風水だの方位だのそんな迷信じみたことを気にするようになったのは40歳を過ぎた頃だったと思う。
若い頃は無頓着だったのに不思議だ。自分のパワーが弱ってきたのか、はたまた厄介事が多くなり過ぎて一種の神頼みに走るようになったのか。自分でもよく分からない。
引っ越しの方位は気にするのに旅行の目的地は好き勝手に選ぶ。気にしたら不便で仕方ないから、自分の都合に合わせて方位などは無視する。その程度だ。
過剰に意識するとカッチョ悪いから適度に気にする程度が無難だろう。
今日、こんな話を書き始めたのは、先日会食を共にした人が財布への妙な執着心を語っていたから。金運、財運、ナントカ運等々、財布の効用を必死に語っていた。
一応、関心があるフリをして聞いていたのだが、その人はたいして成功している人には見えない。ザクザク稼いでいる感じでもない。
なのに金運、財運は財布で決まると力説していた。ヘビ皮っぽい変な色の財布を私に自慢しながら四の五の語っていた。
確かに風水的な視点で財布を選ぶ人は少なくない。色の違い、形状の違いで金運が上がるとか散財するという話はよく耳にする。
二つ折りより長財布が良いとか、黄色の財布は財運が良くなる、赤い財布は赤字につながるからダメ等々、とかく財布をめぐるウンチクは多い。
私も一時期、バーガンディー、すなわちワインレッド系の財布を持っていたが、“赤系”は金運が悪くなると誰かに言われて渋々変えたことがある。
やっぱり悪い話を聞かされちゃうと気になる。でもお気に入りの財布を変えちゃった自分の俗っぽさがイヤになった。それ以来、「財布学」みたいな話は無視するようにしている。
いま使っているのは紺色の長財布である。画像だと黒っぽいが実際には青みが強い。昨年、イタリアのボローニャにあるテストーニのアウトレットショップで買った。
これみよがしのブランド品を持つのはシャバダバだ。ミーちゃんハーちゃんとは無関係なイメージのテストーニならダンディー路線を目指すジェントルマン!には丁度いいと思っている。
一時期はあえてノーブランドのコードバンの長財布を使っていた。コードバンの上質なしっとり感は大人向きだ。ことさらロゴをひけらかすブランド品より無地のコードバンのほうが断然オシャレだと思う。
安い財布は金運に恵まれないなどと言う人がいる。この画像の財布は確か8割引のセール品。価格的には金運を呼ばない財布だ。大きなお世話である。
ちなみに財布の値段を200倍するとその人の年収が分かるというヘンテコな説がある。年収1千万円の人は5万円の財布、年収2千万円なら10万円の財布なんだとか。
この画像の財布の値段を考えると私の年収は300万円程度ということになる。バカみたいな俗説だ。それじゃあ一度も怠らずに払い続けている養育費の方が高いし、年間のデート代にもなりゃしない(ウソですよ)。
妙に分厚くなってしまうのが私の財布の宿命だ。クレジットカード、免許証、保険証をはじめ各種の会員証や診察券だけで結構かさばる。ハマショーのファンクラブ会員証まである。一種のお守りだから外せない。
カード中心の生活だから札束はさほど入っていない。札束で財布が膨らむような富豪になりたいが、実際には内側のチャック付きのポケットにアレコレと余計なモノを入れちゃうから膨らむ。
財布に余計なモノが入っていると財運が逃げると言われるが、私にとっては余計なモノではない。
一番かさばるのが家のカギだ。以前、職場に鍵を置いたまま飲み歩いて深夜に帰宅してから気付き、結局、家に入れずホテルに泊まったことがあった。
あの時の絶望感というか、世の中から捨て去られたような疎外感が恐怖のトラウマになって予備のカギを財布にしまっている。
イマドキのマンションは電子キーだ。結構デカい。邪魔だけど仕方がない。その他、お守りやヨーロッパの教会でもらった奇跡のメダルとか、女性との決戦の際に必要なモノとか、外せないモノばかりだ。
大金の味を財布に覚えさせるという名目で常に大量の札をわざと入れている人がいる。私の場合、財布は既にパンパンだから無理だ。札束の味より肥満体質を覚えさせてしまったみたいだ。
ちなみにこれを書くにあたって青色系の財布の風水診断を見てみた。いわく「青は流れる色。お金が出ていく財布」だとか。
おいおい!って感じである。まあ、私の財布は青というより紺である。きっと大丈夫だ。
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