2019年7月31日水曜日

「躍金楼」 究極のオジ好み



 ちょっと前に「オジ好み」について力説した(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2019/07/blog-post_12.html)が、いよいよ究極のオジ好みの店にたどり着いた。

自宅から徒歩2分ぐらいの場所にある「躍金楼」という割烹がある。「てっきんろう」と読む。いかにも由緒ありそうな黒塀の建物がオジサマの好奇心をくすぐる。




引っ越してすぐの頃から散歩するたびに気になっていたのだが、このブログの読者さんからも勧められたこともあり、ふらっと訪ねてみた。

お座敷用の正面玄関とは別に「すたんど」と名付けられたカウンター割烹の入口の先には、イメージ通りのオジ好みの世界が広がっていた。

初めて入った時は感動した。大げさに言えば私が長年思い描いていたオジの殿堂である。

まさに「たどり着いた」という表現が的確だろう。物腰の柔らかい店主がいて、着物姿の女将がいる。おまけに絵に描いたような大女将までいる。




年季の入った店だけが醸し出すホンモノ感に満ちあふれている。重厚感があるだけじゃなく、昔の花街を思い起こさせる小粋な風情も漂う。

レトロなどという言葉では言い表せない奥深さがある。伝統文化の中に身を置いている感覚とでも言おうか。

「琴線に触れる」という日本語はこの時のためにあったのかと言っちゃうぐらい私の気分はアゲアゲモードになってしまった。

居心地がまた良い。肩が凝っちゃう重苦しい雰囲気は無い。若者だったら緊張するだろうが、オジオバであれば誰もが快適に過ごせるはずだ。

聞けば140年の歴史があるそうだ。おまけに山岡鉄舟が名付け親だとか。そういう背景みたいな部分にもオジとしては萌える。

新富町界隈はその昔の花街で、最盛期には芸妓置屋が数十軒もあったという。今は中型オフィスビルやマンションだらけだが、この店にはいにしえの街のDNAが息づいている感じだ。



コース料理以外にアラカルトのメニューも揃っていて、気軽な晩酌にだって使える感じだ。画像は穴子の姿煮とウニ。

別な日に訪ねた際に食べた豚の角煮がまた絶品だった。長時間煮ることで脂がしっかり落ちているから、まさにオジ向け。

どの料理も昔ながらの東京の味だ。東京人としてはその点も嬉しい。値段についても銀座あたりの気取った寿司屋や料理屋よりも手軽だ。

コースで食べるのも間違いなさそうだが、その日の気分でいくつかの料理を選んで、後半は天ぷらを数点もらうパターンが私の定番になりそうだ。



天ぷらにはかなりのこだわりがあるようで、実際、天ぷら専門店と言えるぐらいのレベルだ。これもまた関東風で、天つゆと一緒に味わう王道のスタイルである。

まあ、究極のオジ好みの店に出会ってしまったから何をどう書いても美辞麗句ばかりになってしまう。

こういう店の空気感を快適に思える年齢になったことが感慨深い。「青春まっ盛り」ならぬ「オジまっ盛り」である。

生まれ変わっても最初からオジでありたいと真剣に思う。

自宅から歩いてすぐの場所にオアシスを見つけたわけだから、この上ない幸せだ。

でも、私のエンゲル係数や健康寿命は今後どのように迷走していくのかが大きな問題である。


2019年7月29日月曜日

サバ缶に賭けてみる


B型気質もあってか、一度好きになったモノには結構ハマる。いま私が愛しているのがサバ缶である。

もともとサバは好きだ。寿司屋でシメ鯖があれば必ず食べるし、チンするだけのセブンイレブンのサバの塩焼きも食べる。

サバ缶については、健康のためというよりは、朝飯用に食べてみたら妙にウマかったので突如ハマった感じである。



ちょっと前まで朝からカレーやパスタ、ハンバーグなどを嬉々として食べていたのだが、最近はアッサリした朝飯が定番になってきた。

そこで手を出したのがサバ缶だ。昔は魚の缶詰なんて食べたくなかったが、イマドキの缶詰は格段に美味しい。

上の画像は伊藤食品のサバ缶シリーズだ。水煮、醤油味、味噌味である。一応、サバ缶の中では高級路線らしい。



こちらは富永食品のサバ缶。わが社の編集幹部がナゼか変質者のように毎日飽きずに職場でこれを食べている。試しにもらって食べてみたのだが確かに美味しい。こちらもオススメだ。

サバ缶はそのままでも食べられるが、沸騰させたあと火を止めた熱湯の中に数分つけておくだけで良い感じの温度になる。

白ご飯の共として抜群の相性だ。水煮の場合は、醬油をたしたり、ポン酢で味わうのもアリだ。

そんなこんなで、朝はやたらとサバばかり食べるようになった。先日は炊き込みご飯に挑戦した。結果はバツグンだった。ウマ過ぎて震えた。



サバ缶はサバの身だけでなく、あの汁が健康の源らしい。かといって缶詰の汁をグビグビ飲むのもちょっとイヤだ。だったら汁ごと炊き込みご飯にすればいいわけだ。

作り方は非常に簡単。米2合なら水は1・5合分ぐらいの量に留めてサバ缶を汁ごと投入。あとは目分量で醬油、酒、みりんを追加。そのほかにはチューブのショウガをブチュ、ブチュっと入れてオシマイ。

無洗米で早炊きにすれば、30分もすれば極上炊き込みご飯が出来上がる。そのままで充分美味しいが、炊きあがったところに万能ネギと白ごまをしっかり追加投入して混ぜ合わせれば完璧だ。



食べる直前に大葉をちぎってトッピングするのもアリだ。なんだかプロの料理人が仕上げたかのような味になる。

自分で作ったくせに感激して大声で叫びそうになった。同じ要領でやってみれば数々の缶詰類をベースに極上炊き込みご飯がいろいろ作れそうだ。

何よりも、まな板も包丁も何も使わずに出来ちゃうところが素晴らしい。自炊したつもりになるし、身体に良いことをした気分になる。

たかだかサバ缶にハマっただけで、センス良く自炊しているつもりになるんだから私もかなり単純である。

このところ、コレステロールが高値安定だったせいで医者から薬も処方されたのだが、いまだに服用せずにウジウジしている。

引越しを機会にやたらと散歩するようになったし、朝からハンバーグとかを食べなくなったから、ちょっと意識すればコレステロール値も改善できるはずだ。

というわけで、しばらくはサバ缶を溺愛して暮らしてみようと思う。





2019年7月26日金曜日

小さな贅沢

温泉に行きたいのだが、なかなか機会がない。ホントの富豪ならヘリでひとっ飛びして近場の温泉に行けるのだろうが、そうもいかない。

で、ヒマな日曜日にちょっと知恵を絞って?温泉気分を楽しんできた。

気軽に行ける距離に「大江戸温泉物語」があるのは知っているが、週末は芋洗いだろうから気がひける。

新幹線でサクっと熱海まで行って日帰り入浴もアリだが、ちょっと面倒くさい。休日に温泉気分に浸れて、おまけに混雑していない場所はなかなか見つけにくい。

というわけで考え出したのが、近所の温泉付きビジネスホテルのデイユースである。



近所に天然温泉大浴場が設置されていることをアピールするホテルがある。ドーミーイン八丁堀がそれ。

残念ながら日帰り入浴は受付けていない。そこで気付いた。ドーミーインというホテルチェーンはデイユースもやっているはずだ。

さっそくホテルの公式サイトをチェックしたが、そんな情報は無い。仕方なく一般のホテル予約サイトで探す。さすがにワガママなレジャーの実現に執念を燃やす私である。簡単に見つけた。

日帰り温泉としてはかなり割高になるが、そこは各種ポイントがやたらと貯まっているから、それをドッサリ使い、手軽な値段で予約した。

15時から7時間のプランで部屋も使えて、当然ながらサウナ付きの温泉は入り放題である。



日曜の宿泊客は多いはずないから、実際に大浴場は空いていた。ガラガラの時間帯も結構あったから、こんな画像まで撮影できたわけだ。日曜に温泉を独り占めできるなんて贅沢な話ではある。

お湯の質は温泉といっても東京でありがちな琥珀色の鉱泉だ。でも、一応にごり湯っぽいから気分は上がる。

サウナも誰もいないから歌も歌い放題で、禁断のオナラだって出したい放題である。部分露天みたいな浴槽の横にあるイスにふんぞり返って涼しい風を感じてうたたねまで出来た。

疲れたら部屋に戻ってタバコをふかして持ち込んだゲスな週刊誌を読む。普段わが家ではベランダでタバコを吸っているから、室内でモクモクできることが妙にハッピーで旅行気分を味わえた。

ここの温泉はヌルめだったから今の季節には最高だった。徒歩圏でこんな気分を味わえたのは、まさにプチ贅沢だろう。

立派な大浴場付きの系列のホテルが浅草にも出来たようだから、次回は水上バスにでも乗って訪ねれば更に旅行気分を味わえるかもしれない。



何度も部屋と風呂を往復してすっかりフヤけた後は、川沿いを散歩しながら築地と新富町の間ぐらいにある寿司店へ。

最近はやたらと家の近くの店を探索しているが、この店も初訪問。日曜営業している近所の店をネット検索して見つけた「鮨なかむら」という小粋な個人店だ。

場所柄、ネタは文句なしで、手の込んだ仕事もいっぱい施してある上等な店だった。ただ、おまかせコースを頼むお客さんが大半で、その場の気分でワガママに好きなモノを食べたい私とはリズムが合わない感じだった。

こういうスタイルの店が増えてきたから私も合わせたほうがいいのだろうが、なかなかそれが出来ない。われながら困ったものだと思う。

温泉旅館なんかでは出てくる料理をウホウホ喜びながら文句も言わずに食べるのに、お寿司屋さんとなると偏屈なコダワリに縛られてしまう。

まあ、それが私にとっての贅沢な時間だから、いまさら時流に迎合しても仕方ない。

というわけで、オチのない話になってしまった。

2019年7月24日水曜日

佃煮やら築地の寿司やら

引越しから1か月。まだまだ目新しい感覚があるから近所の散歩が楽しい。ヒマさえあれば散策している。

歩いて5分も行くと隅田川に出る。墨田テラスという整備事業のおかげで川沿いの遊歩道が整備され散歩には最適だ。



いくつもの橋の中でわが家に近いのは佃大橋だ。ぶらぶら歩いて渡ってみた。水の眺めにはヒーリング効果があるから、あてもなく川沿いを歩き、橋も渡ってブラブラするのは楽しい。

佃大橋を渡ると、待ってましたとばかりに古い佃煮屋が目につく。渋い風情の店構えに引きよせられるように立ち寄る。



ウナギの佃煮にそそられたが、100グラムで2500円ぐらいの値付けにビビって、穴子とタラコとアサリの佃煮を購入。タラコが絶品だった。

佃側の川沿い遊歩道も美しく整備され、タワーマンションが連なる未来都市みたいな景観だ。そんなエリアに古い佃煮屋のような渋い建物も混ざっているあたりが今の東京を象徴しているようで面白い。

自宅側の川沿いを南に歩けば、アッという間に聖路加タワーの裏側だ。築地エリアである。

川沿いを行かなくても築地は徒歩圏だから、引っ越してすぐの段階から何度も散策している。

市場の移転でゴーストタウンになったかと思いきや、週末の場外の賑わいはなかなかのもの。観光地として定着している。

今更ながらお寿司屋さんの多さに驚いた。場外市場周辺の狭い路地には気軽な雰囲気のお寿司屋さんが数え切れないぐらい営業している。

晴海通りと新大橋通りが交差するエリアには少し規模の大きなそれなりの店構えの店もいくつかある。

目立つ看板でランドマーク的な存在が「寿司岩総本店」だ。すぐそばの築地支店よりもオジ向きの雰囲気が漂う。

立て続けに利用してみたが、さすがにこの界隈を代表する店だけに王道の美味しい寿司を食べさせてくれる。





奇をてらったものは無いが、ネタはすべて上等だし、握りの姿も美しい。安定という言葉がピッタリだと思う。

お寿司の楽しみ方もいろいろだ。一人でボンヤリ楽しみたいときは、大将が一人で仕切っているような小ぶりな店を選ぶ。

マイペースでゆったりするには最適なのだが、同行者がいる時や、ヒソヒソ話をするような相手と飲み食いする場合には事情が異なる。

小ぶりな店だと、大将との距離が近すぎて少し居心地の悪さを感じることもある。まあ、こっちの自意識過剰な部分もあるのだが。

でも、たとえば、連れの女性を口説こうかという状況だったら、馴染みの大将が目の前で身構えている小ぶりな店のカウンターではトンチンカンである。

その点、中規模のお寿司屋さんのカウンターならそれなりに解放感があるので、同行者とヤバめの話も可能だ。女性相手なら愛の言葉だってささやけるはずだ。

まあ、そんな会食なら料亭の個室でも使えと言われればそれまでである。




そういう点で寿司岩総本店は使い勝手が良い店だと思う。客層は大人ばかり。高級感もありながら適度な賑わいもあって、ちょうどいい感じだ。

別な日、寿司岩と同じような場所に位置する「和み竹若」という店を覗いてみた。近隣に2件ある鮨竹若の系列で寿司以外の一品料理メニューが豊富な店だ。




ガチガチの寿司屋でも、カジュアルすぎる海鮮居酒屋でもないという気分の時には使い勝手が良い店だろう。

クリームコロッケやらステーキもある。築地という場所柄、寿司だってそれなりのものが出てくる。値段も適価だ。

こういう路線の店が簡単に見つかるあたりがこの界隈の特徴だろう。散歩するたびに訪ねてみたい店が増えてしまうのが困りものである。


2019年7月22日月曜日

「夜の」「オトナの」

言葉のイメージは面白いもので、「夜の〇×」、「大人の△〇」などと言われるとナゼだか色っぽいことを想像してしまう。

かの浜松銘菓・ウナギパイは「夜のお菓子」というネーミングで全国的に知られるようになった。



もともと土産に買って帰宅した後、家族揃った夜に食べるという意味合いだったらしい。もちろん、世間サマはそうは解釈しない。

精力増強効果のある「ウナギ」と「夜の」が合体しちゃった以上、ムホホなことをイメージしてしまうわけだ。

「夜の食事」と聞いてもなんてことはないが、「夜のお付き合い」となると何かと妄想してしまう。

「生活」「営み」「関係」といったごく普通の言葉だって「夜の」をつけると途端にイヤらしい空気を漂わすから面白い。

「個人授業」「ため息」なども同様だ。「夜の~」効果はなかなか破壊力がある。「夜の運動会」「夜の格闘技」「夜の棒倒し」等々、ナゼだか全部エッチに聞こえてしまう。

「夜の家庭教師」。なんだか勝手に興奮してしまう。

私だけだろうか。。

「大人の」も似たような感じだ。「関係」「お付き合い」など、大人バージョンだと怪しい響きになる。

カタカナの「オトナ」は一層怪しくなる。「おもちゃ」という可愛い言葉も一気にエロ用語に変身する。「遊び」だって「オトナ」がつけばややこしい意味合いになる。

「オトナの指使い」「オトナの実験室」「オトナのレッスン」「オトナのソーセージ」「オトナのチョコバナナ」・・・。

ソーセージやチョコバナナまであらぬ疑い?をかけられるほどの威力がある。

いま、正真正銘のオトナとして生きている私としては実に複雑な思いだ。

こんなことを書きたくなったのは、久しぶりに作詞活動に励んだからだ。つくづく言葉をつなぐことは奥深い作業だと痛感している。

わがオジサマバンドは今年もライブを予定している。12月の開催なので、オリジナル曲としてクリスマスをテーマにした新曲を考えている。



これまで作ったオリジナルは詩先だ。すなわち、私が詩を作ってから友人が曲をつけてくれていた。

今回は曲先のパターンに挑戦中だ。この歳になってから作曲教室に通って頑張ってくれているバンドメンバーの旧友が先に曲を完成させた。

彼の鼻歌を録音した音源データを繰り返し聞きながら詩のイメージを膨らませていたわけだ。

そういえば「膨らます」という言葉も「夜の」をつけるとイヤらしい。「夜の膨らみ」。。。なかなか素敵だ。

話がそれた。軌道修正。

で、クリスマス縛りの詩を一生懸命考えて8割方完成した。ありきたりの言葉を並べただけだが、中年男女が歩んできた歳月をクリスマスに振り返って愛情を確認するという設定になった。

気ままなシングルライフを過ごしている私としては、自分の境遇とまるで違う設定でそれっぽい詩が書けたわけだから上出来である。

曲のタイトルは「夜のクリスマス」か「オトナのクリスマス」にしようかと思ったが、ちゃんと真面目に作ったからもう少しマトモなものにしようと思う。

そういえば曲を作ってくれた友人も今は独り身だ。作詞作曲者ともに実生活とはまるで違う内容の歌を作ってしまったわけだ。

まあ、叶わなかった生き方を歌の世界に託すのも悪くない。

オトナのたしなみである。




2019年7月19日金曜日

冷凍食品におったまげる

幸せにもいろいろあるが、冷凍食品がここまで進化した時代に生きていることは凄く幸せだと思う。

変な話、普通に家庭人として暮らしていたら、嫁さんの手料理中心の生活だろうからイマドキの冷凍食品のウマさを知らずに生きていたはずだ。

どっちが幸せかビミョーではある。。。

古い人間だから一昔前までは、冷凍食品イコールろくなもんじゃないという固定観念があった。キチンと料理を作ってくれた親や嫁さんのもとで生きていれば自然とそうなる。

実際に昔はあまり美味しかった印象はない。あくまで仕方なく食べるモノという次元だった。

ところがどっこい、今の冷凍食品はヘタな飲食店で食べるより美味しい。なんじゃらホイって叫びたくなることもある。



もりそばまでウマい。冷たいそばは麺の喉ごし、風味がすべてだ。解凍して食べる冷凍食品という性質上、はたしてマトモなレベルなのかと思って半信半疑で食べてみた。

冷凍のそばをレンジで解凍する。その後、冷水でシメて水を切って食べるだけだ。そうやって書くとマズそうである。

実際に作っている時もマズそうだなあと思ったのだが、食べてビックリ、なんじゃらホイ!だった。

そばのコシ、そば自体の甘味がしっかり感じられて、そこらへんのそば屋より10倍、いや20倍ウマい。素直に驚いた。



こちらは中華焼きそばだ。数々の商品を食べ比べた私のイチ押し。赤坂離宮の料理長監修という大げさな感じも納得のウマさだ。

麺がかなりの仕上がりだと思う。両面焼きという記載通り、両面に焦げる寸前みたいな硬めの部分がしっかりあって香ばしい。

餡もウマいのだが、個人的には麺を楽しみたいから、餡は半分ぐらいしか使わない。余った餡はそれだけで酒のツマミになる。

冷凍パスタはさほど感動する商品に出会わないのだが、次に紹介するボロネーゼは飛び抜けてウマい。



ボロネーゼの本場・イタリアのボローニャに行くたびに毎食毎食ボロネーゼばかり食べる私が大喜びするレベルだから間違いないと思う。

ちなみに、たらこスパゲッティなどの和風系のパスタについては、まだバツグンの一品に出会えてないから、メーカー各社さんにはそっち分野にも革命を起こして欲しい。

麺の話ばかり書いたが、チャーハン類も各社がしのぎを削ってどんどんウマい商品が出ている。



強いて言うならガッツリ強い味の商品だけでなく、オジオバ向けの優しい味わいの炊き込みご飯などのラインナップがもっと充実してくれると嬉しい。

やはり、古い世代の人々は冷凍食品に対してネガティブイメージが根強いから、そっち世代より下の世代向けの商品開発が優先されるのだろうか。

まあ、ガッツリ系だって私のような偏食太郎!にとってはやたらと嬉しいジャンク系の逸品も存在するからそれはそれで喜ばないといけない。



冷凍に負けずにチルド系のレトルト食品も進化しているし、エンゲル係数をあまり気にしない?中高年シングルにとっては、何とも便利な時代になったものだ。

先月の引越し以来、目の前のセブンイレブンとネットスーパーの配達と、ついでにウーバーイーツの宅配のせいで、新居のキッチンはピカピカのままだ。

何となく罪悪感みたいなミョーな感覚に陥るのは、やはり私が古い人間だからだろう。

まあ、いいか。







2019年7月17日水曜日

プライムリブ とんかつ そぼろ丼

肉と魚ならどっちが好きかと聞かれたら、迷わず肉と答える。そのくせ頻繁に食べるのは寿司やウナギである。肉を食べる機会が減ってきた。

鶏肉はよく食べる、豚肉もまあまあ食べる。牛肉は滅多に食べなくなってしまった。食べた後が何となくダルい。重い感じになる。太田胃散をすぐに飲んでしまう。

長生きしているお年寄りはステーキなんかを平気で食べるから、まだまだ私も頑張らないといけない。

先日、最愛の娘が誕生日を迎えたので溜池山王にある「ロウリーズ」にプライムリブを食べに出かけた。幸せな時間だった。



牛肉が苦手になったはずだが、美味しくてムシャムシャ食べた。気分のせいもあるだろうが、調理法というか、脂の落ち方にも関係があるのだろうか。

アッサリというほどでもないが、変なしつこさがない。赤身部分はとくに美味しい。たまたま骨付の部分を出されたのだが、骨の周りまでかじりついてハッピーだった。

いにしえのプライムリブのファミレス「ヴィクトリアステーション」がバブル崩壊後に撤退しちゃって以来、プライムリブは身近な食べ物ではなくなってしまった。

ロウリーズも悪くないのだが、そこら中にあるわけではないし、かなりカッチョ良い路線の店だ。仕事終わりに同僚と気軽に食べに行くとか、どうでもいい女性と義理メシに行くとかの使い方には向いていないのが惜しい。

でも、娘との節目のディナーみたいな使い方にはもってこいだろう。若者である娘はハッピーだろうし、牛肉が苦手な私もハッピーだったのだから、それで充分である。



最近、赤身肉が復権してきたようで何よりである。気の利いた鉄板焼屋さんではパサついていないしっとりと旨味のある赤身肉を出すようになってきた。

とはいえ、近代ニッポン人が勘違いしてきた霜降りこそ絶対!みたいなイメージのせいで、テキトーな店ではビチャビチャベチョベチョした牛肉が出てくる。

若い頃ならともかく、大人としては厳しい。マグロだってトロが苦手で赤身を好む私などは霜降り牛肉を見るだけで、パブロフの犬のように太田胃散が欲しくなる。

不思議なことに牛丼はムホムホ食べられる。出がらしになっちゃえば大丈夫なわけだ。私の味覚が安っぽいのだろうか。実際、叙々苑だろうが、うかい亭だろうが、霜降り肉を食べるなら大衆酒場のやきとんを頬張るほうが心底嬉しい。



若い頃は好きな肉の順番は当然のように「牛、豚、鳥」だったが、今では「鳥、豚、牛」である。もっと言うなら「馬、羊」なども「牛」の前に位置付けるほどだ。

豚だったら揚げものたってヘッチャラだ。この画像は銀座の人気店「羅豚」のとんかつ。豚しゃぶとともにワシワシ食べた。



ここの豚しゃぶは、ドッサリのネギが投入された鍋に豚肉をくぐらせて、蕎麦つゆで食べるスタイル。ネギ効果もあって結構な量でも食べられる。



ツマミや一品料理も多く、しゃぶしゃぶ専門店というより高級居酒屋といった風情だ。値段も手頃だし、使い勝手が良い。

鳥肉はいうまでもなく中高年の味方である。基本的に軽やかである。ぶよぶよしていない真っ当な鳥なら毎日だって喜んで食べる。

皮さえ除けばカロリー的にもかなりの優等生だし、他の肉よりも漠然と健康的な気分になる。



温玉を載せたそぼろ丼である。銀座6丁目にある「串銀座」で食べた。無敵のナンチャラ卵という逸品を使ったこの店の温玉が大好きで、それを目当てに時々訪ねる。

そんな温玉をしっかり目に味付けされたそぼろとグジャグジャ混ぜながら食べる。いやはや単純明快かつ素直に美味しい。

そぼろ丼という地味な食べ物で悶絶しちゃうわけだから、やはり鳥肉は偉大な存在であり、私にとってアイドル№1である。

2019年7月12日金曜日

オジ好み


新富町、八丁堀、茅場町。最近やたらとこのあたりを散策している。流行やオシャレ感とは一線を画した「オジ好み」のエリアである。

若い頃から“オジ路線”が好きだった私にとっては実に楽しい。肝臓と胃袋が複数あったらもっと楽しめるのに、飲み食いできる量には限度があるのが残念だ。


茅場町の老舗「鳥徳」だ。100年ぐらい前からあるらしい。昭和レトロ感バリバリの店の風情がオジには堪らない。

ウーバーイーツでこの店のキジ丼や焼鳥、鰻重を頼んだのをきっかけに、ぜひ店で食べたいと思って出かけた。




鳥の煮込み、焼鳥、ウナギのキモ串をアテに酒をグビグビする。シメには鰻重。実にハッピーな時間だった。こういう店が近所にあることが幸せだ。


こちらは八丁堀の老舗「肴屋」。魚を中心とした割烹料理だ。とある日の夜にふらっと訪ねてみた。

人当たりの良い大将とアレコレ世間話を交わしながら飲む。46年前に始めたそうだ。店の風情もオジ好みで、出てきた食べ物もすべて高水準だった。

炭火で30分以上かけてじっくり仕上げていた穴子の白焼きが絶品だった。酒の品揃えも豊富で、家からも歩いてすぐ。ヒマさえあれば通ってしまいそうである。

お次はお寿司屋さん。この界隈では珍しく路面店ではなく、ビルの4階に構える隠れ家的な「なか山」という店。最寄り駅は新富町だ。



オープンして3年だとか。オジ好み的な渋い感じではないが、大人向きの風情で居心地が良い。何といっても私の新居から徒歩1分というのが画期的だ。

気の利いた一品料理もあって味も確か。仕事をした系の寿司ネタもあるから、保守的なオジである私にとっては嬉しい。界隈の店の中では高い部類に入るのだろうが、銀座の寿司屋に比べれば遙かに安い。

先日はついに行きたかったカッチョ良い銭湯にも行ってきた。家から徒歩4,5分の「湊湯」 http://www.minatoyu.jp/

やたらモダンなのでオジ好みとは言いにくいが、来ている客はオジばかりだった。これだけちゃんとした設備を揃えて値段は銭湯価格という点が画期的だ。

別料金のサウナ代とタオルを借りても1000円でお釣りが来る。オジだらけで大混雑かと思いきや、私が行った平日の夜10時ぐらいはサウナも浴槽も詰め合うようなこともなかった。

なんだか新居周辺をオジモード全開で探索する日々である。すぐ近くなのに銀座のネオン街にちっとも出かけていない。

ご近所散策に飽きるまでは夜のクラブ活動もお預けである。貯金でもしよう。



2019年7月10日水曜日

壺とパンチラ


自慢の徳利やぐい飲みを使いたくてわざわざ家で飲むことがある。たいして量は飲めないのにお気に入りの器を撫で回しながら過ごす時間が好きだ。



かなり処分して今は厳選した酒器だけが残っている。徳利は今も20本以上はあるのだが、すべて私の掌との相性が良いヤツばかりだ。

徳利の面白さは掌で包み込んだり撫で回すだけではない。見えない中の世界を想像するのも楽しい。

きっとカビだらけだ、などと夢のないことを言ってはいけない。中国には「壺中有天」ということわざもある。大ざっぱに言えば壺の中に酒池肉林の世界があるといった意味合いだ。

見えないと分かっているのに中を覗き込みたくなる。徳利の小さめの口からは闇しか見えない。いろいろ考えて哲学的な気分になったりする


こちらは先月の引越し後、置き場所がなくて困っている大きめの壺だ。白っぽいのは備前の土に志野の釉薬を流し掛けした現代有名作家の作品、もうひとつは越前の骨董だ。その昔、ウン十万円も出して買ったお気に入りである。

徳利のお化けみたいなものが壺だから、私はどちらも大好きだ。トランプさんみたいな豪邸に住んだら家中が壺だらけになると思う。

壺も徳利も表面からは中が見えないフォルムが良い。皿のように裏表がすべて見えるわけではない。その神秘性が魅力だ。

腹の内を見せないとか、あえて見なくていいものもあるといった、一種オトナの世界に通じる佇まいを感じる。

隠れているものを覗きたくなるのは人の習性だろう。たいしたことはないと分かっているのに週刊誌の袋とじグラビアを丁寧に開けちゃうのもそんな心理のせいだ。

ヨーロッパでは(日本でも)古来、女性の脚は徹底して隠すものと認識されていた。胸元がドッカーんと空いたドレスだろうとスカートは総じて超ロングだった。

あの裾の広がった超ロングスカートは、トイレ未発達の頃にところ構わずしゃがみ込んで用を足すために編み出された形だという説もある。

話がそれた。

とにかく人前で脚が見えちゃうのは大失態であり、事件みたいなものだったらしい。当時の男達が実に気の毒だ。


女性の脚線美は、ある意味ヌード姿そのものより男性を喜ばせる芸術品だと思う。いまやどこでもミニスカやショーパンを見かける時代だから、タイムマシンで中世ヨーロッパ人を現代に連れてきたら、鼻血ドバドバ大会になってしまうはずだ。

考えてみれば、男がパンチラに興奮するのも単純に隠されているものが見えたという一点だけが理由だ。女性の脚は今や普通に出す時代だから、男達がそれを見てもパンチラほどの衝撃はない。

超ミニの女性の姿にはドキっとするが、あれだって脚にドキっとしているわけではない。パンチラ寸前という状況にドギマギするわけだ。

何だかんだ言って、あくまで「普通は見えない」という前提条件があるかどうかがカギを握っている。

その昔、ランジェリーパブなる奇天烈な店がハヤリ始めた頃、会社の人間と大勢で押しかけたことがある。

感激したのは最初の2,3分だった。隠すものではなく見せるものという位置付けのせいで下着丸出し女子が何人歩いていようが、すぐに飽きてしまった。



見えないもの、見られたくないもの、見てはいけないもの。そういう要素がなくてはちっとも面白くない。

なんだか徳利と壺の話が異様に脱線してしまった。

というわけで、私は中が見えてしまうガラスの徳利が好きではない。

よくわからん話になってしまった。

2019年7月8日月曜日

食い意地と悔しさ


歳を重ねるといろんな変化が身体に起きるが、食べる量が減ることはなかなか切ない。

ウン十年、食い道楽を続けてきた身にとっては、割とすぐに満腹になっちゃう今の状態が微妙に悔しい。負けた気がする、ってヤツだ。



我が家の冷蔵庫にはここ数年の旅先で買った名物マグネットが貼り付けてある。食べ物ばっかりである。食い意地が強い証拠みたいなものだが、絶対量が減ってしまうことは無念である。

脳の記憶は残酷だから、空腹を感じたら条件反射でドカ食いへの欲求が高まる。とはいえ、勇んで料理屋に入っても前菜をツマミに生ビールをグビグビ飲み干すと、一気に落ち着いてしまう。

おまけに最近は妙にアッサリしたものを注文して、平気で野菜にまで手を出す始末だ。水茄子の漬けたヤツがあれば必ず頼んでしまう。


茄子が大嫌いなのに水茄子だけは好物だ。自分でも意味不明だ。先日も某店で水茄子を梅酢あえにミョウガやネギやキュウリなどの薬味がドッサリ載っている一品を感激しながら食べた。

加齢である。


別な日、お付き合いで北京ダックの専門店に出かけた。銀座にある「全聚徳」だ。何年か前に移転して六本木と新宿だけになっていたが、いつのまにか銀座店がリニューアルオープンしていた。

ここの北京ダックの特徴は皮だけでなく身もしっかり付いた状態で食べさせる点だ。要はボリューミーである。で、結局2枚も食べたら満足してしまった。

若い頃は毎日3食でも大丈夫だった焼肉屋に足が向かなくなったのもここ数年の傾向だ。今では自ら焼肉を選ぶことは皆無だ。若い人にねだられて渋々出かける程度である。

肉は2切れ程度しか頼まず、チャンジャや韓国海苔、ユッケあたりをツマミに焼酎をグビグビしていれば満足できてしまう。ヘタするとわざわざカニを注文する。焼肉屋でカニをせっせと焼いている自分が少し残念だ。


もともと酒を飲み出すと、あまり食べないほうなのだが、さすがに2,3時間後には空腹になることが多い。おかげで深夜のドカ食いに走ってしまうのだが、最近はそれも激減してきた。

ついでにいえば、朝の空腹感にも変化が生じている。物心ついてからずっと、朝は目覚めた瞬間から空腹だったのだが、最近は起床後30分ぐらいはまるで食欲がない。

朝からドカ盛りメシにガッツリ肉というパターンもへっちゃらだったはずなのに、最近はサンドイッチをちまちま食べて終わったりする。


こちらは銀座の小料理屋「おかやす」で食べたしらたき麺だ。ダイエットしているわけでもないのにこういうものを注文する姿勢自体がデブとして情けない話である。

でもこういうジンワリしたヤツにそそられてしまう。食後がラクだし。。。。

とある日、日々の負けっぷりを反省して、ヤケクソのようなチャーシューで有名な新橋「ほりうち」でチャーシューつけ麺を食べた。


グジャグジャと脂っぽいチャーシューよりもこういう“グワシッ”とかじりつくチャーシューのほうが嬉しい。

いっぱしの食い意地太郎っぷりのように書いているが、麺は大盛りにしなかったし、おまけにちょっと残したし、結局は敗残兵のような気分で店を後にした。

ダメである。食欲を鍛えないといけない。