2026年4月6日月曜日

哀愁の焼きそば

 


 みんなが大好きなのにナゼか「格下」みたいに扱われている料理といえばソース焼きそばだ。ある意味、正当な日本料理の一つだが「家で食うもの」というイメージが強いせいか、外食ジャンルにおいては注目されることが少ない。

 

「縁日の屋台で食うもの」という固定観念もソース焼きそばが邪険に扱われる?理由の一つだ。もっといえば「カップ麺で充分だろう」みたいな先入観も世の中に根強い。

 

「ラーメン食べに行こうぜ」「蕎麦食べに行こうぜ」「うどん食べに行こうぜ」という会話は日々全国各地で展開されているが、「焼きそば食べに行こうぜ」はかなり少数派だ。

 

焼きそば専門店が少ないことも理由だ。どうにもこうにも主役にはなれない哀愁がソース焼きそばには付きまとう。あくまで「ついでに食べるもの」だからメニューの多い大衆居酒屋ではよく見かける。

 



こちらは日本橋のコレド室町テラスにある居酒屋「大金星」のソース焼きそば。一時間に一度焼きそばを作ることをウリにしているから店員さんもその旨を客に告知する。結構な割合の客が「それなら頼もうか」と、さもついでみたいな感じで注文する。

 

そういうシステムゆえにこの店では焼きそばはエース級と呼べるが、たいていの居酒屋さんでは肩身が狭そうにメニューの端っこに表記されている。なんとなく切ない。

 

23人で居酒屋に行ったとする。他のメニューの“ついで”に注文したはずなのに全員で取り合いになる。そのぐらい誰もが好きなのに「ソース焼きそば愛」を声高に叫ぶ人が少ない。ちょっと不思議な気がする。

 

焼きそば界隈でも高級中華系の料理になるとイメージが変わる。単価も高いゴージャス系の一品が人々から称賛される。あちらは肉や魚介類といった具材の豊富さがウリだ。ソース焼きそばは比較対象にもされない。

 



こちらは神保町「揚子江菜館」の上海焼きそばだ。こちらはタマネギぐらいしか具材は見当たらないので高級と言えるほどではないが、昭和の文豪・池波正太郎が愛したというストーリーのせいで人気を集めている。実際にウマい。

 

「格下」扱いされることのないそうした中華料理店の焼きそばは名物料理と呼ばれたりご馳走っぽいイメージになったりする。ソース焼きそばだとどうしても世間からのリスペクトとは無縁だ。哀しい話だと思う。

 



ソースという冠が付くと問答無用でB級扱いされてしまうようだ。そんな現実はソース好きな私からすれば由々しき問題だ。ソース焼きそばのトッピングとして豪勢に肉を盛り付けるような取り組みが世の中で広まって欲しいと思う。

 

ステーキ載せ焼きそば、リブローストンカツ載せ焼きそば、極太エビフライ載せ焼きそば等々、ソース焼きそばをベースにしてもゴージャス路線を目指すことは可能なはずだ。

 

下の画像は自宅で作ったポークソテー焼きそばだ。生姜焼き用の豚肉をガッツリ載せたことでご馳走っぽい感じに仕上がった。ディナーカレーという呼び名をパクってディナー焼きそばと名付けたいぐらいだ。

 



とはいえ、安直で手軽な「おやつ感」がソース焼きそば人気の生命線だという見方も否定できない。闇雲にゴージャス路線を目指すのも違うような気もする。

 

やはり、ラーメン界隈のように創意工夫をこらした専門店が増えることがソース焼きそばの地位向上には欠かせない。


ほんの30年前ぐらいを思い返せば今ほどラーメン屋さんは溢れかえっていなかった。メディアやSNSの影響で現在のような大賑わい状態が確立されていった経緯がある。

 

ソース焼きそばだって何かのきっかけで大ブレイクしないとも限らない。どこの街を歩いても焼きそば専門店が簡単に見つかる日が来ることを夢に見て残りの人生を歩んでいこうと思う。

 

大げさでスイマセン。

 

 

 

 

 

2026年4月3日金曜日

悪あがきオジサマ?

 

「いい歳して…」「年甲斐もなく…」。オジサン、オバサン、はたまた爺ちゃん婆ちゃんに向けて使われる言葉だ。年齢相応の自覚ナシにハッチャけたりするとそう言われる。

 

思慮分別は大事だ。歳を重ねれば身についてないとダメだ。そんなことは百も承知だが、人間は煩悩の塊だからコトはそう簡単ではない。私も「いい歳」バリバリだが、まだまだ現役でいようと悪あがきの日々である。

 



サザエさんパパ・磯野波平よりはるかに年上になってしまったがいまだに若い女性の尻を平気で追っかけている。我ながらご苦労なことだと思う。狩猟本能?がまだ残っているせいで年甲斐のない行動ばかりである。

 

波平さんが若い女性を追っかけ回すのはきっと世間が許さないだろうが、私は独身だし波平さんより毛髪もある。それより何より波平さんという人物が設定された時代と今では世相も違う。

 

すいません、単なる言い訳です。

 

女子を連れていく店選びには気を遣う。さすがにファミレスに行くわけにもいかない。ヘタに若い人に迎合したよう店を選ぶのもイヤだから必然的にオジサマ的世界になる。

 

フレンチみたいなジャンルは私自身が詳しくないし、ワイン中心の食事が苦手だから当たり前のように和食だ。なかでも鰻屋さんを選ぶことが多くなる。オヤジ独壇場の世界だ。こっちとしては気が楽である。

 


お寿司屋さんもオヤジ独壇場の世界だが、それなりに親しい相手じゃないと連れて行きにくい。歯が浮くようなセリフをぶっ放している姿をお寿司屋さんの大将に見られるのは小っ恥ずかしい。

 

銀座のホステスさんと銀座の寿司屋に行くようなパターンなら問題はない。同伴というあの街の文化が根っこにあるので周りも同類ばかりだったりする。そうじゃない場合はやはり厄介だ。

 

普段、一人で行くことの多い店に女性を連れて行った場合、私は間違いなく普段とは違う顔つきや口調でスカしているはずだ。そんな姿を顔見知りの大将に観察されるのは負けた気がする。やはりカウンターというポジションだと落ち着かない。

 

鰻屋さんのテーブル席でウンチクを得意げに語っているぐらいが収まりが良い。白焼きと冷酒の相性だとか、うざく、う巻き、肝焼きのあれやこれやを話していれば済む。

 



一人酒、一人メシが好きなのに、ずーっとそれだけだと何かが違う気がして時には女子との闘いに身を置きたくなる。それこそ「いい歳して…」の極みだが、いったいいつになったら下心みたいな邪念は消えていくのだろう。

 

「ダンディーぶったオジサマ」というカテゴリーに分類されているつもりの私だが、そう自認してから既に長い年月が経つ。もうすぐそこに「オジサマ」から「お爺ちゃん」への扉が待っている。煩悩の炎がいつまでも燃えているようでは何かと厄介なのも確かだ。

 

本心からそう思う反面、生涯現役で頑張らねばという気持ちもまた否定できない。まさに迷走状態である。まあ、ボケ防止には役立っているはずだし、その発想や行動自体が私にとってはサプリみたいなものかもしれない。

 



本格的なお蕎麦屋さんもオヤジワールドを展開するには悪くない。蕎麦がき、蕎麦湯などのウンチクを語りながら、うどん派が多い若い人を相手に調子に乗っていられる。それ以前に私自身の胃腸に優しい。

 

赤ちょうちん系ではないちょっと高級な焼鳥屋さんや私にそこそこ知識がある郷土料理系の店、小洒落たホテルのラウンジなどもテキトーなウンチクを語りながら過ごすには適している。ロイホの料理のほうがウマいなどとは口にせずにいつもスカしている。

 



これから所帯を持つ可能性はゼロだし、考えてみればそうした行動は大いなるムダである。ムダという現実に昔から気付いているのにムダなことって楽しさと比例しちゃうからやめられないのだろう。

 

今の時代、コスパだタイパだとすぐに合理性追求こそ美徳みたいな風潮がある。それが大事な部分もあるが、そればかりだと味気ないし面白みに欠ける。

 

世の中、たいていの面白いことはムダがあってこそ成り立っている。それが真理だ。

 

このブログも「富豪を目指す」という旗は降ろして「大いなるムダを奨励する」ことを基本テーマに据えようかと思う。

 

思い切ってブログのタイトルから変えようかと思いついたのだが、ヘッダーとかの編集の仕方がよく分からないから当面はこのままでいきます…。

 

 

 

 






 

2026年4月1日水曜日

マニアックな時間

 

先週末は思い立って甲子園観戦に行ってきた。夏とは違って春の甲子園にはあまり興味が無かったのだが、前半の試合をテレビで見ていたら案外ハマってしまい準々決勝が行われる日に合わせてチケットを手配して出かけた。

 



準々決勝が一番面白いというのが野球マニアの昔からの定説だ。この日は14試合。確かにどの試合も熱戦だった。満足満足。

 

2試合目は序盤に8対0というシャバダバな展開になったので中座して隣接する甲子園記念館で各種展示物をノンビリ眺めていた。昭和の頃の甲子園での伝説の試合に関するグッズや資料を見学して萌えた。

 

そうこうしているうちにスマホで試合経過をチェックしたら8対0で負けていたチームが同点に追いつく勢いで反撃していたので慌てて球場に戻る。その後に大逆転する凄い試合になった。

 

甲子園のチケットは再入場できない決まりだ。いったん外に出ちゃうとチケットは無効になる。ただ“オトナ買い”で複数のチケットを入手していた私には問題なし。

 

1日4試合も観戦する予定とはいえ球場から出られないのは困る。もともと私は違う位置の座席に移動しながら観戦する“富豪ファン”として複数のチケットを買ってしまいがちだ。無駄遣い精神がこういう場面で役に立つわけだ。

 




甲子園球場の楽しみの一つがベタな関西メシを楽しめる点だ。東京人にとっては新鮮だ。球場メシだからバツグンにウマいはずもないが充分に異国感?を楽しめる。ぼっかけメシや牛すじ焼きそばも食べてちょっと興奮する。

 




牛すじ焼きそばの具がシャバダバだったので別途ドテ焼きを買ってトッピングしてみたらなかなか素敵な見た目に変貌した。こういう無駄は無駄とは言わない。素晴らしき創意工夫である。

 



昼間は春のぽかぽか陽気でシェイクを片手に楽しい時間を過ごしていたが、さすがに夕方の4試合目にもなるとうすら寒かった。有難いことにお湯割り焼酎を扱っている売り子さんがいたからマメに呼んで買いまくった。

 



 

4試合をしっかり観戦した後は球場近くの居酒屋に行く。ドテ煮や酢タコをつまみに焼酎をグビグビ。絵にかいたようなオッサンタイムである。宿は球場近くに押さえていたので帰り道の心配もなくノンビリする。

 

隣に座っていたコテコテの関西オヤジ様としばし野球談議に花を咲かせる。この人は浪商出身とのこと。浪商といえば古くは張本勲、高田繁、牛島香川のバッテリーである。

 

東京人だから完全アウェーな私だったが、かつて張本御大に銀座で親切にしてもらった話や高田サマが最近登場した東京六大学野球のレジェンド始球式をわざわざ間近で見に行った話を繰り出して大いに盛り上がった。

 



東京の野球好きオヤジが甲子園に行って大阪の野球好きオヤジと昭和の野球ネタで飲み明かす。夢のような時間である。大げさか。こんな想定外の時間こそが一人旅の醍醐味かもしれない。

 

で、すっかり酩酊したからホテルに戻って結構早くに寝てしまい、翌朝は早めに目覚めた。この日は甲子園は休養日で試合無し。大阪の街ブラでもしようかとも思ったが、スマホの予定表を見ていたら東京で見たかった別の野球の試合があることに気付いてとっとと帰京することにした。


 


午前中の新幹線で一路東京へ。買った駅弁は二つ。「おとなのえんがわ寿司」なる一品がお気に入りになった。たいていのえんがわ押し寿司は脂っぽいだけで美味しくないが、こちらはビチャビチャ感はなくシャリに刻みわさびがまぶしてあって確かに大人向きだった。また見つけたら買いたい。

 

で、東京駅から神宮球場へ向かう。社会人野球と六大学野球の対抗戦が行われていた。六大学ファンとしては新チームのメンバー構成をチェックできる意味合いもあるから興味が尽きない。

 

1試合目の東大は日本製鉄鹿島に3対5で惜敗、2試合目の明大はNTT東日本に5対5で引き分ける結果となった。何が面白かったかといえば球場の「音」だ。

 



前の日の甲子園はアルプススタンドの大声援や万単位のお客さんの応援で賑やかだったが、この日の神宮はお客さんはぜいぜい数百人ぐらいだっただろうか。おまけに応援団は来ていなかったから客席からの声はまるで無し。ただただグランド内の音だけが響いていた。選手同士が掛け合う声、打球音、ピッチャーが発する気合、ミットに収まるストレートの乾いた音。なかなか新鮮だった。

 

それにしても甲子園で高校野球をしっかり観戦した翌日に神宮で大学と社会人の試合を観戦するのは何ともマニアックな行動だ。プロ球団のスカウトみたいである。

 

ちなみに昨年夏にわざわざ北海道まで日米大学野球を観戦しに行ったのだが、その時の日本代表チームのメンバーの多くがプロで活躍し始めている。ロッテの開幕投手を務めた毛利、西武で開幕からスタメン捕手として出場した小島、広島で活躍する平川、勝田、中日の中西や桜井、巨人の山城など。その他にも阪神の立石、ヤクルトの松下など今後ガンガン出てきそうな選手は多い。

 

そういう選手たちがいずれ日本を代表するようなビッグネームになったらやってみたいことがある。「俺はアイツが学生時代からガラガラの球場で見ていたよ」と居酒屋で隣り合わせた野球好きオヤジ相手にマウントをとることだ。何だかバカみたいだが、バカみたいなことを真剣に目指すのは案外楽しい。

 

 

 

 

 

 

2026年3月30日月曜日

台所の時間

 

「いつも台所にいるわね」。同居する娘にそう言われた。確かに自宅にいる際は台所付近にいる時間が長い。一番の理由は換気扇の下でタバコを吸うからだ。台所の端に置いてある小さい椅子が私の基本ポジションである。

 

タバコ以外にも休みの日は料理の真似事をすることが多い。娘から見れば私が家にいる時はいつも台所に陣取っている印象が強いのだろう。

 

家庭生活からFA宣言して15年ぐらい経つ。さすがに家事全般をそこそこにこなせる。面倒なことは毎週来てくれる家政婦さん任せだが、細かいことはちゃんと自分で解決している。

 

料理の真似事と書いたのには理由がある。男子厨房に入らずなどと気取ったことを言う気はさらさらないが、本格的に料理に励むことにナゼか抵抗があるせいで、あくまで安直な作業にとどめている。

 

まな板と包丁を使わない。これが私のポリシーである。切る必要があるものはすべてハサミで処理する。実際にそれで困ったことは一度もない。

 

素材もすべて安直なものに頼る。何かと必要なタマネギにしてもスライス、みじん切りともに冷凍食材を常備している。肉を炒める時などタマネギを頻繁に使うのだが、丸いタマネギを一からカットしたことは皆無だ。泣くのもイヤだし。

 

味付けも多くが出来合いの食材を使う。炊き込みご飯やドライカレー、パスタソースなどそれぞれの「素」みたいな市販品を使ってあとから好みの調味料を加えて面白がっている。

 

たとえばミートソースの場合、市販のパスタソースに大量の挽肉を追加投入してそこにウスターソースやらケチャップやら冷凍みじん切りタマネギを加えて独自の仕上がりを目指す。

 

最近、我ながら上手く出来たのがリゾット風の一品だ。「チキンフリカッセ用ソース」という「メゾンソワレ」というブランドのレトルトがベースだ。クリームシチューみたいなヤツである。

 



チキンをハサミで適当なサイズにカットして、エリンギ、ぶなしめじも加えてフライパンで加熱するだけだ。味見をしたらちょっと濃い感じだったので冷蔵庫にあった牛乳を適当に加えてみた。

 

ところが牛乳が多かったせいか何となくシャバシャバになってしまったので路線を変更してみた。ご飯をぶち込んで溶けるチーズやらワインを追加投入して混ぜ合わせてみた。

 

これが大当たり。チキンとキノコのチーズリゾットとしては他人様からお金を取れるぐらいウマい一品になった。目分量で適当に仕上げたから再現できそうにないのが残念である。

 

チキンライスもよく作るメニューだ。こちらはご飯と鶏肉、冷凍みじん切りタマネギ、塩コショウ、ケチャップやソース、粉末コンソメ、バターがあれば一から簡単に作れる。とはいえ、世の中にいくつも出回っている混ぜるだけのチキンライスの「素」を使ったほうが味が締まる。今までもいろんな市販品を試してきた。

 



先日、職場にほど近い明治屋スーパー本店を散策していたら見かけたことのないチキンライスの素を見かけた。並んでいるその他の商品とは異なりわざわざその商品が置かれた棚には手書きの説明カードが貼ってあり“感激の味”だとPRされていた。


京都にあるパパヤソースという会社の人気商品らしい。他にもナポリタンソースやカルボナーラソースなどあれこれ販売している会社みたいだ。「懐かしい喫茶店の味」をウリにしているみたいで私としては買わずにはいられない。

 

さっそく購入して鶏肉や生マッシュルームなど必要な食材を用意して作ってみた。何だか妙に美味しい。旨味、甘み、コクなどのバランスが実に良い感じだ。昔ながらの王道チキンライスの味になった。クセになりそうだ。

 



これをベースにソーセージやその他の具材を入れてナポリタンみたいなソースに仕上げてパスタ麺に絡めるのもアリかもしれない。

 

エンゲル係数みたいな概念が欠落している独身オヤジだからこういった「素」みたいなものをコストを考えずに買っている。主婦だったら手を出さないようなものも平気で買ってしまう。

 

手間と労力をお金に換算すれば結構な金額になるはずだ。そこを省略する分、それなりにコストはかかるのは仕方ない。でもそれで好みの味に出会えれば安いものだと思う。

 

世の中にはまだまだ未知の「素」がたくさんある。もはや料理の真似事が趣味になってきた私としては今後出会うであろう逸品探しが結構楽しい。

 

 

 

 

 

 

2026年3月27日金曜日

プチ高揚感

 

春は何となく気分がアガる。暖冬とはいえ冬の寒さで凝り固まった身体がほぐれていくような気がする。我が老後趣味候補筆頭の大学野球観戦に通う日も近い。桜も咲いているし意味もなく気分が前向きになる。

 

最近は体重測定をサボっているので昨年ガッツリ落とした体重がどれほどリバウンドしたのかが気になる。キックボクシングジムに通う頻度もちょっと減っている。酒を飲む機会ばかり増えてしまった。

 

とくに持病も無く好きなものを食べてアルコールも制約なしに飲む日々である。これって有難いことだと思う。以前はそんなことを感じることはなかった。やはり還暦という節目を過ぎたからシミジミそう思えるのだろう。

 

「この先10年」という周期で物事を想像するとちょっと怖い。30歳の時、40歳の時、50歳の時にそれぞれその先10年を考えたとしても「ハゲちゃうのかなあ」とか「下半身がいうことを聞かくなるんだろうなあ」とか平和?な心配が頭に浮かぶ程度だった。

 

60歳からの10年となるとどことなく深刻な感じがする。大病の一つもしそうだ、ヘタしたら死んじゃってるかもといった以前とは異質の心配が脳裏をよぎる。

 

もちろん、永ちゃんや舘ひろしみたいに70代半ばでもバリバリ元気な人は多い。考えすぎてもキリはない。でも永ちゃんやひろしは私のような野放図な暮らしはしていないはずだ。ストイックに自己管理をした成果が今の姿だろう。そう思うとやはり心配になる。

 

だったら真面目に健康管理に励めばいいのにそれが出来ないのが私が凡人である最大の理由だ。まあ仕方がない。

 

話を変える。ここ数か月、以前よりアルコール摂取量が増えている。その理由は単純。妙に美味しく感じているからだ。ヘンテコな言い方だがウマいから飲み過ぎてしまう。ヤケ酒みたいなノリだとたいした量は飲めないが、ウマい!と感じちゃうとグビグビ飲み続けてしまう。

 

心配事やストレスも人並みに溜め込んでいるのだが、それを忘れるために飲むというより単純にウマいから飲んでしまう。お寿司屋さんに行けば日本酒をグビグビ、モツ焼き屋に行けばホッピーをグビグビ、焼肉屋に行ってもサワー類をグビグビしている。

 

食事のついでに飲むというより、酒のついでに食べるという不健康なパターンが増えてきた。逆にいえば体調が良いのだろう。それならハッピーである。目指すは10年後の現状維持である。

 

一人晩酌でよく行くお寿司屋さんでは相変わらずウニ巻きの世話になっている。刺身や気の利いたツマミで熱燗やら冷酒を飲む時間が大好きなのだが、それだけだと何かが違う気がする。

 



寿司といえば酢飯だ。刺身やツマミをあれこれ頼みたがるのが私の常だが、根っからのコメ好きとしては周りのお客さんが握りを食べていると欲求不満が募り始める。

 

とはいえ、「握りは後半で」という変な思い込みが強いので酒中心の前半戦はコメとは無縁になりがちだ。別に最初から握りをいくつか食べてからツマミに移行して、その後にまた握りを食べたっておかしくないのにナゼかそれが出来ない。

 

この問題を解決してくれるのが巻きモノだ。これまた私の単なる思い込みかもしれないが、細巻きは酒の肴としての意味合いもある。

 

普通の握り寿司はつけ台に置かれたら速攻で食べないとカッチョ悪い。初歩的なマナーだ。それに対して細巻きならしばらく置いたままでも無粋にはならない。ここがポイントだ。

 

ウニだけをツマミとして注文することも多いのだが、ウニ巻きだとコメに対する欲求不満も解決してくれる。ついでにいえば普通のウニの握りは一口でなくなってしまうが、ウニ巻きなら6回ももぐもぐ可能である。これは大きい。

 



せっかくのウニが一口で無くなっちゃうと寂しさが募るだけだ。なんなら悔しい気持ちにもなる。後ろ髪を引かれる思いだ。大げさか…。それに比べて細巻きなら6口も楽しめる。6個目を口にするまで長い時間にわたってウニの輝き?を眺めていられるのも嬉しい。

 

もちろん、ネギトロ巻きだろうが、かっぱ巻きだろうが、細巻きであれば同様の効果を発揮する。でも、でもである。ウニはお寿司屋さんでエース級の存在だ。あくまでエースを選択して酒飲み心を満たせる点でプチ高揚感につながる。

 

お寿司屋さんの大将に聞いたらその店でウニ巻きを注文するのは私ぐらいだという。ちょっと不思議だ。いつもの私のお勘定よりはるかに高いコースメニューを頼む人からも注文されることはないらしい。一種の盲点になっているのだろう。


どなた様もぜひウニ巻きを並べて日本酒をグビグビする時間を味わってほしい。幸せな気分になります。

 

 

 

 

 

 

2026年3月25日水曜日

ヤメ時、ペヤング

 

20年近く書いてきたこのブログだが、ヤメ時をどうしようかと考えている。すっかり私自身の平凡な身辺雑記になってしまったから日記のようにふとした時に見返して役に立つことはある。とはいえ、そのために更新を気にするのはややストレスになってきた。

 

ただ、モノを書く作業ってやめてしまうとどんどん書く力が失わていく。そこが悩ましい。ウダウダ言いながらまだしばらくは続けようと思うが、いつ息切れするのか我ながら興味シンシン?な状態だ。

 

ここでは「富豪になりたい」と昔から書き続けているが、そんな気配はまるでない。バレンタインジャンボも3千円しか当たらなかった。だいたい富豪なら宝くじなど買わない。

 

そうは言ってもまあまあ優雅に好き勝手に暮らせているわけだから文句は言えない。外食に行っても値段を気にせず大量に注文するぐらいのゆとりはある。

 

ゆとりというより無駄遣いが得意ワザなのかもしれない。贅沢と呼べるほどの次元とも違う。単なる無駄遣いである。ウーバーですぐにスイーツを取り寄せちゃうあたりは単なるムダだ。

 



先日も夜の遅い時間に映画を見ながらのんびりしつつノンカフェインコーヒーに合わせる甘味が欲しくなった。スマホを手に妙にデカいパフェを注文した。フラチな一時的な欲求だ。本当に必要か?と自問自答したらきっと不要だという答えになるはずなのに、気づけば2500円ぐらいするパフェが届いていた。

 

ウーバーもそうだが、スマホでチャッチャと買い物できちゃう便利さが私の無駄遣いを増長させる。無駄遣いというよりももはや自堕落と表現したほうがいいかもしれない。

 

昨年秋にかのペヤングがヘンテコなシリーズをバンバン世に送り出していることを知り夢中になって取り寄せた。ペヤングのファン歴半世紀の矜持によって随分とムダに買いまくった。

 

松茸ペヤングなど一通りヘンテコ系を試してみた結果、ノーマルのペヤングに勝るものはないという単純な結論にたどり着いたのに、またまた見知らぬヘンテコ系の存在に気付いちゃったのでアレコレと取り寄せてしまった。

 




 

そこらへんのスーパーに置いていないせいでモノによってはプレミア価格になっていることも多い。そういう商品でも悩まず買っちゃうあたりが私の弱点である。こういうモノは1個から買うのが難しい。4個ぐらいの詰め合わせになるから我が家のストックがあっと言う間にペヤングに占有される。

 

でも、いろいろと探してポチポチ買ってしまう時の快感は一種の中毒みたいなものだ。「キムチチャーシューマヨ味」のペヤングが感激するほどウマいはずはないと分かっていても一口二口は味見しないと気が済まない。

 

実際に食べても完食する気にはならなかった。そりゃそうだ。私が完食できるほどならレギュラー商品になっているはずだ。ヘンテコ系ペヤングの大半はそういうことだろう。

 




昨年の松茸ペヤングを思い起こさせる「高級ヘンテコ系」なのが「トリュフ味のペヤング」である。定価も他のものよりかなり高いらしい。これだって冷静に想像すれば感激するほどウマいはずがない。ペヤングはあの独特のソース味がすべてだからヘンテコ系はあくまでシャレである。

 

トリュフペヤングは「ふーん、なるほど」という感想だ。「ゲッ、何じゃコレ?」ではなかったからまだ良かった。とはいえ、付属のソースは半分程度にしておかないと味が濃すぎて私には無理だった。少な目にソースをまぶすことでトリュフバター麺のような雰囲気になった。好きな人もいるかもしれない。

 

ナポリタン風味のペヤングはある意味で「普通」だった。個人的には好きだ。普通とは安心を意味する。奇天烈な感じはしなかった。ナポリタンといういわば国民食がもたらす安心感が慣れ親しんだペヤングの麺とマッチしていた気がする。

 

こちらは付属のソースを少なめにしたら味が弱かったから追加で加え直したらバランスが良くなった。一度食べれば満足しちゃうのがヘンテコ系ペヤングの特徴だが、ジャンク魂の塊である私としては、ナポリタン味はリピートするかもしれない。

 

はたしてこんなペヤング論評が誰かの役に立つことはあるのだろうか。まあいいか。

 

 

 

 

 

 

2026年3月23日月曜日

オーベルジーヌのカレー

 

最近のお気に入りが「オーベルジーヌ」のカレーだ。ウーバーイーツのデリバリーで食べたのが最初だったのだが、完全に私好みの「甘いカレー」だった。

 

テレビや映画のロケ弁としても有名らしい。食べやすいカレーだから幅広い人気を集めるのも納得だ。スパイスがガンガン効いたカレーよりおっとりした?欧風カレーが好きな人なら気に入ると思う。

 

私のカレー史は当然ながら実家の母親お手製のニッポンの家庭カレーに始まる。ニンジンや芋のせいで好物ではなかった。時々食べたボンカレーも野菜が邪魔だった。

 

高校生の頃、インドカレーの老舗「アジャンタ」を知って衝撃を受けた。やたらと辛くてヒーヒー言って食べたのだが、チキンカレーにはチキンしか具が見当たらなかったことに喜びを感じた。

 

それからは都内各地のインド料理屋を随分とめぐった。野菜が無いというだけでソッチ系のカレーの虜になったわけだ。

 

気付いたらレトルトの世界もカレーマルシェの登場によってニンジンや芋とは無縁のカレーが存在感を発揮し始めていた。ニッポンの家庭カレーとはますます縁遠くなっていった。

 

そのうち辛い食べ物がちょっと苦手になってきてインド料理屋さん通いも少なくなった。必然的に欧風カレーばかりに目が向くようになった。辛さよりも旨味、いや、甘味を求める傾向が強まっていった。

 

わが家に常備しているレトルトも「ガヴィアル」に代表される甘さを感じるものばかりである。いつの間にか「甘いカレー」を専門に食べるようんあった。


タマネギの甘さが感じられれば良いのだが、何なら「砂糖」の甘さも捨てがたい。レトルトをチェックする場合も原材料一覧に砂糖という表示があれば安心して買うぐらいである。

 


話を戻す。オーベルジーヌのカレーはちゃんと甘い。しっかりカレーの味は感じるのに甘味のインパクトが強めなので何となく優しい味わいに感じる。

 

ウーバーで取り寄せるのも良いのだが、カレーにしては値段が高めだ。富豪を目指す身分とはいえ、私にとっては「軽食」であるカレーが高価なのはイヤだ。

 

で、レトルト化されているか調べてみたら簡単に見つかった。これなら今まで以上に気軽に食べられるからまとめて買ってみた。レトルトにしては高い商品だが手軽さは魅力だ。

 


 

これまで2千円オーバーのレトルトカレーもいくつも試した。中には首をひねりたくなる味の商品もあったから自分好みの味の商品なら多少高くても悩まず買ってしまう。

 

で、さっそく食べてみた。フムフム、ウーバーでデリバリーされるものとたいして変わらない味だ。ちゃんと甘めで優しい味わいだった。妙にカレールーの量も多いし肉もゴロゴロ入っていた。レトルトカレーとしてはかなり誠実に作られている感じだ。

 



日本人好みの欧風カレーだから当然ご飯にも合う。福神漬けやラッキョウも合う。ボリュームの点でもかなりの満足感だ。軽食というよりディナー用としても成立する感じだ。

 

ネットで見つけたわけだが、ネット上には似たようなパッケージで「オーベルジーヌの甘口」も売っていた。私が食べたやつもちゃんと甘めだったのに別途「甘口」を強調しているのはどんな味がするのだろうとこちらも取り寄せてみた。

 



さっそく実食したのだが、ナゼかパッケージの形状やカレー自体の量も最初に食べたものとは違う。肉も少なめ、カレールーの量もやや少な目だった。甘味は前に食べた商品とさほど変わらなかったが全体にコクやスパイス的刺激が薄め。

 

よくよくパッケージを見たら最初に買った商品と作っているメーカーが違う。ちょっと不思議だ。パっと見のパッケージデザインは似ているし、パッケージ上部の色が違うだけに見えたから同じメーカーが味を変えて売っているものだと思っていた。

 



「オーベルジーヌ」という名のもとで別な業者がそれぞれレトルトを作っているとはビックリである。最初に食べたほうの黒っぽいパッケージがかなり満足度が高かったので、後で食べたほうの赤いパッケージにはちょっと残念な印象を持った。

 

個人的には黒っぽいパッケージの商品一択だと思う。運の悪いことに赤いほうのパッケージばかり我が家にストックされてしまった。ガンガン食べ続けることにしよう。