2020年8月31日月曜日

蝉時雨が聞きたくて

なんだか古いフォークソングのタイトルみたいだが、蝉時雨が聞きたくて散歩することがある。

 

今の季節、暑すぎて夕方しか散歩できないが、私が目指す散歩コースは決まって緑の多い場所だ。

 

わが家のそばの隅田川には川沿いに広範囲に歩道が整備されている。散歩には最適なのだが、ビル群が集まっているエリアだと蝉の鳴き声は聞こえない。

 



 

遊歩道沿いに公園があるような場所を中心に歩く。蝉時雨がちょっと離れた距離で聞こえるのもオツなものだ。

 

 

昔から蝉の鳴き声は好きだったのだが、ここ数年、加速度的にあの切なげな鳴き声に惹かれる。ヒグラシの淋しげな響きにはいつもキュンとする。

 

ヒグラシは別格として、今やミンミン、ジージー系のうるさいセミの声すら私の心を和らげてくれる。

 

アッという間に8月も終わりだ。蝉時雨を浴びられる時間もあと少しだろう。桜と並んで蝉の鳴き声は季節の移り変わりを実感する風物詩だ。

 

森山直太朗の「夏の終わり」という名曲をご存じだろうか。この季節になると決まって聴きたくなる。

 

夕暮れ、蝉の声を聴きながらこの曲のサビばかり口ずさみながら歩く。何だかとてもいい気持ちになる。

 

森の中でも公園の中でもそうだが、蝉の声の響きは直線的ではなく、聴いている者を包み込むように響く。サラウンドである。

 

目を閉じてしばし佇めば時間が一気に止まったかのような錯覚を味わえる。大袈裟に言えば、幽玄の世界に身をあそばせる感覚になる。

 



 

若い頃や子供の頃を思い出す時は、たいていは夏の記憶が多い。人によって違うかも知れないが、私の場合は断然夏の記憶が鮮烈だ。

 

そこに付きものなのが蝉時雨だ。蝉時雨とは無関係だったはずの街中や海での思い出でさえ蝉時雨がセットで頭の中に浮かぶ。

 

「願わくは 花の下にて 春死なん」。有名な西行法師の歌だ。どうせ死ぬなら穏やかな春の風に舞い散る桜の中で死にたいというニュアンスだ。

 

漂白の歌人と呼ばれた西行さんの気持ちもよく分かる。桜吹雪を見ていたら穏やかな気持ちであの世に行けそうだ。

 

それと同じぐらい穏やかにオサラバ出来そうなのが、ヒグラシの音色だと思う。

 

晩夏の夕暮れ、風鈴の音と蝉時雨が響き合うなか、うちわの風に吹かれながら死んでいく。なかなか良いと思う。

 

別に死にたいわけではないが、やはりいつかは死んじゃうのだから、その場面は穏やかでありたい。ヒグラシはちょっと淋しすぎるかもしれないが、喧騒よりはマシだろう。

 



 

先日、山形の庄内地方を旅した際、やたらとゴージャス?な蝉時雨に行く先々で聞き惚れた。

 

庄内出身の藤沢周平の代表作に「蝉時雨」がある。映画やドラマ化もされた名作だ。

 

ストーリーと蝉はもちろん関係ないが、あの作品に蝉時雨というタイトルを付けたくなった作家の気持ちが分かるぐらい、哀愁タップリの響きが印象的だった。

 

なんだか話にまとまりがなくなってしまった。

 

とりあえず、普段は無意識に聞き流してしまう蝉の声にあえてじっくり耳を傾けてみるのもオツなものです。

 

公園の木々の下に腰を下ろし、目をつぶって蝉時雨に包まれれば、想像以上に気持ちよい時間が過ごせます。

2020年8月28日金曜日

ドリアへの愛

夏バテのせいだと思うが、このところ味覚がヘンテコになっている。新型コロナの症状に味覚障害があるらしいが、そういう次元ではない。

 

味を感じないわけではない。今までウマかったものがマズくなって仕方がない。ここ数ヶ月のコロナ禍での暮らしぶりで何かが変化したのだろうか。

 

もつ焼きにホッピーである。オジサマ族にとっては憩いの組み合わせだが、最近これが全然ダメだ。ホッピーもマズい、もつ焼きもマズい。

 

店のせいではない。あくまで私の味覚のせいである。

 

4月からの禁煙法のせいで大衆酒場までタバコが吸えなくなったから、しばらくその手のモノを食べていなかった。

 

大衆酒場という愛煙家の聖地まで禁煙という事態はスットコドッコイだし、ああいう店でタバコを我慢するのは妙にシャクだ。

 

だからここ5ヶ月ぐらいご無沙汰していたのだが、先日、久しぶりにホッピー気分になり自宅近くの店に行ってみた。

 

ホッピーの味はもちろん、もつ焼きの鮮度も前と同じだ。なのにマズい。2本も食べたらゲンナリして結構な量を残して帰宅した。

 

お寿司屋さんでも、今までは違う感覚がある。鮮度の良い魚なのに口の中に違和感みたいな風味が残ることが増えた。由々しき事態である。

 

先日も大好きなはずのカツオの刺身を二切れだけでやめてしまった。大好きなコハダや車海老の握りもビミョーに美味しく感じない。

 

ソーメンはいつでも美味しく感じるので、単なる夏バテで口の中がヘンテコになっているのだろう。じゃないとヤバい事態である。

 

ソーメンに限らず、なぜか「ベシャメル系」「クリームソース系」は以前にも増して美味しく感じる。

 

最近はウーバーイーツで頼むのもソッチ系が増えた。お子ちゃま的な味覚になってきたのだろうか。

 


 

この画像は丸ビルに入っているグリル満天星で食べた一品である。白ワインとともに味わった。素直に美味しかった。ホッピー&もつ焼きに比べるとホッとする味だった。

 

いま私の煩悩は「ウマいドリアが食べたい」という一点である。それも子供の頃に母親が作ってくれた「実家ドリア」である。

 

もう45年ぐらい前の話である。今ほどドリアがポピュラーじゃなかった時代だ。そんな頃に家でドリアを作ってくれたのだから、我が母親はハイカラだったのだろう。

 

とはいえ、正式な、というか本格的なドリアとは異質だった。ヘタすればバターライスではなく、使っていたのはほぼ普通の白飯だったかもしれない。

 

ホワイトソースもちゃんとした洋食屋さんのベシャメルソースではない。昭和の家庭ならではのホワイトソースだ。チーズもおそらく安っぽいテキトーなヤツである。

 

具材は鶏肉かエビ、あとはタマネギぐらいだった。決して凝った料理ではないし、ササッとオーブンに入れてそれっぽく出来上がるシロモノだった。でも、これがめっぽうウマかった。

 

マカロニグラタンもよく作ってもらったが、茹ですぎのマカロニが定番の時代だから、コメを使ったドリアのほうが私の好みだった。

 

出来たてを食べたくても猫舌だったから、冷凍庫に5分ぐらい入れて冷ましていた。邪道の極みである。でも、冷めかけたドリアをガッツガツむさぼるのが最高だった。

 

オジサマになった今も洋食屋さんに行くとドリアやグラタンには目がない。熱々をヒーフー言いながら食べるのだが、どうしたって「実家ドリア」にはかなわない。

 

いや、普通に考えれば洋食屋の名店のほうが美味しいに決まっている。あくまで私自身の記憶の中にある実家ドリアが原点だからこその錯覚だろう。

 

錯覚だとしてもやっぱりアノ味に勝るものはない。今はもう出会えない懐かしのオフクロの味である。思い出すと涙がこぼれそうになる。

 

いにしえの実家ドリアをここまでベタ褒めすれば、我が母親もきっと浮かばれるはずだ。

 

いや、母親はまだバリバリ元気に暮らしている。そのうち実家に行った時にでも作ってもらおう。

2020年8月26日水曜日

旧車への想い 日産サファリ

キムタクを主役にした日産のCMを見ていたら魂が震えた。キムタクに萌えたのではない。昔々、私が愛したクルマが登場してすこぶる感動した。

 

https://www.youtube.com/watch?v=8bTkgEXC-Q8

 

日産の過去と未来を語るカッチョイイCMだったのだが、日産の旧車が4台ほど登場。その中の一台が赤色のサファリハードトップだった。


 


35年ぐらい前に私が乗っていたバージョンと同じだ。マイナーなクルマなのにナゼか数ある旧車の中からサファリが選ばれたのか実に不思議だ。 

 

私のクルマ歴は37年ほどだ。これまで25台ぐらいは乗ってきたからイッパシのクルマ好きだったと言えよう。

 

一番愛したクルマがこのサファリである。オッサンと呼ばれる歳になってからはベンツやBMW、ジャガーやマセラティも乗った。でもダントツで大好きだった一台を選ぶなら赤いサファリである。


自分なりにアチコチいじって、この世に一台だけのやたらとクセの強い相棒に仕立てたことで、今でも思い入れが強いのだろう。

 

34年ほど前の写真を引っ張り出してみた。私が痩せていたことやチャラいサングラスや手袋はご愛敬である。

 


 

随分と改造した。上のCMに使われたノーマル車画像と比べるとだいぶ違う。下品にならない程度に車高を上げていた。タイヤも太かった。やたらとムダな照明を付けていた。

 

車内も4点式シートベルトをはじめ、オーバーヘッドコンソールまで装着してカーオーディオ用のイコライザーや違法な拡声器のスイッチなどを付けていた。

 

四駆ショップに集うお客さん達で作られたクラブチームみたいな世界にも混ぜてもらった。大学生の頃だ。まだ青年とも言いきれない小僧時代である。

 

メンバーはオッサンばかりだったからそこで社会を学んだ部分も多かった。井の中の蛙だった私がいろいろ刺激を受けた。

 


 

ここ5年ぐらいの間に自分が愛した懐かしの日産サファリに偶然遭遇する夢を何度か見ている。そんな経験があるから日産のCMに魂が揺さぶられたわけだ。

 

夢だからもちろんヘンテコな話である。私が乗っていた当時のままの姿でサファリちゃんが今の私の前に登場する。ある時の夢では持ち主に掛け合って数百万円という値段で買い戻す商談にまで進んだ。

 

とにかく思い入れが強かったのだろう。私にとっての青春の1ページだ。いや、10ページぐらいかもしれない。

 

あの頃、若者にとってはクルマは自らのアイデンティティーを示す存在だった。当時、ナンパな世相を反映して、デート向けにはコレだ、女の子ウケするのはコレだみたいな角度からクルマが語られていた。

 

変なクルマヒエラルキーも顕著だった。どっちがエラいのあっちが凄いのとウザったらしい話が多かった。

 

そんな風潮が何となく気持ち悪くて、当時は誰もが見向きもしなかった四駆の世界に突き進んだわけだ。私にとってアマノジャク人生のきっかけだった。

 

まだ四駆のクルマは商用貨物車的な匂いが強く、SUVだのRVだのといった洒落た用語も聞かなかった。

 

その後、車高が高めの四駆が一気に人気になり、世界の高級車メーカーまでそっちに進出する。

 

いまやランボルギーニやアストンマーチンにまで四駆バージョンがある。当時の四駆愛好家からすればオッタマゲである。

 

当時は三菱パジェロが四駆にオートマを搭載しただけで愛好家がビックリした時代である。我がサファリだってパワーウインドウなど無かった。ベース車両にはAMラジオしか付いていなかった。それが普通だった。

 

そういえば、一世を風靡したパジェロもいよいよ生産中止になるらしい。何とも言えない。世の中の移り変わりを痛感する

 

その後、大人になってからもいにしえの四駆小僧だった時代を懐かしみ、セカンドカーとしてアメリカの中古ラングラージープを2回も買った。その後もシボレーやワーゲン、キャデラックやポルシェの四駆も乗ってみた。

 

でも、どうしてもシックリこなかった。サファリの無骨さやぶっきらぼうでどこかダサい感じとはまるで異質だった。あくまで高級乗用車でしかない。当たり前である。

 

もちろん、そんな快適さに惹かれて選んだわけだから文句は言えない。でも格好が格好だけにかつてのサファリと比べてしまい、逆にその快適さが不自然に感じてしまった。一種の変態だ。

 

思い出は美化される。私にとって日産サファリはその最たるものだろう。美化しちゃっているのは分かっているが、それでもあそこまで徹底的に大好きだったクルマはない。

 

ネットで全国の中古車情報を調べたが、私が乗っていたのと同じサファリは1台も見つからなかった。

 

見つけたら買っちゃうかもしれない。あの頃のように大改造して、あの頃のようにチームに入ってツーリングに行ってみたい。

 

あの頃のように一人旅で陸路をひたすら北海道まで走って、北海道の外周を一回りして、また陸路でエッチラオッチラ帰るような旅をしてみたい。

 

 

2020年8月24日月曜日

最先端の暮らし?

家族旅行、正確に言えば元家族旅行で軽井沢に行ってきた。今年はヘンテコな世相になったせいか、なぜか元家族で行動する機会が多い。

 


 

ハタから見たら仲の良い家族にしか見えないはずだ。まあ、そんなカタチもある。中学2年になったダウン症の長男のせいで、やや不思議な関わりが成立している。

 

わが家のダウンちゃんは、このところやたらとパパっ子になってしまい、やたらと私に会いたがる。意味不明な電話もしょっちゅうかかってくる。

 

おそらく小学校低学年に毛が生えた程度の精神年齢なんだろう。今になって“父親ラブ”まっさかりだ。しょうがないから私もせっせと付き合うようにしている。

 

父親っぽい時間を過ごすことで、私自身、なんとなく浄化されているような気分にもなる。一種の自己満足ではあるが、人生後半戦になって、ただ野放図に過ごすのも収まりが悪い。

 

時々、「オレもいっぱしの人の親だなあ」などと感慨にふけることで気持ちのバランスが取れているように思う。

 



 

この上の画像は10年前に軽井沢に行った時の一枚だ。下は今回の画像。まさに10年一昔である。こんな画像を比べると歳月の重みを痛感する。

 

さて、軽井沢である。お盆のピークは過ぎていたが、まだ8月下旬ではない段階なのにかなり空いていた。天下の旧軽銀座もガラガラ。

 

目抜き通りのいくつかの店には閉店の案内が貼り出され、テナント募集している物件も目立った。世の中、一気に風向きが変わってしまった感じだ。

 


 

夏の名物である渋滞にもちっともはまらなかったし、白糸の滝や鬼押し出しといったベタなエリアも空いていた。

 

泊まったのは軽井沢から車で20分ぐらい離れた距離にある「エクシブ軽井沢」。家庭人だった頃にも何度か来ている勝手知ったる宿だ。

 

食事のレベルが高いので、夕飯は館内で済ませた。初日は和食、翌日はイタリアンである。

 





 

イタリアンではシャンパンを持ち込み、パスタやピザばかり注文するという“タンスイカブラーの宴”に徹したので、バンバンドシドシ食べた割にはかなり安くあがった。子連れ旅行の醍醐味である。

 

旅行中もウチのダウンちゃんは私につきまとい、トイレの中にまで乱入する始末だった。ふだん一緒に暮らしていないから、たまの旅行の時ぐらい好きなようにさせた。

 

食事の際は常に隣に陣取り、寝る時も私の横をキープし、タバコを吸いにテラスに行くにも付いてくる。もはや子犬状態と割り切って過ごした。

 

正直、辟易とする瞬間もあるが、少なくとも求められているわけである。幸せだと思わないといけないのだろう。

 

そうはいっても私も結構な歳である。疲れる。旅行を終えて帰宅した晩は10時間も寝ちゃったほどバテバテだった。

 


 

ここ数年、思春期だった娘とはかなり濃い時間を過ごした。とりあえずマトモに育ってくれたので、以前ほどの心配は無くなってきた。その分、これからは息子ともたくさん接してやろうと思っている。

 

離婚したことで子供達に対しては負い目みたいな気持ちがある。そんな感覚が逆に私を発奮させる活力源にもなっているから、それはそれでアリなんだと思う。

 

濃密な時間を過ごした3日間が終わって、息子と元嫁は豊島区、娘は文京区、私は中央区のそれぞれの住まいに戻った。他人様が見たら非効率の極みみたいなものだ。

 

とはいえ、新型コロナは今や家庭内感染が一番多いらしい。バラバラに居場所があることは、ある意味、ニューノーマルとやらを考える上では時代の最先端なのかもしれない。ちょっと屁理屈みたいである。

2020年8月21日金曜日

懐古趣味

今日も更新はお休みしますが、8年前に書いた昔を振り返る話を再掲してみます。

 

2030年前はあーだった、こーだったという内容だが、8年も経ってしまったので、3040年近く前のことを振り返っている格好だ。

 

いま、コロナで世の中の暮らしやいろんな仕組みが随分と変わってきた。きっと数年後には「以前はこんなことができた、あんなこともやれた」みたいな話で盛り上がるのかも知れない。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2012/11/230.html

 

懐古趣味は加齢の証だが、今みたいなヘンテコな世の中になってしまうと、若い人だって“古き良き時代”を懐かしむようになりそうだ。

 

 

2020年8月19日水曜日

お休み

 今日の更新はお休みです。一つだけアーカイブを載せます。読み返してみたらちょっと面白かったです。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/11/blog-post_10.html






2020年8月17日月曜日

宅配サマサマ

宅配サービスによって私のシングルライフは支えられている。ネットスーパーさまさま、ウーバーイーツさまさま、Amazonさまさまである。

 

独り者だからエンゲル係数はもとより、生活上のコスト感覚がユルユルなのは問題である。

 

先日もAmazonで各種のタレを取り寄せた。肉を焼くときに絡めるだけで結構マトモな食べ物が出来ちゃうから私の必需品だ。

 


 

この歳になると一番避けたいのは「わびしい」「うら寂しい」「みすぼらしい」といった状況だ。

 

スーパーのレジ袋を大量に抱えてスーツ姿でエッチラオッチラ歩く姿は自意識過剰な私にとってはシャバダバである。

 

そんな状況に陥らないためにも宅配頼みの生活はやめられない。つくづく中高年になったのが今の時代で良かったと思う。

 

最近、宅配クリーニングを本格的に利用し始めた。以前住んでいたマンションはフロント機能があったからクリーニングはそこに持参すれば済んだが、今の住まいにはそれがない。

 

とはいえ、自宅から徒歩15秒の距離にクリーニング屋さんがあったので、とくに不便も無くそこを使っていた。

 

が、しかし。が、しかしである。そのクリーニング屋のオバチャンが感じの悪い人でホトホト困っていた。

 

何か言ったら掴みかからんばかりの勢いで応えてくる。その店はいつ行ってもそのオバチャンしかいない。

 

ある時、支払いの際に1円玉が一枚だけ足らずにお札を出すはめになった。小銭で支払いたかった私は思わずチェッっと舌打ち。すると、オバチャンのスイッチはたちまちONである。

 

「何なんですか!」と攻撃的な大きな声で私に向かってきた。気の弱い子羊のようなおとなし過ぎる私である。思わず事情を丁寧に解説して、なぜか詫びるような口調になってしまった。惨敗?である。

 

それ以外にも毎度毎度突っかかるような物言いが気になっていたのだが、私はお人好しである。単なる思い違いだったらいかんと思い我慢していた。

 

でもある時、週に一回クリーニング屋に行くことが私にとって大いなるストレスであることに気付いてしまった。1年近くも我慢していた。気付くのが遅すぎである。

 

で、ネット専業のクリーニング屋をいろいろ調べて一番便利そうな業者さんを使い始めた。ラクチンである。

 


 

引き取りに来てもらう際に面倒な記入作業などは一切無し。専用の箱に放り込んで渡すだけ。翌日ぐらいに先方から預かった品物の明細と料金合計がアプリ上に通知される。支払いは登録済みのクレジットカードで済む。

 

おまけに回収に来てくれるのも受け取るのも細かく時間指定が出来る。早朝指定も出来るし、夜の23時~24時という時間帯指定も可能だ。

 

料金は少し高い。ついでに言うと注文が一定金額以上にならないと通常は無料の送料がドッカリかかってくる仕組みだ。

 

まあ、そのあたりはこちらがキチンと暗算すれば済む話なので「恐怖のオバチャン」にビビることに比べれば何も問題はない。

 

宅配クリーニングを使い始めたおかげで私の寿命は3年ぐらい延びたような気がする。

 

話は変わる。近頃のネットスーパーの充実ぶりは実に有難い。私が登録しているのはAmazonフレッシュの他、楽天西友、イトーヨーカドー、ライフの各ネットスーパーだ。

 

使い勝手はAmazonフレッシュが一番だが、他のネットスーパーでしか扱っていない商品があったりするから都合に応じて使い分けている。

 

ウーバーイーツの進化?にも助けられている。最近のお気に入りは「銀座アスター」から持ってきてもらえる五目焼きそばである。

 


 

ちょっと高いのだが、餡と麺が別々に梱包されてくる。ここがキモだ。本格的な焼きそばが自宅で手軽に味わえる。

 

ウーバーイーツでは、レストランからの配達だけでなく、ローソンからコンビニのいろんな商品が届くのも便利だ。

 

わが家の目の前にはセブンイレブンがある。マンションの敷地を出れば徒歩5秒である。

 

しかし、マスクをつけて靴を履いて部屋の鍵をかけて、エレベーターに乗って出かけることを考えると、ついつい横着してウーバーでローソン宅配に頼る。

 

ダメ人間みたいだ。

 

ローソンが持ってくるのは食べ物が中心とはいえ、乾電池や電球、コンドー○までラインナップされている。便利な時代になったものである。

 

最近は、あの「成城石井」までウーバーイーツに加わった。ネットスーパーだけで充分便利なのに、まさに「どんだけ~~!」って感じである。

 

ウーバーでは、ワインショップや酒屋さんのような店も選べるから、かなり本格的というか、専門的なアルコールまで短い待ち時間で持ってきてもらえる。

 

横着ではあるが、わびしい暮らしぶりにならないために、ここ数年、宅配事情を躍起になって研究してきた。だいぶ詳しくなった気がする。

 

ほぼ完璧である。「ほぼ」と言うには理由がある。

 

タバコだけはどこも持ってきてくれない。コンビニやスーパーの店舗では販売していても宅配からは除外されている。

 

酒なら持って来るのにタバコはダメという理屈が意味不明である。ウーバーイーツに参加しているローソン様、何とか配達メニューにタバコを加えてもらえないだろうか。


それが実現すれば、いつでも籠城して戦える。。。

2020年8月14日金曜日

ミイラ 羽黒山 祈る気持ち

先日、山形・庄内を旅してきたことで「47都道府県全制覇」を達成した。旅が好きだと広言する以上、全都道府県制覇は以前から狙っていたのだが、ようやく実現できた。一人勝手に感動している。

 

山形に行く前に、本当に残ったのは山形だけだろうかと改めて日本地図を眺めた。東京人にとってあまり馴染みがなさそうな(ゴメンナサイ・・・)滋賀県や和歌山県、他にも富山県や福井県、秋田県あたりが盲点かと思って確認してみた。

 

滋賀は信楽焼の里にどっぷり出かけたし、和歌山は那智の滝を見に行った。富山は出張で訪ねたし、福井はカニ旅行に出かけた。秋田は角館を観光した。全部大丈夫である。

 

まあ、訪ねたといってもかすった程度の県もあるが、とりあえずはすべて足を踏み入れたわけだから個人的にはちょっと達成感がある。

 

その昔、「せまいニッポン、そんなに急いでどこに行く」という交通安全だかの標語があったが、全部廻のに半世紀以上かかったのだから日本はちっとも狭くはない。

 

さて、私にとっての“大トリ”になった山形の旅。庄内エリアだけだったが、なかなか魅力的な場所だった。

 



 

基本的には「幕末最強」と称された庄内藩の史跡めぐりと藤沢周平記念館が目的だったのだが、結果的に「祈りの旅」になった。

 

日本を代表する霊山・羽黒三山があるせいもあって、由緒ある寺社仏閣がたくさんある。いわゆるミイラである即身仏が祀られている数も日本で一番多いとか。

 

怖いもの見たさで鶴岡市内にある南岳寺に即身仏を参拝に出かけたが、説明役のご婦人と二人きりで即身仏を前に過ごした時間は何とも言えない緊張感に包まれた。

 

https://japanmystery.com/yamagata/nangakuji.html

 

ガラスケース越しだが目の前にミイラ仏が鎮座している。説明を聞きながら徐々にそのお姿が神々しく見えてくるから不思議だ。始めて見た瞬間のビビった気持ちはすぐに畏怖の念に変わった。

 

時代とともに宗教心は変わるものだろうが、文明が開化していない超アナログ時代は信仰への思いが現代人には想像がつかないレベルだったのだろう。

 



 

羽黒山周辺の散策でも似たような感想を持った。国宝の五重塔は1600年代に造られたらしい。険しい山の中である。ダンプも重機も無いなかで、その後、数百年も崩れない塔を建てちゃう人間の能力は凄まじい。

 

羽黒山山頂に社を築き上げるのだって、尋常じゃない苦労をともなう作業だったはずだ。今の時代に例えるなら、それこそ違う惑星に建物を築くぐらいのスケールだと思う。

 

樹齢1千年とかの杉がごろごろしているような山の中で、いにしえの日本人の信仰心にただただ圧倒された。

 

神社仏閣めぐりの中でホッコリできたのが、羽黒山の麓にある玉川寺だ。風雅な庭で有名らしい。実際にとても美しい場所だった。

 




 

京都あたりの雅な雰囲気とは違う凜とした気配が漂う庭園を眺めながら一服させてもらった。たまたま私以外に参拝客がいなかったので、贅沢な時間が過ごせた。

 

二泊したうちの一泊は鶴岡市街からほど近い湯野浜温泉に泊まった。一人旅でも部屋食が可能ということで「一久」という宿を選んだ。一人で部屋食だと割高にはなるが感染対策としては意味のある判断だろう。

 

カジュアルな旅館だが、時節柄混雑しておらず、海辺の大浴場もガラガラで快適に過ごす。

 


 

夕飯の際は「雪若丸」、朝食には「つや姫」と地元のウマい米を使い分けているあたりがニクい。わが家で毎日食べている山形米ではあるが、本場だと思うと妙に感慨深かった。

 

食べたもので印象的だったのは羽黒山の中腹の食堂で食べた「麦切り」。そうめんとうどんの中間ぐらいの麺でツルツルした食感が良かった。暑い時期にぴったりの逸品だと思う。

 


 

鶴岡市内の観光物産市場みたいな場所で食べた豚の蒲焼きも抜群だった。東京でちょくちょく訪ねる「平田牧場」のレストランだ。

 


平田牧場の本拠地は山形だ。東京には無いメニューを探して選んだのが、豚の蒲焼き重である。端的に私好みだった。バンザイ。

 

最近は、酒の銘柄にとくにこだわらなくなった。開けたてなら何でも良しというノリでテキトーに飲んでいるのだが、今回、温泉宿で頼んだちょっと高かった酒はかなりウマかった。

 


 

それなりに有名な「初孫」の“秘蔵”という冠がついた一本。スッキリかつ深みがあっていくらでもクイクイ飲めちゃう美味しさだった。旅の解放感のせいもあるのだろうが、近年飲んだ中ではトップクラスだと感じた。

 

なんだかまとまりが無くなってしまった。今後もナンチャラ警察に叩かれない程度に正しく気をつけながら気ままな旅をしてみたいものだ。

2020年8月12日水曜日

ちょっと気取ってみた

 「お仕事ですか?」

 「いえ、ふらっと遊びに来ました」

 地方都市にありがちな寂しげな駅前通りを散策しながら目に付いた寿司屋の暖簾をくぐった。

 少し前に山形・庄内空港に降り立ち、ホテルに荷物を置いてふらふらと鶴岡駅周辺を歩いてみた。

 夕飯時である。若者がわいわい騒ぐ居酒屋は気分ではないし、カップルがしっぽり過ごすレストランも違う。

 中年男が居心地よく過ごせそうな店を探しながら目についたのがこの店だ。

 少しだけ敷居が高そうな構えの寿司屋「I」。平日、薄暮の時間である。うっすらと響く蝉の声に押されるように店に吸い込まれた。他に客はいない。

 カウンターを挟んで年配の親方がひとりで佇んでいた。年季の入った店のしつらえが落ち着く。

 ビールを注文し、地元の刺身をいくつかもらう。

 

説明を追加

 「東京からです。体調は問題ありません」

 いつの間にかそんな仁義をきらないと済まなくなった世の中である。一見客の礼儀みたいな挨拶である。

 「何かと面倒でしょう。身内が東京にいるのでよく分かりますよ」

 今時の東京からの訪問者が歓迎されないことは覚悟していたが、おおらかに接してもらえたことに安堵する。

 当たり障りないよもやま話のついでに、ここ数ヶ月、藤沢周平作品を読みあさったせいで、この地を訪ねたことを話す。

 心なしか親方の表情や態度が開いたように見えた。

 藤沢周平は郷土の誇りだろう。たとえ私がにわかファンだとしても旅の目的がそこにあると知れば邪険に扱われることもないはずだ。そんなこすっからい思惑も少しはあった。

 いや、そんな思惑よりも鷹揚に構える親方を相手に素直にそんな旅の目的を話したくなったのかもしれない。

 肩に力が入り過ぎている職人相手では、こちらも壁を作りたくなるが、この親方の表情や物腰はあくまで穏やか。私の口数も多くなってしまう。

 若い頃は東京の四ッ谷の寿司屋で長く修行したそうだ。昭和の頃の界隈の話にも花が咲く。

 だだ茶豆、ゲソの煮物を肴に地酒を味わいながら藤沢周平作品に関する地元ならではの逸話も聞かせてもらう。

 

説明を追加

 話の流れで私の苗字についての話題になった。私の苗字は東京では多いほうではない。実際に親戚以外で同じ苗字の人と知り合ったことはない。

 遡れば東北にルーツがあるとは聞いていたが正確には分からない。東北に親戚もいない今となっては曖昧な話でしかないのだが、奇しくもここの親方の母方の曾祖父の苗字が私と同じだという。もちろん漢字も同じ。

 奇遇である。辿り辿ればどこかで繋がっている可能性は充分にあるわけだ。

 始めて訪ねた土地、おまけに通りすがりに入った店でそんな不思議な共通項にぶつかったことは驚きだ。

 あてのない旅である。御先祖様に関わりがあるかも知れない場所に身を置きたくなって、親方の生まれ育った場所を詳しく教えてもらう。明日、羽黒山に向かうついでに回ってみよう。

 さんざん飲み食いした帰り際、早くも冬の庄内の景色を見てみたくなった私は社交辞令ではなく、雪景色の頃の再訪を約束した。

 肝心のお勘定が驚くほど安かった。親戚値段みたいなレベルである。一見の客に対して何とも粋な計らいだ。

 粋には粋で返さないと私も格好がつかない。かといって、キリが良い数字の勘定にどうやって粋を乗せるかはなかなか難しい。

 ひょっとしたら年配の親戚筋かもしれない。失礼と野暮は禁物だ。何とか自分なりに落としどころを見つけて店を後にした。

 ホテルへの帰り道。綺麗な月を眺めながら歩く。静寂に包まれた街にコオロギの音色が響く。しばらくぼんやりと佇む。時が止まった気がした。

 ひょっとしたら御先祖様もこのあたりから満月を眺めたのかもしれない。心地よい郷愁に浸りながら夜風を吸い込んでみた。ほのかに草の香りがした。


こんな気分を味わえるから旅はやめられない。



2020年8月7日金曜日

ノンオイルそうめん ウニ醤油

暑くなると恋しくなるのがそうめんだ。このブログでも私のそうめん愛を何度も語ってきたが、最近はヘンテコな執着心は薄らいできた。

超絶的に細く物凄く高価な逸品を取り寄せたり(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/08/blog-post_7.html)、スペシャルごまダレを開発するような(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2015/04/blog-post_24.html)こだわりは無くなってきた。

物事に淡泊になっちゃうのは加齢の証だが、実際に歳を取ってきたのだから仕方がない。

そうめんは意外にカロリーが高い。製造行程で油をしっかり使うせいである。「痩せたいからそうめん」という考えは間違いである。

あんなにアッサリとした食べ物のくせに“油モノ”だという事実が残念だから、最近私が好んで食べているのがノンオイルそうめんである。


 稲庭うどんの業者さんが作っている稲庭そうめんがノンオイルだと知って食べてみたのがきっかけだ。

一般的ではないものはマズい。それが世の中の真理だから、ノンオイルという馴染みのない製法だとマズいのではと心配したが、全然問題ナシ。普通に美味しい。

ぶっちゃけて言ってしまえば、そうめんの味の差なんてタカが知れている。そんな言い方をするとマニアの人に怒られそうだが、マズくて捨てちゃうようなそうめんには遭遇したことがない。

もちろん、風味、コシなど、アッチよりコッチのほうが上だと感じる逸品があるのは事実だが、茹で時間や冷水での閉め方などをキチンと正しく守ればたいていは普通に美味しい。

 最近になってノンオイルそうめんの代表的な存在は葛入りの商品だと知って取り寄せてみた。三輪山勝製麺の一筋縄というシリーズだ。

 

 乾麺ではなく半生タイプの商品だったのだが、これが大正解。乾麺よりコシの強さを感じる。食べ慣れているそうめんとはひと味違う。今後はこればかり食べる気がする。

 話は変わる。ヘルシー志向に舵を切ったつもりはないのだが、最近はウチで米を炊く際に麦を混ぜるようになった。食感が気にいってクセになってしまった。

 

 便利な小分けパックが売っていたので、コメ1合あたり50グラムの割合で混ぜている。何よりプチプチ食感にハマった。風味も良いし、おかずを選ばずに楽しめる。カレーに合わせてもウマかった。

 TKG、すなわち卵かけご飯にももちろん合う。醤油に加えて私のお気に入りのウニ醤油をチョロっと混ぜて食べれば極楽である。手の込んだ逸品を食べているかのような錯覚を味わえる。

 

 このウニ醤油はやや味が強めなので、何かのプラスアルファに投入すると威力を発揮する。

 ウニクリームみたいなレトルトパスタソースなどに追加するようなパターンだ。たいていの薄ボンヤリした味が一気に締まる。淡い味の白身の焼き魚にちょこっと塗れば一気に高級な風味に変わる。

 ウニ醤油、もち麦ともにその魅力を引き出す大元はやはりウマいコメである。このところの私の定番が山形の「雪若丸」だ。

つや姫から派生した比較的新しい銘柄だが、粒だったこわ飯が好きな人には強力にオススメする。

 

 最近はもっぱら無洗米専門だ。普通の精米と何度も食べ比べをしたが、コメのとぎかたがヘタだったのか、私には無洗米のほうが美味しく感じた。

 普通の精米より鮮度が落ちやすいという説があるので、フレッシュさを保つために真空の2合キューブをいくつも常備している。

 わが家の炊飯器の場合、コメ2合に対して水は1617合あたりの目盛りに合わせれば充分。

 この10年ぐらい、いろんなコメを取り寄せて試してきたが、ダントツでこれがウマいと思う。

 今日はそうめんを語るつもりが、まとまりのない家メシ雑談になってしまった。


2020年8月5日水曜日

マイ流儀あれこれ

誰もがさまざまなこだわりに縛られて暮らしている。仕事や家庭生活のすべてが自分なりの流儀というか、ちっぽけなこだわりに影響されている。

 

私もそんなルーティンのおかげで日々のリズムが保たれている気がする。別に大袈裟な話ではなく、ちっぽけなこだわりは数多い。

 

たとえば靴下の履きかただ。私は決まって左から履く。たいした意味はない。靴を履く時も左から、靴をしまう時にシューキーパーを入れるのも必ず左からだ。

 

きっかけは大学生の頃、潜水趣味に没頭し始めた際に足ヒレを左から装着すると事故に遭わないと信じていた当時の我がダイバー師匠の習慣だ。

 

信じたわけではないが、何だかそんなこだわりがカッチョよく思えてマネをした。不思議なもので、それがクセになると一種のオマジナイ効果もあって、必ず左足から装着しないと落ち着かなくなる。

 

靴下や靴も同じ。左足から履き始めることが習慣になって以来、事件事故にも遭わず過ごせているから、ついルーティンとして欠かせなくなった。

 


 

この時期、寿司好きがヨダレをたらすシンコの握りだ。私も大好きだが、決してツマミでは食べないのがマイ流儀だ。

 

仕込みに手がかかるシンコは、酒をダラダラ飲む際のツマミにしちゃうのはマナー違反だと勝手に思っている。味わうことに集中しがちな握りを食べる際に注文するのが正しい。

 

とはいえ、そんな職人さんへの敬意も時と場合で一瞬にして崩れる。職人さんから「ツマミでどうですか」などと優しく言われると「ぜひぜひ」などと応じてしまう。反省。

 


 

先日も「すし処築地」でいとも簡単にマイ流儀を破ってシンコをツマミに飲んでしまった。これはこれでウマい。ホワッとした食感こそシンコの醍醐味だ。寿司業界における羽二重餅である。

 

寿司に関して言えば、タマゴはシャリ付きで食べるのもマイ流儀だ、近頃はタマゴだけをツマミやシメに口にする人が多いが、私は握りで食べるほうが好きだ。シャリと組み合わせたほうが単純に幸福を感じる。

 


 

食べ物のこだわりは数え上げればキリがない。ハンバーグなど肉料理に添えられたニンジンやクレソンは必ず残す。カップ焼きそばのお湯は1分半で捨てる、濃縮3倍のそばつゆの薄めかたは2倍で充分などさまざまである。

 

最近は、プロントにタバコ休憩に行ったら必ずスイカジュースを頼むとか、ラーメン屋では必ずチャーシューメンを頼む等々、どうでもいいマイ流儀は増え続けている。

 

ちなみに私のスイカジュース推進運動?に触発された友人が自身のラーメンブログで、ラーメンそっちのけでスイカジュースを考察していた。

 

私に対する誤ったイメージは問題だが、なかなか深い洞察なので、ヒマで死にそうな人は読んでいただきたい。

 

http://blog.livedoor.jp/kin_nosuke/archives/1077641183.html

 

生活面でのこだわりといえば、スーツの胸ポケットに必ずポケットチーフを入れる、寝る前に寝室を「冷房強、設定温度19度」でキンキンに冷やす、朝は38度設定のぬるめの風呂に浸かる等々、いろいろある。

 


 

朝の入浴ルーティンではマイ流儀の歯磨きによって知覚過敏が直るという嬉しい効果もあった。

 

毎朝、ぬるま湯に浸かりながら歯を磨く、歯磨き粉はシュミテクトである。その後、さっさと口をゆすがずにシャンプーや洗顔に励む。

 

すなわち、シュミテクトが長く口中に残っているわけだ。浸透するはずである。洗顔、シャンプーを洗い流した後で、ようやく口をすすぐ。

 

これを何年も徹底していたら知覚過敏が直ってしまった。きっと効果的なシュミテクト活用法なんだと思う。

 

他にも眠る際は左を下側、すなわち心臓を下側にした横向きから始まって、そろそろ落ちそうになったら逆側を下向きにした横向きに切り替えるのが毎日のパターンだ。なぜかその流れにすることで眠りに落ちる。

 

ここ数ヶ月、寝る前に時代小説を読むことがルーティン化している。それに慣れてしまうとサボれなくなる。

 

短編を23つ読むことが多い。いずれ読みたい本が無くなってしまうぐらいになれば大したものだが、そこまで続ける前に別なヘンテコなルーティンを見つけてしまう気がする。


2020年8月3日月曜日

保守的な酢豚、ウマいチャーハン


少し前にウマいチャーハンを探し求めてさまよっている話を書いた。その後も“中華飲み”の際にはシメにチャーハンを食べようと考えているのだが、なかなかたどり着けない。



冷菜の蒸し鶏をパクつき、餃子でビールをグビグビ楽しみ、卵料理などを味わえば満腹になってしまう。さっさとチャーハンを注文すればいいのに、ダラダラと酒が飲みたい時はそうもいかない。

それにしてもウマい中華料理屋の卵料理にはムホムホさせられる。高級中華ではなく、いわゆる町中華のウマい店の卵料理にとくに惹かれる。



火を入れすぎない卵の悩ましげな食感に油っぽさが加わるわけだから官能的な味わいだ。エビと卵の組み合わせが一番好きだ。

トマトと卵の炒めも好きだが、ヘタな店だと水っぽいだけだったり、卵に火が通り過ぎていてマズい。エビたまのほうが無難なことが多い。
  
ここ23年、食べられる量が加速度的に減ってきた。加齢である。なのにデブは維持している。代謝と間食が問題なんだろう。

量とともに加齢を実感するのが「野菜を食べちゃうこと」である。一昔前まではチンジャオロースのピーマンをせっせと除けて単なる「細切り肉とタケノコの炒め」として食べていた。


酢豚だって豚肉以外は残していたから、その残骸はまるで赤ちゃんの食後の皿みたいになっていた。

今は違う。チンジャオロースだって普通に食べるし、酢豚の野菜を割と普通に食べる。ニンジンはイヤだが、タマネギは好んで食べる。



高級中華でよく見かける黒酢の酢豚は、野菜がいっさい入っておらず、豚肉だけを食べるパターンが多い。

10年前には大好物だったが、今ではタマネギが無いことが淋しくて普通の酢豚のほうが好きだ。ヤキがまわったのだろう。

こちらは高級路線の店で食べた一風変わった酢豚だ。トンカツ的な見た目である。揚げ豚に酢豚ソースがかかっている。野菜は付け合わせとして置かれている。



トンカツが大好きな私が狂喜乱舞しそうな仕上がりである。でも頭の中が酢豚モードになっている時は、やはり普通の酢豚のほうが嬉しい。

肉丸出しのこんな一品より野菜が主役みたいに混ざり込んでいる酢豚に軍配を上げちゃうわけだから、まさに加齢である。

さて、本題だったはずのチャーハンに話題を戻す。

先日、ようやく納得の“町中華チャーハン”に出会った。銀座一丁目と宝町の間ぐらいにある「菊凰」という店だ。

小さい店だが、何となくキチンとした感じの店構えで、出てくる料理も全体的にキチンと丁寧な印象だった。



五目チャーハンは1000円である。町中華という範疇では高い部類だろう。でも相場価格(700円~800円ぐらい?)でマズいチャーハンを食べるなら、こっちのほうが遙かに満足できる。

高級中華お得意のパラパラ感とは違うが、ベチョっとしているわけではない。味も強すぎず、具材の旨味が感じられて「ニッポンの正しきチャーハン」という印象だった。

職場からも家からも近いので、チャーハン気分になったらアチコチ冒険しないで、ここでおとなしく食べていれば間違いないのかもしれない。

上に載せた古典的な酢豚の画像もこの店のものだ。席数に限りがあるし、カウンター席も無いから飲むというよりしっかり食べる雰囲気の店だ。

ボリュームもあったし、チャーハン一本勝負で訪ねるのもアリだと思う。酒を抜きたい日にまた行こうと思う。