2008年12月27日土曜日

年末年始

一応、平日限定で更新しているこのブログ。年末年始の休暇に入ります。

年末は、結局、鳥取の皆生温泉にちょろっと行って、あとはゴロゴロの予定。

大分・別府か、鳥取・皆生か、最後まで悩んだが、松葉ガニの誘惑が勝り、
大分はいつか改めて攻めてみようと思う。

大分で味わう予定だった旨いモノが頭に残っちゃったので、つい先日、銀座4丁目の郷土料理屋「竹の子」を訪ねてみた。アレコレ大分・九州モノを堪能。近いうちにレポートする予定。

年末年始の休み中に、パソコンに向かう意欲がわいたら、更新しようと思います。遅くても1月5日か6日には復活します。チョット気が早いですが、今年1年、雑文にお付き合いいただいた読者の皆様に感謝です。

皆様良いお年を!!

2008年12月26日金曜日

帝国ホテル「ブラスリー」

帝国ホテルの「ラ・ブラスリー」に行ってきた。古典的かつ日本的?なフランス料理を味わえる貴重な店だ。インペリアルタワーの地下1階。周囲には、天一や鮨源などがあるエリアだ。

基本的に私はフレンチが苦手だ。とくに創作系は全然ダメ。そんな私でもこの店のメニューは眺めているだけで安心。何が出てくるか分かる。

小学校から高校までフランス語を勉強させられる学校に通ったが、フランス的なものは大体苦手だ。ヒステリックなフランス人の教師や、得体の知れないフランス語の発音に苦しんだことが原因だろう。

そんなことはさておき、レストランの話だ。ひとことで表現するなら「ラ・ブラスリー」は、日本人が作る“日本人的西洋料理”の最高峰だろう。

その昔、まだ東京の中心部でも外国人が歩いているだけで珍しかった頃の西洋料理だ。実際、この店の古典的なメニューには、今は亡き帝国ホテルの象徴・村上料理長考案のものがいくつもあるらしい。

前菜に出てきたのは、生ハムとチョリソーと鴨。酒のアテにちょうど良い塩加減。鴨の質が上等。変なソースをかけずにそのまま美味しく食べられたことが嬉しい。シャンパンやワインじゃなくても焼酎だって相手できる味わいだ。

前菜はもうひとつ。エスカルゴ。奇をてらわない昔ながらのエスカルゴだ。ガーリック、バターと渾然一体となったでんでん虫が口の中でうごめく。

お次の画像は、子羊の網焼き・ミント風味。ミントソースが添えられていたが、こちらもソースいらずの味わい。塩コショウされた子羊自体が美味しかったので、そのままでイケる。これもシャンパンやワインじゃなくても焼酎だってOKかも。ちょっと火が通りすぎていた点が残念。

続いては、名物料理のひとつ「海老と舌平目のグラタンエリザベス風」。つい肉料理を頼みがちな私だが、これには感激する。上質な海老にホワイトソースで味付けされた魚のすり身と舌平目が巻かれており、濃厚なアメリケーヌソースをかけて味わう。

単純明快に旨い。誰でも美味しいと感じるストレートな味。老若男女問わず笑顔になれる味わいだろう。

もうひとつの名物料理がシャリアピンステーキ。叩いて軟らかくなった肉をおろしタマネギでマリネにして、大量の炒めタマネギがステーキソースとしてどっさり載っかる一品。「タマネギざんまいの柔らか肉」だ。野菜嫌いなくせにタマネギだけは好きな私には嬉しい一品。“肉肉しい”牛肉が年々、縁遠い存在になってきた私は、全体に軽やかな食感に大満足。

このあたりの料理は、どう頑張っても焼酎ではない。シャンパンがグイグイすすむ。

“炭水カブラー”な私がついつい注文したのがシーフードピラフ。ホテルめしのピラフに目がない私にとって、これをオーダーしないわけにはいかない。

変な話、値段の高さに惹かれる。街場の喫茶店のピラフだったら5個は頼めそうだ。普通のシティホテルのカフェと比べても2倍はする。ピラフ好きにとっては気になる。

肝心のお味はというと、街場の喫茶店のピラフよりは3倍は美味しい。上に載っているカラマリフライ用のブイヨンソースが味を引き締める。

「特製ソースかけピラフ」の類が好きな私は大満足。でもピラフだけ言えば、このブログでも何度か書いた九段下のホテル・グランドパレスのほうが好きかも。

全体に満足した食事だったが、やはりオールドファンションの高級ホテルの良さを随所に感じた。サービスの質、客層の安定感など一朝一夕では醸し出されない空気が高ポイントだろう。

ハヤリモノ、最先端をついつい敬遠する私としては、至極真っ当かつ快適なレストランだと思う。

2008年12月25日木曜日

邪道は美味しい


飲食店の評価って、結局は自分がいかに快適に過ごせるかで決まる。ミシュランに載ってたからって、突然行ってみて評価しようなどと思うのは正しくない。

一度行ったぐらいで、その店の評価をシタリ顔で語るのはスマートではない。よほどヒドい目に遭えば、一度きりでダメダメ評価を下すことはありえるが、そういう論外な店は、一定水準以上の店に限れば滅多にない。

自分が快適かどうかは、結局店側との相性も大きく影響する。要は何度も訪ねることで過ごしやすさは決まる。とくにカウンターを挟んで板前さんと対峙するお寿司屋さんの世界は、顔見知りになってからが本番。お店の良さを引き出せるかどうかは自分次第でもある。

前振りが長くなった。ある日のこと。高田馬場にある鮨源本店を訪ねた。割と寿司屋系珍味攻めが続いていたこともあって、この日は珍味系はお休み。

まずは冒頭の写真。メジマグロの腹の部分をおろし醤油で味わって、身がギッシリのタラバの脚を少しもらう。サバもつまんで冬の味を楽しむ。

珍味を頼まないと何か手持ちぶさた。でも、この日は邪道系の料理を食べたい気分だったので、しばし考える。

思いついたのが海老フライ。以前、外国人のお客さんに出されていたのを目撃して以来、注文したかった一品だ。ちゃんとソースも登場。タルタルソースは、さすがに前もって頼まないと用意していないようだが、正統な高級寿司店で揚げ物をソースで食べられるだけで何か嬉しい。でも、お子ちゃまみたいなので、周りの視線がちょっと恥ずかしくもある。

お味は言うまでもない。生きている上質な車海老を素材にするのだからマズイわけがない。海老の味が凝縮されて口の中が幸福になる。頭の部分も上手に揚がっており、殻の固さがまったく気にならない。素直に口の中に収まる。おまけに海老のミソの風味がバッチリ感じられて抜群。

クセになりそうだが、さすがに邪道なので、しょっちゅう頼むのはよそうと思う。次はホタテか牡蠣のフライにしよう(結局、邪道だ・・)。

この店では、以前から刺身で食べられるクジラを竜田揚げにしてもらったり、ウナギの三杯酢和えの「うざく」ならぬ「あなざく」を穴子で作ってもらったり、割と気軽にアレコレ食べさせてもらっている。何度も行くうちに自然と“邪道モノ”も頼めるようになった。

さすがの私でも初めて訪れたお寿司屋さんで、海老フライをくれとか言わない。突き出しがうまかったからといって、それを軍艦で握ってくれとは言えない。そんなもんだろう。

いわゆる馴染み客になって初めて、その店の居心地がいいかどうかが分かる。

この日、鮨源には、私が大好きな一品があった。ツナサラダのツナがそれ。本マグロを使った贅沢ツナだ。本マグロの端っこだか、色変わりしたものなのか分からないが、確か1か月に一度くらいは、この贅沢ツナが制作されている。

あくまで突き出し用に作られているのだが、なんてったって本マグロだ。そこらへんのツナとは大違い。単純明快に美味しい。

この日、酒疲れもあってガツンと握りを食べたい気分もあったので、「ツナ軍艦握り、山盛りで二貫・・」と小さい声で注文した。

ツナ軍艦、これぞ「邪道界のスーパースター」みたいな風情で出てきた。しばし感動。チョロッと醤油をたらすと味わいが深まる。お子ちゃまみたいで恥ずかしいなどと言っていられない。私はこれが大好きだ。

マグロの部位がどうだとか、包丁の角度がどうした、熟成日数がなんとか、といった本マグロをとりまくウンチク話を超越した一品が、このツナ軍艦である。

ひとつ食べたあとで、ツナ軍艦の横から見た姿も写真に納めてみた。なんとも素敵なこの盛り上がり方にバンザイだ。ヤケクソのように盛られている。

もはや、シャリとネタのバランスなどとアレコレ気取っている段階ではない。大口開けなければ食べられない高さだ。それがまた堪らない。

横から見た姿は、銀座あたりを飛び交う夜の蝶のとんがった髪型のようにも見える。そびえ立った感じがなんとなく似ている。

まあどちらも大好物には違いない・・・。

2008年12月24日水曜日

派遣切りと内定取消し

派遣切りの話題が相変わらずニュースの主役のようになっている。19日付のこのブログでも取り上げたが、この日、ブログを覗いてくれた人の数は普段の10倍ぐらいになったので少し驚いた。やはり世間の一大関心事なのだろう。

と同時に、表層的かつ情緒的なメディア報道に疑問を感じる人が多いことを痛感する。ネットの世界を覗いてみると、「派遣切りは悪か」という観点の議論が多い。ただし、意見の多くが、派遣切り肯定派の声に見えたのが現実だ。

派遣切りに対する巨大メディアの捉え方への消化不良がネット上での活発な意見展開につながっているような印象を受けた。

一口に派遣切りといっても、そのパターンは様々。画一的に批判されては堪ったものではない。正規雇用を目指しているのに、そうなれない人が多いのも分かるが、なかには積極的に派遣、すなわち非正規雇用を選んでいる人だって少なくない。

私の経験でも、そういう人を結構見てきた。年に2回ほど長期旅行したいので、正社員の道は選ばないとか、朝が苦手なので、正規雇用は避けているとか、およおやといいたくなる人も現実に存在した。

まあ、そういう人材は、昨今問題になっている派遣切りの話題とは別ものなんだろう。

さて、派遣切りは、企業のリスクマネジメント上、当然であり仕方ないというのが私の率直な考えだが、なかには、救済が必要なインモラルなケースもある。

派遣とはいえ、正統な派遣契約の範囲では保護されるべきだが、その部分すら無視してカットされるケースは、企業側の責任は免れない。

ただ、この場合、契約上は、人材派遣会社と受入れ企業側で賠償問題が生じるのが普通で、人材派遣会社がどう対処しているかがカギになる。もちろん、賠償問題は、人材派遣会社と受入れ企業との間の話で、当の労働者本人がカヤの外に置かれていたらどうにもならない話ではある。

こうなると焦点はあくまで制度上の話であり、短絡的に批判される企業側は堪ったものではない。

さてさて、話題を変える。派遣切りとともに問題視されている「内定取消し」について。これについても企業側の姿勢が問われている。

日本語の意味で言えば「内定」と「決定」は違う。もちろん、実際の雇用慣行では、内定段階で事実上の雇用関係にあるようなイメージがある。ここがトラブルの争点になるわけだ。

経営者側の見方では、やはり、内定は内定でしかない。急きょ、人員削減が必要な場合には真っ先に内定者がターゲットになるのは仕方ない話。

内定者とはいえ、事実上の雇用関係にあったかどうかは、司法判断にでも頼らないと門外漢の私には分からない。ただ、経営者側の本音としては、「内定は内定」でしかないのが事実だ。

私自身の経験を思い起こせば、逆に内定者側から一方的に辞退された経験は何度もある。最近は、新卒採用ではなく即戦力重視の意味で、経験者募集しかしていないが、この場合、内定者に突然、辞退されると本当に迷惑する。

経験者採用となると、採用人数も一定数をあらかじめ決めておき、絞りに絞って採用者を選ぶ。当然、採用内定者を絞り込んだ段階で選ばれなかった人には、断りの連絡を入れる。

「もし、内定者が辞退したら繰り上げ採用しますから、数ヶ月待機しててね」などと言えるわけもなく、定数の関係上、泣く泣く惜しい人材をお断りすることもある。

そうした上で、内定者が突然入社を断ってきたら、それはもう迷惑千万。それこそ訴えたくなる。人材募集費用だけでなく、選考課程の社内的手間、時間人件費、はたまた期間損失を考えるとバカにならない。

中小企業にとっては、採用予定者が突然、ケツまくっていなくなってしまうことは珍しいことではない。大企業の人員採用とは微妙に違う話ではあるが、勝手気ままに辞退された苦い経験のある経営者の本音は、推して知るべし。「内定は内定でしかない」。これは正直なところだろう。

業績見込みが滅茶苦茶で、無秩序に採用計画を立て、内定を乱発し、いざとなったら入社を断るという図式なら、企業側も責められても仕方ない。ただ、普通はそんなケースは稀だ。よほど急激な経営環境の変化によって、残念な事態につながっているのが現実だろう。

それでもメディアはこぞって「企業の社会的責任」というフレーズを使って責め立てる。違法行為で追及できないとなると、何でもかんでも、この言葉で企業側を悪者視したがる。

営利企業の存在目的は、あくまで利益の追求である。社会的責任を定義するとしたら、倒産させずに存続させることだろう。倒産させないための企業防衛は、企業規模が小さくなればなるほどシビアになって当然。

名のある大企業なら、タチの悪い偽装やインチキをしようが、質の悪い経済犯罪をしでかしても、滅多に倒産もせずに活動を続ける。規模が大きければ周囲への影響もあるという理由もあって、なんだかんだとつぶれずに済んでいる。

誰も助けてくれない中小企業は、自助努力で存続し続けようと奮闘する。こうした階層の経営者にとって、派遣切りとか内定取消しの問題が大騒ぎされるのは、どこかうっとうしい感じがする。

2008年12月22日月曜日

夜のパーティー


たいした頻度ではないが、夜のクラブ活動を懲りもせずに続けている。いいことなど無いのに不思議なもので、なんとなくダラダラと続いている。

昔からよく分からないのが、あの世界での「パーティー」なるもの。銀座あたりも先週ぐらいがパーティー期間のピークだったようで、派手に着飾った女性陣がネオン街を闊歩していた。

「パーティーだから来てくれ」、「パーティーなのにどうして来ないんだ、バカ」とか言われるわけだ。

一般的な感覚だと「パーティー」とは、開店何周年とかリニューアル記念とか、大義名分がある。これに対して、クラブの“パーティー”は、ただそのように謳っているだけでよく分からない。

お店の中が普段より華やかになる、ホステスさんが普段よりドレスアップする、営業攻勢にさらされたお客さんが普段よりたくさんやってくる・・・。

単純にこういうことなのだが、平たくいえば店側の営業強化イベントだ。お店によっては期間中にノルマが発生し、女性陣も客の誘致に普段より精を出す。

アマノジャクの私は、この手のパーティーが苦手で、あまり行かない。パーティー期間だと知らずに出かけていって大混雑にビックリすることもある。

まあこの時期はどこの店も繁盛するわけだから、わざわざ行かないでもいい気がする。もっと暇そうな時にふらっと覗くほうが落ち着く。

パーティー嫌いは意外に多く、結構な数の常連を掴んでいる店だと、パーティー終了翌日あたりにやたらと混雑することも多い。

私自身、そのパターンで出かけると御同類が意外に多いことに感心する。

先日、勝ち組クラブ「M」にノコノコ出かけた。たまたまパーティー期間終了の翌日だった。そこそこ混雑していたが、たいしたことはない。10時も過ぎれば空席も出てきた。これって私のつたない経験からは珍しいことのように思う。

やはり、不況の風は、この手の業界に真っ先に吹き始めているのだろう。来年のパーティー時期には、かつてないほどの営業攻勢が押し寄せることになりそうだ。

考えてみれば、私も普段は酔っぱらって、四の五の悪態をついたり、素晴らしく下品な話を得意になって展開している。調子よく相手してくれる女性陣のために、少しは貢献しないといけない。

「パーティーなんか行ってられるかい、ケっ!」とか言ってるようではダメだ。来年は、持ちつ持たれつ精神を心掛けてみよう。

でも多分無理だろう。

2008年12月19日金曜日

派遣切りって悪なの?

連日のようにニュース番組が騒いでいる「派遣切り」。雇用の安定は国にとって大事な課題だから重要ニュースであることは確かだろうが、最近の“空気”はちょっと気持ち悪い感じがする。

呆然とする中高年、涙まで流す中高年の映像と言い分ばかりがテレビ的には多用される。やれ一方的だ、冷酷だ、住むところまで追い出される等々、いつのまにか会社側が悪者であるかのような雰囲気が出てきた。

仕事を失う人達には気の毒な話だが、端的にいって仕方のない話。それだけの話だろう。人員整理する企業や経営者がヒールのように位置付けられかねない風潮はおかしい。

多くの場合、派遣社員や契約社員の契約を更新しないという話であって、労使ともに、期間限定の雇用スタイルは最初から織り込み済みの話。非正規雇用の従業員を業績次第で増減させるのは、ごくごく普通のリスクマネジメントでしかない。

派遣や契約というスタイル自体が、業績悪化時の固定費削減を想定したものなのだから、いざ、その効用が発揮された段階で、まるで不当解雇のようにイメージされるのはバカげた話だ。

どうにも情緒的な報道が多すぎる。人員削減で悪者視されたくない会社が、変な世相におもねって無理な雇用を続けて結局倒産しちゃったらどうするのだろう。そっちのほうが大問題だ。

一連の報道では、削減される人達の住宅問題がクローズアップされた。「雇用契約を打ち切られたから、退居を迫られている」。要はそういう話。お気の毒だが、やはり仕方のない話としかいいようがない。雇用関係のない人に会社資産である社宅を提供し続けるわけにもいかないのは当然のことだろう。

もっとも、中小企業経営者から見れば、一連のニュースで印象的だったのは、非正規雇用の従業員にも社宅が用意されていたという事実だろう。これ自体が中小企業経営者の感覚からは驚きだ。

勤め人の数は経営者の数より圧倒的に多い。世論という名のマスコミ誘導は経営者の意識とはほど遠いところで動いている。

誰も助けてくれない中小企業経営者の思いや本音は、巷を騒がす観念的なニュース報道とはまったく違う次元にあることを改めて痛感する。

2008年12月18日木曜日

ズレた考え

先日まとまった与党税制調査会の来年度税制改正大綱は、この不況を背景に減税色を前面に発揮した内容になった。

大げさでなく、経済の危機に直面するなか、当たり前といえば当たり前だが、麻生首相の指示した「3年後の消費税引上げ明記」を無視したことは英断といえよう。

首相の指示を無視すること自体、問題がないわけではないが、指示自体がトンチンカンなら仕方あるまい。

消費税増税を打ち出すことは、責任政党として大事だという意見もあるが、今は、歴史的な経済構造激変期の入口にあるわけで、消費税増税を持ち出すこと自体がナンセンス。いくら3年後の話だとしてもまったく意味のない話。

私は、どちらかといえば消費税増税論者だ。単一税率の公平感は、罰則的な累進税率を採る主要直接税より、よほどスッキリしている。財政事情、景気事情次第で税率引上げは支持したいが、今の時点でそんなことにこだわる麻生首相のズレは大いに問題だ。

与党税調にソッポを向かれた麻生首相は、懲りずに今度は経済財政諮問会議が中期的な税制改革の指針を示す中期プログラムの原案に「3年後の消費税明記」を盛り込ませようとしている。

こうなると偏屈の一言だろう。バッシングが集中している全世帯への定額給付金は2兆円規模の予定。消費税を1%上げれば、税収は2兆8千億円。仮に消費税を現行の5%から8%にしたら、単純に8兆円以上の増収になる。

「2兆円ばらまくから、あとあと毎年8兆円よこせ」って言ってるように見えて仕方ない。

この中期プログラムの原案は、与党の一角である公明党が消費税増税の明記に断固反対している関係で、すんなり閣議決定に至る可能性は低い。

ひょっとすると連立解消、政界再編もしくは、ヤケクソ解散の導火線になる可能性も否定できない。

消費税増税の道筋をつけることが、歴史に名を残すことだと思い込んでいるフシがある麻生首相だが、このこだわりが、政界液状化の引き金になるかもしれない

2008年12月17日水曜日

持病

久々にガッツリした食事がしたいと、銀座の「あずま」であれこれ食べた。昼食を取り損なったこともあり空腹全開。海老フライ、クリームコロッケ、ソーセージを片手に大量にビールを飲んで、締めに昔ながらのピラフを食べた。

昭和レトロっぽい店構え、味も同様にどこか郷愁を誘う。食べる量についても、「昔ながら」を実践したのが失敗だった。結構苦しくなった。おまけに、揚げ物を一度にたくさん食べると、持病が顔を出すのをウッカリ忘れていた。

持病というと大げさだが、昔から胃カメラを飲むたびに指摘されるのが、逆流性食道炎。いつも症状を感じるわけでなく、何かのきっかけで、しばらくの間かなりしんどい胸焼けに襲われる。

逆流性食道炎は、脂肪分の多い食事が好きな人、姿勢の悪い人、太った人、高齢の人などがなりやすい。いわば私のためにあるような症状だ。

でも、私の場合、そうした格好悪い理由ではなく、あくまでストレスが原因(と信じている)。

この日、食後の腹ごなしに立ち寄った酒場で既に胸焼けスタート。このように食後早めに症状が出るとタチが悪い。夜更けに帰宅して、眠りに落ちたものの、すぐに起きてしまう。

読んで字のごとく逆流するわけだから、横になっていると胃と胸の間がチリチリ、ジリジリ燃えるように痛くなって不快。スペシャル胸焼けだ。

結局、横になれずに座ったままうつらうつら。寒いし、胸焼けはヘビーだし、こうなると特効薬もない。困ってしまう。

翌日は夕方近くまで食欲がなかった。夜もあっさり軽めにして、久しぶりにアルコールも抜いた。それでも、夜中になると胸が火事を起こしたように熱い。この日も何度か“座眠”するハメに。

一応、医師から処方された専用の薬も常備しているが、あまり効かない。まあ、症状がきつくないうちに飲んでおかないと意味がないのかもしれない。

そのくせ、いま一番食べたいものが天ぷらだったりする。こういう性格だから、持病はいつまでも持病のままで、思い出したかのように私をイジメる。

ところで、40歳前後から、身体は緩やかに老人への予行演習を始めている。視力は衰え、反射神経も衰え、記憶力はもちろん、毛髪も衰え、腰は痛くなる。全体の代謝だって弱まる。抜いた鼻毛も白いものが威張ってる。

いちいち機能が弱ってくることで、徐々にいろんな覚悟も出来てくるから面白い。どんなに急いでいてもダッシュすることは無くなった。そんなことしたら足腰に不都合が生じるだけでなく、心臓だって危ない。

無理な姿勢で何かに手を伸ばそうと努力することもなくなった。アチコチがつっちゃうので無理な格好はしなくなった。

心臓をいたわり、無理な格好もしなくなる。こうなると、そっち方面にも変化が起きているのだろうか。冷静に思い返してみる・・・。

確かに昔は頑張れたアンナコトもコンナコトもすっかり過去の話になった気がする。今では地味な作業?が中心かも。ひとことで片付けるなら、大人になったのだろう。それでよい。そのほうが正しい。

すっかり話が脱線してしまった。

70歳代、80歳代、はたまたそれより上の年齢の人の動きを見ると、当然、今の自分では理解できないゆったりしたテンポだ。いま、突然、自分がその年齢になったら、機敏に動けないことが辛くて大変だろう。

老人になった時に慌てないように、中年のうちからゆっくりと身体は老化への準備を始める。テンポは徐々に落ちていく。

けなげな話だが、よく考えると確実に老人世界の入口に到着した証でもある。なんだか複雑な気分だ。

先日、元ロッテのエース・村田兆治がマスターズリーグの試合で141キロの速球を投げたそうだ。彼は59歳。なんなんだろう。どんな老人になるのだろう。そこまでいくと変な話、不思議とちっとも羨ましくない。

ただただ「恐るべし」という感想しかない。

今日は話がアチコチに飛んでスイマセン。

2008年12月16日火曜日

父親の存在

お父さんの姿って随分変わってきたように思う。その昔のイメージは、黙々と仕事に打ち込み、休みの日はぐうたらと過ごし、家族サービスは、たまの外食ぐらい。子どものことは母親にまかせ、我が道を行くといった印象があった。

良き家庭人であろうという人もいただろうが、それでも一応の役割分担があって、子どもの学校のこととかは、あくまで母親の仕事だった。

私の子どもが通っている学校では、気のせいか妙に父親のための行事が多い。正式な学校行事というわけではないようだが、父親の会みたいな組織が作られ、そこが音頭を取って“準学校行事”のような位置付けになっている。

困ったことに参加率が高いようで、全然行かない私は完全な少数派。

もともと、普段忙しくて子どもと接する時間が持ちにくいお父さんのために、皆さんがアレコレ企画をしているものだ。

私の場合、休みの日は割と子どもと遊んでいるし、毎朝死ぬ思いでなんとか会話も維持しているので、わざわざ群れてまで行事に参加したいとは思わない。

困ったことにIT化の波は、こういう父親の世界にも波及しており、いちいちメーリングリストでいろいろと案内が来る。おまけに出欠表明や質問なども全員の分がメーリングリストの参加メンバーにその都度飛び込んでくる。欠席者はさらし者みたいな気分になる。

一生懸命、諸雑務をこなしているお父さん方は立派だし、有難いのだろうが、このメーリングリストの仕組みは有難くない。

メールで飛び交う会話や、流れてくる話を聞くと、相当な数のお父さんが喜々として、活動している。生き甲斐みたいにハッスルしている人もいる。社交的なタイプとは言えない私には驚異的だ。

30代から40代の大人が中心だが、皆さん忙しくないのだろうか。私が変なのだろうか。時々悩みたくなるほど、多くのお父さん達が大活躍している。

学校に預けた以上、子どもの学校のことは信用して学校にまかせようと思っている私は、PTAとか保護者会にもあまり興味がない。母親の役割だと思うし、お父さんがしゃしゃり出ない方が普通だと思う。でも、この考え方自体が時代とずれているのかも知れない。困った。

先日、子どもと二人で日帰りで熱海まで行ってきた。温泉プールのような施設で、恐怖のウォータースラーダーを何度もやらされ、一緒に低温サウナに入って母親へのグチを語り合ったりした。

東京に戻って、ふたりで寿司屋で語り合い、1日フルで付き合ったことで結構な収穫があった。お父さん同士で宴会やるぐらいなら、こっちの方が子どもと向き合える。

まあそんなこと言っていると、今の時代、お父さん達の世界では、変人扱いされて子どもに飛び火してもマズいので、たまには付き合わないと行けないのかも知れない。

向田邦子の名作「父の詫び状」に出てくる父親が私の理想なんだろう。不器用な父親は、家族で食事をしている時におかしなことがあっても、笑いをこらえる。その後、そっとトイレに行って一人で爆笑している。精一杯、威厳を保とうとしているが、いまひとつ迫力に欠ける姿が愛らしくもある。

もう何世代も前の父親像だから、いまさら通用する話でもないが、作品の中で一生懸命、母親と父親の役割と位置付けが違うことを小さい子どもに体験させようとする姿勢自体は、現在でも同じでいいと思う。

なんか世の中、ユニセックス化が加速しているように思う。それも時代の流れなのだろうか。

2008年12月15日月曜日

懲りずに寿司


今日もまたお寿司屋さんの話。といっても、珍味ばかり食べた日の話。場所は銀座にある「鮨・九谷」。九谷焼と同じ名称ゆえに北陸方面の魚を食べさせる店に思えるが、レアな北海道モノをウリにするお店だ。

以前、イバラガニの内子を出されて大感激したことがある。タラバの内子なら、都内でもたまに出会えるが、オレンジ色の憎いヤツ・イバラの内子は、北海道を旅していても頻繁に遭遇しない。

この日もイバラの内子に期待通りに再会。幸せだ。珍味の日と決めていたので、生ビールのあとは燗酒に切り替える。

サバをつまみに幸せな時間がゆっくり進む。お通しにもタコの卵だろうか、魚卵の塊が用意されている。そしてカワハギへ。醤油皿に投入されたキモが少なかったので、さっそく増量要求。キモ大盛りで味わうカワハギはネットリ爽やかな味わい。

カラスミがやってきた。素直に美味しい。
ボラになれなかったタマゴの冥福を祈る。一粒も落とさずに食べてやることが供養だと思って堪能する。

スジコの粕漬けなるものがやってきた。なんでも八海山の酒粕を入手した店の大将が上質のスジコを漬けてみたものだという。
見るからに旨そうだ。見た目も麗しく、私にとっては宝石に見える。ペンダントヘッドにして首からぶら下げていたい感じだ。

口に含むと、粕漬け特有の香りが一瞬広がり、その間隙を縫ってスジコが弾けてジュンワリと混ざり合う。抜群です。これは旨い。ひと手間加えられたスジコは、立派に“料理”として通用する味わいだった。

毛ガニをつまみで頼む。この店では、カニミソもしっかりトッピングしてくれる。カニ自体の質が良いせいで、ミソの風味も実にしっかり。

お通しに出てきたナゾの魚卵にはじまり、タマゴになる前のカニの内子、カラスミにスジコなど、考えてみればお気の毒だ。それぞれ、せっかく生まれようとしていたのに、生まれる前の段階で私の胃袋に摂取される。

タマゴひとつひとつが成魚になっていた可能性があるわけで、それを考えると恐縮してしまう。せめてムシャムシャ食べてあげようと決意してムシャムシャ食べる。

ショウガ醤油ではなく山ワサビ醤油でイカ刺しが食べられるのも北海道系のお寿司屋さんの特徴だ。日本的な辛味がイカの甘さと絶妙に合う。

ここまでで1時間ぐらい経っただろうか。店の大将は、寿司屋なのにまだワサビを使ってもらっていないとボヤく。確かに刺身でもらったサバはショウガ醤油、カワハギはキモ醤油、イカは山ワサビ。あとは塩っ辛い系の珍味ばかり。

熱めに燗をつけてもらったお酒が、素晴らしい肴を並べたことでいつもより美味しく感じる。

そろそろ握りをもらおうかという頃合いになって、大将が再び、そそられる珍味を見せてくれた。アワビのキモの塩漬け。アワビのキモを3週間ほど寝かした“作品”だとのこと。ためらわずに戴くことにする。

クセというか独特の風味が、燗酒とマッチする。初体験の味だ。「初めて食べるもの」が年齢とともに減ってきてしまった私にとっては、有難い味だった。

珍味攻めで結構満足になり、握りは少ししか食べられなかった。北海道ならではの鮭を2種類、鮭児と大助(おおすけ)を1貫ずつもらう。

そのあと懲りずにイクラを頼んで、コハダを2貫もらって終了。

冒頭の写真は、同行の“キモ同士”に出されたスペシャルな中トロ。ウニとキャビアがトッピングされたバブリーな1貫。

それぞれの味がケンカするんじゃないかと思ったが、食べた本人いわく、それぞれが調和して美味しかったとのこと。

いずれにしても、塩分、プリン体、コレステロールを過剰に摂取した一夜だったように思う。

サラダだけ食べる日とかを意識して作らないといけない・・・。

2008年12月12日金曜日

ネオン街を取材する

それにしても景気のいい話がどこにもない。ウツウツとするような話題ばかりだ。夜の街をふらふらしていても、ここ2~3か月で一気に不況風が強まっていることを実感する。

なかなか入れなかったレストランに意外にスッと入れたり、一見混雑しているような店でも、よく聞くと客単価がはっきり下がっている話を聞かされる。

景気動向調査のために銀座のクラブに出かけて、あれこれ取材してみた。おおむね次のような状況だという。

1,団体でやってくる客が激減した。

2,シャンパンやワインを注文する客が激減した。

3,早い時間に切り上げる客が増えた。

4,混雑した翌日はガラガラ。調子のいい日が続かない。

ざっとこんなところだ。


今の段階で低迷基調なら、年明け以降の意気消沈世相は相当深刻になりそうだ。

話は変わるが、先日、違う角度から景気動向調査?をしようと、ガールズバーなる場所に迷い込んでしまった。初めての経験だ。

ガールズバーといっても、ソファ席で女性がアテンドしてくれるスタイル。20分ぐらいで女性は入れ替わる。

要はキャバクラのことかと納得しかけたが、席についた女性がキャバクラとの違いを教えてくれた。なんのことはない。女性が普段着というだけ。

ついでにいえば、フロアの一角に食べ放題の大皿料理が用意されていて、それを一応接客中の女性がバクバク食べている。変な感じだ。なんだかなあーという感じ。

安いことは安いが、安けりゃいいってもんでもない。客層は若者中心かと思いきや50~60代の紳士が結構多かった。なんとも不思議な空間だった。

一応、景気動向調査なので、あれこれ話を聞いてみた。大学生が中心の女性陣、悩みは就職難の一点に集中。そりゃそうだろう。

何も得るものの無かったガールズバー体験だった。いや、一点だけ参考になったことがある。女性のバイトさん達は、一定年齢を超えると、そのガールズバーにはいられなくなる。受け皿になるのが、シングルズバーとかいう今はやりの形態の店。

平たくいえばキャバクラなんだろうが、一般女性との出会いの場を提供するという趣旨をうたった店が増殖中らしい。

その手の店の“一般女性”に“昇格”しているのが、ガールズバー出身者なんだそうだ。聞いた話なので真偽のほどは定かではない。

だとすると、なかなか効率的な人事配置だ。参考になる。

シングルズバーでは、男性客は、建前上、一般の女性と知り合うことになっているわけだから、いろいろと妙な話もあるらしい。

子どもが集う出会いカフェみたいな場所が売春の前線基地になっているように、大人の世界で同様のシチェーションだと、売春というより、怪しい勧誘攻勢が多くなるそうだ。

マルチ商法とかナントカ商法、それ以外にも変な組織への勧誘とか、その手のウサン臭い話が結構珍しくないらしい。

伝聞なので、ホントかウソかは分からないが、ありそうな話だ。調子よく呑んでいたつもりが、いろんな勧誘のターゲットにされたら困りものだ。

お人好しの私のことだ。酔っている時に色っぽい女性に勧誘されたら、変なフトンや消火器を買ったり、アチコチの信者をかけ持ちするハメになりそうなので、その手の店は敬遠しないといけない。

そんなかんだで、ネオン街パトロールは、いつも似たようなお店に顔を出すことになる。

最近もひょんなことから新しいお店を開拓したのだが、話を聞いていると、知り合いに会ってしまう可能性があったので、なかなか訪ねられずにいる。

泥酔スケベモードを目撃されるのは考えものなので、つい足が向かない。
何をしているのだろう・・・。

今後も現場主義で取材を続けようと思う。

2008年12月11日木曜日

またもや寿司

冬は寒いけど美味しい。和食系、それもお寿司屋さんで出されるような珍味が大好きな私にとって、この季節は、痛風が心配になる。いまから珍味攻めに精進していると、年末年始に身体が変になりそうな気がする。

バテ気味の時は、会社の近所か家の近所で軽く一杯やることが多い。こんな時まで珍味攻めしていてはマズいのだが、結局、成人病に近づく食べ物を摂取してしまう。

池袋西口のやや外れに構える「鮨処やすだ」。ここでも魚卵、肝、カニミソの類をついつい口にする。美味しいからいけない。私のせいではない。店のせいだ。

特製の茶碗蒸しがまた最高。具材にこれでもかと旬の食材が入っている。カニや赤ムツ、白魚やアワビ、ウニ、イクラなどなど。日によって具材は変わるが、茶碗蒸しと呼ばずに魚貝蒸しと表現したくなる。

今の季節は、白子も抜群。茶碗蒸し風に料理されることもあるが、やはり、オーソドックスにポン酢で食べるとウットリする。

白子、アンキモ、カラスミの3点セットは私にとって冬のスーパースターだ。初めて食べた人、初めて調理してみた人に心から感謝したい。

さて、「鮨処やすだ」で私がとくにお気に入りなのが、車海老の握り。いつも安定して抜群の濃い味で堪能させてくれる。

茹で海老というと、寿司の世界では、あまりスター扱いされないが、丁寧に仕込まれたここの車海老は大げさではなく、なかなか味わえないレベルだと思う。

素材そのものが間違いないのは言うまでもないが、秒単位で厳しく茹で時間を管理しているらしい。そういう心がけが味の差にしっかり出ている。少し味噌が残った風味もいい。

その昔、若い頃、北海道の寿司屋に行った時のこと。北海道では茹で海老を使わないことを知らずに頼んだ私に「そんなもの置いてない」と横柄かつイヤミったらしく答えたオヤジがいた。極上茹で海老、つくづく、あのオヤジに食べさせてみたい。

「鮨処やすだ」のシャリは、赤酢を使ったしっかりした味わい。このシャリが車海老と絶妙に混ざり合って一層旨さを引き立てている。

ご飯好き、米好きの「炭水カブラー」である私にとって、嬉しいのは寿司飯がしっかりした味わいであること。

この時も、わがままついでにシャリだけを握ってもらった。ただただ旨い。本当は、この「シャリだけ握り」を10貫ぐらい食べてみたい。

せっかくネタを吟味して揃えている店に悪いが、そんな妄想に駆られる。

シャリばかり書いたが、この店、ネタもいつでも上質。白身系の品揃えと味の濃さは特筆すべきレベル。書いているうちにまた行きたくなってしまった。

2008年12月10日水曜日

たばこ増税

結局、たばこ増税は行われそうだ。いろんな分野の増税予定を、選挙対策のために棚上げしたくせに、文句の出ないところからは安易に増税をすることになる。

増税幅がどの程度かはまだ未定だが、どうせなら、一時期話題になった「1箱1000円」にしてみやがれバカヤローって言いたい気分だ。

税制の不合理是正のため、手直しが既定路線だったものまで、永田町の人々の職業上の都合で放置される一方、たばこだけは攻撃対象。この発想が気に入らない。

税制全体の体系的な見直しもして、その流れにたばこ増税も含まれるのならともかく、見送った増税の代わりに、つなぎ融資みたいに愛煙家を狙うところがイケ好かない。

((●12月11日追記、与党税調は、12月10日になって一転してたばこ増税の見送りを決めた。レームダックの麻生政権が繰り出す方針は今回も迷走。政権サイドの発言の重みがまるでなくなっている。まあ愛煙家にとっては悪い話ではないが・・・))。


なんか今日は感情的になってしまった。正直な話、来年あたりで、たばこをやめようと思っていた。でも、私のチンケな自尊心は、「値上がりしたから禁煙した」という構図になるのが凄くイヤだ。何かみみっちい。

ワリカンで1円、5円単位でアレコレ言い合っているような感覚だ。どうせ禁煙するなら自分の体調や将来設計とかそういう立派な大義名分のもとで断行したい。禁煙のきっかけが何十円単位の価格変動だとしたら、ちょっと寂しい。

でも、過去にも禁煙を計画していたときに、たばこ増税が実施され、それを理由に禁煙計画を取りやめた経験が何度かある。要は、禁煙したくない理由を増税のせいにしているのかも知れない・・・。

それはさておき、これほどまで「たばこは悪者」という風潮が強まった今、あえて禁煙しない人は、意思が強い人なんだ思う。

居直りのような表現だが、多分、この御時勢、禁煙しないで平気な顔をしている人は、それなりの信念を持ってたばこと付き合っているのだろう。

まあ決してイバれた話ではないが、そんな気がする。

ちなみに、今時たばこを吸っている人は意思が強いという逆説的な論理は、禁煙セラピーでも使われている考え方だ。

お医者さんから、「あなたは意思が強いですね」と誉められたヘビースモーカーが、自分の意思の力に自信を持って禁煙に成功するという話。おだてられたら木に登れる人には効き目があるようだ。

なんとも珍妙な話。

さてさて、来年度はともかく、いずれは実現しそうな「1箱1000円」時代。それでもなお愛煙家だったら、きっと世間からはお金持ちだと見られるのだろう。

でも、そうなると部下に「1本もらうよ」とか気軽に言えなくなる。結構不便な気がする。

やっぱり、禁煙のタイミングを改めて考えようと思う。

2008年12月9日火曜日

銀座 池澤 冬

ひさしぶりに銀座「池澤」を訪ねた。夜っぽい銀座の、それっぽい雰囲気の居心地の良いお寿司屋さんだ。冬の味覚を堪能した。

この時期はやっぱりカラスミだ。自家製のカラスミがバッチグーの状態で私を待っているような気がして、白子やあん肝をさておいて注文した。

ネットリとした食感が堪らない。固くなっているカラスミとは一線を画すエロティックな味。しびれる。炙る必要などない、というか炙っちゃいけないレベルのカラスミだと思う。

変な表現だが、歯の表面にベトッ、ネチョッって感じでくっついて難儀するような感覚がカラスミの醍醐味のような気がする。

ボソボソしたカラスミはパスタとでも和えていればいい。「池澤」のカラスミは、なんとも上質な美味しさだったので、もう一枚画像をアップしておこう。

軽く締めた脂のノリの良いサバをつまみにホロ酔いは進む。毛ガニも食べた。カニ身をあらかじめほぐして、半身の甲羅に詰め込んだ一品。幸せな気分になる。しっかりカニミソも待機。ミソと身を混ぜてこそ毛ガニの味わいは最大限引き出される。ばっちり。

厚岸産のカキが、さっさと注文しやがれって風情で私を睨んでいたので、もらうことにする。焼いてもらった。レア気味に焼かれたカキに醤油で少し味付けして味わう。カキ特有の風味が口の中で炸裂。素直に美味しい。

この日、特筆すべきは、突き出しで出されたイカの塩辛だ。お寿司屋さん相手にイカの塩辛を誉めまくるのもどうかと思うが、あえて誉めまくりたい。市販の甘いだけの塩辛に迷惑している人なら必ずトリコになる味。

甘くないとはいえ、しょっぱすぎず、辛すぎず、いくらでも食べられそうな味。秘密はミソだという。イカのミソって言われてもピンとこないが、ありがちなイカわたをまとった塩辛ではなく、適度な脂分が混ざり合って、珍味と言うより小料理と呼びたくなる雰囲気。

この塩辛、結局おかわりしてしまった。いっぱい盛ってもらい、チビチビ飲んでいた焼酎のお湯割りが、がぜん美味しくなる。

少しだけ塩辛を残して、わがままついでにシャリだけをちょこっともらう。極上塩辛と赤酢のシャリ。いやはや最高。これぞジャポネスク!などと意味不明なことを心の中で叫ぶ。

このほか、生ウニもつまみで出してもらって楽しんでいたら結構満足してしまった。握りは、4~5貫ほどしか食べられなかった。酔っていて良く覚えていない。不覚。でも最後に食べたコハダがとても美味しかったことはしっかり記憶している。

そこそこ貯まっているストレスとの付き合い方が最近の私の課題だが、やはりエロティックな味わいに接すると心なしか気分が落ち着く。

またお邪魔しようと思う。

2008年12月8日月曜日

偉いけどMな人

先日、会社に旧友が訪ねてきてきれた。中学、高校の同窓だ。大手証券会社勤務の彼は、本社中枢ラインで官僚化していくのを嫌い、営業の最前線に異動希望を出し、周囲からあきれられたそうだ。

異動希望を出さずにいれば、中東のオイルマネー調達の仕事に行く予定だったそうだが、今後の彼の仕事は、ベタベタな飛び込み営業が中心だとのこと。

住宅地図片手に1日100件以上回るらしい。本人はそれが楽しみで仕方ないと真顔で言う。駆け出し時代、彼は万単位の数の飛び込み営業をした。それをきっかけに今だに家族ぐるみで付き合うような関係の濃いお客さんが何人か出来たそうで、そんな現場に戻ることを希望したというわけだ。

一流大学を出て、超有名企業に入って、結構重要なセクションで歩んで来た人間は、多くがキャリアや知識ばかりに頼りがちになり、現場感覚が希薄になっていく。

中年の域に入っても約束されたラインに安住せずに攻めに出る姿勢って、なかなか勇気がいることかも知れない。

そういう人材がいること自体が、大手企業のパワーの源なのかと思うと、やはり羨ましい。ぬるくない。中小企業人としていろいろと考えさせられた。

ちなみに、彼に聞いてみた。飛び込み営業を頑張ってやってみて、15分以上話を聞いてくれる人の確率はどのぐらいなのか。

せいぜい300人にひとりぐらいだそうだ。おまけに、話を聞いてくれる人の多くが、単純に暇な人で、積極的に資産運用などへの関心を持っている人は限られるとか。

しっかり稼いでいて、運用にも明確なマインドを持つような人は、まず飛び込み営業の相手をしてくれないとのこと。それはそうだ。現役バリバリなら多忙だろうから、そんな営業マンの相手などしていられない。

それでも、飛び込み営業が楽しいんだそうだ。

「怒られたらラッキー。脈アリの証拠」と彼は真顔で言う。綺麗事を言っているようにも見えない。

無鉄砲なのか、偉いのだろうか。
多分、真性のMなんだと思う。

2008年12月5日金曜日

鬼が笑う前に

来年のことを言うと鬼が笑うそうなので、今年の年末の話を書く。曜日の関係で、12月は27日から休みになりそうだ。間が抜けた感じだが、暦のせいにしてせっかくの休みを生かすつもりだ。

例年、年末には2,3日ふらっと旅行に行くことにしている。正月っぽいことを自宅で頑張るために、ちょっとの間、一人で自由な時間を作る。

年末年始に限らず、しょっちゅう、ちょこちょこ旅をしているが、やはり忘年旅行は独特。無事に一年が過ぎた安堵感も手伝ってなんとなく解放感に浸れる。

さてどこに行こうか思案中。函館は先日行っちゃったのでパス。九州方面も行きたいし、日本海側でカニ攻めも楽しそうだ。

一応、仮押さえしているのは大分・別府と鳥取・皆生。いずれも昔ながらの温泉地だ。別府方面だと、冬の時期は関サバが旬。その他にも旨そうな魚が食べられそうだし、濁り湯にも入れる。

鳥取・皆生(かいけ)温泉は、行ったことのないエリアというだけで興味がある。ましてや、ズワイガニの水揚げ日本一を誇る境港のすぐそばだ。カニ好きの私なら無条件で楽しめそうだ。

行ったことのない場所。大げさに言うと、これが年々減ってきてしまった。結構な年月を旅行好きな人間として生きているのだから仕方ない。

ちょっと足を踏み入れただけの場所も含めれば、都道府県の内、未開のエリアがほとんど無くなってきた。

いまだに一度も足を踏み入れてないのは、確か山形県と鳥取県だけだったように思う。年末に皆生温泉に行けば、残るは山形のみということになる。

皆生温泉では、ひとり旅歓迎の温泉旅館で、おまけに松葉ガニ(ズワイ)を3杯も使ったカニづくしコースを用意してくれる所を見つけて予約してある。サウナの無い宿だが、サウニストの私が、サウナをあきらめてでも行ってみたい気分だ。

でも、別府の温泉宿の壮大な露天風呂も捨てがたい。これ以外にも、本当は北陸でズワイを食べたいとか、北海道の豪雪を見ながら露天風呂に浸かりたいとか、薄着で行ける沖縄で民謡酒場でうなりたいとか、まだまだ心の中では決着がつきそうにない。

こんなことで悩んでいるのだから、結構幸せ者なんだろう。

それにしてもネット社会の便利さは、私のようなわがままな旅行者にとっては有難い。

希望条件で検索すればたいていのわがままを考慮した宿選びが出来る。旅行サイトで見つけた気になる宿の公式ホームページに飛べば、そこでまた融通のきくプランを見つけたりすることも出来る。

あなどれないのが、実際に宿泊した人のクチコミ情報。宣伝臭漂うムック本や雑誌類でしか宿選びが出来なかった昔に比べて、実に情報収集が容易になった。

宿の方としては、評判がシビアに世間に流れるわけだから大変だろう。でも結局それが淘汰につながって、真っ当な宿を増やすことになれば悪くない。

はたして、年末に私はどこを目指すのだろうか。旅行の楽しみって、私にとっては計画段階が一番。出発までに8割方の楽しみを味わうような気がする。

2008年12月4日木曜日

カリブ海


最近、寒くなってきたせいか、ふとした時に南国を思い浮かべる。ハワイやバリ島あたりのお馴染みの場所ではなく、昔やたらとはまったカリブ海のことが頭をよぎる。

初めて出かけたのは、英領グランドケイマン。17、8年前のこと。まだインターネットが普及していなかったので、情報収集も手探り。いまより貧乏だったので、安いチケットを随分と探した。

グランドケイマンはアメリカ東海岸から3~4時間程度で行けるのだが、初めて行ったときは、成田からロスに飛んで、ロスからオーランドに飛んで、そこからマイアミに飛んで一泊、翌日ようやくたどり着いた。

いま思えばバカみたいな行程だが、それなりに旅の思い出としては楽しかった。ロスからオーランドに飛んだ飛行機は、ディズニーワールドに行く人しか乗っていないような便で、搭乗口でミッキーの耳をかたどった安っぽい紙の帽子を配られた。

機内では、ナゼかほとんどの人が嬉しそうにその帽子をかぶっており、私もディズニーに用はなかったのだが、仕方なくかぶっていた。オーランド着陸時には、ミッキーマウスマーチを歌い出すグループなんかもいて騒々しい。まだ乗り継ぎのある私はちょっと切なかった記憶がある。

ひとり旅がいまほど好きではなかったが、ダイビング目的にカリブまで付き合ってくれる人もいなかったので、この時も私は一人。マイアミでは、エアポートホテルでジーと時間をやり過ごし、翌日のカリブ訪問に備えた。

ようやくたどり着いたグランドケイマンは、想像以上に海が綺麗で、なんとも優雅な雰囲気に満ちていた。塩の臭いが漂ってこないような優しい海の透明感が印象的だった。

その後も、メキシコ側のカリビアンリゾートであるカンクンやコスメルに何度も足を運び、ジャマイカやホンジュラス、キュラソー、ボネールにも行った。

そういえば、初めて結婚した時のプロポーズもカリブ海の海沿いのレストランだった記憶がある。いま思えば、結婚したかったというより、カリブ海の夕日を見ながらプロポーズという行為をしてみたかっただけのような気がする。

若さって本当に愚かさと同義語だ。反省。

上の画像はメキシコ・コスメルでダイビングボートをチャーターした時のひとコマ。チャーターしたと行っても、ボートマンは平気で暇を見つけては勝手に遊ぶ。メキシコ人だから仕方ない。文句行ってもアミーゴとか言ってごまかされる。この時も暑さしのぎにボートマンがシュノーケルを手に海に入ろうとしていた。陽気なおっさんだった。お気に入りの1枚。

ビーチの美しさは、どのエリアでも素晴らしいが、印象的だったのがボネールのピンクビーチ。もともと島から出ている養分の関係で、島のアチコチにいるフラミンゴも体色がピンク系。特定のエリアのビーチも少しピンクがかった色合いで、なんとも雰囲気がある。この写真ではよく分からないが、確かにピンクがかっていた。

夕日の素晴らしさもカリブエリアの特徴だろう。写真を取り損ねたが、さっき紹介したボネールで、一度だけピンクがかった夕日を見たことがある。天災の前触れじゃないかと心配したほど独特の色合いだった。

ラムベースの甘いカクテルを疲れた体に流し込みながら、のんびり夕日を眺める時間が何より贅沢だった。いい思い出だ。

最近は、長距離フライトを想像するだけで、カリブ海方面には縁遠くなってしまった。体力をつけ直して、再び行く機会をうかがいたい。

2008年12月3日水曜日

ネットオークション

何年かぶりに、マイ徳利やマイぐい呑み、マイ壺の一部を処分しようとネットオークションに出品してみた。

それぞれの商品へのアクセス数は数年前よりも多かったが、結果は想像より低調だった。やはり昨今の不景気も関係している気がする。

人気陶芸作家の作品で、そこそこの程度が維持され、ちゃんと画像を掲載して、購入時の木箱もきちんとセットで出品されていれば、だいたい相場は決まってくる。

私自身は、4,5年ぐらい前まで、よくネットオークションで作家モノを調達していたので、相場はある程度知っている。そのうえで今回、自信満々の出品作が、私が設定した最低落札価格よりちょっとしか上がっていないことにビックリ。上がっていないどころか、入札ゼロもあった。

アクセス数だけでなく、アクセスした人のうち、自らの注目リストに登録した人の数も出品者は把握できるのだが、その注目度からすると、実際の入札数が低調。

人間国宝の壺も出品してみた。10年以上前にネットオークションで確か4,5人で入札を繰り返し、なんとか落札した一品。

今回、自分の想像する堅めの落札価格の半額程度をスタート価格に設定して出品した。最低価格で落札されたら、笑えないほど損するなあ、などとタカをくくっていたら、なんと入札自体がゼロ。結局手元に残ってしまった。嬉しいんだか悲しいんだか微妙。

ただ、形状や箱の状態などから考えると人間国宝の作品にしては文句をつけたい部分もあった。いい人をウリにする私は、それを商品説明にきちんと書いておいたので、この影響もあったかも知れない。

一方で予想以上の高値が付いたのが、九谷焼の人間国宝の酒杯と天才作家の青磁の酒杯。

いずれもスタート価格の3倍ほどの値段。私の購入価格をも上回った。キチンとした貴重品には不況時でも高値が付く証拠だ。

だいたい、オークションに出品して処分しようとしている時点で、私にとって不要なのだから、その結果にアレコレ言っても仕方ない。

残念だったのは、備前焼の酒器の巨匠・中村六郎さんの作品。思ったより安値で終了してしまった。いくつか持っているこの作家の作品のうち、そこそこ良いレベルの徳利と酒杯を出品してみた。

数年前に亡くなってからは、当然、新作は出ず、希少性は高まり、代わりに存命の息子さんの作品が上物なら高値が付くという話も聞いていた。

とくに徳利のほうは、5日間の出品期間中、アクセス数は400を超え、注目リストに加えてくれた人がその1割もいた。ところが、実際に入札してくれた人はわずか3人。結果、かなり堅めに設定したスタート価格の2割アップという水準で終了。

自分の想像はアテにならないと思い知らされたことは確かだが、数年前に出品したときは、事前の想像と落札結果にさほど狂いはなかった。

数年前より市場規模が拡大中のネットオークションに期待していたが、やはり、消費動向に寂しい風が吹いているようだ。

まあ想像以上に高値で処分できちゃってたら、きっとロクでもないことにお金を使ったのだろうから、いさぎよくあきらめよう。おとなしくしていようと思う。

世の中に広まる「おとなしくしていようと思う」気持ちが不景気を加速させている・・・。

2008年12月2日火曜日

クエ鍋

クエを食べた。非常に美味しかった。場所は銀座の土佐料理・祢保希(ねぼけ)。

郷土料理の草分けのような有名店だが、カツオも好き、クジラも好きな私は以前から入ってみたかった店。

普段、銀座に出るからには行きたい店も多いので、今ひとつ“わざわざ感”が足りずにこれまでは通過するだけだった。

初訪問の動機付けはクエ。旨いクエが食えるとなれば、わざわざ行きたくなる。行ってみて思った。大正解。

クエを待つ間、あれこれと単品を注文した。カツオのタタキがさすがに旨い。

メニューにわざわざ「日本一」という形容詞つきで書かれていただけに、さすがの旨さ。調理場で藁焼きでもしているのだろうか?あまりの嬉しさに、おかわりまでしてしまった。

ところが、おかわりして出てきたタタキには、ニンニクスライスが2枚しか入っていない。早速クレーム。すると、ドッサリとニンニクだけ運ばれてきた。幸せ。脂ののったカツオにはやはりニンニクだ。ニンニクを遠慮しないこと自体が、最近モテていないことの証明のようで、ちょっと問題だ。

珍味3点盛りもいい感じの酒肴だ。どろめとさらしクジラ、酒盗が同居している。それぞれ少量すぎるのが困りもんだが、健康のためにこんなものを食べ過ぎてはいけないので良しとしよう。

続いての単品注文は、クジラのさえずり酢味噌和え。実にエロティックな弾力と滲み出る旨味成分があいまって昇天!ウットリするレベル。

次に来るときは、この店の名物料理・ハリハリ鍋でクジラをイヤッって言うほど食べようと決意する。さえずりの酢味噌和えは、酢味噌の味わいがきつすぎず、主役であるクジラの舌の味を殺さない程度で、飽きずに食べられた。

もうひとつ、つまみに頼んだのが「クエの肝和え」。肝マニアとしては注文しないわけにはいかない一品だったが、こちらはごくごく普通。クエの肝だけを使っていたら、高価になるはずだが、お値段相応って感じ。

酒はやっぱり「酔鯨」に決まり。私はもともとこの酒が好きだったので、アルコールメニューに当然のようにラインナップされているのを見て、ちょっと感激。

おまけに純米吟醸が300mlの小瓶で用意されている。常に口開けのウマイ酒が呑める。これはなかなか貴重なことだと思う。

いつ開けたか分からない一升瓶の底のほうの残り酒をもったいぶって呑まされるよりはるかに素敵なサービスだろう。

そうこうしているうちに鍋用のクエが登場。野菜なんか頼んでいないのに山盛りだ。どうしてザルの大半が野菜なんだろうとブツブツ言いながら、さっそくクエを食べる。幸せ。

プルッとした骨周りのコラーゲンがやたらと美味しい。くどすぎず味も深くて、後味が優しい。性格が穏やかになりそうな味と言ったら分かるだろうか(分かるわけないか)。

身の部分も、ジューシーで実にコクのある味わい。鍋の中で結構な時間煮られているのに、まったくバサつく感じはない。しっとり締まった肉質は独特だ。他の魚とはまったく似ていない個性的な味わい。甘みとコクが口の中と脳みそを幸せにしてくれる。

健康でいることはつくづく大事だ。じゃないとこんな旨いモノは食べられない。そんなお爺さんのようなことをずーっと考えてしまう味だった。

この日はラッキーなことにご馳走になった。「ごちそうさま」という言葉は、美味しいものにしか使いたくないが、この日ばかりはバッチリ。心から感謝を込めた「ごちそうさま」が素直に口から出た。

2008年12月1日月曜日

言葉狩り

今日は少しばかり持論を前面に出してみたい。

麻生首相のことが好きなわけではないが、最近の失言報道では、少し肩を持ちたくなる。

「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」。この発言がマスコミから総スカンを喰らった。

要は、仕事もせず、健康維持に努力もせずに病気になった人の高額医療費は、健康に注意して働いている人間が負担させられているという理屈だ。

確かに表層的ではあるが、世の中の高所得者階層は、少なからず同じような不公平感を持っている。

医療費だけに限った話ではない。税負担が人より多いのに行政サービスに格差はまったくない。おまけに助成だ補助だという話だと、高額納税者は逆差別されて対象外にされる。

例の定額給付金にしても、高所得者への制限が技術的に無理となると、「自発的に辞退しろ」とマヌケなことを言い出す。だいたい、金銭感覚がきっちりしているからこそお金持ちになった人も多いわけだから、そんな人々が辞退などするはずないだろう。

税金や医療費を払っていない人の分は、結局、人より多く負担している人がかぶっているわけだから、基本的に面白くない。

大したことはないが、私だって、そこそこ税金や社会保険を負担している。そこそこと書いたが、自分としては結構な金額だと思う。自分にはね返ってこないのだから嬉しくも何ともないが、国民の義務だからせっせと納めている。

それは仕方ないにしても、払うべきものを払っていないヤツが存在するから気に入らない。

本当の意味の弱者は別にして、ゆるゆるに甘やかされた弱者もどきが多くはないだろうか。所得税の課税最低限だって高過ぎやしないだろうか。

大学を出て、ちゃんと就職をして、家庭も持てて、クルマも買って、マイホームも買えたような人間にも所得税ゼロがありえる。

政策減税や各種控除の拡充で課税最低限のラインがおかしいように思う。いま例えに出したような環境の人って弱者とはいえない。でも、この人が払って然るべき分も、高所得者層が押しつけられている。

子どもの給食費を払わないバカが増えているそうだ。払えないのではなく払わない連中がいっぱいいるらしい。

住所地に結構な税金を納めている私にとっては、自分の子どもを行かせているわけでもない学校の不足給食費の補てんに私の税金が充てられるのかと思うと無性に腹が立つ。

まあ本当のお金持ちなら、そんな細かいことに腹も立たないのだろうが、やはり気分が悪い。

麻生首相の冒頭の発言も、見方によっては正論だと思う。良く言ってくれたと感じた人も相当いることは間違いない。発言のどこが悪いのかちっとも理解できない人だっているはずだ。

先日の「医者は常識がない人間が多い」という発言だって、多くの国民が内心では感じていること。一生懸命鬼の首を取ったかのように批判報道を展開している人間も実際には麻生首相と似たような感覚をもっているはず。

まあ立場上、失言になるわけだが、あまり過度な批判報道は、結局、言葉狩りの風潮を強めるだけなような気がする。

福田前首相が官房長官時代、レイプ事件に絡んで「女性にもいかにも『してくれ』っていうの、いるじゃない?そういう格好しているほうもどうかと思う。男は黒豹なんだから」と発言したことは有名。

事件の被害者には申し訳ないが、一般論として、この見方って、ある意味普通の感覚だと思う。「黒豹」の部分はよく分からないが!?・・・。

政治家の失言に対しては、昔から国をあげて怒りまくるような習慣があるが、冷静に見極めるべきなのは、「発言内容」ではなく「立場」が問われているということ。

「総理大臣として、官房長官として、ナントカ大臣として、“そういうこと”を言ってはいけない」のであって、“そういうこと”を発言する自由を世の中から抹殺するようになってしまってはマズいと思う。

“グータラして病気になったヤツの医療費をどうしてオレが払わにゃならんの!”。
この発言の趣旨自体が否定されるのは、かえってコワい。共産国家じゃあるまいし、あくまで総理大臣が言っちゃうとマズいということ。ここはしっかり区別しないといけない。

ちなみに田母神・前航空幕僚長の論文問題もそうだろう。内容を読んでみたが、騒ぎ立てる話には感じない。ひとつの見方・分析として大いに勉強になる内容だ。問題なのは、あくまで論文発表時のポジションがどうなのかであって、事実、国会で問題になったのもその部分だ。

まあ個人的には、あのポジションで、あの意見を表明したって、ちっとも悪くないと思う。