「咳をしても一人」。有名な流浪の俳人・尾崎放哉の句だ。自由律俳句というよく分からない手法なのでこれでも俳句らしい。
これが俳句なら私だって似たような句を詠むことがある。
「息を吸っても太る」「くしゃみしても太る」。いかがだろう。自由律俳句として切ない深層心理を描いた作品だ。
というわけでデブである。年齢とともに基礎代謝が無くなったからすぐに太る。困ったものだ。コロナのせいで酒を飲む機会が減りしっかりメシを食べてしまうことも要因だ。
まあ、この歳になってこんなモノを喜んで食べてしまう精神性も大いに問題である。「すき家」が発売している「焼きそば牛丼」という魅惑の逸品である。
店で頼むのはちょっと恥ずかしい。パリッとした三つ揃いのスーツ、胸元にポケットチーフ、足元は英国制紳士靴である。「焼きそば牛丼、特盛りでね!」などとは言いにくい。
だからウーバーイーツのお世話になる。なぜか常に特盛りで注文する。デリバリーだとぎゅっと押し込まれているから上の画像も大したこと無さそうだが、肉もメシもガッツリだ。
牛丼の上に焼きそば。普通の人から見れば暴挙である。でも、いつもバカ食いしていた男の子の成れの果てである私にとっては納得の一品である。
ウマいマズいを語るようなものではない。ガッツリの牛丼の上に焼きそばが鎮座しているだけで崇拝すべき対象になる。
話は変わる。先日、久しぶりにトンカツを食べたくなって日本橋高島屋に入っている「かつ吉」に出向いた。
水道橋の本店には文京区在住時代にちょこちょこ行ったが、高島屋のテナントだとどことなく高級感が漂う。サービスも妙に丁寧だ。
高島屋店は2種類のトンカツソースの他に、ミソダレ、ねぎダレ、おろしダレの3点セットが用意されるのがウリらしい。
ソースマンである私は2種類のソースを混ぜ合わせて使う。他のタレはビールのつまみとして楽しんだ。
肝心のトンカツはいつもの悪い癖で店で一番高いヤツを注文する。特上ロースだ。
ちょっと脂身が多すぎたが頭の中がとんかつモードだったのでわしわし完食。
この日は一人メシだったから、これで充分なのにテーブルの上に複数の皿を並べたい私はロースカツの他にエビカツも注文する。
季節限定のシジミのクリームコロッケにするか悩んだのだが、タルタル人としての魂がエビを選ぶ。
ファストフードのエビバーガーの具材の高級版である。エビがギッシリ、タルタルソースととんかつソースをミックスしたデブダレでムシャムシャと食べる。
生ビールをジョッキで2杯、メインの揚げ物を2皿。ご飯は我慢しておかわりせずに一杯。箸休めの漬け物やサービス品の酢の物を少々。最後に味噌汁。
誰に気兼ねすることなく誰と喋るわけでもなくゆったりのんびりと過ごす。「孤独のグルメ」の世界ではないが、やはりこういう時間も悪くない。
太ることを気にしているのにこんな行動をしているようではデブの神様は微笑むだけだろう。帰宅後は当然のように太田胃散のお世話になった。
さてさて季節が変わっていよいよ冷やし中華サマの出番である。スーパーでもチルド麺の陳列が始まった。これもまた四季の風物詩と言えよう。
冬だろうと普通のラーメンを冷水で締めて常備してある冷やし中華スープをかければ食べられる。しかし、やはりラーメンとして誕生して熱々で食われようと覚悟を決めていた麺に申し訳ない気がするから、店頭に冷やし中華が並ぶのは嬉しい。ワクワクする。
私の自慢はもう何十年も冷やし中華の麺を1玉だけで食べたことがないことだ。自慢という話ではないが、常に2玉である。キンシタマゴもキュウリもハムも入れない。強いて入れるならチャーシューだけである。
具材を入れないんだから麺は2玉という絶対的法則がウン十年続いているわけだ。だから3玉入りのチルド麺はウマそうに見えても買わない。
昔は具を入れない冷やし中華なんて低カロリーだと信じて疑わなかった。ましてや冷たいしサッパリしているから、ひょっとしたらカロリーはゼロかもしれないと思ったこともある。
でもチルド麺の包装袋をじっくり眺めると結構びっくりなカロリー表示が記載されている。いつも見なかったことにしている。
というわけでデブの道ははてしなく続いていく。