随分と前に私のカツ丼への歪んた愛情を書いたのだが、もう何年も経つのに今もこの感覚は変わっていない。我ながらヘンテコな呪縛から逃れられない自分が残念である。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/05/blog-post_19.html
東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜が原則だが、週2回しか更新できないことが増えている。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
随分と前に私のカツ丼への歪んた愛情を書いたのだが、もう何年も経つのに今もこの感覚は変わっていない。我ながらヘンテコな呪縛から逃れられない自分が残念である。
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牛肉、豚肉、鶏肉が肉料理の王道だ。大半の人が肉と聞けばそれらを思い浮かべるが、それら以外の肉にも魅力的なものは多い。ワニだのカエルだの珍味系はさておき、羊や馬、鴨やガチョウあたりは時々やたらと食べたくなる。
臭みの問題で敬遠されがちだったのも今や昔、鮮度や品質の向上によって専門店で味わえばたいていはウマい。何となく敬遠しちゃうのはもったいないと思う。
なかでも馬肉はスタミナ食としても定評がある。私向きである。馬刺しとスライスしたタマネギをニンニク醤油で食べていれば途端に元気になるような気がする。
気のせいかもしれないが、気のせいも大事だ。その気になることが肝心である。高タンパク低カロリーという点も放っておけば太っちゃう中高年オヤジ向きである。なにより結構な量を食べても胃もたれしないのが嬉しい。
銀座にある「馬菜」という店で食べた馬刺しだ。初めて訪ねた店だがなかなか良い店だった。場所柄、値段は高めだが、しょっちゅう行くわけでもないから仕方ない。その分、対応も丁寧だし居心地も良かった。
名前は出せないが、何度も行ったことがある別な銀座の馬肉専門店が以前よりシャバダバになってしまったから今後は銀座だったらこの店に行くことになりそうだ。
この日は馬肉のすき焼きをメインにしてみた。これが良い意味で軽い。牛霜降り肉のすき焼きだと重たくてシンドくなってきた私には実に好都合だ。しっかり食べたが食後がラクチンだった。食後感って見過ごしがちだが外食ジャンルにおいて大事なポイントだ。
話は変わる。続いては鴨肉だ。鶏肉とはまるで異質の美味しさがある。コクと旨味が独特だ。その昔、かつての極道作家・安部譲二さんが任侠道現役時代に鴨南蛮を注文したのに鶏肉が使われていたことに怒って店を破壊したというエピソードを聞いたこともある。
鳥といえば鳥だが、食肉として考えた場合、まるで別モノだ。個人的には鴨の脂身のウマさは鶏肉のそれとは比較にならないように感じる。
東銀座にあるその名も「鴨亭」。久しぶりに訪ねてみたが、かなり辺鄙な立地なのに大賑わいだったから鴨ファンが結構多いことを実感した。
上の画像はもも肉の炭火焼だ。この店ではいろんな鴨肉のメニューがあるが、こういうオーソドックスな一品が素直にウマい。焼酎片手に味わえばウットリする。
写真は撮り忘れたが鴨肉の北京ダック風などあれこれを食べながらメインには鴨のすき焼き。やはり牛肉のすき焼きとは違う軽さが嬉しい。軽さを評価しちゃうこと自体が加齢の証である。そう考えると歳をとってきた著名な料理評論家の皆さんはいろいろとキツそうだと要らぬ心配をしてしまう。
シメに出てきたのが鴨せいろだ。蕎麦はともかく、つけ汁がとても良かった。つゆ自体も深みのある味だったが、たんまり入っているネギと鴨肉との相性、バランスが実にオッサン泣かせ。まるでカニを食べている時のように無言になってしまったほどだ。
やはり私は蕎麦派だと痛感した。「東京人はうどんじゃないぜ」と気取っているわけでなく単純に蕎麦のほうがウマいと思う。
話がそれた。牛、豚、鶏ではない肉のウマさについて語るのが今日のテーマだった。
グルメぶった人のようにいろいろと書いてきたが、最近とくに美味しく感じたのはやはり赤ウインナーである。前回のブログにも書いたばかりだが、その後も何度か食べている。私の味覚なんてそんなものである。
肉だか何だか分かりやしない怪しげな原材料で作られているのが赤ウインナーである。何の根拠もないが間違いなく身体に悪い、はずだ。でもケチャップをベチョっとつけて味わうアイツのウマさは格別だ。
本格的なソーセージを粒マスタードで食べるのも嫌いではないが、赤ウインナーとの二択だったら私は迷わず赤ウインナーを選んでしまう。
それが結論だ。
今の時期はやたらとカツオが食べたくなる。春のカツオもウマいが、やはり上質な脂をまとう秋のカツオは独特の美味しさがある。日本中ナントカの一つ覚えみたいにマグロばかりが重用されるが、ウマいカツオはマグロをも超える美味なヤツだと思う。
こちらは人形町のお寿司屋さん「浮舟」で出されたカツオ。これまた脂の乗りも良く大満足。こちらの店にも最近はちょくちょく出かけるのだが、町寿司の名店だと思う。なかなかニクい品揃えで快適に過ごせる。
押しつけがましいところはなく好きなモノを好きなように食べることを推奨してくれる。今どきはその姿勢だけで喜ばしい。おまかせ一辺倒の寿司屋ではありえない居心地の良さを味わえる。
この画像は醤油焼にしてもらった白子。軽くまとった衣が良いアクセントで酒の肴としてバッチリだった。後ろに映っているタコも見た目は普通だが、茹でる際に番茶を使うそうで実に風味豊かだ。
さて、独身生活も長くなってくると刺身など生魚はともかく焼き魚、煮魚系と縁遠くなってしまう。時おり無性に火の入った魚も食べたくなる。
こちらは人形町の外れにある「竹とんぼ」という店で食べたサバの干物と酢だこ。こういう焼き魚は家庭人を卒業しちゃうとなかなか食べられないから無心にむさぼった。赤色の酢だこも最近は年末年始ぐらいしか出会わないから何でもない日に遭遇すると嬉しい。
焼き魚といっても妙に高いヤツもある。ノドグロあたりはいつの間にかブランド品みたいな扱いになって敬遠したくなるが、それでも時には食べたくなる。昔はもっと手ごろな値段だったのにこれも時代の流れだろう。
こちらは銀座の「蕎麦まる銀座」での秋っぽい突き出しとノドグロの塩焼きだ。もう一回り大きいと嬉しいのだが、物価高のご時勢だから文句は言えない。焼き魚にすると白身の魚は青魚とはまた違った旨味がある。
こうした純和風の品々を食べていればヘルシーで結構なんだろうが、そこは道楽者?である私だ。やはり若者のようなドカ食いモードになってしまうことも多い。
お次は洋食の人気店・日本橋「たいめいけん」でのムホムホメニューだ。この日は気軽な一階席であれこれ食べたのだが、やはり洋食屋さんではベシャメル系とデミグラス系の両方を味わいたくなる。
グラタンとオムハヤシ、ハンバーグである。ここも以前より値上がりしているが、2階席に比べれば1階席はまだ手ごろだ。ニッポンの洋食の王道だ。この店が自宅から徒歩圏にあることは幸せだ。でも太っちゃうから頻繁に行かないようにしている。
どんなジャンルの店に行くにしても秋はついつい食べ過ぎてしまう。さすがに時には調整のために夕食を軽めに済ませることもある。
とある日、久しぶりに銀座の「bar U」で晩酌。炭水化物は抜くと決めていた日なのでメニューにあるオムライスや各種パスタには目もくれず軽い注文で済ます。
牛タントマト煮と赤ウインナーである。こういうモノでジントニックやハイボールをグビグビしていれば間違いない。赤ウインナーは昭和人にとっては見ているだけで幸せな気分になる。不思議と家では食べたいとは思わないのに外食の際に見かけると必ず注文しちゃう。
なんだかんだ言って、ジャンク系というか、ガッツリ系の品々を食べたくなる機会が多い私だ。きっと胃腸がそれなりに丈夫なのだろう。この秋もいろいろと脈略なく好き勝手な食生活を続けている。幸せなことだ。
今日の話はスマホに残っている食べ物画像を整理しながら書いてみたのだが、数々の画像の中で「すぐにでもまた食べたい!」と思ったヤツを最後に紹介する。
大学野球を観戦しに行った際にほぼ必ず食べている「温玉牛丼」である。この春から私にとっての大定番になった。決して上等な肉ではないのだがミョーにウマい。“屋外メシ”という点も魅力だ。
混雑とは無縁の大学野球をノンビリ眺めながらこれを頬張っていると何だか無性に幸せな気持ちになる。私にとって“休日を象徴する味”である。
デパートでやっている物産展はナゼかワクワクする。全国各地の名産品などが集まるからぶらぶら見ているだけでも楽しい。
有楽町の交通会館や銀座一丁目、はたまた日本橋界隈には各道府県のアンテナショップがあるので散歩のついでに頻繁に覗くのだが、デパートの物産展は熱気が違う点が良い。
来場者だけでなく、各店舗のオバちゃんのハッスルぶりが催事の空気感を作っている。常設のアンテナショップとはイキイキ感がまったく違うから何となく楽しい。
先日は日本橋高島屋でやっていた北海道展に出かけた。三越の北海道展より規模が大きくてちょっとアガった。それにしてもイクラの値上がりぶりはどうにかならないだろうか。富豪の私?でも簡単に買う気にならない。5年前に比べると体感で2~3倍にはなっているようだ。
イクラは川に上がってくる前の鮭から取るから鮭の回遊コースに異変でもあったのだろうか。気象条件が変わってきたから海の生き物にも影響はあるのだろう。イクラの大ファンである私には結構ツラい。仕方ないから年末にかけてふるさと納税で大量に注文しようと思う。
さてさて、最近はお手軽な幸福感を味わうことを日々のモットーにしている。近所のデパートで催事場を覗いてワクワクするのもお手軽に幸福感を味わえるし、ウチメシひとつとっても手軽な海鮮を買ってきて好みの味に仕上げた酢飯とともに味わえばプチ・ハッピーの極みである。
某日、自作の酢飯がウマく仕上がったところにマグロとイクラだけをトッピングしてガツガツ食べた。外食よりは格安だし、外食だと他に余計なものも頼んじゃうからこういう単純メシで済ませるのも悪くない。
個人的に海鮮丼を食べる機会は滅多にない。せいぜい函館あたりの旅先でウニ丼、イクラ丼を食べるぐらいだ。都内でもインバウンド向けにたいそうな海鮮丼を出す店が増えているようだが、私の場合、お寿司屋さんでアレコレ食べるほうが好きなので海鮮丼とは縁がない。
個人的には海鮮丼は酢飯で食べたい。ホカホカの白飯で食べるのも悪くないが、ウマい酢飯で食べてこそ魚の味も引き立つような気がする。こだわりを言わせてもらうと冷え切った酢飯だとイマイチである。ほんのりあったかい酢飯が最高だ。
というわけで、家で自ら炊き立てご飯を使って酢飯を作り、そこに海鮮を載せるのが間違いのないプチ・ハッピーへの道である。
上の画像のすし酢が私の好みだ。ここ何年もこれしか使っていなかったのだが、最近になって子供の頃に時々味わっていた「すしのこ」に再注目するようになった。
妙に甘い味付けの人工感!?たっぷりの粉末のアイツである。昭和の子供はみんなお世話になったはずである。
上の画像のすし酢を使うと品の良い本格的な味の酢飯が手軽に作れるのだが、「すしのこ」を多めに入れると実にヤンチャな味になる。ジャンク和食の極みみたいな味である。よく分からない表現ですいません。
良く言えば昔懐かしい郷愁の味であり、悪く言うならちょっと下品でベタな味である。でもそれがウチメシならではのユルい感じになって悪くない。むしろ嬉しい気持ちになる。
さすがにどこのスーパーでも置いてあるロングセラー商品だけのことはある。麻薬成分的なモノでも入っているのか中毒性すら感じてしまう。冷静に味わうと不思議な味だ。正直に言えば鮨飯とは違う種類の味だといえる。でも、その不思議感こそが「すしのこ」の魅力だ。多めに使うとその後は喉が渇いてしょうがないのもご愛敬である。
子どもの頃はこれをまぶしたご飯をおかず無しでも際限なく食べられた。なんなら今だってそうやって食べてみたい。具材は無しでチョロっと醤油を垂らすだけで充分にウマいはずだ。きっとコメ2合ぐらいは秒殺、3合だって余裕で食べられそうな気がする。
さて、浅草にいた日の話だ。すっかり出不精になって職場と家の周りしかウロついていないのもシャクだからちょこっと遠征気分で出かけた。
遠征などというには近すぎるのだが、この日、まず出かけたのが両国にある江戸東京博物館である。長いこと休館していたがリニューアルオープンしたので久しぶりに覗きに行った。
ここは都内の博物館の中でもかなりユニークな場所だ。スケールも立派だし、東京人ならもちろん、東京出身者じゃなくても興味深い展示内容が多い。プチ歴史好きな私にとっては何度来ても発見がある。
広大なスペースだから運動不足解消にも貢献してくれる。常設展示以外の特別展までウロウロすれば結構足が疲れる。中高年向きのレジャー施設としてオススメ。
ちなみに以前から気になっていた展示物がリニューアル後の今回もしっかり私のハートを捉えた。といっても良い意味ではない。切ない気分になる内容である。「江戸町人の人生」というシンプルなパネルである。
7歳で寺子屋に入り、12歳ごろから奉公や弟子入り、15歳で元服…等々の一般的な歩みが描かれている。24歳で結婚するぐらいまでは問題ないのだが、その後はたいしたライフイベントはないまま、40歳を過ぎたぐらいの頃のイラストはジジイ状態である。
で、残念なことに「56歳で死去」である。そりゃあ、昔の人が短命だったことぐらい百も承知だが還暦も迎えられないのが一般的なのかと思うと妙に切ない。この展示パネルをみるたび「世が世ならオレもとっくに死んでるのか…」とビミョーな気分になる。
なんとかならないものだろうか。ならないだろう…。
江戸時代の展示物を中心に堪能して、明治維新後の東京のコーナーは個人的にそんなに面白くないので早歩きで見学を終了。両国からさほど遠くない浅草まで足を延ばすことにした。
不思議なもので秋になると浅草に足が向きがちだ。私の生まれ月が10月だからDNAの仕業なのだろうか。祖父から上のご先祖様は浅草の人だったから時期が来ると呼ばれるのかもしれない。
すっかり外国人観光客向けの街に変貌した浅草だが、やはりあの街ならではの空気感は魅力的だ。ナゼだか散歩しているだけで気分がアガる。とりあえず疲れた足を休ませたくて浅草ROXの日帰り入浴施設に向かう。
さすがに観光客は少ないようでなかなか快適に過ごせた。ジェットバスや打たせ湯ばかり利用するあたりが我ながら加齢を痛感する。サウナも快適だった。時にはこういう過ごし方もアリだ。
入浴後、どこで一献傾けようかサウナの中でひたすら考える。浅草といえばすぐにヨシカミなどの洋食屋さんに行きたがる私だが、この日はナゼか頭の中を餃子が支配し続けていた。サウナのせいでただただビールが飲みたかったせいかもしれない。
で、風呂上がりにウロウロ歩き回るのも面倒だったので、目の前にあったどうでも良さそうな?店構えの町中華に入ることにした。
スマホとにらめっこして必死に餃子のウマい店を探すのは「無頼な街・浅草」での行動パターンとして何だかカッチョ悪い気がした。いや、いま思えばちゃんとスマホを駆使して店選びをすればよかったと思う。
餃子、かに玉、あんかけ炒め麺である。味はそれなりとしか言えない感じ。まるで印象に残らなかった。特別マズくはなかったから文句を言ってはバチが当たる。でも星の数ほど飲食店がある中でここを選んだ自分の中途半端さにちょこっとイラついてしまった。まあ、美味しくビールなどをグビグビしたから良しとしよう。
というわけで、気張って“お出かけ”などと構えなくても結構いろんな楽しみ方が出来るものだと今更ながら感じた1日だった。
いわば“プチ・ワクワク”みたいな行動を積み重ねることが日常生活にちょっとした彩りを加えてくれるーーなどとガラにもなく痛感した時間だった。
ワイワイと騒ぐ時間も好きだが、一人しっぽり過ごす時間も好きだ。たいていの人にとって社交的な部分と内向的な部分は共存している。私も同じだ。いろんな自分がいる。人前で陽気に騒ぐ自分もいれば内向きになって何時間も無表情で過ごす自分もいる。
真面目な自分もいればフシダラ極まりない自分もいる。それが人間だろう。若者が“自分探し”などと口にするが、「自分」とはそんな簡単なものではない。死ぬまで、いや死んでも分からないままだと思う。
そんな面倒な話を書くつもりではなかった。散歩の途中で隅田川を眺めながら一人静かに味わうコーヒーが好きだという話を書こうとして脱線した。一人時間、それも無表情でボケっとする時間の話である。私にとってプチハッピー?な時間だ。
門前仲町側の永代橋のたもとに「ガムツリーコーヒー」という専門店がある。そこで買ったコーヒーを隅田川沿いの遊歩道のベンチに座って飲んでいると妙にリラックスできる。涼しくなってきたからこれからの週末はマメに通いそうな気がする。
隅田川テラスと呼ばれる川沿いの遊歩道は中央区や台東区など近隣住民にとって憩いの場だ。もちろん遠方から来ても散歩コースとしては秀逸だ。当然ながら信号も車も自転車もいない空間である。行き交う船を眺めながらノンビリするのは最高だ。
カフェモカみたいなちょっと甘味のあるコーヒーにエスプレッソショットを追加するのが私の定番だ。職場やウチで飲んでいるスティックコーヒーより100倍ウマい。スティックコーヒーと比べては専門店に失礼か…。
昔から感じているのだが、一人の時間の充実度がそれ以外の時間を楽しめるかどうかを左右するのだと思う。誰かといればどうしても気を遣うし、かといって常に一人でいるのも味気ない。人と過ごす時間はフルにエネルギーを発揮して、一人の時にノホホンと充電するー。どうやらそんなことの繰り返しで生きている気がする。
先日、某・仲良しオネエサンと銀座の和食屋さんでしっかり飲み食いした後に近くのバーに立ち寄った。バーといってもオーセンティック系ではない。賑やか系だ。昔からの付き合いがある中年ママが切り盛りする店で、ママさんの他に私と同年代のオカマちゃんや若いバーテンくんなど雑多な面々が賑やかに楽しませてくれる。
いつもは夜のクラブ活動の合間や飲み直しに一人で顔を出すのだが、この日は珍しく女性を連れていったせいでお店の面々がやけに盛り上げてくる。こっちも調子に乗って絶叫系のカラオケを連発したりして騒ぐ。
そのうち、ノリノリになったオカマちゃんがそのオネエサンを襲い始めた。素敵な時間である。画像はとりあえず白黒に加工してみた。私はこういう乱痴気騒ぎが大好物だ、男ならみんな大好物だろう。
オネエサンもアニソンを熱唱しながらオカマちゃんと戦闘状態である。この画像以上の展開についてはここには書けないが、寝取られ系フェチ度が強め?の私にとっては至福の時間だった。
こういうバカ騒ぎも時には必要だ。とくに中高年になるといろんなブレーキが作用してハジける場面がどんどん減ってくる。それが「分別」というやつなんだろうが、フンベツなんて社会秩序のために誰かが押し付けてきた根拠不明の迷信みたいなものである。
眉をひそめる人もいるだろうが、たまには眉をひそめられる側になってみるのも悪くない。あと何年ぐらい元気でいられるか分からないから機会があればバカ騒ぎの時間を確保したいものである。
思えば若い人が喜んで食べるようなファストフードをむさぼり食い、コンビニスイーツに常日頃から世話になり、ハヤリのドラマ「VIVANT」にハマり、関連するネット配信番組「悪役会議室」まで楽しみにしているように私の行動パターンには“還暦オヤジらしさ”がちょっと足りない。
若ぶっているつもりはないし、若ぶりたい願望もないのだが、ミーハーというか落ち着きがないというか、どうもドッシリ感が欠如しているようだ。バカ騒ぎを反省するどころか推奨しかねない精神構造はちょっと考えものかもしれない。
とはいえ、そんな自分もまた“正規の自分”である。生真面目で小心者な自分も正規の自分であり、倫理に嚙みつきたい自分も正規の自分である。バカ騒ぎしている時に「テキトーにしておけよ!」と脳裏で囁きながら注意してくれる心の声もまた正規の自分の声である。
要は「自分A」「自分B」「自分C」みたいにいろんな自分がいて、そのどれもが自分そのものである。当たり前だがそういうもんだろう。だからどっちかの自分が粗相しても、どっちかの自分に免じてご容赦願いたい。
歳に見合わずファストフードもドカドカと食い漁る日々だ。若い頃から進化してないようだが、考えてみると着実に変化はしている。若い頃はエスニック料理屋らインド料理、本格的なイタリアンなどヨソの国の食べ物もガツガツ食べあさっていたが、最近はすっかり和食一辺倒になった。
ファストフードといえどもハンバーガーはともかく、牛丼やカツ丼、はたまたナポリタンやらオムライスやらは日本独自の食べ物だから和食である。いまだに時々食べてしまう菓子パンにしても日本的なシロモノという見方もできる。
デリバリーを頼む際、ロースカツ丼とヒレカツ丼のどちらにしようか迷うと両方食べちゃう節操のない私だが、そんなドカ食いターゲットも和食ばかりになってきた。原点回帰なのか赤ちゃん返りなのか不明だが、人生、何週も回ってくると結局は和食に行き着くのだろう。
先日、某お寿司屋さんに生のタラコがあったのでツマミで出してもらった。明太子となると九州より向こうの半島あたりから渡来した風情があるが、単なる塩タラコは和食の極みみたいな一品だ。
タラコといえば私にはヘンテコな食べ方がある。酢にひたしてチビチビ食べるのがそれだ。たいていの人が共感してくれないのだが、ナゼか子供の頃からタラコ酢が大好物である。
画像右の透明の液体が酢だ。どこの店でも不思議そうな顔をされるのが面倒だが好きなんだから仕方がない。タラコに限らず誰にだって“変態的食べ方”はあるはずだ。カップヌードルに酢を投入する知り合いがいたが人の好みなんて千差万別である。
アジフライに醤油をかけることだってソース派の私から見れば変態的だし、天ぷらを塩で食べることも私に言わせればヘンテコだ。
話がそれた。
先日、付き合いメシで銀座の小洒落た料理屋さんに出かけた。「御料理銀座蕎麦 まる銀座」がその店。店名通り蕎麦をシメに出す店だが、蕎麦専門店というわけではなく気の利いた和食メニューが豊富に用意されている。
外食ジャンルの中でも私にはお寿司屋さんが一番落ち着くのだが、魚以外にもあれこれ食べたい気分の時もある。そういう時に使い勝手がいい。この日も魚以外に馬刺しもモリモリ食べたし、クリームコロッケも食べた。
アラカルトで注文する客にも黙って出される前菜盛り合わせだ。季節感あふれる品々が秋を感じさせてくれた。こういう風情を妙に嬉しく感じるのも年の功だろう。おそらく“突き出し”的なものとしては高価だったはずだが、場所柄それも納得してしまう。
土瓶蒸しや西京漬けの焼き魚、ウニの入った茶碗蒸しも丁寧な味付けでオジサマ的には嬉しい。結局、こういうものを食べてシミジミするのが人生の秋を迎えた身には最適なんだと思う。
好きな酒をとっかえひっかえ飲みながら気の利いた一品料理でグダグダ過ごせて時折タバコも吸えちゃうのは癒し以外の何物でもない。安い店ではないが、癒しのショバ代と考えれば仕方ないのだろう。
で、お店の看板に合わせて蕎麦で締めくくろうかと考えていたのだが、気になるメニューを見つけたので方針転換。「うにイクラあわび飯」があったのでこの日は蕎麦は無し。
野菜かと思った濃い緑色は青海苔だった。これがなかな良いアクセントだった。ウニいくらの塩味に加えてアワビの食感が全体を引き締めている感じ。出汁の効いた炊き込みご飯も美味。若い頃だったらパンチが足りないと思うのだろうが、この歳になると程よい塩梅にシミジミしてしまう。
毎日でも食べたくなる味とでも言おうか。結局、和食系のウマいものの魅力はそこに尽きる。エスニックもインド料理もウマいが、毎日食べたいとは思わないのが普通だ。
出汁や旨味に注力した和食ならDNAの影響もあってか毎日でも飽きない。胃もたれもしないし食後も快適。こういう路線の食べ物を喜べるようになったという意味では、とっととオジサンになって良かったと思う。生まれ変わってもすぐにオジサンになりたい、なんならオジサンとして生まれてきたいぐらいである。