2014年12月29日月曜日
ブログを書くということ
2014年12月26日金曜日
最後っ屁
2014年12月24日水曜日
加山雄三を考える
加山雄三である。おん年77歳である。
スーパー77歳とでも言うべき人だ。「ミスター77歳コンテスト」をやれば優勝しそうである。
いまも元気に散歩ばかりしている。地井武男の後を継いだ散歩番組では、あえて健康を強調するようにやたらと早足で歩いている。見ていて少し心配だ。でも「永遠の若大将」だから仕方がない。
今年は高倉健、菅原文太といった名優が逝ってしまった。昭和を彩った巨星の訃報は日本中にショックを与えたが、彼らより少し年下の加山雄三は元気に散歩を続けている。
これはとても貴重なことだ。この人だって昭和の大スターである。国民皆で大事にしないとなるまい。
裕次郎や健さんのような「別格のレジェンド」と位置づけられていないのが不思議に思えるほど昭和の頃には大活躍した。
80歳を間近にして「若大将」と呼ばれていること自体が人間国宝みたいな話である。
超が付くほどの大御所なのに散歩番組の仕事を気軽に受けちゃうあたりが「若大将」の面白いところでもある。
裕次郎、勝新、健さんなど多くのレジェンドが凄い存在感を見せていた頃、加山雄三はやたらと二枚目でやたらと爽やかでやたらとカッコイイ仕事に明け暮れていた。
映画「若大将シリーズ」である。見たことのない人はレンタルビデオ屋に行くことをおすすめする。
「昭和の匂い」に浸れるシリーズ映画といえば、言わずと知れた寅さんシリーズ、森繁の社長シリーズ、高倉健、菅原文太を中心とした任侠モノが一般的だが、若大将シリーズも代表格と言っていい。
寅さんが最後には必ず失笑を買う役割を担ったのに比べ、若大将はいつでも「わが物顔でワッハハ!」って感じだった。
あの絶対的幸福感が当時の国民に夢を与えたのだろう。でも、その「余りにハッピーな感じ」は一方で「チェッ、調子に乗りやがって」という思いを抱かせる側面もあったはずだ。
この若大将としてのイメージが加山雄三という存在を裕次郎や健さんなど「別格レジェンド」とは異質な存在にしたのだろう。
若大将シリーズが始まったのは昭和30年代後半だ。当時の世相を思えば、「老舗すき焼き屋のお坊ちゃんが大学で気ままに愉快に過ごしている構図」は特別だ。
まだ本格的な高度成長の手前だし、いまよりも格差というか、社会階層のクラス分けは厳然と存在していた時代だ。
大学進学率も男性ですら2割程度だったわけだから、苦学していない大学生はブルジョワそのものだったと言える。
老舗すき焼き屋のセガレである若大将は、名門大学に通う完璧な二枚目であるだけでなく、ギターはプロ級、歌も上手で、スキーも本格派、マリンスポーツも何でもこなしちゃう。おまけに不良性のカケラもない。
これって憧れの対象になる反面、怨嗟の対象にもなりかねないぐらい突き抜けている。
年配の男性の中には加山雄三を嫌う人が結構存在する。ちょっと分かる気がする。
あの時代にあれほどまでに脳天気だったら恨みたい気分になった人も多かったはずだ。
「格好良すぎて何でも万能なイメージ」。誰もがうらやむこの要素が加山雄三の限界?だったのだろう。
女性ファンはそりゃあ素直に「キャー素敵!」って喜んだわけだが、男目線はそうはいかない。
影があったり、謎の部分があったり、切なさを背負っていたり、無頼な匂いがあったり、時に見せるシリアスさに惹かれる。
加山雄三はどうだ。影なんかない、謎めいてもいない、切なさを背負っている雰囲気もない、あくまであのまんまのイメージだ。
渥美清が寅さんのままで、高倉健が健さんのままで貫徹したように加山雄三は80歳になろうと若大将で居続ける。
かなりシンドイだろうなと妙な心配をしたくなる。
実際の加山雄三は想像以上に苦労もしている。経営する会社が倒産して辛酸をなめたり、スキー場で大けがを負ったり、何といっても、父親である名優・上原謙が晩年になってヘンテコな年の差婚に踏み切って騒動になったり、結構大変な経験を重ねている。
私の母親がその昔、加山雄三ファンだったせいで幼稚園児の頃から彼の歌を歌いまくっていた。映画も随分見た。
そんな背景もあって妙に加山雄三に関心を持って生きてきた私である。ビートルズが来日した際にともに食事をした数少ない日本人の一人が加山雄三だというエピソードも知っている。明治の元勲・岩倉具視の血をひいているという話だって知っている。
かといって、ファンではない。散歩の番組を見ても、谷村新司と「サライ」を歌っている姿を見ても、独特な「上から目線」っぽい態度が好きではない。
でも、いまも元気に散歩している加山雄三が気になってしまう。私にとっては「残された昭和の傑物」だ。まだまだ散歩を続けて欲しいと願っている。
それにしても、クリスマスイブに延々と加山雄三を分析している私の心理状態って何なんだろう。
2014年12月22日月曜日
固い話です
2014年12月19日金曜日
ニセモノとホンモノ
前回の「ゆで太郎」の話に続いて今日もちっとも富豪的ではない話です。
先日、出前で注文した天津丼にカニかまがトッピングされていた。
カニかま。いわゆるニセモノである。分別、見識に満ちあふれた大のオトナが嬉々として食べるものではない。
私も根本的に毛嫌いしているのだが、意外にウマくて驚いた。ニセモノ恐るべしである。
私はカニが大好きである。わざわざ日本海側に冬のズワイを求めて旅をするし、北海道に上モノの毛ガニを求めて出かけもする。
おまけにタラバなんかは、カニではなくヤドカリの仲間だというウンチクをひけらかしながら敬遠するほどである。
なのにカニかまを喜んで食べた。ビミョーである。
モノは考えようで、アレはアレである。カニだと思うヤマしい心があるからソッポを向きたくなる。カニかまという独立独歩の食品だと考えれば何も問題はない。
ペヤングと同じである。あれは麺状の揚げ物を熱湯でふやかしてソースを絡めるシロモノであり、決して麺を炒めたり焼いたりした食べ物ではない。
だからといってニセモノなんか食えるか!などと居直れない。ペヤングはペヤングとしてウマい。ゴキブリ騒動から早く立ち直って欲しい。
さて、カニかまである。
世界中に流通しているらしい。ヨーロッパでは大人気だとか。食の都・パリでもカニかまを使った人気料理がたくさんあるそうだ。
食の都だってそうなのだから、バカにしたものではないのかもしれない。
ちょっと悔しい?が、それが現実である。
日本の技術力の結晶という見方もできる。戦後ニッポンの偉大な発明の一つだとも言われている。
どうでもいい魚の練りモノなのに特殊な製法によりカニっぽい繊維質の食感を作り上げ、それっぽい風味が加えられている。
なかにはホンモノの蟹エキスを入れた商品もあるようで、カニアレルギーの人が反応しちゃうこともあるとか。
大型温泉ホテルのバイキング会場に置かれているようなダメダメなマズい蟹よりマトモである。カニ好きな私はアレだって喜んで食べてしまうのだが・・・。
カニかまは正確に言えば「カニ風味かまぼこ」でしかないのだが、日進月歩の進化によって西洋人の中にはホンモノの蟹だと信じて食べている人もいるそうだ。
人工的な食品は、これから成長していく子どもに食べさせたいモノではない。マトモな食品を食べさせることが健康面、食育面で重要なのは確かである。
かといって一部の商品を殊更ヤリ玉にあげてインチキだのニセモノだのと騒いだところではじまらない。世の中、そんなもので溢れている。
喫茶店のコーヒーについてくるミルクモドキしかり、チューブに入って売っているわさびモドキ、安い弁当に入っている人工イクラなど例を挙げたらキリがない。
安いアイスクリームだって植物油脂と増量剤で出来ているし、くず肉を寄せ集めて整形したものがステーキみたいな顔して堂々と流通している。
ネギトロと称して売られているグジャグジャした食品も困ったものである。
アレの正体は夕方、築地の裏路地に行けばよくわかる。日々、人目を避けてコッソリと作られている。
腐りかけの大量のマグロをブツ切りにして得体の知れない油を大量にふりかけ、大勢のホームレスのオッサン達が裸足になってせっせと踏んづけて作っている。
ウソです。ごめんなさい。信じる人などいないか・・・。
でも、そんな想像をしたくなるほどアレはアレで気持ち悪い。ああいうものは子どもに食べさせてはいけないと思う。
カニの話がそれてしまった。
なんだかんだ言いながらカニかまの話で終わるのはシャクである。
冬の前半、カニ業界の人気者が香箱ガニである。セコガニとも称される。ズワイガニのメスである。
その昔は、それこそ港で捨てられちゃって、地元の子どもがオヤツにしていたそうだ。今では大出世である。
チョロっとしかない身肉は二の次で、内子と外子がウリである。いわば酒飲みのためにあるような一品だと思う。
先日、寒い夜に香箱ガニを温かく味あわせてもらった。
トロみのある餡がかかった香箱ガニをハフハフしながら食べた。こんなツマミをアテに酒をキュ~と飲めば年の瀬の慌ただしさも忘れるほどだ。
至極幸せだった。
結局、ホンモノが持つオーラ?はカニかまとは別次元だと改めて痛感した。
でも、カニかまはカニかまでコッソリ応援しようと思う。
2014年12月17日水曜日
蕎麦をドカ食い
基本的に昼飯を食べないようになって随分経つが、主な理由は夜の酒を美味しく飲むためである。しっかりランチを堪能すると夜の酒がイマイチだ。
ただ、時には酒を抜く日もある。そういう時にドカ食いの誘惑がやってくる。
ご飯大盛りで定食を食べるぐらいなら問題ないのだが、私の場合、ドカ食いの定義は2~3品をぶりぶり食べることにある。
これが厄介である。
まず、外食だと「人様の目」が気になる。とくに一人メシの時が困る。店に入って生姜焼き定食とナポリタンなどと注文するとギョっとした顔で不審がられる。
そんなに食えるわけないだろ?みたいな顔をされるのがイヤだ。完食したら完食したでアホかいな?という顔で見られる。実に迷惑である。
牛丼屋に行っても本当は牛丼と豚丼をそれぞれ大盛りで食べたいのに、人様の目を気にして牛丼特盛り1個で我慢するのはツラい。
街の蕎麦屋でカツ丼とざるそば大盛りを食べたいのに、普通盛りの蕎麦と小どんぶりのセットを勧められたりすると店員に殺意を覚える。
誰か連れがいれば安心である。相手が女性だったら尚更快適だ。「オキテ破りの大食い女」にあたらなければ、二人で4品ほど注文して私が3食分ぐらい楽しめる。
でも、女性連れだと、その後にデートみたいな展開になるから満腹太郎としては有難いやら面倒くさいやらでチョット困る。
満腹はアッチの欲望を一気に衰退させる。
ホントはとっとと帰ってノンビリしたい時もある。ワガママの極地である。
さて、ドカ食い問題だ。
根っからの東京人ゆえか、私はうどんより断然そばが好きである。ウマいそばが食べたい時は、老舗の名店などそれなりの店に出かける。
こだわりの蕎麦屋の困った点は、どことなく上品で凜としている店が多いことである。
通を気取ったオッサン達が難しい顔でうなずきながら蕎麦をたぐっている。「そばがき」がウリだったり、しゃもじに乗っかった焼き味噌を自慢げに出すような店だ。
まさに蕎麦を「たぐっている」と言いたくなる雰囲気。こっちはズズズ~と「かっこむ」気分なのだが、上等な蕎麦屋には変な圧を感じる。
もちろん、本格的なこだわりの蕎麦はウマい。香りもいい。たとえば、麻布「更科堀井」あたりでドロっとした蕎麦湯割り焼酎を堪能しながら上品な蕎麦を「たぐる」のは幸福な時間である。
それはそれで東京人の嗜みであり喜びである。でも、あえて言えば何か物足りない。他人様に連れて行かれた寿司屋で思い切り食べられずに欲求不満に陥るような気分に似ている。
四の五の言わずにガッツリと行儀悪く、ツユを撥ね散らかしながら蕎麦に向き合いたい時もある。蕎麦だけでゲップを連発するぐらい食べたい夜もある。
で、「ゆで太郎」である。あちこちに店を構える蕎麦のチェーン店である。
富豪っぽい気配はゼロである。凜とした空気なども無縁だ。通のオッサンが難しい顔で蕎麦とニラメッコしていることもない。
もちろん、そばがきやしゃもじ味噌焼が出てくる可能性もゼロである。
あくまで「ついで」に来たみたいな客ばかりだ。遠方からわざわざ来る人もいないだろう。
そんな「ゆで太郎」に無性に行きたくなる時がある。それもクルマを飛ばして近隣のコインパーキングに駐車してわざわざ出かける。
富豪を名乗ってカッッコつけている私の生活を支えているのは実は「ゆで太郎」である。正直に告白すると、この冬やたらと「ゆで太郎」にハマっている。
一応、ウキウキしながらわざわざやって来た様子は必死に消している。あくまで「ついで」に来たぜって顔を作ってしまう。
こういう見栄というか、変な自意識過剰が私の歪んだところである。
素直に笑顔満点で店に入ってウッキウッキの様子で蕎麦をかっこめばいいのに、「別にどうでもいいけど」「時間がなくてたまたま入ってみた」みたいな雰囲気を作る。
アホだと思う。でも、周囲の客は皆そんな雰囲気だから仕方ない。
さて、ゆで太郎だ。マズくない、いや、思った以上にウマい。いや、素直にウマい。
そばが食べたい時に行くのだから採点は甘めだが、暖かい蕎麦がとくにおすすめだ。
多くの有名蕎麦店が「せいろ」ばかりに気を取られ、汁物の蕎麦だと変にコシがなくなっちゃった一品を出すことを考えれば「ゆで太郎」は頑張っている。
何が嬉しいかって、ドカ食い的なヘンテコな注文をしても人様の目が気にならないことである。
冒頭の画像はゆで太郎での一コマである。
肉南蛮蕎麦大盛りにエビ天とかき揚げをトッピングして、ついでにタコ天も追加した画像である。ざるそばも注文して、まさに天国状態である。ヘタすると「おいなりさん2コ」という追加注文もしてしまう。
一応、ここまでやると結構なお値段になる。立ち食い価格の店なのに軽く1千円超えである。富豪を名乗る私の意地?である。
格調高い伝統ある老舗蕎麦店に入ってこんな注文をするのは難しい。だいたい、トッピングの天ぷらがアレコレ揃っていること自体、高級蕎麦屋では有り得ない。
ゆで太郎の天ぷらは揚げたてだ。素直に嬉しいのだが、調子にのって画像のような食べ方をすると、汁が油まみれになって大変だ。
そんな邪道な展開も大衆蕎麦屋ならではの楽しみ方である。
高級蕎麦屋でケチケチしながら食べるより、大衆蕎麦屋でトッピング三昧で贅沢したほうが確実に精神衛生上好ましいと思う。
ゆで太郎に行くと必ず食べ過ぎて後悔する。もう二度と行くもんかと決意するのだが、ほんの数日後には、あくまで「ついで」みたいなフリをしながらイソイソ出かけてしまう。
そんな冬である。
2014年12月15日月曜日
女衒、美人局
2014年12月12日金曜日
薄暮の銀座
このところ、元気に飲み歩く機会が減った。とくに大した理由はない。仕事や変な遊び、ギター教室等々、あれやこれやでバタバタしている。おかげで漫然と飲み歩く時間が減ってしまった。
銀座界隈もご無沙汰気味である。あの街の空気は好きなので、もう少しマメに探検したいのだがサボってばかりだ。
それでもポツポツとは銀座に出向いているのだが、あの街に行くと目的もなしに歩き回りたくなる。昔の言葉だと「銀ぶら」である。
文字通り銀座をぶらぶらするという意味だが、私の場合「ぶらぶら」というよりキョキョロしているから「銀キョロ」である。
以前、今は亡き作家・城山三郎氏が何かのエッセイで「銀座ジャランジャラン」という表現を使っていた。
ジャランジャランとはインドネシア語で「散歩」を意味する言葉だ。バリ島が大好きな私も現地では得意になってこの言葉を発している。
城山三郎氏いわく、銀座には「ぶらぶら」よりも個性的な「ジャランジャラン」が似合うとのこと。なんとなく頷ける。
職場や住まいの近所をぶらぶらするのとは違う独特な感覚が芽生えるのがあの街の面白さだと思う。
私の場合、夕方から夜の銀座ばかりである。ついでに言うと1丁目から4丁目界隈はあまり歩かない。6~8丁目あたりで「銀キョロ」するのが専門である。
今の季節は日暮れが早いのでダメだが、日が長い季節だったら夕方、それこそ薄暮の時間帯の銀座を歩くのが好きだ。
暑さが少しゆるんだ黄昏時、文化遺産みたいな老舗ビアホール「ライオン7丁目店」に人が並び始める夏の夕暮れに中央通りを散策したり、新橋寄りの裏路地で割烹着のオバサンが水打ちするのを眺めたりしてノホホンとした気分に浸る。
私の場合、銀座の夜の顔ぐらいしか垣間見ることはないが、良くも悪くも二面性があの街の特徴だ。
どこか気張って背伸びしてヨソイキの姿を保っているのが銀座だ。当然、ヨソイキの姿の裏側には素の部分もある。
薄暮の頃には素の部分が垣間見えて興味深い。仕事を終えて歩いている人達とこれから仕事が始まる人達が交差する時間だ。
夜の仕事に携わる人達が、まだまだユルい感じで過ごしている姿を目にすると、舞台裏を覗いたような面白さがある。
料理屋の職人さん、バーテンさん、夜の蝶など、銀座の夜を舞台にする人々が少しずつせわしなく動き始める。
動き回っていても本番の顔は作っていない。そんな中途半端な空気が街全体に漂っている時間帯だ。
格好良く言えば、舞台やステージが開演する直前のワクワクした空気と似た感じかもしれない。少し高揚感があって適度に緊張感もありながら、どこかホッコリした感じも漂う。
そんな気配の中をアテもなく歩きながら、雑居ビルの看板を眺めたり、いままで素通りしていた小道に足を踏み入れてみる。
凜とした門構えの料理屋があれば勝手に中を想像したり、居心地が良さそうな喫茶店や謎めいたバーを発見したり、飽きずに歩き回ってしまう。
時々、顔なじみの黒服さんと遭遇して軽口を叩いたり、綺麗どころに見つかって営業攻勢を受けるのも御愛敬である。
一人で時間つぶしをする時には葉巻が楽しめるバーに出向く。遅い時間なら当然アルコールだが、早い時間だと珈琲や、ヘタするとホットミルクなんかを注文して喫茶店代わりに使う。
小ぶりな葉巻をエラそうにふかしているクセにホットミルクに砂糖をたっぷり入れてズズズっとすするのも悪くない。
そんな「どうでもいい時間」をあの街で過ごすのが楽しい。そのあと訪ねる店で何を食べようか、何を飲もうか、誰かを呼び出そうか等々、それこそどうでもいいことを考えていると、それなりにリフレッシュできる。
適度に歩いて、ウマいものを食べて、いい感じにホロ酔いになったら、とっとと帰るのがベストである。実際、そんな感じで帰宅することもあるのだが、ネオンの誘惑に負けることが多い。
東京人の矜持として、長っ尻はイキではないと分かっているのだが、綺麗に着飾ったお世辞のプロフェッショナル達を前にするとダラダラと酩酊してしまう。
夏場だったら酔いにまかせて深夜になっても「銀キョロ」に励んでデロデロになることもある。さっさと帰るつもりだったのに飲み過ぎて後悔するパターンだ。
これからの季節は寒さが厳しくなるせいで、さすがに深夜の銀座俳諧にブレーキがかかる。
薄暮の時間帯を楽しめる夏場が恋しいが、私の健康のためには冬の銀座のほうが好ましいのかもしれない。
これから年末に向けて街が活気づく。もともと夜の銀座は「負け組」が近づきにくいオーラやエネルギーに溢れている。
私もそんなパワーにあやかりたい。プラスのエネルギーを吸収するためにもいそいそ出かけることにしよう。
もっともらしく書いてみたが、ムダに酒を飲む言い訳である。
2014年12月10日水曜日
オヤジバンドの役割
会場となった六本木のライブハウスは客席が2層構造になっていて、1階席と2階席の双方から見ていただいた。
今回は前座?として洋楽ロックバンドが6曲ほど演奏。その後、われわれオヤジバンドのドキュメンタリー動画を15分ほど大スクリーンで上映し、わがアコースティックバンドが本番を迎える段取り。
動画を作ってくれたのは我々メンバーと中学、高校で一緒だった男である。演奏や歌う予定はまったく無いのにバンド練習に何度も参加させられ強制的?にビデオ撮影に励んでくれた。
そんな動画まで用意しちゃうところが熟年バンドの図々しさである。
さて、当日の話。洋楽ロックバンドは技術レベルも高く、カッチョ良く演奏するのは分かっていたが、素人ライブの場合、最初のうちはお客様も固い空気に支配されがちである。
というわけで、ロックバンドが登場する間は待機するだけの私ともう一人の男が「前説」を受け持ってみた。
私のトークと相方のウクレレでは、爆笑の渦を呼び起こすには至らず、すごすご引き下がるハメになった。
修行が足りない。
そして、出番待ちの間は、胃薬と芋焼酎と白ワインを楽屋でひっかけて、妙な緊張感と闘っていた。
あの緊張感って、その最中は堪らなくキツい。好きでやっているくせに逃げ出したいような気持ちになる。
修行が足りない。
でも、不思議なもので、終わってしまうとド緊張も楽しかった記憶に変わる。間違いなく中毒性があると思う。
この日は、開場4時間前に現場入りして、リハーサルや諸々の打ち合わせ。その段階から合わせると、本番開始までに都合4回も胃薬を飲み、高価なユンケルを2回飲み、酒もダラダラ飲んで、やたらとトイレにも行った。
修行が足りない。
そして本番である。お客様は100名ほど。3年連続といえども緊張で固くなる。頭の中が白くなる感覚は直らない。
本番の1週間前ぐらいから、それなりに喉の管理に気を遣ったせいで、昨年よりは声は順調に出た。湿度65%の部屋でシットリしながら寝続けた甲斐があった。
わがオヤジバンドの目指す世界は和気あいあいに客席とともに盛り上がることである。だから、MC、すなわちトークは大事である。
演奏だけに専念してムッツリ黙々と進行するバンドだとお客様は退屈だ。素人ライブのお客様は、メンバーの友人知人がほとんどだ。一緒になって楽しい雰囲気を作り上げることが何より大事だと思う。
と、エラそうな言いぶりだが、私がダラダラとしゃべり過ぎてしまう言い訳をもっともらしく書いているだけである。
ということで、わがオヤジバンドはAMラジオの深夜放送のようなトークが特徴の一つになっている。
3年連続ともなると、話すネタも乏しくなってくる。だから事前にせっせとMC台本作りに精を出す。
ちなみに、私以外のメンバーは、本番が近づいてくると練習後の飲み会で口数が少なくなる。余計なことを喋ってライブの場でネタにされるのを恐れているわけだ。
彼らも修行が足りない。
取材記者である私としてはそんな苦労をものともせずMC台本を仕上げてメンバーをイジリ倒すネタを用意する。
とはいえ、当日は、緊張と油断とが相まって、話すつもりのネタがいくつも飛んでしまった。残念無念である。
愛妻家のメンバーをイジるところは順調に展開できたが、そのほかは後悔ばかりである。
ただ、演奏も歌も、そしてMCも「後悔」こそが次へのモチベーションにつながる。すべてを完璧にこなしたら、燃え尽きちゃってバンド活動自体が終わってしまうかもしれない。
だから適度な失敗はエネルギー源になると都合良く解釈して今後も継続していこうと決意している。
終演後、ライブハウスで打ち上げ飲み会に移行。ここでも40~50名ほどのお客様がワイワイガヤガヤしてくれた。
考えてみれば、オヤジバンドのライブそのものが一種の宴会的なノリであり、形を変えたプチ同窓会的な側面もある。
楽しく集まる「場」を用意して、楽しい空気になるよう「演出」することこそがオヤジバンドの最大の役割なのかもしれない。
おこがましいけど、そんな意識が一番大切だと改めて思った。
そんなことを書くと、歌や演奏の出来はテキトーで構わないと言っているみたいで他のメンバーに怒られそうだ。
そっちも大真面目に取り組みます。
打ち上げの飲み会に続いて、深夜2時近くまで居酒屋で三次会。ひたすらアホバカ話に花を咲かせた。
十数人の旧友と飲み明かしながら、「場」を作るきっかけとしての「オヤジバンドの役割」に思いをめぐらせた。
今後も精進していこう。
うん、なかなか良いまとめ方だ。
結局、歌や演奏について何も書かずに終わってしまった・・・。
2014年12月8日月曜日
苦手なもの
この土曜日、ここでも何度か書いていたオヤジバンドライブが無事終了。来ていただいた皆様、本当にありがとうございました!
ライブ雑感はまだ書けていないので水曜にアップします。
さて、今日は苦手な食べ物について暴論を書いてみた。
時々、無性にとろろが食べたくなる。さすがに自分でわざわざ摺り下ろして食べようとは思わない。だから簡単には口に出来ない。
大型スーパーで摺り下ろされたとろろを売っているのを見つけると迷わずまとめ買いして家でズルズルしている。
先日、たまに買い物に行くスーパーでそれらしきものを発見して手に取ったのだが、何とオクラが混ざってやがった。
オーマイガ-!である。
オクラが別容器に入っていれば排除できるが、とろろと混ざっていたら手も足も出ない。最悪である。
オクラ。あいつは何者なんだろう。存在自体が私に対するイジメである。顔も見たくない。絶交したいのに時々遭遇するからイヤだ。
今日は極めて個人的な意見なので最初から謝ります。ゴメンナサイ。
オクラの話ついでに嫌いなもの、世の中に不要なものを考察する。
皿にさりげなく陣取っているパセリ。あいつも何だかサッパリわからない。あれを見て「やった~。パセリだ!」と思っている人がこの地球上に存在するのだろうか。皆無だと思う。
私が野菜嫌いだから言うのではない。アイツと相性が合う食べ物は無い。皿の上の彩りのためだけに出てきて結局は捨てられる。気の毒だから最初から出てこないで欲しい。
パクチーも困ったものだ。親の仇みたいな味がする。トムヤンクンに香り付け程度に浮かんでいれば可愛げがあるが、ヘタなタイ料理屋に行くとワンサカモリモリでいろんな料理にトッピングされてくる。
タイには何度も行ったが、現地ではそんなに大量にパクチーが出てきた記憶は無い。きっと日本の店が「タイっぽい雰囲気」のために大げさに使っているのだろう。
トッピングとか彩りに使われるモノには外れが多い。カツ丼に乗っかっている3粒のグリーンピースがその象徴である。
カツにも合わない。コメにも合わない。意味不明である。親子丼の三つ葉も似たようなものだ。アイツのせいで味が壊れるような気がする。
塩辛にパラっとふりかけられた柑橘類の皮を刻んだヤツも邪魔だ。余計な風味が主役を台無しにする。
くれぐれも個人的嗜好の話なので御容赦いただきたい。
鍋にエラそうに入っている白菜の芯。あれも「なんだかな~」である。葉っぱの部分はまだいい。ちょっと色も付いていて身体に良さそうだ。
葉っぱの場合、しおらしくなった姿も好感が持てる。それに比べて芯のあの図々しい感じは何だ?。不快である。
鍋の中で放置しても強がっていやがる。ヘナヘナにならずに延々と自己主張を続ける。仕方なく食べてみても味わいなどミジンも無い。
話は飛ぶ。ショートケーキやモンブランのスポンジも考えものだ。スポンジが無ければ成立しないことは百も承知だ。でも、スポンジ部分が多くないだろうか。半分ぐらいで充分だ。
クリームや甘いベットリした部分を楽しみたくてウキウキ食べ進んでいるうちに徐々にスポンジが我が物顔で剥き出しになってくる。切ない気分になる。騙されたようで悔しくなる。
ちょっと変な感覚だろうか。
プリンのカラメル部分も好きではない。プリンを食べる時には細心の注意を払う。底の方からカラメルが染みだしてプリン本体と混ざり合わないようにするためだ。
だから逆さま?に出てくるプッチンプリンは食べない。
カラメル自体に罪は無い。あれはあれでマズいとは思わない。でも、プリン本体の得も言われぬ芳醇でまろやかな風味を味わっている時にヤツが乱入してくると一気にヤツの天下になってしまう。大切なものを壊された気分になる。
ラーメンのナルト。あいつも邪魔だ。スープをズズっとすすっている時に私の口に容赦なく侵入しようとするあの横柄な感じがイヤだ。
カレーに入っているイモ。あいつもダメ。ニンジンなら派手な色のせいですぐに見つけて除去出来るが、中途半端なイモはタチが悪い。
声にこそ出さずに「ワ~イ鶏肉だ~!」と思って口に入れた瞬間、それがイモだと気付くと本気で泣きたくなる。信頼していた人に裏切られたような気持ちになる。
今日は虫の居所が悪いのだろうか。次から次に気に入らないものが浮かぶ。
チンジャオロースのピーマン。ゴーヤチャンプルーのゴーヤ。アイツらも迷惑な存在だ。いや、こればっかりはそいつらが主役だから仕方がない。
卵が好きなくせにどうにも馴染めないのがキンシタマゴだ。茶巾寿司もそうだが、薄っぺらいタマゴがナゼか昔から嫌いだ。
きっと、そもそもの官能的なタマゴの味がどこにも感じられなくなっていることが理由だと思う。
アーダのコーダのと書き殴ってきたが、好みなんて変化もする。ここに列挙したものもある日突然好きになるかもしれない。
実は最近、丼モノに入っている天敵だったはずの三つ葉を美味しいと思うようになった。
カレーライスに付いてくるらっきょうも昔は嫌いだった。マックのハンバーガーに入っているピクルスも飲み屋のツマミで出てくるオリーブも苦手だったのだが、いつの間にか喜んで食べている。
ようやく大人になったのかもしれない。
いつかオクラ丼とかパセリ丼とかナルトラーメンを嬉々として食べる日が来るのかもしれない。
2014年12月5日金曜日
娘のこと
愛娘(まなむすめ)という言葉がある。男の子の場合は「まなむすこ」とは呼ばない、愛息という言葉はあるが、愛娘よりポピュラーではない。
箱入り息子という言葉もない。やはり女の子の可愛さは別格だという証拠なのかもしれない。
私自身、女の子と男の子の父親だが、やはり娘の可愛さは特別である。息子には申し訳ないが、初めて持った子が女の子だったせいもある。それ以外にも初めて接した身内の子どもが女の子(姪っ子)だったから、どうにも女の子を贔屓する気分になる。
買ってあげるオモチャも女の子向きのほうが可愛い。着るものだって同じ。息子にはついついウケ狙いの変な服なんかを買ってしまう。
ジャイアント馬場がコミカルに描かれているTシャツを息子に着させて笑っている一方で、娘には彼女の好きな服を無条件で選ばせている。甘甘とうちゃんである。
旅の土産も、なぜか娘には予算度外視で選んでしまう。まあ、息子には将来、時計や身の回りの逸品をあげることになるから許してもらおう。
子どもと離れて暮らすようになって2年以上が過ぎた。ちょこちょこ会っているので単身赴任しているような父親よりは恵まれている。電話もくれるし、メールのやり取りも出来るので問題は無い。
それでも割と頻繁に娘のことを考えてしまう。ベランダでのんびり葉巻や煙草の煙に包まれている時にそんな状況になる。
学校は楽しめているか。弟と喧嘩していないか。困ったことはないか等々、会った時に散々話をしているのに数日も経つとアレコレ心配になる。
中学生だから思春期である。いまだにハグもするし手もつなぐのだが、先日「オンブさせろ」という私の希望は断固拒否された。重いぞと言われるのがイヤだったらしい。
モミジみたいな小さな手の頃を思うと、「てやんで~」と毒づきたくなるが、正しく成長している証拠でもある。いっぱしの口をきくようになった娘が頼もしくもあり、一方で寂しい気分にもなる。
よちよち歩きの頃から二人で出かける場面は多かった。弟が出来たのは娘が小学校に入るぐらいの頃だったので、それまではしょっちゅう二人で遊んだ。
暇があれば散歩に連れ出した。疲れたら肩車して歩いた。肩の上で寝込んでしまい私の髪が娘のヨダレでデロデロになったことも何度もある。
街なかで証明写真の自動撮影機があれば、必ず悪ふざけした写真を撮った。今も時々、その頃の写真を眺めては娘の幼い頃を思い出す。
自転車の特訓をしたこと、ディズニーなんちゃらには一度も連れていかなかったのに「としまえん」には頻繁に出かけたこと、プールではしゃいだこと、バッティングセンターで打撃特訓をしたこと、やたらと日帰り温泉に行ったこと等々、楽しい記憶は山ほどある。
中学生になってからは父親のオヤジバンドのライブに触発されたらしくガールズバンドの真似事をはじめた。選曲も父親に相談してくるし、まだまだ父親を頼ってくれることは嬉しいことだ。
最近は会うたびに機関銃のようにシャベリ続ける。友達との人間関係、学校の楽しいことやイヤなこと、母親のこと、テレビの話題等々、延々と話をしている。
母親とはまるでタイプの違う人間である父親相手にアーダコーダと持論を展開して、時にこちらの意見を聞くことが適度な刺激になっているみたいだ。
一緒に暮らさない選択をした父親に対しては思うところもあるはずだ。文句もたくさんあるだろう。これから年を重ねていくうちに不満が強まって恨み節をぶつける場面も必ず来ると思う。
いや、それよりも父親を嫌って疎遠になる時も来るだろう。こっちも少しは覚悟している。せめてそれが一時的な感情であることを祈るしかない。
この前会った時、一緒に歩きながら、ごく自然に娘が腕を組んできた。親子が腕を組んで歩くことなど珍しくないが、私にとっては心がジンワリとする瞬間だった。
親のエゴで別々に暮らすことになったから、子どもには理解不能だったはずだ。その部分だけは今も心が痛い。この先もずっとその痛みとは付き合っていくのだろうが、娘が感じた痛みのほうが遙かに強かったはずだ。彼女の心を思うといたたまれない。
どう逆立ちしたって悪いのは親だし、身勝手な選択を理解してもらおうと思うのはエゴの上塗りでしかない。
父親思いの娘だから、今では別々に暮らすようになった事情に理解を示してくれている。そんなことを言われた時にはこっちが泣きそうになる。
でも、その優しさはあくまで彼女が精一杯背伸びしたうえでの気配りだろう。彼女のその気配りが少しでも本心に近づくように行動で示していくことが私の人生後半戦における最大の課題だ。
彼女が大人になった時、いや、40代、50代になってからでもいい。こっちがアノ世に行っちゃった後だっていい。少しは理解してくれる日が来れば嬉しい。それだけが望みだ。
ジョン・メイヤーのDaughtersという名曲がある。以前、我がオヤジバンドのリーダーが教えてくれた。それ以来、ちょこちょこ聴いている。
https://www.youtube.com/watch?v=rZLbUIa7exE
歌詞の一部を引用する。
♪
Fathers, be good to your daughters
Daughters will love like you do
Girls become lovers who turn into mothers
So mothers, be good to your daughters too ♪
訳詞はこんな感じ。
♪
父親たちよ 娘を大事にしてあげよう
娘は父親に愛された通りに人を愛するものだから
彼女たちもやがて恋人になり 母になる
だから母親も女の子は大事にしよう ♪
しっとりとした雰囲気でとても優しい気持ちになれる曲だ。これを聞くとセンチな気分になる。
さてさて、いよいよ我がオヤジバンドのライブが明日に迫っている。今年は娘が来ないので「自主規制」なしでアホバカトークを繰り広げてしまいそうだ。
そんなオチャラけた父親だが、娘にとってはただ一人の父親である。恥ずかしい生き方は出来ない。
そう思わせてくれること自体が娘という存在の有り難さである。彼女の父親になれたことは幸せだ。半世紀近く生きてきたなかで一番の幸運だ。
親バカですいません。
2014年12月3日水曜日
運気とミラノ
年齢とともに非科学的なことを気にするようになった。非科学的と言っても大げさなものではない。運気の流れや方位といった類いの話だ。
若い頃は自分を取り巻く環境もカラっポだったし、大事な判断を迫られる局面もなく、日々、オッペケペ~と楽しく過ごしていればコトが済んだ。
中高年になると、いつの間にか身の回りに厄介事が増え、神頼みとは言わずとも「得体の知れない何か」に頼ってみたい気持ちになる。
占いなどを闇雲に信じるほど純粋ではない。かといって無視する勇気も徐々になくなってきた。ついつい引っ越し先の方位なんかをその筋の人に見てもらいたくなる。
それ以前に、半世紀近くも生きてくれば、経験上、運気の良かった時期と悪かった時期が厳然と存在していたことを自覚する。
運気が悪いからといって死んじゃうわけではないが、そういう時期に大きな決断をしたり、新機軸を打ち出したらダメという話である。
詳しくは知らないが、今の私は大殺界の最後の年廻りらしい。3年ほど続く大殺界が終わろうとしている。
大殺界がどういうものかはよく知らないが、端的に言えば、何をやってもウマくいかない八方ふさがりの運勢に支配される時期ということ。
それが終わるのは素直に嬉しい。厳密には来年の節分明けから運勢が上昇に転じるそうだ。
だからとっとと今年が終わって欲しいと願っている。
自分の運勢が大殺界だという話は、今年の初め頃に知った。まあ、その程度の関心しかなかったのは幸いだ。気にし過ぎたら昨年も一昨年もそんな事で気を病んだかもしれない。
思えば、この3年間ほどは確かにあまり良いことはなかった。あと付けのこじつけではない。それまでのウン十年の日々と比べても自分の運気は悪かったと思う。
運気の悪い時期は、もがかないでおとなしく過ごすのが一番だ。そっち方面に詳しい人に言わせれば、的確な判断や正しい判断が出来ない時期だという。
良い状態にあれば気も回る。頭も冴える。だから何事にも対応できる準備が自然と備わってくる。
運気が悪い時期だと、ボーッとしているせいで、何かコトが起きた時にドタバタと慌てる。おまけに準備も何もないからその場しのぎで失態につながる。
好循環が続くのか、マイナスの連鎖が続くのか。この違いは大きい。分かれ目になるのが自分自身の運気だという理屈だ。
もういくつ寝るとお正月である。早く来い来いお正月である。
で、大殺界の最後の年末年始が近づいている。気楽な一人暮らしは快適だが、年末年始に一人だとさすがに「置いてけぼり感覚」が強まる。
ということで、旅に出ようと思ったのだが、どこも混雑してバカ高い。マイルを使った無料航空券も使えない日が多い。
それでもダメ元でアレコレ調べたら、運良くヨーロッパ方面の航空券を抑えることができた。当初は行きをフランクフルトへのルフトハンザ便、帰りはイスタンブール発のトルコ航空を抑えていた。
やたらと貯まっているANAのマイルはスターアライアンス加盟の他の航空会社の無料航空券にも換えられるから、こういう変則的な手配が出来る。
お察しの通り、イスタンブールで「庄野真代」の名曲を熱唱してくるつもりだったが、ここにきて、無料航空券の空席枠が増えてきたので予定を変更。
行きのフランクフルト便はルフトハンザの羽田出発便を確保した。最新鋭の747-800という機材はかなり快適に過ごせるらしい。帰国便も同じくフランクフルトからだが、こちらは全日空の787が予約できた。こっちも航空ファンが注目するイマドキの新鋭機体だ。
フランクフルトにはあまり興味がないので、同じマイル数でヨーロッパ内の乗継ぎも抑えた。フランクフルトからミラノに乗り継いで靴屋めぐりと炭水化物摂取に精を出し、近郊の小さな街も散策してこようと企んでいる。
ついでにせっかくだから帰国前にフランクフルトに寄って、ドバイの金満ホテルチェーン「ジュメイラ」に泊まってみようかと考えている。フランクフルトのジュメイラは他より安らしいので、ちょこっと富豪気分を味わえそうだ。
異国の地に身を置いてブラブラすることは最高のリフレッシュである。大殺界の間に染みついた身体の中のオリのようなものを捨ててこようと思う。自分の運気の流れを改善する転地療養みたいな感覚である。
だいぶ先の話だと思っていたが、もう1ヶ月を切っている。航空会社は割と直前になって無料航空券の空席枠を出してくる。だから割とスムーズにチケットが取れたのだろうが、一応、ラッキーな感じではある。これも運気が上昇に向かっていく一つの表れだと考えたい。
でも寒そうだからモモヒキは必需品である。
2014年12月1日月曜日
神田 その田
なんだか年とともに寒さに弱くなってきた気がする。懐も寒い。困ったものだ。
職場でも足下が冷えちゃって、足下暖房を用意しても、ブレーカーがぶっ飛ぶとか言われて難儀している。
しょうがないから消費電力の小さい遠赤外線足下ヒーターを購入してセットしてみた。快適だ。バンザイである。でも眠くなる。まるで爺さん状態である。
で、まるで脈略はないが、冬だから鍋である。鍋のなかでも富豪気分?にひたれるのがフグである。
考えてみればフグ屋さんに行っても、ヒレ酒を飲み始めたらスグに暖かくなる。鍋が出てくる時には、♪少しも寒くないわ~♪って感じである。
先日、旧友が三代目を務めているフグ屋さんに行ってきた。神田にある「その田」である。昭和っぽい風情たっぷりの店構えが嬉しい。
フグを食べるのにモダンな店構えだと気分が乗らない。この店は昔ながらの建物が嬉しい。ノレンをくぐる段階でワクワクする。
神田という立地も良い。落ち着いた佇まいの街角。少し分かりにくい路地に「その田」はある。一見では入りにくそうな「通っぽい感じ」が魅力だ。
ここの若旦那とは中学高校を同じ学校で過ごした。野球部でチームメイトだった。
私はワガママざんまいで傍若無人のピッチャー、彼はセカンドだった。彼はピンチになるとマウンドに駆け寄って声をかけてくれた。
でも、アホバカ小僧だった私は、ヘタすれば「うるせえ」などと言ってエラそうに振舞っていた。実に恥ずかしく情けない思い出である。
今更反省しても遅い。オッサンになって彼と会うたびに心の中で詫びてばかりである。
そんな殊勝な気分に反して、彼の店を訪ねるとおかみさん(彼の奥さん)にアホバカ話ばかり振りまいている。どうしたもんだろう。
さて、フグだ。さきほど鍋の王様みたいな書き方をしたが、個人的にフグは刺身と焼フグと唐揚げが好きだ。これに白子焼があれば有頂天になれる。
焼フグや唐揚げを食べながらヒレ酒で酔っ払ってくると、正直言って鍋が無くてもOKである。
鍋抜きでその他のものを多めに食べたいのだが、誰かを連れて行った場合にはそうもいかない。
この日も相変わらず酔っ払って、鍋の大半を同行者に食べてもらった。結果的にそれも「おもてなし」だと都合良く解釈している。
近年は手軽な値段でフグが楽しめるチェーン店が増えてきた。あれはあれで結構だが、老舗で味わう正統なフグ料理は別モノである。
そういう意味でも、真っ当な老舗店では焼フグや唐揚げを好んで食べたくなる。ヒレ酒もヒレに対する手の掛け方が違うのだろう。香りや酒の色づき方が抜群だ。
上等なヒレ酒の美味しさは格別だ。料理という種類のものではないが、あれこそ日本料理の神髄だと言える。鼻、舌、喉すべてに心地良さが拡がる。まさに文化遺産。
日本人のオッサンに生まれて良かったと心から思う。
同じ酔っ払うにしても、ヒレ酒の酔いは至福の時間である。たかが酒、されど酒である。ホッピーで酔うのとヒレ酒で酔うのとでは何か?が違う。
なんだかグダグダ書いてしまったが、この日も結局、鍋や雑炊を二の次、三の次にして気分良くヒレ酒とニラメッコしていた。
まだ季節ではない白子もたまたま少しだけあるというので、チョびっと味わえた。これまた幸せ満開な気分になった。
なんだか酒の話ばかりになってしまった。お店の名誉のために書いておくが、当然ながらフグ料理はウマい。とくに醬油ベースの味付けで楽しむ焼フグが私のお気に入りだ。
近いうちにまたお邪魔しようと思う。