2025年6月13日金曜日

胃袋の大きさ

 

節制を意識するようになって3か月ほどが経った。目的だった倦怠感退治にはどうやら成功した。「適度な運動、適切な食事」という厚生労働省に褒められそうな暮らしを実践していたらかなり元気になった。体重も10キロ以上減った。

 

ダイエットをしていた自覚はないのだが、10キロも減量に成功すると変な欲が出てきて、今の私は単なるダイエットオジサンと化してしまった。ちょっと問題である。

 

何が問題かって目指すべきゴールを設定していない点である。今だけだとは思うが前ほどの空腹感を感じない状態だから、これ幸いとばかりに体重減を目指してシャバダバな食生活を続けている。

 

ベルトやズボンがおかしなことになってきたから適当に切り上げないと面倒だ。ゆるゆるズボンをベルトで締め上げている姿は上着を着ていれば目立たない。でも、いよいよ暑くなってきたからスーツの上着は脱いだ状態になる。「身体に合っていない服を着たダサいオジサン」である。

 

いっそのこと100万ぐらい投下してスーツを何着か仕立て直そうと思うのだが、過去の人生でリバウンドしなかったことは一度もない。さすがに勇気が出ない。思い切って持っている衣類をすべて入れ替えするぐらいの根性がないことが私の凡人たる証である。

 

減量生活といってもサラダばかり食べるような寂しい生活はイヤだ。キチンと?ジャンクフードも食べたい。先日はサムライマックのトリプル、すなわち肉3枚バージョンとビッグマックの倍バージョンをデリバリーして食べた。もちろん、パンはすべて排除するというヘンテコな食べ方である。

 

サムライマックの肉はバーガーキングの肉のように割とマトモだから3枚版を味わっていると良い感じのハンバーグを堪能している気分になる。

 

倍ビッグマックは肉4枚だが、こちらは「マック標準肉」だから4枚だろうと肉々しい感じはない。そういえば大昔の「猫肉騒動」を知っている人はみんなすっかり年寄りになった。

 

一応、マックの肉を7枚という贅沢?な食事ぶりだが、パンを除くとズッシリ感も満腹感もないし、実際に翌日に体重が増えることもなかった。

 

話は変わる。減量といえどもウナギを無視する生活は私には無理だ。大好物まで絶つようなストイックさは無いので最近も何度かウナギ大会を開催した。

 

さすがに鰻重のご飯を少なめにしてもらうようにはしている。なんなら「少な目で」ではなく「極少で」と頼む。鰻重の前に白焼きやその他のツマミも食べるからシメのコメまでバンバン食べるわけにはいかない。

 


 

おかげで鰻重の画像もこんなに寂しげだ。これは銀座の「神田川」での画像。胃が小さくなりつつある私はこれでも結構満足できてしまう。暴飲暴食の人生をウリ?にしてきた私としては実に寂しい話だが、今はちょっとだけ我慢の時である。

 

別な日、日本橋の「大江戸」に出かけた。この店の鰻重はランクが6段階ぐらいに分かれている。最上級の「極上」はそれこそ飽きるほどのウナギがモリモリである。10年、いや5年、いや3年前ぐらいまでは常に「極上」を食べていた私だが、この日は下から2番目のサイズにした。

 

減量、節制に関係なくここ12年は「極上」のボリュームを厳しく感じている自分が残念である。これが還暦間近の現実だろうか。この日も同行者に食べさせた極上を前に私のウナギはチンマリしていた。

 



別な日、自宅で大豆ハンバーグなるものをムシャムシャ食べた。そんなものを買ってしまう自分がちょっとイヤだが、実はこれは節制目的で買ったのではない。だいぶ前に近所にある宮城県の物産特売所みたいな店で味見したところ妙にウマかったのでまとめ買いをした。

 

ずんだシェイクを飲みに行っただけなのに余計な買い物をしてしまった。試食コーナーの魔の手にやられた。プレーンな状態でも薄く塩味はついていたが試食の際はマヨネーズをつけた状態で出された。マヨ好きな私は一気に心を鷲掴みされて買ってしまったわけだ。




 正直言うと買ったはいいものの冷凍庫の中で眠ったままだった。我が家には他にもウマいものはいろいろあるから大豆ハンバーグという不気味なヤツの出る幕はなかったわけだ。同じシリーズのいわしハンバーグも冷凍庫に眠っている。

 

先日、冷凍庫を整理するついでに存在を思い出して一度に大豆ハンバーグを3枚ほど食べてみた。マヨ醤油とマヨソース、そしておろしポン酢をそれぞれ小皿に用意してとっかえひっかえ味変して味わった。

 

単純にウマかった。幸福感を感じるほどウマいわけではないが、サラダチキンをかじるよりもマトモな食事をしている気分になれた。これはこれで悪くない。

 

よくよく考えたらマヨネーズがウマいというだけの話かもしれない…。

 

 

 

 

 





2025年6月9日月曜日

未知の場所


好奇心は歳とともに弱まっていく。ついつい自分の知っている範囲の中で安穏と過ごしがちだ。それに問題があるわけではないが、やはり知らない世界を覗くことは刺激になる。

 

もともと私は社交的ではない。人当たりは良いほうだと思うが、進んで新しいジャンルに足を踏み出すことは苦手なほうだ。このままでは「内向的ジジイ」というタチの悪い生き物になっちゃいそうだから気を付けないといけない。

 

先日、医療関係のイベントというか、シンポジウムのような集まりに参加してみた。主催者である旧友への義理みたいなつもりで出かけたのだが、なかなか面白かった。旧友の誘いがなければ知らなかった世界である。

 



その名も「医療は人生を手術する」と題するガンマナイフ開業30周年を記念したイベントだ。ガンマナイフとは「切らずに切る」ことを可能にした治療法で放射線の一種であるガンマ線の照射で脳腫瘍の患部などを切除するもの。

 

この第一人者である某医大教授が中学高校の同級生で、大人になってから何かとお世話になる機会があった。彼自身、過去に大病をした経験があるせいで患者目線をとても大切にする人格者だ。

 

彼の講演を聞いていると「医者と患者」の在り方を根っこから考え直したくなる。漠然と医師の言いなりになってしまう患者は多い。私もそんな傾向がある。専門家相手に門外漢がアレコレ言うのはどうかという一種の常識が邪魔をしてしまうわけだが、はたしてそれは双方にとって良いことなのだろうか。

 

友人の医師は「患者は医師にもっと意見を言うべき」と主張する。そうは言っても一般の患者にとってそれは簡単なことではない。でも彼いわく「何がしたいのか、どうなりたいのかを教えてほしい」という。

 



すなわち、制限はつくにせよ治療後に趣味の山登りを続けたいのか、楽器演奏を続けたいのか、具体的にどんな目標を目指して治療後を生きていきたいのかを共有して、それを実現させるための方策を建設的に考えたいという趣旨である。

 

活字で書いてしまうと当たり前のことのようだが、実際にはエラそうな態度の医師は多いし、大病院では初診の患者と目も合わさない医師もいるぐらいだから、そんな本来は当たり前のことを強く主張する彼の意見が新鮮に思えた。

 

「医者だって一瞬で患者になる」。重い病気を経験した彼の言葉には説得力がある。患者という存在は言い換えれば正常な状態ではない人である。丁寧に接して欲しいといった表面的なことも大事だが、それ以上に本来はその人は何をしていて何がしたくて、どのように生きている人物なのかを共有することが基本中の基本だと痛感した。

 

学会のような堅苦しいイベントかと思って出かけたが、途中でシャンソンを聴く時間があったりフィナーレは会場に集まった数百人がナゼか「オーシャンゼリゼ」を合唱するというアットホームな雰囲気だった。

 



感じたのは出不精ではダメだということだ。やはり知らない世界に身を置いてみると何かしら得るものはある。年齢とともに知った場所にしか行かなくなっている自分を反省する機会になった。

 

最近は、キックボクシングジムと大学野球観戦ばかりの日々だからもう少し日常に変化をつけようと検討中だ。

 

とはいえ、今日から大学野球の日本選手権が始まるから、しばし、そこに熱中してしまいそうだ。昨年初めていくつかの試合を生観戦したのだが、名前も知らない大学が結構強かったりしてなかなか面白い。

 

だいたい全国に大学リーグが30近くも存在することを昨年まで知らなかったわけだから、これも一種の未知の世界だった。全国の大学リーグで春のリーグ戦を制したチームが集まってトーナメントで優勝を争う。

 

昨年は東京六大学代表の早稲田と東都大学代表の青学が決勝で激突して青学が勝った。雪辱を期す早稲田は今回も東京六大学を制したから、再び決勝での青学との熱戦に期待している。


なんだか話が大きく逸れてしまった。。。





 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年6月6日金曜日

サボタージュ

 更新が出来ていないので過去ネタを一つ載せます。


優しいオジサマ

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2015/04/blog-post_22.html



2025年6月2日月曜日

カロリーゼロ理論

 

「コロッケはサラダだ」。「ドーナツは穴が開いているからカロリーゼロ」。お笑いのサンドイッチマンが語るそうした話が大好きだ。

 

とかく世の中はラーメンは太る、揚げ物は太る等々、‴太っちゃうシンドローム‴に覆われている。何かを口にすれば体重が増えるのは当たり前だからあまり気にしてもキリがない。

 

プチ節制生活で体重が10キロほど落ちたのだが、結局は食べる量がすべてだと思う。一応、炭水化物や揚げ物は控えめにしているが、神経質になってもストレスが溜まるだけだ。

 

甘いものもちょこちょこ食べている、ただ、前ほどドカドカ食べなくなった。あとは今のようなドカ食い禁止状態を習慣にできれば体調も維持できるはずだ。過去に10キロ以上の減量に何度も成功してはリバウンドを繰り返した私の経験からするとそこが一番難しい。ドカ食いほど生きていて幸せを実感する場面はない。

 

この春は毎週末のように大学野球を観戦したのだが、野球場には肉系のどんぶりやカレー、ポテトや唐揚げなどデブ御用達の食べ物が溢れている。その誘惑に負けないようにするのが一苦労だった。





東都リーグが使う平日の神宮球場は売店が閉まっており、東都2部の使用する大田スタジアムなどはハナからそういう売店がないから誘惑は弱めなのが有難かった。

 

売店が開いている東京六大学の試合の際には誘惑に負けないようにわざわざ自宅からナッツ類を持参してビールのつまみにした。とはいえ、午前中から2試合も見ているとどうしたってちゃんと空腹になる。

 



で、サンドイッチマン理論?のように「肉だけ食べていれば太らない」と自己暗示をかけてフランクフルトばかり食べていた。はたしてあれが正しい肉なのか実にビミョーなところだが、体重にもきっとプラセボ効果があると信じてレモンサワーのお供に楽しんだ。

 

そんな努力をするくせに別途持参したウエハースやポッキーなんかも食べていたので減量効果はゼロだったはずだ。そんなもんだろう。

 



話は変わる。サンドイッチマン理論でいえば蕎麦はカロリーゼロの象徴的な食べ物かもしれない。蕎麦はそもそも花の実だろう。蕎麦畑の画像を見る限りあれは草だ。そこになる実を元にしている以上おそらく花や葉っぱを食べるのと相違はないはずだ。だからカロリーゼロだと信じてみる。

 

先日、築地にある「さらしなの里」に出かけた。ここの蕎麦は単純明快に美味しい。ご立派な店構えの老舗有名店が都心にはいくつもあるが、行列が出来る店でもたいしてウマくもない店も多い。その点、こちらは風情の点ではイマイチだが、並んでもいないし何より蕎麦がかなり美味しい。

 




ツマミのメニューも豊富だ。これは沖シジミの酒蒸し。抜群だった。シジミとは思えないサイズで食べ応えがあり、おまけに残った汁にちょこっとだけ蕎麦を入れて出してくれた。滋味そのものだった。

 



鴨焼や天ぷらも安定して美味しい。蕎麦がきなども頼んで蕎麦焼酎の蕎麦湯割りでウヘウヘしながら過ごす時間が楽しい。個人的には都内屈指の優良店だと思う。

 

この日は同行者に蕎麦の3種盛りを頼んでもらい、私は十割蕎麦を注文してちょっとづつ味見をした。計4種類の味を楽しめた。季節の変わり蕎麦は茶そば。茶そばを初めてウマいと感じたのもこの店だった。

 



茶そばは文字通りお茶を練りこんであるからカロリーはゼロだ。真っ白い更科蕎麦は蕎麦の実の中心部分だけを使っているからカロリーゼロだ。十割蕎麦もただ花の実を食べているからもちろんカロリーゼロ。もり蕎麦は二八、すなわち二割は蕎麦以外のなぎが使われているが、もしそれが自然薯だったりすれば野菜だから?カロリーはゼロだろう。

 

思い込みは大事だ。まさに信じる者は救われる世界である。というわけでこの日の夕飯もローカロリーで済ますことが出来た!?。ウッシッシ!!

 

 

 

 

 

2025年5月30日金曜日

男と女


もう13年ほど前に「男と女」というタイトルでアレコレと考えを書いていた。ひょんなことで読み返してみたのだが、この当時は自分がまだまだ青臭くて現役感バリバリだったんだなあと感じた。

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2012/09/blog-post_24.html

 

10年以上も経つとさすがにいろんなことが様変わりする。当時書いたことはフムフムとうなずけるが、今はもっと達観の域というか、投げやり?みたいな感覚が強まった気がする。突き詰めて言えば「人生すべて出たとこ勝負」みたいな思いが強くなったのだろう。

 

男女の仲をいろいろと考察したところで結論なんて出るわけないし、すべて成り行きである。そう言っちゃうと元も子もないが、結局は考えるだけ無駄なような気もする。

 

「神様はサイコロをふらない」という通り、しょせんはすべてが必然だ。男女の仲についても上手くいくか否かは出たとこ勝負でしかないと思う。

 

とはいえ、世の中には男と女の2種類しかいないわけだからその関係性についてアレコレ悩んだり考察することは人類の永遠の研究課題でもあるのだろう。

 


 

さてさて、話は変わる。この2か月ほど意識して節制を心がけているせいで私の体の細胞たちが元気に活性化してきた気がする。いろいろ元気になってきた。いや、いろえろ元気になってきたと言うほうが的確か。

 

運動を心掛けるようになったこと、体重が落ちたこと、小麦類やコンビニメシを控えるようになったこと、テストステロンサプリを飲み始めたこと、睡眠時間を多めにとるようになったこと等々どれが最大の要因かは不明だ。おそらく複合的な効果だろう。

 

ダルさや倦怠感を退治したかったのがきっかけだが、最近は調子が良い。結構元気になったことを実感する。

 

最近も朝から夕方まで職場で過ごした後で某女子と仲良しタイム!をこなし、別な女子の夜ご飯に付き合いながら一杯ひっかけ、その後に銀座のクラブに繰り出すというモリモリ元気な1日を過ごすこともできた。

 



正直に言うとちょっと無理しているような感覚もある。でも“適度な無理”って案外大事だと感じる。隠居気分でゆったりし過ぎると身体も脳もどんどんそっちを標準と認識し始める。そうなると活力を失いドンヨリしちゃう。適度にバタバタすることは元気を維持するためには必要だろう。

 

でも「無理してる感じ」って何だか悔しい。10年以上前には無かった感覚だ。それだけ自分の劣化が進んでいる証でもある。見る人が見れば「ジタバタしてるヤツ」である。カッチョ悪い。

 

この歳になると、いろんな面で自分がいつまで現役でいられるのかをつい考える。アンチエイジングという言葉は好きではないが、かといって何もしなければどんどん現役感は弱まってくる。困ったものだ。




この画像は映画界の巨匠・今村昌平監督の知る人ぞ知る名言だ。冗談のようで実に核心を突いた凄い言葉だと思う。男子として生を受け半世紀以上たった今だからこそこんな格言が胸に刺さる。

 

「そんなことしか頭にないのか!?」と立派な人達に叱られそうだが、これは一面の真理であることは間違いない。男性本来の野生感覚、DNAみたいなものであり、一種の長患い、すなわち宿痾みたいな本質ともいえる。

 

大げさに言えば生命エネルギーの根っこだ。仕事や人間関係、日常生活のよもやま事に至るまですべてに影響を及ぼす部分でもある。知らん顔してうっちゃったままではダメだと思う。

 

何だか必死に力説してしまった。冒頭に紹介した十数年前の話に比べると、いかに自分に余裕がなくなってきたかが分かる。いかんいかん、もっと呑気に構えて現役生活を過ごすべきだろう。

 

余計なことを考えずにヌルっと日々を過ごすことが精神衛生上は良さそうだ。適度にがんばろうと思う。

 

 

 

 

 

 





2025年5月28日水曜日

キャンセル界隈

 

最近このブログで「エモい」という若者言葉に共感した話を書いた。若者言葉といえばいつの時代もヘンテコだ。いい歳してマネしているとカッチョ悪いだけだが、時には妙に納得して使いたくなるものもある。

 

いま若者の間で使われている言葉に「キャンセル界隈」がある。もともとは風呂に入りたくない人たちが「入浴キャンセル界隈」と言い出したことがきっかけらしい。

 

「〇☓界隈」はどんどん多様化して「外出キャンセル界隈」「ご飯キャンセル界隈」「人付き合いキャンセル界隈」など、何かしらの行動をやめちゃうための言い回しとして普及している。

 

ネット界隈(笑)でもこうした言い回しが特集されていた。https://www.j-cast.com/2025/01/26500869.html?p=all

 

この記事では何だかんだと細かな分析がされているが、若者たちは難しいことなど考えずに気軽に使っている。

 

端的に言えばちょっとだけ後ろめたい行動について「キャンセル界隈」を付けることで同士の存在を意識して緩やかな連帯感につなげようという感覚なんだと思う。

 

そのため「キャンセル」の頭にくっつく言葉はどちらかといえばネガティブな、人様から感心されないような行為となる。風呂に入らない、人付き合いをしないなどの決して褒められない内容が定番になる。

 

だから私のように最近になって頑張って節制していることを「デブキャンセル界隈」とは言わない。後ろめたくない、むしろ褒められるようなテーマだと「キャンセル界隈」に馴染まないわけだ。

 

どっちにしろヘンテコな言葉だから大人たちが四の五の語ったり考察するほどの話ではない。と、気取ってはみたものの個人的には妙に気に入った使い方がある。「健康キャンセル界隈」がそれ。

 

時々、ネットの動画で簡単な料理レシピを眺めているのだが、見るからに身体に悪そうな脂ブリブリガッツリ系のメニューにキャッチフレーズのように使われている。

 

いやはや実に的確な表現だろう。「脂マシマシ」などという暗号みたいな言葉でガッツリ系のギトギトラーメンを食べる動画などにも「健康キャンセル界隈の人にオススメ!」みたいに使われている。

 

たまたま節制中の私にとっては禁断の言葉である。実に魅力的な響きだ。もともとジャンクフードも大好きだし、チャーシューが20枚以上入ったラーメンにもヨダレを垂らす私にはとても麗しい言葉に聞こえる。

 

健康、健康とやかましい世間の風潮に真っ向から歯向かっているようで潔い言葉だと思う。個人的に大好きな言葉になった。今は実践できていないことが歯がゆい。

 

「キャンセル」が付いていない「界隈」にも面白い言葉がある。感心したのが「伊能忠敬界隈」である。やたらと歩く人のことを指すそうだ。長距離を歩いてしまった時などに使うらしい。なかなか趣のある言い回しだと感じた。

 

というわけで、きっと老若男女問わず誰もがなんらかの「界隈」に属して、何らかの「キャンセル界隈」を経験しているはずだ。

 

私自身のことを考えてみても、週末は「髭剃りキャンセル界隈」だし、平日も重役出勤がクセになって「目覚まし時計キャンセル界隈」である。最近は「夜の銀座キャンセル界隈」もすっかり定着してしまった。

 

もっと言えば生きざまそのものが「結婚生活キャンセル界隈」である。確かに「界隈」がくっつくと自分だけではなく他にも仲間がいてくれるような安心感がある。

 

もちろん、女性関係についてはまだまだ現役でいたいので「性交渉キャンセル界隈」に陥ることは避けたい。でも、いい歳して「年増の女性キャンセル界隈」を標榜していることは反省しないといけない。


なんだかなぁ~。。




 

 

 

 

 

 

 

2025年5月26日月曜日

柔らか系の話

 更新が間に合わなかったので「下ネタ界隈」?の過去ネタを2つ載せます。


過去フェチ

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/04/blog-post_25.html


下着の話

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/05/blog-post_27.html