2021年5月31日月曜日

赤坂「辻留」 文化を味わう

ガサツな日常生活を過ごしているとキリっとする場面が少ない。それはそれで呑気で結構なことだが、時にはシュっとした気分になることは大事だ。

 



 

というわけで、珍しく日本文化を食べに出かけてきた。赤坂にある「辻留」。懐石料理の名店だ。シュっとした顔を作って訪ねてみた。

 

アプローチからどことなく凜とした雰囲気が漂う。若い頃なら変にビビったのかも知れないが、いっぱしのオジサマとなった今ではこういう風情に心が躍る。

 

店内も渋さが際立つ。こういう空間を喜べるのが正しい?大人の姿だ。茶の湯の世界に通じる詫びさびを体現した空間は過剰な装飾は無く清々しい。

 



 

床の間もあっさりと美しい。楚々とした一凜の芍薬が「これぞニッポン」という雰囲気を強めてくれる。

 

私は保守的な人間だからモダンよりも上質な古めかしさに惹かれる。古めかしいというと聞こえが悪いが、古いものが醸し出す空気感は一朝一夕では作れない貴重なものだ。

 

こういう場所に身を置くと、食事を楽しむだけでなく、漂う空気感に身を包まれることを喜ぶ時間を過ごせる。

 

なんだか堅苦しい書き方になってしまった。実は、こちらの若女将とは高校時代からの知り合いだ。だったら今まで何度も通っていても良さそうなものだが、ようやく機会を作って初訪問。


実際は若女将と高校時代のバカ話で盛り上がったりして普段と同じようにユルユルした気分で過ごした。

 



 

日本料理の華といえば椀物だ。これが一番楽しみだったので蓋を開ける前からワクワクした。この日は穴子しんじょ。

 

香りも最高、味わいも最高。自分のボキャブラリーの乏しさを痛感する。日本料理が世界遺産になったのはこういうことなんだと深く実感する。

 

出されたすべての料理に共通するのが塩梅の完璧さだ。強すぎず弱すぎず、まさに絶妙。自分が普段いかに乱暴な味付けのものを食べているのかを改めて思い知る。

 

素人ならもう一段階、いや二段階ほど味を強めたくなるその手前とでも言おうか。じっくり味わえば、薄くもなく濃すぎることもない絶妙な塩梅を感じる。

 



 

焼き魚はふっこ。スズキの若魚だ。これまたすべての加減が絶妙なのに加えて、添えられた蓼酢が抜群に美味しかった。きっとこれが本物の蓼酢なんだろう。本物を知らないことは恥ずかしいことである。

 

高級な料理屋さんの楽しみは食べもの以外にもある。器だ。「器は料理の着物」だから上質な料理を上質な器で楽しむ時間はとても贅沢な気分になれる。

 



 

一時期、日本中の窯場めぐりに励んだ私だが、家庭人生活を卒業して以来、器使いもガサツになっている。この日、魯山人の器を始めとする名品を使わせてもらったことで、今更ながら器を愛でる楽しさを思い出した。

 

今の住まいにも結構自慢できる器はあるのだが、最近はレンジでチンばかりだから無印良品で買った安皿が中心だ。心の豊かさを保つために時には上等な器を使わないとダメだと反省。

 

話を戻す。シメのご飯に意表を突かれたのも印象的だった。汁かけ深川飯のような一品である。アサリの質も抜群で、出汁と味噌のバランスが感動的。まさに次元の違う極上の味わいだった。

 



 

受け売りではあるが、懐石料理はもともと茶の湯の席で客人をもてなす料理だ。食後のお茶には心して向き合わないといけない。

 

とはいえ、茶の湯には不作法な私である。若女将にいろいろ教わりながら不器用に味わう。こういうところをシュっと決められない自分が情けない。

 

器収集に熱中していた頃、必然的に茶の湯の世界に足を踏み入れそうになったが、そっちの器に手を出すとお金がいくらあっても足りない。そんな理由もあって酒器や小皿、壺ばかりに目を向けていた。

 

あの頃、少しでもお茶の世界をかじっていればこういう場面でも、スマートに振る舞えたはずだ。激しく後悔する。

 



 

この粉引の抹茶碗は李朝の流れを汲む小林東五さんの器だ。酒器ですら現代作家の中ではトップレベルに高い値が付く作家だ。抹茶碗のやわらかい風合もそれはそれは魅力的だった。

 

正直、お茶の味は記憶に無い。その代わりに手のひらで感じた器のぬくもりは覚えている。

 

というわけで、空間、器、食事などをしっかり堪能させてもらった。何かとややこしい今のご時世、時にはこんな時間を過ごすのも悪くない。心の健康管理につながるような気がした。




2021年5月28日金曜日

小石川「わたべ」の鰻


今の世の中、マズい食べ物にあたる機会はあまりないが、先日、ウーバーイーツで頼んだ豚丼のマズさに衝撃を受けた。

 

店の名前は書かないが、辛い豚丼がウリらしく、とりあえず普通の豚丼と辛い豚丼の2つを頼んで味比べてしてみた。

 

普通の豚丼は何とか普通だったが、辛いヤツがダメ。味覚なんて人それぞれだが、あれは誰もがマズく感じる味だ。辛いだけで豚肉の旨味なんかどこかに吹き飛んでいた。敗北感バリバリだった。

 



 別な日、若者が好きだというヤンニョムチキンとやらを食べてみようと、これまたウーバーで頼んだ。辛い豚丼ほどではないが、ヘンテコな味でビチャビチャしてるばかりで私にはダメだった。

 

いい歳して若者の世界を覗こうとした私の失敗だ。田村正和ならきっと頼まない食べ物かもしれない。やはり大人は大人らしくが基本である。

 

やはり、酸いも甘いも噛み分けた大人としては間違いのない美味しい食事をしたい。

 

というわけで、またぞろウナギを食べに出かけた。ウナギなら田村正和もうなずいてくれるはずだ。

 

最近は、中央区界隈でしかウナギを食べていなかったので、久しぶりに文京区まで遠征してきた。小石川にある人気店「わたべ」。駅としては春日駅が近い。3年ほど前に一度だけ訪問したことがあるが、評判通りに上質のウナギを味わえた覚えがある。

 




 

おとなしくノンアルコールビールでスタート。レバ焼き、肝ソテー卵黄がけ、う巻きである。酒が飲めれば美味しさも三割増しだろうが、こればかりは仕方ない。

 

この店、いちいち仕事が丁寧なのが有難い。温めた器を使い、料理を運ぶタイミングにもしっかり目を配ってくれる。

 

う巻きは私好みの甘い卵焼きではなく、だし巻き卵にウナギが包まれている感じ。これはこれで京都のう巻きみたいで悪くない。

 


 

前に来た時、この店では白焼きには身山椒を添えて提供するスタイルが印象的だったのだが、どうやらこれが店の定番のようだ。

 

白焼きにはわさび醤油が欲しくなるが、この店の白焼きは塩加減が絶妙だから粒の山椒の身と合わせるだけでウマい。

 

適当なサイズに切った白焼きに23粒の山椒を乗せて口に放り込む。ウナギのジューシーさが広がると同時に噛めば山椒の風味が弾ける。大人の楽しみとはこういうことだと痛感する。

 

特上の鰻重がこれまた絶品だった。ホワホワした食感、焼き加減、スッキリしたタレが高い次元で融合!している。



 

最近、蒸さずに焼く地焼きウナギが少しずつ東京にも勢力を伸ばしてきているが、やはり東京人としては蒸したウナギこそウナギの王道だと感じる。

 

専門店の特上鰻重ともなると今や5千円超えは当たり前になってしまった。都心部になると67千円も珍しくない。

 

日本橋の某店では特上の上に位置する極上鰻重が年々値上がりして今では一人前9千円になってしまった。

 

その点、こちらの店は特上でも4400円である。ウナギは肉厚で量もご覧の通りギッシリである。良心的だと思う。

 

一品料理や白焼きも堪能するならボリュームとしては3500円の上鰻重で充分かもしれない。名店と呼ばれるウナギ屋さんの中では割安感がある。

 

コロナ禍の中でお店は大変だろうが、客としては以前より予約が取りやすいのは有難い。文京区在住の頃にもっと頻繁に行けば良かったと後悔した。

 

店内も綺麗で風情があり、しっぽりウナギを堪能するにはとても良い店だと思う。大手を振ってお酒も楽しめる日が来れば再訪したい。



2021年5月26日水曜日

「田村正和」も教科書だった

 

7年ぐらい前に「高倉健が教科書だった」という話を書いた。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/11/blog-post_26.html?m=1

 

訃報に接していろいろと思い浮かんだことを書き殴ったわけだが、今度は「田村正和」である。享年77。希有な大スターがまた一人この世を去ってしまった。

 




 

いまさら「田村正和さん」と表記するのもピンとこないので、あえて「マサカズ」と書かせてもらう。

 

訃報を伝えるメディアは古畑任三郎の話で持ちきりだったが、私にとってマサカズは古畑任三郎ではない。究極の近寄りがたい二枚目俳優というイメージである。

 

私が高校生の頃、浅丘ルリ子と共演していた「土曜日曜月曜」というドラマにハマった。さほど話題にならなかった番組だが、マセガキだった私はマサカズの世界観にシビれた。背伸びしたかった私にとってキザなセリフしか口にしないマサカズがただただカッチョ良かった。

 

悪く言えばキザ過ぎる。神がかったキザだ。逆に言えばこの世に存在しないほどのカッチョ良さだった。スターという存在は身近なものではなく、あくまで非現実的なものだとすればマサカズは大スターだった。

 

コミカル路線もこなすようになる前のマサカズはちっとも親しみやすい感じではなかった。孤高の二枚目だった。

 

高倉健が、いわば男が惚れるカッコ良さだったのに対して、マサカズの場合は、男がイライラするカッコ良さだったのだろう。

 

子供だった私はイライラするよりも純粋に二枚目の振る舞いを少しでも吸収したかった。必死に画面のマサカズに憧れ見つめた。もはや私のヒーローだった。

 

1ミリも実践できなかったが、当時はマサカズが二枚目路線を目指す大人の教科書だと思って何かと参考にしようと思っていた。


私がいまも膝下丈のロングコートしか着ないのはマサカズの影響である。あの独特の髪型の襟足の部分をマネしようかと模索したこともあったが、まだ実現できていない。

 

その後、世の中は超絶的な存在だったマサカズに嫉妬して、彼をお笑いのネタにし始める。モノマネの格好の素材にされ、気付けば「テメレメセケズ」になってしまった。

 

「テメレメセケズです」。誰もが低い声でそう口にすればマサカズのモノマネが完成する。ぜひ試していただきたい。私もマサカズのモノマネをこれまで100回以上はしている。

 

この前の日曜日、予定のなかった私は丸一日を「田村正和の日」と決めてずっとマサカズの出演作を見ていた。

 









 

上の画像は上2枚が40代前半、下2枚が還暦の頃のマサカズだ。お相手は当時20代前半だった竹内結子。軽く35歳以上の年齢差をモノともせずチューもしていた。マサカズの面目躍如である。

 

40代前半のマサカズはギラっとして危険な香りがする。還暦過ぎのマサカズはさすがにちょっと疲れているが、それはそれで別次元の渋さが漂う。

 

次に載せる画像は20年ほど前の「さよなら小津先生」というドラマでのシーンだ。エリート銀行マンから転落したマサカズが腰掛けのつもりで始めた高校教師として活躍するドラマだ。高校生役にまだ無名だった瑛太、森山未来、勝地涼、水川あさみが出ていた。一気に全話見てしまった。

 







 50代半ばから後半ぐらいの頃のマサカズである。私にとって今から数年の自分の年齢と重なる。こんなオジサマとして生きていければどんなに幸せだろう。

 

この頃のマサカズも素敵だ。成熟しきって達観の境地に近づいている。すべてに余裕を感じる。50代をこんな雰囲気で駆け抜けたマサカズを改めて尊敬した。見習いたい。

 

かつてスターといえば、自分がなりたくてもなれない人間を演じてくれる存在だった。石原裕次郎は無敵で太陽のような存在、高倉健は義理と仁義を寡黙に守り、渥美清は正直一本で世間体を気にせず放浪してくれた。

 

マサカズしかり。視線一つで女性を虜にして、立ち姿だけで女性を夢中にさせた。普通なら恥ずかしくて言えないような愛の言葉をキザに語ってくれた。

 

ケンカが強い、頭が良い、能力が高い等々、テレビ画面やスクリーンで格好良い男が描かれる場面は多い。そんな設定や背景にまったく関係なく、ただ画面に映っているだけで格好良い男といえばマサカズをおいて他にいなかった。

 

男なら誰もがそうなりたいと思っても決してなれない色男を見せてくれた。

 

いま、あれほどの格好良さを演じられる俳優はいない。不世出のスターと評しても大袈裟ではないと思う。

 

ドラマ「ニューヨーク恋物語」で発したセリフを載せてみる。

 

「愛が欲しいのか? 愛が欲しいなら俺のところには来るな。 俺は愛を与えられるような人間じゃない」

 

皆様、あの音色を思い出して頭の中でそのシーンを甦らせてみてください。シビれます。こんなセリフを違和感なく言ってのける俳優はマサカズ以外にはいない。

 

やはり田村正和も教科書だった。高倉健という教科書もそうだが、結局、教科書ってちゃんと学んだつもりでも、なかなか身につかないものだ。今からでも復習して残りの人生に活かせるようにしたい。




 

 

2021年5月24日月曜日

大谷翔平のことが書きたい


弱小軟式野球部だったが、一応私は「投手出身」である。野球が好きな子供はまずピッチャーをやりたがる。自分が投げないとゲームが動かない。これが醍醐味。受け身ではなく能動的に野球を楽しめる感じがした。

 

ピッチャーにはピッチャーの練習がある。当然、バッティングは二の次だ。ピッチャーを任されるヤツはもともと野球が得意だから、打つほうもそこそこはこなせる。

 

でも、打撃を必死に練習しているヤツにはかなわない。ピッチャーは練習中はもちろん、試合の時は完全に投げることに集中してそのことばかり考えている。

 

弱小軟式野球部の子供だってそれが現実なのに、世界最高峰の野球の地で楽しそうにニコニコと二刀流をこなす大谷翔平は類い希なる超人だ。

 



 

野球が詳しくない人にはピンと来ないかもしれないが、サッカーのゴールキーパーがスーパーセーブをした後に、そのままドリブルで相手選手をすべて抜き去ってシュートを決めてくるような話である。

 

もっと分かりやすく言えば、ウサイン・ボルトがトラック競技だけでなく重量挙げでもメダルを取るような話だ。

 

もっと分かりやすく言うなら大阪ナオミが卓球でメダルを取るような話だと思う。

 

いわば、ボクシングの井上尚弥が大相撲の横綱を投げ飛ばすぐらい想像を絶するスゴさである。

 

どんどん例えが脱線しそうだからやめる。簡単に言うならアントニオ猪木がフィギュアスケートで活躍するぐらいの話である。

 

投げては160キロを超える剛速球、打ってはホームランを連発。それだけではない。走塁能力の高さも一流だ。

 

ホームランも剛速球も素晴らしいが、私がとにかく興奮したのがショートへの内野安打を二塁打にしてしまった走力とセンスだ。ぜひ動画で見て欲しい。

 https://www.youtube.com/watch?v=rheEKtG5XiA

 

こういう卓越した走塁を見せる選手は他にもいるが、たいていは小技がウリの選手だ。このプレーをした選手がホームラン数でメジャーリーグのトップに立ち、投げてはメジャートップレベルの三振奪取率をマークしているわけだ。

 

リアルタイムで彼の活躍を見られる時代に生きていて良かったと思う。大袈裟ではなくそれぐらいの存在だ。ベーブルースの記録と比較される選手だから文字通り100年に一人の逸材である。

 

その昔、日本のオールスター戦で、当時売り出し中のイチローがピッチャーに起用されたことがあった。パリーグの仰木監督が繰り出した一種のファンサービスだ。

 

バッターは松井秀喜である。球場は大いに盛り上がったが、対するセリーグの野村監督は松井を交代させ、ピッチャーが本職のヤクルト・高津を代打に送った。

 

ノムさんとしては、真剣勝負の場で日本を代表するバッターに対して外野手・イチローを投手として起用するのは失礼という哲学からの交代劇だった。

 

これまたYouTubeで見られます。

 https://www.youtube.com/watch?v=dgpgjhdGEwo

 

何が言いたいかはお分かりだろう。プロの世界では、ピッチャーと野手とはそのぐらい立ち位置が別である。両方を高いレベルでこなす選手は皆無だ。

 

打撃が得意なピッチャーももちろんいる。かの400勝投手・カネヤンは代打で出てきてホームランを打ったことが何度かあったらしい。それはそれで凄いが二刀流とは違う。

 

あくまでたまたまであり、チームの戦略に攻撃力として加味されることはない。だから「9番ピッチャー」という打順になる。

 

大谷は二番バッターだ。現在のアメリカ野球では2番に最強クラスの選手を置く。「2番ピッチャー」という現実がもはやマンガみたいである。

 

先週も2DHとして3試合連続でホームランをかっ飛ばした翌日に先発投手としてマウンドに立っていた。傑物ぶりにアメリカのメディアが「もはや称賛する言葉がない」と表現していたのももっともだろう。

 




 

バッティング、ピッチングともに立ち姿が美しい。あんな構えで打席に立たれたら対戦するピッチャーは自分が投げた球が大谷の打ちたい所に吸い込まれていくような恐怖を感じるはずだ。

 

ホームランバッターといえば、どちらかといえばガッチリ重量系の体型で俊敏さのイメージからは遠い。凡ゴロを打てば一塁に向かってドタドタと走っていく感じだ。

 

かたや大谷は凡ゴロを打っても、まるで忍者のようだったイチローばりに颯爽と一塁を駆け抜けて内野安打にしてしまう。野球の神様がいるとしたら大谷翔平は間違いなく神に愛された選手だと思う。

 

あれだけ身体を酷使しているから故障するのが心配だ。逆に故障しないのが不思議だと考えた方がいいかもしれない。

 

なんとかケガなくフルシーズン活躍して欲しい。そして願わくばオールスター戦で先発投手になり、先頭打者ホームランをかっ飛ばして欲しい。

 


 

  

2021年5月21日金曜日

高島屋カレー カキのパスタ


家メシの機会が増えたが、マメに料理するほど器用ではないので、出来合いのものやレトルト、もしくはウーバーイーツに頼ることが多い。

 

自分でやるのは米を炊くことと、肉を焼くこと、あとは麺を茹でるぐらいだ。世の中が便利になったからモノグサでも不便はない。

 

この10年ぐらいでレトルトはかなり進化した。劇的に変わったと言える。私も昔気質の人間だからレトルトを小馬鹿にしていたが、今では心を入れ替えた。

 

4年ほど前にレトルトカレーを熱く語った話を載せてみるので、興味のあるかたは覗いてください。

  

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/08/2.html

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/08/100.html

 

 

もちろん、安かろう悪かろうの世界だからナメてかかって安物を買うのは禁物だ。実はここが難しいポイントだ。

 

多くの人がレトルト食品にどこか差別意識を持っている。非常食みたいなもの、手抜きの時に使うもの、子供だまし等々、美味しさを求めるものではないという感覚がある。

 

だからつい安い値段のレトルトを買ってしまう。値段が高ければそれだけでパスしてしまう。これも一種の食わず嫌いだと思う。

 

100円ぐらいで買えるレトルトカレーがいっぱいあるのに、500円の商品が異質に思えるのも仕方ない。でも、その差こそがレトルトの悪いイメージを覆すポイントでもある。

 


 

最近試してみたのが「高島屋大食堂のビーフカレー」だ。やはり500円クラスの商品だが、昭和の高級カレーを彷彿とさせる大人向きの商品だ。

 

同じく復刻版をうたう「高島屋大食堂のハヤシライス」とともに食べ比べてみたのだが、断然、カレーのほうが美味しく感じた。

 

ハヤシは味が優しすぎるというか、パンチやコクが足りない印象。万人受けするとは思うが、口の中に幸せ感が広がるのはカレーのほうだった。

 



 

食い意地の張った私はカレーとハヤシを合い盛りにして食べてしまう。これだと一食1000円オーバーのコストになるが、ヘタなデリバリーを頼むよりは安い。外食が制限されている今のご時世ではこの程度の贅沢もオススメだ。

 

レトルトと言えばパスタソースも忘れてはならない。これまた少し高めの商品を買って自分好みの具材を追加したら一気にハッピーな一食になる。

 

免疫力アップを目指し、しょっちゅうカキのパスタを食べる私にとって、レトルトパスタソースは大事な相棒である。

 

カキやタコ、小エビなんかを大量に冷凍保存しているので、それらをソースに加えるだけで豪勢なパスタが簡単に出来上がる。

 




 

カキが主役なので、魚貝系クリームソースを使うことが多い。エビのトマトクリームソースやウニクリームソースなど、最近は小洒落たレトルトがいろいろあるので気分によって使い分ける。

 

パスタソース自体の味が強めだから、追加するカキや魚介類は加熱するだけ。調味料すら必要ない。

 

最近は早茹でのパスタを使う。標準茹で時間3分の商品なら2分も茹でれば充分だ。カキなどを追加したパスタソースをフライパンに用意しておき、茹でたてパスタを和えるだけ。

 

アッという間に出来上がる。まな板も包丁も使わず、鍋とフライパンと皿だけ。洗い物も簡単。ちゃっちゃか出来るわりには豪勢な一食を堪能した気分にもなる

 

カキは強壮作用もあることで知られる。とはいえ、12個ちょろっと食べてもきっと効き目はなさそうだ。元気になるために10個ぐらい一気に食べるにはパスタがオススメ。

 

 

 

 

2021年5月19日水曜日

酒抜きの食事 矢場とん ロイホ

酒の提供禁止ってそんなに意味あるのだろうか。昼時に混雑しているソバ屋や定食屋を見ると不思議な気がする。

 

あくまで感染対策は人が集まることを避けるのが目的だ。酒を出すかどうかはそんなに重要ではないだろう。

 

感染リスクでいえば、静かなオーセンティックバーと混んでるラーメン屋では、当然、前者のほうが危険度は低い。

 

でも前者は休業要請、後者は元気に営業中である。杓子定規に物事を決めることのバカらしさを痛感する。

 

夕方、飲食店に入っても大半の店はビール一本出さない。客が私一人だろうが扱いは同じ。何だかな~って感じである。

 

夕飯と晩酌が同義語みたいな大人にとっては実に不都合な日々だから「酒無しでも気にならない晩メシ」を鋭意研究中だ。

 

寿司や焼鳥、おでんなどは酒抜きではさすがにツラい。やはりラーメンや牛丼などファストフード系ぐらいしか思い浮かばない。

 

そんなことを考えながら思い付いたのがトンカツである。トンカツで飲むのも大いにアリだが、ご飯と合わせるのが王道だ。

 

普段はトンカツ屋さんでもアルコールは頼むが、ツマミっぽいものを頼まずに最初からしっかりご飯を食べれば逃げ切れそうだ。

 

というわけで、職場から歩いて帰る際に銀座一丁目の「矢場とん」に寄ってみた。名古屋名物みそかつの老舗だ。

 



 

普通ならトンカツの前に土手煮や小ぶりの串カツをツマミにビールや焼酎を楽しみたいが、今回はトンカツ一本勝負である。一番デカい「わらじとんかつかつ」を注文。

 

半分はお店自慢の味噌ダレ、半分はソースにしてもらった。みそかつ専門店といえども私はソースマンだからこのほうが有難い。

 

みそかつ自体がご飯と合わせたくなる味だから、食べ始めてしまえば手元にビールが無いことも気にならなかった。酒のカロリーが無い分、当然のようにご飯をオカワリ。摂取カロリー的にはビミョーである。

 

別な日、ファミレスの名門?であるロイヤルホストに行く機会があった。先入観のせいか、ファミレスも酒無しでも我慢できる印象がある。

 

家庭人だった頃、クルマに子供達を乗せて出かけた先がファミレスだったから、アルコール抜きの食事に抵抗がないのだろう。

 



 

シャレたイタリア料理屋での画像みたいだ。ウニとイクラのパスタである。ファミレスをあなどってはいけない。かなり美味しかった。

 

東京ではここ10年ぐらいの間にステーキ専門店が増えた印象がある。妙に高い値付けの店もあるが、個人的にはステーキは気軽にガッツリかぶりつきたい。

 

エイジングだ、熟成だ、A5がどうしたこうしたと言われるよりも「普通のステーキ」を何も考えずに黙々と食べるほうが好きだ。

 



 

アンガスサーロインステーキの450グラムである。4千円オーバーの値付けだからファミレスとしては高級品だ。でも成形肉を使った安いステーキを食べるぐらいならこっちのほうが正解だろう。

 

そもそも私にとってステーキといえば小学生の頃の思い出の一品だ。家族で出かけた六本木の「チャコ」というステーキ屋さんで食べるのが基本だった。

 

当時は今のようにファミレスがあちこちにある時代ではなかったし、外食自体がいまほど手軽ではなかった。ステーキといえばチャコという方程式が今になっても私の固定観念になっている。

 

10年ほど前に惜しくも閉店してしまった。良い意味で噛み応えがある肉がウマかった。昭和ニッポンを象徴するような重厚感のある無骨なステーキ屋さんだった。

 

小学生の頃といえばもう40年以上前の話だ。祖父が大食いの私を面白がって1キロのステーキを食べさせてくれた。ライスも三皿食べた。何とものどかで幸せな時間だった。

 

そして今、自分がすっかり熟成肉みたいになってしまったわけだが、さすがにこの歳になるとロイホの450グラムのステーキでもキツい。脂の部分を除けても全部食べきるのは大変だ。悲しい現実である。

 

まあ、あれから40年以上、1日も休むことなく胃袋は働いているわけだから、それなりに劣化するのも当然だ。

 

なんだかよく分からない話になってしまった。

 

結論。子供の頃はアルコール抜きで食事するのが普通だったわけだから、子供になった気分で今のヘンテコな外食事情を乗りきりたいと思う。




2021年5月17日月曜日

眠りの質を考える

 人生の3分の1は寝ている時間だ。3分の1と考えると凄い。一流バッターがヒットを打つぐらいの確率で寝ているわけだ。寝てばかりである。

 

眠りの質はつくづく大事だと思う。私も寝る前にムーディーな?灯りで静かな音楽を流し、ラベンダースプレーを枕付近にシュッと吹きかけて穏やかに眠れるように奮闘している。

 

寝具も大事だ。私の娘がまだ大学生のくせに毎朝腰や肩が痛いと言っていたので、結構高いマットレスをプレゼントしたら一気に改善したらしい。

 

実に素晴らしい父親ぶりである。

 

話がそれた。

 

マットレスや枕が眠りの質に重要なのは言うまでもない。私が使っているマットレスは8年ぐらい前に結構こだわって買ったものだが、今でもヘタらずに快適だ。

 



 

問題は枕である。私は慢性的に枕難民みたいなところがあって、良さそうな枕を見つけるとすぐに欲しくなる。

 

とはいえ、合うか合わないかは個人差が大きいし、バッチリだと思った枕でも一定期間使っていると気に入らなくなることもある。

 

もっと言えば、その日その日の体調や気分でシックリくる枕が変わることもある。神経質なのかも知れないが、気になり出すと気になるのが枕だ。

 



 

だから良さそうな枕を見つけても何万円もするような高級品は避けて、せいぜい5千円前後の枕を買う。結果、安易に買っちゃうから我が家の納戸は枕で溢れることになる。

 

枕のポイントは高さと硬さだ。好みは人それぞれだが、私は「かなり高めでまあまあ硬めで横向きに適した枕」が絶対条件だ。

 

良い感じの枕が手に入っても高さが少し足りずに納戸行きになるケースが多いのだが、先日、高さ調節シートなる商品を見つけた。

 

低めの枕でも枕カバーの中に一緒に入れれば済む。おかげで放置されていたいくつもの枕が甦る結果となった。

 




 

持っている枕の中には、あらかじめ枕の中でシートがいくつかに分かれてセットされ高さ調節が可能なものもある。

 

引っこ抜いたり、足してみたりと、手持ちの枕を分解?しながらアレコレとアレンジするのが今の私の密かな楽しみになっている。

 

枕カバーやシーツ、布団カバーにもついついこだわりたくなる。寒い時期は、マイクロファイバー生地などの触り心地がウットリするトロトロ素材を愛用していた。

 

さすがに5月にもなれば暑苦しくて仕方ないので、今シーズンもアレコレとこれからの季節に良さそうな商品を買っている。

 

ニット系のサラサラ素材を中心にAmazonでポチポチしまくっている。それぞれの単価はたいしたことないのだが、相変わらず買い過ぎるせいで結構散財している。

 



 

単なる凝り性なのか、はたまた諸々のストレスのせいで買い物依存症になっているのか、何ともビミョーである。

 

50代も半ばともなれば、江戸時代ならご隠居さんを通り越してそろそろあの世への旅支度をするような年齢である。

 

なのに、必死になって枕カバーの善し悪しに一喜一憂しているわけだから何とも平和である。

 

なんだかんだ書いてきたが、ついおろそかにしがちな眠りの質に気を配ることは大事だ。趣味として極めるのも楽しいかもしれない。

 

 

 

2021年5月14日金曜日

見栄の話

 「シーザーサラダください。ドレッシングはサウザンでね」。大昔の恥ずかしい失敗談である。

 

シーザーサラダなど知らなかった若造が知ったかぶって恥をかいたわけだ。若い頃はそんな経験が随分ある。

 

「きたより貝を握ってください」

「エッ?ホッキのことかい?」

 

そんな恥もかいてきた。知ったかぶりは見栄を張りたい心理の表れだ。見栄を張ること自体は悪いことではないが、ピントが外れるとカッチョ悪い。

 

誰だって自分を良く見せたいのは当たり前だ。適度な見栄は本能的な行動である。


ゴリラが立ち上がって胸をポンポコ叩いて強そうに見せるのも一種の見栄みたいなものだ。

 

見栄を張ることと自慢話は違う。自慢話はヤボの極みだが、見栄っ張りはちょっと可愛げがある。一種の自己満足の世界だし、時にはイキにもなる。

 

財布が寂しいのに気前よくおごったり、薄くなってきた髪をドライヤーでふくらますのも見栄、パンツが見えそうなミニスカ女子からあえて目をそらすのだって一種の見栄である。



 


いわば痩せ我慢みたいな心理が根底にあるわけだ。「ダテの薄着」だって見栄だし、ビュッフェの料理を取り過ぎないように気取るのも見栄、体重を少しばかり少なく言っちゃうのも見栄だ。

 

女性を連れてバーに行った際、私が決まって頼むのがウイスキーのロックだ。甘いカクテルを飲みたくても我慢する。実にくだらない見栄であり痩せ我慢だ。

 

でも、そんなこだわりが男には必要だろう。マクドナルドでポテトのSサイズは頼まないような精神性が男にとって大事だと思う。

 

バカみたいだと言われればそれまでだが、男として生きている以上、時にはバカみたいなことを頑張るのは極めて正常なことだ。

 

エイベックスの会長らしき人がツイッターだかインスタの“裏アカ”に書き込んでいた内容が表に出ちゃって不評を買ったそうだ。

 

確かに金満ぶりの自慢話に溢れていて、なかなかエグい内容だった。見栄を張る必要もないレベルになると自慢話も歪んでしまうのだろうか。

 

ブログのタイトル通り富豪になりたいと願っている私だが、チマチマと見栄を張っている程度だから可愛いものである。

 

仮にこれから大富豪になっても品の無い自慢は絶対に避けたい。まあそんな日が来ることはあり得ないだろうからブツブツ言っても始まらない。

 

ヘンテコな自慢をする人にも困る。ピントがズレた自慢話は聞かされる側も迷惑する。

 

「最近モテちゃってしょうがないんだよ」ぐらいならカワイイが「オレの友達のオヤジの親戚が菅総理なんだぜ」とか、「オレの知り合いに要潤の元カノがいるぞ」とか言われるとどう対応していいか困る。

 

“忙しい自慢”も厄介だ。「最近寝てないんだよ」「最近ロクにメシも食えてないんだよ」などと遠い目をして言われると、ナゼそんな人が今ここにいるのかと突っ込みたくなる。

 

「そりゃあアナタの能力が低いからだろう」。聞かされる側はそう思うわけだが、さすがにそうは言えない。

 

不健康自慢も同じだ。「最近、ガンマGTP300になっちゃって参ったぜ」「血圧はいつも180ぐらいだよ」などと勝ち誇ったように言う人がいる。

 

イキな人はちょっとした体調不良などは人様に言わない。それこそ痩せ我慢という見栄を発動して涼しい顔をすべきだろう。

 

いや、やっぱり今はコロナ禍のご時世だから発熱や倦怠感なんかを隠したままで涼しい顔されたらマズい。そっちは正直に、かつ大袈裟ぐらいに言ってもらった方がいいかもしれない。

 

なんだかよく分からない話になってしまった。

2021年5月12日水曜日

珈琲の香り



 

コーヒーの香りって実に素晴らしい。何を今更という感じだが、最近つくづくそんなことを思う。

 

もともとは紅茶のほうが好きだったのだが、最近は割とコーヒーを飲む機会が多い。

 

正直、味は紅茶のほうが好きだ。コーヒーを飲む際もカプチーノだカフェモカだと邪道系?を飲むことが多い。

 

職場の近くのプロントにはテラス席があってタバコが吸える。私にとって憩いの空間である。真冬だろうと真夏だろうと外の席でプカプカしながらコーヒータイムを楽しむ。

 



 

今ではすっかり定番になったのがプラスチック容器だ。小さな吸い口から飲むアレである。

 

もう15年ぐらい前だったか、仕事の関係で3人ぐらいのオッサンとこういう容器でコーヒーを出す店に入った。

 

容器に馴染みのなかった私は小さな吸い口から飲むのがイヤで、フタを外して普通のコップのようにして飲み始めた。

 

すると、一緒にいたオッサン達が私に合わせなきゃいけないと思ったらしく、一斉にフタを外して飲み始めた。

 

オッサン4人がナゼかフタを外して飲んでいる光景は周りの人から見ればヘンテコだっただろう。フタ付き容器がすっかり主流になった今では考えられない話だ。

 

最近はコロナのせいもあって、出勤時間がゆっくりになった。重役出勤である。ウーバーは朝からでも頼めるので、平日の朝でもスタバのラテなんかを注文してノンビリ楽しむ。

 



 

コーヒーが目当てと言うより朝食用にアレコレ注文するのが楽しい。「あらびきソーセージ&スクランブルエッグイングリッシュマフィン」が最近のお気に入りだ。

 

朝マックのマフィンより確実に美味しい。それとドーナッツを2種類ほど注文して食べ散らかしながらコーヒーを飲む。

 

朝からラーメン2玉や牛丼特盛りを平気で食べていた頃には考えられない可愛い?食事量である。これも加齢の証だろう。

 

別な日、やはりウーバーでベローチェの「黒糖オーレ」を注文した。黒糖系のコーヒーは上島珈琲の黒糖ミルクコーヒーを飲んでから大好きになった。

 

本格的なコーヒーより邪道系が好みの人ならきっと好きになるはずだ。甘さが優しい点が気に入っている。

 



 

上島珈琲の黒糖シロップは市販もされている。我が家にあるドルチェグストでコーヒーを飲む際は、甘さが欲しいときはこのシロップを追加投入している。

 

この時もコーヒーついでに「とろーりチーズ&ハムトーストサンド」やそのほかにもいくつかサンドイッチを注文した。

 



 

運良く注文から15分もしないうちに届いたのでトーストサンドは熱々だったし、ピーナツバターサンドは素朴でベタだけど妙に美味しかった。

 

それにしてもエンゲル係数を気にしない生活は我ながら問題だと思う。コロナのせいですっかり外食が減ったから、外食に比べれば大したことないと思ってついデリバリーに頼ってしまう。

 

朝食なんて卵かけご飯でも食べていれば低コストでヘルシーである。賞味期限が切れた生卵を捨てるたびに痛感する。

 

いつも反省しているような書きぶりだが、結局は中毒のようにウーバーのアプリをポチっとしてしまう日々だ。

 

 

2021年5月10日月曜日

ダメ人間、食い散らかし

 デリバリーの食事の問題は「贅沢食い」だと思う。昭和人の矜持?として一人前の注文を出前してもらうのは悪いという思い込みのせいで、ついつい多めに頼んでしまう。

 

それ以前にいろいろなものをちょこちょこ食べたいワガママのせいで、確信犯的に結構な量を残してしまう。

 

飽食の時代とはいえ間違いなく罰当たりな食べ方だ。こんな悪習慣は私だけかもしれない。

 

 

サムライマックとやらをCМで見て食べたくなった。それだけ頼めばいいのに、つい習慣でビッグマックとフィレオフィッシュも頼む。

 

さすがに全部食べたら小錦みたいな体系になる。仕方なくパンを残して中身中心に荒々しく食べる。

 

一人暮らしのステイホームならではのシャバダバな食べ方だ。誰かに見られたらさすが軽蔑される。

 

とか言いながらここに書いてしまうのだから読んでいる皆様から軽蔑されてしまうわけだ。

 



 

残骸である。ヒドいものだ。子供の頃の食事の際は茶碗に米が一粒でも残っていたら厳しく叱られる家庭で育ったのに、ウン十年も経ったらこのありさまである。

 

別な日、自分好みの寿司飯が無性に食べたくなったので久しぶりにお気に入りの寿司酢をやたらと硬く炊いたコメと合わせてみた。

 




 

規定量より2割ほど多めに寿司酢を使う。粒立ったコメと混ざり合って最高の仕上がりである。

 

私はこの寿司酢が昔から大好きで、寿司飯だけでも醤油を垂らせば一合ぐらいはペロッと食べられる。

 

おかず無しで醤油だけではあまりに悲しいので、この時もまたウーバーイーツを利用する。

 

徒歩圏内に上質な刺身を置いてあるスーパーが無いから、近隣のお寿司屋さんで刺身盛り合わせと、ナゼか握りも一人前頼んだ。

 



 

何とも麗しい眺めである。普段、お寿司屋さんに行くとツマミ中心で寿司飯をしっかり食べることが少ない。自宅だとその逆である。主役は寿司飯だ。

 

缶ビールや缶チューハイをお供にひとり黙々と寿司飯を味わう。デリバリーの握りのシャリだけを少し味見したが、やはり我がスペシャル寿司飯に比べたら問題外である。

 

で、握りのほうに乗っかっていたネタを剥がして自家製寿司飯のお供にする。鉄火巻きの中身だって箸で突ついて取り出す。

 



 

これまた罰当たりの極みみたいな残骸が残ってしまった。

 

一応、残したシャリは醤油をまぶして焼きおにぎりにしようとか、鮭フレークと柴漬けの細切れを入れて和風チャーハンを作ろうなどと考えてみた。

 

でも酔っぱらったし満腹だし、とりあえず冷蔵庫にしまったまま忘れてしまい、結局後日捨てるハメになった。反省だ。

 

「足るを知る」。私が好きな言葉なのだが、ことデリバリーとなると足りないのがイヤで頼みすぎる。

 

人様には見せられない姿だ。

 

 

 

 

2021年5月7日金曜日

謎の国

出かけるな 仕事したけりゃ家でやれ 酒を出す店は休業しろ それ以外の飲食店も夜8時には閉めろ 大型商業施設は休め デパートも閉めろ 大型イベントは無観客でやれ 学校の部活もやめろ ついでだから灯りも消せ

 

緊急事態宣言による規制だ。5月11日までの予定だったが、当初から予想されていた通り今月いっぱいまで延期される。日程判断のいい加減さだけが際立った格好だ。

 

そもそも、まん延防止措置とやらは何だったのか、緊急事態宣言も出したり引っ込めたり迷走を続けている。

 

一方でワクチン接種は遅々として進まず世界でビリ争いをするお粗末ぶり。国はこの1年以上いったい何をしていたのだろう。

 

というか、何もしていない。1年前と何かが変わったか。変わっていない。医療崩壊の恐れという言葉はずっと継続したまま。

 

もちろん、ウイルスの流行自体は天災だから国を責めても始まらない。とはいえ、諸々の施策については政治の責任は重い。失政だ。

 

リーダーシップはまったく見えず、すべてが後手後手。ワクチン問題は純粋に外交の失敗。


いまも各空港での水際対策はユルユルみたいだし、感染力が増した変異株の感染者が増えようが新たな対策は無し。


聞くところによると、入院した軽症感染者を退院させる段取りも今は日数基準だけでPCR検査は省略しているそうだ。しつこい特徴がある変異株に関しても同じ。大丈夫なんだろうか。


公式には絶対認めるはずはないが、国の狙いは高齢者を中心に一定の犠牲を見越した上で数年かけて集団免疫を獲得することなのかもしれない。そう考えたほうが何かと辻褄が合う。

 

それにしても、技術立国だ科学立国だと叫んでいた割には国産ワクチンの話はまったく出ないし、治療薬の開発で日本がリードしているという話も無い。

 

未知のウイルスだから仕方がないー。どことなくすべてそんな諦めムードに誘導されている気がする。

 

リーダーとやらが口にするのは「バーベキューもやめろ、キャンプもやめろ、公園に集まるのもやめろ」とか縛り付けることばかり。

 

最近ではかつての戦時中の怪しげな扇動キャンペーンになぞらえた批判の声が高まってきた。

 

確かに灯りを消せなどという“指導”は“やってる感”のためだけのヘンテコな話だ。

 

戦時中の灯火管制を連想させるという批判も当然だ。暗くするとウイルスが弱まるはずもなく、もはや単なる扇動だろう。

 

酒類提供禁止という話もずいぶんと強引だ。人流を抑えるのが大事なことは当然だが、禁酒法みたいなノリで世の中を抑え込むことは乱暴に過ぎる。

 

「贅沢は敵だ」という戦時中のスローガンのように、そのうち「楽しいことはすべて我慢しろ」とでも言い出しかねない状況だ。

 

クドいようだが、いま国が国民に要求していることは、人と集まるな、声を出すな、移動をするな、じっとしてろという内容だ。

 

ふむふむ、確かにそれが厳守されれば感染者数は激減するのだろう。きっとそうなんだろう。

 

で、その一方で2か月後にオリンピックはやるそうだ。もはや「謎」としか言いようがない。まさに支離滅裂。

 

このご時世に世界中から10万単位の人がやってくる。国民には家でじっとしてろと言いながら世界中から人を招くわけだ。

 

国民に求めていることとの整合性がまるで取れない。開催すべき、すべきでないと議論する以前の問題だろう。

 

歴史に残るほどの謎めいた話だと思う。