「いい歳して…」「年甲斐もなく…」。オジサン、オバサン、はたまた爺ちゃん婆ちゃんに向けて使われる言葉だ。年齢相応の自覚ナシにハッチャけたりするとそう言われる。
思慮分別は大事だ。歳を重ねれば身についてないとダメだ。そんなことは百も承知だが、人間は煩悩の塊だからコトはそう簡単ではない。私も「いい歳」バリバリだが、まだまだ現役でいようと悪あがきの日々である。
サザエさんパパ・磯野波平よりはるかに年上になってしまったがいまだに若い女性の尻を平気で追っかけている。我ながらご苦労なことだと思う。狩猟本能?がまだ残っているせいで年甲斐のない行動ばかりである。
波平さんが若い女性を追っかけ回すのはきっと世間が許さないだろうが、私は独身だし波平さんより毛髪もある。それより何より波平さんという人物が設定された時代と今では世相も違う。
すいません、単なる言い訳です。
女子を連れていく店選びには気を遣う。さすがにファミレスに行くわけにもいかない。ヘタに若い人に迎合したよう店を選ぶのもイヤだから必然的にオジサマ的世界になる。
フレンチみたいなジャンルは私自身が詳しくないし、ワイン中心の食事が苦手だから当たり前のように和食だ。なかでも鰻屋さんを選ぶことが多くなる。オヤジ独壇場の世界だ。こっちとしては気が楽である。
お寿司屋さんもオヤジ独壇場の世界だが、それなりに親しい相手じゃないと連れて行きにくい。歯が浮くようなセリフをぶっ放している姿をお寿司屋さんの大将に見られるのは小っ恥ずかしい。
銀座のホステスさんと銀座の寿司屋に行くようなパターンなら問題はない。同伴というあの街の文化が根っこにあるので周りも同類ばかりだったりする。そうじゃない場合はやはり厄介だ。
普段、一人で行くことの多い店に女性を連れて行った場合、私は間違いなく普段とは違う顔つきや口調でスカしているはずだ。そんな姿を顔見知りの大将に観察されるのは負けた気がする。やはりカウンターというポジションだと落ち着かない。
鰻屋さんのテーブル席でウンチクを得意げに語っているぐらいが収まりが良い。白焼きと冷酒の相性だとか、うざく、う巻き、肝焼きのあれやこれやを話していれば済む。
一人酒、一人メシが好きなのに、ずーっとそれだけだと何かが違う気がして時には女子との闘いに身を置きたくなる。それこそ「いい歳して…」の極みだが、いったいいつになったら下心みたいな邪念は消えていくのだろう。
「ダンディーぶったオジサマ」というカテゴリーに分類されているつもりの私だが、そう自認してから既に長い年月が経つ。もうすぐそこに「オジサマ」から「お爺ちゃん」への扉が待っている。煩悩の炎がいつまでも燃えているようでは何かと厄介なのも確かだ。
本心からそう思う反面、生涯現役で頑張らねばという気持ちもまた否定できない。まさに迷走状態である。まあ、ボケ防止には役立っているはずだし、その発想や行動自体が私にとってはサプリみたいなものかもしれない。
本格的なお蕎麦屋さんもオヤジワールドを展開するには悪くない。蕎麦がき、蕎麦湯などのウンチクを語りながら、うどん派が多い若い人を相手に調子に乗っていられる。それ以前に私自身の胃腸に優しい。
赤ちょうちん系ではないちょっと高級な焼鳥屋さんや私にそこそこ知識がある郷土料理系の店、小洒落たホテルのラウンジなどもテキトーなウンチクを語りながら過ごすには適している。ロイホの料理のほうがウマいなどとは口にせずにいつもスカしている。
これから所帯を持つ可能性はゼロだし、考えてみればそうした行動は大いなるムダである。ムダという現実に昔から気付いているのにムダなことって楽しさと比例しちゃうからやめられないのだろう。
今の時代、コスパだタイパだとすぐに合理性追求こそ美徳みたいな風潮がある。それが大事な部分もあるが、そればかりだと味気ないし面白みに欠ける。
世の中、たいていの面白いことはムダがあってこそ成り立っている。それが真理だ。
このブログも「富豪を目指す」という旗は降ろして「大いなるムダを奨励する」ことを基本テーマに据えようかと思う。
思い切ってブログのタイトルから変えようかと思いついたのだが、ヘッダーとかの編集の仕方がよく分からないから当面はこのままでいきます…。









