり続ける気がする。

場所は都内某所のライブハウス。ホームページをチェックして、これまたたじろぐ。実にまともな場所だ。まさにステージだ。日々、酔っぱらって卑猥な替え歌ばかり歌って生きてきた私がマイクを握って良いのだろうか。

根っから謙虚で奥ゆかしく控えめな私としては今から心臓バクバクである。9月に入ったら心労で倒れるんじゃないかと思う。死んじゃって追悼コンサートになったりするかもしれない。

いや、それじゃあ歌えないから元気でいることにしよう。

うーん、考えたら頭の中がそれっばかりになっている。オリジナル曲の作詞も全然できていないし、書きたい詩が浮かばずに苦悶中だ。

いっそのこと、今このようにビビっている気持ちを詩にしてみようかなどと考えている。

それにしても、私の頭の中をこんなにも占拠してくれる機会を与えてくれたギターの二人には感謝感謝である。

今後、ライブまでのプレッシャーで私が胃潰瘍になろうとも、ライブ当日、グチャグチャになって客席から生卵が飛んでこようとも、今の時点で既にこれほど心がワサワサする経験ができたのだから実に有難い。人生には刺激が必要だからこういう機会は面白がったモン勝ちなのだろう。

リーダーとバンマスのご恩顧に報いるため何とかうまくこなせるようにしたい。

最近、私を苦悩させるテーマのせいで、ついつい煮詰まることが多い。それはそれで正面から向き合うべき課題だし、どう転ぶかまだ分からないのでウツウツしてしまう。

そんなときはアコギバンドの話題に頭を切り換える。さすがに一気にテンションや気分が変わるから不思議だ。

夢の中では、何度もプリンセスプリンセスのベーシストとして武道館のステージに立った私だ。あの経験を思い出して楽しもうと思う。

2012年6月27日水曜日

パダンバイ マクロ撮影

今回のバリ旅行では、本来の目的である水中撮影もそこそこ楽しんだ。あれこれ忙しく予定を立てていたので、いつも基地にしているトランベン方面には足を運ばず、チャンディダサ近郊のパダンバイだけを潜ることにした。

パダンバイはバリで最初に開発されたダイビングポイントで、空港近くの南部リゾートエリアからは1時間半もあれば到着する。大人気のトランベン、アメッド方面が2時間半から3時間の移動を必要とするのに対して気軽に楽しめる場所だ。

今回、旅の前半は、パダンバイに15分ぐらいで行けるアリラマンギスリゾートに滞在したので、至極楽ちんだった。

このパダンバイの弱点?は潮回りの関係で水温が低くなることが多い点だ。だからこそ、メインエリアであるトランベン方面とは生物層が異なって面白いとも言えるのだが、軟弱ダイバーになり果てた私にとっては水温は大きな問題。

結局、持参したウェットスーツは宿に放置して厚手のウェットスーツをレンタルした。これが大正解。かろうじて水温は24度程度あったが、普段28度以上の水温でホゲホゲ潜っている私にとっては、かなりキツかったのも確かだ。おなじ日のトランベンエリアは水温29度だったそうだ。


画像はクリックすると大きくなります。

まずはサメから。サメといっても、こいつはノンビリおとなしく穴の中で寝てばかりいるサメで、ちっとも迫力はない。

穴ぐらに頭を突っ込んで、ストロボアームを延ばして、ヤツを突っついて向きを変えさせたり、サメっぽい姿勢にさせたりして撮影した。

若い頃は、パラオあたりに出かけて、流れが強いなか大型のサメを見て喜んでいたが、最近は、穏やかなポイントで小物撮影ばかりに専念するようになった。

そういう意味では、ネボケザメでもサメはサメだ。ちょっと嬉しくなって、チャーターしたガイドさんを10分ぐらい待たせて、ひたすらヤツの潜んでいる穴蔵に上半身突っ込んで苦労して撮影した。





お次はウツボの三態だ。さきほどのサメよりある意味恐いのかもしれない。サメならイジメたら逃げていくが、ウツボの場合、知らずにうっかり住みかに手でも置いてしまえば鋭い歯でガブッとやられてしまう。

もともと性格は温厚で、ちょっかい出さなければ、こちらを攻撃してくることはない。欧米人ダイバーにはウツボはアイドルで、カリブ海あたりでは餌付けされまくってアホほど巨大に太っちゃったウツボがゴロゴロいる。人に撫でられてウットリしているウツボも珍しくないほどだ。

でも、こうやってアップで撮影してみると1枚目のウツボのようにさすがに歯並びが恐い。ちょっかいは出さないほうがいいのかもしれないが、超接近しての撮影にもイヤな顔をせずに付き合ってくれた。

青と黄色の美しいコントラストは、ハナヒゲウツボ。南国特有のウツボだ。いつ見ても美しい。コイツは他のウツボと違って、いつも上半身を巣穴から出してニョロニョロひょろひょろ揺れている。酔っぱらいがふらついているような動きで写真は撮りにくい。それでも見つけるたびに美しさに魅せられて撮影したくなる。



お次はイカ。沖縄あたりではコブシメと呼ばれているコウイカだ。擬態が凄い。瞬時に背景の色に体色を合わせる。ついでに岩とか植物のように見せるためか、色柄だけでなく身体の表面もでこぼこと立体化させたりする。忍者みたいだ。

ご苦労なことだと思う。その昔、沖縄でナイトダイビングをしている際に、漁師を兼ねていた現地ガイドと一緒にスミを吐きまくられながらコブシメの大捕物を経験したことがある。

喜々として食べたのだが、大味だった印象がある。わざわざ食わなくてもいいって感じの味だった。



毛むくじゃらの気色悪い物体は、カニのように見えて一応コシオリエビという種類の一種である「ピンクスクワットロブスター」。

フィリピンやインドネシアで主に見られる生き物で、日本でもいる所にはいるらしい。

聞くところによるとバリ人のカリスマ水中ガイドダイバーが20年ぐらい前に見つけた生き物だとか。学名には、その人の名前が付いているらしい。

いるところにはウジャウジャいるもので、今回、現地のガイドさんが教えてくれた場所には、複数の個体が狭い場所に生息していた。

何匹も集まってちょこちょこ動いている姿は、どことなく虫を連想して個人的には気持ち悪いなあと思いながら撮影した。

今回のパダンバイの海は、透明度が良くなかったので、ワイドレンズの撮影はほとんどしなかった。オリンパスのマイクロ一眼「E-PL3」を専用水中ケースに入れて、レンズは「パナソニックライカ」のマクロを付けて小物ばかり狙った。




上の2枚はカエルウオとクマノミの赤ん坊だ。カエルウオの顔の大きさは親指の爪ぐらい。とぼけた表情が実に可愛い。まあ、本人はとぼけている気などまったくないのだろうが。クマノミのほうは全長2センチちょっとのチビちゃんである。

彼らにしてみれば自分の何百倍ものサイズの生き物が、目つぶしかと思うほどのストロボをピカピカ発光させながら衝突するぐらいの距離まで近寄ってくるのだから、死ぬほど恐い体験だろう。いつもスマンなあと思いながらシャッターをきっている。

3枚目の透明なエビは、イソギンチャクの中で暮らす小エビだ。これも3センチあるかないかのサイズ。肉眼では分からなかったが、画像を確認したら卵を抱えている。たくましく生きていることに少し感動する。







今回は潜水回数も少なめで、透明度も悪かったこともあって、自分で納得できるような傑作?は撮れなかった。

やはり、透明度も高く、生物層が濃く、大型魚の群れに近づけるような野性味たっぷりでダイナミックな海に潜りに行きたくなってきた。

最近はリゾートでホゲホゲすることを優先してしまい、アドベンチャー魂?が無くなってきている自分を反省しないといけない。

チャレンジスピリットを取り戻して、コスタリカとかラジャアンパットあたりの秘境に行って、クルーズ船で寝泊まりしながら潜水三昧するような旅もしたくなってきた。

身体が元気に動くうちに行くべきだとは分かっているのだが、なかなか重い腰を上げることが出来ない。

まずはダイエットが必要なのかもしれない。

2012年6月25日月曜日

バリ島 プールヴィラ

バリ島のリゾートといえば、いわゆるヴィラに人気が集中している。ビルディングタイプのホテルルームとは違う一戸建ての施設だ。

こじんまりとしたものからベッドルームが3つ4つもあるような巨大なヴィラまで様々なパターンがあるが、プライバシーが重視されたスタイルは共通だ。

ヴィラの入口にはしっかり門があり、まさに別荘感覚だ。各ヴィラの敷地内には庭やオープンリビングとかプライベートプールが用意されていることも多い。

プライベートプール付きともなれば目ん玉ひんむきそうな値段になりそうだが、そこはホテル競争が激しいバリ島だ。探せば結構お得なレートで泊まれるところも見つかる。1泊200ドル程度でも見つけることは可能だ。


あまり安いヴィラだと狭いし、汚いし、かえって一般的なホテルルームを選んだ方が正しい。一定水準以上を求めるには少しだけ奮発する必要がある。

それでも東京のカッチョ良い外資系ホテルに泊まるよりもよっぽど安く手配できるところがバリの特徴だ。

ブルガリリゾートとかアマンリゾート、フォーシーズンズ、セントレジスあたりはバリの物価を考えると高すぎる。1泊したら現地人の家が建つ?ぐらいだからさすがに敬遠している。

1泊300~400ドルあたりで上手に探すと充分すんばらしいヴィラが探せる。円高の恩恵だ。インターネットとかホテル予約サイトなんかを駆使して調べる作業を苦にしない人なら、ヴィラ選びもまた旅の楽しみになる。たまの旅だ。そのぐらいは奮発する価値はあるだろう。

今回は東海岸での水中撮影三昧の時はリーズナブルなホテルに泊り、山側のウブドと南側のヌサドゥアでそれぞれプールヴィラに滞在してみた。

ウブドには渓谷や高原の眺めが素晴らしいヴィラリゾートが乱立しているが、今回私が選んだのは、日本のガイドブックでは忘れ去られた存在になっているリゾートだ。

芸術の村ウブドで日本人にもお馴染みなのが「アルマ美術館」。実はここは「アルマリゾート」という宿泊施設も併設しており、数年前に頑張ってプールヴィラを作ったらしいので、ホームページをチェックしてみた。


部屋もプライベートプールも広すぎるぐらい広い割にネット割引価格は妙に安い。定価が650ドルなのに300ドルを切る金額までディスカウントされていた。少なくとも私の自宅よりも敷地面積の広いスペースを占有するのだからこの価格は魅力的だ。

で、実際に行ってみたのだが、なかなか素晴らしかった。コストパフォーマンス的には満点だろう。ガイドブックに載っている情報だけだとこういう穴場は見つからない。我ながら自分のアンテナ感度を誉めてやりたくなった。ちなみに画像はクリックすると大きく表示されます。



プライベートプールはイマドキのヴィラにありがちな行水プールではなく、充分に広い。屋外に田んぼを眺めながら入れるジャグジーもある。プール脇というかプールの端に浮かぶように食事スペースもあって、ここで朝食を食べた際の気持ち良さは天国みたいだった。

ベッドルームも広いし、奥には広大な洗面スペース、半屋外のシャワーの他に室内シャワーがあってお湯の勢いも地方のリゾートにありがちな頼りない感じではなく実に快適。

洗面スペースの奥のほうにはロフトまであって、ホゲホゲと「ライスフィールドビュー」が楽しめた。



ウブドでも老舗の美術館グループが運営しているから、広大なリゾートの敷地内はバリ芸術がてんこ盛り。広いスペースに花々が咲き乱れ、巨大な木々を含む緑が生い茂り、川まで流れている。

アチコチに石細工や精緻な木彫りが置かれており、芸術的感性が高い人なら大喜びだろう。

美術館は宿泊客は入場無料だし、基本的に毎晩リゾート内の屋外劇場でレベルの高いバリ舞踊の公演も行われている。

街中にも歩いていける距離なのにリゾートの中はバリの自然と芸術が濃密に凝縮されている。


スタイリッシュな感じとかモダンな路線を求める人には向かないが、ここにいるだけでバリらしさを充分に満喫できると思う。日本の旅行メディアは何でここを取り上げないのか不思議だ。

全体のサービスは超一流リゾートに比べれば劣るが、お手軽に立派なプールヴィラに泊まれるのなら屁のカッパだと思う。

さて、次の宿泊先に話を移す。ヌサドゥアで泊まったプールヴィラは老舗大型ホテル「メリアバリ」で体験。


ヌサドゥア地区そのものが政府肝入りで人工的に作られた喧噪から隔絶されたリゾートエリア。バリ通を自称する人の中には、そのバリっぽくない優雅な感じを嫌う人もいるが、それはマト外れだと思う。ここはここで魅力がある。

メリアバリはスペイン系のリゾート。ヌサドゥアが開発された当初からあったから結構な老舗だ。適度にリノベーションされており、老舗ならではの庭園の緑の豊かさは新興のスタイリッシュリゾートとは一線を画す。

たいていの旅行ガイドブックは、どうしても新しいリゾートの紹介にページを費やすから、この手のこなれたリゾートはつい埋没しやすい。

新しいリゾートよりも緑も豊かで敷地に余裕があって、こなれたベテランスタッフがいる老舗リゾートのほうが落ち着いて過ごせると思う。


メリアバリは300以上の客室を持つ大型ホテルだが、数年前にホテルルームとは別にプールヴィラをいくつか新設。比較的手頃な価格でネット予約が可能。ちなみに今回は300ドル台前半で押さえることが出来た。

バリの中でも新興オシャレエリアとして人気のスミニャック、クロボカン地区に増殖するモダンなヴィラリゾートよりも安いぐらいだ。

イマドキのヴィラホテルの中には、無理して急ごしらえしちゃったようなところも多い。そうなると周りを高い壁に囲まれ、閉そく感たっぷりという残念な事態になる。

自分のヴィラを一歩出ても、全体の敷地に余裕がないから、庭を散歩したり、リゾート全体の解放感を味わったりすることが出来ない。それじゃあダメだ。

やはりリゾート滞在の醍醐味は、泊まる部屋だけでなく、敷地全体の余裕とか施設全体の雰囲気を味わうことにもある。南国リゾーター歴が四半世紀を超える私が言うのだから間違いない!?。

その点、最近のヴィラリゾートの中には、「プライベートプールがありまっせ」という部分だけに気を取られて、全体の雰囲気作りに配慮が及ばないところが多いように思う。

バリ島のホテル選びでは、パックツアーで使われるような大型リゾートを嫌う人は多い。その気持ちも分かるが、大型リゾートの雄大さや楽しげな雰囲気を味わいながら、実は隠れ家的なヴィラに泊まれるというパターンは一種の究極かもしれない。ちょっと大げさだが。

メリアバリのヴィラは、ガーデンヴィラという呼称で、ヴィラ宿泊客以外は立ち入り禁止エリアに設けられている。

楽しくも騒々しいリゾートなのだが、ヴィラエリアは上品な静けさに溢れていてシッポリ系の滞在にもってこいだ。こちらのエリアに泊まっている人専用の共用プールもあって、そこではイブニングティーサービスもある。

また、ヴィラを含む一部の客室滞在者だけが利用できるラウンジでは、一日中飲み物やちょっとしたカナッペなんかが取り放題。朝食のビュッフェレストランもクラス分けされていて、徹底した差別化が図られている。ヴィラに泊まれば、いちいちチッポケな優越感が味わえて楽しい。

大型の至れり尽くせりリゾートが作ったヴィラだから室内も必要なものがすべて揃っている。枕などは、日々10種類ぐらいから素材や固さを選ばせてくれる。室内のライティングテーブルには私の名前が印刷されたレターセットまで用意されていた。


プライベートプール自体はさほど大きくないが、何よりも貸切だ。ウロウロ遊んで帰ってきたらすぐにスッポンポンになって飛びこんでもOK。夜にほろ酔い加減でプールでチャポチャポしながらタバコを吸ってもOKだ。極楽。

庭の広さにも余裕があり、ルームサービスを運んでもらうダイニングスペースも充分な大きさが確保されている。

プール横のバレブンゴン(東屋)もうたた寝するには最高のスペース。玄関近くの池に鯉が泳ぎ、リスも頻繁にやってくる。


老舗リゾートならではの育ちまくった木々の緑が何とも言えない癒しの空間を演出している。

ヴィラでしっぽりくつろげる一方、ヴィラの門を一歩出れば大型リゾートならではの手入れされた庭があって、レストランもいくつもある。ビーチも目と鼻の先。オトナのバリ滞在スタイルとして強力にオススメしたい内容だった。




ちなみに私自身、旅先の宿選びはネット上で体験者のナマの声を参考にすることが多い。今日の内容を読んだ誰かがいつの日かこの情報を役立ててくれたら嬉しい。

ウブド・「アルマリゾート」のスイートヴィラ、ヌサドゥア・「メリアバリ」のガーデンヴィラ。この二つは確実に穴場だと思う。

2012年6月22日金曜日

バリ島のスピリチュアル

こんな時期に休みを取ってバリ島に行ってきた。これまでにもう10回以上は訪ねただろうか。あの島のスピリチュアルな部分に凄く惹かれる。

もっとも、水中撮影をしたり、リゾートでホゲホゲしたりすることが大半なのだが、合間合間に観光して感じる歴史や文化、漂う「気」にいつも刺激を受ける。

バリヒンズーという独特な宗教に根ざした島の人々の暮らしにはいつも神様がついて回る。島に数万ともいわれる寺には常にお供え物が絶えず、道端の小さな祠でも祈る人の姿は絶えない。


善と悪の共存というか、悪なるものへの畏敬の念も強く、小さな店ですら玄関先の地面にもお供え物が置かれる。

八百万(やおろず)の神とともに生きてきた日本人の感性にどこか響く要素が詰まっている。鎮守の森とか山岳信仰なども相通じる概念のようで、バリに行くと、どこか自分のDNAが震えるような感覚に陥る。


などと、ぶつくさ書いてみたが、要は私との相性が妙に合う場所である。食べ物もクセがないし、物価も安いし、海、山、高原それぞれに楽しめる。

今回は、東海岸の海側に滞在して水中撮影に没頭し、その後、高原リゾートでスピリチュアル気分に浸り、後半は至れり尽くせりの人工的大型リゾートで殿様気分を味わってきた。




何だかんだ言ってナシゴレンとミーゴレンばかり食べていた。焼きめし、焼きそばだ。それぞれどこで食べても微妙に味が違うから飽きずに毎日のように食べた。

現地人御用達のトマト唐辛子ソースであるサンバルをぶりぶり混ぜてピリ辛にして食べるナシゴレンは「コメラバー」の私を悶絶させるには充分。大好きだ。

あとはマンゴスチンだ。季節外れなのでせっせと探したり、ホテルスタッフに小遣い渡して買いに行ってもらったり、そんなことばかりしていた。

さて、クタ周辺の猥雑な場所は別として、バリ島は他の東南アジアのリゾートと比較すると、田舎に行っても全体的に綺麗でキチンとしている。やはり宗教の他にも地域ごとに根付く濃厚な集合体としての暮らしぶりが、全体の民度を支えているのだろう。

年々、発展が続くなかで、中心地である南部エリアの交通渋滞は相当深刻な様子。大型プロジェクトで地下道路を建設していることも影響しているようだ。

人口に占める若者の割合が多く、資源も豊富で地理的にも何かと利便性が高いインドネシアは、近年、投資家からも注目のマトだ。

インドネシアの中でも別な国のように独自性が強いバリにも変化の波は押し寄せている。旅行者としては便利になって有難いが、素朴な雰囲気が失われつつあることが寂しくもある。しょせん、ヨソ者のワガママだが、適度なバランスで発展していって欲しいと思う。

なんかタイトルとは遠い話になってしまった。

スピリチュアルな部分を書くつもりだった。


バリの様子を一言で言い表すなら「濃密」に尽きる。神々の島と呼ばれるだけのことはある。朝焼けを見ていても昼間のんびり歩いていても、陽が落ちた後なら尚更、そこらへんに「何かが潜んでいる」ような気配を味わえる。

そう書くと不気味だが、潜んでいる?ものの正体は悪霊とか魔女とかワルばかりではない。精霊とか妖精みたいなフレンドリー系も多いような感覚にとらわれる。


活字にするとバカみたいな話だが、こんな私でも、以前、霊能者にスピリチュアルな能力があると指摘されたことがある。

何かを感じたり、一瞬見えたような気がする機会はしょっちゅうあるから、そこそこマト外れではない感覚なんだと信じている。

イヤな感じ、ゾッとしてその場にいたくない気分になる場所はこれまでにもいくつもあったが、バリの場合、濃密ではあるものの優しい「気」を感じる。私にとってはパワースポットなんだろう。

そういえば、これまでに一度だけバリのホテルで「得体のしれないダメダメな気」に覆われたことがあったが、そっちの話はまた別の機会にしよう。

今回はハヤリのプールヴィラにも2カ所泊まってきた。実際に経験したことで、雨後の竹の子のように増殖中の「プライベートプール付きのヴィラ」を選ぶ際のポイントが良く分かった。

プールヴィラの話は次回の更新に詳しく書いてみたい。

ちなみに今日の画像の最後の2枚は、ミラーレス一眼カメラに搭載されていた「ドラマチックモード」という機能を使ってみた。寺院の入口と朝焼けの光景が適度に不気味にデフォルメされて、バリの神秘性を際立たせることができた。イマドキカメラはなかなか面白いことを実感した。

2012年6月20日水曜日

裁判所の鑑定と相続税

今日は久しぶりに小難しい話です。最近ハヤリの相続税問題について書こうと思う。

ここ数年の細かな取扱い改正に続いて、消費税増税法案なんかと一緒に相続税法も大きく改正される予定だ。

いよいよ一部の資産家だけの話だった相続税が、都市部で一戸建てを持ってそこそこ貯金を貯めているような「中流階級」をも直撃するようになる。

こうした時勢もあって、昨今、ウチの会社に持ち込まれる玉石混合?の情報も、一昔前とは趣が変わってきた。

税金の専門新聞を発行している関係で、昔から画期的な節税対策手法や商材の話が持ち込まれることは多い。

主に税テクとでも言おうか、あくまで税金を節減する方法論が多いのだが、最近は、いわゆる「資産フライト」みたいな話が持ち込まれるようになった。

要は「税金対策するよりも、とっととこの国を見捨てて資産を海外に移しましょう」という話だ。

哀しいかな、そんな風潮が富裕層をコンサルするような世界ではもはや常識化している。それが現実だ。

さて今日の本題。増税や資産フライトの話ではない。最近、仕事の関係でいろいろな裁判にタッチしているのだが、そこで気付いた摩訶不思議な理屈について書こうと思う。

相続税の世界で、何かと問題が多いのが中小企業オーナーの相続だ。非上場会社の株式の「時価」をどう評価するかという点が勘どころになる。

従業員数人、業績は赤字続き、日々の資金繰りにも難儀している会社。こんな会社だったら株価なんて屁みたいなもんだと思うのが一般人の感覚だ。額面が50円とか500円だとしても、第三者がそれをその値段で買ってくれるかと言えば現実には難しいだろう。

とはいえ、こんな会社でも所有している会社所有地が都心にあったりすると俄然事情は変わってくる。

非上場の自社株は、相続税の取扱い上では、いわゆる純資産価額をベースに評価額が決まる。すなわち会社が持っている土地の値段がストレートに株式の価値に跳ね返るわけだ。

前述したような吹けば飛ぶような会社でも、一株あたりの評価額が5千円ぐらいになることもある。東証で日々取引されている有名企業の株なんかより遙かに高値になったりする。

売るに売れない土地の価値で株価がボンと跳ね上がり、それを元に相続税がかかってくるわけだから、まさに地獄絵図だろう。

ここまでは前振り。最近、相続と無関係の裁判に関わりながらひょんなことに気付いた。

非上場の中小企業の株式をめぐる裁判って意外に多いようだ。代替わりを繰り返し、まったくその会社と関係なくなった少数株主が、その株式を手放そうと考えることは多い。他にも昔出資していた会社が、取引や付き合いがなくなり、保有株を手放したくなるようなケースも同じだ。

誰に買ってもらうかという問題を始め、そもそも適正な時価をどうするかで話がつかないケースが大半だ。

売りたいほうは高く評価したいし、買い戻す側は低く評価したい。非上場で流通していないからモメやすい。裁判所に適正な時価を判断してもらおうという話になる。

裁判所だって株価算定のプロではない。結局、裁判所が選任した第三者鑑定によって株価を決める流れになる。

基本的には公認会計士が第三者鑑定を担当する。ここからは会計士の裁量も大きく関わる。高く売りたい側の理屈、低く抑えたい側の理屈を吸い上げて判断するわけだ。

たして2で割るような結論になりそうなものだが、裁判所の決定に関わる作業だ。いやでも「堅め」の線に落ち着く傾向がある。

所有土地の不動産評価も堅実な水準になるし、業績の悪さも過敏と言えるほど影響する。やはり人間が行う作業だから、「将来きっとこんなに儲かるはず」という希望的観測より「業績回復はもうダメかもしれない」という「堅い話」のほうに引っ張られる。

実際の株式価額算定は、土地の時価などをベースにその会社の純資産価格を求め、それを元にプラス要因、マイナス要因を足し引きしていく。鑑定する人間がマイナス要因を斟酌する気持ちが強くなれば、当然株価は低めに誘導される。

実際に聞いた話だが、まだ取引継続中の得意先から支払ってもらえていない未収金まで貸倒れ損失として純資産価額から差し引いてもらったケースもあるらしい。税務の概念からは想像できない大甘な判断だろう。

第三者鑑定での結果は、裁判所が下す結論に直結する。多くの場合、そのまま株価が決定するわけだが、上記の経緯で低めに決まった株価は、何だかんだ言っても「裁判所様がお決めになった価格」である。

さて、何が言いたいかというと、相続の実務において、一般的な自社株評価で導き出される金額より、上記したような経緯で裁判所が決めた株価のほうが遙かに低くなるのなら、相続や贈与の際に裁判所で決めた価格を使って申告しちゃえば良いという話だ。

評価方法の経緯はともかく、天下の裁判所の決定に行政機関の出先である税務署が文句を言えるはずもない。

ある意味、高度かつ合法的かつ安全な節税作戦になり得る話だろう。

もちろん、理論上はそうでも、現実には裁判を提起する手間、鑑定費用等々、話はそう簡単ではない。それでも、大幅な税金の圧縮が可能なら、大いに検討の余地はありそうだ。

2012年6月18日月曜日

飛行機

インターネットに溢れるナマの旅行情報は、ガイドブックでは分からない旅行者目線の話が読めて有難い。マイナーなホテルの情報も簡単に手に入るし、コト細かな現地情報も知ることが出来る。

その手の情報を求めていろいろなサイトを覗いていると、飛行機に関する利用者の批評というか感想が想像以上に多い。分からなくはないが、そんなことはあまり気にしてもしょうがないと思う。

安全に定刻に運航してくれれば他に求めることはない。JALがどうだANAがどうだ、外国のエアラインはこうであーでっていう話は、ネットに溢れるラーメンへの妙に高度な考察のように何となくシックリこない。

機材トラブルの件数や定刻での離発着実績みたいな情報は参考にしたいが、乗務員のサービスだとか機内食の味だとか、そんなものに過剰な期待をしても仕方がない。

私が何度も使っているフィリピン航空を例にとると、サービスは非常に雑だし、ビジネスクラスにスパークリングワインすら置いていないし、備品もちゃちだし、いいところはまったくない。嫌いだ。でも乗る。

セブ島への直行便があるのはフィリピン航空だけだから、実用性、効率性だけのツールとして割り切っている。どんなにサービスが良くても乗り継ぎ便をわざわざ選ぶほどモノ好きではない。

必要な備品とか、食べたいものがあれば自分で持っていけばいい。あとは寝ていれば済む話だろう。

どこのエアラインを使おうが、機内食なんかに期待しても仕方がない。機内に調理場があるわけでもなく、どう頑張っても作り置きを温めるわけだから過度の期待は意味がない。カップラーメンのほうがよっぽどウマかったりする。

10時間以上のフライトタイムの路線であれば、シートが倒れる角度はどのぐらいか、フルフラットになるのか、好きな時間に食事ができるのか、オンデマンドで見られる映画の選択肢はどのぐらいあるのか、などが気になるのは確かだ。

それでもたかだか12~13時間程度の拘束時間だ。睡眠導入剤をガシッと飲めばなんとかなる

短距離、中距離路線なら尚更だ。わずか数時間なんだから、その時提供されるサービスの範囲でやりすごせばいい。

電車に何時間も乗る時はボケーとその時間を我慢している人が、移動手段が飛行機になった途端、あれこれ難しい注文を言いたくなる心理が不思議だ。単なる移動手段だと鷹揚に構えた方が気持ちが楽だと思う。

私の場合、アイマスクや耳栓やその他諸々の機内セットを常時持っているし、自分の好きなツマミ類も持参する。雑誌や本も大量に持ち込む。

成田発なら巻き寿司や好みの弁当まで持参することも多い。そうなればマズそうな機内食は、酒のツマミとして前菜だけもらって残りはパスできる。

一般的に、エアライン側の事情で食べたくもない時間に機内食が提供されるわけだから、付き合いたくなければ付き合わなければいい。無理してブロイラーみたいに食べることはない。堂々とご遠慮しちゃった方が賢明だ。

アッパークラスでさえ、大して広くもない座席空間をテーブルで占拠されるから閉そく感はかなりのもの。足だって組めないようなハメになる。行儀の悪い私にとっては拷問みたいなものだ。

手でつまめるナッツ類とかチーズなど肴にして、食事はこれまた片手で済ませられる笹巻寿司とか豪華カツサンドとかを頬ばっていれば空間の狭さに困ることもない。

乗務員がブスだ、ババアだと文句を言ってる人もいるが、これまたくだらない話だ。変に若くて可愛い乗務員なんかだと、自意識過剰なのが多いし、こっちだってソワソワしてしまう。やはりバアサンとかオッサン乗務員がソツなくサービスしてくれた方が有難い。

ついでに言うと、日系の航空会社の過剰なまでの接遇は正直、前時代的でうっとおしい。こっちは偉人でもVIPでもないんだから、ああまでへりくだられると逆に居心地が悪い。かえって何かを頼むのが億劫になる。

日本の航空会社ならではの慇懃無礼に思える程のへりくだり過ぎのサービスは、後進国特有のものだと聞いたことがある。後進国の場合、飛行機を使う人がお偉いさんばっかりだから必然的にそうなるらしい。

日本のエアラインもサービス業として常識の範囲で応対してくれればいいと思う。ウロウロと人の顔色見ながら巡回するより、ほっといてくれるほうが有難いサービスだろう。

こっちがヨダレ垂らしながら週刊誌のエッチグラビアを楽しんでいる時に、「お飲み物はいかがですか」などと乗務員がヌ~っと登場すると軽い殺意を覚える?ほどだ。

飛行機がまだまだ珍しかった次代の名残りなんだろうけど、いまどき飛行機を特別な人が特別な時に使うものだと思ってる人など皆無だろう。

もっとアッサリとサービスして欲しいし、アッサリと過ごしたい。

2012年6月15日金曜日

牛肉との距離感

根っから肉好きだったのだが、最近は、寿司とかおでんとか、身体に優しい?食事が多い。肉を食べることで生まれるパワーは侮れないからもっと頑張らないといけない。

食べ盛りの頃はマクドナルドでビッグマックを筆頭に9個のハンバーガーを食べたこともあったし、モスバーガーのテリヤキバーガーが登場した頃は、おやつに3個ぐらい食べるのが普通だった。

ステーキも平気で1キロ平らげたし、自分の胃袋は四次元の世界のつながっているからどれだけ食べても大丈夫だと思っていた。

大学生の頃は深夜に寝付けないと焼肉屋に行って、カルビ3人前ライス大盛りなんて注文を普通にしていた。おまけに食後はさっさと寝ていた。

そんな暴食をしても胃が痛くなったり、胸焼けだの膨満感だのネガティブな生体反応はまったく無かった。

考えてみれば、よくぞ今ぐらいのデブで済んでいるものだと思う。

最近は、牛肉がすっかり友達ではなくなった。食ってすぐ寝ると牛になると言い聞かされてきたから、きっと牛になってしまったのだろう。だから牛肉を避けるようになったのかもしれない。

子どもの頃、他には何もいらないと思った牛肉を敬遠するようになった自分が哀しい。一生分食べてしまったのだろうか。

20代後半ぐらいまでは、しゃぶしゃぶやすき焼きの専門店にせっせと通ったが、ここ何年も、焼鳥やトンカツが私にとっての肉の代名詞になってしまった。

以前、仕事の関係で「銀座うかい亭」に連れて行かれた。上等な肉だったが2~3切れで満足して、隣の人に肉を分けちゃったりした。

有名焼肉店に招待されても、カクテキやチャンジャ、せいぜいユッケをもらって焼酎をあおる程度で満足してしまう。

時たま出かける新大久保あたりのディープなコリアタウンでも、決まって行きたくなる店は豚カルビ専門店だ。

温泉旅館の料理でも後半に仰々しく牛肉が出てくることがあるが、ヘタすると手を付けずに、前菜に出てきた珍味を後生大事に舐め舐めしたりする。

こう書き綴っていくと、かなり情けない。日本人の叡智でもある和牛という至高の逸品をもっと嗜まないといかんだろう。私の祖父などは80歳を過ぎて亡くなる直前までステーキを食べていた。

そはいっても、牛肉摂取量が減っていくのに比例して私の性格は穏やかになってきた。昔はいつもカッカしていた。すぐに腹を立てていた。今ではホトケ様なみに穏やかで柔和な笑みを絶やさず、蚊だって殺さないぐらい優しい人間になった。たぶん。

もし、これが牛肉摂取量と少なからず関係があるなら有難い。でも、きっと関係ないんだろうなあ。牛肉のせいでアグレッシブになるわけないし、日本人が肉を食べなかった時代でも信長みたいなパワフル野郎はいたわけだし、はたして因果関係はあるのだろうか。

などと四の五の言いながら、最近、久しぶりに牛肉をワシワシ食べる機会があった。

とにかくステーキっぽいものを食べようと決めたある日のこと。赤坂の「ロウリーズ」、霞ヶ関の「ルース・クリス」いずれも先約で席が取れないと言われてしまった。

普段、肉食獣みたいな暮らしをしているわけではないので、店選びに悩む。ふと思いついたのが、ホテルニューオータニの地下にある「リブルーム」だ。ホテル開業時からやっている結構な老舗だ。

イマドキ系の店を敬遠したくなる私にとって悪くない選択だ。高級過ぎずカジュアル過ぎず、席と席の間隔が広いのがよい。せせこましい空間で食事をするのが苦手だから、この店の適度な空間は有難い。

膨満感、胸焼けを予防するために前菜は我慢してサラダバーからアボガドとカッテージチーズばかり取ってきて、くどいドレッシングを加えてワインのつまみにする。

さて、肝心のメニュー選びだ。ステーキメニューがいろいろあるのに、ピラフ好きの「ピラファー」である私は「ビーフピラフ」に釘付けだ。肝心の肉のほうは、なんたらステーキという名前の事実上のハンバーグを注文した。


相方はまっとうなステーキを注文した。ボルケーノ、すなわち火山という大げさな名前のボッテリした肉がジュージュー音を立てながらやってきた。冒頭の画像だ。

赤身部分の肉だったからクドくなくて悪くなかった。ハンバーグ的な一品はまあまあだった。

「ピラファー」である私としてはビーフピラフに期待したのだが、正直今ひとつ。乗っかっていた肉も中途半端な質感だし、ピラフもボリュームだけがウリの炒めご飯だった。

やはり、こういう店では、上質かつ王道的なやや値のはるステーキを注文して、優雅に赤ワインなんぞを舌先で転がしながら楽しんだほうがいいだろう。

ピラフならピラフ、ハンバーグならハンバーグがウリの店を選ぶのが正しい。次回は、王道ステーキにチャレンジしよう。

それにしても世の中で「ステーキ」が最高の食べ物だと思っていた時代が懐かしい。心に邪念ばかり溢れる大人になるにつれ、ああだこうだ言いながら変なものを食べたがるようになった。私の人間性はごくごく単純で純粋なのに実に不思議だ。

2012年6月13日水曜日

徳利

アマノジャクな性格もあって、こんな季節でもアチチとか言いながら熱燗を喜んで飲んでいることが間々ある。

薄着のせいで中途半端に涼しかったり、クーラーで冷えたりした時は、夏場でも熱燗がウマい。


昼飯を抜いた夜、空腹の時にクッとひっかける燗酒が最高だ。「五臓六腑に染み渡る」という表現を編み出した人を尊敬したくなる。

舌先から喉、そして食道から胃袋に至るまでジンワリと熱さが通過していく。シミる~!って感じだ。

画像は、よく持ち歩いている備前のぐい呑み(金重晃介作)にお燗酒を注いで、ゆらめきに酔いながら上物のウニをつまんでいた時のもの。

最近、ぐい呑みや徳利をコレクションするエネルギーが湧かない。個展に行ったり窯場の旅もしたいのだが、そっちに目が向くと散財しちゃうからジッと我慢だ。

わが家には随分徳利や盃が置いてあるのだが、このところ家呑みをほとんどしないので出番がない。せめてぐい呑みはアレコレ持ち歩いて楽しまないともったいない。

そう考えると徳利はさすがに持ち歩けない。面白くない。どちらかといえば盃より徳利のほうが好きだから、もっと使い倒したいのだがなかなか機会がない。


信楽の小ぶりな徳利は澤清嗣さんの作品。石がはぜたような荒々しい器肌だが、フォルムが実に愛らしい。撫で回したくなる。時々、酒を飲むわけでもないのに、ただ掌でもてあそんでしまう。

1・5合ぐらいしか入らないから、ちょびっと飲む時に使う感じだ。ひしゃげた口からぐい呑みに注ぐ時、ちろりと一滴の酒が漏れたりすると堪らない風情だ。喜々として徳利の肌に酒の雫をすりつけてウッシシな気分になる。


こちらは備前の作家・野村一郎さんの作品。使うというより眺めているとその存在感が楽しめる感じだ。何かの雑誌でやきもの特集が組まれた際の表紙画像を飾った作品で、その雑誌を持っていたこともあり、ついつい購入した。

さきほどの信楽もこの備前も携帯で撮影しているから、器が持つ独特の色気が全然表現できていない。ちゃんとしたカメラとレンズを駆使して撮影すれば、もっと立派な作品に見えると思う。


こちらは唐津の陶芸家・川上清美さんの作品。一見焼き締めに見えて、実際は釉薬を上手にまとわせている。口造りの巧みさに惹かれて購入した。ドッシリとした風格が秋の枯野を思わせる。凛とした佇まいが画像で表現できていなくてスイマセン。

30歳ぐらいの頃だったか、日本のやきものに俄然興味が湧いた。作ることに関心はないのだが、自分の琴線に触れる作品を求めて全国いくつもの有名窯場を旅したりした。

初めて身銭をきって買い求めたのが徳利だった。美濃焼の産地である岐阜県多治見をブラブラしていた時に一目惚れした。

いま見ると実にどうでもいい作品なのだが、釉薬の垂れ具合、自分の掌にしっくり合うサイズ感、少しだけいびつなフォルムなど、現在の私の好みの原点になっているから不思議だ。

無名作家の作品で気取った箱も付いてなかった。値段は5千円。その後、10倍も20倍もするような徳利をいくつもホイホイ買うようになったことを思えば安価だった。でも、あの時は「5千円の徳利」を買うのも勇気が必要だった。

5千円が無かったというわけではなく、ロクに使いもしない器を衝動買いする経験がなかったから、躊躇した記憶がある。

いまも自宅の陳列棚の奥の方にしまってある。使うこともなく手に取ることもなくなったが、5倍、10倍の値段の徳利よりも大事な存在だ。たまにふと視界に入ったりすると、あの頃の純粋な気分を思い出す。

酔っぱらって帰宅した深夜。廊下の壁にはめ込まれた陳列棚に飾ってある徳利を引っ張り出したくなることがある。両手で包み込んだり、掌で転がしたり、はたまた頬ずりまでする。

注ぎ口に目を近づけ闇の向こうに何かがあるんじゃないかと必死に覗いていることもある。誰かに見られたら異常な姿だが、好きで集めたものを手にとって夢想・妄想する瞬間ほど楽しい時間はない。

あれも一種の癒しだ。

やっぱりまた窯場への旅がしたくなった。唐津に行きたいなあ。

2012年6月11日月曜日

アコギバンド結成

何をトチ狂ったのか、この9月にボーカルとしてステージに立つことになった。

と、書くと大げさだが、旧友に誘われてアコースティックギター2本とボーカルのみの「アコギバンド」に参加することになった。

安請け合いだ。誘われてすぐに「いいねえ、やるやる!」と返事した自分の軽率さ、安直さ、思慮の浅さが少し切ない。

誘ってくれたバンドリーダーいわく、「すぐにOKしそうなヤツから声をかけた」とのこと。

私の天才的な歌唱力が買われたのではない。まあ、そんなことを気にしていても仕方がない。四の五の言わずに頑張らないといけない。

せいぜい、5~6曲の持ち時間だろう。軽く一杯引っかけてから「元聖歌隊」の美声をお聴かせすることにしよう。

バンドリーダーは、エレキバンドでライブをこなしている男。もう1人のギターは、高校時代、私と1日だけ即席バンドを組んだことがある旧友だ。こちらの男をバンマスと呼ぶことにした。

バンマスとリーダーと私だ。楽器が弾けないのは私だけだから、光るタンバリンでもふりかざしてみようと思う。

それにしても無謀だ。高校時代の即席バンドは、まさに若気の至りだった。高校三年の学園祭での話だ。一応、私が作詞してバンマスが作曲したオリジナルも2曲あった。

よくもまあ、あんな恥ずかしい歌を人前で披露したものだと思う。サビの歌詞は、

「そんなあのコがこう言った
 欲しいのはたったひとりの王子サマ」

卒倒しそうになる。

もう一曲はこれまた背伸びして作った歌詞を今でも覚えている。

「酔えない夜ってあるものね
 ゆうべの店、君は作り笑いで近づいた
 泣けない女はどうすればいいの
 泣きたい夜は」

ドヒャーである。間違いなく何かのパクリだし、深みも味わいもありはしない。

今回も懲りずに小っ恥ずかしい新作オリジナルを作ろうかと思案中だ。もし出来ても、きっと枯れまくった演歌みたいな歌になることは確実だろう。

オッサントリオのステージ会場は青山のライブハウスらしい。30年近く前のたった一度のシャレのような経験だけで、そんな図々しいことをこなそうっていうのだから加齢も悪くない。

繊細さ、神経の細やかさ、奥ゆかしさ、遠慮深さなどは、若い頃の遠い日々に置いてきてしまったのだろう。図々しさバンザイである。

こう見えても(何も見えてないが)、私だって、現場記者時代はちょこっとだけテレビやラジオで喋ったこともある。講演会の講師も何度かやった。500人が集まった会場で1000個の目に見つめられながら平気で持論をぶっていたこともある。

だから大丈夫だろう。きっと・・・。

うーん、でも歌だ。人様の前で生演奏で歌う。ちょっとヤバい気がしてきた。

ちなみにバンドリーダーが私を誘ってくれたのは、冒頭で書いたようにホイホイ引き受けそうだったからだけでなく、このブログにも理由があるらしい。

バンドリーダーの目には、私という人間が殻を破りたがっているというか、日常に悶々としてのたうち回っているように映っていたみたいだ。

正直言って正解だ。

そんなイジましい?私を憐れんで未知なる世界を覗かせてやろうと誘ってくれたわけだ。

有難いことだ。

ボイストレーニングに励むことにする。

とかいいながら、そのやり方自体まったく知らない。

2012年6月8日金曜日

香川照之の挑戦

ここでも何度か書いてきた俳優・香川照之の歌舞伎への挑戦(http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/03/blog-post_14.html)。縁あって初日の舞台を見てきた。

同窓生の中には、私などより激しく支援している面々が大勢いるのだが、香川親子の後援会報の制作を任されたせいで、有難く初日の舞台を鑑賞させてもらった。


正直、歌舞伎にはあまり興味がない。子どもの頃学校で強制的に見に行かされたことはあったが、大人になってからは付き合いで何度か歌舞伎座に行った程度だ。

歌舞伎以外に能・狂言なども何度も見に行ったが、ついついイビキをかいてしまう。熱心なファンには申し訳ないが、この日も古典歌舞伎を見ている時には何度か船を漕いでしまった。スイマセン。

映像の世界で名を成したとはいえ、香川君は歌舞伎の世界ではズブの素人である。本人も充分認識しているが、それだけにプレッシャーは相当なものだと思う。

さすがに初日とあって演し物だけでなく口上にも世間の注目が集まった。テレビのワイドショーがこぞって放送していた場面だ。


人間国宝・坂田藤十郎を筆頭に当日出演する10人以上の歌舞伎役者が一言ずつ挨拶を述べたのだが、猿之助を襲名した亀治郎を絶賛する声はあっても、香川照之改め「市川中車」に関しては聞きようによっては辛辣に聞こえる口上もあった。

彼にとってはイバラの道を進むような心境だろう。

6月公演昼の部は「小栗栖の長兵衛」と「義経千本桜」。香川君は前者で主役の長兵衛を演じている。

この演目は明治以降に生まれた、いわゆる新歌舞伎というジャンルだそうで、ストーリーもセリフも分かりやすい。歌舞伎に興味がない人でも充分楽しめる内容だ。

さすがに旬真っ盛り?のベテラン俳優だけのことはある。冒頭15分過ぎに花道から登場した途端、舞台の空気は一変。その場を完全に「香川劇場」に塗り替えた感があった。

空気を支配する力、空気を支配する能力は、トップクラスの役者だからこそ発揮できるものだろう。その点、長年映像の世界で揉まれてきた香川照之(市川中車)の存在感は独特で、一気に舞台の空気を変える力がある。

激しい動きの場面では、歌舞伎の所作を必要とする部分もあり、本人にとっては勝手が違った点もあるようだが、見ているほうの素人としては充分楽しめた。

それでいいのだと思う。

小難しい古典的な作法はアチラ側の世界の話であり、観客からすれば純粋に舞台を堪能できれば素晴らしいことである。

「小栗栖の長兵衛」という作品自体が喜劇であり、客が単純明快に愉快な気分になれば文句なしだ。ドッと笑い声が沸き起こる場面が多かったことと、幕間の時間帯に大勢のお客さんが楽しそうな表情だったことは彼の挑戦の第一歩が成功したことの証しだろう。

長セリフも一切言い淀むことはなく、豪快な役柄を表現するには充分な身体の動きや声の張り。素人が評論めいたことを書くのは気が引けるが、歌舞伎に馴染みのない客を魅了するには充分の迫力だった。


この日、口上を挟んで古典歌舞伎の代表作「義経千本桜」も鑑賞した。こちらは「市川中車」の出番は無し。

新たに猿之助を襲名した旧?亀治郎が、義経の家臣役と、その家臣に扮したキツネの二役をこなす。卓越した表現力はさすがの一言。若い頃からホープと目されてきたプロの力量を垣間見ることができた。

一朝一夕に形作られるはずのない「歌舞伎役者」の凄さを改めて感じた。ある意味、「市川中車」が歩こうとしている道がとてつもなく険しいことがよく分かった。

もちろん、歌舞伎の演目はたくさんあるわけで、新歌舞伎もそうだが、「市川中車」が存分に存在感を発揮する場面はいくつもあるのだと思う。

現状の力量にあった役柄、身の丈にあった役柄をコツコツとこなしていくことで「市川中車」の世界は着実に育っていくはずだ。

歌舞伎という大枠の中で、そうした潮流がひとつぐらいあってもいいと思う。時代が移り変わる中で決して邪道なものだとは思わない。専門家による専門家のための批判は早速メディアでも見受けられるが、客がワクワクできればそれで良いのではないか。少なくとも彼の仕事は専門家を納得させることではない。

保守的、閉鎖的な古典芸能の世界で精進を重ねるのは想像以上に過酷だと思う。それでも彼の演技を喜んで見る人がいて、結果的に歌舞伎の裾野を広げることになれば、無謀と言われる挑戦も大いに意味のあることだろう。

公演終了後、図々しく楽屋を覗きに行った。もともと細身な彼がやつれて見えた。猛特訓の日々が続いていたようだからヘロヘロなんだろう。

長生きしそうにないなあ。

いやいやそんなことを言ってはいかん。健康管理だけは徹底して欲しいものだ。

いずれにせよ、ヤッカミや中傷もいっぱいあるなかで、彼の一生懸命さ、心の熱さはホンモノだ。素直にエールを贈りたい。

「挑戦する中高年」。せめてこの部分だけでも見習わねば・・・。

2012年6月6日水曜日

コメが好きだ

「君の顔が好きだ」という歌がある。斉藤和義の独特の声や節回しで聴くと説得力があって引き込まれる。

直球一本のラブソングなのだが、実に潔い。四の五の心のヒダを語っていないところがリアルで良い。

サビの歌詞を紹介しよう。


♪ 君の顔が好きだ

  君の髪が好きだ

  性格なんてものは僕の頭で

  勝手に作りあげりゃいい

  君の肩が好きだ

  君の指が好きだ

  形あるものを僕は信じる ♪




好きなものは好き。理屈じゃない。そういうことだ。理由なんてどうでもいい。生理的に惹かれるわけだから、細かな解説は不要だ。

で、今日はコメの話だ。

あまりに強引な結びつけだが、私のコメへの思いは斉藤和義の歌と同じで、本能的に好きで好きでたまらない。理屈抜きにゾッコンという意味では、この歌の歌詞をもじってみたくなる感覚だ。


コメの味が好きだ

コメの香り好きだ

銘柄なんてものは僕の頭で

勝手に作りあげりゃいい

コメの食感が好きだ

コメの満腹感が好きだ

硬めに炊いたコメを僕は信じる



くだらない替え歌もどきで申し訳ない。

やはり農耕民族のDNAに従って大和民族たるものコメをワシワシ食べるのが正しい。

今更だが、子どもの頃の給食にコメが滅多に出なかったことが今でも納得できない。

食べ物の恨みってヤツだ。

物心ついた時からコメばかり頬ばっていた。すき焼きだと言われれば、汁をコメにぶっかけてかっ込む方が肉を頬ばるよりも魅力的だった。

ウナギのタレだけで炊きたての4合飯を全部たいらげたこともある。焼鳥のタレだけバージョンとかチャーシューのタレバージョンとかタレがあれば何杯でもコメを味わえた。

生卵かけご飯だって、大盛りメシで3~4杯食べていたことも珍しくない。当然、生卵も3個4個だ。ロッキーバルボアのようだった。

ケチャップとウスターソースを混ぜた液体を炊きたて飯に塗りたくって食べるとか、マヨネーズと醤油を混ぜてヘドロ状?にしてどんぶり飯にトッピングして食べることもしょっちゅうだった。

寿司飯らしきものを作るために売っている化学の味?がする粉もしょっちゅう使った。変な甘さがあって子どもにとっては最高だった。

そういえば単純に酢だけ白飯にぶっかけて食べていた時もある。

その手の変態コメ食いシリーズは、親が不在の時に密やかに楽しむことが多かった。

子どもの頃、親が作る食事なんてものは、妙に野菜が多かったり、土みたいな味の根菜類が出てきたり、好物以外は迷惑なこともあったから、禁断の味を楽しめるタイミングを見計らっていたわけだ。

親の心子知らずである。

ピラフ、チャーハン、ドリア、パエリア、寿司、釜飯、お茶漬け、炊込みご飯、おにぎり、鶏飯、ビリヤニ、ジャンバラヤ、ナシゴレン、バターライス、ロコモコ、タコライス・・・・。なんだってOK。みんな好きだ。

お粥とか柔らか系はちょっと苦手だ。芯が残っているかのようなコシのある硬めのコメが大好きだ。

麦飯も雑穀米も古代米もなんでもOKだ。きっと前世は、よほどコメを食いたい気持ちのまま飢饉で死んだ人なんだろう。

ということで最近食べたコメ料理でウキウキしたものを紹介しよう。

高田馬場の鮨源でわがままオーダーした逸品だ。


ホッキとホタテを贅沢にもバター炒めにしてもらって焼酎と合わせてグビグビした時のこと。

皿に残ったバター汁。結構な量だ。さてどうしたもんかと思案して、「リゾット風に仕上げてくれ」と相も変わらぬ邪道リクエスト。

すると、バター汁を投入した寿司飯のホイル焼きというスペシャルバージョンに昇華した。

寿司飯として輝いていたご当人は不本意なんだろうが、麗しく油脂をまとって変身したコメ様がやってきた。

いやはや脳天直撃の官能的な味だった。軽く酸味の残った寿司飯が貝のエキスを染みこませたバター汁をまとい、ちょっぴり焦げまであしらわれてホクホク湯気を立てている。

どうしましょっ!ウヒョって感じだった。

ウマいんだから邪道でも許してもらおう。邪道ついでにお子ちゃまのようにツナ軍艦スペシャルも食べた。本マグロを使った贅沢ツナだ。これも一種の裏メニューなのだが、私にとっては常食みたいなものだ。


上等なネタを揃えるお寿司屋さんを相手に実に不見識な行動である。いつものことだが・・・。

そういえば、最近は最後の最後に食べるタマゴもシャリを多めに握ってもらう。個人的にはその方が絶対ウマイと思う。

うーん、ダラダラ書いてきてオチが見つからない。まさに書き殴りだ。

ちなみに実家時代、一人暮らし時代、そして今に至るまで冷蔵庫には、なめたけや岩のりの瓶詰めを切らしたことがない。

それさえあれば今でも2合から3合の炊きたてメシは簡単に食べられる。

福神漬けが浸かっている赤い汁をかけてもガンガンいけるし、韓国海苔をちぎってまぶしてもいい。餃子のタレだけをまぶして食べるコメも素敵だ。

何だかんだ言って一番好きなのはトンカツと一緒に食べるコメかもしれない。

ソースをベタッと付けたトンカツを白飯にヒタヒタとくっつけて、うっすら汚れた?あたりを頬ばる時の喜びは、まさに比類無きものだと思う。

ああトンカツ喰いたい。