2018年7月9日月曜日

大学無償化を考えてみた


今日は少し固い話を書きます。

子育て世代以外には関心が薄い政策が、いわゆる大学無償化だ。政府が閣議決定した「骨太方針」に盛り込まれたものだが、年収380万円未満の世帯の教育費を支援する仕組みだ。

住民税非課税世帯(標準世帯で年収270万円未満)であれば、国立大の授業料、入学金は全額免除、私立大でも一定額までが免除される。

年収300万円未満の場合は、非課税世帯の3分の2、年収300万~380万円未満は3分の1の支援が受けられるという3段階の支援策になっている。

大学無償化は、昨年の衆院選で安倍自民党がとって付けたように公約に掲げた政策だ。「人づくり革命」の一環という位置付け。

貧困の連鎖や格差の固定化という世相のなか、意欲のある若者に高等教育を受けさせることは国の将来にとって重要だ。その点に異議はない。お説ごもっともである。

「貧しい家庭の子にも高等教育を!」と言われれば反対の声は起きにくい。いわば“総論賛成”が世の中の空気だ。かといって、“各論”の部分となると問題は山積みなのが現実。

年収380万円を境に支援に壁が生まれる問題は大きい。ボーダーラインを少し超えるような年収の世帯からすれば、支援のカヤの外になるわけだから不公平感は大きい。

また、無償化される世帯の学生に支給される奨学金の在り方にも疑問が残る。学業に専念できるようにとの趣旨で、一般的な生活費まで手当てされる見込みだが、予定されているのは給付型奨学金。すなわち返済不要のカネだ。かなりの厚遇だと思う。

生活まで面倒みてもらえるのは年収270万未満の世帯の学生だが、この特典を受けられるかどうかギリギリの年収水準の家庭なら、あえて稼ごうと頑張らずに低い収入を維持するほうがトクだと考えるのが普通だ。

乱暴な言い方かもしれないが、勤労意欲、労働意欲を削ぐ話になりかねない。まあ、そこまで言うと批判したいがための書きぶりになってしまうのだが。

支援される学生は勤勉でいてもらわなければ困るが、その点は厳格な成績チェックなどが実施されるらしい。ただ、あくまで大学側のサジ加減という危惧も否定できない。

学生不足に直面する大学のなかには、せっかく入学した生徒に脱落されたら商売あがったりという考え方をするところも出てくるかもしれない。

少なくとも「税金の使われ方を厳密にチェックする」という意識を営利を追求する民間の大学に持たせることは簡単ではないはずだ。

生活保護の例を持ち出すまでもなく、給付金的な支援制度にはインチキがついてまわる。残念ながらそれが現実だ。

支援を受ける当人がインチキを企むだけでなく、運営する側のチェックがズサンであれば、いとも簡単に莫大な税金が無駄になる。

エラそうに書いているくせに対案があるわけではない。ただ、既にここで書いたような問題点は各方面からも指摘されている。頭脳明晰な官僚ならムダ抑止の観点から二重、三重のチェック機能や実効性の上がる制度の骨子を固められるはずである。

これまでの議論は世帯年収ありきで進んできたように思えてならない。それでは「働くのがイヤだから大学に行く」というモラトリアムな若者を増やしかねない。

あくまで学生本人の就学意欲の判定を明確にルール化することが大前提だろう。その上で世帯年収に応じた段階的な支援制度を作り、結果的に無償になる世帯も出てくるのが筋の通った話だ。

奨学金に関しても成績に応じた内容にするのが当然。画一的に返還不要にするという発想は単なるバラマキだろう。

「安倍総理の肝いりだから」。今後法案作りに励む官僚の人々にこの一点で思考停止されたら困る。そんな忖度で物事を進めたらムダ遣いの温床になりかねない。

しっかり税金を納めている人からすれば、大学無償化問題は「自分には関係のない話」と片付けてしまいがちだ。ただ、制度自体が自分に無関係だろうと、そこに使われるカネは自分達が納めた税金である。安易にコトが進むのはたまったものではない。

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