2024年6月21日金曜日

老後の趣味を考える


15年ぐらい前にこのブログで「老後の趣味」について書いたことがある。まだ私が40代前半の頃だからテキトーに書き殴っている感じだ。いまほどの切実感?はない。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2010/01/blog-post_22.html

 

 私も来年には還暦だ。真面目に老後のことを考えるべきなのだが必要な準備は何も出来ていない。行きあたりばったり生きている感じがする。

 

いろいろ考えなければならないが、難しいことは別にして気になるのはやはり「老後の趣味」である。上に貼った記事では水中写真や葉巻といった今ではほぼリタイアした趣味に触れていた。15年も経つと趣味も変わる。

 

水中写真撮影にはそれこそ半生をかけたと言えるぐらい熱中した。ハタチから30年ぐらい続けた。わが人生最大の趣味だったが、もう5年近く潜りに行っていない。事実上の引退である。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/05/blog-post_17.html


https://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/01/blog-post_18.html


やはり若い頃と同じようにはいかないという現実が大きい。今だって今の状態なりに潜って撮影することはもちろん可能だ。でも昔に比べると着実に劣化しているから調子に乗って昔のノリで行動したら危ない。

 

場所が場所だけに何か起きたら死んじゃう。水中でトラブルが起きた際も若い頃ならギリギリで対処できるちょっとした余裕があった。30年以上の潜水歴では危ない場面にも遭遇したが、結局は「ちょっとした余裕」が身を助けていた気がする。

 

今の私がハードなコンディションの海に潜ったらそういう「ちょっとした余裕」を持てないはずだ。身体も鍛えていないし昔のように頻繁に海に行っていない。頭の中だけベテランダイバーのつもりで身体がついていかないのは実に危なっかしい。

 

いまだに主要な潜水機材や撮影機材は処分できずにいる。未練たらたらだがリタイアすれば少なくとも海で死ぬことはない。渋々ながら引退確定である。

 

葉巻についても一時期は毎日2〜3本をくゆらせるぐらいハマっていたが、日本人は体質的に葉巻に起因する咽頭がんや舌がんのリスクが非常に高いらしい。おまけに実際にそんな亡くなり方をした知人もいたので今はほとんど手を出していない。

 

まさに諸行無常である。

 

バンド活動も始めてから10年以上が経ったが、当初の目標は還暦まで続けることだった。気づけばもうすぐそこである。還暦以降も続けていければ幸せだが、あれはさすがに一人では出来ない。趣味とは何となく一人で黙々と励むイメージがあるからちょっと種類が違う。

 

一人で励めることに絞ると以前から私が候補にしてきたのが「全国お城めぐり」である。これはある程度現実的であり極めていけたら面白そうだ。日本中の城を巡り終わってしまっても2周目に挑めばより深く学べる気がする。

 

まったく新しいことに挑戦する探究心も必要だが、いまさら一から囲碁や将棋を学ぶ気にはならないし、絵や陶芸みたいな芸術方面は根本的なセンスが欠落しているから無理だと感じる。

 

写真に関しては有力候補だと思って生きてきた(https://fugoh-kisya.blogspot.com/2021/09/blog-post_29.html)が、ここ10年ぐらいでずいぶん気持ちが変わった。デジタルの進歩のせいである。

 

フィルムの時代に水中という環境で一生懸命に撮影のアレコレを身につけた私としては、写真に関しては「一瞬の勝負」みたいな部分に魅力を感じていた。


デジタル時代になってやたらと便利になったが、いま思えばフィルムだと撮影枚数が最大36枚しかなかったり、現像焼付までしないと出来栄えが分からなかったハラハラ感が楽しかったような気がする。

 

ついでにいえば、今の時代はスマホのカメラ機能が異様に進化したせいでわざわざカメラを手に出かける気にならないのも事実だ。

 

いま、老後の趣味の最有力候補に浮上してきたのが学生野球観戦である。この4月にウン十年ぶりに東京六大学野球を観に行ったことで突如ハマった。なんてったって座って観ていれば済むわけだからオジイチャン向きである。

 



東京六大学の他にも全日本大学選手権も観戦したのだが、一人で来ている高齢男性が結構目についた。老後趣味候補にピッタリである。プロ野球は混んでるし料金も高いが、学生野球は気楽に楽しめる。何よりも若者の懸命なプレーが良い。ちんたらプレーするプロの姿よりも清々しい。

 

全日本大学選手権を観に行って初めて知ったのだが、東京六大学野球の他に全国には20以上もの大学リーグがあるんだとか。のんびり電車旅のついでに地方の大学リーグ戦を観戦に行くのも面白いかもしれない。

 

今年は高校生の甲子園予選も観に行こうと思う。熱中症で倒れちゃったらマズいが、麦わら帽子でも新調して一人缶ビール片手に若者の熱いプレーに刺激をもらってみようと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年6月19日水曜日

眠れないせいで


ここ半年ぐらいなんとなく眠れない状態が続いている。眠れないと言うのは正しくない。いったん寝てしまえば平和にイビキをガーガーかきながら熟睡するのだが、寝付きがまったくダメなのが問題だ。

 

疲れていようが、そこそこ酒を飲んでいようが、さあ寝ようとすると途端に目が覚めてくる感じがする。寝る前にスマホやテレビを見るのは光が脳に刺激を与えるから良くないことは知っている。

 

だから眠くなりそうな小説などを読んでみるのだが、それはそれで必死に物語の世界を頭に浮かび上がらせようとするから結局は覚醒してしまう。困ったものである。

 

中年になって以降、睡眠導入剤や安定剤もいろいろ試してきた。今のお気に入りはレンドルミンのジェネリック「プロチゾラム」の舐めて溶かすやつである。私とは相性が良いみたいで良い感じに効いてくるとスッと眠りに落としてくれる。

 



導眠剤の中には翌朝に妙に残ってしまってスッキリしないものもあるが、私の場合、この薬だと朝になって残っている感じがしない。毎日でも飲みたいのだが、やはりこの種の薬は常用すると効き目がなくなるみたいだから一応、もったいぶった使い方をしている。それでも一週間の半分はお世話になっている。

 

薬に頼っているせいか、最近は物忘れがかなりヒドい。副作用の可能性は大いにあるのでもう少し飲まずに頑張ろうといろいろと創意工夫に励んでいる。

 



最近買った安眠用のスピーカーである。普通のブルートゥーススピーカーとして使えるだけでなく、自然界の様々な音を流すモードがある。焚き火の音、波の音。小川のせせらぎ、虫の声、雨の音などである。

 

いろいろ試してみたのだが、結果はビミョーだ。小川のせせらぎは何だかベッドが水で濡れてくるような気持ちになってダメ、虫の声は枕元にホントに虫がうごめいているような気持ちになってダメ、焚き火の音は純粋に怖くてダメ、波の音は溺れるような気分になってダメ。寝落ちするどころか目が冴えてしまう。

 

唯一効き目があったのが雨の音だ。これは妙に気持ちが静まって睡眠導入効果を感じることが出来た。こればかりは人によって違うのだろうが私は雨音派みたいだ。

 



とはいえ、こういう機械を買ったのは2度目で最初に買ったやつの雨音モードは全然ダメだった。その理由は雨音に混ざって途中で雷の音がゴロゴロ響くのが耳障りだったから。案外私はデリケートな人なのかもしれない。

 

問題は最初に買ったスピーカーより2度目に買ったスピーカーのほうが音量調整がしにくい点だ。聴こえるか聴こえないか微妙なボリュームにしたいのに最低音量がやや大きめなのが難点。

 

おまけに音量調整ツマミがアナログなレバーなので指先で一生懸命微調整しようとするとそれに気を取られてイライラし始めてガッツリ覚醒してしまう。つまり眠るどころではなくなる。本末転倒である。

 

ネットのリール動画で目にした「家の中に溜まる邪気」の話も気になっている。家の中に邪気が溜まると重い肩こりや頭痛などの他、眠れない状態に陥るのだという。

 

重い頭痛も肩こりもないし、別にウチの中の空気が淀んでいるとは思わないのだが、思えば今年前半は不調が多いのも確かだ。自転車ですっ転んで炒めた膝裏の調子はちっとも良くならず、最近では重い結膜炎に3週間も苦しめられ、ついでに先月末にはコロナにも感染した。「邪気」とか言われるとついついスピリチュアル系?も気になってしまう。

 

で、単純な私は以前から続けている「盛り塩」に加えて寝室の枕元に竹炭を置くようになった。ホントかどうか知らないが、炭には邪気を払う効果があると聞けばつい買いたくなる。

 



盛り塩も竹炭も例の睡眠スピーカーもみんなAmazonで買った。すべて注文した翌日には届く。なんとも便利な時代になったものだ。

 

考えてみれば、寝れない寝れないとか言いながらスマホでAmazonの画面を開き、あれを買おうかこれも買おうかなどと寝る前にやっているのが一番ダメなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

2024年6月17日月曜日

紫陽花と鰻

 


 アジサイの季節だ。なぜかウナギが食べたくなる季節でもある。本来は冬が旬の食べ物だが、いまは養殖が基本だから年柄年中が旬である。個人的には夏の訪れに恐怖を覚える季節になると防衛本能的にウナギを食べたくなる。

 

5月末にコロナになってしまい、復活した6月の前半は2週間で何とウナギを5回も食べてしまった。元気を回復させたい深層心理のせいだろう。5回はそれぞれ違う店で食べた。すべて夕飯である。初訪問の店が3軒。我ながら強欲?な気がする。

 

何年か前に日比谷にオープンして以来、やたらとネットを中心に評判になっていた店にも行ってみた。たまたま中途半端な時間だったので並ばずに入れた。店の名前は「うな富士」。元は名古屋の店だという。

 

今まで行ったことがなかった理由はただ一つ。蒸さないウナギだから。こちらの店ではウナギは蒸さずに直焼きで提供される。関西風である。地焼きとも呼ばれるが、そんなパターンの店が東京の都心で大人気になっているわけだ。

 

直焼きのウナギがマズいというつもりはない。あくまで地域性の問題であり味についても好みの世界である。しっかり蒸しの工程を入れた関東風が断然好きな私だが、過去に何度か直焼きのウナギもそれなりに美味しく感じたことはある。クセにはならないが。

 

で、うな富士である。広い店内を見回すと「ひつまぶし」を食べているお客さんが案外多かった。これまた関東人はさほど好まない食べ方である。私が注文したのは特上鰻重。その店の力量やレベルをみるには値が張っても上級ラインを頼むのが手っ取り早い。

 

回転が良い店なんだろう。割とすぐに鰻重登場。晩酌のアテにしようと思っていたうざくも一緒に出てきたのは残念。このあたりは老舗の渋い鰻屋さんの心配りとは違う。

 

 

特上はただウナギが多いだけだったようだ。テンコ盛りである。お重の蓋は横に立てかけられていた。こういう見た目は若者にはウケそうだ。私もちょっとワクワクした。

 

肝心のウナギは直焼き独特の食感。外側はパリっとしているわけではないがギュっと焼きしまった印象。身が厚いウナギだから中身のトロける感じはしっかり味わえた。

 



さすがに人気店だけあって私がこれまで食べた蒸さないウナギの中では美味しい鰻重だった。とはいえ、基本的に私は「蒸し派」だから満足したかといえば否である。

 

こちらの特徴は厚い身のウナギを強力な炭火で一気に焼き上げることらしい。そのせいかウナギの外側の焦げっぽい風味がどうにも鼻につく。「焦げ」の加減で味の印象は大きく変わっちゃうことを再認識した。

 

話は変わる。以前よく出かけた日本橋の常盤橋近くの「いづもや」。独自開発したウナギの魚醤を使った「いづも焼き」を肴に冷酒を飲むのが好きだったのだが、一人でふらっと入りにくいせいもあってかなりご無沙汰している。

 

その「いづもや」の“イートイン支店”の良い評判を聞いたので珍しく日本橋三越のデパ地下で夕飯を食べることにした。一人メシだったのでデパ地下のイートインだろうがお構いなしである。

 

この日は酒よりもメシの気分だったのでそういう気分の時はデパートのイートインは穴場かもしれない。実際、メニューに酒は小瓶のビールしかなかったし、ツマミになるような一品もごくわずかだった。当然ながら「いづも焼き」も無い。黙って鰻重をか食らうことを前提にしているみたいだ。

 



 

本店とデパ地下のイートインを比べちゃ悪いかと思ったが、出てきた鰻重はちゃんと美味しかった。これなら中途半端な専門店でもったいぶって出てくる鰻重を食べるのがバカみたいだ。充分満足した。気軽にサッサと鰻重だけを味わいたい人なら選択肢に入れるべきだと感じた。

 

続いては少しカジュアルな「登三松」という鰻屋さんだ。東銀座や新富町から近い位置にある。なんとなく敷居が高いような鰻屋が多い都心部にあってこちらは気軽な雰囲気。店内には橋幸夫や柳沢慎吾がこの店を雑誌で紹介した時の記事がベタベタ貼ってある。

 

この日は肝焼き、白焼き、鰻重を注文。肝焼きはやたらと肝が大量に刺さった串が出てきた。イヤな予感(笑)。今どきの鰻の肝焼きは店でさばいた鰻の肝ではなく輸入品の肝を使って間に合わせるのが珍しくない。

 


 

高級店だろうと夜の遅い時間に肝焼きが品切れになっていなければ、まずそっち系だろう。だからといって一概にマズいとも言い切れないのだが、中には怪しい味?に当たっちゃうこともある。この日食べた肝はちょっと残念系。半分残してしまった。

 


 

気を取り直して白焼きで燗酒を味わう。しかし、妙に小骨が多い。初めて入った店で小骨が多いと印象は悪くなる。たまたまかもしれないが、この日の白焼きは結構食べにくかった。

 



白焼きで気になり始めちゃうと肝心の鰻重の方でも意識がそっちに行ってしまう。やはりちょっと小骨が気になる。タレの味もコメの加減も悪くないのにもったいないことだと思う。

 

以前、食べログの評価が妙に高かった中央区某所の鰻屋さんを初訪問した際にもそんな経験をした。鰻の個体差、処理した職人の違い等々の理由でその時だけ運が悪かったのかもしれないが、そんな経験をすると再訪する気にはならない。

 

何度も通っているお気に入りの鰻屋さんならば、たまたま小骨が多い鰻に当たってもそれを機に行かなくなることはない。そんなものだろう。

 

なんだか長くなったので今日はこのへんで。

 

 

 

 

 

 

2024年6月14日金曜日

ワイン問題


このブログでしょっちゅう酒を飲んでいるような話を書いているが、実はそんなに酒好きというわけではない。一週間ぐらい一滴も飲まないこともある。タバコか酒のどちらかをヤメなきゃならなかったら迷わず私は酒をヤメる。その程度である。

 

そうはいってもいっぱしの大人だから酒にはそれなりにこだわりもある。何よりも食べ物との組み合わせにはうるさいほうかもしれない。逆に言えば食べ物と合わない酒を選ぶ人を見るとゾワゾワした気持ちになる。

 

何を食べて何を飲もうが人様の勝手だが、例えば寿司に紹興酒を合わせている人がいたら、きっと私はその人の生き様が気になって眠れなくなるはず。さすがにそんな人はいないか。

 

以前からひっかかっているのがこの国におけるワインの位置付けだ。ウン十年前のワインがまだ手に入りにくかった時代ならともかく、いまだにワインについては何か特別でワンランク上のたいそうな酒という“呪縛”みたいな空気感が強いように思う。

 

もちろん、奥の深い世界だし、マーケット的にも全世界が相手だし高尚なウンチクが山ほどあるのは理解している。凄い一品は凄いのだろう。とはいえ、一般の日本人が普通に接しているワインの大半はそんなに凄い銘柄ではないだろう。

 

なかには安酒としか言えないようなものも珍しくないが、そんなものまでひっくるめて“ご立派な酒を飲んでます”みたいな様子でいる人を見ると、やはりゾワゾワした気持ちになる。

 

まあ、確かにシャレたイメージが根強いのは確かだろう。ワイングラスのデザインも素敵だし、何よりも「響き」がカッチョよく聞こえる。

 

カベルネ・ソーヴィニヨンだ、ピノ・ノワールだ、シャルドネだなどと言われると何だか黙ってうなずかなきゃいけないような気分(笑)になる。

 

日本酒ならこれが山田錦や五百万石、美山錦になるし、芋焼酎だったら金時芋や黄金千貫である。響きに関していえばどことなくお相撲さんの名前みたいである。オシャレ対決?では勝ち目がない。

 



先日、つきあいで神楽坂のシャレた焼鳥屋さんに行った。あえて店名は伏せるが「ウチはワインがウリで料理もワインに合わせた味付けです」と得意げに語られてしまった。間違っても自分では選ばない店である。

 

普段なら「いやいや、焼鳥でしょ?酒か焼酎ください」と言ってしまうところだが、この日はさすがに我慢して店の言いなりになってみた。ちゃんとワインもアレコレ3種類ぐらいは飲んだ。

 





普通に美味しい焼鳥と普通に美味しいワインだった。ワイン好きな人にとってはなかなか魅力的な店だと思う。私としてはちょっと消化不良である。どこか物足りない。やはりウマい焼鳥なら違う酒で味わいたかったという保守ゴリゴリの感想しか出てこない。

 

焼鳥のタレもちょっと独特であくまでワインを相手にする前提での味付けだった。画像にはないがチーズの串焼きが出てきたが、それはさすがにワインにバッチリだった。

 

世の中にワインが大好きな人がいるのは理解しているが、個人的にいつも思うのは、和食との組み合わせを一生懸命考えるなら普通に西洋料理を食べたほうがいいという単純な事実だ。私だってベシャメルソースには白ワインを合わせたくなる。でも和食に合わせたくはならない。

 

ウナギに合うワインとか蕎麦に合わせるワインはこれだ、みたいな読み物を目にすると「何じゃそれは?」とつぶやいてしまう。物事は進化するものだし、時代も変わっていくものだが、ことワイン問題?に関してはどうなんだろう。

 

お寿司屋さんの中にもワインを前面に押し出してくるような店があるが、あれも私に言わせればビミョーだ。もちろん、私の個人的意見である。人の好みをウダウダいってはいけないが「寿司とワイン」には昔から個人的に違和感がある。

 

そりゃあ白ワインとの相性が悪くないネタはいっぱいある。でも私に言わせれば「強いていえば合う」という感覚だ。日本酒や焼酎との相性に比べれば、わざわざ合わせている感じとでも言おうか。どうもシックリこない。好きな人には不快な書き方になってごめんなさい。

 

大げさに言えば、多くの日本人の心の片隅に“ワイン崇拝主義”みたいなヘンテコな思い込みが染み込んでいるような気がする。これも広くいえば島国根性の一種なのだろうか。

 

ちなみに、その昔、前の奥さんとワインをめぐって言い合いになったことがある。ソムリエ資格を持っていた元嫁さんだから当然ワインには詳しかった。

 

なめし革がどうの、枯れ葉が焦げたような等々、ワインを表現する用語は独特である。そんな言葉を連発されたせいで「今までなめし革や枯れ葉を食って生きてきたのか?」と言い返してイヤ~な空気になってしまったことがある。

 

私もつくづくイヤミな男である。そんなトラウマもあって私はワインをついついナナメ目線で見てしまうのかもしれない。

 

ワインファンの皆様にはちっとも楽しくない話でスイマセンでした!

 

 

 


2024年6月12日水曜日

丼メシは日本の心


先日、友人と飲んだ後にラーメン屋に入って背脂入りの濃厚味噌ラーメンを堪能した。ウマかったので満足感に浸る一方、やはり私は飲んだ後のシメはラーメンより丼メシのほうが好きだと感じた。コメがただただ好きなんだと思う。

 

丼メシのようにコメの上にドカンと具が載った一品モノはあの単純明快さが魅力である。有無を言わせぬ感じとでも言おうか。アレコレ小鉢を並べて迷い箸状態になるのと違って問答無用で「食らう」感じが素敵だ。

 


 

高校生の息子は大食漢だから時々会う際はドカメシを食べさせる。なかでも牛丼特盛りを食べさせれば至極明快に幸せそうな顔になる。私もつられて特盛りにして、おまけに追加の牛皿まで並べて親子でムホムホする時間は元嫁には内緒の禁断の喜びである。

 

丼メシにもいろいろあるが、一種の王道的存在がカツ丼だろう。最近は卵で閉じないカツ丼が人気だが、保守的な私はいまだに未体験だ。ついつい普通のカツ丼が食べたくなる。

 


 

高級とんかつ専門店のカツ丼ももちろんウマいのだが、DNAに染み付いた感性のせいか、時々無性に「蕎麦屋のカツ丼」が食べたくなる。その昔の刑事ドラマの取り調べシーンでは出前のカツ丼が定番だった。見れば必ずヨダレが出まくったことを思い出す。なんなら一度ぐらい逮捕されて「取調室のカツ丼」を食べてみたいとさえ思っていた。

 

世の中にはいろんな丼メシが存在するが、私が一番好きなのは豚丼である。その昔、北海道帯広の専門店で食べて以来すっかり大ファンになった。

 

この前の週末、わざわざレンタルチャリを使って豚丼のための遠征?に行ってきた。日本橋から水道橋までの距離だから遠征というには大袈裟だが、出不精な私には珍しくわざわざ豚丼のためだけのお出かけである。

 

この日は予定もなくボケっと過ごしていたのだが、少し前に神保町を散歩した際の「豚丼の幸せ」が甦って来てどうしようもなく豚丼が食べたくなったわけだ。(https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/04/blog-post_19.html)。

 

せっかくだから未開拓の店に行ってみようとネットで評判の良かった「豚や」という店に向かう。神保町と水道橋の間ぐらいの立地だろうか。

 

メニューには普通の豚丼の他に「特選豚丼」という上級ラインもあった。この日は北海道の神威豚を選び300円追加して肉増しにしてみた。1500円ぐらいの値段になったからノーマル豚丼の2倍ぐらいだ。富豪を目指す以上このぐらいは頑張らないといけない。

 


 

迫力の豚丼が出てきた。見ているだけで興奮する。こういう路線の豚丼専門店は都内でも少ないからワクワクする。肉質はかなり良かった。豚肉自体の旨味、甘味がしっかり感じられて美味しかったのだが、残念だったのがタレの量。単純にかけ過ぎである。

 

タレが多すぎるせいで味が強過ぎ。やはりターゲット層が若者だからだろうか。せっかくのウマい豚肉が台無しだと感じた。温玉をもらって味を中和してみたが卵1コぐらいでは味変にもならないほどパンチが効いていた。

 



 

丼の下の方にこれだけタレがあるわけだから若者ではない私にはさすがに厳しかった。でも肉自体は凄くウマかったのでまた行きたい。「タレ少なめで」とリクエストすれば済む話である。常識的な量のタレで味わえばかなり満足する豚丼にありつけると思う。

 

丼メシといえばガッツリというイメージだが、親子丼をはじめとする“優しい系”にも歳を重ねるにつれて惹かれるようにになった。なかでも「そぼろ丼」のホッコリ感は秀逸だろう。

 

子供の頃、駅弁などでそぼろが載った冷や飯が妙に好きだったことを思い出す。地味な存在だが、出汁の効いたそぼろとご飯の相性は抜群だと感じる。

 



 こちらは銀座にある「串銀座」のそぼろ丼だ。この店の温玉はナンチャラ卵?を使った絶品なので、過去には温玉だけを3回もおかわりして酒のツマミにしたこともある。

 

優しい味付けのそぼろに加えて驚異的にウマい温玉が載っているわけだからそりゃあ美味しいに決まっている。焼鳥屋さんなのに焼鳥に目もくれずそぼろ丼を味わいたくなる。

 

その昔、銀座でのクラブ活動にマメに励んでいた頃はお気に入りのオネエサンにこのそぼろ丼を差し入れて喜ばれたことも何度かある。

 

あれこれと書いたが、こうやって振り返ってみると一口に丼メシと言ってもそれぞれにドラマもある。誰にでも人生の思い出が詰まっていたりする。なんだか大袈裟な言い回しになったが、丼メシは「日本人のふるさと」みたいなものだと思う。





2024年6月10日月曜日

ファド酒場で酔う

 


時おり耳にする言葉に「サウダージ」がある。一般に郷愁みたいな意味合いで使われる。ポルトガルでは「サウダーデ」で主にブラジルなどで「サウダージ」と言われるそうだ。

 

「サウダージ」は今現在も含めた切なさを表すのに対し、「サウダーデ」は過ぎ去った郷愁を意味するニュアンスが強いのだという。現地のチャラそうな男から聞いた解説なので本当かどうかは分からない。

 

でも、過ぎ去った日々への郷愁、歳をとったことで二度と得られない切ない感情を表す用語だとしたら私のような年齢のロマンチスト?にこれほど合致する言葉は無い。まるで私のためにあるような言葉だ。

 

ボサノバ音楽の源流にサウダージがあるのと同様、ポルトガルの民族音楽であるファドの感情表現は基本的にサウダーデである。

 

今回のリスボンへの旅は「ファド酒場で泣いてみる」が主要テーマだった。さすがに涙こそ流さなかったが、連夜マメにファド酒場で酔いしれた。充実した時間だった。

 




 

リスボンの中でも下町の風情漂うアルファマ地区というエリアや夜の歓楽街であるバイロアルト地区にはファドを聴かせるレストランや飲み屋がたくさんあった。事前にいろいろリサーチしていたがそんな必要はないぐらいファド酒場は点在していた。

 

リスボンに着いた日、さっそくホテルのフロントマンに当たりをつけていたファドレストランの予約を頼んでみた。ところが、その日も翌日も満席だという。基礎知識のなかった私は途方に暮れたが、街に出ればいくらでも見つかるとのアドバイスを信じて夜のバイロアルト地区を徘徊してみた。

 


 

結論から言えば簡単にファド酒場は見つかった。いろんな店を外からちょこちょこ覗きながら「A SEVERA」という店に入る。ファド酒場初体験だからシケた店は避けたかったので重厚感のある店構えに惹かれた。

 

高級レストランの雰囲気で実際に食事メニューが充実していた。リスボン初日だったのでポルトガル人の主食?でもあるバカリャウを注文。タラの塩漬けを戻したこの魚料理はさまざまなアレンジでポルトガルの食卓にのぼる。この日は標準的なソテーにしてみた。

 


 

生ハムも頼んでサングリアや白ワインを片手にバクバク食べているうちにファドが始まった。マイク無しの地声と生演奏が心地良い。

 



一回のステージは20分ぐらいだろうか、その後は30分おきぐらいに小刻みに違う歌い手が出てきてファドを熱唱してくれる。歌の意味はもちろん不明だが、きっと切ないことを叫んでいるのは確かだ。


動画を載せてみようと思っていろいろ試したのだが、何故か上手くいかないので断念。ぜひYouTubeなどでファドを聴いてみて欲しい。酒を飲みながら生で鑑賞したら結構アガる。酔いも回る。ウマい歌い手に当たった際にはかなり興奮できる。

 

次の日も当然、夜になればファドである。今の時期は夜の9時ぐらいでも明るいので気分は夕方だ。たいていのファド酒場は8時ぐらいにオープンして歌は9時ぐらいから始まる。

 

この日は数あるファドレストランの中でも高級店と言われる「Casa de Linhares」を予約して乗り込む。店の造りもカッチョいいし、ミシュラン掲載店でもあったらしく料理自慢の店だった。実際にいろいろ美味しかった。

 




 この日の歌い手は全部で4人いたのだが、私が圧倒されたのが「ムーディー勝山」のニセモノみたいな細い男だ。実に見事な声量と表現力にシビれた。動画がアップ出来ないのが残念。



 女性ファディスタも魅力的だが、男性の迫力も捨てたものではない。お店の入口にはムーディーくんのCDも置いてあったからきっと彼は結構な力量の歌い手なんだろう。

 



食事や酒飲みタイムをはさんでファディスタは交代する。ムーディーくんに圧倒された私はその他の歌い手の時にはあまり気持ちが入らずダラダラと飲んでいたのだが、ある時、他のファディスタが歌っている途中でムーディーくんがのっそりと再登場してデュエット的に美声を響かせてくれた。個人的には感動のシーンだった。



 まさに「カッチョいいぞ!ムーディーくん!」である。歌い終わりには思わず「ブラボー!」と叫んでしまった。イタリアでもないのにブラボーとしか言いようがなかったから仕方がない。

 

ムーディーくんのおかげで「ファド飲み」に満足感を得たので、3日目、4日目の夜は行き当たりばったりに繁華街の中の気軽なファド酒場を攻めてみた。

 



高級仕様の店だと食事が必須か食事ナシでもショーチャージを取られるのだが、街中の気軽な店ならドリンク代だけでファド鑑賞が可能だ。気軽な店といっても歌い手は下手くそではない。しっかり聴かせてくれる、12弦のポルトガルギターも席が近いから臨場感たっぷりに聴こえてくる。

 


 

ファドといっても全部が全部悲しく切ない調べではなく楽しげな曲ももちろんある。そんな曲が始まると妙にハシャいでしまった。「ファド酒場で泣いてみる」が旅のテーマだった割にはだいぶ事情は変わったが、なかなか得がたい時間だった。

 

いずれにせよファドの旋律は演歌の渋みを愛する日本人の琴線にも触れるのは間違いない。まったく違和感なくメロディーが染み込んでくる感じだった。

 

この歳になると新鮮な感動を覚える未知の経験はなかなかない。そういう点でははるばるポルトガルまで出かけていって「生ファド」にどっぷり浸かってみたのは貴重な体験になった。

 

リスボンは坂や階段だらけだったから元気に歩けるうちに行かないと楽しめない場所かもしれない。次回はスペインとセットで行ってみようかなどと密かに計画を立てている次第である。


以上、ポルトガル旅行記でした。以下は個人的な備忘録として画像をいくつか貼ります。ちなみに最後の1枚はクリスチャーノ・ロナウドがオーナーの高級ホテルとのこと。ヤツはいませんでした。