2025年2月14日金曜日

パスタばっかり


野生動物だったら冬眠する季節だから私も最近はおとなしい日々だ。旅もせず夜遊びもせず銀座にも出ずに職場と家の往復ばかりである。 ウーバー頼みの夕食にも飽きるとせっせとパスタを作ることが多い。


頻繁に家パスタを食べていて気づいたことがある。私のパスタ好きはイタリアン路線ではなく日本風、家庭風に尽きるということだ。 


 それっぽいイタリアンレストランに行くとパスタはメインではない。前菜に毛が生えた途中段階の一品である。カジュアルな店なら一人でパスタを2~3品食べても問題はないだろうが、さすがに人の目も気になる。 いわば、ガッツリ食いが出来ないのがイタリアンでのツラい点だ。


カプリチョーザのような大盛りパスタ屋は若者専用のイメージがあるからダンディーな紳士である私が一人しっぽりと入りにくい。パスタのガッツリ食いは必然的に家メシになるわけだ。


 そんな私だって過去には本場イタリアでさんざんパスタをむさぼってきた。本場のさまざまな味をしっかり研究?して充分に堪能した。 一部を紹介してみる。


ローマ

 もちろんそれはそれで感動も満足もしたのだが、それとは別に喫茶店のナポリタンとかベタなミートソース、子供の頃に親が作ってくれたタラコスパゲッティーみたいな「ニッポンのスパゲッティー」に強い愛着がある。 


 



 前にもこのブログでタラコスパゲッティーの話を書いたが、最近も作り続けている。他にも「ケチャッピー」というその名も子供向けの簡単調味料を使って実に子供っぽい味に仕上げるナポリタンも作っている。 


 味付けは子供好みとはいえ、ちゃんと高級なベーコンを使えばちょっとだけ富豪感?も出る。親のカタキぐらいに大嫌いなピーマンもナポリタンには参加してほしいからそのためだけに買う。野菜嫌いの私にとってはナポリタンへの執念である。 


 



 日本料理ともいえるナポリタンに「アルデンテ」の概念は不要だ。規定時間通りに茹でてムチムチ気味の仕上がりにするのが正しい。「ケチャッピー」を使うポイントは酸味が強くなりすぎない点だ。むしろ甘すぎるぐらいだが、味覚が子ども返りしている私には最適だ。



 冬といえば牡蠣である。牡蠣のパスタも私の得意とするところだ。とはいってもレトルトのパスタソースに牡蠣を大量に加えて味を微調整するだけだから料理と呼べるほどのシロモノではない。



 でも牡蠣を大量投入すればそれだけで旨味がバンバン加わるから失敗のしようがないほどウマく作れる。先日買った牡蠣は小ぶりだったのでパスタ麺100グラムに対して24個投入してみた。


 




 これを幸せというのだろう。外食の牡蠣のパスタで牡蠣を24個も投入している店は世界広しと言えどもどこにも無いのではないか。一口一口食べ進める際に常に牡蠣が口に入ってくる。ムホムホした気分になれる。 



 別な日に買った牡蠣はやたらと大ぶりで10個しか在庫がなかったこともあり、シメジとエリンギを一緒に投入することでボリューム感を出した。きのこも牡蠣も身体に良いらしいからヘルシーフードである。 





 別な日もヘルシーなパスタを作った。キャベツとツナとフジッコのごま昆布を使った和風の一品だ。キャベツの甘味とごま昆布の甘みがマッチして素直に美味しかった。めんつゆを隠し味に使っているのでポイントは「甘さ」だ。ウマい食い物って結局は「甘さ」がカギだと感じる。私が好きなレトルトカレーもたいていは原材料に砂糖が含まれている。 


 



 次にチャレンジする予定はカニパスタである。レトルトの「蟹のトマトクリーム」というパスタソースを見つけたので、そこにふるさと納税で入手して余っている蟹の缶詰をまるごと全部投入しようという計画だ。


はたしてどんな仕上がりになるのだろう。


それにしても日清製粉の「ママー」シリーズはもっと讃えられて然るべきだと思う。先ほど書いた怪しい?調味料「ケチャッピー」もママーだし、肝心のパスタ麺も早茹でシリーズが実に使い勝手がいい。我が退屈な日常にちょっとした幸せをもたらしてくれるから感謝感謝である。









2025年2月12日水曜日

オバサン

 更新をサボってしまったので過去ネタを載せます。だいぶ前に感じたこの思いは今も変わっていません。


おばさん力

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/10/blog-post_13.html




2025年2月10日月曜日

カシミアトレンチ

 

冬の定番になったダウンコート。今ではすっかり軽量化も進み利便性が向上した。コンサバな私はなんとなく昔ながらのごっついダウンしか持っていない。コンサバというか単に時代遅れなんだろう。


時々、オネエサンがたの洒落たダウンをハンガーにかけようとしてあまりの軽さにビックリする。その都度自分のコートの重さがマヌケに感じる。


コートは重くてナンボじゃい!などと心の中でつぶやく私の感覚は昭和のままで思考停止しているようだ。そりゃあ軽くて暖かいならそれに勝るものはない。


しかし、しかしである。いまだに寒い季節はキチンとスリーピースのスーツにネクタイを締めているコンサバな私は普段着の場面以外ではコートも重厚感のあるものを選びたくなる。


近頃はスーツ姿の男性陣もお尻が隠れる程度のショートコートばかりのようだが、私の場合、スーツの時にはロングコートしか着ない。一応オレ流である。長年そのスタイルを貫いている。


グレー、キャメル、黒のロングコートを基本にしているが一番のお気に入りが黒のカシミアである。10年、20年経っても飽きないものを作ろうとだいぶ前にフルオーダーで注文した。




 

このブログを遡って調べたら15年近く前のことだった。カシミア生地でトレンチ仕様のコートを作ってくれる業者が意外に見つからずにちょっと厄介だった覚えがある。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2010/12/blog-post_15.html


長さは膝下までにした。時おり階段で引っかかりそうになる。タクシーに乗り込んでも閉まるドアに挟まりやすいのが難点だが、それがまた愛着に繋がっている。


アマノジャクを美徳だと考える私としては、扱いにくいコートをまとうことが「オレってこだわりの男なんだぜ」と粋がっているようで悪くない。ご苦労なことである。


そのコートを作る時にはコスト度外視で生地を選んだので必然的に重くなった。普段ウルトラライトダウンを愛用している人に着せてみたらおそらく肩こりバリバリになるような気がする。


作ってから10年近くになるかとは思っていたが、もう15年にもなるという現実にビックリした。毎年寒い時期にはよく着用しているのにちっともヨレてきた感じはない。


実用性も高い。トレンチだから内側のポケットも巨大で女性のハンドバックと同じぐらいの容量は余裕で確保されている。タバコを4〜5箱入れたぐらいでは余裕のよっちゃんである。生地の厚みもあるせいで変に膨らんで見えることもない。


オーダーする際、テーラーさんが手抜きしないように「一生モノにしたいから丁寧によろしく!」と気安く伝えた。その時はとくに10年先のことすら考えていたわけではないのだが気付けば15年だ。どうやら本当に長い長い付き合いになりそうである。







2025年2月7日金曜日

大河ドラマと散歩


今年の大河ドラマは蔦屋重三郎の出世物語だ。吉原を舞台にノシ上がった人物だから、いま描かれている世界は吉原ばかりである。

 

吉原イコール色街。悪く言えば売春街である。そう書いちゃうとNHKも随分と思い切った作品を大河に選んだものだと思いがちだが、当時の吉原は一般にイメージする売春街とは一線を画す存在だったのも事実である。

 

当時の吉原は文化や情報の発信基地だった側面があることは知る人ぞ知る。そういう意味でかつての吉原を単なる色モノとして捉えずに文化芸術の観点で描こうとするNHKの意欲には敬意を表したい。

 

大河ドラマで描かれるように浮世絵や黄表紙などの軽めの出版物などは吉原の遊女や歌舞伎役者を描き始めたことで隆盛を迎え、男女を問わず着物の着こなしなども吉原が流行の発信源になっていた。いわば昭和の頃の六本木や原宿に近い感覚だったのかもしれない。

 

実際に吉原に足を踏み入れる客がすべて遊女と過ごしたわけではなく、いわゆる街ブラだけで済ますケースも多かったという。単なる売春街だと思い浮かべるとまるで別な世界だったことを見落としてしまうわけだ。

 

そんな話を現在の夜の街にも絡めて10年以上前にこのブログでも書いた。参照していただきたいと思う。https://fugoh-kisya.blogspot.com/2012/02/blog-post_27.html

  

学校教育の場面では文化面を細かく教わることは少ない。仕方ないことだが、ちょっともったいない話だと思う。英雄や権力闘争、事件事故が中心になるのは当然だが、背景にある一般人の暮らしや文化の醸成みたいな部分もきちんと後世に伝える必要がある。

 

各地にある歴史記念館みたいなところを覗いていると、ふむふむと感心することは多い。教科書では学べないような当時の社会情勢が垣間見れて面白い。

 

東京なら両国にある江戸東京博物館は何度訪ねても発見がある。ほんの200年ほど前の先人たちがどんな環境で何を楽しみに生きていたのか、どんな環境で何を大事にして何を口にして日々をどう過ごしていたかを想像するとなかなか楽しい。

 

いま吉原と聞くとソープ街の印象しかない。現在の特殊性だけでなく歴史の負の部分の影響もあってか、ドンヨリとした「気」を感じるような場所も多い。でもそんな場所が一時代を築いた場所なのは厳然たる事実だ。諸行無常を強く感じる場所だと言えよう。

 

さて、大河ドラマの話だ。主人公の蔦屋重三郎を演じるのは横浜流星である。売出し中の俳優というイメージだったから大抜擢だろう。江戸っ子の“イキでイナセ”を表現しようと奮闘している。

 


 

この俳優、個人的にはメジャーになる前からよく見ていた。私の息子がやたらとハマった「列車戦隊トッキュージャー」の主役じゃない俳優として下積み時代?を送っていた。トッキュー4号のヒカリくんである。

 

戦隊モノといえばいくつもあるのに、なぜか私の息子はトッキュージャーしか見ない偏屈者だ。いまだにウチに遊びに来るとアマプラを勝手にいじってトッキュージャーを熱心に見ている。

 

主演は志尊淳。横浜流星は脇役的にエイヤーと戦っていたのに今や大河ドラマの主役だ。感慨深いったらありゃしない。はたしてダウン症の息子は今の大河ドラマを見てトッキュー4号が主演を務めていることを分かっているのだろうか。おおいに気になる点だ。

 

そんなことよりちょっとアガったのが、蔦重重三郎が吉原から日本橋に進出して開いた書店「耕書堂」が私の今の住まいの近所にあったことである。

 

道端にある役所が設置した由緒書看板を読み込むことが私の散歩の楽しみなのだが、小伝馬町の近くをぶらぶらしている時に「耕書堂跡」を発見した。

 



いま自分が立っているまさにその場所で蔦屋重三郎が活躍していたのかと考えると歴史のロマンを感じる。およそ250年前のことである。

 

遠い遠い昔ではあるが、私だってこの世に生まれて既に60年があっという間に過ぎようとしている。そう考えると200年という時間などわりと最近だったのかとも思える。

 

中央区に引っ越してきて随分と経つ。散歩ついでに見かける由緒書きの数はさすがに都内でもかなり多いほうだ。人形町あたりなら地名通りに往時は人形浄瑠璃など見せ物小屋がたくさんあったそうで、そんな賑いを想像するのは楽しい。

 

小伝馬町あたりなら江戸時代にずっと置かれていた牢獄が有名だから吉田松陰先生終焉の地みたいな碑も目にする。いろんな歴史が重なっていた場所にいま自分が立っていると感じるだけでロマンに浸れる。

 

今年の大河ドラマもそのうち日本橋方面が主要な背景として描かれ始めるだろうからますますハマってしまいそうだ。

 

 

 

 

 

2025年2月5日水曜日

眠りの世界 マニフレックス


1月の初めに「睡眠とキンタマ」という話を書いた。あれから1ヶ月。相変わらずよく寝ているが、少しだけダルダルモードに改善の兆しが見えてきた。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2025/01/blog-post_10.html

 

人生の3分の1は寝ているわけだから睡眠の質や環境を考えることは人生における一大重要事項である。コテっと眠りに落ちてスッキリ目覚めるのが最高だが、なかなかそうもいかない。私の場合、週に4~5回は睡眠薬のお世話になる。

 

眠りに関係あるかどうか分からないが、この1ヶ月は菓子パンをやめて小麦類も減らし、ヨーグルトにはキウイを入れて食べるようになった。糖質制限だけでなく、ヨーグルトとキウイを一緒に食べると運動と同じ効果があるという話を聞いたからだ。

 

ダルさなんて多分に気のせいだろうから一応何かしらの対策を取っていれば改善した気持ちになるのかもしれない。ちなみにその時に書いた「テストステロン」のサプリも継続中だ。ひょっとするとそのおかげでやや復活しているのだろうか。

 

テストステロンのとり過ぎは男根袋?が縮んでしまうという副作用があるらしいから、毎晩毎晩ビビリながらしっかりサイズ確認を怠らないようにしている。

 

さてさて、眠り問題である。今シーズンから愛用し始めたのが手首ウォーマーと足首ウォーマーである。なにやら手首と足首の保温は眠りの質に影響があると聞いたのでアマゾンで安いグッズを買って使っている。目に見えて成果が出るはずもないのだが、癖になるとこれがないと落ち着かない。

 




そんなことより最近はベッドマットを買い替えるというちょっとした冒険にもトライしてみた。枕は常時5,6個を取っ替えひっかえしているのだが、いよいよマットレスにも私の好奇心?が向かってしまった。

 

今まで使っていたのは1314年前に買ったマットレスだ。コイルスプリング式で15万か20万ぐらいしたような覚えがある。結構いい商品だったが、さすがに少しヘタリを気にするようになった。

 

今回はスプリング式ではなくウレタン製にトライしようとアレコレと調べてみた。私の場合、体格は大柄、体重も結構ある、横寝専門である。そんなパターンに合いそうな商品を探してたどり着いたのが「マニフレックス」というイタリア製のシロモノだ。

 

高反発がウリで弾力があっても沈み込みすぎないのが特徴だとか。他にも興味を持った商品はいくつもあったのだが、以前のマットレスの引き取りサービスが決め手になって選んでみた。

 



サイズはダブルだから値段も高くなる。それでも10万円程度だったからスプリング式の高級品に比べれば買いやすい。圧縮袋に丸められた状態で業者さんが運んできた。梱包を破るとぐわぐわと膨らんでくる。最初の数時間は厚みが足りないことが不安だったが、午前中に届いてその日の夜にはカタログ通りに23センチの厚みになっていた。

 

で、横になってみて感じたのは実に自然だということ。仰向けに寝てしばし佇んでいても腰や尻が沈んでいく感じはない。かといって下から強く上に向かって押されているわけでもなく実にさりげなく重い部分をしっかり支えてくれる。

 

横寝になっても以前より腰から尻にかけての部分が高い位置に留まっていることが実感できた。嬉しいことに初日からしっくりきた。何日か試さないと違和感を覚える人もいるようだが、私の場合は、初日からしっくり、数日使った今もバッチリである。夜も更けてきて寝床に入る時にちょっと気分がアガるほど。

 

さっさと買い換えればよかったと後悔バリバリである。

 

もともとウレタンマットは何年か前に腰の不調を訴える娘のために買ってみたのが最初だ。「モットン」という会社のそのマットレスを使うようになって以来、娘の腰の痛みは一切なくなったそうだ。

 

私も同社のダブルサイズを買おうかと思ったのだが、古いマットレスの下取りサービスが無かったことと、デカいデブにはマットレス自体の厚みが20センチは必要という専門家の意見を知ったせいで断念していた。

 

今回購入したマニフレックスだと厚みも充分だったので結果オーライである。ウレタン製の良さにハマってしまったので、私の悪い癖で他のメーカーのマットレスも欲しくなってしまったことが問題である。

 

枕は良さそうなものを見つけると簡単に衝動買いをしてしまう。それと同じ感覚でマットレスも欲しくなってしまうわけだ

 

なんなら私用の寝室が3つ4つあるような広いマンションに引っ越せないものかと真剣に悩んでしまったほどだ。バカである。

 

快眠グッズのおかげでますます引きこもり老人への道を進んでしまいそうで要注意である。

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年2月3日月曜日

ジェンダーとか…

 

3ヶ月前にジェンダー問題についてアーダコーダ書いてみた。https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/11/blog-post.html  国連のナンチャラ委員会が日本の天皇制について「男だけが皇位継承するのはけしからん」というトンチンカンな勧告をしたことがきっかけだった。

 

日本政府も単なる抗議だけでなくもっと強硬策を取るべきだという趣旨の話を書いたのだが、報道によると最近になって日本政府が対抗措置をとったという。

 

アホな勧告を出した国連の女性差別撤廃委員会の事務を担う国連人権高等弁務官事務所に支払っている日本の任意拠出金の使途から同委員会を除外するというのがその内容だ。おおいに結構なことだと思う。

 

問題はその通りに資金が整理されているかどうかしっかり監査することだが、まずは“実力行使”を断行したことが重要だ。遺憾の意を表明だの抗議だのそんなものは屁のツッパリにもならないから状況に応じて強い姿勢をとることは大事だろう。

 

トランプさんを例に取るとWHOの脱退やパリ協定からの離脱など意に沿わぬ組織への実力行使を匂わせることで相手側の大幅譲歩に結びつける戦略を得意としている。自己中心的なエゴという見方もあるが、強いものが強さを背景に恫喝することはどんな世界でも行われている。

 

良し悪しはさておき、力を背景に優位に立とうとするのはいわば自然の摂理とも言える。平和な社会、平和な世界という理想を目指す観点からすればそれなりの妥協や譲歩、配慮や我慢も必要だから「力」の使い方は線引きが難しい。そこが厄介なところだ。

 

和の心をウリにする?日本政府が世界との付き合いの中で強い態度に出たという話はあまり聞かない。対米追従は安全保障上仕方ない面があるにせよ、それ以外の場面でもせいぜい北朝鮮相手に経済制裁をするぐらいで、たいていは“いい子ちゃん”に徹している印象が強い。

 

もちろん、やたらと好戦的で世界を相手に挑発を繰り返すような国になってほしいとは思わないが、弱肉強食の世界の中でただノホホンとしているだけなら最終的に食い物にされてオシマイである。キチンと税金を払っている身としてはそんな事態はゴメンだ。

 

かつて日本政府は国際捕鯨委員会を脱退したことがある。文化の違いから理解し合えない問題は厳然と存在するわけだから、すべての分野で是々非々精神を持って自国の利益を優先に行動するのは当然のことだろう。

 

ジェンダー問題に関しては「トランプ流」によって世界の潮目が変わる可能性も出てきた。マイノリティーの人権保護は大事だが、行き過ぎた権利主張もまた考えるべきテーマだ。日本の天皇制まで女性差別論争に巻き込もうとする勢力のイヤラシさには不快感を覚える。

 

国連だとか国家レベルの話じゃなくても、昨今の身近なジェンダー問題への神経質な世相はちょっと気持ち悪い。「言ったもん勝ち」がすべて許されるような風潮が強まれば、怪しい利権を狙うエセ弱者みたいな連中が増殖するだけだと思う。

 

何だか歯切れが悪い書きぶりになってきた。それ自体が今の社会の特徴であり怖さかもしれない。必要以上に妙に神経を使わないとすぐに攻撃されちゃうからオブラートに包んだような表現になってしまう。

 

昔なら「行間のニュアンスを読み取る」「文脈から趣旨を理解する」みたいな文章表現のたしなみみたいなものがあったが、最近の世の中ではそんな流儀も通用しない。

 

無知を恥と感じずに「そんなこと学校で習ってませんから」と居直るような人がやたらと増えてきたのと同じで、ニュアンスなどと言ったところで通用しないから困ったものだ。

 

何を書いているのか分からなくなってしまった。話がちっともまとまらなくてスイマセン。やはりこういうブログではもっとノーテンキな話に終始しないとダメである。

 

出直します()

 

 

 

 

 

 

 

2025年1月31日金曜日

ビシャビシャしたい


ピラフ。私にとっては愛しさ満点のご馳走だが、世間の評価はビミョーだ。冷凍食品の安いエビピラフや乗っかっている肉が主役のステーキピラフなどがちょろっと注目されるぐらいで、チャーハンやチキンライスなどに比べると存在感は薄い。

 

日本代表選手であるコメが洋風にアレンジされた一品だから近代ニッポンではもっと英雄視?されていいのにピラフ、ピラフ!と騒いでいるのは私ぐらいである。

 

安い冷凍食品だけでなく、古めかしい喫茶店でテキトーに調理されるパターンが定番化してしまったせいだろう。そうした“カジュアルピラフ”は別として老舗ホテルなどで出てくる高級ピラフの美味しさはこの国の西洋料理の崇高さを象徴するものだと思う。

 

このブログでも10年以上前から折に触れてピラフ賛美を書いてきた。

 ●ピラフ文化論

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2012/03/blog-post_12.html

 

ピラフの社会的地位を向上させようと孤軍奮闘してきたのだが、当然ながらピラフブームがやってくる気配はゼロだ。やはり西洋風炒めメシ、西洋風炊き込みメシに数千円を投下する物好きは少数派なんだろう。

 

かく言う私も、ここ数年はピラフのことをなるべく思い出さないようにしていた。九段下のホテルグランドパレスが閉館して一番好きだったピラフが食べられなくなってしまったせいである。その後も洋食の人気店には頻繁に出かけているが、私がウットリするほどのピラフにはなかなか遭遇しない。

 

気が狂ったようにピラフを追っかけていた頃に比べれば情熱の炎が消えてしまったような状態だった。

 ●ピラフ病

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/11/blog-post_30.html

 

洋食屋さんでチキンライスやハムライス、はたまたオムライスを食べていれば、愛するピラフを失った痛みへの対処療法になっていた側面もある。

 

そんな私のピラフ病を再発させそうな出来事があった。資生堂パーラーの「チキンライスの素」というレトルト食品がきっかけだ。ご飯と混ぜて炒めるだけの即席版だが、世の中に出回っているチキンライスの素とは一線を画した味だった。

 



チキンライスというよりピラフっぽい雰囲気の味だったからちょっと興奮しながらムホムホ食べた。ご飯だけでなく鶏肉やマッシュルームを追加して味を微調整して作ったこともあって、チキンライス感は逆になくなってしまい高級ピラフっぽい雰囲気に仕上がった。

 



日頃からチキンライスによってピラフ愛を誤魔化していた私のシミッタレた?心に久しぶりにピラフ信号が灯った感覚だった。意味不明な表現ですいません⋯。

 

そんなこんなで久しぶりに高級ピラフを堪能しようと東京會舘のロッシニテラスに行ってきた。私にとって高級ピラフとは専用ソースをビシャビシャかけて味わうのが基本である。東京會舘のピラフもそのパターンだ。

 

黙ってピラフだけを大盛りで注文したい気分だったが、ナゼか気取ってしまって名物のローストビーフも頼んでしまった。ピラフ様の露払い役としては悪くない。

 


 

思えばローストビーフもグレービーソースを自分でビシャビシャかけて味わうのが一般的だ。どうやら私は「自分でビシャビシャする」ことが好きなのかもしれない。久しぶりに食べた本格的なローストビーフは妙にウマかった。

 

やはり、ハヤリのカッチョいいレストランよりも老舗のクラシックな料理にホッコリしてしまう。正しい中高年の姿?である。東京會舘もそうだが、日系老舗ホテルのカフェレストランで出てくるような「ザ・王道」みたいな食べ物が歳を重ねた東京人にとっては一種の“ふるさとの味”だと思う。

 

メインのピラフはアメリケーヌソースをビシャビシャする小エビのピラフだ。東京會舘には舌平目のピラフにシャトーソースが付いてくる名物もあったはずだが、あちらはレギュラーメニューではないみたいだ。

 


 

この官能的な見た目にウットリである。食べるのがもったいないと思ったが、2秒ぐらいでそんなセンチな気持ちは消え失せガツガツと食べた。ひたすらにウマい。空腹の時にこれだけ食べろと言われたら平気で3人前はイケるだろう。ぜひ一度そんな食べ方をしてみたいと思う。

 

ピラフ万歳。そんな言葉しか出てこなかった。