2013年8月30日金曜日

腰痛と寿司


このところなぜか腰の痛みから解放されて快適だ。5年ぐらい前に突然腰痛持ちになって以来、だましだまし暮らしているが、この調子ならバッチグーだ。
最近、40代のオッサン盛りの知人から腰痛話を立て続けに聞く機会があった。

一人は夏休みの初日にギックリ腰になって1週間寝たきりだったらしい。いつリストラされるか分からない立場だったが、たまたま勤務先が一斉休業だったから人知れず寝込んでいられたらしい。

もう一人は腰痛のせいで数ヶ月も店を開けられなかったお寿司屋さん。個人商売だと文字通り死活問題になるから厄介だ。

このお寿司屋さん、以前からヤバいヤバいと思いながら仕事を続けていたが、ある日、まったく動けなくなり長期休業の憂き目に。

中年の腰痛、恐るべしである。


このブログ用にこんなポーズを取らされる我が社の人間も大変だが、これは私がよくやっている腰痛予防の姿勢の一つだ。

デスクワークで前かがみになり、キーボードをチャカチャカ叩く仕事だから、逆の姿勢をとることで全体のバランス調整に役立つ。

私が突然の腰痛で動けなくなったときには、杉並区某所で謎めいた治療院を開いているナゾの整体師に助けてもらった。

指圧でもない、ハリでもない、ゴリゴリ、バキバキみたいな痛いこともしない。よくわからん道具も時に使いながら、全身の波動を探ってサワサワスリスリみたいな感じで施術する。こちらは基本的に横になっているだけ。

何年もお世話になっているが、いまだに何をされているのか分からない。それでも不調の時にはたいてい一発でスッキリ身体が軽くなる。

全身のバランスを補正しているようだ。施術前に片足ずつ2つ用意された体重計に乗せられ体重の左右の偏りをチェックされる。施術後に計り直すと左右の重さが均等に直っているから毎度驚かされる。

どうやって調整しているのかはナゾのままだ。魔力みたいだ。でも心霊ナントカとか呪術みたいな類いではなく、一応、理路整然とした作業だ。

長期休業を余儀なくされたお寿司屋さんもいろんな所に通って治療したそうだが、港区某所で、やはり「ナゾの整体師」に遭遇して、その効果に驚いたそうだ。

然るべき年齢の然るべき人と話していると、たいてい、そうした「ナゾの整体師」を活用している。

私自身、常連顔でお世話になっているナゾの整体師だけでなく、人づてで「田園調布のナゾの整体師」にもかかったことがある。

効き目は実感したが、「大宇宙の波動」みたいな妙に神秘的な話を長々と聞かされたのが億劫だった。

病院でただただコルセットを買わされ、痛み止めの薬を処方されて耐えている人は多い。一種の思考停止だ。

結構アチコチに存在する「ナゾの整体師」は医療じゃないから健康保険も使えないし、効果を実感するまではインチキ臭いから、常に知る人ぞ知る状態だ。

でも、自分と相性の合う「ナゾの整体師」がうまく見つかれば、ヘルニアだろうと怖い手術をしないで何とか快適に暮らせる。

中途半端に医者に行くより効果的だと思う。

さて話を変える。

腰痛で休業していたお寿司屋さんが営業を再開したと聞いて、久しぶりに顔を出してきた。

銀座にある店なのだが、ニクい珍味をアレコレ出してくれるので私にとっては貴重な隠れ家だ。



イカのはらわた(ゴロ)を凍らせてルイベ状に味わう一品と甘~いミソをトッピングした毛ガニだ。

こんなツマミで酒を飲めるのだから幸せな場所である。

席数は多くないが、店自体は広く、おまけにタバコもOKだ。値段も界隈では手軽なほうで、何より珍しい珍味が嬉しい。

そうした条件に加え、店が入っているビルの他のフロアはすべてがクラブ。必然的にホステス同伴客がかなり多かったが、休業していたせいで、同伴利用のホステスが一斉に離れてしまったらしい。

生き馬の目を抜くアノ街で長期休業すると中々厳しい事態になるようだ。

店主の嘆きにいたわりの言葉をかけつつ、心の中では、「混雑しなくなったからラッキーかも」などとニンマリしてしまう。イヤなヤツである。

でも、店の復活を聞いたら客足は徐々に戻るはずだから、そのうち、フラッと訪ねても席がない日が遠からず来ると思う。

なんだっけ、腰の話だった。いや、寿司の話だ。

よく分からなない話になってしまった。

腰の調子が良ければ寿司もウマい!

そんな結論でスイマセン。

2013年8月28日水曜日

良い靴は・・・


暑すぎたせいで靴磨きをサボっていた。靴磨きってマジメにやると汗だくになる。一度に何足もの靴と格闘するとヘトヘトになるほどだ。
とはいえ、良質な靴の香りを嗅ぎながら、クリームを染みこませた革が光沢を放ち始めるのを見るのは快感である。ウットリする。


ヨーロッパはもちろん、日本でも、然るべき場所に出向くと、まず100%、早い段階でこちらの足下がチェックされている。チラ見とはいえ、瞬時に見抜かれているようで面倒だ。でもそれが現実だ。

実際、然るべきポジションにいる人ならヨレヨレで疲れた靴を履いていることはない。キッチリ手入れされた靴は、その人物を端的に表わすのも確かだ。

●「良い靴は良い場所に連れて行ってくれる」

靴好きな人間なら一度は耳にする言葉だ。キザなフランス人あたりが浸透させた言葉らしい。

高級靴を無理して買う(買わされる?)時に、一種の免罪符としてこんなセリフが頭をよぎる。

でも、不思議なもので、そのフレーズを単純に信じる気持ちもある。靴に凝ってみると、免罪符のような言葉も、さもありなんと思える経験をする。

私の場合、数年前に突然、靴バカの道を歩み始めた。そして、いま自分が置かれている場所、自分が歩いている場所は、靴に凝り出す以前の自分が見ていた景色とはまるで違う。

間違いなく違う場所にいる。違う場所に辿り着いたと言うべきか。その「違う場所」が「良い場所」なのか否かはよく分からない。

そこが「PROMISED LAND」なのか「A PLACE IN THE SUN」なのかは、まだ分からない。。。

なんのこっちゃ?

でも、少なくとも数年前より心穏やかに充実した場所に身を置いている実感はある。「靴信者」としては、今いる場所に運んでくれたのは良い靴のおかげだと思った方がロマンチックである。

●「安い靴を買うほど裕福ではない。流行りの靴を追いかけるほど浪費家でもない」。

これまた言い得て妙である。安い靴は愛着が湧きにくいし、大事にしないからすぐにダメになる。流行りの靴もアっと言う間に色あせる。

気軽に買えないような価格帯のちゃんとした靴であれば、買ったあとも手入れしたくなるし、その執着心のお陰で大事にする。

全体重、すなわち自分のすべてを一身に受け止めてあちこちに運んでくれるのが靴だ。

自分自身を大事にすることと同じだ。文字通り、下支えしてくれる相棒には、それなりの敬意を持った方が「良い場所」に辿り着きやすいはずだ。

靴に凝り始めてからは、その日の気分や状況で、一日をともにする靴を選ぶ習慣を楽しんでいる。

どうせ、靴を脱ぎ捨て美女とベッドに倒れ込む場面なんて無いのだから、紐でぎゅっと足を縛り付けて「良い場所」に向かってさまよう。

かったるい時には、ひも靴が億劫になってダブルモンクの靴を選ぶ。上側のベルトを外したままでツッカケのように履く。こういう時は不思議と仕事の能率も上がらないし、楽しいことも起きない。


EDWARD・GREENとかGAZIANO&GIRLING、CROCKETT&JONESといった英国靴を選ぶと、なんとなくカチっとした気分になる。大事な仕事の時や、自分に気合いを入れたいときには英国靴の質実剛健な雰囲気が手助けしてくれる。

初めのうちは硬さが気になる英国靴だが、履き込んでくると実にしなやかで優しく足を包み込むような感じに育ってくる。

こうなると、毎日同じ靴を履きたくなるが、そこは我慢我慢である。ローテ-ションによって、時々履くようにすれば10年だって付き合える。

STEFANO・BRANCHINIとかSANTONIやTANINO・CRISCIなどのイタリア靴を選ぶと、どことなく自分が伊達男になったような感覚になる。ナンパ心がザワザワしているときや、パアーっと遊びに行きたいときはイタリア靴の色気に頼りたくなる。

JM・WESTONやAUBERCYといったフランス靴
は、英国靴とイタリア靴の中間だ。華やかさだけではない落ち着きもあって、どっちの気分にも転べる時に出番が回ってくる。

CARMINAやMAGNANNIあたりのスペイン靴は、脳天気でカジュアルな気分の時に構えずに履きたくなる。

あくまで個人的な思い込みだから、それぞれの靴の特徴や目指している路線とは関係ない。自分の中の基準だ。ちょっとバカみたいだが、そんな小さな思い込みひとつでも日常のスパイスになる。


先日、新しい靴を2足購入した。小旅行に行けるような値段だった。慢性的に金欠だが、「良い場所」に私を運んでくれるなら安いものだ。

いや、その程度の靴ではまだ甘いかもしれない。銀座のクラブを数件ハシゴするぐらいの値段の靴を思い切って買った方が良かっただろうか。

「良い場所」への近道になるのなら、次回はそのぐらいの覚悟を示さないといけない。

ああ節約しなきゃ。

2013年8月26日月曜日

再始動


おやじバンド、再始動である。去年9月、初めてのライブハウス経験を経て、調子に乗っていたらもう1年近く経ってしまった。
昨年暮れに二回目のライブをもくろんでいたが、いまだに実現していない。年を重ねると時間が過ぎるスピードが猛烈に早く感じるが、どうやらそれが原因だと思う。

去年のライブ反省記はこちら
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/09/blog-post_19.html

アコースティックギター2人とボーカルの私との3人編成だ。次回はエレキも場面によって使う予定だ。ハモりやコーラスも多用する構想だけはある。

実は、メンバーの一人が多忙のため活動休止状態になってしまった。練習中の私の厳しい叱責に音を上げたわけではなく、一身上の都合である。

バンドの名前は3人の苗字から1文字ずつ使っているので、これは大変な事態である。違うメンバーを入れるとバンド名も変わってしまう。

ということで、残った二人で協議した結果、休止したメンバーと同じ文字を苗字に持つ男に絞ってスカウト活動を展開した。

「山田くん」が抜けたから「山川くん」に加入してもらうような話だ。

そして、全国での予選、決勝大会を経て?決定した新メンバーは、われわれと頻繁に飲んでいる男だった。

実に安直である。

でも、栄光の?バンド名を変えないためには結果オーライだ。

そんな書きぶりだと、苗字の字面だけで新メンバーが決まったようで誤解を招く。あくまで新メンバーは超絶的ギターテクニックと卓越したコーラスアレンジ能力を持つ鬼才である。

彼のモチベーションを保つために、このぐらいはヨイショしておこう。



練習初日に彼が持参した1千曲も収録された分厚い歌本である。1981年発行のギター教則本みたいなシロモノだ。

30年前の彼の訓練の記録が手書きで書き込まれている。「木綿のハンカチーフ」を血眼になって練習した形跡もある。音楽性の違いが気になるが、わがオヤジバンドの特徴は昭和メロディーの追求?だから問題なしである。

思えば昨年の夏は、初ライブに向けて、ほぼ毎週練習に明け暮れた。その頃、家にいたくなかった重~い?事情があったので、バンド練習は実にありがたい時間だった。

無心になって歌をがなり立てる。ライブ日程というお尻の決まったスケジュールのせいで徐々に緊張感も増す。歌と演奏との兼ね合いや全体の構成、時間配分なんかの協議をかねて、練習後は飲み屋でさんざんクダをまく。

その時ばかりはバンド活動に没頭するわけだから、雑念や邪念も忘れられる。あの時期、個人的な憂鬱事から逃避できたという意味で、おやじバンドに救われたようなものだ。

さて、憂鬱事がなくなった今年、去年より楽しく弾けようと考えている。既に練習後には3人で居酒屋のオネエサンにちょっかいを出し始める脱線ぶりだ。破天荒なミュージシャンみたいでそれも良かろう。

演奏曲も固まってきた。当然かもしれないが、前回からほぼ全曲入れ替えである。森高コピーバンドになる恐れは無くなったが、某女性ボーカリストの名曲もしっとり?とカバーする予定だ。

前回、1曲目はヒデキだったが、今度はジュリーで始める予定だ。

これから、ちょくちょく集まって大真面目に真剣に遊び続けることになる。

ライブ開催は年末の予定だ。

2013年8月23日金曜日

玄人か素人か

とある知り合いに珍妙なことを言われた。

「玄人専門らしいですね」。

女性の好みをめぐる話題で、そんなことを言われた私は一体何者だろう。

玄人専門?、「くろうと」の定義って何だ?

吉原に通い詰めたいけど、遠いから行かないし、イメクラ、デリヘルとかも縁が無い。池袋で深夜の立ちんぼと仲良くした経験も無い。

よく聞いてみると、どうやら春を売る専門の玄人ではなく、水商売全体を指す意味だったらしい。

要するにOLとか人妻とかそういう「素人」ではなく、水商売関係の「玄人」ばかりに目が行く男だと思われていたらしい。

大いなる誤解である。決して玄人専門ではない。誰でもいい、いや、何だってOK、いや、そういうわけではない。優しくしてくれる人ならジャンル?を問わず大歓迎である。

さて、玄人と素人という分類も何だか曖昧だ。俗に言う素人の中にも売春婦みたいな人はいるし、玄人にだって妙に純情な人はいる。

まあ一般的に夜の社交業に従事する女性は、男あしらいになれているわけで、その点では玄人という分類になるのだろう。それだって、プロ意識に欠けるヘタレも多いから、ますます分類分けは難しい。

男の目線で「振り回されたら腹が立つか」という角度で比較すると、その違いは明瞭だ。玄人さんに振り回される分には、「まあ仕方ないな」で済む。素人さんだとそうもいかない。腹が立ったり恨みたくなったりする。

そう考えると、女性に振り回されたいMな私としては玄人さんに痛い目に遭わされた方が変にウジウジしないだけマシだ。

「客」というポジションは気になる女性相手には壁でしかないが、逆に言えば、逃げ場にもなる。

そんなビミョーな話を書いていると、「玄人好き」とかいうヘンテコなレッテルを完全払拭できないハメに陥りそうだから適当にしよう。

まあ、優しくしてくれる女性なら、玄人だの素人は関係ない。長い間、男を生きてくると、いちいちそんなことには構っていられない。

さすがにサセコみたいなのはご勘弁だが、玄人だろうが素人だろうが、薄皮一枚ひん剥げば、みなさん生身の女性である。

相性が合うかどうか。それだけだ。

一体何が書きたかったのかよくわからなくなってきた。

そうだ。スーパーコスプレカラオケ選手権の話だった。「素人」の女性20名ほどが咲き乱れた楽しい宴の話だ。


この日は、4グループが集結。それぞれのグループの女性同士は面識がないものの、コスプレで盛りあがると、同類のよしみ?でワイワイガヤガヤである。

対する男性はわずか4名だった。そう書くと天国みたいに思えるが、そうでもない。収拾つかない感じとでも言おうか。シッチャカメッチャカである。

男性は一応、審査員だ。というか、あの女子軍団のパワーを前にしたら、こちらの美声を聴かせる余裕などない。聴き役に徹する。

とか言いながら、ここに載せられないようなローアングルのスケベ画像を撮影してニタニタしていた。気づいたら誰からもアドレス一つ教えてもらえずお開きになっていた。そんなもんだ。

ミススカポリスやミニスカナース、メイドさんにチャイナドレス、犯罪のようなセーラー服や得体の知れ合いターザンみたいなカッコや半ケツが出ている女子もいた。


20代前半から40代前半まで。ヘンテコなカッコだとみなさん年齢不詳である。「素人さん20名」と書いたが、あのノリとサービス精神を目の当たりにすると、玄人とか素人とかの線引きもよくわからなくなる。

コスプレは女子にとって楽しいものらしい。もともとスーツぐらいしかオシャレができない男と違って、女性の場合は、化粧や髪型、着るものを取っ替え引っかえすることで、自分自身に変化をつけて楽しむ生き物だ。

婦警さんやメイドのカッコなど日常では有り得ないから、何だか目付きも変わって、ハイテンションになっていた。魔物みたいだ。

ちなみに、男がコスプレしたらどうなんだろう。スーパーマンとかガッチャマンみたいなカッコに着替えて歌い踊れと言われたら、あんなにノリノリになるだろうか。多分無理だ。

やはり女性と男性は生き物としてまったく異なる種別だと思う。寿命が違うのも納得である。


この日のコスチュームはあらかじめ用意されたものが大半だったが、いまどきのカラオケボックスには、いろんなコスプレ衣装が用意されていることが珍しくない。

変身して歌うという行為が、思った以上に世の中で普通のことになっているのかもしれない。多かれ少なかれ変身願望は誰にだってあるのだろう。

私も変身したくなってきた。宇宙戦隊みたいな衣装でも買ってみようか。それに身を包んで出社したら結構カッチョいいかもしれない。

2013年8月21日水曜日

下町の魅力


祖父が浅草の人だったから、東京の下町には何となく思い入れがある。たまに散歩すると結構楽しめる。
浅草に限らず、谷中、根津、千駄木あたりの風情はなかなか魅力的だ。あれこそ本来の東京の空気だろう。

六本木だ西麻布だ、青山、赤坂だって東京っぽい場所だが、下町の東京らしさのほうがシックリくる。

地方から出てきた人が頑張って作り上げたカッチョいい東京も東京を代表する姿だが、土着?の東京人がその空気を代々維持してきた下町もまた、東京の本当の姿だ。

お盆の関係で先祖が呼ぶのか?なぜか夏の盛りになると下町に足が向く。

などと格好つけて書いているが、何のことはない。単なる食い道楽で出掛けてきた。

それにしても、あっち側に行くと、今ではどこからでもスカイツリーが見える。好きな人や関係者には申し訳ないが、あんまり美しい景色には見えない。

ヘンチクリンだと思う。異物感とでも言おうか。私が東京タワー世代だからだろうか。シュッとした東京タワーのフォルムと比べてスカイツリーはどことなくイカメシイ雰囲気がある。

ふと目に飛び込んできたときに、ワクワクする気持ちより、妙な圧迫感を覚える。なんでだろう。個人的な感覚だが、ちょっと不思議だ。

さて、食い道楽の話だった。


深川に近い江東区の森下にある「みの家」で馬肉をワンサカ食べた。桜鍋である。

100グラムあたりのカロリーは牛や豚に比べて格段に低い。牛サーロインが約500㎉、豚ロースが300㎉ぐらいなのに対して、馬肉は100㎉チョットである。

脂質も牛の20分の1、豚の10分の1である。それにくらべて鉄分は牛の4倍、タンパク質も牛の2倍近い数字だ。

デブな不健康オヤジには神様みたいな食べ物である。


この店の鍋は特製味噌で食べさせる。甘じょっぱい味付けがタマランチンである。ロース肉、ヒレ肉ともに新鮮ブリブリで、ピンク色ぐらいの火加減でむさぼると抜群。

下足番がいる店の風情も下町情緒タップリで落ち着く。馬刺しをつまみに冷酒をキュッと引っかけるのも最高だ。

夏バテ予防に効き目があるそうだが、既に夏バテなのでその効果は感じなかった。でも単純明快に「ウマいもん食ったぜ~」という満足感に包まれる。

近所に住んでたら頻繁に通いたくなると思う。


お次は台東区根岸にある洋食の殿堂「香味屋」だ。今は亡き祖父も好きだった老舗だ。安定的に美味しい。東京を代表する洋食屋さんだ。





上から順に、最高だったテールシチュー、最高だったメンチカツ、まあまあだったエビピラフ、ごく普通だったオムライスである。

デミグラスソースの完成度は究極と言ってもいい。こんなソースがあれば、何だって美味しいと思う。

ご飯に混ぜるだけで具が無くたって悶絶できるし、私が大嫌いな野菜だってこのデミソースをかければブリブリ食べられそうだ。

思わず頬ずりしたくなるほど愛しく感じたが、人目もあるから頬ずりはやめておいた。

ここもまた近所に住んでいたら頻繁に通いたくなると思う。

現在、賃貸マンション住まいで身軽だから思い切って下町エリアに引っ越そうかと考え始めている。

「お住まいはどちら?」

「へえ、浅草です」

ちょっと憧れる。

会社から遠いからチト難しそうだが、千駄木あたりだったら案外現実的かもしれない。

オッシャレ~な街に興味がないアマノジャッキーの住みかとしては、下町エリアは面白そうだ。

まじめに考えてみようっと。

2013年8月19日月曜日

味覚の不思議


食べ物のウマい、マズいは極めて個人的感覚である。ピーマンをウマいと感じる人もいれば、鮒鮨をウマいと感じる人もいる。はたまたカレーライスが苦手な人もいれば、寿司が食えないなんて人もいる。

最近つくづく思うのだが、味覚は結局、気分によるところが大きい。

普段は大好きな食べ物でも、喧嘩している相手と一緒ならウマいと思えないし、大絶賛されている料理だろうと、その店の感じが最悪だったらウマくは感じない。

逆に、冷凍ご飯をチンしたお茶漬けだって、大好きな人と笑い合いながら食べたら美味しく感じる。

そんなものだろう。

究極的には、一人で平常心で雑念抜きに食事と向き合えば、それがウマいかマズいかは簡単に判断できる。でも、それだけでは面白みに欠ける。

気分の良さを、機嫌の良さが加味されてこその美味しさだろう。

なんだか大げさな書きぶりだが、こんなことを書き始めたのは、走り書きしていたメモに、お寿司屋さんでの感激ぶりが書いてあったから。

中年になると、物事をよく忘れる。そのためちょくちょく、自分の名刺の裏とか、そこらへんの紙切れに大事なこと、気付いたことなんかをメモする。

メモ書きするのはたいてい酔っ払った時だから、2~3日もするとすっかり忘れている。読み返してみて、ひとりでフムフム感心したりする。

寿司屋で感激したのは、先日のハワイ旅行直後のこと。たかだか1週間の旅行だったのだが、旅行中は和食とは無縁で日本酒も焼酎も飲まず、肉ばかり食べていた。

「寿司食いたい病」「日本酒酒飲みたい病」は5日目ぐらいから顕著になっていたので、帰国早々にいつもの「鮨源」に出かけた。

ここは、惰性でなんとなくノレンをくぐる時もある。座るなり、「今日は寿司の気分じゃないなあ」と感じることさえある。それでもいつもウマかったな~と帰路につく。

メモ書きしたその日は、頭の中でナマモノと酢飯が乱舞するほどだったので、いつも食べているようなものでもビンビンに私の味覚を刺激した。

気分で味が変わることを改めて痛感した。伯楽星とか新政の冷酒をカピカピ飲みながら妙に過敏になった舌が、赤身のマグロの酸味や白身魚の旨みを感じまくる。水茄子の漬け物の食感にまで武者震いするほど歓喜する。



冷酒のおともに「ウニ」「イクラ」をもらう。小鉢にちょっとだけシャリを盛って、その上にドッサリ載っけてもらう。

上の具だけ食べてもウマい、シャリと混ぜて食べてもウマい。メロメロだ。ウニの磯っぽい甘味、イクラのジュルリンとしたまろやかさ。この時ばかりは壇密がご開帳して誘ってきてもお断りしたと思う。いや、断らないと思う。。。


毛ガニである。甲羅の中にはタップリのミソ、ほぐした身がどっさり盛り込まれ、これまた冷酒を引き立てる。先月、わざわざ函館にこれらを食べに行った時よりウマい。飛行機代を損した気分になる。

滅多に食べないものではないのに、ことごとく感激した。味覚の不思議である。

普段は食べないような料理を1週間食べ続けること。これを徹底すれば、そのあと食べる自分の好きなものがいつも以上に美味しく感じる。

考えてみれば、会話も弾まなくなったドンヨリした家庭でも、飽き飽きするほど食べ続けている奥さんの手抜き料理をほんの1週間食べずにいるだけで似たような効果があるかもしれない。久しぶりに味わえば、相当ウマく感じるはずだ。

グルメだなんだといっても、しょせん気分や思い込みが味覚を左右する。

私の場合、旅に出ると、その土地土地の珍しいものや名物をがつがつ食べたがる。その場所に来ている高揚感も手伝って、たいてい美味しく感じる。冷静になればウマくも何ともないものも多いのに、甘甘の判定になる。

旅先で感激したものを東京で食べても感激しない。こればかりは不思議だ。沖縄で飲む泡盛は最高だが、東京では普通だ。宮城のずんだ餅も東京では食べたいと思わない。

きりたんぱ、鯛飯、ちゃんちゃん焼き、ほうとうにちゃんぽんに味噌カツ・・・、どれも旅先では大感激してワシワシ食べるのだが、なぜか旅から戻ると食べようとしない。

それが現実だ。

なんだか箸にも棒にもひっかからない話をグダグダ書いていたら、また旅に出たくなってしまった。

帯広あたりに豚丼でも食べに行こうか。いつも涼しい釧路での魚介攻めとセットで出掛けようか、こう暑いと北の方に目が向く。せっかく身軽な立場になったのだから、もっとアチコチにぶらぶら出掛けてみようと考えている。

夏の終わりにでも実行してみよう。

2013年8月16日金曜日

ああ恐ろしい


ツイッターとかFacebookなどの、いわゆるSNSの普及が世の中の一部の空気を確実に変えている。なんか大げさな書き出しだが、別にイマドキの右翼と左翼の論争について書くつもりではない。もっとベタなテーマについて書く。

SNS中毒の人も続出し、それ抜きには生きていけないような人すらいる。実際、私ですら友人との飲み会などは通常のメールを介してではなく、Facebook上で決めたりする。

疎遠になっていた友人と連絡が取り合えるのは結構だが、異性が絡むと厄介な話も多い。とくに中年男女の「テンパっちゃった青春復活!」みたいな空気はちょっと気色悪い。

10代、20代の頃に知り合いだった異性の友人達とSNS経由でつながって、同窓会気分で集まるのは楽しい。デジタル時代の恩恵だ。

ところが、そこからグズグズとした話に進展するケースが多い。古い知り合いだからブランクがあっても打ち解けるのは早い。結果、怪しい恋心とかエロ心が沸々とわき上がっちゃうパターンにつながる。

私が男だからだろうか、女性側のプッツン?ぶりが目につく。子育ても一段落して、刺激のない日常に焦りを感じて、懐かしい男友達と再会して一気に青春モードに邁進する。そんな感じ。

男だって中高年になると「もうひと花」とか「まだまだ現役」みたいな強迫観念に襲われて妙に頑張っちゃうことはある。でも、一部の女性の暴走はタチが悪い。

先日、知り合いが困惑している話を聞いた。昔、付き合いのあった女性とLINEでつながったものの、一方的なメッセージの乱発に閉口しているとか。

その内容がまたヒドい。「旦那が浮気してたから、相手の女にウン百万円の慰謝料を請求したよ!」、「でも私も仕返しに恋人つくるんだ!」みたいな内容。延々と自分のご立派ぶり、ヒロインぶりを語り続ける。かなり病的な感じだった。

私自身、大昔に付き合いのあった女性から意味不明なメールをたびたび送り続けられて困った経験がある。時代が止まってしまったかのような勘違い連発の内容でビビった。

恐ろしくなって迷惑メールに自動的に振り分けられるように設定して平和?が戻った。ただ、迷惑メールフォルダに迷い込んだ必要な受信メールを探す際に、その人から相変わらず届いているメールを見つけて寒くなったりする。

中年女性のエネルギーって思った以上に凄いと思う。電力不足を補えるような発電力さえあるんじゃないかと思う。

そんなことばかり書いていると全日本中年女性連盟から糾弾されそうだから適当にしよう。

SNSもそうだが、いまどきのスマホ、ケータイの位置情報ってヤツも困りものだ。いつどこにいたのか記録されてしまう。そういう下らない情報を血眼になってチェックする輩もいる。デジタル時代の弊害だ。

いまどきの浮気発覚事情は、たいていがこうした端末の覗き見が原因らしい。たしかに行動予定とか行動記録すべてが入っているわけだから、中身を見れば一目瞭然である。

私も家庭を持っていた頃は、そのあたりには細心の注意を払って、世界最高レベルのシークレットモードを搭載したケータイを愛用していた。まさに平和維持活動だ。家庭内PKOである。おかげでケータイを家に忘れて出掛けても焦るようなことはなかった。

いまの端末は、どんなものでもそこそこのプライバシー保護機能があるわけだから、それなりの慎重さがあれば平和でいられる。普通は覗き見される事態は避けられる。

ただ、これも常識のある人間同士の話だ。世の中にはタチの悪い覗き趣味を持つ品性下劣な人間もいるから油断大敵だ。

酔って熟睡している男の手指を彼のスマホに触れさせ指紋認証を解除して中身を盗み見するという呆れたパターンもあるらしい。

そんな相手の前で熟睡していた男の無防備ぶりもダメダメである。気を許していい相手とそうでない相手は見極めないと危険だ。熟睡するのは信頼できる相手の前だけにすべきだ。

気をつけなきゃいけない。

でも、盗っ人もそこまでいくと異常だ。この事例だけでなく、夫や恋人のパソコンに向かってパスワードの解除に挑もうと必死に創意工夫するような人間は精神的に問題があるのだろう。

万引きがやめられない人と同じでレッキとした病気だと思う。盗癖と同じ。下卑というか異常人格だ。人として醜い行いである。

これも一種のデジタル化の弊害だろう。人の情報を覗きたい心理は誰にでもある。でも、普通の感覚なら、人のモノを盗まないのと同じで一線は越えない。

スマホやパソコンなどの機器を操作して認証を解除するという行為が、ゲームをクリアするような感覚になって、簡単に卑しい行動に走らせるのだろうか。道徳とか分別、わきまえといった日本人が大切にしてきた感性が根本的に欠落した人間が増殖している。なんとも恐ろしい時代になったものだ。

低俗な盗っ人の話だけでなく、Facebookにしても、ナンタラカンタラすると自分のアカウントが乗っ取られるとか、LINEについても怖い話をいっぱい聞く。デジタル時代の罠は結構恐ろしい。

お年寄りが簡単にオレオレ詐欺に引っかかっても、若い世代にはピンとこない。何でそんなものに引っかかるのか、注意力が足りないなどと、シタリ顔で語ってしまう。

でも、日々進化する得体の知れないデジタル化の波にだって同じような危険が潜んでいる。

詳しい人は危険を察知するのだろうが、中高年が安直にSNSなどでハシャいでいると、思いもよらない被害を被ったりするのだろう。

便利さの一方で気持ち悪い時代になった。下劣な人間や罠が溢れる社会とでもいおうか。

みなさんも罠にはまらないように注意しましょう!


2013年8月14日水曜日

東京のホテル

昔に比べて都内のホテルも百花繚乱状態である。外資の最先端ホテルがどんどん進出してきて、どこに何があるのかワカランチンって感じである。

あまりカッッチョいいホテルは疲れるので、昔の御三家のようなノホホンとした老舗ホテルの方が居心地が良い。

いまどきのホテル競争のおかげで、それなりの高級ホテルも手軽にデイユースを受け入れるようになった。

デイユース、日中の数時間単位で部屋を貸す仕組みだ。すなわち「ラブホ」である。ちょっと極端な言い方だろうか。でも、現実はそんな使われ方が多い。

いい年した大人だと、何かとラブホテルを使いにくい場面も多い。ジャイアンツを追い出された「モナ男」もラブホのせいで批判されてしまったように、TPOは大切だ。

テキトーなシティホテルなら高級ラブホのほうが断然快適だが、そういう問題ではない。

ダッサいシャワーカーテンを閉じて狭苦しいバスルームを使うハメになっても、ラブホよりシティホテルを活用する場面は多い。よくわからないが、そういうものだ。

デイユースに限らず、夜の9時や10時以降のチェクインを条件に格安で部屋を提供するパターンも増えている。これまたラブホ需要である。

銀座のホステス、なかでも枕営業に頼るスケベさんがアフターのカラオケの後に、周辺のシティホテルに吸い込まれる困った話をよく耳にする。

連れ込む(連れ込まれる?)シャチョーサン達も「遅い時間の優待プラン」を活用しているのだろうか。知らないようなら教えてあげたい。

アノ手のラブホ的格安プランの特徴は、ホテルの公式ホームページを探しても出てこないことが多い。ホテル側の見栄もあるのだろう。その代わり、ホテル予約サイトで探せばゴロゴロ見つかる。

デイユースに限らず、普通の宿泊でも、そこそこの高級ホテルの投げ売り価格が予約サイト上で簡単に見つかる。

目的が目的なら、何もそこで朝を迎える必要は無いわけだし、コトが済んだらとっとと夜中にチェックアウトしたって構わないわけだから、それなりのランクのホテルにおいては「ラブホ化」がますます進むのだろう。

おまけにスマホの普及でインターネットをちょこちょこイジるのが簡単になった。流れや空気に応じて、飲み屋のトイレでこっそり予約しちゃうなんてワザも普通の時代だ。

ほんの10年ぐらい前までは世の男たちはもっと苦労していた。

「もしや」「ひょっとしたら」「うまくいけば・・・」の期待だけで、前もってホテルの部屋を取っておき、あらかじめチェックインまでしてカギを隠しながら一生懸命女性を口説いていた。

当然、もしや、はそう簡単に起きないし、ひょっとしないし、うまくいかないから、その部屋が無駄になることもある。実に非生産的だった。

IT化の恩恵は、世のオッサン達のムダな出費を激減させてくれるわけだ。実に便利になったものだ。

今日は始めから話がそれてしまった。ホテルのプールでリゾート気分をチョッピリ味わう話を書くつもりだった。

コーヒーやカレーライスにしてもホテルの値段はヘンテコである。必然的にホテルのプールの値段も妙に高い。

妙に高い=あほらしい。これが真実だが、裏返せば、そんな贅沢をすれば芋洗いを避けてプールサイドでホゲホゲできる。

ということで、あほらしいことをしてきた。

都内のホテルで屋外プールを持つところと言えば、ニューオータニ、東京プリンス、オークラ、京王プラザ等々結構みつかる。

ただ、どこもこじんまりだ。高額な料金を取られる割には窮屈さを我慢する必要がある。

で、どこが一番広いか調べてみた。江東区にあるオークラ系列の「イースト21」というホテルのプールが都内随一の広さだとか。

プールに入るだけで平日6千円、週末は1万円以上の料金を取るらしい。おったまげである。それならばとムダに部屋も一泊取って出かけてきた。

宿泊してもプールはタダにならないが、部屋の備品を盗みまくって、いや、備品を使いまくって過ごせばいいと考えて、のんびり過ごしてきた。


で、さっそくプールに行ってみた。確かに都内にしては破格の広さである。がんがん泳げるサイズのプールが二つ。ジャグジーもいっぱいあって、実にゆったりだ。

ロッカーの数しか客を入れないようで、時間帯によっては入場制限も実施。おかげで芋洗い状態にはならない。これはなかなか快適だ。

印象的だったのはビキニのオネエサンが妙にたくさんいたことだ。バンザイである。女性同伴で行くと難しい面もあるが、それでもハマショーばりのサングラスをすれば、目の保養もバッチリだと思う。

軽く飲み食いできるテラスもある。喫煙スペースもある。うろついているスタッフも丁寧。これはこれで夏の穴場だと感じた。

夕方6時で終わっちゃうのが残念。これだけバカみたいに暑いのだから、ライトアップして夜プールを開放すれば、大人気になると思うのに実にもったいない。

都内のホテルであれば、その日、もしくは翌日の天気予報を見てから手配するのも簡単だ。猛暑で晴れの予報なら、こんな穴場でひとときの涼を取るのも悪くない。

2013年8月12日月曜日

ウナギ問題


ウナギ問題には困ったものである。いつの間にか高嶺の花状態になって、「ウナギを食べに行く」こと自体が特別な行為みたいになってしまった。 
重装備して登山に行くような、はたまた、武装して危険地帯に乗り込むような、どこか居ずまいを正して、心に渇を入れて、身震いしながらノレンをくぐるような雰囲気になりつつある。

乱獲、乱食がすべての原因だと聞けば、食べてはいけないものなのかと思ってしまう。そのくせ、牛丼屋がバンバン売り出しているし、スーパーにもざっくざっく並んでいる。



そもそもウナギは、日常食ではなく、「ご馳走」として君臨していたほうが収まりがいい。

牛丼屋あたりで、ものの10分ぐらいで食べ終わってはいけないような気がする。

本来なら異様に手間がかかる調理の関係で、ファストフードの対極にあるべきなのに、冷凍技術、輸送手段などもろもろの進化で、その在り方、立ち位置がゴッタゴタになってしまった。結果として品薄になってしまった。

都内のウナギ専門店では、上物だと鰻重が4~5千円、中には7千円オーバーというオッタマゲもある。仕入れ値の高騰が招いた悲劇であり、そんな値付けをする店が悪いわけではない。

大手資本なんかが、日常食として大量消費するために稚魚の段階で乱獲してきたツケが、専門店の高額化につながってしまったわけだ。

あんな値段では、専門店の未来は暗い。当然、長い間受け継がれてきたウナギ文化は衰退の一歩だろう。

資源保護の観点からみんなでウナギを食べないようにすればいいのか?それも違う。取ってきちゃった以上、キチンと調理してもらって美味しくいただかないといけない。

というわけで、ウナギをワシワシ食べに行ってきた。

神田に本店がある「きくかわ」。庶民的な雰囲気、東京っぽい味で人気のある店だ。この日は日比谷の支店に出かけた。

この店、本店よりも飲み屋的ツマミの充実が特徴だ。個人的な好みだが、ウナギ以外のツマミもそこそこ揃っている店の方がいい。

妙に凜とし過ぎた雰囲気のなか、蒲焼きが出来るまで、「じっと我慢」みたいなストイックな店はあまり好きではない。

その手の店のウナギが100点で、ツマミもそこそこ揃ってる店のウナギが780点なら、私は後者のウナギで構わない。そういう意味では、この店の「ノリ」は悪くない。

なぜかシメ鯖が抜群にウマかったし、酒飲みに嬉しい酒肴がいろいろ揃っている。



食べかけの肝焼きと食べかけの白焼きである。こういうウナギ系ツマミとそれ以外のツマミも頼んで冷酒をカピカピ飲む。至福の時である。

無駄話に話を咲かせて、たばこも吸えちゃって、ほろ酔い加減になって鰻重サマの登場を待つ。

この日の鰻重サマは上から2番目のサイズ。5千円近い値付けである。100円マックなら50個、一皿100円の回転寿司なら50皿、すなわち100貫食べられる金額だ。

気取りのないノホホンとした店の雰囲気に見合わない値段だが、こればかりは仕方がない。今のニッポンの現実である。

それにしても、値段が高騰すると、気の毒なのはウナギである。この日のウナギのことではなく、一般論ではあるが、ちょっと小骨が多いとか、少しだけ焦げ目が多いというだけで文句を言いたくなる。

ウナギ本来の特徴、調理の特徴を考えれば、ある程度は当然と割り切るべきだが、こうまで高くなると、以前は気にならなかったことが気になったりする。

ブスの鼻毛より、美人の鼻毛のほうが気になってしまうようなものだろうか。不謹慎な例えでスイマセン・・・。

あと30年もしたら、遠い目をしながら「昔、鰻重という素晴らしい食べ物があったんだよ」と孫に語りかける予定である。

その日のために、しっかり孫に解説できるようにするために、暴騰にめげずウナギを食べ続けたい。

2013年8月9日金曜日

ちかれ旅


「ちかれたび~」。このセリフを覚えている人はかなりのオッサン、オバハンである。 
もう30年以上前のテレビコマーシャルで一世を風靡した。栄養ドリンクのCMで、山で作業しているオッサンが「ちかれたな~」、「ちかれたび~」と語り合う衝撃の作品だった。

さて、先日、1週間ハワイに行ってきた。ただただ「ちかれたび~」が感想だ。「ちかれ旅」である。

もちろん、遊びに行ったんだから楽しかったが、あんなに疲れた旅行はいつ以来だろう。ヘトヘトだった。



12歳の娘と御年70ウン才の私の母親との3人旅である。娘はハワイは5回目だとか。実に生意気である。でも、私と行くのは初めてである。

バリとかタイとかアジア方面には何度も連れて行ったが、ハワイがあまり得意ではない私のワガママで、ハワイに同行したことはなかった。

というわけで、いっぱしのリピーター気取りの娘にいつもとは違うハワイ旅を経験させようと意気込んでしまったわけだ。別々に暮らしていると、こういう時にシャカリキになってしまう。もっと大らかにならんといかんと痛感した。

私が連れて行かなかった時のハワイ旅行と無理矢理差別化する必要などないのに、ここぞとばかりに力んでしまった。

で、ヘトヘトだ。

バカである。

レンタカーはジープ・パトリオットだ。もっと手軽なコンパクトカーにすれば安くあがるのに、こんなところでも力んでいる。

まあ、そこそこゆったりしていて遠乗りするには快適だったから良しとする。縦横無尽に走り回った。ドライブしないと味わえない景色を見せようと思っても、肝心な場面で娘は寝ていたりする。そんなもんだ。

安いボディボードを調達して、東海岸側のビーチで何度も遊んだ。これまた疲れる作業ではある。毎日のようにダルい身体にむち打って海に出かけた。



ノースショアまで出かけてシュノーケルに励んだ日もあった。こっちとらぁ、キャリア25年以上のダイバー父ちゃんである。ちまちました小魚を見せてお茶を濁すわけにはいかない。

クリアな海水を求めて結構な深場にも行った。名物のウミガメを必死で探して何度も見つけた。でも、足ヒレをつけて泳ぐ経験に乏しい娘である。結局は私が引っ張りながら泳ぐ。ヘトヘトである。



息が上がって溺れる寸前だったことは娘には内緒である。

コンパクトなカメラで娘を撮影するふりして、近くを泳ぐビキニのオネエサンの尻画像を撮っていたことももちろん内緒だ。

食事はガラにもなく毎日毎日、牛肉のオンパレードだった。ハワイにまで行って和食は食べたくないとホザいていた娘に迎合したわけだ。

そうはいいながら、日々疲労困憊だったので、ステーキエネルギー?を本能的に求めていたのかもしれない。






プライムリブは4回も食べてしまった。小さいサイズを頼むようなヘタレではないので、いつでもビッグサイズである。これはこれで胃が疲れる。

一番上の画像は、老舗レストラン「チャートハウス」で頼んだ一品。ここのが一番ウマかった。

この店、20年以上前に年上のオネエタマに連れられてご馳走になって以来、何度も足を運んでいる。いまや娘相手にアレコレ言われる立場だ。諸行無常である。肛門いとをかし、いや、光陰矢の如しである。

昼間はハンバーガーだ。昼も夜も、アメリカ本土の田舎から旅行に来たオノボリさんみたいな食事ばかりしていた。

ちなみに、帰国して体重を量ったらほとんど変わっていなかった。いかに激しく動き回っていたかの証だと思う。

色気づいてきた娘のせいでショッピングに費やす時間も多かった。アバクロの何が良いのだろう。サッパリわからん。買い物の際には、私の母に娘を託している時間が多かった。おかげで「甘甘とーちゃん」として散財しないで済んだから実に有り難かった。バアさまは大散財だったようだ。

ショッピングモールをうろうろしたおかげで、こっちは寝間着に重宝するXXLのブカブカTシャツを買ったり、薄毛予防の塗り薬をたくさん購入できた。一応、輸入制限がある薬なのだが、ついうっかり?多めに調達できた。



それにしても、ワイキキ周辺に限れば、大都会である。コンクリートジャングルみたいなものだ。交通量も多いし、人も多い。のんびりリゾートを楽しむ気分にはならない。

時差もきついし、禁煙もアホみたいに徹底している。ホテルのベランダですら禁煙である。アホみたいだ。高校生のように隠れて吸うのに疲れた。

などと文句ばかり言いたくなったのは疲れのせいだろうか。

もちろん、ワイキキエリアを少し離れれば、ゆったりとしたリズムが流れる良いところだし、離島に行けば尚更その傾向が強い。

ワイキキ周辺も、逆に言えば便利だし、不自由はないという意味では、やはり希有なリゾート地だ。何だかんだ言っても、あの完成したエリアの居心地がクセになる気持ちも分かる。


次に行く機会があったら、とにかく、ゆったりと過ごしたい。それだけが願いである。

2013年8月7日水曜日

アーカイブです


今日も数年前に掲載した話をいくつか載せます。

今週の金曜から通常ペースでの更新に戻ります。よろしくお願いします。




不倫





帰ってこいよ





消費税はお金持ちの味方?

2013年8月5日月曜日

今日もサボりです


旅行中で更新を怠っていますので、今日も「自選・過去ネタ」を紹介します。




オールドパー





安けりゃいいのか

2013年8月2日金曜日

お休みです


ちょっと休みを取って旅行中です。ブログの更新をサボりますので、「自選・過去ネタ」を紹介します。



行間のニュアンス

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2010/07/blog-post_09.html



サラダ問題

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2010/02/blog-post_05.html