2017年1月30日月曜日

三浦友和に萌える


パイプカットという言葉を知ったのは、その昔、松方弘樹が浮気騒動を起こした時だ。子供だった私にとってオトナへの変な憧れを抱かせてくれたのが松方弘樹だ。

70歳を過ぎてもデカいマグロを釣り上げたりして元気そうだったのに亡くなってしまった。残念である。

昭和のスターが次々に世を去る分、こっちもどんどん歳を取っていく。光陰矢の如しである。

さて、その昔にカッコ良かったスターが渋いオジサマとして今も一線で活躍する姿を見るのが好きだ。闇雲に老け込んではいけないと自分を鼓舞したくなる。

昨年、大人気になった草刈正雄も、40年ぐらい前に超イケメンとして大活躍したが、その後、パっとしない時代を経て人気が再燃した。あの歳になってもカッチョ良いから凄い。

で、今日書きたいのは「三浦友和」である。

あの人も昭和50年代初めに当時の大人気アイドル・山口百恵の相方として世の中を席巻した。


当時の友和である。顔だけでなく、シュットしたスタイルもカッコ良く、当時の百恵ファンは誰もが「友和なら仕方ない」と思う存在だった。

その後、二人は予定調和のように結婚した。その頃、桜田淳子ファンだった私は、淳子サマにも友和のような相棒が現れたら困ると真剣に心配していたことを思い出す。

その後の友和の俳優人生はいろいろあったようだ。草刈正雄も同じだが、あの頃の二枚目青年俳優は年齢とともに壁にぶつかり仕事が減っていくパターンが珍しくない。

青春スターというイメージが強烈だったから、演技派とか脇役として脱皮するのには結構な苦労もあったはずである。

私が妙に三浦友和が気になるようになったのは10年ぐらい前の映画「ALWAYS 三丁目の夕日」だ。淋しげな町医者役を好演していた。

その後も渋い脇役として活躍、5~6年前あたりの「沈まぬ太陽」での悪者エリート、「アウトレイジ」での幹部ヤクザなど、昔のイメージとはまったく違う独特な存在感が際立つようになった。

同じ頃に「RAILWAYS」という映画で、49歳にして電車の運転士になる夢を叶えた真面目一徹な男を演じていた。いつの間にか演じる役柄の幅が物凄く拡がっていった。

そんなこんなで私は三浦友和に萌えるようになった。中条きよしも好きだが(http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2015/09/blog-post_4.html)友和はもっと好きだ。

いま放送中の連ドラ「就活家族」での友和もなかなかいい感じだ。名門大手企業で活躍していたが、役員昇格手前で不遇の失職。それを家族に言い出せずに苦悶している。

毎週毎週、画面越しに「友和ガンバレ~」と叫んでしまう私である。

昨年公開された映画「葛城事件」での演技も素晴らしかった。息子が無差別殺人事件を起こすなど崩壊していく家庭の父親役を演じた。

ドロドロになってしまった友和のキレっぷりが凄みタップリで、まさに熟練の俳優ならではの迫力に満ちていた。


ドロドロオヤジになった友和の顔である。上に載せた若い頃の顔と比較すると何とも興味深い。私はどっちの友和も好きである。

Wikipediaを見たら友和の誕生日は1月28日だとか。65歳の誕生日である。おめでとう友和!、ハッピーバースデイ友和!

渋みとカッコ良さと適度な哀愁を漂わせるあんな65歳になりたいものである。

2017年1月27日金曜日

トランプさんと資産公開


なんだかんだとトランプさんの話題で持ちきりだ。金持ち過ぎるので総資産や年収は計測不能なんだとか。一説には資産が4~5千億円。年収は3~500億円だとか。ただただ凄い。

年収300億円だとしたら月収は25億円、日収は8千万円を超える。毎日毎日フェラーリを買っても追いつかない。年末ジャンボもサマージャンボも買わなくて済む。

ポケットに突っ込んだ300万円を一晩で飲んじゃった松方弘樹のエピソードに感心していたのだが、それどころではない。

大統領の報酬は年間で4300万円。トランプさんはそれを辞退すると宣言している。法律の規定で無報酬はマズいとのことで年間1ドルで働くらしい。

4年の任期で2億円近い給料を返上するわけだからオッタマゲである。

「政治とカネ」。どこの国でもいつの時代でも問題になるが、トランプさんほどの大富豪になると、チンケなスキャンダルは起きないだろう。

そう考えると「お大尽」に政治を任せるのは悪いことではない。くだらない汚職やセコい利益誘導に手を染める必要が無いからクリーンな政治につながるという見方もできる。

政治の世界で最も大事なのが「清貧の思想」だ。私利私欲を捨て公に尽くすことが大事なのは言うまでもない。

いわば当然の姿勢だが、そんな理想論ばかりだと“お大尽”はダメという偏った思い込みにつながってしまう。

とかく「金持ちは悪」という決めつけの弊害は、さきごろ公表された、いわゆる国会議員の資産公開でも顕著だった。

昨年の参院選当選者が対象になった今回の資産公開でも「資産ゼロ議員」がゴロゴロ登場。何だかなあ~って感じだ。

国会議員の資産公開は以前からそのザル法ぶりが批判されてきたが、一向に改善されず今日に至っている。

預貯金は本人名義の定期預金だけが公開対象。普通預金に何千万円貯め込んでいようが関係なし。だから、アホみたいに「貯金はゼロです」と得意になるヤツが続出する。

家族名義の資産も対象外だし、自分が100%株主の法人が所有している資産だろうと公開の必要は無し。

それ以前に資産公開に虚偽があろうと罰則規定すらない。極めてバカバカしい制度だ。

ちなみに、まあほぼ100%ありえない話だが、正真正銘、資産ゼロの国会議員がゾロゾロいたとする。それを「清貧だから素晴らしい」とモロ手を上げて賞賛すべきだろうか。

ホンモノの清貧ばかりなら結構だが、そんなはずはないだろう。極論すれば危なっかしくて大事な仕事を託せないという見方だって出来る。

「政治倫理の確立のための国会議員の資産等の公開等に関する法律」。資産公開はこれが正式名称である。すなわち政治倫理のために制度化されている。

今のようなザル法のままでは逆に倫理違反だ。政治を舞台に怪しい金儲けに走らせないための制度なら対象となる資産の基準を見直すだけでなく、借入金や貸付金などカネの流れが分かるような仕組みにしなければ意味はない。

資産公開の見直しを公約に掲げる政治家は見当たらないし、今のままで漫然とアホみたいな制度を運営するのなら、それ自体が税金の無駄遣いだ。

2017年1月25日水曜日

ショートブーツ


すっかり寒さに弱くなってしまった。数年前にモモヒキのようなロングタイツ型の下着の快適さを知ってしまって以来、真冬になると愛用している。

洒落心が吹っ飛んでしまった自分のヘタレぶりが残念である。まあ、下着姿は滅多なことでは人様に見せないから妥協しよう。

そのぶん人の眼にふれる格好だけはキチンとしようと思う。パッと見がそれなりに小ざっぱりしていればダサダサの下着もバレずに済む。

さて、この時期、靴好き男にとってはショートブーツの出番が多い。買う時はオシャレのつもりなのだが、こう寒いとただただ防寒目的の意味合いが強い。


ショートとはいえ、くるぶしの上まで覆ってくれるから普通の靴よりは暖かい。ここ数年、末端冷え性気味なので暖かさが何より有難い。

若い頃はブーツを履くと蒸れちゃって足の臭いが心配だったが、加齢とともに新陳代謝がゼロになったので今やそんな心配もなくなった。

ショートブーツは実際に履いている時よりも店頭に置かれている姿が美しいと思う。ただ眺めているほうが魅力的だ。

そうはいっても鑑賞目的で入手するわけにもいかない。買った以上はせっせと履かなければ靴が可哀想である。

上の画像は「STEFANO BI」。バーガンディーカラー、すなわちワイン色のブーツはこれしか持っていないので愛着がある。

スッキリした形のブーツの多くが靴ヒモの部分が無いせいでノッペリしがちだが、その点、この靴は洒落っ気があって気に入っている。


こちらは「John Lobb」のヒモがあるブーツだ。昨年6月にロンドンのセールでバカ安で買った。ウェスト部分の絞りが結構キツくて履き始めた頃は違和感があったのだが、何度か履いているうちに馴染んできた。今ではすっかり私になついてくれた。

視覚の慣れの問題なのだろうが、普段は一般的な形のヒモ靴を履いていることが多いから、スーツに合わせるブーツもヒモをキリっと締めるタイプのものを選びたくなる。

いわゆるチャッカブーツっぽい形が多くなるわけだが、モノによっては少し無骨な雰囲気になりがちだ。デニムならともかく、スーツに合わせる場合には適度に「シュっとした感じ」のほうが収まりが良い。

そんな感覚で選ぶから我が家にあるショートブーツは割と似通った形のものが多くなってしまう。


これは「Stefano Branchini」のヒモ無しの一足。画像では分かりにくいが、焦げ茶にチャコールグレーが混ざったような微妙な色加減とセクシー?なシェイプが特徴である。

過剰にならない程度に尖ったデザインとサイドゴアの部分にバックルを付けるあたりが、色気をやたらと大事にするイタリアの伊達靴っぽくて愛らしい。


これはスペインの「MAGNANNI」。「MAGNANNI」はデザイン性と履きやすさを兼ね備えた万人ウケする靴を作っているが、日本での値付けはかなり高めだ。

会社の近くのデパートにも常時置かれているのだが、グッとくる靴があっても値札を見ると敬遠してしまう。

この画像の一足はマドリッドの靴屋のセールでゲロ安で買った。確か日本の3分の1以下の値段で投げ売り?されていた。拾いモノだった。

今日はダンディーを気取っていっぱしの靴評論を書こうと思っていたのだが、結局、セールでしか靴を買えないというシャバダバな話に落ち着いてしまった。

まあ、それが現実である。



2017年1月23日月曜日

冷凍庫がやってきた


昨年後半にドシドシ寄付したことで、ふるさと納税の返礼品が続々と送られてくる。

今年からは生活必需品の多くを「実質タダ」で手に入る返礼品で賄おうと思っている。

フェイスタオルやバスタオルも返礼品で新調した。シャツやスーツがオーダーできるお仕立て券も手に入れた。

コメも酒も野菜ジュース、竹炭やなめ茸瓶詰め詰め合わせなんかもやってきた。順当にセコい暮らし方が定着してきた。

そんなわけで、冷凍庫を新たに購入してしまった。今でも一人暮らしの割にはまっとうなサイズの冷蔵庫を使っているのだが、やはり冷凍庫部分の収容力は少ない。

今年からは年の終わりにせっせと寄付に励むのではなく、年間のふるさと納税可能枠を毎月按分する感覚でこまめに寄付するつもりだ。

そうなると毎月各地からアレコレと送られてくるから、冷凍庫のサイズ問題は非常に大きいテーマだ。

さすがに全国どこの自治体を探しても冷凍庫を返礼品にしているところは無かったので、ちゃんとカカクコムで調査した上で購入した。


三菱製の小型冷凍庫である。もっと小さいのが欲しかったのだが、事前に調べたら霜取り不要のファン式の商品はそれなりのサイズしかないみたいだ。

無意味にデカいのだが、霜取り作業など絶対にやりたくないので仕方がない。台所スペースには置けないので、普段あまり使っていない予備の部屋にセットした。

これで冷凍モノがばんばん届いても受け入れ態勢は万全である。アイスクリームだってどんなにオトナ買いしちゃっても大丈夫だ。

各自治体からの返礼品が肉や魚などの場合、多くが冷凍だ。量も結構ある。保管場所を気にしないで済むことは精神衛生上大事である。なんだか妙にウキウキする。

冷凍庫の容量が気になったから今までは常温保存ができるレトルト食品などを選びがちだった。


せっかくだからちょっと買うのをためらうような高価格のレトルトカレーあたりを攻めている。台所のストック棚に結構貯まっている。

今まで抜群にウマかったのは屋久島の高級リゾートホテルが作っているレトルトカレー。これはアタリだった。

近江牛を使った牛丼の具も常温保存可能ということで入手してみたのだが、こちらはハズれ。まあ個人的な好みだから仕方がない。

冷凍モノだと、鹿児島の黒豚やイクラにタラコあたりが大当たり。志布志市のウナギも冷凍モノにしては充分ウマかった。湯煎するだけOKの「たいめいけん」のビーフストロガノフも思った以上に本格的で感心した。


あまり期待していなかった電子レンジでチンするだけの焼き魚セットも想像以上に美味しかった。リピート確実である。

特殊包装のせいでふっくらと旨みのある魚が食べられる。朝食に最適だ。山口県長門市の返礼品だった。

あとはこだわり路線の缶詰類や乾麺、ハム、ソーセージなどいろいろ貯まってきたので、たとえ、立てこもり犯になっても長期間は持ちこたえられそうである。

新しい冷凍庫はまだスカスカである。スカスカだと不思議となんでもいいから詰め込みたくなる。それはそれで困った問題だ。

2017年1月20日金曜日

ウナギ、トンカツ、熟女


鰻屋、トンカツ屋、楽しい酒場といえば私にとってのオアシスである。今日はそうした聖地での残念な話を書く。

白焼きと冷酒を楽しんで鰻重をジックリ味わうパターンが長年の習慣になっちゃったので私にとってウナギは夜専門だ。

以前ほどドカ食いが出来なくなったからこのごろ「シメの鰻重」が重荷になり始めている。実に残念である。


某日、日本橋「大江戸」にてカッカッと酒を飲みながら楽しい時間を過ごす。カラスミ、アンキモ山椒煮、子持ち昆布をツマミに冷酒をクイクイ。

その後、ウナギのキモ串を味わい、白焼きが登場。止まらずに冷酒をクイクイ。最高である。

ところが、つまみをチロチロ食べているうちに空腹感がどこかに行ってしまった。でも鰻重は外せない。とはいえウナギの特盛りは厳しい。で、ビッグサイズではない鰻重にしてみた。

上の画像の手前の鰻重が私の分である。普通に立派な鰻重ではあるが、同行者の分と比べるとやはり淋しい。

鰻重に限らず食べ物に関して「デカいほうが俺のだ!」というのが私の中の常識だった。ここ40年間ぐらいずっとそれで通してきた。

大好物の鰻重なのに人より小さいものを選択してしまった自分のヘタレぶりが残念無念である。


こちらの画像はポークソテーである。これも残念体験の話だ。場所は上野にあるトンカツの名店「ぽん多本家」。

トンカツを食べに行ったくせに、注文する際に邪念が頭をよぎった。「人気のトンカツ屋ならポークソテーもウマいはずだ」。まさにひらめき、長嶋監督ばりのかんピューターである。

まあ、味覚なんて好みに左右されるのでエラそうには言えないが、トンカツを頼まなかったことを後悔した。このポークソテーは、おそらく店の自慢メニューというより揚げ物が苦手な人のための一品だろう。

味付けは悪くないのだが、脂身の少ない肉質がポークソテー向きではないような気がした。

さて、次の話が今日のハイライトである。「熟女キャバクラ」体験記である。

某日某所、物好きな知人の案内で禁断?の扉を開けてしまった。

「熟女」という言葉だけでオドロオドロしいイメージがあるが、私だって“熟男”である。オタオタしている場合ではない。

だいたい、エロ動画の世界では熟女モノといってもその多くが30代の色っぽい女性である。

とかなんとか言いながら、熟女キャバクラは壮観だった。阿鼻叫喚、いや、スペクタクル体験そのものだった。

残念ネタとして書いているのだが、それなりにワイワイと盛り上がった。さすが私も「熟男」である。

印象的だったのは来ているお客さんの誰もがヌルい感じだったことだ。ガード下の赤ちょうちんでグダグダ飲んでいる雰囲気と同じ。

肩に力が入っているわけでなく、女性がいることで変に気取るわけでもなく、ギラギラした気配がまるで無い。

場末のスナック的なユルさなのに女性陣はキャバ嬢バリバリの衣装を着ている点がなんともシュールというかファニーだった。一言でいえば残念な感じ・・・。

世の中は元気なオッサンやオジイサンだらけだ。そういう人々は子供っぽいオネエサンを相手に酒を飲んでも面白くないだろうから、こうした店は時代の要請というか時代の必然で増殖すると思う。

あと10年、20年後には「熟女」という文言抜きでごく普通の店として成り立っているのかもしれない。

男も女も中年に近づいたあたりから、終わっちゃっている感じの人と現役感バリバリの人との二極化が鮮明になってくる。

後者のパターンの熟女だったら大いに魅力的だから、そっち系の女性を集めれば大繁盛間違いなしだと思う。

そうはいっても、熟女といわれる年代でそうした人材ばかり集めるのは難しいだろう。逸材?だったらわざわざ熟女を看板に掲げる店で働かなくても引っ張りだこである。

銀座のクラブを見回しても30代後半、40代でも魅力的な女性は大勢いる。そうした女性陣は熟女をウリにしなくても稼いでいるわけだ。

そう考えると、あえて「熟女」を謳っている店の現実がわかろうというものである。

ちらっと一軒行っただけなので詳しいことは分からないが、とっかえひっかえ席に着く熟女さん達に大いにたじろがせてもらった。

私個人の感想はともかく、商売としての伸びしろ、将来性でいえばまだまだ有望なジャンルだろう。

2017年1月18日水曜日

回想法で若返る?

テレビでBSを見る醍醐味?のひとつがぶっ飛んだCMである。地上波では見られないファンキーなCMが多い。この画像はプロレスラー・藤原嘉明の勇姿である。素直に感動する。この表情が実にステキだ。金縛りに遭いそうになる。

「すっぽん皇帝」なるドリンク剤にも興味シンシンである。“元気と自信”が湧いてくるらしい。

こういう広告に昔は目が行かなかったが最近はちょっぴり気になる。とりあえず元気だし自信もそれなりにあるが、やはり若い頃に比べればパワーの衰えは感じる。「滋養強壮」の「強壮」という言葉が気になるようになってきた。

ここ数年、意識してトロロを食べたり牡蠣を食べたり、亜鉛のサプリを飲んでみたりする。なんだかケナゲである。効き目があるのかどうかまったく不明だが、ついつい手を出す。

アンチエイジングとやらが苦手なクセに無駄な抵抗をしているみたいでシャクである。もっと泰然自若で過ごしてみたいものだ。

さて、中高年の悪いクセといえば「昔の自慢話」である。かく言う私自身もこのブログで昔はどうだった、あーだったと書いてしまうことがある。

あの心理って何なんだろう。飲み屋なんかでも若い人に向かって昔の武勇伝を語りたがるオッサンは少なくない。

芥川賞を取ったとか金メダルを取ったようなレベルの話ならともかく、たいていはチッポケな話である。世の中の一般人には物凄い過去話など無いのが普通である。

私も若い頃はそんなオッサン達の話を聞かされて迷惑だったのだが、いつのまにか語る側になってしまった。恥ずかしい限りだ。

あの感覚は謎である。同じ年代同士で優劣をつけたがるイマドキの“マウンティング”のような感覚とも違う。若さへの嫉妬とも違うし、一体なんなんだろう。

劣化してきた自分を少しでもカッコ良く見せたい見栄だろうか。はたまたヨレてきた自分を少しでも大きく見せようとする示威行動なのだろうか。

まあ、人間のサガというか業みたいなものだろう。

♪盗んだバイクで走り出す~♪。尾崎豊の歌を聴きながら「オレにもそんな時代があったなあ」と遠い目をして語るオッサンに限って自転車泥棒未遂ぐらいの経験しかなかったりする。

そんな残念なことばかり書いても仕方がない。自慢という厄介事さえなければ昔話は結構楽しい。実際に昔の楽しかったことを思い出すことは脳や精神面に好影響を与えるそうだ。

認知症の改善など高齢者の心の問題に効果的なのが「回想法」といわれる心理療法なんだとか。

いきいきと暮らしていた時のことを思い出すことで情緒が安定するらしい。そういう話を聞き出すカウンセリングを重ねると不安や徘徊などが改善して自信や自己肯定感がアップするそうだ。

まさに「すっぽん皇帝」である。元気になりたいならどんどん昔を思い出せばいいわけだ。

確かに古い付き合いの友人達とバカ騒ぎしながら昔話に花を咲かせるとヤケに楽しい。脳も活性化する気がする。

変な自慢話に走っちゃうとイタい空気が漂うが、純粋に楽しい範囲の昔話なら一種の健康法にもなりえるわけだ。

医療分野での回想法にはいろいろとルールがあるらしい。聞き手が必ずいることが大前提で、話の腰を折らない、無理やり思い出させない、他人に内容を漏らさないなどのポイントに沿って行われる。

自分一人でシンミリ昔を思い返すだけではダメらしい。ちょっとメンドーである。まあ、これも立派な医療行為だから素人が思うほど簡単ではないのだろう。

とはいえ、場末のスナックなんかで人生経験豊富なママさんをとっ捕まえて昔話を聞いてもらうだけで脳は活性化しそうだ。

2017年の課題は場末のスナック探しで決まりだ。

2017年1月16日月曜日

甘味 うさぎや どら焼き 


「スイーツ」なる言葉はコソバゆくて使いたくないが、私は結構な甘党である。洋菓子より和菓子の方が好きで、熱いお茶と一緒に味わう甘味は最高だと思う。

和食が世界遺産になっているが、おそらく和菓子も含めた評価なんだろう。

昭和の子供としてモンブランやエクレアに感動したものの、それでも大福を筆頭とするアンコ系に惹かれた。

子供の頃、伊勢名物の赤福や京都の生八つ橋、鹿児島のかるかんなど地方の名物アンコものが手に入ると宝物をゲットしたような気持ちになった。


で、今日は「どら焼き」の話。上野広小路にある有名店「うさぎや」のどら焼きを時々食べる。東京で一番という人もいるぐらいだから確かに美味しい。いつ食べてもウマい。

買ってすぐ食べるとまだ温かい状態だからウットリする。未体験の人だったら“どら焼き感”が一変すると思う。

こちらのお店の4代目店主は私の中学高校の2つ上の先輩だ。当時から顔見知りだったし、ここ数年、ひょんな事で何度か顔を合わせている。

そんな関係でここのどら焼きファンになったわけではなく、その昔、前の嫁さんがよく買ってきたので、その都度おこぼれに預かっていたわけだ。

その後、何度か引っ越して、湯島や上野広界隈に出没する機会が増えたので「うさぎやのどら焼き」が身近になってきたわけだ。

先日、ひょんな事からお店のほど近くにオープンした「うさぎやカフェ」に行ってみた。ここは昨年オープンした隠れ家的なお店で、うさぎやの甘味をアレンジしたメニューがウリだ。


名物らしき「うさどらフレンチ焼き」である。どら焼きがそのままフレンチトーストのように変身している。

和系の甘味を洋風にアレンジした商品は珍しくない。デパ地下を散策していてもその手の邪道系?をよく見かける。

やり過ぎな感じがイヤらしいそんな商品とは違って、この店のアレンジは基本であるどら焼きの美味しさを崩さない程度に留めている。期待を裏切らない美味しさだ。

この日は4代目店主の先輩が顔を出してくれたので、いろいろと「甘味道」についてのウンチクも教えてもらえた。

他にもお汁粉がまた絶品だった。「うさ志る古フロマージュ」と名付けられたチーズ入りの温かいお汁粉である。

なんでもブラジル日系移民のアンコの食べ方がヒントになったそうだ。塩気の効いたチーズがアンコと溶け合った味わいが実に芳醇で、邪道な感じは一切無い。むしろ絶妙なコンビネーションに思えたほど。

保守的なものを絶対だと信じる頑固さは伝統の世界では大事なことだ。その一方で本質を崩さず、行き過ぎない範囲でアレンジすることもまた正解なんだと改めて感じた。

あんまり誉めると回し者みたいに思われてしまうそうだ。というか、先輩に対してシャクだから適当にしておこう。

でも、うさぎやカフェの甘味は単純明快に美味しいと思う。書いているだけでまた行きたくなった。

2017年1月13日金曜日

飲むべきか飲まざるべきか


なんだかんだ酒を飲まない日が増えた。飲まないでも割と平気みたいである。意外な発見だ。

もしかしたら禁酒だって出来るかもしれない。まあそんな必要はない。特別健康面に不安があるわけではないので飲みたければドシドシ飲む方針に変わりはない。

年末にインフル発症、その後の正月もちょっと風邪気味だったせいで、気付けば酒量激減である。いま血液検査をしたらガンマ数値も絶好調かもしれない。

年が明けてからも会合などがない日には真っ直ぐ帰宅することが多い。そんな日はビールすら飲まないこともある。ストレスが足りないのだろうか。いやいやそんなはずもない。家では甘いものを食べちゃうから体質が変わったのかもしれない。


やはりアルコールは惰性で飲むことが多い。今更ながら実感する。たとえ刑務所に入っても禁断症状に苦しむのはタバコのほうだと思う。

中学生の頃に祖父のイタズラで酒に付き合わされ、それ以来、ダラダラと酒と親しんできたが、今まで飲んできた機会の半分ぐらいは惰性で飲んでいたのかもしれない。

よくよく考えると、人生で一番ウマいと感じたのは高校生の頃に家でコッソリ飲んでいた「剣菱樽酒」かもしれない。

当時、正月の実家には決まって樽酒があった。悪友を招いてエッチラオッチラ飲むのが楽しかった。木の香りがかぐわしい剣菱の味はオトナの味がした。結局、ゲロ吐き太郎になるのだが、なぜか心底ウマいなあと感じていた。

禁断の味だからウマいというのは一種の真理だ。大人になってからも、ポリープを切除した後に禁酒を言い渡され、一週間我慢した後に飲む酒はやたらとウマい。

禁じられたり、我慢をしいられた後の酒がめっぽうウマいと感じるわけだから、私の「酒論」など大したものではない。

あくまで気分優先である。銘柄をクドクド語るほどこだわりもない。暑い夏にガブ飲みするビールは最高だし、寒い冬の熱燗もまた最高だ。

旅に出れば旅情のせいで現地の酒をウマいと思うし、好きな人にお酌されれば二級酒だってウマい、安いバーボンだって悪友とバカ話しながら飲めば充分ウマい。

その一方、仕事上の付き合い酒だったら希少な銘酒だって大してウマいとは思わないし、お通夜の席で飲む酒だったら何を飲んでも苦い。当然、ヤケ酒がウマかった記憶もない。

結局、酒のウマいマズいは気分次第だ。ウマいと思える気分で飲む機会が多ければ多いほど幸福だということ。当たり前のようでこれが結構難しい。

そう考えると、飲む機会自体が減っていることは実にもったいない。不幸でもないのに飲まなきゃ損である。用事がないなら積極的にウマい酒を飲まないとバチが当たりそうである。

世の中には様々な事情で酒を我慢している人が大勢いる。地球規模でみたら数千万、いや億単位の人が今日もどこかで酒を我慢しているはずだ。

ウジウジと屁理屈をこねている暇があったらウマい酒を飲んでフワフワしている方が人の道として正しいような気がしてきた。



カラスミだのイクラだの世の中には酒を格段に美味しくしてくれる魔法の肴が揃っている。

珍味をムホムホ、酒をグビグビ。いとも簡単にそんなことが実現する平和な日々に感謝しながら今年も正しく酔っ払っていきたい。

2017年1月11日水曜日

ワガママを続けたい


なんだかんだと書いているうちにこのブログも10年目になった。10年ひと昔という言葉を思えば結構な歳月が流れたわけだ。

10年前に書いたものをいくつか読み返してみたが、やはり中年になると10年ぐらいではちっとも変化していない。似たようなことを書いている。

進歩がないなあと嘆こうと思ったのだが、裏返せば老け込んでいない証拠だとも言える。そう思うことにする。

2007年の12月に今をときめく?小池百合子女子をネタにしている。小池さんのことを「今がピークだ」と持ち上げ、「小池百合子になりたい」と結んでいる。

https://fugoh-kisya.blogspot.jp/2007/12/blog-post_06.html

あの頃よりも今の方が小池さんの「ピーク」だろう。オリンピックの顔になる予定だから世の中の流れは分からないものである。

同じく2007年の12月に銀座の夜の話を書いている。オネエサマがたの「偽装」を高尚な筆致で考察している。

https://fugoh-kisya.blogspot.jp/2007/12/blog-post_04.html

10年経った今でも思っていることはまったく同じである。ちっとも進歩していない。

とはいえ、書きぶりが10年前の方が少しだけ上品かもしれない。今はこういうテーマだとワイ談方面に行きがちだから、私のオッサン化はキチンと進んでいるようだ。

さて、10年前から変わらないことといえば、“ワガママ飯”もそのひとつだ。出されたものを黙って喜んで食べればいいのに、ついつい余計なリクエストをしてしまう。

「オレってちょっと通なんだぜ」って言いたい人みたいでヤボなのだが、顔見知りのお店だとついつい余計な注文をしてしまう。

先日、銀座にあるお寿司屋さん「さ久ら」で温かいものが食べたくなってワガママリクエストしたのがこれ。


見た目はグロ系だが味は絶品だった。ズワイガニの身をカニミソと一緒に蒸してもらえると聞いたので、そこに湯葉とカキをトッピングしてもらった。

それぞれ主役になる素材なのにゴッタ煮状態である。こういうワガママはお店の大将と相談しながらお客さんが少ない時に注文するのが一応のルール?である。

湯葉はもともとボンヤリした味で好きじゃないのだが、カキやカニ味噌と合わせるとボンヤリ感が薄らいでかえって好ましい存在感になった。発見である。


こちらは高田馬場・鮨源で頼んだ巻きものである。イクラとウニと子持ち昆布のミックスである。不健康巻きとでも名付けたい雰囲気だ。

以前、数の子とスジコとウニをミックスした手巻き寿司を好むお客さんがいると聞いて試したことがあった。意外にそれぞれが喧嘩しないで絶妙なハーモニーを醸し出していたので、それの亜流を頼んでみたわけだ。

もちろん、充分にウマかったのだが、子持ち昆布と数の子では食感の違いが思った以上に大きく、スジコとイクラも同じく似て非なるモノだと改めて感じた。

やはり亜流より元祖のほうがバランス面で優れているものである。勉強になった。まあ、それを学んだところでどうなるのか分からないが、人生何事も勉強である。


こちらは贈答用に作ってもらった特製ばらチラシだ。自分用だったらキュウリは絶対に排除するよう要請するが、彩りを考える上ではヤツもそれなりに役立っている。

穴子にエビ、子持ち昆布にタマゴ、他にタコも入っていたような気がする。イクラをしっかりトッピングすることで豪華なイメージにつながる。

それにしてもウマそうである。他人様が食べるものほど欲しくなっちゃうのが私の悪いクセである。

いずれにせよ、健康だからこそワガママにウマいものをムホムホ食べられるわけだ。この先10年も同じようなことを書き続けられるよう身体に気をつけようと殊勝な気持ちになっている。

2017年1月6日金曜日

ドロドロの日々を泥湯で流す


冬の温泉ほどニッポン人に生まれて良かったと実感するものはない。

ということで年末に別府を訪ねてきた。3歳ぐらいの頃に行ったことがあるのだが、当然覚えているはずもなく事実上初訪問である。


大人になって温泉の質にちょっとこだわるようになった。全国各地の有名温泉地に出かけてきたが、“別府未体験”ではさすがに温泉を語ってはいけないような気がする。

割と直前まで宿の空室情報をチェックした。ネット上で調べると日々刻々と満室になったり空きが出たりするから結構ギリギリまで決められずにいた。

せっかくだから露天風呂付きの部屋を狙う。年末の繁忙期でも急に空きが出ることもある。出発3日前まで粘って1泊目は由布院、2泊目に別府の宿を予約した。

由布院と別府はクルマで40分程度の距離だから移動の合間には温泉地ならではの特徴的な日帰り入浴施設をハシゴして過ごそうと企む。

大分空港からレンタカーで由布院へ。マツダの何とかという車が快適で鼻歌歌っていたら到着。宿に向かうには早い時間だったので青い色の温泉がウリの日帰り入浴施設に向かう。

残念ながら休業日。しょうがないからネットで調べて近くの「青湯」が自慢という別な施設に行く。名前に反して無色透明の温泉だった。まあ仕方がない。


その後、宿泊する宿に向かう。全室離れ形式の「緑涌」という宿だ。部屋の外に風情のある巨石に囲われた露天風呂が付いている。

まだ新しいようで敷地全体がフレッシュな感じ。働いている人達も若い人ばかりで鄙びた雰囲気に惹かれる人には少し落ち着かない感じだろうか。



和モダンの客室、風呂ともに居心地が良かった。冷蔵庫に入っている飲み物も無料だったから必死に?飲んだ。

部屋付き露天風呂の魅力は温泉に浸かりながらビールを飲んだり、タバコを吸ったり、週刊誌のエログラビアを堂々と眺められる点である。

ノボせそうになったら一糸まとわぬ姿でピコ太郎の振り付けを反復練習できるし、夕飯の後ならホロ酔い気分で葉巻をふかしたってOKである。


食事も関サバや豊後牛など大分モノがアレコレ出てきて、酒がクイクイすすんだ。

次の日、とっとと別府に向かう。今回の旅の最大の目的地が「泥湯」である。テレビでもお馴染みのブキミな?温泉である。泥である。にごり湯の究極の到達点だろう。

別府温泉保養ランドというその名も昭和感ムンムンのシュールな温泉施設に例の泥湯はある。

オシャレとかモダンとか風情や情緒だとか、そんな余計な形容詞を一切排除したような質実剛健の建物をズンズンすすんでいくと大浴場に到着。

まずはコロイド湯という乳白色の温泉がお出迎え。これが何とも優しい湯。いつまでも入っていたくなるような包み込まれる感じだった。

身体が暖まったらズンズン奥に進んでいよいよ泥湯である。まさにドロドロだった。
温泉好きならやはり一度は体験すべき独特の温泉だ。


なんとも表現しにくい。確かに気持ちよいし、温泉気分100%だし、泥パックのように体中に塗りたくったりしたが、悪く言えば何だか気持ち悪い。

底に溜まったヌルっとした泥をかき集めると木の枝や小石やゴミ?も混ざっている。野趣満点だが、野性的じゃない人だったらたじろぐレベルだ。

神経質な人にはオススメできないが、オジサマにとっては憩いの湯である。何度も出たり入ったりを繰り返した(画像は「iナビおおいた」から拝借しました)。

その後、ブルーの湯を求めて別な施設に行ったが、残念ながら休業日。しかたなく2泊目の宿に向かう。

この日は山水館という大型旅館。年末の繁忙期だし、大型旅館だから鬼混み状態かと思っていたのだが、騒がしいことはなかった。大浴場も人の少ない時間に入れたのでラッキーだった。



露天風呂付きの部屋が比較的リーズナブルに手配できたのが良かった。部屋もモダンに改装されて日が浅いようで実に快適。テラスに設置された風呂も充分なサイズで遠く海を見ながらワガママ入浴が出来た。

食事は「まあまあ水準」だったが、個室で食べさせてくれたし、量もあったし問題ナシ。

湯布院でも別府でも宿の夕飯の際、マグロの刺身が出てこなかったことが高ポイントだ。

マグロが嫌いなわけではないが、日本中どこに行ってもマグロさえ出しておけばいいという発想は旅館料理のダメな点だ。

地魚だけでウマい刺身はいくらでも提供できるはずだ。「どこもかしこもマグロとイカ」という悪しき紅白習慣?に背を向ける旅館がもっと増えて欲しいと思う。

温泉ネタのつもりがボヤキになってしまった。