「人生後半戦」を実感する機会があった。
などと書くと大げさだが、私にとってはかなり大きなトピックスがあった。
その昔、20代の終わり頃に一緒に暮らしていた女性と20数年ぶりに再会した。和やかに昔話に花を咲かせた。
20年以上まったく音信不通だったから、どこで何をしているのか、生きているのか死んでいるのかさえ知らなかった。
今年の夏頃、突然メールをもらった。共通の知人からアドレスを聞いたらしい。そのやり取りのせいで、都内に住み、割と近距離エリアで働いていることを知った。
当たり障りのないメールをやり取りしただけで、会うつもりはなかった。とはいえ、人生後半戦を生きる今、すべての過去にリスペクトが必要だと思っていたこともあって意を決して会うことにした。
正確には23年ぶりだった。23年前である。先週遊んでもらったオネエサンがまだ赤ちゃんだった頃だ。オリンピックが5回ぐらい開催されたほど長い時間だ。
何を話せばいいか、どんな顔をすればいいか等々、会う前は複雑な気持ちだったが、会ってしまえば割とすぐに自然体で過ごせた。
年の功である。
その人と過ごしたのはわずかな期間だ。とはいえ、単なる彼氏彼女ではなく、一応は夫婦だった。積もる話は多い。
結局、待ち合わせしたバーから寿司屋に移動して合計4時間以上もアレコレ話をした。
感慨深かった。
お互い50歳を過ぎ、大過なく過ごせていることは幸せなことだ。共通の知人の中には亡くなった人もいる。
大病もせず、天変地異に遭うこともなく、仕事があって、懐かしい話で盛り上がれることは何でもないことのようで貴重なことだ。
お互いに独身というシュールな現状がビミョーではあるが、真っ当な家庭を築くことだけが幸福とは限らない。
現時点が充実しているかどうかだけが、人生後半戦にとって一番大事なことだ。
10代、20代は人生の黎明期、30代、40代は発展期、50代、60代は人生の成熟期であるとともに斜陽に向かって心の準備を始める時期だと思う。
当たり前のことだが、すべての過去が今につながっていることを改めて感じた。無駄に思えたこともすべて今の自分を形作っている。
寄り道、迷い道、遠回り、無駄なように見えてどれも必要な道のりだったような気がする。
23年ぶりの再会のおかげで、結果的に自分が過ごしてきた30代、40代という年月を振り返るよい機会になった。
酸いも甘いもいろいろあった。ついでに言うなら、最近は薄っぺらい日々を過ごしているようでちょっと情けない。少しは反省しないといけない。
昔話に花を咲かせながら、その人は当時のアレコレについて詫びるような言葉や反省の言葉を口にした。私もそうすべきだったのに、気の利いた言葉の一つも出なかったような気がする。
そこが私のダメなところだ。ちっとも成熟していない。まだまだ底が浅い。そんなことも気付かされる時間だった。
人に歴史あり。私にだってそこそこ歴史はある。歴史は経験の積み重ねだ。学ばないといけないことがいっぱい詰まっている。
2017年11月29日水曜日
あの人との時間
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