2024年10月21日月曜日

劣化の話

 

「昔は良かった」みたいな話をすると年寄りの懐古趣味みたいで嫌われる。私もなるべくそんな路線に陥らないようにしているが、そうは言っても長く生きているといろんな分野の劣化が気になる。

 

日本の家電用品といえばめったに故障しないことで知られていた。現にわが家で愛用しているズボンプレッサーは45年も壊れずに活躍している。まあ、構造が単純だからだろうが、それにしても立派なものだと思う。

 

今の時代、スマホやパソコン関係などでは不具合が起きることがある種の当然として認識されている。フリーズするだの再起動すればいいだの、正常に作動しないことも当たり前になっている。

 

昔の家電と比べるのはピントがズレているかもしれないが、昭和世代としては「不具合が普通」みたいな商品が平気で流通している今の世の中にちょっとイラつく。

 

と、これは前フリである。

 

劣化という意味で最近やたらと気になるのが「誤字脱字」である。テレビのテロップもそうだが、ネット上にあふれるニュース類のダメっぷりは「編集」を商売にしてきた立場からすると実にヒドい。びっくりするほど低レベルだ。下の画像はスマホで読んでいた記事の誤字をスクショして拡大したものだ。

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加熱と過熱、昨日と機能。単なる変換ミスだが、こんな初歩的な間違いが平然と世に出るのはシロウト仕事だろう。担当者は恥ずかしくないのだろうか。個人のブログだったら気にならないが、一応ニュース配信会社が管理しているメディアとしての発信記事である。

 

紙に印刷する媒体なら永遠に間違いが残ってしまうが、ネットならチョチョっと打ち直して修正可能だ。だから校正校閲に対する意識がまるで欠けているのだろう。

 

どんな分野だろうと、恥ずかしい失敗をすることで改善につながるが、ネット記事のシャバダバぶりを見ると間違えることを恥だと思っていないことがよく分かる。これってメディアにとっては自殺行為だ。

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変換ミスだけでなく純粋な間違いも目につく。書き手の能力なのかチェック機能が働いていないのか、そのいずれも当てはまるのだろう。

 

私が若い頃はまだ原稿を手書きで作成していたから印刷工場の担当者が打ち直す作業が必要だった。当然、人のすることだからミスも起きる。どんなに良い原稿が書けても誤字脱字が一箇所あればその記事は0点だ。書き手としてのチェックはもちろん、校正担当者も鬼のような目で間違いを探していた。

 

当時の紙媒体の世界では、他紙や他誌の「お詫び」欄をこぞってチェックするのがならわしだった。恥ずかしいミスをバカにすることで自分たちの戒めにしていた。だから昭和の新聞や雑誌に単純な誤字を見つけるケースは非常に稀だった。

 

一般的な紙媒体だけでなくエロ本だって同じだった。一般誌より誤字脱字を見つけることは多かったが、そっち業界でも名のある出版社が発行元のエロ本だと校正校閲がしっかりしていた。若い頃はそんな観点から贔屓のエロ本を決めていた。

 

誤字誤植を強烈に恥だと感じることは記者や編集者の最低限のプライドだろう。誤字のまま記事が世に出ることはちょっとした誤報と同じぐらいの恥だった。

 

編集という分野に限らず、どの分野の仕事にもミスを猛烈に恥ずかしく思う極めて日本的な「恥の文化」が浸透していた証だろう。ちょっと説教臭くなってしまうが、今の時代は「恥」の概念が変わってきてしまったのかもしれない。

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 とかなんとかエラそうなことを書いているが、このブログも誤字脱字はしょっちゅうである。商業媒体ではない個人の雑文日記だから仕方ないと自分を甘やかしている。反省しないといけない。でもこのブログに誤字があるといつ某友人が朝一番で教えてくれる。有難いことだ。

 

今では、その友人が誤字を見つけず私自身がアップ後しばらく経ってからミスを見つけると「ちゃんと校正してくれ」とわざわざ筋違いの文句をつけるほどだ。彼としてはいい迷惑だろうが、私としては彼を「富豪記者ブログ担当校正部長」だと勝手に認識しているので今後も頑張っていただきたい。

 

その友人もラーメン専用のブログを長年書き続けているのだが、ヤツのヨタ記事?にはいつも誤字が見当たらない。きっとネット上にアップする前に真剣に校正作業に励んでいるのだろう。私も見習わないといけない。

 

なんだかヘンテコな結論になってしまった。

 

 

 

 

 

2024年10月18日金曜日

歴史モノ


オジサンになると歴史が好きになる。そんな認識が世間では一般的だ。若い頃より歴史に興味が湧く人は多い。私もそんな一人である。

 

もっとも、私の場合は子供の頃からプチ歴史好きだった。小学生の頃に親にせがんで忠臣蔵を偲ぶために赤穂まで連れて行ってもらったり源義経物語を夢中になって読んだりしていた。

 

一応、歴史好きとしてのキャリアは長いのだが、プチで留まっていたから詳しい人と議論を白熱させるほどの知識はない。もっと真剣に学んでいればいっぱしの歴史オタクになれていたかと思うと残念だ。今からでも生涯学習講座に通ってみようかとちょっと本気で考えている。

 

ところで、中高年になると歴史が好きになるのはナゼだろう。おそらく自分の残り時間が少なくなっていることと関係している気がする。どんな凄い人やどんな偉業もすべては過去のことだ。とはいえ、現在にもその影響は残っているから継続性という意味で自分の人生も悠久の歴史の一部に過ぎないと感じることが理由だと思う。

 

自分で書いておいて何を言っているのかよく分からなくなってきた。平たく言えば今現在も歴史の流れの一部であって、どういう経緯で「今」につながってきたかを自分の人生とひっくるめて考察することが楽しくなってくるのだと思う。

 

自分の人生に意味を見出すみたいな大げさな話ではなく単に「つながっている」という事実を面白く感じているわけだ。だから大半の人が日本の歴史に興味を持つ。私自身もヨソの国の歴史にはちっとも興味がわかない。

 

自分の生まれ育った場所、いま住んでいる場所、旅先に選んだ場所それぞれの場所に関して歴史的なエピソードを見聞きすることに浪漫を感じる。旅先で城を必ず見たくなるのもその時代を想像することが面白いからだろう。

 



 暇つぶしに本屋さんに行くと条件反射のように歴史コーナーに足が向く。古代史とか平安朝とか極端に古い時代には興味がないのだが、それ以外は全部買いたくなってしまう。

 

一時期は戦国時代モノが好きだったが、その後、江戸時代の暮らしや風習みたいな分野に興味が湧くようになった。自分が凡人だから偉人の一代記より普通の人の日常がどんな様子だったのかを知るほうが楽しい。

 

幕末や明治維新に関しては江戸っ子が田舎モノの軍門に下ったという点でちょっと敬遠していた。人物の相関関係が複雑で面倒だったのも理由だが、漠然とそっち系の本を読んだり、テレビの歴史モノを観ているうちに以前より興味が湧くようになった。大河ドラマで西郷さんや渋沢栄一を真面目に見ていたことも影響している。

 


 

最近読んだそっち系の本もなかなか面白かった。「岩倉使節団」と「西郷従道」を扱った新書だ。岩倉使節団といえばオールドパーを持ち帰ったことしか知らなかったのだが、考えてみれば一大スペクタル物みたいな話である。

 

革命政府の大幹部が国の作り方に悩んで大勢で内政を放っぽり出して先進国の実情を長期間調べに行った。随分と大胆な行動である。浦島太郎ばりに見るもの聞くことすべてに度肝を抜かれたはずだから面白くないはずがない。実際に面白かった。

 

お次は西郷従道だ。近代の歴史モノでよく見かける名前だが、今ひとつどんな働きをした人か分からなかった。西郷隆盛の弟なのに西南戦争の際には新政府側の中枢で兄と敵対し、その後は総理大臣に担がれそうになっても逆臣の弟であることを理由にあくまで脇役に徹した人である。

 



 新書を読んでみてふむふむと感心しながらかなり魅力的な人物だったことを知った。それこそ朝ドラや大河ドラマで主役に据えた物語を作ればかなり面白いと思う。

 

維新後の開明期を描いた映画やドラマは数々ある。現在NHKで再放送中の傑作「坂の上の雲」も非常に面白い。あれは当時の軍人さんが主役だが、激動の時代だったから主役にする人物次第ではいくらでも新たな傑作は生まれるはずだ。従来とちょっと違う視点からの物語として西郷従道さんをキーマンにしたら間違いなく傑作になりそうだ。

 

さてまとめに入ろう。

 

なんだかんだ言って歴史モノの本を楽しく読む時間は日常の厄介なヨモヤマ事を忘れさせてくれる。何か教訓を得ようとか、はたまた朝礼のスピーチ用の素材にしようとか、余計な邪念は抜きにしてボンヤリとその世界に没頭するのが一番である。単に「ふむふむ」とうなずければそれで充分だろう。

 

 

 

 

2024年10月16日水曜日

甘い生活

 

酒より甘味。ここ1,2年そんな路線になってきた。もちろん酒をやめたわけではないが、甘味に妙に惹かれる。


ほんの5年ぐらい前は朝からカレーや牛丼を嬉々として食べていたのだが、最近はドーナッツを前の日にわざわざ買って朝からコーヒーと一緒に味わうこともある。変われば変わるものである。

 



糖分のとり過ぎは疲れやすくなると言われるが、ご多分に漏れず私も疲れやすい。たぶん糖分過多のせいだ。でもやめられない。ウマい甘味は心を豊かにしてくれるし、モヤモヤした気持ちが一気に吹き飛ぶほど幸福感に包まれる。ちょっとぐらい疲れたって甘味は大事だ。

 

先日、銀座のクラブに行った際に土産として虎屋の最中詰め合わせをもらった。想像以上の美味しさに翌週もその店に顔を出してしまった。店側は別の土産を出してきたのだが、虎屋の最中じゃなきゃいらないとワガママを言って同じものを強奪して帰ってきた。

 

最中はもともとそんなに好きではない。コロモが喉の裏側に引っ付くような感じが苦手で敬遠しているのだが、虎屋の最中はそんな問題以前にアンコが美味しくて感激した。こしあん、つぶあん、白あんのどれも好みだった。

 

 

上野にあるどら焼きの名店「うさぎや」の最中も非常に美味しい。こちらもアンコが絶品でコロモが控えめな薄さなのが有難い。最中を敬遠していたのはきっと若い頃にダメダメな一品に遭遇したせいなのだろう。「ちゃんとしたヤツはウマい」という当たり前のことを今更ながら痛感する。

 

日常の買い物の大半をネットスーパーの宅配に依存しているのだが、ここでも甘味はついつい注文してしまう。どうでもいい感じの「すあま」を買ってはそのどうでもいい感じにナゼかホッとしたりする日々だ。

 

ネットスーパーに常備されている甘味などロクなものはないだろうという先入観があったのだが、なかなかどうして実際に頼むと結構ウマいものも多い。最近のお気に入りは「あわしま堂」の商品である。

 https://www.awashimado.co.jp/index.php

 

個人的には聞いたことがない会社だったのだが、ネットで調べたら愛媛に本拠がある結構な名門企業みたいだ。やたらと高級ブランド化しているメーカーの妙に高いまんじゅうなどよりは手軽な値段だ。私が使うネットスーパーやウーバーで宅配してくれるスーパーなどでやたらと目にするのがこの会社の商品だ。

 

ネットスーパーで買い物する際にはサイト内検索でわざわざこの会社名を入れてその時に置いてある商品を反射的に買ってしまう。たいていウマいのが嬉しい。我が日常のちょっとした喜びになっている。

 

この夏に感激したのが人気店「赤坂青野」の冷やし流し小豆羹」である。モチっとした水ようかんみたいな商品だ。抜群だった。季節限定なのが実に惜しい。この店では「冷やしみたらし」が大人気らしいのだが、個人的にはそっちよりウマいと思う。

 




 今の住まいは日本橋三越が近いので、デパ地下に行けば日本全国のウマい甘味が簡単に買える。これってかなりラッキーなことだろう。夏場もわが家の冷蔵庫には「たねや」の水ようかんを常備していた。

 

三越だけでなく日本橋界隈には各県のアンテナショップがいくつもある関係で散歩するたびについつい未知の甘味を買ってしまう。つくづく糖尿の家系ではないことに感謝しながら糖分まみれの日々を過ごしている。

 

先日は三重のアンテナショップに「赤福」が置いてあったので当然のように買った。新幹線に乗る時にしか買えないイメージがあったのだが、散歩中に手に入れたことにちょっと興奮した。こういう小さな喜びの積み重ねが楽しく生きる原動力になる。大げさな表現だが案外そういうものだと思う。

 



赤福を初めて食べたのは小学生の頃だろう。家族の誰かが土産で買ってきたのを食べて衝撃を受けた。今でも「ニッポンのこしあんの究極系」の一つだと感じる。日本茶とセットで味わってこそウマさが引き立つ。

 

朝から「コーヒーとドーナツ」を楽しみ、のんびりした時間には「あんことお茶」でホッコリする。つくづく飽食の時代に生きていることの幸せを痛感する。

 

考えてみれば高度成長期で国が豊かになってきた頃にモノゴコロがついて以来、昭和元禄だ、バブルだと続き、世界中のウマいものが集まる都心部で社会人生活を過ごしてきた。外食産業の隆盛から宅配メシの発達まで「食べる」ことに関して恵まれ過ぎた暮らしをほぼ60年にわたって続けている。

 

親ガチャだ、国ガチャだといった「◯☓ガチャ」という考え方からすれば非常にラッキーなタイミングで生きてきたことは確かだ。生まれるのがほんの数十年ズレていただけで全然違う状況だったはずだし、同じ時期に生まれたとしてもアフリカの奥地とかだったらこんな楽しみは皆無だった。ただただラッキーだ。

 

神に感謝である。

 

 

 

 

 

 

2024年10月11日金曜日

EMSの効き目

 

ちょっと風邪をひいたつもりが一週間以上も体調がすぐれなかった。これも加齢のせいなのだろうか。体調を崩すたびに悩んでしまうのが日頃まめに服用しているサプリなどの効果だ。

 

青汁やらビタミン類、クエン酸やらチアシードやら毎日いろんなものを摂取しているが、それが無意味なのか、はたまたそれらのおかげでこの程度の体調不良で済んだのか、答えのないテーマに悶々とする。

 

もっと言えば、最近は意識してコンビニ飯やカップ麺など怪しい食べ物を以前より制限するようになったのだが、はたしてそれも無意味だったのかと、再びそっちの道に戻りたくなったりする。

 

サプリ方面?に関してはかなりの健康オタクみたいな私だが、その実態は真面目に健康管理を考えているとは口が避けても言えない。なにしろまったく運動をしない。徒歩15分で職場に着くのに日々タクシーの世話になっている。スマホ内臓の万歩計の履歴をみると数百歩しか歩いていないという異常な数値の日も珍しくない。

 



 先日、仕方なく足の筋肉トレーニング用の機械を買ってみた。実際に足踏み運動をする器具を買おうかと思ったのだが、それも面倒だからいわゆるEMSのヤツにしてみた。電気で筋肉を刺激するやつだ。足踏みすらしない時点でやる気がない…。

 

こんなものに3万円も支払った。シャクだから一応ほぼ毎日使用している。足を乗せるだけだから努力のカケラもない。思った以上に筋肉がプルプルして効果がありそうな気もする。でも翌日以降にまったく筋肉痛にならないから実際に効き目があるのかは謎だ。

 

こういう器具で筋力アップを本当に実感した人がいるのだろうか。足を乗せるだけでなく太ももなどに巻くパッドも付いているのだが、これがピリピリしてやたらと痛い。感覚的にこっちのほうは確実に無意味なような気がしている。

 



これまで生きてきた中でジム通いをしたことは何度かある。一時期はまあまあマメに通ってみたのだが、どうしてもあれを面白いとは思えない。別に面白くなくても続く人は続くのだろうが、黙々と鍛えるだけのあの作業が退屈で仕方がない。

 

卓球やバトミントン、羽子板あたりなら相手との勝負を楽しんで汗ダラダラで倒れそうになるまで頑張れると思うが、勝ち負けもなく単に自分をイジメる作業なのが気に入らない。

 

以前、住まいのそばにバッティングセンターがあった時は炎天下でも数百球打ち込みに行くことがあった。鍛える、運動するという感覚ではなくジャストミートの快感を味わいたいという欲求のなせるワザだった。

 

還暦が近くなった今だってバッティングセンターが徒歩5分ぐらいの所にあるような住まいに引っ越せば運動不足解消は確実だと思う。

 

何年か前は毎朝ラジオ体操第一をフルパワーで連続2セットこなしていた。気づけばすっかりサボっている。今では月に2,3回やる程度だ。久しぶりにやってみるとフルパワーだと連続2セットが出来ない。ヤバい事態である。せめて週に4,5回は1セットだけでも忘れずにやろうと決意している。

 

気づけば50代最後の誕生日が過ぎた。ほんのちょっと前に50歳を迎えたばかりだと思っていたが、本当に時間の進み方が早くなった。

 

この10年、自分の中で少しでも進歩したことがあるのか真剣に考えてみたが皆無だった。このまま劣化が進むだけなのはさすがに怖い。とはいえ具体的にどうしようか何も考えていないのが私のダメなところだ。

 

いっそのこと結婚するとか、子供を作ってみるとか奇天烈な行動に走れば一気に風向きが変わるのだろうが、今更そんな面倒なことはお金をもらってもイヤだ。などとウジウジしている間にどんどん老化は進むのだろう。怖い怖い。

 

そんな私にとって希望の光は今年の初めに痛めた膝の調子がかなり良くなってきたことだ。チャリで大転倒して以来、もうすぐ9ヶ月になる。数ヶ月も続いた湿布生活もあまり効果はなく、夏にちょっと取り組んだストレッチが効いて以来少しづつ快方に向かっている。

 

一時期は小走りすら出来なくて難儀していたが、今は点滅する歩行者信号を前にしても諦めずに軽く突進することができるようになった。正座はまだ出来ないのだが、大転倒する前の状態を100とすると85ぐらいまでは回復した。

 

来月は毎年恒例のオヤジバンドライブが控えている。飛んだり跳ねたりしながら歌うことも出来そうだ。というわけで50代最後の1年も無事に乗り切りたいと思う。

 

 

 

 

 

2024年10月9日水曜日

学生野球と推し活の心理

 

米・メジャーリーグのポストシーズンでは日本人選手がバリバリ活躍している。昔の日本野球を知る昭和の人間からすれば夢のような話である。

 

野球を好きになって半世紀。長島の引退試合をテレビで見たあたりから野球少年になった。以来、週刊ベースボールを毎週熟読して王貞治物語みたいな伝記モノも読んだ。

 

当時、メジャーリーグといえば異次元の世界だった。漫画の名作「巨人の星」では誰も打てないような魔球を「大リーグボール」と名付けていたが、あのネーミング自体がアチラとの距離感を表していたのだと思う。

 

今のようにメジャーリーグ中継があったわけではないから、向こうの野球事情を知る由もなく少年の私は日本の野球に夢中だった。一番好きだったのは巨人の高田選手だった。

 

高田選手は私が野球好きになった頃には既にスター選手だった。そのせいか、なんとなく出遅れ感?は否めずに必死に若手選手や新人の中からお気に入りを探そうと頑張り、淡口選手なんかをマークしたのだが、結局は高田選手のカッコ良さにしびれていた。

 

その後、一からその選手が成長していく姿を見るのが楽しくなった。アマ時代から見ていた選手がプロで大活躍するのはストーリーとして面白い。アマのスターからプロでもスターになる選手、名前ばかり先行してプロでは大成しない選手など、一種の人生劇場みたいに眺めていた。

 

アマ時代からその後の成長を時系列で見られた最初の選手が原辰徳だったと思う。東海大相模で甲子園に出場、大人気になり、その後は東海大でも活躍して、確か神宮大会では法政の江川からホームランを打った記憶がある。その後、巨人に入って高田選手の後任として背番号8を背負い、最後は日本代表監督にまで上り詰めた。昔から見ていた側としては感慨深い。

 

私の子供時代に甲子園で活躍した選手のことはずいぶんと記憶している。初期のPL旋風当時の西田・木戸のバッテリーは揃って法政に進みお互いプロでも活躍した。あの頃の法政には広島で活躍する小早川もいて常勝チームだった。

 

プロ野球選手になるという子供の頃の夢はこの頃にはまるで無謀な戯言だと実感するようになっていた。牛島・香川の浪商バッテリー、報徳・金村投手、横浜・愛甲投手などのふてぶてしい感じにおののき、早実・荒木大輔のキレっキレぶりに畏怖を覚えた。

 

それぞれその後はプロでそれなりに活躍したわけだからたいしたものだと思う。当時、甲子園を騒がせた有名選手でも長崎海星のサッシーこと酒井投手、横浜商業のジャンボ宮城投手などプロでは活躍できなかった選手も大勢いた。一軍でレギュラーになっただけで凄いことだと思う。

 

その後、池田高校の水野や清原、桑田、その後の立浪などのPL勢など高校生時代を見ていた選手がプロでスターダムに登っていく姿を見るのは楽しかった。もっと無名な選手でも選手名鑑などで「あー、あの時のアイツか」と知るのはちょっと変わった野球の楽しみ方としてオススメだ。

 

Wikipediaでは過去100回ほどの甲子園における試合詳細や主な出場選手が見られるからたまに暇つぶしに覗いている。

 



東京六大学は私自身が大学時代の頃に何度か観戦した。当時は早稲田が低迷しており、法政と明治が抜きん出て強かった記憶がある。法政では左腕・猪俣(阪神)がいつでも勝っていた記憶がある。明治では竹田(大洋)、広沢(ヤクルト)、福王(巨人)がバリバリで、立教には長嶋一茂、慶応ではプロ入りを拒否してサラリーマンの道を選んだ志村が奮闘していた。

 

こんな思い出話を書いていてもキリがないのだが、今年は夏の甲子園にも行き、六大学野球もマメに観戦しているので、今後プロに入って活躍する選手を“青田買い”みたいな気持ちで見ているのが楽しい。

 

夏の甲子園で印象に残ったのは花咲徳栄の石塚選手、健大高崎の箱山選手、早実の宇野選手あたりか。現地で双眼鏡を駆使して必死に観察してみたが、皆さん太ももが半端なくパンパンで高校生らしからぬ力強さがあった。未来の侍JAPAN戦士になってくれたら私の観察眼を世間に自慢できるから頑張ってほしい。

 


 

大学野球では明治の宗山選手がピカ一だろう。今年のドラフトでは一位指名の競合が確実視されている。獲得した球団は「向こう15年はショートに困らない」と言われるほどの逸材だ。

 

実際、何度も宗山選手のプレーをナマで見たが、素人目に見てもモノが違う。やや線の細さはあるが、走攻守すべてに無駄な動きがなく、変な表現だが打撃も守備も美しいという表現が的確だ。

 

先日の観戦中もカメラを向けたらいとも簡単にホームランを売った。無理に強振するわけでもなく美しいホームランだった。守備の巧みさもyoutubeに山ほど投稿されているので興味のある人はご覧いただきたい。

 


 

個人的には今年のドラフトでどこの球団に行くのかとても楽しみだ。次回のWBC、もしくはその次の大会では日本の中心選手になっていると思う。

 

日本全国城巡りとともに全国各地の学生野球観戦が私の老後の趣味の有力候補である。マメに観戦して次世代のスター選手を無名な段階で発掘してみるのは地下アイドルを必死に応援するオッサンたちの心理に似ている。一種の推し活だ。

 

 

 

 

 


2024年10月7日月曜日

お休み

 なんだか体調不良が続いて更新出来なかったので過去ネタを一つ載せます。



自分

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2015/03/blog-post_4.html





2024年10月4日金曜日

アーカイブ

 体調不良で更新が間に合わなかったので過去ネタを2つ載せます


ゆず・すだち問題

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/11/blog-post_6.html


私に電話してください

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2019/10/blog-post_9.html













2024年10月2日水曜日

粒立ちこそ

 

嗜好の変化は私にもある。野菜嫌いは相変わらずだが、中年になってから薬味として細かくなった野菜は好きになった。ネギ類やみょうがなんかもソーメンつゆにどっさり入れたくなる。

 

親の仇ぐらい嫌いなピーマンでさえ、ナポリタンにはちょこっと入っていて欲しい。昔はどんなに小さなピーマンでも上手に避けて食べたが、不思議と最近は必要不可欠に感じている。

 

今年は人生で初めてピーマンを買った。あんなものにお金を出す日が来るとは我ながら信じたくない。妙な敗北感さえ感じた。事件だと言えよう。

 

自宅でナポリタンを作るために仕方なく買ったのだが、ナポリタン以外にはまったく用は無い。ナポリタン完成後に残ったピーマンは速攻で捨てた。

 

嗜好の変化と言うにはちょっと大袈裟だが、歳とともにいろいろと好みは変わってくる。女性の好みだって同じ。昔はムチムチプリン派だったが、今ではスッキリした体型に魅力を感じるようになった。たぬき顔一辺倒だった好みにしても今では猫顔にも魅力を感じる。まあ、これについては「相手にしてもらえれば誰でも良くなった」というのが真相かもしれない。

 

話を戻す。

 

食事の基本である白米に関しては物心ついてからずっとブレずに「コワメシ」派だ。すなわち硬く炊いたご飯じゃないとダメだ。コメ界隈で良い意味で使われている「もっちり」という表現も私に言わせればウマそうには聞こえない。

 

大学生の夏休み、男女混合で友人の別荘に行った際、料理を担当した女子チームがコメの炊き加減を間違えたことがあった。水加減がまるで足りなかったせいでコメの芯が感じられるほどゴリゴリに炊きあがってしまった。

 

当然、失敗したコメには皆が手をつけず放置されていたのだが、私にはさほどヒドい出来には思えず一人むしゃむしゃと食べ続けた。すると女子チームが何を勘違いしたのか私のことを気配りのできる紳士だとやたらと褒めまくる。男チームは「モテようとして無理に食ってんだろ?」などと言う。

 

もちろん、どちらも不正解である。ビチャっとした柔らかいコメを食べさせられるより遥かにマジだから無心に頬張っていただけである。あの時ほど人間なんてしょせん分かり会えない存在だと感じたことはない。

 



先日、自作した挽き肉炒めメシである。硬く炊いたコメが主役だ。挽き肉とみじん切りのタマネギ、マッシュルームを加えて、塩コショウ、粉末コンソメ、ウスターソースで仕上げた。

 

チャーハンなど炒めメシ系はとにかくコメが粒立った感じじゃないとそれだけで失格だと思う。もっちりしているようでは油や具材の水分と混ざってビチャっとしてしまう。

 

時々無性にチャーハンが食べたくなって行き当たりばったりに町中華の店やカジュアルな中華料理店に入るのだが、粒立ちパラパラチャーハンに遭遇するのは34回に1回ぐらいだ。しっとりチャーハンなる言葉もあるようだが、個人的にはその名称自体が論理破綻だと思う。

 

高級中華料理店では感心するほどパラパラに仕上げたチャーハンが出てくることがあるが、あれはあれで上品すぎるきらいがある。町中華的なジャンクな気配を漂わせながら粒立ち感が際立つチャーハンに出会いたいのだが、なかなか難しい。

 



もちろん、炒めメシに限らず、普通の白米だって鰻重のご飯やドンブリモノのご飯も粒立っていて欲しい。寿司も然り。ウナギや寿司の店で柔らかいコメに当たると心の中で罵詈雑言を叫んでいる。何だかとても損した気分にもなる。

 

世の中、私が思っているほどコメの炊き加減にこだわっている人は少ない。もちろん、偏屈なこだわりなど持たないほうが平和で済むのだが、日本人の食事においてコメは基本中の基本、一丁目一番地である。多少なりとも自分が幸せを感じるような炊き加減にこだわりたい。

 



わが家の炊飯器にはあらかじめ主要な米の銘柄が数十種類登録されていて、それぞれのコメの特徴に合わせて炊きあがりを調整する機能がついている。そう書くとさも立派だが、いろいろ試したがたいして違いを感じたことはなかった。

 

結局、今は山形の「つや姫」から派生して人気銘柄になった「雪若丸」の無洗米を最も簡単な「早炊きモード」に設定して炊くのが私のド定番になった。

 

水加減は2合のコメに対して1.67ぐらいの目盛りに合わせると実に幸せな粒立ち感に仕上がる。もちろん、炊飯器のクセ、コメとの相性によってどこの家にも当てはまるものではない。ただ、自分なりのパターンを確立しておけば毎回炊き加減に一喜一憂しないで済む利点はある。

 

あれこれと書き連ねたが、読み返してみると何だか自分が偏屈な神経質オヤジみたいに感じる。もっとおおらかにテキトーに暮らしていかないと老後が厄介なことになりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年9月30日月曜日

銀座の手


10年ぐらい前か、もっと最近か忘れてしまったが、週に何度も夜の銀座をぶらぶらしていた。すっかりご無沙汰している。中央区民になったのが56年ぐらい前だからナゼか近所になったら足が遠くなった。

 

銀座で食事をする機会は多い。先日も変な時間に一人ふらっと洋食の老舗「スイス」に入ってクリームコロッケや名物のハヤシライスを食べた。隣席にいた外国人家族が私の食べているものを物珍しいそうに覗き込んでくるのには辟易としたが、疲れていたからペラペラな英語?を繰り出すこともなく日本人的薄ら笑いをしたままやり過ごした。

 



気のせいか、ハヤシソースの量が以前より減ったように感じてちょっと萎えた。近頃の物価高の影響だろうか。銀座の老舗ならそのあたりはドーンと構えていてほしいものだが、それも客側の勝手な言い分だろう。

 

さて、夜の銀座の話だった。お盛んな頃はアフターまで付き合わされて帰宅が早朝になっちゃうこともあったが、いまやすっかり好々爺みたいな暮らしだ。あの頃の絶倫、いや元気さはどこにいったのだろう。

 

先日、長い付き合いのママさんの誕生祝いで某クラブに出かけた。銀座界隈から届いた豪華な生花が店中に飾られなんとも賑々しい光景だった。ついでに私の気分もちょっとアガった。

 



やはり夜の銀座のきらびやかな空気感はビタミン剤というか栄養ドリンクみたいなプラセボ効果がある。あの活気とエネルギーに溢れた空間に身を置くことは健康増進効果?につながると本気で思った。

 

平成から令和と時代が移り変わるうちに東京の「街の色」は均質化が進んだ。街ごとのカラーの違いが薄れてきたわけだが、7丁目8丁目あたりの夜の銀座には今も昔ながらの独特な空気感が漂う。

 

他のどこの繁華街ともビミョーに違うスノッブな気配というか、どこか凛とした風を感じる。「ヨソイキの街」とでも言いたくなるようなちょっと日常から離れた雰囲気が根強い。

 

中高年男にとって、自分の現役感や向上心の大切さを再認識する効果もあると思う。私自身、たまには気取った顔してこの街を闊歩するぐらいじゃないとどんどん劣化しちゃうような気がしてナゼか反省したい気分になった。

 



腑抜けた日々から抜け出て少しだけ背筋を伸ばしたくなるような感じだろうか。きっとマメに銀座通いをしていた頃は私の背筋は今よりシュッとしていたはずだ。

 

以前ほど銀座通いをしなくなった理由の一つとして「アウェー感」を味わえなくなったことがある。多分に年齢的な意味合いは強い。夜の銀座に初めて迷い込んだのが20代の終わりで、30代ぐらいはまだおっかなびっくりだった。その頃はまだ昭和の良き時代を感じさせる妙に迫力がある謎めいた白髪の老人みたいな客層が珍しくなかった。

 

そんな空気の中に若造の私が割り込むわけだからアウェー感バリバリである。なんとなく小さくなって隅の方で飲んでいた。背伸びした気分が楽しかったし、かなわない感じというか、一種のMっぽい状況が面白くなってハマっていった。

 

40代になって徐々に慣れと図々しさが加わって「小さくなって飲む」ような感じではなくなり、40代も半ばを過ぎると知ったかぶりも強まってアウェー感も薄れてきた。いわば純粋にオッサン化が成立してしまったわけだ。

 

そうなると通い慣れた店も増え、訳知り顔で態度も大きくなり、店に入った途端に太田胃散を持ってきてもらったり、梅昆布茶だけで過ごしてみたり、いつの間にか「カッコつけて飲む」というあの街ならでは嗜み?も忘れてしまった。

 

銀座のクラブで飲むならどこかシュッとした姿勢や心意気を守りたいものだが、ぐうたらするようになったことで何となく昔に感じていた面白さを忘れてしまったわけだ。

 

そんなこんなでご無沙汰続きのお店は多い。ちょっと残念である。でも、先日久しぶりに某クラブで痛飲してみて、久しぶりという立場ゆえのアウェー感を味わえたのは新鮮だった。

 

現役男たるもの時にはこういう場所で気取った様子で過ごすことは案外大事だ。変な話、それも一種の努力だろう。努力を怠ればいろいろと錆びついていく。

 

最近は冒頭のハヤシライスの時みたいに銀座に出ても食事だけ済ませるととっとと帰宅しがちだ。以前なら帰宅する際にクラブ街を見ながら後ろ髪を引っ張られるような感覚もあったが、今ではそれも感じない。

 

とはいえ、ここ1,2ヶ月は不思議なことに夕飯の行き帰りなどに旧知のクラブ関係者に道端でやたらと遭遇する。そんなに大勢知り合いがいるわけではないのに立て続けに顔見知りの黒服さんやホステスさんに遭遇している。

 

“銀座の手”がそろそろ私を掴みに来ている前兆なんだろうか。それならそれで素直にまたあの街の魔法にかかって楽しい時間を過ごしてみることにしよう。

 

 

 

 

2024年9月27日金曜日

人類の教科書?

 

それにしても翔平さんは凄いの一言である。もはや賛辞も出尽くした感がある。いわゆる5050の達成の仕方も常軌を逸していた。プレッシャーという言葉も彼にとっては一種の栄養剤みたいな効果を発揮するみたいだ。

 



国民栄誉賞の話もまたぞろ出てきた。かつて「まだ早いので」で辞退した経緯があるものの政府としても放って置くわけにはいかないのだろう。政治利用だとの批判もあるが、そんなことを超越した実績と存在だから、今となっては政府も「お願いだからもらってくださいませ」といった感覚だと思う。

 

アメリカ有数の部数と影響力を持つワシントンポスト紙は翔平さんを賛辞するコラムでノーベル平和賞にまで言及したそうだ。成績だけでなく、試合中でも誰にでも挨拶してゴミまで拾う人間性が全米規模で浸透してきた証だ。

 

野球界、スポーツ界を超越した存在になりつつあるのは確かだ。人種差別が根強いアメリカで誰もが翔平さんを称えている現実は、彼が日本人のイメージだけでなくアジア人全体のイメージを大きく変えた。これって凄いことだと思う。

 

風刺画に描かれる日本人といえば、ごく最近までメガネに出っ歯で首からカメラをぶら下げている情けない姿が定番だった。何十年も染み付いたそんなイメージを翔平さんが一人で塗り替えたといっても大げさではない。

 

個人的に野球を好きになって半世紀近くが経った。リアルタイムで翔平さんの傑物ぶりを見られることはこの上なく幸せだ。早死にしちゃってたら今の異次元の活躍は見られなかったわけだから、本気で「生きていてよかった」と思う。

 

私が小学生の頃、数年に一度来日して観光気分で親善試合をこなすメジャリーガーのパワーとスピードに日米のレベルの違いを痛感させられたことを今も思い出す。別次元に思えたほどだった。

 

いまその世界で疑いようもなくNo.1の選手になった翔平さん。こんな日が来るとは想像もできなかった。かつて野茂投手が海をわたって風穴を開けて以来、日本人のピッチャーは結構通用することを知った。

 

しかし、野手に関してはイチローの傑出ぶりはあったものの、パワーの点では小粒なイメージは拭えず、あの松井秀喜でさえ中距離打者に路線変更せざるを得なかった。

 

その点、大谷選手は渡米後も進化を続け、マウンドに立てばメジャーのトップ級の速い球を投げ、打席では比類なき長距離弾をかっとばす。おまけにあの盗塁の稼ぎっぷりである。

 



「ダメな漫画家が描くストーリー」とさえ言われるほどありえない活躍を平然とやってのける。多くの人がいまや「大谷慣れ」に陥っているが、冷静になって見れば見るほどあの活躍ぶりは異常だ。歴史的傑物だということは論を待たないし、何気なくテレビ観戦している時は皆が歴史の目撃者になっているわけだ。

 

例の5050を達成した際の母校・花巻東高校の佐々木監督の言葉が翔平さんの凄さを端的に表していた。今シーズンは投手が出来ない状態の中でホームランと盗塁を量産したことに対する感想だ。

 

いわく「『これしかできない』ではなく『他に何ができるか』という思考力に驚かされる」。この表現が進化を続ける翔平さんの凄さを端的に表している。絶え間ない向上心の大事さを思い知らされた気がした。

 

我々凡人が偉人たちと決定的に違う点は、自分の限界を低い次元に設定してしまうことだろう。自己啓発書などでもさんざん言われている話ではあるが、自分の限界や天井を高く設定することの大事さは言うまでもない。

 

言うは易し…ではあるが、それを実践し続けている翔平さんの姿勢は、いかなるジャンルにおいても、また老若男女を問わず教訓に満ちていると思う。

 

翔平さんは今年で30歳だ。アスリートの世界ではベテランの域にある。十分な実績もある。にも関わらず現状を維持するような素振りは見せない。今の地位を築いた中にあっても少年時代と同じように進化しようとする姿勢はどんな称賛の言葉をもってしても追いつかない。

 

思えば、今シーズンは新天地への移籍に加えて開幕早々にイッペーの事件に巻き込まれた波乱のスタートだった。そう考えると彼の超人的な精神力や集中力、進化を求めるブレない姿勢にはただただ頭が下がる。

 

もはや偉人や歴史的傑物といった次元をも超えた「人類の教科書」みたいな存在になっているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年9月25日水曜日

舘ひろしとか

 

今日は更新が間に合わなかったので過去ネタを2つ載せます。

 

  

舘ひろし

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/06/blog-post_03.html

 

 

スーツ ポケットチーフ

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/06/blog-post_27.html

 

 

2024年9月20日金曜日

ウイスキーとサウダージ


その昔、大人の男たちはウイスキーばかり飲んでいた。テレビCMもやたらとカッチョ良くウイスキーを扱ったものが多かった。子ども心に凄く美味しそうに見えたからよほど演出が巧みだったのだろう。

 

その後、カクテルやワインの台頭、焼酎ブームやサワー類の普及で徐々にウイスキーの地位は低下していった。シングルモルトのブームみたいな限定的な流行はあったものの、いま若者の飲み会で全員が「ウイスキーの水割り」を飲んでいる光景は見られなくなった。

 

その後、サントリーの響など日本製のウイスキーの美味しさが世界にバレてしまい、上等な日本のウイスキーは品薄状態である。折からのハイボールブームによって安いウイスキーが復権?する世情になった。

 

ハイボールで人気のサントリーの角やトリスなど大衆的なウイスキーはその昔は財布に余裕のない階層や若者向けの商品だった。サントリーなら初心者はホワイト、普通の人はオールド、ちょっと上級なリザーブ、エラい人はローヤルと一種の線引きというかランク付けがあったように覚えている。キリンが出していたロバートブラウンも妙に洒落たイメージだった。

 

響はもちろん、山崎や白州も無かった時代だ。いわば、カローラ、マークⅡ、クラウンみたいなしっかりしたクラス分けがウイスキーの世界にも存在していた。あれも昭和の特徴だったのだろう。

 

その一方で「舶来ウイスキー」も別格な扱われ方をしていた。酒税法だか関税の絡みで今よりもやたらと輸入モノが高価だったから一種の貴重品として思われていた。


アイラ島のシングルモルトだ何だと細かい情報が身近ではなかった時代だ。バランタイン、オールドパー、シーバスリーガル、ジョニーウォーカーなど海外モノというだけでリッチでキザなイメージを漂わせていた。

 

セブンスターよりマルボロやラーク、ハイライトよりもケントやクールがシャレオツ?だったタバコと同じだろう。昭和のニッポン人は洋モノコンプレックスが強かった証だ。海外旅行帰りのオジサンたちは必ず洋モノのウイスキーをエッチラコッチラかついでいた。

 

いま、オールドパーもバランタインも昔に比べれば大衆的な値段でそこらへんで売っている。海外旅行の土産で持ち帰る人など皆無だ。変われば変わるものである。


オールドパーは明治新政府の岩倉使節団が初めて日本に持ち帰ったウイスキーとも言われる名品で、かの田中角栄さんもこればかり愛飲したことで有名だ。

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/03/blog-post_10.html

 

私自身、オールドパーを好んだ祖父にあやかって銀座で飲む時はオールパー一択である。今ではオールパーは夜の街では安い部類に入る。祖父つながりというこじつけみたいな理由のおかげで高価なウイスキーを注文しないで済むという副次的効果?に救われている。

 

このブログでもオールドパーへの私の思い入れを何度も書いた。正直言って味は好みではない。独特な風味のせいでロックでは飲む気にならない。あくまで習慣だから飲んでいるだけだ。

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/11/blog-post.html

 

先日、夜も遅い時間にふとウイスキーが飲みたくなった。普段飲まないせいで自宅にストックがなかったからウーバーでデリバリーしてくれる店を探した。角とかトリスを飲むのはイヤだ。コンビニあたりの品揃えでは私個人のイメージに合う「上質な大人のウイスキー」がなかなか見つからない。

 



ようやく見つけたのがサントリーローヤル。ロイヤルではない。ローヤルである。さっそくデリバリーしてもらった。ローヤルを飲むのは何十年ぶりだろう。恥ずかしながら私のウイスキーに関する知識は四半世紀前の状態で止まっている。ウイスキーにそれなりに詳しい人が今日の話を読んだらきっとトンチンカンに感じるのだろう。

 

20年ぐらい前までは自宅では「響」ばかり飲んでいたが、気づけば品薄になって妙な高値で取引されるようになったので随分とご無沙汰だ。サントリーの「碧」というウイスキーも聞いたことがなかった。ましてやそれがローヤルよりも高い値付けの商品だとも知らなかった。若者向けの安モノかと思っていたほどだ。

 

だからウン十年ぶりに再会した「ローヤル」にちょっとワクワクした。昔だったらご立派なご隠居さんみたいな人が悠然と飲んでいたウイスキーである。今ではたいして見向きもされていないらしいが、私にとっては充分である。

 

夜更けの静かな時間に映画を見ながらローヤルをロックで楽しんだ。相棒はバカラのロックグラスだ。昔に感じた「ハイクラスなイメージ」って大事だ。とても美味しかった。これが聞いたことのないウイスキーだったらどんなに高級でもワクワクしなかったと思う。思い込みってつくづく味覚を左右するものだと痛感。

 



その昔、マセガキだった私は高校1年生の分際で友人と渋谷のパブに出かけて人生初のボトルキープをした。確かロバートブラウンだった。ウイスキーの味などちっともわからなかったのに「ボトルキープ」という行動自体に憧れた。可愛い思い出だ。もう45年ぐらい前になる。あれからどのぐらいウイスキーを飲んだのだろう。

 

大人になってからはウイスキーは主に女性のいる酒場で飲んでいた。私のお馬鹿な言動やゲスな男心の横にはいつもウイスキーがあった。そんなことをしみじみ思い出しながら一人夜更けに味わったローヤル。なんだかサウダージな時間だった。

 

 

 

 

 

 

2024年9月18日水曜日

一人前の男

 

もう10年近く前にこのブログで私の朝メシ事情を書いた。朝からドカ食いすることを得意になって書いている。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/04/blog-post_24.html

 

砂糖菓子みたいな甘いパンなんかで朝飯を済ますのは信じがたいみたいな強弁ばかりだが、ここ1,2年で私の朝食スタイルも変わった。菓子パン2つかそこらで簡単に済ませることが増えた。これも加齢の一つだ。ちょっと残念な気持ちがする。

 

ほんの5年ぐらい前には朝起きた瞬間から空腹を感じてガッツリと食べていた。変われば変わるものである。先日は起きてまもなくサッポロ一番を食べたのだが、なんと1袋分しか作らなかった。私にとってこれは異常事態である。袋麺は一度に2袋というのが私の常識だったが、1袋でこと足りてしまった。ビミョーだ。

 



先日は「なか卯」のデリバリーでも想定外の事態になった。月見ナントカ丼が美味しそうだったので、それをメインにカツ丼も食べようと思ったのだが、月見ナントカ丼を食べただけで満足してしまった。


カツ丼は手つかずだった。2つ食べるつもりで両方ともご飯は並盛にしたから、なんと並盛の丼モノ一つで満足してしまったわけだ。これって個人的には事件である。

 

世の中にはびこる食における「一人前」は健康な男子から見れば絶対に少ない。これは真理だろう。カップ麺にしても昔は少数派だったデカいバージョンが増えたのがその証である。

 

一人前というシケた量で満足してしまったことが自分の中ではショックだった。加齢の現実だろう。でも見方を変えればようやく私も還暦を目前にして「一人前の男」になれたということか。


いやいや、我が身の劣化を都合よく解釈するのはダメだ。大食いは健康のバロメーターである。「一人前」ならともかく、これから歳を重ねたら「半人前の男」という出来損ないみたいな存在に落ちぶれてしまう。そんなのはイヤだ!

 

そうは言っても、もちろん今もとりあえず食い意地の張った食生活は基本的には変わらない。朝飯は別としてその他の食事の際には目の前に料理が1個しか置かれていないとザワザワした気持ちになる。あれこれ並べて迷い箸になるぐらいを好む。

 

そんな贅沢なことが出来る時代に生きていることをつくづく有難く感じる。江戸時代の飢饉の頃や戦後間もない困窮の時代だったらはたして真っ当に生きていけたのだろうか。無理だったと思う。

 

さてさて、先日は無性に洋食の気分になって一人ふらっと銀座の煉瓦亭に夕飯を食べに行った。最近は「ピラフ禁断症状」に見舞われる日々で、私好みのピラフを求めてパレスホテルか東京會舘に行こうかと思ったのだが、煉瓦亭の近くにいたので吸い寄せられるように突入。

 




ピラフはないがピラフっぽい炒めメシはアレコレ揃っている。この日は「ハムライス」にしてみた。ここ1ヶ月以上も健康を意識してコンビニフードを封印していたから有害っぽい味!が妙に恋しかった。

 

不健康業界?では大物級の存在であるハムを多用した炒めメシである。ハムライスという投げやりな名称がまた良い。チキンライスだったらその響きからいろんな夢や希望が広がるが、ハムライスには怪しげな印象しかない。

 

コンソメベースの味付けでこの店が得意とするざく切り玉ねぎのアクセントが嬉しい。具材はハムとマッシュルームが基本。昔ながらのピラフっぽい味を楽しめた。

 

「一人前の男」ならこれだけ食べて黙って帰ればいいのに、卓上にアレコレ並べたい私は他にも料理を注文した。プレーンオムレツとエビのコキールである。

 




食べたかった前菜が品切れだったので、ビールのツマミとしてオムレツである。もちろんソースをベチャベチャかけて味わった。さすが洋食業界の老舗だけあってケチのつけようのないウマいオムレツだった。

 

でも、妙に高い。いつの頃からかこの店の値付けが上昇傾向にある。これも近頃の物価高騰の影響だろう。プレーンオムレツは確か2600円だった。気軽な雰囲気がウリの店にしてはなかなか強気な値段である。

 

コキールもここに来たら外せない。いわばグラタンやドリアの上だけバージョンである。ざく切り玉ねぎやエビに加えて細かく切ったゆで卵などが濃厚なベシャメルソースと渾然一体になっている。野趣あふれる?スタイルが煉瓦亭のコキールだ。

 




コキールをおかずにしてハムライスを主食にガツガツ食べる。やはり私にとって食べるというエネルギー補充方法は「一人前」ではダメである。


朝だけは「一人前の男」に成り下がってしまったことは忸怩たる思いだが、それ以外の時は今後も「二人前、三人前の男」として頑張って行こうと決意を新たにした。




 

 

 

 

 

 

2024年9月13日金曜日

宇能鴻一郎先生


宇能鴻一郎さんが亡くなった。90歳だったそうだ。言わずとしれた官能小説の大家だ。私が若い頃、富島健夫、 川上宗薫と並んでそっちの世界における三大巨匠だった。いや、やはり宇能鴻一郎大先生が抜きん出ていたような気もする。「宇能鴻一郎」という漢字5文字を見るだけで下半身がムズムズした。

https://news.yahoo.co.jp/articles/888f34f1a430042f45ceb1d5806bdbc5f6eec281

 

インターネットなど無い時代、若者がエロを学ぶ教科書は主に男性誌であり、一般の週刊誌や夕刊紙がそれを補足するような感じだった。過激なグラビアには興奮したが、学ぶという点では官能小説に頼った。随分とお世話になった気がする。

 

「あたし、〇〇なんです」といった女性一人称を使った宇能鴻一郎先生の作品は多くの青少年をトリコにした。野球少年が大谷翔平を夢の存在と捉えるのと同様に我々は宇能鴻一郎作品の中に夢を見た。

 

メディアの訃報記事によると先生が官能小説の世界にカジを切ったのは70年代からだという。その後、世の中は経済成長からの浮かれモードに入っていく時代だ。宇能鴻一郎作品は当たりに当たった。右を見ても左を見ても先生の連載小説だらけ。

 

簡潔明瞭、ワクワクする展開、連載という一話が短い世界でも必ず毎度盛り上がる描写が盛り込まれていた。女性一人称という異次元な感じにも興奮した。スケベなのは男ばかりだと考えていた少年の私に新たな女性像を教えてくれた。

 

その後、レンタルビデオが大流行する時代になり活字から動画にエロの教科書は変わっていった。それでもエロ動画の世界で一般的な「女性一人称モノ」はあくまで宇能鴻一郎作品が源流だ。

 


 

たまたま最近、大先生の初期の傑作短編集を読んだので訃報に殊更感じ入った。メディアの扱いが大き目だったことからも一時代を築いた傑物だったことが分かる。元は純文学の人で以外に知られていないが芥川賞作家でもある。

 

芥川賞を受賞した「鯨神」という作品も私が読んだ短編集に収められていた。官能小説のかけらもない江戸時代の捕鯨をめぐる壮大な人間模様が描かれている。60年以上も前の作品だが、情景描写が凄まじく細かく臨場感たっぷりのまさに手に汗握る小説だった。

 

奇しくも「情景描写が凄まじく細かく、臨場感たっぷりの~」と紹介したが、その後の官能小説もいうなればそんな能力が遺憾なく発揮されたのだろう。そりゃあ高校生ぐらいだった私の下半身が暴れるのも当然だ。

 

短編集の表題作である「姫君を食った話」もすこぶる面白かった。官能小説とはちょっと違うが、フェチ的な要素も盛り込まれている。高貴な姫君を守り抜こうとした護衛の侍をめぐる切なくも哀しい歴史物語がベースだ。

 

新宿あたりのもつ焼きで隣り合った謎の僧侶とのやり取りが大昔の姫君と侍の悲恋と交錯する。もつ焼きの解体処理や新鮮な臓物の食感や味わいも物語のキモになる。一種独特の読後感に包まれる名作だ。

 

宇能鴻一郎作品は、アダルトビデオが普及する前のポルノ映画でも存在感を発揮した。「宇能鴻一郎の濡れて立つ」「宇能鴻一郎のむちむちぷりん」などタイトルすべてが「宇能鴻一郎の~」という冠付きだった。


あの冠は一種のお墨付きだった。JISマーク、いや、モンドセレクション金賞、いや、カーオブザイヤー受賞みたいにそれが頭についてれば間違いないみたいな印象を観る側に与えた。例えは不謹慎だが「宮内庁御用達」ぐらいの信頼感につながっていた。

 

私が宇能鴻一郎作品を初めて読んだのはいつだっただろう。おそらく小学校高学年か中学の始め頃だろう。自宅においてあった週刊誌の連載を覗き読みしたのが最初だと思う。間違いなく45年以上も前のことだ。

 

その後、半世紀近くにわたってエロいことばかり考えて生きてきた。大人になってからは宇能先生に続く第二の師匠である全裸家督・村西とおる先生にも影響も受けた。思春期からウン十年、いろえろと変なことに熱中してトライアンドエラーの日々を過ごしてきた。


そしていま、エロの道を語らせたら人後に落ちぬほどのスケベオヤジになった。「西郷どん」の訛り発音である「せごどん」をモジって「性豪どん」などと私を評する友人もいるぐらいのところまで辿り着いた。

 

気づけば宇能大先生が描写していたようなムホムホな場面や行為、はたまたそれを超越したようなヘンテコなことも経験するまでになった。タイムスリップが可能なら全盛期の宇能大先生の元に駆けつけ数多くのネタを提供できるぐらいに成長?したと思う。

 

すべては宇能鴻一郎先生のおかげである。私に痴的好奇心の奥深さを教えてくれた原点の人である。あちらの世界に行っても男性陣に夢を与えてほしい。

 

 

 

 

 

 

2024年9月11日水曜日

豚肉が活躍する場面


牛肉より何となく低い位置づけに甘んじているのが豚肉である。昔ならともかく今では抜群にウマいブランド豚もあるし、高齢化社会のせいで牛肉のクドさをツラく感じる人も増えたから、かつてよりは復権傾向にある。

 

私も肉類の中で豚肉が一番好きだ。若い頃は牛、豚、鶏の順番で好んだが、歳とともに鶏、豚、牛の順番に逆転し、今では豚肉がダントツで1位の座にある。週に4,5回は豚肉をワシワシ食べている。

 



ふるさと納税で取り寄せるのもこだわりの豚肉ばかりだ。いまハマっているのが沖縄の最上級ブランド豚と言えるパイナップルポークだ。旨味、甘味、食感ともにキングオブ豚肉だと個人的には感じている。

 

生肉だけでなく味噌漬けの逸品も定期的に取り寄せている。塩コショウもいらずにただフライパンで焼くだけでウマい豚ステーキが味わえる。解凍済みの場合、あれこれと小袋を破って投入するカップ焼きそばよりも簡単に出来上がる。

 

外食産業における豚肉はビミョーな存在だ。焼肉屋さんでは牛の独壇場で豚肉は肩身が狭い。やきとん屋さんに行けば豚だらけだが、あそこでは内臓など二軍扱いの部位が主役だ。トンカツ屋さんは揚げ物専門だし、豚しゃぶ専門店は数自体が少ない。

 

そう考えると豚肉はどこか居場所を探してさまよっているボヘミアンみたいな位置づけなのが残念だ。豚肉愛好家としてはこの点が以前から悩ましい問題だと感じている。

 

豚肉が大活躍する場面といえばラーメン屋さんを忘れてはいけない。チャーシューと名乗ってブイブイとこの世の春を謳歌している。ラーメンの世界では牛肉よりもエバっているのが豚肉だ。おまけにチャーシュー麺を声高らかに注文すると普通のラーメンを頼んだ人より上級国民みたいに扱ってもらえる。ウソです。

 



先日、期間限定のヤケクソチャーシュー麺を堪能してきた。各地に展開する喜多方ラーメン坂内のキャンペーンだ。メガ盛りと名付けられたこの商品はチャーシューが23枚も投入されている。

 

これを注文するとカタコトの日本語をしゃべる店員さんの目はキラキラと輝き、「アナタは上級国民なんですね!?」と尊敬されているような空気が店中に漂う。ウソです。

 

1年ぐらい前のキャンペーンの際も食べに行った。実に幸せだった覚えがある。山頭火の有名な俳句に「分け入っても分け入っても青い山」があるが、まさにそんな感じだ。どかしてもどかしてもチャーシューだらけ。これを幸せと呼ばずにどうしましょうって感じだ。

 



私はラーメンを食べる際、口の中が麺だけになることを嫌う。ネギでもメンマでもいいから麺以外も加えて一緒に味わいたい。


冷やし中華なら逆に余計な具材ナシで麺だけを味わいたいのだが、不思議とラーメンだと違う。麺と一緒に別な素材が口の中に混ざってほしい。それにはもちろんチャーシューが一番である。

 

でも一般的なラーメンはともかく、チャーシュー麺といえども麺を食べ終わるまでの数十口すべてにチャーシューを含めることは難しい。ましてや普通のラーメンなら1枚か2枚のチャーシューをウサギみたいに小さく刻むように齧りながらセコセコと麺と一緒に食べる。

 

気付いていない人が大半だが、多くの人が食べ進む麺の減り具合に合わせてチャーシューの残りの分量を必死に計算している。ラーメンマニアは別として案外そんな人は多いと思う。


私もそうだ。そんな悲しい思いを大人になった今も続けるのはゴメンだ。子供の頃にチャーシューを大事にし過ぎたトラウマのせいで、気づけばチャーシューだらけのラーメンに憧れる習性が身についてしまった。

 

そんな変態的嗜好を持つ私にとってこのヤケクソチャーシュー麺ほど有難い存在はない。麺を食べる数十口すべてにおいて常にチャーシューがしっかり口の中に参加している。もはや麺を食べに来たのではなく「チャーシューの麺添え」みたいな食べ物に感じる。

 



運ばれてきた時の画像と完食した際に撮った画像データを見比べたら所要時間は9分だった。前に食べた時も9分だった。やはりそれなりにせっせと食べないとキツくなってくるのかもしれない。

 

豚肉愛、チャーシュー愛の強い私ですら正直にいえばチャーシューの最後の34枚は飽きていた。でも「チャーシューに飽きちゃうチャーシュー麺」って考えてみれば物凄く贅沢かつ幸せな一品だ。

 

 

 

 

2024年9月9日月曜日

カツオ賛美

 

魚の王様みたいな存在がマグロだ。日本人なら誰もが好きな国民魚だろう。赤身もトロもそれぞれの美味しさがある。山の中の旅館ですら夕飯時にはマグロの刺し身が出てくるほどポピュラーだ。

 

私も上質なマグロの赤身が大好きだ。テキトーな店、安さを売りにする店ではシャバダバな?味の無い残念な赤身が出てくるが、真っ当な赤身の刺し身は香りも味の濃さも強くて極上だ。

 

シャバダバなマグロでも山かけにしたり、ヅケにしたり工夫次第で美味しく食べられる。そういう点も含めて「マグロへの愛」は日本人の総意みたいなところがある。

 

と、四の五の書いたのは前フリで、実は今日はカツオの話を書く。私はカツオが大好きで時折無性に食べたくなる。マグロは無性に食べたい気分にならないからカツオへの愛はかなり強いのだと思う。

 



ウマいやつ、マズいやつが混在するのはカツオも同じだが、味の濃い正しいカツオに出会うと物凄く幸福感に包まれる。上等なマグロにも勝るとも劣らない食感に濃厚な旨味、鉄分感?の強い後味が独特の美味しさにつながっている。

 

春のカツオもウマいが秋からのいわゆる戻り鰹のエロティックなねっとり感はヘタなマグロのトロよりもイケてると思う。マグロばかり王様扱いされているのが不思議なほど秋からのカツオは最高だ。

 



カツオの面白いところは生魚の中で唯一にんにくと合わせても負けない点だろう。かつていろんな魚で生にんにくスライスとの相性をチェックしてみたが、カツオ以外はすべて不合格だった。高知が発祥と言われるカツオのタタキににんにくスライスをどっさり加える食べ方は、和食業界の変化球みたいで楽しい。もちろん抜群に美味しい。

 

その昔、高知を旅した際、カツオの押し寿司のシャリの中に細かく刻まれたにんにくがまぶしてあったことを思い出す。コメの中に生にんにく?って感じで驚いたのだがこれがやたらと美味しかった。シャリの上のカツオパワーゆえの逸品だった。

 

私の場合、カツオを刺し身かタタキで食べることが多い。お寿司屋さんでも握りで食べるよりツマミとしてカツオ単体を味わうことが多い。にんにくが出てこなくても生姜たっぷりの醤油との相性は抜群だし、薬味たっぷりのポン酢で味わうのもアリだ。

 



カツオそのものはもちろんウマいが、なぜだかオニオンスライスや刻んだネギなどの薬味をどっさり使うとまた違った美味しさを感じる。このあたりも醤油一辺倒のマグロと違った面白さだろう。

 

受け売りだが、カツオとマグロは分類上は「スズキ系サバ科」に属する親戚筋みたいな関係にあるそうだ。そこからマグロ属とカツオ属という別ジャンルの魚に分かれているらしい。鮮度が落ちるのはカツオのほうが早いそうなので、上等な刺し身に関して言えばマグロよりも有難い存在といえるわけだ。

 

お寿司屋さんでは時々は握りでも食べる。春のカツオより脂が乗ったこれからの時期のカツオのほうがシャリとの相性が良い気がする。酢飯とカツオの香りが混ざり合う一瞬に悶絶してしまう。

 



ウマい魚は香りの有無がポイントだろう。匂いではない。あくまで香りである。ちょっと抽象的だがふわっと漂うウマい魚独特の香りこそが味を左右する。上質なマグロの赤身もそうだが、カツオの香りも食欲を刺激する。

 

相変わらずオチというか、とくに結論めいた話は無い。ただ、カツオの社会的地位?がマグロに比べて今ひとつ低いことがどうにも気になる。「サザエさん」に出てくるカツオ君のせいだろうか?

 

マグロももちろん美味しいし私も当然のように大好きだが、日本中に浸透している「マグロ最強!」みたいな風潮を感じるにつけ「カツオを忘れちゃいませんかい?」と叫びたくなる。

 

そろそろ秋の風が吹く季節だ。これからズンズン美味しくなるカツオをバンバン食べようと決意している。