「人生後半戦」を実感する機会があった。
などと書くと大げさだが、私にとってはかなり大きなトピックスがあった。
その昔、20代の終わり頃に一緒に暮らしていた女性と20数年ぶりに再会した。和やかに昔話に花を咲かせた。
20年以上まったく音信不通だったから、どこで何をしているのか、生きているのか死んでいるのかさえ知らなかった。
今年の夏頃、突然メールをもらった。共通の知人からアドレスを聞いたらしい。そのやり取りのせいで、都内に住み、割と近距離エリアで働いていることを知った。
当たり障りのないメールをやり取りしただけで、会うつもりはなかった。とはいえ、人生後半戦を生きる今、すべての過去にリスペクトが必要だと思っていたこともあって意を決して会うことにした。
正確には23年ぶりだった。23年前である。先週遊んでもらったオネエサンがまだ赤ちゃんだった頃だ。オリンピックが5回ぐらい開催されたほど長い時間だ。
何を話せばいいか、どんな顔をすればいいか等々、会う前は複雑な気持ちだったが、会ってしまえば割とすぐに自然体で過ごせた。
年の功である。
その人と過ごしたのはわずかな期間だ。とはいえ、単なる彼氏彼女ではなく、一応は夫婦だった。積もる話は多い。
結局、待ち合わせしたバーから寿司屋に移動して合計4時間以上もアレコレ話をした。
感慨深かった。
お互い50歳を過ぎ、大過なく過ごせていることは幸せなことだ。共通の知人の中には亡くなった人もいる。
大病もせず、天変地異に遭うこともなく、仕事があって、懐かしい話で盛り上がれることは何でもないことのようで貴重なことだ。
お互いに独身というシュールな現状がビミョーではあるが、真っ当な家庭を築くことだけが幸福とは限らない。
現時点が充実しているかどうかだけが、人生後半戦にとって一番大事なことだ。
10代、20代は人生の黎明期、30代、40代は発展期、50代、60代は人生の成熟期であるとともに斜陽に向かって心の準備を始める時期だと思う。
当たり前のことだが、すべての過去が今につながっていることを改めて感じた。無駄に思えたこともすべて今の自分を形作っている。
寄り道、迷い道、遠回り、無駄なように見えてどれも必要な道のりだったような気がする。
23年ぶりの再会のおかげで、結果的に自分が過ごしてきた30代、40代という年月を振り返るよい機会になった。
酸いも甘いもいろいろあった。ついでに言うなら、最近は薄っぺらい日々を過ごしているようでちょっと情けない。少しは反省しないといけない。
昔話に花を咲かせながら、その人は当時のアレコレについて詫びるような言葉や反省の言葉を口にした。私もそうすべきだったのに、気の利いた言葉の一つも出なかったような気がする。
そこが私のダメなところだ。ちっとも成熟していない。まだまだ底が浅い。そんなことも気付かされる時間だった。
人に歴史あり。私にだってそこそこ歴史はある。歴史は経験の積み重ねだ。学ばないといけないことがいっぱい詰まっている。
2017年11月29日水曜日
あの人との時間
2017年11月27日月曜日
おこもり感覚とスケベ心
適度に狭いところが好きだ。極端に狭いと息苦しくなるし、混雑したエレベーターに乗るとパニックになりそうになるが、一人気ままに籠もっている感じの場所は妙に快適だ。
おこもり。こんな言葉も好きだ。女性とシッポリと掘りごたつの個室で一献傾けるのは大好きだし、一人旅の温泉宿でごろごろするのも好きだ。
以前、寝台特急の個室で北海道まで行った時も車窓を眺めながら小さな部屋で包み込まれている感じが快適だった。
バリ島あたりのアジアのリゾート地に行っても、豪華なホテルのスイートも捨てがたいが、一戸建て形式の独立型コテージを選びたくなる。
今の住まいはリビングが18畳ぐらいあるのだが、そっちのスペースよりも、7畳程度の広さの寝室にこもってテレビを見ていることも多い。
一戸建てに暮らしていた家庭人の頃、家族が旅行で不在の時でも、広々としたリビングより自分の寝室兼書斎にこもっていた。
閉塞感の一歩手前ぐらいの狭さに身を置く「おこもり感」が好きなんだろう。
あの心理はいったい何なんだろう。ベルサイユ宮殿のような家に住む大富豪になっても、3畳ぐらいの茶室を作ってそこでボケっとしていそうな気がする。
まあ、そんな暮らしをすることは有り得ないから妄想したところで仕方がない。
かといって、昭和の若者のように4畳半の狭い部屋で同棲が出来るかと言われたら無理だ。誰かと暮らすなら息が詰まるような空間はキツい。
結局は単なるワガママかもしれない。
ウソかホントか知らないが、子どもが狭い空間に入り込んで快適な気分になるのは、胎児の頃の記憶が関係していると聞いたことがある。
一種の本能みたいなものか。覚えているはずもないが、母の胎内って究極の安全地帯であり、究極のおこもり空間だろう。
私のおこもり願望もひょっとしたらそんなDNAが関係しているのかもしれない。
まあ、いつだって女性の中に入りたがるわけだから、あながちマトはずれな話ではない。
決して私はスケベではなく、帰巣本能がちょこっと強いだけだ。たぶんそうだ。オッパイ星人ではなくお尻フェチなのもそれが理由だ!
スケベなのではなく、DNAのせいだ。ゆっくり癒されたくて胎内に突入しようと頑張っているわけだ。きっとそうだ。
ついでにいえば、つい女性の胸元に突撃したくなるのも母乳時代への懐古であって、決してイヤらしい気持ちではない。フラチな考えなんてカケラもない。
相変わらずソッチ方面に話が飛んでしまう自分がイヤだ。
軌道修正。
なんだかんだ言って、おこもり感を求めるのは、小さな男の子が秘密基地を見つけてそこに隠れたがる感覚を引きずっているのかもしれない。
子どもの頃、小説や漫画に出てくる秘密の隠れ家みたいな話にワクワクした。そこがツリーハウスだったら尚更憧れた。
今は一人暮らしなので、住まい自体が秘密基地みたいなものだ。でも不思議なもので日常生活とは別の場所におこもり場所を欲しくなる。
かといって別荘なんてメンドーなだけだし、時々ふらっと出かける一人旅の時間が今の私にとっての秘密基地なのかもしれない。
年末は沖縄に行こうと考え中だ。もちろん!?一人旅だ。レンタカーも借りず、温泉大浴場があるホテルに泊まって、読まずに放置したままの本を手にホゲホゲしてこようと思う。
温泉、読書、散歩。それだけで3日間ほど過ごしてみるつもりだ。
2017年11月24日金曜日
ふるさと納税 ヘンテコだけど
もう今年も最終コーナーである。あと1ヵ月もすれば年末だ。ビックリだ。
というわけで、例の「ふるさと納税」も今年分は締め切りが近づいている。いまいち分からん、メンドーだという理由で未体験の人も多いが、実にもったいない話だ。
次の税制改正では、またぞろ中堅高所得者層への増税が行われる見込みだ。一定収入を超える人の給与所得控除が締め付けられるからホワイトカラーにとっては痛手だ。
ふるさと納税を増税の「意趣返し」ために利用する人が増えることは確かだろう。収入が多ければ、ふるさと納税の「枠」も大きい。税金でイジメられた分を税金で取り戻すような感覚だろうか。
ふるさと納税は、ごく平たく言えば、その人の収入に応じた枠内であれば、わずか2千円の“手数料”だけで寄付した金額がそのまま本来自分が納めるべき税額から差し引かれる仕組み。
寄付する以上、先に出費はするものの、最終的に自分が納める税金と相殺されるわけだから「損」になるのは2千円だけ。
家族の人数によっても変わるが、年収2千万円で50万円、3千万の収入なら100万円程度が「枠の上限」になる。
寄付する自治体の数に制限はない。年収3千万の人が一つの自治体に100万の寄付をしてもいいし、1万円ずつ100カ所に寄付してもOK。
寄付された自治体による返礼品競争が過熱しているが、一般的には寄付額の3~4割相当の価値の品物が送られてくる。
総務省が今年の春に「返礼品の価格は寄付額の3割程度にすべし」と実にお節介かつ地方自治を無視した通知を出したせいで、一時期は各地で返礼品の見直しが行われた。
その後、内閣改造で新しく就任した総務大臣が、お上による規制に否定的な姿勢を見せたことで、自治体の中には高額返礼品を復活させたところもある。
年収3千万の人が寄付額に対して3~4割の価値の返礼品をもらったら30~40万円の経済的利益を得ることになるわけだ。増税された意趣返しとして考える人が増えるのは当然だろう。
私自身、今年はすでに30を超える自治体に寄付を行った。ちょろちょろした金額の寄付ばかりだから総額は大した金額ではない。
ふるさとでもないし、縁もゆかりも思い入れも無い自治体相手だから「ふるさと納税をした」という感覚はない。あくまで返礼品目的の寄付だ。
まあ、こんなヘンテコな話が罷り通ること自体が制度の問題点でもあるのだろう。私の場合も、寄付金受領書を見直してみても、町村名が読めない自治体すらある。
おまけに返礼品として何をもらったのかも覚えていない。いわば、ネット上の物産店で欲しいものを選んで、料金(寄付額)をクレジットカード決済したという感覚だ。
わが家にあるコメ、酒、魚介類、冷凍牛丼からレトルトカレーに至るまで、日本中の自治体から届いた返礼品だ。昨年はスーツのお仕立て券をもらって夏物のスーツを事実上タダで作ったりもした。
税という制度そのもの理念や哲学とは程遠い、実に俗っぽい思惑ばかりで人気を集めているのが実情だ。
税金を扱う媒体に携わる仕事を始めて30年になるが、ジャーナリズム的視点で見れば、つくづくヘンテコな制度だと思う。
まあ、悪法も法なりである。それが自分の利益につながるから安易に活用させてもらっている。
ちなみに、東京都文京区がふるさと納税の在り方に一石を投じようと始めた取り組みを紹介したい。
区内の貧困家庭の子どもに食事を宅配する「こども宅食」という仕組みがそれ。
ふるさと納税で得た寄付は自治体が自由に使い道を決められる点に着目したものだ。
返礼品は無し。あくまでも「こども宅食」に対する協賛者の思いを全額サービスに回すという話だ。どことなくクラウドファンディングにも似ている。
自治体独自の特定の政策に絞って純粋に浄財を募るわけだから、本来の制度の趣旨に叶った取組みとも言える。
ただ、ふるさと納税の事実上の窓口になっているいくつかの民間運営サイトでは、どうしても特色のあるさまざまな返礼品を前面に押し出すため、返礼品なしで浄財を求める自治体の取組みは目立たないのが現状だ。
自治体の独自性とそれをアピールする発信力が無いと、百花繚乱の返礼品競争の中では埋没する。ちょっと残念だ。
蛇足ながら文京区の区長を務める男と私は幼稚園から高校まで一緒の学校に通った仲だ。今も時々顔を合わせる友人だからヨイショしているわけではない。
いや、それもちょっとある。
「こども宅食」は設定されていた寄付目標を早々にクリアして、締め切りまで1ヶ月以上ある中で合計1500人以上の人から目標の2倍ほどの浄財を集めている。
私のようなガメつい人間とは違う真っ当な人々が世の中には結構いるわけだ。
少しは見習おうと思う。
2017年11月22日水曜日
カマキリ先生もやってきた
何度やっても独特の緊張感は無くならない。数日前から変に緊張して心がザワザワしていた。
ライブ前日の夜は急きょメンバーの一人を強引に誘い出し、ギター持参でカラオケボックス。
練習らしき時間は20分ぐらいで残りの3時間ぐらいはウダウダ飲んで過ごす。おかげで前日のモヤモヤが薄まりグッスリ眠れた。
ライブ当日は、午前中に子どもの学校行事。バタバタしたおかげで気が紛れる。午後から会場入り。打ち合わせ、リハーサルで忙しく緊張する暇なし。
お客様が集まり始める17時頃にようやく一息。開演は18時だ。この1時間が魔の時間である。緊張で地に足が付かない感じ。
楽屋でウイスキーをストレートで飲む。不思議と酔わない。終わってみれば逆にこの時間が面白かったという印象もある。普段の暮らしの中では味わえない変な感覚だ。
今年は二部制のステージ構成で、私のメインは第一部。第二部では最後の2曲だけ合流する段取りだった。
第一部は我が同級生二人と20代前半の私の姪っ子で構成。姪はピアノ、バイオリン、ギター、の三刀流の他にコーラスでもオジサマ達をサポート。若者にとってはブラック労働である。
「スタンドバイミー」のような渋めのアレンジにした「サントワマミー」で開演。例年以上にお客様が暖かかったのが嬉しい。
毎年しゃべりすぎる私のMCも今年は抑え気味にした。でも思った以上にウケも良く、大いに気持ちよく楽しませてもらった。
“カマキリ先生”こと有名俳優のK君も来てくれた。事前にMCでイジりまくることも快く承諾してくれたのでアレコレとネタにさせてもらう。
場の盛り上がりに大いに協力してもらった感じだ。彼は謙虚ないいヤツだから、終演後の打ち上げにも付き合ってくれた。
お客さんからの写真撮影にも笑顔で付き合っていた。立派だ。私としては、仲介役みたいな顔をして撮影1枚に付き100円ぐらいクスねれば良かったと後悔している。
肝心の歌のほうは例年よりは安定した音程でこなせたと思う。喉管理に気を使い、ストレッチもしたせいだろうか。
オリジナル曲も2曲披露した。自分達で作った曲を120~130人もの有料で来てくれた皆様の前で演奏するのは図々しいことだが、とても良い曲だから許してもらおう。自画自賛である!
オリジナルの一つは今年の春に急逝した友人を偲ぶ歌だ。わがバンドメンバー達の旧友だ。
私の詩にメンバーの一人が素敵な曲を付けてくれた。当日はカマキリ先生以外にもヤツの同級生が30人ぐらい来てくれていたので、追悼の思いで心を込めて歌った。
歌いながらちょっと泣きそうになった。正直に言えば少し涙が出た。あそこまで感情を込めて歌を歌った経験は人生で初めてかもしれない。同級生以外のお客様にも泣いている人がいたから、しっかりと想いを表現できたのだろう。
私にとっては「泣き笑い」というその曲が今年のハイライトだった。無事に歌い切れて嬉しかったし、何かを“消化”できたような気分になった。
歌の力って凄いと思う。日本人は古来から言葉に宿っている不思議な力を「言霊(ことだま)」と呼ぶが、歌には言葉以上に特殊な力があるような気がする。
別にスピリチュアルな話をするつもりはないが、歌魂(うただま)とも言うべき不思議な力があるのは間違いないと思う。
それにしても今年の会場の盛り上がりはちょっと普通じゃなかった。初めて来ていただいた方の多くが驚いていたが、演者である我々も正直ちょっと驚くぐらいのノリだった。
有難いことである。歓声の大きさでメンバー同士の微妙な演奏のタイミングをハズしそうになったぐらいだからビックリである。
世の中、オヤジバンド活動に励む人が増えているが、私自身、過去5回のライブで学んだことは、演者の独りよがりでは会場全体の一体感は生まれないということだ。
そういう意味では今回のライブは大成功だった。会場内の一部だけが盛り上がるわけでなく、全体でウェイウェイ?してくれた。本当に有難かった。
お客さん目線でのステージ構成の大切さを改めて痛感した。まあ、そんなエラそうなこと言いながら、誰も知らないオリジナル曲を披露しちゃうあたりが私のテキトーなところでもある。
そんなもんだ。
来年以降どういうスタイルで続けるかはまだ決めていないが、やる以上はみんなで合唱できるような歌を多めに選ぼうと思う。
2017年11月20日月曜日
謎の占い 謎の整体
このところ富豪っぽい話をちっとも書いていない。体重調整をしていたせいで、暴飲暴食はもちろん、楽しい場所でウェイウェイしていないせいだ。
その代わり、謎の占い師を訪ねたり、謎の整体師に身体のバランスを整えてもらうなど、寄る年波に沿った行動に励んでいた。
謎の占い師さんとは5年ぐらいの付き合いになるだろうか。3ヶ月に1度の割合で、ほぼ雑談ながらアレコレとみてもらっている。
易や方位、四柱推命みたいな一般的なものに加え、その占い師さん独自の不思議な霊感的な能力をハイブリッドした占いだ。
私が持つスピリチュアル的な部分と占い師さんの持つ波動みたいなものが衝突して、不思議な現象が起きたこともある。
うさん臭いと言えばうさん臭いのだが、まあ、世の中の多くのことがそもそもうさん臭い。
霊感的なものを信じるかどうかは人それぞれ。私自身は40%ぐらい信じている感覚だ。やはり全面的に信用して依存しちゃうのは問題だ。
当たるも八卦、当たらぬも八卦という言葉通り、占いで言われた話に過剰反応するのは避けたい。“オイシイとこ取り”感覚で接した方が賢明だ。
以前から、その占い師さんには私の住まいが重度の「隠居の家相」と言われている。確かに家でグダグダするのは好きだし、それがまた妙に快適なのは事実だ。
恋人も出来ないし、新しい発想も出ないし、活力も湧かない。隠居の家相だとそうなるらしい。子どもだったら引きこもりになっちゃうそうだ。
そんな話をいちいち信じていたら堪ったものではないが、思い当たるフシが無いわけでも無い。
思えば昨年はやたらとまっすぐ家に帰りたがってボケ~っと無気力に暮らしていた。自分でも隠居の家相が原因かと思い込んでいた。
とはいえ、今年の私はかなり元気ハツラツで、昨年と比べれば活発に動いた自覚がある。占い師に言われたネガティブな話を信じ込んじゃうことは時にマイナスになる。
というわけで、隠居の家相なんて関係ないぜと占い師さんに反論してみたが、さすがに向こうもプロである。
私の顔をしばし凝視する。そして、最近の私がむやみやたらに心配事を多く抱えていることを指摘しはじめた。
で、「必要以上に心配する心理状態は隠居ジイサンと同じ」だと切りかえしてきた。
屁理屈みたいな話ではある。でもちょっとは気になる。来年は引っ越しを考えているので、結局、方位や家相を気にするハメになりそうだ。
ちなみに、どうでもいい話だが、占い師さんによると、私はかなりの「面食い」なんだとか。そりゃあ間違ってはいないが、逆に面食いじゃない人なんていないはずである。
結局、占いってそういうことなんだろう。
話は変わって、謎の整体師である。これまた不思議な話で、ギコギコ、グリグリみたいなことはほとんどせずに、スリスリしたり、トントンするようなよく分からない力で身体のバランスを整えてくれる。
施術前に2台並んだ体重計に片足ずつ載せて左右どちらかに体重が偏っていないかがチェックされる。たいていはバランスが崩れている。
施術後に再度同じように測ると左右の重量バランスが均等になっている。結果が目で見えちゃうから素直に効能を信じるしかない。
その昔、腰痛がヒドかった時に直してもらったことをきっかけに時々通っている。最近もカカトが痛くてうまく歩けなくなった時も2~3回通ったら痛みが取れた。
先日はオジサマバンドライブに向けて身体のバランスを整えてもらった。面白いもので施術後は視界がスッキリと広がり、歌う際の音程も狂いにくくなる。
こっちは霊感とかそういう系ではないが、ある意味、似たような部分もある。つまり、思い込みである。
「施術してもらったから大丈夫」「きっと音程を狂わさずに歌える」。気持ちなんてちょっとしたことで前向きになる。
健康診断を受けただけで気分がスッキリするのと同じだ。
占いやカウンセリング、整体に至るまで、そんなポジティブシンキングにつながるなら面白がって使ってみるのも悪くない。
2017年11月17日金曜日
父と娘 イラスト
2017年11月15日水曜日
体重を落とす方法
6キロほど体重が落ちたのに誰にも気付かれない。「分母」がデカいから仕方がない。この1ヶ月、真面目に体重調整に励んだ結果だ。
人に気付かれなくても自分ではちょっぴりラクチンになったから良しとしよう。
6キロのおもりを身体にくっつけていたわけだから、さすがに少しは軽くなった。歩いているぐらいでは感じないが、階段の上り下りがちょっと軽快になった。
娘に「少しは腹を引っ込めろ」と言われたことがきっかけだからアイツには感謝しないといけない。
誰かの参考になるかは分からないが、この1ヶ月の節制について書いてみたい。
ポイントその1。運動はしない。普段の生活を変えてまで節制するのはシャクである。運動っぽいことは休みの日に散歩したぐらいである。
ポイントその2。朝はドカ食い。これは以前と変わらずキープした。当然、炭水化物がメインである。
とある週末の朝なんて、わざわざ「なか卯」に行って特盛りの親子丼と牛丼を買ってきた。店で二つ並べて食べるには少々恥ずかしいのでテイクアウトである。
ご飯は少し残したが、こんな息抜きも取り入れながら体重をちょっとずつ落としたわけだ。
昼はもともと食べない。でも、以前は小腹がすいたら煎餅やお菓子をちょろちょろ口に入れていたが、この1ヶ月それもやめてみた。
問題は夜である。酒は飲みたい。サラダみたいな草だけで我慢するのもイヤだ。何となく負けた気がする。
そんなワガママのせいで、やたらとお寿司屋さんに行ってしまった。いくつかのワガママを言える店にお世話になった。
ヤボを覚悟で握りは一切食べず、揚げ物も食べず、味が強めの珍味類をいくつか用意してもらい、日本酒も我慢して焼酎だけをグビグビ飲んだ。
刺身もほんの一切れ程度で我慢した。あとはやたらとカニを食べた。カニはほぼ水分みたいなものだから優雅な気分?を味わいながら体重が落ちる。
珍味類は、スジコ、イクラ、タラコなどの魚卵系やアンキモや白子みたいなチビチビつまめるものばかりで過ごした。
こちらはワカメどんぶり?である。ワカメをドッサリもらって腹を膨らます作戦だ。ワカメだけでは寂しいから白子をトッピングしてもらう。白子も1個か2個を細切れにしてもらう。
白子ポン酢に添えられているワカメのほうを10倍ぐらいにしてもらうわけだ。これはオススメ。チビチビとつまみを口にするだけだと欲求不満になるが、これだとムシャムシャ食べられる。
朝食べたきりだから焼酎の酔いは早く回る。酔ってくればこっちのものである。ちょこっとつまんだだけで食べた気になって、帰宅して風呂に入って酔いを加速させて寝る。
ぐるぐる回るような気分になる。心臓に悪そうだ。不健康な話だが、体重を減らしたければ不健康になるのがてっとり早い。
酒のカロリーもそれなりに意識して、時にはまっすぐ家に帰って、酒抜きで侘びしい夕食を摂ったこともある。
何度かやったのが「モヤシ攻撃」である。茹でたモヤシにポン酢をかけたり、時には焼肉のタレをかけて味わう。
モヤシだけだと切ないので、レンジでチンしたプレーンのサラダチキンをトッピングした。シミったれた中にも肉っぽい感じが加わることで何とか耐えられる。
問題は酒を抜いた夜は寝付きが悪い点だ。こればかりは睡眠導入剤か安定剤の力を借りるしかない。ここ1ヶ月はいつもより服用したからボケが加速するかもしれない。
なんだかこうやって書いてみると、ちっとも身体に良いことをしていない。複雑な気分だ。
ちょっとばかり体重を落とすために、あえて不健康な暮らしを選んでいる。まさに本末転倒だ。まあ、それも私らしいのかもしれない。
こんな生活スタイルに慣れてきたので、まだまだ体重は落とせそうだが、残念ながら「ケツカッチン」が近づいている。そろそろ終了である。
今週末は1年に1度の我がオジサマバンドのライブだ。一応、その日を期限に設定して節制を続けていた。ちょっともったいないけど期限切れだ。
おそらく来週からはカツ丼やウナギやピラフといった面々が私の身体を膨張させるのだろう。
2017年11月13日月曜日
ワイ談のわらしべ長者
情けない話だが、誰かと酒を飲むとワイ談ばかりしている。今さら気付いたわけではないが、由々しき問題である。
ひとり飲みの時はもちろんそんなことはない。ちゃんとダンディーで寡黙な男を演じている。
馴染みの店に行っても、カウンター越しに店の人相手にワイ談を爆発させることはない。当たり前か。
仕事絡みの酒はさておき、男同士の飲み会では6~7割ぐらいの時間をワイ談に費やす。オネエサンが横に座ってくれる店に行ったら8割ぐらいはワイ談を語る。
もはや「ワイ談マスター」である。ちっとも自慢にはならないが、ひょっとしたら達人の域に達したかもしれない。アホでスイマセン。
童話・わらしべ長者を思い出していただきたい。会う人ごとにモノを交換して最後には大金持ちになる話だ。
私の目標は「ワイ談のわらしべ長者」になることである。ワイ談のネタを披露することで会った人々からもネタを提供してもらい、段々とスケールアップしたワイ談を身につけようという崇高な作戦だ。
小学校高学年の頃は、辞書に載っている「性交」「陰部」などの言葉にすら興奮を覚えた。あの若々しく可愛い感性は今の私には無い。
歳を重ねるごとに耳にするエロ話は質量ともに増大していった。辞書に載っている文字だけで興奮した少年は、今やちょっとやそっとのエロ話では何も感じないオジサマになってしまった。
ワイ談といってもいろいろだが、私の場合は実際に起きた“事件”を当事者から聞くのが一番好きだ。リアルな感じが楽しい。
男からもいろいろ聞くし、女性にも取材活動を続けている。不思議と男から聞く話には「ヒット作」が少ない。やはり自分が男だから男の話の中に意外性を見つけられないのだろう。
女性はさすがにあからさまにエロ体験談を語らない。でも、そこを切り崩していくのもワイ談マスターとしての役割である。
そのあたりの戦略については以前にこのブログでも書いた。うまく引き出すことが出来れば、私の持ちネタを遙かに上回るスペクタルな話を入手することが出来る。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2016/08/blog-post_19.html
そんなバカな行動を必死になって続けてきた私は、今更ながら女性恐怖症気味になってきた。私より二回りも若い人達が結構エグいネタを持っているからビックリする。
そういう人に限って、ぱっと見はエロ女王のような雰囲気は無い。清楚系だったり地味なタイプだったりするから世の中は分からない。
確かにワイ談ではなく、「実戦」の場においても、派手目でエロカワ系を装っている女性のほうが奥手なことは多い。
逆に奥手のように見える女性が超絶怒濤の“師匠レベル”に達していることは珍しくない。そういう時はちょっとアセる。
達人級の女性にぶつかると私自身の半生が品行方正だったかのように錯覚してしまうのだが、そういう人に限って、普段はエロ要素を完全封印している。
私の目がフシ穴なのか、女性が魔物なのか。こればかりは永遠の謎だ。
ワイ談業界?における最大の難問は「いかに冷静な表情を保てるか」に尽きる。他人のエロ話を聞き出すには必須条件だ。
ムホムホした表情はダメだ。鼻の穴が広がっちゃったり、その人を好色そうな目で見てしまうと一気に相手は身構えてしまう。
一応、私の場合、苦節ウン十年の修練のおかげで、たいていのエロ話なら政治経済を語るのとまったく同じ表情でやり過ごすことが出来る。
かといって、話の内容がスペシャルでワンダフルでアンビリーバボー!だと、時々はムホッとした表情になってしまう。
最近入手したネタとしては、バイセクシャルの女性が彼氏と彼女と同時に「展開」した話が素晴らしかった。
嫉妬と嫉妬、ワザとワザがぶつかり合う凄い話を聞かせてもらった。結果、私の鼻の穴は大きく膨らみ、違うところまで膨らみそうになった。
月曜からバカですいません。今週も頑張りましょう!
2017年11月10日金曜日
夢物語
あまり夢は見ない方だが、時々ヘンテコな夢を見て不快な気分で起きる。
原始人が遠くから私に向かってスカンクの死体を投げつける夢や巨大な虫に追われて逃げ惑う夢だ。それぞれ何度も見ている。
追われる、逃げるといった夢は日常の厄介事を反映しているのかもしれないが、寝起きがシンドくなるので困りものだ。
後悔する夢も時々見る。先日はそれこそ地団駄踏んで悔しがる夢を見た。
扉が3つ並んでおり、最後に開けた部屋にいる女性とベッドインしなければならないというハレンチな設定だ。
夢の面白いところは、そんな状況をまったく不自然に思わず、大真面目に悩むところである。
最初の部屋か2番目の部屋が大当たりだったらどうしよう。何かズルをする方法はないか等々、脳ミソはフル回転。
意を決して最初の扉を開ける。そこにはスリムでチャーミングな美人さんがニッコリ。凄く後悔する。残り二部屋がともにヘチャムクレのお婆さんだったら大変である。
二番目の扉を開ける。するとそこにはセクシーでグラマーな美人さん。どストライクである。またまた激しく後悔する。でもその瞬間に自分の「負け」を悟る。逃げ出したい気分だったがそうもいかない。
いや待てよ、最後の部屋にもひょっとしたら美女が待ち構えているかもしれない。そんな自己中心的な妄想が頭に浮かぶ。
そんなオイシイ話は夢の中でも起こりえない。
恐る恐る最後の扉を開ける。マツコデラックスみたいな体型のオバアサンが真っ赤なビキニを身にまとって入れ歯を洗っていた。
絶望である。夢の中なのに頭が真っ白になる。有難いことに夢はそこで途切れた。「その後の展開」は知らない。
もしかしたら私の脳が自己防衛を目的に「その後の展開」を記憶からシャットアウトしたのかもしれない。
バカみたいな話でスイマセン。
こんなアホ夢の他にも、内容はあまり覚えてはいないのだが、どちらかを選ばされる夢は何度も見ている。
そう書くと、日々、何らかの決断を迫られている人みたいでカッチョいいが、実際にはそんなことはない。
せいぜい焼鳥にするか寿司にするか、冷酒にするか焼酎にするか悩むぐらいである。
追われたり、逃げたり、決断を迫られたりといった場面は日常でそうそうあるものではない。
だったらナゼ夢の中でそんな目に遭うのか不思議で仕方がない。自分の深層心理がちょっと気になる。
8年前にもこのブログでヘンテコな夢の話を書いた。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2009/07/blog-post_06.html
気のせいか、今の私の夢のほうがディテールが雑になっている。核心部分しか描写されていない感じだ。
日々の行動が昔よりも近視眼的になってきたのだろうか。大局的に物事を捉えられなくなったのかもしれない。
他にも10年ぐらい前までは割と頻繁に見ていた「空に浮上していく夢」を見なくなったこともチョット気になる。
両手を上下にパタパタさせると身体が浮き上がって、コツをつかめば空中散歩を楽しめる夢だった。
夢占い的には、「立身出世、独立、勝利」を意味する夢らしいので気に入っていたのだが、もう随分長いこと見ていない。
立身出世を願うような歳でもないし、誰かと争っているわけでもないから別に気にすることはないのだが、パタっと見なくなったから何となく淋しい。
ひょっとすると家庭生活から「独立」しちゃったせいで、あの夢を見なくなったのかもしれない。
いずれにせよ、夢なんか見ずにグッスリ眠るのが一番の幸せだ。私の場合、夢を見やすいのは深酒をした時が多い。
何事もホドホドにしたほうが間違いないことは確かなようだ。
2017年11月8日水曜日
AIBOとか
とか言いながら、実は私もAIBO復活のニュースを見てちょっぴり欲しくなった。その昔、初代AIBOが話題になった時には、単純に気味が悪いと思ったのに随分と変わったものだ。
初代AIBOが発売されたのは18年前だそうだ。私はその頃30歳を過ぎたばかりの若者だった。ロボットペットがお年寄りの淋しさを紛らわす時代が来るという話を聞いてもピンとこなかった。
50歳を過ぎ、なぜか一人暮らしをしている今の私は、ロボットペットという概念が分かるような気がする。
生きているペットを飼うのは厄介である。躾も面倒だし、気軽に旅行に行くことも制限される。
だいたい、可愛がっていたのに死なれちゃうのは堪ったものではない。自分より先に逝ってしまうと分かっているのに身内同然に暮らすのは結構キツい。
ちなみに、私のペットにまつわる思い出は「圧死」ばかりである。
子どもの頃、可愛がっていたセキセイインコの脚が汚れているからと祖母がインコちゃんの掃除を始めた。
軽く胴体を握っていたはずが、祖母が力加減を間違えて掃除が終わったときには死んでいた。子どもの私には大ショックだった。
その後、ヒヨコを飼っていた時、カゴから出して運動させていたつもりが、ちょっと目を離したスキに行方不明になり、祖母が座っていた座布団の下で圧死・・・。
いま思えば祖母も気の毒だった。いつも圧死事件の首謀者扱いである。やはり生き物を飼うのは大変である。
ロボットペットならギューッと握っても座布団に隠れていても、ちょっとやそっとでは圧死しないはずだ。
超高齢社会を迎えてますます増える淋しいお年寄りや、一人暮らしの中高年の暇つぶし役には最適だろう。
私の場合、まだ老境ではないので、日々の暮らしに淋しさは全然無い。強がりではなく癒しに飢えているわけでもない。
とはいえ、予定のまったくない週末に40時間以上も一言も発しないで過ごしていると何となく気まずい思いがする。
以前、ロボット掃除機・ルンバを使っていた時には「ルンちゃん、そっちじゃないぞ」などと声をかけてしまうことがあった。
ハタから見たら何ともマヌケな姿だろうが、不思議と勝手に動き回るモノには声をかけちゃうことがある。
どうせ声をかけるなら犬型ロボットを相手にしたほうがまだマシである。もし私がAIBOを手に入れたら、きっとアーダコーだと話しかけるはずだ。
自分で書いていて、実にヘンテコな姿だと分かっているのだが、よくよく考えれば普通にペットを飼っている人と変わりはない。
犬や猫にしても、しょせんは人間と会話できる相手ではない。それなのに飼い主は誰もがごく普通に人間言葉で話しかけている。
ペットを飼うことに興味がない私からすれば、それ自体がケッタイな行為に見えるのだが、ルンバ相手に会話をしていた私の“実績”を考えればエラそうなことはいえない。
グダグダ書いてみたが、実際にAIBOを買おうとしたわけではない。ロボットペットに癒しを求めるなんてカッチョ悪いという変なプライドが邪魔をしているのだろう。
というのは建前である。ホントは欲しい。でも、もっともっと進化した時点で買ってみたいというのが正直なところである。
最先端の機械製品なんて10年もすれば劇的に進化する。その時点で買ったほうが面白そうだというのが本心だ。
その頃になれば犬型だけでなく、チンパンジー型だって開発されるかもしれない。ゾウガメ型だって出来るかもしれない。
そっちの方が楽しそうだ。
10年経ったら買おうと思う。
2017年11月6日月曜日
ゆず・スダチ問題
ここ数年、私を困らせるのが「ゆず・スダチ問題」である。
何でもかんでも「ゆず・スダチ・ダイダイ。カボス」を使いたがる風潮が好きになれない。ただの個人的嗜好に基づく文句だが、今日はブツクサ書いてみようと思う。
ゆずの皮を細かく刻んでトッピングしたり、スダチを軽く絞って味にアクセントをつけるのは和食の世界の定番だが、「やり過ぎだろ~!」と感じることが増えた。
アクセントどころか、そもそもの料理が台無しになっちゃっているケースもある。
白身やイカの握りにジャバジャバとスダチを搾るお寿司屋さんがある。味には好みがあると言っても、ジャバジャバぶちまけたらイカの甘味も白身の旨味も消えてしまう。
誰が考えても分かる話だが、スダチこそオシャレみたいな変な思い込みのせいか、食べる方もニコニコしながらケッタイな“味変”を喜んでいる。
私の場合、ワガママが言える店では、ゆず、スダチなどのソッチ系はすべてパスさせてもらう。偏屈と言われようとも個人的にはそのほうが美味しさをちゃんと感じられる。
イカの塩辛に柑橘類の皮が入っていてイラつくこともある。ちっとも合わない。どっちが主役だか分からないぐらいゆずがアピールしているとムカつく。
食感も風味も塩辛とは相容れない。彩りのためだけにトッピングされる。イカの塩辛に見た目の美しさを求める必要はないと思う。
ウナギの白焼きの横にスダチがセットされていたり、松茸土瓶蒸しにスダチが付いてくるのも当たり前の光景だが、個人的には味が壊れちゃう気がする。まるで不要だ。
ラーメンのスープにまでゆずの皮が投入されていることがある。あれって何のつもりだろう。好きな人には申し訳ないが、あのカケラのせいで口の中の幸せが破壊される。
つけ麺のつけ汁に潜んでいることもある。上にちょこんと乗っかっているだけなら排除可能だが、ドブ汁みたいな中に隠れていたから除けようがない。私にとっては迷惑でしかない。
蕎麦に少しだけ入っているのは理解できるし、小量なら風味の点で納得だ。ラーメン屋さんも蕎麦の真似をしたのだろうが、ハズレだと思う。
お吸い物に入っているのは歓迎だが、店によっては入れ過ぎちゃって皮のエグみまで感じる。そうなると全体の味を台無しにしちゃう。
グルメだなんだと気取るつもりはないが、最近の「ゆず・スダチ問題」は、隠し味というか、ちょっとした風味付けであるはずの存在を前面に出し過ぎてしまうことが困った点である。
昔はゆずやスダチといった柑橘系を今ほど料理に多用することはなかったはずだ。いつから変わったのだろう。
ゆずサワーやスダチサワーなんかを居酒屋で注文するぐらいだから、私としてはヤツらを根本的に嫌っているわけではない。
あくまで隠し味や脇役であるはずの立場をわきまえない振る舞いに違和感を覚えるわけだ。あわよくば料理における主役の座を奪おうかのような“身の程知らずぶり”が鼻につく。
これから本番を迎えるアンキモや白子ポン酢なんかにもチョビっと柑橘類の皮が添えられていることがある。無視すればいいのに心の小さい私は気になってしまう。
ソッチ系が好きな人には申し訳ない話をつらつらと書いてしまった。
あまりシミったれた話を書き殴っていると寅さんに怒られそうだからこのへんにしておく。
意味不明でスイマセン。
2017年11月1日水曜日
オールドパーを飲む理由
竹鶴やマッカランのほうが好きだし、水割りで飲む「響」は世界トップレベルだと思うが、オールドパーには「郷愁」という味わいが加わる。
もう20年以上前に亡くなった祖父が愛飲していたのがオールドパーだ。昭和に活躍した人達にとって定番だった酒だ。
明治新政府から欧州に派遣された、いわゆる岩倉使節団が持ち帰って明治天皇に献上した話や、吉田茂がオールドパーをこよなく愛した話は有名だ。
田中角栄さんも子分達の裏切りにあって、ヤケ酒でオールパーを飲みまくって倒れた。
今でこそ、ウイスキーは百花繚乱状態だが、昭和の頃は価格も高く種類も少なく、ウイスキーの銘柄ごとに飲む人達の“クラス分け”が成立していた。すなわちオールドパーは上等だった。
それこそ若造にとってオールドパーは高嶺の花だった。実家暮らしの大学生の頃、祖父から時々飲まされるオールパーはオトナの味そのものだった。
その後、酒税法の改正だの何だのでオールドパーは特別高価なものではなくなり、今では3~4千円で売っている。“特別な感じ”はすっかり希薄になった。
とはいえ高級クラブみたいな場所以外ではオールドパーを見かけることが滅多にない。錦糸町や亀戸のスナックでも愛飲する人はいるのだろうか。
いま私がオールドパーを飲むのは銀座に出た時ぐらいだ。昭和30年代にアノ街でブイブイ飲み歩いていた祖父にあやかる気持ちのせいである。
私は高度成長期に肩で風を切っていた人に強い憧れがある。平たく言えば、昭和へのノスタルジーだろう。
昭和は遙か昔の話になり、平成の時代も来年で終わりだ。若いつもりだった自分も気付けば「高齢者枠」が目前に迫っている。
自分が若造だった時代をどこかで懐かしむためにオールドパーと付き合っているような気がする。
あの頃、背伸びをして憧れたダンディーなオジサマ達の姿に自分は近づいているのだろうか。そんなセンチなことも頭に浮かぶ。
葉巻を片手に緑茶をもらって休憩するときも、食べ過ぎて胃薬もらってホゲホゲするときも傍らにはオールドパーのボトルがある。
そもそも、オールドパーはイギリスに実在したトーマス・パーなる傑物の名前が由来。ウソかホントか152歳まで生きた好色爺さんだ。
100歳を超えてから不倫して教会で懺悔したとか、死因は暴飲暴食だとか結構カッチョいいエピソードがあるらしい。
昭和のオジサマやオジーサマ達がオールドパーを好んだのも、そんな勇猛な?逸話にあやかっていた部分もあるはずだ。
私自身、もともとは祖父をリスペクトする気持ちで選んでいたが、最近は「パー爺さん」への信仰心みたいな感覚で飲んでいる。
すっかりアチコチが弱ってきたから、生涯現役を目指したくて改めてオールドパーへの思いを強くしているのかもしれない。
結局、なんだかんだ言ってスケベな意識がオールドパーを選ぶ原動力になっているわけだ。困ったものである。
たわわな画像!を撮らせてもらっても、オールドパーのボトルがちょこんと写っている。
アノ街で私がヒヒオヤジ状態になっているのをいつもパー爺さんにチェックされている感じだ。パー爺さんには守護神として私の活躍を見守って欲しいものである。
冒頭の画像のように、オールドパーは瓶の形状の関係で斜めに置いても絶妙にバランスを取って倒れないという特徴がある。
昭和の先輩達も「倒れない」という縁起モノ的な特徴をオールドパーを愛する理由にしていた。
私もまだまだ倒れるわけにはいかない。今後もパー爺さんに世話になろうと思う。