2026年1月16日金曜日

プチ贅沢めし

 

ネットに溢れるリール動画の中にはズボラで簡単な料理を紹介するものも多い。時々私も参考にする。便利な時代になったものだと思う。

 

20代で一人暮らしをしていた頃は自炊の真似事をするにも一苦労だった。いつも思いつきとカンと目分量の調味料でアレコレ作ってみたが、失敗が7割、成功が3割ぐらいだった。成功しても常に目分量で作っていたから二度と再現できないのがジレンマだった。

 



いまも時々キッチンに立って簡単なズボラ調理に励む。たいていは肉を焼くぐらいだが、一応こだわりをもって自己流を楽しんでいる。上の画像はコンビーフ炒めメシだ。案外こんなものがウマい。


ちょっと高級なコンビーフをドッサリ使うのがポイント。そこら辺で見かけるありがちなコンビーフは味がイマイチなので不純物が少ない高級路線のコンビーフを使う。オジサマ料理だからコスパは考えない。


顆粒のコンソメを少量、あとは焼肉のタレとウスターソースをチョロっと投入。塩コショウは無しで硬く炊いたご飯と炒めるだけ。実に簡単だがかなり美味しい。オススメです。

 

簡単調理の極めつけといえば炊き込みご飯だ。市販されている炊き込みご飯の素を使えば間違いない味になる。そこに具材や味付けを追加するとちゃんと料理をした気分になる。

 

「まな板と包丁は使わない」。これが私のモットーだ。あまり本格的になると何かに負けたような気がするし、凝りだしたら際限なくマニアックな趣味になりそうだからブレーキをかける意味もある。

 

包丁やまな板ナシでそれなりにウマいものが完成すると勝ち誇りたい気分になる。闘いでもないのに勝った気分になるのが良い。意味不明だが、いつもそこに小さな幸せを感じている。

 

頻繁に作るのがタケノコご飯である。市販の素もいろいろ使う。タケノコご飯の素に限らず、キノコの炊き込みご飯やら五目釜飯の素やら相性が良さそうなものなら何でもアリだ。

 



ポイントは具材の追加だ。市販の素に入っている具材はシャバダバだからプラスアルファこそが勝負を分ける。タケノコを別途用意して具だくさんにすればちょっと優雅な?気持ちになる。やはり材料に関してはコスパ無視が基本だ…。

 

タケノコを一から仕込むのも面倒だ。ここでもお惣菜として売っている出来合いのタケノコ土佐煮などを買ってそれを適度なサイズにハサミでカットして使う。

 

市販の炊き込みご飯の素はたいてい味付けが弱めだ。おかずナシで満足したい私としては醤油やみりん、時には砂糖を加えて味を濃くする。この加減をミスするとマズい仕上がりになるが、しょっちゅう作っていると失敗しなくなる。

 



タケノコご飯に限らず、鯛めしの素だったら鯛の刺身、タコめしだったらタコの刺身を追加投入すればプチ贅沢気分が味わえる。上の画像はカニの炊き込みご飯にカニのほぐし身の缶詰を丸ごと加えたバージョンだ。画像では分かりにくいがカニ風味がグレードアップして美味しくなった。

 

冬になると頻繁に食べたくなるカキも炊き込みご飯にしたくなる。ちなみに節制を兼ねて炭水化物を避けたい時は、市販のパスタソースに生ガキを加えてアヒージョ風にして食べる。ハイボールに妙に合う。実に簡単だが手軽にカキ料理を堪能した気分になる。

 


 

カキを炊き込みご飯にする際も各種の市販品をベースにすることが多いが、塩昆布が冷蔵庫にあればそれだけでウマい一品が出来上がる。醬油、みりん、酒を基本にテキトーに味付けを考えて炊飯器のスイッチを押すだけで真っ当な炊き込みご飯が完成する。

 



ちなみに、炊き込みご飯に加えたくなる薬味のネギもあらかじめカットされているものを用意すれば都度都度適量を振りかけるだけで済む。カットねぎは我が家の冷蔵庫に常備している。使う予定が無くてもネットスーパーへの注文のたびにムダ覚悟でまとめて買っている。

 



ネギと漬物さえあれば好みの味付けにした炊き込みご飯だけで満足できちゃうのが嬉しい。具材が多ければおかず無しでもOKだ。炊き立てのウマさは格別だ。炊き上がりをすぐに冷凍すればせわしない時の朝食用としても重宝する。

 

「富豪」を謳うブログにしては随分とビミョーな題材を熱く語ってしまった。先週書いたスティックコーヒーの話もそうだが、最近は手近なものをちょっと贅沢に使って満足している。


もっと豪快な話を書きまくらないと看板倒れ?である。頑張ります…。




 

 

 

 

 

2026年1月14日水曜日

サッカー、ジャンプ力、レバ刺し

 

高校サッカーの決勝戦を観に行った。準決勝をテレビで観戦していたら余りの面白さに興奮して、急きょ高値のリセールチケットを買って出かけた。

 

試合内容は優勝校の圧倒的な力を見せつけるような内容だったが、ビックリしたのがスピードとテクニックの進化だ。高校生ってこんなにウマかったっけ?と首をひねりまくった。

 



実はサッカーを生で見るのは40年以上前の高校生の時以来である。私が高校3年の頃、母校が正月の全国大会に出場したので即席応援団を結成して観戦した。

 

我が母校は小学校から高校までのいわゆるエスカレーター式だが、小学校時代にサッカーが上手だった子が選抜されて、そのまま中学高校と鍛えあげられて東京代表の座を勝ち取った。

 

その同級生たちのサッカー技術は凡人とはまるで違うレベルだった。野球少年だった私には宇宙人に思えた。で、高校3年の時に都の予選から全国大会の3回戦まで彼らの活躍をしっかり見させてもらった。青春の思い出の一つだ。

 

それ以来の生観戦となった先日の高校サッカーだが、スピードもテクニックも40数年前とは異次元だった。サッカー素人の私でも間違いなくその違いが分かった。国立競技場が狭く感じるぐらい動き方がダイナミックだった。

 



40年の歳月ってスポーツのレベルをこうまで変えるものかと驚いた。さすがにワールドカップの常連国になり、親善試合とはいえブラジルにも勝っちゃうほどになった日本サッカーである。まさしく「今」を実感した。

 

私が高校生の頃はJリーグ発足前でありワールドカップなど夢の話みたいな状況だった。然るべき人々、然るべき組織が本気で育成に励むと段違いにレベルは上がっていくみたいだ。

 

40年、50年前といえば、日本人がスポーツで世界を席巻することは稀だった。オリンピックのメダル獲得数にしても今よりもシャバダバだった。やはり根性論がすべてに優先していた時代だったからだろうか。

 

サッカー観戦の前に時間があったので国立競技場近くのオリンピック記念館とやらを覗いてみた。日本の歴代メダリストの写真がずらっと展示されていたが、最近の人たちに関しては名前も顔もあまり印象に残っていない。それほどメダリストが増えたというメデタイ話なんだと実感した。

 




やはり4050年前ぐらいはまだまだいろんな意味で日本が遅れていた時代だったのだろう。と同時にその時代の記憶が鮮明にある自分の年齢をイヤでも実感させられてしまった。私も随分と「ベテラン日本人」になったものである。

 

オリンピック記念館には先進技術を使った各種の体験コーナーもあり、私も調子に乗ってジャンプ力をアスリートのそれと比較するコーナーに挑戦してみた。

 



 真ん中のシルエットがジャンプした私の姿だ。リュックも背負っていたし着ぶくれしていたせいもあってチョロっとしかジャンプできなかった。言い訳です。もちろん、裸でジャンプしたところで少しの違いしかないのだろうが、あまりにも自分の体が浮き上がっていないことに衝撃を受けた。

 

まあ、考えようによってはしっかりと地に足をつけて生きている証である。そう思って自分をなぐさめるハメになった。それにしてもバスケット選手はこんなに飛んでいるのか。まさに超人である。

 

で、寒空の中で高校生のサッカーを観戦した後は、冷えた身体を温めるために居酒屋でオヤジっぽい時間を過ごした。日本橋まで戻って「ふじ屋」という店で肉刺しやら焼鳥やらモツ焼き。

 




芋焼酎をお湯割りにしてノンビリ過ごす。ジャンプ力はショボショボだが、オッサン的な酒の飲み方ならアスリートより得意かもしれない。そんなことを思いながらレバ刺しの官能的な味わいにしばしほぐれる。

 

正月の箱根駅伝も歩いて見に行けたし、この日のサッカー観戦も思い立ってすぐに観戦することができた。都会の真ん中に住んでいる利点だろう。

 

いままさに私の寝室の真横でビルを建てているから朝からやかましくて仕方がない。周りはビルだらけで虫の声や雲や夕焼けの色具合といった季節感を味わえる要素はまるで無い。そういうデメリットは多いが、逆に言えば都市部で開催されているイベントにマメに出かけられるメリットもある。

 

ちょうどいま、これまた徒歩圏の明治座で松平健とコロッケが共演する見世物が開催されている。席はまだあるみたいだからちょこっと観に行ってみようかと思う。

 

 

 

 

 

2026年1月9日金曜日

珈琲の香り

 

5年ぐらい前にコロナに感染して一時的に嗅覚が無くなったことがある。数日苦悶した後、ふとコーヒーの香りを感じて回復を実感した。その時の香りには感激した。

 

嗅覚が無いことはかなり恐怖だった。戻らなかったらどうしようとアワアワした。食事をしてもまるで味が無い。想像以上にビビった覚えがある。

 

吸い殻だらけの灰皿に鼻を押し当てたり福神漬けの瓶に鼻を突っ込んだりして嗅覚が戻ってないか試していたのだが、まるで香りを感じることが出来ずにかなり焦っていた。

 

困り果てていた数日間を経て、ふいに感じたコーヒーの香りは狂喜乱舞しそうなほど素晴らしかった。それ以来、わりとコーヒーを飲むようになった。

 

とはいえ、コーヒー通の人に言わせれば笑われちゃうようなスティックコーヒー専門の日々である。お湯を入れて溶かすだけのアレだ。安直だがいろいろ試した結果、案外ウマいスティックコーヒーを見つけて頻繁に楽しんでいる。

 



どこでも買えるという点ではAGFのブレンディシリーズだろう。やたらとラインナップを揃えていて飲み比べてみるのも楽しい。私のお気に入りは「エスプレッソ微糖」と「大人のほろにが」だ。

 

ブラックコーヒーを飲まないわけではないが、正直言ってコーヒーは少しぐらい甘くないと美味しくない。私の舌がお子ちゃまモードなのかもしれないが、そういう点では上にあげた2種類は安定の味だ。

 

これに加えて最近よく飲んでいるのが同じくAGFの「ちょっと贅沢な珈琲店」シリースのカフェラテだ。規定量より少しだけお湯を少なめに作ると一層ウマい。

 



昔のインスタントコーヒーを知る昭和人としては“安直簡易コーヒー”の進化に驚く。甘さのあるコーヒーが好きな人ならたいていは好きになる味だと思う。

 

私が甘党でもあるせいで個人的な好みを押し付けている感じだが、さすがの私もケーキなど甘いものとセットで飲む場合には甘過ぎるコーヒーは敬遠する。やはりスイーツにはブラックのほうがバランスが良い。

 



ブラックに関してはAGFの「ちょっと贅沢な珈琲店」シリーズか、ネットで購入して気に入った「澤井珈琲・マンデリンストレート」というスティックが私のお気に入りだ。マニアに言わせれば邪道だろうが「普通に美味しい」レベルを求めているなら充分だと思う。

 

たいていのスティックコーヒーは規定通りに作ると物足りない量になる。我がマグカップだと2袋分で作ったほうが収まりが良い。2袋使うなら違う商品をミックスしてみるのも楽しい。

 

スイーツと一緒に飲む際はブラックが良いと書いたが、やはり少しはコーヒーにも甘味が欲しい時もある。その際は上で紹介した甘みのあるスティックコーヒーにブラックのスティックコーヒーを混ぜて2袋分の熱湯を投入すれば問題は解決だ。

 

個人的にハマっているのが「ちょっと贅沢な珈琲店」シリーズのカフェオレと澤井珈琲のブラックを混ぜるパターンだ。コーヒー通ではないので自信はないが、自分としてはかなりウマい一杯を飲んでいる気分になる。

 



その他、甘さ無しのスティックカフェオレに黒蜜を入れるのもオツだ。黒蜜の量次第で甘さを加減できる。コンビニのレジ横に安価なカフェオレ用の黒蜜パックが置いてあるのを見つけるとまとめて買ってしまう。

 

黒蜜なら甘さのあるスティックコーヒーに入っている人口甘味料より身体に良いはずだと思い込むことでヘルシーな気分にもなる。黒蜜を入れると和菓子と合わせても相性が良い気がする。何事も思い込みは大事だ。

 

以前は、専用カプセルをセットすれば本格的なコーヒーが抽出されることで人気のドルチェグストを長く使っていた。いろんな味のカプセルを試してみたが、正直言ってさほど気にいった味に出会わなかった。

 

マシンもとりあえず掃除が必要だし、私にとってはあのシリーズはちょっと面倒な存在だった。スティックコーヒーのほうがお気軽で、なおかつウマいと感じるわけだからそれで充分だと思う。


以上、コーヒー通の人にはシャバダバな話に終始してしまいました…。





 

 

 

 

 

2026年1月7日水曜日

菩薩の指先

 

年末年始の休みが長かったせいでダラケモードが消えない。休みの長さって程度問題だとつくづく感じる。長過ぎると逆に疲れる。10億当たると信じて疑わなかった年末ジャンボが大惨敗だったせいもある。

 

休み中はウニやイクラや豚肉やドーナツをやたらと食べて過ごした。ほとんど家の中にいた。遊びに来た息子と散歩に行ったのと、箱根駅伝の最終10区の激走ぶりを歩いて見に行ったぐらいでダラダラしていた。

 

ダラダラしていると当然ながら夜の寝付きが悪くなる。ほぼ毎日睡眠薬のお世話になった。クセになっちゃった感じだ。遠からず着実にボケそうな予感がする。

 

さて、寝付けない夜の時間は沈思黙考の時間でもある。私はナゼか昔から沈思黙考という言葉が好きだ。深い意味はないが、ざわざわした日常の対局みたいな気がする。

 

せわしない日頃の暮らしの中で黙っていろんなことに思いを馳せる時間って案外と少ない。ただ、あまり考えすぎるとネガティブ思考に陥ってしまうのが人間のサガだ。ウツウツしちゃいがち。

 

そんな「沈思黙考タイム」だが、やはり楽しいこと、前向きなこと、はたまたスケベなことなどもテーマにしたい。そういう「ポジティブ沈思黙考」は脳の活性化にも良い影響があるはずだ。

 

暮れも押し迫ったとある夜に日本橋界隈を一人で散歩した。夜の10時ぐらいなのに見事に人がいない。ちょっと独特の景色が広がっていた。お江戸日本橋のド真ん中である。わずか23日後には箱根駅伝の見物客で立錐の余地もなくなる日本橋や中央通りにまったく人がいなかった。

 




こんな光景の中をのんびり歩いたり佇んだりすると頭の中にいろんなことが浮かぶ。ジャンルを問わず自分にかかわるヨモヤマ事がドシドシ押し寄せてくる。必然的に頭の中を整理する良い機会になった。脳内リフレッシュ効果は意外にあったと感じる。

 

さてさて話が変わる。寝付けない夜が多くなってきたから私のプチ宝物の置き場所を移動してみた。今までは書斎スペースのデスクの上に置いていた仏像のフィギュアをベッドサイドに持ってきた。

 

国宝第一号いうことでも知られる京都・広隆寺の弥勒菩薩のフィギュアだ。何年か前に実物を間近で見てファンになった。その後も何度かわざわざ見物に行っている。

 



この簡易なミニチュアは都内の某フィギュア店で衝動買いをした。優美な指先のラインがなかなか忠実に再現されている点に一目惚れした。

 

広隆寺にあるホンモノに比べると表情はさすがに冴えないが、それなりに“菩薩チック”な柔和さを感じられて悪くない。そんなことよりキモになる指先の優美さが素敵だ。ついつい見とれてしまう。

 

寝室に持ってきた理由は、寝つく前に点けている間接照明の前に置きたくなったから。優美な指先のシルエットが暗くした部屋の中で魅惑的な存在感を発揮することに期待したわけだ。

 



で、こんな感じになった。なかなか良い。何となく心が安らぐような気がしないでもない。これをしばし眺めることで気持ちが沈静化してスヤスヤ寝られるはずだ。

 

と思ったのだが、結局は毎晩のように弥勒菩薩の位置を微妙にズラして悩んでいる。1センチ2センチの角度の違いで優美な指先のラインの見え方が変わる。ベストポジションを求めてそれこそ右往左往している。

 

で、せっかく眠気がやってきても指先問題が気になるとモソモソ動き回って気づいたら目が覚めているという悪循環に陥っている。バカである。

 



やはり神頼みには期待しないほうがいい。昨年は本厄なのに厄払いをサボってしまった。一応今年は後厄だから厄払いに行こうかと思ったのだが、昨年がとても良い一年だったから縁起を担いで初詣もろともサボることにした。

 

無宗教ながら“神サマ”的な存在への畏怖の気持ちは人並み以上に持っているつもりだ。だったらちゃんとお参りに行けばいいのにナゼかサボりがちだ。

 

でも、そんなユルい宗教心がこれまで60年もの間、大過なく過ごせてきたバックボーンになっているのも事実だ。逆に今さらマメマメしく参拝だのお参りだのに躍起になったら逆に不自然な気もする。

 

という単なる言い訳をもっともらしく語りながら今年も暮らしていこうと思う。

 

 

 

 

 

2026年1月5日月曜日

閲覧数トップ10

 

新年一発目の更新は今年も前年の閲覧数ベスト10。雑多なテーマで書き殴っているから意外な話が上位にランクインすることも多い。昨年一番読まれたのもナゼか15年前に書いた話だ。単なる中性的な旧友の話だが、秋頃からやたらと閲覧数が上昇して年間1位になった。謎だ。

 

★“彼”の話

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2010/04/blog-post.html

 

 続いては中井クン問題でスッタモンダしていた頃の話。守秘義務だの示談だので一件落着になると思ったら大間違いだという話。

 

★新しい復讐のカタチ

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2025/01/blog-post_27.html

 

 お次は私も親らしいことに励むことがあるという話。

 

★三人旅、心模様

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2025/09/blog-post_05.html

 

 次はこのブログの歴史について。書き始めたのは18年も前のことだ。自省録的な身辺雑記を黙々と書いていたらアッという間にそんな月日が流れた

 

★18年の日々

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2025/10/18.html

 

 続いては男にとって生きる証?でもあるテストステロンについて語った話

 

★睡眠とキンタマ

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2025/01/blog-post_10.html

 

 今年も豚肉ばかり食べていた。年末年始も豚肉ばかり食べていた気がする。

 

★豚になっちゃう

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2025/08/blog-post_20.html

 

 その昔、野球界のレジェンド・ノムさんこと野村克也がいつまでも引退せずに「生涯一捕手」をスローガンに掲げていたことに敬意を表してエロの道を歩み続けようと決意した話。

 

★生涯一エロオヤジ

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2025/08/blog-post_04.html

 

 お次は北海道まで日米大学野球を観戦しに行った際に泊まったホテルについて。いま思い出してもかなり興奮する異色の宿だった。

 

★エスコンで感動

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2025/07/blog-post_14.html

 

 続いては節制に努めたせいで体調がよくなってきたついでに男性機能の維持を頑張ろうと決意した話。

 

★男と女

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2025/05/blog-post_30.html

 

 最後は愛用している長くて重いコートについてあれこれ語ってみた話。

 

★カシミアトレンチ

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2025/02/blog-post_10.html

 

 

相変わらず脈略も統一感もない自省録みたいな話ばかりだが、まだしばらくはチマチマと書き続けていこうと思う。

 

今年もよろしくお願いします!

 

 

 

 

 

 

2025年12月29日月曜日

NMN、健康寿命…


今年もまなく終わる。本厄だったのでちょこっと不安な一年だったが、かつてなく順調に過ごせた。厄除けのお参りに行かなかったせいかもしれない。

 

厄除けに行きたい気持ちはあったのだが、そこに集う人は皆さん厄年だ。何となく「邪気の集合体」みたいだ。悪い運気をもらっちゃってもマズいから敬遠してみた。というより単に面倒だから行きそびれただけだ。

 

で、ビビりながら過ごした一年だったが、春先に一念発起して節制暮らしに努め、体重は15キロ減り、キックボクシングジムに行き始めたこともあって以前から懸案だった倦怠感が消えた。これだけで良い一年だったといえる。

 

節制のおかげでコンビニメシや菓子パンを食べることはなくなった。最近でこそミスタードーナッツを頻繁に食べているから「小麦抜き」は出来ていないが、以前に比べれば激減だ。

 

カップ麺にしても秋口にペヤングのヘンテコシリーズを10種類ぐらい集中して味見したが、それ以外では食べていない。なによりカップ麺の買い置きをやめたことが大きい。

 

糖質過剰、怪しい小麦の大量摂取、運動不足という私にとっての「普通の日常」を変えてみたら随分と変わった。減量目的というより倦怠感退治に必死だったから運よく体重も減らせた感じだ。

 

で、この12月からはチマタで話題のNMNのサプリも飲み始めた。話題になり始めたころは1ヶ月分で10万、20万みたいな話をよく聞いたが、最近では価格もある程度こなれてきた。

 

私が注文したのは1ヵ月3万円ぐらいの商品だ。ビミョーな値段ではある。はたして効果を実感できるようなものだろうか。半信半疑だ。黙って3か月ほど飲み続けてどんな変化を感じるのか試そうと思う。

 



なんだかこう書いてくると「健康維持に必死な人」みたいである。そんな私だが実は長生き願望はない。逆に長生きは怖いとさえ思っている。

 

年寄りになればどう頑張ったって身体のアチコチが言うことを聞かなくなる。記憶力も凄い勢いで劣化してボケたことを言い出す。偏屈さは歳を追うごとに強くなる。おまけに収入面も今と同じわけにはいかないだろう。

 

これって単なる恐怖だ。怖い怖い。ちなみに平均寿命と健康寿命は違う。私が重視しているのは健康寿命である。簡単に言えば「誰の助けも必要なく一人で何も困らず生きていられる状態」だ。この部分が怪しくなるのが健康寿命の終わりを意味する。

 

健康寿命は平均寿命から78歳下あたりが平均値だとか。そうなると男性の場合、7374あたりが相場という話になる。矢沢永吉が76歳、舘ひろしが75歳であることを思えば、もちろん個人差はある。70代でもバリバリな人もいるだろう。

 

とはいえ、日頃いろいろとストイックに頑張ることに無縁な私が「永ちゃん、ひろし」を想定するのは無理がある。やはり、70代前半か中盤あたりに健康寿命が終了する可能性が高い。

 

健康寿命が終われば人様の手助けが必要という話になる。家庭人の頃、嫁さんに何かを頼んだり手伝ってもらうことすら苦手だった私である。いま同居している娘にも何かをせっせと手伝わせることはない。たいてい自分で済ませる。「人にやってもらう」ということ自体が昔から苦手である。

 

誰かの手助けが無ければ生きていけない状態になるのは想像するだけで息苦しくなる。気疲れして死んじゃいそうだ。だから必然的に健康寿命が終わるあたりでオサラバするのが正解だと感じる。

 

もちろん、70歳になった時にどう考えが変化しているかは分からない。100まで生きたいと言い出すかもしれない。70歳まであと10年である。アッという間に10年は過ぎていくのだろう。50歳から60歳になるまでは本当に一瞬だった。実際にたいした変化もなかったし「なんとなく」月日が過ぎ去った感覚もある。

 

これから先、60歳から70歳の10年ともなれば事情は変わってきそうだ。いよいよ“大病”みたいな試練がくるような気がするし、仕事面でも“手仕舞い”みたいな話とは無縁ではいられない。今まで以上に想像がしにくい段階に入ったといえる。

 

脳も肉体も劣化する中で最終コーナーに突入しようってわけだからどうしたって楽しみより怖さのほうが強い。「人生100年時代」という言葉も苦手だ。というより大嫌いだ。「隠居させないぞ、死ぬまで働け」と同義語でしかない。そういう意味でも長生きすることへの怖さはどうしても消えない。

 

でも、長生きが怖いという感覚はある意味で幸せなことでもある。言い換えれば今の段階でも一定の満足感があることの裏返しだ。「思い残すことはない」などと気やすく言えるものではないが、ある程度それに近い感覚はある。わりとエンジョイ?してきた自負はある。

 

図々しく言えば、この先にこれまで以上に楽しいことがあるような気はしない。そう言い切れちゃうほど楽しいことや充実感は味わってきたつもりだ。

 

決して後ろ向きの話を書いているつもりはない。70代でオサラバは早すぎると誰もが簡単に口にするが、70歳はもともと「古くはマレなこと」だから古希と称される。一応そこまではたどり着いてみて、その先は脳や身体、はたまた富豪度合い?に応じて考えられたら最高だと思う。

 

というわけで、節制に励んだり高いサプリを飲んだりする目的がイマイチよく分からないまま今日も過ごしている。そんなことをブツクサ言いながら今年も暮れていく。

 

本厄は突破できそうだが、来年は後厄という年回りだ。あまり調子にのらず平穏無事に過ごしていきたい。

 

★来年は15日から更新します









2025年12月26日金曜日

シンプルの凄み


飽食の時代といわれて久しい。地球レベルで考えても日本、とくに東京の食の充実ぶりは驚異的だと思う。随分と海外にも出かけたが東京の外食産業の百花繚乱ぶりは異次元レベルといっても大げさではない。

 

ラーメンを例にとってもその種類や食べ方は無数にある。コンビニのおにぎりにしても何でもありだ。ミシュランの星付き高級店から屋台の料理に至るまでウマいものが溢れかえっている。

 

タマゴかけご飯「TKG」も日本独自の逸品だ。海外では鶏卵の処理管理体制の違いによって基本的に生卵を食べる習慣がない。シンプル極まりない食べ物だが日本のウマいコメに上質な生卵を合わせれば、この国ならではの極上の一品になる。

 

TKGがその代表格だが「シンプルこそ正解」という真理は何となく軽視されがちだ。ついつい複雑怪奇?な一品を有難がってしまいがちだ。


ありとあらゆるウマい料理が揃う東京だから多種多様な食べ物を求めたくなるが、シンプルにウマいものに遭遇するとハッとする。「これだよこれ!」「これでいいんだよ!」とつぶやいてしまう。

 



 先日、久しぶりに深夜2時過ぎまで飲んでしまったのだが、最後に立ち寄った店で食べた親子丼がまさにそんな感じだった。銀座の「木屋」でのこと。いわゆる「うどん・蕎麦」をウリにするチェーン店だ。

 

銀座店は深夜営業だから以前にも何度か酔っぱらって訪ねたことがある。この日も深夜1時だというのに満卓だった。無難に蕎麦を食べてシメにしようかと思ったのだが、同行の還暦オヤジたちが天ぷらうどんやらカツドンやらのチャレンジングな注文をしていたので、私も親子丼(重)を選択。

 

ごく普通の親子丼である。特筆すべきことはないが、しみじみウマかった。鶏肉もたくさん入っていたし卵の火加減も無難、麺つゆベースのタレの味も的確。まさに教科書通りの一品だった。

 

鶏肉のいろんな部位を入れたり、必要以上に卵をトロトロにするような“進化系”の親子丼も美味しいが、昭和人である私としてはこういうシンプルな親子丼に遭遇すると「これだよこれ!」という気分になる。

 

別な日、銀座の維新號に出かけた。ここも以前は頻繁に食べに行ったが、最近はモノグサ太郎状態だったのでかなり久しぶりの訪問。

 

お目当てはフカヒレの姿煮だ。私は「不幸のフカヒレ」と呼んでいる。タレというかスープが他のどこの店とも違う官能的な味がする。おかげで他の店ではフカヒレを食べなくなってしまった。ある意味「不幸」のきっかけになった逸品だ。

 



 相変わらずウマかった。フカヒレ自体はただのフカヒレだ。あくまで茶色くとろみのあるスープが絶品。永遠に舐めていたい味だ。液体なのに酒のアテになる。熱々にした紹興酒と合わせるのが最高の組み合わせだと思う。

 

話がそれた。フカヒレの話ではなくシンプルな料理の話だった。

 

この日、フカヒレの感動とは別に印象的だったのがチャーハンだ。いまやチャーハンも多種多様の時代である。いろんな具を使ったりあんかけをウリにしたり、様々なチャーハンが世の中に溢れかえっている。

 

この店にも海老海苔チャーハンという人気メニューがある。たいていはそれを注文するのだが、この日の同行者が海老が苦手だという。しかたなく五目チャーハンを注文した。

 



 これが大当たりだった。「これだよこれ!」「これでいいんだよ!」を連発してしまった。特徴のある具材が入っているわけでもなく味付けに特徴があるわけでもない。でも素人では絶対作れない味だ。

 

コメのパラパラ感も過剰ではなく実に適度な状態、味付けのバランスも完ぺきだった。町中華のシンプルなチャーハンもウマいが、高級中華のシンプルなチャーハンには凄みすら感じる。

 


 

こちらはこれまた抜群に美味しかったカニと玉子の炒めもの。カニ玉だ。あんがかかっているわけではなく塩味ベースで素材を前面に押し出したシンプルさが潔い。味付けはもちろん火加減が最高だった。プロのワザを実感した。

 

最近はデリバリーで「餃子の王将」のカニ玉ばかり食べている私だ。甘酢あんが大好きだからタマゴの味付けや火加減などにまるで意識が向いていなかったことを痛感した。

 

餃子の王将のカニ玉ももちろん捨てがたいが、富豪を目指す私としては高級中華のシンプルなカニ玉をしょっちゅう食べているような顔をして過ごしていたい。いや、実際にしょっちゅう食べたいから来年はもっとマメに訪ねようと思う。

 



ついでにもうひとつ。この店の肉シューマイもシンプルながら抜群にウマい。さすが日本中のデパ地下で肉まんを売っている維新號である。肉まんの親戚?みたいな肉シューマイが平凡なワケがない。これがあれば延々ビールが飲めそうだし、おかずにしたら永遠に白米も食べられそうだ。

 

シンプルさには凄みがある。ウマい店に関してはこんな表現が的確だと思う。