2026年6月5日金曜日

15年履いた靴 ジョンロブとか

 

人様の足元にちょくちょく目がいってしまう。世の男性陣がどんな靴を履いているのか、靴好き男としては時に気になる。基本はビジネスマンの足元だ。

 

イマドキは黒っぽい革靴風のスニーカーみたいな靴を履いている人が多い。ラクそうである。結構シャレたデザインもあるようだ。正直に言えば私もそんな靴を履きたい。

 

スケッチャーズのスリップオンスニーカーのような靴ベラ要らずの革靴の広告もリール動画に流れてきた。ラクそうだ。スルっと履けちゃうビジネス用の革靴は魅力的である。正直に言えば欲しい。

 

しかし、しかしである。老境に近づいた今、どんな分野においてもユルい方向に進めばその傾向は一気に強まってしまう。美学というには大げさだが、職場に行く時の身だしなみは私に残された唯一の「ヨソイキ気分」を維持する大事なテーマだ。

 

昭和の頃、ヨソイキという言葉が普通に使われていた。近所に買い物に行くにも部屋着から着替えるような身だしなみ文化が存在した。今ではヨソイキという言葉自体が死語だろう。

 

背広にネクタイ、革靴。ビジネスマンの基本だったが、近年ではカジュアル化が急速に進んだ。銀座のクラブでお客さんの格好を見れば時代の変化は一目瞭然だ。ジャケパン、ノーネクタイが普通だ。

 

30年前は高価そうだけど趣味の悪い色のスーツをまとってヘビだかワニだかのごつごつした革の怪しい靴を履いた謎の老人ばかりだった。今ではアノ濃厚さ、重厚な感じは絶滅危惧種みたいな感じだ。

 

時代に抗いたいのか、単に趣味が悪いからなのかはさておき私自身は職場には必ずスーツに革靴で出かける。夏場以外はネクタイも必須だ。ナゼかそうしないと家との切り替えが出来ない。一種のスイッチのようなものだ。

 



私の職場は服装にうるさくはないので、今の時期はポロシャツ、チノパン程度の装いで出社する社員も普通にいる。それを横目に夏以外は三つ揃いの背広にネクタイを締めているわけだから物好きなのかもしれない。

 

革靴に関してもそういう観点でどうしてもラクチンなイマドキの靴に変えられない。一種の意固地なんだろう。夏場は革靴だとどうしたって暑い。蒸れる。匂いも気になるが、その点は運よく加齢臭の逆だ。中年以降は代謝が落ちたせいか若い頃みたいに足から匂いが無くなってくるからさほど気にしなくて済む。

 

いま履いている革靴の多くが“10年選手”だ。以前、病的?に買い求めていた靴たちがいまも現役で私を支えてくれている。結構な量の靴を買ったのでローテーション効果もあってどれも思ったほどヘタっていない。

 



この画像のボルドー系の色の靴は15年も前に買ったものだ。当時の旅行記にいろいろ載せた画像のうち最後から2番目に単体で写っているのがコレだ。フランスの「JM weston」である。

 ✦靴バカ一代 パリ編

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2011/07/blog-post_22.html

 

15年も経ってもバリバリに現役で履けるわけだからコスパだのタイパだのからすれば充分に合格である。むしろ安い買い物だったといえる。

 

靴マニアの世界で有名な格言がある。「安い靴を買うほど裕福ではない。流行りの靴を買うほど浪費家ではない」というのがそれだ。まさに言い得て妙だ。安モノや流行りモノはしょっちゅう買い替えるから結果的に浪費でしかない。


私の靴コレクションの多くが日本円が強かった頃に海外で安く買ったものだ。安かったとはいえ10万円オーバーの靴はさすがに大事にする。結果、長く愛用することになる。

 



こちらの靴はちょうど10年前にロンドンで購入した「ジョンロブ」である。日本の当時の定価が26万円ぐらいだったのだが、7割引きぐらいの仰天価格で入手した。イギリスのEU離脱騒動でポンドが暴落した時期のおまけにセールの頃だったおかげだ。そんな懐かしく興奮した思い出も靴自体への思い入れになる。

 

当時の旅行記の一番最後に載せた画像の左端に写っているのがこの靴だ。上の画像の通り今も当然のように現役で私にとってちょっとした“勝負靴”であり続けている。

 ✦靴バカ一代 ロンドン編

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/07/blog-post_11.html

 

そんな感じで「10年選手」がたくさんあるので最近はさすがに新しい靴を買っていない。買わなくなったというか、買う意欲が無くなってきたとも言える。「現役男」であり続けたいと願っている身としてはちょっと問題である。

 

適度な物欲は向上心とも関係する。「足るを知る」精神も大事だが、その一方で欲求が人間の活力源になるのも事実である。

 

まずは冒頭で書いたようなスリップオンでスルっと履ける安直な革靴モドキ?を買ってしまいそうな自分にブレーキをかけようと思う。

 

 

 

 

 

 

2026年6月3日水曜日

不倫

 更新しそびれてしまったので過去ネタを一つ。不倫はやっぱり文化なのかもしれないという話です。


富豪記者ブログ: 不倫は文化かな










2026年6月1日月曜日

巨大シジミやら前割り焼酎やら

  

シジミといえば小さな貝。味噌汁に大量投入されているイメージだ。私も生まれてから半世紀以上そんな感覚しかなかった。ところが時々訪ねるお蕎麦屋さんでアサリ、いや、ハマグリ並みにデカい「沖シジミ」なる貝に出会って一気に印象が変わった。

 


 

一般的なシジミと違う種類なのかは分からないが、シジミを名乗っている以上はシジミだと思って食べている。


まあ、世の中にはチリアワビなる謎のアワビや北海道産の小ぶりでウマい蝦夷アワビの例もある。もっといえば回転寿司屋の例のエンガワだって普通にイメージされるカレイやヒラメのエンガワではない。

 

命名される意図や思惑にもよるが一般人である私には知るよしのないストーリーである。きっと多くの魚介類の名前に謎めいた命名理由があるのだろう。

 

さてさて、沖シジミだ。ハマグリ並みのサイズなのに確かにシジミっぽい風味でウマい。頻繁に食べたくなる。このお蕎麦屋さん「築地・さらしなの里」でしか出会えていないことが残念だ。もっと都内でも普及して欲しい。

 

初めて食べたのは1年ぐらい前だっただろうか。見慣れない姿だったからたまたま入荷した限定メニューだろうと思っていたのだが、その後、3度、4度と行っても常にメニューに載っている。どうやら常備されているようだ。最近ではこれ目当てで行きたくなる。

 

しじみ蕎麦がこの店の名物になりつつあるようだが、温かい蕎麦はさほど好みではないので、あくまでツマミの一品として注文している。熱々で供される沖シジミはプリっとした食感に磯の風味が嬉しい。

 



この汁がまた滋味たっぷりでズズズっとすすると幸福感に包まれる。有難いのがシジミを食べた後の残り汁を温め直して蕎麦を数本入れてきてくれるサービスだ。いつもウットリする。

 

だったら温かいしじみ蕎麦も注文すべきなのだが、暑い季節になってきちゃったし、結局いつも冷たい蕎麦をズズズっと食べている。十割も二八もさらしなもウマいが、季節の変わり蕎麦もつい注文していつも食べ過ぎてしまう。

 

先日は茶そばだった。ここウン十年、茶そばをウマいと感じたことはなかったのだが、この店で食べる茶そばは別モノだ。お茶の風味がしっかり感じられる。テキトーな弁当の端っこに鎮座しているようなシャバダバな茶そばと比べるのが失礼な味わいだ。

 




東京の各地にある蕎麦の名店はていていそれっぽい店の造りとそれっぽい風情もウリになっている。それに対してこの店はパっと見ではカツ丼や天丼も出前する街場の平凡なお蕎麦屋さんみたいな感じだ。

 

にもかかわらず、かなりレベルの高い蕎麦を出すし、一品料理も豊富、天ぷらもヘタな天ぷら屋よりもマトモだ。蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを楽しみながら毎回上機嫌になっている。こういう店こそ「違いの分かるオヤジ」?としては押えておきたい。

 

蕎麦焼酎の蕎麦湯割りで思い出したのだが、先日訪ねた人形町の鹿児島料理店の錫のジョカで出される前割り芋焼酎が非常に美味しかった。「さつま」という店の名物らしい。64であらかじめ水割り状態になった芋焼酎がちょうどいい温度のお燗状態で供される。

 



オヤジ4人での飲み会だったのだが、なんともホッコリする味に全員が何度もおかわりして酔っぱらった。普段、普通にお湯割りを飲む機会が多いから前割りのウマさを改めて思い知った印象だ。

 

鶏さしも絶品だったし、熱々ふわふわのさつま揚げもウマかった。オッサンのオアシスと呼ぶのにふさわしいお店だった。実際、この日は2階席で飲んでいたのだが、我々以外も全卓オッサンばかり。見事に男しかいなかった。

 



季節は暑くなってきたが、歳のせいもあってか「温めた酒」にホッコリする頻度が増えてきた。きっと健康にも良いはずだ。

 

そう思い込むことこそが健康法である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2026年5月29日金曜日

バーで食べるメシ

 

バーは酒を飲む場所である。当たり前の話だが、頭の悪い私は「酒だけを飲む場所」だと長く思い込んでいたから気の利いた食べ物を出してくれるバーに行くとナゼか興奮する。

 

若い頃にイメージしていたバーは、それこそ寡黙なバーテンダーがほの暗い灯の中で黙々とカクテルを作り、客も高倉健みたいな顔でシュっとした顔で座っていないといけない空間だった。

 

実際、そういう雰囲気のオーセンティックバーはたくさんあるし、私も長く生きてきた間にはそういうバーで気取っていたことも何度もある。それはそれで一種の非日常感を味わえて悪くない。

 

ツマミはオリーブかチョコレートか、せいぜいサラミ。勝手にそんな思い込みが今もあるのだが、実際に渋いバーでも何でもかんでも食べられることが多い。ホテルのバーなどはホテル内のレストランの料理が注文できたりするからヘタすると和洋中なんでもアリだ。

 

あれこれと好き勝手にいろんな酒が注文出来てマトモな食べ物もしっかり食べられるわけだから一石二鳥である。もっとマメに使ったほうがいいと痛感する。

 



先日、所用で飯田橋のホテルエドモントに行く機会があったのだが、安直にホテル内のバーで酒もメシも済ませることにした。カジュアルなホテルだけにバーの雰囲気も堅苦しい感じではなく居心地が良い。

 

カッチョいいバーに行くとついついカッコつけて「マッカランをロックで」とか言ってしまう私だが、暑い日だったのでモヒートやマルガリータを頼んでグビグビ。時にはこういう時間も悪くない。

 



食べ物はチーズやチョコの他に、洋風薄切りトンカツみたいな豚肉のピカタ、ローストビーフなどを注文。ちゃんと美味しくて満足。「バーでメシ」というパターンがクセになりそうな気がした。

 

別な日、銀座のバー「U」に夜ご飯を食べに行った。今年の初めに知った店だが、フードメニューが充実しているので、ちゃんとしたバーでありながら私にとっては食堂的な楽しみの場になっている。

 

つい食べたくなっちゃう赤ウインナーの他にホタテのポワレやトリッパを注文。ハイボール片手に気ままに過ごす。

 





ナポリタンや本格パスタもあるのだが、この日は新メニューの「カルボナーラサンド」とやらが気になったので迷わず注文してみた。

 

銀座のバーはサンドイッチが充実していることは知る人ぞ知る。カツサンドなど数えきれないほどの店がそのウマさを競っているし、タマゴサンドも然りである。

 

このカルボサンドはそんな状況の中でちょっと変わったメニューを出したいという店の料理担当が編み出したらしい。麺がパンからハミ出てくるサンドイッチなんて気持ち悪いなあ、焼きそばパンみたいなものか?という私の心配をヨソに出てきたのは割と普通のサンドイッチだった。

 


 

要はカルボナーラソース的な味付けの具材で作られたサンドイッチだった。素直にウマかった。確かにタマゴサンドのライバルになりえる味だろう。

 

夜の店でタマゴサンドを食べがちな銀座のオジサマ族にとっては新鮮な感じがウケるかもしれない。近隣には出前もするらしいので、そのうち7丁目8丁目界隈のクラブ活動の際に小腹が空いたらデリバリーしてもらおうと思う。

 

昭和の終わり頃に若者だったオジサマたちは「カルボナーラ」という響きに郷愁を覚える。ナポリタンやミートソースは当時からポピュラーだったが、カルボナーラは昭和50年代初頭に突如現れたような気がする。

 

少なくとも多くの店のメニューに載るようになったのはそのぐらいからだったはずだ。私自身、あの濃厚で官能的で罪深いクドい味を始めて食べた時には卒倒しそうになった。確か中3か高1の頃、放課後の溜まり場だった新宿の喫茶店で初めて食べた気がする。

 

15歳前後の少年にとってあの味は麻薬だった。今ではクドさが気になって積極的に食べないが、いにしえのあの味がふんわりとしたパンに挟まって出てくるならバンバン食べられちゃう。

 

カルボナーラサンド、どうやら頻繁に食べに行ってしまいそうである。

 

 

 

 

 

2026年5月27日水曜日

エッチな画像とか

 

富豪とは名ばかりでちょっとした無駄遣い程度の話ばかり書いているこのブログだが、当然ながら内容によって閲覧数が変化する。端的にいえば有名人や有名なお店など固有名詞を連発した記載内容だと閲覧数がグっと増える。

 

何らかの収入を期待しているわけではないので閲覧数が伸びたところで私には影響はない。かといって我ながら面白い内容が書けたと思っても読んでくれる人が少ないとチョッピリ淋しい。

 

そうはいっても身辺雑記に終始しているから特に閲覧数増加に向けた努力をするわけでもなく相変わらず脈略のない話を書き続けている。

 

閲覧数が伸びるのは上記の固有名詞多発だけでない。「セクシー画像」を載せた時も同じだ。読んでくれる人の数がグンと増加する。やはりエロは偉大である。

 

世の中、秩序という名のもとに誰もがエロエロ志向を隠しながら生きているから、ちょっとしたエロ、清涼剤?のようなエロにはついつい目が向くのだろう。

 

このブログでの具体例をいくつか出してみる。まあ、どれもエグいほどのエロさではない。「ちょっとエッチだねえ」ぐらいの話ばかりである。グロいエロを語れといわれれば私だってトコトンそんな話を書けるが、そこまでいくと一種のヤボだからあくまで「爽やかエロ」に留めたい。

 爽やかの定義が実にビミョーだが一応そういうことにしておく。

 

パンチラ 銀座のクラブ

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2015/12/blog-post_7.html

 

秘すれば花

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2021/06/blog-post.html

 

オスの矜持

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/10/blog-post_30.html

 

脚線美の不思議

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/02/blog-post_28.html

 

 これらの記載内容に合わせた画像は私自身が恥を忍んで撮らせてもらった。きっと鼻の下を伸ばし切った顔で撮影したのだろう。それもまた老化予防に必要な私の健康法かもしれない。

 

「爽やか画像」のポイントは当然ながら顔が写っていない点だ。そりゃあそうだ。ネットに顔面をさらす一般の人はそうそういない。顔がないから見る人の想像は無限大である。

 

松坂慶子や大原麗子そっくりの顔を思い浮かべるも良し(さすがに古いか)、はたまた柴田理恵、ゆりあんレトリバーを思い浮かべるも良し、見る人それぞれの自由である。

 




以前は今よりもマメだったから夜の銀座でオネエサマがたに協力してもらうことが多かった。あくまでこのブログ用のカット画像としての素材集めである。私の密やかなコレクションではない。

 

私自身、本来は胸よりも太ももやお尻に執着するタイプである。とはいえ、夜のオネエサマがたの衣装はあくまで胸フェチを喜ばせる仕様だからどうしても上のような画像ばかりになるわけだ。

 

その分、別な撮影チャンスが訪れるとせっせと背面からの絵面にこだわりたくなる。その昔、マレーシアのとある孤島に滞在していた時の出来事などは私をかなりハッピーな気分にさせた。

 

その島に一人旅で来ていた謎の日本人女性と知り合い、お互いの退屈しのぎに撮影大会に至った。有難いことにその女性は常にTバックビキニで島を闊歩していたのでモデル役に最適だった。我が自慢の水中撮影機材の機能をフルに活用して頑張って撮影した。

 

とはいえ、若かった私としては今のような図々しさのカケラもなかったので遠慮もあって被写体との距離がちょっと中途半端だった。これも一種の若気の至りといえよう。

 

その時の画像はこちらの後半にいくつか載せているので興味のあるかたは覗いてみて欲しい。

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/05/blog-post_20.html

 

 その後、順調に私のオジサン化は進み、スケベさと図々しさは加速度的に跳ね上がっていった。若かった頃の遠慮や照れに復讐するかのように様々な画像を撮影した。協力してくれた方々のおかげである。

 

数々の秘蔵コレクションがきっと私の老後の淋しさを慰めてくれることだと思う。

 



ちなみにこの画像をお尻だと思った人は相当にスケベである。これは折り曲げたヒジのアップである。もしもドキっとした人がいたならごめんなさい。私のヒジだ。

 

冗談はさておき、せっかくだからセクシー画像を少し載せておこうと思う。遠慮せずに被写体に接近できるようになったオジサン化が進んだ時代に撮らせてもらったものだ。

 




上の画像はちょっとドギツイ感じにも見えたので白黒に変えてみた。カラーのほうは一眼レフにフィッシュアイレンズを装着して水中撮影用ケースにドーム状のポートをつけて撮影。この組み合わせじゃないと水上と水中で画像に屈曲が生じてしまうのでプロ並みというか、ハイアマチュアならではの作品である。

 

文字通り「自画自賛」である。

 

 

 

 

 

2026年5月25日月曜日

コースかアラカルトか


コース料理が苦手だ。気取ってそう言っているわけではない。好き嫌いが多いことが最大の理由だ。だから好きなものばかりならコースも大歓迎である。

 

たとえば、鰻屋さんで、うざく、う巻き、白焼きが出てきて最後に鰻重が来るようなコースなら全然問題なしだ。でも、これに刺身や揚げ物が混ざってくるようだと拒否反応が強くなる。ウナギの気分の時に別な料理が来ても嬉しくない。

 

あとは量の問題もある。コース中心のいっぱしの店の場合、コースは数種類用意されている。量的に一番安いコースで充分に思えても、そこは見栄っ張りの私である。安いコースを頼むと負けた気がするから上級のコースを注文したくなる。そうなると途端に凄い量になって苦悶するハメになる。やはり好きなものを好きな量で頼むのが一番幸せだ。

 

先日、銀座にある「和洋折衷○(まる)」という店を訪ねてみた。赤坂で時々入るちょっと高級路線の焼鳥屋さんのグループ店が銀座に2か所あると知ったので出かけてみた。

 

2軒のうちの片方はシメの蕎麦がウリの料理屋さんで、私としてはそっちに行きたかったのだが満席だった。仕方なく向かいのビルにある系列店に入った次第である。

 

こちらの店も落ち着いたカウンター席もあって一人でもシッポリ過ごすことは可能だ。とはいえ、こちらは系列店の中でも上位に位置するお店だったようで一人客にはあまり向いていない感じだ。数人で和洋折衷のウマいものをコースで楽しむコンセプトみたいだ。

 

一応アラカルトメニューもあったのだが、種類は限定的で気の利いたツマミ類よりもちゃんとした一品料理ばかりが目立つ。きっとコースに追加したい人向けの予備的なものなのだろう。

 

おまけにタバコが吸えるのは個室だけでカウンターはダメだとか。正直、アテが外れたので退散しようかと思ったが、お店の人の感じも良かったし、混んでいなかったので個室を一人で使わせてもらえるとのことで腰を落ち着けることにした。

 

さて、メニュー選びである。ツマミっぽいものが欲しかったので、ワガママを言ってコース料理用の前菜盛り合わせだけは出してもらうことにした。これで安心である。

 

あとはしっかりした料理を数品頼んでアルコールをそこそこ飲めば、客単価的にはコースで注文するお客さんと変わらないレベルになりそうだ。ここはヤボにならないために大事なポイントだ。

 

コース中心のお店に入ってアラカルトで過ごす場合、コース料理を注文したお客さんと同等かそれ以上のお会計になるよう配慮するのは基本的なマナーだ。お寿司屋さんだろうとどんなジャンルのお店だろうと同じだ。

 


 

で、出てきた前菜が当たりだった。ちょっとよく覚えていないのだが、特殊なチーズやら和牛を使ったベーコンやらが妙にウマくて印象的だった。とりあえずこういうお皿があれば楽しく飲み始めることが出来る。

 





個室で一人、沈思黙考しながらタバコもスパスパできて隠れ家的な空間で過ごすのは脳のリフレッシュになる。調子に乗って結構モリモリ食べる気になってきた。

 

馬肉とアボカドのユッケ、ローストビーフ、子羊のローストといったニクいラインナップをハイボール片手にムシャムシャ食べた。どの料理も素材も良く丁寧に作られていて好印象だった。

 

正直、もう充分だったのだが、一人客で個室を使ってアラカルトにこだわっていた手前、シメに良さそうなもう一品を頼まねばなるまいと必死にメニューを眺める。小心者というか気遣い過ぎというか、こういうところが私のヘンテコな個性でもある。

 

「フォアグラご飯とズワイガニ餡の天津飯」という実に銀座的な一品に決めかけたのだが、「北海道産ウニとイクラのクリームパスタ」というこれまた豪勢な一品が私を呼んでいるような気がして悩む。

 

それまで肉っぽいものを中心に食べていたので、結局「ウニいくらパスタ」を選択。銀座という場所で単価設定が高めなわけだから味のほうも大いに期待できると判断した。

 



そんでもって登場したのがコレ。たまの贅沢にはこういうモノを頬張るのが一番だと痛感した。目で見て幸せになって口に入れてなおさら幸せなる感じが最高だった。

 

贅沢は敵だ!という戦時中のスローガンの向こうをはって「贅沢は素敵だ!」と叫びたくなる感覚だった。3千円台後半の値付けだったと思うが、どうでもいいイタリアンでよく分からないパスタに2千円ぐらい取られるならこっちのほうが正解だろう。

 

その後、同行者を連れてこの店を再訪する機会があったのだが、その時もアラカルトでワガママに頼んでシメにはこのパスタでニンマリした。でも料金はヘタなコース料理も高くなっちゃったからビミョーである。

 

何を食べても美味しかったからまた行く機会があたら勇気をふり絞って?コース料理に身を任せてみようかと思い始めている。

 

 

 

 

 

 

 

2026年5月22日金曜日

自意識過剰健康法

 

ここ最近体調は悪くないのにナゼか週の初めに疲労感が強くて参っていた。サザエさん症候群になるほど若い感受性はないので不思議に思っていたのだが、どうやら週末の紫外線の浴び過ぎが理由だったようだ。

 



先日、朝のワイドショーを見ていたらイマドキの紫外線の怖さを特集していた。驚いたことに30年前に比べて今は紫外線の強さが3倍になっているそうだ。

 

昭和の終わりごろ、若者たちは日焼けすることが生き甲斐?みたいな感じすらあった。みんなコパトーンのサンオイルを塗りたくっていた。当時の紫外線はそんなに弱かったのかと知るとビックリだ。

 

紫外線が3倍になった原因は大気汚染の改善だとか。それまた凄い話だ。昔はそんなに空気が汚れていたのだろうか。健康被害などなかったから紫外線の観点から言えば適度な大気の汚れは歓迎すべきことになる。

 

日光を浴びると骨が強くなるだとか、年寄りになったら日光を浴びないと老化するみたいな話を何度も聞いてきた気がする。それもあってこの45月は毎週末のようにカンカン照りの中で神宮球場で大学野球を見ていた。




いわば積極的に紫外線を浴びてきたのだが、そんな行動が疲労感につながったようだ。ワイドショーによると紫外線の浴び過ぎは免疫力低下を招き、肌は急激に劣化しシミやイボの原因になり白内障になる恐れも高まるらしい。

 

今更ながら昔の感覚で日焼けしていた私自身の愚かさが情けない。近年は老若男女とわず紫外線対策に励んでいる。そんな状況を見るにつけ神経質だ軟弱だと小バカにするような感覚で眺めていた私は単純に大バカだったという話である。

 

それにしてもこの春の東京六大学野球は以前よりも観客数が増えたように感じた。ナゼだろう。私が通うようになったからかもしれないと一瞬大真面目に考えてしまった。実に脳天気である。

 



スピリチュアルみたいな話になってしまうが、俗にいう「引き寄せ効果」が少なからず私には備わっているとチョッピリ思っている。自意識過剰みたいな話だが、実際にそんな体験をしたことは数えきれない。

 

ガラガラだった店で私が飲み食いしていたら続々とお客さんが入ってきたり、すいているタイミング買いに行った宝くじ売り場などで気づけば私の後ろに列ができているようなパターンだ。

 

もちろん、単なる偶然だと言われればそれまでだ。もともと混んでいる場所や列に並ぶこと自体を避けている行動パターンのせいで、たまたまそういう現象に繋がっていると考えるほうが常識的ではある。

 

とはいえ、若い頃から自分でも不思議に思うほどそうした経験を積み重ねてきた。ひょっとしたらひょっとするかもしれない。まあ、そういう前向きというかお調子者みたいな捉え方をしているほうが人生を楽しめる。

 

今後の人生、何事も自分に都合よく解釈しようと心に決めているからこんな話も図々しく書き殴ってしまう。紫外線で低下した免疫力は「お調子者思考」で改善しようと決意している。

 

先日もかなり久しぶりに銀座のオネエサンと同伴メシを食べに行く機会があったのだが、お調子者ぶりを最大限発揮してきた。お世辞を真に受けて自分がモテていると確信!?して実に良い気分だった。

 



他人から言わせれば単なる錯覚に過ぎないが、本人、すなわち私が「モテちゃってるぜ、オレ!」と心の中で勝手に喜ぶ分には自由である。実に平和だ。こういう感性がきっと免疫力向上のためには必要なんだろう。

 

夜のクラブ活動に励む人の目的はさまざまだが、突き詰めれば自分が良い気分になることが大原則である。ガハハハ!と陽気に笑って愉快な気分になればそれだけでメデタイことである。


今日は何の話を書いていたのかチンプンカンプンになってしまった…。