ここ数年、世代間断絶を思い知らされることが増えた。学生さんならいざ知らず、20代の社会人の中に西城秀樹や沢田研二を知らない人がいた。ビックリである。
新聞も読まないテレビも見ない、ネットの世界で関心のあるテーマだけに没頭する人種が増えてきたから異なった世代の知識の隔たりは想像以上に広がっている。
もちろん、50代の人間と20代の人間だったらある程度は差があるのは当然だが、このままいけば10歳ぐらいの年齢差でもギャップが広がるような社会が到来しそうだ。
良いか悪いかを考えても仕方ない。それが現実だ。私が少年時代は情報ルートはテレビか新聞だけだったから雑学的知識として旧世代絡みのことも普通に知っていた。
20年、30年前のヒット曲や映画スター、過去のベストセラーやハヤリもの、世間を騒がせた事件等々、たいていのことは聞いたことがあった。
逆にそれを知らないと年上の人たちとの会話ができずに困った。学ぶともなく自然に学んでいたのが若者のごく当たり前の姿だったと思う。
なんだか愚痴になりそうだから本題に入る。
12月といえば私にとってはクリスマスよりも「忠臣蔵」である。47人の旧赤穂藩浪人が亡き主君の仇討ちとして吉良上野介の屋敷に討ち入ったいわゆる赤穂事件である。
これまた若い人の多くが知らないからビックリである。日本人の心に刺さる歴史上の一大トピックだと思うのだが、歴史の授業で時間を割いて教わるわけでもないせいか「大石さん?WHO?」である。
当然、大石さんの「内蔵助」を読めるはずもなく、「くらのすけ?俳優の佐々木蔵之介ですか?」というトホホな展開になってオジサマとして悲しみの涙を流すはめになる。
忠義を果たす、臥薪嘗胆の日々といった日本人の精神性を表す典型的なストーリーである。昭和20年の敗戦後はマッカーサー占領司令部は忠臣蔵の放映や上演を長く禁止したほどだ。そのぐらい日本的なストーリーなのに若い世代が興味を持たないことはちょっと寂しい。
このブログでもだいぶ以前から「日本の12月はクリスマスじゃなくて忠臣蔵です!」と声を大にして主張してきたが、私のこの政治運動?が広がりを見せることはまったくなく、もはや矢折れ弓尽きそうな情勢である。
浮き様になりたい
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クリスマスと忠臣蔵
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ここ10年ぐらい世間で話題になるような忠臣蔵関連のドラマや映画がないのも痛い。阿部寛や役所広司や真田広之や山田孝之や鈴木亮平やキムタクあたりをフルキャストで揃えた超スーパー時代劇をどこかが制作してくれないとますます状況は厳しくなる一方である。
忠臣蔵は昭和30~40年代ぐらいに制作された長編映画がある意味で完成形みたいなところがある。そのせいもあってか後年に作られた映画などは別な視点にこだわったり部外者をキーパーソンにするなど変化球に走ってきたきらいがある。
「決算・忠臣蔵」「身代わり忠臣蔵」などといった近年の映画のタイトルからもその迷走ぶり?は示されている。どうやってもストーリーは単純だから制作者側はアレコレと工夫をこらしたくなるのだろう。
だからこそ、それこそ逆張りの精神で徹底的にベタな「大忠臣蔵」を改めて制作してほしい。それこそが若い世代に忠臣蔵ワールドの魅力を伝える最善策だと感じる。
いっぱしの大人なら誰も知っているストーリーを一から丁寧に作っちゃうのはかえって面白いと思うのだがいかがだろう。ついでにいえば映画や大河ドラマで見せられてきたストーリーの多くが後の世の創作だからもっとアレンジを加えてもいい。
大石さんが江戸に向かう際、ある御家人のフリをして宿に逗留するのだが、そこでホンモノに遭遇しちゃって丁々発止で乗り切るシーンや、亡き殿の未亡人のところに討ち入り決行を伝えに行った際に敵のスパイがいることに気づき「討ち入り?やるわけおまへんがな」とトボけて帰っていくシーンなど定番の名場面はすべて作り話である。
そういうシーンを後から創作した先人には敬意を評したい。そういうエピソードこそが忠臣蔵を後世で輝かせてきたわけだ。だからこそ今後は宮藤官九郎や三谷幸喜あたりがまったく新たなシミジミ泣けちゃうような切ないエピソードを作り込んで加えることで今後100年の忠臣蔵盤石体制を築き上げてほしいと思う。
クリスマスだから今こそみなさんで忠臣蔵を鑑賞したいものである。Amazonプライムなどでかつての名作はたくさん観られる。片岡千恵蔵や長谷川一夫、三船敏郎あたりが大石内蔵助役を演じた重厚な作品が数々あるので、クリスマスがダメでも年末年始は忠臣蔵三昧で過ごすのもオツだと思う。
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