2026年10月2日金曜日

幸せの暴飲暴食

 

秋がやってきた。私は10月の生まれだからこの季節はもちろん好きだ。夏が終わった安堵感が良い。今年の夏は東京が思った以上に酷暑にならず助かった。西日本は相変わらず厳しい暑さが続いたそうだから何となくトクしちゃった気分である。

 



サンマに土瓶蒸しに生のイクラを並べて酒を飲めば、桜を愛でている時にも勝るとも劣らない季節感を堪能できる。四季のある国に生まれた幸せを痛感する。

 

とかなんとか風流人みたいな書きぶりだが、食欲の秋のせいか、暴飲暴食を反省することが増えた。最近とくに良くないのが飲んで帰宅した後にガッツリ何かを食べちゃう悪い習慣が復活したことである。

 

私の胃袋はまれにみる快楽志向のようで昔からそういう傾向はあった。若い頃はお寿司屋さんで飲み食いした後に必ずフィレオフィッシュを2つ食べるヘンテコな癖があったし、いまだに酔って帰宅した後にやたらとコメが欲しくなる。

 

飲み終わりにラーメンというパターンは一般的だが、私の場合は酔っているとドンブリ物が無性に食べたくなる。牛丼と牛皿という謎の組み合わせを注文して妙な優越感?に浸ったことも何度もある。

 



酔っていなければわりと普通の食生活なのだが、食欲の秋はやはり普通ではなくなる。とくにヒマな週末が危険である。気持ちも緩んでいるからウーバーをドシドシ頼んでしまう。

 

夕方に頼んだのにほんの2~3時間後に別なものをデリバリーすることもある。「夕飯と晩御飯は別モノ」。そんな屁理屈的な言い訳のせいで結局は太田胃散を何度も飲むハメになる。

 



とある日、還暦オヤジとは思えないドカ食いに励んでしまった。デリバリーでナポリタンとカルボナーラとオムライスを頼み全部食べちゃった挙句、3時間後には唐揚げ弁当を注文してそれもしっかり完食するという思春期の少年にも勝てそうな幸せな時間を過ごした。

 

最初のドカ食いの後、ナイター中継を見ながらうたたねしたのが原因である。いわゆる血糖値スパイクだ。あの眠気ほど抑えきれないものはない。強力鎮静剤を注射された時のようにストンと落ちる。

 

ほんの10分、20分程度のうたたねでも不思議と目が覚めると満腹中枢機能がリセットされてしまうのが私の謎の体質である。せめてザルそばぐらいならあり得そうだが、なぜ揚げ物にいっちゃうのか自分自身でも不思議で仕方がない。前世でよほど飢えたまま息絶えた人だったのだろうか…。

 

この日は同居する娘が旅行で不在だったのも原因の一つだ。誰かがいればブレーキがかかるものである。私にも羞恥心ぐらいはある。一気に3人前をドカ食いする姿を見られるのはちょっとイヤだ。ましてや追加で唐揚げ弁当をむさぼる姿を見られるのは凄くイヤだ。

 

恥ずべき行為だという自覚があるだけ私にも真人間に戻れる可能性はあるわけだが、こんなことを続けていられるのはある意味とても幸せなことだ。深刻な持病があれば暴飲暴食など出来ない。ならば出来る限りはドカ食いを肯定したい気持ちにもなる。

 



こういう商品を見つければ迷わず買ってしまうのも健康だからである。実際に食べたら「やりすぎ」と呼べるほどの肉の量には思えなかったのが残念だが、もしかしたら普通の人は十分満足する量だったのかもしれない。

 

相変わらずハンバーガーの類は一度に最低でも5個は食べてしまう。パンの大半を捨てちゃうという暴挙のせいもあるのだが、コスパとしては最悪だ。これも複数の味を楽しみたいという私の意地汚さが背景にある。




中学生の頃ならパンを捨てなくても5個は余裕だったし、最高記録?はビッグマック2つを含む合計9個のハンバーガーを一度に食べた。もう45年以上前の話だ。チャレンジだとか誰かと競ったとかではない。とことんマックを食べさせてくれと親にねだって実現した。親に感謝してもしきれないほどだ。

 

あの頃の記憶が脳に刻まれているせいか、ハンバーガーを2つ3つ食べただけで終了するという当たり前のことが出来なくなってしまったのだろう。

 

最近のゴージャス系の高級バーガーなら2つぐらいで十分満足できるものも少なくないが、ファストフードのバーガーは総じて小さい。例外はバーガーキングのワッパーぐらいで大半のものはまんじゅうぐらいだ。ついつい5個ぐらい頼みたくなる。

 

ちなみに最近の私のお気に入りがバーガーキングのフィッシュバーガーである。幼少期にタルタルソースという麻薬を教えてくれたマックのフィレオフィッシュが私の中では魚系最高峰、殿堂入りなのだが、バーキンのフィッシュバーガーもかなりウマいと思う。


世間ではワッパーシリーズに意識が向きがちだが“バーキンはフィッシュ”という隠れた?事実を声高に主張したいと思う。

 

 

 

 

 





2026年9月30日水曜日

脳の萎縮?

 

最近は更新を怠りがちだ。怠っているのであって決して忘れているわけではない。そんな書き方をしてみたのは脳の検査結果が出たからである。

 

脳のМRI検査を受けた話を最近書いた(https://fugoh-kisya.blogspot.com/2026/09/mri.html)。娘に無理やり連れて行かれたわけだが、自分としては物忘れではなく単なる注意力の欠如だと信じている。

 

で、先日ようやく検査結果を聞きにいった。血管の詰まりだとか脳梗塞の傾向だとかそっち系のチェックが出来たから行った甲斐があると思っていたのだが、そっち方面はまったく問題なく、肝心の記憶力のほうにちょっとだけ問題があるという面倒くさい結果を伝えられた。

 

お医者さんも商売だから新規顧客を掴みたいのだろうと思ってはいるのだが検査結果を細かく説明されるとさすがにイヤな気分になる。

 



認知症の傾向を探るVSRAD解析とやらをやったのだが、端的にいって検査数値が「0~1」が正常で、それより数値が上だと記憶力方面の脳の萎縮が進んでいるとか。正常値をオーバーしているレベルは「1~2」「2~3」「3~4」「4~5」の4段階。数値が大きければダメダメという話である。

 

私は1点代前半という実にビミョーな結果だった。“基準値オーバー”は血圧や尿酸値やコレステロールなどで慣れっこになっているから最初は気にも留めなかったのだが、医師によると「普通の人はあくまでも1未満だ」とのこと。すなわち私は普通の人ではないという残念な結果だった。

 

脳の萎縮だからコレステロールや血圧と違って運動したり食生活を改善したりしても関係ないみたいなのが厄介である。さすがに70や80になればボケ始めるのは珍しくないが60歳で“スタート”しちゃうのは問題である。

 

医師によるとこの程度の数値だと治療レベルに進むかどうかは微妙なところだという。結局、日常で起きた物忘れを記録しろというよく分からない指示をもらった。それを3か月程度で持ってこいという。内容によっては脳のPET検査をするかどうかを判断するらしい。

 

なんだかビミョーな話である。日頃のちょっとした物忘れを記録するなんて私には無理だ。そんなものはすぐに忘れる。真面目に取り組むべきか、気にせずノホホンと暮らすべきか、どう考えても後者のほうが健康的である。

 

診察の帰り道、こんな程度の話は大げさに捉える必要はないと鼻歌混じりで職場に戻ったのだが、ここで問題発生。職場に戻るとどうも雰囲気がおかしい。私を探していたらしい。聞けば大事な会議をすっぽかして診察に行ってしまったようだ。

 

医師には「プライベートはともかく仕事上で大事なことを忘れたことはない」と豪語してきたばかりである。そんな発言をかましているまさにその瞬間に大事なことを忘れていたという話だ。我ながらちょっとビックリである。喜劇みたいな話だ。

 

一応、私なりに言い訳はちゃんとある。その会議は毎月1回の開催なのだが、なぜか9月分だけをスマホの予定表に記載しそびれていた。先月も先々月も来月も再来月もその先も毎月予定表には会議予定が記載されていたのに、ナゼか9月だけ抜け落ちていた。だから物忘れと断定しちゃうのも違うはずだ。単なるポカである。そう信じたい!


でも、その失態をきっかけにちょっとばかり自信を失っているのも事実だ。これでも私は神経質で小心者なか弱い男なのである…。

 

「医者にかからなきゃ健康だ」。皮肉交じりによく言われる一種の真理である。要は余計な検査をしちゃうとちょっとした数値の多寡によって病名を付けられちゃうという現実を表している。強がるわけではないが、ある程度はそんな感覚でいないとウツウツしてしまうのも確かである。

 

そうは言っても早々にボケちゃうと自分が不便だから、とりあえず出来る範囲で物忘れを記録して半年ぐらいしたら再診に行ってみようかとは思っている。




2026年9月25日金曜日

野球と人生

 

もともと野球が好きだったのだが、最近になって大学野球マニアみたいになったせいで頻繁に試合観戦をするようになった。

 

東京六大学だけでなく東都大学リーグも時間さえあれば観戦している。秋のリーグ戦前半も何度か見に行った。寒い雨の中で観戦した亜細亜大vs東洋大学の一戦も最終回に波乱の展開になって面白かった。雨合羽に傘までさして過ごしたのは生まれて初めての経験だった。我ながらマメだと思う。

 



人気の東京六大学に対して実力の東都と言われるだけあって東都大学リーグはなかなか奥が深い。東京六大学は何といっても東大という安全パイ?が存在するため実質的に5大学が覇権を争う。東都の場合、1部2部の入れ替えがあるから1試合もムダに出来ない戦国状態だ。実にシビアだ。

 

今年は東都も基本的に神宮球場を使っているので観戦しやすい。とはいえ、東京六大学に優先権があるため東都は平日限定で球場内の売店もほとんど開いていない。その格差は実際に体験すると明白だ。

 



全国の大学リーグの優勝校が激突する初夏の全国選手権や秋の明治神宮大会ではついつい東都の代表校に肩入れしたくなる。実際に観戦していても東都の野球のほうが芸が細かいというか緻密さの点で六大学より上だと感じる場面は多い。

 

話は変わる。先日、あの張本さんが亡くなった。日本プロ野球最多安打数を誇るレジェンドであり、テレビで“喝”を連発していたキャラクターでも知られた傑物だ。

 

張さんの追悼番組もいくつもみた。戦後の壮絶な体験や昭和元禄の頃の華やかな交流、野球界への独自の視点など私の世代の野球ファンにとっては面白すぎる話がたくさん紹介されていた。

 

もう10年ぐらい前だが、銀座のクラブでたまたま張本さんに遭遇したことがあった。その日は珍しくお客さんが少なかったせいもあってママさんが張さんを紹介してくれたので短い間だったが野球の話を聞かせてもらった。

 



別れ際に握手をした際に張さんの凄さを痛感した。張さんは幼い頃に大やけどを負って右手の指が不自由なことで知られていた。そんなハンデを負いながら前人未到の記録を残したことも凄いのだが、私に発した一言がまた凄かった。

 

その時の私とは当然初対面だ。張さんからすれば何の遠慮もいらないただの若造である。そんな私相手に握手すると同時に発した一言が「こんな手で申しわけない」である。それって凄いと思う。それまでの会話もまるで尊大な感じはなくむしろ低姿勢過ぎるぐらいで接してくれた。ただただ敬服したことを強烈に覚えている。

 

張さんが日ハムから巨人にトレードされたのは私が確か小学校高学年ぐらいだった。当時のメディアは巨人一辺倒だったからパリーグの情報は限られていた。日ハムの張本といえばコワモテで暴れん坊のイメージしかなかった。

 

そんな張さんが巨人に来たらどうなるんだろうとビビっていた私だったが、献身的なプレーで長嶋巨人のチーム再生の柱となり王選手のホームラン世界記録の瞬間の後方でのあの“斜めジャンプ”は伝説になった。

 

張さんの立派さは今後も語り継がれるべきだと思う。

 

さて、張さんが巨人に来た当時、私が大ファンだったのが高田繁選手だ。トレードマークの青いグローブが欲しくて親にねだった。とにかくカッチョ良かった。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2025/05/blog-post.html

 

その高田選手の野球人生をまとめたノンフィクションを読んだ。面白くて夢中になって一晩で読み切ってしまった。

 



かの浪商から明治大学を経て巨人のスター選手になり、引退後はヤクルトの監督や巨人の2軍監督、日ハムのGМ、横浜DeNAベイスターズのGМなどを務めた野球史をまとめた一冊だ。

 

日本野球の70年というサブタイトルにもあるように野球ファンなら贔屓のチームがどこであるかに関わらず面白く読める内容だろう。

 



野球の歴史的な出来事だけでなく、引退後の指導者、フロントでの役割など組織運営の難しさや現実なども細かく描写されていたのが印象的だった。見方を変えれば中高年向きのビジネス書みたいな側面もある。なかなか読み応えのある一冊だった。

 

張さんにしても高田さんにしても現役時代の姿を覚えている人は総じて高齢化している。もはや野球界の歴史だ。あの時代があって今の時代の野球が存在すると思うと妙に感慨深い。

 

まとめられない話になってしまったが、野球が好きじゃなかったら私自身の人生も随分と違ったものだったはずだ。野球を好きになって良かったとつくづく感じる今日この頃である。

 

 

 

 

 

 

2026年9月21日月曜日

物忘れ、スケベな話

 このところ物忘れがヒドくなってきたので脳のMRI検査を受けた話をこのブログでも書いた。無事に検査を終了したおかげで妙な達成感を味わい肝心の検査結果を聞く診察予約はすっかり忘れていた。


これも物忘れの一種だろうか。で、さすがにちゃんと結果は聞いておかねばなるまいとようやく診察予約を入れた。そして当日、「とくに問題ないですよ」という結論を聞きに行くつもりで意気揚々とクリニックに向かった。


ところが受付で言われたのは「アナタの予約は来週ですよ」。ガーン、大失態である。わざわざ運転手さんまで使ってクリニックに行ったのに日程を間違えていたわけだ。やはり物忘れのレベルはかなり深刻なのだろうか…!?


私としては最近のいろいろなポカは単なる注意力、緊張感の欠如だと思っているのだが、やはり脳に問題があるのかもしれない。イヤだイヤだ。


というわけで今日は過去ネタを一つ載せます。物忘れが多いとはいえ、過去に聞いた素敵なスケベ話はすべて覚えているから、やはり私の脳は極めて正常だと信じたいところだ。


ワイ談のわらしべ長者








2026年9月18日金曜日

マズい店、ウマい酒

 

とことんマズい店。そんな店に遭遇することはなかなか無い。味覚なんてしょせん人の好みではあるが、そういう次元を通り越して「断然マズい店」に出会うのはむしろ貴重な体験である。

 

先日、秋のバンドライブのアコースティック歌唱コーナーだけの練習のため、担当メンバーと2人で東京駅近くのカラオケボックスにこもって3時間ひたすら練習した。

 



疲れたから軽く一杯やっていこうとぶらぶら八重洲側の路地を歩く。二人きりとはいえギターケースもあったからスペースに余裕のありそうな店を探す。

 

まだ早い時間だったので「客がいないガラガラの店は怪しい」という飲み屋探しの大原則が通用しないばかりか、私がタバコを吸える店を希望しちゃったので二人の店探しアンテナは機能停止。荷物は重いし天気も悪かったから安直に決めた店に入った。

 



瓶ビールと写っているお通しもシャバダバ、ヘビでも焼いてきたのかと思った串焼きはセセリらしい。ダシ巻き卵に至っては注文から1分ぐらいで熱々が出てきた。すべて美味しくなくてちょっと感動するレベル。他には梅水晶、つくね、クリームコロッケを一人前ずつ頼む。

 

飲んだ酒は瓶ビール一本の他は二人合わせてサワー類を4~5杯だったか。酒もなぜかマズい。緑茶割りの緑茶がダメダメなのか焼酎の質や量の問題なのか不明だが、ぶっちゃけ評価できる点は無し。おまけになぜかお勘定は二人で1万円ほど。完敗である。

 

その後、友人がネットで調べてみたら食べログだかヤフーだかの過去のクチコミ評価が「1.6」の店だったことが判明。「1.6」などという低評価の店があることに驚いたが、いい歳してそんな店に平気で入ったことに猛反省。

 

という失態を踏まえて、どうしてマズい肴を前にすると酒までマズく感じるのだろうかというテーマを考えたくなった。

 

もちろん楽しい気分の酒ならたいていはウマい。ドンヨリした気分で飲む酒は高級酒だろうとウマくない。銀座のクラブで綺麗なオネエサンにお世辞をブリブリ言われながら飲む酒は単純に美味しい。

 

それはさておき、食べ物と酒との相性という問題もある。銀座のクラブで飲む酒だってオールドパーの濃い目の水割りを気の利いたチョコレートと合わせると妙に美味しく感じる。

 

結局、酒のウマいマズいは合わせる食べ物にも結構影響されているのが現実だ。お寿司屋さんでワインを得意になって飲む人は多いが、あれだって選ぶネタを間違えると惨事である。合わないネタはただただ生臭く感じるだけだ。

 

話は変わる。先日、胃と大腸の内視鏡カメラを受ける日の前日にしこたま飲んだ。検査前夜だから夜8時までに飲食を終えねばならず翌朝は朝食抜きである。で、早い時間からしっかり飲み食いしておこうと最近プチ常連になりかけている人形町のお寿司屋さんに出向く。

 



いつもより多めに刺身を食べ、焼き魚も食べ、珍味も食べた。おススメされた冷酒がやたらとウマかったのでかなり飲んでしまった。生のスジコのせいである。

 

納豆が苦手な私には卒倒しそうなラベルの日本酒だった。もちろん、味自体に納豆感?はまったく無い。当たり前か…。納豆の生産業者が手掛ける日本酒だとか。スッキリしながらもしっかりした味わいでスジコと交互に口に含んでいたらエンドレス状態になってしまった。

 



翌朝、大腸内視鏡の検査用に早朝から1時間かけて2リットルのマズい液体を飲む必要があったのだが、起きた途端に二日酔いでムカムカしていたから謎の液体を飲むたびに吐きそうになりかなり疲弊してしまった。

 

話がそれた。食べ物と酒の相性の話だった。

 

先日、久しぶりに銀座の維新號に出かけた。ここでの私のお目当てはフカヒレの姿煮と肉焼売である。その他の料理にはさほど思い入れはない。いや、いろいろウマいものもあります。

 




この店のフカヒレも随分と高値になってしまった。10年前に比べたら2倍近くになっただろうか。物価高を実感する。


高くてもウマいから仕方ない。スープというかタレが独特のウットリする味わいで昔から悶絶する。これを食べる時に必ずセットで注文するのが紹興酒の熱燗だ。

 

私は紹興酒が好きではない。むしろ嫌いだ。自ら注文することはまず無いのだが、このフカヒレだけは例外だ。熱めの紹興酒と合わせると天にも昇るようなウットリ感を味わえる。組み合わせ、マリアージュの極致だと思う。

 

このフカヒレの姿煮を日本酒と合わせてもウマいとは思えないだろうし、生グレープフルーツサワーと合わせても間違いなくトンチンカンだ。私にとっては完全無欠の組み合わせだ。

 

なんだかウダウダ書き殴ってしまったが、酒と肴の相性を語りだしたらキリがないのでこの辺にしておく。

 

 

 

 

 

2026年9月16日水曜日

パスタとスパゲッティー

 

今年は冷やし中華を一度も食べなかった。私にしては大事件である。あんなに好きだったのにゼロとは我ながら不思議だ。何度か買って冷蔵庫に入れておいたが賞味期限切れで処分した。

 

昨年、体調管理を目的に小麦粉の摂取を減らしたことが異変の原因だ。昨年の秋ぐらいまでは結構気を使っていたがその後はさほど気にせず時々はパスタもパンも普通に食べている。

 

なのにナゼ冷やし中華に背を向けてしまったのだろう。一生分食べまくったから飽きちゃったのかもしれない。


もともと外食では冷やし中華は食べない。麺がちょこっとで不要なサラダみたいな具がエバっているのがイヤで、あくまで自宅で硬く茹でた2玉をチャーシューだけ乗っけて食べるのが私の好みだ。

 

おそらくインスタのリール動画で覚えた手抜き簡単調理をあれこれ試したり、ウーバーでのデリバリーを使うことがやたらと増えたから冷やし中華を作る機会が無くなってしまったのかもしれない。

 

そろそろスーパーの売り場から冷やし中華が消えちゃうから賞味期限の長い袋麵シリーズの商品を早めにストックして再び向き合う日を待とうと思う。

 

話は変わる。小麦分野の麺の代表格といえばパスタである。私も元来パスタ好きだ。いまだに酔っぱらってコンビニに入るとナゼか弁当コーナーのパスタを食べもしないのに買ってしまうクセがある。

 

本場イタリアでも各地の名物パスタを食べ歩いたし、家庭人時代には元嫁さんに毎週末2種類以上のパスタを作ってもらったし、独身に戻ってからも少し前までは頻繁に自宅でも作っていた。

 

先日、銀座の小洒落たカジュアルイタリアンバーで久しぶりにペペロンチーノを食べた。パスタの中でも案外自作が難しい一品である。外食でもマズいやつに当たっちゃうことは多いから何となく注文する機会が少ない。

 



 この日は連れのオネエサン主導で珍しくワインをグビグビ。食べ物もそっちに任せて注文してもらったから久々のペペロンチーノとご対面。

 

結果、なかなかウマくてムホムホしながら食べた。どことなく若い頃を思い出すような感覚だった。コリドー街に近いこの店はタバコも吸えたし、一人客も多いと聞いたので隠れ家的に時々使わせてもらおうと思った。

 

それから数日後、またもや銀座で印象的なパスタに遭遇した。パスタではない。スパゲッティーである。某クラブのオネエサンの同伴要請に応じてしまったのがきっかけだ。ひょんなことでアゲアゲ気分になれた。

 

とある小料理屋のカウンターで食事をしていたのだが、なぜかこの日は私に食欲がなく、おまけにその店の日替わりのメニューにそそられる一品が無かったので早々に切り上げた。

 

同伴出勤の入店時間までは随分と時間が余ったのでカフェかどこかで甘いモノでも食べようという話になった。するとオネエサンが「プリンが食べたい」とズンズン目指す店に向かっていく。

 

連行されたのはかの「みやざわ」だった。もう25年ぐらい前から夜の銀座のアチコチで私がサンドイッチの出前を頼んでいる店である。銀座でクラブ活動に励むオジサマ族にとっては有名店である。

 

出前専門ではなく実店舗もあるとは知っていたが、入ったことはなかった。この日一緒だったオネエサンがこの店のプリンのファンとのことで、ひょんなことから店内で過ごすことになった。

 

何とも感慨深かった。なんなら30代の頃から出前ではお世話になっている店である。数々の思い出が甦ってエモい気分になる。肝心の店はといえば単なるカジュアルな喫茶店である。

 

サンドイッチや洋食メニューもあるので“夜の銀座風”のオジサン、オバサン、オネエサンが仕事前の腹ごなしをしている。そんな風景もなんだか「素の銀座」みたいな感じでオツである。

 

私もプリンを食べるつもりがメニューを眺めていたら方針転換を決定。「カルボナーラ」を注文することにした。喫茶店のカルボナーラを食べるのは学生時代以来だろう。妙にワクワクした。

 



で、出てきたのがコレである。パスタなどという表現は絶対に合わない。ニッポンの喫茶店のスパゲッティーである。ウマいかマズいかという論評の外側にある存在だ。コショウを追加でドバドバかけてむさぼった。

 

我が人生においてそこそこの時間と労力を割いた「夜の銀座」という世界における一種のハイライトみたいな瞬間だった。数えきれないほどいろんなお店に通い、いろんな経験をして、いろエロな事件にも遭遇して今や還暦を過ぎた私だ。原点、いや到着点みたいな気分で味わった。

 

ちょっと大げさな書きぶりだが、今風にいえばただただエモかった。

 

 

 

 

2026年9月14日月曜日

検査ばかりの日々

 

とりあえず健康体だ。食欲も性欲も人並み以上?にあるし、筋肉痛になる以外は痛いところもなく、活字を読む時以外は裸眼で暮らしているし、バンド練習の際もまあまあ声も出ている。自分としては還暦を過ぎたにしては健闘しているほうだと思う。

 

にもかかわらず何だか年柄年中アチコチ身体の検査をしている。よく考えたらバカみたいに思えてきた。今週も大腸と胃の内視鏡検査を予定している。1年に一度の恒例行事になっているが始めてから15年以上が経つ。

 

今までポリープこそ何度も取ってもらっているが大きな異常を指摘されたことは無い。毎年のようにやっている肺のCT検査もしかり。毎年毎年聞かされるのは「変化なし」である。

 

3年前からは膵臓ターゲットの超音波内視鏡もレギュラーになった。恒例行事がこんなにある上に、先日はここでも書いた脳のМRIもやった。こうした検査の際には多くの場合、血液検査もついでに頻繁にやっている。基準値を超える数値もよく出るが異常なほどの結果になったことはない。

 

先週も腹部のМRI検査を受けてきた。結果は「変化なし」である。もちろん喜ばしいことであり今後もちゃんとチェックする必要はあるのだろうが、以前より検査の意味に首をひねりたくなることが増えた。

 

やり過ぎでんがな!。ナゼか関西弁でそんな囁きが私の頭の中を駆け巡る。そりゃあ30代、40代で子供が小さい頃なら不慮の病死を避けるためにマメに検査に励む意味もある。今はそんな時期も過ぎて高齢者側の入口に立っているわけだから以前と同じ頻度で検査に明け暮れる意味はあるのだろうか。

 

早く死にたいわけではないが妙な長生きは御免だ。せいぜい75歳あたりでオサラバするのが順当ではないかと思っている。残り15年を切った状態である。

 

今後も今みたいにやたらとマメに検査に励んでいたら、我が意に反してムダに85とか90まで生きてしまうかもしれない。だとすると検査ざんまいの現状は私の人生プランとズレたことをしていることになる。ちょっと考えモノである。

 

とはいえ、仮に来年からすべての検査をやめてみたとする。再来年に手遅れのガンが見つかったら62,63あたりでオオサラバだ。それはそれでちょっと早過ぎる。

 

うーん、実に悩ましい。狙ったタイミングでうまく人生の終幕を迎えるにしても問題は、そこに至るまでの健康状態である。ピンピンコロリが理想だが、そう簡単にはいかない。残り15年と仮定してその期間をそれなりの健康状態でいるためには適度な体への気配りやチェックは必要だ。

 

ちょうどいい加減で暮らしていくにはどの程度の頻度で検査をしていればいいのだろうか。今の私にとって一番悩ましいテーマである。

 

先日の腹部МRI検査もトンネル状の検査機械に入る前からギュっと目を閉じ、約30分の検査中は一瞬たりとも目を開けずに頑張ったら何とかパニック気味にならずにクリアできた。

 

閉所が苦手だからたかだか30分の検査なのに前の晩からストレスはバリバリで、無事終了した後は物凄い疲労感だった。ウチを出る前に安定剤を多めに飲んだせいもあるのだが解放されたあともヘロヘロだった。

 

ヘロヘロついでに朝飯抜きだったことを思い出し、途端に空腹感に襲われた。クリニックからは日本橋高島屋が近いので特別食堂で贅沢メシでも食べようと決意。いそいそ向かう、しかし、満席で30分待ちだという。仕方なく同じ館内の資生堂パーラーに向かう。ここも満席。平日の昼は優雅なオバサマ族の独壇場である。

 

で、近所にある憩いの喫茶店「げるぼあ」に向かう。気の利いた洋食メニューがあってタバコも吸える。私にはオアシスみたいな店だ。早めの午後の時間帯で満席に近かったがとりあえず待たされずに着席。

 

オムライスとキノコパスタを注文。いい歳したオジサマが2品頼むわけだから怪訝な顔をされるのがストレスだがこればかりは仕方ない。「朝飯抜きで物凄く腹が減ってます」と言い訳をかましながら注文。

 



ワンパクメシを表現するために2品並べて画像に収めたかったのだが、そこはさすがの名店「げるぼあ」である。こちらの食べ進み具合を確認しながら同時に2品が出ないように配慮してくれていた。

 

おかげで上のような画像になってしまったが、非常に満足度の高い食事だった。オムライスはオーソドックスそのもの。これだよこれ!って世界観をみせてくれたし、キノコパスタはキノコだけでなく串切りタマネギがたくさん入っていて完璧なるニッポンのスパゲッティーを体現していた。行儀悪さの極みだが、これをタバコ吸いながら楽しめちゃうわけだから天国である。

 

高島屋特別食堂でお高いメニューを2つ3つ頼んじゃうつもりだったからお財布にも優しくて検査で疲れた心身を癒すにはバッチリだった。

 

で、今後もいろんな検査を続けるかどうかの結論は出ないままだ。でもこういう暴食を続けたいなら1年に一度ぐらいは我慢して胃腸を中心にチェックするのが妥当じゃないかと思えてきた。





2026年9月11日金曜日

ご近所に学ぶ

 

近所のキックボクシングジムに通い始めたのは昨年2月のこと。一念発起して身体をイジめたおかげで体調は良くなった。当初は週に2回も通っていたが、さすがに昨年の秋ごろからは週に1回のペースになった。でも行けば行ったでありえないぐらいの発汗時間を過ごしてきた。

 

ところが、いろんな事情で7月中旬からサボりはじめ体重もぶくぶくと増加してきた。2ヶ月サボることはやめちゃうサインだと誰かに言われて、先日久しぶりに足を運んだ。

 

2か月近くサボっていると最初のウォーミングアップが既にキツい。ケガ防止のために家を出る直前にストレッチを30分ほどやってからジムに行くのが私のパターンなのだが、家でのストレッチすら妙にきつかった。


加えてジムでのウォーミングアップである。ほんの5,6分の基礎的な動きをするのだが、これが終わった時点で疲れちゃって帰ろうかと思った。さすがにそれはアホなので久しぶりにサンドバックに向き合う。殴る蹴るの動きを自分なりに負荷をかけて頑張る。ゼエゼエである。

 

この日は途中から一種のランナーズハイ状態になり、今まで以上にサンドバックとミット打ちに時間を費やした。2か月近くサボったのに過去最長の頑張りは身体に良いはずがない。

 

終了後、バテバテになったのでいつもならさっさと更衣室に引っ込んでとっとと着替えて帰るのに、練習場の端の休憩椅子に座ったまましばし放心状態だった。

 

私としてはシンドかったものの心地良い疲れでダラダラしていただけだったのだが、しばらくしたらスタッフが二人で心配そうに声をかけてきた。

 

死んでる?…。おそらくそう思われたのだろう。私が元気に反応したら心底ホッとした表情に戻った。私はジムの会員の中では上から3番目の高齢者らしい。若いスタッフからすれば要注意対象である。何だか哀しい。



でも休憩椅子に座って脱力状態でビクともせずに座っていた私は「あしたのジョー」のラストシーンそのものだったのだろう。こんなにスリムではないが…。

 

さてさて、キックジムもウチから徒歩3分だが、ちょっといい感じのお寿司屋さんを徒歩2分30秒の距離に見つけた。今のマンションに住んで3年以上たつが、至近距離の店を案外見落としているケースは多い。このお寿司屋さんもその一つ。

 

存在は知っていたのだが、ネットのクチコミがコース料理の体験談ばかりだったせいで敬遠していた。自分の好みで食べられないイマドキ系?の店はエセ寿司屋だと思っている私の信条が邪魔して覗いたことがなかった。

 

とある日、やはりわが家からさほど遠くない別なお寿司屋さんを開拓しようと暖簾をくぐったら運悪く満席。仕方なく近くにあるその店に行き意を決して改めて「こちらはコースだけですか?」と尋ねてみた。

 

すると「お好きなものをなんなりとどうぞ」という正しい返答があったので初トライすることに。やはり、ネット情報を鵜呑みにせず自分の耳で聞くべきだと痛感。

 


 

家族経営の居心地の酔いお店だった。いい感じの大将とその弟、そして銀座の名店で修業していたという若い息子さん、おまけに大将のお母さんらしきマダム?もお運びを手伝っている。皆さん人当たりも良い、キチンと手を入れた真っ当なネタが揃っているうえにエラそうな態度はゼロ。おまけに場所柄もあってか、煮ハマグリのような江戸前の仕事ネタもいくつもある。穴子も上等だった。

 




 ちょっと高級な町寿司とでも言おうか。店の作りも風情があって私好みである。もっと早く知っておけばよかったと反省する。

 

思えば界隈に引っ越してきた際に何軒かのお寿司屋さんを開拓してみた。日本橋の三越側のエリアを中心になかなか良いお店がいくつかあった。場所柄、単なる生魚中心ではなく仕事系のネタを出す名店がいくつもあった。

 

スットコドッコイみたいな寿司屋が多い銀座と違って日本橋周辺のお寿司屋さんは極端に表現するなら「真っ当」だった印象が強い。上等なネタ、丁寧な仕事ぶり、店の雰囲気ともに高水準なのに値段については納得できるレベルに収まっているお店が多かった印象がある。

 

銀座の7丁目8丁目ともなると夜の蝶がヒラヒラと舞う特殊な街だ。お寿司屋さんの“ノリ”もやはり他の街とはいろんな意味で異なる。その点、日本橋あたりだと質実剛健というか、道理をわきまえているようなお店が多いのだろう。客層の点にもそうした違いは出るのだと思う。

 

ここ数年、新富町にある某お寿司屋さんがお気に入りになり、他の店を新規開拓する気持ちがまったく無くなっていた。それはそれで悪いことではないが、隠居の身でもあるまいし、時には好奇心を満たすことも必要だ。

 

かつては毎月毎月何軒も道場破りかのようにお寿司屋さんの新規開拓に励んだ私だ。あの頃ほどのエネルギーはないものの、あの頃に身につけた私なりの“新規店でとっとと上客になるマル秘マニュアル”はまだまだ有効だ。時には冒険するのも一興だと感じた。

 

 

 

 

 

 

2026年9月9日水曜日

MRIとの闘い

 

物忘れがヒドくなってきたことで脳神経内科に行き、脳のMRI検査を受けるハメになったことを8月終わりにこのブログで書いた。閉所恐怖症気味だからイヤでイヤで憂鬱で憂鬱で仕方なかったのだが勇気をふり絞ってちゃんとやってきた。

 

脳神経内科でMRIを手配してもらう際に閉所が苦手だという話をしっかりアピールしまくったせいでオープン型のマシンがあるクリニックを紹介された。

 

受付の際に鎮静剤をもらうつもりだったのだが、私の勘違いもあって話がスムーズに進まずちょっと難儀した。鎮静剤を使う場合は予約時間より1時間早く到着して服用後クスリが効いてくるのを待ってから検査をする段取りだとか。


私の検査予約時間は10分後だ。これ幸いとばかりに「では無理なので帰ります」と言ってみたのだが、親切なクリニックの人々が予定時間をずらしてくれることになった。嬉しいような悲しいような気分とはこういうケースを指すのだろう。

 

鎮静剤を2錠もらい一時間後に戻ってきてくれればいいとのことだったので近くのカフェの喫煙ルームにこもってガバガバとタバコを吸う。オープン型のMRIとはいえどうせパニック寸戦になるぐらい恐怖感と闘わねばならない。束の間の自由時間は煙を吐き出すぐらいしか出来なかった。

 

十数年まえに脳のMRIを受けた際は首から上をすっぽりと機械に覆われその閉塞感に悶絶した。気が狂うんじゃないかと心の底からビビりまくった。

 

その後、トンネル状の機械に全身が包まれる一般的な腹部MRIも何度かこなしてきたが、頭すっぽりバージョンほどではないものの毎度メロメロにバテまくっている。閉じ込められるのがとにかくイヤだ。

 

久しぶりに頭部MRIである。オープン型の機械がどんな形状なのか不安で不安で仕方なかったのだが、鎮静剤が効いてきた頃にご対面した機械をみてちょっと驚く。良い意味で驚いた。

 

座った状態で首から上をすっぽり覆う機械ではなく、通常のMRIのように横になって検査を受けるスタイル。おまけに全身を包み込むような形状ではなく、左右は開放された状態で検査部位にカメラが覆いかぶさる感じの仕組みだった。身体がベルトで固定されることもない。

 



 この画像はネットで借りてきた見知らぬ医療機関のものだが、大雑把にいえばこんな感じで“包み込まれない”スタイルである。これはかなり気が楽だ。

 

鎮静剤のおかげでボーっとしてきたし、担当医がやたらと丁寧に気を配ってくれたのでどんどんやる気?が出てきた。聞けばこのクリニックは閉所恐怖症気味の人が各地からこぞってやってくる“駆け込み寺”みたいな場所らしい。

 

私などはしょせん「閉所が苦手」レベルだが、電車やクルマにすら乗れない重度の閉所恐怖症の人も利用しているとか。そういう人は徒歩3,4時間かけて検査に来るという話を聞いて、がぜん勇気が湧いてきた。

 

で、検査が始まった。腹部の検査だと「息を吸って、吐いて」みたいな作業を結構マメにやらされて放心状態になれないのだが、頭部の検査はそういう作業が無いのがラクだ。エロい妄想に励んでいるだけでいい。

 

通常は20分で終わるのだが、痴呆傾向を調べるには追加で10分必要らしい。検査を始める前は20分でいったん解放してもらって一息ついてから追加の10分をやり直すようにワガママ要求を受け入れてもらったのだが、結局、追加の10分もそのまま連続でこなせた。

 

無事に終わったことで達成感、満足感はかなりのものである。おかげで検査結果を聞きに行く診療予約をしていない。忘れたままである。変な話、結果を聞きにいかなければ「異常なし」だ。そうはいかないか…。

 

ちなみに明日、すい臓方面をチェックする別のMRI検査の予定が入っている。こちらは以前に手配済みなので一般的な閉じ込められる機械の検査だ。いまさら検査するクリニックを変えられない。もう少し時間に余裕があればオープン型の優しいMRIを手配し直したのに何とも切ない。

 

前回の検査では機械に入れられる前から終了するまで一瞬たりとも目を開けずに閉じたままでいるといいという技師さんのアドバイスのおかげで何とか耐えられた。今回もその作戦を徹底しようと思う。

 

それにしても長生きしたい願望はまったく無いのにナゼ私は何度も何度もこんな検査をビビりながら受け続けているのだろう。医療費でパンク寸前の国家財政の観点からも問題である。

 

そろそろ検査だ何だと余計な健康対策にソッポを向いてサプリや常用薬もスパっとやめて自然のままに任せてみようかと本気で考えている。

 

 

 

 

 

 

 

2026年9月4日金曜日

肉食、草食

 

肉食動物は草食動物を丸ごと食べているから野菜不足の心配はない。この理論が好きだ。日頃、私がガツガツ食べている牛や豚や鳥も馬も生前は野菜的なものを食べて育ったはずだ。だから大丈夫である。

 

野菜が嫌いだなどと声を大にして60歳のオヤジが叫ぶのはカッチョ悪いが嫌いなんだから仕方ない。先日、旧友たちとの飲み会で空心菜の炒めを注文した友や麻婆ナスを注文した友に罵詈雑言を浴びせたのは私だ。

 

でも、麻婆ナスを取り分ける際に私の皿だけナスを除外してくれた友には宝くじが5億円当たったら3万円ぐらいは謝礼を渡そうと思う。

 

話が変わる。焼肉屋さんに行く機会が増えた。もう10年ぐらい前から正直焼肉は苦手な食べ物に近い存在になっていたのだが、ここ1年ぐらい頻繁に行くようになった。渋々ではなく自ら積極的に行くようになったから変われば変わるものだ。

 

その理由が野菜である。論理破たんも甚だしいのだが、野菜のおかげで焼肉好き男に復帰した感じである。

 

そもそも数年前から薬味野菜は好きになった。相変わらず主役みたいに出てくる野菜には殺意を覚えるのだが、麺つゆに入れるネギ、冷ややっこのミョウガ、カツ丼に混ざっているタマネギなどはむしろファンである。

 

強壮効果を狙って頑張って居酒屋でオニオンスライスをモリモリ食べ続けたことで昔ほど野菜に対する怨念が強くなくなってきたのだろう。あくまで脇役の野菜なら大歓迎だ。

 

かといってハンバーグに添えられるニンジンみたいな準主役級はやはりダメだ。やはりせいぜい葉っぱや刻んだネギ類あたりが私が仲間と認める野菜である。

 



画像の手前はナムルに白髪ねぎまでふりかけた状態だ。サンチュに肉を置きそこにナムルを加えてくるんで食べるようになった。数年前までの私を知る人から見れば異様な光景かもしれない。

 

サンチュで焼肉をくるんで食べる人のことを人生で何十回、何百回ディスってきただろう。今になって反省する。ごめんなさい。あの食べ方だとサッパリしてカルビだっていけちゃう。

 

サンチュにくるんだ肉を5回食べたら、肉だけを1回たべるようなパターンが今の標準だ。これだと苦手になっていたはずの牛肉が結構ドカドカ食べられる。ついでにキムチも食べちゃうわけだから野菜まみれの時間である。

 



店によっては刻んだネギだけを出してくれるところもある。これがまた良い。焼いた肉にドッサリ載せてこれまたキムチやナムルもまぶして頬張ると妙にウマい。

 

いまや私にとって焼肉屋さんは野菜を食らう場所になりつつある。私の野菜嫌いを心配していた今は亡き母親が見たら涙を流して喜んでくれるだろう。いかんいかん、まだ生きている。今度その姿を見せてやろうと思う。

 




 

話が変わる。先日、自宅からほど近い人形町の外れにあるお蕎麦屋さんで楽しく飲んだ。いわゆる街の普通のお蕎麦屋さんである。夜は気の利いたツマミを揃えているから近隣サラリーマンのオアシスみたいだ。ヅケまぐろ、ハタハタ、鴨などをツマミに蕎麦焼酎の蕎麦湯割りをグビグビ。

 

で、シメの蕎麦に山菜そばを注文してしまった。爺さん婆さんしか食べないものだと思い込んでいた山菜そばを自ら食べたくなり、ウマウマいと食べたわけだからいよいよ私も爺さんデビューの入口に辿り着いてしまったようだ。

 



とかいいながら別な日は気になっていたジャンクフードをムホムホ言いながら完食した。すき家が出しているポークロックカレーである。キャッチフレーズは「そびえる肉に食らいつけ」である。

 



豚肉のデカい塊がトッピングされたカレーライスである。豚の肉塊は1個から3個まで選べる。当然私は3個入りを選ぶ。それどころか別注できるポークロックを追加でもう一つ頼んだ。

 

店で食べるのはちょっと恥ずかしいからデリバリーを利用した。デカい肉が角煮のような脂部分の多いシロモノだったらイヤだと心配していたのだが、脂身はさほど感じない文字通り肉塊だった。

 



 

カレーライスのライスの上にこれを4つ投入するとコメは見えなくなる。パっと見すると謎の茶色い食べ物である。でもそれが良い。茶色こそジャンク界隈のチームカラーである。

 

ムシャムシャ食べた。余裕で食べた。しょせんカレーライスが並サイズだったから気づけば皿はカラッポになっていた。カレーと混ぜちゃうから肉の味はよく分からなかったが、豚の肉塊自体にもしっかり味はついていた。ガーリックを感じるバーベキューソース味だった。

 

単品で取り寄せて肉を細かくほぐして炒めメシの具材にするのもアリだと感じた。

 

というわけで、山菜そばで爺さん界隈の入口までたどり着いたが、すき家のジャンクメニューのせいで相変わらず年齢不相応な食生活を楽しんでいる。めでたしめでたし。




 

 

 

 

 

 

 

2026年9月2日水曜日

若々しい味覚

 

いつの頃からか我が家の冷蔵後にはオロナミンCが常備されるようになった。小さいサイズのコーラもファンタもあるのだが、オロCに手が伸びる頻度が一番多い。

 

たいていは酔って帰ってきた日の夜遅くの時間だ。ゲップが目的である。飲み終えた後の中途半端の不快感はゲップを盛大にすることでかなり解決する。盛大なゲップにはコーラが一番なのだが、オロCがいつも私を呼ぶので一番の相棒だ。

 


 

ゲップが目的とはいえ、やはり好みの飲み物を優先したい。ファンタやジンジャエールでもなく炭酸飲料といえば私にとってはオロCがエースだ。

 

子どもの頃、ナゼだか親にせがんでも滅多に買ってもらえなかった。強壮剤みたいなものかと勘違いされていたのだろう。だから友達の家に遊び行った際には友達のお母さんにオロCをねだったりしていた。

 

ドデカミンなんちゃらとか似たような商品があっても私はオロC一択だ。あのナゾの小さいサイズが妙に魅力的だ。かといって一気に2本飲んでも不思議と感激しない。オロCはあのさりげない分量が美味しさの秘訣なんだと思う。

 

ありとあらゆる清涼飲料や炭酸飲料には各種のサイズが用意されているのにオロCはあのサイズが不変だ。ビッグもミニもない。ヘパリーゼみたいなドリンク剤だって大きさが何種類もあるのにオロCのあの達観ぶりは尊敬に値する。ブレない強さ、不動心みたいなオーラすら感じる。

 

子どもの頃からのオロCファンではあるが、週に何本もマメに飲むようになったのはここ10年ぐらいだろうか。加齢のせいか、はたまた赤ちゃん返りへの準備なのか我ながら不思議だ。

 

オロCに限らず、食べ物の中にも若い頃に好きだったものを今になって改めて頻繁に食べるケースが増えてきたように思う。チキンライスしかり、マックしかり、焼肉屋のカルビしかり、数えだしたらキリがないぐらいだ。

 

赤ちゃん返りへの準備というと大げさだが、この歳になると味覚が原点回帰する傾向ってあるのかもしれない。小難しい料理をウンチクいいながら食べるよりオムライスやナポリタンや赤いきつねを食べているほうがどこかホっとした気持ちになる。

 

通学前の忙しい時間帯に母親がやっつけ仕事で作ってくれたようなテキトーな料理が妙に恋しく感じる。作るのに5分、食べるのに3分ぐらいで済ませたような日もあったが、そんな時の味覚に戻りたがっているのだろうか。

 

と、おセンチなことを書いてみたが、単純に私の酒量が減ってきて、その分、甘いモノを口にしたい欲求が強まってきている可能性が高い。

 



先日の週末もクリスピークリームドーナツのミニサイズ盛り合わせをデリバリーで注文して一気に半分以上ムシャムシャ食べてしまった。甘いモノだけだとちょっとビミョーなので近所の総菜屋で買ったタマゴサンドに“追いマヨネーズ”を加えてシメにした。味覚が破たんしている…。




そういえば最近のマイブームがセブンイレブンのピスタチオアイスバーである。すこぶるウマい。まとめ買いしたせいで冷凍庫が窮屈になってしまった。

 

実はこの商品が登場する前までは「カリッとアーモンド」と称するホワイトチョコがコーティングされたアイスバーに夢中だった。絶品だった。ハーゲンダッツより軽めで、かといってコクもあって名作だったと言える。

 


 

ところが我が家の近所の店舗では見かけなくなってしまった。セブンの凄さでありダメなところは商品の入れ替わりが激しい点である。とくにスイーツ系は、かつてのバニラテリーヌのようにどんなに名作でも一定の周期で廃版になってしまう。

 

ローソンのスイーツは「どらもっち」など人気商品は定番として残り続けているから、セブンのスイーツにももう少し辛抱強さを求めたいところだ。

 

で、お気に入りの「カリッとアーモンド」が無くなっちゃって絶望の淵にいた私だったのだが、まるで後継商品みたいにピスタチオ版が出てくれたのは有難い。味の点ではピスタチオ感がさほど強くないのだが、チョココーティングをケチっていない感じが前作同様で嬉しい。おススメです。

 



オチも何も無いまま終わるのがシャクだからついでにもう一つ。最近食べた妙にウマかった一品を紹介する。友人たちとの飲み会で出かけた神楽坂「龍公亭」のとうもろこしチャーハンである。

 

いやはや実にそのまんまの一品だった。余計な野菜など入っておらず微妙にバター風味も効いており個人的には抜群に美味しかった。友人たちと取り分けたことが残念で仕方ないほど心が掴まれた。




やはり、根本的な味覚が赤ちゃん返りに向かって突進しているのかもしれない。

 

 

 

 

2026年8月31日月曜日

ショート動画中毒


 本が読めない、ドラマが観られない。そんな若者が増えているそうだ。長い文章や長時間何かを視聴することが苦手になっている人が多いということ。原因はネット上に溢れるリール動画というシロモノだとか。せいぜい数十秒程度の短い動画のことだ。

 

私もご多分に漏れず寝る前によくリール動画を脈略もなく眺めている。ハッキリ言って楽しい。思った以上の面白くてついつい夜更かしをしちゃうこともある。

 



確かにひとつが数十秒だから飽きないし、AI様のおかげか一度でもジックリ見た内容に似た動画がランダムに表示されるし、かと思ったら別なテーマの妙に面白い動画が出てくるので気づけば1時間ぐらいアッという間に経ってしまう。

 

昔の野球の名場面、いにしえの「夜のヒットスタジオ」の名物だった冒頭の歌手紹介コーナー、昭和の懐かしいCМ、かつてのメジャーリーグのスーパープレー、はたまた京都橘高校の華麗なマーチングバンドの動き、道端や電車内での酔っ払いの殴り合いなど特に意味はないけどナゼか見入ってしまうようなショート動画がエンドレスで出てくる。

 

私が簡単調理に励むようになったのもリール動画でソッチ系ばかり面白がってみていたせいである。ほんの20秒ぐらいでレシピや作り方のコツを教えてもらえる。意外に実用性もあるわけだ。

 

簡略化、省力化ばかり進んだ今の時代ならではだが、確かにこんなものばかり見ていたら映画や小説などとしっかり向き合う時間が馬鹿らしく思える若者が増えちゃうのだろう。

 

文化の危機だ!などとエラそうなことを言いたくなるが、これもまた時代の特徴である以上、旧世代がブツクサ言ったところで仕方ない。映画や連続ドラマ、小説などの面白さや奥深さを昔から知っている人間ならいまさらショート動画に全面的に趣旨替えすることはない。

 

でも、物心ついた時からショート動画ばかりで情報を得ている若者にとっては2時間を超える映画、数か月先まで見続けなきゃいけない連ドラ、読み終えるのに何日もかかる小説はじれったいの極みだろう。旧世代から言わせればお気の毒としか思えない。

 

まあ、そんな愚痴みたいな話を書いてもキリがない。今日はショート動画の中で面白かったいくつかを紹介しよう。このブログに静止画で載せられるのは、動画といっても箇条書きの図表のようなものを表示しているものぐらいだからそんな系統のものをいくつか載せる。

 




いわゆるフェッチの分析と血液型のありがちな解説だ。画像に載っているフェチは限定的だから私の重度のフェチが分析されていないのが残念だ。でも強いてこの中に絞れば、私は「執念深い忍耐男」になるらしい。いいかげんである。

 

血液型は、まあこんなものだろう。だいたいB型というだけで昔から変人っぽく断定されがちだ。人間様をたかだか4種類の血液型で類型化すること自体バカげているが、B型が変人なのは確かだからこればかりは仕方ない。

 



親子の時間を切ない感じで表したこれは私にはちっとも刺さらなかった。実際のショート動画では物凄くせつないBGMととも表示されるのだが、同居する25歳の娘にいまだに完全依存されている私にとっては当てはまらない。それはそれで逆説的に見れば幸せなことなんだろう

 


 

お次はソープ遊びと結婚を比較した“やるせない”図表だ。笑わせてくれる。なかなか面白い。私の場合、ソープには行かないが一応独身だからいろエロな女性の友人はいる。当てはめてみればこの図表と似たようなものだ。

 

でも、この図表でいうところの「しがらみ」って考えようによっては案外大事なものかもしれない。人間は一人きりでは生きられない部分はあるから適度な「しがらみ」は高齢化とともに必要性が増す気がする。他にも「同志的連帯感」とか「ともに歩んだ歴史」みたいな人生の深みみたいなものはちゃんと家庭人を継続できた人へのご褒美かもしれない。ちょっと悔しい!?

 



つづいてはノーテンキなネタだ。「眠れる森の美女」「可愛い子には旅を」の対義語が最高だ。近年、コンプラコンプラとやかましいからこういう痛快系?は何だか嬉しくなる。

 

やはりリール動画で大昔の「ツービート」の漫才映像が出てきたことがあったが、時代の変化をあれほど感じたものはなかった。たけしの毒舌は今では犯罪者扱いされそうなレベル。あの大らかだった時代に若者だったことが今更ながらラッキーだったと痛感した。

 

キリがないからこのあたりで今日はオシマイです。

 

 

 

 

 

 





2026年8月28日金曜日

頭の問題


先日、脳神経内科に行った。娘に引っ張られて半ば無理やり連れて行かれた。最近、やたらと物忘れが多いから放置したらいかんというのが娘の言い分である。

 

自分ではさすがに若年性痴呆というレベルではないと思っているが、娘に言わせると普通じゃないらしい。言われてみれば今年に入ってからもATMでお金をおろした際に出てきたお金を取らずに去ってしまったことが2回ある。

 

以前にも経験しているのだが、誰かに盗られたらオシマイだが、取り忘れたお金は案外早めに機械に戻るようなので実害はなかった。だから油断しているのだろう。

 

キャッシュカードを財布に戻すことに神経質になりがちなせいで肝心のお金を取り忘れるのが私の悪いクセである。まあ、これって物忘れとは次元が違う。単なるアホである。

 

そんなことより記憶のほうが問題みたいだ。娘に言わせればわりと最近交わした会話内容を私が覚えていないことが頻繁にあるらしい。病院に無理やり引っ張っていくぐらいだから真剣に心配しているようだ。

 

確かに多少は自覚がある。私なりに言い訳はあるのだが、間違いなく以前より忘れっぽくなっている。まあ、60歳も過ぎた今の状態が昔と同じはずはない。常識の範囲ではないかと思っているがどうなんだろう。

 

先日も某知人と食事をしたのだが、そのお店に連れていくのは2度目だと思っていたのにここ2年ぐらいの間に3度も連れてきていたそうだ。まるで覚えていなかった。

 

ちょっとヤバいかもしれないが今のところ仕事上の大ポカもしていないし、生活に支障が出るほどの物忘れはないので自分としてはあまり気にしていない。

 

とはいえ、考えてみれば結構マヌケな物忘れは多い。ほんの一か月前に隣に座って談笑しながら食事をした人の顔を忘れちゃって「すいません、どなたでしたっけ?」と尋ねたこともある。さすがに失礼な話だ。

 

物忘れと言われれば物忘れなのだろうが、じつのところ大半は注意力と興味の問題だと自己分析している。もともと興味のないことにはとことん興味がないB型の典型的な性質がある私だ。忘れちゃったというよりハナからキチンと認識していないという側面もあるはずだ。

 

さほど興味がない会話をする時って誰だって真面目に聞いていない。テキトーに聞き流したりそれっぽく相づちはうったりしても内容はちっとも頭に入っていない。後からそれを突っ込まれても忘れたのではなく最初から脳に刻まれていないだけというケースは珍しくないと思う。

 

人の顔を忘れちゃうのも似たようなものだろう。興味や関心がない人の印象ってまるで頭に残らない。皆さんは違うのだろうか。私が極端なのだろうか。

 

それ以外にも脳の防衛本能として「イヤな記憶」は消去しちゃうという現実もある。私の場合、かなり若い頃からそんな傾向が強かった。思い出したくない恥ずかしいことやマヌケな失敗みたいな行為や言動を記憶から消し去る能力?がマメに機能してきた。

 

だから数十年ぶりにあった旧友とかに昔の私のヘンテコな言動を指摘されて突然それを思い出すようなシーンが何度もある。都合の悪いことは記憶から消しちゃうという“お調子モノ機能”が一種の得意ワザになっているわけだ。

 

で、脳神経内科のお医者さんにいろいろ聞かれたのだが「ビミョーなレベル」ということでMRI検査を来週受けるハメになった。これって私には一大事である。以前に脳ドックを受けた際に閉所恐怖症気味の私はパニックになってしまった経験がある。その時の話がコレ。

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2010/10/blog-post_11.html

 

 一応、そのことも伝えて多少なりとも解放感のある機械で検査してくれるよう手配してもらったのだが真剣に逃げ出したいぐらいビビっている。死ぬほど憂鬱だ。

 

そんな過去の敬意をお医者さんに説明する際にも私の物忘れはかなりのものだった。脳ドックを受けたのは「5~6年前」だと説明したのだが、その時の顛末を書いたこのブログの日付を見てビックリである。なんと16年も前のことだった。私の認識と10年もズレていた。

 

さすがにヤバいのかもしれない。困った困った。