2019年5月31日金曜日

色っぽい歌 門あさ美


「NO MUSIC, NO LIFE」などと気取るつもりはないが、日々、何かしらは音楽を聴いている。

年齢のせいもあって、昔の歌を聴く機会が多い。いまどきの歌に抵抗があるわけではないが、やはり馴染みのある曲ばかり聴きたくなる。

気のせいか、昔のほうが「色っぽい歌」が多かった気がする。自分が多感な若者時代に聴いたからそう思うのだろうか。

この頃、クルマを運転しながら「門あさ美」を聴くことが多い。80年代前半に「ファッションミュージック」という意味不明な看板を掲げて一部で熱い支持を受けていた女性シンガーだ。



テレビなど表舞台にはほとんど出ない謎めいた雰囲気とオシャレな中にも妖艶系の歌詞が特徴だった。

高校生の私からすれば、まさにオトナの女のイメージそのままだった。YouTubeでアレコレ動画が見られるので興味があるかたは観ることをオススメする。

大学生の頃、見た目が門あさ美っぽい友人がいたのだが、そのコは徹底してオジサマ好きだった。小僧である私がいくら奮闘しても見向きもしなかった。

早くオジサマになりたいと心から思った。世の中のすべてのスカしたオジサマ達が憎らしかった。

あれからウン十年、気付けばバリバリの熟年になってしまった。昔は憎たらしかった側でドカンと生きている。

女性に対する行動なんてウン十年前と同じなのに、オジサマとしての余裕は確かに昔よりは遙かにある。

無器用で何かと燃えたぎっていた若い頃が懐かしいが、かといってあの頃に戻りたくはない。今のほうが楽しい。戻れるのなら若い頃より、せいぜい5年前ぐらいで構わない。

いつの時代もオジサマ好きの若い女性はいるもので、おかげで今の私もなんとか現役生活?を過ごしている。適度に手玉に取られていれば世の中丸く収まるという達観の境地かもしれない。

まあ、そのぐらいがちょうどいい。

話がそれた。

https://www.uta-net.com/movie/92595/

門あさ美の曲に「Nice Middle」がある。♪ナ~イスミドル、危険なまなざ~し♪というサビが印象的だ。

その昔、この曲を聴くと若い自分の無力感にイラついたが、今ではすっかりオジサマ側だ。無邪気に楽しく聴いていられる。

ヘンテコな年の功である。

門あさ美には、他にも「お好きにせめて」「感度は良好」「セミヌード」など色っぽい曲が多かった。

あれほど大人っぽい世界に聞こえた数々の曲も今になって聴くとまるで印象が違う。感性が鈍ったのか、余裕が生まれたのか。後者だと思いたいところだ。

門あさ美が「ファッションミュージック」なる言葉でイメージ付けをされたように、80年代前半の音楽シーンは、シティポップ、シティミュージックというジャンルが王道だった。

いま思えば、実に小っ恥ずかしいカテゴリーである。極論すれば“日本全国総田舎者コンプレックス”の裏返しだったのかと思えるほど、誰もがそんな雰囲気の曲ばかり聴いていた。

かの玉置浩二だって安全地帯でグイグイ売れてきた頃は完全にソッチ路線だったし、矢沢永吉ですら一時は少しだけソッチ系の匂いを振りまいていた。

杏里、EPO、松原みき、中原めいこ、名前を出せば懐かしい名前がいっぱい出てくる。

男子だってスターダストレビューの最初の頃はソッチ系に見えたし、稲垣潤一もドラマチックレインを叫び、角松敏生もエアポートレディーを熱唱していた。

聞くところによると欧米諸国で日本の80年代シティポップが結構な人気らしい。YouTubeの普及によってそんな不思議な現象が起きているのだとか。

メロディーラインと声の質感が高い評価を受けているそうだ。いまさら感はあるが、リアルタイムで聴いていた世代からすると何となく誇らしい。

ついでに、門あさ美にも改めて注目が集まって欲しいものだ。あの世界観は今の誰にもない独特で貴重なものだったと思う。

2019年5月29日水曜日

薬味のいじらしさ


野菜が嫌いなくせに薬味は妙に好きだ。自分でも不思議だ。脇役としての控えめな感じに惹かれるのだろうか。
いじらしいほど地味な存在である薬味だが、無かったら困るものはいっぱいある。たとえば冷やっこだ。


冷やっこに薬味が無かったら冷やっことは呼べない。ただの豆腐だ。薬味があるから独自の地位を築いている。

画像のようにワガママが言える店では薬味を大盛りにしてもらう。野菜嫌い連盟の大幹部として生きているクセにヘンテコである。

でもウマいんだから仕方がない。

考えてみたら「薬味」という名前もインパクトがある。薬の味である。なんじゃそれって感じだ。

言葉だけ冷静に眺めていると風邪薬の改源や太田胃散みたいな味が思い浮かぶ。あんなものが冷やっこにぶちまけられていたらゲロゲロゲ~である。

というわけで、薬味の語源をネットで調べてみた。もともとは「加薬味」という言葉があるらしい。コショウやショウガ、サンショなど薬効のある味を加えるニュアンスだ。

「かやくゴハン」も加薬味が語源らしい。フムフムである。パンチの効いた味を加えるといった意味合いだ。

いまどきは薬味と言えば、ネギやミョウガあたりが基本だが、パンチの効いた味を付け足すという意味では、定義付けは曖昧だ。

ラーメンに入れるメンマやザーサイも薬味といえば薬味だ。ひょっとするとチャーシューだって派手な薬味と言えなくもない。


こちらの画像は新橋にある「ほりうち」のチャーシューメン。ヤケッパチみたいなチャーシューがウリの店である。

こうなるとチャ-シューがメインで麺が薬味かもしれないなどとヘンテコなことを考えてしまう。

そんなことを言い出すと、肉料理やパスタにふりかけるトリュフも薬味かもしれない。ステーキの上に仰々しくのっかってくるフォアグラだって薬味なんだろうか。

先日も某飲み屋で「ジャコのミョウガあえ」なるツマミを頼んだのだが、言ってみれば「薬味オン薬味」みたいな食べ物である。「炭水化物オン炭水化物」の焼きそばパンに通じる趣があった。

意味不明でスイマセン。

さて、薬味が主役という意味では、私が大好きなカツオのたたきスーパーバージョン?も代表的な食べ方だろう。


銀座のおでん屋さん「おぐ羅」の人気メニューがカツオのたたき。カツオが見えないぐらい薬味がテンコ盛りでぽん酢だれもタプタプだ。

薬味をドッサリ載せてカツオを食べるのも最高だが、薬味テンコ盛りの理由はカツオを食べ終わった後にある。おでんの豆腐を投入するわけだ。冷やっこならぬ“温ヤッコ”だ。実にウマい。

話は変わる。薬味業界?のダークホース的な存在なのが、ウナギにトッピングするネギである。本格的なウナギ屋さんでは邪道とみなされているのか、滅多に見かけないが、これが案外ウマい。


白焼きにとくにオススメだ。醬油で味わうのが基本だから、薬味があっても不思議ではない。わさびでも充分だが、ネギが加わることでまた違った美味しさが楽しめる。

スーパーで売っているようなさほど美味しくない白焼きだったら、ネギのおかげで一気に美味しさがアップする。

薬味をアーダコーダと語ってきたが、突き詰めたらネギのことばかり書いている。

ネギ好きな男みたいである。野菜嫌いを広言して生きてきたのに、いつの間にかネギオヤジである。

なんとなく負けたような気がするのはナゼだろう。

2019年5月27日月曜日

歯医者、血圧の薬、トシ・ヨロイヅカ


血圧の薬と歯医者さん。この二つが職場移転にともなう私にとっての大問題だったのだが、ようやくクリアした。バンザイである。

血圧の薬と逆流性食道炎の薬は私にとってライフラインだ。これが無いと死んじゃう。今までは前の職場から近い循環器クリニックにもらいに行っていたが、移転先から通うには遠い。

前のクリニックは毎月のように頼んでもいない検査を繰り返して客単価?を上げるガメツイ系だったから、いつもガラガラだった。

まあ、薬の処方箋をもらいに行くだけだからガラガラのほうが有難い。タイムイズマネーと割り切って通っていた。

今回、移転先界隈でふらりと訪ねたのは高血圧対策にも力を入れている感じの内科。あまり混んでいない。これまでさんざんやられてきた検査もこっちが要請しない限りやらないらしい。無事解決。

歯医者さんもかなりの長い期間、前の職場の近くに通っていた。3か月に一度のクリーニングと点検だ。これまた遠くなったからわざわざ行くのは面倒だ。

というわけで、今度の職場から20メートルぐらい先に5月に開業した歯医者さんに出かけてみた。

最新鋭設備バリバリで、スタッフがAIと双方向で会話している。いやはやそんな時代だ。院長さんもノリのいい女医さんで感じが良い。次回からはここで大丈夫だろう。

私にとってストレスにも近かった課題がいとも簡単にクリア出来てバンザイである。

ついでに言えば、もう10年は通っている内視鏡のクリニックも移転した職場から徒歩圏内だ。

毎年、強力鎮静剤で一気に夢うつつの世界に落とされてから口とお尻にカメラを突っ込まれる。

Mな私にとってアノ鎮静剤で落とされるのは毎年の楽しみだ。ただ、検査後、半日ぐらいは鎮静剤が残ってポワポワした状態だから、職場が近くなったことは何かと便利だろう。

来月にまた内視鏡検査がある。空腹のまま検査をしたあとのドカ食いが何より楽しみなので、近くのエリアに詳しくなってきた私としては今から何をガッツリ食べるか必死に考えている。

お医者さん通いなんて若い頃は無縁だったが、気付けば自分の生活サイクルの中で結構大事な要素になってしまった。

アッという間にそんな年齢になったなあと改めて痛感する。考えてみれば、サザエさんに出てくる波平と同じような歳だから仕方ない。

医者の話ばかりじゃ退屈なので、職場近くの甘いモノ情報をひとつ。

京橋駅直結のエドグランという商業施設で、もっともブイブイ言わせている存在が「トシ・ヨロイヅカ東京」である。一番目立つところに結構なスペースで陣取っている。


ケーキ屋さんとしては随分強気に勝負している感じだ。しょっちゅう前を通りかかるのだが、平日の午後なども賑わっている。

目の前でスイーツを調理して提供するカウンターサービスなんかもあるらしい。小洒落たスイーツカフェとして人気のようだ。

目の前で調理されるスイーツをシャンパンでも片手に食べてみたいのだが、オジサマが陣取るには場違いな気がしてチャレンジできていない。


仕方なく持ち帰りでいくつかケーキを買って職場のデスクで食べている。毎度3つほど買ってちょっとづつ食い散らかしている。昼飯を食べない1日2食の私にとっては、そんな遅い午後のひとときが幸せである。

お味のほうは普通に美味しい。私が好きなピスタチオ系スイーツが複数ラインナップされているのが嬉しい。

品揃えはやたらと豊富だから、まだまだオトナ食いという名の食い散らかしが続きそうだ。

2019年5月24日金曜日

中央区の人


職場が京橋に移転して1か月。ようやく慣れてきた。やはり池袋と違って「気」が良い場所だと思う。今も浅草線の駅名にあるように「宝町」という名前の場所だったわけで、金運や縁起も良さそうだ。

自宅の引越しも具体的に考え始めた。職場から1キロの距離にあるマンションにも申し込んだ。すっかり「中央区の人」になりそうである。

予定がない日には、仕事終わりに近隣を散策してウマそうな店を探す。行ってみたい店がワンサカあるからしばらくは退屈しないで済みそうだ。

先日は、ふらふら歩いていたら結局、銀座4丁目も越えて、プチ馴染みのおでんの「おぐ羅」で食事をして、そのまま向かいにあるクラブ「麻衣子」で呑んだくれてしまった。

油断?するとすぐに京橋を外れて銀座に行ってしまう。まあ、それはそれで悪くはない。


とある夜、京橋駅のほど近くに佇む私好みの外観の店に突撃してみた。「きむら」という店。和洋料理という看板を掲げている。

古めかしい雰囲気が素敵だ。まさに大人向けシッポリ系である。

一般的な小料理メニューの他にトンカツやクリームコロッケが人気らしい。私にとっては願ったり叶ったりである。



クリームコロッケが物凄く美味しかった。洋食の名店もビックリのレベルだ。渋い小料理屋的雰囲気が大好きで、ベシャメルソースが大好きという私にとっては天国かもしれない。


こちらはニシンのこんか漬け。石川県の郷土料理らしい。へしこみたいなもの。発酵しょっぱい系である。酒のアテにバッチリである。

こういう珍味でチビチビ酒を飲みながら、クリームコロッケも堪能できちゃう点がニクい。

京橋は銀座と日本橋の谷間みたいな立地である。風情があってニクいメニューがあってオジサマ受けが良さそうな店はいくつも見つかりそうだ。

近年の再開発で京橋駅周辺にはエドグランとスクエアガーデンという高層複合ビルが競い合うように立っている。

スクエアガーデンにある「随園別館」に行ってみた。北京ダックをウリにする新宿の有名店がこちらにも進出したらしい。

イマドキの商業ビル内のレストランにしては珍しく普通にタバコが吸える。これはかなり画期的だ。



小汚い街場の中華屋さんならともかく、それっぽい雰囲気、かつ飲み屋的使い方ではないような路線の店で喫煙OKはかなり珍しい。

お味のほうは「まあそれなり」だったが、店内の雰囲気は適度に高級感があり、造りも広いから何かと融通もききそうだ。宴会的な使い方に向いていると思う。

さてさて、住まいの引越し先が無事に決まれば、自宅の最寄り駅は新富町になる。既にそっち方面の焼鳥屋、鰻屋、寿司屋といったシッポリ系の調査も始めた。

こんなことに一生懸命になっているのはヘンテコだが、案外そんな時間が楽しい。オノボリさん感覚ってこういうものなのだろう。

やはり、自分の居場所をリセットすることは、ドンヨリ染みついた変わり映えのない暮らしに新しい空気を吹き込むことになる。

新天地で過ごしていると、自分の感度が以前より良くなっている部分もある。大げさに言えば細胞が活性化しているのかもしれない。

まあ、そんな理屈っぽいことはさておき、しばらくは食い道楽オジサマみたいな顔をしてあちこち覗いてみるつもりだ。

これからしばらくは胃袋と肝臓が3つぐらい欲しい。切実にそう思う。

2019年5月22日水曜日

キチンとする喜び


若い頃よりキチンとするようになった。何だかヘンテコな書きぶりだが、「ちゃんとしている自分」って嫌いではない。

独身生活がその理由だが、若い頃の一人暮らしの際はハチャメチャだったから別人みたいに変化したわけだ。

自宅も基本的には散らかっていないし、最近はタバコだってベランダで吸っている。律儀である。



食事の後の洗い物も速攻で終わらせる。洗った食器も割とすぐに食器棚に仕舞い込んで、水回りは画像のようにいつもスッキリしている。

週に一度、家政婦さんが来るのだが、あまり散らかっているのは恥ずかしいので、家政婦さんが来る直前にキチンとしはじめたのがきっかけである。

部分的にキチンとすると、その他の部分が気になる。だからそっちもキチンとする。好循環である。

真面目なのか、気が小さいのか、神経質なのか、見栄っぱりなのか、きっとミックスだろう。

ただ、根本には「いい歳して原理」が働いているのは間違いない。「いい歳して散らかり放題の家に住んでいる」、「いい歳して整理整頓が出来ない」みたいな世間様の目が恐いから、それなりにちゃんとするわけだ。

先日、3年半使っている洗濯乾燥機が故障した。ドラム式の洗濯乾燥機はたいてい3年ぐらいでおかしくなるらしい。ヒドい話である。

昭和のニッポン家電にはありえないダラしなさだろう。パソコンだのスマホだのITウンヌンが言われ始めてから、どうにも家電製品の信頼性が落ちた気がする。

不完全な製品を平気でバグとかいう一言で片付けて「そんなもんだ」、「仕方ない」で済ませる風潮が強くなったと思う。情けないことだ。

話がそれた。

洗濯乾燥機の故障で、買い直しの出費を覚悟したのだが、ふとわざわざ追加費用を払って「5年保証」にしていたことを思い出した。

保証書もすぐに見つかった。実にキチンとしている。我ながら自分のしっかり者ぶりにチョット感動した。

若い頃は保証書や取説もすぐに無くしていたから、ちゃんとした大人として生きていることが妙に嬉しい。

移転した職場でも、前の職場のように散らかり放題にしてはいけないと、日々奮戦中だ。

社会人のスタートが昭和の頃の記者稼業だったから、書類の山に囲まれて、デスク周りは乱雑極まりないのが標準だった。

無頼派を気取っていたのも若いから許されたわけで、それこそ、いい歳して昔のままではカッチョ悪い。



今のところデスク周りは片付いている。なんとか続けたい。モチベーションを保つために、殺風景な壁に自作の水中写真を並べてみた。プチギャラリーである。

根っからキチンとしている人には分からないだろうが、中年になってようやく発揮されるようになった私の“キチンと精神”は、自分を律する大事な心掛けになっている。

シングルライフは油断してしまえば、とことん自堕落になる。エラそうに書いている私だって、娘が時々わが家に泊まりに来たり、家政婦さんが来るという外的要因のおかげで、なんとかキチンと出来ているだけだ。

それが無ければヒドい暮らし方をしている可能性もある。実際、20代の頃に一人で暮らしていた部屋は、歩くだけで常に綿ボコリが舞い、水回りはすべてカビだらけだった。

それを自分ではちっとも気にしていなかったから、自堕落暮らしの素質はかなりあるほうだと思う。

人生後半戦、なんとかこのままキチンと暮らせればハッピーである。

キチンと働き、キチンと遊び、キチンと酔っ払い、キチンといかがわしい遊びもこなして、キチンとしたジジイになりたいものだ。

2019年5月20日月曜日

一度は愛した人を・・・

もう40年近く前、成人男性の喫煙率は80%近かった。今は確か20~30%だから違う世界の話のようである。

80%ってほぼ全員である。吸わない人が異質という物凄い状況だったわけである。

私がイタズラで煙草に手を出したのは、まさにそんな時代。大きな声では言えないが15歳の頃である。

いにしえの昭和50年代、本当にどこだってタバコは吸えた。副流煙という言葉も聞いたことがなかった。

飛行機だって離陸してベルトサインが消えると同時に喫煙OK表示になった。朝の駅のホームもモヤっていた。

初対面の目上の人の前でも吸えた。企業の応接室には仰々しい煙草ケースと大げさなライターが置かれているのが普通だった。

学校の職員室も空気が紫色だった。先生の中には生徒にタバコを買いに行かせる不届きな人もいた。

なんだか思い返すだけで胸がきゅんとするほど懐かしい。

新しい職場に移ってまもなく1か月。タバコが吸えない環境にオタオタする日々だ。

メインの職場の2軒隣のビルに分室があるのだが、コッソリそこで吸うことが多い。高校時代を思い出す。

困ったことに吸い放題の場所にいるより、数時間おきにようやく一服する時のタバコが美味しくて仕方がない。

トータルでの吸う本数は減ったが、一服タイムには必ず2本吸うパターンが確立してきた。


オタオタしているだけでは仕方ない。自衛策として電子タバコをうまく活用するようになった。

職場移転が決まった昨年末の段階で、来たるべきツラい日々に備えて、匂いの無い電子タバコ「プルームテック」を使い始めた。

ヘンテコな香りがするアイコスと違って無臭がウリである。電子タバコなどという得体の知れないものに手を出すのは愛煙家として忸怩たる思いだったが、背に腹は代えられない。

匂いが無いから、職場の私のスペースでスースーするぐらいなら誰にも迷惑はかからない。

でも、大きな問題は根本的な物足りなさである。私が30年以上一貫して吸っているラークマイルドはタールが9ミリというシロモノなのだが、プルームテックは1ミリのメビウスに準拠した造りである。

1ミリのタバコと9ミリのタバコではまったく次元が違う。普通の紙巻きタバコでも1ミリのヤツはちっとも吸った気がしない。

そんな1ミリバージョンの電子タバコが私を癒してくれるはずはない。死ぬほど空腹の時に焼鳥を1本だけ食べる程度の補給効果しかない。

無いよりはマシといった感じだったのだが、私が気付かぬうちにパワーアップしたプルームテックが発売されていた。


上がベーシックなプルームテック、下が追加投入されたプルームテックプラスである。

従来品とは異なり、タール5ミリ程度のタバコと同等の吸い心地を実現したそうだ。9ミリ派にはまだ不足だが、1ミリに比べれば5倍である。

焼鳥1本というシケた補充が焼鳥5本に進化したわけだ。バンザイである。

スターターキット、すなわち初期費用が5千円ぐらいかかる。その上で普通のタバコ代と同等のカートリッジを買わねばならない。初期費用プラス毎日のタバコ代ということになる。


スターターキットを一気に4セット購入した。それだけで2万円ぐらいもした。富豪である。

充電が切れたらストレスバリバリで頭がおかしくなりそうだから、まずは職場に2セット、自宅に1セット、後部座席に座る時のためにクルマにも1セットである。

私にとっては必要最低限だ。富豪である。でも、充電が必要だという製品特性上、どうしたって予備は必要だ。

切ないのが従来品を5セットほど持っていることだ。新作との互換性がまったく無いから、パワーアップバージョンを知ってしまった今では無用の長物だ。

だからポンポン人にあげている。富豪である。しつこいか・・・。

電子タバコの軍門に下ってしまったことはプロの愛煙家としてはシャクだ。でも、職場での心の平穏に少しでも役立つわけだからブツクサ言っても始まらない。

ついでに一つ。日頃から思っていることを書いてみる。

タバコを忌み嫌う人がいるのは仕方がない。迷惑な吸い方をされたら堪ったものではないだろう。

それは当然だ。嫌煙権をガンガン主張するのも大いにアリだろう。

でも、かつてはバンバン吸っていたのに禁煙した途端に、ことさら喫煙者をクソミソにディスる人は何だか気持ち悪い。

別れた後になって一度は愛し合った人をクソミソに言っちゃうような薄っぺらさと同じだ。

スマートだとはいえない。ヤボだと思う。

まあ、今どきタバコを吸い続けていることがヤボだから、心当たりのある方は、ヤボ同士ということでご容赦ください。

2019年5月17日金曜日

真の贅沢品とは・・・


子どもの頃から食べるものに苦労しなかった世代だから、飽食の時代と言われても正直ピンとこない。

地球規模で見ればそれ自体がラッキーなことだ。生まれる時代が数十年違ったら、生まれた地域が未開の場所だったら、等々、ちょっと条件が変わるだけで飢えに直面していたかもしれない。

人類史上というスケールで見れば、この半世紀を今の環境で生きてきたことは宝くじに当たったぐらい凄いことだろう。

神に感謝である。

さて、何でもかんでも食べられるいま、一番贅沢なものは何かといえば、スイーツではなかろうか。

食事は生きるために不可欠だが、スイーツは食事ではない。食事じゃないのに味わって幸福感を味わう。これって“レジャー”である。贅沢の極みだ。


あんみつに抹茶アイスが乗っている。生クリームもたっぷりだ。疲れ気味の時にこういうものを目にすると癒される。椿屋珈琲だったか、そんなカフェで出てきた一品だ。

私は毎晩酒を飲むくせに甘いモノも好きだ。左党だの辛党だのそんな偏った嗜好ではない。スイッチヒッターであり二刀流だ。


家の冷蔵庫にはこしあんを常備している。これをドカッと小皿に盛り、小さいスプーンでちまちまと舐めながらお茶を飲む時間が大好きである。

あんこだけ食べるなどと言うと不思議に思われるようだが、大福だろうが最中だろうが饅頭だろうが、すべて太る元は“外側”である。中身のあんこには罪がない。

それ以前にあんこは単独でも充分に美味しい。“衣”の部分は付け足しだから無くてもいっこうに構わない。


こちらはロイヤルホストのパフェ。近頃のファミレスは高級路線に舵を取る傾向が強いらしく、このパフェも1000円ぐらいした。ワンコインランチ全盛の世の中においては贅沢品だ。

乱暴な言い方だが高いモノはウマい。これは一定の真理だろう。ハーゲンダッツは安いアイスより間違いなくウマい。私も大好きだ。


最近のお気に入りはこれ。メープルシロップとナッツの組み合わせが絶品だ。期間限定らしい。ぜひ定番化して欲しい。

お次はこれまた自宅にいくつも常備しているベン&ジェリーズというアイスである。娘がわが家に遊びに来る際にこれがあると喜ぶのでストックするようになった。


娘にはしょっちゅうタピオカドリンクを買わされるのだが、タピオカはちっとも好きにならないものの、これは私自身がファンになってしまった。

プライベートブランドの商品の評価が高いセブンイレブンの「まるでシリーズ」も大したものだと思う。いくつかの果物がシリーズ化されているが、タイトル通りの出来だ。初めて食べたときは本気で感動した。


歳とともに食事も甘味も後味を気にするようになった。もぐもぐしている時はウマくても、後味が悪いと不快になる。その点、「まるでシリーズ」は果物そのものみたいな安心感がある。

甘いものをあえてスイーツと表現したが、スイーツとデザートは別モノである。デザートはあくまで食事の最後の総仕上げであり、スイーツは間食みたいな位置付けだろう。

そういう意味では鰻屋さんで白焼きを肴に冷酒をカピカピ飲んだ後に出てくる鰻重はそれ自体がデザートともいえるし、餃子でビールを飲んだ後のチャーハンもデザートかもしれない。

「カレーは飲み物」などと言うよりよほど理にかなっていると思う。


これは私の大好きなデザートである。目白「鮨おざき」のおぼろ巻きだ。自家製おぼろの優しい甘味にいつもホッコリする。

おぼろにかんぴょうを加えるバージョンも最高だが、おぼろだけで巻いてもらうのも悪くない。シメの一品、すなわちデザートである。

書いているだけで食べたくなってきた。デザートではなくスイーツとして、小腹が空いた時に間食として食べても最高だと思う。

なんだか脱線したまとめになってしまった。

2019年5月15日水曜日

目白 ぞろ芽 ウナギ最高


蓋。フタである。嬉しいプレゼントを目にする直前に外す最後の扉である。

バースデーケーキなんかもフタを開けた瞬間にウホ~!っとなる。フタを開けることは一種の儀式だと思う。

そう考えるとフタの役割は重要だ。フタを開けるという動作そのものが喜びへの前戯になっている。

前戯という言葉もよく考えたら凄い言葉だ。戯、たわむれである。大事な行為の前の戯れである。なんとも意味深かつ艶っぽい。

話がそれた。フタの話だ。

食べ物の世界においてフタが大事な役割を果たしているのが鰻重だろう。鰻屋さんでようやく出来上がった鰻重がフタ無しで運ばれてきたと想像していただきたい。

興ざめである。

ほんの一時だろうとフタに閉ざされた世界を想像することで期待は高まる。ヨダレもこぼれる。


カツ丼、天丼、その他もフタ付きで登場することは多い。でも鰻重のフタほど崇高な使命を帯びているようには見えない。

フタを開けた瞬間にアノ香りが鼻腔をメロメロにする。と同時に美しく照り輝くウナギ様が視界に飛び込んでくる。まさに卒倒寸前である。

やっぱりウナギはドンブリではなく、お重が正しいと思う。あの非日常感やハレの日っぽい感覚はお重だからこそ引き立つ。

フタ付きだったとしても、ウナ丼だとチョット違う。どうしたって重箱に負けている。ウナ丼の場合、たいていがパッと見た瞬間、茶色よりご飯の白色のほうが目立つ。

やはり、フタを開けた瞬間にセクシーブラウンがでーんと横たわっていて欲しい。そういう意味ではウナギは絶対に鰻重が完成形だ。


先日、初訪問の鰻屋さんに出かけた。目白にある「ぞろ芽」という店。まだ新しい店だ。すっかり有名になったブランド「共水ウナギ」を使う本格派だ。

共水ウナギの話はこちら。
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2018/04/blog-post_18.html

小洒落た内装でカウンター席も多いから、お一人様にも居心地は良い。アルコールの品揃えもバッチリだし、ウナギ以外のサイドメニューもそこそこある点が嬉しい。

まずはシメ鯖とシラスおろしをもらってビールをグビグビ。肝焼きが来たあたりで冷酒に切り替えてグビグビ。

ほどなく白焼きが登場。こちらの店は白焼きに関しては蒸すか蒸さないかを選ばせてくれる。この日は空腹バリバリだったので、早く出てくる蒸さないバージョンを注文。


東京人である私は、ウナギは断然蒸したい派だ。とはいえ、この店の地焼きの白焼きは非常に美味しかった。酒のツマミにはこっちのほうが合うように思ったほど。

ふっくら感がありながら、カリっとした食感。なんとも絶妙なバランスだった。白焼き用に肝醤油を出してくれる点も悪くない。わさび醤油と交互に味わうことで飽きずにペロペロ食べた。

で、真打ち登場。鰻重である。実に丁寧に下処理されていて、焼き加減も文句なし。タレもスッキリ系でウナギそのものの味を楽しめる。

タレに頼り過ぎてウナギを台無しにしちゃう店も少なくないが、その点、この店のタレは名脇役の位置付け。ご飯もしっかり硬めで完璧だった。

共水ウナギをあちらこちらで食べてきたが、ここはトップレベルだと思う。1度行ったぐらいで四の五の語るのはヤボだが、ウナギストを自認する私である。1度行けばだいたい分かる。

4月までの職場からだったら歩いて行けた立地だ。もっと早く訪ねるべきだった。自宅からもさほど遠くないのだが、近いうちに引越し予定なので、なんだか後ろ髪を引かれる思いだ。

後ろ髪はフサフサだ。引っ張られても頭頂部と違って何も問題はない。


意味不明のオチになってしまった。

2019年5月13日月曜日

普段着の時に履く靴


これまで靴の話をアレコレと書いてきたが、基本的にはカッチリしたビジネス用の革靴のことばかり論じてきた。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/07/blog-post_11.html

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/08/blog-post_28.html

スーツ以外の普段着の時は、靴へのこだわりが割と弱まる。弱まるというか、結構テキトーである。

本当の靴好きなら、いついかなる場面でも靴に熱い情熱を注ぐのだろうが、私の場合、元来のズボラさのせいで、スーツ以外の時は、ズックのカカトを踏みつぶして歩いたりする。

だいたい、普段用の靴はセール品ばかり買っている。男の勝負靴はスーツに合わせる高級靴だと思い込んでいるので仕方がない。



私にとって普段靴の定番はクラークスである。なんてたって歩きやすい。本場・英国発祥だし、靴専業メーカーだという点もなんとなく安心する。

旅行に行くと毎日1万~2万歩ほどいそいそ歩くので、頑丈で履きやすいクラークスを相棒にすることが多い。



青いのはパラブーツのスニーカー、もうひとつはローマの街角で衝動買いしたノンブランドのスニーカーである。

さすがにパラブーツはちょっと値が張ったが、後者は5千円もしなかった。当然、安物の履き心地は悪い。

スニーカーのクセに履き心地が悪いというのは致命的である。でもそのあたりがイタリアの洒落っ気なんだろう。

スペインの老舗・カルミナの靴も3つ4つ持っている。英国靴、イタリア靴の陰でややマイナーな扱いを受けているが、スペイン靴も侮れない。



カルミナの靴もキッチリ丁寧に作り込まれていて個人的には気に入っている。安くはないが、英国、イタリア、フランスあたりの有名靴メーカーより気軽に購入できる。

この黄色いほうなどは割としょっちゅう履いている。足に馴染んできてヘタなスニーカーより楽チンだ。

お次はテストーニのスリッポン。テストーニの靴はイタリア靴の中でも高級路線だが、これはゲロ安で手に入れた。


ご当地であるボローニャに行った際に、駅近くにある直営のアウトレットで1万円もしない値段で手に入れた。

ボローニャつながりとしては、ステファノブランキーニの洒落靴も普段着の際の私のキメ靴である。

ステファノブランキーニの靴にしてはやけに重たいのが玉にキズだが、この押出しの強さは魅力的だ。微妙な色合いや紐の感じも適度にイヤらしい。


私にとってイヤらしいという表現は褒め言葉である。官能的と言うと大げさだからイヤらしいという言い方を肯定的かつポジティブな意味で使っている。

食べ物を評価する時だって同じ。ウマい味はエロい味と同義語だと思う。イヤらしい、エロいといった言葉は、人間の欲求にアピールしているという意味で良い意味の言葉だと思う。

そういう屁理屈で自分のイヤらしさ、エロさを正しいことのように力説するのが私の悪いクセである。

なんだか話がトンチンカンのほうに流れてしまった。

2019年5月10日金曜日

鴨、ガチョウ、小籠包の罠


今日は台湾旅行での食べ物の話。


中華圏に出かけるとこういう光景をアチコチで見かける。単純な私はその都度ヨダレをこぼす。

ロースト系と呼ぶのだろうか、主に鶏や鴨や豚肉なんかが艶っぽい光沢を放ちながらぶら下がっている。

肉自体もウマいのだが、外側、すなわち皮の部分の得も言われぬ芳醇な味わいがウリである。紹興酒がいくらでも飲めてしまうような感じだ。


午前中に台北に到着した初日の昼、行き当たりばったりで入った「新葡苑」というレストランで出てきた盛り合わせだ。

鴨と鶏とチャーシューである。全部ウマかった。到着早々に当たりくじを引いたようで嬉しかった思い出の一皿だ。

今回はたまたま仲の良い友人が同じ時期に台北に来ていたので、後日の夜に再訪したほど。

その際に食べた腸詰めもジュワジュワと美味しく、海老の卵の塩漬けと卵黄で調理したプリプリ海老料理が印象的だった。




チャーハンもパラッパラ、両面焼きそばもバランスの良い味で、際だった特徴こそ無いもののトータルでとても居心地の良い店だった。

さて、台湾といえば小籠包をイメージする人が多い。ガイドブックでも小籠包の名店がいくつもデカデカと紹介されている。

今回の旅でも何度も有名店で行列が出来ているのを見かけた。鴨や鶏ばかり食べたがる私にとっては意味不明な光景だったが、そうは言ってもせっかくの旅先である。私も人気店を訪ねてみた。

ホテルから徒歩圏に「京鼎楼」という人気店があったので、まだ並んでいない11時過ぎに朝昼兼用メシを食べに出かけた。

待たずに案内されたが、程なく満席になっていたからかなりの人気店だ。さっそくオーソドックスな小籠包を注文。


普通に美味しかったが、やはり個人的には鴨や鶏を食べた時のような感動はない。すぐに飽きちゃって、チャーハンの上で小籠包を割ってスープ混ぜ混ぜチャーハンを楽しむ。

さきほど書いた現地で合流した友人も私とは別の超有名店に行ったそうだが、やはり大して感動しなかった様子。

その後、オジサマ同士で小籠包問題を語り合ったのだが、有名店ならではの落とし穴があったのではという結論に達した。

私が食べた店も彼が食べた店でも、小籠包の「熱さ」が足りなかったのが感激しなかった最大の理由だ。


モッサモサと湯気を噴き出しながら運ばれてくるのが正しいはずだが、私のテーブル以外でも湯気モーモーの光景は目にしなかった。

熱さにビビりながらスープをすするのが醍醐味なのに、出てきてすぐにパクパク食べられちゃった。根本的に熱さが足りない。

作り置きなのか蒸し時間をハショったのかは分からないが、行列の出来るような人気店は回転を上げるために、おそらくチャッチャカ調理を済ませるのかもしれない。

ヘタに人気店に行くのもビミョーだと改めて感じた次第である。



こちらは台湾の代表的なファストフードである魯肉飯(ルーローハン)と鶏肉飯(ジーローハン)。こってりした豚ぶっかけ丼とあっさりした鶏ぶっかけ丼である。

「大来小館」という店で食べたのだが、ここの“鶏肉ぶっかけ丼”が実に美味しかった。今回の旅行でさんざんウマいものを食べたが、あえて1位を選ぶとしたらこれかもしれない。


こちらは旧友とさんざん飲んだ後に適当に入った露店に毛が生えた程度の店で食べた和え麺。これもベラボーに美味しかった。


伊府麺という独特な麺の専門店だったみたいで他の店とは一味も二味も違う食感と味わい。近所にあったら頻繁に通って肥満太郎になるのは確実だと思った。

毎日毎日、ホテル周辺をあてもなく散策していたのだが、昼も夜も賑わっていたのが「鶏家荘」という店。烏骨鶏まで食べられるらしい。



店の入口の景色から食欲をそそる。気になるのが黒い物体だたのだが、これが烏骨鶏とのこと。

ムホムホ食べてみたが、特別ウマくもなくマズくもない。クセはなく強いて言えば後味に独特なコクを感じた。

これよりも紹興酒に漬け込んだ鶏のブツ切りのほうが遙かに美味しかった。


烏骨鶏という変わり種つながりで、お次はガチョウ。これもホテルの近くにあった繁盛店だ。

店の名前はよく分からない。「鵝肉」という文字にやたらとそそられた。



味は普通。個人的に甘めに味つけしてあればもっとキュンキュンしながら食べたのだろうが、燻製風味が強く、ちょっとイメージが違った。

他にもいろいろ食べたのだが、キリがないからこの辺で。長々とお付き合いいただき有り難うございました。