2024年11月20日水曜日

肉と肉と肉

 

元気なお年寄りはみんな肉をバンバン食っている。そんな話をよく聞く。50代の私が年々牛肉を重く感じるようになったから8090になってステーキを食べるようなお年寄りはそりゃあ元気なんだろう。

 

元気だから肉を食らうのか、肉を食らうから元気になるのか。ニワトリとタマゴの話みたいだが、きっと前者だと思う。私だって大別すれば魚より肉が好きだが、今ではすっかり牛よりも豚や鶏に意識が向かう。

 

付き合いで焼肉屋さんに行くことがある。私にとっては「卒業」したジャンルである。若い頃に一生分の焼肉を食べてしまったようで自ら進んで食べに行くことはない。今では焼肉屋さんに行くと体重が減るほどだ。

 

かといって、野菜をかじってチマチマしているわけではない。肉だって3枚ぐらいは食べる。チャンジャやキムチ、カクテキなどがあれば焼酎片手にダラダラと過ごすことはできる。

 

肉以外の一品料理を頼むのも焼肉屋さんの楽しみ方だろう。ビビンバや冷麺みたいなメニューは焼肉屋さんに行かないと出会わない。そっち系を楽しめば焼肉屋さんも結構楽しい。

 



 

銀座のお隣・京橋の小洒落た焼肉屋「牛印」での一コマだ。肉は赤身肉ばかり注文してヘルシー志向に努めたのだが、この店の名物はシャトーブリアンステーキサンドだと聞き及び注文してみた。

 

夕飯にサンドイッチですかい?って気持ちになったが、そこはさすがに上等なステーキ肉だから気にせずパクつく。肉のソースとパンの相性が良かったからかなり満足した。

 

お次は八丁堀にある「梨の家」というお店。いろんな部位の肉を少量から頼める。個人的には正直言ってちょっと気持ち悪い肉寿司も炙り肉寿司でも提供してくれるので穴場だと思う。

 




今どきは赤身だと聞いて頼んでもやや霜降り系の肉が出てきちゃうのが私にはツラいが、この日も特製コンビーフや生ダコの刺し身というニクいメニューを頼んでホゲホゲ過ごす。焼肉は同行者に任せてレモンサワーをグビグビ。

 

で、後半にカルビ麺を注文。カルビクッパに麺が入っている感じの一品で辛さはなかったので美味しく堪能。こういう料理があれば“焼肉でゲンナリ”という昨今の私の悪いクセも抑えられる。

 

牛より豚のほうが断然好きな私が嬉しかったのが赤坂で入った韓国料理屋さんだ。オヤジバンドのライブ前の最終練習の後にワイワイしに行った。

 

店の名前はハモニ食堂。赤坂と赤坂見附の中間だっただろうか。焼肉屋さんとは異なる本格的な韓国料理専門店だ。まるでワケのわからないメニューが並んでいるのが良い。画像付きメニューを見ると赤色の料理ばかりだが疲れている時にはこういうのも悪くない。

 




 

サムギョプサルはお店の人がカットして焼いてくれるから楽ちん。そのまま食べてもよし、ピリ辛ネギやサンチュやキムチ類をトッピングしても良し。牛肉とは違って重くないのも嬉しい。

 

他にもとてもウマかったのがプルコギだ。こちらは牛肉だが、牛丼屋で出てくるような出がらし系?の肉だからむしゃむしゃ頬張れる。もともと甘い味付けが好きな私だからプルコギは大好物とも言える。

 

もう35年ぐらい前に大好きだった年上の彼女にご馳走してもらったのが私のプルコギデビューである。当時の甘い思い出が甘い味付けと相まって胸キュンの美味しさである。意味不明ですいません。

 

この店はチヂミも非常に美味かった。海鮮チヂミはみんなでアッという間に平らげてしまい、画像の一切れは追加注文したニラチヂミにチーズをトッピングしたものである。

 

チヂミはどこでも目にするが、案外ウマいマズいが極端に分かれる料理だと思う。ここはオススメだと感じた。覚えておくつもりだ。

 

外食といえば、寿司か蕎麦かウナギか洋食屋ばかりになってきたから、時には肉中心のお店にも出かけて自分のパワーを少しでも上げるように頑張ろうと思う。

 

 

 

 

 

 

2024年11月18日月曜日

ハッピーな裏切り

 

今週末はわがオジサマバンドのライブが行われる。1年に一度の大騒ぎの日である。昨年のライブからアッという間に1年が過ぎた。時の経過に関する感覚は確実に老人レベルになっている。

 

今年で11回目のライブになる。会場は例年と同じ青山にあるレストランライブハウスだ。今年も100名ほどのお客さんに見つめられながら美声?を披露する予定だ。

 

バンド活動を始めたのは2012年の秋だった。同級生二人に誘われて何となくノリで始めた。その後は毎年趣向を変えてライブを続けてきた。コロナで2年続けて休演したが、その後も拡大発展!を続けている。

 



当初はアコースティックギター2人と私の3人体制でチマチマやっていたのだが、今年のメンバーはなんと総勢11名である。演目によって入れ替えはあるが曲によっては8人体制でのフルバンド仕様だ。随分と変わったものである。

 

2012年に初めて人様の前で歌った直後のこのブログを引用してみる。もう12年も前の話だ。

 

~~~日常生活の中で、あそこまで緊張したり、白くなったり、身体から変な汁(汗ではない。汁だ)が出てくる感覚を味わうことはない。結婚式の主賓のスピーチだろうが、大勢の人を前にした講演会の講師だろうが、美女との初めてのベッドインだろうが、この日の緊張に比べれば鼻歌モノだ。

でも物凄く楽しかった。極端に音程を外すこともなく、喋りのほうもそこそこ好反応をもらったので、バンド結成後初めてのライブにしては上出来だったと思う。寿命はチョット縮んだが・・・。

アコースティックギター2本とボーカルだけというシンプルな構成にしては、いろんなアレンジが出来たと思う。~~~

 

今も当時の異常なまでの緊張を思い出す。書いている通りで変な汗、変な汁?まで身体から滲み出るような経験だった。

 

12年前のその日はワンマンライブではなく対バン形式で他にも4,5組のバンドが一緒だった。そのどれもがプロ級に見えてビビりまくり、楽屋でも他のバンドのこなれた感じを前にオロオロしていた。今思えば懐かしく貴重な思い出である。

 

あれから十数年も経験を積んだわけで、その分のゆとりがあるはずなのだが、今でも本番1週間前ぐらいから妙な緊張感が押し寄せてくる。寝室の加湿器も常に最強設定で普段しないマスクも活用する。わりとアワアワした感じで本番を迎える。つくづく年に一度で良かったと感じる。

 



昨年もオープニングは頭の中が真っ白だった。経験値のお陰で一応こなれた感じで進行はしたものの最初の20分ぐらいはド緊張マックス状態が続いた。

 

メインボーカルというよりMCを無難に回すことが私の最大の使命?である。事前に作った台本をチラ見しながらメンバーの状態をさりげなく観察し、お客さんの反応に応じてMCの強弱なども加減する。

 

なんだか無駄な努力のようにも思えるが、そのあたりのサジ加減がお客さんを含めた会場全体の雰囲気を左右するのも確かだ。口幅ったい言い方になるが世の中の素人バンドの多くが、会場の様子など気にもせず淡々と自己満足的な演奏を披露するだけである。あれでは楽しくない。

 

素人バンドのライブには義理や人情で渋々来場してくれるお客さんが多い。そういう人々に「思っていた以上に楽しかった」と言われることが一番嬉しい。なんならその「ハッピーな裏切り」を目的に活動を続けているのかもしれない。

 

中年になってから何となく始めた趣味なのだが、気づけばどんどんスケールアップして今現在の私の人生における一大イベントになってきた。


いうまでもなく人生を楽しむために何より大事なのは遊び心である。大真面目に遊んでこその人生だ。その点、なかなか得がたいバンド活動という「真剣な遊び」を10年以上も続けていることはラッキーだと思う。

 

いつの間にか凄腕のメンバーも加わり本格的な体制になった我がオジサマバンドである。一昨日、全メンバー揃っての最終練習も無事に終わった。春頃のヨチヨチ練習に比べればまるで異次元の仕上がりになってきた。


お客さんに楽しんでもらうためには自分達が楽しまないことには始まらない。ド緊張にも慣れっこになっているはずだからビビリ気分も面白がって当日を迎えようと思う。

 

★ライブ当日、残席はまだ少しあります。覗いてみようというかたがいらっしゃったらお気軽にお問い合わせください

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年11月15日金曜日

家メシ、コーンスープ

 

どうも今年は体調を崩しやすい。最近もしっかり風邪をひいた。治りが悪いのも昨今の特徴かもしれない。これも寄る年波のせいなのか、はたまた寒い中、大学野球を観戦しまくったせいなのだろうか。来週は明治神宮大会があるから厚着で観戦しに行こうと思う。

 

そんなこんなで家メシの時間が増えた。なるべくコンビニメシは避けているのだが、怪しげなパスタやら菓子パンやらを見るとついつい買ってしまう。

 

ウーバーの利用頻度も増えている。モノグサぶりもすっかり板についた。近所の「なか卯」をよく利用するのだが、そばやうどんがふやけないで届くのが理由だ。その距離わずか200メートルだ。麺が乾かないのが嬉しい。だったら店に行けと叱られそうである。

 

自炊モドキもちゃんとしている。一から料理をするのは面倒だからたいていはレトルトに具材を追加するような簡易版である。パスタソースも最近はウマいレトルトがいくらでもあるからそれをベースにすれば結構満足出来る仕上がりになる。

 



まめに作るのが挽き肉ブリブリミートソースである。レトルトのミートソースやボロネーゼは肉感が決定的に足りないから挽き肉を大量に加えて味を調整するのが私の定番だ。

 

3人前ぐらいのレトルトソースに対して挽き肉を300グラムほど追加、その他、冷凍庫に常備してある刻みタマネギを200グラムほど投入、生のマッシュルームもドサっと加えて煮詰め直す際に野菜ジュースも200mlほど入れると一気に3人前のソースが5~6人前ぐらいのボリュームに変化する。

 

隠し味程度にケチャップ、ウスターソースも加えるほか、ハチミツをしっかり入れるのも私流の味付けだ。やはりミートソースは甘めの味が嬉しい。

 

ボロネーゼなどというカッチョいいパスタを知る前の日本人は甘いミートソースを嬉々として食べていた。私が子供だった時代は間違いなく国民全員が甘いミートソースを愛していたから「家庭のミートソース」は甘さが決め手だと信じている。

 



チキンライスを作る時も市販の素をベースにする。硬めに炊いたコメとチキンを大量に用意して、これまた冷凍刻みタマネギと生のマッシュルームを加えて適当に味を整える。ここでもウスターソースが味を引き締める。

 

最近気づいたのだが、この手の簡単メシを作る際には生のマッシュルームさえあれば何となくゴージャス感が出る。これって大きなポイントだ。缶詰のマッシュルームより美味しいし食感も良い。大ぶりにハサミでカットして大量に投入するとシティーホテルのカフェのメニューかと錯覚するほどだ。大げさですいません。

 

さて、そんな誰の役にも立たない話ではなく、今日の本題は最近のお取り寄せヒット商品についてである。家メシの中でもこれからの季節に欠かせないのが「コーンスープ」だろう。

 

人気商品「じっくりコトコト」シリースを長年愛してきた私だが、クノールの「贅沢野菜」シリーズを知って一気に宗旨替えをした。大量に購入してしまった。

 



ウソかホントか毎年いまの時期しか販売しないらしい。「1年に1度だけ」というネット広告に惹かれてまんまと?買ってみた。3個セットだと割引らしいから15個入りを3箱注文。1袋あたり200円以上はするからインスタントのスープにしては生意気な値段である。

 

で、飲んでみた。とくに感動するほどでもなかったのだが、2口、3口と飲み進むうちに何だか妙にやめられなくなった。ちゃんと美味しい。後味が他のスープとは確実に違う。そう感じてしまうともうトリコである。単純な私は簡単にこのスープのファンになってしまった。

 

まだ42袋ぐらい残っている段階で追加注文までしてしまった。母親の家にも送った。おまけに同じシリーズのトマトスープとかぼちゃスープまで頼んでしまった。クノールの広告担当者が私の行動を知ったらほくそ笑むのは間違いない。インスタントスープにウン万円を払う私は富豪みたいである。

 



で、毎日のように飲んでいる。たいていの粉末状スープはお湯100mlで溶かす仕様だが、こちらは150mlで溶かしても充分に濃いのが嬉しい。素材の味がしっかり感じられて人工的な雰囲気ではない点も有難い。

 

広告では「売り切れたら来年まで飲めない」とさかんに煽ってくる。とはいえ、今も私のスマホに頻繁に表示されるからまだしばらくは買えるはずだ。調子に乗って再度注文しないように気を引き締めている。

 

コーンスープ好きの人なら一度は試してみる価値はあると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年11月13日水曜日

クエ鍋 春菊は敵


一気に冷え込んできたから熱燗を飲む機会が増えた。ぬる燗や人肌燗といった中途半端な温度よりもアッチッチ状態が好みだ。なんなら徳利が持てないぐらいが嬉しい。もともと猫舌のくせに燗酒だけは熱ければ熱いほど好きだ。

 

どうせ5分も置いておけば冷めてくるわけだから始めはチンチンが良い。ちびちびっと口に含んでも身体中に熱い酒が染み渡っていく感じが堪らない。これからの季節ならではの楽しみだと思う。

 



真っ当なお店なら湯煎で燗をつけるから注文から提供まで時間がかかるのが難点だ。おかわりをするタイミングにも神経を使う。そのせいかちょっと緊張感?を伴うのも個人的な熱燗あるあるである。

 

熱々の酒といえばヒレ酒が思い浮かぶ。数え切れないほど味わってきたのにいまだに謎なのが独自の儀式?である。客前でアルコールを飛ばすために火を付けるのはナゼだろう。味に違いはあるのか、酔い加減に差があるのか、サッパリ分からないままウン十年である。

 

ちょっと調べれば理由は分かるのだろうが、知りたいような知りたくないような気持ちで今に至る。思えば世の中には「そういうもんだ」と何も気にせず放置している謎の習慣は他にもあるはずだ。まあ、いいか。

 

さて、冬の訪れとともに食べたくなるものがいくつかある。白子、あん肝、カラスミといった珍味を始め、おでんもその代表だが、鍋物もやはり冬には欠かせない。

 

私は根っからの野菜嫌いなのだが鍋だとどさくさ紛れに少しは野菜も摂取する。でも白菜の芯と春菊だけは何があっても食べたくない。この習慣は死ぬまで変わらないのだろう。

 

春菊は他の具材の邪魔をする存在だと思う。色は出ちゃうし味はマズいし、個人的には親の仇ぐらい嫌いだ。すいません、舌が子供レベルなんだろう。

 

野菜が特に好きな人は別だが、アレをウマいなあと思って口にしている人はどのぐらいいるのだろうか。料理人も単純に彩りのためだけに春菊を最後にポンッと乗っけてるだけだと思うのだが違うのだろうか。

 

春菊ファンの皆様、ごめんなさい。

 

さて、鍋料理の中でもアマノジャクな私が冬になると食べるのがクエ鍋である。東京ではあまり見かけないのが好ましい。人様にご馳走する時に「へー」って言ってもらえるのも良い。

 



旨味の強いデカい白身魚だが、結構な時間煮込んでしまっても身がバサバサにならないのがクエの魅力の一つだ。たいていは熱燗でほろ酔いになっているから鍋から引き上げるのを忘れがちになる。慌てて鍋から回収してもちゃんと美味しい。

 

魚なのに身肉のコシの強さ?が特徴的だ。フグよりも野性味を感じて食べ応えがあるのが嬉しい。普通の白身魚を想像するとまったく別モノの力強さがある。

 



 

都内各地にある土佐料理の老舗「祢保希」が冬の名物として提供しているので、地の利のある銀座店で堪能することが多い。クエの刺し身や唐揚げ、カツオのタタキあたりを肴に熱燗を楽しみながら鍋を待つのがお決まりのスタイルだ。

 

いつも雑炊が出されるタイミングでは満腹になっているのが残念無念である。極上のダシで味わう雑炊なのに一口ぐらいで断念しちゃう。そのくせ数時間後にペヤングを食べたりするから、まさに愚の骨頂だろう。

 

鍋を美味しく味わうために大事なことは飲みすぎないことと春菊を入れないように気をつけること。これに尽きると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年11月11日月曜日

過去モノ

 また熱を出して寝込んでしまった。健康管理を今まで以上に真面目にやらないと不便で仕方ない。というわけで今日は過去ネタを一つアップします。


https://fugoh-kisya.blogspot.com/2012/10/blog-post_5.html







2024年11月8日金曜日

人として


人として。武田鉄矢の歌にこんなタイトルがあったかと思う。最近、自分のボケっぷりが人としてマズいと感じる。とにかくよくモノを忘れる。ボケてきたのか、注意欠陥障害なのか、我ながらちょっと怖い。

 

この下半期で財布を忘れたというか、落としたのが2回。財布にはカード以外に保険証や家の予備のカギ、免許証、キャッシュカードなど貴重品が勢揃いしている。それを平気で置いてきちゃう神経が尋常ではない。

 

一度目は某シティホテルでのこと。喫煙専用室にいたときにナゼか財布を置きっぱなしにした。30分ぐらい経ってから気づいて戻ったのだが当然のように見当たらない。ダメもとでホテルのフロントに行ったら運の良いことに親切な人が届けていてくれて無事に手元に戻った。

 

喫煙室には3、4人がいたし、私が去ったあとにも入れ替わりはあっただろうから何とも危なっかしい話である。フロントマンは届けてくれた人が誰だか分かっていると言う。そのくせ御礼したいから繋いでくれと頼んでも「無理です」の一点張り。

 

だったらお礼を包んで渡すからその人に届けてくれと言っても「無理です」と繰り返す。個人情報だか何だか面倒な時代になったせいで感謝すら伝えられない。せめてもと私の連絡先をフロントマンに託したが、まるで恩人さんに「そっちから電話してこい」みたいな流れになってしまうわけでマヌケ極まりない。

 

当然、恩人さんから連絡が来るはずはなく、財布が戻った嬉しさと御礼すら出来ないもどかしさで頭がおかしくなりそうだった。全て自分のせいである。

 

で、その後は財布を無くさないようにかなり神経質に過ごしていたのもつかの間、先日はタクシーの中にしっかり置き忘れてきた。バカ丸出しの自分が悲しくなった。

 

その時は、尻ポケットに入れていた財布を座る際に邪魔になって座席にポンと置いた。目的地に着いて料金を払う際にポケットの小銭で賄えたので財布を手にせずそのまま降りてしまった。不注意極まりない。

 

降りてからわりとすぐに財布を置き忘れたことに気づく。領収書ももらっていない。途方に暮れたが運よくネット配車で呼んだタクシーだったのでネット上の履歴からタクシー会社の連絡先を見つけて電話した。


その日は日曜だったせいか、なかなか電話が繋がらなくて慌てる。次のお客さんが拾ったらネコババされちゃうかもしれない。血圧上昇。

 

ようやく電話が繋がり、タクシーに連絡して折り返すとのこと。ところが10分ぐらい折り返し電話は来ない。冷や汗が5リットルぐらい出た後に連絡が来た。運転手さんが財布を回収して私が降りた場所に戻ってきてくれることになった。

 

戻ってきてくれた運転手さんによると私の次に乗ったお客さんが座席に置きっぱなしの財布を見つけてくれたそうだ。お礼すべき相手はそのお客さんなのだがどこの誰かもわからない。成り行き上、運転手さんにお礼を渡そうと思ったのだが、財布にはナゼか万札しか入っておらず仕方なく運転手さんに1万円を渡すハメになった。

 

財産価値?としてはかなりのものだから謝礼に1万円は安いのだろうが、私にとっては謎の出費になってしまった。自業自得である。

 

財布だけでなく、クルマの鍵やタバコやライター、羽織っていたセーターなど、かなりの頻度で私はあちこちに置いてきてしまうことが増えた。昔はそんなことなかったから歳のせいだろうか。日々、緊張感のない暮らしをしているせいでフヌケになってきたのだろうか。

 

で、紛失した際に音がなったりGPSで場所を教えてくれる便利グッズがあると聞いていつものアマゾンで買ってみた。これはこれでイザという時に多少は役に立つのだろうが、置き忘れ自体を予防するわけではない。やはりチェーンで財布と身体をつなげておくとか、腹巻きを使うようにしてそこに常に入れておくとか、原始的な対策をしないとダメかもしれない。

 



それ以前に緊張感を持った暮らし方を今一度取り戻す努力をすべきだろうか。一応まだ還暦前なのにこんなテーマで悩むこと自体がヘッポコである。

 

3日前の食事も覚えていないし、ヒドい時には半月前ぐらいに会った人のことも忘れている。中高年ってこんなに脳みそがシャバダバなのかいつも疑問に思う。

 

一昔前に渡辺謙主演の若年性痴呆を描いた映画を見たのだが、その主人公も日常のちょっとしたことをうっかり忘れるところからどんどん悪化していく。人ごとのように見た映画だったのだが、最近は結構まじめに怖さを感じ始めてきた。

 

仕事などで想像を絶する大ポカをやらないか不安だ。気をつけようと思う。

 

 

 

 

 

2024年11月6日水曜日

ラーメンは太るのか


夏になると痩せる人は多いが、私の場合は夏に太りやすい。暑さへのイライラでヤケ食いをするのか、水分過剰の水太りかは分からないが、これまでの人生で夏痩せを経験したことがない。

 

夏に太ると書いてみたが、考えてみれば1年中太っている。体重計に乗らないのが悪いのだが、乗ったら乗ったで表示される数字に愕然としてその日一日メンタルが使い物にならない気がして避けている。

 



 チャーシューがテンコ盛りのラーメンにミニチャーシュー丼まで付けてしまうあたりが私の年齢的にはカロリー過剰なんだろう。これは職場近くの喜多方ラーメン「坂内」で食べた。空腹というよりちょっと小腹がすいたぐらいでこんな注文をしちゃうからダメダメである。

 

先日テレビで先にチャーシューを食べてから麺を食べれば太らないという実験を見た。結果はその仮説通りだったのでちょっとビックリである。はたして先に食べるチャーシューの量はどの程度か、チャーシュー後にどのぐらい時間を置いて麺を食べればよいかは分からなかったが、チャーシュー好きの私には朗報だった。

 

というわけで、太らないためには上のラーメンのようにチャーシューはテンコ盛りの必要がある。2,3切れのチャーシューしか載ってなかったら、先にチャーシューを食べちゃったら最悪である。口の中には常に麺とともに肉が混ざっていて欲しい私にとっては麺だけ大量に残った状態は苦行だ。

 

チャーシューだらけラーメンを楽しめる店をキチンとリストアップし直そうと決意した次第である。

 

ところで、一般的にラーメンは太る食べ物だと認識されている。実際のところは不明だが、某ネットニュースの記事では、年間600700個もの即席袋麺を食べるその道の専門家が太ってもいないし健康状態に問題がないと書かれていた。これも朗報である。

 

その人は子供の頃に「中華三昧」だかの高級袋麺に感激したことをきっかけにウン十年もの長きにわたり即席袋麺ばかり食べているそうだ。まさに勇者である。サッポロ一番を時々無性に食べたく私も勇気づけられた。

 

カップ麺と袋麺だとナゼか袋麺のほうが高尚な?感じがする。鍋にお湯を沸かすという手間をかけるせいだろうか。昨今何かと問題になっているマイクロプラスティックが健康を害するという点でも袋麺のほうが身体に良いイメージがある。

 

とかなんとか言いながら先日は超ジャンキーなカップ麺のアレンジに挑戦してムホムホ喜びながら平らげてしまった。これまた私の年齢で飛びつくようなシロモノではないのだが、私の体内に染み付いているジャンク魂に火がついてしまったから仕方がない。

 



カップヌードルのシーフードバージョンがベースだ。熱湯を入れる代わりに熱々のコーンスープを入れて麺がほぐれたら生卵を投入して混ぜ混ぜする。仕上げに粉チーズをドバっとかけて完成だ。

 

最初は正直言うと失敗した。2回目以降は上手に作れるようになった。何度も作っていることを白状したみたいで恥ずかしいのだが、せっかくなら満足感にひたりたいから美味追求に妥協はできない。

 

失敗の原因は味がしょっぱ過ぎたことだ。改善策はコーンスープを投入する前にカップ麺のスープの元。すなわち乾麺状態の上にどっさり載っている粉末を捨てることである。

 

具は残したいからザルを用意して蓋を開けたシーフードヌードルを逆さまにしてザルに粉末と具を落とす。ザルには具だけ残るのでそれをカップ麺に戻してからコーンスープを投入する。コーンスープは熱々にしないと麺がほぐれないから注意が必要だ。

 

この一手間のおかげで俄然マトモな味になった。生卵を落として混ぜることで味がまろやかになる。ちゃんと美味しい。粉チーズをぶりぶりかけることでカルボナーラ風ラーメンになるのだが、粉チーズを追加するかどうかは好みが分かれるかもしれない。

 

問題は食後の「重たさ」である。若者なら平気だろうが、オジサマの弱々しくなってきた胃袋には結構ズシンと来る。普段から胃もたれしやすい人にはオススメできない。私自身、30年前なら週に5回ぐらい食べられたかもしれないが、今ではそんな勇者的行動は出来ない。

 

きっとカロリーも爆上がりだろう。チャーシューを買ってきて先にそれを食べてからこのアレンジヌードルを食べれば太らないのだろうか。ちょっと怪しい…。

 

 

 

 

 

2024年11月1日金曜日

ジェンダーとやら

 

国連が男子を系統とする天皇制にイチャモンをつけたそうだ。お口アングリみたいな話である。

https://news.yahoo.co.jp/articles/cc14db39775c7eb1f6d24b5d24cb0385ae1dd8d2

 

ジェンダー問題は私が簡単に述べられるようなシロモノではないが、「なんでもかんでも男女は一緒だ」という昨今の行き過ぎた風潮には正直ウンザリする。

 

そりゃあ女性蔑視がいけないことは誰でも理解できるが、蔑視でも差別でもなく区別することは当たり前の話だ。そんな極めて単純な話まで否定されるような空気が気持ち悪い。

 

男子を天皇と定める皇室典範そのものに堂々と是正勧告を出す国連の組織ってどんな面々が集まって議論しているのだろう。偏屈な世間知らず達がそれぞれの国の歴史や背景も考えずに得意になってスットボケた議論をしている絵が浮かぶ。

 

いざ戦争や紛争になっても解決する力も意思もないような組織が国連だ。そういう能力がないならせめて途上国支援に力を尽くせばいい。日本の天皇制を「女が除外されてるからダメだ」とか言ってるヒマがあったらもっとマシなことを考えて欲しい。

 

日本は長い間、国連分担金負担率が実質世界一だった。アメリカは滞納の常連だから日本が中心的なパトロンだ。にもかかわらず、常任理事国にはなれず、おまけに第二次大戦の敗戦国ゆえにいまだに国連憲章では「敵国」と規定されている。

 

実にバカみたいな話。がんがんカネを払わされてるのに「敵」のままで、おまけに国の形、国の基本である天皇制にまでイチャモンをつけられる。かなりの額の税金を払っている側とすればこんな組織にドカドカと金をつぎ込む政府の神経が理解できない。

 

シロウト的意見で言えば「やめちまえ」である。国際捕鯨委員会だって日本は脱退した実績がある。脱退が簡単でないならせめて分担金の支払い停止ぐらいの強硬姿勢を見せればいい。今回の件でも一応政府は国連に抗議したそうだが、抗議するついでにそのぐらいの強硬策をチラつかせたっていい話だと思う。

 

別に私は天皇制大好きの国粋主義者ではない。あくまで日本の歴史や文化、風土を知らないヨソの国々の面々によるナンチャラ委員会が平気でトンチンカンなことを言ってくることを苦々しく感じるだけである。

 

男女平等は大事だが、文化的かつ歴史的経緯を無視したら単なる暴論になる。国技である相撲だってそうだ。女性にもチョンマゲを結わせてオッパイ丸出しのまま裸にマワシ一丁で男性力士とがっぷり四つに組めという話になってしまう。

 

男女平等を考える際には、基本的に生物としての違いや役割の違いを前提にしないとヘンテコな話になる。なんでもかんでも平等なら、たとえばスポーツの全種目も男女が一緒にやらないとおかしいという理屈になる。

 

重量挙げで女性が男性に勝つわけがないから性別を分けて競技している。それを女性差別だと騒ぐ人はいないわけで、すべての分野にそうした区別を前提にしないと話がややこしくなる。

 

男女平等だから女も力仕事をやれ、男女平等だから男もOLと同じ制服を着ろ、みたいなバカげた話を本気で語るヤツが出てくる。実際に喜劇みたいな話を大真面目にしているヤツはいっぱいいる。

 

SDGsだのジェンダーだの、昨今飛び交うコトバは私に言わせればウサン臭いの一言だ。ちょっと言い過ぎかもしれないが個人的な考えなので気を悪くする人がいたらゴメンナサイ。

 

ちょっと話は変わるが、男の子らしく、女の子らしく、みたいな物言いは今の世間ではダメらしい。男の子にはピストルのおもちゃ、女の子にはお姫様ドレスみたいな決めつけもしてはいけないんだとか。何だかなあと感じる。

 

男らしさ、女らしさまで否定されちゃうと生きにくい人も逆に増えそうだ。変な話、男勝りのアクティブ?系みたいな女子にはジェンダー問題に神経質な社会はハッピーかもしれない。でも昔ながらの女らしい路線で生きていたい女性だって相当な数にのぼる。

 

男性だって専業主夫が向いている人は相当数存在する。しかし、ジェンダージェンダーやかましい時代になった今でもそっち系の男性が積極的に評価されることは稀だ。世間の目は「アイツ男のくせに家事だけを嬉々として励んでいるぜ、変なやつだ」と言われがちだ。

 

男女の役割の違いは社会の根っこに根深く浸透している。そのすべてが否定されるものではない。差別や不平等という考え方以前の単なる役割の違いを冷静に見極めないとトンチンカンな話になる。

 

差別と区別を混同してはおかしなことになると思う。

 

今日はオチのない話をダラダラ書いてしまった…。