2026年6月29日月曜日

コメ、コメ、コメ

 

15年ほど前に独身に戻った際、何はともあれ「ウマいコメ」の追求に励んだ。それまでは小さい子供もいる状況だったからご飯を炊く際もすべて私好みにしてもらえるわけではなかった。

 

専業主婦だった元嫁様に料理を任せている以上、私がアレコレ細かいことを言いにくいのもあった。独身になったら自分でやらなきゃならない代わりに100%自分の好みに出来るようになった。結果、コメ選びから炊き加減までB型気質を発揮して大真面目に向き合ってみた。

 

炊飯器のこともちょこっと勉強した。大雑把にいえば「圧力系」「非圧力系」に分かれるらしいのだが、もっちりした感じより粒立った感じの炊き上がりが好みなら非圧力系が適していると知り、そっち系の商品を探した。

 

とにかくコメを硬めに炊きたい私としてはコメの品種も真剣に調べた。たいていの日本人が好む「もっちり」「粘り」という表現が強調されている米は基本的にパスした。なんなら「サラサラ」「ゴワゴワ」ぐらいに炊き上がって欲しい。

 

で、硬く炊いたほうがウマいと評判の「つや姫」に辿り着き、その後は「つや姫」の派生ブランド米である「雪若丸」に落ち着いて今に至る。

 



そうした涙ぐましい?努力の果てに「非圧力系の炊飯器で雪若丸無洗米を水加減をかなり少な目で早炊きする」という自分流の完全無欠なパターンを確立した。

 

炊き立てを冷凍することもあるのだが、上手に解凍すればウマさは9割がた維持される。そこらへんのコメ自慢の料理屋よりもウマいコメを常に食べている自負はある。あくまで私の感覚だがそう断言できちゃうこと自体が幸せだ。

 

白米ももちろんウマいが、炒めご飯や炊き込みご飯もウマい。普通に白米として食べる時は、2合の場合、水加減を1.7合目あたりに合わせて炊く。炒めご飯用に炊く際は1.6合目ぐらいの水加減でコメの芯が残らないギリギリぐらいの硬さに炊くようにしている。

 


 

チキンライスである。前にも書いたが最近知った「パパヤソース」という京都の会社のチキンライスの素にハマったので近頃はこれ一辺倒である。

 

ちょっと良い鶏肉を多めに入れて、マッシュルームやタマネギみじん切りを加えて炒める。タマネギは安直に冷凍モノで済ませる。鶏肉を塩コショウと白ワインで炒めてから硬く炊いたコメとドッキングさせる。毎日でも食べたいウマさだ。

 



挽肉炒めメシも失敗しない一品だ。塩コショウにコンソメ、ウスターソースをベースにすることが私流の基本だが、上の画像は焼肉のタレをベースに炒めメシに仕上げた。間違いのない味だった。

 

炊き込みご飯もわりとよく作るのだが、炒めメシよりも簡単とはいえ、意外に炊き加減が難しい。具材から出る水分量がよめないことや早炊きモードだと高熱過ぎて具材に火が通り過ぎる問題もあるようだ。なかなか奥が深い。

 





ピラフ好きな私が最近知った商品が焼肉のタレで有名なモランボン製のエビピラフの素である。まさに安直の極みだ。エビを入れて炊飯器で炊くだけ。豪華にしたければ具材を追加すればいろんなパターンを楽しめる。味も極めてオーソドックスなピラフ味だ。

 

パスタソースを応用してピラフを炊くこともある。そこら辺のスーパーで売っている「あさりコンソメ」などのパスタソースをベースにエビやらアサリ缶詰などを追加投入して炊くだけで済む。

 

炊き上がったあとにバターを追加してしばし蒸らしてから混ぜ合わせれば官能的な香りと味わいにムホムホできる。水加減さえ失敗しなければ誰でも本格的なピラフが作れる。

 



こういう簡便調理はインスタのリール動画を見ていると飽きるほど紹介されている。便利な時代になったものだ。15年前の離婚直後の頃が今のようなインスタ最盛期だったらきっと私はズボラ調理に励んで引きこもりのような暮らしをしていたと思う。

 

料理ベタ、料理嫌いの人にとっては、ごくごく短い動画でズボラ調理が学べる今の時代は幸運だと思う。「自炊」と聞くと細々とした下準備やいくつもの面倒な作業を乗り越えなければならないと思い込んでいた昭和人である私にとっても有難い限りだ。

 

ちなみに自分好みのコメざんまいを満喫できるのは非常に幸せなことだが、その一方で外食の際に時々遭遇するマズいコメへの嫌悪感はヒートアップする一方だ。

 

どう考えても水加減を間違えたとしか思えないビチャビチャした食感のコメを出す店やヘンテコな匂いがするようなダメ米を出す店は何とかならないものだろうか。

 

コメは日本の宝である。誠意をもって愛情たっぷりに炊いてほしい。コメづくりに真摯に取り組む農家さんへの敬意と感謝を込める意味でも真面目に炊いてほしいと切に願う。

 

おかしな結論になってしまった…。

 

 

 

 

2026年6月26日金曜日

やけっぱちなカレー

 

自堕落な食生活が続いていると本能的に「ちゃんとしたモノ」を食べなければと悔い改めたくなる。とはいえ「ちゃんとしたモノ」って何なのかさっぱり分かっていないのが困りものだ。

 

家庭料理っぽい芋の煮っころがしやら野菜炒めあたりが該当しそうだが、芋は基本的に嫌いだし、野菜だってちょろっと食べたところで身体に必要な栄養素を補充するのは難しい。

 

もちろんファストフードばかり食べるなら家庭料理っぽいもののほうがマシである。でもその差が健康状態にどのぐらいの影響を及ばすのかを考えるとビミョーだ。サプリや青汁にサポートしてもらえば充分だとも思える。

 

というわけで、とりあえす肉ばかり食べていないで魚をちゃんと食べようと意識するようにしている。焼き魚、煮魚は安直かつ横着な自炊モドキに励む私にはハードルが高い。仕方なく出来合いの簡便食品をふるさと納税の返礼品で取り寄せることが多い。

 




 湯煎するだけで食べられるような焼き魚、煮魚が基本だ。正直にいえば味は“まあまあ”である。マズくはないが感動するほどウマいとは言えない。でも、デリバリーの牛丼を食べる時より「ちゃんとしたモノ」を摂取した気になる。

 

たいていのこういう商品は切り身が小さい。一つだと満足感には程遠いのだが、画像の2種類は一個あたりの分量がそこそこあるので悪くない。

 

世の中で数えきれないほど売られている“出来合いの焼き魚”に関しては切り身一つ当たりの分量を重視して選ぶことが大事だと声を大にして主張したい。

 

しっかりした量の簡便焼き魚を白米と漬物と一緒に食べれば「普通の人の真っ当な食事」みたいな雰囲気になるので精神衛生上もとても良い感じだ。

 

さてさて、魚を意識して食べようなどと思う裏には日頃の肉食中心の生活をちょろっと反省したい気持ちがあるわけだ。肉がダメだと短絡的に決めつける気はないが、年齢不相応?な怪しげなものまで嬉々として食べてしまうのが私の悪いクセである。

 



こういう宣伝を見てしまったらすぐに欲しくなる。わが家にはレトルトカレーのストックがたくさんあるのだが、そんなことはお構いなしである。値段も気にせずソッコーで注文しちゃう。

 

ちなみに11000円以上だった。レトルトカレーとしては破格だが“お客様の夢実現”などといわれちゃうと買わないわけにはいかない。松茸やらトリュフ味やらのペヤング焼きそばの迷走系?商品を迷わず買うのと同じ心理である。

 

きっとアイドルの推し活をしているオタクがさまざまなグッズをバンバン買っちゃうのと同じ感覚だろう。後先考えずに脳が買うべしと命令してくる感じだ。

 




画像だと分かりにくいが実際に食べてみたら確かに肉だらけだった。物事は何ごともバランスが大事だが、その点では邪道そのもの。幸せなアンバランスとでも表現したくなる肉の量だった。

 

大食漢だった男の子の成れの果てである私は素直にハッピーな気持ちになった。レトルトカレーといえば軽食というジャンルだが、肉だらけのおかげで満腹感も満たされた。ウマいコメと福神漬けやラッキョウがあればご馳走状態だ。

 

外食のどうでもいいカレーに1000円も出すのならこっちを食べたほうが嬉しい気持ちになると思う。

 

 

 

 

 

 

 

2026年6月24日水曜日

15年経ったけど…

 更新を怠ってしまったので過去ネタを一つ。15年前、自分が老け込んでいかないために必死になって書き殴っていた感じが懐かしく感じる。これを書いた時から15年、はたして今の自分はどれぐらい幼稚なのだろう?


https://fugoh-kisya.blogspot.com/2011/09/blog-post_14.html





2026年6月22日月曜日

おやじがおじや


外食を語る際、なんとなくチェーン店はダメみたいな思い込みがある。居酒屋、ラーメン屋、寿司屋、ステーキ屋、鰻屋等々、ジャンルを問わず世の中にはそんなイメージが少なからずある。

 

どこか安直な選択みたいな気分になってしまうのが原因だろうか。私自身もそんな意識があるのだが、そうは言ってもロイヤルホストは何でもウマいと思うし、大好物の牛丼はチェーン店に頼るしかない。

 

さて、チェーン店をどことなく低く見ている私にとって嬉しい誤算のお店がある。中央区界隈に結構な店舗数を持つ「鮨とおでん&」というお店がそれだ。

 

何年も前だが、八丁堀近辺に住んでいた時に近くにオープンしたので訪ねたことがある。わりと何でも美味しくて、そもそも寿司とおでんの両方が楽しめるわけだから有難い店だった。

 

でも、なんとなく寿司やおでんに対してお店自体の“渋さ”を求めてしまうワガママな嗜好が邪魔をして何度も通うほどではなかった。

 

今年になって今の私の住まいの至近距離に「鮨とおでん」の新店舗が出来た。徒歩2分弱である。わが家から一番近いコンビニが徒歩2分だからそれより近い。行かないのはもったいない。

 



で、何度も訪ねている。渋さはまったく無いのだが以前訪ねた系列店よりも美味しさが進化している感じで毎度うならされる。


渋さだとか店内の騒がしさだとかを抜きにしたらここだけで外食は完結しちゃうと言っても大げさではない。まあ、渋さや雰囲気も店選びには欠かせないのが現実ではあるが。

 




おでんもキチンとウマい。寿司もちゃんとウマい。シャリが実にマトモ。おまけにアテ巻きと称する酒の肴にちょうどいい巻き物も気が利いている。玉ねぎカツオ巻きやら塩辛チーズ巻きやらブリガリ巻きなど注文せずにはいられないメニューが揃う。

 



おでんと寿司の他に焼鳥もちゃんとしている。この〝三大オヤジ好み〟が揃っているわけだから無双状態だろう。酒の種類も豊富だ。いつも繁盛しているのも納得だ。カウンター席が無いので一人でフラっと入れないのが残念な点である。

 



先日、シメの一品として「おじや」を注文してみた。いろんな種類があるなかで選んだのは明太バターおじやである。おでん鍋に残ったダシをベースにするわけだからマズく作りようがない一品だ。お店の人が作ってくれるのもラクチンで有難い。

 

アテ巻きをさんざん食べていたので満腹に近かったのだが、あまりのウマさに卒倒しながら茶碗3杯分ぐらいペロペロ食べてしまった。大げさだが、今年食べた数限りない食べ物の中で一番美味しかったかもしれない。

 



若者言葉の「ヤバい」を還暦オヤジなのに連発しちゃうほどの味と表現すれば分かってもらえるだろうか。分かるはずないか…。

 

ちなみに食べ過ぎが続いた日など体重調整?を意識する時は某チェーン店のモツ焼き屋に行くのが私の習慣だ。そこの一品料理類のダメダメさに半ば呆れながら過ごすのが毎度のことなのだが、それに比べると同じ「チェーン店」でも雲泥の差がある。

 

太りたければ「鮨とおでん」に通えばアッという間に目指す体重に到達するはずだ。いつも節制も頭に入れておでんと焼鳥のささみだけで終わりにしようと決意して出向くのだがナゼか帰宅すると腹パン状態で困ってしまう。

 

昨年、もろもろの節制のおかげで15キロ近く落とした体重が今年に入って3〜4キロはリバウンドしている。原因はいくつかあるが、近所に出来たこの店が少なからず影響しているのは間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

2026年6月19日金曜日

身だしなみ

 

今月初めのこのブログで私の靴への偏愛を書いた。もともとオシャレな人間ではないのだが、革靴だけはかなりのこだわりがある。

 

今では冠婚葬祭以外はナゼか茶系かボルドー系の革靴しか履かない。紐靴の内羽根、外羽根にはさほどこだわりはないが、モンクストラップだったらダブル以外は選ばなくなった。単なる好みである。

 


 

最近はサボり気味だった靴磨きもなるべく自分で頑張るようにしている。以前は専門業者さんにまとめて出してピカピカにしてもらうことも多かった。自分でやると無料なのが素晴らしい。その分の差額は老後のために貯金しよう。

 

さて、革靴だけにはしっかりこだわりがあるものの洋服などは割とテキトーだ。スーツはオーダーで仕立てているとはいえ、いつもまったく同じスタイルである。昔、作った時に収まりがよかった形をただただ踏襲している。

 

ファッションオヤジ?みたいに思われるのはイヤなので細かい注文はつけないようにしている。いまだに無頼派を気取りたい私としては、さも関心がないような顔をして仕立て屋さんに任せっきりにする。それはそれで自意識過剰である。

 

「オシャレには無縁だぜ、ファッションとか興味ないし」とツッパっているつもりでも、身だしなみに気を使わないのも問題である。かくいう私も一応は身だしなみに関しては一定のルールを自分に課している。

 

ラフな格好でも構わないような日でも職場にはスーツで出かける。スーツじゃないと革靴が履けないというヘンテコな理由も影響している。

 

ネクタイをしないで済む季節はそれなりに面倒だ。スリーピースのスーツにネクタイを締めていればどうやってもキチンとした人に見えるからある意味ラクチンだ。夏場はそれができない。

 

ネクタイをしない時期には、首元がシャバダバにならないために襟が高めのシャツを着るようにしている。俗にいうドゥエボットーニだ。私の場合、ボタンダウンで襟高は5センチ。

 

ネクタイが無い分、ボタンとボタンホールに色味をつける。オーダーシャツを作る際、ボタン自体やホール糸を茶系やボルドー系にすることが多い。そこに色味があるので基本は白シャツだ。

 


 

スーツの胸ポケットにはチーフを入れる。面白いものでたとえ数百円で売っているような安物でもポケットチーフを胸に挿しているだけで、人様からは「あの人は身だしなみに気を使っているちゃんとした人」だと錯覚してもらえる。

 

ポケチ効果とコッソリ呼んでいるのだが、今までそんな錯覚をしてくれた人は200人は下らないと思う。ポケットチーフは20枚ぐらい持っているが当然ながら高価なものは一枚もない。

 

さて、身だしなみで意識することは清潔感と統一感だけだ。細かいことに気を遣うよりそれだけ守っていれば一丁上がりだと思う。違ったらごめんなさい。

 

私が意識する統一感は革靴とベルトと腕時計のバンドの色を合わせることだ。小さなこだわりだがこれだけは常に意識している。

 

冒頭で書いたように革靴は茶系が中心でボルドー系がいくつかある感じだ。必然的に腰に巻くベルトも腕に巻く時計のベルトもそっち系の色に合わせる。

 



 

とりあえずそれぞれの様子を自撮りしてみた。茶系の時はごく普通だが、ボルドー系の時は色を揃えていることを人様に気付かれることも多い。「オシャレですね」とか言われて素直に喜べばいいのに「靴とベルトは同じ色じゃないとルール違反だしね」などと謎に気取った発言をしてしまう。

 

「小っ恥ずかしいからオシャレなことを頑張りたくない、でもファッションセンスがゼロだと思われるのも悲しい」。そういう感覚って中高年以降になると顕著になってくるような気がする。私もそうだ。とはいえ、どう凌いでいけば分からないので一応の清潔感と自分なりのスタイルみたいなものを貫くしかないと思う。

 

とりあえずポケチ効果と革モノの色統一だけでやり過ごしている日々だ。

 

 

 

 

 

2026年6月17日水曜日

焦げと甘味


家庭生活からFA宣言して15年近くが経つ。独り身になった当初は外食と出前とレトルトのみで生きていたが、その後、料理とは呼べない程度の簡単調理に手を出して今に至る。

 

本格化するとB型気質を際限なく発揮して凝りまくりそうだからブレーキをかける意味でも「まな板と包丁は使わない」をモットーにあくまで簡便仕様に徹している。

 

とはいえ、せっかく作るからには自分の好みにもこだわりたい。焼きそばだったら適度な焦げが欲しいし、炊き込みご飯なら普通より甘味が欲しい。だから湯煎やチンで食べられるレトルトだってちょこっと味を加えたりする。

 

最近の秘密兵器が“重り蓋である”。正式名称は知らない。通販でフライパンを買った時にオマケでついてきたガラス製の蓋状の重りである。これが思った以上に活躍してくれる。

 

もともと火が通りにくい鶏肉を焼くときに上から乗せることで均一に加熱する目的の道具だったと思う。実際に鶏肉を焼く時に重宝しているのだが別な使い道もある。麺に焦げ目をつけられる点だ。

 



焼きそばの麺は部分的にパリっと焦がしたい。そんな願いをこのグッズが叶えてくれる。画像の通り簡単に焦げ目がつく。それまでは重りになりそうなものをテキトーに使って焦げ目作りに励んでいたのだが、何を使うにしても自分でずっと押さえていないとならないのがストレスだった。

 

この重り蓋は結構な重量があるので載せたまましばし放置するだけだ。焦げ目がついた後に肉や野菜と混ぜて味付けすればなかなか良い感じに仕上がる。この一手間が家メシの幸福度を高めてくれている。

 



3か月ほど前にこのブログで私の変態的ソウルフードの話を書いた。中途半端にお湯で戻してボソボソな感じで味わう「安直ビーフン炒め」である。(https://fugoh-kisya.blogspot.com/2026/03/blog-post_13.html)

 

相変わらず暇さえあれば40年前に亡くなった祖母を思い出しながらぼりぼり食べている。これも焦げ目をつけると味わいが一段上がる。ボリボリ感だけでなくパリパリ感が加わるから最高である。誰もこれをウマそうだと思ってはくれないだろうが私には至高の一品だ。

 



焦げ目の話に続いては甘味である。数十種類試した上でわずか数種類に絞られた私の好みのレトルトカレーにはすべて原材料に砂糖が表示されている。大げさに言えばたいていの食べ物は砂糖を入れれば美味しくなる。

 

砂糖に限らない。パルスイートでも良し、水あめでも良し、ハチミツも使い方によっては大いにアリだと感じる。先日作ってみたチキンのマヨマスタードソース味も決め手はハチミツだった。

 

唐揚げチェーンの「から好し」の人気メニュー「ハニーマスタード味」のパクリである。ネット上で簡単なレシピを見つけたので挑戦してみた。

 



ハチミツ、粒マスタード、マヨネーズ、酢などを混ぜ合わせた特製の怪しげなソースというかタレを作る。画像手前の黄色い液体である。これを火が通ったチキンに加えるだけで出来上がりである。

 

多めのオリーブオイルで素揚げするかのようにしっかりと鶏肉に火を通す。ここでも例の“重り蓋”を活用して鶏肉の表面がやや焦げるぐらいまで焼く。火が通ったらオリーブオイルは捨てて上記の怪しげなタレを絡める。

 



タレの味がかなり強めだったのでネットのレシピの2倍近い量の鶏肉を投入してみた。結果は正解。頃合いの味付けに収まった。ハチミツ感のせいでご飯のおかずにはなりにくそうだが、酒のアテなら充分アリだと感じた。

 

何はともあれ焦げ目と甘味である。そんなこんなで私の自炊モドキは少しづつ進化しているようだ。茶色いモノばかりだが…。





 

 

 

 

 

2026年6月15日月曜日

ネギなのか、エビオスなのか


このところ何かと気ぜわしい。忙しいと書きたいところだが、毎日8時間も寝ているので多忙というほどではない。何かとバタバタしている感じだろうか。

 


 

仕事関連の真面目な分野だけではない。相も変わらず綺麗なオネエサンのお尻を追っかけてデートみたいなことにも励むし、直近では大学野球の全国大会にも何度も出かけた。

 

大学野球のリーグ戦が全国に26だか27もあることを知っている人は少ない。私自身、数年前までは東京六大学、東都大学、あとは関西にいくつかあるぐらいの知識だった。全国各地で春と秋にリーグ戦があるが、それぞれの春の優勝校が一堂に会するのが毎年6月の大学選手権だ。

 


 

物好きな私は東京ドームでの試合の直後に神宮球場に移動して別な試合を観戦するなどヒマ人としか思えない動き方もしてみた。お菓子をボリボリ食いながらガイドブックで知らない大学のメンバー表をチェックしながら熱心に観戦。

 




 何かと注目される東京六大学や東都大学の代表に地方の新設校などが一泡吹かせるシーンを期待していたのだが、さすがに力量の差は大きく、有名リーグ校の底力ばかり目立った。素人目に見ても野球の質が違う感じがした。

 

さて、ヒマ人のようで案外ヒマではない私だが、どうでもいいスケジュールに結構忙殺されている。そのせいか時には人様からエネルギッシュだといわれる。歳の割にはやたらと元気だと呆れられることもある。

 

自分ではそんなに元気だとは思わないのだが、他人の身体に乗り移ったことがないのでよく分からない。実際にはどうなんだろう。時にはどんよりダルいし何をするにも億劫な時だってある。

 

もし私が多少なりとも歳の割に元気だとしたらその理由を知りたい。元気でなければ楽しいことにも巡り合えないし、何より日々の暮らしの充実度が違うはずだ。

 

昨年、一念発起してキックボクシングに行き始め、コンビニメシをやめ、小麦の摂取も大幅に減らし倦怠感退治に努めた。結果、体重もガツンと落ちてそれ以前より元気になったのは確かだ。

 

今は昨年ほど気を使っていないが倦怠感もなくそこそこスッキリ日々を過ごしている。単なる体重減だけが理由ではないはずだ。マメに馬肉を食べたり鰻を食べたりしているせいなのだろうか。

 


 

馬肉も鰻も昔からドシドシ食べていたから理由としては弱い。ひょっとしたら今年の初めから飲み始めたNMNサプリの影響だろうか。飲み始めてもうすぐ半年だ。正直とくに何も変化を感じないからもうやめようかと思い始めている。

 

とはいえ、劇的に体調が変化するはずもないからもうちょっと様子を見ようかという気持ちもあって乙女のように心が揺らいでいるところだ。

 

最近、寝起きが案外スッキリしていることはNMNの影響だろうか。夜中にトイレに起きなくなったことも併せて考えると何か影響があるのかもしれない。

 

そのほか、ヘンテコな話だが、若い男性には当然の「朝〇ち」という生理現象がこの歳になって復活傾向にあることも最近の変化だ。そんな現象はこの20年ぐらいまったく無かった。ちょっとブキミである。

 

夜中にトイレに起きなくなったせいで尿意バリバリになっていることが単純な理由だとしたら少し切ない。NMN効果だと信じたい気持ちはある。安くないサプリだから何かしらの意味を感じられないとツラい。

 

ちなみに元も子もない話だが、元気の源は体重減でもサプリでもなく、単にネギ類ではないかと思う自分もいる。だとしたら一番手軽だからこれをもっと強化するのは簡単だ。

 




モツ焼き屋でレバ炒めをもらうにもネギを多めに頼むし、オニオンスライスがメニューにあれば必ず注文する。なんなら「ネギ盛り」という謎の一品を頼んでそのまま食べたり他の食べ物に混ぜたりしている。

 

ネギ類の強壮効果は有名だ。大衆的な飲み屋さんに行くと本能的にたくさん食べちゃうからネギ類のせいで元気になっているなら実にお手軽だ。

 

そしてもうひとつ、元気の源かもしれないダークホース的な存在が「エビオス」だ。昔からある有名かつ安価なサプリである。どこかのビール会社がビールの絞りカスを転用して開発したらしい。

 



効能は胃腸に良いという話だが、ネット上にはヘンテコな都市伝説が広まっている。「エビオスでドバドバ」という言葉はまさしく知る人ぞ知る。

 

胃腸を整えるために服用していた人たちの中にナゼだか男性機能が元気になったことを主張する人が多いのだという。ネットを検索するとそれっぽい話がたくさん出てくる。ちなみにエビデンスは皆無だとか。

 

私も3か月ぐらい前からエビオスを飲んでいる。別にソッチを期待しているわけではないのだが、最近のいろエロなことを支えてくれているのがエビオスだとしたらそれはそれでオッタマゲだと思う。

 




 

 

 

 

 



2026年6月12日金曜日

SМとか寝取られとか

 

「優」という文字を分解すると「人」を「百」回も「愛」するという意味になるらしい。なんだか気取った話だがフムフムって感じである。見方を変えれば人を百回愛するのではなく、人に百回愛されるという解釈も成り立つ。ちなみに私は優しい人間だ。ふむ。

 

愛するか愛されるか。嫌うか嫌われるか。やるかやられるか等々、立ち位置が変われば随分とイメージも変わる。いわばSとМみたいなものである。例えがヘンテコか…。

 

Sっ気が強い人ほどМっ気も強いという定説もある。表裏一体、鏡合わせみたいなことだ。ちょっと違うか。いや、そういうものだと思う。Sが強くなればなるほどМに近づき、その逆も然りだ。相手側への理解が深まり指向性が似通ってくるという理屈だ。

 



ジェンダーという言葉とは無縁な時代に育った男性であれば事あるごとに「男らしく」「男たるもの」云々などと昔ながらのステレオタイプな男子像を押し付けられてきた。結果、男は強いもの、主導権を握るもの、なんなら攻め込む側であることが当然といった感覚で大人になった。

 

だから私も当然のように自分はSでありМ性なんかカケラも無いと信じて生きてきた。そういう男性は多いと思う。ところがひょんなことで自分にも少なからずМっ気があることに気付くことがある。

 

私の場合も30代半ばぐらいに「ひょんなこと」があった。具体的には書きにくいが、とにかく稲妻に撃たれたような感覚に陥った。とはいえ、自分の中ではМっ気など認めたくない心理も強かった記憶がある。

 

おそらく「ひょんなこと」を経験した多くの男性が、そこから禁断の道には進まずあくまで元々持っているSっ気だけを信じてМっ気にフタをするのだと思う。認めちゃったら恥みたいな感覚で“Мの芽”を摘んでそんな要素は無かったことにしているはずだ。

 

私もそうしたかったのだが、自分にМっ気があったことが妙に愉快で素直に面白がることにした。もともとスケベ男だからスケベの世界が少しでも広がるなら何でもアリだと思ったわけだ。

 

その後はわりとアッケラカンと「どっちでも好みに合わせますよ」などと無頼な姿勢?を貫いている。SだのМだの語る以前に「二刀流」を宣言しちゃったほうがワイ談ひとつとっても世界が広がる。オススメです。

 

いや、オススメしたところで“癖”だから無理強いはできない…。

 

このブログで10年前に私自身の脳内を支配するヘンテコなフェチについて書いたことがある。奥さんでも恋人でもセフレでもただの顔見知りでも構わないのだが、自分にかかわりのある人の「過去ネタ」を聞いて妙に興奮する特殊な性癖についてだ。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/04/blog-post_25.html

 

こういう思考は男性に限られるみたいだ。長年、この〝癖〟の理解者を探してきたが、男性だったらわりと簡単に同感してくれる人が見つかるが、女性陣からの支持はゼロである。脳の仕組みが違うのだろう。

 

先ごろ亡くなった昭和の名歌手・菅原洋一の大ヒット曲「知りたくないの」も女性目線の歌詞である。知りたがりの私には理解できない世界観である。

 

私自身にМっ気があると書いてきたが、より詳しく分析するなら“脳内Мっ気”がかなり強いのは確かだろう。痛いのはそもそもイヤだからしょせんは感覚的な部分が破たん?しているのだと思う。

 

いや、破たんなどと書くと全国380万人の同好の士に申しわけない。ユニークな感性とでも表現しておこうと思う。

 



「過去ネタ」に萌えると白状する一方で、それがエスカレートすると「NTR」にまで発展しちゃうのは由々しき問題かもしれない。すなわち「寝取られ」である。

 

無料アダルト動画の世界を調査!?してみたのだがNTR系はジャンルとしてしっかり成立しているようで正直感心してしまった。同好の士は380万人程度では済まないのかもしれない。

 

愛する、愛されるの違いをウダウダ書き始めたらこんなテーマにまで発展してしまったわけだが、NTRという風変わりな趣味嗜好も一種の愛の形だとも言える。

 

難しい心理描写はそれこそ谷崎潤一郎先輩に任せるとして、やはり嫉妬心、背徳感、喪失感、はたまた怒りや絶望の感情、敗北感みたいな心の葛藤がNTR路線に萌える人たちの基本原則である。それが興奮に繋がるわけだからやはり特殊ではある。

 

それって相手に対する情がしっかり無ければ成立しない。まるで知らない女性が目の前で誰かと行為に励んでいても視覚的な興奮はあっても心理的興奮はない。そこが大きなポイント。NTRはあくまで愛情の応用系、愛情のバグみたいな話なんだと思う。

 

ちなみに色恋道の達人みたいな某知人からは「それって自慢とか誇示じゃないのか?」という意見も聞いた。自分の相手を誰かに寝取らせる深層心理にはそういう要素もあるはずだという分析だ。

 

確かに寝取り役の男がキチンと興奮してくれなければ何も始まらない。すなわち自分のパートナーが第三者から見ても興奮対象なのかどうかを客観的に確認したい歪んだ狙いも心の奥底に潜んでいるのだと思う。

 

今日は「優」という文字を分解すると気取った意味になるという話を書き始めたのだが、そこからどんな話に持っていくか決めずに成り行きまかせに書き殴ったせいでヘンテコな話を力説してしまった。

 

我ながら呆れる。こういう路線の話がただただ好きなんだと思う。本当にすいません。

 

 

 

 

 

 

2026年6月10日水曜日

ジャンク、ウーバー、年相応…

 

以前ほどには奇天烈なドカ食いをすることはなくなったが相変わらず年齢相応とはいえない食べ物をむさぼる日々だ。まあ、歳をとったからといっていきなり老人食みたいな路線に移行するのもヘンテコな話である。好きなものはいくつになっても好きだ。仕方ない。

 

問題はホロ酔いで帰宅した後だ。何かのスイッチが入ってしまい、そこそこ食べてきたのに何かを腹につめこみたくなる。昨年、しっかり体重調整をしていた頃にはこの悪癖は治っていたのだが、最近また油断し始めていて危険だ。

 



最近の酔いメシは「焼きそば」を選ぶことが多い。“酔いメシ”は当然すべてウーバーが運んでくる。ヘタすると注文したことを忘れかけてしまいインターホンの音に焦ることもある。かなりダメダメだ。

 

最近のお気に入りが日田焼きそばの人気店「想夫恋」だ。ここの神田店から運んできてくれる焼きそばが妙にウマい。日田市がそもそもどこの県なのかも知らないのだが、炒めたというより「焼いたぞ!」って感じが強めでオススメ。都内には上野と神田にしか店舗がないようだがお近くの人は体験して欲しい。

 



こちらは牛すじあんかけ焼きそばだ。新富町の外れにある町中華からやってくる。画像では分かりにくいが牛すじというか、いわゆるシマチョウ、マルチョウ系のウニョッ?としたホルモンがゴロゴロ入っていてこれまた妙にウマい。一般的に60歳を過ぎたオジサマが嬉々として食べる一品ではない気もするが、酔った私は精神年齢も胃腸年齢もハタチぐらいに化けるから余裕で完食してしまう。

 

酔ってない時でもしょっちゅうウーバーに頼ってアレコレとデリバリーしてもらう。安い鰻重に後悔したり、麺類が伸びきっていてゲンナリしたり実は失敗も数多い。失敗した話はこういうところに書かないことを一応付言しておく。

 

ウーバーを頼む時は基本的にジャンクなものが食べたい。それこそ「年相応」という言葉を完全に忘れる。いろんな店をトライすると失敗も多いので安全に済ませたければチェーン展開しているファストフード屋かファミレスを選ぶのが無難だ。私の最近のお気に入りはファミレス「ガスト」だ。

 

マヨコーンピザやハンバーグ、スパゲッティミートソースといった王道メニューに加えて唐揚げの「から好し」のメニューも頼めるのが便利だ。ハニーマスタード味やら甘トロダレ味はジャンク唐揚げ界の傑作だと思う。

 

思えばガストもジョナサンもバーミャンも「すかいらーく」グループである。すかいらーくといっても若い人には通用しないらしい。大昔の子度の頃、ファミレスの走りだったすかいらーくには頻繁に連れて行ってもらった。ある意味、私にとっては一種のソウルフードだった。今ではその名を冠する店舗はどこにもない。なんだかチョッピリ淋しい。

 

さてさて、デリバリーの話だ。

 

ジャンク気分の時に食べたくなるものの代表格がカツ丼である。ヘタすると一人で二つ食べちゃうこともある。胃腸を酷使し過ぎだと反省している。そういう時はカツ丼を一つ、豚バラ丼を一つみたいに揚げ物だけにならない工夫?をこらしてヘルシーな気分になっている。

 



丼ぶり専門店の「神宮軒」という店からやってきたカツ丼と豚丼だ。ものの10分ちょっとですべて完食してしまった。直後は物凄く後悔するのだが数日たつと忘れる。重い二日酔いの朝にもう二度と酒なんか飲まないと思っても夜になると飲んじゃうのと同じ心理だ。

 

還暦を過ぎた身で暴飲暴食に励めるわけだから幸せなことである。年相応?に「なか卯」の親子丼やざるそばといったアッサリ系を注文することもあるのだが、ウーバーの画面で怪しげな料理メニュー画像を眺めているとついつい「ハタチみたいな気分」になってジャンク系の沼にハマる。

 



こちらはお茶の水にある「ホルモン焼肉モリちゃん」なる店から運ばれてきたホルモン弁当である。焼肉屋さんに行ってもホルモン系はあまり頼まないクセにメニューの画像にそそられて注文してしまった。これはこれで味付けも良くムホムホ言いながら完食した。

 

幸せな60歳だと思う。

 





 

 

 

 

 

 

2026年6月8日月曜日

無駄遣い 当たりとハズレ


富豪とは名ばかりの単なる無駄遣いオヤジとして日々呑気に過ごしている。家の食事はもはや半分はUber Eatsになってきたし、たいていの買い物もAmazonで済ませている。

 

先日、姪っ子の結婚式があったのだが祝儀袋もAmazonでポチっと購入。ヘタな文具屋で売っているものよりシャレていたからわざわざ探し回らないで正解だった。

 

そういう必需品はともかく日々の無駄遣いの中には当たりもあればハズレもある。最近の当たりとしてはインスタントのコーヒーとお茶がある。

 

今年初めにこのブログでスティックコーヒーの話をウダウダ書いた。お気に入りの商品を紹介したのだが、その後に出会った新顔が今ではすっかりお気に入りになった。宗旨替えである。

 



INIC coffee」というブランドのスティックコーヒーにハマってしまった。従来のインスタントとは製法が異なるらしく価格こそちょっと高いのだが確実に美味しい。

 

いろんな種類のコーヒー豆を独自技術でパウダー化しているのが特徴らしい。種類もいろいろ。キリマンジャロ、マンデリン、ブラジルなどそれぞれの特徴は私には分からないがどれもちゃんと美味しい。

 

これにスティック状のクリープと同じくスティック状の粉末サラサラ黒糖を混ぜて飲むのが私のお気に入りだ。ホッコリする。

 

有名メーカーのスティックコーヒーが一本あたり3050円程度だが、こちらは一本あたりにすると140円ぐらいだろうか。そこまで価格差があるのも納得の味だ。

 

お次に紹介するのは「加賀棒茶」のパウダーだ。ほうじ茶の一種だがほうじ茶とは呼べない独特のウマさがあるので以前から私は加賀棒茶のファンだ。パウダー状の商品があることを初めて知ったので迷わず購入。

 



ネットではなく銀座の東急プラザ(GinzaNovo)をぶらぶらしている時に地下にある久世福商店で購入。これは当たりだった。筒状の容器が便利に出来ていて小さな口からパラッパラっと湯飲みに入れてお湯で割るだけ。3振り、4振り程度でしっかり湯飲み一杯分の濃さになる。

 

一杯分ずつスティックになっているのも便利だが、これだとスティックを開ける手間すらない。横着こそ美徳と信じている私には夢のような商品である。

 

同じ店でついでに買った「いぶりがっこタルタル」も当たりだった。以前このブログで「紅生姜タルタル」にムホムホした話を買いたが、それよりもなおこっちのほうがウマい。タルタルソースが無条件に大好きな私には神々しく見える。

 



揚げ物に塗りたくって食べるのがオススメだが、なんならそのまま食べても酒のアテになると思う。こういうファンキーな商品に出会うと長生きしててよかったとヘンテコな感慨に浸れる。

 

話は変わる。相変わらず枕を衝動買いしている。毎年34つは買っている気がする。枕難民だった頃と違い今では複数のお気に入りがあるのに気がつけば新たな枕が欲しくなる。

 

すぐに枕を買いたくなる悪いクセを自覚しているので衝動買いする際はせいぜい5千円以内のものに絞っている。ところが今回は7500円ぐらいの枕を買ってしまった。たぶんホロ酔いの時にAmazonを覗いてしまったのだろう。

 



運よく今回は当たりだった。高さや固さが私好みだったのでセーフである。それにしても今わが家にはいったいいくつの枕があるのだろう。納戸に積み重なっている不要な枕をそろそろ整理しないといけない。

 

さてさて無駄遣いの日常だが、当たりがある一方でハズレもある。大ハズレに関しては恥ずかしいから内緒にしておく。書ける範囲のハズレを一つ紹介する。

 

私が尊敬する「みうらじゅん師匠」モノだから内容のチェックもせずアマゾンでポチっとしてしまった本だ。本屋さんで手に取ったなら買わなかったはずだ。

 



みうらじゅん師匠がかねてから「老いるショック」という言葉を開発して普及に励んでいることを尊敬している。実に的確な造語である。近年の私の怪しい方面での下半身の様子などまさにこの言葉がピッタリである。

 

この本も師匠が面白おかしく世相を斬りまくっているものだと思って買ったのだが、一般人の投稿が大半だった。師匠はそれらにちょこっとコメントしているだけ。

 

見知らぬジジババの老いに関する愚痴を読んだところでちっとも感激しなかった。最初の10ページぐらいで挫折。確か1500円ぐらいの本だった。牛丼が3回食える値段である。ただただ敗北感だった。






 

 

 

 

2026年6月5日金曜日

15年履いた靴 ジョンロブとか

 

人様の足元にちょくちょく目がいってしまう。世の男性陣がどんな靴を履いているのか、靴好き男としては時に気になる。基本はビジネスマンの足元だ。

 

イマドキは黒っぽい革靴風のスニーカーみたいな靴を履いている人が多い。ラクそうである。結構シャレたデザインもあるようだ。正直に言えば私もそんな靴を履きたい。

 

スケッチャーズのスリップオンスニーカーのような靴ベラ要らずの革靴の広告もリール動画に流れてきた。ラクそうだ。スルっと履けちゃうビジネス用の革靴は魅力的である。正直に言えば欲しい。

 

しかし、しかしである。老境に近づいた今、どんな分野においてもユルい方向に進めばその傾向は一気に強まってしまう。美学というには大げさだが、職場に行く時の身だしなみは私に残された唯一の「ヨソイキ気分」を維持する大事なテーマだ。

 

昭和の頃、ヨソイキという言葉が普通に使われていた。近所に買い物に行くにも部屋着から着替えるような身だしなみ文化が存在した。今ではヨソイキという言葉自体が死語だろう。

 

背広にネクタイ、革靴。ビジネスマンの基本だったが、近年ではカジュアル化が急速に進んだ。銀座のクラブでお客さんの格好を見れば時代の変化は一目瞭然だ。ジャケパン、ノーネクタイが普通だ。

 

30年前は高価そうだけど趣味の悪い色のスーツをまとってヘビだかワニだかのごつごつした革の怪しい靴を履いた謎の老人ばかりだった。今ではアノ濃厚さ、重厚な感じは絶滅危惧種みたいな感じだ。

 

時代に抗いたいのか、単に趣味が悪いからなのかはさておき私自身は職場には必ずスーツに革靴で出かける。夏場以外はネクタイも必須だ。ナゼかそうしないと家との切り替えが出来ない。一種のスイッチのようなものだ。

 



私の職場は服装にうるさくはないので、今の時期はポロシャツ、チノパン程度の装いで出社する社員も普通にいる。それを横目に夏以外は三つ揃いの背広にネクタイを締めているわけだから物好きなのかもしれない。

 

革靴に関してもそういう観点でどうしてもラクチンなイマドキの靴に変えられない。一種の意固地なんだろう。夏場は革靴だとどうしたって暑い。蒸れる。匂いも気になるが、その点は運よく加齢臭の逆だ。中年以降は代謝が落ちたせいか若い頃みたいに足から匂いが無くなってくるからさほど気にしなくて済む。

 

いま履いている革靴の多くが“10年選手”だ。以前、病的?に買い求めていた靴たちがいまも現役で私を支えてくれている。結構な量の靴を買ったのでローテーション効果もあってどれも思ったほどヘタっていない。

 



この画像のボルドー系の色の靴は15年も前に買ったものだ。当時の旅行記にいろいろ載せた画像のうち最後から2番目に単体で写っているのがコレだ。フランスの「JM weston」である。

 ✦靴バカ一代 パリ編

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2011/07/blog-post_22.html

 

15年も経ってもバリバリに現役で履けるわけだからコスパだのタイパだのからすれば充分に合格である。むしろ安い買い物だったといえる。

 

靴マニアの世界で有名な格言がある。「安い靴を買うほど裕福ではない。流行りの靴を買うほど浪費家ではない」というのがそれだ。まさに言い得て妙だ。安モノや流行りモノはしょっちゅう買い替えるから結果的に浪費でしかない。


私の靴コレクションの多くが日本円が強かった頃に海外で安く買ったものだ。安かったとはいえ10万円オーバーの靴はさすがに大事にする。結果、長く愛用することになる。

 



こちらの靴はちょうど10年前にロンドンで購入した「ジョンロブ」である。日本の当時の定価が26万円ぐらいだったのだが、7割引きぐらいの仰天価格で入手した。イギリスのEU離脱騒動でポンドが暴落した時期のおまけにセールの頃だったおかげだ。そんな懐かしく興奮した思い出も靴自体への思い入れになる。

 

当時の旅行記の一番最後に載せた画像の左端に写っているのがこの靴だ。上の画像の通り今も当然のように現役で私にとってちょっとした“勝負靴”であり続けている。

 ✦靴バカ一代 ロンドン編

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/07/blog-post_11.html

 

そんな感じで「10年選手」がたくさんあるので最近はさすがに新しい靴を買っていない。買わなくなったというか、買う意欲が無くなってきたとも言える。「現役男」であり続けたいと願っている身としてはちょっと問題である。

 

適度な物欲は向上心とも関係する。「足るを知る」精神も大事だが、その一方で欲求が人間の活力源になるのも事実である。

 

まずは冒頭で書いたようなスリップオンでスルっと履ける安直な革靴モドキ?を買ってしまいそうな自分にブレーキをかけようと思う。

 

 

 

 

 

 

2026年6月3日水曜日

不倫

 更新しそびれてしまったので過去ネタを一つ。不倫はやっぱり文化なのかもしれないという話です。


富豪記者ブログ: 不倫は文化かな










2026年6月1日月曜日

巨大シジミやら前割り焼酎やら

  

シジミといえば小さな貝。味噌汁に大量投入されているイメージだ。私も生まれてから半世紀以上そんな感覚しかなかった。ところが時々訪ねるお蕎麦屋さんでアサリ、いや、ハマグリ並みにデカい「沖シジミ」なる貝に出会って一気に印象が変わった。

 


 

一般的なシジミと違う種類なのかは分からないが、シジミを名乗っている以上はシジミだと思って食べている。


まあ、世の中にはチリアワビなる謎のアワビや北海道産の小ぶりでウマい蝦夷アワビの例もある。もっといえば回転寿司屋の例のエンガワだって普通にイメージされるカレイやヒラメのエンガワではない。

 

命名される意図や思惑にもよるが一般人である私には知るよしのないストーリーである。きっと多くの魚介類の名前に謎めいた命名理由があるのだろう。

 

さてさて、沖シジミだ。ハマグリ並みのサイズなのに確かにシジミっぽい風味でウマい。頻繁に食べたくなる。このお蕎麦屋さん「築地・さらしなの里」でしか出会えていないことが残念だ。もっと都内でも普及して欲しい。

 

初めて食べたのは1年ぐらい前だっただろうか。見慣れない姿だったからたまたま入荷した限定メニューだろうと思っていたのだが、その後、3度、4度と行っても常にメニューに載っている。どうやら常備されているようだ。最近ではこれ目当てで行きたくなる。

 

しじみ蕎麦がこの店の名物になりつつあるようだが、温かい蕎麦はさほど好みではないので、あくまでツマミの一品として注文している。熱々で供される沖シジミはプリっとした食感に磯の風味が嬉しい。

 



この汁がまた滋味たっぷりでズズズっとすすると幸福感に包まれる。有難いのがシジミを食べた後の残り汁を温め直して蕎麦を数本入れてきてくれるサービスだ。いつもウットリする。

 

だったら温かいしじみ蕎麦も注文すべきなのだが、暑い季節になってきちゃったし、結局いつも冷たい蕎麦をズズズっと食べている。十割も二八もさらしなもウマいが、季節の変わり蕎麦もつい注文していつも食べ過ぎてしまう。

 

先日は茶そばだった。ここウン十年、茶そばをウマいと感じたことはなかったのだが、この店で食べる茶そばは別モノだ。お茶の風味がしっかり感じられる。テキトーな弁当の端っこに鎮座しているようなシャバダバな茶そばと比べるのが失礼な味わいだ。

 




東京の各地にある蕎麦の名店はていていそれっぽい店の造りとそれっぽい風情もウリになっている。それに対してこの店はパっと見ではカツ丼や天丼も出前する街場の平凡なお蕎麦屋さんみたいな感じだ。

 

にもかかわらず、かなりレベルの高い蕎麦を出すし、一品料理も豊富、天ぷらもヘタな天ぷら屋よりもマトモだ。蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを楽しみながら毎回上機嫌になっている。こういう店こそ「違いの分かるオヤジ」?としては押えておきたい。

 

蕎麦焼酎の蕎麦湯割りで思い出したのだが、先日訪ねた人形町の鹿児島料理店の錫のジョカで出される前割り芋焼酎が非常に美味しかった。「さつま」という店の名物らしい。64であらかじめ水割り状態になった芋焼酎がちょうどいい温度のお燗状態で供される。

 



オヤジ4人での飲み会だったのだが、なんともホッコリする味に全員が何度もおかわりして酔っぱらった。普段、普通にお湯割りを飲む機会が多いから前割りのウマさを改めて思い知った印象だ。

 

鶏さしも絶品だったし、熱々ふわふわのさつま揚げもウマかった。オッサンのオアシスと呼ぶのにふさわしいお店だった。実際、この日は2階席で飲んでいたのだが、我々以外も全卓オッサンばかり。見事に男しかいなかった。

 



季節は暑くなってきたが、歳のせいもあってか「温めた酒」にホッコリする頻度が増えてきた。きっと健康にも良いはずだ。

 

そう思い込むことこそが健康法である。