2019年3月29日金曜日

目白の名店 鮨おざき


私にとって止まり木と呼べる店が目白にある「鮨おざき」だ。オープンしてからまもなく2年。界隈では気鋭のお寿司屋さんである。


この店の大将とは結構長い付き合いになる。彼が独立前に働いていた店の頃からだから、10年、15年にもなるだろうか。

昔から研究熱心だったから、今もあれこれと趣向を凝らしたウマいものを食べさせてくれる。

店が混雑していない時は、ついワガママな注文をしてしまうのだが、いつも臨機応変に対応してくれる。

職人としての引き出しが多いから無茶ぶりみたいなワガママにも応えられるわけだ。決まり切った仕事だけをしている店とはその点が大きく違う。

少食になってしまった私は、いつも同じようなものをチョビチョビ食べているばかりだが、おまかせコースのお客さんに出される料理を横目で見ていると、いつも感心させられる。

素材を活かしながらもニクいアレンジがしてあったり、お客さんの飲んでいるアルコールに合わせて料理を組み立てたり、細かく目配りをしている。


安い店ではないので、当然といってしまえばそれまでだが、高い店にありがちな店側の都合を押しつけるような高飛車なところはまったくない。

一見さんでも肩が凝らない雰囲気でウマいものが楽しめるはずだ。お馴染みさんになれば居心地の良さは言うまでもない。

ダラダラと野暮ったく飲んでいる私は寝落ちしそうになったこともあるほどだ。反省。

ネタの良さはもちろんだが、シャリも粒感がしっかり感じられて素直に美味しい。

余計なツマミは無しにして握りだけを15貫ぐらい食べてみたいと思っているのだが、数々のツマミを前に毎回挫折してしまう。



揚げ物も実に丁寧で文句なし。エビフライ、アジフライ等々、毎回食べたくなる。時にはタルタルソースまで作ってくれる。

「ソースマン」であり「タルタル人」である私にとってはシャングリラ、すなわち理想郷である。夢でキスキスキス!って感じだ。


こちらは上等なマグロを揚げてもらった一品。火加減が絶妙だった。マグロフライなんて邪道だろうと思ったが、すこぶる美味しかった。

日本酒の品揃えも豊富で酒好きのお客さん達を喜ばせている。私もマイぐい呑みを店に預かってもらっているので、時にはカンカンに熱くした日本酒をチビチビと楽しむ。至福の時間だ。


私の職場がある池袋は知る人ぞ知る「寿司不毛の地」である。ひと駅隣にこういう名店があることが私の池袋生活に憩いをもたらしてくれていたわけだ。

禁煙の店なのに週に1度は通ってしまう店は私にとってここだけである。近いうちに職場が京橋に移転するのだが、私の家と目白はさほど遠くないので今後もワガママな客として通うことになりそうだ。


ということで、最後は私がいつもシメに食べるおぼろカンピョウ巻きの画像。お店特製のおぼろとカンピョウが極上のハーモニーを奏でる一品。最高のデザート?である。

お店のインスタはこちら。


https://instagram.com/mejiro_sushiozaki?utm_source=ig_profile_share&igshid=1x2cwaicwqxj9



2019年3月27日水曜日

蒙古タンメンを改造してみた


桜も咲いた。春である。

春といえば冷やし中華である。スーパーの店頭に冷やし中華が並び始めた。素直に嬉しい。


毎年、秋になって冷やし中華を見かけなくなると、通販で専用のツユを取り寄せて冬になってもあのサッパリ味を楽しむのが私のライフスタイルである。

これからは簡単に手に入るからウキウキする。「具はチャーシューのみ、麺は2玉」が私の定型パターンだ。朝飯でも深夜に酔っ払っている時でも楽しむ。

あのスッキリした麺をすすっているとイマドキの複雑怪奇なスープをウリにするラーメンとは違う潔さを感じる。

さて、イマドキの麺類の世界は激辛が大人気らしい。コンビニのカップ麺コーナーも激辛モノで溢れている。

もちろん、若者をターゲットにした商品だからオジサマが四の五の言う話ではない。でも、おったまげるほど辛いヤツをムホムホ食べている若者の味覚が心配になる。


激辛カップ麺の代表格が「蒙古タンメン中本」である。高校生の娘が遊びに来る時のために自宅にいくつもストックしておいたのだが、ある日こっそり食べてみたらひっくり返りそうになった。

バカみたいに辛い。意味不明である。ウマいマズいという次元ではない。ただ辛いだけ。旨味なんて私には一切感じられない。

一口食べただけで捨てた。完全敗北である。

負けっぱなしもシャクなので、別の日、またこっそり食べることにした。そのままでは無理なので私流にアレンジしてみた。



フタを開け、辛さの元凶であるモロモロを始めから捨てることを選択。カップを逆さまにしてゴソッと具ごと捨てると麺だけが剥き出しだ。

麺だけになっても全体にスープの素になる粉は麺全体にまとわりついているから味が薄くなる心配はない。元の味が強すぎるんだからこれで充分。

で、お湯を投入。しばらくしたらそこに生卵をぶち込む。全体を混ぜ合わせて完成だ。



恐る恐る食べてみた。ウソでも負け惜しみでもなく美味しかった。味は決して薄くなっていない。一応ピリ辛である。幼い子どもが食べられない程度にほんのり辛い。

ただ、辛さの中にも生卵を混ぜ合わせたせいで旨味とまろやかさが加わって、優しくもほんのり辛い独特な味に変化していた。

トッピングにチャーシューやメンマを入れれば完璧だろう。まあ、そんなことをしていたらカップ麺を食べる意味がなくなってしまうが。

最近になって朝ドラ「まんぷく」を見始めた。このところずっとカップヌードルが誕生するまでの開発苦労話が続いていた。

その影響もあって、私もカップ麺アレンジに挑戦してみた次第である。

わが脳ミソの単純さを象徴するようなアホみたいな話を必死に書き綴ってしまった。

2019年3月25日月曜日

さらば池袋

職場が移転することになった。自社ビルの老朽化をきっかけに以前から会社の資産組み替えをあれこれ検討していたのだが、5月からは京橋が拠点になる。

銀座が近くなるのは困ったものである。

さらば池袋である。私が社会人生活を始めたのが平成になる頃だったから、一つの時代をずっと池袋で過ごしたことになる。

嫌いな街だが、それなりに馴染みはある。移転自体は嬉しいが、どことなく淋しいような感覚もある。

東口も西口もはたまたディープな北口だって、どっちに行けば何があるか把握しているぐらいだから、縁がなくなることが不思議な気分だ。

正直言って、名残惜しいのは西口の居酒屋「南国ファミリー」ぐらいである。他に馴染みの店があるわけでもない。

困ることといえば、血圧の薬を毎月もらいに行くクリニックや定期的に通っている歯医者が職場から遠くなってしまうことぐらいだ。

まあ、京橋界隈で代わりを見つければ済む話だが、ちょっとは面倒くさい。

あとは、個人的な郵便物や配送品をすべて今の池袋の職場を送付先として登録していたので全部変更しないとならない。

法律違反?だが、住民票だって職場の住所にしていたから転籍の手続きが必要だ。なんだかんだと面倒なことが待っている。

職場内の私のスペースの整理を少しづつ始めたが、やはり30年も同じ場所にいたせいで、後生大事に残して置いたものの多くがゴミである。

断捨離には良い機会だと痛感する。不要品の中に埋もれて働いているようでは、気も淀むはずだ。移転を機にスッキリするのは楽しみだ。


さてさて池袋である。定点観測のように眺めてきたこの30年で随分変わった。

もともとガサツな街だが、近年は物騒な感じが以前より強まってきた。脱法ドラッグ屋もいろいろあるらしく、警察の巡回も増えた。

外国人の割合も物凄く増えた。職場の隣のコンビニを例にとっても、日本人の店員は一度も見たことがない。オーナー自体もおそらくヨソの国の人だ。

道行く人の話す言葉もアジア系の言語ばかり。良し悪しウンヌン以前に、アッと言う間にまるで異質な世界に変化したわけだ。

その昔は、青江三奈のヒット曲「池袋の夜」を連想させるような“場末ムード歌謡”が似合う街だったが、今では外国人軍団の他は、コスプレが趣味のオタクみたいな人の聖地だし、青江三奈的世界はどこにもない。


昭和の頃は、酒場周辺にぶちまけられていたゲロが名物だったが、今ではゲロを見かけることもない。

怪しげな赤提灯や怪しげなスナックもほぼ絶滅し、チェーン店の居酒屋とファストフードの店とラーメン屋が隆盛を極めている。

ゲロを見かけなくなるのも当然だ。青江三奈やダサいムード歌謡が似合う場末感たっぷりの池袋が恋しいわけではないが、無くなってしまったものには少しばかり郷愁を覚える。

いやいや、そんなおセンチな感覚になること自体が、転進を阻止しようとする池袋の魔物?のしわざだろう。

池袋を振り返っているヒマがあったら、京橋界隈の渋い小料理屋などの開拓を始めないといけない。

池袋生活、残り一月余りである。

2019年3月22日金曜日

世襲天国


安倍さん、麻生さん、石破さんに岸田さん。首相をやった人、狙う人はもちろん、河野外相、野田聖子議員、小渕優子議員、小泉進次郎議員。古い名前では、小沢一郎、田中真紀子両センセイなどなど。


共通するのは世襲議員ということ。政治の中枢で活躍するには、いまや世襲が登竜門みたいになっている。

ふた昔ぐらい前までは「二世議員」と呼ばれていたが、いつのまにか3代目、4代目も出てきたから世襲議員という呼び名が一般化した。

前回の総選挙で当選した自民党議員の3人に1人が世襲だ。もはや家業みたいな感覚の人も多い。

世襲が悪いことだと短絡的に決めつける気はない。子どもの頃から高い志を育み、政治感覚をしっかり養ってきたような人物なら、即戦力としての期待もできる。

問題は経済用語でいうところの「経済的利益」だ。政治家としての地盤、看板の強みは圧倒的だ。

ウィッシュ!で人気者になったタレントのDAIGOが竹下首相の孫であることは有名だが、“竹下王国”である島根の選挙区で後継に名前があがっているとか。

ただ、彼の場合、竹下元首相の娘の子、すなわち苗字が「竹下」ではないことで難色を示す関係者もいるそうだ。

苗字、すなわち看板がいかにモノを言うかを象徴する話だろう。

限られたエリアで1人だけの当選者を選ぶ小選挙区制が定着したことで、世襲候補者の有利さはますます顕著になった。

世襲ではない立候補者と比べれば、この点はまさに「利益」である。非世襲の候補者が名前を売るために必要な時間やコストを考えれば、経済的な利益も計り知れない。

利益があるところには税金がかかるのが世間の常識。これが通用しないのが政治の世界だ。

相続の場合には、より具体的にメリットがある。これを享受するために政治家の道に進む人もいるのも現実だ。

政治家はいくつもの政治団体を持つ。議席を得ていなくても届け出をするだけで設立可能である。

政治団体を親から引き継いでも、そこに課税関係は生じない。民間会社との決定的な違いだ。

会社経営を承継する場合には、会社の所有資産が税務上の評価を受けて、それに応じた相続税が課税される。

会社承継の際に多額の相続税で苦労した経営者の中には「経営権を国から買わされたような感覚」と語る人もいる。

後を継ぐことを“利益”とみなしている国のルールが、そういう現実を生み出しているわけだ。

政治団体の場合、後を継ぐことが利益であるという基本が無視されている。同じ国のルールとは思えないヌルさである。

親が個人資産を政治団体に移したとしても、子はあくまで政治団体を引き継ぐわけだから相続税はかからない仕組みになっているわけだ。

安倍首相が10年以上前に第一次政権を投げ出した際、健康問題が理由とされた一方で、相続問題を追及されたことも影響したという見方もあった。

相続税の大幅改正から3年が過ぎた。基礎控除引き下げで課税対象は大幅に広がり、お金持ちイメージとは無縁の人まで相続税を心配する時代になった。

いまや大衆向け週刊誌などでも相続税ネタが特集されるほど、一般家庭にとっても相続税は頭痛のタネになってきた。

そんな現実をよそに世襲議員だけに許された逃税術が存在することはケッタイな話である。

都心に持ち家がある程度の人を資産家と称して、容赦なく相続税をかけるよりも、世襲議員の経済的利益に課税するほうがよほどマトモな考え方だろう。

2019年3月20日水曜日

ストックする癖


いつの頃からか、やたらとモノをストックするようになった。主に日用品の類だが、気付けば数ヶ月ぐらい“籠城”できるほど買い置きをしてしまう。


トイレットペーパーも妙にたくさん保管している。一人暮らしにしては異常だ。精神障害の一種なんじゃないかと言われたこともある。

不安障害とか強迫性障害みたいな状態は、それが無いと凄く不安になることが特徴らしい。

私の場合はたぶん違う。不安ではなく、ストックがたくさんあると単に嬉しいだけである。

必要なものが家に無かったことに気付くと妙な敗北感を味わうから、たまにしか使わないモノも一通り揃えている。

だから、頻繁に使うモノは多めにストックしてしまうわけだ。


毎朝コップ1杯をルーティンにしている野菜ジュースも随分保管してある。以前、たまたま切らしてしまった時に無性に悔しい思いをしたので、それ以来多めにストックするようになった。


ウォーターサーバーを契約しているから水も定期配送されるのだが、それとは別にペットボトルの水や冷茶なども多めにストックしてある。

考えてみれば、コンビニが溢れている都会の真ん中で暮らし、ネットスーパーの宅配なども使いこなしているのに、なんでこんなに貯め込むのだろう。

不思議だ。こういう実態を改めて文字にしてみると、やっぱり自分が一種の不安障害なのかと思えてきた。

もっと大らかにしないと何かとマズいかもしれない。


調味料などのストックも妙に増えてきた。メンマやザーサイ、福神漬あたりは、いざという時に無いと凄く腹が立つので、どんどん増えてしまった。

断捨離の対極みたいである。

ガールフレンドや愛人をやたらとたくさんストックしたくなるのも同じだろうか。

冗談である。ちょっと見栄を張ってしまった。

レトルト食品や冷凍食品も随分と豊富に揃っている。冷凍食品用に中型の冷凍庫を購入して空き部屋に置いているぐらいだから、やはりちょっと病的である。


常備している食べ物があるのに、家にいるとウーバーイーツを頼んじゃったりするわけだからバカである。

その結果、常備品の賞味期限をしょっちゅう気にする変なクセがついてしまった。

やはりどこか変なのかもしれない。

そんなにストックするのが好きなら、同じ感覚でお金の管理をすれば貯金というストックがどんどん増えるはずだ。

でも一向に貯金は増えない。やはり、お金は賞味期限が短いからバンバン使ってしまうのかもしれない。

2019年3月18日月曜日

ハーフサイズの誘惑


先日、上野の近くで用事を済ませた後、ひとりで夕飯に出かけた。何が食べたいか自問自答したら、久しぶりにニッポンの洋食が頭に浮かんだ。

上野御徒町湯島あたりは、とんかつや洋食の名店が揃っているエリアだ。しばし悩む。

「ベシャメルソース!!」。私の中の私が叫んだので、とんかつはパス。洋食に決定。

一人メシである。アレコレと頼めないのはストレスだ。ハーフサイズのメニューがある店が有難い。


で、不忍池の近くにある「黒船亭」に足を運ぶ。多くのメニューが「ハーフサイズ」で頼める有難い店だ。

湯島側にある超絶的にウマい店「厳選洋食さくらい」もハーフサイズ対応をしているが、黒船亭のほうが近かったのでこの日はそちらに行く。

注文は全部ハーフサイズだ。まずはカニクリームコロッケ。生ビールを片手に心の中でベシャメルソース万歳と叫ぶ。

本格的な洋食屋さんのベシャメルソースは「濃い」のが特徴だ。濃いという表現が正しいかは不明だが、サラッとし過ぎていないのが嬉しい。官能的である。平たくいえばエロい味だ。


グラスの白ワインにチェンジして、次に向き合ったのが海老グラタンである。グラタンといってもマカロニは少々でコキールに近い。その分、ベシャメルざんまいだから嬉しい。

ワインは基本的には好きではないが、さすがに日本酒や芋焼酎と合わせる気にはならない。調子に乗って白ワインをグビグビ。至福の時間だ。

たとえ私が一人で無人島に流されたとしても、ベシャメルソースとタルタルソースがあれば幸福に生きていける自信がある。


タンシチューがやってきた。赤ワインを注文する。ビーフシチューを頼みたい気分だったのだが、あっちはニンジンやブロッコリーがソースの味を台無し?にする。

滅多に飲まないワインも上等な洋食とともに味わうと妙に美味しい。大きめのワイングラスに景気よく注がれているから、ドシドシ飲んでいるうちにホロ酔いだ。

ホロ酔いほど怖いものはない。ハーフサイズといっても、ちょこっとしたサイズではない。既にそこそこ腹は満たされている。

でも、もっと食べたい欲求が湧き出る。ホロ酔い効果おそるべし。食い意地丸出し。

オムライスかハヤシライスのハーフを注文するつもりだったのだが、メニューを眺めながら迷走する。

「ベシャメルソース!!」。また私の中の私が叫んだ。いや、守護霊のお告げかもしれない。


さきほどの海老グラタンがウマかったので、帆立グラタンを追加注文。具が違うだけで味は同じである。それが嬉しい。ベシャメル万歳である。

また白ワインに戻してグビグビ。おひとりさまディナーが淋しいなんて絶対にウソである。これぞワガママざんまい、これぞ“エゴめし”である。

口直し?にハヤシライスのハーフを頼みたかったが、さすがに苦しくなってきた。でも白ワインをお代わりしたから、ツマミになるものが欲しい。

懲りずにメニューを眺める。エビフライは1本から頼めるみたいだ。タルタルも楽しめるからそうしようと思った矢先に、衝撃のメニューを見つけた。

「一口ハヤシライス」である。標準、ハーフの他に「一口」までラインナップされていた。実にニクい。素晴らしい商売っ気である。


気付いたら目の前に一口ハヤシライスが鎮座していた。満腹である。でもこれはデザートだから別腹である。

ハッピーな時間だった。

よくこの程度のデブで済んでいると思う。

2019年3月15日金曜日

タレ タレ ペヤング


同居人がいない生活だから、男子とはいえ厨房にはしょっちゅう入っている。

簡単調理がすっかり得意になった。本格的な料理をすることは何かに負けた気がする?から、あくまで超簡単クッキングだけである。

湯煎するだけでウマい魚もあるし、レトルト食品だってレベルが高い商品は山ほどある。

強いて調理っぽいことといえば、肉を焼くぐらいだ。その場合でも味つけは下味の塩コショウの他は市販のタレに委ねる。

牛肉は胃にもたれるから、鶏か豚しか使わない。タレもそれらに合うラインナップをアレコレと試している。

安いヤツはマズい。これはタレについても同じことがいえる。値が張るほうが格段にこだわりを感じてウマい。

まあ、「このタレ、高かったんだぜ」という心理状態が美味しく感じさせる効果を発揮しているのも確かではある。


生姜焼きのタレを例にとっても常に数種類は用意している。時には混ぜたりする。あまり意味はない。

本気で生姜がブリブリ入っている立派なヤツもあれば、単に生姜風味みたいなのもあるから、ついつい高いほうを選んでしまう。

大人買いというよりも、エンゲル係数崩壊男買いといった感じだ。

ちょっとした高級スーパーに行けば、それなりにこだわったタレが買える。Amazonで探しても面白い商品に出会える。


生姜焼きはもともとそんなに好きではないので、豚肉用のタレは他にもいろいろ揃えている。帯広あたりの豚丼の味つけを思い起こさせるタレを見つけるとつい買ってしまう。

肉にタレを混ぜ込んでから焼くパターンと焼き上がり直前にササッとタレを絡めるパターンがあるが、気分によって使い分ける。

鶏肉の場合、塩コショウをまぶしてから、日本酒も投入してフライパンに蓋をして蒸し焼きみたいにするパターンが多い。

マメに中火と弱火を切り替えたりして、じっくり火を通す。自画自賛だが割と上手に仕上がる。


時にはウナギのタレで味つけをしたり、Amazonで見つけた「今治鉄板焼鳥のタレ」を使うこともある。いずれもタレの量が多すぎると鶏の旨味が消えちゃうから、ドバドバ入れないことがポイントだ。

そんなことを書いて、はたして誰かの参考になるのだろうか・・・。

さて、お次は厳密にいえばタレではないが、最近見つけた画期的な商品である。

あのペヤングのソースである。独特のアノ悩ましくも官能的なソースが単独で商品化されていた。


見つけた途端、迷わず購入。我が簡単調理の世界に革命が起きそうな予感である。

カップ麺ではない焼きそばの味つけをペヤング的にすることだけでなく、使い方はいろいろありそうだ。

もやしとタマネギとコンビーフなんかを塩コショウで炒め、仕上げにコレで味を整えたら、それだけで御馳走になりそうだ。

まあ、そんなメンドーな料理は私はやらない。

私は根っからのソースマンである。目玉焼きもソーセージもハムもオムレツもソースで食べる。つまり、それらの味にペヤング風味が加わるわけである。

先日も油をひいてフライパンで良く焼いたシャウエッセンにペヤングソースをかけてみた。

炒め油とペヤングソースが絶妙に混ざり合って官能的な味がした。禁断の昭和味?みたいだった。

今後しばらくは、ペヤングソースマンとして、一人こっそりとジャンクな珍料理を楽しむ時間が増えそうだ。

2019年3月13日水曜日

「なんとなく」の恐さ


日々、残りの人生をいかに楽しく生きるかしか考えていない私だが、最近つくづく気になるのが、世の中に広がる政治への無関心だ。

今日は少しだけ固い話。

安倍首相の連続在職日数は歴代2番目である。あの吉田茂元首相よりも長い。このままいくと今年11月には通算在職日数でも歴代1位になる予定だ。

まれに見る長期政権である。民主党政権時代のズッコケぶりに辟易とした国民が選んだのが自民党一強という今の政治情勢である。

小選挙区制を柱とした選挙制度の副作用もあって、一強自民党の中で執行部もまた一強となった。必然的に安倍体制に反旗を翻す動きもない。

あくまで民意の結果が今の状態だが、その支持が積極的なものかといえば話は違う。

積極支持ではなく、「無関心」や「なんとなく」の広がりが安倍一強体制を支えている大きな要因だ。

「なんとなく支持」が広範囲に広がった理由が、いわゆるアベノミクスである。

経済政策が以前よりはうまく進んでいるというイメージが安倍政権の強みになっている。

無関心層にしても、経済対策で一定の成果を上げているとアピールされれば、「まあいいか」という思考回路になる。

確かに経済政策で成果を上げているのなら誰もがハッピーだが、その成果とやらが“演出”によるものだったら重大な欺瞞だ。

成果を裏付けるものはデータである。データ上の数値がすべてと言ってもいい。その意味では、厚労省の統計不正問題は単なる数字のインチキで済む話ではない。

現在の政権を「なんとなく」安定させている根っ子の部分のデータが明らかに間違っていたということに他ならない。

こればかりは無関心でいいはずがない。無関心が招くものは為政者の独りよがりであり、そのツケは国民すべてに跳ね返る。

私は社会主義者ではないし、共産主義も嫌いだから、必然的に支持政党は自民党だ。とはいえ、長期政権にあぐらをかく安倍体制には大いに疑問だ。

先日、森友問題の籠池被告の初公判が開かれたが、国会でそのことを問われた安倍首相は「そのことを存じ上げていない」と言い放つ傲慢ぶりを見せた。

同じ日の国会では、内閣法制局長官が野党議員に皮肉を言い出す珍事も起きた。官僚中の官僚であるそんなポジションの人間が脱線発言で結局は謝罪する事態になったことは、政権のユルユル加減を象徴する話だと思う。

傲慢だろうとユルユルだろうと、国民が無関心であり続ければ政権にとっては痛くも痒くもない。これって結構恐いことだ。

「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」という有名な格言がある。最近の安倍首相の表情を見るたびにそんな言葉を思い出す。

2019年3月11日月曜日

お塩でどうぞ


「そのままでどうぞ」、「お塩でどうぞ」。
飲食店でそんなセリフをよく聞くようになった。

料理を美味しく食べさせたい店の人の気遣いである。それは分かっているのだが、中には「?」もある。

トンカツを前にして、そのままで味わえと言われても困る。私にとってトンカツはソースと渾然一体となってはじめて成立する食べ物である。


蕎麦を出されて「塩でどうぞ」って言われたり、天ぷらを「カレー塩でどうぞ」と言われることもある。

もちろん、そうやって食べても案外ウマいんですよ的なニュアンスで言われるなら納得する。押しつけ気味に言われると気持ちがザワザワする。

もともとアマノジャク気質がある私が悪いのだろう。でも、ここは私のワガママが書けるブログだからウジウジと主張したくなる。

春巻だってシュウマイだって同じである。そのままでも味が完成していることが多いが、私としては酢醤油で食べたい。

こうなると好みの問題だが、よほどヘンテコじゃない限り、好みの食べ方を押し通すのは悪いことではない。

私の場合、渋々ながら塩でトンカツを一口味わったとしても「ソースのほうが断然ウマいですね」とニコヤカに答えるし、完全塩派?の天ぷら屋でも躊躇なく最初から天つゆを持ってきてもらう。

商店街で揚げたてのコロッケを立ち食いするようなシーンに憧れるのだが、コロッケにはどうしてもソースが欲しい。だから今まで一度も経験したことがない。

蕎麦を塩でというパターンも一度も試したことはない。こうなると食わず嫌いに近いのかもしれない・・・。いや、完全に老害の域に入ってしまったのかも。

焼鳥屋さんでも、塩、タレを選べない店がある。お店のこだわりは理解しなきゃいけないのだろうが、個人的にはレバーを塩で食べるのはビミョーだ。

その他はともかく、レバーはタレにつきる!

素材の良さを感じてもらいたい、素材そのものの味を楽しんでもらいたい。大いに賛成だし有難いことである。

でも、素材そのものを押しつけられても困ることだってある。


冷やしトマトにマヨネーズが添えられていなかったらキツいだろうし、もろキュウに味噌が無かったら単なる「キュウ」になってしまう。それはないか・・・。

ちなみに最高級で最上等の本マグロの中トロの刺身があったとする。素材そのものを味わうといっても、そこに醬油が無かったら全然ダメである。食べる気にならないだろう。

定番の組み合わせこそ、味の完成には不可欠である。当たり前のようで物凄く大事な真理だ。

クジラベーコンをカラシ醤油ナシでそのまま味わったってマズいし、ハンバーガーにしてもケチャップを食べるようなものだ。

定番に惹かれるというか、あくまで保守的になってしまう。自分が料理人だったら、きっと独創性はちっとも出せないような気がする。

でも、それはそれで大事だ。斬新な組み合わせの大半は定番にはなり得ない。

いずれにしても、食べ方の押しつけが店のエゴになっちゃうと途端にシラける。あくまでド定番の組み合わせを大前提としたうえで、時々、変化球を混ぜるぐらいにして欲しい。

青年の主張ならぬ「偏屈オヤジの主張」になってしまった。

2019年3月8日金曜日

熟年 ビンテージ


「熟年」の定義がよく分からないからWikipediaで調べてみた。なかなか面白いエピソードが載っていて興味深かった。

もともとは「老年」の呼び替えみたいな趣旨で1960年代に考案されたが、広く中高年全般を指す言葉に変化していったらしい。

80年代に入り、中高年を指す新名称を作ろうという役所主導の取組みでは、1位になったのは「実年」。熟年は「熟した後は腐る」というイメージで最終候補から外されたそうだ。

でも実際は「実年」など誰も使わず、熟年が定着して今に至る。役所のズレっぷりは今も昔も一緒だ。

さてさて、熟年である。いずれ腐ってしまう?のは切ないが、人生100年時代と言われる昨今では、50才程度では人生の折り返し地点を過ぎた段階である。

熟している期間が長いか、腐ってからの期間が長いか、そこが問題だろう。なんとか前者でありたいと切実に願う。

いきなりだが、「永ちゃん」は70才になったとか。ビックリである。確かに矢沢永吉が世に出たのはウン十年前だから、永ちゃんが爺ちゃんになるのも無理はない。

サザエさんの波平や宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長が50才そこそこの年齢設定だった昭和の頃の感覚と随分変わってきた。

館ひろしだって69才である。千葉真一は80才、加山雄三に至っては今年82才だとか。
いやはや、50才ごときで腐る寸前などと弱音を吐いてはいけない。


そうは言っても、ここ数年、あちこちにガタが来はじめている。視力、筋力、食欲などは顕著に低下している。老年への準備期間ならではの変化だ。

きっと、永ちゃんも館ひろしも人知れずヨレヨレになっている時間もあるのだろう。

そう思うことで自分を奮い立たそうと意識している今日この頃である。

骨董品かガラクタか。古いものはこの2種類に分かれる。人間だって同じかもしれない。

クルマや時計、家具やカメラ、ギターだって、古くても価値のあるものはヴィンテージ扱いされる。

価値のないものはゴミ箱行きである。熟年世代も気をつけないといけない。ガラクタだったら世の中から不要品扱いされる。

知識や教養、その人ならでの個性を磨いていれば、ガラクタとは違う価値ある存在でいられるわけだ。

私もまだまだ頑張らないといけない。そう思って哲学書でも読もうかと考えるのだが、結局は、官能小説みたいな俗っぽい本を毎晩のように読みふけっている。

手遅れかもしれない。いやいや、館ひろしの歳になるまで15年以上もある。あきらめてはいけない。

2019年3月6日水曜日

ストレスなんて・・・


忙しい、大変だといった話を自慢みたいに語る人は多い。若い人ならいざ知らず、いっぱしの大人の場合、単なるヤボだと思う。

実際に分刻みで動いているスーパービジネスマンならともかく、普通の人の場合、見方を変えればセルフコントロールが出来ないトホホな人物だと思われかねない。

メシを食う時間もない、ちっとも寝てない等々、そんなことを得意気に語るのは格好悪い。

そりゃあ私だって時にはそんな状況に陥る。でも、ヘタにそんなこと言うと、タイムマネジメントも出来ないダメオヤジみたいだから涼しい顔でやり過ごす。

大人のたしなみだろう。

ストレスも同じ。誰にだってあるのだから、中高年にもなればそれなりに対処法を身につけないといけない。

病気になっちゃうほど重症なら別だが、そうでなければ大げさに騒ぐのはどうかと思う。

脳天気に過ごしている私にもストレスはもちろんある。時にはメンドーな症状も出る。

胃痛にジンマシンだ。頻繁ではないが、そんな症状が出る時はたいてい思い当たるフシはある。

いわゆる胸焼けは、逆流性食道炎の影響だが、胃痛は必ず心配事が続いた時に私をイジめる。


太田胃散より太田漢方胃腸薬のほうが良く効くことからもストレスが原因だと痛感する。キリキリして実に不快だ。

そんな症状が出ている時でも食欲が無くならないのが私のヘンテコな特徴だ。さすがに辛いモノや脂っぽいモノは避けるが、普通にしっかり食べる。

私の胃はどんな時でも働き続けていてエラいと思う。

厄介なのがジンマシンだ。一説によるとすべてのジンマシンの7割だか8割ぐらいは原因不明なんだとか。ストレスによるものもそこに含まれるわけだ。

20代の頃、まだ社会人経験も浅い中で気張って働き続けたせいで、謎のジンマシンに悩まされた。

毎日夕方近くなると、時計のベルトの部分、ズボンのベルトの部分にあたる辺りにブワっとジンマシンが出ていた。

医者に行って調べてもストレスが原因という当たり前の答えしかもらえず、しばらくは難儀した。

中年になってからも、たまにだが首と耳の後ろを中心にぶわっとジンマシンが出ることがある。

サバなどの青魚にあたったんだろうとタカをくくっているのだが、時には魚介類をまったく食べていないのに症状が出る時がある。

たいていは明け方だ。なんだかモゾモゾして目が覚めるとジンマシン太郎が出来上がっている。

ほとんどの場合、1~2時間で退いていくのだが、ぶわっと出始めた時は毎度心配になる。

顔中が膨れあがったらどうしよう、喉の中まで膨れあがって呼吸困難になったらどうしようなどと、ひとりで恐怖と戦う。

もともとアレルギー体質ではないから、社会人になるまでジンマシンとは無縁だった。私にとってはジンマシンが「大人の階段」だったみたいだ。

ストレスが無い人生なんてあり得ないから、大事なのはストレスとの付き合い方である。

非日常に身を置いて無心になること。それが理想だろう。なかなか難しいが、探せばいろいろありそうだ。

ボトルシップ作りに精を出すのもアリかもしれない。本格的なプラモデル作りだって効果的かもしれない。


まあ、無器用に関しては日本、いやアジアでも一、二を争う私がそんな高尚なことが出来るはずもない。

やはり、経験したことのない変態プレイをいかに開発するかを考えたほうが手っ取り早いかもしれない。

どうしてそんな結論になるのだろうか。

きっとストレスが溜まっているのだろう。

2019年3月4日月曜日

飯田橋「川勢」 鰻バンザイ


面倒なことはイヤだ。歳を重ねるうちにそんな思いは強くなる。これも加齢の特徴だろう。

飲食店の新規開拓をちっともしていない。10年ぐらい前は積極的にあちらこちらを探索したが、ここ数年は知った店ばかりに出かける。

気に入った店があれば、わざわざ新規開拓の必要はないのだろうが、それでも好奇心みたいな気持ちは大事だ。

自分の世界を狭くしないためにも、暖かくなったら頑張って行動を開始しようと思う。

そんな意識もあって、先日、前から気になっていた鰻屋さんに行ってみた。飯田橋にある「川勢」という店だ。

あの界隈でウナギといえば、神楽坂下の「志満金」に行くことが多かった。そのせいで賑やかな神楽坂から反対にあたるこちらには足を向けたことがなかった。


ここ数年ですっかり高値になってしまったのがウナギである。とはいえ、私にとって一番の大好物だから、安さをウリにされても逆に怖い。

高値でも我慢して食べたい。ヘンテコな安ウナギに手を出すほうが、よほどムダ遣いだと思う。

東京にウマい鰻屋さんはいくつもあるが、個人的にはウナギ以外にもニクいツマミを揃えてある店に惹かれる。

天ぷらもしゃぶしゃぶも出すような何でも屋みたいな店は論外だが、かといって、ツマミも無しにただただウナギが焼き上がるのをひたすら待たされる店も苦手だ。

名店と呼ばれる店に結構そういう路線は多い。通を気取る人ほど、そんな殺風景みたいな鰻屋こそホンモノだと言い張るが、決してそんなことはない。


客目線からすれば、ニクいツマミが用意されている店のほうが親切である。単純にそれ自体がキチンとしたサービスだろう。

私の場合、ウナギは夜しか食べないのでそんな思いが強い。酒抜きのウナギディナーはあり得ないから重視するポイントである。

この「川勢」もウナギ料理に相当のこだわりを持っているようだが、上の画像のように季節を感じる肴もしっかり用意されている。

鯛の昆布ジメやあん肝などを食べてみた。素直に美味しい。手抜かりはない。日本酒の品揃えも豊富で楽しみながらウナギ様を待っていられる。


白焼きもしっかり丁寧に仕上がっていた。ちゃんとした専門店がちゃんと料理した白焼きは、蒲焼き以上にウナギ本来の滋味を堪能できる。

私の頭の中で開催されている「冷酒に合うツマミコンテスト」では、ここ30年ほど毎年1位の座に輝いているのが白焼きだ。

ワザビ醤油をちょろっとつけて口に放り込む。繊細な香りと上質な脂が口の中で官能的に広がる。ニンマリしながら飲み込んだ瞬間にキリっとした冷酒をあおる。

その瞬間が私にとっての至福の時である。多分死ぬまでコンテスト1位の座は変わらないと思う。


シメの鰻重サマである。白焼きがどんなに好きでも、やはり蒲焼きが出て来ないことにはウナギモードは完結しない。

こちらも至極丁寧に仕上がっていた。タレは少なめで、タレに頼り過ぎない正しい味付けが嬉しい。

全体に「丁寧」を感じさせるお店だった。近いうちにまた行きたい。

2019年3月1日金曜日

秘密


その昔、「書く仕事です」と自己紹介した際に“隠しごと”にひっかけて「秘密が多いんでしょうね」と切りかえされたことがある。

オヤジギャグだかダジャレだかよく分からないが、妙にゾワゾワした気分になった。

というわけで、今日は「隠しごと」「秘密」について書いてみる。

人間誰しも、大なり小なり秘密を抱えて生きている。小学生にもなれば隠しごとのひとつやふたつは出てくる。

私も学校のテストの結果が悪いと、テストがあったこと自体を親に隠していた。結構な頻度で知らん顔を決め込んだ。浅はかである。

不思議と親同士のつながりなどで簡単にバレる。結局、テストに関しては隠し通せたことは一度もなかった。

秘密とは暴かれてしまうのが宿命だ。バレちゃうのが基本だと思っていたほうが賢明だろう。

家庭人だった頃、奥さんじゃない人と旅行に行ったことがあったのだが、旅行会社の単純ミスで奥さん宛に詳細が送付されるという珍事件があった。

最悪である。マジで訴えようかと思ったほどだが、その旅行会社の担当者は私の小学校時代からの旧友だったので、そうもいかず、しぶしぶ自分の行動を反省した。

バレたのはその1回である。でも1回とゼロでは雲泥の差だ。旧友のミスがなければ聖人君子みたいな家庭人でいられたのに、その1回のせいでウソつきのレッテルは残ってしまう。

残念である。

まあ、そんな可愛い秘密はさておき、私も半世紀以上生きてきたから、シャレにならない秘密のひとつや二つぐらいはある。

こればかりは大げさじゃなく命がけで秘密にし続けなければならない。まさに墓場まで持っていくような話だ。

いや、墓場には先祖もいるだろうから、そっちに行ってからも油断は出来ない。そんな秘密を持ってしまったことは重荷だ。

秘密が多い人は精神的な負担が重いせいで心を病むこともあるらしい。私の場合、秘密は多くないから特に問題はない。

精神的な負担だけでなく、秘密の重荷のせいで肉体的にも弱る人がいるという研究結果もあるそうだ。

秘密を抱えたストレスのせいで重労働が出来なかったり、距離の感覚が狂ったりするんだとか。ホントだったら怖い話だ。

墓場まで持っていくような重い秘密は別として、噂話だったり、人の失敗談みたいな軽いネタなら、秘密の暴露合戦ほど楽しいものはない。

あの人はカツラだ。あのコは不倫している、実は寝ションベンしちゃった等々、あまり趣味のいい話ではないが、秘密は暴露されてこそ輝くのかもしれない!?。

ニーチェの格言にもその通りのものがあるそうだ。

「話題に窮したとき、自分の友人の秘密を暴露しない者はきわめて稀である」

まさに世の中の摂理みたいなものだろう。

ついでにどっかの誰かの格言をひとつ載せておく。

「酒はなにものをも発明しない。ただ秘密をしゃべるだけである」

要注意である。