2022年6月29日水曜日

不倫は文化かな

  

バンド活動のせいで最近は随分と音楽を聴く機会が多い。エラそうなことを書いてしまうと邦楽に関しては歌詞の世界観に惹かれて曲を好きになることが多い。

 

優れた歌詞にふれると日本語の面白さ、奥深さを実感できて楽しい。昭和の歌謡曲のように職業作詞家が作り上げた名曲は映画を観ているような気分になれる。

 

ちあきなおみの「喝采」、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」など誰もが知っている名曲は歌詞に力がある。シンガーソングライター全盛時代になって少し様子が変わったが、ウン十年も一線で活躍している大御所達に共通するのは歌詞の力だと思う。

 

話は変わる。

 

同居している娘が小林明子の「恋に落ちて」や竹内まりやの「純愛ラプソディ」などを好んで聴いている。不倫の歌だから親としては心配になるが、本人は不倫しているわけじゃないそうだから気にしても仕方がない。

 

不倫をテーマにした歌は昔から名曲が多い。やはり普通の恋愛より道ならぬ恋を描いた方がドラマティックになる。かつて石田純一が「不倫は文化だ」と語ってバッシングを受けたが、あれも本来は多くの芸術作品が不倫の中から生まれたという話が省略されてしまった話だ。

 

文芸作品なども不倫だらけだし、歌の世界だって同じ。やるせなさ、もどかしさみたいな情念は歌の世界にこそはまりやすい。その昔、大川栄策は♪愛し~ても愛しても、あ~~ヒトの妻~♪と絶叫していた。




そんな切なさが聴く側の昭和の大人達に刺さったわけだ。それにしてもベタな歌詞である。ベタ過ぎることが逆に迫力に繋がっているという分析も出来る。

 

ベタな歌詞と言えば島津豊などの競作で大ヒットした「ホテル」も凄かった。♪ホテルで会ってホテルで別れる♪であり♪私の家の電話番号が男名前で書いてある~♪という嘆き節である。

 


今ではホテルもカードキーがないとエレベーターで客室階に行けないから部屋での待ち合わせは出来ないし、手書きの電話帳を持っている人もいない。まさに古き良き時代の象徴みたいな歌詞である。

 

昔はアイドルだって不倫の歌を熱唱していた。西城秀樹の「ブルースカイブルー」は♪あのひとの指にからんでいたゴールドの指輪をひきぬき♪と歌い始める。結局は♪いたずらで人を泣かせるなと大人から頬をうたれた あの人も遠く連れ去られ・・・♪と叱られてしまう内容だ。

 



コロッケのモノマネのほうが有名になってしまった岩崎宏美の「シンデレラハネムーン」もタイトルからして限られた時間の逢瀬を描いており不倫ソングという解釈も根強い。

 

沢田研二の「時の過ぎゆくままに」も♪小指にくいこむ指輪を見つめ あなたは昔を思って泣いた 時の過ぎゆくままにこの身をまかせ 男と女がただよいながら・・・♪である。なんとも切ない。

 

キリがない話になるがそれこそテレサテンのヒット曲なんて全部が不倫方面だろう。タイトルからして「愛人」「つぐない」である。普通の恋愛のように聞こえる「別れの予感」だって不倫チックな内容だ。

 

テレサテンの歌の世界は男の作詞家が作り上げた世界観だが、女性側の微妙な心理描写として秀逸だと思えるのが竹内まりやの「マンハッタンキス」だと思う。

 

Don't disturb 閉ざされたドアの中だけが

私になれる場所 ここであなたが見せる優しさに

偽りはないけど どうしてこんなに寂しい

夜明けの足音近づいてくると

何もかもまるでなかったようにシャツを着る

いとしい背中眺めるの

私より本当はもっと孤独な誰かが

あなたの帰り待ってるわ

すれ違う心の奥身透かしながら♪

 

「ドントディスターブ」の一言だけでホテルでの逢瀬を表現しきっている。これって凄いことだ。クドクド書かずにその一言で情景が浮かぶ。上で紹介した島津豊の「ホテル」とは大違いである。

 

おまけに男の帰りを待っている奥さんを孤独だと言い切るセンスにゾクゾクしてしまう。これぞオトナの歌だと思う。

 

とかく世間は有名人の不倫騒動に目くじらを立てる。正義感ぶって正論ばかり言う人に限ってカラオケに行くと不倫の歌を情感たっぷりに歌ったりする。

 

やはり不倫は文化なんだろうなあ。

 

 

 

 

 

2022年6月27日月曜日

たまごバンザイ


タマゴを食べ過ぎてはいけない。誰でも聞いたことがある定説だ。その昔は11個までという不文律みたいな話をよく聞いたが、その後、国の見解や各種学説などによってそんな常識も過去の遺物になった。

 

鶏卵の業界団体では「12個」を勧めるキャンペーンを展開しているし、特別な疾患がなければ個数なんか関係ないと主張する人も多い。

 

私もタマゴが大好きだ。無制限に食べたいが一応はコレステロールが高めなのでバカ食いは避けている。つい多めに食べちゃったときは「110個だって問題無し」などと書かれているネットの情報などを読んで納得するようにしている。

 

タマゴ個数問題をネットで調べてみると実に面白い。「110個食い」を何ヶ月も続けて血液検査の結果を分析している人なんかもいて楽しい。総じてコレステロール値などに変化はないという有難い情報ばかりだ。

 

最近食べたタマゴ料理で感激したのが新橋で通りすがりに入ってみた串カツ屋で出会った半熟卵の串揚げだ。反則レベルのウマさだった。一度に5個ぐらい食べてみたいと思ったほど。

 




 並んだ串の中で丸いボール状の1本が半熟卵である。恐る恐るかじってみるとトロリとした黄身とソースをまとった衣の味が混ざり合う。実にエロティックな味わいだった。悶絶した。

 

半熟卵ってつくづく罪深いヤツだと思う。あの官能的な黄身は箸ではつまめず上手にすするように食べないと流れ出してオサラバになってしまう。そのはかなげな感じが愛おしい。

 

半熟よりやや火が通った状態も捨てがたい。次に紹介するのは茅場町と八丁堀の中間ぐらいにある「新川・津々井」のオムライスである。

 


 

タラバガニのとろとろオムライスと名付けられた一品はオムレツでくるむのではなく溶き卵にケチャップライスを混ぜ合わせてオムライスの形に整えられている。

 

両脇に2種類のソースが用意され好みに応じて混ぜ合わせて味わう。普通のオムライスも大好きだが、混ぜ混ぜバージョンは意表を突かれた感じがして楽しい。プロじゃなきゃ作れない老舗洋食店ならではの絶妙な味わいにこれまた悶絶。

 


 

この日は混ぜ混ぜバージョンのオムライスとは別にプレーンオムレツも白ワインのツマミとして注文。これがまた実に完成度が高くそれこそ何個でも食べられそうな美味しさだった。とろとろ過ぎず固すぎず誰もが大きくうなずくような仕上がりだった。

 


 

ついでに生ベーコンの鉄板焼きカルボナーラ風味という名のタマゴ好きには堪らない一品も頼んでみた。これまた反則級の味にウットリする。

 

「タマゴは110個食べても大丈夫」。そんな都合の良い呪文のような言葉を頭の中で繰り返していればこんな食事も素直に楽しい。幸せな気分で美味しく食べれば何を食べても身体に良いと誰かが言っていたし、そんな気分で過ごせばきっとカロリーだってゼロだろう。

 

一応、前の日にタマゴをたくさん食べたら次の日にはなるべく控えるようにしている。せいぜい焼鳥屋でウズラの卵を食べるぐらいにして済ませる。

 


 

ウズラの卵も半熟が美味しい。半熟パターンは気が利いた焼鳥屋さんぐらいでしかお目にかからないので、以前は自分で作り置きしたこともある。

 

半熟にした状態で1日ほどウナギのタレにつけ込み、再度軽く温めて食べたヤツが自分史上最高にウマいウズラの卵だった。ウマ過ぎたのでもう作っていない。エンドレスで何個でも食べちゃうのでさすがに身の危険を感じて封印している。

 

世の中にゴマンとあるウマいものの中で間違いなく上位にくるのがタマゴ系である。目玉焼き、オムレツ、温泉卵などタマゴそのものをストレートに味わう料理が、結局はどんな手の込んだ料理よりも私の心を揺さぶる。

 


 

ついでにいえばTKGである。醤油次第とも言えるが、好みの専用醤油をお供にしたタマゴかけご飯は私にとって食におけるリーサルウェポンである。

 

数年来欠かさず愛用している「人形町今半・玉子かけご飯醤油」を投入するのが私の基本パターンだ。すき焼きの割下チックな風味がTKGを引き立てる。


米は山形の雪若丸。硬めに炊くのが鉄則である。粒立った食感と甘味が最高だ。人生最後に食べる一品は何かと聞かれたら私はこのTKGを選ぶと思う。

 

 

 

 

 

2022年6月24日金曜日

豚の天敵


映画「千と千尋の神隠し」で屋台の料理を勝手に食べちゃった千尋の両親が豚になってしまうシーンがある。なぜか私はあのシーンをしょっちゅう思い出す。ほぼ毎日豚肉ばかり食べているせいである。

 

ある日突然自分が豚になることがとても怖い。

 

豚肉は健康食だと言われるが私は食べ過ぎかもしれない。わが家の冷凍庫は豚肉ばかりだ。週末に自炊っぽいことをする際も豚肉の炒めものばかり作る。

 

冷やし中華のお供にはチャーシューは欠かさない。ラーメン屋に行くのもあくまでチャーシューが食べたいからである。

 



 

先日も居酒屋で一杯ひっかけたあとにラーメン屋に立ち寄ったのだが、トッピングメニューが挑戦的?だったのでチャーシューをごそっと追加投入した味噌ラーメンを食べた。

 

近頃はローストビーフや鶏チャーシューなるモノを入れたラーメンもあるようだが、私はどうしても王道のチャーシューを求める。

 

薄っぺらくて脂身ばかりのチャーシューより噛み応えのある豚肉感がしっかりしたチャーシューが好きだ。麺もスープも二の次だ。ラーメンファンにはきっと理解不能だろう。

 

別な日、これまたホロ酔いついでにヤケくそみたいなチャーシュー麺で人気の新橋の「ほりうち」に行った。暑かったので「ざるチャーシュー麺」を注文。まずは視覚で楽しんだ。

 



 

スープに鎮座するチャーシューに興奮する。Tバックビキニのオネエサンを前にしたようなムホムホ気分になる。それまで居酒屋で焼鳥などを頬張ってきたことも忘れてヨダレがこぼれそうになる。

 

子どもの頃、普通のラーメンに1枚しか入っていない薄いチャーシューをちょっとずつ齧りながら温存したトラウマのせいかもしれない。ワシワシ食べ進んでもチャーシューが全然減らないことが泣けるほど嬉しい。

 

このお店には何度も行っているが、肝心のラーメンの味を人に説明しろといわれてもよく覚えていない。いつもチャーシューの満足感だけが記憶に残っている。私にはそれで充分だ。

 

チャーシュー好き、豚肉好きという話はこのブログでも1年に1度は書いている気がする。育ちが良いせいで?幼い頃から牛肉ばかり食べてきた反動が中年になってからの豚狂いにつながったのだろうか。

 

お肉屋さんやスーパーで牛肉を買った記憶がここ5年以上は無い。若いオネエサンに請われて焼肉屋さんに行くことも今や苦行を通り越してダイエットみたいな感覚になった。

 

いつの日か豚肉に飽きて牛肉に回帰する日も来るのだろうか。牛の赤身もウマいとは思うがちょっと食べれば満足する。高齢になってもステーキを喜んで食べる人は長生きするそうだが、闇雲に長生きしたいわけではない私としては豚肉ラブぐらいでちょうどいいのかもしれない。

 

チャーシューを目的にラーメンを食べる私だが、不思議なことにサッポロ一番みたいな即席麺にはチャーシューを入れない。チルド麺にはドカドカとチャーシューを投入するのだが、あのゲジゲジみたいな昔ながらのインスタント麺は何となくチャーシューと合わない気がする。

 

サッポロ一番系の麺はまだほぐれていないぐらいの硬さで鍋からどんぶりに移し、桃屋のザーサイを大量投入して食べるのが私の定型パターンである。今更ながらサッポロ一番はラーメンではなく、あくまでサッポロ一番という食べ物なんだと思う。意味不明でスイマセン。

 


 

わが家の冷凍庫には豚の生肉が常備され、冷蔵庫には出来合いのチャーシューがいくつも待機している。ふるさと納税でも各地からチャーシューを取り寄せる。ウマいのもあればマズいのもあるが、大きなドンブリに非常識な量のチャーシューを入れてラーメンを食べるとそれだけで幸せになる。

 

豚にとって私は天敵みたいな存在かも知れない。

 

 

 

 

 

 

2022年6月22日水曜日

銀座の同伴


先日、久しぶりに夜の街の「同伴」に付き合った。コロナになって以来すっかり銀座のクラブとは縁遠くなったから妙に新鮮だった。

 

最近になって銀座にもそこそこ活気が戻っているらしく、私の元にも営業連絡が随分と来るようになった。かつてはちょこちょこ通っていたのに一度習慣がなくなるとちょっと億劫になる。

 

銀座の近くに住むようになってから夜の銀座に通わなくなった。そんなものだろう。いつでも行けるという感覚がそうさせる。今ではクラブ街の真ん中で夕飯だけ食べてとっとと帰宅することもある。

 

良いことだ。いや、一概にそうは言えないかも知れない。夜遊びにも効用はある。男としての活力維持につながる。老け込まないためにも時々は夜の街の空気に触れていた方が健康的な気がする。

 


 

今回は斬新な?食事を楽しみたい気分だったのでスペイン料理屋に出かけた。行きたかったスペインレストランが満席で第2候補の店もいっぱい。でも頭の中がパエリアだったので銀座5丁目の老舗「エスペロ」に向かう。

 

気軽に海外旅行に行けるようになったら真っ先に行きたいのがスペインだ。とくに理由はないのだが数ヶ月前からそう思い込んでいる。だから無性にパエリアが食べたかった。

 




 

本当はパエリアを複数頼んでそれだけをバクバク食べたいのだが、さすがにそうもいかない。アヒージョだとかオムレツなど定番料理をあれこれ頼んでスペインのシュワシュワであるカバをグビグビ飲む。

 

イカとウニを使った一品がなかなか美味しくカバが進む。ちなみにスペイン料理屋さんの良い点は何といってもシャンパンが置いていないところである。

 

カバがその役割を果たすわけだが、シャンパンより圧倒的に安いからお財布に優しい。エセ富豪としては無駄に高いシャンパンを注文して気持ちが落ち込む心配がないのが嬉しい。

 


 

お待ちかねのパエリアである。和装のオネエサンとのアンバランスな組み合わせが「いとをかし」である。着物姿の女性と一緒なら和食屋に行くのが普通なのだろうが、そこはアマノジャクこそ美徳を旨とする私である。こういう光景も大好きだ。

 

パエリアは何種類もあったが、この日はオーソドックスな肉のパエリアにする。本場スペインと同様にちゃんとウサギ肉を使っていると聞いたのでそちらを選ぶ。

 


さも分かったような書きぶりだが、この日満席で入れなかった別な店の「ポルチーニと鴨のパエリア」なるフュージョン系?が本当は食べたかった。近いうちにぜひ食べたい。

 

さて、同伴メシとはいえ今回の相手は長い付き合いのオネエサンでとくに新鮮さ?はなかったが、それはそれで悪くない。変にドギマギしたりアワアワしたり、あわよくば!みたいな邪念が無いままひたすら食事に没頭。話題もお互いの健康面に関する話ぐらいで実に平和だった。

 

その昔、10年ぐらい前まではもっとギラギラした感じで同伴メシに臨んでいたこともあった。単純にもっとカッコつけていたような気がする。

 

今だってそんな感性は必要だろう。この日のようにお爺ちゃんみたいな気分で過ごしていてはダメである。今更ながら昔を思い出して改めて気合いを入れ直そうと思った。

 

以前はちゃんと“くどきモード”になるような店にも行ったし、実際にそんな努力?も重ねたりした。撃沈続きとはいえ上手くいったことだって一度や二度ではない。

 

逆にスンゴいセクシー攻撃にたじろいで我を忘れこともある。早い時間から怪しい高級個室カラオケに連れて行かれて、あんなことやそんなことをされて血圧が上昇した事件もある。

 

死ぬ前に走馬燈のように思い出が頭の中を駆け巡るらしいがそんなシーンもきっと混ざり込むぐらいインパクトがあった。詳しく書けないのが残念だ。

 

同伴メシがフードファイトみたいな状態になったこともあった。もう10年以上前の話だが、お気に入りのトンカツ屋にお気に入りの女子を連れて行きアホほど食べた。相手にもアホほど食べさせた。

 

ロースカツの他にヒレカツを半分、それにエビフライ、メンチカツ、揚げ物ばかりじゃ気の毒だと思ってポークソテーまで食べさせた。

 

その後、その相手とは親密な間柄になったこともあって、その時の同伴メシの文句を後になってから随分と言われた。とんかつ屋のあとでお店に着いてからトイレで吐きまくったらしい。気の毒なことをした。

 

私の気配りや思いやりは時に人を苦しみのどん底に突き落とすこともあるらしい。それ以来ちょっとは気をつけるようになった。

 

銀座での同伴にまつわる話は4年前にもこのブログで書いていた。読み返してみたが、この頃から既に“老境”みたいな気分になっている。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2018/04/blog-post_25.html

 

色気のあるイケオジとやらになるためにはこんなことではいけない。枯れ過ぎてきた自分に渇を入れたくなった。頑張らねば。

 

 

 

 

 


2022年6月20日月曜日

年の功


久しぶりに歌舞伎を観る機会があった。小中高の同級生が出演する舞台を見学しに同級生連中で徒党を組んで国立劇場まで出かけた。

 


 

今回は歌舞伎鑑賞教室というイベントで上演前に初心者向けに歌舞伎のイロハを解説してもらった。解説役は現役の若手歌舞伎役者が務めるのだが、この役を私の同級生の息子さん(21歳)が担当していた。

 

身振り手振り、時に実演を入れながら歌舞伎の決まりごとや舞台の仕組み、裏方さんの働きなどを紹介してくれるのだが、これが結構面白くてタメになった。

 

と同時に解説役の同級生の息子さんの立派さに感心した。我々の年代ともなると子どもの世代がそろそろ世間で活躍し始める。光陰矢の如しとはよく言ったもので、自分たちがちっとも進歩しないうちに時代は次の世代に移り変わっているわけだ。

 


 

先日、別の友人の息子が結婚した。その子が生まれる頃にその友人とバカばかりやっていたことを思い出すと感慨深い。

 

今もその友人と会えば人には言えないようなワイセツ極まりないバカ話で盛り上がるのだが、そうこうしているうちにヤツも遠からずオジイチャンである。

 

地方のマイルドヤンキーさん達に比べれば都会生まれの私の周りは若くして結婚するケースは少なかった。必然的にまだオジイチャンになった友人はほとんどいない。

 

でも時代を遡れば50代後半にもなると既に立派なオジイチャン年齢である。江戸時代だったら隠居どころかそろそろ死んでいる。そう考えると若者時代と変わらぬ感覚でバカをやっていられる今の時代に生きていることは幸せなんだろう。

 

人生が50年ちょっとだった江戸時代の町人から見れば、今もあいみょんの歌を聴いて胸キュン状態になる私のような生き物は宇宙人のように思えるはずだ。

 


 

江戸東京博物館に展示されていた江戸の町人の一生である。なんと私の年齢だと「死去」である。このヨレヨレしたイラストも何ともシュールである。

 

タイムマシーンで江戸に行って私が実年齢を公表したら、その若々しさに驚かれて有名人になって幕府に健康指南役として召し抱えられるはずだ。

 

そんな空想にふけるぐらいだから平和である。日々、衰えを実感する場面は増えたが、結局は30代ぐらいの頃からたいして変わらない感覚で生きているような気がする。幼稚なのだろうか。まあこの歳になったら幼稚ぐらいでちょうどいいかもしれない。

 

さて、6月である。梅雨の鬱陶しさだけでなく紫陽花の美しさに魅せられる季節でもある。梅も桜も金木犀もそうだが、季節の訪れを告げるためだけに姿を現すように思える。

 



 

鎌倉のお寺のような名所はともかく、道端に咲いている紫陽花に目を向ける人は意外に少ない。珍しくないせいかも知れないが、足を止めて見入ってみるとその美しさにハっとさせられる。

 

そんな感覚になったのはここ数年だろうか。これも加齢のおかげによる感受性の変化だったとしたら歳を重ねることは素敵なことだ。

 

今の季節は毎年、私が敬愛するハマショー師匠の名曲「紫陽花のうた」を聴きたくなる。人に知られてはならない道ならぬ恋を歌った切ない楽曲だ。

 https://www.youtube.com/watch?v=rPNNX7TdWE0

 

この曲を聴くと昔のいろんな思い出が甦る。思い出すことがたくさんあるというのも年の功である。やはり歳をとるのは楽しいことである。

 

どうせなら私も不倫に溺れてみたいものだが、そもそも独身だから無理である。実に残念だ。不倫するために再婚することを検討してみよう。

 

江戸時代なら「死去」の年齢なのにそんな冗談を書いていられるのだから実に平和である。

 

 

 

 

 

 

2022年6月17日金曜日

アンナミラーズとコスプレ


その昔、若者を熱くさせた「アンナミラーズ」がこの夏で消滅するそうだ。高輪にある最後の店舗が営業終了を決めたという。これもまた一つの時代の終わりだ。

 

アンナミラーズ側にそんなつもりは無いのだろうが、日本にコスプレという一大ムーブメントを起こすきっかけになったのが「アンナミラーズ」ではないかと私は睨んでいる。

 

可愛らしいウェイトレスの制服を初めて見た時はかなり衝撃的だった。今になってネットで画像を見ても何とも思わない。いつの間にかデザインが変わったのか、それともそれほど私が純情だったのだろうか。

 



ネットでアンナミラーズと検索すると制服画像がゴソっと出てくるからやはりあの衣装がアイコンだったわけだ。Amazonでもナゼかそれ風のモノが売っている。根強い人気があるのだろう。

 

高校1年の時だっただろうか、吉祥寺に住んでいる友人に誘われて吉祥寺店を訪ねたのが最初だった。よく覚えていないが可愛らしい制服姿の女子を見てワンダーランドに迷い込んだかと思った。

 

小学校高学年の頃、ナゼか祖父にバニーガールがうろうろしている店に連れて行かれた時とはひと味違う衝撃を受けた。当時は誰も使っていなかった言葉「萌え」を初めて実感したのだろう。

 

オタクに限定された世界観だった萌えだとかコスプレを楽しむ嗜好はいまやクールジャパンの象徴として世界を席巻している。昔からは考えられない進化だ。

 

15年ぐらい前、幼かった娘を連れて「としまえん」に行くとコスプレ軍団が大勢うろうろしていて親子揃って不思議な気分になったものである。あの頃には既に一つの文化として根付いた感じだ。

 

メイド喫茶をはじめ、今やコンセプトカフェ、略してコンカフェとやらも凄い勢いで増えているらしい。私のような古い人間からするとコスプレと聞くと怪しい風俗店しか思い浮かばないが時代は確実に変わっている。

 


 

コスプレはスケベな男が女の子にお願いして奇天烈な衣装を着てもらうようなイメージがあった。ところが今の時代は女子が率先して風変わりな衣装を着てそれを見てもらいたがるパターンが珍しくない。

 

女子が可愛く変身するのを嫌がる男子はいないからそれはそれで結構なことである。私だってもし若者時代に今のような風潮だったなら秋葉原や池袋あたりにノコノコ見学に行ったかもしれない。

 

気付けば大人になった私もコスプレカラオケ大会に参加して鼻の下を伸ばしたり、飲み屋さんのコスプレデーに興味なさそうな顔をしながら実は喜んで駆けつけたり、はたまた親しい女子にはコスプレ衣装を強制的?に着用させたりしてきた。

 

思えば、銀座のホステスさんの衣装だってコスプレみたいなものだ。普段の暮らしでは絶対に着ないような服を着たらコスプレだ。

 



 

夜の蝶とのひとときを楽しみに出かける男達も結局はコスプレマニアなのかもしれない。ホステスさんの休みの日に普段着姿を見てもムホムホしないのがその証拠だろう

 

結局、みんなコスプレが好き。この世の真理である。

 

アニメに疎い私はコスプレと聞いてもメイドやミニスカポリス、バドガール(古い!)、レースクイーン、バニーガールあたりしか思い浮かばない。

 

中でも幼少期から一貫して大好きなのはバニーガールである。あのデザインの発明はノーベル平和賞レベルの偉業だと信じている。

 



 

露出という点ではビキニの水着のほうが遙かに上だが、バニーちゃんの衣装のほうが何倍もセクシーである。実に不思議だ。目の錯覚なのか、それとも男性の脳の仕組みに関係があるのか大いなる謎だ。

 

バニーガールの発祥は1960年。シカゴのプレイボーイクラブのウェイトレスの衣装として発表されたのが最初だとか。60年以上の歴史があるわけだ。

 

Wikipediaによるとウサギがモチーフになったのは「ウサギが1年を通して発情期というイメージの生物であることからの連想で、“自分はいつでも男性を受け入れる準備ができている”という暗喩から」だという。

 

いやはや何とも深い話があの衣装には隠されていたわけだ。ますますバニーちゃんの艶姿に惹かれていく私である。

 

バニーが好きでごめんなさい。よく分からないけどとりあえず謝っておこう。

 

 

 

 

 

2022年6月15日水曜日

音楽か酒かメシか


わがオジサマバンドは11月末に3年ぶりにライブを開催することになった。再始動である。ブランクを埋めようとちょっとペースを上げながら練習に励んでいる。

 


 

基本メンバー3人に加えて演目によって最大7名ぐらいの編成になる。まだ基本メンバー3人でアコギの演奏のみで演目候補を絞り込んでいる段階だ。

 

久しぶりに音楽と向き合っている。こういう趣味に没頭できる時間は貴重だ。コロナ禍真っ只中の頃には考えられなかった。

 

従来は練習開始当初は適当なカラオケボックスにギターを持ち込んでヤイノヤイノ過ごして秋頃からスタジオ練習に移行するパターンだった。

 

当然、カラオケボックスだとダラダラと酒を飲んだりしてフガフガになってしまうのだが、今年は最初からスタジオ練習に取り組んでいるので順調に仕上がりそうな雰囲気になりつつある。

 

というわけで、自宅でも普段より音楽に触れる機会が増えて、まるで「NO MUSIC,NO LIFE」みたいな感じである。

 

真面目にスタジオ練習に励んでいるとはいえ、練習後の飲み会もまた大事である。素人バンド活動の場合、そっちが目的みたいな側面も否定できない。まさに「NO ,NO LIFE」である。

 

スタジオは神保町にあるのでその界隈が練習後の飲み会場所になる。喫煙OKの店が少ないのでロクでもない中華料理屋で飲むか、チェーン店のモツ焼屋で飲むかの2択になりつつある。

 



 

ホッピーとモツ焼というオジサンのおやつを楽しみながら音楽談義そっちのけでお互いの健康問題や老後の心配、はたまた息子や娘の愚痴などを語る時間でもある。

 

いわゆるホッピーの「中」はお代わりするたびに濃くなっていくのが大衆酒場のお約束だが、イマドキのシステム化されたモツ焼屋では、自動的に1杯分を注げばストップするキャップ付きボトルがテーブルごとに置かれる。

 

便利だが何だか味気ない。まあ、メンドーなオッサン達を放置しておくには最適なシステムだろうから文句は言えない。

 

さて、毎度そんな飲み会ばかりでは面白くないので、前回の練習後は「炭水化物の宴」を企画することになった。2年ほど前に同じく神保町で基本メンバー3人で死にそうになるほどの炭水化物大会を開催したことがあったのでその再現をもくろんだわけだ。

 満腹死  http://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/10/blog-post_9.html

 

練習後、まずは一服したかったのでモツ焼屋に立ち寄る。まさに「NO タバコ,NO LIFE」である。その後に炭水化物大会が控えているのにちょろちょろとツマミを食べてホッピーで喉を潤す。

 

3人ともにあと3年ぐらいで還暦を迎えるのでちょこっとつまんで飲んだだけで正直に言うと空腹は収まってしまう。でも意を決して炭水化物の宴に向かう。お店は今回も神保町の人気店「揚子江菜館」である。

 

炭水化物、すなわち麺飯類は3人で3品でいいと誰かがヘタレたことを言い出したので、そんなシャバダバは許せない私が3人で4品を主張する。この店の麺飯類は盛りが多めだが、せっかくのイベントだ。頑張らないといけない。

 





 

チャーハンとパーコー担々麺と何とか麺に引き続き、池波正太郎も愛したというこの店名物の上海焼きそばを注文する。どれも普通に美味しい。この店の特徴は「偉大なる普通」だと思う。

 

続々と運ばれてくる料理を食べながら、2年前は3人で7品注文したことを思い出して、もう一品頼むべきだと提案してみた。他の2人は否定的な態度で私をバケモノみたいに扱う。でもメゲずにナンチャラまぜ麺という1品を追加してみた。

 


 

ナンチャラまぜ麺である。見るからに辛そうである。私が苦手な路線のものが来てしまった。余裕でもう一品食えるぜと息巻いていた私としては敗北決定である。

 

ところが、もう食えないなどと弱気なことを言っていた私以外の二人がこのまぜ麺をウマいウマいと言いながらバクバク食べているではないか。

 

気付けば完食。オジサマ恐るべしである。モツ焼屋で飲んだ二軒目だというのに3人で麺飯類5つを完食したわけだ。確実に寿命に悪影響を及ばしたはずだ。

 

まさに「NO 炭水化物,NO LIFE」である。でも3人で7品食べた2年前に比べれば苦しさは少しだけ軽かった。その後、3人で喫茶店に入ってようやくライブ用の演目などについて語り合ったから死ぬほどの苦しさではなかったわけだ。

 

頑張ってもう1品頼むべきだったかも知れない。

 

 

 

 

 

 

2022年6月13日月曜日

ソーメン炒め タケノコご飯


夜遊びとご無沙汰気味のせいで自炊っぽいことをする機会が増えた。近所での外食やウーバーが多い日常だが、たまに自ら調理の真似事をするのも悪くない。

 

私のモットーは包丁とまな板を使わないことである。必死に料理に励むと何かに負けたような気がするからあくまで安直に仕上げるのが基本だ。

 

米を炊いて豚肉を焼くという定番のお手軽メシの他に、最近しょっちゅう作るのがソーメン炒めと炊き込み飯である。いずれも包丁もまな板も不要である。

 

ソーメン炒めは沖縄チックなものではない。味付けもいつもテキトーだ。具を入れずに塩胡椒だけで炒めてウスターソースをかけて食べるヘンテコなパターンの他、缶詰のコンビーフやツナ缶を具材にして適当なタレをまぶして炒めるパターンなどさまざまだ。

 



 先日は腐りかけの豚バラ肉があったのでツナ缶とセットで具材にしてみた。味付けはすべて目分量だ。塩胡椒の他は少量のウスターソース、ごま油、少量の豚丼のタレなど。仕上げに冷蔵庫に常備してあるカットネギをドサっと入れて完成。

 

後片付けも簡単、洗い物も少なく簡単便利の極みである。味のほうは絶品というほどではないが充分に美味しい、ソーメンが部分的に焦げちゃっているのも程良いアクセントだ。

 


 

ソーメンはクセが無いから失敗しようがないのが嬉しい。ソース味、そばつゆ味、はたまた適当な肉料理用のタレを使ってもそれなりに味がまとまる。具材もちゃんとした肉でも入れれば一応はご馳走的な雰囲気にもなる。

 

缶詰だって一缶1000円超えの高級コンビーフを使えば一気に気分がアガるし応用の幅が広いから楽しい。エンゲル係数を無視してシングルライフを長年楽しんできた私の得意料理?である。

 

お次は炊き込みご飯である。なぜかこの頃はタケノコご飯にハマっている。凝り性な性分のせいか、この2週間ぐらいで5回ぐらいは作っている。

 




 横着者の私はもちろん市販の炊き込みご飯の素を使う。それこそ全国からウマそうな商品をネットで取り寄せて味比べをしている。

 

ただ、市販品はほぼ間違いなく味が薄い。料亭の味といえば聞こえが良いがボンヤリした冴えない味のものが多い。それが本来の炊き込みご飯なのかも知れないが私の好みではない。

 

子どもの頃、実家で食べていた炊き込みご飯は黒に近い茶色で味もしっかり強めだった。まさに東京下町的な濃い味の逸品だった。タケノコご飯だって焦げ茶色でどことなく甘めの味付けだった。

 

おかずが不要なぐらいしっかりした味付けが私が目指すタケノコご飯である。だから市販品の味付けに追加で醤油やみりんを足して味を濃くするのがいつものパターンだ。

 

市販品の場合、具材のタケノコの量がシャバダバである。なんであんなにケチケチするのだろう。値上げして構わないからタケノコ特盛りバージョンがあってもいいと思う。

 

というわけで追加のタケノコがわが家では必需品だ。包丁もまな板も使わないポリシーだからこれまた市販品のタケノコ土佐煮などをハサミで適度なサイズにちょん切って加える。

 

上の画像は市販品だけでそのまま炊きあげた場合と別盛りタケノコを足した場合の完成状態の比較である。タケノコご飯は具材が多ければ多いほどウマい。

 

タケノコご飯の素にタケノコを追加投入するだけでなく、別の炊き込みご飯の素にタケノコを乱入させるのもオススメだ。松茸ご飯の素やシメジご飯の素などタケノコと相性が良さそうなものなら何でも構わない。

 



 

上が松茸ご飯の素、下がシメジご飯の素にタケノコを乱入させて炊きあげた画像だ。どこをどう探しても松茸が見当たらないミミっちい松茸ご飯の素は論外だったが、2合用で800円ぐらいだったシメジご飯の素はなかなか良かった。

 

追加タケノコを加えた市販品の炊き込みご飯の素をお釜に入れてスイッチ一つで完成するわけだけだから実に安直な自炊モノである。私は日本酒をチョロっと入れて醤油を2~3回し分ぐらい足して、みりんをドバっと投入するから水加減には神経を使う。

 

炊き込みご飯のコメが柔らかかったら一口食べて残りは全部捨てたくなる。大きな声では言えないが実際に捨てたこともある。

 


 

うまい具合の硬さに仕上がった時は飛び上がるほど嬉しい。幸せの絶頂だ。しかし、3回に1回は硬すぎて失敗する。ボリボリ飯である。

 

残念無念な気分でリベンジを誓うわけだが、どんなにボリボリに硬くても結局すべて食べちゃう。ヤワ飯よりは百倍マシだ。「ウ~ン、アルデンテだぜ!」などとつぶやきながら負けを認めずに食べ続けている。






2022年6月10日金曜日

鰻の値段 銀座・神田川



 稚魚の不漁をきっかけにしたウナギの価格高騰が話題になってから随分経つ。いまやウナギは高級外食の代表格になってしまった。

 

安さをウリにする店もあるがたいていは脂びちゃびちゃでドロッとしたタレの味だけで誤魔化している怪しい鰻重を出してくる。

 

昔ながらのちゃんとした専門店に限れば安くてウマい店は絶滅状態だろう。私が知っている某店では鰻重を価格別に5段階ほど揃えているのだが、15年ほど前には確か5500円ぐらいだった最上位の鰻重が今では9900円である。笑うしかない値段である。

 

1万円クラスは別格としてもはや特上になると5千円ぐらいは普通になってしまった。若者だったら手が届かない値段だ。この調子だとウナギを愛する若者も絶滅しちゃう気がする。

 

私がウナギをやたらと食べるようになったのは30代の頃だからもう20年以上前だ。あの当時、今の価格だったら頻繁には食べられなかっただろう。今は食も細くなったから特上ではなく真ん中ランクぐらいの鰻重で満足できる。コスパの点では加齢も悪くない。

 

さて、今日のウナギ話は私が時々訪ねる銀座の外れの鰻屋さんのことだ。汐留寄りというか築地市場駅の近くに構える「神田川」という店。なぜか至近距離にはこれまた鰻の名店「竹葉亭」の本店がある。

 

ビルの地下にある神田川は竹葉亭に比べると新しいイメージだが、創業は明治初期だとか。店内は適度にモダンで半個室風の小さな小上がりが複数あって使い勝手が良い。

 

この掘りごたつの小上がり席が私のお気に入りだ。しっぽりと過ごせる。ウナギ以外に酒のツマミが無いようなお高くとまった?ウナギ専門店が好きではない私にとって、それなりに一品料理が用意されているのも嬉しい。

 

私にとってウナギは夜の食べ物である。必然的に酒とセットだ。適度にツマミが用意されていないのは不親切だと思う。こちらは刺身や季節の一品料理もあるから欲張りな私も満足出来る。

 




肝心のウナギ系ツマミにしても、このお店は肝焼きだけでなくレバー焼きなど趣向を凝らした一品もある。定番のうざく、う巻きも文句の無い味だ。

 

白焼きの美味しさにもムホムホできる。これまで10回以上はこのブログでも語ってきたが、わさび醤油で食べる白焼きは冷酒のツマミとしてナンバー1である。私の頭の中のコンテストでは例年1位の座をキープしている。

 



白焼きを食べてから蒲焼き、すなわち鰻重に移行する流れが私の“鰻道”における作法であり鉄則だ。この両輪を味わうことで双方の美味しさが引き立つと確信している。

 

最後に鰻重が登場する頃にはひとしきりウマい肴でホロ酔い気分だ。そんなフヌけた気分を鰻重の香りと眺めが一気にリセットしてくれる。「これだよ、これ!」と常につぶやく。

 

冒頭で書いたウナギの価格高騰問題に関してもこのお店は良心的な方だと思う。鰻重は2種類。3千円を切っている価格の並と3500円程度の上である。中央区界隈、それも銀座の近くの高級感のある空間で上鰻重を3500円で提供してくれるのは有難い。

 


 

上鰻重の画像である。これが出てくる前にツマミや白焼きを食べるわけだからむしろ適正サイズと言ってもいい。味のほうも文句なし。真っ当な専門店ならではのタレに頼りすぎていない点も嬉しい。別容器でタレも出てくるからタレ愛好家でも安心だ。

 

2種類の鰻重の他にこの店の名物が「大丼」。ウナギの量としてはこれが一番多いらしい。価格も上鰻重よりも上だ。個人的にはウナギはお重で食べたい私はこちらは未体験。5年前だったら量の多い方を選んだはずだからやはり加齢も悪くはない。

 



いずれにせよ、白焼きも鰻重もあのフジャっととろける東京のウナギの神髄を感じることが出来る。総入れ歯だろうと歯が全部無くなったってきっと美味しく味わえる。

 

最近は関西風の蒸さないウナギを出す店も増えてきた。この2030年の間に随分と東京の食べ物は西にほうから駆逐されている。うどん、おでん、天ぷらあたりも東京風の黒色やモッサリ系がどんどん無くなっている。

 

ウナギに関しては断固として東京風を支持したい。蒸しこそ鰻重の命だと迷うことなく断言できる。まあ、あくまで個人的な好みだからあまりエラそうなことは言えない。

 

いや、どうしたって蒸してこそ鰻重である。やはり断固そう主張したい。