2021年1月29日金曜日

肉、肉! 叙々苑 美ら菜苑

元気でいるためにはタンパク質。タンパク質といえば肉。というわけで、最近は意識して肉を食べる機会を増やしている。

 

先日、娘から食事に誘われた際にも珍しく私のほうから焼肉屋に行くことを提案して、感染対策がしっかりしていそうな叙々苑に出かけた。

 



 

高級路線の焼肉屋の肉はその多くが霜降り系である。若い頃ならヨダレを流しながら喜んで食べたが、さすがに今は赤身肉のほうが嬉しい。

 

カルビかロースかでいえば当然ロースだ。この日は娘の前でエエ格好しいになって普通のロースではなく上ロースを注文。

 



 

奥に写っているのが上ロースである。手前はカルビだったかハラミだったか忘れたが、奥のロースも見分けがつかないぐらい霜降りである。

 

「上」と指定したせいで逆に脂っぽい肉が出てきてしまった。失敗である。冒頭のネギタン塩も霜降り系だ。ここに写っている肉はすべて娘にまかせる。

 

メニューを改めてチェックしたら「厚切り赤身」を発見。画像は撮りそびれたが、私はそれを二人前注文してしっかり食べた。なかなか美味しかった。

 

叙々苑に行ったら「赤身厚切り」。中高年にとっての基本かも知れない。

 

さて、脂の部分がすっかり苦手になってしまったのは牛肉に限った話で、豚肉だと脂の甘さが恋しくなる。

 

別な日、銀座の「美ら菜苑」にウマい豚肉を食べに行った。間違いなくウマい豚肉が味わえる都内屈指の店だ。

 

豚しゃぶが目的だったので姉妹店の「美らしゃぶ亭」(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/04/blog-post_18.html)に行きたかったのだが、あちらは時短営業中。

 

「美ら菜苑」は例の“19時、20時ルール”に関係なく営業している。高級サムギョプサルがウリの店だが、こちらでも豚しゃぶは楽しめる。時間の都合上、この日はこちらにお邪魔した。

 



 

沖縄のブランド豚が何種類も用意されているのだが、どれもハズれなくウマい。甘みがあって味に奥行きがある。

 

お値段はちょっとした牛肉のしゃぶしゃぶ屋さんと同等かそれ以上だ。でも個人的には高級霜降り牛のしゃぶしゃぶを食べるなら、ここで豚しゃぶを味わうほうを選ぶ。

 

どの肉も脂身が少なめの肩ロースとバラが選べるのだが、パッと見は肩ロースのほうが美味しそうに見える。でも食べてみると白っぽいバラ肉のほうが甘みを堪能できる。

 

牛肉でこんなに白っぽかったらクドくて食べられないが、そこは上質な豚肉である。真っ白ぐらいに見えてもサッパリぺろぺろ食べられる。

 

この店は個室が中心だし、スペースにもゆとりがあって感染対策を考える上でも安心して使える。

 

アルコールは19時まで、営業時間は20時までという時短要請は、あくまで要請だからそれに関係なく営業することはちっとも悪いことではない。むしろ、TPOに応じて開けている店がなければ困る話だ。

 

時短要請を守っていても狭いスペースに大勢の客を詰め込んでガヤガヤ騒々しい店なら感染リスクは高い。昼間だろうと大混雑しているソバ屋などはなかなか恐い。

 

そういう意味では、スペースに余裕があって人混みにならない店は安心だ。これは時間帯とは関係ない。

 

つくづく一律横並びの“規制”の無意味さを痛感する。“時短警察”みたいな連中はぶつぶつ文句を言いたいだろうが、そんなヒマがあったら“人混み警察”に宗旨替えしてもらいたいものだ。


2021年1月27日水曜日

冬の喜び 日本橋 かに福

先日、初めて訪れたカニ料理屋さんが日本橋の「かに福」。コレド室町に入っている支店に行ってみた。

 

頭の中がカニでいっぱいの気分だったのに、いつもの「かに道楽」が満席だったのでネットで調べて行ってみた。

 

私が一番好きな毛ガニは用意されていないのだが、カニ気分を満足させるメニューが揃っていて充分堪能できた。

 



 

カニ料理というと妙に大袈裟で値段も高い店が多いが、こちらは実にカジュアルで店の造りも素っ気ないぐらいだ。

 

気軽にカニを楽しむには使い勝手が良い店だと思う。ウリはほぐしたカニ身をドッサリ載せた「御かにめし」。

 

出汁をかけて食べるのがオススメらしいが、そのまま食べても美味しかった。カニ身がふんだんに使われていて嬉しい。

 

私の場合、カニは食事というよりも酒の相棒という認識なので、かに飯以外の一品料理もアレコレ注文した。

 





 

タラバの刺身、ズワイの刺身、カニ味噌甲羅焼きなど肴にまったり燗酒を飲む。冬ならではの幸せを感じる。

 

写真は撮りそびれたが、焼きタラバ、かにしゃぶも注文してカニ三昧の時間を過ごした。

 

メニューをじっくり吟味していたら「つめ酒」がオススメされていた。焼いたカニツメが燗酒に投入されている。

 

ヒレ酒みたいなノリだ。香りを楽しむ麗しの飲み方である。迷わず注文。素直にウマかった。

 



 

もう15年ぐらい前になるだろうか。北陸までカニを堪能しに出かけた際、橋立漁港近くの料理屋さんで出されたスペシャルなカニ酒を思い出した。

 

そこのカニ酒は、ジョッキぐらいの大きさ容器に食べ終わったばかりの焼きガニの脚の殻を3本、4本、5本とぎゅうぎゅう詰めにして熱々の酒を投入するワイルドなものだった。

 

注がれた酒は琥珀色に悩ましく変化し、カニの香りが官能的に際立つ極上の味わいだった。

 

この日の「つめ酒」はホンノリとカニ風味が漂うぐらいだったが、まあこれはこれで上品な趣で充分美味しかった。

 

意外だったのがカニクリームコロッケだ。このブログでも何度も書いてきたが、私はいわゆるニッポンの洋食の大ファンである。あちらこちらでウマいクリームコロッケを食べているが、この店の一品は洋食の名店もビックリの美味しさだった。

 



 

かにの身もしっかり入っていたし、揚げ加減が絶妙。やや大きいので若者向けだが、丁寧に作られている印象で感激した。

 

思えばその昔、カニに詳しいオジサンになりたいと一念発起してカニ研究に励んだ時期があった。もう20年近く前のことだ。

 

毛ガニだズワイだタラバだ、はたまた越前ガニ、松葉ガニ、香箱ガニだなんだとアレコレ言われてもサッパリ分かっていないことが悔しくて、それこそ全国各地に出かけてカニを食べまくった。

 

一応、基本的な知識も身につけ、自分の好みも確立したが、気付けば以前ほど強いこだわりは無くなった。良い意味で歳を重ねたことで大らかになったのだろう。

 

今の私は相変わらずウンチクをグダグダ言いたがるが、そこそこマトモなカニならウダウダ言わずに喜んで食べる。

 

カニ攻めにおいても肩の力が抜けてきたわけだ。良いことだ。そのほうが自分自身、気が楽である。

 

以前ならこの店のことも「毛ガニが置いてないなんて話にならんぜよ」などと思っただろうが、かに飯とクリームコロッケにすっかりKOされた。近いうちにまた行く気満々である。

 

カニの刺身を味わい、カニ味噌に悩殺されながらカニ酒に酔い、カニクリームコロッケで“味変”して、カニしゃぶを頬張り、カニ飯で締める。

 

なんともハッピーな日本の冬の楽しみ方だと思う。

2021年1月25日月曜日

アーカイブ

 今日は更新が追いつかなかったので、今のような閉塞感に満ちた日々を乗りきるための?過去ネタを載せます。


https://fugoh-kisya.blogspot.com/2012/10/blog-post_26.html?m=1



2021年1月22日金曜日

倦怠感との戦い

12月始めぐらいから倦怠感が続いている。グダグダである。初めのうちは年末が近づいたせいで1年の疲れが出たのだろうと思っていたのだが、年末年始の休みの間も年明けから今に至るまでもダルさが抜けない。

 

こんなご時世だから、もしやと思って半年ぶりに抗体検査も受けてみたが、結果はマイナスだった。ついでにPCR検査も受けたが、こちらも陰性だったからハヤリ病ではないことがハッキリした。





無症状で感染して後遺症として倦怠感が残っていたなら、ある意味ラッキーだと考えていたのだがそうは甘くなかった。

 

コロナでもないのにダルいわけだから、感染しちゃったらどれほどダルくなるのだろう。ゾンビみたいになりそうで恐怖である。

 

肝臓や膵臓あたりが不調なのかとも思ったが、血液検査ではとくに今までと大きく変わった点はない。

 

寝起きは良い方なのだが、このところしっかり睡眠時間を取ってもなかなか起きられない。とある週末には12時間近くも寝てしまったからいよいよヘンテコである。

 

食欲も確実に落ちた。甘いモノは以前より食べたくなっている。慢性疲労というヤツなのだろうか。いや、そんなに疲れることはしていないはずだから謎である。

 

ひょっとすると男性更年期障害なのだろうか。男の場合、更年期の変調が女性ほど顕著ではないようだが、多かれ少なかれ何かしらの不調に繋がるらしい。

 

調べてみたら次のような症状が男性更年期の特徴だとか。

 

「何となく不調」「しっかり睡眠がとれない」「イライラする」「疲れやすい」「ほてりや発汗」「肩こり」「手足のしびれ」「性欲減退」。

 

うーん、微妙である。別にイライラしないし、ほてりや発汗、しびれもない。残念ながら性欲にも変化はない。

 

じゃあ元気じゃないか、ボケ!!と言われそうだが、すぐにボーッとするし、家にいてもソファにグダッと座ったままで動く気にならない。

 

酒量も大幅に減った。飲みたい気分にならない。今年になってからまだ3~4回しか飲んでいない。観測史上?最低レベルの少なさだ。

 

知り合いから「軽いウツの可能性がある」と恐ろしいことを言われたが、さすがに私の性格上それは考えられない。

 

グダグダはしているものの頭の中はさほどドンヨリしていないし、いかがわしい妄想だってしっかり?繰り広げている。

 

今ほどではないが、5年ほど前にも結構長くグダグダ状態が続いたことがあった。その時は気休めのつもりで漢方を飲んでみた。

 

「補中益気湯」という漢方薬だったが、2ヶ月ぐらい真面目に飲み続けていたらグダグダが治まったから、きっとそれなりに効果はあったのだろう。

 



 

というわけで、数日前からまた漢方に頼ってみることにした。これが効いてくれないと不便で仕方ないから真面目に続けてみようと思う。

 

世の中がいつの間にか異常事態になって1年近くが経った。それまでの日常と変わってしまったことで、多くの人がいろんなストレスを抱えている。

 

生きるか死ぬかの大変な状況に追い込まれている人だって物凄い数だから私のような脳天気な人間がウダウダしているようではいけない。

 

そうはいっても、私だってそこそこ繊細な神経の持ち主!?だから無意識のうちにさまざまな理由で心身に変調を来すことだってあるのだろう。

 

とりあえず今はコロナ対策をしっかりやらないとならない。コロナに感染した人の25%程度が脱毛という後遺症に直面するそうだ。50%近い割合という説もある。

 

コロナでツラい目に遭ったあげくにハゲちゃうのは切なすぎる。踏んだり蹴ったり、プラス抜けたりである。

 

味覚嗅覚障害が残るのももちろん恐いが、ハゲちゃうことも大問題だ。なんとか気力を上向きにして免疫力アップを旨に凌いでいきたい。

2021年1月20日水曜日

エロス平和論

毎年暮れになるとその年に亡くなった人を偲ぶ企画が週刊誌などを賑わす。昨年も志村けんさんをはじめ、私の世代にとって思い入れのある人たちが旅立たれた。

 

暮れも押し迫った頃、作詞家のなかにし礼さんの訃報に接した。昭和を代表する偉人の一人だ。


 


ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」、ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」、菅原洋一の「今日でお別れ」から細川たかしの「北酒場」、石原裕次郎の「我が人生に悔いなし」、TOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」に至るまで実に幅広いジャンルのヒット曲を作り上げた人である。

 

小説家としても直木賞を受賞するなど数々の功績があるが、私が尊敬していた点はエロスを堂々と肯定する姿勢だ。

 

82才で亡くなられたわけだが、この世代の人にしては珍しくエロを全肯定してそれを前面に押し出していたのは素晴らしいの一言だ。

 

戦中戦後の壮絶な体験がその原点にあったそうだ。「エロス」イコール「平和」という信念が過去のインタビューなどからも垣間見える。

 

「愛は人間に与えられた最高の幸福ですよ。エロスは人を愛すること。人が人を愛し、歓喜を味わう、それが平和。エロスがなければ平和もありません」

 

「エロスや不道徳が許されるのが平和、自由の象徴。エロスや笑いを失った社会に平和などない」

 

平和の大事さを「エロ」や「バカ」を基軸に捉える視点にハッとさせられた。ただノホホンと生きてこられた世代の私にとってはとても考えさせられる姿勢だった。

 

エロの意義というテーマである。下ネタなんか嫌いだなどと気取っている人も多いが、好きだの嫌いだのと言えること自体が平和な時代の証だろう。

 

なかにし礼さんの作詞した代表曲の一つ「時には娼婦のように」の歌詞をそんな観点で吟味してみると実に奥深さを感じる。

  

時には娼婦のように 下品な女になりな

 素敵と叫んでおくれ 大きな声を出しなよ

自分で乳房をつかみ 私に与えておくれ

 まるで乳呑み児のように むさぼりついてあげよう

 バカバカしい人生より バカバカしいひとときが うれしい

  

当時、小学生だった私にはただドギマギする歌詞でしかなかったが、人生後半戦の今になってみれば、その哀感というか切なさがよく分かる。

 

いつのまにか社会から大らかさが失われ、ギスギスした空気が漂っている今の時代こそ「エロやバカの役割」は無視できないと思う。

 

ちょっとハメを外すとすぐに“炎上”してしまう息苦しい世の中だと、そのうち笑いやスケベなことにまで矛先が向くのは確実だろう。

 

そんな抑圧された世の中にしてはいけないという警鐘を鳴らしていた偉人の死は国家的損失!だと思う。大袈裟ではなく本心でそう思う。

 

ちょっと堅苦しい話になり過ぎたので、10年以上前に書いたなかにし礼さんの詩の世界を紹介した過去ネタを載せてみる。二つともくだけ過ぎた話だ。でも、そんな話を調子に乗って書ける今という時代の有り難さを痛感する。

 

「恋の奴隷」

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/11/blog-post_20.html

 

もう一つ、話の結末になかにし礼さんのエロス平和論を使わせてもらった話も再掲してみる。

 「お尻とスケベ」

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2015/03/blog-post_6.html 










2021年1月18日月曜日

ベシャメリストの大好物

コロッケと聞いて想像するのは芋のアレである。大衆的な食べ物の代表であり、ご馳走イメージの対極的な存在だ。

 

私はコロッケが好きではない。そもそも芋が好きではない私からみれば単なるイモフライだ。

 

コロッケは社会的地位も低い。高級なイメージはまるで無い。デヴィ夫人はきっと食べないはずだ。

 

コロッケ食べに連れて行ってください!などと女性から言われることもない。今日の晩ご飯はコロッケよとお母さんに言われて狂喜乱舞する子供も今の時代はごく少数だろう。

 

明治の文明開化で洋食が広まり始めた頃は、かなりの高級料理だったコロッケだが、今では「おやつ」程度の地位に甘んじている。

 

さて本題。そんなコロッケのおかげで迷惑を被っているのがクリームコロッケである。

 



 

私はクリームコロッケが物凄く好きだ。死ぬほど好きである。イモフライと同じ「コロッケ」というカテゴリーで一緒くたにされているのが気に入らない。

 

イモフライと区別するために、いちいち「クリームコロッケ」と正式名称を発声しなければならないのもイライラする。

 

上の画像は天下の資生堂パーラーのカニクリームコロッケだ。いや、正式名称はクラブクロケットである。

 

洋食屋さんの多くがイモフライによって広まってしまった大衆イメージ、おやつイメージを払拭するためフランス風に“クロケット”と呼称する。

 

注文する際、「クロケット」と発音するのがとても恥ずかしいのだが、そんな思いを我慢するのがクリームコロッケラバーの宿命である。

 



 

銀座の名店「みかわや」のカニクロケットである。こちらもコロッケとは呼ばない。コロッケと表記されていたら値段にビックリするが、クロケットだから妙に高価でも気にしないように心がけている。

 

高級洋食屋さんのベシャメルソースはさすがにウマい。うっとりする。ベシャメリスト?である私にとってはそういう店のクリームコロッケは最高だ。

 



 

「みかわや」ではこんなセクシーなタルタルソースもたっぷり用意されるからいつも悶絶してしまう。タルタルソースもついつい完食してしまう。

 

芋のコロッケと同じ枠組みで語られるにはあまりにも違いが大きいのがクリームコロッケだ。

 

明治大正の頃に別な呼び名を与えられていたら、きっともっと違う存在感を発揮していたように思う。

 



 

こちらは東京會舘のカフェレストラン「ロッシニ」で頼んだクリームコロッケ。東京會舘は私をうならせてくれるウマいピラフがあるように洋食ジャンルでは定評がある。

 

ところが、このクリームコロッケが誤算だった。クリームの中にパプリカだかピーマンだかクセのある野菜がまぶしてあった。個人的には全然ダメである。

 

没個性になりがちなクリームコロッケにどうにかして特色を出そうとした職人の矜恃は分かるが、野菜を混ぜ込むのは反則だと思う。悲しいの一言である。

 

聞くところによると、その昔、銀座の煉瓦亭がまかないで作ったのがクリームコロッケの発祥だとか。

 



 

煉瓦亭では必ずと言っていいほどコキールを頼むので、ベシャメル被りを気にしてクリームコロッケを注文しないことが多いが、近いうちに改めて元祖の味を堪能してこようと思う。

 

 

2021年1月15日金曜日

日本人の美徳と私権制限

あらゆる世論調査で政府のコロナ対策への不信感が示されている。内閣支持率も下がる一方だ。誰が見たってすべてが後手後手に回っているわけだから当然だろう。

 

来週からようやく始まる通常国会では新型コロナウイルス対策をめぐる、いわゆる特措法改正案が審議される。これだって今更感は否めない。

 

昨年、コロナ禍という状況なのに国会を長々と休会していたのに今になってドタバタと“やってる感”を出しているように映る。

 

特措法改正の焦点は休業要請に応じない事業者や行政の指示に応じない感染者への罰則の創設だ。事業者に対しては50万円程度の罰金を科す方向で詰めているようだ。

 




昨年3月の特措法改正では、付帯決議として「国民の自由と権利の制限は必要最小限のものとすること」という文言がわざわざ付け加えられた。

 

それから1年も経たないうちに「罰則ありき」があたかも至極当然かのような空気になりつつある。かなり恐いことだと思う。

 

「要請に従わなければ罰則」。要請は要請である以上、そもそも論理破綻した話だが、国会審議でどのように整合性をとるのか大いに気になる。

 

言うまでもなく私権制限の話である。国家権力にとって、いわば伝家の宝刀である。野党の中にまで私権制限の賛成派が少なくないことがブキミだ。

 

新型コロナ対応に実効性を持たせるという意味では有効かもしれないが、軽々に決めていいはずがない。憲法にも絡む重大なテーマだ。

 

菅首相は今回の緊急事態宣言について「限定的に集中的に行う」ことを強調したが、特措法改正についてもこの考え方が大事だ。

 

あくまで限定的で、なおかつ臨時的、時限的なものと規定するぐらいの慎重さが必要だ。いったん制度化されてしまったら、その後が問題になる。

 

一度決めてしまったことは前例主義や拡大解釈につながっていくのが世の常だ。

 

例えとしてはちょっと適切ではないが、かつて消費税導入をめぐって世論が紛糾していた際、政府関係者から聞いた話を思い出す。

 

当初は税率3%からスタートした消費税だが、政府関係者の弁は「最初は2%でも1%でも構わない。一度導入すればその後に上げていくのは簡単だ」という話。

 

もくろみ通り今や税率は10%。おまけに更なる増税を主張する意見も多く、それに対する批判の声は以前とは比較にならないほど弱い。

 

今回の特措法に関する議論では罰則の見返りに手厚い補償という話がセットで語られている。いわばアメとムチである。

 

アメにつられて反発の声は当然弱まる。それはそれで仕方ないし当然必要な措置だが、改正法が動き出した後が心配だ。

 

すなわち罰則は強化される一方でアメの部分だけ削られるような改悪だって簡単に出来るようになる。

 

コロナ騒動がパニック状態に近くなればなるほど「罰則は当然」という風潮は強まる。それでも私権制限というデリケートな話は慎重の上にも慎重であるべきテーマだ。

 

先の戦争の悲惨な結末をみれば、国家による私権制限の恐ろしさは言うまでもない。我が国の負の歴史は私権制限が原因だったと言っても大袈裟ではない。

 

その反省から安易な私権制限を禁じる法体系を作ってきたのが今の国の姿である。だから欧米のような強制的なロックダウンなどは行われなかったわけだ。

 

昨年春頃の見事なまでの自粛の徹底は罰則など無いなかで粛々と国民の自発的努力で行われた。世界に誇れる民度の高さが証明されたようなものだろう。

 

この国の美徳は、大震災の後ですら騒乱が起きなかったことを世界から称賛される国民性にある。

 

それを忘れてすべてが後手後手のまま迷走する政府に私権制限という強力なカードを安易に持たせることは非常に危険なことだと思う。

2021年1月13日水曜日

熱海・古屋旅館 かに道楽

正月休みは能登のほうに一人旅の予定を立てていたが、わざわざ寒いところに行くのがイヤになって、娘を誘って熱海の温泉に浸かってきた。

 

子連れといえどもあまりショボい宿には泊まりたくない。コロナも厄介だから部屋に露天風呂が付いているほうが嬉しい、などとアレコレ探して選んだのが老舗の古屋旅館。

 



 

昔ながらの名旅館という風情である。変にモダンに進化したイマドキの旅館とは違って古典的な宿には一種独特の癒やし効果がある。

 

サービスも非常に丁寧、距離感の取り方が絶妙だったことが印象的だった。これといった特徴はないものの、部屋、食事、温泉の質、サービスともに高水準だった。

 

上質さも押しつけがましいと鼻につくが、さりげない感じだと心地よい。この宿の雰囲気はそんな感じ。昔のコーヒーのCMみたいだが、違いが分かる中高年向きだと思う。

 




 

部屋は三間続きでゆったり、露天風呂も眺めこそ無いものの、トロリとした源泉が引かれていて実に快適だった。

 

人が少なかったせいで大浴場も貸し切りに近い状態で楽しめた。ちょっと湯あたりしたぐらいだから泉質もハイレベルだと思う。

 






 

料理も奇をてらったものは無く、一品一品丁寧で繊細な仕上がり。正統派日本料理そのものだった。お椀も完璧な味わいで疲れた身体にじんわり染み渡った。

 

ウマい料理にウマい酒、泉質自慢の温泉も部屋で楽しめるわけだから極楽である。連れも娘だから気を遣わずにノンビリ過ごせた。

 

正統派の日本旅館は一種の文化ともいえるから、時にはちょっと贅沢な気分に浸るのも悪くない。

 

話は変わる。冬といえばカニだ。中国からの旅行者に占拠され続けていた銀座の「カニ道楽」もすっかり行きやすくなったので、機会があれば出かけている。


 



カニの身は水分だらけだからカロリーが思った以上に低いのも魅力だ。

 

クシャミやアクビをするだけで太る私のような中高年にとっては、体重を気にせずにガンガン食べられるから嬉しい。

 

かに道楽もコースで注文するお客さんが多いが、それだと揚げ物や炭水化物の魔の手から逃れることは出来ない。割高になってもアラカルトでカニ攻めをしたほうが体重調整の点では賢い。

 




 

刺身や茹でたものを中心に味比べをするのが私のいつものパターンだ。タラバやズワイをアレコレ頼んで、毛ガニは中型サイズは姿盛りで注文する。

 

ついついカニグラタンやカニコロッケといったデブ系一品料理も頼んでしまうのだが、そっちは同行者に大半を任せて私はカニばかりをほじくりまくって過ごす。

 




その昔、ダイエットのためだけに北海道に行き、やたらと激しく散歩に励み、食事はカニだけで過ごした経験もある。

 

常にデブ注意報、いや、デブ警報発令中の私にとっては、カニと付き合うことは太りやすい冬の大事なルーティンでもある。

 

今年もウダウダとそんな言い訳をしながらウマいものを食べていきたい。

2021年1月8日金曜日

業務上過失…と“行政上過失…”

今日は後半で堅い話になるので前半は緩い話を書いてみる。


ここ最近、甘いモノを食べる機会が増えた。新年早々お疲れモードみたいで、つい糖分の魔力に引き寄せられる。

 

今やウーバーイーツはレストランの料理だけでなく、ローソンや成城石井などのコンビニやスーパーの商品も持ってきてくれる。

 

スイーツだけをウーバーで注文することもある。1回の注文が1200円以上だと配送料が無料になるので、コンビニスイーツだと5個ぐらい注文する必要がある。

 

おかげでわが家の冷蔵庫の結構なスペースがスイーツに占拠されている。映画を観ながらお茶をすすりつつ甘いものを食べるのが憩いの時間だ。

 



 

ついでにこういうスナック菓子も買ってしまうのが問題である。スイーツで甘くなった口にジャンクスナックは最高だ。

 

というわけで、食が細くなったのに体重はいっこうに減る気配を見せない。やはり、生き物の本能で冬は脂肪を貯め込みたがるみたいだ。

 

さてさて話は変わる。本題だ。また緊急事態宣言だ。やれやれである。

 

コロナ対策や政府の対応については、あらゆる分野の人があらゆる角度からあらゆる意見を口にしている。

 

何が正しく何がウソかさっぱり分からないのが私も含めた多くの人の本音だろう。未知のウイルスだから当然だ。

 

いろんな情報が飛び交う中、コロナ禍の医療体制をキチンと準備しなかった政府や厚労省の怠慢は間違いなく追及されるべきだろう。

 

誰が考えたって冬が来ればウイルスが猛威を振るうことは想像できた話。こればかりは結果論ではない。

 

最初の緊急事態宣言を解除してから半年以上もの時間があったのに、コロナ専門病院を臨時に用意することはもちろん、受け入れ病院を拡充させるための施策も隔離用の施設の準備もろくに出来ていなかったことは完全な失政、失策だろう。

 

前回の緊急事態宣言が解除された際、安倍前首相は「日本モデルによって1ヶ月半でほぼ終息に向かわせることが出来た」と胸を張った。

 

日本モデルとは、クラスター対策に注力してPCR検査の数はあえて抑制するという厚労省の考え方に沿ったものである。

 

言うまでもなく現在の感染爆発は、無症状の感染者が至るところでウイルスをまき散らしていることが原因だ。

 

症状がない人にPCR検査を受けさせない方針だから誰が考えても感染拡大は防げない。現状はそんなバカの一つ覚えのような方針を続けていたツケでしかない。

 

こんな結果を受けて、飲食店をはじめとする事業者が一方的に窮屈な思い、いや、死活問題にさらされるわけだから悲劇である。

 

業務上過失ナンチャラはよく聞くが、こんな状況で追い込まれて自殺する人が増えれば、“行政上過失致死”みたいな話だと思う。

 

時短要請に従わなかった飲食店の店名公表など実にバカげた話。目立ったところだけを自粛警察気取りの市民に知らせて石を投げさせようという胸くそ悪い話だ。


実効性、公平性という意味でもまったく現実的ではないことは誰でも分かる。

 

首都圏だけでいったいどれだけの数の飲食店があるのか知らないが、完璧に実態把握をすることは物理的に無理。

 

つまり店名を公表される店とされずに済む店に分かれるのは当たり前の話で、不公平極まりない事態を招くだけ。

 

不公平を理由に裁判を起こされたら行政側は勝てないのではないか。おそらく店名公表という制裁はブラフとしてしか使えず、実行されることはないように思える。

 

コロナ対応に命をかけて奮闘している人たちのためにも、大元、すなわち行政サイドの方針の狂いは黙って見過ごせる話ではない。

 

門外漢がアーダコーダと書いても始まらないが「日本モデルのせいで終息できた」と語った昨年5月の首相の言葉が大間違いだったことは事実だ。まずその点を率直に認めて仕切り直すのがスジだと思う。

 

大間違いを元に繰り広げられた「GoTo事業」が感染を広げ、その一方で、予想できた医療体制の逼迫に対する抜本的な策を講じてこなかった結果が今の状況だということは、すべての人が共有すべきことだと思う。

2021年1月6日水曜日

スケベと閲覧数

今日から更新再開。今年もよろしくお願いします。

 

コロナのせいですっかりヘンテコな世の中になってしまったが、終息しないウイルスはないわけだから今年が終わる頃には随分と局面は変わっているはずだ。

 

このブログは基本的に週3回の更新だ。1年でだいたい150回近く書いていることになる。

 

自省録みたいな要素もあるので、時々過去の掲載分を読み返す。古い日記を見ているみたいで意外な発見や気づきにつながることもある。

 

ブログの傾向分析ページを見ると、どんな内容が数多く閲覧されているかが分かるのだが、過去十数年分の上位は海外旅行ネタや銀座ネタ、ダウン症関連の話が占めている。

 

気の利いたスケベ話も随分と書いてきたが、まだまだパンチに欠けるようで閲覧数上位に食い込むことは厳しい。

 

10年ほど前と5年ぐらい前に書いたワイ談をテーマにした話なども面白いと思うのだが上位にはならない。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2012/03/blog-post_19.html

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/08/blog-post_19.html

 

他にも数限りないほどのスケベっぽい話を書き綴ってきた。このブログのパソコンバージョンには、過去の掲載分がカテゴリー別に分類されているのだが「スケベ」というカテゴリーを設定しなかったことを悔やんでいる。

 

過去2千回以上も更新してきたので、過去の気の利いたスケベ話を探し出すのが一苦労である。なんだかんだ言っても私はこういう話を書くのが好きなんだと思う。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2018/07/blog-post_25.html

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/04/blog-post_25.html


http://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html

 

 

軌道修正。

 

今日は2020年の閲覧数ベスト10を紹介したい。

 

やはりコロナ関連の内容が中心になった。自粛の解釈やロックダウンというデマを否定した話もあったから、そんな内容が多くの人に読んでもらえたようだ。

 

トップだったのはコロナではなく、旅の話。山形を旅した際の話を短編みたいに気取って書いてみたのだが、ナゼかこれが一位だった。少し恥ずかしい。

 

★ちょっと気取ってみた

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/08/blog-post_12.html

 

続いては、緊急事態宣言が出る前に一部で広まっていたロックダウンという言葉の誤りについてネチネチ書いた話。

 

★「首都封鎖」という言い回し

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/04/blog-post.html

 

続いては京都でウマいものを堪能した話。

 

★京都 美食の館

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/11/blog-post_11.html

 

今年は銀座の夜の街と縁遠くなってしまったが、娘を連れてクラブ活動をした話も多くの人に読んでもらった。

 

★銀座のクラブに子どもを連れて行く

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/10/blog-post_30.html

 

お次もコロナ関連。自粛ムードの何とも言えない窮屈な状況について書いた話。

 

★混乱しちゃう

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/04/blog-post_22.html

 

次はようやくスケベ路線の話。とはいえ、これもコロナ関連のネタだ。

 

★新しい“性”活様式

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/07/blog-post.html

 

お店などの固有名詞が書かれていると閲覧数が増えやすいのがネットの特徴だが、函館のこの話もその流れだと思う。

 

★ラッキーピエロ

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/10/blog-post_5.html

 

続いてもコロナの話。東京や大阪など大都市では、結局パチンコ屋さんでクラスターは発生しなかった。これを書いた時はパチンコ屋さんが袋叩きにあっていたが、あの異常な騒ぎは何だったのだろう。恐い恐い。

 

★自粛の解釈

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/05/blog-post_1.html

 

次は緊急事態宣言が開けてしばらくしてから銀座のクラブを覗いてみた話。

 

★銀座のクラブを調査してきた

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/09/blog-post_11.html

 

続いてもお店の固有名詞が載っていると検索で引っかかりやすいこともあって上位になった話。

 

★すし処築地の居心地

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/07/blog-post_6.html

 

今年が終わる頃には世の中はどんな感じになっているのだろう。例年通りにこの1年分を振り返ることが出来るように健康に気をつけて過ごしていきたい。