2024年7月12日金曜日

相変わらずのウナギ


コンビニ飯や菓子パンを食べなくなって2週間がたった。別に健康になった自覚はない。そんなにすぐに影響が出るはずもないが気持ちは別だ。「きっと身体が喜んでいる」と思い込んでご機嫌である。

 

そのせいか、ウナギを食べる機会が今まで以上に増えている。大谷翔平の月間ホームラン数を基準に毎月ウナギを食べる回数をカウントし始めている。6月は夕飯に10回もウナギを食べたのに翔平さんは12本もホームランを打ったから完敗である。

 

さて、先月だったか、関西風の蒸さないいわゆる直焼きの鰻重の人気店に出かけた話を書いた。結局私は関東風しか認めない偏狭な人間であることを痛感したが、自宅近くにやたらと評判の良い鰻屋さんがあることを知り、これまた関西風の直焼きウナギ専門店なのに懲りずに出かけてみた。

 

小伝馬町近くにある「躻」と書いて「うつけ」と読ませるカフェみたいな店だ。風情や渋さはまるで無い。この時点で古典的人間である私の気持ちは沈む。そしてオーダーはQRコードを読み取ってやれとの話を聞いて一層沈む。

 




まずはうざくや肝焼きで一献やりながらひと息。初めて行った鰻屋さんでは最上の鰻重を頼んでみるのが私の中のオキテだが、こちらの最上位はその名も「マウンテン」なる怪しげなネーミングの一品。出てきてビックリ、なかなかコメまでたどり着けないほどウナギが山盛りだった。

 

テンコ盛りにウナギが乗っかっていると不思議なもので有難みを感じない。実に贅沢な話である。せっせと上の方に乗ったウナギを大口あけて食べ進める。はやくコメにたどり着きたい一心で味わっているヒマもないほどがっつく。


 



で、ちょっと落ち着いて肝心の鰻重の味を私なりに吟味したのだが、かなり美味しい。カフェっぽい内装、QRコードでの注文と続いてイライラしていたのに美味しく感じたわけだからかなりのものだろう。

 

先月食べた関西風直焼きウナギは日比谷の「うな富士」という大人気店のものだったが、個人的にはこちらの店のほうが断然しっくりきた。「うな富士」で気になった“焦げ感”が気にならずウナギそのものの旨さが伝わってくる。

 

もちろん、蒸す行程をいれた関東風の方が好きなのは変わらないが、直焼きでもこの店の鰻重なら素直に喜んで食べたくなるレベルだった。QRコード方式じゃなかったら再訪すると思う。

 

別な日、市ヶ谷の愛人宅を訪ねた後に寄ってみたのが「阿づ満や」。愛人宅に足を運ぶたびに気になっていた店だが、この日が初訪問だ。

 

ちなみに「愛人宅」というくだりは単なる私の見栄だ。そんな書き方をしてみたくなっただけです。ごめんなさい。

 

さてこちらのお店は創業から200年以上の歴史を持つ老舗だそうだ。変に敷居が高い感じではなく初訪問でも居心地の良い空間だった。高齢の元気なお女将さんがチャキチャキ取り仕切っていて常連のオジイサンがいい感じに酔っていた。

 




こういう雰囲気の店は素直に好きだ。妙に落ち着く。ビールから冷酒に移行して相変わらずうざくや肝の煮たやつを肴にこっちもホロ酔いモード。

 

気づけばお女将さんと常連のオジイサンとのやり取りに割って入ってしばし歓談。オジイサンからはナゼだか「智恵子抄」の完全版だという箱入りの本をもらうし、お女将さんからは小粋なポストカードをもらう。何だか妙に楽しい時間だった。

 



肝心の鰻重もさすが東京の老舗である。ふんわりととろけそうな仕上がりで文句なし。近所にあったら頻繁に通いたくると思う。ウナギ以外のツマミ類もそこそこあったし、本格鰻重をシメに出来る小料理屋さん的に使わせてもらうのもアリだと感じた。

 

話は変わる。

 

少し前に牛丼の吉野家の鰻重が数年前の悪印象を覆す味に進化していたことを書いた。たまたまだったのかと思ってその後も何度か食べたがやはりそれなりに美味しい。

 

というわけで吉野家のライバルである「すき家」「松屋」もきっと昔よりはマトモな鰻重を提供しているのだろうと実際に食べてみた。

 

すき家は酔ったついでに店舗に入って食べた。タレが甘すぎた印象はあったがウナギ自体はやはり数年前の「牛丼系ウナギ」より数段マトモになっていた。

 



 松屋もしかり。ウーバーで頼んだのだが、ちゃんと美味しい。どこも高値傾向が当たり前になった鰻専門店もヘタな仕事をしていたら牛丼チェーンに客を取られるのは間違いないと思う。

 

ウナギ2枚載せにしたところで2千円台だ。牛丼に比べれば富豪価格だが、中途半端な鰻専門店で高い値段を取られるならこちらで充分かもしれない。

 

何年か前に牛丼屋の鰻丼のマズさを実感した際に、子どもたちがみんなウナギ嫌いになってしまう危険を感じた。そうなったら将来的に鰻文化が廃れてしまう。真面目にそんな心配をしたのだが「牛丼系ウナギ」が奮闘してくれれば結果的に鰻文化の未来も明るいはずだ。

 

なんだか上から目線みたいな書きぶりになってしまった。世界遺産である日本料理の中でも特筆すべき存在が鰻重だと思っている私としては、専門店のウナギだけではなく、すべての鰻食の水準を高く維持して欲しいと切に願っている。

 

 

 

 

 

2024年7月10日水曜日

膵臓問題とケチャップ

 

今年も半分が終わった。びっくりだ。私個人の上半期は膝の負傷、長引いた結膜炎、通算3度目のコロナ感染と体調面にいろいろ問題があった。下半期は何もない事を祈っているのだが、7月に入って早々にまたもや気になることが起きた。

 

半年ぶりに膵臓を超音波内視鏡でチェックしてもらったのだが、懸案のデキモノがちょっと成長してしまったようで要注意状態になってしまった。

 

一昨年から監視しているデキモノだが、昨年は大きさに変化がなく生検でも悪性ではなかったので様子見をしていた。ところが今回調べたら1,5倍になっていたとか。サイズ的には3ミリだったものが4,5ミリだからたいしたことはなさそうだが、ドクターによると67ミリになったら「ちょっとヤバい」とのこと。

 

そのぐらいのサイズになったら開腹手術をしたほうがいいと言われてさすがの私も少しビビり気味である。腹腔鏡とやらでチャチャっとやって欲しいと言ってみたのだが、膵頭部にあるデキモノだと場所の関係上、開腹手術になるらしい。そうなったら2週間は入院だとか。オイオイ!って感じである。

 

この日は内視鏡検査のために朝から何も食べずに過ごしていた。検査は14時半からだったので空腹バリバリだった。検査後のドカ食いのことしか考えていなかったのに怖い話を聞かされたせいで食欲が一気に無くなった。

 

検査は日本橋高島屋に近いクリニックだったので、検査後は高島屋の中の資生堂パーラーでオムライスとグラタンをガッツリ食べる予定にしていた。ところがションボリモードになった私はクリニックを出た後、どこをどう歩いたのかも覚えていないほど呆然としていた。

 

というのはウソです。検査でちょっとバテたのでまずはゆっくりタバコを吸おうと高島屋の近くにある喫茶店に向かう。時々タバコ休憩に利用している老舗の喫茶店「げるぼあ」だ。

 

実はこの店、“喫茶店オムライス業界”では名の知れた人気店である。私はタバコ休憩でしか使ったことがないので食べたことはないが、ランチ時はかなり賑わうらしい。

 

中途半端な午後の時間だ。お客さんもまばら。一服してたらアッという間に空腹の絶頂にいることを思い出した。ついでにこの店のオムライスが人気だということも思い出した。俄然食べる気満々モードに突入した。

 

注文したのは当然のごとくオムライスだ。ついでにナポリタンも頼んでしまった。いまさっきまでウツウツしていた還暦間近のオジサンにしてはヤンチャな行動だと思う。

 



昔ながらの正統派オムライスがやってきた。いまどきのふわとろオムライスも捨てがたいが「喫茶メシ」だからこんな感じの仕上がりが何だか嬉しい。素直にウマい。奇をてらわない普通な感じが妙に落ち着く。チキンライスの味もしっかりめでバランスが良かった。

 

開腹手術ってこんな感じで腹をかっさばかれてケチャップみたいに血がドバドバ出るのかなあ、などと我が身に置き換えてイヤな想像も頭をよぎる。でも空腹が勝ってそんな恐怖はすぐに引っ込んでガツガツと食べ進んだ。

 



昔ながらのオムライスにホッコリするとともに「つけ合わせスパゲッティ」に久しぶりに出会ってムホムホした気分になった。実は私はこれが大好物である。たいていは味がない。具もない。味気ない。そして冷たい。でも何だか私の心を捉えて離さない。

 



きっと単品でこれだけが出てきたらちっとも嬉しくないのだろうが、洋食メニューの横にチョコンと鎮座していると途端に愛おしくなる。箸休め的に少しずつ食べる。

 

味がないから漬物みたいに主張してくるわけでもなく、メインの食べものに戻った際にまた味覚を甦らせて主役を引き立ててくれる名脇役だと思う。脇役というよりエキストラ程度の立ち位置かもしれない。

 

続いてナポリタンが鉄板の上でジュージューいいながら登場。これまた昔ながらの王道の風格が漂っている。日本人が生んだ奇跡の一品と表現しても大げさではない。いつかイタリア・ナポリに専門店を作ってみたいものだ。

 



 モチっとした麺に酸味の効いたアノ味が口の中に広がる。「これだよこれ」と一人つぶやく。最近、自宅で何度もナポリタンを自作したのだが、アルデンテ気味に仕上げてしまいどうもシックリこなかった。やはりナポリタンはパスタ料理とは一線を画した日本料理である。

 

朝から何も食べていない午後3時半過ぎの食事である。2品しっかり食べてちょうどよいぐらいだった。実に幸福な気分になって膵臓問題をしばし忘れた。「食」という文字は「人」を「良」くするで構成されている意味を痛感した。

 

さてさて、膵臓問題は年末に改めて超音波内視鏡でデキモノのサイズを測って成長度合いによって検討することになった。どのみちいつかは大きくなっちゃうのだろう。いわばしばらくは執行猶予状態である。

 

考えようによっては早い段階から敵を見つけてしっかり監視できているわけだから運が良いとも言える。物事は前向きに解釈しないとしょうがないからそう思い込むことにした。

 

 

 

 

 

2024年7月8日月曜日

フェチの時代

 

10年以上前にフェチ論を真面目に考察した話を書いた。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/06/blog-post_28.html

 

世の中、いろんな「フェチ」で賑わっているが、フェチとは本来「性的対象の歪曲」のことを意味する。すなわちオッパイフェチなどは正しくない。もともとが性的対象だからそれはフェチではない。ただのスケベだ。

 

靴やストッキングみたいな元々「性的」ではないものに偏執的に固執するのが正しいフェチである。だから身体の部位でもおそらく耳や鼻の穴、まゆげ、膝や肘、鎖骨あたりならフェチは成立するのだろう。

 

私のように尻や太ももに妙に魅せられてしまうのは厳密に言えばフェチではない。でも尻はともかく太ももは元々が性的対象なのだろうか?

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2019/02/blog-post_13.html

 

 


 太ももは大雑把に言えば単なる脚の一部だ。胸や局部!にまったく視線を向けず太ももだけにこだわるレベルになれば一種のフェチかもしれない。

 

女性の足の指に萌えると熱弁を振るっていた知人がいたが、そこまでいくと立派なフェチだ。女性陣がサンダル履きになる夏場になるとウキウキするそうだ。私からすれば意味不明である。でも「意味不明」というキーワードが正しいフェチのカギかもしれない。

 


 

だいぶ前の話になるが、SNS界隈で「暇な女子大生」という名の実在の女子の投稿が話題を集めた。この女子大生、とにかく相手の男の学歴だけに萌える性癖だ。顔や態度や行為のウマいヘタも関係なく“高偏差値”という背景に性的興奮を覚えるのが特徴。

 

本人の就職を機にアカウントは無くなってしまったが、私もマメに覗いていた。フェチの奥深さ、複雑さ、面白さを思い知らされた。

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/05/blog-post_17.html

 

考えてみれば、相手の背景と性的倒錯の関係は古今東西切っても切れない関係にある。「息子の嫁」「義母」「上司の嫁」みたいな関係性はもちろん、「先生と生徒」「社長と秘書」、はたまた「万引き女子を見つけた店長」などなど例を上げればきりがない

 

禁断の関係という背景だけでなく、相手の職業的な要素もフェチに繋がりがちなポイントだ。以前、知り合いの女性が警察官と付き合いがあったそうで制服プレーに萌えまくったそうだ。それも立派なコスプレだろう。

 

白衣の天使に代表される「制服モノ」は昭和の男の子たちが必死に眺めたエロ本の定番だった。制服や職業という背景も本来は当然に性的対象ではないわけだからそのあたりに興奮するのは正統派フェチといえよう。

 

性的興奮をもたらす要素は視界から入る刺激が大きいのだろうが、それ以外に見落とせないのが「頭の中で描くフシダラな状況」である。いわば「脳内エロシンキング」である。この部分は人それぞれ違う。多くの人が他人には言えないような、それこそ墓場にまで持っていくほどエゲツナイ妄想を繰り広げている。

 

「思想信条の自由」は憲法でも保証されているから、私ももちろん様々なスペクタルな妄想に励んでいる。一部を除き脳内限定である。ヘタに実践すると犯罪者になってしまうから気をつけないといけない。

 

妄想の話に加えて個人的に得意?なのが「過去の話」に萌えることである。昔のブログでも書いたが、私はこれを「過去フェチ」と名付けている。目の前にいる女性が過去に体験したセクシーな行為や遭遇してしまったスケベな事件を聞くと俄然ムホムホしてしまう。

 

このヘンテコな性癖のせいで、私は女性から過去の体験談を聞き出す独自のノウハウ?まで身につけてしまった。まさに“好きこそものの上手なれ”を体現している。

 

「脳内エロシンキング」の他にも聴覚が萌え萌えの起爆剤になることにも触れないわけにはいかない。このブログで過去に何度か考察した「ベッド敬語」や「ベッド方言」の世界である。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/05/blog-post_30.html

 

これも男の不思議な生態を象徴するような話だと思う。というか東京出身の中高年に限定した特殊フェチの世界かもしれない。

 

はたして今日は何が書きたかったのか分からなくなってきた。

 

というわけで結論。太ももをあらわにした服装で敬語と方言を乱発しながら過去の秘密体験を語ってくれる美しくセクシーな女性がいたら私はそれだけで恋に落ちると思う。

 

相変わらずバカですいません…。

 

 

 

 

 

 

 

2024年7月5日金曜日

歯と膝


アンチエイジングは嫌いだなどとスカしたことを言い続けてきたが、いろいろとガタがきているのでそれなりに管理することは大事だと感じ始めている。

 

コンビニ飯やら菓子パンを平気で連日食べ続けていたが、さすがに本能的にブレーキをかけたくなってきた。いまさら感もあるが、一応心を入れかえてコンビニではタバコしか買わないように決意して続行している。まだ一週間だが…。

 

そう考え始めると単純な私は新たにグルテンフリーの麺をネットで大量に注文したり、クエン酸を飲み始めたり、にわか健康オタクみたいな状態になっている。いつまで続くか怪しい。

 

ところで健康面で大事なのが「歯」だ。先日、毎月の定期チェックに行った際に私の歯と歯茎の状態はとりあえず合格点だと言われた。年齢的に見て上等だとも言われた。やはり毎月キチンと点検と清掃を続けた成果である。

 


 

昔はもっと歯並びは良かった。やはり歯茎の劣化や過去に何度も虫歯などをずさんに放置した影響もあって少しづつ崩れてきた。いまさら矯正してもしょうがないので普通に管理だけはしておこうと思う。

 

実は5年前に職場が移転してから3年ぐらいは「歯医者難民」になっていた。それまで10年ほどお世話になった歯医者さんが遠くなったので、職場の近くで新たに探したのだが合わないところばかりで、結構な期間、定期検診もサボる事態になっていた。

 

ある歯医者さんは行くたびに衛生士さんどころか歯科医まで担当が変わる。これって定期的に通う気が起きない。論外だからヤメた。次に行ったところは超アナログな歯科医院で今にも倒れそうなオジイチャン先生が一人で頑張っていた。さすがに不安になってヤメた。

 

その後に何度か通ったところは昭和風のコワモテ系?で「ちょっと我慢して!」を連発する。何をされるのもいちいち痛い。いまどきそんなに我慢させる歯医者さんは珍しい。すぐに見切った。

 

次に通い始めたところは全体に親切丁寧で悪くなかったのでちょこちょこ通っていたのだが、とにかく営業攻勢が凄くて難儀した。オーナー歯科医だけでなく衛生士さんにもその姿勢が徹底していた。


掃除に行くたび昔に治療済みの歯まで全く問題ないのにやり直したがる。明朗に料金を説明してくるのだが、逆にいつでもカネの話ばかりしてくる感じ。ここもキリの良いところでヤメた。

 

いま通い続けている歯医者さんは昨年初めに行き始めた。昔の被せ物が外れたことをきっかけに恐る恐る訪ねたのだが、親切丁寧で営業攻勢もしてこない実に平和な歯医者さんだ。

 

毎月掃除してくれる衛生士さんもずっと同じ人。オーナーが別にいるらしく院長さんも皆さん全員が雇われの立場だとか。そのあたりが営業攻勢が激しくない理由なんだろう。毎回帰り際に試供品のシュミテクトをくれるのも嬉しい。知覚過敏に確実に効果があるシュミテクトは昔から私の必需品だ。この1年半自腹で買わずに済んでいるのは有難い。




昨年始めぐらいまでは、わりと歯茎がハレやすかったのだが、その原因を高血圧の薬かもしれないと指摘してくれたのもこの歯医者さんだ。半信半疑で血圧の薬の種類を変えたらそれ以来ハレなくなった。

 

働いているのが全員女性というのも私にはちょうど良い。歯医者さんでは必要以上にビビっているブリっ子を演じて必死に優しくしてもらおうとするのが私の習性だ。コワモテオヤジ先生が相手だとさすがにやりにくい。

 

歯が落ち着いている一方、今の私の悩みは膝裏の痛みだ。今年の初めに自転車で大転倒した際におかしくなった。直ぐに病院に行って調べたが骨には異常なしで靭帯を痛めたのだろうとの診断だった。普通に歩くぶんには問題はないのだが、しゃがんだり正座をするような足を内側に折り曲げる形になると途端に膝裏が痛む。

 

転んだ直後に行った整形外科医とちょっと険悪になったからそれ以来医者には行かず湿布に頼っていた。ちっとも良くならずネットであれこれ調べていたのだが、出てくるのは「注射一発で痛みが消えます」みたいな怪しげな広告ばかり。

 

その注射が3千円ぐらいなら騙されても構わないが、多くが1020万という世界である。なんだかバカバカしい。整体方面も悪くなさそうだからいくつか調べたのだが決めきれずにウニュウニュ言いながら暮らしていた。

 

そんな時、膝裏の痛みに効くストレッチをネットで見かけた。世の中には結構いろんな種類のストレッチが紹介されているものだと感心した。

 

効き目があれば儲けものとばかりにいくつかの簡単なストレッチを実践してみた。とくに難しいポーズでもなくテレビを見ながらでも気軽にできるレベルだ。それを3日ばかり続けたら不思議なことに痛みがちょっと改善した。


キツネにつままれた感じとはこのことである。気のせいかと思っていろいろ動いてみたがやはり改善している。ストレッチを始める前は歩くには問題なくても早足や小走りになると痛みを感じていた。

 

小走りが出来ないと歩行者信号を横断するのも困るから真剣に困っていたのだが、ストレッチを始めて以来、数カ月ぶりに小走りも可能になった。これは大きい。このペースで完全に治ってくれることを夢見ているのだが、そんなに単純な話なのだろうか。

 

小走りもまだフルパワーではない。軽めの小走りが出来るようになっただけだ。へべれけに酔っ払ったオヤジに追いかけられても逃げられるかどうかビミョーな程度の速度だ。

 

私を恨んでいる女性がいつどこで刃物を持って追いかけてくるか分からないから早くちゃんと回復させないと危ない。頑張ろうと思う。





 

 


2024年7月3日水曜日

見栄心 ビビリ心

現役独身男!である私だから時には妙齢の女性を連れ立って食事に行く。オジサマだし下心も一応あるから吉野家とかサイゼリアには行けない。ロイホぐらいで満足して欲しいのだが、私の見栄もあってそこそこ値の張る渋い系の店に行くことが多い。

 

見栄心ってこういう時に厄介である。鰻を食いたいなどと要求されても今どきのカジュアルな安い店に行けばいいのにわざわざ老舗の高級店に行ってしまう。私自身も食べるならウマいほうがいいから仕方がない。

 




思えば鰻屋さんにはずいぶんと女性連れで出かけてきた。情緒のある渋い鰻屋さんにふらっと立ち寄って一人で晩酌したほうが精神衛生上は良いのだが、私の中の現役魂?のせいでついついデート気分で行ってしまう。

 

考えてみれば若い人からすれば鰻のタレも焼鳥のタレも同じようなものだ。値の張る鰻より焼鳥を選べばコスパは格段に良くなるのに残念なことである。

 

鰻の他には寿司屋か蕎麦屋も多い。おやじメシ?ばかりである。この理由もビミョーに見栄心が影響している。

 



鰻や寿司、蕎麦といえば江戸っ子の人気メニューである。「西のほうの食べ物はさ~」などとイチャモンついでにウンチクを語りながら江戸の食の変遷などを得意になって語るためにそうした店を選んでしまうのかもしれない。

 

お寿司屋さんの場合は必然的にカウンターに横並びで座る。とかく女子にはミニスカートで来てもらいがち?な私としては横目でチラチラ脚線美を眺めることも楽しみの一つである。

 

「ナマのトリ貝は今しか出会えない貴重なネタなんだよ。ナマだよナマ」とか語りながら目線は隣のナマの脚、頭の中では別のナマを妄想している。バカそのものである。

 



向かい合わせのテーブル席ではせっかくの脚を拝めない。そんな不純な動機で選ばれるお寿司屋さんも気の毒である。でも男の行動原理なんて案外そんな些細な理由で変わってくるものだ。

 

フレンチやイタリアンにはほぼ行かない。高級店の値段設定にビビっているのか、へたな野菜料理が出てくることにビビっているのか、そんなビミョーな心理が影響している。情けない話だ。

 

考えてみればフランスやイタリアには何度も足を運んで現地であれこれ食べてきている。そのあたりのウンチクでも披露してスマしていればいいのにナゼか選ばない。きっと高級西洋料理屋さんの高尚ぶった雰囲気自体が苦手なのだろう。

 

だいたい私は人前では太っ腹な態度をしがちだ。だからそんな様子を察知したソムリエに高価なワインを勧められたり、奇天烈な料理名の内容を女子から尋ねられても答えられないことにビビっているのが実際のところだと思う。

 

見栄心とビビリ心。私の場合、女性を前にすると必ずこの2つがごちゃごちゃになる。あれこれと雑学的ウンチクを披露して感心させたいという見栄と、逆に不得意なことや姿を見られたくないというビビった気持ちだ。

 

男子なら誰もが共感する話だと思う。男ってやっぱりバカだから得意なことでマウントをとりたい心理はいくつになっても消えないのだろう。一方で恥をかくことだけは何があっても避けたいという小心者の部分も隠せない。実に野暮なことである。

 

いま思えば若かりし頃は年上の女性と付き合うことが嫌いではなかった。自分の若さを武器にして、あえて知っていることでも知らない顔をして相手の話に感心して褒めまくったりした。面倒な時はたいていそうしていた。単なるぶりっ子である。

 

今の私は中途半端に「教えたがり」「語りたがり」になってしまい、昔とは逆にメンドーな話ばかりする野暮な男になってしまった。女性陣も昔の私と同じでメンドーだからぶりっ子反応をしているだけかもしれない。

 

まあいいか。私自身が楽しければそれで良しとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年7月1日月曜日

父親という存在


ひょんなことから娘との同居を始めて2年が過ぎた。それまで10年ぐらい一人で気ままに暮らしていた私としては慣れるのに結構時間がかかった。今では何とか自然体で過ごしているが、娘のほうはいい気なもので始めから実にお気楽に過ごしている。

 

やはり男より女のほうが図々しいのだろうか。娘はこの春大学を卒業したのだが、大学院に進んだせいでいまだに学生である。学生イコール子供だ。まだまだ私の父親としてのモロモロは終わる気配がない。

 

子供はいつまでも親の前では子供だ。同居していると必然的に依存されまくる。家政婦さんが毎週来てくれるせいで家事はほぼやらない。最低限必要なものは父親がマメにネットスーパーで買う。娘からすれば極楽だろう。

 

大学に入って一人暮らしをしていた時は何かと家事にも励んだらしいが、今ではそんな能力も退化したようだ。私としては同居することが逆に娘をスポイルする結果になっていることが心配だ。

 

離婚して十数年が経つ。家庭は離脱したが父親という立場については我ながら結構頑張ってきたと思う。さすがに60歳近くになってきたからそろそろ終わらせて欲しいのだが、きっと死ぬまでこのポジションは変わらないのだろう。

 

いい父親だったかと問われれば答えは「ノー」である。離婚を選んだ時点でそんな評価の対象外になったのは間違いない。それでも「離婚したけど」という条件付きであれば私は結構いい父親をやってきたと思う。

 

世の中には離婚したあとに子供と接点がなくなってしまう父親は多い。離婚とはあくまで夫と妻が切れることである。子供との関係を断つ意味ではない。私自身、離婚した当時は娘に必死に親子は親子だといい続けてマメに一緒に過ごした。

 

それでも幼かった娘からすれば「自分を置いて出ていった人」という印象は避けられなかったようだ。最近になって娘から聞かされたのだが、離婚後しばらく経ってからは「親戚のおじさんみたいな感覚」で私を認識していたそうだ。それが現実なんだろう。

 

まだ小さかった娘を毎朝バス停まで送っていった話をこのブログで書いたことがある。もう15年も前に書いた話だ。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/02/blog-post_17.html

 

毎朝7時にほんの10分の散歩である。でも今の私にやれと言われてもおそらく無理だろう。読み返してみて自分がビギナーパパとして奮闘していた当時を懐かしく思い出す。

 

そんな距離感で毎日を過ごしていたわけだから、その後、家を出ていってしまったことは娘にとって大事件だったはずだ。親戚のおじさん“に格下げされても仕方ない。

 

とはいえ、一緒に住み続けていても娘の成長とともにきっと距離感は変わったはずだ。おそらく会話も減っていっただろう。それでも娘が幼い時代に徹底して全神経を娘に向けて過ごした事実は厳然たる事実である。自分なりに「父親を頑張った」感は一応はある。私の人生における大きなトピックである。

 

娘がいっぱしの歳になった今もとりあえず父親として依存されている現実を考えたら、満点ではなくても合格点をもらえる程度には父親を頑張ってきたと思いたいところだ。

 

これも15年以上前に書いたものだが、一応は自分らしい父親像も持っていたつもりだ。向田邦子の名作「父の詫び状」に出てくるような父親像とは程遠かったものの私なりに一生懸命向き合っていた。

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/12/blog-post_16.html

 

娘と6歳違いのダウン症の長男は母親と同居していることもあって私とは娘ほど濃い時間を過ごしていない。ちょっと気の毒だが、幸か不幸かヤツは知能的にまだ小学生ぐらいのレベルだから高校3年になった今も会うたびに幼な子のように私を慕ってくれる。

 

ピトっと私にくっついて満足そうにしている姿は子どもたちが3歳や5歳ぐらいだった昔を思い起こさせてくれる。さすがに今は自分で何でもできるのだが、私と一緒に風呂に入った後は小さい子供のように私に身体を拭かせるしドライヤーも私にやらせる。

 

「自分でやれボケ」とか言いながら、甘えてくる息子が可愛いからついつい幼稚園児を相手にするかのように親バカ丸出しで何でも手伝ってしまう。でも無垢そのものの息子の笑顔を見るとそんな瞬間も案外悪くないと思う。

 

幼い子供という生き物は、思惑も駆け引きもあざとさのカケラもなく100%の信頼と依存心で親に向き合ってくる。生まれてから5年ぐらいはそんな感じだろう。過ぎてしまえばそんなふうに接してくれた時間は一瞬だったと痛感する。いわば親冥利?に尽きる時間なんてほんのわずかだということ。

 

そう考えると時々ウチに遊びに来てとことん私に甘える息子の姿は、一瞬で終わってしまった幼な子の親だったという貴重な時間を甦らせてくれる。自分の人生において他の何事にも変えられない貴重な時間を忘れないでいられる効果がある。実に意義深い時間だと感じる。

 

子育て前半のバタバタ、てんやわんやの数年は単純に大変だ。でも過ぎてしまえば一瞬だ。おまけにそんな数年が後になってみれば実に愛おしい時間だったと感じるはずだ。

 

いま子育て真っ最中の人やこれから子供を授かる人には理解しにくい話かもしれないが、世の中のオッサンオバハンたちの多くがきっとこの話にはうなずくと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年6月28日金曜日

スマホで遊ぶ


進化する世の中のデジタル化に取り残されることが恐い。ひと昔ふた昔前までは、iPodが登場すればちゃんと使ってみたりiPadが発売されたと聞けばキチンと買って試したりしたが、ここ10年ぐらいは新たなモノにまるで興味がない。

 

最低限の知識でもネットで買い物をしたりスマホでタクシーを呼んだり無難に今の時代を生きているが、ちょっとずつ怪しくなってきた。


飛行機に乗る際はWebチェックインとやらが気味が悪くて今でも紙にプリントしたバーコードを後生大事に空港に持参する。こういうアナログ行動を続けているときっといつかは色んな場面で不都合を感じるのだろう。

 

自分の母親を見ていてもネットリテラシーが皆無だから歯がゆくて仕方がない。大谷翔平の試合中継を観たくても予定を調べられない。衛星放送のサブチャンネルへの切り替えも心もとない。昔教えたネットスーパーでの買い物も使わないうちに仕組みが進化しちゃったからチンプンカンプンである。

 

老後の自分に置き換えて想像すると切ない。現役世代が普通にこなすことが出来なくてツラい思いをするのかと思うと長生き自体が恐ろしいことにも思える。

 

最近、やたらとキレたり怒鳴りだすジジイが増えたが、一説によるといろいろと自分では分からない場面が多くなってイライラした結果そうなるらしい。


デジタル的な受付機能や決済機能、はたまた居酒屋に行ってもタブレットやらQRコードで注文しろと言われてそれが出来ない恥ずかしさやうしろめたさが起爆剤になるみたいだ。

 

わが師匠?であるアノみうらじゅん先生はキレる年寄りのそういう心理を“うしろメタファー”と呼んでいた。実に的確である。

 

さて、私のスマホの話をする。シャープ・アクオスの上級機種だ。きっと9割がたの機能は使っていない。でもナゼだかそんなものを愛用している。過去何回にもわたる機種変更の際にdocomoショップで「これの後継機種にしてくれ」と漫然と言い続けてきた結果である。

 

なんだか知らないが今のヤツは20万以上もした気がする。バカみたいだ。騙されているみたいな感覚である。それを2年か3年で変えちゃうわけだから踊らされているだけだ。

 

先月一人で旅行した際にヒマにまかせてスマホのカメラの設定をあれこれイジっていたら面白い機能を見つけた。消しゴムマジックなる機能だ。アプリではなく最初からセットされている機能で、画像に写りこんだ邪魔な人などを自然な感じで消してくれる仕組みだ。

 




路面電車の横にいた人々を消してみたらこんな感じになった。昭和の人間である私としては何の苦労もなくこんなことが出来てちょっと興奮した。その昔、フィルム時代に良く撮れた水中写真の余計なところに意図せず邪魔な魚が写り込んで泣く泣くボツにしていたことを考えたら時代の進化にただただ感心した。

 

パリのマドレーヌ寺院やエッフェル塔でも試してみた。すべてを消すのではなく一部を消すのも簡単だからなかなか面白い

 






で、調子にのっていろいろ遊んでみた。リスボン郊外のビーチの写真である。賑わう景色の中にいたTバック水着のオネエサンだけを残して他を消してみたら何だか笑える画像になった。

 




こういう機能があれば作為的に画像をイジって印象操作することも簡単だ。下は大学野球を観に行った時の観客席の様子だ。ガラガラの雰囲気を出すために結構な数の観客を消してみた。こんなことがスマホをちょこっと触るだけで出来るわけだから世の中に出回る画像が本物かどうかアテにならないことを痛感する。

 


 


こういう画像比較を載せるのに2つの画像を並列にセットで掲示するやり方が分からないような無知な私でも出来ちゃうわけだ。凄い時代になったものだと思う。

 

ついでに東京駅の画像も載せてみる。昼と夜それぞれで歩行者が普通にいる状態と消した状態である。まあ、こんなことが出来たところで何も得するわけではないが単純に楽しい。既に使いこなしている人にはどうでもいい話だろうが、知らなかった人なら試してみると結構楽しいはずだ。

 






結局、こういう機能が使えるようになったのもヒマついでにスマホをイジりまくったことがきっかけだ。つくづく何にでも手を出して試してみるマメさが大事だと感じた。

 

きっと脳にも程よい刺激があるはずだからこんな遊びでも老化対策として無駄ではないだろう。“うしろメタファー”のせいでキレやすい老人にならないように頑張って好奇心は持ち続けようと思う。





2024年6月26日水曜日

過去モノ

 更新が追いつかなかったので今日は過去モノを2つ載せてみます。


ゆず・スダチ問題

富豪記者ブログ: ゆず・スダチ問題 (fugoh-kisya.blogspot.com)



ホテルの時間

富豪記者ブログ: ホテルの時間 (fugoh-kisya.blogspot.com)









2024年6月24日月曜日

やんちゃな食べ物

 

ジャンクフードの「ジャンク」はゴミとかガラクタといった意味合いがある。ハンバーガーやホットドックなどはあんなにウマいのにガラクタ扱いするのは気の毒だと思う。

 

ファストフードの大半やラーメンやドンブリ飯など手軽にガッツリ食べられるものがジャンク扱いされがちだ。考えてみればウマいものばかりである。個人的にはああいう路線のものがこの世に存在しなかったら実に退屈だと感じる。

 

ジャンクフードの代わりに「やんちゃフード」とでも表現したほうが的確かもしれない。やんちゃの意味は「駄々をこねたりイタズラすること、素行が良くないこと」である。ガラクタ扱いよりはマシだ。

 

“イタズラっぽい”というニュアンスは何となくあの種の食べ物に似合っているし、健康的ではないという意味では“素行不良”である。

 



シュークリームの中だけ食べて外側は捨てちゃうのが私の悪いクセである。こういうのは「やんちゃフード」ではなく「やんちゃな食べ方」だから論外だ。真似しないでいただきたい。

 

話がそれた。この歳になって嬉々として食べる背脂ブリブリのラーメンやチャーシューてんこ盛りのラーメンなどは「やんちゃフード」の代表だろう。「男メシ」という言葉と同じニュアンスかもしれない。

 




パンの代わりに肉と肉で卵やトマト、チーズなどを挟んだワイルドアウトと名付けられた肉々バーガーを何度か食べたことがある。錦糸町の外れのハンバーガー屋さんだ。これこそ「やんちゃフード」の鏡だろう。ジャンクと呼んでは失礼かもしれない。ちゃんとした肉と野菜とチーズである。炭水化物がないからダイエットにも向いている。

 


 

チェーン店のウェンディーズでもパンの代わりに肉と肉で具を挟んだメニューがあったが、あちらは肉が怪しげで味もイマイチだった。やはり大手チェーンとは違う独立系バーガーショップのほうが「やんちゃ感」を味わうには適しているのだろう。

 

先日、無償に食べたくなって「ポッピングシャワー」をウーバーで配達してもらった。サーティーワンアイスクリームの伝統的メニューである。近頃は歳のせいかハーゲンダッツが重く感じちゃって昔ながらのアイスが食べたくなる。

 



ポッピングシャワーはクドくない味つけでパチパチと口の中で弾けるヤツも混ざっていて実に「やんちゃ」だと思う。デリバリーされたミニパックとやらはスプーンが3つ入っていたからきっと3人前の分量だと思う。

 

ウーバーだから何だかんだいって1800円ぐらい取られた。サーティワンを3つで1800円なんて馬鹿丸出しである。無駄に高かったが満足感は高かった。この行動自体が「やんちゃ買い」と言えそうだ。

 

「やんちゃフード」といえば回転すしで出てくる怪しいメニューも外せない。自宅に近い人形町にある回転寿司屋は珍しく赤酢を使ったシャリをウリにしていて結構あなどれない。時折吸い込まれるように入ってしまう。

 




回転寿司だからもちろんマトモなネタより変態的な一品が食べたくなる。ツナ手巻き、コーンマヨ、ツナ軍艦である。やんちゃな面々である。高級寿司店では味わえない貴重?なメニューである。これはこれで本気でウマいと思う。

 

コーンマヨを注文したらぶっ飛ばされそうな高級寿司店でもそれなりに脱線すれば“やんちゃ的”な食べ方は可能だ。例えば小鉢にシャリを少々、そこにイクラをどっさり盛ってもらうミニイクラ丼を注文するぐらいなら常識的な脱線だ。

 

ミニイクラ丼やミニウニ丼ぐらいは多少顔なじみぐらいの店ならイヤな顔されずに作ってくれるはずだ。普通の握りで食べる時とは印象が変わって楽しい気分になれると思う。

 



そんな邪道な注文がしにくいならば素直に巻き寿司にしてもらうのも悪くない。軍艦握りと素材は一緒なのに巻物にすることで味わいがだいぶ変わる。画像は「ウニ巻」。間違いなく美味しいのだが意外にこれを注文する人は少ない。こういうのも一種の「やんちゃフード」だろう。


お寿司屋さんにあるネタなら何を巻いてもらってもよいのだからウニ巻はもっと人気が出てもいい。納豆巻きなどという奇っ怪なものを食べるより遥かにマトモである。魚介類が寿司の基本だと考えれば梅しそ巻よりも王道な食べ方と言える。

 

私が自宅で作る食べ物はどうしたって「やんちゃ系」が中心になる。わざわざ自炊っぽいことをするのだから普通のものより多少はアレンジしたものを作りたい。

 




買えば一つ1000円ぐらいする高級コンビーフをふるさと納税で取り寄せているのだが、溜まってしまうと炒めご飯にして消化する。コンビーフチャーハンである。これが結構ウマい。顆粒のコンソメとウスターソースで味を微調整するだけでムホムホするレベルの味になる。

 

レトルトのパスタソースに贅沢に具材を加えるのも私の得意ワザだ。エンゲル係数やコスパをまるで無視するという意味で「やんちゃフード」に進化?する感じだ。

 

市販のレトルトミートソースに挽き肉を200グラム加えるだけでかなり贅沢なパスタが簡単に味わえる。ついでに冷凍庫に常備してある冷凍のみじん切り玉ねぎも加えるとより旨味が増す。何なら生マッシュルームをカットして追加すると豪勢な感じになる。ここでもウスターソースを隠し味にするのがオススメだ。

 

一食あたりのコストを計算して、その無駄遣いぶりに自己嫌悪を感じるぐらいだと立派な「やんちゃフード」の完成である。

 

 

 

 

 

 

2024年6月21日金曜日

老後の趣味を考える


15年ぐらい前にこのブログで「老後の趣味」について書いたことがある。まだ私が40代前半の頃だからテキトーに書き殴っている感じだ。いまほどの切実感?はない。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2010/01/blog-post_22.html

 

 私も来年には還暦だ。真面目に老後のことを考えるべきなのだが必要な準備は何も出来ていない。行きあたりばったり生きている感じがする。

 

いろいろ考えなければならないが、難しいことは別にして気になるのはやはり「老後の趣味」である。上に貼った記事では水中写真や葉巻といった今ではほぼリタイアした趣味に触れていた。15年も経つと趣味も変わる。

 

水中写真撮影にはそれこそ半生をかけたと言えるぐらい熱中した。ハタチから30年ぐらい続けた。わが人生最大の趣味だったが、もう5年近く潜りに行っていない。事実上の引退である。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/05/blog-post_17.html


https://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/01/blog-post_18.html


やはり若い頃と同じようにはいかないという現実が大きい。今だって今の状態なりに潜って撮影することはもちろん可能だ。でも昔に比べると着実に劣化しているから調子に乗って昔のノリで行動したら危ない。

 

場所が場所だけに何か起きたら死んじゃう。水中でトラブルが起きた際も若い頃ならギリギリで対処できるちょっとした余裕があった。30年以上の潜水歴では危ない場面にも遭遇したが、結局は「ちょっとした余裕」が身を助けていた気がする。

 

今の私がハードなコンディションの海に潜ったらそういう「ちょっとした余裕」を持てないはずだ。身体も鍛えていないし昔のように頻繁に海に行っていない。頭の中だけベテランダイバーのつもりで身体がついていかないのは実に危なっかしい。

 

いまだに主要な潜水機材や撮影機材は処分できずにいる。未練たらたらだがリタイアすれば少なくとも海で死ぬことはない。渋々ながら引退確定である。

 

葉巻についても一時期は毎日2〜3本をくゆらせるぐらいハマっていたが、日本人は体質的に葉巻に起因する咽頭がんや舌がんのリスクが非常に高いらしい。おまけに実際にそんな亡くなり方をした知人もいたので今はほとんど手を出していない。

 

まさに諸行無常である。

 

バンド活動も始めてから10年以上が経ったが、当初の目標は還暦まで続けることだった。気づけばもうすぐそこである。還暦以降も続けていければ幸せだが、あれはさすがに一人では出来ない。趣味とは何となく一人で黙々と励むイメージがあるからちょっと種類が違う。

 

一人で励めることに絞ると以前から私が候補にしてきたのが「全国お城めぐり」である。これはある程度現実的であり極めていけたら面白そうだ。日本中の城を巡り終わってしまっても2周目に挑めばより深く学べる気がする。

 

まったく新しいことに挑戦する探究心も必要だが、いまさら一から囲碁や将棋を学ぶ気にはならないし、絵や陶芸みたいな芸術方面は根本的なセンスが欠落しているから無理だと感じる。

 

写真に関しては有力候補だと思って生きてきた(https://fugoh-kisya.blogspot.com/2021/09/blog-post_29.html)が、ここ10年ぐらいでずいぶん気持ちが変わった。デジタルの進歩のせいである。

 

フィルムの時代に水中という環境で一生懸命に撮影のアレコレを身につけた私としては、写真に関しては「一瞬の勝負」みたいな部分に魅力を感じていた。


デジタル時代になってやたらと便利になったが、いま思えばフィルムだと撮影枚数が最大36枚しかなかったり、現像焼付までしないと出来栄えが分からなかったハラハラ感が楽しかったような気がする。

 

ついでにいえば、今の時代はスマホのカメラ機能が異様に進化したせいでわざわざカメラを手に出かける気にならないのも事実だ。

 

いま、老後の趣味の最有力候補に浮上してきたのが学生野球観戦である。この4月にウン十年ぶりに東京六大学野球を観に行ったことで突如ハマった。なんてったって座って観ていれば済むわけだからオジイチャン向きである。

 



東京六大学の他にも全日本大学選手権も観戦したのだが、一人で来ている高齢男性が結構目についた。老後趣味候補にピッタリである。プロ野球は混んでるし料金も高いが、学生野球は気楽に楽しめる。何よりも若者の懸命なプレーが良い。ちんたらプレーするプロの姿よりも清々しい。

 

全日本大学選手権を観に行って初めて知ったのだが、東京六大学野球の他に全国には20以上もの大学リーグがあるんだとか。のんびり電車旅のついでに地方の大学リーグ戦を観戦に行くのも面白いかもしれない。

 

今年は高校生の甲子園予選も観に行こうと思う。熱中症で倒れちゃったらマズいが、麦わら帽子でも新調して一人缶ビール片手に若者の熱いプレーに刺激をもらってみようと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年6月19日水曜日

眠れないせいで


ここ半年ぐらいなんとなく眠れない状態が続いている。眠れないと言うのは正しくない。いったん寝てしまえば平和にイビキをガーガーかきながら熟睡するのだが、寝付きがまったくダメなのが問題だ。

 

疲れていようが、そこそこ酒を飲んでいようが、さあ寝ようとすると途端に目が覚めてくる感じがする。寝る前にスマホやテレビを見るのは光が脳に刺激を与えるから良くないことは知っている。

 

だから眠くなりそうな小説などを読んでみるのだが、それはそれで必死に物語の世界を頭に浮かび上がらせようとするから結局は覚醒してしまう。困ったものである。

 

中年になって以降、睡眠導入剤や安定剤もいろいろ試してきた。今のお気に入りはレンドルミンのジェネリック「プロチゾラム」の舐めて溶かすやつである。私とは相性が良いみたいで良い感じに効いてくるとスッと眠りに落としてくれる。

 



導眠剤の中には翌朝に妙に残ってしまってスッキリしないものもあるが、私の場合、この薬だと朝になって残っている感じがしない。毎日でも飲みたいのだが、やはりこの種の薬は常用すると効き目がなくなるみたいだから一応、もったいぶった使い方をしている。それでも一週間の半分はお世話になっている。

 

薬に頼っているせいか、最近は物忘れがかなりヒドい。副作用の可能性は大いにあるのでもう少し飲まずに頑張ろうといろいろと創意工夫に励んでいる。

 



最近買った安眠用のスピーカーである。普通のブルートゥーススピーカーとして使えるだけでなく、自然界の様々な音を流すモードがある。焚き火の音、波の音。小川のせせらぎ、虫の声、雨の音などである。

 

いろいろ試してみたのだが、結果はビミョーだ。小川のせせらぎは何だかベッドが水で濡れてくるような気持ちになってダメ、虫の声は枕元にホントに虫がうごめいているような気持ちになってダメ、焚き火の音は純粋に怖くてダメ、波の音は溺れるような気分になってダメ。寝落ちするどころか目が冴えてしまう。

 

唯一効き目があったのが雨の音だ。これは妙に気持ちが静まって睡眠導入効果を感じることが出来た。こればかりは人によって違うのだろうが私は雨音派みたいだ。

 



とはいえ、こういう機械を買ったのは2度目で最初に買ったやつの雨音モードは全然ダメだった。その理由は雨音に混ざって途中で雷の音がゴロゴロ響くのが耳障りだったから。案外私はデリケートな人なのかもしれない。

 

問題は最初に買ったスピーカーより2度目に買ったスピーカーのほうが音量調整がしにくい点だ。聴こえるか聴こえないか微妙なボリュームにしたいのに最低音量がやや大きめなのが難点。

 

おまけに音量調整ツマミがアナログなレバーなので指先で一生懸命微調整しようとするとそれに気を取られてイライラし始めてガッツリ覚醒してしまう。つまり眠るどころではなくなる。本末転倒である。

 

ネットのリール動画で目にした「家の中に溜まる邪気」の話も気になっている。家の中に邪気が溜まると重い肩こりや頭痛などの他、眠れない状態に陥るのだという。

 

重い頭痛も肩こりもないし、別にウチの中の空気が淀んでいるとは思わないのだが、思えば今年前半は不調が多いのも確かだ。自転車ですっ転んで炒めた膝裏の調子はちっとも良くならず、最近では重い結膜炎に3週間も苦しめられ、ついでに先月末にはコロナにも感染した。「邪気」とか言われるとついついスピリチュアル系?も気になってしまう。

 

で、単純な私は以前から続けている「盛り塩」に加えて寝室の枕元に竹炭を置くようになった。ホントかどうか知らないが、炭には邪気を払う効果があると聞けばつい買いたくなる。

 



盛り塩も竹炭も例の睡眠スピーカーもみんなAmazonで買った。すべて注文した翌日には届く。なんとも便利な時代になったものだ。

 

考えてみれば、寝れない寝れないとか言いながらスマホでAmazonの画面を開き、あれを買おうかこれも買おうかなどと寝る前にやっているのが一番ダメなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

2024年6月17日月曜日

紫陽花と鰻

 


 アジサイの季節だ。なぜかウナギが食べたくなる季節でもある。本来は冬が旬の食べ物だが、いまは養殖が基本だから年柄年中が旬である。個人的には夏の訪れに恐怖を覚える季節になると防衛本能的にウナギを食べたくなる。

 

5月末にコロナになってしまい、復活した6月の前半は2週間で何とウナギを5回も食べてしまった。元気を回復させたい深層心理のせいだろう。5回はそれぞれ違う店で食べた。すべて夕飯である。初訪問の店が3軒。我ながら強欲?な気がする。

 

何年か前に日比谷にオープンして以来、やたらとネットを中心に評判になっていた店にも行ってみた。たまたま中途半端な時間だったので並ばずに入れた。店の名前は「うな富士」。元は名古屋の店だという。

 

今まで行ったことがなかった理由はただ一つ。蒸さないウナギだから。こちらの店ではウナギは蒸さずに直焼きで提供される。関西風である。地焼きとも呼ばれるが、そんなパターンの店が東京の都心で大人気になっているわけだ。

 

直焼きのウナギがマズいというつもりはない。あくまで地域性の問題であり味についても好みの世界である。しっかり蒸しの工程を入れた関東風が断然好きな私だが、過去に何度か直焼きのウナギもそれなりに美味しく感じたことはある。クセにはならないが。

 

で、うな富士である。広い店内を見回すと「ひつまぶし」を食べているお客さんが案外多かった。これまた関東人はさほど好まない食べ方である。私が注文したのは特上鰻重。その店の力量やレベルをみるには値が張っても上級ラインを頼むのが手っ取り早い。

 

回転が良い店なんだろう。割とすぐに鰻重登場。晩酌のアテにしようと思っていたうざくも一緒に出てきたのは残念。このあたりは老舗の渋い鰻屋さんの心配りとは違う。

 

 

特上はただウナギが多いだけだったようだ。テンコ盛りである。お重の蓋は横に立てかけられていた。こういう見た目は若者にはウケそうだ。私もちょっとワクワクした。

 

肝心のウナギは直焼き独特の食感。外側はパリっとしているわけではないがギュっと焼きしまった印象。身が厚いウナギだから中身のトロける感じはしっかり味わえた。

 



さすがに人気店だけあって私がこれまで食べた蒸さないウナギの中では美味しい鰻重だった。とはいえ、基本的に私は「蒸し派」だから満足したかといえば否である。

 

こちらの特徴は厚い身のウナギを強力な炭火で一気に焼き上げることらしい。そのせいかウナギの外側の焦げっぽい風味がどうにも鼻につく。「焦げ」の加減で味の印象は大きく変わっちゃうことを再認識した。

 

話は変わる。以前よく出かけた日本橋の常盤橋近くの「いづもや」。独自開発したウナギの魚醤を使った「いづも焼き」を肴に冷酒を飲むのが好きだったのだが、一人でふらっと入りにくいせいもあってかなりご無沙汰している。

 

その「いづもや」の“イートイン支店”の良い評判を聞いたので珍しく日本橋三越のデパ地下で夕飯を食べることにした。一人メシだったのでデパ地下のイートインだろうがお構いなしである。

 

この日は酒よりもメシの気分だったのでそういう気分の時はデパートのイートインは穴場かもしれない。実際、メニューに酒は小瓶のビールしかなかったし、ツマミになるような一品もごくわずかだった。当然ながら「いづも焼き」も無い。黙って鰻重をか食らうことを前提にしているみたいだ。

 



 

本店とデパ地下のイートインを比べちゃ悪いかと思ったが、出てきた鰻重はちゃんと美味しかった。これなら中途半端な専門店でもったいぶって出てくる鰻重を食べるのがバカみたいだ。充分満足した。気軽にサッサと鰻重だけを味わいたい人なら選択肢に入れるべきだと感じた。

 

続いては少しカジュアルな「登三松」という鰻屋さんだ。東銀座や新富町から近い位置にある。なんとなく敷居が高いような鰻屋が多い都心部にあってこちらは気軽な雰囲気。店内には橋幸夫や柳沢慎吾がこの店を雑誌で紹介した時の記事がベタベタ貼ってある。

 

この日は肝焼き、白焼き、鰻重を注文。肝焼きはやたらと肝が大量に刺さった串が出てきた。イヤな予感(笑)。今どきの鰻の肝焼きは店でさばいた鰻の肝ではなく輸入品の肝を使って間に合わせるのが珍しくない。

 


 

高級店だろうと夜の遅い時間に肝焼きが品切れになっていなければ、まずそっち系だろう。だからといって一概にマズいとも言い切れないのだが、中には怪しい味?に当たっちゃうこともある。この日食べた肝はちょっと残念系。半分残してしまった。

 


 

気を取り直して白焼きで燗酒を味わう。しかし、妙に小骨が多い。初めて入った店で小骨が多いと印象は悪くなる。たまたまかもしれないが、この日の白焼きは結構食べにくかった。

 



白焼きで気になり始めちゃうと肝心の鰻重の方でも意識がそっちに行ってしまう。やはりちょっと小骨が気になる。タレの味もコメの加減も悪くないのにもったいないことだと思う。

 

以前、食べログの評価が妙に高かった中央区某所の鰻屋さんを初訪問した際にもそんな経験をした。鰻の個体差、処理した職人の違い等々の理由でその時だけ運が悪かったのかもしれないが、そんな経験をすると再訪する気にはならない。

 

何度も通っているお気に入りの鰻屋さんならば、たまたま小骨が多い鰻に当たってもそれを機に行かなくなることはない。そんなものだろう。

 

なんだか長くなったので今日はこのへんで。