2018年7月25日水曜日

セックス世代


暑くてしょうがないから、今日はアホみたいな話を書こうと思う。

「セックス」という言葉が表だって使われなくなって久しい。「エッチ」という言葉が主流になったことがきっかけだろう。

私が思春期の頃は、セックスという言葉はまだ普通だった。「あいつ、セックスしたらしいぜ」みたいに使われていた。

今になると妙に新鮮な感じがする。生々しい感じが際立つ。そのせいで「セックス」という言葉自体が一種の禁句みたいになってしまった。

セックスレスのことを単に「レス」と呼んだり、遊び相手を「セフレ」と呼ぶのも「セックス」という言葉を口にしたくない心理のせいだ。たぶん。

「エッチ」という言葉に変わっていったのも、きっとセックスという言葉の響きが生々しいからだろう。

私が子どもの頃、エッチという言葉は「スケベ」とか「いやらしい」といったニュアンスの形容詞的な位置付けだった。「そんなエッチなこと言わないで」みたいな使われ方だ。

行為そのものを意味するようになったのは80年代に入ってからだそうだ。結構最近の話である。テレビの影響などで一気に広まったらしい。



ちなみに「エッチ」の語源が「変態」だと知ったのはつい最近だ。ローマ字綴りの最初のHがルーツだとか。世の中、まだまだ知らないことがたくさんある。もっと勉強しないといけない。

「エッチした」「エッチする」という言い回しは「セックスする」「セックスした」よりも軽やかだ。重々しさがない。

でも、個人的にはなんとなく使いにくい。セックスという言葉に正面から向き合ってきた、いわば「セックス世代」の私としては「エッチ」だと若者言葉を使っているような違和感がある。

とかいいながら、女性相手に時には「エッチさせて~」という安っぽい軽口を叩いてしまう。「セックスさせて~」とは言えない。

セックス世代とはいえ、セックスという言葉を口に出すことがどこか恥ずかしいのだろう。

いやあ、それにしても、さっきからセックス、セックスと書きまくっているのが無性に楽しい。変な解放感を味わっている。セックス万歳である!

話がそれた。

もともと、日本では「同衾」「房事」などがセックスを意味する言葉だった。前者は同じふとんに入ることで、後者は寝室を「閨房」と呼んでいたことに由来する。

他にも「まぐわう」「情交」などもある。情交という言葉は実に色っぽい。「情を交わす」わけだ。同じ「情」でも愛情なのか欲情なのかで雰囲気が変わる。良い言葉だ。

「抱く、抱かれる」「身体を重ねる」「肌を重ねる」あたりも素敵だ。昭和歌謡の世界みたいでカッチョ良い。

あちらこちらで「ねえねえ、交尾しようよ」と囁いている私としては、「キミと肌を重ねたい」などと気の利いた言葉を使えるようになりたい。

セックスでは直球すぎる、エッチでは軽すぎるとなると、やはりイマドキのネットスラングに注目だ。

「セクース」、「セクロス」、「セックル」。いずれもネットに飛び交うそれを意味する言葉だ。どれも語感が良い。こういうのを開発する人は立派である。

「セックル」なんて特に良い。なんとなく「タックル」を連想する。勢い込んだ男の奮闘ぶりが垣間見えるようだ。

それにしても、セックスのことばかり必死に書き殴っている自分の精神状態が心配だ。やはり異常な暑さは人を狂わせるのだろう。

セックス万歳である。

2 件のコメント:

道草人生 さんのコメント...

富豪記者殿

セックスという言葉、確かに生々しいですね。でもその直球勝負みたいな語感には、我々の若い頃には性行為、あるいはそれを経験することで見えてきそうな大人世界への憧れが含まれていたように感じます。どうもエッチというとおっしゃる通り子供っぽい気がしてなりません。

でも一番エロっぽいのはやっぱり日本語、「抱きたい、抱かれたい」ですかね(笑)セックスという言葉は使えてもなかなかこの言葉は使えないですね。

富豪記者 さんのコメント...

道草人生さま

生々しさか、オブラートに包むか、その違いが印象を左右しますよね。
「抱きたい」。こんな言葉を実際に真顔で口にできたら違う景色が見えそうです。