2013年12月30日月曜日

年末年始


早いもので今年も暮れようとしている。

さらば2013である。さらばで結構だ。個人的に今年は早く終わってほしかったから、今から除夜の鐘が待ち遠しい。

鐘の数だけ煩悩を消し去るらしいが、私は逆に108つほど新たな煩悩を授けてもらおうと思う。

煩悩こそ人生の醍醐味である。

来年の暮れも、その次の年の瀬も、そのまた何年も先まで、そんな呑気なことを言いながら暮したいものだ。

今年の初めにターニングポイントを迎えて、いろいろドタバタした1年だったが、突発的な尿管結石の他は、おおむね健康状態も良かったし、このまま元気で人生後半戦を突っ走っていきたい。

さて、年末年始である。かなり暇である。絶望的にヒマかもしれない。誰か遊んでください。

年末から中国・上海に出かける予定だったが、つい先日キャンセルした。もともと正月を東京で過ごすのがイヤでマイレージの特典航空券が取れたという理由だけで上海行きを計画していた。

いかがわしいサウナには興味があったが、他に見たい場所もないし、何より大気汚染が地球で一番ヒドいらしいから、ノコノコ行っても仕方がない。

一応、私はボーカリストが本業だし、喉に悪いことは避けねばなるまい。

ということで、草津温泉の別荘マンションに引き籠もろうと考えたが、冬用タイヤをそのために買うのも面倒だからヤメた。本業が温泉評論家である私としては情けない限りだ。

まあ、溜まりまくった録画番組もあるし、読み切れていない本も無数にあるし、1日ぐらいは荻窪の実家に行って仏壇の前で写経でもしようと思う。

さて、今年の悔いの一つが潜水に関することだ。

本業である水中写真家としての活動が上半期だけで停滞してしまった。3月、5月とバンバン潜り、ようやく「通算1000本ダイバー」に手が届くところまできた。

四半世紀を超えるキャリアにしては遅いペースだが、今年下半期にドシドシ潜れば到達できたのに無念である。

バリ島に行かなかったことも問題である。本業であるバリ島案内人として毎年のように活動するのだが、今年は機会が無かった。来年は倍返しを企むことにしよう。

そんな冗談のような後悔しか浮かんでこないのだから幸せ者である。仕事面は別として、思い返しても悔いが残るようなことが少ない。ラッキーである。単に忘れっぽくなっているのかもしれない。

でも、そう思えることは今年が良い年だった証拠である。

私自身の年回りは大殺界らしいが、すべては尿管結石の石とともに去って行ったのだろう。

一昨年の暮れ、このブログの年内最後の更新では、「壺中有天」の例えを用いて、精神の別天地を求めて新しい年は攻めに転じたいという趣旨の話を書いた。

そして昨年は、確かに適度に無理も重ねて、分別ヅラに陥らないように腐心して、新たな方向に自分が進んだ感覚があった

そして暮れには、このブログの年内最終更新で「偏屈だと損するから来年は笑っていよう」みたいな話を書いた。

結果、今年はどうだっただろうか。

偏屈が直ったわけではないが、春頃からは運気も上昇、偏屈を根源としたイライラも激減したような気がする。よく笑った。表情や様子が変わったと複数の人から言われるようになった。

まあまあ合格である。

でも、もっと笑えるはずだ。笑いの“伸びしろ”はまだまだ余地がたっぷりあるはずである。

来年はどんな1年になるのだろうか。

自分としては「風林火山」のおいしいトコ取りを考えている。

「疾(はや)きこと風の如く、徐(し)ずかなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し」。

全部そんな水準で過ごせたら、武田信玄の生まれ変わりみたいだから、私の場合、来年は「林」と「山」の部分をメインにしたい。すなわち、「林のようにしずかに、山のように動かない」路線だ。

もちろん、何もしないで眠ってしまうという意味ではない。いちいち動揺したり慌てたりせず、何事にも動じないドッシリ感を鍛えていきたい。

一応、そんな決意を固めてみた。

まあ、そんなことを宣言したところで、魅惑的な女性に遭遇したら、「風」と「火」の部分ばかりでドタバタしちゃうのだろう。煩悩太郎である。

結局、そういうことを書き殴って今年も終わるのか。。。

さて、年内の更新はこれで終わりです。

今年もお付き合いいただき有り難うございました。

皆様が笑顔で新しい年を迎えられますよう祈念しております!

新年は1月6日から更新します。

2013年12月27日金曜日

北村有起哉、竹芝、焼肉


クリスマスが終わった。

キリスト生誕を厳かに祝うはずの日が、ギラギラ、エロエロな日と化してしまって久しい。無節操な街の喧騒がどうにも苦手である。

クリスマスになると俄然ハッスルする日本の男女っていかがなものか。普段は「隠れキリシタン」なんだろうか。

この季節にデートする相手がいないとか、そういうくだらないことを気にかける年齢ではないが、それでも鬱陶しい気分になる。

いかんいかん、偏屈オヤジになってしまった。ただのヒガミです!

だいたい、この時期は年末でバタバタしているし、飲む機会も妙に多くて疲労気味である。

目の下にクマはできるし、吹き出物は増えるし、ユンケル飲みまくっているし、常に眠い。

昔より足が冷えるようになって靴下用の貼付けカイロが手放せなくなった。寒いのは足だけではない。懐も寒い。出費が妙に多い。

日常の付き合いでも、今の時期はお金に羽が生えたかと思うほど出費がかさむ。子ども達のXmasプレゼントも、離れて暮しているせいか妙に高い品物を買わされてしまった。

まあ、喜びは循環するらしいから、せっせと人に喜びを与えれば、いつか倍返しになって帰ってくるだろう。そう確信して散財?を続けよう。

さて、そんな年末の日常に、一服の清涼剤みたいな時間があった。


舞台で生の芝居を見てきた。何年ぶりだろう。随分久しぶりである。大がかりなミュージカルとかではなく、比較的地味な舞台だったので、じっくりゆったりした気分で楽しめた。

北村有起哉主演の「セミナー」という芝居。チケットが余ったという人に誘ってもらったので、予備知識も何も無い素の状態で見られた。

たまたま、先日終了したばかりの「刑事のまなざし」という連ドラにハマって、「北村有起哉いいね~」と感じていたタイミングだったから、「生・北村」に結構感動した。

「刑事のまなざし」という連ドラは、椎名桔平が主演の社会派ドラマだったのだが、「松重豊」と「北村有起哉」が実にいい味を醸し出していた。あの二人がドラマを支えていた感じだ。

渋めの脇役、存在感のある脇役なくして映画やドラマは成り立たない。北村有起哉という俳優は、今後の映像世界で貴重な存在になっていくように思った。

生の舞台の緊張感は独特だ。静寂の瞬間、躍動的な瞬間、客席と一体化する瞬間。状況に応じて瞬時に変わる場の空気が面白いし、刺激的で心地よかった。

静寂の場面でナゼかグーグーなりだす私の腹には困った。観劇後にウマいものを喰おうと空腹で出かけたことを激しく後悔。

腹の音が気になるぐらい凜とした空気が漂う。主演以外は有名俳優ではないものの、舞台を活動の基盤にする役者さんの発声の素晴らしさに改めて感心した。呼吸法とか日頃の鍛錬が別次元なのだろう。

エネルギーがみなぎっている感じとでも言おうか、あの瞬発力、表現力、パワーに触れたことは、ノンベンダラリと日々を暮している私にとっては刺激的だった。

いい時間だった。

日常の自分と違う場所に身を置くことは結構大事なことだと痛感した。

非日常的な話ついでに別な話題。

別な日、普段は行かないような場所に出かけてきた。


都会の喧噪といえば、聞こえはいいが、この時期、都会中心部は気が狂ったような人出である。仕方なく、ちょっと外れた竹芝まで行ってきた。

「たけしば」を「たけばし」と言い間違えて、ムダなタクシー代を支払わされたのは御愛敬である。

レインボーブリッジを中心とした夜景が綺麗だった。思えば半世紀近くも東京人として生きているのだが、この風景はほんの20年ぐらい前はなかったはずだ。

時の流れを感じる。

お台場の灯りを眺めながら、フジテレビ本社ビルが1時間に1回、乱痴気騒ぎみたいにイルミネーションショーをやっていることを知った。

ビル全体がケタタマしく光る。風情とかムードはちっとも感じないが、なかなか面白かった。

でも、あれだけ騒いでいた「節電」の風潮はどこにいったのだろう。あの頃の計画停電とかは一体何だったんだろう。つくづく“お上”の言うことは信用できないとブツクサ言いたい気分になった。

夜景を見て、さぞムーディーな時間だったと思われるのもシャクである。夜景を見ながら何をしていたのかというと、肉を食べていたのである。


たまに無性に焼肉が食べたくなるが、この日もそんな日だった。肉をむさぼって元気になろうと企んだのだが、「特上」という脂ギットリの肉のおかげで胸焼け・胃もたれモード全開だった。

結局、タン塩とかホルモンをちょろっと焼いて、あとはキムチやチャンジャをメインに韓国焼酎をチビチビ飲んでいた。

竹芝まで行かずとも、我が家の近所にもウマい肉を出す店はいくつもある。いやいや、それを言っちゃあオシマイである。「わざわざ出かける」という気持ちが大事である。

出不精(デブ症ではない)の私にとっては港区あたりでも「遠征」レベルだが、やはり、日常と違う場所に出かける高揚感は捨てがたい。

年末年始は中国に旅行する予定だったが急遽キャンセルした。おかげで驚異的にヒマである。

億劫がらずにマメに出かけようと思っているのだが、多分寝て過ごすハメになると思う。

2013年12月25日水曜日

窮屈コラム


記憶があやふやなとき、意外にもこのブログが役立つことがある。3年前、5年前あたりの出来事を確認したいときに、過去の投稿をたどると正確な日時が分かったりする。

ポリープ取ったのはいつだっけ?、マンタを撮影したのは何月だったか?、寝台特急に乗ったのは何年前だっけ?等々、結構便利である。

ポリープうんぬんの話だと、たとえば医療保険の審査の際の告知事項だから正確な年月が分かると大助かりである。

読み返すついでに、その前後に書いてあるチャラけた話もついつい熟読してしまう。自分で書いてきたのに結構忘れていることも多い。

モノを書き残すことの効用ってなかなか侮れない。今書いていることも将来、記録として役立つかもしれないから、このブログはネタがなくても書き続けようと思う。

ということで、今日はあまりネタがない。無くはないのだが、さすがにここでは書けない話だってある。書きたくてもかけない話もある。オトナの事情はさまざまである。

一時期、内緒のブログを作って、絶対に表で書けないようなアダルティ~ベリーマッチな話を書いていたことがあった。でも、自分で怖くなって?やめてしまった。全削除である。

とか言いながら、このブログも読み返してみると随分オチャラけた話を書いている。睾丸、いや紅顔の至りである。

すいません。「汗顔の至り」が正解です。「紅顔の至り」は誤用です。「睾丸」に引っかけたかっただけです。。。。

さて、そんな私だって普段は真面目なことも書く。専門新聞を複数発行する会社の編集トップである以上、今でもコラムは書いている。

コラムだから難解さを避け、なるべく軽いノリで仕上げたいのだが、題材が制約されているから、どうしても小難しい話に終始してしまう。

文字数も決まっているので、脱線もできないし、さすがに書きながら窮屈な思いをしている。

言ってみれば、そういう窮屈な作業があるから、その裏返しで、このブログを気ままに続けていられるのかもしれない。

ということで、今回は最近、我が社の新聞に載せたコラムをいくつか引用してみる。

引用でお茶を濁しているようでは「ブロガー?」として手抜きである。ダメである。

もっと楽しい話を書けるように、日々楽しいことに邁進しようと思う。


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「またやってらあ~」。そんなセリフしか出てこないのが年末恒例の新党結成だ。いまや「流行語大賞」や「今年の一文字」みたいな風物詩だろう▼今回の主役は「みんなの党」の内輪モメで出て行った議員サン達。ほぼ全員が比例選出の議員。すなわち選挙区で選ばれた個人というより、政党への支持で議席を得た人々だ▼単純に有権者への裏切り行為であり、選挙制度の欠陥を露呈した格好だ。語るに落ちるというか、語りたくもない話だが、このハチャメチャの元凶について考えてみたい▼政党交付金制度が政界の年末ドタバタ劇を招いているのは周知の事実。1月1日現在の国会議員数に応じて政党に税金から助成金が出る仕組みだ。95年から始まり、累計5000億円超の税金が使われている▼制度誕生の条件だったのが政治家への企業・団体献金の廃止である。ところが、政党支部を経由させる方法で事実上、企業・団体献金は存続。まさに詐欺▼国民を騙した二重取りの構図は醜いの一言。選挙の際には莫大な広告予算に化けるから大手メディアもスポンサー?に気兼ねして声高にインチキを糾弾しない。実に嘆かわしい現実だ。

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ヨーロッパを訪ねてきた。イタリアとスペインを回ったが、この2つの国は世界遺産の数では世界1位と2位。貴重な歴史的建造物がそこかしこに見られ、観光都市としての成熟ぶりはさすがだ▼大聖堂や教会群、いにしえの宮殿等々。ヨーロッパとは文化的、宗教的背景が異なる日本人の目線から見るとすべてが新鮮に映る。旅の面白さはこの点に集約されるのだろう▼そんな観点で捉えると、わが国の歴史的な遺産の数々は貴重な存在である。西洋社会で生きる人達にとっては、我々が思う以上に魅力的な存在だと確信する▼少子高齢化、人口減少、疲弊する地方の現状を思えば、外国人観光客の誘致はわが国にとって大事な成長戦略である。わが国では2006年に観光立国推進基本法が制定され、観光庁の設置も5年前のこと。まさに途についたばかり▼日本のポップカルチャーの人気は世界中に浸透中だ。東京オリンピックも追い風になる。五輪効果を単なる短期的特需と捉えるのではなく、真の観光立国への転換点と捉えるべきだ。インフラ整備と同等に重要なのは観光誘致に向けたソフト面の戦略だろう。

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「お医者さんと一緒に禁煙」。テレビCMでもすっかりおなじみになったが、禁煙のために病院に行く人は多い。古い世代の筆者にはピンとこない話▼2006年から健康保険を使った禁煙治療が認められるようになった。CMでは「月に2万円程度」で禁煙治療が可能と宣伝しているが、これは3割負担の部分。残りは健康保険から支出される▼私事で恐縮だが、以前、禁煙に成功したことがある。20数年来の習慣を断ち切るのは大変だったが、個人的な感想は「医師より意思」。ガムとかパッチも使ってみたが、結局は自分の意思が決め手だった▼そもそも国の管理下で販売奨励している商品の愛好者を病気とみなして、それをやめさせる行為に国が金を出す仕組みってヘンテコだ。国の協議でも最後までもめていたのがこの部分だ▼深刻な依存症は別として、自らの努力でやめようとしない人にまで保険で面倒を見る必要があるのだろうか。大いに疑問だ▼過度の喫煙が結果的に医療費を膨らますという理屈も分かるが、不妊治療や介護分野など保険が適用されずに困っている人に救いの手をさしのべる方が先決だと思う。

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「国に莫大なカネを払って商売させてもらっている感じだ」。優良企業の2代目経営者が発した言葉だ。先代が亡くなり、自社株評価が招いた高額な相続税を納めた感想だ▼このところ、相続をめぐる話題が世間を賑わせている。中小企業経営者にとっては、処分すら出来ない自社株が金銭換算されるわけだから負担感は強い▼調整措置はいろいろあるが、税金を納めないと土地を持ち続けられないし、事業も継続できないのが相続税制の基本的な姿だ。冒頭の嘆き節もあながち的外れではない▼律令時代の「班田収授法」では、農民が死んだら農地はお上に返上する仕組みだった。頑張って耕す意欲は必然的に薄くなり、その後の「墾田永年私財法」に大転換するハメになった▼諸外国の多くが相続税の廃止・縮小に向かっている。理由は、生前のさまざまな税金との二重課税に過ぎないという考えだ。至極真っ当である▼わが国の場合、富の再配分という社会主義的な考えが優先して、生前負担してきた税金との重複課税であるという側面が議論されることがない。木を見て森を見ずの典型的な話だと思う。

2013年12月20日金曜日

キャラ


愛車のインパネ画像である。イマドキのクルマはオーディオから流れる音楽情報などを親切に表示してくれる。

この画像だと運転中に落語を聞いていることになる。どう逆立ちしたって落語である。

でも、実際に聴いていたのは先日のオヤジバンドライブの音源だ。なぜか表示上は「六代目・円生」である。

公演当日、ライブハウスのスタッフがPA経由の音を収録してCD化してくれた。それをせっせと聴き込もうとしたのだが、ナゼか表示されるのは「落語」である。

もちろん、実際に流れてくるのはライブの音である。きっと、CDに以前記録されていたデータ表示が残っているだけの話だ。でも、私としては複雑である。

シリアスに歌ったのに落語扱いである。デジタル機器は私の歌声を笑い話だと認識したのだろうか。少し落ち込む。

でもMCでは、ウケ狙いの話ばかりしたから逆に「落語名人」という表示は喜ぶべきかもしれない。光栄の至りである…。

さて、話は変わる。

先日、先輩から飲み会に誘われた。小、中、高と同じ学校に通った同窓の先輩だ。たまに顔を合わす機会がある。

一応、主催者としては合コンのつもりだったようだが、そっちの戦果?は完璧にそっちのけでオッサン達でくだらない話で盛り上がった。

30年ぶりに会う別な先輩も参加して、ひゃあこらひゃあこら飲んだ。楽しかった。私の兄の同級生でもあるので、気安く可愛がってもらえるのが有り難い。

新鮮だったのが「後輩キャラ」を楽しむ自分である。プライベートでは後輩との付き合いは結構あるのだが、先輩となると交遊機会は多くない。

会社でも古株中の古株だし、仕事内容が営業系ではないため、接待とかで気を使う場面も少ない。

結果、控えめな感じとは対極な態度のデカいキャラが固まってきてしまった。
本当は、単なる神経質なビビリ男なのに、そういうイメージで私を捉える知り合いは100%いない。問題である。

その日の飲み会では、水割りを作ったり、食べ物をオーダーしたり、せっせと後輩役に奮闘してみた。「気が利く後輩」っていうのも割と楽しい。

中年になってから自分がMっぽいことに気づいたから、案外気持ちの良い時間だった気がする。

キャラっていうのは不思議なもので、本人の意図にかかわらず長い間ついてまわる。とくに昔からの友人と接する際には、何歳になろうとも子供時代のキャラがそのままだったりする。

エラそうなヤツはエラそうだし、スケベなヤツはスケベだし、いじられキャラはイジられると昔と似たような愉快なリアクションを見せる。

ここ数年、子供時代からの友人と飲んだり遊んだりする場面が以前より増えてきた。気兼ねなくフランクに付き合えるからラクチンである。

そうはいいながら、ふとした時に昔のキャラをあえて意識している自分に気づく。成長が足りないのか、現状に自信がないのか、どういう心理なのか不思議である。

学生時代はそれこそ、エラそうでエバってブイブイ言ってるようなキャラだった。いっぱしの大人になると最も恥ずかしいタイプである。

そんなキャラを維持したところで、ちっともトクすることはない。困った問題である。

来年あたりから「後輩キャラ」を前面に押し出してテキパキと動き回ってみよう。

たぶん無理だと思う。

2013年12月18日水曜日

ライブ報告


このブログでも何度か書いてきたバンド活動。今年の集大成である「Xマス・望年ライブ」と銘打ったライブが無事終わった。

来ていただいた皆さん、ご協力いただいた皆さんに心から感謝です!

手間ミソだが、大盛況と言える状況でやり遂げることができた。有り難いことです。

今回は、いわゆる対バンはなく、われわれの単独ライブである。メンバー3人の友人知人だけが相手なので、和気あいあいとした時間が過ごせた。

四谷のライブハウスはさほど大きくない規模だったが、用意された椅子は全部埋まったし、立ったまま声援を送ってくれた人々もいた。

肝心の演奏のほうも中年の図々しさのせいで滞りなく大きなミスも無くこなすことができた。

つくづく中年に生まれて良かったと実感した。若者だったら、あのプレッシャーでヘロヘロになるはずだし、ニヤついた顔でド緊張をごまかすことは難しいはずだ。

ずっと中年でいようと思った。

ライブハウスのPAさんにも感謝である。リハーサルの時に若手スタッフの面々にちょっとした魔法?をかけておいたから全力でサポートしてくれた。


スローな曲の際には、エコーを深~く効かせてくれたし、我々のアラを目立たせないようにキッチリ仕事をしてくれた。

無謀にも挑んだ竹内まりあの名曲「駅」も練習の時よりも良い感じに収まった。PAのおかげである。歌ってるこっちまで感情移入してしまったほどだ。

実はライブ直前、それまでの不摂生がたたって喉が壊れかけてしまった。がらがら声になって心底焦った。

寝室の加湿器をフル回転させて全身カビだらけになりながら回復をめざし、前の日には1日中家の中でもマスク姿で過ごした。

そして当日、バンドリーダーの熱い語りにホッとする。

「少しぐらい問題を抱えていた方がうまくいく」。

尊師のような言葉である。絶好調のつもりでやると失敗することが多いらしい。

この日、メンバー3人とも自分たちで決めた集合時間の30分前に集まってしまった。図太そうに見えてこのあたりが小心者オヤジ達の実態である。


開演前の緊張を多種多様な栄養ドリンクや缶入りのウイスキーで紛らわしながらリハーサルに突入。

そこそこ声も出た。演奏する二人も順調である。彼らも中年に生まれてくれて本当に良かった。いつまでも中年でいてほしい。開き直りはオッサンの特権である。

その後、お客様が続々ご来場。楽屋でビビりはじめる。いい年した大人3人が、なぜか楽屋の椅子に座らない。みな立ったままブツブツ言っている。ヘンテコな光景だった。緊張の極地である。

でも、あんな感覚って、日常生活では味わえない。仕事の緊張とは異質だし、美女とムフフになる前の緊張とも大違いだし、一種独特な高揚感がある。

やり終わった達成感にもシビれるが、開演直前の悶々とした時間もシビれる。徐々に視界が狭まってブラックアウトしそうな感覚になる。

そして本番、3人で「AKB~ファイト!!」と意味不明の掛け声を叫んでステージへ移動。

1時間半を超えるファンタスティック・ナイト?である。声もちゃんと出た。MCもそれなりにこなせた。

でも、前回も来てくれた悪友達からはMCのキレがイマイチだったと叱られた。そんなことは百も承知である。理由は単純だ。

私の娘が客席にいたからだ。仕方がない。私の身の上をめぐるキラーワード?を封印して喋っていたのだから許してもらおう。

新メンバーの「松」は、高校生以来の本格的なステージだとか。緊張ぶりぶりだった。でも、そこはオッサンである。しっかり演奏をこなし、コーラスのハモリもバッチリ、ソロもキッチリ歌い上げた。

前メンバーの「旧・松」が休養しちゃう前には、「キミのレベルなら前座だな」と偉そうに「新・松」をイジメていた残りの二人は、今回のステージ上で涙を流しながら土下座(ウソです)。

新メンバーの「松」はまるで半沢直樹である。

リーダーの「富」は相変わらず泰然自若な空気で超絶プレイを繰り返す。彼が最もミュージシャン然とした雰囲気を醸し出していた。

演奏が単調にならないための「オカズ」や「盛り」をしっかり計算しながら、渋い部分は全部持っていった。さすがリーダーである。

私は呑気に歌うだけなので、勝手なテンポに合わせる二人の苦労は大変だったはずだ。まあ、その分、全体のMC進行をキッチリ仕切ったから許してもらうことにする。

メンバー二人は私の歌いっぷりを「どの練習の時よりも良かった」と言ってくれた。これは嬉しいことである。

まあ、オヤジバンドは、メンバー全員が傷をなめあい、オベンチャラを連発し、おだてすかし、なだめ合わないと続かない。今度の反省会でもみんなでベタベタに褒め合うことになりそうだ。


アンコールの「勝手にしやがれ・アコースティック・ノリノリバージョン」では、会場が一体となって「ア~ア~アア~」と盛り上がった。純粋に楽しかった。

終演後のお客様の表情はどことなくホッコリ見えた。これが何より嬉しく有り難かった。音楽の効用って凄いものだと今更ながら感じた。

お褒めの言葉も随分戴いた。メールもいっぱいいただいた。昨年も同じことを書いたが「真に受けます」の一言である。

こういう趣味には図々しさも必要?である。

ついでに今年はもう一言付け加えたい。

「図にのります」。

既に次回公演に向けて決意も新たである。ライブが終わったばかりなのに、もう次を見据えている。

でも、演目の話ではなく、衣装をどうするかという不届きな話で盛り上がっているのが実態である。どこまでも図々しい3人組である。

さてさて、業者さんが撮影した動画はいつ編集が終わるのだろうか。図々しくYouTubeに何曲かアップすることになるはずだ。

なんとなく始めたオヤジバンドだが、ヨレヨレジジイバンドになるまで続けたいと思う。

当日、お越しいただいた皆様、本当に有り難うございました。心から感謝しております!

2013年12月16日月曜日

異端とか


ラーメンにカレーライス。もはや国民食である。

子供から見れば、あれは日本料理という認識だろう。生まれ育った国で幼い頃から誰もが食べるわけだから立派なローカルフードだ。

中国やインドの人達にしてみれば、日本のラーメンやカレーはオリジナルとはまったく別モノだ。

中国人が「二郎系」ラーメンの発祥が自分達の国だとは思わないだろうし、「大勝軒」のつけ麺だって、どう逆立ちしたってルーツが中国だとは思わない。

なんでもかんでも自分の国に起源があるという「ウリジナル思想」の韓国の人でもビックリしちゃいそうな「進化」である。

カレーも同じ。納豆カレーとかヘンテコな一品を見たらインド人もビックリだ。カツカレーもそうだ。あれを開発した日本人の叡智は大したものだと思う。

ちなみにカツだって、フランス料理が起源だ。カツカレーは、インド、フランス、日本の凄まじい三角関係によって成立している。

どこかにルーツがある以上、その存在は「異端」であり「異質」である。異質とか異端という言葉には、何となくネガティブな印象があるが、ラーメンやカレーを思えば、一概に悪い概念ではない。

異端や異質、すなわち「普通じゃないこと」は世間から敬遠されがちだ。でも、世間の固定観念など、しょせん面白味の無い線引きで決められているだけだ。

異端の中にこそ、未来の真理が隠れていたりする。ちょっと大げさである。でもそう思う。

自分の考えや行動が、自分にとっては普通のことでも、少数派というだけで異端視されることは多い。

いわゆる多勢に無勢である。多数派か少数派かというだけの区分で少数派が後ろ指を指されてしまうのが世間様の仕組みだ。

仕方のないことだが、時々そんな壁にぶつかって疲れる。

多数派が正しければともかく、そうとも限らないからややこしい。間違っていないのに異端視されたり、異例なことだから認められない悲劇が世の中にどれだけ溢れているだろう。

「伝統」や「権威」だって結局は何かしらの異端を吸収して出来上がったものに過ぎない。そこから先の進化を妨害するだけになってしまってはアホみたいだ。

異端、異質、異例。こういう言葉が世の中に溢れまくって、そのうち、それらが普通のことに進化していったら空気も大きく変わるんだろうな。

男も女も年寄りも子供も、いや、個人だけでなく国家の政策にしても「異端」や「異例」という要素が大切だと思う。

なんだか今日はスッキリしない話に終始してしまった。

きっと飲み過ぎの副作用だろう。

2013年12月13日金曜日

12月の日常


飲んでばかりである。毎日二日酔いである。胃腸もお疲れである。先日は朝の4時まで飲んだ。バカである。

だから体重も減ったままである。バンザイである。

身体が風邪をひきたがっているが、気力で追い払っている。いよいよこの日曜日にはオヤジバンドのライブ本番である。その緊張のせいで体調は良い状態だ。

緊張感のおかげで元気を維持している。こういう感覚って大事なんだとつくづく思う。

ライブが無事終わったあとに一気にヘロヘロ~ってならないように、今後も緊張するような予定をバンバン入れ続けようと思う。

追い込みのスタジオ練習で課題が続出し、それを何とかやっつけながら完成形に近づいてきた。二人のギタリストのおかげである。わがままボーカリストの要求をキッチリ形にしてもらった。

もっとも、素人演芸なので、完成形と言っても大したことはない。ガッチャガチャだったものがそこそこ収まってきた程度である。

それにしてもスタジオ練習の音源を聞き直すと、自分の拙さに気が滅入る。謙遜ではない。自分では良い感じで歌っていたつもりなのに、音程やテンポが乱れまくる。

カラオケスナックとかで調子よくうなっているオッサンとかも、ヘタクソなのに本人は裕次郎とかになりきっている。本人は幸せでも周囲は堪ったものではない。アレと同じである。

もっと切ないのは、自分の歌声をバックに寝入ってしまうことである。復習のためにスタジオで録音した練習音源を深夜に流す。酔っているから気づくと寝てしまう。

すなわち、自分の歌声が子守歌である。なんとも侘びしい。

うたたねから目覚めた時に、「ダーリン、だめよ、そんなとこで寝ちゃったら、ウフン!」とか言われるなら嬉しいが、聴こえてくるのは自分のシャウトである。

金縛りに遭いそうになる。

当日、ライブ会場ではエコーを深めに効かせて乗り切ろうと思う。

さて、呑んだくれの日々である。

相も変わらずお寿司屋さんとか焼鳥屋さんとかでクダをまいているが、先日、たまたま入ったスペイン料理屋がなかなか良かった。嬉しい収穫である。


銀座というより有楽町、数寄屋橋にある「セニョール・マサ」という店。店の広さが有り難い。窮屈感はない。ホール席も間隔は広めで、カウンター席もカウンター自体の奥行きに余裕があって居心地良し。

今までスペイン料理屋をアチコチと巡ったわけではないので、味は正直分からない。でも、私自身はウキウキバクバク食べ続けたから悪くないはずだ。



エビのアヒージョも味付け自体に旨みがあったし、ムール貝のトマトガーリック煮込みみたいな料理も味が濃すぎず薄くなく、素材も悪くなかったからバッチグーである。

スペインレストランだから、カバで威張っていられるのも嬉しい。小洒落たレストランでシュワシュワ系を飲む場合、シャンパンをボトルで頼むと財布が淋しくなる。その点、スペインの泡であるカバはボトルで何本も頼んでも大したことはない。

水のようにグイグイ飲んでも財布には優しい。だから飲み過ぎてしまう。したたか酔う。幸せである。

パエリアもいくつか用意されていた。この日はポルチーニと何とかのパエリアにしたが、香りも正しく立ち上っていたしバッチグーだった。

使い勝手の良さそうな店だったので、また行きたい。

とある別な日、都内某区の区長を務める幼稚園時代からの同級生とじっくり飲んだ。区外で飲むのが楽しいらしい。確かに日々の公務が選挙民とダイレクトに関わるから何かと厄介ごとも多いのだろう。

堅い話は抜きに、家庭論とか、共通の友人のアホのような噂話や中年男はどこまでカッコつけて生きるべきかみたいな下らない話だけで時は過ぎていった。

仕事柄、さすがに真面目である。真面目じゃなきゃ何十万人もいる区民が困っちゃうから当然だ。

無責任な旧友としては、彼が昭和の利権政治家みたいな悪代官的雰囲気をまとってくれたら面白いと思うのだが、そうもいかないようだ。

いつか怪しげな料亭で「おぬしも悪よの~」みたいな会話をしてみたいのだが、実現は難しそうだ。


この日、銀座のお寿司屋さんで珍味ばかり食べていた。キンキとか、数々のキモ類をワシワシ食べたが、なかでもスジコがタマランチンだった。黄身しぐれが添えられていて酒のツマミには最高だった。

そのあとで、スジコ巻きも出してもらった。酒を飲んでいる時に、ツマミ気分で食べるシャリ付きの一品としては極上だった。ウットリした。

呑気で楽しい?12月である。体内にコレステロールと尿酸と何よりも疲労を過剰に貯めこんでいることが問題である。

2013年12月11日水曜日

忠臣蔵こそ…


カレンダーが最後の一枚になると、世の中、キンキラ光ったり、キリスト様の誕生祝いのために必死な感じになる。

若い人はともかく、いい年した大人がアノ流れに巻き込まれてハシャぐのは素敵ではない。

とか書いていると偏屈オヤジ丸出しである。

イルミネーション輝く街を腕組んで歩く人がいないことをひがんでいるだけである。

いやいやそんなことはない。やはり、日本人にとって12月の風物詩といえばクリスマスではない。やはりアレである。アレだ。

「忠臣蔵」である。

今をさかのぼること300有余年前の赤穂浪士の討ち入りである。


12月も中頃になれば、サンタの格好に扮した人が街に溢れる。でも私としては「討ち入りの際の火消し装束」こそ、12月の日本人の正しいコスプレだと昔から思っている。

そういうことを書くと、またまた偏屈オヤジみたいだが、本気でそう思う。

宅配ピザ屋のお兄さんも小汚いサンタの衣装でウロウロするより、討ち入り装束でバイクにまたがっている方が格好いいと思う。

ダメだろうか。

小学生の頃、NHKの大河ドラマ「元禄太平記」を見たことがきっかけで忠臣蔵ファンになった。

当時、親にせがんで赤穂まで行っただけでなく、大人になってからも2,3回旅先に選んだ。

大人になってからは、ウマい魚料理と温泉と割と近くにある備前焼の里めぐりが主目的になったが、それでも赤穂浪士ゆかりの場所とかには立ち寄ってしまう。

それ以外にも、地方の人を東京案内する場合には、たいてい港区高輪の泉岳寺に向かう。討ち入りを果たした浪士達が主君の墓に報告に行ったファンにとっての聖地である。

ある時期、忠臣蔵を極めたくなって、大昔の映画やドラマをあさるように見た。昭和30年代あたりの作品にはシビれた。

重厚な俳優達のどっしりとした演技が良い。ところどころ何を言ってるのか分からないセリフ回しもあるのだが、重厚感という意味では、この時代の作品が最高だ。

往年の大スターである長谷川一夫とか片岡知恵蔵が主人公の大石内蔵助役だ。脇役達もその後の映画界の重鎮になるような俳優が固めていて見応えがある。今週だったか、BSでそんな重厚な忠臣蔵の映画が放映される。オススメです。レンタルビデオ屋にもあるはずだから年末年始に暇な人はゼヒ見ていただきたい。

ところで、忠臣蔵を知れば知るほど「事件の側面」も気になり始める。

イジワルジジイの吉良上野介のイジメに浅野内匠頭がブチ切れて江戸城中で暴れたというのが事件のあらましとされる。

はっきり言って、浅野さんのほうに精神的な問題があったというのが歴史的な事実だ。しかし、映画やドラマではそんな要素は隠されている。

だとしたら、吉良さんにとっては大迷惑である。喧嘩両成敗が当時の原則とはいえ、見方によっては、トンチンカンな浅野の行動に対して吉良さんはグッと我慢したことになる。

にもかかわらず、失業しちゃった浅野さんの子分達の逆恨みで寝込みを襲われて殺されてしまう。オイオイって感じだ。

吉良さんは地元では名君として慕われている。愛知県にある吉良町では、ある時期まで忠臣蔵が上演上映されることはなかったという話もあるほどだ。

もし、浅野さんに非があったのなら、吉良さんにとって、赤穂浪士達は単なるテロリストである。無法者集団になぶり殺しにされてしまったわけだ。

そんな角度から赤穂事件を描く映画があっても面白い。日本中のアマノジャクがこぞって見に行くはずだ。

高倉健が善人の吉良役で、悪役商会の悪そうな顔の人達がゴロツキみたいな赤穂浪士に扮する。。。どうだろう。そんなこと書いていると良識のある人々からぶっ飛ばされそうである。

まあ、歴史自体が勝者や権力者の都合で勝手に脚色されるわけだから、そんな下らない妄想もあながちトンチンカンではないのかもしれない。

そのほか、忠臣蔵を別な視点で捉える場合、興味深いのが討ち入りに加わらなかった面々の人生だ。

事件当時、赤穂藩には300名の藩士がいたらしい。討ち入りに参加したのは47名(正確には46名)。およそ250人の脱落者がいたわけだ。

討ち入り完遂で世の中が大フィーバーした一方で、参加しなかった面々にとっては、それはそれは苦難の連続だったらしい。

討ち入りに加わらなかったことで、卑怯者、不忠義者として蔑まれ散々な目に遭ったことが史実として記録されている。

討ち入り前にヨソの藩のお偉方の養子に入っていた旧赤穂藩士は、養子を解消されて追い出されたり、それこそ、世間の目に耐えかねて自決した元藩士もいたらしい。

それ以外にも、討ち入り不参加組の元赤穂藩士だとわかると、近所づきあいを敬遠されたり、食料を売ってもらえなかったりしたから、偽名を使ったり出身を隠してひっそり暮らす人が多かったそうだ。

人それぞれ事情があるわけだから、不参加組を一概に否定することはできない。でも時代の空気はそんなことに配慮してくれない。実に切ない話だ。

こんな不参加組の切なさを描いた映画も見てみたい。深い深い人間ドラマが描かれそうな気がする。

ちなみに、「忠臣蔵」にも受難の時代はあった。第二次大戦後の占領下では、ある時期まで忠臣蔵に関係する映画、演劇、出版が禁止されていた。

マッカーサー率いるGHQが日本人の仇討精神や報復を恐れていたことが原因である。なかなかエグい話だと思う。

忠臣蔵をネタに呑気にこんなブログを綴っていられるのも時代が平和だからである。実にありがたいことだ。

さて、クリスマスに向けて、討ち入り装束のコスチュームをネットで探してみることにしよう。

2013年12月9日月曜日

極右です


姪っ子が来年からフランスに行くらしい。大学の交換留学試験に受かったとかで、1年間リヨンで学ぶそうだ。

ほんの15年ほど前に頻繁に遊んだ姪が、いっちょ前の顔して海外暮らしをするんだから、私の老化が進行するのも仕方がない。

リヨンは美食の街として有名だ。姪っ子の激励という大義名分でブラブラ遊びに行くことになる気がする。

留学といえば、私が中学を卒業する頃に「母親から海外留学したけりゃ行かせてやるぞ」と言われたことがある。

色気づいてきた頃である。東京での遊びを覚え始めて楽しい盛りだったから、せっかくの話を真剣に考えることはなかった。

あの浅はかさが何とも残念である。あの時、大志を抱くような真っ当な精神を持った少年だったら私にも違う人生があったのかと思うと複雑な気分だ。

でも、当時、アメリカあたりに留学していたら変な薬物を吸いまくった転落人生だったかもしれない。真面目に過ごしてもジャンクフードの嵐で体重150キロぐらいのオッサンになっていたかもしれない。

やはり、歩んできた人生は積極的に肯定しようと思う。

さてさて、姪を訪ねにヨーロッパに行くなら懲りずにスペインに足を運びたい。この前の旅行では、スペインでの食事が妙に口に合ったから次回は純粋にドカ食い旅行をしたいと思っている。

都内にもスペイン料理の店は無数にあるが、これまでまったく縁が無かったから、ちっとも知らない。

座席の間隔がゆったり目でメニュー豊富で美味しくて、ついでにタバコも吸えるスペイン料理店はないものだろうか。

イタリアンやフレンチもそうだが、一部の高級店を除くと、西洋料理の店の多くが小さくて狭い。窮屈な空間が苦手なので、なかなか足を運ぶ機会が無い。

結局、勝手知ったる和食の店で焼酎片手にクダをまく日が相変わらず続いている。




和食の店と一口に言っても、私の場合、ついつい晩酌がメインになってしまうので酒に合うものばかり注文してしまう。

画像は、銀座の小料理さんで食べた肉豆腐、高田馬場のお寿司屋さんで作ってもらったコハダとガリと大葉を混ぜたやつ、そして銀座の寿司屋で出てきた卵ブリブリトッピングのボタンエビとウニである。

こういうものを目の前に置いてクイクイ飲んでいると、つくづくドメスティック万歳?という気分になる。

寒くなった途端に身体が要求する燗酒を手にしながら、このてのツマミをちょびちょび楽しむ喜びは日本人の特権である。和食が世界遺産になったみたいだが、そんなのは至極当たり前の話である。大げさに喜ぶまでもなく「そりゃそうだ」と悠然と構えるのが正解である。

そんなことよりも、気の利いた酒肴で晩酌するスンバラシイ風習は、贔屓目ではなく世界に誇る日本の文化だと思う。

「ドメ男」である私としては、この真理は譲れない。たとえ厳しい尋問や拷問を受けても譲れない(拷問されたらすぐに自説を曲げると思う…)。

とにかく、食べ物に関して私が「極右」であることは確かなようだ。

リヨンがどうした、バスク地方がどうした、はたまた食は広州に在りとか言われても、アンキモやカラスミや白子なんかで熱燗をすする組み合わせが世界のホームラン王だと確信している。


この画像、中途半端な構図でスイマセン。デロデロに美味しくて顔付きまでデロデロになるアンキモを撮影したかったのだが、向こう側に鎮座するキモをたっぷりくるんだカワハギも同時に画像に収めたくて失敗した。

冬場はそんな連中が私を誘惑しまくるので日々ウットリである。痛風が心配だが、痛風にはならないと決心しているので大丈夫である。

「病は気から」である。何事も気合いだ!とアニマル浜口先生も言っていたから強い気持ちでいれば痛風にはならないはずだ。

ツマミばかりではない。しっかり食べたい場合、すなわち「かっ食らう」気分なら、天丼サマやカツ丼サマといったヘビー級も和食の世界には控えておられる。

和食の世界は実に繊細で多様な技を駆使する奥深いものである。その一方で、どんぶり飯に具材を載っけてガッつく「丼文化」も根付いているところが「日本メシ」のニクいところだ。

もちろん、天丼サマやカツ丼サマにしても豪快にドンブリ飯に具を載っけただけのように見えて、実際には、それ専用のタレがあったりするから決して単純ではない。奥の深い世界である。

さてさて、ドンブリ、タレ、ときたら「お重サマ」にも触れないわけにはいくまい。


日本橋の鰻屋さんで堪能したウナ重サマである。絶滅危惧種である。将来は食べられなくなるかもしれない。今のうちにしっかり食べておきたい逸品である。

平たく言えばご飯にウナギが載っかっただけである。ところが、ウナギをこの状態に仕上げるまでの苦労、芳醇な風味のタレを作り上げる苦労など、陰に隠れた先人の叡智、受け継がれてきた技など、これぞ日本文化の極みである。

書いてるだけでヨダレが溢れて私のデスクの上は大洪水状態である。一両日中にかっ食らいに行くことを決意した。

結局、今日も何を書きたかったのか分からないままだ。

2013年12月6日金曜日

湯河原 「海石榴」 思い込み


紅葉、そして寒い季節。となれば行かねばならないのが温泉である。日本人として必要な嗜みである。

で、温泉に行ってきた。秘境の濁り湯なんかにドップリ浸かって演歌をうなりたい気分だったのだが、手軽な近場で済ませようと湯河原を選んだ。

湯河原には何度も行ったことがあるが、今回は何となく「思い出の旅館」を選んでみた。

亡き祖父が好きだった宿だ。旅館よりホテルが好きだった祖父がナゼかそこだけは気に入っており、2度ばかりお供させてもらった。


「海石榴」と書いて「つばき」と読ませる老舗料亭旅館である。ちょっと高い。でもたまの気晴らしである。あまりショボショボした宿だと切ないので頑張って出かけてきた。

前に行ったのはもう20年以上前のことだ。当時、若者だった自分から見れば、敷居が高かったし、凜とした空気に圧倒されたような記憶があった。

すっかり立派な?オッサンとなり、そこそこ高級旅館も訪ね歩いてきたから、昔よりは余裕ぶっこいて、いや、呑気な気分で過ごすことが出来た。


年を重ねるに連れ、上質なf雰囲気に気押されることが無くなってきてしまった。昔は凜とした空気にたじろいだが今では妙に心地良かったりする。

それって、ある意味残念なことでもある。実は「真性のM」である私としては、たじろぎたいし、おどおどしたい。変な言い方だが、高級旅館で非日常に浸るにはそんな気分も大事だと思う。

20代の頃にオドオドした気分で過ごした宿だから、今回も期待していた。でも私が図々しくなったせいで、ちっとも緊張せずにホゲホゲ過ごせた。

ホゲホゲ過ごせたわけだから快適だったわけだ。文句をつけるわけではない。でも、何となく「普通」という印象だけが残ってしまった。

例えて言うなら、「昔々に恋い焦がれた女性に久々に遭遇したものの、自分の中でその人を美化し過ぎたせいで拍子抜けしちゃったような感じ」である。

その女性のせいではない。美化しすぎてしまった自分の感覚のズレの問題である。

若い頃の鋭敏な感受性が無くなったのか、はたまた、この20年で贅沢になり過ぎたのか、ひょっとすると旅館自体の質が変化したのか。ビミョーである。きっとどれも少しずつ正解なんだと思う。

「海石榴」も昔はもっと“突き抜けた感じ”があったが、世の中全体がマイルドになってきたのと同様、どこか普通に近づいてきたのかもしれない。



誤解の無いように説明すれば、充分に上質だし、中途半端な宿に泊まるなら、こちらを選んだ方がいい。

館内も清潔だし、部屋も広い。露天風呂付きの部屋も結構な数にのぼる。サービスも丁寧だし、文句をつける部分は無い。

チェックアウトは昼の12時までである。露天風呂付きの部屋ならそんな時間まで湯あたりしていられる。凄いことだと思う。

料理も普通に美味しい。少しずつ色々なものが出てきたが、マズいものは一品も無かった。

でも“突き抜けた感じ”ではなかった。勝手な思い込みかもしれないが、昔はもっと圧倒されるような上質な料理が出されていたように思う。






今回もすべて美味しく食べ尽くしたが、あえて言うなら「温泉旅館料理」という範疇のウマさに留まっていた気がした。

随分エラそうな書き方である。イヤミおやじである。スイマセン。これも思い込みのせいである。“突き抜けた感じ”に憧憬の念を抱きすぎたせいで(大げさでスイマセン)、ついつい四の五の言いたくなってしまったわけだ。

思い込みが強すぎると損をする典型みたいな話だ。素直にはしゃいでいればいいのに、昔の勝手なイメージが膨らみすぎて、その呪縛のせいでブツブツ言ってる感じ。バカである。もったいない話だ。

この「海石榴」、何年か前にどこかのファンドに経営権を手放し、その後、北海道を基盤に小洒落た温泉ホテルチェーンを展開する会社の傘下に入ったという話を聞いた。

東京人にとって湯河原の名旅館がそういう経緯をたどっている話を聞くのは何となく淋しい。そんな「邪念」もついつい宿の印象を斜めから捉えてしまった原因かもしれない。

ちなみに、この宿より価格も質も落ちる宿でも大満足することは珍しくない。でも、要所要所を比べればそうした宿より「海石榴」のほうが断然良かった。なのに素直にバンザイできない自分こそが残念である。

やはり一時代を築いた有名宿という看板のせいで、私のイメージが膨らみすぎたのだろう。

思い込み。憧れ。実に厄介な感覚である。フラットな気持ち、平常心で過ごしたほうが間違いなく幸福だと思う。

2013年12月4日水曜日

福田直樹のカッコ良さ


福田直樹というボクシングカメラマンがいる。先日、WOWOWのドキュメント番組で彼の活躍を見た。

凄いの一言だった。

彼とは幼稚園、小学校から高校まで同じ学校に通った。特に親しい間柄ではなかったが、最近の彼の活躍はよく耳にしていた。

30代半ばで英語もままならない中で渡米し、ボクシングライターの傍ら独学で撮影技術を磨いていったそうだ。

その後、彼は2011、12年と2年連続で全米ボクシング記者協会の最優秀写真賞を受賞する。今や世界的なカメラマンである。

http://naopix.com/Profile.html

ここ数年、日本のメディアでも彼の名前を頻繁に見かけるようになった。WOWOWのドキュメント番組は、“パンチを予見する男”というタイトルで、決定的瞬間をモノにする彼の日常に密着していた。

動画では表現しきれない一瞬を切り取るために多くのカメラマン達がシノギを削る。リングの外でも熾烈な闘いがある。そんななか、大柄な男たちに囲まれながら、小柄な日本人が独特の存在感を見せる。

アメリカ人からすれば、ああいう日本人が「サムライ」を連想させるのではないだろうか。

卓越した撮影技術も凄いが、異国の地に渡って未知の分野に挑んできたタフさは驚異的だ。

想像以上に苦労を重ねたはずだが、番組に密着された彼はそんな様子を微塵も見せずに、あくまで飄々とした受け答えに徹する。

渡米してしばらく経った頃、飲酒運転の車に突っ込まれ、娘さんが危篤に陥る。その後無事に生還するものの、この一件がひとつの転機になったという趣旨のくだりが印象的だった。

自分の勝手な都合でアメリカに来て、家族も巻き込んでいるのだから、生半可な仕事はできないと語る彼の姿は、静かな語り口もあいまって「古き良き日本の男」を思い起こさせる。

旧友という贔屓目を抜きにしても「男のカッコ良さ」を思い知らされた気がした。

真摯に取材に対峙している割には、取材した側が苦労したであろう物静かな受け答え、言葉を飾らない姿。一本の道を真っ直ぐ歩いてきた男の芯のようなものが否応なく視聴者の心に残ったのではないだろうか。

職人の矜持という言い方が的確かどうか分からないが、まさにそんな感じだ。朴訥とした語り口だからこそ滲み出る本物の迫力に、画面を見ながら気持ちよく圧倒された。

中途半端なオッサンは、自分を大きく見せたいあまりに、くだらぬ虚勢を張ったり、言葉を飾ったり、ジタバタすることが多い。

私自身、思い返せばそんなことばかりだ。実にカッコ悪い。旧友のカッコ良さに強烈に刺激を受けた。言い換えれば、カッコ良さの意味を今更ながら教えられた気がする。

もちろん、彼だって、独特の低い声は昔と変わらないものの、フサフサだった髪はすっかり淋しくなり、重い機材を抱えて歩く姿は疲れたオッサンである。

でも、熱い気持ちを抱き続けて最前線で闘っているから真のカッコ良さが漂っている。番組を見た中高年男性すべてが、彼の姿に「正しいカッコ良さ」を感じたはずだ。

随分とホメまくってしまった。でも久々に感動的なドキュメンタリーだったから、勢いのまま書き殴ってしまった。

とりあえず、私も彼を見習って口数を減らすことから始めよう。余計なことを言い過ぎる男はマヌケである。分かっているのだが、ついついサービス精神?で無駄口を叩いてしまう。

福田君のアノ低い声もマネしたいが、あれは天性のものだからさすがに無理だろう。

だいたい、口数だとか低音とかそんなことをマネしようという私のフシダラな感覚が既に失格行為である。ノックアウト負けだ。

冗談はさておき、ここ数年、同級生達のさまざまな分野での活躍を頻繁に見聞きするようになった。

ビジネスの世界だけでなく、学術の分野、地方自治の世界、先端医療の分野、伝統芸能の世界等々、年代的に世の中の中心的位置にいることもあって、まさに百花繚乱である。

テレビや新聞、雑誌などで彼らの活躍ぶりを見かける機会も増えてきた。大いに刺激をもらえるから有り難い限りである。

メディアに取り上げられる面々の多さに驚かされるが、もちろん、それ以外の様々な世界で皆さん個性的に奮闘している。人生いろいろである。この年になれば、それぞれ厄介な荷物を背負いながら闘っているのだろう。

IT分野で活躍している旧友のマメな努力で、同級生メーリングリストはかなりの補足率を保っている。この幹事長的な旧友はIT分野の草分けのような仕事をしているため、同級生たちの活躍をいろいろな形で記録して仲間内に伝達してくれる。おかげで意外な旧友の意外な近況を知ることもある。

先日も別な同級生の講演会情報を知ることができたし、ここに書いたWOWOWのドキュメンタリー番組も本来なら見られないはずだったのだが、彼のおかげで視聴できた。

そういう意味で一番エラいのは著作権法の抜け道に精通して?各種の情報を整理してくれる幹事長役の彼かもしれない。実に有り難い。

さてさて長くなってきたので、まとめに入ろう。

石川啄木の短歌に味わい深い作品がある。


友がみな 我よりえらく見ゆる日よ 
花を買い来て妻としたしむ


コンプレックスがウリ?の啄木の詩である。旧友が偉くなって置いてけぼり気分でイジケていると解釈されることが多い。

一方で、単なるイジケ気分だけではなく、友達の活躍に刺激を受けて自分も頑張るぞ、という意味合いが正しいとする解釈もある。

もちろん、後者の意味で捉えたいと思う。

私の場合、花を買って帰っても、したしむ相手がいないことが問題ではある

まあ、その辺も含めて頑張らなければ。

2013年12月2日月曜日

川のほとりの歩き方


♪きっとキミは来な~い♪
山下達郎の「クリスマスイブ」である。いつの間にか国民的師走楽曲となった。

先日のニュースでは「史上初の4年代トップ10入り」だと報じられた。80年代、90年代、00年代、10年代それぞれでベスト10入りしたとか。

あの曲が収録されていたアルバムは1983年夏に発売された。当時の若者にとってバイブルのように普及していた。高校生だった私も良く聴いていた。

その後、クリスマスシーズンにシングルカットされ、だいぶ経ってからJRのCMソングになって爆発的に広まった。

30年である。30年前といえば、携帯もインターネットもパソコンも無かった。今とはまるで違う世相だった。

いまなら「ちょっと行けなくなった」とショートメールが来て終わりだ。「きっとキミは来ない」などと悶々と哲学的に悩む必要も無い。まさに隔世の感がある。

当時30歳でこの曲を聴いていた人は現在60歳である。60代といえば、忠臣蔵で赤穂浪士に殺される吉良上野介ぐらいの年齢である。

そう考えると凄いことだと思う。

なんだっけ?何を書こうとしていたのだろうか。山下達郎のニュースに触発されて勢いで書き殴ってしまった。

そうだ。月日が経つのが早くなった話だ。最近は時の流れが加速度的に速くなったように感じる。ここ数年、物凄いスピードで時間が過ぎていく。

つい2~3ヶ月前にNHKの紅白で美輪明宏の熱唱を見た気がするが、もう1年が経ってしまった。

年齢とともに時間の経過が早く感じられるのは脳の働きがそうさせているらしい。

ところで、月日の経過を早く感じるのは時の流れを「川の流れ」に例えると分かりやすい。何かの本で読んだ受け売りである。

川の流れはいつも一定で、年月の流れも同じだ。川のほとりを歩く人間は体力の衰えとともに歩き方が遅くなり、昔と同じように歩いているつもりでも川の流れが速くなったように感じるという話だ。

フムフムである。確かにそんな気がする。

ついでに自分なりの解釈を加えてみる。

川のほとりを歩く体力が低下しただけでなく、若い頃よりも色々なものに目が向くようになったことが歩くペースが落ちた原因ではなかろうか。

若い頃は狭い視野しか持たず、ただ真っ直ぐに脇目もふらず歩いていた。周りを見る余裕も無く、ただただ前に向かって歩いていた。

年を重ねるごとに川のほとりに咲く花や遠くの眺めに心を奪われたり、足を止めてしばし考え込む場面も増えてくる。だから若い頃より歩む速度が緩やかになったのだろう。

歩くのが遅くなった分、見えるもの、聞こえるもの、感じることが多様化していく。それこそが人としての教養や嗜み、深みみたいなものだと思う。

我ながらなかなか良い分析だ。

というわけで、含蓄のある男を目指すためには、今後も寄り道や回り道をしないとならない。ああ大変だ。

今年は私自身、生き方の「転進」のために区切りをつけた年だったから、さっさと新しい年を迎えたい。まさしく「忘年」に精を出したい感じだ。

とか言いながら散々飲みまくる12月になりそうだ。気をつけようっと。

ちなみに、忘年会という概念は、年の終わりの宴会という意味だけでなく、「年齢差を気にせず相手の才能や人格を尊重して親しく交わる」という意味もあるそうだ。

そっちの意味の「忘年会」のほうがいい。年の瀬の忘年会は何だかせわしないし、翌年の課題を突きつけられている感じで空恐ろしい。

年齢差を気にせず交わる意味の「忘年会」なら年柄年中やっていたい。自分自身の刺激になりそうだ。

若いオネエさん相手に合コンでもするか。などと、相も変わらぬ自分の煩悩太郎ぶりに呆れている。

まあ、煩悩を消し去ったら、人間なんて枯葉みたいなものだから、適度な数の煩悩と面白おかしく付き合っていきたい。

適度な達観と煩悩を愛でる気持ちの融合。これが課題である。

なんだか書いていることが、すっかり年末モードである。いかんいかん。まだオヤジバンドのライブもあるし、クリスマスも控えている。

ユンケル買いに行かねば。