2015年8月31日月曜日

ナマでいっちゃう?


今週から9月である。秋の到来だ。松茸にサンマにイクラの季節である。

秋味といえば、今ではすっかりビールの銘柄イメージになったが、元々は鮭を意味する言葉である。

秋の川に戻ってくる鮭の使命は、日本人にイクラを提供することである。

冷凍技術、保存技術の進歩によって1年中うまいイクラがドッサリ食べられるが、ナマのイクラはこの時期だけのスペシャルな一品である。



ナマだから味はさほど強くない。醬油をチョロッと落として味わうと生卵かけご飯のアノ生卵風味そのものである。

かつて有名作家が、どっかの店のシンコを食べないと私の夏は終わらないというカッチョいいセリフを広めたが、私に言わせれば「ナマのイクラが俺の夏を終わらせる」って感じである。

ところがところがである。私にとっては意外なのだが、ナマのイクラより「普通のイクラ」のほうが好きな人が結構多い。

人の好みはそれぞれだが、やはり、味付けイクラに慣れ親しんでいると、そっちが味覚の基準になるということだろう。

イマドキのカップ焼きそばより昔からのペヤングのほうが美味しく感じるのと同様だ。

どんなにファンタスティックでやたらとオシャレで解読不明な名前のスパゲッティが世の中に溢れても、昔ながらの喫茶店風ナポリタンが各地で熱く支持されているのと同じである。

話がそれた。イクラだ。

中にはいつのまにかイクラの味付けの定番になった醬油漬けではなく、昭和の東京を思いだすような塩漬けイクラじゃなきゃ食べないと言い張るツワモノもいる。

それはそれで一つの見識であり、説得力のあるこだわりだと思う。なんでもかんでも美味しそうに食べることは素敵なことだが、物語性を感じさせる独自の好みを確立しているほうがカッコイイと思う。

こんなくだらないことをアーダコーダ言うのが「ウンチクオジサマ同盟」組合員としての私の悪いクセである。

さてさて「ナマか、非ナマか」である。エッチな話を書いているわけではない。そっち方面は議論せずに結論が出る話である。

流通事情などが進歩したせいで、日本中どこでも「ナマ」が大手を振ってエバっている。サンマの刺身などその代表格だろう。


ほんの10年程度だと思う。それ以前はサンマやイワシを刺身で食べることは考えられなかった。今では安い居酒屋でも普通に用意されている。

で、アマノジャクぶりを発揮して声を大にして言いたいのだが、サンマは刺身より塩焼きのほうがウマい。ナマなら何でもエラいみたいな風潮はいかがなものか。

サンマは塩焼きだ。刺身なんかじゃ魅惑的なワタは捨てられちゃう。塩焼きの時のワタの味こそサンマである。

イワシだってそうだ。火が入ったほうが格段にアイツの素敵な感じが強調されると思う。

ちなみにツブ貝は火が入るよりもナマがウマい、ホッキ貝は逆にナマより火が入ったほうが甘さが増してウマい。

貝に関するそんなこだわりなら声を大にして主張する気はない。反論にも真摯に耳を傾ける。でも、サンマに関してだけは断固として塩焼き絶対支持である。

ウナギだって穴子だって、食べようと思えば今時は刺身も簡単に食べられる。私自身、何度か食べたが、どう逆立ちしたって刺身より普通の食べ方のほうがウマい。

サンマの刺身をジックリ眺めてみたのだが、なんだかアレは見た目の色合いのせいか「アジのたたき」にインスパイア?された間違った食べ方なんじゃなかろうか。

塩焼きサンマをまるごとガッついて感激するたびにそう思う。刺身で提供されるためにワタをどかされちゃった淋しげな姿が気の毒に見えてしまう。

サンマの刺身ファンの皆様、好き勝手なことを書いてゴメンナサイ。

2015年8月28日金曜日

林修に感服


「いつやるの?いまでしょ!」の決めゼリフで一躍時の人となった林修さん。その後も一発屋として消えることなく、いまや「池上さんか林先生か」みたいな人気者だ。

テレビ番組では、単なる東大卒の秀才ではなく、硬軟さまざまなジャンルに精通した博識オジサンとして活躍している。

なぜ、林先生ネタを書き始めたかというと、先日読んでみた彼の本にやたらと感心したからだ。


「すし、うなぎ、てんぷら~林修が語る食の美学~」という本がそれ。

林先生の本だからというより、私が大好きな寿司やウナギの話を手軽に楽しめそうだと思って読み始めたのだが、著者の見識、文章力、洞察力にただただ感服してしまった。

あの人はホンモノの「プロフェッショナルな客」である。

有名人になったのはここ2~3年の話だ。それ以前は予備校講師である。食関係の仕事をしていたわけでもない。

にもかかわらず、「すし、うなぎ、てんぷら」それぞれの名店に若い頃から長年通い続けており、この本では、それぞれの店主のワザや心意気を実に上手に引き出している。

素人としてアレコレ尋ねるというより、モノがわかったプロの客として作り手に核心的なことを尋ねている感じだ。

この人、学生時代にはバイト代が入れば、若造には敷居が高いような名店にいそいそ出かけて無理をしてでもウマいモノを食べてきたそうだ。

漫然と食べてきたというより、「客として真剣に店と向き合い、真摯に闘ってきた」と表現したほうが的確だろう。本の中にも随所にそう思わせるエピソードが散りばめられている。

素直に面白かった。

ついでにいえば、ここ数年の自分の「客としてのフヌケた感じ」を反省する気分になった。

林先生は私と同じ年である。私と同じ年であそこまで貪欲に「食」を追求しようとする姿勢に感心した。見習わないといけない。

30代中盤から40代前半ぐらいまでの私は結構いろんな店と向き合って、「食」のアレコレを吸収しようと一生懸命になっていた。

それこそ真摯に闘うような感覚だった。変な例えだが、道場破りみたいに肩に力を入れて敷居の高そうな店にも出かけた。

居ずまい、物腰なんかにも気を配り、少しでも「わかっている客」になろうと努力した。

バカみたいと言われちゃうとそれまでだが、少なくともああいう時間を過ごしたことは無駄ではない。大げさに言えば男の修行みたいなものだった。

そういう時間に無縁だった人よりは何かが豊かになったはずだと勝手に思い込んでいる。

背伸びして、無理をして、頑張っちゃうことは、何事においても大事である。若いうちなら尚更だ。滑稽なほど背伸びしちゃうのが若さの特権だと思う。そこから得るものはたくさんある。

お寿司屋さんや料理屋さんを相手に、背伸びして道場破り的な行動ばかりしていた頃、常に返り討ちにあって様々なことを学んだ。恥もかいたし、悔しいような思いもした。

そして、さまざまなことを知った。いろんな「正解」があることも知った。食の嗜好は人それぞれ。店に求めることだって十人十色だ。決めつけちゃうことは愚かしさと同義語である。たかが店選び、されど店選びである。

その後、40代も半ばぐらいになり、“道場破り的な頑張り”に疲れてしまったようで、ノホホンと過ごせる店ばかりに足が向くようになった。

それはそれで自分としては快適だが、考えてみれば一種の堕落ともいえる。気軽にワガママが言える店ばかりに通ってしまう。チャレンジ精神という意味では失格だ。

これまた例えは変だが、井の中の蛙みたいなものである。まだまだ大海に背を向けて小さくまとまっている年齢ではない。

てんぷらはあまり食べないが、「すし、うなぎ」に関しては、ついつい自分が快適に過ごせる店ばかり選んでいる。

もちろん、それらの店がどうこうという意味ではない。「緊張感の中に身を置かずにフヌけた感じで過ごす自分」がちょっと問題だという意味である。

ついでにいえば、なんだか最近はすっかり大衆酒場ファンになってホッピーを飲みまくってゲップばかりしている。


大衆酒場が悪いという趣旨ではない。大衆酒場の魅力は捨てがたい。「ハムカツと黒ホッピー」の組み合わせは、冷静にみても世界に通用するウマさだと思う。

これも結局、凜とした空気の中で店と客との一騎打ちに挑むような場面を避けている意味で私自身の近年のズボラな感じを象徴しているのだろう。

楽なほう、気軽なほうばかりに行ってしまうのが人間の本能だ。でも、そこでちょこっと踏ん張ってヤセ我慢したり、背伸びしないと「ひとかどの紳士」?にはなれないと思う。

何を目指しているかよく分からないが、もう一踏ん張り頑張ってみようと思う。そう思えただけで、林先生の本を読んだ甲斐があった。

2015年8月26日水曜日

酔っ払いの会話


酔っ払いの無駄話ほどバカげたものはない。でも本人は楽しいんだからタチが悪い。

異常なまでに一貫性を欠き、まるで脈略の無いことをダラダラとしゃべっている。

先日も調子よく熱い会話を交わしたのだが、珍しく話の内容を鮮明に覚えていたので、概要を書き起こしてみようと思う。

現在放送中のドラマの話があらぬ方向に飛んでいってしまう実録?である。手前ミソで面白い話ではないが、一応、普段のブログと同様に雑感調で書き殴ってみる。


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「恋仲」という連ドラになぜかハマっている。ヘタすれば自分の息子や娘でもおかしくない年頃の男女の色恋モノだ。


主演は「あまちゃん」の「種市先輩」である。私からすれば「高校を出たばかりのあんちゃん」にしか見えない。

そんな年齢層の恋愛ドラマにハマった理由を考えていたら、切ない場面のたびに流れる主題歌のサビのメロディーラインに影響されていることに気付いた。

で、主題歌を歌っているのは誰か。「家入レオ」という人だった。

若い女の子である。実力派シンガーらしい。でも「レオ」である。大人は誰しもレオと聞けば「森本レオ」を連想する。

「森本レオ」の親戚だろうか。

森本レオといえば、「水沢アキ」である。画像はネットでパクリました。スイマセン。


昭和のノンビリした時代のアイドルだ。その後、思い出したように芸能メディアに話題を提供していたのが水沢アキである。

森本レオにハレンチなことをされたという衝撃の過去話を赤裸々に明かした水沢アキ。世の男性達はこぞってエロい妄想にふけった。

そして誰もが「森本レオ、ああ見えてなかなかやるな~」と思った事件である。

さて、水沢アキといえば「ジェフ」である。

いつだったか、やはり突然、水沢アキがマスコミにネタを提供。ジェフという白人の二枚目青年と結婚するという。

当時、まだ白人のイケメンと出来ちゃうという展開は珍しかった。松田聖子や浜崎あゆみの大先輩になる。さすが水沢アキ。

いや、まてよ、「ジェフ」ってマラソンの有森裕子選手の結婚相手じゃなかったか。

なんだか同性愛疑惑で、これまた芸能マスコミを騒がせた白人の夫がいたのだが、彼の名前が「ジェフ」じゃなかったか。いや、あれは違う。そうだ、あっちは「ガブ」だった。

ジェフとかガブとか、白人がらみでネタがワイドショーを騒がすたびにリポーターの梨本さん達はアメリカのロスあたりに突撃していた。

梨本さんは、確か太りすぎで死にかけて脂肪吸引で大幅に体重を減らしたことがあった。脂肪吸引。いつかやってみたいものである。

ロスといえばロス疑惑の「三浦さん」である。


三浦さんといえば、昭和の後半、世の中が狂乱のバブルに向かう少し前の「日本のアイコン」だった。

青年実業家という妙な言葉が生まれたのもあの頃だ。そんな「ミョーな存在」を体現していたのが三浦さんだった。

「背広にネクタイで会社勤め」するのがホワイトカラーの約束事だった時代に、ペイズリーのラフなシャツに小粋にショルダーバッグをさげて歩く「三浦社長」はどことなくオシャレな存在として社会が注目した。

三浦さんをきっかけに「ハンティングワールド」というブランドは一気に日本人の間に浸透した。

三浦さんの会社の名前も「横文字ならカッチョいい」という時代の空気にピッタリで、気付けば三浦さんはある種のファッションリーダーとして機能していた。

あの頃、ただの一民間人であり、その時点で容疑者でも何でもない一般人である三浦さんをあそこまでイジり倒したメディアは、その後、三浦さんに起こされた訴訟でことごとく敗れることになる。

メディアスクラム、個人情報といった言葉は、あの頃には存在しなかった。その後の時代を変える事件だったと思う。

さて、三浦さんといえば「良枝夫人」である。連日連夜マスコミが押し寄せ一挙手一投足が注目された三浦さんだが、マスコミの追及は「良枝夫人」にも及んだ。

エキゾチックな顔立ちの美人で、これまたマスコミは放っておかない。「良枝さんファン」を自認する人が増えたことを覚えている。



こんな流れである。

「福士蒼汰」、「家入レオ」、「森本レオ」、「水沢アキ」、「ジェフやガブ」、「梨本さん」、「三浦さん」、「良枝夫人」。

「福士蒼汰」と「良枝夫人」がつながるのが酔っ払いの会話である。文字にしてみると実に不毛である。生産性のカケラも無い。私と酒を飲むと、おそらくこんな話をダラダラと聞かされるわけである。

バカみたいな話を読んでいただいて恐縮です。巻き添えにしてしまった皆様には心よりお詫びいたします。

2015年8月24日月曜日

ウニの旅

稚内方面の夏といえばウニである。他にもいろいろあるが、何といってもウニだ。

今回の旅はウニざんまいだった。ウニの気分じゃなくてもウニを必ず注文していた。こういう感覚が我ながらアホみたいだと思う。

「ウマい魚は東京に在り」。突き詰めるとそれが真実である。流通大革命によって大消費地・東京に売れるものはすべて集まる。

海産物しかり。サンマの刺身が普通に食べられるぐらいだから、ウニだってツブ貝だってホタテだって何でもかんでも新鮮かつ上等な品は東京にやってくる。

若い頃は、旅先で食べるその土地ならではの海産物に興奮したが、いま、あの感覚は味わえない。

私の舌が肥えたというより、流通が原因だろう。とても有難いし、便利だが、旅情は薄くなった。




さてウニである。稚内では、ムラサキウニ、バフンウニそれぞれを楽しませる店が多かった。ウニ刺しを注文してもドカ盛りで出てくるような店はダメである。値が張るくせにチョット盛りで出てくるぐらいが正しい姿だ。

さすがに生モノである。安かろう悪かろうの世界だ。良いウニが安いわけないのだから、それなりに散財は覚悟しなければならない。

評判の良い店、流行っている店であれば、ウニは間違いなくウマい。そんな信念で3日間を過ごしたからウニに関しては外さずに済んだ。



酒のアテとして初体験だったのが「タラの卵の醬油漬け」だ。「車屋源氏」という店の自信作らしい。魚卵系珍味好きな私にとっては天国みたいな一品だった。

この店では稚内名物である「タコしゃぶ」も食べた。ミズダコを凍らせて薄くスライスして、ほんの5秒ほどしゃぶしゃぶして味わう。タコはタコの味だったが特製のタレが甘じょっぱくてウマかった。

珍味といえば、やはり「カニの内子」が北海道の代表選手だろう。私の大好物であるイバラガニの内子はどんどん希少化しているが、紫色のニクいヤツであるタラバの内子は大丈夫みたいだ。稚内の海産物土産店でも普通に瓶詰めが売られていたので妙に嬉しかった。


この画像は「竹ちゃん」という人気の海鮮料理屋で筋子と塩辛と並べてニタニタしていた時のものだ。

それ以外にウニ刺しやホヤの塩辛などをアテに冷酒や焼酎をグビグビ。至福の時間だった。


「ホッケメンチカツ」なるものがメニューにあったので迷わず注文してみた。以前、東京の下町・巣鴨の大衆酒場で出会った「イカメンチ」がやたらとウマかったから、勝手に大興奮して食べてみたのだが、これはイマイチだった。残念である。

その代わりに大満足だったのが「ハッカクの軍艦焼き」である。北海道ではポピュラーなヘンテコ顔の魚だが、今までは塩焼きしか食べたことがなかった。

ネギ味噌を塗って焼き上げる食べ方が北海道では定番らしく、今回初めて体験。脂身のある白身と味噌の相性が抜群だった。これはクセになりそうだ。


魚貝以外では大失敗ラーメンも食べた。宗谷岬でのこと。

思い起こすこと30年前、宗谷岬に初めて行った時、薄ら寒い季節だったので何となく入ってみたラーメン屋でホタテ入りのラーメンに感激した。

で、懐かしき想い出を甦らそうと当時のラーメン屋を探した。

無理である。30年前のことなど細かく覚えておらず、周辺の景色さえも一切記憶にない。

外まで行列が出来るほど繁盛しているラーメン屋があったのだが、列に並ぶのが何より苦手な私は迷わずにガラガラの怪しい食堂に入ってみた。

この時点で負けである。


ホタテラーメン登場。800円である。アサリみたいなサイズのホタテがちょろんと載っている。ビミョーな感じだ。

感激したこと、嬉しかったことの記憶は年月とともに美化される。私の脳裏に浮かんでいたのは30年美化され続けた昔のホタテラーメンのゴージャスな姿である。現実とのギャップにたじろぐ。

今回のラーメンは化学調味料と塩分がやたらと過剰に投入されている物凄く力強い?味だった。完敗である。

やはり夏の稚内では余計なことを考えずにウニを食べているのが一番幸せである。

ということで、帰京する日の朝までウニである。正直、朝からウニの気分ではなく、今回一度も食べていなかったホッケを食べようと「うろこ亭」なる水産会社直営の店に出かけた。

うまそうなシマホッケがあるらしい。ゴージャスな朝御飯が楽しめそうだ。しかし、メニューをじっくり眺めていたら、どうにもウニが気になって仕方がない。

「昨日もおとといもウニをしっかり食べたじゃないか。いい加減にしなさい。尿酸値のことも考えるべきだ」。

「せっかくの旅だよ。帰る前にウニをガッツリ食え。この前の検査で尿酸値は標準だったじゃん。迷ったら食うってのがテメエの生き様だろ」。

私の頭の中で善人と悪人の格闘が始まった。でも秒殺で善人敗北。悪貨は良貨を駆逐するという格言通りである。


ホッケは単品にしてもらい、ウニ丼をオーダーする。ファンタスティックな朝食に涙が出そうになった。

思いつきで出かけた3日間。なかなか充実した時間だった。でも、ウニはしばらく食べないことにする。

2015年8月21日金曜日

最北端の旅


先日、稚内に出かけてきた。子どもを連れて小旅行する予定が諸事情でキャンセルになったので、「急きょ手配可能な涼しいところ」という理由で選んだ。




稚内といえば、日本最北端・宗谷岬の玄関口である。なんてったって涼しい。夜は寒いぐらいで猛暑からの逃避行としては最高だった。

これまで北海道のあちこちを旅してきたが、稚内は30年ぶり。学生時代、東京からクルマで出かけて北海道一周旅行をした時以来である。

当時、東北道をひた走り、青函連絡船にクルマごと乗っかって函館から外回りをドライブしながら稚内に着くのに3~4日かかった記憶がある。

もちろん、今は体力は無くなった代わりにマイルは山ほど持っている。無料航空券を使ってひとっ飛び。2時間弱で到着した。

空港でスバルなんちゃらという1500㏄の車を借りて3日間、ドライブと散歩と温泉とウニを堪能した。




良く言えば大自然、悪く言えば何も無い。天気が悪かったら途方にくれるところだったが運良く快晴が続き、気持ちよく鼻歌を歌いながらせっせと歩いた。

ドライブに飽きたら歩く以外にやることがない。画像のような遊歩道をテケテケ歩くのは気持ちよかった。

鹿もしょっちゅう見かけた。そこらへんにいた。道路脇には「シカ飛び出し注意」の標識がやたらと設置してあり結構ビビリながら運転した。

もっとも感激したのは宗谷岬に程近い内陸側にある丘陵地帯。実に美しかった。私の中の「北海道らしい風景№1」は間違いなくここになった。

宗谷岬には観光客がわんさか集まっているのだが、宗谷丘陵は、時々バイク旅行者が通るぐらいで雄大な景色を独占できた。





画像の白いクルマがスバルなんちゃらである。キビキビよく走ってくれたが、発進のたびに「急発進です」と機械音声がお節介に注意してくる。その都度「うるせー」と返事をするのがメンドーだった。

ドライブといえば、「オロロンライン」と呼ばれる稚内から留萌あたりの海岸線も素晴らしかった。

走りながら気付いたのだが、30年前、バスみたいに長いシフトレバーを持つディーゼルの四駆で北海道を一周した時に、旭川方面からこの道を北上した。

当時はひたすら宗谷岬を目指していたし、景色に見とれるほど情操面?が成熟していなかったことが懐かしい。

あの頃、ナビなんてもちろん無かったからドライブ旅行は結構大変だった。北海道の輪郭に沿って走るのが一番簡単だった。

内陸部で道に迷ったりしたら、逆方向に1時間ぐらい走っても気付かない。私自身、しょっちゅうそんな状態だった。ナビのおかげで縦横無尽に走れる今とは隔世の感がある。

オロロンロードを稚内から南下しながら風力発電のデカい風車に圧倒され、ひとっこ一人いない海岸に降り立ち、立ちションざんまいの気ままな時間を過ごす。



右手に利尻島を見ながらのドライブ。途中でサロベツ原野などを覗きつつ、稚内から70キロほど進んだところにある温泉を目指した。

天塩という街にある「てしお温泉」は「石油臭くて油っぽいお湯」が特徴だとか。

何じゃそれ!って言いたくなる。実際に体験したくてわざわざ出向いたわけだ。街が運営している健康センターみたいな施設が目的地である。

風情はない。でも、脱衣所横にゆったりした休憩フロアがあって高校野球中継を見られる。文明に毒された私としては有難い。




で、びくびくしながら「石油臭くて油っぽいお湯」に入ってみた。思ったほど臭くはないが、それなりに鼻を刺激するガソリンっぽい香りが独特だ。

湯の表面に油が浮いているのは温泉成分のせいで決して不衛生ではないらしい。トロリと肌にまとわりついてくるような感覚が悪くない。

黒っぽいお湯は石狩方面でも十勝方面でも体験した。東京23区で湧き出る温泉も似たような色合いだが、天塩のお湯はトロリ感が他よりも強い印象だった。近くにあったら通いたい感じだ。

長くなっちゃったので食べの話は改めて書こうと思う。

2015年8月19日水曜日

結局はスケベ・・・


夏の暑さでネタも枯れてきたので、今日は過去掲載分を二つアップします。


まずは4年ほど前の冴えない日々を象徴するような話。この頃は悶々とした話ばかり書いていた。

その頃、ブログを読んでくれていた旧友が悶々男である私のことを「殻を破りたがっている男」だと判断して、オヤジバンドのボーカル担当に誘ってくれた。

その後、調子に乗って活動を始め、今年後半には4度目のライブを開催する。

おまけに昨年から血迷ってギターの練習を始めた。ひょんなことで私もミュージシャン気取りである。ボケっと生きているようで革命的な変化だ。なんとも面白い。


★人生後半戦

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2011/08/blog-post_31.html




続いては、ナンパ系の話です。正直、こういう話を書き殴っているのが一番楽しい。もっと突っ込んだエロ話を展開したいのだが、なかなか勇気がない。


★魔性の女

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/03/blog-post_30.html



2015年8月17日月曜日

美人


ハヤリ言葉の中で耳障りなのが「美人すぎる〇〇」って表現だ。あの言い回しを聞くと妙に気持ちが悪い。

http://matome.naver.jp/odai/2140059440828534301

「美人すぎる議員」とか「美人すぎるバレー選手」とか、一見華やかな顔立ちの女性をすぐにそう呼びたがる。

美人すぎると言われる以上、確かにみなさん美人だ。でも「すぎる」っていう表現は大げさだ。安易に使われすぎ。

ついには「巨人助っ人の美人すぎる妻」などといったカテゴリーに関係ない使い方まで目に付く。

http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/sports/p7b7396b8f48272f0c4763e13d3fb6ecd

「美人妻」。これで済む話なのにヘンテコだ。「美人議員」、「美人選手」。それでいいはずなのに、なんか気持ち悪い。

そのうち「ブスすぎる」っていう恐ろしいバージョンに発展するかもしれない。

「ブスすぎる議員」、「巨人助っ人のブスすぎる妻」・・・。さすがに気の毒である。

さて、美人の話だ。

世の中の人はみんな美人が大好きである。男だけでなく女性だって美人を見るのは好きだ。

映画のスクリーンに美人が映っていたほうが嬉しい。ブスが恋愛の切ないシーンを演じても見る人は切ない気分にはなりにくい。

現実である。

子どもだってブスより美人の先生のほうが嬉しいし、最晩年の病床で出会う看護婦だって美人のほうが嬉しい。まさに「ゆりかごから墓場まで」美人は大歓迎される。

いくら世間が雇用機会均等だと言ったところで、現実的には容姿端麗が人事採用のキモになっている職種はいくらでもある。

容姿など関係ないような仕事ですら、同じ成績、条件だったらブスより美人が選ばれるのが世の中の常識。

こんなことを書いていると何だか残酷な感じがするが、アナウンサーしかり、大企業の受付嬢しかり、飛行機の乗務員にしても、土偶やハニワみたいな容姿の人はいない。

もちろん、それぞれの採用条件に「容姿端麗」と謳われているわけではない。あくまで暗黙の了解事として常識化しているわけだ。

ここでちょっと気になるのが「若ければなお良し」という風潮だ。テレビ局に自前のタレントして浪費される女子アナは30歳を超えたあたりで花形番組などから外されるとか。

30歳なんて社会人の中では小僧の段階だ。実にバカげた話だと思う。

だから、朝のニュース番組や人気のワイドショーなんかは、子どもに毛が生えたような女子アナがキャンキャン騒いでいる。ゲンナリする。

中高年から上の世代がテレビを見なくなっているが、当然の帰結だと思う。世の中の実働世代がどんどん高齢化している現実と番組制作者の感覚が大きくズレている証だ。

女性達も女性達ですぐに老け込みたがるのも大問題である。20代の後半ぐらいで年増ぶっている人を見ると心底マヌケに見える。

たかだか30歳を超えた程度で「ビキニは着られません」「ミニスカートは履けません」などと気が狂ったようなことを言うのもおかしい。

90歳近くまで生きる人生のうち、30歳なんてヨチヨチ段階だ。世の中全体が幼くなっているせいで、30歳ぐらいがようやく「女の子」から「女性」になる頃合いだろう。

まあ、そんなことに気付かない浅はかさが若さの証でもある。

中年以降の女性が容姿の面で話題になるのは、ただ若作りに精を出す美魔女と呼ばれる人達ばかり。

年相応の美しさを持つ美人中年女性がゴマンといるのに、「ブスの若作り」のほうがなんだか肩で風きって歩いている感じだ。

若者っぽい服を着て、若者っぽい店に行き、若者っぽい話し方に励んでいる。ご本人の勝手だが、なんだかなあ~って感じだ。

「若々しい」と「若者の真似」はあくまで別モノ。そのあたりが中途半端だ。それが分からないから意味もなく年齢を隠したりゴマかしたりする。

女性が年齢を隠したりサバをよんだりする風潮を当然と考える社会の思考停止状態も問題だと思う。

何かと正論を吐く大新聞ですら、取材対象の女性の年齢を不自然に表記しないケースが目に付く。年を重ねることが悪い事であるかのような変な習慣は考えものだろう。

もっと世間の眼がナチュラルに素敵な雰囲気を醸し出している女性に着目すべきだと思う。

なんだか力説しちゃったが、女性の繊細な心の葛藤など分からない中年男の個人的意見なので御容赦願いたい。

今日は美人についての考察がテーマだったのに、まったく違う話になってしまった。

2015年8月14日金曜日

愉快な人


ちょっと前に結婚、離婚それぞれに関するアンケートを面白おかしく分析したバラエティー番組を見たのだが、「結婚して良かったこと」の第1位と「離婚して良かったこと」の第1位が偶然にも同じ内容だった。

それぞれ第1位は「健康になった」という回答。一応、それぞれを経験している私としても妙に納得しちゃう結論だった。

不摂生しがちな独身男が結婚によって健康になるのは分かりやすい話。でも、離婚することで健康になるというのは一般的には理解されにくい。

強がりでも見栄でもなく、実際にそういうものである。ストレスは体調にしっかり表れる。

私自身、シングル生活になってから常に血液検査の結果が好調だ。我ながら不思議である。一応、人並みの感受性はあるので、ふさぎこんだ時もあったが、そんな時でも血液検査の数値は優秀だった。

離婚に向けるエネルギーは結構ヘビーだ。後ろ向きで建設的ではないし、負のイメージが強い。精神的にヘコんだりもする。

話がまとまらずに争いが長期化すれば、ストレスが溜まって病気になって倒れちゃっても不思議ではない。

でも、話がまとまりさえすれば、考えようによっては建設的な仕切り直しだし、決して負のイメージばかりではなくなる。

結論が出れば一気に風向きが変わる。身体の数値は実に冷静にそれを感知するわけだ。人間が精神的にいかに弱い生き物かを象徴している。

思想家の内田樹さんのエッセイを読んでいたら、人間関係に耐える能力は極めて人間的な能力だが、命を縮める有害なものだというくだりがあった。

夫婦に限定した話ではない。親子や親戚関係、職場の同僚、上司などすべての人との間で「不愉快な人間関係」があればダメージを受けるという話だ。

不愉快な人間関係に耐えることを、人間的な器量の証だと錯覚し、耐えている自分を誇りに思ったり評価しちゃうと、徐々にダメージが蓄積して、俗に言うダメオヤジ的人間が出来上がると結論づけていた。

ふむふむ。もっともな分析だ。でも現実社会の中で不愉快な人と関わることを排除するのは無理だろう。

そう思いながら読み進んだのだが、ひょっとすると、そうやって「無理だ」と決めつけることが既にダメなのかもしれない。

「不愉快な人間関係に耐えない!」。宣言するのもアリだろう。中高年にもなればそれなりに可能かもしれない。試してみる価値はありそうだ。

不愉快な人との関わりを最小限にとどめることは可能だ。ぶれずに徹底することが大事だと思う。

「器量の大きい自分でありたい」。男ならついそう思いがちだ。一見、立派な姿勢だが、そんな意味不明な頑張りのせいで、人間関係に疲れて自分が壊れるのは本末転倒である。

ワガママだ、協調性が無いだとか、何かと批判もされるだろうが、時には建設的なワガママ、戦略的なワガママは必要だ。健康でいるためにはそれはそれで努力の一つかもしれない。

なんだか夢も希望も無いような書きぶりになってしまった。これでは、まるで人嫌いの変人である。

「我以外みな我が師なり」の精神でもっと様々な人と関わっていかないとダメである。人間いくつになっても勉強である。

でも不愉快な人間関係はゴメンだ・・・。

なんだか堂々めぐりだが、要するに自分にとって「愉快な人」をどんどん増やせばいいわけだ。

愉快な人ってどんな人だろう。

それが分からないから、人生何かと苦労が尽きないわけだ。

穏やかでノンビリした時間が過ごせるような、何となく気が合う人とだけ関わって生きていたいものである。

2015年8月12日水曜日

ホッピーの立ち位置


ハイボールが人気を集める季節だ。本格的なバーの中にはキンキンに冷やしたウイスキーとソーダを使って氷抜きのハイボールにこだわる店もある。

氷が溶けて味が薄まらないようにというキザな、いや、素敵なこだわりである。寡黙なバーテンダーが手掛けると何だかオシャレ~である。

先日、そんなオシャレ~なこだわりをホッピーで体験した。その名も「シャリキンホッピー」である。


ホッピーで割るのに最適と言われるのが金宮焼酎である。それをシャーベッド上に凍らせているから「シャリキン」、そこにキンキンに冷やしたホッピーを注ぐことで氷無しバージョンが完成だ。

寡黙なバーテンダーとか、ムーディーなバーとか、そういう舞台装置とは無縁のガサツなモツ焼き屋で遭遇した。なかなかアッパレな取組みだと思う。


これだから大衆酒場はやめられない。富豪記者と名乗っている以上、もっと富豪っぽい?店をレポートすべきなのだが、結局はエセ富豪に留まっているのが現実である。

さて、ホッピーである。ビールが高価だった時代に代用品として誕生したのがホッピーである。焼酎で割って楽しむ。

今でこそプリン体ゼロといったヘルシーなイメージもあるが、基本的には「ディープな大衆酒場御用達」、「疲れたオッサンがモツ煮をツマミに飲む酒」といったイメージに支配されている。

代用品という出自のせいもあって、同じ割りモノである「酎ハイ」よりも何となく格下であるかのように見る人も多い。

レモンサワー、グレープフルーツサワーあたりだと、愛くるしい女子大生や上品な若妻でもグビグビ飲んでいる。

ヒアルロン酸入りアセロラサワーとかコラーゲン入りアロエサワーのような、おそらくウソ八百な飲み物は女性陣にウケるが、ホッピーは見向きもされない。

昔よりも一般化したホッピーだが、オシャレなネーミングのナンチャラサワーには勝てない。結局、愛くるしい女子大生や上品な若妻が手を出すことはない。

吉永小百合も黒木瞳も石原さとみもホッピーを飲むことはない。江角マキコや沢尻エリカは飲んでるかもしれないが、桐谷美玲や有村架純は絶対に飲まない。それがホッピーの現実だ。

ワインとは大違いである。ワインの場合、得体の知れない添加物だらけの安物だろうと「とりあえずワイングラスで飲んでいればオシャレ」というヘンテコな風潮がある。

「ホッピーはオッサン」というイメージと「とりあえずワイン」という風潮はある意味似たような感覚だ。

ついでに言えば「ダッチワイフを買う人はオタク」といった思い込みとも似ている。実際はそんなことはない。オタクではない私だって買いそうなのに硬直したイメージはなかなか崩れない。

世の中あらゆる分野で固定観念に支配されている証拠である。

話がそれた。

「ホッピーなんか飲むんですか?」。こういう言われ方がホッピーの悲しい現状である。どぶろくや密造酒でもないのに何だか特殊なモノみたいに言われかねない。

「ホッピー=大衆酒場」という固定観念は「カレーに福神漬け」と同じぐらい世の中に浸透している。

だから、やきとんやモツ煮をウリにするような居酒屋以外でお目にかかることは滅多にない。実に残念。

さすがに寿司屋に置いても需要は無いだろうが、串揚げ屋やトンカツ屋、焼肉屋などのメニューにあったら充分に客を喜ばせると思う。

オシャレ路線、高級路線の店、ミシュランに載るような店だろうと、料理内容によってはホッピーをメニューに加えたら案外ウケるのではないか。

ホッピーは油っぽい料理との相性が抜群だ。たとえばコッテリしたフカヒレの姿煮と合わせたって素直にウマいはずだ。

私自身、ナントカの一つ覚えで「フカヒレには紹興酒」と決めつけているが、そもそも紹興酒だって高級酒ではない。基本は大衆向けの酒である。それっぽい酒器に入れられて出てくるから有難く感じているだけだったりする。

上モノのフカヒレをホッピーで楽しむ。ぜひトライしたいものである。フカヒレが名物の赤坂維新號あたりで相談したらぶっ飛ばされるだろうか。

焼肉屋さんで最近普通に見かけるのがマッコリだ。あれだって素朴な大衆酒である。

安値路線の焼肉屋はもちろん、タン塩1人前が3千円もするような高級焼肉屋でも見かける。それならホッピーだって置いてもらいたい。個人的には脂っぽい肉にはマッコリよりホッピーだと思う。

ホッピーをディープな大衆酒場専属みたいなポジションに止めておくのは思考停止みたいな話かもしれない。

考えてみれば、芋焼酎なんかは30年ぐらい前までは現在のような存在ではなかった。

今では高級料理店でも当然のように数種類用意されている。その昔、「下級」なイメージで敬遠されることが多かったことを思えばビックリするほどの変わり様だ。

品質向上だけでなくイメージ戦略も功を奏したのだろう。プレミアム感を漂わす銘柄もゴロゴロある。変われば変わるものである。

そう考えたら、数十年後のホッピーの立ち位置も変化しているかもしれない。

まずは素敵な女性をホッピー酒場に連れて行かねばなるまい。

でも、大衆酒場で飲む時の私は、鼻をホジホジしながら巨大ゲップを連発するのが基本姿勢である。やはりデートに使うのは無理そうである。

2015年8月10日月曜日

ホテルオークラ


この8月いっぱいでホテルオークラの本館が歴史に幕を下ろす。なんとなく淋しい。

東京の名門ホテルといえば帝国ホテルにオークラである。外資系ホテルが次々に参入した今もこの現実は不変だと思う。

多分に東京人としての思い込みもあるのかもしれないが、スタイリッシュな外資系ホテルがどう頑張っても日本の老舗名門ホテルの空気感にはかなわないと思う。


オークラ本館のメインロビーの佇まいは、まさに昭和のニッポンの落ち着きを体現している。建築物としての評価も高いため海外からも取り壊しに異論が出ているそうだ。

まあ、実際に見てみれば、やはり古めかしい感じは否定できない。最新設備を誇るカッチョいいホテルがどんどん増えている東京で勝負するには分が悪い。建て替えも当然の選択だろう。


客室サイズもベーシックな部屋だとビジネスホテル並みだ。40平米以上が普通になっている高級ホテル事情にあって競争力は無い。

狭い部屋は安売りするしか道はないわけで、そうなればホテル全体のイメージが低級路線になってしまう。昭和基準のままで維持されてきた名門の厳しい現実だろう。

レストランや宴会など宿泊以外の部分にも独特な存在感があるのが老舗の名門ホテルだ。

ホテルに行きまくっているわけではないので、これも多分に勝手な先入観だが、近年増えてきた外資系のホテルは食事の面で高揚感が乏しい。

値段や雰囲気は最高級でも、帝国やオークラが培ってきた「伝統」みたいな部分とは違う。大げさに言えば「物語性」が感じられない。

オークラもレストランの評判は高い。ついでに言えば、フレンチトーストが名物だったり、夏の冷やし中華にも根強いファンがいる。そんな細かいメニューまで熱く支持されていること自体が「物語性」だろう。

帝国ホテルにしても数々の名物料理が知られているが、それ以外にルームサービスで驚かされたことがある。

随分と昔の話だが、部屋に持ってきてもらったピラフが目ん玉飛び出るほど美味しかったので、その後、ホテル内のどこのレストランに行けば同じモノが食べられるか調べてみた。

結果、ルームサービス専用の一品だったということが判明。私の中で「やすやすとありつけないシロモノ」という物語につながったわけである。

オークラに話を戻す。四半世紀以上も前の話だが、私の兄がオークラで披露宴を行った。若かった私は、なんでそんなコンサバな場所を選んだのか不思議だった。

そう感じたこと自体が若さだったのだろう。新しいものやハヤリものの曖昧さや頼りない感じに気付かなかったわけだ。

今ではどう逆立ちしたって若者ではないから、伝統が醸し出す凜とした空気のほうが居心地も良いしかえってスマートだと感じる。

兄の結婚から数年後、若かった私も披露宴とやらをやる必要に迫られ、某外資系ホテルを選んだ。そういうのを選ぶことがオシャレ~だと思っていたのだろう。

いま、そのホテルは既に無い。違うホテルとして営業している。しょせん、地に足のつく前に撤退しちゃうようなホテルだったわけだ。

私もいろいろ「撤退」するハメになったから似たもの同士みたいなものである。やはり目先しか見えないとダメだ。成熟には程遠く、ただ無駄だけが残る。

やはり、地に足のついた雰囲気、浮き立っていない落ち着いた感じは、一朝一夕に生まれるものではない。

ちなみに多くの高級ホテルでは莫大な数の客の名前を覚えているスーパーホテルマンがいて、他のスタッフも含めて客を個人名でもてなすように心がけている。

以前、某ホテルで名前で呼びかけられて何だかコソばゆい思いをした時期があった。頻繁に宿泊するような上客ではなかったのだが、バレーパーキングをマメに活用したせいで名前を覚えられたわけだ。でも、あれもTPOによってはビミョーである。

真面目じゃない目的?でホテルを利用することだってあるし、誰かの目に触れたくない場面だってある。そんな時に名前で呼ばれたらオドオドしそうである。

こっちが問題なくても同行者にとってはお忍びというケースだってある。ホテルには様々な人が出入りしているから、ロビーに足を踏み入れた瞬間に、まったく知らない同士のフリをする男女も珍しくない。

まあ、私の場合、独身貴族だからそんなスリリングな展開には縁がないが、独身だと思っていた相手がヤクザの情婦や誰かの奥さんだったりするかもしれない。そんな相手と客室階に行くエレベーターに乗るところを見られたら問題である。

そういえば、「別れさせ屋」で工作員をしているという美女と酒を飲んだことがある。エゲつないやり方で人を陥れる話が世の中にはゴロゴロあることを知ってビビった。それ以来、世の中が恐ろしくて仕方がない。

ウソです。でも、ちょっとホントです。

思いっきり話が逸れてしまった。最近、しょっちゅう話が脱線する。脳ミソが腐ってきたのだろうか。

「ホテル」のことを考えると、なんだか私の頭の中にさまざまな経験や妄想や願望なんかが入り交じって混乱するのかもしれない。

オークラの話だった。とりあえず、今月で見納めのメインロビーの佇まいを見に行くことをお勧めします。

平日の空いている時間帯なら昭和にタイムスリップしたような気分に浸れます。

2015年8月7日金曜日

銀座 夜の部活


相も変わらず夜の「部活」を続けている。クラブ活動である。もちろん踊るクラブではない。オジサマがガハハハと喜ぶ酒場のほうだ。


なんだか“習性”のようになっているが、最近はふとした瞬間に以前とは違うモヤモヤした感覚にとらわれる。「慣れ」の弊害だろう。

「慣れ」などと書くと毎日のように通っているヒマ人だと思われそうだが、そういうことではない。一種の加齢問題である。

若い頃に感じた「アウェーな感じ」が薄らいだことがモヤモヤの理由だ。年齢による図々しさのせいだろう。アウェーな感じが心地良い私としては少し淋しい。

若い時は背伸びしている感覚があった。ロマンスグレーの渋いオジサマばかりが集う店で場違いな感じを味わうのが堪らなかった。居心地の悪さを逆に楽しんでいた。Mっぽい喜びとでも言おうか。

平均的な客層より年齢が下だったから、そんな感覚を楽しめたのだが、今ではすっかり「標準的な年齢層」である。アウェーな空気も感じなくなってしまった。

ここ2~3年、中学高校時代の同級生と銀座のクラブで偶然遭遇することも増えた。そんな年齢であることをイヤでも実感させられて複雑な気持ちになる。

部活に足を突っ込んだのは大学生の頃。好きこのんで足を踏み入れたのではない。一回り以上年上のクラブ活動が大好きだった知人に頻繁に同行させられたのがルーツだ。

30年ぐらい前の話である。当時は六本木ばかり。こっちは成人するかしないかの頃だから女友達はいっぱいいた。だから若い女子目当てのオジサン的行動が理解できずにいた。

そうはいっても元来アマノジャクな部分があったから、バブル直前の浮かれた若者遊びとは異質の「クラブ活動」が面白かった。オジサンのように励んでいる自分のヘンテコな日常を結構楽しんでいた。

朝までアフターが当り前の元気な時代だった。ホステスさんだけでなく、黒服さんやバンドマン達と親しくなって、朝まで不健全に遊んで、しょっちゅうゲロ太郎になっていた。

若造だからカッコつけてばかりだった。こっそりトイレに行って吐きまくって、素知らぬ顔で遊びの輪に戻ることもあった。おかげで「据え膳」は何度も逃した。つくづくアホだった。

社会人になり、師匠格の年上の知人と同行することは減ったが、当時のつながりがあったから、ふらふらと六本木で飲む機会は続いた。

「部活の独り立ち」である。「常連さんが連れてくる学生さん」という立場を失ったことで想像以上に環境激変。いろいろと勉強になった。

「お客様」になった途端、ちっともモテなくなった。「お客様の連れのウブな学生さん」だからツマミ食いもしてもらえたのだろう。

お金を払ってなかった時のほうがモテたという事実から世の中の不条理、理不尽を学んだ。

銀座デビュー?は20代の終わり頃だった。六本木で顔馴染みだったオネエサンが銀座に移るとのことで、興味本位で覗きにいったのが6丁目数寄屋通りの「M」だった。

当時の銀座は、今とは違って若い客が見当たらなかった。圧倒的な「オトナっぽい濃い空間」にたじろいだ。

でも、かなわない感じ、場違いな感じが新鮮で、店のはじっこで小さくなって飲んでいるのが妙に面白かった。


あのワクワクした気分を感じることはさすがになくなってしまった。今では席に座るなり、太田胃散くれ~、梅昆布茶くれ~などと天下無敵なオッサン的言動を繰り返している。

ウブな頃の自分から見たら「態度のでかいガサツな客」である。20代、30代の頃は他のお客さんの居ずまいなんかを何気なく観察していた。カッコイイ中高年を目指そうと勉強する意欲があったのだろう。

そんな姿勢もいまはカケラもない。周りを気にせず酔っ払っているだけだ。

通算すれば30年も夜の部活に関わったことになる。少しは何かを学んだのだろうか。何かの肥やしになったのだろうか。

一応、あの世界は男の学校みたいな要素もあるから、今現在の私の振る舞いや物腰に少なからず影響を与えたのかもしれない。

でもビミョーである。あの世界を知らずにいれば確実に私の預貯金残高は結構な金額になっていたはずである。

まあ、禁煙したってタバコ代が余裕資金にならないのと一緒で、あの世界を知らなければ違う分野で散財しただけだろう。


時々、80歳を超えたような長老みたいなお客さんを見かける。自分がそんな年になってそんな行動をしたいとは思わないが、元気さを測るバロメーターとしては夜の街は大いに意味があると思う。

銀座のクラブに来る人々は、エネルギッシュで精力的である。負のオーラを漂わせているような人はまず見かけない。街自体のパワーがドンヨリした人を弾き返している気がする。

何歳になっても「現役感」を維持することは大事だ。そういう意味では10年、20年経ってもあの街で太田胃散片手にワイワイ騒いでいられたら幸せなんだろう。

2015年8月5日水曜日

贅沢とジャンク


「贅沢は敵だ」。戦時中のスローガンである。その後、昭和元禄を経てバブルのさなかに言われていたのが「贅沢は素敵だ」というキャッチフレーズである。

昭和世代の中でも、高度成長期の恩恵に漬かってバブル前夜に青春時代を過ごした私にとって、贅沢はやはり素敵である。

出費がかさんでピーピーしている割には質素倹約を目指すわけでもない。宵越しの銭は持たねえぜなどとヤケッパチのようにつぶやいている。


贅沢にもいろいろある。一度にレトルトカレーを2種類味わうことは贅沢だし、糖質制限を理由にデリバリーのピザの生地を全て残して具だけを食べるのも贅沢である。

冷やし中華の麺を2玉茹でたのに、1.5玉分だけ食べて残りは捨てちゃうなんてことも贅沢極まりない。

とはいえ、食べ過ぎて肥満度合いが強まり、成人病になって医療費がかさんで国家に迷惑をかけることを思えば間違った行動ではないのかもしれない。

くだらない屁理屈はこのあたりにする。

最近、贅沢だなあと思ったのが北京ダック専門店で出された「キャビアダック」である。

銀座にある北京ダック専門店で顔馴染みの店長がサービスしてくれた。焼き上がったダックを皮で包まずにキャビアを載っけただけで頬張れと言う。


頬張ってみた。キャビアである。酒好きにとってマズいわけがない。でも、ダックとともに食べる意味がよく分からない。味のコンビネーションが合うわけでもない。

要は「贅沢感を食べるシロモノ」である。そう考えればフムフムである。味がどうだの食感がどうなのと四の五の言うものではない。

「贅沢なものをサービスした」という事実と「贅沢なものをサービスされた」という事実だけが重要なんだろう。

よく分からない言い方だが、ある意味、その部分こそが贅沢の本質なのかもしれない。気分の問題である。

さてさて、贅沢品だからウマい、大衆品だからウマくないという理屈は成り立たない。ドメスティック男である私としては、キャビアよりスジコやイクラのほうが好きだし、トリュフの味わいも今ひとつピンとこない。

要は、自分にとって嬉しいかどうかが大事であり、嬉しいものであれば、安くたって贅沢品になり得る。


画像に写っている変な色のドリンクはバイスサワーである。高いものではない。でも流通量が多くないから知る人ぞ知る存在。いわば貴重品、ついでにいえばなかなか飲めないという点で贅沢品である。

東京・下町の工場で作られているローカル飲料である。梅と酢をもじって「バイス」と名付けられたもので、梅シソ風味がウリである。焼酎と炭酸で割って出来上がりだ。

ふらっと訪ねた巣鴨の大衆酒場で遭遇した。黒ホッピーが飲みたかったのに用意されておらず、落胆したのも束の間、バイスサワーを発見。さすが巣鴨!である。

怪しげな色のバイスサワーとともに写っているのはイカメンチである。絶品だった。イカの風味がしっかりあって食感も絶妙。ソースとの相性も抜群で、今年食べたものの中でもトップ10に入るぐらいウマかった。

もっと他のツマミも食べまくろうと思ったのだが、私の醬油小皿の上を巨大なチャバネゴキブリがのっしのっしと歩いていたので、そそくさと会計を済ませて店を出てしまった。

チャバネといえば1センチ程度の小物しか見たことがないが、この日出会ったのは体長5~6センチはある大物。おまけにコソコソ動き回るわけでなく、威風堂々と周囲を威圧するように歩いていたので、さすがの私も血の気が引いた。

ある意味、贅沢な体験だったのかもしれない・・・。

書いているだけで茶色く光るアイツを思い出して冷や汗が出てきた。飲食店にゴキ様は付きものだと分かっているのだが、改めて外食中心の自分の食生活を考え直そうかと思った。

キャビアの話から、どうしてチャバネの話に辿りついてしまったのだろう。

今日は贅沢モノとジャンクモノを考察しようと思ったのに、大幅に脱線してしまった。

暑さのせいだと思う。

2015年8月3日月曜日

蝉時雨


今の住まいを選んだ基準の一つが「蝉の鳴き声」である。春頃にアレコレ物件を見て回った時に近隣の緑の多さも一応チェックしていた。

その理由は蝉である。

緑そのものの景色にはさほど興味はない。あくまで緑が多ければ蝉の鳴き声を飽きるほど堪能できると考えたわけだ。


マンションの敷地のすぐ隣に広大な植物園があるせいで、この時期の蝉の大合唱はかなり凄まじい。でもそれが嬉しい。

「うるさい」を漢字で書くと「五月蝿い」である。典型的な当て字だが、ハエよりセミのほうが大迫力だから「八月蝉い」と表記しても良いと思う。

まあ、蝉の音色が好きな私にとっては、近所の蝉の声はちっともうるさく感じない。郷愁を誘う音だと思う。

先日、週末の真っ昼間に植物園の一角からヒグラシの鳴き声が聞こえた。しばらくその一角に佇んで音色に聴き入った。

晩夏の朝か夕方に鳴くイメージが強いヒグラシの音色を意外なタイミングで楽しめたのも「植物園隣接」のおかげである。

自宅最寄りの地下鉄丸ノ内線の駅に向かう道沿いにも公園が整備されているし、その延長には筑波大学が管理する占春園という庭園が続いている。おかげで、蝉の音色を近年になく堪能できている。


田舎暮らしの人には分かってもらえないと思うが、生まれも育ちも都心部だと、単なる蝉の声が「たかが」ではなく「されど」になる。私にとっては一年でもっとも楽しみな風物詩だ。

とくにヒグラシのはかなげな鳴き声は世界で一番美しい音色だ。断言しちゃう。大げさかもしれないが、私にとってはどんなに素晴らしい楽器よりもヒグラシである。

世界遺産にするべき美しい音だと思う。

さてさて、話は変わる。いや、変わらない。蝉の話だ。

「しずけさや 岩にしみ入る 蝉の声」

教科書に載っていた句だ。情感などまるで無かった子どもだったが、たった17文字の中に「夏」の気配が完璧なまでに表現されていて妙に印象に残った。

多くの蝉が一斉に鳴いている様子を現わす「蝉時雨」という言葉も、何気なく使っているが、物凄く美しい日本語だ。

せみしぐれ。音の響きも良い。天から降ってきた音色に包まれるような雰囲気がある。この言葉を聞いただけで、頭の中にさまざまな夏の情景が浮かぶ。

季節ごとの風物詩としては、桜や紅葉のほうが世間的には重用?されているが、蝉時雨も負けていないと思う。

毎年、春になるとお年寄りを中心に「あと何回桜の花を楽しめるだろう」というフレースが飛び交う。

日本人の感性として桜が1年を区切る目印になっている証だが、アマノジャクな私は毎年毎年「あと何年ヒグラシの音色を聴けるだろう」とつぶやいたりする。

蚊取り線香の香りとセットで楽しめれば、まさに日本的情緒の極みだ。実際、多種類の蝉がさまざまな音色を聴かせてくれるのは日本ならではの特徴らしい。

私自身、潜水旅を目的に世界中の夏まっ盛りの場所を旅してきたが、日本の蝉時雨みたいな音色はヨソの国では経験したことがない。

ウィキペディアを見ていたら興味深い記述があったので、一部転用してみる。

~~明治維新の時、日本にやってきたヨーロッパ人はイタリアや南仏などの地中海沿岸地域出身者を除くとセミを知らない者が多く、「なぜ木が鳴くのか」と尋ねた者もいた。現在でも、日本のドラマを欧米に出すとき、夏の場面ではセミの声を消して送る。日本ではいかにも暑い盛りの効果音と感じられるが、あちらでは妙なノイズが乗っていると思われる場合が多い~~。

蝉の存在自体を知らない人がいるなんて驚きである。なんだか気の毒だ。あんな情緒たっぷりの音を知らずに過ごす人生なんてイヤだ。

そう考えると、せっかく身近で鳴きまくっている蝉の声をもっと有難く思わないともったいないのかもしれない。

ちなみに、鳴くのはオスだけである。蝉にしてみれば交尾相手を求めて騒いでいるだけだ。

平たくいえば「誰か~、ヤラせてくれ~!」と叫んでいるだけだが、そういう夢も希望もない解釈をしてはいけない。

頑張れオス蝉。健闘を祈る。